2023年12月26日

邱永漢『わが青春の台湾 わが青春の香港』


1924年に台湾で生まれ東京帝国大学を卒業、戦後台湾独立運動に関わり香港へ亡命、1954年に再び日本に住むことになった著者の波乱万丈の青春記。

「わが青春の台湾」(1924〜1948)と「わが青春の香港」(1948〜1954)に加えて、友人の王行徳をモデルに書いたデビュー作「密入国者の手記」を収めている。

著者の父は台湾人、母は日本人であった。

同じ屋根の下で育ち、父親も同じなら、母親も同じであるにもかかわらず、私たち十人きょうだいは、姉の素娥、私の炳南だけが本島人で、妹以下は内地人になってしまった。たったこれだけの違いで、同じきょうだいでありながら、私たちの人生は大きく変わってしまったのである。
私は東大の経済学部を受験する決心をしていた。(…)植民地台湾に生まれた私のような人間が将来、文学を志しても生計を立てて行く自信がなかったからである。たいていの本島人のクラスメイトは医学部を志望する。文科系の卒業生でさえ途中から医学部に鞍替えをする。このほうが差別待遇されずに生きて行ける最も安全な道だったからだ。

戦後、日本に代って国民党の支配下に置かれた台湾で、民衆を弾圧する二・二八事件が起きたことは有名だが、台湾独立運動の詳細についてはこの本で初めて知った。

来年1月13日には台湾総統選挙がある。選挙によって自分たちのリーダーを選べることの大切さを、台湾の歴史が何よりもよく示している。

2021年5月25日、中公文庫、900円。

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2023年12月20日

林芙美子『愉快なる地図』


副題は「台湾・樺太・パリへ」。

1930年から1936年までの海外への紀行文をまとめたもの。旅先は、台湾(1930年1月)、満洲・中国(1930年8月)、シベリヤ・パリ・ロンドン・ナポリ・マルセイユ(1931年11月〜1932年6月)、樺太(1934年5月)、北京(1936年10月)。

20代後半から30代前半の若さで精力的に知らない土地をめぐっている。文体も軽快で、読んでいて楽しい。それぞれの街の特徴を摑むことにも長けている。

台北の城内は常識以外の何ものもない。私には公園も博物館もおよそ静脈だ。只空の上には、台湾らしい土語が、ピンパン、ピンパン弾けている。だが城外は、万国旗のような光景だ。台湾の動脈が踊っている。
私は杭州へ来る汽車の中で、中国の若い女が二人、英語で話しあっているのを見たが、同じ国でありながら、言葉が通じないなんて! 何の不自然さもなく、英語で話しあっている中国の女を見て、私は中国と云う国のでかでかと広いのに愕いてしまった。
物が安いと云えば、パンがうまくて安い。こっちのパンは薪ざっぽうみたいに長くて、それを嚙りながら歩ける。これは至極楽しい。パリーの街は、物を食べながら歩けるのだ。
都会の持つ建築と云うものは、少しも風景的でなく、どこの国の都会とも、共通した文明さがあるものですが、国を見るならば、まずその国の田舎から見る事でしょう。ソヴェートの田舎の風景は、まるでイソップ物語りの絵のようです。

時代は満洲事変から日中戦争にかけての時期である。日本の植民地支配や日中の関係悪化についての意見も記されている。

内地女の知識階級程、厭なものはない。飯をたく事より、本を読む事より、社交が大事らしい。それも内地人同士の間の社交である。それから、内地人が苦力(クーリー)をこきつかっているのには、足から血が登るような反感を持った。
いずれの国の人民も愛国心を持たないものはない……東洋の平和は、東洋の女達がもっと手を握りあってもいいのじゃないだろうか。
来年あたり、日本の知識婦人を束にして連れてゆきたいものだ。小さなところで議論をむしかえしているよりも、早くそうして、深く支那を識ってほしい。友達からでも、まず手を握りあいたい。支那の女はだんだん強く大きくなって来ている。

林芙美子、もっといろいろ読んでみたくなった。

2022年4月25日、中公文庫、990円。

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2023年12月15日

片倉佳史『台湾に生きている「日本」』


台湾に残る日本統治時代の建物や遺物を紹介した本。

取り上げられているのは、台湾総督府、台北州公共浴場、畜魂碑、宜蘭飛行場跡、和美公学校校内神社、台南駅、竹子門水力発電所、旭村遙拝所、義愛公など。

当然、日本による植民地支配の歴史に深く関わる内容でありデリケートな部分もあるのだが、長年台湾に住む著者ならではの調査力や現地の人々との交流が印象に残る。

いま台湾では郷土史探究が潮流となっている。植民地統治は肯定されるような性格のものではないが、台湾の歴史を考察する上で、日本統治時代の半世紀を無視することはできない。そういった視点を庶民が持ち、戦前の遺構が保存や研究の対象となっているのは興味深いところである。

また、建物や遺物だけでなく、現地で使われている日本語由来の言葉についても記している。「アイサツ(挨拶)」「セビロ(背広)」「テンプラ(さつま揚げ)」など。

2009年3月5日、祥伝社新書、900円。

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2023年12月08日

野嶋剛『日本の台湾人』


副題は「故郷を失ったタイワニーズの物語」。2018年に小学館から刊行された『タイワニーズ ― 故郷喪失者の物語』を加筆、改題したもの。

良書。おススメ。

インタビューや資料をもとに、日本で活躍する台湾ゆかりの人々のファミリーヒストリーを描いている。蓮舫(政治家)、辜寛敏(独立活動家)、東山彰良(作家)、温又柔(作家)、ジュディ・オング(歌手)、余貴美子(俳優)、羅邦強(551蓬莱)、安藤百福(日清食品)、陳舜臣(作家)、邱永漢(経営コンサルタント)など。

日本の台湾独立運動は、主に台湾からの亡命者や学生を中心に一九六〇年代に始まった。刊行物「台湾青年」を細々と刊行しながら、台湾独立のための理論を練り上げ、米国のグループとも連携しながら、日本や世界に情報発信を重ねた。
台湾の人々は、中国人から日本人、再び、中国人、そして現在は台湾人へとめまぐるしくアイデンティティを変化させてきた。こうした近現代史は、台湾において、台湾人でもあり、日本人でもあり、あるいは中国人でもあるという特殊な人々を産み落とした。
一九九九年の台湾大地震、二〇〇八年の四川大地震、そして、二〇一一年の東日本大震災。日中台をそれぞれ襲った三度の災害で、ジュディはいずれも支援活動の先頭に立った。
日本の中華料理の受容プロセスでつい見落とされがちなポイントは、日本人と中華料理の間で媒介の役割を果たしたタイワニーズの存在である。

日本と台湾と中国は歴史的に深い関わりを持っている。それは「台湾有事」といった争いの火種になり得る部分でもある一方で、経済・文化・観光などの交流や相互理解の豊かな土壌にもなっている。

いつかまた台湾に行ってみたいな。

2023年8月10日、ちくま文庫、900円。

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2023年10月30日

乃南アサ『美麗島プリズム紀行』


副題は「きらめく台湾」。
『美麗島紀行』に続く台湾紀行エッセイの第2弾。

観光用のガイドブックとは異なり、台湾の人々の日常生活や考え方などを詳しく描いているのがおもしろい。観光客の訪れないような場所にまで足を運び、また、日本統治時代から残る建物や日本語世代のお年寄りにも精力的に取材している。

同じ漢民族同士であっても、かつては日本人として戦争に加わらなければならなかった台湾本省人と、日本と戦った外省人という、「敵と味方」だったもの同士が、同じ島で顔を突き合わせて生きていかなければならないという、皮肉な構図が出来上がった。
ヒョウタンは中国語では「フール―」と言い、その発音が「福禄」と似ていることから、やはり縁起物として好まれるし、コウモリは「ビアンフー」という発音が「変福」の発音と似ていることから、福に変わる、福をなすという縁起物として扱われるのだそうだ。
今の台湾では、中秋節のお約束は何といってもバーベキュー。名月を味わうはずの日に、どうして煙の出るバーベキュー? と不思議に思ったら、焼肉のたれを売っているメーカーが宣伝し始めたのがきっかけと聞いた。
翌日、台風は台湾南部から上陸して島を北上するルートを通り、全島の地方政府が次々に「颱風假(タイフォンジャ)」と呼ばれる台風休暇の宣言を出した。この宣言が出ると、ほとんどの公共交通機関はストップし、学校、会社なども全部、休みになる。

いつかまた台湾に行ってみたいとしきりに思う。

2022年12月1日、新潮文庫、630円。

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2023年10月23日

乃南アサ『美麗島紀行』


副題は「つながる台湾」。

2015年に集英社より刊行された本を文庫化したもの。台湾の歴史や文化、日本との関わりに関心を持った著者が、台湾各地を訪ねる紀行エッセイ集。

有名観光地のガイド本などとは違い、あまり知られていない台湾の姿が描かれている。特に、1895年〜1945年の50年間、日本の植民地であった歴史がさまざまな面で影響を残している。

台湾人家庭で家族全員が日本語を話せると認められた家だけが「国語の家」という表札を門柱に掲げられるのだそうだ。(…)当時「国語の家」と認められた家は配給などの面でも日本人と同等の待遇を受けることが出来た。
一つの駅名を「国語(北京語)」「台湾語(閩南語)」「客家語」、そして「英語」という順番でアナウンスしているのだった。中でも三つ目が「客家語」だということは現地の人から教わるまで分からなかった。
台湾では原住民族という表現が正式な呼称になっている。日本人が使う「先住民」という表現の「先」という文字には、祖先、先人、先妻などというように、既に亡くなっている人の意味が含まれるからだそうだ。
「私は、日本時代は木川平録という名前だったんです」
パイワン族としての本来の名前はヴァルワルー。戦後、中華民国政府が入ってきて、呂來謀という名前が与えられた。

台湾には20年以上前に一度だけ行ったことがある。
ぜひまた訪れてみたいものだ。

2021年11月1日、新潮文庫、590円。

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2023年10月05日

温又柔『魯肉飯(ロバプン)のさえずり』


日本人の父と台湾人の母を持つ主人公の桃嘉を中心に、台湾と日本にまたがる女三代の生き方を描いた小説。織田作之助賞受賞作。

主人公と母との会話の中で意味の通じない日本語がしばしば出てくる。「上げ膳据え膳」「出願」「本末転倒」などは、元の言葉が難しいから仕方がない。また、「就活」も略語なので難しい。

一方で「おあずけ」は簡単な言葉だが、「預ける」の意味でなく「待たせる」という意味になるので、文脈を理解しないとわからない。こういう言葉こそネイティブでない人には大きな障害になるのだろう。

言葉が理解できないことはコミュニケーションの妨げになる。一方でそれは、言葉が通じるからといって必ずしも心が通じるわけではないことも浮き彫りにする。

祖母が母に言った言葉が心に残る。

「だれといても、どこにいても、自分のいちばん近くにいるのは自分自身なのよ。だからね秀雪、だれよりもあなたがあなた自身のことをいちばん思いやってあげなくては」

昨年エッセイ集『台湾生まれ日本語育ち』を読んだ時に購入してしばらく積ん読になっていた本だが、今回読めてとても良かった。やはり読書はタイミングが大切で、今の私に必要な本だったのだと思う。

2020年8月25日、中央公論新社、1850円。

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2022年12月20日

映画「擬音」

監督:王婉柔(ワン・ワンロー)
出演:胡定一(フー・ディンイー)

2017年製作の台湾映画。

40年にわたって音響効果技師(フォーリーアーティスト)を務めてきた胡定一をはじめ、擬音に関わる人々のドキュメンタリー。

撮影現場では雑音が入ったり音が小さかったりしてうまく録音できない音声を、場面を再現したり、様々な道具を使ったりして採取する。靴音ひとつでも、ハイヒールの場合、スニーカーの場合、革靴の場合、それぞれ実際に履き替えて音を採る。また、現実に存在しない宝刀を抜く時の音などは、それらしい音が出るように道具を工夫する。

こうしたアナログな職人技は、時代とともに使われなくなってきている。現在ではデジタルな音をミキサーで編集・加工して音を生み出すようになっているのだ。

そうした時代の変化によって失われた世界が、丁寧に鮮やかに記録されている。

京都シネマ、100分。

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2022年09月11日

『台湾生まれ 日本語育ち』の続き

ヤクルトの村上宗隆選手が53号のホームランを打って、「日本人歴代2位」「日本選手単独2位」といったニュースが流れている。1位は王貞治の55本だが、王さんの国籍は中華民国なので国籍という点から言えば「日本人」ではない。だから「日本選手」といった表記も使われているのだろう。

以前、大相撲で稀勢の里が横綱になった時などに、「日本出身横綱」という表現を見かけた。武蔵丸(ハワイ)や白鵬(モンゴル)など外国出身の横綱と区別する呼び方である。なぜ「日本人横綱」と言わないかと言えば、武蔵丸も白鵬も帰化して日本国籍を取得しているからだ。国籍という点から言えば、彼らも「日本人」なのである。

私たちは自分たちの都合によって、彼らを「日本人」に含めたり含めなかったりする。一体どこにどう線を引いて、何と何を区別したがっているのだろう?

二十三歳のある日、突然日記が書けなくなった。十年以上、ほぼ毎日、あたかも「生まれながらの自分の言葉」であるかのように、自由自在に操っていた日本語が、ふと「外国語」のように感じられた。いや、逆だ。何故「外国人」であるはずの自分は、すらすらと日本語を書いているのだろう、と思ったのだ。その日を境にわたしは、日本人のふりをしながら(11文字傍点)、日本語を書くことができなくなった。
台湾人なのに中国語ができない。日本語しかできないのに日本人ではない。/ずっと、それをどこかで恥じていた。けれども、そうであるからこそ、わたしはわたしのコトバと出会うことができた。

温又柔の文章は、「日本」と「日本人」そして「日本語」が一対一で対応しているのではなく、緩やかな関係で結ばれていることを教えてくれる。それは、多様で豊かで開かれた「日本」や「ニホン語」を示してくれるものだ。

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2022年09月07日

温又柔『台湾生まれ 日本語育ち』


2016年に白水社より刊行された単行本に新たに3篇を加えて新書化したもの。

台湾に生まれ、父の仕事の関係で3歳の時に東京に移り住んだ著者が、言葉や国語や国家や民族について記したエッセイ集。第64回日本エッセイスト・クラブ賞受賞作。

自らが慣れ親しんだ日本語だけでなく、両親の使う中国語や台湾語も含んだ「ニホン語」を駆使して、著者は思索を深めていく。「ニホン語」について考えることは、自らのアイデンティティを問うことであり、また東アジアの近現代史を知ることでもあった。

わたしの祖母は、中国語で教育を受けたのではない。祖母が少女の頃の台湾では、日本語が「国語」だった。一九四五年、第二次世界大戦が終結するまで、台湾は日本の統治下にあった。
台湾の「国語」事情に思いを馳せるとき、「国語」という思想を支える「国家」なるものの本質的な脆さを、わたしは感じずにはいられない。台湾で暮らす人々が、ときの政府の方針一つで、「大日本帝国」の「臣民」にも「中華民国」の「国民」にもさせられる
歴史の可能性の一つとして、征服者の言語であった日本語は、朝鮮、台湾、旧満州地域等における「国際共通語」となる可能性を孕んでいた。

台湾語だけを使っていた曾祖父母の世代、日本語が国語であった祖父母の世代、中国語が国語になった父母の世代、そしてニホン語を使う著者。4世代に渡って言語状況は目まぐるしく変っている。

その断面や亀裂にこそ、最も現代的で生き生きとした歴史や文化が顔を覗かせているのだ。

2018年9月25日第1刷、2021年6月25日第5刷。
白水社Uブックス、1400円。

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2022年03月22日

映画「ホテルアイリス」

監督・脚本:奥原浩志
原作:小川洋子
出演:永瀬正敏、陸夏(ルシア)、リー・カンション、菜葉菜、寛一郎ほか

日本と台湾の合作映画。

撮影は台湾の離島である金門島で行われたとのこと。地図を見ると中国本土のアモイのすぐ近く、かつて中国と台湾の間で砲撃戦が行われた舞台でもある。

永瀬正敏は好きな俳優で、出演する作品はよく見に行っている。台湾の新人女優の陸夏も存在感を放っていた。

京都シネマ、100分。

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2022年03月09日

内田百閨w蓬莱島余談』


副題は「台湾・客船紀行集」。

1939年の台湾旅行と日本郵船嘱託時代の船旅に関する文章をまとめた文庫オリジナル。解説で川本三郎が「鉄道随筆『阿房列車』ならぬ『阿房船』になっている」と書いている通りの味わいだ。編集者の手腕が光る。

それにしても百閧フ文章はどうしてこんなに面白いのだろう。偏屈で神経質でぶつくさ文句を言ってお酒を飲んでいるだけなのに、ついつい笑ってしまう。周りの人たちから愛されていたんだろうなと思う。

私は食いしん坊であるが、食べるのが面倒である。御馳走のないお膳はきらいだが、そこに有りさえすれば無理に食べなくてもいい。
大きな飛行機が着陸すると、地上勤務の人人が馳けつけて、大勢で押して格納する。蛾のまわりに蟻がたかっている様で、空を飛んでいる時は立派だが、地上に降りたらだらしがないと思ったが、大きな船も海の真中を渡っている時は堂堂としているけれど、陸地に触れようとすると随分へまな物だと考えた。
私の生家から海辺に出るには、一番近い所でも二里位は行かなければならない。その一番近い海は児島湾と云う小さな半島に扼(お)されて出来た内海である。(…)湾の中に児島八景と云う昔風の名所もあった。(…)今は開墾工事でその湾の奥の方から半分位も埋め立てたそうだから、八景は三景か四景になっているだろう。

もちろん、実際の百閧ェどういう人だったかという話だけでなく、文章の書き方に大きな秘密があるのだろう。書く自分と書かれる自分との距離の取り方が絶妙なのだ。

辰野さん、僕のリアリズムはこうです。つまり紀行文みたいなものを書くとしても、行って来た記憶がある内に書いてはいけない。一たん忘れてその後で今度自分で思い出す。それを綴り合わしたものが本当の経験であって、覚えた儘を書いたのは真実でない。

「辰野さん」は、友人で仏文学者の辰野隆(ゆたか)。短歌のリアリズムにも通じる話だと思う。

2022年1月25日、中公文庫、900円。

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2021年08月04日

映画「冬冬の夏休み」

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原題:冬冬的假期
監督・脚本:侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
原作・脚本:朱天文(チュー・ティエンウェン)
出演:王啓光、李淑驕A梅芳、楊徳昌ほか

1984年公開の台湾映画。現在、「侯孝賢監督40周年記念―台湾巨匠傑作選2021」の一本として上演されている。

台北に暮らす兄妹が夏休みに田舎の祖父の家で過ごす様子を描いた作品。近所に住む子どもたちとの遊び、自然豊かな田園の風景、そこで起こるいくつかの小さな事件。

自分が子どもだった頃(昭和50年代)を懐かしく思い出した。そうそう、みんな短い半ズボンを穿いてたよなあ。Wikipediaによれば

子供用の1〜2分丈のズボン。日本では1950年頃から1990年頃まで男児用として一般的だった。

ということらしい。そう言えば、今ではすっかり見なくなった。

アップリンク京都、98分。

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2021年02月03日

映画「私たちの青春、台湾」

原題:「我們的青春,在台灣」「Our Youth in Taiwan」
監督:傅楡(フー・ユー)
出演:陳為廷(チェン・ウェイティン)、蔡博芸(ツァイ・ボーイー)ほか
2017年、台湾。

2014年に台湾で学生たちが起こした「ひまわり運動」を中心に、運動の参加者が悩み、考え、決断し、行動する姿を描いたドキュメンタリー。取材は2011年から2017年までの長期間にわたって行われている。

最初は数人で始まった小さな運動が、やがて立法院の占拠という大きなうねりとなって台湾社会に大きな影響を与えていく。その過程が克明に描かれてゆく。

また、台湾の学生運動だけでなく、中国本土や香港の学生との交流の場面もあり、台湾・中国・香港の民主化運動の発展に期待する監督の思いが伝わってくる作品だ。

けれども、結末はハッピーエンドではない。高揚感を味わった後の停滞や意見の相違、そしてスキャンダルなどを経て、仲間や集団はまたひとりひとりの個人へと戻っていく。

民主主義とは一体どういうことなのか。国や体制の違いを越えて私たちは相互に理解し合うことができるのか。そうした問題を深く考えさせる良質なドキュメンタリーだ。久しぶりにパンフレットも購入した。

京都みなみ会館、116分。

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2020年05月30日

大東和重『台湾の歴史と文化』


副題は「六つの時代が織りなす「美麗島」」。台湾の歴史や文化を「先住民族」「オランダ統治」「鄭氏政権」「清朝文化」「日本の植民地」「国民党独裁と民主化運動」という6つの時代順に記した本である。

けれども、いわゆる概説書とは大きく違う。かつて著者が住んでいた台南を中心に、國分直一、前嶋信次、新垣宏一、葉石濤、呉新榮、王育徳ら台南にゆかりのある人物のエピソードを織り交ぜる手法で記述している。

戦争にまつわる日本人の記憶から、かつて「日本人」として戦った高砂義勇隊は、完全に抜け落ちた。太平洋戦争はあたかも、内地に住む「日本人」だけが戦い、「日本人」だけが被害に遭ったかのごとく記憶された。
一六二〇年代、オランダ商船はインドネシアのバタヴィアから、安平を経て、平戸へと来航した。これらの港は、当時のヨーロッパにおける金融の中心、アムステルダムと海でつながっていた。
民主化以降の台湾では、「正名運動」といって、地名などを台湾風に変更することが主張された。(・・・)全島共通の道路名はそのままである。どの街に行っても、街の中心にでたければ、中山路や中正路をめざせばよい。
台湾の民主化運動は、「本土化」の運動でもあった。本土化は「台湾化」と言い換えることができるように、外来政権である国民党が台湾に根差した政党となり、中華民国が中国全土を統治する国家でなく、台湾サイズへと収まる変化である。

400年の歴史を持つ台湾であるが、1980年代までは外来の政権が一貫して台湾を支配し続けてきた。台湾に住む人が自らの手で台湾を治める時代がようやくやって来たのである。

また台湾に行ってみたくなってきた。

2020年2月25日、中公新書、900円。

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2020年05月12日

胎中千鶴『あなたとともに知る台湾』


副題は「近現代の歴史と社会」。
歴史総合パートナーズ6。

台湾の歴史・社会や日本との関わりが、日本統治期、戦後、現代の三つに分けて記されている。良質な入門書と言っていいだろう。

ところで総督府は、そもそもなぜ原住民をこんなに厳しく支配したのでしょうか。(・・・)実は総督府は、台湾の山林地域にある貴重な資源を手に入れようとしていたのです。それは主に、樟脳とヒノキでした。

少し調べてみたところ、タイワンヒノキは明治神宮の鳥居や靖国神社の神門などにも使われているらしい。現在では輸入が難しくなっているとのこと。

1990年代後半以降の日本では、日本語世代と哈日族、さらに私の友人のような知日派もひとくくりにして「親日」ととらえる傾向がありました。あたかも日本統治期から戦後、そして現在に至るまで、台湾人がみんな常に「親日」であったかのような見方です。

本当の友好関係を築くには、まず「親日」「反日」といった単純で一面的な捉え方から距離を置く必要がある。

民主化以前の台湾では、歴史教科書の内容のほとんどが中国大陸と中華民国の歴史でした。つまり、辛亥革命(1911年〜12年)によって大陸で成立した中華民国と、その「大陸から来た我々」の視点で書かれていたのです。

外省人と本省人の対立を経て、「台湾人」としてのアイデンティティが次第に確立されてきたのだろう。今後、東アジアの国同士の関係改善が少しずつでも進んでいくと良いのだが。

2019年1月9日、清水書院、1000円。


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2019年12月13日

映画 「台湾、街かどの人形劇」

監督:楊力州、監修:候孝賢、出演:陳錫煌ほか。
2018年、台湾。

台湾の伝統的な人形劇「布袋戯」の名人、陳錫煌を十年にわたって取材したドキュメンタリー。伝統芸能に対する強い思いや海外での公演風景、弟子たちの教育、そして同じく人間国宝であった父(李天禄)との葛藤などが描かれる。

人形を持たずに手の動きだけを映すシーンがあるのだが、繊細で滑らかな動きから人の姿が浮かび上がってくる。まるで生き物のような指の動きに魅了された。

台湾にまた行ってみたいなあ。

第七藝術劇場、99分。

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2019年02月13日

映画 「台北暮色」


監督・脚本:ホァン・シー
製作総指揮:ホウ・シャオシェン
出演:リマ・ジタン、クー・ユールン、ホァン・ユエン

原題は「強尼・凱克」で英語の題は「MISSING JOHNNY」。どちらも邦題と違うのが面白い。2017年に東京フィルメックスで上映された時は「ジョニーは行方不明」という題だったらしい。原題の「強尼」はジョニー、「凱克」はインコ。

台北に暮らす男女3人の人生が交差し、次第にそれぞれの抱える過去が浮かび上がってくる。はっきりとしたストーリーがあるわけではなく、台北の街の雰囲気や空気感、地下鉄や高速道路の映像を味わう作品だと思う。

台湾にまた行ってみたくなった。

京都シネマ、107分。

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2018年03月28日

酒井充子著 『台湾人生』



副題は「かつて日本人だった人たちを訪ねて」。
2010年に文藝春秋より刊行された単行本の文庫化。

映画「台湾人生」(2009年)の監督である著者が、台湾で戦前の日本語教育を受けた方々に話を聞いたドキュメンタリー。

戦前の日本の植民地政策、戦時中の徴兵や工場への動員、そして戦後の二二八事件や台湾の民主化など、台湾の近現代史が生々しく語られている。

わたしたちは日本に捨てられた孤児みたいなもの。日本人の先生がおるし日本人の友達がおるのに、どうして日本はわたしたち孤児をかわいがってくれないの?(陳清香)
悲しかったのは、帰ってから中国(中華民国)籍に入れられて。これはもうほんとに悲しかったですよ。あのときは、泣いたですよ。日本軍人として戦った相手の敵の国の籍に入れ替えられて、なんだろうとぼくは日本政府を恨んだですよ。(蕭錦文)
思い出があるのが、「新高の 山のふもとの 民草の 茂りまさると 聞くぞうれしき」という明治天皇の歌なんだよね。「新高の山のふもとの民草」というのは、台湾中央山脈、新高山の周りに住む住民たち、とくに原住民たち。(タリグ・プジャズヤン)

言語、民族、領土、国家といった問題が様々に浮かび上がってくる一冊であった。

2018年1月20日、光文社知恵の森文庫、740円。

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2015年04月02日

映画 「KANO」

副題は「1931海の向こうの甲子園」。

監督:馬志翔
出演:永瀬正敏、大沢たかお、坂井真紀ほか

大日本帝国統治下の台湾の嘉義農林学校(嘉農)野球部の物語。近藤兵太郎監督の指導のもと、日本人、漢人、先住民族の混成チームが、1931年の全国中等学校優勝野球大会(甲子園)で準優勝するまでを描いている。

日本と台湾の関わりや歴史について考えさせられる内容であった。

180分、京都みなみ会館。

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2014年10月15日

映画「南風」

監督:萩生田宏治
出演:黒川芽以、テレサ・チー、コウ・ガ、郭智博

日本と台湾の合作。言葉の通じない日本人と台湾人が、自転車で台湾をめぐるロードムービー。台北、九分(+人偏)、基隆、淡水、日月潭など、町や観光地の風景は美しいのだが、ドラマとしては今ひとつ。恋や夢の描き方がもの足りない。

一番印象に残ったのは、龍騰断橋というレンガ製のアーチ橋の遺構。
ここは、いつか訪れてみたい。

京都シネマ、93分。

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2014年08月14日

「台湾歌壇」第21集

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台湾の陳淑媛さん(「塔」会員)から、今年7月に刊行された「台湾歌壇」第21集を送っていただいた。出詠73名、214ページの堂々たる内容である。

「台湾歌壇」の前身である「台北歌壇」は、1968年に呉建堂(孤蓬萬里)氏により創設された。その死後、2003年に「台湾歌壇」と改称して再出発し、現在は蔡焜燦氏が代表を務めている。毎月、台北と台南で歌会を開いているほか、今号には「ハワイ短歌会」との交流の様子も記されている。

油桐花の白き花咲く杣の里五月の吹雪ひらひら散りゆく
水張田の何処まで続く花東平野灌漑豊かなる我がフォルモッサ
何時の日に国とふ名のある台湾よその日の来るまで我が生きたしも
                      陳淑媛

posted by 松村正直 at 00:40| Comment(0) | 台湾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする