2025年10月26日

体調不良

ここ数日、体調があまり良くないので、家でおとなしくしている。

季節の変わり目ってやつか。

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2025年10月25日

瀬戸夏子『をとめよ素晴らしき人生を得よ』


副題は「女人短歌のレジスタンス」。

戦後「女人短歌会」に集った女性歌人たちの人間模様や男性中心の歌壇における苦闘について描いた本。

「大西民子と北沢郁子」「北見志保子と川上小夜子」「中城ふみ子と中井英夫」など全10章+補章2篇、付録として12名の歌人の「一首評+10首選」のアンソロジーという内容になっている。

ふたりで旅行に行ったさい、大西は自分の嵌めていたガーネットの指輪を北沢にプレゼントした。次に銀座でふたりで食事をしたとき、大西の指に同じガーネットの指輪があった。北沢にプレゼントしたあと、同じものを大西はまた買ったのだ。
齋藤とイェイツの共通点は、それぞれが、二・二六事件とイースター蜂起で、複数の親しい友人知人が首謀格となり、処刑されていることだ。社会的な作品であると同時に、私的な悲歌(エレジー)でもある。
本当は女性のみの団体をつくることによってやっと存在を認めてもらえるようなことなどまったく不当であり、そもそも性別による差別などなく歌そのものを見てもらえる世界であるべきだ。しかしそんな理想だけじゃ物事が動かせなかったころ、その世界のいびつさをまともに受けとめてできたのが「女人短歌」だった。

WEB連載が元になっている本だが、文章に勢いがあってぐいぐいと引き込まれる。登場する女性歌人ひとりひとりが生き生きと輝いて感じられる。

これまでアララギ(茂吉・赤彦・文明)、前衛短歌(塚本・岡井・寺山)、ニューウェーブ(荻原・加藤・穂村)など男性中心に描かれることの多かった短歌史は、今後大きく書き換えられていくことになるだろう。

この本が短歌関連の出版社以外の版元から刊行されたのも意義深いことだと思う。短歌の世界にとどまらず、多くの方々に読んでほしい一冊だ。

2025年8月10日、柏書房、1900円。

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2025年10月23日

白川ユウコ歌集『ざざんざ』


2013年から2024年までの作品501首を収めた第3歌集。

引っ越しの荷づくりすれば生活は直方体にはこばれてゆく
針と糸あるところには刺繍あり文字を持たない民族にもある
〈鳥ぎん〉は時が止まった釜めし屋うすいしゃもじでおこげをはがす
頼朝と政子の〈腰掛石〉ふたつあればふたりで腰掛けており
陽がのぼる前のひかりの窓辺にてひとりひらけり新約聖書
水を飲みドライフルーツ少し食み小鳥のように午後を過ごせり
どくだみの香りを嗅ぐと思い出すいつでも雨の大角(おおすみ)医院
六枚組〈啄木絵はがき〉五枚出し蟹の絵柄の一枚のこす
駱駝より駱駝の影はおおきくて砂漠の西に沈む太陽
孫代わりと母に呼ばれる雄猫がわがふくらはぎひょろんと跨ぐ

1首目、生活という形のないものが目に見える直方体の集積になる。
2首目、単に縫うだけでなく刺繍を施すのが人間ならではの部分か。
3首目、下句の描写がいい。昔ながらの店の佇まいがよく出ている。
4首目、伝説でしかないのだがもっともらしく二つ並んでいるのだ。
5首目、「ひ」の音の繰り返しが静謐な朝の空気と心を感じさせる。
6首目、ひとりで過ごす時間。少しのものだけで十分に満たされて。
7首目、子どもの頃の記憶か。常に暗い雨の印象とともにある医院。
8首目、「東海の…」の歌の記された一枚。思い入れがあったのか。
9首目、映像が目に浮かぶ歌。傾いた陽により影が長く伸びている。
10首目、孫を持たない母への複雑な思い。「ひょろんと」がいい。

2025年8月11日、六花書林、2500円。

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2025年10月22日

池内紀『新編 綴方教室』


「ことばが好き」(あとがき)な著者が、多くの例を挙げながら文章の書き方についてエッセイ風に記した本。

「主語」「述語」「受身形」「否定語」「外来語」「最初の一行」「最後の一行」「推量語」「条件文」「因果関係」といった項目を取り上げて、ユーモアを交えつつ楽しく、真面目に解説している。

なぜ日本語では「……を」が必ずしも他動詞につくとかぎらず、けっこう自動詞とともに用いられたりするのだろう。(…)いろいろ理由は考えられるが、もしかするとその一つとして、「である」と「する」との奇怪な混在があずかって余りあるのではあるまいか。
私たちは、きわめて効果的な受身の使用法を心得ているといわなくてはならないだろう。この点なるほど「相手に投げられたときケガをしないように倒れる術」を基本とするスポーツの柔道を発明した国民である。
食べもの、飲みもの、愛情を問わず、すぎたるは悪しき結果をもたらすようだ。文章も同様である。形容詞を重ねると加算式に印象が高まると思いがちだが、むしろ引き算に転化して、せっかくの効用が消え失せる。
「だろう」にはそれ自体の過去形がなく、また否定形もない。ということは、ひとたび「だろう」「かもしれない」の推量の沼にはまりこむと、これを打ち消すすべがない。過去として断ちきる切れ目がない。

ことば(日本語)をめぐる話の中から、日本文化や人生に関する数々の有益な示唆も受け取ることができるのだった。

1993年9月14日、平凡社ライブラリー、951円。

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2025年10月20日

映画「わたのはらぞこ」

監督:加藤沙希
出演:神田朱朱、加藤沙希、豊島晴香ほか

都会の暮らしに疲れた女性が長野県上田市にやって来て、そこに住む人々と交わり、自然や歴史を感じることで自分を取り戻すというストーリー。

上田市は大学4年のアーチェリー部の夏合宿の帰りに仲間と車で訪れたことがある。上田城とか安楽寺の八角三重塔に行った。

学生生活最後の夏を惜しみながら、いろんな話をしたように思う。話した内容については全部忘れてしまったけれど。

覚えているのは仲間の一人が道路近くの桃だったか林檎だったかを捥いで食べたたこと。その後、みんなで食べた。(共犯)

もちろん、これは良い子は真似しちゃいけない悪事だけれど、確かにそんなことをしてみたくなる気分の旅だったのだ。

出町座、105分。

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2025年10月19日

木村聡『不謹慎な旅』


副題は「負の記憶を巡る「ダークツーリズム」」。

「週刊金曜日」2019年6月〜2021年10月の連載記事を再構成して書籍化したもの。全国各地の戦跡や被災地、公害・差別などの現場を訪ねたルポルタージュ。

「旧大槌町役場と東北の震災遺構」「祝島と上関原発建設予定地」「原爆死没者慰霊碑とニ号研究」「川柳家・鶴彬」「南紀白浜と「三段壁」」など計40のルポが収められている。

古河機械金属(旧古河鉱業)は銅生産という本業が停止してもなお、有毒物質の堆積場とそこからの浸透水について安全管理をしなければならず、閉じた坑道から延々としみ出す鉱毒水のためにいまも設置した中才浄水場で無害化処理作業を繰り返している。(旧足尾銅山と松木村跡)
日弁連の調査報告によると、合併町村に共通する衰退の要因に「役場の喪失」が挙げられている。役場機能の縮小、郵便局や学校の統廃合など、行政がスリムになると同時に地域から姿を消していった公務就労者。気づかされたのは、彼らが地場の飲食店や地元業者の最大顧客だったということだ。(大合併と中越地震)
一九四〇年に旧日本陸軍が作った福生飛行場(多摩飛行場)。戦後接収した米軍は敷地を拡張し、現在は福生市全体の三分の一を占め、同市と隣り合う四市一町にまたがる。沖縄を除くと日本最大の米軍基地だ。(福生ベースサイドストリート)
少なからず子や孫が戦争体験を語り継いでいる広島や沖縄と異なり、過去に堕胎や断種が強いられたハンセン病患者には次世代がない。国立ハンセン病療養所(全国一三ヵ所)の入所者は現在約一〇〇〇人。平均年齢は八六歳を超える。(ハンセン病「重監房」と「継承講話」)

