2022年09月15日

今後の予定

下記のイベント、歌会、カルチャー講座に参加します。
多くの方々とお会いできますように!

・10月2日(日)第3回別邸歌会(滋賀)
 https://matsutanka.seesaa.net/article/490888255.html

・10月16日(日)国際啄木学会2022年度秋の大会(宮城)
「大正デモクラシー期の文学と思想―啄木・晶子・作造―」
 https://takuboku.jp/seminar/452/

・10月23日(日)文学フリマ福岡
 https://bunfree.net/event/fukuoka08/
 *キャンセル

・11月3日(祝)講座「永井陽子の奏でる言葉」(京都)
 https://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_2-49709.html

・11月26日(土)中林祥江『草に追はれて』を読む会(和歌山)
・12月4日(日)現代歌人集会秋季大会(京都)
・12月11日(日)第4回別邸歌会(橿原)

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2022年09月14日

映画「長崎の郵便配達」

監督・撮影:川瀬美香
出演:イザベル・タウンゼンド、谷口稜曄、ピーター・タウンゼンド

長崎で被爆した少年を描いたノンフィクション『ナガサキの郵便配達』(1984年)の著者ピーター・タウンゼンド。その娘であるイザベル・タウンゼンドが、2018年夏に長崎を訪れ、父の本や取材テープを元に父の足跡をたどるドキュメンタリー。

https://www.amazon.co.jp/Postman-Nagasaki-Peter-Townsend/dp/0140081364

『ナガサキの郵便配達』に登場するのは、16歳で被爆して全身大火傷を負い、後に核兵器廃絶の運動を続けた谷口稜曄(すみてる)。彼とピーター・タウンゼンドの間に結ばれた友情や平和にかける思いが、イザベルの訪問によって明らかになっていく。

インタビューに答えるイザベルの英語が聞き取りやすいと感じたのだが、フランス生まれでフランスに暮らす人であった。イザベルの旅に夫と2人の娘が同行しているのが印象的だ。

『ナガサキの郵便配達』(The Postman of Nagasaki)と映画「長崎の郵便配達」(The Postman from Nagasaki)は同じ題のようで、実は「of」と「from」の違いがある。そこに、故人の遺志を受け継ぎ伝えていく決意をしたイザベルの思いが表されている。

京都みなみ会館、97分。

posted by 松村正直 at 07:22| Comment(3) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月13日

啄木と電話

啄木の生きていた明治時代、個人間のやり取りは主に葉書や手紙で行われていた。まだ電話は一般には普及していない。

明治23年に日本で初めて東京・横浜間で電話の取り扱いが始まったが、加入数はわずか197件。明治40年でも5万8000件であった。

それでも、啄木が下宿していた蓋平館別荘には電話があったようで、明治41年9月11日の日記に、啄木はこんなふうに書いている。

 明日午後二時から徹宵の歌会をやるといふ平野君の葉書。
 並木から電話。実は電話はイヤだつた。イヤと云ふよりは恐ろしかつた。四年前にかけた事があるッ限、だから、何といふ訳もなく、電話に対して親しみがない。今煙草をのんでるので立たれぬからと無理な事を言つて、女中に用を聞かせると、平野から葉書が来たけれど、何にも書いてないと言ふ。仕方なしに立つて電話口に行つたが、何でもなかつた。これからは、いくら電話がかかつて来てもよい。兼題を知らしてやつた。

下宿先に友人から電話が掛かってきて女中が取り次いでくれたのに、電話に慣れてないので啄木は尻込みする。電話機の扱い方がよくわからなかったのだろう。

結局、電話に出るはめになって友人と話をするのだが、そうすると一転して強気になって、「いくら電話がかかつて来てもよい」と思う。このあたり、いかにも啄木らしくて面白い。

遠方に電話の鈴(りん)の鳴るごとく
今日も耳鳴る
かなしき日かな  『一握の砂』

posted by 松村正直 at 22:55| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月12日

講座「永井陽子の奏でる言葉」

11月3日(祝)にJEUGIAカルチャー京都 de Basic.(四条駅、烏丸駅から徒歩3分)で、特別講座「永井陽子の奏でる言葉」を開催します。今も多くの人に愛され、短歌史に独自のかがやきを放ち続ける永井陽子の歌を読み解きます。

時間は13:00〜15:00。

有名な歌からあまり知られていない歌まで、できるだけ多くの歌をご紹介したいと思います。どうぞお気軽にご参加ください。

https://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_2-49709.html

posted by 松村正直 at 09:30| Comment(0) | カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月11日

『台湾生まれ 日本語育ち』の続き

ヤクルトの村上宗隆選手が53号のホームランを打って、「日本人歴代2位」「日本選手単独2位」といったニュースが流れている。1位は王貞治の55本だが、王さんの国籍は中華民国なので国籍という点から言えば「日本人」ではない。だから「日本選手」といった表記も使われているのだろう。

以前、大相撲で稀勢の里が横綱になった時などに、「日本出身横綱」という表現を見かけた。武蔵丸(ハワイ)や白鵬(モンゴル)など外国出身の横綱と区別する呼び方である。なぜ「日本人横綱」と言わないかと言えば、武蔵丸も白鵬も帰化して日本国籍を取得しているからだ。国籍という点から言えば、彼らも「日本人」なのである。

私たちは自分たちの都合によって、彼らを「日本人」に含めたり含めなかったりする。一体どこにどう線を引いて、何と何を区別したがっているのだろう?

二十三歳のある日、突然日記が書けなくなった。十年以上、ほぼ毎日、あたかも「生まれながらの自分の言葉」であるかのように、自由自在に操っていた日本語が、ふと「外国語」のように感じられた。いや、逆だ。何故「外国人」であるはずの自分は、すらすらと日本語を書いているのだろう、と思ったのだ。その日を境にわたしは、日本人のふりをしながら(11文字傍点)、日本語を書くことができなくなった。
台湾人なのに中国語ができない。日本語しかできないのに日本人ではない。/ずっと、それをどこかで恥じていた。けれども、そうであるからこそ、わたしはわたしのコトバと出会うことができた。

温又柔の文章は、「日本」と「日本人」そして「日本語」が一対一で対応しているのではなく、緩やかな関係で結ばれていることを教えてくれる。それは、多様で豊かで開かれた「日本」や「ニホン語」を示してくれるものだ。

posted by 松村正直 at 07:33| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月09日

映画「霧幻鉄道」

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監督・撮影:安孫子亘
出演:星賢孝、大竹惠子、塩田恵介、大越智貴ほか

福島県の会津若松駅と新潟県魚沼市の小出駅を結ぶJR只見線。全36駅、全長135.2キロに及ぶローカル線である。

2011年7月に起きた集中豪雨のため一部不通の状態が続く只見線の復旧までの道のりと、只見線を走る列車と奥会津の風景を年間300日も撮影する郷土写真家、星賢孝を描いたドキュメンタリー。

只見線の沿線風景の美しさと、地元の方々の鉄道復旧にかける思い、そして何よりも星賢孝の行動力と人柄の魅力に溢れた作品となっている。

只見線は今年10月から、実に11年ぶりに全線開通する予定。これはぜひ乗りに行かなくては!


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星賢孝氏撮影の写真のポストカード。

アップリンク京都、80分。

posted by 松村正直 at 16:12| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月07日

温又柔『台湾生まれ 日本語育ち』


2016年に白水社より刊行された単行本に新たに3篇を加えて新書化したもの。

台湾に生まれ、父の仕事の関係で3歳の時に東京に移り住んだ著者が、言葉や国語や国家や民族について記したエッセイ集。第64回日本エッセイスト・クラブ賞受賞作。

自らが慣れ親しんだ日本語だけでなく、両親の使う中国語や台湾語も含んだ「ニホン語」を駆使して、著者は思索を深めていく。「ニホン語」について考えることは、自らのアイデンティティを問うことであり、また東アジアの近現代史を知ることでもあった。

わたしの祖母は、中国語で教育を受けたのではない。祖母が少女の頃の台湾では、日本語が「国語」だった。一九四五年、第二次世界大戦が終結するまで、台湾は日本の統治下にあった。
台湾の「国語」事情に思いを馳せるとき、「国語」という思想を支える「国家」なるものの本質的な脆さを、わたしは感じずにはいられない。台湾で暮らす人々が、ときの政府の方針一つで、「大日本帝国」の「臣民」にも「中華民国」の「国民」にもさせられる
歴史の可能性の一つとして、征服者の言語であった日本語は、朝鮮、台湾、旧満州地域等における「国際共通語」となる可能性を孕んでいた。

台湾語だけを使っていた曾祖父母の世代、日本語が国語であった祖父母の世代、中国語が国語になった父母の世代、そしてニホン語を使う著者。4世代に渡って言語状況は目まぐるしく変っている。

その断面や亀裂にこそ、最も現代的で生き生きとした歴史や文化が顔を覗かせているのだ。

2018年9月25日第1刷、2021年6月25日第5刷。
白水社Uブックス、1400円。

posted by 松村正直 at 23:28| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月05日

大佛次郎と吉野秀雄の口論

以前、米川稔が死んだかどうかをめぐって、大佛次郎と吉野秀雄が口論した話を書いた。
https://matsutanka.seesaa.net/article/490112646.html

大佛次郎が昭和20年8月21日の朝日新聞に書いた「英霊に詫びる」の中で、米川稔を死者の一人に挙げたことに対して、吉野秀雄が反発したのである。

この出来事が大佛の日記だけでなく、吉野の日記にも記されていることがわかった。

「短歌研究」2003年6月号〜8月号に、吉野秀雄「艸心洞日記」の昭和20年5月24日から8月31日分(全集未収録)が載っているのだが、その8月25日に次のようにある。

○夜、大佛氏、村田氏宅より電話、病気の故をもちて断る。本人酔ひて来り、蚊帳の外に頑張りてどうしても来いとてきかず。即ち同行して痛飲す。座に相馬、木原、夏目等あり。相馬、例のうるさき酔ひ方に閉口す。大佛氏の「英霊に詫びる」といふ文中、米川を戦死者として書きのめしたる件、不謹慎なりとて突つ込み、「外へ出ろ」といふところまで至る。余のいひ方も悪かりしか。大佛氏の「絶交」云々も見当違ひならん。深夜帰宅す。

双方酒に酔っていたせいもあるだろうが、殴り合い一歩手前のかなり激しい口論になったようだ。

それだけ吉野の米川に対する思いは深く、万一の生還に望みをつないでいたということかもしれない。

posted by 松村正直 at 20:18| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月04日

『やさしい鮫』の在庫復活

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第2歌集『やさしい鮫』(2006年、ながらみ書房)がしばらく在庫切れになっていましたが、版元に残っていた分が見つかって引き取りました。

定価2800円のところを1500円(送料込み)で販売中です。
https://masanao-m.booth.pm/

名前のみ読み上げられる祝電のしゅうぎいんぎいんさんぎいんぎいん
犠打という思想を深く刻まれてベンチに帰る少年のかお
「やさしい鮫」と「こわい鮫」とに区別して子の言うやさしい鮫とはイルカ

どうぞよろしくお願いします!

posted by 松村正直 at 17:47| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月03日

映画「時代革命」

監督:キウィ・チョウ

2019年に香港で起きた民主化を求めるデモを描いたドキュメンタリー。

最大で200万人に達したと言われるデモの様子や、香港立法会の占拠、警官との激しい衝突、香港中文大学や香港理工大学での籠城戦などが、180日間に及ぶ生々しい映像と参加者へのインタビューによって描かれている。

民主化や自由を求める強い情熱と高揚感を感じる内容であった。一方で、その後の香港国家安全維持法の制定や言論弾圧の強化といった現状を見ると、このデモの歴史的な評価が定まるのはまだ当分先のことになるのだろうと思う。

京都シネマ、158分。

posted by 松村正直 at 07:02| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月01日

雑詠(018)

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死臭より淡いけれども枕から漂いのぼるわれの匂いが
氾濫の収まりしのちの萎れたる川を見ており鴉とともに
言いたくて言えないことの百日紅のどから伸びて両目をやぶる
殺処分の囲いのなかに犬たちは交尾しており声を荒げて
弁当の蓋につきたる米粒のたましいなんて空疎なことば
この庭の奥にトイレがあることを知ってる、初めての店なのに
若き日の映画ふたたび見ることの増えて初秋の雲のあかるさ

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2022年08月31日

吉田千亜『その後の福島』


副題は「原発事故後を生きる人々」。

原発事故による避難生活を送る人々の姿を描いたノンフィクション。多くの避難者への取材を通じて、原発事故の実態や社会の様相を浮き彫りにしている。

国・行政側が、放射能汚染に対する住民感情として用いる「不安」という言葉は、「不安を抱える人の側の情報や性格に問題がある」というように、その責任を個人に転嫁する意図で使われている。
原発事故の本質を抜き去った「復興計画」が進み、その流れに乗らない人は、「復興」を妨げる人間として責められる。「団結からはみ出した人を非難し、排除する」というようなメンタリティだ。
こうして原発事故の被害について口にできない被害者と、福島内のことだから関われない、他人事だから関わらないという世間によって、原発事故の記憶は「風化」し、何事もなかったかのようになっていくのかもしれない。

この本が出てから4年。最近また「原発」や「復興」に関するニュースがよく報じられるようになっている。そうしたニュースを見るたびに、この本の内容が思い出される。

例えば、8月24日には岸田首相がエネルギー政策を大きく転換して原発の新増設を検討することを表明した。

貧しい地域に原発とお金がやってくる、住民の命や健康よりも企業の利益を優先させる、という構造から変えなくては、根本解決にならない。裁判に関わるようになり、被害と加害の構造を改めて知った、と中島さんは言う。

原発の再稼働や新増設に向けた動きは、深刻な原発事故から11年経った今も、こうした「構造」が何も変っていないことを意味しているのだろう。

また、8月30日には福島県双葉町の特定復興再生拠点区域の避難指示が解除された。これまで全町避難が続いていただけに、「復興」の明るいニュースとしてテレビでも取り上げられていた。

避難指示解除や帰還をめぐっては、土地を追われた人々が自宅に帰れるのがすなわち良いこととして語られることもあるが、そんなに単純な話ではない。そこには、まだ安全が確保されていないと判断した人の避難の長期化、世代間の放射能汚染に対する判断の違いなど、簡単に元通りにはならないヘ原子力災害特有の問題が横たわっている。

避難指示の解除によってすべての問題が片付くわけではない。それにもかかわらず、「復興」をめぐるニュースで原発事故の幕引きが図られ、「原発」の再稼働や新増設が進められつつあるのだ。

2018年9月30日、人文書院、2200円。

posted by 松村正直 at 08:08| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月30日

映画「天使の涙」

原題:堕落天使
監督・脚本:ウォン・カーウァイ
撮影:クリストファー・ドイル
出演:レオン・ライ、ミシェール・リー、金城武、チャーリー・ヤン、カレン・モクほか

1995年公開の香港映画。
香港の街を舞台に繰り広げられる5名の男女の群像劇。

肉屋に置かれた豚の背中に乗ってマッサージする場面とか、「毎日雨が降ってくれればいいのにな」とか、何度見ても印象に残る。

見終ってから気がついたのだけど、言葉によるコミュニケーションが実はほとんどない。すれ違ったり、寄り添ったり、察したりしながら、話が進んでいく。

京都シネマ、99分。

posted by 松村正直 at 08:00| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月28日

小出裕章『日本のエネルギー、これからどうすればいいの?』


「中学生の質問箱」シリーズの1冊。

原子力の専門家である著者が、2011年の福島第1原発の事故を踏まえて、エネルギー問題についてわかりやすく論じている。

原発事故が起きてから原発について論じるようになった人は多いが、著者は1970年代からずっと反原発の運動や発信を続けてきた。そこが何よりも信頼の置けるところだと思う。

 日本では、「核」と言えば軍事利用で、「原子力」と言えば平和利用であるかのように宣伝されてきました。英語では同じニュクリア(Nuclear)でも、
「ニュクリア・ウェポン(Nuclear Weapon)」は「核兵器」
「ニュクリア・パワー・プラント(Nuclear Power Plant)」は「原子力発電所」
と訳されます。
国と巨大原子力産業、電力会社は、彼らの論理で原子力を進め、原子力から恩恵を受けない国の人々、弱い立場におかれた労働者や立地住民たち、そういう人々をブルドーザーでつぶすように苦しめてきました。だから私は原子力に反対して抵抗してきました。
エネルギーの問題は原子力をやめればいい、ということではないのです。エネルギーの使い方そのものが問題で、それは世界の構造そのものの問題であって、最終的に言ってしまえば、どうやって生きることが幸せなのかというそれぞれのひとの人生観の問題です。

著者は単に原発に反対しているのではない。エネルギーの大量消費の上に成り立っている現代の暮らしのあり方や、先進国と発展途上国、都市部と農村部との格差がもたらす差別や抑圧、非民主的な物事の決定方法といったものに、異議を唱えているのである。

その一つの現れとして原発の問題がある。だから、原発にどう対応するかという話は、私たちが暮らす日本の社会をどのようにしていくかという話でもあるのだ。

2012年5月28日第1刷、2022年5月14日第2刷。
平凡社、1200円。
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2022年08月27日

啄木日記

今日は朝日カルチャーセンターくずは教室で、「啄木日記から見た短歌」という講座を行った。啄木日記の面白さや魅力を少しでも伝えたいと思って喋っていたら、あっという間に90分が過ぎた。

講座では取り上げなかった箇所を2つご紹介。
まずは北原白秋について書いている部分。明治41年9月10日の日記。

北原君などは、朝から晩まで詩に耽つてる人だ。故郷から来る金で、家を借りて婆やを雇つて、勝手気儘に専心詩に耽つてゐる男だ。詩以外の何事をも、見も聞もしない人だ。乃ち詩が彼の生活だ。それに比すると、今の我らは、詩の全能といふことを認めぬ。

裕福で生活にゆとりのある白秋を羨み、また嫉みつつも、詩に対する考え方の違いを明らかにしている。

続いて源氏物語を読んでの感想。明治41年10月1日の日記。

其色と、其才とを以て、天が下の光の君と讃えられた源氏も、二十が二十五になり、二十五が三十になり、三十が三十五になつた。浅間しい。人は生れて、おのづからにして年を老る。そして遂に死ぬ。年を老らずに死ぬものなら、世の中は如何に花やかな、そして楽むべきものだらう。老ゆるに増す浅間しさ悲しさが、またとあらうか。

当時、啄木は満年齢で22歳、数えで23歳。
若さゆえの傲慢さ全開といった感じだが、啄木が老いることなく26歳で亡くなる現実を知っているだけに、複雑な気持ちになる。

posted by 松村正直 at 22:57| Comment(4) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月26日

白内障の手術の歌

近年、白内障の手術を詠んだ歌をよく見るようになった。それだけ手術が手軽になり、多くの方が受けているということなのだろう。

いつ頃から、こうした手術は行われていたのかと思ったら、戦前の歌集に歌があった。前田夕暮『水源地帯』に収められている「手術」41首という大作で、昭和6年のものである。

  六月二十二日、帝大眼科にて左目白内障手術
ひいやりと硝子張の手術台に寝た時、私の病室で啼いてゐる螽斯(きりぎりす)を聞いた
顔にかけられた白布(しろぬの)――片眼だけ露出した自分の寝姿を考へる
手術室の突き出た窓から、いつぱいに這入る光を足の裏が感じてゐる
微かなメスの刄ざはりを感じて、眼球(めだま)がしいんとなる
切開された眼球が、とろりとして眼帯(がんたい)の下にある夜半!
両眼をかくされたまま、七日の昼と夜を仰向けに臥て、ぢつとしてゐよといふのだ
うす青い光が眼帯(がんたい)の上を這つてゐるので、私は朝を感じた。
うす赭い光が眼帯を透してくるので、私は、午後であることを知つた
隣の雑居室の大時計が、一時をうつたきり、いつまでたつても二時をうたぬ(夜)
水の音が足の方でちろちろしてゐる――朝の水音はうれしい
帰りしなに手を握つてくれた妻の手から、何か新しい妻を感じる
鉢植の芒の嫩葉(わかば)をさはらせて貰ひながら、眼がみえぬ者の喜びを初めて知る
  眼帯を除かれる朝
芒の嫩葉(わかば)に手をふれながら、眼があく午前のわくわくした気持だ
  青視症
タングステンのやうな青い光が、いきなり眼のなかにとび込んでくる、朝ばれ(眼帯をとる)
雨あがりの朝の青つぽい光が、視野いつぱいにはいつてきた驚き

まだまだ歌はあるのだが、引用はこれくらいにしておこう。

今と違って手術後1週間は眼帯をして入院生活を送らなければならなかったようだ。その分、感覚が敏感になって光を感じたり、聴覚や触覚の表現が増えたりしている。

この時代の夕暮は口語自由律。詞書や読点、ダッシュ、エクスクラメーションマークなどを使って、多彩なリズムで一首一首を詠んでいる。実におもしろい。

当時の手術は、濁った水晶体を取り除くだけしかできなかった。現在では眼内レンズ(人口水晶体)が用いられるが、その実用化は戦後になってからのこと。そのため、失った水晶体の分は眼鏡によって補正しなければならなかったらしい。

posted by 松村正直 at 14:53| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月25日

映画「恋する惑星」

原題:重慶森林
監督・脚本:ウォン・カーウァイ
撮影:クリストファー・ドイル、アンドリュー・ラウ
出演:トニー・レオン、フェイ・ウォン、ブリジット・リン、金城武ほか

1994年公開の香港映画。
香港の街を舞台に繰り広げられる2組の男女のラブストーリー。

まだ20歳代だった頃、函館のシネマアイリスで「天使の涙」とともに見て、強烈な印象を受けた。その感動は今回も変わらず、あらためて名作だと思った。主題歌「夢中人」が頭のなかに流れ続ける。

現在、ウォン・カーウァイの5作品が4Kレストア版で公開中。
https://unpfilm.com/wkw4k/

昔見た映画を見ると、映画の記憶だけでなくその時の自分自身のことが鮮やかに思い出される。

京都シネマ、102分。
posted by 松村正直 at 22:41| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月24日

岩瀬昇『日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか』


戦前の日本が石油を中心としたエネルギー問題に対して、どのように取り組んでいたのかを論じた本。

国内産の石油だけではもちろん足りず、北樺太や満洲における油田開発、石炭を元にした人造石油の開発など、様々な取り組みが行われた。しかし国としての明確なエネルギー政策を欠いた日本は、結局、太平洋戦争による南方油田の奪取へと進むことになる。

巷間では、初の「日の丸原油」は、アラビア石油の創設者・山下太郎の手によるカフジ原油だと信じられている。だが、本当の意味で日本人が自らの手で掘り出した最初の海外原油は、樺太のオハ原油だったのである。
昭和十一(一九三六)年の日独防共協定は、まさに共産主義国家ソ連を敵対視するもので、これを機にソ連側の北樺太石油の事業推進に対する締め付け、嫌がらせ、事業推進妨害は熾烈なものとなっていった。
緒戦の戦果に浮かれていた大本営政府の首脳は、南方から石油を乗せた船が、アメリカ軍の潜水艦や航空機攻撃で壊滅状態になることへの想像力を欠いていた。
石油、いやエネルギーに関しては、太平洋戦争当時の日本を取り巻く基本骨格が、現代もなお変わっていないという事実に驚かされる。日本は、昔も今も、石油を始めとする一次エネルギー資源をほぼ持たない「持たざる国」なのだ。そしまた、「非常時」がいつ来るか、わからない。

この予言は、現在まさに的中したと言っていいだろう。ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、石油・天然ガスの開発プロジェクト「サハリン1」「サハリン2」における日本の権益を維持できるかが大きな問題となっている。

また、2011年に起きた福島第一原発の事故や、現在の原発再稼働に向けての動きの背景にも、こうしたエネルギー問題がある。それは、今なお解決できていない問題として残されたままなのだ。

2016年1月20日、文春新書、820円。

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2022年08月23日

長崎医学専門学校

米川稔(1897-1944)・宮柊二(1912-1986)・野村清(1907-1997)の3人は、北原白秋に「多磨」の三人組と呼ばれていた。その一人である野村が書いた「米川稔と柊二」という文章がある。

角川「短歌」1987年12月号の特集「宮柊二の世界」の中の一篇だ。前年に宮が亡くなり、野村は三人組の唯一の生き残りとなっていた。

この文章に、「多磨」入会以前の米川のことが書かれている。

宮と私は「多磨」が出る少し前から白秋の所へ行っていたが、米川は「多磨」の創刊によって初めて登場したのであった。(…)巽聖歌の話によると「多磨」への入会申込書には歌歴らしいものは全くなく、長崎で斎藤茂吉の講義を聞いたことがあると書いてあったという。(…)このように米川稔は「多磨」創刊とともに忽然と出現したのであった。

ここで「長崎で斎藤茂吉の講義を聞いた」とあるのは、短歌の話ではない。医学の講義である。

米川は1915(大正4)年から1919(大正8年)にかけて、長崎医学専門学校に通っていた。(この学校は、1923(大正12)年に長崎医科大学となり、戦後、長崎大学医学部となっている。)

そして、斎藤茂吉は1917(大正6)年から1921(大正10)年まで、この学校の精神科教授として赴任していた。つまり、米川は長崎医学専門学校で茂吉の授業を聞いていたというわけだ。

何とも不思議な縁だと思う。

posted by 松村正直 at 21:54| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

講座「啄木日記から見た短歌」

8月27日(土)に朝日カルチャーセンターくずは教室で「啄木日記から見た短歌」という講座を行います。時間は13:00〜14:30。

啄木の日記は読み物としても面白くすぐれた日記文学だと思います。教室受講とオンライン受講があり、またアーカイブ配信(1週間限定)も行いますので、当日ご都合の付かないという方もぜひお申込み下さい。

【教室受講】
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/2a607214-6ffc-c1e6-31e2-6257d8c59df4

【オンライン受講】
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/ad7c6aca-05a5-a88c-7b5d-6257d9b4ca63
posted by 松村正直 at 18:27| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする