2019年04月28日

「塔」2019年4月号(その2)

 壁紙を紺碧色に張り替える あなたの嘘がうそでなくなる
                       増田美恵子

上句と下句に明確な因果関係はないと読んだ。壁紙を張り替えたことで気分が変わり、相手の発言に対する受け取り方が変化したのではないか。

 ちちははの諍ふこゑに覚めたりし真夜の向うに聞きし海鳴り
                       栗山洋子

子どもの頃の記憶だろう。両親の喧嘩している声が静かな夜更けの家に響き、外からは海鳴りの音が聞こえる。今も忘れられないもの悲しさである。

 水仙が今年は遅いとまづ言ひて書かれし手紙言ひ訳にほふ
                       高橋ひろ子

水仙の開花が遅いのは単なる事実であるが、そこに言い訳の話を始めようとする相手の姿勢を感じ取ったのだ。「早い」と「遅い」でニュアンスが違う。

 ピサの斜塔を軽くささえるポーズして妻になりたてのわたしが写る
                       冨田織江

ピサの斜塔での記念撮影のお決まりのポーズ。でも、それは今のことではなく新婚当時の写真の話なのだ。「妻になりたて」に歳月の経過を感じる。

 水漏れは水のせいにはあらずして徴用工の苦き汗水
                       永久保英敏

日韓両政府の争いの種になったまま一向に補償などが進まない徴用工問題。その責任は一体どこにあるのかを「水」に喩えて鋭く問い掛けている。

 コンビニより出で来し主治医目の合へばあづきアイスを袋にしまふ
                       川田果弧

店の外に出て今まさにアイスを食べ始めようとしたところだったのだろう。目が合った瞬間の主治医の気まずそうな表情がありありと浮かんでくる。

 黒板の端から端まで数式を書く生徒あり 恋をしてるな
                       鳥本純平

結句の飛躍が印象的な歌。前に出て黒板の問題を解く生徒のいきいきした様子から想像したのだろうか。直感でわかってしまう感じがうまく出ている。

 たけくらべおおつごもりににごりえをちゃんぽんで読む冬休みかな
                       松岡美佳

『たけくらべ』『おおつごもり』『にごりえ』は樋口一葉の小説のタイトル。括弧に入れなかったところが上手い。平仮名表記が効果的に用いられている。

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2019年04月27日

「塔」2019年4月号(その1)

 蟷螂の歩める形に死にて居り歩みゆきつつ死にたるならむ
                       竹之内重信

まるで生きているみたいに立ったまま死んでいるカマキリ。どこかへ行く途中だったのか。死ぬ時はこんなふうに死にたいという作者の思いも滲む。

 ムンクの『叫び』の目から鼻から泡立ちて蓮根天婦羅からりと揚がる
                       橋本恵美

輪切りの蓮根をムンクの「叫び」の顔に見立てたのが面白い。「目から鼻から泡立ちて」にユーモアと怖さがあって、まさに「叫び」という感じがする。

 日常は二択にあふれ「年賀状以外」の穴に月詠おとす
                       田村龍平

年末年始の郵便ポストは「年賀状」と「年賀状以外」に分かれていることが多い。そんな二択を積み重ねるのが生活であり人生なのかもしれない。

 ホールには地元ゆかりの画家の絵が並びいづれも知らぬ人なり
                       益田克行

市民ホールのような場所だろう。全国的によく知られた有名画家ではなく、郷土の画家の絵が飾られている。その少し寂しげな雰囲気が出ている。

 一度きりフェリーで会った仙台の夫婦からの賀状二十九枚目
                       高原さやか

旅行先で乗った船でたまたま出会って話をした相手。その時に連絡先を聞いて写真を送ったりしたのかもしれない。それから二十九年が流れたのだ。

 はげましてほしいだけなのに一緒にかなしんでしまうからな、と子は
                       中田明子

ほとんどすべて子の台詞だけで成り立っている一首。子の悩みに深く寄り添っていたら、痛烈な一言を食らわされたのだ。親としては立つ瀬がない。

ひとりっこにいちど生まれてみたかった エレベーターに運ばれている
                       紫野 春

兄弟姉妹が欲しかったという歌は時々見かけるが、これは反対。上句が印象的で、「いちど」がよく効いている。きょうだいがいる苦労もあるのだろう。

 野兎の糞の一山さらさらと砂糖のように霜が包めり
                       川口秀晴

ころころとした糞が何個かまとまって山になっている。そこに白い霜が降りてキラキラと光っている様子。「砂糖のように」に野生の美しさを感じる。


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2019年04月14日

「塔」2019年4月号

創刊65周年記念号ということで、いつもより厚めの296ページ。
と言ってもお祝いの言葉などはなし。

・座談会「百葉集を読む」 坂井修一・栗木京子・花山周子
・65周年記念評論賞
  受賞作 穂積みづほ「郷土の歌人としての木俣修」
  次席  芦田美香「鳥は森に帰る〜なみの亜子の鳥の歌〜」
・会員エッセイ
  「わたしの気になる植物」「わたしの失敗」「わたしの塔の読み方」
・塔短歌会年表(2013〜2018)
・物故歌人一覧(『塔事典』刊行後)

今回は評論賞の選考委員を務めた。
穂積さんの受賞作は滋賀県と木俣修の関わりについて丁寧に調べて論じた一篇で、選考委員4名全員が票を入れた。

こうした地道な評論がきちんと評価されるのは嬉しいことだ。

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2019年03月26日

「塔」2019年3月号(その2)


無防備に咳、伸び、くしゃみができなくなりて三十六のからだになりぬ
                         丸本ふみ

他人に対しての配慮という意味だけでなく、身体も若かった頃とは感覚が違ってきたのだ。「三十六のからだ」にその年齢ならではの実感がある。

 伊右衛門と和菓子の並ぶぬばたまの夜の会合みなさん静か
                         坂下俊郎

ペットボトルの「伊右衛門」と和菓子が一人に一セットずつ置かれている。その様子が結句「みなさん静か」とうまく呼応して、場の様子が目に浮かぶ。

 せせらぎのボタンを押せば細流(せせら)いでしまう夥しき懊悩が!
                         太代祐一

近年のトイレに付いている消音用の「せせらぎ」の音。「せせらぐ」と動詞化して使っているのがユニーク。装置の持つ欺瞞性が暴かれる感じがする。

すれちがうふとき一度だけ鳴らしあふ定期航路のあかしあ、はまなす
                         松原あけみ

船と船がすれ違う時にそれぞれ汽笛を鳴らし合うのだろう。「あかしあ」「はまなす」のひらがな表記の優しさも印象的で、船が生き物のように感じる。

 うまれたのと尋ねるわれに渡されし青き体のあたたかな肌
                         吉田 典

出産の場面を詠んだ歌。陣痛と出産の痛みに耐えるのに必死で、生まれたかどうか自分ではわからなかったのだ。「青き」が何とも言えず生々しい。

 あらひざらひ話して楽になるならば、なるならば冬の線香花火
                         永山凌平

すべて話したところで心が楽にならないことを知っているのだ。「なるならば」の繰り返しに悲しみが滲む。黙って線香花火を見つめるしかない。

 ただいまと言ひお帰りと言つてみるしづもる塵を起さぬやうに
                         足立信之

ひとり暮らしの家に帰ってきた場面と読んだ。自分で言った「ただいま」に対して自分で「お帰り」と言ってみたのだろう。下句に侘しさが感じられる。

 十余年通う歯科医に昼下り町で出会えば案外若い
                         宮脇 泉

長い間通ってよく見知ったはずの顔なのに、白衣やマスクではない私服姿だとずいぶん印象が違ったのだ。偶然の出会いの様子がよく伝わってくる。


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2019年03月25日

「塔」2019年3月号(その1)


 母ちがふ妹ふたりどちらにもわたくしがゐる違ふかたちに
                         落合けい子

二人いる妹のうち下の妹は異母妹で、同じ姉妹と言っても微妙に関係が異なるのだろう。でも、作者にとっては大事な妹であることに変わりはない。

 直線に弓を弾きつつ円やかに音を拡げるバイオリニスト
                         新川克之

弓を前後に動かすことで音が出るバイオリン。演奏者を中心に円形に音が広がっていく。「直線」と「円やか」という幾何学的な対比がおもしろい。

 「善」の字は消えて「光寺」の残りゐる蝋燭の火に線香ともす
                         干田智子

善光寺という文字が入っていた蝋燭の上部が溶けて「光寺」だけが残っている。その字を見るたびに善光寺に参った記憶が甦るのかもしれない。

 滝のごとガラスをながるる今日の雨 桜えび丼ほのほの紅し
                         東郷悦子

激しく降っている雨を眺めながら食べる桜えび丼。水のイメージと桜えびの紅さの取り合わせがいい。丼からは温かな湯気が立っている気がする。

 大量の洗濯物が帰国するごはんがまずかったと言いながら
                         荒井直子

子どもが外国旅行から帰って来たところだろう。子と言わず「洗濯物」と言ったのがいい。何日分も溜まった洗濯物をまずは洗わなくてはならない。

 階段を走っておりる若猫の背中の肉の動くを愛す
                         山名聡美

子猫でも老猫でもなく「若猫」。階段を降りる時は背中の筋肉の動きがよく見えるのだろう。座っている時とは違ってしなやかで獣らしい姿である。

 犬五匹五本のリードにつながれて肛門五つが並んで行けり
                         宗形 光

「五匹」「五本」「五つ」と数詞を並べた歌。上句はごくごく当り前なのだが、下句で「肛門」に焦点を当てたのがいい。光景がぱっと目に浮かぶ。

 順繰りに人が嫌われゆく職場 あ、そのお弁当おいしそうだね
                         田宮智美

「順繰りに」ということは、いつ自分がその標的にされるかもしれないのだ。下句のような何気ない一言にも、作者の心はぴりぴりしてしまうのだろう。


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2019年03月02日

「塔」2019年2月号(その2)

 夢をみて目覚めぬままにゆくこともあるやも知れずあるを願えり
                         西村清子

「ゆく」は「逝く」の意味。眠りながら夢を見ながら死ぬことができたら、確かに何の苦しみもなくて幸せなことだろう。でも、自分では決められない。

 〈ここまでのあらすじ〉彼は結婚し家と職場を行き来してゐた
                         益田克行

連載小説などでよく見かける「ここまでのあらすじ」という言葉を取り込んだのが面白い。三句以下はおそらく作者自身のこれまでの人生のこと。

 落ちている手袋が道に指四本広げて鳥の地上絵のよう
                         川上まなみ

結句の比喩が面白い。ナスカの地上絵という全く大きさの違うものを持ってきたことで、日常の一こまが不思議な広がりを感じさせる歌になった。

 猫が水を飲む音 深い就寝の底には青い花野があって
                         田村穂隆

ベッドで眠りながら、かすかな意識のなかで猫が器の水を飲む音を聞いているところ。三句以下、現実と夢とが交錯するような美しさを感じる。

 犯人は画家だと確信得たる時かをりを立てて紅茶が届く
                         近藤真啓

喫茶店などで推理小説を読んでいる場面。本のなかの世界に没頭していると、注文した紅茶が運ばれてきて一瞬現実の世界に引き戻されたのだ。

 あったあったと生落花生を手に入れて塩茹でにしてふるさとにいる
                         真間梅子

落花生は炒って食べるのが一般的だが、地域によっては茹でて食べるところもある。塩茹での落花生を食べると故郷に帰って来たと感じるのだ。

 前の席にすわる女の眼鏡ごし雨降る車窓の景色ながれる
                         水野直美

視点の面白い歌。バスの前の座席の人の眼鏡越しに見える風景を詠んでいる。眼鏡と窓と雨を通して見える歪んだ景色に、生々しい臨場感がある。

 秋の日差しに影しっかりと僕はある いたいと決めてここにいること
                         長谷川麟

「影しっかりと」という表現が印象的な歌。地面に映るくっきりとした影を見て、自分自身の存在や決断をあらためて再確認しているところであろう。

 ベランダで黒板消しを叩いてる君が風にも色を付けつつ
                         近江 瞬

「風にも色を付けつつ」がいい。黒板消しに付いたチョークのピンクや黄色の粉が、風に舞って流れていく様子。君に寄せる恋心も滲んでいるようだ。

 行列の人数分の弁当は社務所の方に運ばれて行く
                         宮脇 泉

神社の祭の行列に参加している人が食べるための弁当。華やかで非日常的な祭の裏で、人数分の弁当の手配という現実的なことが行われている。

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2019年02月27日

「塔」2019年2月号(その1)


 境内に並み居る菊の大輪に見入る人びと菊のかほして
                         干田智子

寺社で開かれている菊花展を見にいったところ。結句「菊のかほして」がおもしろい。人間よりも展示されている菊の方が強い個性を放っている。

 人のために費やす時間は必ずしも清らかでない時もあるから
                         片山楓子

「人のために」と言うと何か良いことのような印象を受けるが、実際には、妬んだり憎んだり怒ったり悪だくみをしたりに費やしている時間も多い。

 捕えられし仲間を見守る十あまり浅瀬に集いて動くともなし
                         福政ますみ

前の歌を読むと、青鷺に鴨が捕まった場面とわかる。他の鴨たちは捕まった一羽を助けようとはしない。自然界の動物たちのありのままの姿である。

 ハローキティみたいにずっと口もとを隠したままで生きていきたい
                         上澄 眠

話をする時や食事をする時など、口もとを見られるのは緊張することかもしれない。何しろ身体の内側がむき出しになって見えてしまうのだから。

 配管の曲がるところに満月のひかりは溜まる 溜まれどこぼれず
                         金田光世

建物の外側に付いている配管の曲線部分が月の光を受けて光っている。「ひかりは溜まる」と表現したのがいい。光が液体のように感じられる。

 長傘はたたまれてみな下を向くそれぞれ兵のごとく疲れて
                         宮地しもん

下句の比喩が印象的だ。ずぶ濡れになった兵士たちが俯いて束の間の休息を取っている姿が目に浮かぶ。緑や紺や黒っぽい傘が多いのだろう。

 秋雨の午前一時に打ち終えた引継資料に印強く押す
                         佐藤涼子

夜遅くまで残業をして、あるいは家に仕事を持ち帰ってという場面。結句「印強く押す」がいい。ようやく資料が完成した疲労感と充実感がにじむ。

 時計屋に時計いくつも売られつつ時間は売られていない真昼間
                         鈴木晴香

発想のおもしろさに惹かれた歌。確かに「時計」は売っていても「時間」が売られているわけではない。それでも時計が並ぶ光景には何となく夢がある。

 新しいバイト入りて今までのバイトは電話をとらなくなりぬ
                         和田かな子

職場では電話の応対をまず教わることが多い。自然と一番新しい人が電話を取ることが多くなる。「今までのバイト」の子は一つ序列が上がったのだ。

 コンバインくるりくるりと滑り行く列なす稲穂を吸い込みながら
                         川述陽子

コンバインによる稲の収穫風景。刈り取り・脱穀・選別を一度にやってしまう優れもの。「滑り」「吸い込み」に機械のスムーズな動きが感じられる。

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2019年02月06日

「塔」2019年1月号(その2)

 東平(とうなる)のナルはひらたき土地の意と思へば哀しひとの
 想ひは                    有櫛由之

東平は別子銅山の採鉱本部などが置かれていた場所。標高750メートルの山間のわずかに開けた土地に、かつては多くの人々が暮らしていた。

 ナイターのかたちにひかりは浮かびいて広島球場車窓をよぎる
                         黒木浩子

山陽本線のすぐ傍にあるマツダスタジアム。電車の窓からナイターに賑わう球場の様子や照明のあかりが見える。上句の丁寧な描写に工夫がある。

 十月に六週あれば散る萩をなびく芒を見に行けるのに
                         山下好美

あちこち出掛けたい場所はあるのに、なかなか全部は行くことができない。「六週あれば」という意表を突いた発想に、残念な気分が強く滲んでいる。

 突然の死とは即ち欠員で仕事の穴は埋めねばならない
                         佐藤涼子

職場の同僚が若くして亡くなった一連の歌。悲しみに浸る間もなく、その人の欠けた分の仕事を誰かが補う必要がある。現実の厳しさが伝わる。

 飛行機はこれでは墜ちる飛の文字の筆順友は幾度も教う
                         相本絢子

「飛」の字のバランスがうまく取れず歪んでいるのだろう。「飛行機はこれでは墜ちる」という言葉がユニークだ。友の熱心な指導の様子が見えてくる。

 ルービックキューブ一面揃え去るドンキホーテの深夜は続く
                         拝田啓佑

六面揃えるのは大変だが一面だけなら誰でもできる。ほんの手すさびにやってみた感じだろう。夜中の店をさまよう作者のあてどなさも感じられる。

 眠りつつ片笑みもらすみどりごは生まれる前の野原にいるか
                         宮脇 泉

下句がおもしろい。一般的には「何の夢を見ているのか」とでもなるところ。まだ生まれたばかりなので、すぐに生前の世界の記憶に戻れるのだ。

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2019年02月05日

「塔」2019年1月号(その1)

その歌を知れども椰子の実は知らずわずかな世界を見て老いゆくか
                         小石 薫

島崎藤村の詩に曲をつけた「椰子の実」は何度も歌ったことがあるのに、実物は見たことがないのだ。下句に何とも言えない寂しさが滲んでいる。

 亡きひとは亡きこと知らずに集いたる写真のなかに夏巡るたび
                         沢田麻佐子

かつて撮った集合写真に写る故人を偲んでいるのだろう。自分が死んだことに気づいていないかのように、写真の中で楽しそうにしているのだ。

 癌を抱き生き長らえて庭石の濡るるを見おり眼鏡を置きて
                         竹之内重信

病を抱える身体で縁側に出て、久しぶりに自宅の庭を眺めているのか。結句「眼鏡を置きて」がいい。濡れた庭石がいつもより鮮やかに目に映る。

 慣れるとは嬉しきことで検尿の尿もすぐ出る きれいな尿だ
                         山下昭榮

病院に通う機会が増え、最初の頃はなかなか思い通りに出なかった尿がスムーズに出せるようになってきたのだ。一字空けの後の結句が印象的。

 床の上に触れさうで触れぬカーテンの襞がま直ぐに濃くなる夕べ
                         石原安藝子

「触れさうで触れぬ」ところに味わいがある。触れていたら歌にならないところ。外が暗くなるにつれて、カーテンの襞の部分が翳りを帯びてくる。

 「denisten-official」のまだ生きていて開けばデニスのまだ生きて
 いて                      小川和恵

デニス・テンは昨年亡くなったカザフスタンのフィギュアスケート選手。最初の「生きていて」は、公式サイトが閉じられてないことを指している。

 電話ボックスに睦み合ひゐる二人あり髪の短き方と目が合ふ
                         川田果孤

電話ボックスという密室で抱き合うふたり。「髪の短き方」という性別を明示しない言い方がおもしろい。目と目が合って何となく気まずい感じだろう。

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2018年12月28日

「塔」2018年12月号(その3)

 人はみな腹に穴あるものと知りわが臍を子がしきりと探る
                          益田克行

「腹に穴がある」がいい。大人が当り前に思ってしまうことに対しても、幼い子は強い関心を示す。父親の臍を見つめては何度も触ってくるのだろう。

 突然の雨ビニール傘に子を入れて自分も入れてかばんはみ出る
                          春澄ちえ

雨が降り始めたことによって「子」「自分」「かばん」という優先順位が図らずも露わになったのだ。鞄が濡れてしまうのは仕方がないという思いである。

 ひいやりと銅山坑道そこここに今は人形たちが働く
                          古栗絹江

観光用に公開されている坑道。昔の作業の様子がわかるように人形が置かれている。結句「働く」と擬人化したことで奇妙な味わいが生まれた。

 吾の名を決めてくれしとふ上の姉四十歳(しじふ)で逝きて写真に
 笑まふ                    竹尾由美子

だいぶ年齢の離れた姉だったのだ。自分が子どもの頃には既に大人だった感じである。そんな姉が今では自分より若い姿で写真に微笑んでいる。

 泥酔しひらく真昼の冷蔵庫なにかをつかめば卵であった
                          田獄舎

夜遅くまで飲んでいたのだろう。目を覚まして喉が渇いたか空腹を覚えたか、朦朧とした意識のままに冷蔵庫を開ける。卵は割れてしまったかも。

 ペン立てにペンを立てればペン立ては満足そうにペンを立たせる
                          真栄城玄太

言葉遊びのような楽しい歌。ペン立てはペンが入っていないとただの容器だが、ペンが入っていると「ペンを立てる」という機能を果たせるのである。

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2018年12月27日

「塔」2018年12月号(その2)

 順ぐりに高足蟹は足あげて踏みはづし行けり底のひらめを
                          篠野 京

タカアシガニの折り畳まれた脚の長さやゆっくりした動きが見えてくる歌。一歩一歩、足元にいるヒラメを踏まないように歩くなど、意外に繊細なのだ。

 思い出しながら頭の中に書く崖という字が景色に変わる
                          高松紗都子

下句の表現がいい。「ガケってどう書くんだったかな?」と思いながら一画一画書いていき、「崖」という字になった瞬間、崖の景色が思い浮かぶ。

 声かけつつ互みに照らし合ふみちに安堵を分かつ知らぬ顔とも
                          栗山洋子

作者は北海道の方。9月の北海道地震は夜中3時過ぎに起きた。「互みに照らし合ふ」がいい。懐中電灯を持って外に出て互いの生存を確かめ合う。

 揉上げは普通でよいかと聞かれたりまこと普通は便利なことば
                          宗形 光

理髪店でもみあげについて尋ねられる場面。長さや切り方など実際には多くのパターンがあるのだろう。でも、大体は「はい」と答えてお任せになる。

 このお花おいしさうねと母が言ふ食べることはや絶えてしまひしに
                          祐徳美惠子

もう食欲もないほどに衰えた母が、飾られた花を見て「おいしさうね」と呟く。その言葉に軽い驚きを覚えつつも、命の不思議な息づきを感じたのだろう。

 夏が夏に疲れるような夏だった橋の向こうに日没を見る
                          魚谷真梨子

猛暑続きだった夏がようやく終わろうとするところ。橋の向こうに沈む夕日が季節の終わりを告げるとともに、虚脱感のような身体感覚を伝えている。


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2018年12月26日

「塔」2018年12月号(その1)

 土石流に流されし木のずるむけの赤きしめりに夏の日射せり
                          上條節子

作者は広島の方。豪雨の被害に遭った場所に、表皮の剝がれた木が横たわって残っているのだろう。「ずるむけ」という言葉が何とも生々しい。

 パソコンのハードディスクに積ん読の電子書籍がたまりてゆけり
                          岡本幸緒

「積ん読」は読んでいない本が積まれている状態のこと。電子書籍はデータなので積まれることはないのだが、それを「積ん読」と言ったのが面白い。

 ちひろの切手にハガキ届きぬをみなごの顔に二本の風あと付けて
                          伊東 文

「二本の風あと」は消印の波線のことだろう。まるで風に吹かれているかのような表現が巧みだ。いわさきちひろの絵の少女が生き生きと見えてくる。

 旅の話をするのは一度っきりでいい 寧ろ、旅とはあなたのことだ
                          白水ま衣

一緒に行ったのではない旅の話を相手がするのだろう。三句で切って「寧ろ、」でつないだ文体が特徴的。あなた自身の話を聴きたいという思いか。

 自転車に登り来て青年自販機の飲料を買う「峠茶屋」の跡
                          小島美智子

かつて茶屋があった所に今は自動販売機が立っている。時代は変っても地形は昔のままだから、自転車や徒歩の人はそのあたりで喉が渇くのだ。

 薬局の壁紙しろく避妊具のとなりに売られている離乳食
                          吉田 典

「避妊具」と「離乳食」の取り合わせが印象的。子ども産まないためのものと生まれた子どものためのもの。正反対と言ってもいいものが隣り合う。


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2018年11月27日

「塔」2018年11月号(その2)

 水平に、また垂直に伸びていく都市だ 五階の窓をひらけば
                        紫野 春

高い建物の窓から眺めると、街が平面的に広がるだけでなく、立体的に伸びていることに気が付く。「水平に、また垂直に」という始まり方がいい。

 年寄りはみな赤ん坊に触れたがり雨の街ゆくバス華やげり
                        王生令子

赤ちゃんが一人いることで、周りが賑やかになる感じがよく伝わってくる。赤ちゃんに触れると、何かエネルギーをもらって若返ったような気分になる。

 常夜灯ついてるほうがなんとなく心細くて暗闇にする
                        小松 岬

蛍光灯のナツメ球のこと。一般的には真っ暗だと不安なので常夜灯を点けておく。でも、言われてみれば確かに、ほのかな光なのでかえって心細い。

 二刀流宮本武蔵はすぐ倒(こ)ける父が作りし小っちゃい人形
                        松下英秋

情景がありありと目に浮かぶ歌。刀を二本持っているのでバランスが悪く、すぐに前に倒れてしまうのだ。何とも弱そうな宮本武蔵なのがおかしい。

 機械油に汚れし階段のぼりゆく産前休業まであと七週
                        吉田 典

工場などの職場で働いている作者。妊娠中なので階段をのぼるのも大変である。「あと七週」と自身に言い聞かせながら一日一日働いているのだ。

 浄水場のみづは水路を走りをりしんそこほそいクロイトトンボ
                        松原あけみ

水路の上をクロイトトンボが飛んでいるところ。「しんそこほそい」のひらがな表記が効果的。トンボの身体の細さだけでなく水の流れもイメージされる。

 落石に押し潰された看板の「落石注意」はだいぶ正しい
                        平出 奔

交通標識の破損をユーモアを交えて詠んでいる。まさに注意喚起していた通りに落石があったわけだから、標識としてはある意味本望かもしれない。


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2018年11月26日

「塔」2018年11月号(その1)

 たまたまに外出どきの蚊のひとつ肩にとまりてわが家にはひる
                        大橋智恵子

蚊のことが別に嫌いなわけではないようで、冷静に観察している。洋服の肩に止まったまま家に入って来てしまった蚊を心配しているようでもある。

 巡回の鳩のうしろをしずしずと立ちゆく朝のちいさき草は
                        なみの亜子

鳩が踏みつけた後で草がまた起き上がる様子。「巡回」とあるので、鳩はそのあたりを何度もぐるぐる歩いているのだ。鳩と草と作者の朝のひととき。

 子供らがよくしてくれてと人に言ひ母は私をつなぎとめたい
                        久岡貴子

上句だけ読むとほのぼのした家族の話かと思うのだが、下句でドキッとさせられる。母と娘の間の心理的な駆け引きが一首に深い陰翳を与えている。

 へろへろと去年の糸瓜が芽を出すから男なんてと思つてしまふ
                        大島りえ子

前年に育てた糸瓜のこぼれ種が芽を出したのか。糸瓜の芽から下句の「男なんて」に飛躍したところが面白い。何か不満に思うことがあったのだろう。

 三人産むはずだったのと今日も言う母の穴すべて今塞ぎたし
                        朝井さとる

実際は一人か二人しか産まなかった母。娘である作者にしてみれば、「私では不満なの」と言いたくなる。下句は介護の場面か。何とも強烈な表現。

 捻子一つ夫の手にありパソコンの椅子の組み立て終わりしあとを
                        数又みはる

ユーモアのある歌。どこかの捻子を一つ付け忘れたのだ。でも組み立てには順序があるから、もう一度バラバラにしない限り締めることができない。

 ふた回り小さきバスが巡行す若きみどりのペイント塗られ
                        岡山あずみ

近年あちこちでよく見かけるコミュニティバスだろう。通常の路線バスより小さな車体のものが多い。そして、過剰なまでの明るさが演出されている。


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2018年11月01日

「塔」2018年10月号(その2)


 かなへびを咥えて来たる飼い猫を足で叱りて歯を磨きおり
                      永久保英敏

「足で叱りて」が面白い。洗面所で歯を磨いている作者のもとに、猫が獲物を見せに来たのだ。手が塞がって動けないので、足でさっと払いのける。

 とろみある空気の中を跳ねるよう線路の上に赤とんぼ飛ぶ
                      中西寒天

「とろみある」という形容がいい。いかにも秋の空気という感じがする。そのとろみの中をゆっくりと飛ぶ赤とんぼ。懐かしさと心地よさが伝わってくる。

 リコーダーを復習ふ子けふは二音のみシソシソシソシソ七夕近し
                      西山千鶴子

小学生が家でリコーダーを吹いているのが聴こえる。苦手な音のところだけ繰り返し練習しているのだろう。結句「七夕近し」が季節を感じさせて良い。

 コロッケを揺らして帰る道端に朝顔の芽の双葉のみどり
                      吉原 真

肉屋か総菜屋でコロッケを買って帰るところ。何でもない日常の一こまだが、「コロッケを揺らし」「双葉のみどり」に幸せな気分がうまく出ている。

 七夕も雨 締まりをらむ玄関の鍵をまはせば鍵の締まりぬ
                      篠野 京

家の鍵を開けようとしたら、既に開いていて、反対に閉めてしまったのだ。「七夕も雨」という初句も含めて、ちぐはぐでうまく行かない感じが滲む。

 こはいから殺したいのと女生徒が蜘蛛を追ひつむ箒を持ちて
                      森永絹子

「こはいから殺したいの」という台詞はよく考えるとけっこう怖い。蜘蛛が現実に何をするわけでもないのだが。人間の心理を鋭く突いている歌だ。

 轢かれたる蝉はかたちを失くしたりただ色だけを路上にのこし
                      吉田京子

蝉の色だけが模様のようにアスファルトに残っていたのだ。描写が的確で映像が目に浮かぶ。死んで地面に落ちた蝉のこの世での最後の姿。

 帆船のごとく背中を膨らませ夏服の子ら湖へと下る
                      丸本ふみ

湖へ向かって子どもたちが坂道を駆けていくのだろう。白いシャツの背中が風に大きく膨らむ。季節も天気も未来も、すべてが明るさに溢れている。

 騙し絵の鳥に見られるあなたとの朝の食卓、夜の食卓
                      岡田ゆり

ダイニングの壁に飾られている一枚の絵。下句「朝の食卓、夜の食卓」がいい。現実と絵の世界が入れ替わってしまうような不思議な感じがある。

 「つぎのかげまで競争だ」子供って暑いことさえ遊びにできる
                      松岡明香

強い日差しが照り付ける夏の日。大人は無駄な体力を使わないようにひっそりと歩くが、子どもたちは日陰から日陰へと走って行く。汗をかきながら。

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2018年10月31日

「塔」2018年10月号(その1)

今月は西日本豪雨や台風に関する歌が多かった。

 瀬野川に石の粗きが残されてしろき尖りを鵜のつかみおり
                      上條節子

豪雨の後の変化してしまった川の風景。「石の粗きが」や「しろき尖りを」といったあたりの観察と描写が行き届いていて、場面がくっきりと見えてくる。

 「そんなこと言はれなくてもわかつてる」言はずに私は私を閉ぢる
                      久岡貴子

母の介護をする作者の歌。自分でもわかっていることを誰かに言われてしまうことに対する苛立ち。でも、言葉にはせず自分だけの殻に閉じこもる。

 年きけば双子の姉が答へたりエンドウマメの花の咲くみち
                      清水良郎

双子なので当然二人とも同じ年齢だから、どちらか一人が答えればいい。おそらく、いつも「姉」が答えているのだろう。下句の光景ものどかで良い。

 弓なりの駅のホームにゆつくりと電車止まりぬ傾きしまま
                      永山凌平

電車が駅に停車する様子をゆっくりとスローモーションで映したような一首。カーブの内側に傾いた形で止まる車両。ホームとの間に隙間がある。

 葡萄色ってつまりは葡萄の皮の色 然れどお辞儀は丁寧にする
                      白水ま衣

確かに言われてみれば「葡萄色」は葡萄の中身ではなく皮の色である。下句の取り合わせは唐突な気もするが、どちらも表面的というつながりか。

 東畑・呉越え・中畑・原・郷と土地の記憶を雨は流れる
                      中野敦子

豪雨の被害を伝えるニュースに報じられる地名なのだろう。地名は土地の歴史や文化、そこに住む人々の暮らしといったものと深く結び付いている。

 真夜中の牛乳一杯グラスよりましろきすぢがのみど下りゆく
                      水越和恵

レントゲンを撮ったみたいに、自分の喉を流れる牛乳をイメージしている。夜の部屋で飲んでいるからこそ、牛乳の白さが際立って感じられるのだ。

 花柄の紙の手提げに道東の土産の氷下魚(こまい)2ダースもらふ
                      川田果弧

「花柄の紙の手提げ」と「氷下魚」のアンバランスな感じが面白い。「匹」ではなく「ダース」という単位で呼ばれているところに、魚の特徴が出ている。

 ひらがなで自分の名前は書ける児のひらがな読めず名はひと続き
 の字                  三木節子

一文字一文字のひらがなを認識しているのではなく、一つらなりの線として自分の名前を認識している。ある一時期だけの子の姿を掬い取った歌。

 扇風機みぎにひだりに首ふれば遅れてうごく猫の黒目よ
                      大森千里

扇風機が首を振るのが気になるのだろう。じっと座りながらも目だけでその動きを追っている。扇風機と猫と作者がいる部屋の様子が目に浮かぶ。

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2018年10月17日

「塔」十代・二十代歌人特集


「塔」10月号は2年に1回の「十代・二十代歌人特集」。
今年の参加者は45名と大盛況だった。

 笹嶋侑斗・北野中子・うにがわえりも・希屋の浦・多田なの・
 田村穂隆・塩原礼・頬骨・逢坂みずき・佐原八重・宮本背水・
 濱本美由紀・紫野春・帷子つらね・中山靖子・長月優・宗形瞳・
 加瀬はる・はなきりんかげろう・永山凌平・瀧川和麿・高田獄舎・
 太代祐一・魚谷真梨子・はたえり・川又郁人・阿波野巧也・
 川上まなみ・北虎叡人・森永理恵・安田茜・西川すみれ・永田櫂・
 卓紀・永田玲・廣野翔一・とわさき芽ぐみ・長谷川麟・横田竜巳・
 椛沢知世・吉田恭大・拝田啓佑・近江瞬・白水裕子・大森静佳

作品もエッセイも写真も、それぞれの個性が出ていて面白い。

ジュンク堂池袋本店(東京)、 ちくさ正文館本店(名古屋)、三月書房(京都)、葉ね文庫(大阪)で、一般向けにも販売しております(1000円)。

また、「塔」のHPでも購入を受け付けております。
http://toutankakai.com/contact/

ちなみに、特集だけでなく月例作品も出しているのは45名のうち31名。
毎月の詠草の方も欠かさずに出してほしいと思う。


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2018年09月29日

「塔」2018年9月号(その2)

 わたしより大きな箸を持つ夫の甲に浮かんだ青き静脈
                       大森千里

夫婦二人の食事風景。夫の手の甲に浮き出た血管を見て、年齢を感じているのだ。普段はあまり意識しないところに気付いた感じがうまく出ている。

 手を離す 果たせなかつた約束のやうに流れてゆく笹の舟
                       千葉優作

何かを失ってしまう感覚を川を流れる笹舟のイメージで詠んでいる。初句「離す」から二句「果たせなかった」へ「は」の音でつなぐ呼吸がいい。

 いわし煮る妻の無言が気にかかる青山椒が家じゅう匂う
                       中山大三

別に機嫌が悪いわけではないのだろうが、ずっと無言でいられると気になものだ。青山椒の匂いが妻の発する雰囲気を伝えているようで面白い。

 事務椅子がカモメに似たる声で鳴き午後のスタッフルームは渚
                       益田克行

椅子の軋む音をカモメの鳴き声に喩えている。昼食後の少しのんびりとしたオフィスの風景。「カモメ」から「渚」へと展開したことで広がりが出た。

 台北のメトロに「博愛席」ありてあつさり譲られ腰をおろしぬ
                       水越和恵

日本で言うシルバーシートのこと。国内では席を譲られることに対してためらいや抵抗感があるけれど、外国旅行の場ではむしろ平気だったのだ。

 脳内で文字化けしてる感情の 脱ぎ捨てられた黒い靴下
                       田村穂隆

「文字化けしてる感情」がいい。自分でもはっきりとはわからない、名付けようのない感情。下句の靴下がその感情のかたまりのように感じられる。

 防波堤を地元の猫のしなやかに尾の先見えて海側へ消ゆ
                       森川たみ子

よく見かける猫なのだろう。「地元の猫」という言い方が印象的。しっぽを上げて慣れた足取りで防波堤を歩き、海の方へすとんと降りて行ったのだ。


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2018年09月28日

「塔」2018年9月号(その1)

 悪臭と広辞苑に記さるるどくだみがわれは好きなり硝子器に挿す
                       竹田千寿

『広辞苑』を引くと確かに「葉は心臓形で悪臭をもつ」と記載されている。でも、どくだみ茶もあるくらいだから、好きな人もけっこういるように思う。

 カーテンを洗つたことは気づかれずひとり吹かれるすずしき風に
                       干田智子

カーテンを丸洗いするのは大変な作業だけれど、家族は誰も気付いてくれない。でも、きれいなカーテンに吹く風の心地よさに報われた気分になる。

 分かりやすい言葉で書けとわれに言う声は蛍光ペンの明るさ
                       白水ま衣

文章にしろ短歌にしろ、分かりやすさだけを求めると底が浅くなってしまう。蛍光ペンのような翳りのない明るさを求める風潮に対する異議申し立て。

 「着衣のマハ」「裸のマハ」を観てきたる眼は見てをり鮎の火かげん
                       渡辺美穂子

昼間はゴヤの展覧会を見てきて、夕食の支度をしているところ。取り合わせが面白い。鮎を焼く火を見ながら絵のことを思い出しているのだろう。

 こころには琴線という線のあり他者だけがふれくる前触れもなく
                       中田明子

確かに「琴線」は自分で触れることはできない。何かを見たり誰かの話を聴いたりして感じるもの。四句の字余りと「ふれ」「触れ」の重なりが効果的。

 切られし首つながれ苔の生えてをり廃仏毀釈の名残りといひて
                       田口朝子

明治期の廃仏毀釈では多数の寺や仏像が壊されるなどの被害にあった。切られた痕を癒やすかのように苔の生えた石仏に、歴史を感じている。

 なわばりを決めているのか一枚の田に一羽ずつ白鷺が立つ
                       森 祐子

場面がよく見えてくる歌。四角い田の一枚一枚にぽつんぽつんと立っている白鷺。特に縄張りがあるわけではないのだろうが、距離感が面白い。

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2018年09月13日

「塔」2018年9月号


今年2月2日に亡くなった澤辺元一さんの追悼特集を組んだ。

澤辺さんは有名な歌人ではないので、他の結社の方や最近「塔」に入った方は知らないだろう。高安国世の片腕として「塔」の草創期から活躍された方で、高安の死後、長く選者も務められた。

澤辺さんには随分と可愛がってもらったし、本当に懐かしい気がする。
自分なりの恩返しの気持ちも込めて、全48ページの編集をした。

こうした追悼の特集というのは、結社誌ならではのものだと思う。
総合誌には有名な歌人の追悼しか載らないし、同人誌でもあまり見ない。

結社とは何かという話がしばしば議論になるが、こうした追悼特集を組むところに、私は結社の特徴が滲んでいるように感じる。それは、システムや合理性という観点だけからは摑めない結社の本質であろう。

ご冥福をお祈りします。


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2018年08月28日

「塔」2018年8月号(その2)

 無理やりに郵便受けに挿してありきつちり四日分の新聞
                      永山凌平

旅行などで四日間家を留守にしていたのだ。「無理やり」と「きつちり」という矛盾するような二つの言葉から新聞配達人の律義さが伝わってくる。

 春先にたんぽぽたんぽぽ白き絮いつか私のいない春くる
                      岩尾美加子

子どもの頃から見慣れたたんぽぽの絮毛を見て、ふと「私のいない」死後の世界を想像する。当り前のような風景も、少し違って見えたことだろう。

 「みいちゃん」と不意に呼ばれて振り返る この地で吾はみいちゃん
 だった                  佐々木美由喜

ふるさとに帰省した時の歌。今の生活の場においては作者を「みいちゃん」と呼ぶ人はいないのだろう。一瞬にして何十年も昔の子どもの頃に帰る。

 スニーカーで成人式に出た君を妻の前ではいちおう叱る
                      垣野俊一郎

「君」は息子なのだろう。怒っている妻の手前、ちゃんと革靴を履いていかなくてはと叱ってみせるのだが、心の中では別に構わないと思っている。

 パンの上に黄身ふるふると艶めくを齧り頬張り朝をさきはふ
                      栗山洋子

目玉焼きを載せたパンを食べているだけの歌なのだが、幸福感に満ちている。「ふるふると艶めく」に鮮やかな色の黄身が揺れる様子が彷彿とする。

 寝ていても眠れぬ気持ち起きていても眠たい気持ち乳児とおれば
                      矢澤麻子

乳児を育てる母親の一日が生々しく伝わってくる。ゆっくりと落ち着いて眠ることができず、常に寝不足のぼんやりとした頭で過ごしているのだ。

 押し出さるる魚卵のごとき人群れの生きいきと見ゆ改札口に
                      岡部かずみ

初・二句の比喩が印象的。通勤・通学の時間帯時だろう。大きな駅の改札口から次々と出てくる人々。「生きいきと」と肯定的に捉えたのがいい。

 近隣のMIZUHOの場所を尋ねれば息子はさらにSiriに訊きたり
                      鈴木健示

Siriはアイフォーンなどに搭載されている音声アシスタント機能。みずほ銀行の場所を知らなかった息子は、伝言ゲームのようにSiriに訊いたのだ。

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2018年08月27日

「塔」2018年8月号(その1)

 湖向ける椅子にしばらくまどろめり覚めたる後もまどろむ如し
                      岩切久美子

滋賀県に住む作者なので「湖」は琵琶湖のことだろう。目覚めた眼に映るのは一面の湖。その夢とも現ともつかない感じが下句にうまく出ている。

だれからの土産だったか分からないペーパーナイフの切れ味にぶる
                      岡本幸緒

土産にもらったということだけ覚えているのである。切れ味が良かった時は何も考えずに使っていたのが、切れ味が鈍って初めて来歴を考えたのだ。

 もしわたしが石になったら触れられてもわたしは石にならなくて済む
                      白水ま衣

他人に触れられると無意識に身体が竦んでしまうのだろう。恋人との関係を詠んだ歌だと思うが、「石になったら」という想像が何ともせつない。

 降ろされて夜に並べる鯉のぼりまなこ開きしままに眠れり
                      炭 陽子

空から降ろされて地面や床に置かれている鯉のぼり。閉じることのできない丸々とした眼を見開いたまま、動くことなく静かに横たわっている。

 三つ編みに髪を結われている二分小さき娘の眼はよく動く
                      杜野 泉

おそらく母親に髪を結われている娘の姿を前から見ているのだろう。二分という短い時間ではあるが、身体を動かせない分、眼があちこち動く。

 幾度も同じ絵本を読めと言ひ違ふ箇所にて子が笑ふなり
                      益田克行

お気に入りの絵本の読み聞かせをしている場面。毎回同じ個所で笑うならよくわかるが、「違ふ箇所」で笑うのが幼い子ならではの不思議なところ。

 浜辺には息絶え絶えの鯨おり我が身の重さはじめて知って
                      王生令子

時々、浜辺に打ちあげられてしまった鯨がニュースになることがある。陸上にあがって浮力を失った身体は、もう自力で海に戻ることもできない。

 いちばんいちばん同じこと言ふ力士たち一番一番鬢ととのへて
                      松原あけみ

力士のインタビューを聞いていると、「一番一番がんばります」といった答が返って来ることが多い。一日一番の積み重ねで十五日間を送るのだ。

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2018年07月29日

「塔」2018年7月号(その2)

 足場屋さん塗装屋さんに屋根屋さん床下さん来てわが家にぎはふ
                        吉田京子

家の改築などをしているところだろう。「○○屋さん」という言い方が、作業現場の感じをうまく出している。「床下さん」というのは何をする人かな。

 日傘さす婦人を先に通したり誰もいなくなりアクセルを踏む
                        矢澤麻子

道路を渡ろうとしている人がいて、車を止めて譲ったところ。その後のすっきりしたような開放感が下句に出ている。真っ直ぐな道が続くのだろう。

 みどりいろの固き契りを裂くように二つに分ける蚊取り線香
                        和田かな子

二本の蚊取り線香が互い違いに組み合わされて円盤状になっている。それを一本ずつに分ける時のすんなりと行かない感じをうまく表している。

 リハビリに通ひ来し人九十五で焼死したりと娘が嘆く
                        西山千鶴子

娘さんはリハビリ施設で働いているのだ。せっかくリハビリを頑張っていたのにという無念の思い。身体は不自由で逃げ遅れたのかもしれない。

 始まりと終わりが混ざった朝五時の電車に始まるほうとして乗る
                        紫野 春

始発に近い電車には早朝から仕事に出掛ける人もいれば、徹夜明けで家に帰る途中の人もいる。七時くらいになると通勤・通学の人ばかりになる。

 対岸に手を振る子ども池の辺はめぐりてかならず出会えるところ
                        森川たみ子

池に沿って二人で反対側に歩いて行っても、必ずどこかでまた会える。でも、今は無邪気に手を振っている子ともやがては別れの日が来るのだ。

 表札がはつきり読めるわが家のストリートビューに真夏の日差し
                        山縣みさを

自宅の画像がネットで見られることに危惧を覚えるのだろう。まるでリアルタイムで映っているみたいだが、実際には真夏に撮影されたものである。

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2018年07月28日

「塔」2018年7月号(その1)

 じゃあこれで失礼しますとにこやかにこの世去りたし桜咲く日に
                        岩切久美子

普段通りの感じであっさり死ぬことができれば良いのだが、それが非常に難しいことは作者自身もよくわかっている。結句、西行の歌を思い出す。

 義貞が幕府破りし戦場(いくさば)の分倍河原(ぶばいがはら)に
 妻と落ち合ふ               小林信也

京王線と南武線の駅がある分倍河原。「ばくふ」「やぶり」「いくさば」「ぶばいがはら」と続くB音が効果的で、上句と結句の落差がおもしろい。

 をみなごの家に帰れぬ大勢のひひな並ぶを遠く見て過ぐ
                        干田智子

女の子が大きくなって不要になった雛人形が集められているのだろう。「をみなごの家に帰れぬ」が哀切で、人形にも命があることを感じさせる。

 友からのメール開ければ本人の訃報届きぬ嘘のようなり
                        吉田淳美

関わりのあった人たちに、故人のアドレスから遺族が送ったメールだったのだ。「本人の訃報」という本来はあり得ない状況が何とも現代的である。

 逢ひたいと思ふほどではないけれどセロリのやうな雨が降つてる
                        佐近田榮懿子

「セロリのやうな雨」という比喩がいい。セロリの細い筋や食べる時の音などをイメージした。雨を見ながらぼんやりと思い出す人がいるのである。

 「ええ鮎が入つたさかい」と早口の女将は「ほなら」と電話切りたり
                        清水良郎

馴染みの店の女将からの誘いの電話。真っ直ぐでテンポの良い関西弁が女将の人柄をよく表している。すぐにでも店へ寄りたくなったのではないか。

 洲の草を喰みゐし春のヌートリアするすると尾ものこさず川へ
                        篠野 京

近年、川でよく見かけるようになったヌートリア。体長40〜60センチとけっこう大きい。「尾も残さず」が良く、水に入る滑らかな動きが見えてくる。

 四十歳(よんじゅう)を過ぎたあたりで未来から過去へと時間の
 流れがかわる               竹田伊波礼

人生の半分を過ぎた頃から、残り時間を意識するようになるのだろう。それを「未来から過去へ」という言い方で表したところに実感がこもっている。

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2018年07月22日

第8回塔短歌会賞・塔新人賞


「塔」7月号で、第8回塔短歌会賞・塔新人賞が発表になった。

塔新人賞は、近藤真啓「『Lao-tse』を読む」。

 レガッタのオールが揃ひて水を掻く春よ春よと誘ふやうに
 雄・雌を0号絵筆で選り分けるサマータイムの始まる朝に
 「maybeが好きね」と言はれ「maybe」と答ふ フランチェスカの
 栗色の髪

ボストンに留学して研究する日々を詠んだ一連。

1首目、下句の比喩が伸びやかで気持ちいい。
2首目、実験用の蠅を細い筆を使って分けているところ。
3首目、日本人らしさが滲み出ている。

塔短歌会賞は、白水ま衣「灰色の花」。

 行きましょう。と即答できず逸らしたる目線の先に鴎、降り立つ
 抽象でも具象でもありうるのだとスタールが描くパン、その光
 回想をするとき眼鏡をかける人、はずす人、目を閉じる人あり

画家二コラ・ド・スタールの絵を題材に、自らの感情や思考を描いた一連。

1首目、相手の誘いにすぐにOKできず迷う心。
2首目、抽象と具象は必ずしも正反対の概念ではないのだ。
3首目、どの方法が一番よく記憶が見えるのだろうか。

「塔」7月号は、受賞作、次席、候補作、受賞のことば、選考座談会など、実に全55ページという分量を「第8回塔短歌会賞・塔新人賞」に割いている。ぜひ、じっくりと読んで欲しい。


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2018年07月02日

「塔」2018年6月号(その2)

 おかあさん ぼくは ひとりだ 発作の夜背をなでいれば二歳は
 言いぬ          丸本ふみ

何度か発作を繰り返すうちに、自分の身体が苦しくても他の人は苦しくないという事実に気付いたのだ。ひらがなの一字空けが息苦しさを伝える。

 ハム、チーズ、疲労、レタスを重ねたるサンドイッチをもそもそと食む
               益田克行

「ハム、チーズ、レタス」だけならごく普通なのだが、そこに「疲労」が挟まっているのが面白い。疲労が何重にも蓄積しているような印象を受ける。

 選択はしているようでさせられる「えだ」は結局一本なのだ
              みずおち豊

自分の意志で選択しているようでいて実はそうではないことが多いという発見。何本も分かれている枝も、結局はそのうちの一つしか選べはしない。

 入口も出口も同じほうにあり春のこの世にバスは傾く
              川上まなみ

バスの扉は進行方向に向かって左側の側面にある。停留所で乗客が乗り降りすると、車体が左側に傾くのだ。「この世に」の一語で奥行きが出た。

 亡きひとに来られなくなったひともいる昔の写真に記す名前を
              森 祐子

何かの会の集合写真を見ている場面。もう二度と会えない人たちの名前をいとおしむように写真に書き入れてゆくのである。歳月のさびしさを感じる。

 冬晴れの朝は斜めに影伸びて静物となる福井のメロン
              冨田織江

卓上に置かれたメロンが、まるで静物画の中の光景のように動かずにあるのだろう。冬の朝の引き締まった冷たい空気の感じも伝わってくる。

 広辞苑丑の時参りマニュアルのように細かく説明のあり
              谷 活恵

思わず広辞苑を開いて見てしまった。「頭上に五徳をのせ、蝋燭をともして、手に釘と金槌とを携え・・・」と、確かに異様に詳しい。怖いなあ。

 傾いた忠魂碑の立つ町営のグランドに今は桜の木なく
              鳥ふさ子

戦前に建てられた忠魂碑なのだろう。「今は」とあるので、以前は桜の木があって春には花を咲かせていたのだ。戦後の長い歳月の経過を感じる。

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2018年06月27日

北海道へ


今日から7月1日まで、北海道へ行ってきます。
急ぎの用事のある方は携帯にご連絡ください。

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2018年06月26日

「塔」2018年6月号(その1)

 ハッサクの名のいさぎよきひびきかな剥きゆくゆびにつゆしたたらず
               後藤悦良

八朔という名前は確かにさっぱりとした感じがする音で、それが中身ともよく合っている。同じ柑橘類でも瑞々しくジューシーな伊予柑とは正反対。

かはうそのやうに腕よりすり抜けて息子が今日も歯を磨かない
               澤村斉美

膝の上に子どもを仰向けに寝かして歯を磨こうとすると、嫌がって逃げ出すのだろう。「かはうそのやうに」という比喩にすばしっこさがよく出ている。

トンネルの出口大きくなりてきて実物大を車出でゆく
               久岡貴子

長いトンネルで、最初は出口がとても小さく見えていたのだ。「実物大」がおもしろい。通過する時になって初めて本当の大きさが体感できる。

手探りに蛍光灯のスイッチを探して蚕のごとき我が指
               小川和恵

真っ暗な部屋の壁に手を当ててスイッチを探しているところ。指を少しずつずらしていく感覚から「蚕」をイメージしたのが何ともなまなましい。

ぎつくり腰と素直に言へずに感冒と電話に告げて休みをもらふ
               大木恵理子

「ぎつくり腰」(急性腰痛症)になったらしばらくは動くこともできない。何も恥ずかしがることはないのだが、言いにくい気持ちもよくわかる。

蔦沼へのお礼のはがきを差し入れぬLawsonの薄きポストのなかへ
               佐原亜子

コンビニのレジ付近にある薄型の郵便入れ。「蔦沼」は地名だろうか、人名だろうか。不思議な沼のイメージが、ポストの穴の中に広がる感じがする。

座蒲団に眠るみどり子卓の上にみかんと並び置かれてありぬ
               久次米俊子

「みどり子」と「みかん」の並列が印象的だ。しかもテーブルの上である。2首目以下を見ると、どうやらベトナムに旅行した時の歌のようだ。

死ののちを死者は生者のものとなり平手打ちした夜も明かさる
               山下裕美

上句が非常に痛烈で痛切な言葉。生前は明かしていなかったことや、他人には知られたくなかった秘密まで、生者の都合のままに暴露されてしまう。


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2018年06月08日

「塔」2018年5月号(その2)

 つぎつぎと二枚の札を裏返しゆく五歳児の短期記憶は
                       吉田 典

トランプの神経衰弱をしているところ。ある時期までの子どもは無闇矢鱈と神経衰弱が強い。それを「短期記憶」と表現したのが的確でおもしろい。

 住宅街のせたる丘の擁壁が波打つやうに長くつづけり
                       野 岬

丘が切り拓かれて新しく住宅地になったのだろう。もし擁壁が崩れたら町ごと崩れ落ちてしまうような危うさを感じる。「波打つやうに」がいい。

 球を打つ体のリズムの慣れてきて妻とのラリーは意外と続く
                       熊野 温

夫婦で卓球をしているところ。「意外と」に実感がある。二人とも別に上手なわけではないのだが、一定のリズムで返球するだけなら結構続くのだ。

 保育園に津波訓練あるという寝返りはじめしみどりごたちにも
                       齋藤弘子

東日本大震災後、各地で津波訓練が定期的に行われている。歩くことのできない人が大勢いる保育園や病院、介護施設などは本当に大変だと思う。

 パレットにのばす絵具のぎりぎりの性善説を信じていたい
                       高松紗都子

初二句が「ぎりぎりの」を導く序詞のように働いている。薄く伸びてパレットの地が見えそうな絵具。でも、辛うじて人間の本性が善であると信じる。

 鳥よりも畑の上を行く影の方がスピードありて過ぎたり
                       川口秀晴

畑で作業をしている時に大きな影がすーっと過ぎったのだろう。見上げれば鳥が飛んでいる。「影の方がスピードありて」に鮮やかな臨場感がある。

 給餌する合図を聞けば整然とスタンチョンに入る強い牛から
                       別府 紘

「スタンチョン」は牛の首を挟んで安定させる柵状の止め具。「強い牛から」とあるので、牛の集団にも序列があるのだろう。黙々と従う怖さも感じる。

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2018年06月07日

「塔」2018年5月号(その1)

 うどん屋は二階にありて窓に触るる冬のケヤキを見ながら啜る
                       上杉和子

地上から高いところにある欅の枝や葉が、二階の席からは間近に見えるのだ。よく伸びた枝葉が店の窓ガラスをこするように風に動いている。

 イメージは火を噴くゴジラできるだけ白く遠くへ息吐く冬日
                       なみの亜子

外はかなりの寒さで吐く息がまっ白になる。でも、作者の気持ちは縮こまることなく、むしろ自らを鼓舞するように思い切り息を吐き出すのだ。

 夫の額とわれの額と二度いききせし手のひら 熱はあらざり
                       久岡貴子

熱があるかどうか確かめるために夫と自分の額に交互に手を当てる。一度でははっきりわからず「二度」やってみたのだ。夫婦の親しさを感じる。

 葺く人の屋根に置きゐるラジオより流れ来る「霧氷」居間に聞きたり
                       山下太吉

屋根を葺く仕事は重労働で時間もかかるので、職人はラジオを聞きながら作業している。上空からラジオの曲が聞こえるという不思議な体験。

 昆虫の名前のごとし片仮名で印字されたるわが姓名は
                       白水ま衣

「昆虫の名前のごとし」という把握がおもしろい。「シロウズマイ」と書かれた自分の名前が、何か新種の得体の知れない生き物のように思えてくる。

 明日という明るき刻が来るものと人ら信じて花苗を買ふ
                       阪上民江

「明日」は「明るい日」と書く。花が咲く日まで元気で生きていることを前提に、誰もが苗を買う。けれども、その日を必ず迎えられるとは限らない。

 「はくちょうはくちばしの先から沈むよ」と凍て空の星を子らに指さす
                       上杉憲一

夏の星座として有名な「はくちょう座」は冬には西の地平線に沈んでいく。下句になって初めて本物の白鳥でなく星座の話だとわかるところが良い。

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2018年04月25日

「塔」2018年4月号(その2)


 二番目にお待ちの方というものにどういうわけか私はならず
                      八鍬友広

行列ができているレジとは別のレジが開く時に、コンビニの店員さんがよく使う言葉。たまたま、偶然なのだろうが、何か性格的なものも感じさせる。

 膝と膝かすかに触れたとき俺のだれにも見せぬ空が見えたか
                      田村龍平

胸の深くに秘めている自分だけの思いや記憶が、一瞬、相手に垣間見られたような感覚を覚えたのだろう。相聞の雰囲気が濃厚に感じられる。

 寝室のテレビ小さし大晦日の晩にひとりで見る格闘技
                      垣野俊一郎

居間にある大きなテレビでは家族が紅白歌合戦などを見ているのかもしれない。おそらく家の中で格闘技に興味があるのは作者だけなのだ。

 若干名募集してゐる工場より漂ひ来たるカレーの匂ひ
                      川田果弧

「若干名募集」という貼紙か看板があるのだろう。古びた雰囲気の工場。その敷地から流れてくる昼食時のカレーの匂いが、わびしさを感じさせる。

 火を見れば表情のなきひととなるみなそれぞれの語彙をしづめて
                      石松 佳

焚火やキャンプファイヤーの火を見ているところ。「表情のなき」がいい。誰もが無口になって炎のゆらめきに吸い込まれるように見入っている。

 「女医さんは、やっぱり」その後に続くあらゆる言葉の枷のくるしさ
                      長月 優

「女医」と言っても一人一人性格も考え方も違うのに、常に何らかの先入観や偏見にさらされる。それがたとえ褒め言葉であっても息苦しい。

 硬筆の手本のやうなる文字書きて君は退会告げてくるのか
                      三浦智江子

後足で砂を掛けるような辞め方ではなく、丁寧で礼儀正しい相手。そのことが一層「退会」に当っての相手の思いを伝えているようで寂しい。

 OLとして暮れてゆく金曜日チーズケーキの断片を食む
                      魚谷真梨子

月曜日から金曜日まで今週もずっと仕事ばかりしてきたなという思い。ほっと一息つく場面だが、「断片」という言葉にやるせなさが滲んでいる。

 女子会の終はつたばかりのレストラン椅子むきむきにありてさみしも
                      山縣みさを

まだ椅子が元通りに直されていない状態のテーブル。「むきむきに」という言葉がいい。さっきまでの賑やかさの痕跡だけが残っている。

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2018年04月24日

「塔」2018年4月号(その1)