負の遺産を観光に用いるダークツーリズムには賛否があるが、「不謹慎≠ニ言って封印する悲劇の中には、だれかの不都合≠竡梠繧フ不条理≠ニいった、隠しておきたい存在がこっそりしのばされていることもあった」(はじめに)というのも確かだろう。

筑豊三都(田川・飯塚・直方)、国立療養所長島愛生園、恐山など、いつか訪れてみたいと思う。

2022年2月28日、弦書房、2000円。

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2025年10月17日

住吉カルチャー

毎月第1金曜日の10:30〜12:30、神戸市東灘区文化センター(JR住吉駅すぐ)で自主的な短歌のカルチャー講座を開催しています。

前半1時間は近刊の歌集の紹介や秀歌鑑賞、後半1時間は受講生の作品(1首)の相互批評という内容です。

参加費は2000円。現在の参加者は18名です。

興味のある方はお気軽に松村までご連絡ください。初心者からベテランの方まで、どなたでも歓迎します。

masanao-m☆m7.dion.ne.jp(@を☆に変えて下さい)

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2025年10月16日

高橋源一郎『大人にはわからない日本文学史』


明治から現代にいたる日本文学の「文学史」について考察した一冊。小説・論文・詩・短歌などを引きながら、近代の「文学史」を作り上げてきた枠組みや前提自体を問い直している。

取り上げられている作品は、樋口一葉『にごりえ』『たけくらべ』、綿矢りさ『インストール』『You can keep it.』、赤木智弘『若者を見殺しにする国』、石川啄木「時代閉塞の現状」「ローマ字日記」、穂村弘『短歌の友人』、岡田利規『わたしたちの許された特別な時間の終わり』、川上未映子『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』、前田司郎『グレート生活アドベンチャー』、太宰治『津軽』、中原昌也『凶暴な放浪者』など。

一葉は、周囲で興隆しつつあった言文一致体によるリアリズムの文章に基づく小説というものを、「リアル」ではない、と感じたのではないでしょうか。
自然主義的リアリズムによってなにを表現できるのか――近代文学の黎明期を担うことになった、主として男性作家たちは、自然主義的リアリズムによって、わたしたちの「真実」を、すなわち人間の「内面」の「奥底」を描き出せると考えました。/しかし、ほんらい、「目に見えるもの」を「目に見えるように」描く自然主義的リアリズムで、「目に見えない」「内面」や「真実」を描き出すことなど可能なのでしょうか。
斎藤茂吉のことばが正規軍の使う武器ならば(塚本邦雄のことばが、特殊部隊が用いる、高度な兵器だとするなら)、ニューウェイヴの歌人たちは、いわばことばをゲリラ的な武器として用いたのです。
口語というものはわかりやすく、文章語とうものはわかりにくいという常識とは逆に、実は、わたしたちが喋っている口語というものにはほとんど意味がなく、いわば大半が単なる音であり、ノイズにすぎません。
わたしも、ここまで、この国の近代文学史というものを、明治十年代末に「始まり」、一九九〇年代のどこかで「終わり」を告げようとしているものだといってきたのです。

「文学史」について語りながら、そもそも現代において「文学史」が成り立つのかという問いを投げ掛ける内容となっている。

2009年2月20日、岩波書店、1700円。

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2025年10月14日

BOOTHでの販売

第6歌集『について』のBOOTHでの販売を始めました。
送料無料、サイン入りでお送りしますので、どうぞご利用ください。

https://masanao-m.booth.pm/

同人誌「パンの耳」第10号(記念号)も引き続き販売中です。
よろしくお願いします!

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2025年10月13日

『について』の書評や一首評など

第6歌集『について』について多くの書評や一首評などをいただいております。ありがとうございます!

【書評】
・恒成美代子「暦日夕焼け通信」(2025年5月30日)
 http://rekijitsu.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/index.html

・山名聡美「note」(2025年8月18日)
 https://note.com/satomiyamana/n/n291d26c094b5

・門脇篤史「選択肢のひとつ」(「現代短歌新聞」2025年8月号)
・山本まとも「土地の記憶へ」(「短歌研究」2025年9・10月号)
・門脇篤史「今月の歌」(「未来」2025年9月号)

・工藤吉生「存在しない何かへの憧れ」(2025年9月22日)
 http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52337883.html

・大西淳子「みそひと書房」(「NHK短歌」2025年11月号)

【一首評】
・俵万智「新々句歌歳時記」(「週刊新潮」2025年7月3日号)
  「お父さん」ではなく「お義父さん」だろう電車にすわる男女の
  会話
・長谷川櫂「四季」(「読売新聞」2025年8月25日)
  黒蟻に集(たか)られているクワガタのどんな結末もわれは諾う

・東直子「短歌の杜」(「婦人画報」2025年10月号)
  沿わせつつ刃を動かせば親指はすでにあじわう梨の甘みを
 https://www.fujingaho.jp/culture/column-essay/a68029254/higashinaoko-250928/

・小田桐夕「波と手紙」(2025年9月15日)
  雨の日に長く線路を見つめてはいけない 死後も濡れているから
 https://odagiri-yu.hatenablog.jp/entry/railway

・内山晶太「日々のクオリア」(2025年10月1日)
  生きている時間の方がみじかくて冬川跨ぐ橋をわたりぬ
 https://sunagoya.com/tanka/?p=35860

歌集『について』は版元の現代短歌社で販売中です。
(メール・電話・オンラインショップから購入できます)
 http://gendaitanka.jp/book/kashu/123/

また、アマゾンや葉ね文庫などでも販売しておりますので、どうぞよろしくお願いします!

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2025年10月12日

由利貞三のこと

由利貞三(貞蔵)という歌人のことが気になっている。

海軍軍楽隊の隊士として短歌を始め、「アララギ」で釈迢空の弟子となり、後に北原白秋にも師事した。1937(昭和12)年に「短歌公論」(のちに「歌道」と改名)を創刊し、戦中は傷痍軍人の歌の顕彰に務めた人物だ。

真っ直ぐな性格で思い込みが強く、トラブルメーカー的な存在でもあったようで、エピソードに事欠かない。いくつか挙げてみよう。

まずは、「アララギ」で迢空を信奉する若者たちが島木赤彦に対して反発する場面。

大正十年一月号ではついに同情者の一人由利貞三が赤彦に抗議の申し入れをした。「これらの歌(土田耕平の歌)に対して、その評言を聞き、余りに鑑賞程度の異ふのを黙つてをれなくなつて、このことを書きました」という抗議文を、赤彦は「談話欄」に掲載し(…)
/阿木津英『アララギの釋迢空』

これは、やがて迢空の「アララギ」退会へとつながっていく。

次に、大正13年に北原白秋、前田夕暮、古泉千樫、土岐善麿らによって創刊された歌誌「日光」が、昭和2年9月号から由利貞三をはじめとした白秋門下の編集になった場面。

この間隙を突くように登場したのが由利貞三であったのである。白秋は「日光の思ひ出」では、由利の名前を挙げず、「北原白秋編輯」という六字が、「日光」の表紙に冠せられることを固辞したが、「雑誌が出来たのを見ると、出てゐる」と当時の状況を吐露している。白秋の反対を押し切っての由利の独断であった。
/渡英子『メロディアの笛U』

これは、やがて「日光」の解散へとつながっていく。

昭和10年、由利は斎藤茂吉の発表した短歌が自作の模倣ではないかとの手紙を茂吉に送る。その回答が「由利貞三君に答へる」として「アララギ」昭和10年12月号の「童馬山房夜話」に載った。

自分の雑誌のアララギの歌さへ読む暇のない僕が、アララギを去った由利君の歌を、短歌雑誌の誌上で注意して読む暇などあるものではない。縦しんばそれを読んだとしても、大正十五年の由利君の歌を記憶してゐて、昭和十年に歌を作るのに、それを真似るなどといふことは、僕にとつては不可能なことである。
/『斎藤茂吉全歌集 第八巻』

念のため、両者の歌を引いておこう。

谿底よりさやかに立てり鉾杉の盛りの若葉白きまで青し
/由利貞三「白珠」大正15年10月号
うつせみの吾が見つつゐる茱萸の実は黒きまで紅(あけ)極まりにけり
/斎藤茂吉 「アララギ」昭和10年7月号

はっきり言って全然似ていない。茂吉の肩を持つわけではないが、これで手紙を送って来られても困ってしまうと思う。由利としては色に関して「○○まで××」と表したところに自信があったのだろうが、この程度の類似はざらにある話だ。

茂吉も迷惑そうに次のように書いている。

失礼な言分かも知れんが、僕はそれほど由利君の歌に重きを置いてゐないのである。もつと端的に言へば、由利君の歌などは眼中にないのである。

由利貞三はこんなふうに、短歌史のあちこちに顔を出す。

やがて由利は「歌道報国」を掲げて日本皇道歌会を組織し、昭和12年に歌誌「短歌公論」(のち「歌道」)を創刊する。

昭和17年に日本皇道歌会が発行した『白衣勇士誠忠歌集』は由利の編集によるもので、解説やあとがきを由利が書いている。

「白衣勇士誠忠歌集」は、支那事変の御楯となつた戦傷病勇士達が、大東亜聖業に捧げた尊い鮮血の記録であり、殪れて尚熄まぬ忠魂の叫びである。
日本皇道歌会に於ては、支那事変発生以前から 明治天皇御製 教育勅語 軍人勅諭拝光の生活実践を念として、「しきしまのみち」による人格錬成の歌会を設立し、昭和十二年六月以来其の錬成機関として月刊誌「歌道」を発行して今日に及んでゐる。

由利の一本気な性格が天皇や国家への忠誠という路線に向かったのは、ある意味でわかりやすい道筋だと思う。

そんな由利は戦後どうしていたのかと思って調べたところ、昭和20年に亡くなっていた。昭和20年3月10日。おそらく東京大空襲で亡くなったのだろう。44歳。

そうだったのか……。

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2025年10月11日

阿木津英『アララギの釋迢空』


大正4年に島木赤彦と出会って「アララギ」に評論や作品を発表し始めた釈迢空が、大正10年に選者を辞して「アララギ」を去るまでの軌跡を描いた評論集。

民間伝承探訪の旅を重ねた迢空の歌の変化や「アララギ」の写生論による結束の強化など、大正期の短歌や歌壇の動向がよくわかる内容となっている。

そもそも、歌を空想で作るということは、明治という時代にあっては、ごくあたりまえのことだった。明星派はもちろん、子規にどれくらい空想の歌があることか。茂吉のごく初期の歌は、空想の歌ばかりといっていいほどである。
大正期に入ったアララギという磁場のなかにあって、「写生」の手法を獲得しつつ、そこにおさまりきれない歌の動機をもてあましていた迢空も、こうして苦しみつつ、ついに〈体験の束〉としての旅する主体を統合する方向を開いた。
「夜ごゑ」は、画期的にすぐれた一連であった。茂吉・赤彦らの主導するアララギの新しい「写生」歌は、現実世界から「自己」の姿を切り出し、歌を一元的な「自己」の世界で塗りつぶすのだが、そのようなものとはまったく異質の歌を、迢空はここに実現した。

迢空が「アララギ」の写生論におさまりきれないものを抱えてついに訣別に至るまでの流れは、先日読んだ水原秋櫻子と「ホトトギス」の関係にも似ている。

これは人間関係のゴシップではなく、結社の理念と個人の信条・志向の相克として捉えるべき話だと思う。

2021年5月25日、砂子屋書房、3000円。

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2025年10月10日

相澤秀仁・相澤京子『ねこめぐり にっぽん猫紀行』


シェア型書店「HONBAKO 京都宇治」で購入。
全都道府県を訪ねて猫を撮影している夫婦の写真&エッセイ集。

沖縄の慶良間島の猫から始まって北海道の小樽の猫まで、全部で121匹の猫が登場する。何千枚も撮影した中から厳選したのだろう。どれも唯一無二の写真ばかり。

奈良時代から平安時代にかけ、大陸から仏典などが船で運ばれた。大切な仏典をネズミから守るため、猫を乗せていたという。
屋根がくっつく京都特有の家並み、そこは猫たちにとって専用の径になっている。
路上の猫を見て、すぐに野良猫と決めつける人もいるけれど、そんな猫はむしろ少ない。多くの猫が住民とつながりをもち、「みんなの猫」とか「地域猫」として認知されている。

顔見知りの猫には何度も会いに行ったりしているらしい。全国各地になじみの猫がいるのだ。

2024年10月25日、二見書房、1300円。

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2025年10月09日

塚田千束歌集『星夜航路』

著者 : 塚田千束
短歌研究社
発売日 : 2025-08-22

『アスパラと潮騒』(2023年)に続く第2歌集。

光合成、こうごうせいとつぶやいて、枯れた指先ひらいてとじた
石膏のように生きたい踏まれてもなぞられてもただひんやりとして
だれとでも交換可能な丸石になるよう波に洗われていた
不器用なワルツのようにもつれあうただキッチンに行くだけなのに
金木犀 出さない手紙を書くときの永遠の手前みたいな愛しさ
会いたさが突風のようにふきぬけて部屋中の窓をひらいてまわる
すこしこわい いつも怒らずいるひとと豆花(トウファ)のふっくらまろやかな白
院内のローソン暗く廊下暗くひとつあかるきナースステーション
汗の匂いそれぞれちがう頭ありみんなおんなじ風呂に押し込む
うつむいて水面にくちばし触れさせてはつか境がゆらぐ翡翠

1首目、光合成で養分を生み出す植物のように元気を出そうとする。
2首目、初二句が印象的。周囲や社会からの圧力や侵犯を拒絶する。
3首目、一つ一つ違った形であった石が丸くなるように人間もまた。
4首目、家の中の通路で家族とぶつかりそうになったりする暮らし。
5首目、純粋な思い。初句と二句以下の取り合わせの距離感がいい。
6首目、下句を付けたのがいい。会いたさの表現として迫力がある。
7首目、どちらも穏やかな見た目だけれど、だからこそ怖いのかも。
8首目、病院の雰囲気がよく出ている歌。昼と思っていたが夜かな。
9首目、子育ての歌。きょうだいでも匂いに違いがあるという発見。
10首目、水の内の世界と外の世界が一瞬触れ合い波紋が生まれる。

2025年8月17日、短歌研究社、2200円。

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2025年10月08日

「パンの耳」第10号刊行!

 pan10.jpg


同人誌「パンの耳」第10号(記念号)を刊行しました。

作品30首×2名、作品15首×18名のほかに、エッセイ「風のうた」、題詠「十」、インタビュー「松村正直さんに聴く」、自選三首、書評、エッセイ「第10号に寄せて」、フレンテ歌会の歩みなどを掲載しています。

・作品30首
  和田かな子「沼とバニラ」
  木村敦子「ぽてりと月は」

・作品15首
  甲斐直子「ショートヘア」
  鍬農清枝「そこに光が」
  長谷部和子「大糸線」
  岡野はるみ「青い瞳」
  仲内ひより「はねかんむり」
  星乃三千子「妻の座」
  畑中秀一「次の五輪」
  多治川紀子「断層」
  澄田広枝「炎上」
  弓立悦「モノフォニー」
  米延直子「神楽鈴」
  乾醇子「イルカの浮かぶ」
  河村孝子「時間を脱ぐ」
  添田尚子「おかかおむすび」
  紀水章生「巨峰むらさき」
  伊東文「フィックスガラス」
  佐々木佳容子「前触れ」
  松村正直「見る側」

A5判、96ページで定価は500円。

現在、BOOTHにて販売しております。(送料無料)
https://masanao-m.booth.pm/

どうぞよろしくお願いします!

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2025年10月07日

内田樹×釈徹宗『聖地巡礼 ライジング』


聖地巡礼シリーズの1冊。副題は「熊野紀行」。
これでシリーズ4作すべて読んだことになる。

・『聖地巡礼 ビギニング』
https://matsutanka.seesaa.net/article/399764437.html
・『聖地巡礼 リターンズ』
https://matsutanka.seesaa.net/article/445838563.html
・『聖地巡礼 コンティニュード』
https://matsutanka.seesaa.net/article/516566653.html

 日本の宗教性を考える場合、「場」の神道と「語り」の仏教との組み合わせという側面から見ると、なかなか面白いのではないでしょうか。
辻本(雄一) 熊野には牟婁という地域があるんですが、現在は、東牟婁郡と西牟婁郡が和歌山県で、南牟婁郡と北牟婁郡が三重県なんです。もともと熊野はひとつの大きなエリアだったわけですが、明治になって熊野川に県境ができて分離されてしまい、その不便を我々はいまでも被っているんです。
森本(祐司) 地域的には新宮と本宮の関係ってあんまりよくないんです。商業都市として発展してきた新宮の背景には、熊野川沿いの山林が生み出す富があったんです。ですから、本宮の人たちにとっては、搾取というと語弊があるんですけど、新宮に富を吸い取られているという感覚があるように思います。
内田 「一義的なもの」よりも「両義的なもの」のほうが、「義とはなにか」という問いを深めてくれる。だから、「クロスボーダーなもの」というのは、ボーダーを否定するものじゃなくて、「ボーダーとはなにか」、それはどういう基準で設定されていて、そもそも何を生み出すもののためか、という問いを深めてくれるものなんです。

熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)や花の窟神社、神倉神社、補陀落山寺には行ったことがあるので、読んでいて楽しかった。

さすがに熊野は奥深い。

2015年3月13日、東京書籍、1500円。

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2025年10月06日

『高濱虚子 並に周囲の作者達』のつづき

他に印象に残ったところを、いくつか引いておこう。

私は中学時代から文学志望であったが、家の医業を継ぐために文科受験を許されず、興味なき医科に入ることとなったので、暇さえあれば文学書を耽読して僅かに自ら慰めていた。

秋櫻子の家は祖父の代からの産婦人科医。
のちに佐佐木幸綱が生まれたときに担当したのも秋櫻子。

ここで思い出すのは高安国世のこと。高安も同じく医者の家系に生まれ高校は理科であったにもかかわらず、大学は文学部に入りドイツ文学者になった。「早春、医科の試験準備中、永年ためらひしてゐた心を遂に決して、生涯を文学に捧げることにし、父母にも嘆願し説得して、文学部に志望した」(『Vorfrühling』巻頭歌の詞書)

昭和三年になって、私の家では震災後仮普請にしたままの病院を、本建築に改める準備にかかった。父はすでに老齢なので、私がすべての責任を負わなければならなかった。(…)私は、はじめから医師の仕事が好きでなく、父の命令でやむなく医科に入ったので、病院経営よりも俳句の方がはるかに面白いのであるが、ここまで来るとそんなことを言って居られなかった。

このあたり、震災で焼失した病院の再建に奔走する斎藤茂吉の苦悩を思い出す。

空穂は当時、歌集「青水沫」の歌を詠んでいた時代で、四十二三歳、気力が充実していた。やさしい人柄でありながら、歌の指導にはきびしく、歌会に於ては必ず参加者の歌を全部批評した。
空穂はよく日常の生活に取材した歌を詠む。それは一見平凡で、誰でも考え得ることなのだが、空穂によって詠まれると、不思議なひびきを以て読者の胸につたわる。これが調べの力なのである。

秋櫻子は2年間、宇都野研主宰の「朝の光」に所属して窪田空穂の指導を受けたことがある。このあたりも、後に「調べ」を唱えるきっかけになったのかもしれない。

この頃、斎藤茂吉の「短歌写生の説」という本が上梓された。私は早速読んで見た。ある日発行所へ行くと、平素読書をあまりしたことのない虚子も読んでいて、次の漫談会にはこれをとりあげて見たい。そうして茂吉とは面識があるから、招聘して共に話し合ったら有益であろうと言った。

写生や写実、主観と客観の問題は俳句と短歌に共通するもの。ジャンルを超えた意見交換はいつの時代においても大事なことだと思う。

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2025年10月05日

水原秋櫻子『高濱虚子 並に周囲の作者達』


高濱虚子に師事して「ホトトギスの四S」の一人として活躍した著者が、やがて客観写生や花鳥諷詠の理念に飽き足らず袂を分つまでを記した自伝的回想記。

表題になった高濱虚子のほか、高野素十、松根東洋城、池内たけし、中田みづほ、山口青邨、山口誓子、原石鼎、川端茅舎、赤星水竹居、富安風生、鈴木花蓑、田中王城といった俳人が登場する。

結社の師弟関係や人間関係、主観と客観の問題など、今にも通じる話がたくさん出てきて面白く、また考えさせられる内容だ。

ホトトギスには「客観写生」という標語があった。元来「写生」という語には、作者の心が含まれているわけで、客観写生というのはおかしな言い方なのであるが、大衆には一応わかりやすい語であるに相違ない。
いままでに詠んでいた句が、殆どすべて景色や花鳥の描写ばかりで、自分の感情をわすれ、主観を捨てていた。だから句を読み返すと、景色は眼の前に浮んで来るが、その時の心の躍動は消えてしまっている。こういう俳句ではなく、心がいつまでも脈々とつたわる俳句が詠みたいのだが、ホトトギスではそれを教えない。
虚子は明らかに作者の主観を認めている。それならばその主観をいかにして描写の上に現してゆくかということを、私達はききたいのであった。私達は句の調べの上に主観をのせてゆくことを考えていたが、それを完全に理論的に説明することがむずかしいのである。
結局はホトトギスを去ると決心して、さすがに思われるのは、十年の育成を受けた恩であった。私は初学者にして渋柿を去ったので、ともかくも俳句のことがわかるようになったのはホトトギスに学んだ為である。

仲間との会話や吟行の場面など当時の様子が事細かに記されているが、この本が刊行されたのは1952年、著者60歳の時のこと。「ホトトギス」を脱退したのは1931年、39歳の時なので、20年以上経ってからの回想ということになる。

何か元になる日記などがあったのだろうか。

2019年2月7日、講談社文芸文庫、1800円。

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2025年10月04日

『について』を読む会

10月1日に行われた「N学短歌plus」のオンラインライブ講座の特集「松村正直さん新歌集『について』を読む会」の一部がYouTubeで公開されました。
https://www.youtube.com/watch?v=YzHXpuKlueE

歌集『について』は版元の現代短歌社のオンラインショップやAmazon、楽天ブックスなどで販売中です。よろしくお願いします!
https://gendaitanka.thebase.in/items/109145161

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