2024年06月06日

柴又(その2)

帝釈天から徒歩数分で「山本亭」に着く。
大正から昭和にかけて建てられた和洋折衷の邸宅。


DSC01912.JPG

洋風の意匠を取り入れた長屋門のステンドグラス。


DSC01904.JPG

居間から見る庭の様子。
抹茶やぜんざいをいただきながら、のんびりくつろぐことができる。


DSC01902.JPG

洋室の「鳳凰の間」。
大理石のマントルピースがある。

続いて、徒歩数分のところにある寅さん記念館へ。


DSC01922.JPG

1997年の開館。
山田洋次ミュージアムも併設されている。


DSC01914.JPG

映画撮影に使われた「くるまや」や「朝日印刷所」のセットが移設・保存されている。これが最大の見どころと言っていいだろう。


DSC01920.JPG

列車の座席にすわりながら、「男はつらいよ」の鉄道シーンを観ることができるコーナー。その他にも工夫された展示が多く、寅さんの世界にたっぷりと浸ることができた。

続いて、徒歩すぐの江戸川へ。


DSC01926.JPG

川の向こうはもう千葉県だ。


 DSC01925.JPG

映画や小説、歌謡曲などで有名な「矢切の渡し」。
現在も片道200円で運行されている。


DSC01924.JPG

「矢切の渡し」の歌詞が刻まれた石碑。
「つれて逃げてよ…」「ついておいでよ…」

細川たかしのイメージが強いのだが、もともとはちあきなおみが歌っていたのか。

posted by 松村正直 at 10:19| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月05日

柴又(その1)

先日、仕事で東京へ行ったついでに柴又を観光してきた。

東京には22年住んだけれど生まれ育ちは南西端の町田市なので、東京の東部、特に荒川の東側(足立区、葛飾区、江戸川区)にはほとんど足を運んだことがない。というわけで、「男はつらいよ」で有名な柴又も今回が初めての訪問だ。


 DSC01884.JPG

京成「柴又」駅前に立つ寅さんの像。
後ろを振り返っている姿である。


 DSC01883.JPG

振り返った先にはさくらの像がある。
また旅立ってゆく兄を見送る妹の姿だ。


DSC01885.JPG

駅から続く帝釈天の参道。
草団子や川魚の店が軒を連ね、観光客が行き交っている。


 DSC01886.JPG

柴又帝釈天!

「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」というお馴染みの口上を思い出す。

門や鐘楼は映画でもよく登場するが、拝観料400円を払うと帝釈堂内殿の外周にある彫刻ギャラリーと庭園(邃渓園)を見学することができる。


DSC01889.JPG

外周に沿って仏教説話の10の場面が彫刻されている。


DSC01891.JPG

彫りが細かくて実に見事な出来栄えだ。


DSC01897.JPG

大客殿の前に広がる庭園は、屋根付きの廊下を伝って一周することができるようになっている。


DSC01896.JPG

京都ではだいぶ前に終わったつつじが、ここではまだ咲いている。参道や境内の賑やかさと打って変わって、静かな時間の流れる場所。


 DSC01929.JPG

帝釈天を出て玉垣に沿って歩いていると、「渥美清」「倍賞千恵子」の名前を発見。左に見える「三崎千恵子」はおばちゃんだ。

posted by 松村正直 at 12:33| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月04日

森鷗外と国学

中澤伸弘『やさしく読む国学』を読んで思い付いたことの一つに、森鷗外と国学の関わりがある。鷗外の活動と重なる話がいろいろと出てくるのだ。

真淵の著作には『○○考』という書名が多くあります。『国意考』『文意考』『歌意考』『書意考』『語意考』で、以上の五つを五意考と言います。(…)ほかに『萬葉考』、枕詞について述べた『冠辞考』、延喜式祝詞について述べた『祝詞考』などがあります。

こうした書名は鷗外最晩年の『帝諡考』や未完に終わった『元号考』を想起させる。

一方、古書に引用されて残った逸文の採集も積極的に行なわれ、江戸の考証学者・狩谷棭斎の『諸国採輯風土記』をはじめ、同じく江戸の前田夏蔭や黒川春村らの地道な研究により、「古風土記逸文」は今日の形となっています。

狩谷棭斎(かりや・えきさい)は鷗外の史伝小説で有名な渋江抽斎の師で、鷗外は狩谷の史伝も執筆しようとしていた。

この表音表記については、明治時代末ごろから、表記法として認めるべきだといった声があがってきましたが、伝統的な立場に立つ人はこれに反対しました。森鷗外の『仮名遣意見』などは、この立場に立って表音表記を批判したものでした。

ここには鷗外の名前が出てくる。

歌人でもあり、その一方で古代研究、古器古物に興味をもち、正倉院宝物の調査に従った穂井田忠友は、これらの物品を描写した図録『埋麝発香』を刊行することを計画しました。

穂井田忠友(ほいだ・ただとも)については、鷗外の「奈良五十首」の中に次の歌がある。

少女をば奉行の妾(せふ)に遣りぬとか客(かく)よ黙(もだ)あれあはれ忠友(たゞとも)

以上のような点から考えると、鷗外は特に晩年において国学にかなり近づいていたのではないかという気がする。

posted by 松村正直 at 08:31| Comment(0) | 国学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月03日

藻谷ゆかり『山奥ビジネス』


副題は「一流の田舎を創造する」。

「ハイバリュー・ローインパクト」「SLOCシナリオ」「越境学習」の3つの観点から、都市部以外でのビジネスのあり方を検証した本。著者は『里山資本主義』で知られる藻谷浩介の兄の妻。

紹介される自治体は「熊本県山都町」「石川県能都町」「北海道岩見沢市美流渡地区」「島根県大田市大森町」「新潟県十日町市」「北海道東川町」「山梨県小菅村」。

実際に酒蔵見学をやってみると、観光客は無料の試飲を楽しんでも、肝心の日本酒をなかなか買ってくれない。酒粕を利用して製造販売している漬物を買うぐらいで、平均客単価はわずか500円程度だった。
人口8522人の東川町は、この25年間で人口が20%も増えている全国でも稀有な町である。現在では、町の人口の約半数が移住者であるという。
日本酒の消費量は1973年の177万キロリットルをピークとしてその後は下がり続け、現在はピーク時の3分の1以下になっている。かつて全国に4000社あったといわれる酒蔵も、現在は1400社ほどまでに減少している。

取り上げられているのは成功した事例ばかりで前向きな内容となっているが、本当は失敗した事例も数多くあることだろう。その両方の分析が必要なのではないかと感じた。

2022年10月20日、新潮新書、780円。

posted by 松村正直 at 06:37| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月02日

映画「関心領域」

原作:マーティン・エーミス
監督・脚本:ジョナサン・グレイザー
出演:クリスティアン・フリーデル、サンドラ・ヒュラーほか

アウシュヴィッツ強制収容所に隣接する敷地に暮らす所長のルドルフ・ヘス(ナチスの副総統のルドルフ・ヘスとは別人)と妻や家族たちの生活を描いた作品。

小池光『廃駅』(1982年)に収められた連作「生存について」と重なる。

かの年のアウシュビッツにも春くれば明朗にのぼる雲雀もありけむ
夜の淵のわが底知れぬ彼方にてナチ党員にして良き父がゐる
ガス室の仕事の合ひ間公園にスワンを見せに行つたであらう
クレゾールで洗ひたる手に誕生日の花束を抱へ帰つたであらう
棒切れにすぎないものを処理しつつ妻の不機嫌を恐れたであらう

ルドルフ・ヘスの残した告白録『アウシュヴィッツ』(講談社学術文庫)も読んでみたい。

MOVIX京都、105分。

posted by 松村正直 at 10:02| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月01日

雑詠(038)

*******************************

近鉄が遅れててって片耳で電話しながら駈けてゆく人
赤ちゃんも桜も猫も愛されるヒトの言葉を話さないから
薄れつつ遠ざかりゆく黄昏のひかり集めて干潟は光る
見ないふりしてとあなたは言うけれど青葉は凪のようなしずけさ
新緑の波打つごとき参道を汗ひかりつつ馬はかけゆく
母の日の花屋の前に立ち止まり花を見ており買うことなきを
よき音を立てて二つに分かれたるこの割りばしの兄とおとうと

*******************************

posted by 松村正直 at 07:43| Comment(0) | 雑詠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月31日

村山壽春のこと(その3)

村山の作品は戦中に編まれたいくつかの傷痍軍人の短歌アンソロジーに収められている。例えば由利貞三編『白衣勇士誠忠歌集』(1942年)には42首が掲載されている。

手をとりて鳥居に触れさせみとり女は今参道へ入ると教へぬ
股肱われこの手この眼は捧げたり残る命も君に捧げん
見えざれば母上の顔撫でゝ見ぬ頰柔かく笑みていませる
友軍の戦況告ぐる放送に残る拳をにぎりしめけり
鳳仙花咲いたときゝて探り見ぬ実が二つ三つ手に弾けたり

1首目は看護師に連れられて明治神宮に参拝した時の様子。目の見えない村山にとって、触れることは生活の基本となっている。2首目の「この手」、4首目の「残る拳」からは手も負傷したことがわかる。

誌面には目に包帯を巻いた写真と、次のような作者紹介がある。

(戦盲)村山壽春(ムラヤマトシハル)京都府 中尉(篠原誠部隊志摩部隊)

揚子江岸安慶附近戦闘に於て地雷爆破の為両眼失明、右腕切除。左手指損傷、鼓膜破裂、全身破片創。外に肋骨重傷切断。

何とも凄まじい重傷だ。両目が見えないだけでなく、右腕も失っている。

村山が負傷したのは1939(昭和14)年の南昌作戦においてであり、当時彼は第116師団(師団長:篠原誠一郎中将)の歩兵第120連隊(連隊長:志摩源吉中佐)に所属する陸軍中尉だったようだ。

佐佐木信綱、伊藤嘉夫共編『戦盲:大東亜戦争失明軍人歌集』(1943年)には、「療養練成編」に30首、「再起更生編」に20首の計50首が掲載され、退院後の京都での暮らしも詠まれている。

母が手に白衣をぬぎて紺絣黒の羽織と重ね着るかも
己が身は涼しき風に吹かれつつ南(みんなみ)の戦地思ふ夜半かな
鴨川の堤の柳手にふれてものやはらかき芽をふけりみゆ
たはむれに牛の鳴くまねわがすれば皆が笑ひて我家あかるし
梅が枝の蕾静かに香を秘めて我が運命を暗示する如し

その後の村山の消息については何もわからない。

戦争を生き延びることができたのか、戦後の暮らしはどうだったのか。もしご存知の方がいらっしゃったらご教示ください。

posted by 松村正直 at 19:35| Comment(0) | 河野裕子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

村山壽春のこと(その2)

この歌は、中河幹子編『臨時東京第三陸軍病院傷兵 傷兵歌集 第1輯』(1943年)というアンソロジーに載っている。

臨時東京第三陸軍病院は昭和13年に創設された東日本最大の陸軍病院で、数千名の患者を収容していたという。現在の独立行政法人国立病院機構相模原病院である。

中河の序文には「昭和十六年秋以来、月二回日曜日に相模原の第三陸軍病院へまゐり傷兵の方々と御一緒に和歌の勉強をしてまゐりました」とある。中河の指導のもとに、傷兵たちは短歌を詠んでいたのだろう。

村山は傷痍軍人だったのだ。彼の歌は全部で8首収められている。

起き出でて東に向ひわが立てばああ太陽が太陽が見ゆ
故郷にひとりわびゐの母の上に思ひぞ勝る春雨の音
夕ぐれになりにけらしな文机の鉢のサフラン花とぢにけり
懐しき故郷人は母上の元気なたより持ちて来ませり
庭に出でて指にまさぐる藤の秀(ほ)のふくらむみれば夏遠からじ
野中なるこの病院にひねもすをひばりの鳴けば故郷思ほゆ
雨樋の水音しげくなりて来ぬ寝つつし思ふ大灘の波
うつそ身はめしひてあれど国の為死なしめ給へ天地の神

1首目に「ああ太陽が太陽が見ゆ」とあって、もしかしてと思ったのだが、8首目を読むと村山が戦傷により失明していたことがわかる。「太陽が見ゆ」は明るさが感じられるということなのだろう。

「春雨の音」「ひばりの鳴けば」「雨樋の水音」など聴覚に関する歌が多いのも、視覚が失われているからだ。

夕ぐれになりにけらしな文机の鉢のサフラン花とぢにけり

この歌のサフランは春に咲くクロッカスのこと。花は日が当たると開き夕方になると閉じる。「けらし」という推量が用いられているのは、目が見えないからだ。

5首目では藤の花房に指で触れて膨らみを感じている。おそらくクロッカスにも指で触れてみて、花が閉じていたので夕方になったと知ったのだろう。

posted by 松村正直 at 06:33| Comment(0) | 河野裕子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月30日

村山壽春のこと(その1)

近年の国会図書館デジタルコレクションの充実ぶりには目を見張るものがある。昔だったら調べようのなかったことが、実に簡単に調べられるようになった。

以前、「角川短歌」1996年6月号に河野裕子さんが書いた文章をブログで引いたことがある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387139218.html

短歌好きの母は、折りにつけて、娘時代に覚えた歌を口遊んでいた。聞くともなしに聞いていて、すっかり覚えてしまった歌が何首もある。

  ゆふぐれになりにけらしな文机(ふづくえ)の鉢のサフラン花閉ぢにけり

という歌は、作者名もわからないまま母から私に伝えられた歌であり、早春の光りが射す頃になると、決まって思い出す歌である。

11年前のブログの最後には「一体だれの歌なのだろう」と書いたのだが、今ならこうしたことも調べればわかってしまう。

作者は村山壽春(むらやまとしはる)という方である。

posted by 松村正直 at 20:25| Comment(0) | 河野裕子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

早坂隆『ペリリュー玉砕』


副題は「南洋のサムライ・中川州男の戦い」。

1944年9月15日から11月27日まで74日間にわたって激しい戦闘が繰り広げられた南洋のペリリュー島(現パラオ共和国)。その戦いの様子を日本軍の指揮官だった中川州男の生涯を軸に描いている。

「日本側のペリリュー島の戦いに関する認識には、日本軍の戦闘力に対する過大評価とある種の思い入れがある」(吉田裕『日本軍兵士』)という点には注意が必要だが、本書は概ね客観的な記述に徹しているように感じた。

文献の中には「州男に弟がいた」とする記録があるが、これは誤りである。
幾つかの文献の中には「現地ペリリュー島に赴いた中川が、その地形を見て地下陣地を構築する作戦を発案した」などと書かれたものが散見されるが、それらの記述は史実とは言い難い。

軍隊に関する興味深い記述もある。

ミツエの兄である平野助九郎少佐(後の陸軍少将)が、中川の上官にあたるという間柄であった。「上官の妹を娶る」という構図は、当時の陸軍では珍しくない光景だった。
同制度(=学校配属将校制度)には、軍縮の影響を被った軍人への失業対策という側面もあった。

一番驚いたのは、米軍が日本兵にビラやマイクで投降を呼びかけたのに対して、日本軍も米兵に投降勧告のビラを撒いていたという話。戦死者10022名、生存者わずか34名という玉砕戦の様子がなまなましく伝わってくる。

パラオには、いつかぜひ行ってみたい。

2019年6月20日、文春新書、880円。

posted by 松村正直 at 03:26| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月29日

石田比呂志『片雲の風』

 DSC01930.JPG

「シリーズ・私を語る」の一冊。1996年11月25日から翌年1月23日まで、熊本日日新聞の夕刊に45回にわたって連載された文章をまとめたもの。誕生から67歳に至る自らの半生を振り返っている。

石田比呂志の短歌もおもしろいが、文章も実に味わい深い。山崎方代のエッセイにちょっと似ている。時おり自虐を織り交ぜつつも、その裏に自らの信念を貫く強い自負が感じられる。

それ(啄木の『一握の砂』)を開いて読んだ時の感動をどう言い表せばよいのであろうか。言うに言葉を持たないが、あえて言えば、地獄で仏に出会ったというか、とにかく救世主に出会った気分で(…)
そこから投稿した歌が新聞歌壇に載った。たかが新聞歌壇というなかれ、自分の歌が生まれて初めて活字になった感動は本人でなければ分からない。

このあたり、私にも同じ覚えがあるので強く共感する。

以前、石田比呂志と松下竜一の関係についてブログに書いたことがあるのだが、そのあたりの事情もよくわかった。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138409.html

この時期私は仕事らしい仕事もせずに(いつもそうだが)昼間から焼酎に酔い喰らっていたが、その私の部屋の裏に『豆腐屋の四季』で有名になる松下竜一氏が住んでいて、後には奇縁を結ぶことになる。

石田と松下の貴重なツーショットも載っている。

最後に真面目な短歌についての話も引いておこう。

「牙」も結社だから、選歌、添削という教育的側面、歌会という指導的側面のあることは否定できない。が、それはあくまでも側面であって根本は一人一人が自得、独創してゆく世界だ。つまり芸は先達から恩恵を受けることはあっても、授受という形での継承はあり得ない。

生前にお会いできなかったのが何とも残念だ。

1997年4月21日、熊本日日新聞社、1238円。

posted by 松村正直 at 09:16| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月28日

東京から

東京から帰ってきました。
京都は雨。

posted by 松村正直 at 05:53| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月27日

横浜 vs 広島

83歳の父を連れて横浜スタジアムに行き、横浜DeNEベイスターズ vs 広島東洋カープの試合を観る。球場で野球観戦をするのは多分25年ぶりくらい。


DSC01873.JPG

12:00前に球場に着いたので試合開始の14:00まで余裕がある。


DSC01876.JPG

グラウンドでは広島の打撃練習と守備練習が行われている。


 DSC01879.JPG

天気は上々。日差しは暑いくらい。でも、吹き抜ける風は涼しい。


DSC01881.JPG

席は三塁側のDB応援内野席で、まわりは横浜ファンがいっぱい。

試合は広島が4対2で横浜に勝った。

蝦名の先頭打者初球ホームランとか、筒香の3安打とか、田中広輔の見事なダイビングキャッチとか、見どころの多い内容だった。

テレビと違って実況中継はないけれど、観客の声援や拍手や掛け声で、今どんな状況なのかを体感できるのがいい。

posted by 松村正直 at 08:23| Comment(0) | 演劇・美術・講演・スポーツ観戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月26日

吉田裕『日本軍兵士』


副題は「アジア・太平洋戦争の現実」。

軍人・軍属230万人、民間人80万人、計310万人の日本人が亡くなったアジア・太平洋戦争。その実態を次の3つの問題意識から描き出している。

・戦後歴史学を問い直すこと
・「兵士の目線」で「兵士の立ち位置」から戦場をとらえ直してみること
・「帝国陸海軍」の軍事的特性との関連を明らかにすること

戦病死、餓死、海没死、特攻、自殺、兵士の体格の低下、栄養不良、戦争神経症、装備の劣悪化など、読んでいて気が重くなる話が次々と出てくる。でも、それが戦争の現実なのだ。

日本人に関していえば、この三一〇万人の戦没者の大部分がサイパン島陥落後の絶望的抗戦期の死没者だと考えられる。

戦没者の約9割が1944年以降に亡くなったと推定されている。終戦の決断の遅れが多大な犠牲をもたらす結果となった。

戦争が長期化するにしたがって戦病死者数が増大し、一九四一年の時点で、戦死者数は一万二四九八人、戦病死者数は一万二七一三人、この年の全戦没者のなかに占める戦病死者の割合は、五〇・四%である。

戦場の死者の2人に1人は敵と戦って死んだのではなく、マラリアや栄養失調などで死んだのであった。

海没死者の概数は、海軍軍人・軍属=一八万二〇〇〇人、陸軍軍人・軍属=一七万六〇〇〇人、合計で三五万八〇〇〇人に達するという。

艦船の沈没に伴って主に溺死した人の数である。今も多くの命が太平洋の各地に眠っている。

精神的にも肉体的にも消耗しきった兵士たちの存在を制度の問題としてとらえ直してみたとき、日本軍の場合、総力戦・長期戦に対応できるだけの休暇制度が整備されていなかったことが大きな問題だった。

このあたりの話は、現代の過労死やうつ病などの問題にもつながっているように感じる。

2017年12月25日初版、2022年8月30日第17版。
中公新書、820円。
posted by 松村正直 at 22:00| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月25日

東京へ

東京へ行ってきます。

posted by 松村正直 at 06:13| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月24日

ダンス演劇「ラストエンターティンメント」

京都駅の東側のあたりを散策する。


DSC01867.JPG

柳原銀行記念資料館(京都市人権資料展示施設)。

明治40年竣工の建物が移築・保存され、部落差別や人権問題に関する展示を行っている。建物の背後は昨年から京都市立芸術大学のキャンパスとなっている。


 DSC01868.JPG

かたぱん屋(亀井商店)。

家族経営の昔ながらのお店。注文が入るたびに鉄板の上に生地を垂らして焼いてくれる。

「まるパン」は両面を焼いたホットケーキみたいな食べもの。「さんかく」を片面を焼いて三角形に折り畳んだもので、中はとろりとしている。「かたパン」はまるパンを一晩乾燥させたもので、かなり硬い。前歯で嚙まないようにと注意される。


DSC01869.JPG

今月オープンした「鴨葱書店」。歌集もけっこう置かれていた。

その後、「THEATRE E9 KYOTO」でダンス演劇「ラストエンターティンメント」を観る。

作・演出・映像・舞台監督:窪木亨
出演:大柴タクマ(バレエダンサー)、KATSU(ブレイクダンサー)

2人のダンスを生かしつつ、ストーリーあり笑いありの楽しい作品に仕上げている。


 DSC01871.JPG

劇場の前を流れる鴨川。
気候も爽やかで楽しい一日だった。

posted by 松村正直 at 17:48| Comment(0) | 演劇・美術・講演・スポーツ観戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

別邸歌会のご案内

 「別邸歌会」チラシ 2024.05.20.jpg


2か月に1回、関西2府4県を順にめぐって歌会を開催しています。

どなたでも参加できますので、初心者の方もベテランの方もどうぞお気軽にお申込みください。

posted by 松村正直 at 08:02| Comment(0) | 歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月23日

ファブリ歌集『リモーネ、リモーネ』


イタリア生まれで「未来」所属の作者の第1歌集。

カン・ハンナ『まだまだです』(2019)などと同じく、日本語を母語としない作者の歌集だ。

頭から食べ始めればたい焼きの笑顔が消えてさびしい昼は
数学の長い講義に比べたら静かなトイレは天国である
味気ないひとりの白いキッチンでゆでたうどんは夜中の食事
食堂のアクリル板に囲まれて僕らはまるで囚人のよう
駅前でチラシ一枚もらっても選挙権なき僕はどうする
夕やけの喫茶店まだ残ってる紅茶のカップに秋のみずうみ
リモーネはレモンレモンはリモーネで今日はすっぱいものが食べたい
雨音でぐっすり眠る人もいる頭痛がひどくなる僕もいる
ラーメンの優しい湯気が食卓を囲んで今夜は喜多方にいる
わが故郷サルデーニャ島に渡ろうとして赤べこはリュックに入る

1首目、笑顔という捉え方が面白い。顔がなくなると無惨な感じだ。
2首目、大勢の人がいる教室とトイレの個室という違いでもあろう。
3首目、素うどんに違いない。「白い」がうまくて、うどんも白い。
4首目、「囲」「囚」「人」の漢字が視覚的にも内容を伝えている。
5首目、日本に住む外国人の参政権について考えさせられる内容だ。
6首目、カップの底に残った紅茶を夕焼けに染まる湖面に見立てた。
7首目、イタリア語のレモン。呼び方を変えると別のものに感じる。
8首目、夜に降る雨の音。人によって好き嫌いが違うことに気づく。
9首目、音の響きの心地よい一首。「喜多方」がうまう効いている。
10首目、土産に買った赤べこ。青い海を渡る赤い牛が目に浮かぶ。

2023年10月18日、喜怒哀楽書房、1000円。

posted by 松村正直 at 10:57| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月22日

講座「短歌―歌集の編み方、作り方」

7月27日(土)に朝日カルチャーセンター(くずは教室)で、「短歌―歌集の編み方、作り方」という講座を行います。時間は13:00〜14:30の90分。

なぜ私たちは歌集を出すのか? 歌集を編む意味とは何か? そんな出発点から、歌の選び方や並べ方、タイトルの付け方、出版社の決め方、費用や寄贈に関することまで、経験をもとに具体的にお話しします。

歌集作りというのは自分自身と出会い直す機会でもあります。そろそろ歌集をまとめようと思っている方、いつか歌集を出せたらと考えている方、ぜひこの機会にご参加ください。

【オンライン受講】
https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=7208162

【教室受講】
https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=7208161

posted by 松村正直 at 10:35| Comment(0) | カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月21日

「富岡鉄斎 知の巨人の足跡」

大和文華館で開催されている特別企画展「没後一〇〇年 富岡鉄斎 ―知の巨人の足跡―」へ。近鉄「学園前」駅より徒歩7分。


 DSC01844.JPG


先日の京都国立近代美術館に続いての富岡鉄斎(1836‐1924)の展覧会だ。

愛媛県松山市三津浜の近藤家から贈られた海産物を描いた「車海老図」「伊勢海老図」「鮮魚図」などが印象に残った。


DSC01855.JPG

大和文華館は池に面して立っていて、周囲は庭園になっている。紫陽花にはまだ早かったが、季節ごとに散策するのも楽しそうだ。

posted by 松村正直 at 18:39| Comment(0) | 演劇・美術・講演・スポーツ観戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする