そう言えば、啄木も釧路時代に筆が凍る寒さを経験していたなと思って、「明治四十一年日誌」を開いてみる。
一月二十二日
起きて見ると、夜具の襟が息で真白に氷つて居る。華氏寒暖計零下二十度。顔を洗ふ時シヤボン箱に手が喰付いた。
一月二十三日
(…)二階の八畳間、よい部屋ではあるが、火鉢一つ抱いての寒さは、何とも云へぬ。
一月二十四日
寒い事話にならぬ。(…)
机の下に火を入れなくては、筆が氷つて何も書けぬ。
華氏−20度は摂氏に換算すると−28.9度になる。えっ?と驚くような寒さなのだが、釧路港文館(旧釧路新聞社の建物を復元した観光施設)のHPの「啄木滞在期間の気温一覧」 によれば、
1月22日 最高−12.8℃ 最低−22.0℃
1月23日 最高− 8.2℃ 最低−26.1℃
1月24日 最高− 8.5℃ 最低−29.3℃
という寒さで、1月27日には最低気温−33.1℃に達している。この年は例年に比べてもかなり寒かったようだ。
1月30日の啄木の手紙(金田一京助宛)にも、こうした釧路の寒さが記されている。
雪は至つて少なく候へど、吹く風の寒さは耳を落し鼻を削らずんば止まず、下宿の二階の八畳間に置火鉢一つ抱いては、怎うも恁うもならず、一昨夜行火(?)を買って来て机の下に入れるまでは、いかに硯を温めて置いても、筆の穂忽ちに氷りて、何ものをも書く事が出来ず候ひし(…)
何ともすさまじい寒さである。今と違ってエアコンもストーブもなく、部屋にあるのは火鉢や行火だけ。部屋全体が温まることはない。
また、筆ではなくペンを使えば字が書けるかと言えば、それもまた難しい。
こほりたるインクの罎(びん)を
火に翳(かざ)し
涙ながれぬともしびの下(もと) 『一握の砂』
今度はペンではなくインクが凍ってしまうのであった。