 闇に降る雪が白いのはなぜだらう 灯りを消して眠る集落
                      久岡貴子

真っ暗な夜に降る雪は黒いかと言えば、やっぱり白い。明りも消えてしんと寝静まった夜に、辺りを包むようにして白い雪だけが降っている。

 山襞をひととき深く見せながら冬の光の傾きゆけり
                      溝川清久

上句の丁寧な描写がいい。太陽の光の当たる角度によって、山の陰翳がくっきりと立体的に見える時があるのだ。季節によっても見え方が違う。

 凍りつくフロントガラスに湯をかけて命ふたつを乗せて出かける
                      歌川 功

白く凍った車のガラスに湯を掛けて溶かす。冬の厳しい寒さが伝わってくる。「命ふたつ」はお子さんだろうか。慎重に運転しなくてはとの思い。

 鯛焼きや鳩サブレーを頭より食べる人あり吾は尾より食う
                      杜野 泉

本物の鯛や鳩ではないからどこから食べても同じなのだが、やはり人によって二派に分かれるだろう。頭から食べるのは残酷な気がするのかな。

 子を連れて子ら帰りたりその子らを連れてわたしが帰ったように
                      本間温子

孫を連れて帰省していた娘が帰っていったところ。かつての母もきっと今の自分と同じ寂しさを味わっていたんだろうなという思いが背後にある。

 剝き出しの馬の歯茎のひろびろとけふの畑に麦萌ゆるなり
                      清水良郎

馬は匂いを嗅ぐ時に上唇がめくりあがり歯茎がむき出しになる。三句の「ひろびろと」が上句の歯茎と下句の麦畑の両方をうまくつないでいる。

 禁じたる棚へと猫がまた登る人語解さぬごとき顔にて
                      益田克行

登っちゃダメと常々言い聞かせているのにまた登るのだ。猫が人間の言葉を理解していることが当然の前提として詠まれているのが面白い。

 鳥井金物店と鳥井米穀店並びをり高架駅よりこの街見れば
                      松原あけみ

同じ家が経営しているのか、兄弟か、親戚か。「金物店」と「米穀店」なので、どちらも古い店なのだろう。見るたびに気になってしまうのだ。

 水紋の閉じゆくごとき黙ありぬ遠き窓より星明かりきて
                      宗形 瞳

水面にできた波紋が小さくなって消えてしまうように、会話がとぎれて黙り込んでしまう。そして星の明かりと静寂だけが部屋に満ちている。

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2018年03月30日

「塔」2018年3月号(その2)


 各々がムンクの叫びの顔に似て捩れていたりトロ箱の牡蠣
                      谷口美生

牡蠣の形や模様、襞の様子などをムンクの「叫び」に喩えたところが独特だ。トロ箱の中に無数の「叫び」がひしめき合っているようで怖い。

 身の程をわきまえてゐます、イングリッドバーグマンいふ昼の画面に
                      松原あけみ

映画の台詞が字幕に表示されているのだろう。「身の程をわきまえる」という少し古風な日本語と洋画の取り合わせに奇妙な味わいがある。

 予告編から鼾がずっと聞こえてくるオリエント急行列車で殺人です
                      鈴木晶子

昨年新たに公開された映画「オリエント急行殺人事件」。映画館で客がずっと寝ているうちに、映画の方はいよいよ山場を迎えているのだ。

 竹鼻町(たけはなちやう)狐穴(きつねあな)とふ交差点差しかかるとき赤の灯ともる
                      伊藤京子

地名の面白さが最大限に発揮されている歌。信号に表示されている交差点名によって、まるで狐に化かされているような味わいが生まれる。

 予約席九人分のスプーンとフォーク置きありまだ誰も来ず
                      森尾みづな

何かの会食が予定されている場面。九人来ればきっと賑やかだ。今は静かなテーブルに、スプーンやフォークが動き始める様子が想像される。

 チンアナゴの前にのりだす子どもらの細きうなじは左右にゆるる
                      栗栖優子

チンアナゴが砂地から頭を出して水中にゆらゆらしている生き物。それを見ている子どもたちの姿も、どことなくチンアナゴに似ている。

 手をつなぐふたりがたのむタピオカのミルクの底にまるいつぶつぶ
                      吉原 真

恋人同士なのだろう。二人の仲の良さそうな雰囲気がよく伝わってくる。「つ」や「た」の音の響きが効果的で、いかにも楽しそうな感じがする。

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2018年03月29日

「塔」2018年3月号(その1)


 黒猫と郵便局とエホバ来てしばしののちに初雪のふる
                      落合けい子

一日中家にいたのだろう。「黒猫」はヤマト運輸の配達、「エホバ」はエホバの証人の勧誘。下句の「初雪」が時間や余韻を感じさせるところが良い。

 「冷たい」は「爪痛し」が語源なり松の先より落つる玉水
                      石原安藝子

冬の寒い時期の松の葉から雨滴が垂れているところ。上句と下句は別々のことだが、「松の先」と「爪」がどちらも先端であるというつながりだろう。

 いいよいいよと言いても謝り来る人の暴力に似た眼差しを受く
                      金田光世

必要以上に謝られるのは、あまり気分の良いものではない。それを「暴力に似た」と捉えたところが鋭い。ある種の押し付けがましさを感じたのだ。

 あくびせる女人のかほの変形のきはまりてすぐ元に戻れり
                      佐藤陽介

「変形のきはまりて」が強烈な印象を残す。単にあくびをするのを見たというだけの歌なのだが、表情の変化を即物的に描き切ったところが面白い。

 化学株は化けると言はれ求めしも化けざる儘に二十年過ぐ
                      柳田主於美

「化ける」は大幅に値上がりする、儲かるという意味だろう。期待して買って二十年間持ち続けているのに、一向に値上がりしないままなのだ。

 おおかたは光に透けるレタス葉のように新聞人生相談
                      福西直美

「レタス葉のように」という比喩に意外性がある。深刻そうに見えてそれほどでもない相談内容や、当り障りのない識者の回答などをイメージした。

 ストーブの上の鍋からよそわれて蕎麦屋でいただく昆布の佃煮
                      吉田 典

ストーブの上で温められていた佃煮。蕎麦に付く小鉢、あるいはお店の人がサービスで付けてくれたのかもしれない。庶民的な雰囲気の店だ。

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2018年03月01日

「塔」2018年2月号(その2)


 腰かけるつもりの石にとんぼ来ぬ も少し歩いてみるのもいいか
                         今井早苗

道の先に見えている石を目指して歩いていたら、とんぼが止まったのだ。手でとんぼを払ったりせず下句のように柔らかに受け止めているのがいい。

 自らを回遊魚といふ人とゐてけふは大きな海でありたし
                         安永 明

回遊魚を自称する相手に対して、作者は「大きな海」でありたいと思う。ゆったりと相手を受け止め、包み込むような存在ということだろう。「けふは」もいい。

 地下水を使ふ暮らしのこの家はみづの匂ひがそここことする
                         祐徳美惠子

水道水とは違う独特な匂いがするのだろう。けっして嫌な匂いではなく、むしろ好ましい匂い。水に関わる場所には、ほのかにその匂いがしている。

 また客に誉められてゐるハイビスカスいつまで咲いていいかわからぬ
                         高橋ひろ子

きれいだと誉められるので咲き終えることができないという発想がおもしろい。一日花なので、一つの花のことではなく花の時期の終わりということだろう。

 伯林をベルリンと読む りるりると鈴鳴るやうな銀杏並木だ
                         山尾春美

「伯林」をベルリンと読むことの視覚と聴覚のズレのような感じ。「林」と「並木」、「ベル」と「鈴」が響き合う構成になっている。「りるりる」もいい。

 大空に消えたらあきらめられるけど木に引っかかる赤い風船
                         太田愛葉

持っていた手から離れてしまった風船の行方。失われたという意味では同じなのだが、木に引っかかったままでは確かにやり切れない感じがする。

 鯨肉が名物なりし店とぢて抹香鯨の看板たかし
                         栗栖優子

営業していた時には特に感じなかったのだが、閉店後は看板だけが異様に目立っているのだ。結句の「たかし」がいい。看板の鯨も自由になった気がする。

 海風に長き尾鰭ゆらしつつ金魚ちょうちん駅舎におよぐ
                         山内恵子

「金魚ちょうちん」は山口県柳井市の名物らしい。長い尾鰭が揺れることで、いかにも泳いでいる感じがするのだろう。水の中の世界のようなイメージである。

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2018年02月28日

「塔」2018年2月号(その1)


 表情を未だ持たざる石像に峠の長き冬がまづ来る
                         干田智子

新しく建てられた若山牧水の像。「表情を未だ持たざる」がいい。新品なので陰翳に乏しいのだろう。雨風に打たれる中で表情が生まれてくるに違いない。

 いぶりがっこ、がっこと楊枝に挿して食べ何も買わずに暖簾をくぐる
                         吉川敬子

店で試食だけして出てきたのだ。「いぶりがっこ」は秋田名物の燻煙乾燥の漬け物だが、その「がっこ」をオノマトペのように使っているのがおもしろい。

 北斎の版画のやうな富士があり裾野の街を視野から外す
                         加藤久子

富嶽三十六景の「凱風快晴」を思い浮かべた。富士山の形や存在感は昔も今も変わらない。裾野の街さえ見なければ、昔のままの風景になるのである。

 空き壜に青き酪王乳業のロゴやや暗くなりて透きをり
                         佐藤陽介

福島県にある会社。中身があった時は牛乳の白にロゴの青がよく映えていたのだろう。空き壜になるとロゴの色も少し暗くなったように見えるのだ。

 長き滑り台を子と共にすべりゆけば少し先の未来に着きたる
                         徳重龍弥

下句がおもしろい。距離的に「少し先」に進んだだけなのだが、確かに時間的にも「少し先」に進んでいる。父と子が今後過ごしていく時間を想像させる。

 江ノ電が通過するたび揺れる店 アールグレイの息で語らふ
                         近藤真啓

線路のすぐ近くに立つ店なのだろう。江ノ電は民家などの軒を縫うように走ったりする。アールグレイを飲みながら二人で語り合うゆったりとした時間。

 鳩のいる水道で子のひざの血を洗い流せば陽があたたかい
                         吉田 典

普通は「公園の水道」とでも言うところを「鳩のいる水道」と言ったのがいい。蛇口か排水口のあたりに鳩がいたのだ。日常であって日常でないような場面。

 ぼんやりと琵琶湖大橋見ておれば「洋服の青山」車窓を覆ふ
                         小畑志津子

「洋服の青山」の店舗の上にある巨大な青い看板。「車窓を覆ふ」は誇張だが、遠くを眺めていた視線が急にふさがれる感じがうまく表現されている。

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2018年01月29日

「塔」2018年1月号(その2)


 かぼちゃ積み軽トラックは止まりたり丘のなだりに傾きながら
                      水越和恵

農作業には欠かせない軽トラ。「かぼちゃ」「丘のなだり」に、作者の住む北海道の風景が彷彿とする。「傾きながら」は、かぼちゃの重さのためと読んだ。

 さきいかの裂かれるときのさみしさをあなたは語る さきいかを振って
                      長月 優

「さきいか」「裂かれる」「さみしさ」の「さ」音の頭韻がよく効いている。結句は冗談めかしたような動作だが、それがかえって本当の寂しさを感じさせる。

 十字路を曲がれるバスの内輪差まざまざとみづは地に残したり
                      永山凌平

水たまりを通ったタイヤが乾いたアスファルトに痕を付けたのだろう。前輪と後輪の付けた曲線が二重になっている様子。まるで交通安全の図解みたいに。

 「評判のパン屋が近くにあったから」二時間かけてお見舞に来る
                      三谷弘子

きっと本当は見舞いが主目的でパン屋の方がついでなのだ。それをパン屋が主目的であるように言ったのは、負担をかけまいとする相手の優しさである。

 この町が私の体になじむまで見知らぬ道を歩き続ける
                      加茂直樹

普通ならば「私がこの町になじむまで」とでも言うところを反対にしたのが効いている。初めて通る道をぐるぐると歩き回って、徐々に身体になじませていく。

 やうやくに寝かしつけたるその後を妻は画像の子を見て過ごす
                      益田克行

やっと眠りについたのだからしばらくは忘れていてもいいのに、今度は画像を見て楽しんでいる。半ば呆れつつも妻の愛情の強さを感じているのだろう。

 筆跡のやうに確かな月光を額に受けて眠るをとめご
                      森尾みづな

何かの隙間から筋状になった月の光がくっきりと額に射している。「筆跡のやうな」という比喩が面白い。別の世界と通じ合っているような雰囲気がある。

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2018年01月24日

「塔」2018年1月号(その1)


 「ふきもどし」とふ玩具かふ昼きても人影まばら海田の祭
                      大橋智恵子

「ふきもどし」は笛に丸まった紙筒が付いた昔ながらの素朴な玩具。かつてはもっと賑やかな祭だったのだ。あるいは夜には賑やかになるのかもしれない。

 屋上より向かひの屋上見てゐしと 波来るたびに人流れしと
                      梶原さい子

東日本大震災の津波を体験した人の話。屋上に避難して、向かいの建物の屋上の人が流されるのを目撃したのだ。もちろん、どうすることもできない。

 クレーンをビル屋上に置く術を知ればつまらぬ風景となる
                      小石 薫

仕組みを知らなかった時は不思議な光景として見えていた屋上のクレーン。いったん知ってしまうと、もうその驚きを味わうことはできなくなってしまう。

 歌会を終へたる人はまた杖をつきつつ秋の駅舎へ向かふ
                      今西秀樹

歌会中はきっと元気で年齢を感じさせない振舞いを見せていたのだろう。でも、席を立つと急に一人の老人に戻って、覚束ない足取りで歩いていく。

 ドクターも技師もとつても紳士にて失礼しますとこの胸を見る
                      國森久美子

乳房の手術を受ける場面。礼儀正しいのは有難いが、かえって気恥ずかしいのかもしれない。あるいは、そんなことより治してほしいという痛切な思いか。

 再婚せし母の連れあひ〈おつさん〉と呼んでゐたりきあのころの友
                      川田伸子

まだお互いに若かった頃の思い出。新しく父になった人物を「父さん」とは呼べず「おっさん」と呼んでいた友。いろいろ悩みを聞いたりもしたのだろう。

 あれはどこへ行くのだったかポケットに百円玉を固く握りて
                      中本久美子

大人にとって100円はわずかな金額だが、子どもにとっては大きなお金。手に握りしめていた百円玉の感触だけを今も鮮明に覚えているのである。

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2018年01月03日

「塔」2017年12月号(その2)


 この道を行きも帰りも低き陽に右の半身を灼かれつつゆく
                         益田克行

南北に通っている道で、南側に自宅、北側に駅などがあるのだろう。地図を見るような構図が面白い。出勤時は東からの朝日を浴び、帰りは西日を浴びる。

 テトリスが形をそろえ消えていく愛しているのでいつかそうなる
                         中村ユキ

テトリスはブロックの凹凸を合わせるゲーム。男女の性愛のイメージとして読んだ。でも、気持ちが満たされるというよりは、むしろ寂しさが伝わってくる。

 一分は百秒じゃないのと八歳は身体ぐねぐねさせ尋ねくる
                         矢澤麻子

八歳と言えば小学校2年生くらい。「身体ぐねぐねさせ」がいい。気恥ずかしい様子で聞いてきたのだろう。そんなことも知らなかったのかという驚き。

 気にしつつ足の向かざる義姉(あね)のもとに白ゆり送る兄の新盆
                         柳田主於美

独り暮らしとなった義姉を案じつつも、わざわざ訪ねたりするのは気が重い。「兄の新盆」を契機にまたつながりが持てたことにほっとしているのだろう。

 素麺を茹でる速さで夏は過ぎ少し老いたるわたしが残る
                         田宮智美

上句の比喩が面白い。夏の食べ物の定番である素麺は、茹で上がるのも早い。気が付けば夏も終わって、また少しだけ年を取った自分の人生を思う。

 一歳になるまで二年かかればいい妻がつぶやく小さき手をとり
                         内海誠二

まだ一歳にならない赤子を育てている夫婦。可愛くて仕方がないのだろう。一度大きくなってしまえば元には戻らないので、今を十分に味わいたいのだ。

 死にたるを知らず目瞑りいる君よ「二時二分です」声がして去る
                         みぎて左手

君の死に立ち会った場面。その場にいる人の中で君だけが自分の死を知ることがない。臨終の時刻を告げる医師の声が、死を確認するかのように響く。

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2018年01月02日

「塔」2017年12月号(その1)


 いつしんに母のぬりゑの続きをり音なくすべる秒針の下
                         干田智子

施設に入っている母が塗り絵をしている姿。「音なくすべる秒針」がいい。外界とは別の時間が流れ、母と自分はもう別の世界にいるという寂しさを感じる。

 前の席にノースリーブの腕が出てブラインドおろす特急かもめ
                         寺田裕子

「ノースリーブの腕」だけが一瞬見えたのだ。それまでは座席に隠れてどんな人が座っているかわからなかったのだが、きっと若い女性だったのだろう。

 帰宅せぬ父の里芋をラップにて包めば滴で見えなくなりぬ
                         北辻千展

おそらく仕事などで遅くなる父の夕食にラップを掛けているところ。「滴で見えなくなりぬ」という描写がいい。まだ温かいので、内側に湯気がこもるのだ。

 旧姓に呼ばるることはどちらかと言へば苦しきことと知りたり
                         吉澤ゆう子

学生時代の友人など独身の頃からの親しい相手との関係。「どちらかと言へば苦しき」に、嬉しさよりもわずかに苦しさが上回る複雑な胸のうちが滲む。

 かき氷に白味噌かけて食べし日の祖父母の家の畳広かりき
                         山下裕美

色鮮やかなシロップでなく白味噌をかけるというのが珍しい。祖父母の家ならではの食べ方だったのだろう。家の様子とともに懐かしく思い出している。

 「お若いわ」と言われる程に年齢(とし)重ね 無人駅にくずの花匂う
                         古林保子

確かに実際に若い人に向かっては言わない言葉だ。年齢より若く見られることを喜びつつも、もう若くない自分を感じている。下句との取り合わせもいい。

 それぞれにこころは遠くありながらひとつしかない夕餉の卓は
                         澄田広枝

一緒に夕食を食べながらも心では別々のことを考えている家族。食卓がかろうじて家族を一つに繋ぎ止めているようでもある。ひらがなの多用が効果的。

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2017年11月24日

「塔」2017年11月号(その2)


 またひとり登場人物あらわれて騙し絵のような身の上話
                          吉田 典

「身の上話」というのは何度も語っているうちに、だんだん物語のようになっていくものなのだろう。「登場人物」「騙し絵」という捉え方が独特でおもしろい。

 玄関のあかりを灯す みずうみに確かに触れてきた指先で
                          紫野 春

湖を見に行って家に帰ってきたところか。日常の世界に戻った後も、湖水に触れた指の感触を再確認している。おそらく大事な思い出なのだろう。

 熱海城そのなかにまた熱海城マッチの棒でくみたてられて
                          山名聡美

熱海城の中にマッチ棒で作った熱海城の模型が展示されているのだ。入れ子構造と全体の安っぽさが面白い。熱海城も歴史的なものではない観光施設。

 女性ゆえ鉾に上がれぬしきたりをしきたりとして諾いており
                          松浦わか子

女性差別と憤ることもできる場面だが、「しきたり」を尊重しようという思い。でも、もちろん完全に納得しているわけではなく微妙な感情は残っている。

 琵琶湖、と声に出すとき身のうちのなにがゆらぐの葦原のごと
                          中田明子

琵琶湖の歴史や風土を感じさせる歌。現実に見ている琵琶湖ではなく、記憶やイメージとしての琵琶湖であるだけに、一層の奥行きを感じさせる。

 夜あそびに出ては首輪をなくす猫どこで売ったと夫の叱れる
                          山下美和子

何度も首輪をなくす猫もユニークだが、「どこで売った」と言う夫もユニークだ。どこか別の家でも可愛がられていて、首輪を外されているのかもしれない。

 目を閉じて食べれば何味にでもなるかき氷から夏がこぼれる
                          うにがわえりも

かき氷のシロップには「いちご」「メロン」「レモン」など様々な味があるが、どれも色が付いているだけで味はほとんど一緒。それを逆手に取った内容だ。

 紫陽花に触れれば涼しい心地して市民プールの入口で待つ
                          太代祐一

「涼しい心地」と言うことで反対に外がかなりの暑さであることがわかる。紫陽花の紫や水色の色にほのかな涼しさを感じつつ、炎天下で人を待っている。

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2017年11月23日

「塔」2017年11月号(その1)


 入口のスイッチボックスのON押せばすなはち点る玄室の電気
                          岩野伸子

古墳を見学した時の歌。スイッチボックスや電気はもちろん観光用に新しく付けられたもので、ちょっとした違和感が滲む。「すなはち」がいい。

 いくたびも謝らるるを夜の薊、許すほどわたし偉くはないよ
                          上條節子

「夜の薊」が突然入って来るところが面白い。下句は「私が許すかどうか決めることではない」という意味だけでなく、許せないという思いでもあるのだろう。

 帰宅する私と帰宅する君のあいだで咲いてしぼむユウガオ
                          多田なの

夕方に咲いて翌朝に萎むユウガオ。「私」は昼間に働き、「君」は夜に働くすれ違いの生活。せっかく咲いた花を君に見せられないのが残念なのだ。

 今はもう手元にはない靴べらは詠みたる歌の中に残れり
                          黒木孝子

靴べらはもう無くなってしまったけれど、その靴べらを詠んだ歌はいつまでも残り続ける。なるほど、短歌にはこういう役割があるのかもしれない。

 背後から破線のごとくサンダルの音がして子がわれにぶつかる
                          北辻千展

「破線のごとく」がサンダル履きの子の走る様子をうまく捉えている。最初は音だけが聞こえて結句で「子」が登場する語順も、臨場感を生み出している。

 唐きびを上手に食めば残りたる歯の抜けあとのようなきび殻
                          三浦こうこ

下句の比喩が秀逸。言われてみれば確かに歯の抜けた歯茎のような姿をしている。そんなことを考えていると、気味悪くて食べられなくなりそうだけれど。

 職場にはいくつか席の「島」があり南の島で端末を打つ
                          沼尻つた子

何個かのデスクのまとまりを「島」と名付けるのは珍しくないが、そこから「南の島」に飛躍したところがいい。南国イメージと仕事との落差が印象に残る。

 両腕をあげて病む子は眠りをり赤子のときの姿勢のままに
                          野島光世

緩和病棟に入院している娘さんを詠んだ歌。死がもう遠くない娘を見守りながら、かつて娘が生まれたばかりの頃のことを思い出している。何とも切ない。

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2017年10月28日

「塔」2017年10月号(その2)


 怒鳴り合う声壁ごしに聞きながら冷やしうどんにちぎる青紫蘇
                        佐藤涼子

マンションの隣りの部屋から聞こえる喧嘩の声を聞きながら、食事の支度をしているところ。「ちぎる」という動詞の選びに作者のやるせない心情が滲む。

 抱擁は苦しむかたち 波打ってシャツに張り付く男の背中
                        竹田伊波礼

「抱擁」と言うと普通は喜びや満足のイメージがあるのだが、それを「苦しみ」と捉えたのが秀逸。「波打って」に強く激しい抱擁の様子がよく出ている。

 おまへとは妻よりも長い仲なりき口の開きし山靴を捨つ
                        益田克行

独身時代から愛用していた登山靴。最後にしみじみと語り掛けるようにして捨てる場面。「山靴」という言い方が山に慣れている人の感じを伝えている。

 もういない人ばかり思い出すことの、水を含んだ口が涼しい
                        川上まなみ

三句を「の、」でつなぐ短歌ならではの文体。結句の「涼しい」がいい。水の冷たさとともに記憶の持つ清涼感のようなものが伝わってくる。

 ひとつづつさくらんぼに種 ひとりづつひとは向き合ふ種のをはりに
                        栗山洋子

さくらんぼは一つの実に一つの種が入っている。一連の流れの中で読むと、三句以下は人生の終わりに一人で向き合うというイメージなのだろう。

 長雨のあとの夏空はればれとフェイスブックを今日やめました
                        垣野俊一郎

初・二句が「はればれと」を導く序詞になっている。おそらく煩わしいことの多かったフェイスブックを、晴れ晴れとした気分で止めたのだ。

 嫌いって認めてしまえば嫌いになる絹豆腐に刃をやさしく入れる
                        魚谷真梨子

感情は口に出したりして自分で認めてしまうと、決定的なものになってしまう。「絹豆腐」の柔らかな質感のようにさらりとやり過ごすことも大切だ。

 紫陽花を挿木で増やす休むことの増えたる祖母の広き窓まで
                        白水裕子

ベッドで過ごすことの多くなった祖母にも見えるように、紫陽花を増やしているのである。「広き窓」という言葉に明るさと優しさが溢れている。

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2017年10月27日

「塔」2017年10月号(その1)


 水鳥のでんぐりがえしが見えている夕暗がりのきみの肩越し
                        澤端節子

餌をとるために水の中に潜っていくところを「でんぐりがえし」と捉えたのだ。結句「きみの肩越し」がいい。さり気なく相聞の雰囲気を漂わせている。

 体温を計るあひだに降り出して六月のこれは気持ちいい雨
                        小林真代

四句目に「これは」が挿入句のように入って来るところが面白い。「これは六月の」という語順ではダメ。雨にも気持ちのいい雨と憂鬱な雨とがある。

 口紅で決してふちどるな くれないの色のうつろう夕ぐれ時を
                        金田光世

刻々と色合いを変えていく夕暮れの空。その微妙な色彩や輪郭を縁取ってはならないと言うのだ。作者の心の何らかの感情についての話なのだろう。

 子とわれの家を行き来するタッパーにわたしの詰めるけふの赤飯
                        立川目陽子

親がタッパーに料理を詰めて子に渡し、食べ終えた子が洗って返す。そんなふうにして二軒の家を行き来するタッパー。料理だけでなく作者の心も運ぶ。

わがピアノを十五年間聞きていし母は「下手になった」と一度だけ言いき
                        山下裕美

一度だけ言った台詞が「下手になった」というのは、かなり衝撃的だ。いじわるな母にも思えるが、「十五年間聞きていし」という一番の理解者でもある。

 岩牡蠣にナイフさしこみ開くとき遠き潮をほそくこぼしぬ
                        清水弘子

上句と下句で主語がねじれている。上句は「われ」で下句は「岩牡蠣」。そのねじれに生々しい味わいがある。下句「遠き潮がほそくこぼれぬ」ではダメ。

 「藪」の字の奥に座つてゐるをみな重さは時に安らぎならむ
                        越智ひとみ

字解きの歌で「藪」の中には確かに「女」がいる。画数の多い重そうな漢字の中に、むしろ安らいでいるように見える。生活にも当て嵌まることなのだろう。

 コンクリの壁よりふいに出できたる蝶は壁から離れずに飛ぶ
                        松塚みぎわ

「コンクリの壁より」がいい。壁に目立たずにとまっていたのだろうが、壁の中から抜け出て来たような感じがする。「壁から離れずに」もよく見ている。

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2017年09月25日

「塔」2017年9月号(その2)


恋人はわたしに恋をしてるかな梅雨のはじめに半袖を着た
                       安田 茜

上句の呟くような言い方がほのぼのしていて面白い。恋人だからもちろん恋をしているのだろうけれど、相手の心のなかは見えないから少し不安にもなる。

持ち運び可能な躰を持ち運ぶ会いたいというだけの理由で
                       鈴木晴香

「持ち運び可能な躰」という表現が独特。相手に会いたいという気持ちと何にも縛られない自由な感じ、そしてエロチックな雰囲気も滲んでいる。

三歳で死んだ弟まいまいに生まれかわって我が庭に棲む
                       佐藤涼子

庭でよく見かけるかたつむりを眺めながら、小さくして亡くなった弟のことを思っている。「生まれかわって」と推量ではなくはっきり断定しているのがいい。

やわらかく「白髪が増えたね」と夫の言う向かい合わせに昼餉をとれば
                       白井陽子

普通だったら言われて嬉しい台詞ではないが、「やわらかく」とあるので肯定的な感じ。長年一緒に暮らしてきた夫からのねぎらいや労りを感じたのだろう。

窓ほそく傾けながら夕暮れを時かけ朽ちてゆく百葉箱
                       福西直美

初二句の描写が百葉箱の姿をうまく捉えている。もう使われていない百葉箱なのだろうか。まるで時が止まってしまったかのようにひっそりと存在している。

あのときの桜だろうか置き傘を二ヶ月ぶりにひらけばはらり
                       椛沢知世

普通の傘と違って「置き傘」は使う機会がそれほど多くはない。前回使ったのは桜の散る季節だったのだろう。その時に、何か大切なことがあったのだ。

テトリスのピースみたいにくるくると身体を廻して乗る中央線
                       太代祐一

比喩が面白い。テトリスは様々な形のピースを組み合わせていくゲーム。身体を横にしたり傾けたりしながら、何とか満員電車に乗り込むのである。

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2017年09月21日

「塔」2017年9月号(その1)


実家に置いてあるという認識の部屋にまだある息子のものが
                       石本照子

もう家を出てから相当な歳月が過ぎた息子さんだろう。「実家に置いてある」とは言っても、取りに来ることはないし、二度と使ったりはしないのだ。

往きて帰る鉄路五時間三千円たれも知らないけふのわたくし
                       鮫島浩子

一人で日帰りの旅にでも出かけたのか。「五時間三千円」という具体がいい。日常を離れた自分だけの時間。自分が今そこにいることは家族も知らない。

二巻より親しみていし漫画本一巻を買いしのち手放せり
                       山下裕美

謎解きのような不思議な味わいがある。欠けていた一巻が揃ったことで、漫画を読み終えてしまったのだ。読み終えたらもう手元に置いておく必要はない。

九十の郷土史家は指を折り今まだ疑問が九つあると
                       澁谷義人

九十歳という年齢にもかかわらず、まだまだ調べたい課題をたくさん持っている。調べ終わるということはないのだろう。その意欲と元気に圧倒される。

中古本『紅』購いて裕子さんの青きペン字の署名も得たり
                       向山文昭

『紅』は1991年刊行の河野裕子さんの第5歌集。「署名も得たり」がいい。本を開くと署名があって、思いがけぬプレゼントのように感じたのだろう。

心が今、皮を剥かれた枇杷のよう。涙が勝手に溢れてくるのだ
                       金田光世

上句の比喩がとても印象的な歌。まさに剥き出しといった感じの心が何とも痛々しい。枇杷の実の傷みやすさとも響き合って、作者の悲しみが伝わる。

「神水館」の湯に浸かるのがステータスとされし戦後の賑はひ偲ぶ
                       K田英雄

戦後の娯楽の少なかった頃には多くの人が憧れた格式のある宿。今ではあまり客も多くなく、ひっそりとしているのだ。そんな温泉にのんびり浸かる作者。

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2017年08月24日

「塔」2017年8月号(その2)


さかのぼること許されて琺瑯のボウルに乾燥椎茸もどる
                         福西直美

時間を巻き戻すように膨らんでゆく椎茸。初・二句の把握が印象的で、反対に、現実にはさかのぼることが不可能な時間というものを思わせる。

映画って便利だ海にいないとき並んで海を見た気になれる
                         小松 岬

確かに映画館のスクリーンは横に広くて、画面が海のようでもある。好きな人と一緒に映画を見ていると、海に行ったような気分になれるのだ。

にわとりがにわとりの姿のままで眠っている零度のショーケース
                         鈴木晴香

パリに住んでいる作者。肉屋でにわとりが、生きていた時の姿を思わせる形で売られているのだろう。「零度」がいい。日本ではあまり見られない光景。

四人子の通り道としこれまでのわれありと思う子を産み終えて
                         矢澤麻子

自分の身体や存在を「四人子の通り道」と言い切ったところに強さがあり印象に残る。別の世界とこの世をつなぐ通り道となっているのだろう。

めしいなる犬は鼻から電柱にぶつかりて後ゆまりをかけたり
                         永久保英敏

年老いた犬の姿がありありと見えてくる一首。「ぶつかりて」が何とも哀しい。それでもやはり昔からの習性で、おしっこは電柱にかけるのだ。

あの一番低いマンションがうちです、と告げて別るる雨の街角
                         逢坂みずき

誰かに家の近くまで送ってもらったのだろう。家までは来ないで、マンションが見えるあたりで別れるというところに、相手との距離感が出ている。

いく筋か黒く流るる水ありてわさび田と知りぬ春の雪ふかし
                         坂東茂子

雪の積もる中に筋をなして流れている水。「黒く」と言ったのが良くて、反対に雪の白さも浮かび上がる。結句の字余りも雪の深さを感じさせて効果的。

posted by 松村正直 at 08:51| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

「塔」2017年8月号(その1)


わが齢(とし)に娘がおどろき娘の歳にわれがおどろくケーキ食べつつ
                        亀谷たま江

作者の誕生日を祝って家族でケーキを食べている場面だろう。互いの年齢に今さらのように驚く母娘の姿が、何ともユーモラスに詠まれている。

三人のうちの二人が病みてをりほぼ全滅と言ふべし家族
                        澤村斉美

夫と幼い子どもが風邪をひいて寝込んでしまったという状況。そうでなくても人手が足りないのにという焦りと苛立ちが「ほぼ全滅」によく表れている。

臨月の娘(こ)の腹撫でてもの言へば呪文をかけるなと遮られたり
                        村田弘子

臨月ともなればいろいろとお腹の子に語り掛けたくなるものだが、度々なので鬱陶しがられたのだろう。「呪文をかけるな」が強烈で笑ってしまう。

ポシェットの細きベルトがTシャツの乳房の間をとほり七月
                        清水良郎

薄いTシャツ越しに乳房の形が浮かび上がってくるので、思わず目が行ってしまうのだ。夏の明るさと健康的な(?)エロティシズムの感じられる歌。

この部屋は海からの風の通り路十三階の窓開け放つ
                        乙部真実

マンションの窓を開けるとよく風が通り抜けるのだろう。それが海から吹いてきた風だと思うと、気分も開放的になる。遠くに海が見えるのかもしれない。

いちどだけ掬はれしみづ さまよへるあなたをうるほす河でよかつた
                        小田桐夕

恋の場面を詠んだ歌。一度だけの関わりでも構わないという強い思いや覚悟が滲む。相手の心を潤すことができればそれで十分だと感じているのだ。

ご愁傷さまです、の中に秋はありあなたはゆくのかなその秋を
                        安田 茜

「ご愁傷さま」という挨拶が行き交う葬儀の場にあって、亡き人に思いを馳せているところ。言葉遊びの要素がうまく働いていて味わい深い。


posted by 松村正直 at 18:25| Comment(4) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

「塔」2017年7月号


第7回塔短歌会賞・塔新人賞の発表号。
塔短歌会賞は岡本幸緒さんの「ちいさな襟」、塔新人賞は野岬さんの「息を掬ふ」が受賞した。

 ゆうぐれの坂を知らざり領事部は午前中だけ開かれている
 「主人がね」次の話題に移るたび枕詞のように聞きおり
                      岡本幸緒
 ネクタイは太刀魚のごとひらめきて夫の灼けたる頸に巻きつく
 均一になるまで混ぜて食べてゐる 長男として育つて来たひと
                      野 岬

岡本さん、野さん、おめでとうございます!

posted by 松村正直 at 21:33| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月20日

「塔」2017年7月号(その2)


 夜道には不思議なものが落ちていて踏まれたがりのアンパンひとつ
                       山田恵子

「踏まれたがり」が個性的な表現で面白い。丸いふっくらした形状や、中にあんこが詰まっている姿が、踏まれたがっているように感じさせるのだ。

 うちのねこ、みかけんかったと尋ねおり道で出合った近所の猫に
                       大森千里

行方不明になった飼い猫を探して、道を歩く猫にも尋ねているのだ。それだけ必死になっているのだろう。初二句に「 」を使わなかったのがいい。

 利き腕のちがう娘の抱きかたと同じに出来ず赤子はぐずる
                       宮内ちさと

孫の世話をしている場面。利き腕の関係で娘さんとは抱き方が反対になってしまうのだ。そのせいなのかどうか、泣き止まない赤子に苦労している。

 遠き町の葬に列なり皆の唱ふ讃美歌を吾(あ)はただ立ちて聞く
                       野 岬

亡くなった方がクリスチャンで、その関係の参列者が多いのだろう。讃美歌を知らずに歌えない作者は、ひとり場違いな気分になっている。

 画像に見る胃の腑の粘膜きれいなり網の目のやうに血管はしる
                       千葉なおみ

胃カメラの検査をして、画像を見せてもらっているところ。普段はけっして見ることのない自分の胃の内側である。下句の描写がなまなましい。

 「風光る」という季語を目の前で見た 君のポニーテールが揺れて
                       うにがわえりも

俳句の季語としてのみ知っていた言葉を、今まさにまざまざと感じているというのだ。春の日差しに光りながら揺れる髪の毛が、何とも素敵に見えている。

 心臓をちぎり合ふほどの恋もせず敦盛草は遠き野に咲く
                       山下好美

「心臓をちぎり合ふほどの恋」という思い切った表現に驚く。平敦盛は14、5歳で亡くなったので、おそらく激しい恋を知ることもなかったに違いない。

posted by 松村正直 at 07:14| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする