2024年07月04日

高桑信一『狩猟に生きる男たち・女たち』


副題は「狩る、食う、そして自然と結ばれる」。

雑誌「渓流」に連載された「現代マタギ考」全17章を改題してまとめたもの。狩猟する人々への取材とともに、自らも狩猟免許を取得して猟をするようになる経緯が記されている。

土に残る微細な足跡が、いつ刻まれたものかの判定が重要になってくる。(…)しかし、雪が降れば話はべつで、見切りは格段に楽になる。きのうまでなかった足跡があれば、それはもちろん昨夜から今朝のものに決まっているのだから。
熊の脂は、古くから切り傷や火傷の特効薬として用いられてきた。しかし、医薬品と銘打てば薬事法に抵触する。だから、肌に潤いを与える商品として販売するのだ。つまりはスキンケアであり、化粧品として売るのである。
近年は、センサーによって罠の捕獲をスマホに伝えてくれるシステムまであるという。時代の変化といえばそれまでだが、その便利さが猟の上達に繋がるわけではない。むしろ額に汗して山に登り、罠を見まわって、山の囁きに耳を傾けてこそ、動物の動きが見え、工夫が生まれるのである。

奥会津、山形・小国、南会津の猟師に加えて、京都で罠猟をする千松信也さんも登場する。

2021年4月1日、つり人社、1800円。

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2022年12月19日

服部文祥『アーバンサバイバル入門』


登山家で猟師でもある著者が、横浜の自宅で行っている自力生活のノウハウを、写真700点・イラスト50点とともに詳しく記した本。

服部文祥は好きな作家の一人で、これまでにも著書を読んできた。

『狩猟サバイバル』
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138731.html
『サバイバル登山家』
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138924.html
『百年前の山を旅する』
https://matsutanka.seesaa.net/article/387139332.html
『ツンドラ・サバイバル』
https://matsutanka.seesaa.net/article/433185162.html
『サバイバル登山入門』
https://matsutanka.seesaa.net/article/465418615.html
『サバイバル家族』
https://matsutanka.seesaa.net/article/479454510.html

衣食住それぞれの分野に関して具体例が示されている。「ニワトリを飼う」「野菜を育てる」「魚をおろす」「ミドリガメを食べる」「刃物を研ぐ」「庭で排便する」「ウッドデッキの設置」「自転車の修理とメンテナンス」といったもの。もちろん、同じようなことが誰にでもできるわけではないが、読むだけで元気になってくる。

自然環境の中を自分の力だけで移動していると、文明の力で広く薄まっていた自分の移動能力が、すっと本来の自分に戻ってくる気がする。自分という生き物の輪郭がはっきりするのである。
命とはお互い食べたり食べられたりしながら、この世に存在しているものにほかならない。食べ物は生き物であり、生き物は食べ物。同時代をいっしょに生きる「命の仲間」である。人間は、一方的に食べるばかりなので、ちょっと実感がないだけだ。
道具が使い手の意志を具現化し、使い手は道具によって自分のできることを増やしていく。そうした「正」の循環が道具と使い手の幸せである。

できるだけお金に頼らずに自力で行うのは、単に理念のためではなく、純粋に楽しいからであり、また生きている実感を味わえるからなのだ。そうした姿勢に共感を覚える。

2017年5月26日、デコ、3000円。

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2021年01月19日

繁延あづさ『山と獣と肉と皮』


写真家である著者は、2011年の東日本大震災をきっかけに東京から長崎へ引っ越し、夫と3人の子どもと暮らし始めた。近所の猟師から猪や鹿の肉をもらったことで狩猟に興味を持ち、肉食や命について考えるようになっていく。

もうひとつ、強烈な存在感の理由として思い当たることがある。それは、心臓や脚を台所で切り分けるときに、私の体もこうなんだろう≠ニ思わずにはいられないことだ。鹿や猪は哺乳類だから、人間と身体構造が近いのは当然といえば当然。
もう何頭食べたかわからないほど、獣を食べてきた。そもそもスーパーの肉ばかりを食べていたときには、何頭≠ネどと思ったことは一度もなかった。山の獣の命を食べるようになってはじめて、1頭や1匹(=1命)と認識するようになった。

もともと家族の風景として出産や死を撮影してきた著者が、狩猟や肉食、皮革処理などに引き付けられ、やがて「穢れ」や「キヨメ」の問題とも向き合っていく。実体験に裏打ちされた考察は、命の本質に触れていて深い。

2020年10月2日、亜紀書房、1600円。

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2020年08月14日

映画「僕は猟師になった」

P1070954.JPG

監督:川原愛子
出演:千松信也
語り:池松壮亮

京都で「くくり罠」猟を行う千松信也さんの暮らしを、2年間にわたる密着取材によって描いたドキュメンタリー。

「動物を殺す瞬間や解体から目をそむけないこと」を撮影の条件にしたというだけあって、罠にかかった猪や鹿にとどめを刺すシーンや解体の場面も映る。命との向き合い方、食べることの意味、人間と動物との関係、現代社会の抱える矛盾など、多くのことを感じ取れる作品だ。

パンフレット(800円)も中身が濃く、千松さんのインタビューのほかに狩猟や解体の方法なども載っている。

ぼくがやりたい猟は、人間以外のほとんどの野生動物がやっているような「生きるための食料を自分の力で獲る」という行為です。

先行上映&トークショーに参加したのだが、「京大を出たのに、なぜ猟師に?」という会場質問に対して、「京大という自由な場があったからこそ、猟師という生き方に出会えた」と答えていたのが印象的だった。

千松さんの3冊の著書はどれも面白くておススメ。
映画とあわせて、ぜひ。
https://matsutanka.seesaa.net/article/425648505.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/476449998.html

出町座、99分。

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2020年07月21日

千松信也『自分の力で肉を獲る』


副題は「10歳から学ぶ狩猟の世界」。

ジャンルは児童書なのだが、内容は本格的な狩猟の入門書。獲物の痕跡の見つけ方から罠の仕掛け方、獲物の仕留め方、解体の仕方まで、カラー写真入りで詳しく解説している。

ぼくもふだんは週の半分くらいを地元の運送会社で働いて、残りの日を中心に山に入っている。ぼくの場合は食料調達がメインの目的なので、狩猟のことは職業でも趣味でもなく「生活の一部」だと考えている。
たまに、わなにかぶせてある落ち葉をていねいに鼻でどけて、わなを丸見えにして去っていく、とんでもなく賢いイノシシまでいる。
ベジタリアンと猟師というと、正反対の立場のように思えるかもしれないけど、「動物のことが好き」という点では共通している。
家畜の肉に慣れていると、肉の品質は常に一定だと思いがちだ。でも、野菜や魚に旬があるように、野生の肉にもおいしい時期もあれば、そうではない時期もある。

イノシシの肉は固いという一般的なイメージに対して、著者は次のように述べる。

家畜であろうと野生であろうと、動物は年をとったらそのぶん肉がかたくなる。家畜の豚は生後6カ月程度で110キロまで大きくなるように品種改良されていて、その段階で出荷される。つまり、みんなが食べている豚肉はすべて生後6カ月の子豚の肉だ。

こうした事実を私たちはどれくらい知って、毎日の肉を食べているのか。そうした問題も突き付けてくる一冊である。

来月には著者が主演のドキュメンタリー映画「ぼくは猟師になった」が公開される。今から楽しみだ。

2020年1月15日、旬報社、1500円。

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2020年06月19日

近藤康太郎『アロハで猟師、はじめました』


朝日新聞で不定期に連載されていた「アロハで猟師してみました」の書籍化。と言っても、内容は大幅に書き加えられている。

新聞では狩猟をめぐるドタバタが面白おかしく記されていたのだが、本書を読むとその背後にきちんとした思考の筋道や人生観があることがわかる。実は非常にマジメな内容だったのだ。

耕作放棄地での米作りに始まり、鉄砲を使った鴨猟、そして罠を使った鹿猟と、新聞記者兼ライターの著者は次第にフィールドを広げてゆく。
猟師になると、初めて〈世界〉が見える。〈世界〉が聞こえるようになる。音、色、匂い。風や水面や樹木や葉っぱなど、世界を見る目がまるで変わってくる。
人力田植えとは、触覚、視覚、聴覚、味覚を動員する「感性の力作業」であった。(略)猟になると、ここに嗅覚も加わる。田んぼに猟は、五感を最大限に働かせる、人間性回復の営みでもあったのだ。
耕作放棄地、有害鳥獣、空き家問題は日本の三大問題で、これから税金を使って解決していかなければならないことはわかりきっている。問題の根は同じで、地方の人口減少と少子高齢化である。

こうした思考の一つ一つに実践が伴っているので説得力がある。実行力に裏打ちされた理論は強い。

五年後の自分が、まったく予想していなかったものになる。変えられてしまう。五年後の自分の姿が想像できない。これが生きる醍醐味でなくてなんであろう。

本当にその通りだと思う。分かりきっている人生だったら歩いてみなくたっていいのだから。

2020年5月30日、河出書房新社、1600円。

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2019年07月07日

服部小雪著 『はっとりさんちの狩猟な毎日』


登山家の服部文祥が好きで、新刊が出るたびに読んでいる。

 ・『狩猟サバイバル』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/387138731.html
 ・『サバイバル登山家』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/387138924.html
  http://matsutanka.seesaa.net/article/387138925.html
 ・『百年前の山を旅する』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/387139332.html
 ・『ツンドラ・サバイバル』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/433185162.html
 ・『サバイバル登山入門』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/465418615.html

本書は服部文祥の妻でイラストレーターの服部小雪が書いた(絵も描いている)一冊。風変わりな登山家の夫と三人の子どもたち、そして鶏や犬や猫もいる暮らしを生き生きと描いている。

中古の家を自分たちで直したり、自宅で鹿の解体をしたり、ヌートリアを唐揚げにして食べたりと、現代ではあまり見られないような生活。もちろん、そこには様々な苦労や悩みもあるのだが、家族や友人と協力して乗り越えていく。

錆びた柵にペンキを塗ったり、襖や障子を張り替えるのも初めての経験だ。職人さんのような完璧な仕事はできなくても、丁寧に仕事をすれば生活の質が上がる。何より自分がやれば不満が残らない。お金を払って誰かに任せて、この経験を捨ててしまうのはもったいない。

DIYやロハスといった概念に近いのだが、そうした流行りやオシャレとは無関係に、自分たちのやりたいことを一つ一つ実践している。そうした姿勢に強く憧れる。

まだ結婚する前の27歳の時から現在までの約二十年間のエピソードが収められ、作者と家族の成長物語としても読める一冊である。

2019年5月30日、河出書房新社、1500円。

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2019年04月29日

服部文祥著 『サバイバル登山入門』


「サバイバル登山」=「できるだけ自分の力で山に登ろうとする試み」を続ける著者の書いた実践的な入門書。

全体が「計画を立てる」「装備を調える」「歩く」「火をおこす」「食べる」「眠る」の六章から成り、それぞれ豊富な写真や図解を用いて具体的なやり方を記している。

ヘッドライトやラジオなどの電気製品は持っていかない。携帯電話、GPSはいわずもがな。時計もテントもストーブ(コンロ)も持たず、食料は米と調味料だけ。

夏はイワナを釣り、冬は鹿を撃ち、他には山菜やキノコなどを採って食料とする。そうした過酷とも思える登山を行う根本に「山だけではなく、自分自身を深く体験する」という著者の哲学がある。

登山の自由には道に迷う自由も含まれているのである。
「食べる」とは、自分以外の生物(植物も含む)の一部もしくは全部を身体に入れることである。消化してエネルギーにしたり、肉体にしたりする。ある意味、完全な融合だ。そこにリスクがあるのはあたりまえ。
狩猟行為は大きく三つのことから成り立っている。「出会う、仕留める、解体する」の三つである。なかでも「出会う」までが不確定要素にあふれた狩猟の中心をなす部分であり、時間も労力もほとんどがそこに注がれる。
「なんとなくやばい気がする」とか「なんとなくいい感じ」なんていうときの「なんとなく」は大事にしたほうがいい。

僕自身は山登りも狩猟もしないし、今後もたぶんしないと思うけれど、こういう著者の考え方や姿勢には深く惹かれるものがある。

2014年12月5日、デコ、2900円。

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2018年02月26日

田中康弘著 『ニッポンの肉食』



副題は「マタギから食肉処理施設まで」。
著者の本を読むのはこれが5冊目。

『マタギとは山の恵みをいただく者なり』
『女猟師』
『日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?』
『猟師食堂』

「日本人と肉食」「日本人はこんな肉を食べてきた」「動物が肉になるまで」の三章から成っていて、肉食の歴史、畜産肉と狩猟肉の種類、食肉処理の方法など、肉食に関することが一通りわかる内容となっている。

では肉とは動物の体のどの部分か、わかりますか? それは筋肉です。私たちが食べている肉とは動物の筋肉のことにほかならないのです。
基本的に肉食獣の肉はさほど美味しいものではありません。あえて順位を付けると「果実などを食べる動物>草食動物>雑食動物>肉食動物」となるのではないでしょうか。
以前街中ではウシ、ブタの肉を売る店とは別に鶏肉屋さんがありました。これは流通が異なることによって販売も分かれていた証拠です。
野生動物は住む地域や季節の差によって食べる物が異なり自ずと個体差が生じます。その結果、肉も非常に個性的で美味いものと不味いものの振れ幅が極端に大きくなります。

肉を食べるというのはどういうことなのか、考えさせられる。
一度、食肉処理施設を見学してみたい。

2017年12月10日、ちくまプリマ―新書、780円。

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2016年06月18日

田中康弘著 『猟師食堂』

著者 : 田中康弘
エイ出版社
発売日 : 2016-03-25

全国にある「猟師が自ら料理を提供する店」を取材した本。

愛知県名古屋市の「百獣屋然喰(ももんじぜんくう)」、石川県白山市の「CRAFT WORKS ER」、滋賀県大津市の「猪ゲルゲたこゲルゲ」、大分県佐伯市の「RYUO」、佐賀市の「GABAIいのしし食彩」など9店が紹介されている。

著者の本を読むのはこれで4冊目。

『マタギとは山の恵みをいただく者なり』
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139111.html
『女猟師』
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139286.html
『日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?』
http://matsutanka.seesaa.net/article/394034729.html

いずれもカラー写真が豊富で、読んでいて楽しい。
(解体の場面なども多いので、苦手な人は苦手かもしれない)

獣肉はスーパーで売っている肉とは完全に別物だ。畜産肉は飼育期間が短く若いうちに処理される。
それに比べると野生肉は(・・・)雌雄、年齢による個体差は大きく、それが肉質に影響するのだ。いつどこで買っても差のないスーパーの肉とはここが決定的に違うのである。

人間に置き換えて考えてみればわかりやすい。男女によって、また子供からお年寄りまで年齢によって、同じ人間でも身体は大きく違う。それが普通のことなのだ。

本書の中で繰り返し語られるのは、狩猟の方法やその後の処理の仕方で肉の味が全く違ってくるということ。その点において「猟師兼料理人」は最も良い形で野生肉を提供できる人ということになる。

ジビエ料理の背景には物語があると私は思っている。肉となった獣それぞれの人生(獣生?)、それを仕留めた猟師、そして料理をした人の哲学が混ざり合うのがジビエ料理ではないだろうか。

料理だけではなく「物語」も味わうこと。
そこにジビエ料理の美味しさと魅力の秘密があるのだろう。

2016年4月10日、えい出版社、1500円。

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2016年01月30日

服部文祥著 『ツンドラ・サバイバル』


『サバイバル登山家』『狩猟サバイバル』に続くシリーズ(?)の3冊目。

サバイバル登山とは装備を最小限にして、食料を現地調達しながら長期間おこなう登山である。

鹿、岩魚、ヌメリスギタケモドキ(茸)、ヌメリイグチ(茸)、ヤマブドウ、エゾライチョウ、エゾ鹿、ブルーベリー、ハリウス(カワヒメマス)、カリブーなどを食べながら、著者は登山や縦走をしていく。

この本に収められているのは

 ・奥多摩、奥秩父、冬期サバイバル登山
 ・南アルプス、夏期サバイバル登山
 ・南会津、夏期サバイバル登山
 ・知床半島秋期サバイバル継続溯下降
 ・四国、剣山山系、冬期サバイバル登山

そして、ロシアの北東端、チュコト半島にあるエル・ギギトギン湖への旅である。

中でもチュクチ族のトナカイ遊牧民ミーシャとの出会いは、著者に大きな刺激を与えたようだ。

 ミーシャは本物だ。猟師として完成している。(…)生まれもった自然児としての才能。その上に、いったいどれだけの試行錯誤をくり返し、どれだけの経験を積み重ねて、ミーシャは今の深みに達したのだろう。
 いや、おそらくミーシャだけじゃない。私が知らないだけで世界中にそんな猟師がたくさんいる。(…)猟師だけにとどまらない。木こり、漁師、遊牧民、罠師、なんでもいい。世界中にミーシャがいる。

旅の記録と様々な思索が一体となって、著者の文章は深い味わいを醸し出す。「この世界に対してゲストではありたくない」という信条が、ぐいぐいと伝わってくる一冊だ。

2015年6月25日、みすず書房、2400円。

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2015年09月11日

猟師と歌人

『けもの道の歩き方』を読んでいると、猟師と歌人にはけっこう共通点(?)があるなと思う。

札幌のフォーラムでは、若手猟師によるパネルディスカッションも行われた。パネラーの一人は二十代の大学院生だったが、あとの二人は偶然にも僕と同い年だった。事前の打ち合わせで、「四十歳手前で若手って言ってもらえるのは、狩猟の世界ぐらいやね」と苦笑しながら話していた。

いえいえ、短歌の世界もそうですよ。

「猟師」なんて名乗っていると、狩猟だけで収入を得ているとよく誤解される。「そうではない」と言うと、「じゃあ趣味なんですね」となる。僕は「それも違う」と答える。

このやり取りも、歌人がよく経験するものだ。

職業に関する話をしていると、よく「食べていけるか」というのが問題になるが、この「食べていける」というのがけっこう幅のある言葉である。100万円で食べていけるという人もいれば、1000万円あっても足りないという人もいるだろう。

だから、もちろん「食べていけるか」というのは大事なことなのだけれど、それが全てではない。生活の仕方や価値観、人生観、さらには住む場所や他人との関わりなど、様々な要素を含めて考えるべきことなのだと思う。

ちなみに、千松さんは

二〇一四年度の猟期はイノシシ六頭、シカ十頭の猟果で、一月下旬には猟を終えた。家族や友人で分けあって食べても十分すぎる量で、一年間肉には困らない。

ということで、狭義の意味での「食べていく」ことには困っていないらしい。

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2015年09月10日

千松信也著 『けもの道の歩き方』


『ぼくは猟師になった』の著者のエッセイ20篇を収めた本。副題は「猟師が見つめる日本の自然」。「日本農業新聞」2012年12月から13年3月まで連載された「森からの頂き物」に加筆、再構成したもの。

京都に住んで普段は運送会社で働きながら、猟期にはくくり罠でイノシシやシカを捕獲する著者が、猟師ならではの視点から山の自然や動物、そして自らの暮らしについて記している。

よく「野生動物の肉は硬い」と言われるが、〇歳や一歳の若い個体の肉は軟らかいし、歳をとった個体の肉は硬い。家畜の豚も生後半年で出荷されるから軟らかいだけで、何年も飼育した老豚の肉は硬くなる。
利用されなくなってしまった現在の巨木が林立する里山林を、この現状のまま維持するのは無理がある。放置され続けてきたところに起きたナラ枯れは防ぐべきものなのだろうか?
白色レグホンはメスしか必要とされないので、オスはヒヨコのうちに殺され、産業廃棄物となるのがほとんどだ。また、メスも大規模な養鶏場では、産卵効率が落ちて生後二年を待たずに廃鶏にされるのは前述の通りだ。

近年、農作物への獣害が深刻となっていることもあり、狩猟がにわかに注目を集めている。けれども、著者はそうしたブームを歓迎しつつも、「狩猟の素晴らしさばかりが強調される昨今の風潮はちょっと気持ちが悪い」と冷静に見ている。

そこには「自分で食べる肉は自分で責任をもって調達したい」という思いのもと14年にわたって猟師を続けてきた著者の矜持がにじむ。

2015年9月16日、リトルモア、1600円。

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2015年04月27日

中国新聞取材班編 『猪変』

著者 :
本の雑誌社
発売日 : 2015-02-05

タイトルは「いへん」。
2002年12月から半年にわたって中国新聞に連載された企画報道をまとめたもの。終章に「「猪変」その後」を追加している。

瀬戸内海を泳ぐ猪の話から始まって、中国地方の農作物に大きな被害を与えている猪の実態へと迫っていくルポルタージュ。

そこから見えてくるのは、農山村の高齢化や人口減少によって手入れのされない里山や耕作放棄地が増えている現状である。また、駆除を中心とした猪対策が駆除自体を目的化してしまい、農作物の被害の減少につながってない問題も浮き彫りにされる。

いずれも、猪の問題というよりは人間側の問題である。地方の疲弊やコミュニティの崩壊といった問題が、猪問題にも深い影を落としている。

中国地方のことだけではなく、ポーランドやフランスにおける狩猟文化や北海道におけるエゾシカ対策のことなども取り上げている。新聞社の取材力が遺憾なく発揮された一冊と言っていいだろう。

2015年2月20日、本の雑誌社、1600円。

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2014年12月26日

安藤啓一・上田泰正著 『狩猟始めました』


副題は「新しい自然派ハンターの世界へ」。
このところ、なぜか狩猟関係の本を読むことが多い。
人間と自然との関わりや、食と命の問題、過疎化と農作物への被害など、いろいろな問題に関係してくる。

狩猟と一口に言っても、「銃猟」と「罠猟」と「網猟」があり、銃猟にもグループで行う「巻狩り猟」、「流し猟」、「忍び猟」などがある。著者の行っているのは、単独で静かに身を隠しながら獲物に近づいて射止める「忍び猟」である。

狩猟とは緻密な動物観察なのだと思う。知識と経験による観察力、その結果を分析するセンス、わずかな情報から動物たちの暮らしを浮かび上がらせるイマジネーションといった能力を使いこなすクリエイティブな行為だ。
足跡はその場所に動物がいたという点の情報だ。それに獣道の情報が加わると移動という線になる。これを積み重ねて線から平面、さらに森を立体的に観察して動物の行動を推察できるようになるとようやく獲物に近づける。

こんな文章を読むと、狩猟というのは何て繊細で緻密な行為なのだろうかと思う。

2014年12月5日、ヤマケイ新書、800円。

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2014年05月30日

飯田辰彦著 『罠猟師一代』


副題は「九州日向の森に息づく伝統芸」。
宮崎にある出版社・鉱脈社が刊行している「みやざき文庫」の一冊。

宮崎県東郷町(現・日向市)に住む罠猟師・林豊に同行し、罠の仕掛けから捕獲、解体、調理に至るすべてを、豊富なカラー写真とともに描きだした一冊。3か月にわたる狩猟シーズンを密着して取材した成果が十分に表れている。

林が足括りの罠で狙うのはシシ(猪)である。時に鹿がかかることもある。

取材という大きな邪魔が入ったにもかかわらず、林はこの狩猟期間中にシシ三十七頭、シカ十八頭という成果を残した。

この数だけを見ても、林の罠猟がいかに優れたものであるかよくわかる。
東郷町と言えば、牧水のふるさと。牧水もこんな山や川とともに育ったのだろう。

2006年3月9日初版、2013年10月7日第7刷、鉱脈社、1400円。


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2014年04月07日

田中康弘著 『日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?』


全国各地の狩猟の現場を取材したドキュメンタリー。西表島のカマイ(イノシシ)、宮崎県のイノシシ、大分県のシカ、高知県のハクビシン、大分県のアナグマ、礼文島のトド猟が紹介されている。

著者はフリーのカメラマンであり、この本にも200点近いカラー写真が載っている。どれも現場に居合わせているような迫力のある写真で、ものを食べる、肉を食べるとはどういうことか、深く考えさせられる。

20年以上前に秋田県の阿仁マタギと知り合って一緒に山へ行くようになって以来、私はざまざまな猟場へと足を運び取材した。その過程で強く感じたのは、狩猟が地域の食文化と密接に関わっているということだった。
日本人がどこから来て、何を食べて日本人になっていったのか。もちろん、そんな高尚な学問的探求心ではなく、知らない土地を歩き、話を聞き、そして食べて理解したいのである。“論より証拠”ならぬ“論より食”なのかもしれない。

こうした考えに共感するとともに、著者の問題意識や取材が長年にわたって継続している点にも感心する。

2014年4月10日、えい出版、1500円。

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2013年11月26日

田中康弘著 『女猟師』

著者 : 田中康弘
エイ出版社
発売日 : 2011-07-25

副題は「わたしが猟師になったワケ」。

5名の女性の猟師の生活や狩猟の様子を追ったドキュメンタリー。カラー写真も豊富で、現場の雰囲気がよく伝わってくる。

「狩猟がもたらす喜びのひとつは共同作業。皆で力を合わせて獲物を手に入れることが、コミュニティの存続に繋がるからだ」という言葉が印象に残った。狩猟においても、さまざまな形での人とのつながりが大切であるらしい。狩猟組や夫婦、あるいは猟犬との関わりが描かれている。

狩猟を始めたきっかけとして「理由は犬なんですよ」という答えがあった。犬の訓練競技会やショーへの出場だけでは物足りなくなったと言うのだ。
獲物を探して人のところに持ってくる。狩猟の場で人と犬とが力を合わせる行為が、やはりレトリーバーは最も活き活きと躍動するのだ。

この人の猟犬はラブラドールレトリーバーであるが、レトリーブ(回収する)が語源であることに、あらためて気づかされた。セッターもポインターも、元は狩猟の用語から付けられた名前である。

2011年8月10日、エイ出版社、1500円。

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