2024年06月27日

『やちまた』の続き(1)

『やちまた』は本居宣長の長男、本居春庭(1763‐1828)の評伝である。春庭は30代で失明するという不運に見舞われながらも、『詞八衢(ことばのやちまた)』『詞通路(ことばのかよいじ)』という国語学史に残る本を著した。

『やちまた』は春庭の生涯や業績をたどるだけの本ではない。著者の足立巻一(1913‐1985)が専門学校の授業で初めて春庭を知ってから50代に至るまで、途中に戦争を挟みつつ、長い時間をかけ調査や探究を進めてきた軌跡も記されている。

さらには、春庭と関わりのあった人物や家族のこと、そして自身の友人や恩師や研究に関わる人々のことなどが、それぞれ群像劇のように生き生きと描かれているのである。

読んでいて震えるような素晴らしい内容だ。

印象に残った箇所をいくつか引いておこう。

紀州藩は松阪に城代を派遣してその配下には二人の勢州奉行をおいていたが、武士の圧力は一般の城下町のように強いものではなかった。城内には城代屋敷と牢屋があるくらいで、奉行所、役宅は堀の外側にあり、武士の数も至って少なく、その点でも松阪は町人の世界であった。

江戸時代、松阪は紀州藩の飛び地であった。三井財閥の三井家が松阪発祥であることや、宣長が一時紀州藩に仕えたこと、さらに養子の本居大平が和歌山に移住するようになったことには、こうした背景が関わっている。

春庭は活用をハタラキと名づけた。かれはそのことばのハタラキを文献から搔き集めるようにして探っては法則へ帰納していったのだが、その苦渋に満ちた作業は木版本の活用表に凝固しているように見える。

現在では活用と言えば、古文の時間に活用表を暗記させられ、無味乾燥な世界のように思われている。しかし、当り前の話だが、先に活用表があって言葉の活用が生まれたのではない。多くの活用をもとに活用表が生み出されたのだ。

そして、その表は、春庭をはじめとした国学者たちが膨大な用例からサンプルを抽出し、試行錯誤して作り上げたものだ。まさに活きて働き、言葉のさまざまな意味を生み出すものとして、活用がある。

一枚の活用表の裏に、多くの先人たちの苦闘が秘められていることに気づかされた。

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2024年06月26日

足立巻一『やちまた』(上)(下)



1968年から1973年まで雑誌「天秤」に連載され、1974年に河出書房新社から単行本が刊行された本の文庫版。今から50年前の本ということになる。

この本を最初に知ったのはもう40年近く昔のこと。高校の先生にすすめられたのである。その時は「やちまた」という不思議なタイトルが印象に残った。「やまたのおろち」や「ねこまた」のような、妖怪的なものを思い浮かべたのだ。

「やちまた」が漢字で書くと「八衢」で「道がいくつにも分かれた所」を指す言葉だというのはだいぶ後になって知った。

その後、1995年に朝日文庫から『やちまた』が出た時に書店で見かけた。「あっ、先生がすすめてた本だ!」と思ったものの、手に取ることはなかった。2015年に中公文庫から再び『やちまた』が出て初めて購入したが、長らく積んだままになっていた。

今回、読み始めたきっかけは、一昨年松阪を訪れたことである。
https://matsutanka.seesaa.net/article/495260781.html

本居宣長記念館でたまたま「宣長と春庭」という企画展をやっていた。その春庭という人物が、まさに『やちまた』の主人公なのだ。

その後、国学についても少し関心が向いてきて、ようやく上下巻ともに500ページを超える厚さの『やちまた』を読んだ次第。本を読むにもちょうど良いタイミングというのがあって、すこぶる面白かった。

もし高校生の時に読んでいても、きっと退屈でしかなかっただろう。

(上)2015年3月25日、中公文庫、1200円。
(下)2015年3月25日、中公文庫、1200円。

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2024年06月25日

映画「からかい上手の高木さん」

監督:今泉力哉
原作:山本崇一朗
出演:永野芽郁、高橋文哉、白鳥玉季、齋藤潤、江口洋介ほか

マンガ、アニメ、ドラマ、映画と、何だかんだ言ってけっこう見てしまう。原作者が小豆島出身なのか。

MOVIX京都、120分。

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2024年06月24日

志賀直哉『万暦赤絵 他二十二篇』


作者が自選した23篇を収めた短篇小説集。

長らく積ん読していたのだが、ちょど良い時期に読むことができた。志賀直哉が京都や奈良に住んでいた頃の作品も多く、なじみのある地名などが出てくる。

私小説が中心なのだが、主人公を「私は」と書くか「彼は」と書くかで、作者との距離が微妙に違ってくるのがおもしろい。

三人の女の子たちは久しぶりの上京のうれしさからしきりにはしゃぎ、待合室のソーファからソーファへと移り歩き、人なかをかまわず遠くから「お母様。お母様」と呼びかけた。(「晩秋」)

「ソーファ」は今のソファーのこと。sofaの発音にむしろ近いかもしれない。

豊岡、それから八鹿(やおか)辺では汽車から五、六間の所に鸛(こうのとり)が遊んでいるのを見た。(「プラトニック・ラヴ」)

1926年の作だが、当時コウノトリは普通に見られる鳥だったようだ。その後、1971年に国内の野生のコウノトリは一度絶滅することになる。

晴れてはいたが風が吹き、朝日ビルディングから淀屋橋へ来る川端が寒かった。二人は美津濃運動具店へ寄り、そこで男の子のシャツとかズボンとか、そういうものを買った。(「朝昼晩」)

「美津濃運動具店」はミズノのこと。調べてみると現在も登記社名は美津濃株式会社で、通称がミズノであるらしい。そして創業者は水野利八・利三兄弟なのだとか。

1938年10月15日第1刷、2014年7月9日第20刷。
岩波文庫、800円。

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2024年06月23日

オンライン講座「作歌の現場から」

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NHK学園のオンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」、次回は 8月28日(水)19:30〜21:00 の開催です。

ゲストは松村由利子さん、テーマは「文語と口語」。松村さんと永田和宏さんと私の 3人で90分間たっぷりと語り合います。

どうぞお楽しみに!

https://college.coeteco.jp/live/m331c69e

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2024年06月22日

金田章裕『景観から読む日本の歴史』


写真や古地図をもとに景観から地域の歴史を解き明かす「景観史」という手法について記した本。

全国各地の様々な景観がどのような経緯によって成り立ったのか、具体的な事例を豊富に記している。

もともと景観の語は、ドイツ語の「ラントシャフト(Landschaft)」の訳語として使われ始めたのに対し、風景は、日本語として古くから使われてきた言葉である。
風景とは、多くの人々に共有される印象か否かを別にして、個人的・感覚的なとらえ方であると言えよう。

「風景」に比べて「景観」は、より客観的、社会的、科学的な見方ということだろう。

日本橋川のように、近世以来の城下の濠や川が、近代以降に埋め立てられて道路となったり、そのまま残されていても上に高速道路が建設されたりした例は極めて多い。濠や川が本来果たしていた防御・水運機能を必要としなくなったこと、またそれらが市街地のなかに連続して存在する貴重な公有地であって、買収の必要がなく、新しい道路建設が容易であったこと、などが主たる要因である。
三国のような河口に立地する港は、伏木(富山県高岡市、小矢部川・庄川の河口)、東岩瀬(富山市、神通川の河口)、新潟(信濃川・阿賀野川の河口)、酒田(最上川の河口)など、日本海側では珍しくない。これらの河口港は、河川水運によって上流域の産物を集め、西廻り航路によってそれらを広い商圏に売りさばき、逆に、外からさまざなま商品を買い入れ、それを上流域にもたらすことで繁栄した。

一つ一つの話は興味深くおもしろいのだが、全体の構成がやや散漫な印象なのが惜しい。そう言えば、以前読んだ『和食の地理学』でも同じように感じたのだった。

https://matsutanka.seesaa.net/article/480517802.html

2020年7月17日、岩波新書、800円。

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2024年06月21日

金田光世歌集『遠浅の空』


「塔」所属の作者の第1歌集。

遠浅の海は広がる生徒らがSと発音する教室に
草原に干されたままの両膝が風化してゆく前に帰らう
船上のやうに明かりの揺れてゐるタイ料理屋にエビの皮を剝く
黒猫のあゆみはしづかぬおぬおと浮き沈みする両肩の骨
日曜が等間隔に訪れて忘れたくないことが消えてゆく
泣く代はりに武田百合子の文章を読めば土曜も終はりに近い
八月の夕暮れ時は室外機のやうに心を放つておきたい
納豆の糸の切れつつひかり帯びて微笑みたるか半跏思惟像
エコバッグ背負へば軽し背負はれて物見遊山の牛蒡、長葱
明るさは極まりながら蜂蜜のなかに季節は静止してゐる

1首目、S音の響きが波の引いていく音を思わせて幻の海が見える。
2首目、長いことじっと座っていたのだろう。「風化」が印象的だ。
3首目、吊り下げられたイルミネーション。別世界の雰囲気がある。
4首目、猫の身体や動きををよく捉えている。「ぬおぬお」がいい。
5首目、「等間隔」に発見がある。いつの間にか遠ざかってしまう。
6首目、悲しい時の対処法。武田百合子を読むと心が落ち着くのだ。
7首目、比喩がおもしろい。人間の心は体の外には出せないけれど。
8首目、上句から下句への飛躍が鮮やか。頬へと伸びる指先の感じ。
9首目、おんぶされた子どものようにエコバッグから先が出ている。
10首目、蜂蜜の明るさは花が咲いていた季節の明るさだったのか。

2024年4月29日、青磁社、2500円。

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2024年06月20日

オンライン講座「短歌のコツ」

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NHK学園のオンライン講座「短歌のコツ」が7月から新しいクールに入ります。この講座も4年目になりました。

日程は7/25、8/22、9/26、10/24、11/28、12/19。毎月第4木曜日(12月のみ第3木曜日)の開催です。

時間は 19:30〜20:45 の75分。前半に秀歌鑑賞をして、後半は提出していただいた作品の批評・添削を行います。質問の時間もありますので、何でもお気軽にお尋ねください。

https://college.coeteco.jp/live/5j0yc613

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2024年06月19日

くにたち短歌大会

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今年の「くにたち短歌大会」(主催:NHK学園、共催:日本歌人クラブ)の選者を務めることになりました。

たくさんのご応募、お待ちしております。
https://www.n-gaku.jp/life/topics/8719

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2024年06月18日

安田敏朗『「国語」ってなんだろう』


歴史総合パートナーズ12。
このシリーズは読みやすく、内容も充実している。

題名の通り「国語」の意味や成り立ちを解き明かした本。明治以降、国家を運営する制度(道具)としての「国語」と国民的精神(ナショナリズム)を宿す象徴としての「国語」という二つの面のバランスを取りながら、「国語」が生み出されてきた流れがよくわかる。

それまで、日本語の研究は、江戸時代に発達した国学の方法によっておこなわれていましたが、上田はヨーロッパの言語学の理論にもとづいた研究を主張したのです。
言文一致は、たんに語ったままが記述されて完成するものではなく、速記術や新聞というメディアの媒介があって成立してくるともいえます。
1895年の台湾植民地化、1910年の韓国併合を経るなかで、植民地支配における「国語」の役割が明確に意識されてきました。

「国語」をめぐるさまざまな問題を通じて、著者は国家のあり方にも迫っていく。

基本的にはだれであれ、近代国民国家という大きな「型」のなかで成長せざるをえない以上、その「型」から逃れることは簡単ではありません。問題は、教育をふくんだ国民国家の「型」のなかで育ってきたのである、ということを自覚できるかどうかにかかっていると私は考えます。

自らの中に滲み込んでいる「型」を相対化して、検証・批判する目を養うこと。これは今後ますます大事になってくる話だと思う。

2020年7月3日、清水書院、1000円。

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2024年06月17日

阿木津英『短歌講座キャラバン』


著者が1988年から2008年まで、20年間にわたってカルチャーセンターで作っていた冊子「旅隊(キャラバン)」の後記71篇と、受講生の歌集の跋文5篇を収めている。

後記はどれも1〜4ページ程度の短い文章だが、著者の主張や短歌観が明確に記されていて印象深い。誰が相手でも手加減せずに本気で取り組んでいたことがよくわかる。

自分の既知の世界を、ことばという記号によって連想して「これはよく分かります」などと言って共感するのが歌ではない。それは要するに自分の体験を反芻しているのにすぎない。
自分の作品の弁解をしない。これは、歌会をするときのもっとも基本的な態度であって、くどくどと自分の歌の弁解を始める人に「弁解はいらない」という叱責の声が飛ぶのを、わたしは若い頃しばしば聞いた。
推敲ということは、本当に難しい。自分の歌ほど、わからないものはないからである。下手な推敲をするより、新しい気持ちで、新しい歌を作った方がいい場合も少なくない。しかし、まったく推敲ということを考えないのも、やはり進歩がなかろう。
賞められようとする気持を捨てて下さい。確かに賞められることはうれしい。しかし、それは自分が行っていることのオマケである。賞めことばで釣られようというのは、自分を幼児の位置に卑しめることではないか。賞められようと賞められまいと、なすべきことをなすのが一人前の大人というものだろう。
自分が自分の歌のもっとも厳しい批評者であるのが、本来のありようだ。人の目はごまかせても、自分の目はごまかせない。自分の物足りない歌を毎日ながめて、自分の何が不足なのか、ここをのりこえるにはどうすればいいのか、考えるのだ。

きっぱりとした物言いも著者の持ち味で、読んでいて気持ちがいい。以前、5年にわたってご一緒した現代短歌社賞の選考会でも常にそうであった。

2016年6月11日、現代短歌社新書、1204円。

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2024年06月16日

角田光代・橋本由起子『林芙美子 女のひとり旅』


林芙美子の住んだ場所、旅した場所の写真と文章+解説(橋本由起子)という構成で、冒頭に「旅という覚醒」(角田光代)と題する芙美子論が載っている。

この人の旅は「観る」旅、つまり生活の上澄みにある部分をさらっと眺めていく観光旅行では、けっしてなかった。また、「ひとり旅」であるというのも、この作家にとって重要だったように思う。だれかとともにいると、目線の直接性が失われるのだ。(角田光代)

この論は芙美子の旅の本質をよく明らかにしていると思う。

取り上げられているのは「門司」「尾道」「東京」「パリ」「北海道」「北京」「屋久島」「落合」の8か所。

現在の日本では、屋久島は、一番南のはずれの島であり、国境でもある。(林芙美子「屋久島紀行」)

小説「浮雲」の取材で芙美子が屋久島を訪れたのは1950年4月のこと。成瀬巳喜男監督の映画「浮雲」を観たことがあるが、なるほど、屋久島が舞台なのはそういうわけだったのか。

沖縄返還が1972年であるのはよく知っていたけれど、奄美群島も1953年の返還まではアメリカ軍の統治下にあったのだ。

この本を読んで一番良かったのは、芙美子が晩年暮らした家が「新宿区立林芙美子記念館」として現存しているのを知ったことだ。

三百坪の地所を求める事が出来たが、家を建てる金をつくる事がむずかしく、家を追いたてられていながら、ぐずぐずに一年はすぎてしまったが、その間に、私は、まず、家を建てるについての参考書を二百冊近く求めて、およその見当をつけるようになり、材木や、瓦や、大工に就いての智識を得た。(林芙美子「家をつくるにあたって」)

芙美子の家に対する強いこだわりがよくわかる。東京に行く機会にぜひ訪ねてみよう。

2010年11月25日、新潮社 とんぼの本、1400円。

posted by 松村正直 at 17:43| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月15日

歌集を読む楽しみ

歌集を読みながら、先行するさまざまな歌からの影響や広い意味での本歌取りを思い浮かべるのは楽しい。

疾風に胸を圧されて自転車を漕ぎなづみゐる女学生ひとり
/大辻隆弘『橡と石垣』
疾風を押しくるあゆみスカートを濡れたる布のごとくにまとふ
/上田三四二『遊行』

「疾風+女性」というモチーフに共通したものがある。

  米国大統領来日
天皇と天皇に身体二倍なるドナルド・トランプ歩みゆく様
/大辻隆弘『橡と石垣』
わが妻のからだ五倍なる小錦が土俵を去りしのちのしづかさ
/小池光『静物』

「身体(からだ)○倍なる」はかなり目立つ表現で印象的。

ひと厭ふこころにあゆむ川の辺は楢のこずゑの夕しづむ音
/大辻隆弘『橡と石垣』
連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音
/佐藤佐太郎『帰潮』

文脈上のねじれを伴う歌。大辻が「浮遊する「は」」と名付けた手法である。

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2024年06月14日

小高賢の励まし

黒木三千代の30年ぶりの歌集『草の譜』のあとがきに、こんな一節がある。

早く歌集を出すようにとくり返し励ましてくださった岡井隆先生、小高賢さん、亡くなられたあとに出すようなことになり、慙愧に堪えません。

岡井隆は黒木の先生なのでよくわかるが、小高はなぜ黒木を励まし続けていたのだろう。

そんなことを考えていたら、小高賢編著『現代の歌人140』(2009年)のこんな文章に出会った。

 性愛を卓抜な喩とし、一九九一年の湾岸戦争を鮮やかに主題化した黒木の歌集『クウェート』が刊行されたのは、一九九四年だった。いまでも、たびたび引用されるように時代を画する歌集の一冊である。
 ところがその後、黒木は歌集を上梓していない。もう十五年もたつ。会うたびに、どうなっているのかと、まるで責めるように追求するのだが、なかなか踏み切らない。『クウエート』の後であるから、躊躇する気持も分からないではないが、やはりあまりにも間があきすぎてしまった。こうなったら二、三冊、続けざまに出すほかはない。それくらい待望されているのである。

熱烈なラブコールと言っていい。それだけ黒木の歌を高く評価していたということだ。

『現代の歌人140』は小高の選んだ歌人140名のアンソロジーだが、すべてに小高の鑑賞文が付いている。あらためて読み直してみると、それは140名それぞれに宛てた小高の手紙のようでもあるのだった。

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2024年06月13日

映画「小早川家の秋」

監督:小津安二郎
出演:原節子、司葉子、新珠三千代、小林桂樹、加東大介、宝田明、中村鴈治郎ほか

「午前10時の映画祭」で観た1961年公開の作品。

「小早川」は「こばやかわ」ではなく「こはやがわ」。予備知識なしに見たら最初のシーンから関西弁が出てきて驚いた。京都・大阪が舞台の作品なのであった。

家族関係を理解するのに少し時間が掛ったが、いくつかの場面を見ているうちに頭の中に系図が組み上がっていく。

その中にあって長男の「未亡人」と「未婚」の二女は仲がいい。家族のしがらみから比較的自由な存在だ。

小早川家の人たちは祇園や嵐山に行くことを「京都に行く」と言っている。家はどこにあるのかと思っていたら、伏見という設定らしい。なるほど、伏見と京都はもともと別の町だったのだ。

京都シネマ、103分。

posted by 松村正直 at 05:48| Comment(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月12日

大辻隆弘歌集『橡と石垣』

著者 : 大辻隆弘
砂子屋書房
発売日 : 2024-04-03

2015年から2022年までの414首を収めた第10歌集。

糞(まり)を痢(ひ)る直前にかくをろをろと土をまさぐる夕べの犬は
手のひらに顔を覆へり手のひらは顔を覆ふにちやうどよき幅
川べりを歩みつつ読む歌のうへに雨粒は落ち雨となりたり
先生をするのが好きで好きでたまらない若きらを憂しとまでは言はねど
曳き舟を舫(もや)ふロープは毛羽だちて水の面(つら)すれすれに撓みぬ
「あり得たかも知れぬ人生」などはない八つ手の花がなまじろく咲く
「杉はもうそろそろ終り」と言ふこゑがマスクの底の息ゆ漏れ来ぬ
みづ浅きなかに苦しむ鯉ありて脊梁といふは常にのたうつ
うつくしき蔦の紅葉を引き剝がしけさ冷えびえとしたる石垣
それぞれに大帝の名を享け継ぎてウラジーミル・プーチン、ウォロディミル・ゼレンスキー

1首目、「まり」「ひる」という古語が印象的。犬の本能的な仕種。
2首目、もちろん顔を覆うために手があるわけではないのだけれど。
3首目、ぽつんと一滴が落ちて、それから本格的な雨になっていく。
4首目、夢や希望に溢れた若い教員に対する羨望も混じった反発心。
5首目、描写が細かく丁寧。水に浸からず「すれすれ」なのがいい。
6首目、あれこれ空想してみたところで人生は誰にでも一度きりだ。
7首目、花粉の話だろう。花粉症の人の辛そうな様子が目に浮かぶ。
8首目、鯉が背をくねらせている姿から人間の苦しみへ思いは及ぶ。
9首目、色彩を失って寒々とした石垣。もとの姿に戻っただけだが。
10首目、ロシアとウクライナの歴史には共通する部分が多くある。

2024年4月14日、砂子屋書房、3000円。

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2024年06月11日

今後のオンライン講座など

・6月19日(水)「現代短歌セミナー」
  ゲスト:奥村晃作 テーマ:モノの見方の新しさ、発見の歌
 https://college.coeteco.jp/live/5zzwcoye

・7月25日(木)から半年間 「短歌のコツ教室」
 https://college.coeteco.jp/live/5j0yc613

・7月27日(土)「短歌―歌集の編み方、作り方」
 https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=7208162

・8月28日(水)「現代短歌セミナー」
  ゲスト:松村由利子 テーマ:文語と口語
 https://college.coeteco.jp/live/m331c69e

・録画「『ラジオと戦争』 今、戦時下メディアの責任に向き合う」
 https://college.coeteco.jp/live/mgzjc62y

・録画「松村正直&小島なお オンライントライアル講座」【無料】
 https://college.coeteco.jp/live/mgzjc62y

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2024年06月10日

三密と三徳

コロナ禍でさかんに「三密」(密閉・密集・密接)を避けるようにと言われたが、仏教用語にも「三密」というのがある。

司馬遼太郎『街道をゆく32』には次のように記されている。

三密(身・口・意)とは身体と言語と心のことをいう。この三密を法に従って行ずることで宇宙の内奥(仏のこと)に入ってゆくことができ、やがて即身(生きたまま)で成仏できるのである。

先日、ゾロアスター教に関する話を読んでいたら、「善思・善語・善行」の三徳の実践について書かれていた。英語で good thoughts ,
good words , good deeds である。

宗教は違っても、言っていることは共通しているなあと思った次第。

posted by 松村正直 at 06:32| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月09日

司馬遼太郎『街道をゆく32 阿波紀行、紀ノ川流域』


1988年に「週刊朝日」に連載され翌年に単行本として刊行された本の文庫新装版。

今年、徳島にも和歌山にも出かけたのでこの1冊を読んでみる。行ったことのある場所が出てくると、やはり読んでいて楽しい。

徳川の世では、淡路は阿波徳島の蜂須賀家の領地だったのである。

現在は兵庫県に属している淡路島だが、その名の通りかつては徳島県とのつながりが深かった。本書の書かれたのは大鳴門橋(1985年)開通後の様子だが、その後に明石海峡大橋(1998年)ができて、また状況は変ったことだろう。

明治のころの徳島県の人口はざっと八十万人ほどで、いまも八十二万数千人であり、ふえたぶんだけ阪神方面が吸収しつづけていたことになる。

それから36年。現在の人口は約68万8千人となっている。

経典が中国訳されるとき、当時の翻訳者はダイヤモンドを具体的に知らぬままに金属のように硬い≠ニいう連想から、金剛という訳語をつけた。
古い日本語では、おなじ平地でも、水田ができる土地を野といい、そうでない土地を原といったが、小笠原はその典型的な地名である。
小牧・長久手のときの家康がさそった有力な同盟者のひとつが、紀州だった。雑賀(さいか)党という紀ノ川下流の地侍連合と、根来衆である。

時おり挟まれる作者と須田画伯とのやり取りも楽しい。何かに似ていると思ったら、いとうせいこう&みうらじゅんの「見仏記」シリーズだった。

蘊蓄を語る司馬と直感の冴える須田。なんだか司馬遼太郎≒いとうせいこう、須田剋太≒みうらじゅん、のようなのだ。

2009年3月30日(新装版)第1刷、2014年6月30日第3刷。
朝日文庫、680円。

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2024年06月07日

『高安国世の手紙』販売中

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先日、神奈川に住む父の家を整理していたら、新品の『高安国世の手紙』(2013年)が一箱見つかりました。以前、置き場所がなくて預かってもらっていたようです。

今年は高安国世(1913‐1984)の没後40年。送料込み1000円!の特別価格で販売しますので、ご興味のある方はこの機会にぜひお買い求めください。

https://masanao-m.booth.pm

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