2020年06月25日

「塔」2020年6月号(その3)

トイレットペーパーとして生まれれば痩せてゆくしかない日
々がある                 千葉優作

トイレットペーパーは使うほどに小さくなっていき、最後には芯だけが残る。そんな姿に自分自身の人生や生活を投影しているのだろう。

もうあまり詩は書かないということが綴られて手紙、ポター
ジュのよう                中田明子

書簡集や文学館などで展示されている手紙か。かえって詩に対する強い愛着を感じさせる内容だ。ポタージュの粘性がその愛着と重なる。

一パックに二十四個のひかりあり苺はわれに生きよと言ふか
                     木原樹庵

24個入りのイチゴのパック。その一粒一粒を「ひかり」と捉えたのがいい。イチゴの色の明るさやが生きる希望を与えてくれるようだ。

「中国製」を今も悪口として言う母は先進国の国民
                     平出 奔

かつての「中国製」は安物や粗悪品というイメージが強かった。経済的な力関係が変ったのに考え方を変えない母に対する強烈な皮肉。

糸の輪が代わる代わるに形かえわたしの川があなたの船に
                     成瀬真澄

二人であや取りをしている場面の歌で、下句がいい。糸が形を変えるだけのことだが、「川」と「船」で二人の関係を美しく描いている。

あれこれとめがね選びにのぞきこむ鏡のなかに父と出会えり
                     小林文生

父はもう亡くなっているのだろう。眼鏡を掛けた自分の顔が亡き父の顔に似てきたのだ。年齢を重ねると父の気持ちもわかるようになる。

最後までここにいたいと母さんは言ってるじゃない言ってる
じゃない                 東大路エリカ

ひとり暮らしの母を施設に入れる場面。自宅での生活を望む母の言葉が胸に突き刺さる。「言ってるじゃない」の繰り返しがせつない。


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2020年06月24日

「塔」2020年6月号(その2)

雪のない湾岸の国の冬終わり二月気温は上がり始める
                     春澄ちえ

UAE(アラブ首長国連邦)に住む作者。二月と言えば日本ではまだまだ真冬という感じだが、UAEではもう暖かくなりは鯵めるのだ。

対角であくびをこらえている人と五分に一度目が合う会議
                     乙部真実

大勢が参加している会議だろう。ロの字になった机の対角の位置で眠気をこらえる人と目が合う。退屈な会議の様子がよく伝わってくる。

馬酔木には鹿はふれずにゐるらしく早も萌え出づる草食みて
をり                   古谷智子

馬酔木は葉にも花にも樹皮にも毒があるので、鹿はよく知っていて手を付けない。馬酔木には見向きもせず、伸び始めた草を食べている。

空だけを眺めて過ごす一時間ときをり草が耳をくすぐる
                     近藤真啓

下句の描写がいい。草原に寝ころんでいる場面を想像した。風に吹かれた草が耳に触れるのも心地よい。全てから解放されたような気分。

百枚入りの長形三号手にとりぬためらいもなく買いし日のあり
                     相本絢子

以前は何のためらいもなく買ったけれど、今ではためらってしまう。百枚という分量を自分が生きている間に使い切れるのかと考えて。

その店を教えてくれたともだちがいなくなっても店にはかよう
                     山名聡美

最初は友人に連れて行ってもらった店に、友人がいなくなった今でも通う。店を訪れるたびに、その友人のことを思い出すのだろう。


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2020年06月23日

「塔」2020年6月号(その1)

わたしの手の届かぬところを掃除して娘は発ちゆけり夕映え
の空                   佐々木千代

ふだん掃除のできない高い所を娘が掃除してくれたのだ。そのさり気ない心遣いを嬉しく思う気持ちが、結句に滲んでいるように思う。

整形の窓辺の棚に並びいる『ブラック・ジャック』5と7が
ない                   山下裕美

手塚治虫のマンガの本の話なのだが、「整形」「窓辺」「5と7」といった言葉が数学の話のように響く。待合室に流れる静かな時間。

膝をだきかうしてゐると湯のなかに仮名文字のゆのやうなり
 私                   千村久仁子

膝を抱えて座る姿勢が「ゆ」の文字に似ているという発見。「湯」と「ゆ」の音の重なりにも味わいがある。自分ひとりの豊かな時間。

ここにきてやうやく合つてきたやうな身体、わたしの終の住
処よ                   濱松哲朗

年齢を重ねて自分の身体が自分にとってしっくり来るようになったのだろう。死ぬ日までずっと付き合っていかなくてはならない身体だ。

おほまかな筋は妻から聞いてゐる一話たりとも観てはゐないが
                     益田克行

妻の好きなテレビドラマがあり話をいつも聞かされているのだ。知らず知らずのうちに筋を覚えてしまう。少しも興味がないのだけれど。

手をうしろに組んで歩いている時はまだ何も決められてない
とき                   上澄 眠

人間の姿勢と頭の中の考えとは、どこかで関係があるのだろう。自分のこととも相手のこととも読めるが、姿勢を見ればその心がわかる。

この町で造られし豪華客船がテレビに映る毎日映る
                     寺田裕子

ダイヤモンド・プリンセス号は、作者の住む長崎の三菱重工の造船所で建造された船。いたたまれない思いでテレビを見つめているのだ。

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2020年06月02日

「塔」2020年5月号(その2)

百円で文庫五冊を売ったあと缶コーヒーを買わずに帰る
                     上杉憲一

缶コーヒーを買うとせっかくの百円を使ってしまうことになる。それでは、売った文庫五冊に何だか申し訳ないような気がしたのだろう。

あみだくじをゆっくり辿り降りてきて友のお腹に生まれた
いのち                  松本志李

上句の比喩が印象的。様々な出会いや両親の系図をたどって、ようやく一つの命が宿る。何かひとつ違っていても生まれなかった命だ。

他愛なき争ひ重ね子を叱りあのときわたし輝いてゐた
                     今村美智子

子育て真っ最中だった頃のことを思い出している。心の余裕もなく慌ただしく過ぎて行った日々だが、今から思えば充実した時間だった。

JR四日間乗り放題にて娘は来たり実家を宿に出かけてばかり
                     河内幸子

せっかく帰省してきたと喜んだのも束の間、実家はホテル代わりに寝るだけの場所なのであった。3日間泊まってまた戻っていくのだ。

嫗ひとりバスを降りたり日だまりに野梅こぼるる診療所まえ
                     冨田織江

何でもない場面を詠んで小品の味わいがある。「診療所」が効いている。のどかな風景が浮かび、ゆっくりと流れる時間まで感じられる。

がたんごとんがたんごとんと子を揺らし列車と共に絵本を進む
                     魚谷真梨子

子を膝に抱きながら絵本の読み聞かせをしているところ。身体を揺すりながら、絵本の中の列車に一緒に乗っているような気分になる。

右足でリズムとりつつガラス戸の向こうに大判焼きを焼く人
                     真栄城玄太

黙々と大判焼きを焼く人の足が一定のリズムで動いていることに気づいたのだ。確かにこうした作業は、リズムを取ることが欠かせない。

寒の鱈もらいて捌き食べ尽くす家族四人と猫一匹で
                     生田延子

一匹丸ごと「食べ尽くす」ところに美味しさだけでなく達成感も感じる。結句の「猫一匹」がいい。飼い猫も含めた家族の一体感が滲む。

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2020年06月01日

「塔」2020年5月号(その1)

「谷町の和子です」と言ふわれを車椅子の従姉瞬かず見る
                     上杉和子

親戚同士は名字が同じことも多いので、住んでいる場所で区別することがある。老齢の従姉との再会の場面。「谷町の」が実にリアルだ。

幸せに○を入れ死にたくなるにも○を入れたいくらしの調査
                     佐近田榮懿子

「幸せ」と「死にたくなる」は相反することのように感じるが、実はそうではない。死を安らかに受け入れる気分が生まれつつある。

スーパーの売場ちらっと見るだけでここが海から近いとわかる
                     廣野翔一

鮮魚売場のスペースが広かったり、町中では見かけないような珍しい魚が並んでいたりするのだろう。海に近い場所ならではの光景だ。

もう誰も鬼にはならず節分は猫に向かって豆をころがす
                     大森千里

子どもたちが巣立って、もう本格的に豆まきをすることもない。相手をしてくれるのは猫ばかり。投げるのでなく「ころがす」のがいい。

「この島の自然は好き」「は」を強く答え続けて四十年経つ
                     ほうり真子

佐渡に住む作者。島外から嫁いで四十年経っても、人間関係や古いしきたりには馴染めない部分があるのだろう。「は」の一語が重い。

真夜中の公衆便所の明るさのまえで体操する運転手
                     吉岡昌俊

公衆便所で用を足して、ついでに身体をほぐしているところか。深夜に働くタクシー運転手の孤独な姿がありありと見えてくる歌だ。

をちこちのスピーカーから「故郷」がずれつつ響く午後五時
明(あか)し               篠野 京

町の防災無線スピーカーから流れる夕方5時を告げる曲。「ずれつつ」がいい。輪唱のように重なりながら数か所から聞こえてくる。

さつま芋の色を連ねて走りゆく貨物列車は冬の日向を
                     高松紗都子

貨物列車の色を「さつま芋」に喩えたのが面白い。赤紫色のコンテナが何両も連なっていく。さつま芋の収穫を見ているような気分だ。

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2020年04月26日

「塔」2020年4月号(その2)

基板二個取り替へられて機嫌よきテレビと過す大晦日(おほ
つごもり)を            安永 明

映りの悪いテレビを修理してもらったところ。「機嫌よき」と擬人化したことで、古い友人と一緒に年末を過ごしている感じが生まれた。

点となるあたりに森はあるのだろう鳥かろがろとビルを越え
ゆく                黒木浩子

町中のビルを越えて行った鳥の群れがやがて小さくなって見えなくなる。遠くその方角に、鳥のねぐらとなる森があるのを想像している。

寒いから寒いぶんだけ着られずに乾くだろうと思うだけ着る
                  松岡明香

冬は洗濯物がなかなか乾かない季節。寒いからと言って何枚も着るのではなく、洗濯のローテーションを考えながら着なくてはならない。

読点に宿る悲しみ 自転車は漕げば漕ぐほど遠くに行ける
                  長谷川麟

初二句と三句以下の取り合わせがいい。句点と違って読点には、書き手の思いがこもる。自転車に乗って悲しみを紛らしているところか。

今ならば何メートルに達するや田島直人の三段跳びは
                  前田 豊

上句の発想が面白い。ベルリンオリンピックで優勝した時の世界記録16m00を現在の記録と比較すると、圧倒的な強さが伝わらない。

ハツ四つ串いつぽんにつらぬかれ鶏(とり)は四羽も殺されて
ゐる                千葉優作

「ハツ」は心臓なので一羽から一つしか取れない。一本の焼き鳥の串に四羽の命が刺さっていると思うと、何だか食べるのが怖くなる。

妹に似てというより父に似てまた祖父に似て甥の目鋭し
                  丸山恵子

妹の息子であるが、男性ということもあり、その眼差しから父や祖父の顔が思い浮かんだのだ。父や祖父はもう亡くなっているのだろう。

別れたくなさすぎたから居酒屋でぐじゃぐじゃのシクラメンに
なった               蔵田なつくら

相手から別れ話を持ちかけられて、夜の居酒屋で大泣きしているところ。「シクラメン」がおもしろい。顔全体に涙が広がっている感じ。


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2020年04月25日

「塔」2020年4月号(その1)

こころより体は孤独かもしれずぼんやりと見る病窓の夜
                  岩野伸子

孤独と言うと一般的には心の話と思うが、体が孤独なのだと言う。入院中のどこにも行けず部屋に閉じ込められている感じがよく伝わる。

安政地震に両脚残しし折鳥居生田の森に奉られてあり
                  佐近田栄懿子

1853年の地震で倒壊した鳥居の笠木や礎石が生田神社に祀られている。支柱の一本は同じ神戸の金星台で石碑に使われているらしい。

大晦日も夜勤といいし子のために年越しそばをラインでおくる
                  大森千里

年越しそばも食べずに働いている子のことを思って、ラインで画像を送ったのだろう。離れていても一緒にそばを食べている気分になる。

ふるさとはいつも誰かが死ぬところ帰省のたびに香典包む
                  数又みはる

上句の断言に重みがある。故郷を離れてから長い歳月が過ぎ、今では親戚や知り合いが亡くなった時にだけ訪れる場所になっているのだ。

水面にふる雪のやうにとどかないさびしさがある「いいね」は
しない               澄田広枝

親しい人のTwitterやFacebookの書き込みを読んで、自分の思いが届いてないことを感じたのだ。「いいね」しないのがせめてもの抵抗。

量られて買われてそして溶かされて何処へゆくのか祖母の
指輪は               中山悦子

亡くなった祖母の金の指輪を売却したのだ。形見の指輪だったものがただの物質としての金となり、祖母の記憶も遠いものになっていく。

了解と送りて終はりし筈なるにその了解に返信がくる
                  大島りえ子

電話を切るタイミングも難しいが、メールでも時々こういうことがある。もう一回返信すべきか、もうこのままで止めていいのか迷う。

ポリタンの上で寝ている猫もいる十日えびすの夜店のかたえ
                  川俣水雪

1月10日に主に西日本の神社で行われる行事。水や灯油を入れるポリタンクの上に寝ている猫が、何とも良い雰囲気を醸し出している。


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2020年03月29日

「塔」2020年3月号(その2)

手袋をはめた朝から冬だから落ち葉の道を立ちこぎでゆく
                 森 雪子

冬だから手袋をはめるのではなく、手袋をはめたから冬なのだという把握が面白い。寒さに縮こまらずに、自分を奮い立たそうとする。

全身に父の血母の血鳴り響くわたしはとてもいびつな楽器
                 田村穂隆

両親の血が自分の身体に流れていると思うと、好悪の入り混ざった感情が湧くのだ。そんな自分を「いびつな楽器」と表現したのがいい。

つぎつぎと二百の画面は暗みゆき二台の「社員さん」が灯りぬ
                 栗山れら

200台のパソコンの並ぶ職場に、正社員はたったの二人しかいない。定時にパートや派遣の人が仕事を終えた後も、その二人だけは残る。

スコープに見ゆる胃の荒れはわたくしのストレスにあらず
ハイターの跡         故 柴田匡志

病院で胃カメラの検査を受けている場面だろう。胃の内部に漂白剤の跡が残っている。自殺を企図して漂白剤を飲んだことがあったのか。

茗荷には茗荷にしかない色がある細く刻みて豆腐に載せる
                 丸山順司

ピンクと緑と黄色の混ざり合った独特な色合いをしていて、確かに茗荷色とでも呼ぶしかない。白い豆腐の上に色が映えて美味しそうだ。

どれよりも高く担がれヨコスカを米兵神輿がねりあるきゆく
                 北島邦夫

「よこすかみこしパレード」に米軍基地の兵士たちも参加している。アメリカ兵は背が高いので、数多くある神輿の中でも一番高くなる。

五十年前に出会いし三つ編みの少女が今はわれに指図す
                 坂下俊郎

「少女」=現在の妻ということだろう。ユーモアのある歌。あれこれ妻に指図されながら、三つ編みの少女だった頃を思い出している。

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2020年03月28日

「塔」2020年3月号(その1)

ありがたうすみませんなどもう言はず一日黙つてゐたい病室
                 岩野伸子

入院中は看護師や見舞いの人に手伝ってもらうことが多く、そのたびにお礼を言っていると疲れてしまう。そっとしておいて欲しい気分。

いつまでも空き缶つぶす音がする妻を亡くしし人の庭より
                 竹下文子

独り暮らしになった男性が黙々と空き缶を潰している。その行為に没頭することで、心の空虚感をかろうじて埋めているのかもしれない。

男殺油地獄がもしあればあぶらはもっともっとひつよう
                 大森静佳

「女殺油地獄」では与兵衛がお吉を殺す場面で油壺が倒れて油まみれになる。この歌では逆に女が男を殺す場面をイメージしているのだ。

四つに組む力士のように舞茸の天麩羅ふたつ皿の上にあり
                 天野和子

初二句の比喩が面白い。てのひらのような形をした舞茸の天麩羅が二つ、立てたように皿に盛り付けられている。色も人間の肌っぽい。

干し首のごとき玉葱が吊られをりコーラあかるきヴェンダー
の陰               篠野 京

初句からぎょっとするような比喩が使われている。コカコーラの赤い自動販売機とその陰に吊られた玉葱の薄暗さの対比も印象に残る。

手の内の小さき画面に雨雲の無きを確かめスーパーへ行く
                 畑久美子

スマートフォンで天気予報の雨雲レーダーを見て、今のうちにと近所へ買い物に出たのだろう。何とも便利な時代になったものである。

子供なら跳んで渡つて遊ぶだらう礎石が並ぶ国分尼寺跡
                 岡田ゆり

点々と並ぶ礎石を見ながら、石から石へぴょんぴょん跳んでみたくなったのだ。でも、大人になるとなかなかそういうことはできない。

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2020年02月28日

「塔」2020年2月号(その3)

ぴよんぴよんと幾度か芝地を跳びしあと畑岡奈紗のショット
は伸ぶる              澤崎光子

上句だけだと何のことかわからないが、下句でゴルフの歌だとわかる。何度かバウンドした後でフェアウェイを転がりつづけるボール。

九冊の十二国記を読み返す新たな旅を深めるために
                  高松紗都子

昨年18年ぶりに新作長編が刊行された小野不由美『十二国記』シリーズ。新作を読む前に、じっくりと既刊分を読み直しているのだ。

抱かれたいけど抱かれたら暑くなり仔犬は居場所なきやうに
鳴く                岡本 妙

最初は人間の話と思って読むのだが、下句で仔犬を抱いている場面とわかる。甘えてすり寄ってきたものの、すぐにまた逃げようとする。

「二百十日、二百十日」と祖母は言い家中の雨戸閉めてまわ
りぬ                 雅子

台風が近づいている場面。「二百十日」という昔ながらの言い方で台風に備えている祖母。緊迫した場面だが、どこか楽しそうでもある。

アルバイトを叱る怒声に丼をただ見つめおり緑のぐるぐる
                  榎本ユミ

他人が大声で叱られるのを聞いているのは、気分の良いものではない。ラーメン鉢の縁に描かれた模様(雷文)を見ながらやり過ごす。

なにもせずなにも産まずに終えし日の枕辺をゆく足ほそき蜘蛛
                  亀海夏子

特に何をするでもなく一日が過ぎて寝床についたところ。「足ほそき」という具体がいい。目に入った蜘蛛の姿をじっと見つめている。

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2020年02月27日

「塔」2020年2月号(その2)

ポケットの中で洗濯されているような気持ちで新宿にいる
                  長谷川麟

大勢の人が行き交う新宿の雑踏にいる心細さと、めくるめくような感覚。それを四句目までの長いユニークな比喩がうまく伝えている。

雪うさぎの二円切手買ふ 二千万必要といふ国に老ゆべく
                  森永絹子

郵便料金の値上げに伴ってよく使われるようになった2円切手。郵便局で「二円」の切手を買いながら、老後「二千万」円問題を思う。

木枯らしに二度も三度も庭を掃く柿の葉擦れに耳傾けて
                  澤田清志

風が強く吹いて、さっき掃いたばかりなのにまた葉が散っている。「二度も三度も」は苛立ちのようだが、下句を読むとむしろ穏やか。

玉ねぎを欲しいといへば二十キロ持たせてくれる兄のやうな人
                  森 絹枝

北海道に住む作者。この知り合いの農家はスケールも大きいし、気持ちも大きい。ちょっと欲しいと言ったら箱ごとドーンとくれたのだ。

真剣に遊んでこなかったんかなあコマもあやとりも教えられ
ない                吉田 典

上句の述懐がいい。コマの回し方やあやとりの取り方を子どもに教えようとして、「あれ?どうだったっけ?」と困ってしまったのだ。

ふるさとの島は遠くて東京の島を訪ねる ある晴れた日に
                  紫野 春

島に生まれ育って現在は東京に住む作者。島とはまるで正反対の環境にいて、時々島が恋しくなるのだ。近場の島の空気を吸いに行く。

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2020年02月26日

「塔」2020年2月号(その1)

旧姓をあまやかなものといふ人よその感受こそあまやかならん
                  村田弘子

一般的に姓を変えることの少ない男性の方が「あまやか」と捉えがちな気がする。それに対して、作者は幻想に過ぎないと思うのだろう。

土砂降りの三回戦を観にゆきてサッカーボールが記憶にあらず
                  小林真代

子どもたちのサッカーの試合を見に行った場面。普通はボールの動きを中心に見るのだが、雨と泥と人でぐちゃぐちゃな感じだったのだ。

十一月にクリスマスソングを流しいる店に買い物せざるを
得ない               矢澤麻子

一か月以上前からクリスマスソングを流すことに抵抗を覚えるのだ。でも、近くには他に適当な店がなく、嫌でも曲を聴く羽目になる。

コンビニが二十四時間あいてゐたと古老語れど誰も信じず
                  益田克行

未来を想像した歌。時代の移り変わりとともに、かつては当り前だったことが当り前でなくなり、やがてあり得ないことになっていく。

広島に買ひにゆきたし三色とも赤とふカープの三色ボールペン
                  野 岬

三色ボールペンと言えば黒・赤・青が一般的だが、広島カープのチームカラーにちなんで三色とも赤なのだ。作者も広島ファンなのかも。

にぎりめしラップのうへから握りなほし少女は食(たう)ぶ
秋の列車に             篠野 京

上句は何でもない動作を詠んでいるが、目の付けどころがいい。確かに、おにぎりを崩さないように、軽くこんな仕種をすることがある。

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2020年02月04日

「塔」2020年1月号(その2)

フェイントのゆるいボールが落ちて来つテレビ見ながらわが脚
動く                 丸山順司

バレーボールなどでスパイクを打つと見せかけて緩い球を打つフェイント。テレビを見ていて思わず身体が反応して動いてしまったのだ。

牛小屋にくっ付いていた外便所月ばっかりが思い出にある
                   中山大三

かつての日本家屋では便所が外にあることも多かった。この歌では何と牛小屋に併設されている。夜の便所に行く途中で見た月の美しさ。

箸袋に鶴の折り方書かれいて箸置きの鶴五羽になりたり
                   田宮智美

割り箸の袋を折って鶴の形の箸置きにする方法が印刷されていたのだ。見たらつい試してみたくなるもの。五名で食事している場面か。

北米の野鳥三十億羽減 星を剥がれていった羽音
                   田村穂隆

「三十億羽」という圧倒的な数字に驚かされる。「剥がれていった」が何とも痛ましい。地球上から失われてしまった数多くの鳥の命。

触れないと触れたいことがわからずに消去法にて指をからめる
                   中井スピカ

触れたいから触れるのではなく、触れることで触れたかった自らの気持ちに気づく。恋人と手をつなぐ時のちょっとした緊張感と嬉しさ。

ウェイター待たせに待たせボンゴレと君が言うから僕もボン
ゴレ                 坂下俊郎

「ボンゴレ」の繰り返しが楽しい。連れ合いが注文に迷って長々と待たせてしまったのが申し訳なくて、僕も同じものにしたのだろう。

日の差さぬ方をえらべばトンネルを抜けし車窓に海は見えない
                   黒木浩子

窓から差し込む日差しを避けて反対側の席に座ったら、せっかくの海の景色も反対側になってしまった。東海道新幹線などは、こうなる。

姑は二十時間の眠りより覚めて食事すコスモスを背に
                   生田延子

高齢でほとんど寝たきりの生活の姑。「二十時間」という具体がいい。長い眠りから覚めて食事する姿は、夢と現実の間にいるようだ。

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2020年02月03日

「塔」2020年1月号(その1)

この次は私の子供に生まれたし唐胡麻の花駅へとつづく
                   大橋智恵子

自分の子供に生まれたいという発想がユニーク。単為生殖のようなイメージだろうか。唐胡麻は生け花の花材としても使われるらしい。

数時間あとにはもどる船着き場知らないだれかが手をふって
いる                 岡本幸緒

遊覧船に乗る場面。どこかへ行くのではなく、ぐるっと回って帰ってくる船。こういう時は、なぜか知らない人同士でも手を振り合う。

道を行く人の頭髪じつと見る理容師なれば当然として
                   松島良幸

理髪店を営む作者。店の前を過ぎ行く人の髪の伸び具合が気になるのだ。それを「当然として」と言い切ったところにユーモアも感じる。

山陽線・美祢線・山陰線乗り継ぎ下関から萩へと帰る
                   片山楓子

下関から厚狭、長門を経由して萩へ。同じ山口県内であるにもかかわらず、列車の本数も少ないのでゆうに二時間以上はかかってしまう。

自陣より香車を打てばたちまちに盤の柾目の筋とほるなり
                   清水良郎

香車は縦にだけ進む駒なので、将棋盤の縦方向に真っ直ぐ通った木目が浮き上がるように強く意識されたのだ。駒の働きがよくわかる歌。

なりたくて親子になったわけじゃない子は思うらむ吾も思いき
                   関野裕之

親子関係が何かぎくしゃくしている様子。上句のことを作者自身もかつて親に対して思ったことがあるから、子の気持ちがよくわかる。

ロープウェイに乗れば七分 二時間をかけて登って鹿たちに
会う                 加藤武朗

「七分」と「二時間」の具体的な対比がいい。自分の足で苦労して登ったご褒美のように、登山道の途中で鹿が姿を現してくれたのだ。

我武者羅や釈迦力よりもシンプルにひたむきでいいと思うんだ
けど                 白澤真史

「がむしゃら」や「しゃかりき」を漢字で書くと物々しく肩に力が入った感じになる。そんなに気負わなくてもいいのでは、という思い。

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2019年12月29日

「塔」2019年12月号(その3)

鵺(ぬえ)に似たぼくのこころできみを抱く 鵺は意外とかはいいと思ふ
                    宮本背水

「鵺」は伝説上の気味悪い怪物だが、下句「意外とかはいい」に意外性がある。人を抱く時のふだんとは違う自分を楽しんでいるようだ。

願かけに生やしはじめて三十五年子らはひげ無きあなたを知らず
                    宮内ちさと

夫の願いごとは、生まれてくる、或いは生まれたばかりの子に関することではないかと思う。「三十五年」という年数に重みを感じる。

綿飴の膨らみを待つ額から流れる汗の甘そうなこと
                    中森 舞

お店の人が割り箸に綿飴を巻き取っていく姿を見つめている子ども。夏祭りなのだろう。あたりにはザラメの甘い匂いが漂っている。

川砂の白さを踏みて釣り人は夏のをはりの標本となる
                    森尾みづな

川岸に立ったままじっと動かない釣り人の様子。「夏のをはりの標本」がいい。時が止まって風景に閉じ込められてしまったみたい。

窓越しに口をパクパクさせながらこっちへこいと合図する姉
                    王生令子

声は聞こえないのに「こっちへこい」と言っていることがはっきりわかる。行かないと怒られそうだ。姉と妹の微妙な力関係を感じる。

クロワッサンみたいな人だいい色に焼けてはいるが迫力がない
                    福西直美

「クロワッサンみたいな人」という表現が面白い。人柄は良いのだけれど、押しが弱い。悪い人ではないんだけどねえ、という感じか。

水槽の青い魚を見るようにアイスケースの前に立つ人
                    竹内 亮

いろいろなフレーバーのアイスがケースの中に並んでいる。それを覗き込みながら、どれにしようかと目をきょろきょろ動かしている人。


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2019年12月27日

「塔」2019年12月号(その2)

「丸茄子の輪切りに味噌を挟むのは北信(ほくしん)流」と南信(なんしん)の人
                    青木朋子

「北信」は長野県北部、「南信」は南部のことだろう。他県の人から見れば同じ長野県なのだが、地元の人にとっては大きな違いなのだ。

首振りの扇風機壁に打ち当たりあくまでも首振らんとしをり
                    野 岬

自宅でも時々目にする光景だが、短歌に詠まれるのは珍しい。センサーなどで制御されてはいないところに昭和的な懐かしさを感じる。

鮎釣るは年寄りばかり思い出を拾うがごとく馬瀬川に立つ
                    加藤武朗

鮎釣りをする人も年々減っているのだろうか。「馬瀬川」という固有名詞がいい。川のあちこちに長年釣りをしてきた思い出があるのだ。

おとうとがページをめくり王朝のひとつが滅ぶ初夏ひるさがり
                    中田明子

世界史の教科書などを読んでいて、王朝が興ったり滅んだりするのだ。ページから3Dホログラムが立ち上がってくるみたいに感じる。

父母の木箱の雲丹は売られおり金の「特選」シール付けられ
                    逢坂みずき

両親の獲ったウニが店で立派な姿で売られているのを見て誇らしく感じている。どんなウニでも良いのではなく、選ばれた高級なウニ。

くりかえす朝焼けに身を撓らせていくどもいくどもお前を産むよ
                    魚谷真梨子

出産の時の記憶が何度も甦ってくるのだろう。子を産むというのは、産んで終わりではなく、永遠に産み続けることなのかもしれない。

競泳の選手の腕のかたちしてざぶりと波が海に飛びこむ
                    松岡明香

曲線を描く波頭の形をクロールの腕に喩えたのがおもしろい。波はもともと海の一部なのだが、まるで別の生き物のように感じられる。

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2019年12月25日

「塔」2019年12月号(その1)

白く冷たい音をたてつつそそがれて牛乳は朝のカップに目覚む
                    河野美砂子

「白く冷たい」牛乳ではなく「白く冷たい」音。目覚めるのも私ではなく牛乳。言葉が微妙にずらされることで光景が鮮明に見えてくる。

閉めるなとふ札のかかりて営林署の蛇口は山水流しつ放し
                    酒井久美子

蛇口をきっちり閉めてしまうと凍ってしまうのだ。冬には雪が積もるような寒い土地の感じが伝わる。水道ではなく沢から引いてきた水。

その川は筑紫次郎と呼ばれおり太郎三郎と出会うことなく
                    貞包雅文

「筑紫次郎」は筑後川。坂東太郎(利根川)や四国三郎(吉野川)と兄弟みたいな名前だが、もちろん離れ離れで合流することはない。

引き潮の昏い海岸を駈けていった大きな犬こわいくらい身軽な
                    白水裕子

モノクロ映画のワンシーンのような場面。下句「大きな犬こわい/くらい身軽な」の句跨りが、憧れや怯えのような不思議な余韻を残す。

怒られる前に帰ると娘はわらえりガラスのようないつもの声で
                    朝井さとる

あまり長居して喋っていると最後は小言になると知っているのだ。適度な距離感のある母と娘のさっぱりした関係が感じられて心地よい。

踏み跡を吸ひとるやうに雪をふむ白馬岳に眼はしろく病む
                    坂 楓

前の人の靴跡に自分の靴を重ねる様子を「吸ひとるやうに」と言ったのがいい。ずっと足元の雪を見続けて、目が見えにくくなっていく。

清くんが死んだよと言われ清くんは思い出の沼から立ち上がり来る
                    吉田淳美

もう忘れていた子どもの頃の友達だろう。その死を知らされて記憶の奥から甦った「清くん」。死んだことで一瞬作者の中に生き返った。


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2019年12月05日

「塔」2019年11月号(その3)

生返事するときいつもゆふぐれの雁を見送るやうなあなただ
                 千葉優作

「ゆふぐれの雁を見送るやうな」という比喩が印象的。どこか別のところに心が向いている相手の様子を、少し寂しく思っているのだ。

廊下なぞ歩いちゃ駄目だと言い聞かせ畑で放てば丸虫は行く
                 北乃まこと

「丸虫」は関西ではダンゴムシのこと。家の外に逃がしてやったのだ。「言い聞かせ」にユーモアがあり、結句にたくましさも感じる。

探し探して伯父を訪ねてくれたりきここが慰霊の最後と言ひき
                 西山千鶴子

戦死した伯父をかつての戦友が訪ねてきたのだろう。上句では伯父が生きているように感じるが下句の「慰霊」で一首の意味が変わる。

下の子のオマルも積みて行きしころ四国の実家はまだ遠かりき
                 冨田織江

瀬戸大橋が開通する前の思い出。小さな子どもを連れての帰省は荷物も多くて大変だったのだ。「オマル」という具体がよく効いている。

インベーダーゲームの如く雨粒がつぎつぎ窓を滑りて落ちる
                 酒本国武

窓に付いた雨粒がつつーっと落ちてくる様子。インベーダーゲームの粗い画面の感じが、滑らかでない落ち方をうまく表していると思う。

晩年はマックシェイクを好みいし祖父の十三回忌が巡る
                 長谷川麟

上句の具体が祖父の姿を鮮やかに立ち上げている。若者向けの飲み物も抵抗なく受け入れる柔軟さと好奇心。ストローを吸う顔が浮かぶ。


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2019年12月04日

「塔」2019年11月号(その2)

負傷した一兵卒と看護婦の出会いのありて生まれた私
                 坂下俊郎

戦争中の偶然によって出会った二人。戦争がなければ、父が負傷しなければ、母が別の病院勤務だったら、生まれることのなかった自分。

濃くうすく白さの濃度かえながら霧ながれゆく白滝山に
                 市居よね子

濃淡のある霧が流れてゆく様子だけをシンプルに詠んでいて印象に残る。「白滝山」という固有名詞も、この歌によく合っているようだ。

もうあまり泡のたたない石鹸のうすさのようなメールを返す
                 紫野 春

四句目までが長い比喩になっている。以前はもっと中身のあるメールをやり取りしていたのだろう。二人の関係の変化と寂しさが伝わる。

硝子戸と網戸の隙間に閉ぢ込めた熊蜂の目がぢつと見つめる
                 新井 蜜

網戸に止まっていた蜂を見て咄嗟に硝子戸を閉めたのだ。そのまま放置するつもりの作者を蜂は睨んでいるのか、助けを求めているのか。

バス停の案内板は今日も立つお前は乗せてもらへないのに
                 益田克行

バス停は人のような形をしているので擬人化しやすい。バスに乗る人たちの先頭にいるのにバス停自身は永遠にバスに乗ることがない。

胸に棲む小鳥に餌をやるようにステロイド剤深く吸いこむ
                 佐藤涼子

喘息の発作の予防などに用いられるステロイド剤の吸入。上句の比喩に病気とともに生きていくしかないという覚悟や決意が感じられる。


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2019年12月03日

「塔」2019年11月号(その1)

灯台はさながらマッチの棒に見え良い事ばかりそうは続かぬ
                 紺屋四郎

遠くにある灯台を見ながら下句のことを思ったのだろう。「マッチの棒」という素っ気ない言い方が、何か悲しみのようなものを伝える。

いつかあなたの絵の中に見し水色の橋渡りゆくあなたの通夜へ
                 酒井久美子

あなたの家の近くに架かる橋なのだろう。絵の中の世界と現実の世界が混じり合うような不思議な感覚が、生と死の隔たりにも通じる。

初蟬の夕べ夫と見ていたり中井貴一の長きくちづけ
                 山下裕美

テレビで映画やドラマを見ている場面。隣りにいる夫が妙に意識されてしまう。「中井貴一」と「長きくちづけ」の音の響き合いが絶妙。

よく喋る運転手なり天性のものではおそらくない快活さ
                 金田光世

乗車したタクシーの運転手の明るさが職業的な努力によるものだと感じ取る。作者もまたそういう努力をしているからかもしれない。

契約の署名の中にあの時の体力があり跳ねも払いも
                 竹田伊波礼

家や保険の契約など大金が関わる契約書だろう。今よりも若く元気だった自分の様子が、署名の一画一画から伝わってくるのである。

保険証裏の臓器移植に○を付け怖いと思う長生きしよう
                 田島キミエ

臓器移植の意思表示の欄には、心臓・肺・肝臓などの臓器名が記されている。それを見て自分の死を生々しく想像してしまったのだ。


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2019年10月28日

「塔」2019年10月号(その2)

海老のひげみたいなものがのつてゐるサラダを食べるどこからか風
                森尾みづな

「海老のひげみたいなもの」がいい。名前は知らないけれどよく見かけるやつ。調べると糸唐辛子と言うらしい。風にひげがそよぐ感じ。

あ、鴨じゃあと畑にそっと歩み寄る子らおりふるさとの夏の夕
                魚谷真梨子

出産のために帰省している作者。「あ、鴨じゃあ」が、いかにものどかな故郷の感じを伝える。子どもの頃と変わらない風景なのだろう。

この町に住んだらきっとカーテンを開けて最初に見るだろう川
                松岡明香

進学や引越しを控えているのだろうか。転居したら日常の暮らしに入ってくるものとして旅先の川を眺めている。視点がとても新鮮だ。

無愛想にレジを打つ人この店の閉店を誰もが知っている
                岡崎五郎

「閉店」は廃業の意味に受け取った。残り少なくなった時間を今までと同じように過ごしている。地元の人に親しまれてきた店なのだ。

父の手紙捨てるをためらいおりしかどひとつ捨てればつぎつぎ捨てる
                よしの公一

前後の歌から「父の手紙」は亡き父が手元に残した手紙とわかる。父の人生の証を捨てるのは忍びないけれど、もう必要のないものだ。

行かないで 絶叫ののちタックルのごとく抱きつく夢なれば父に
                石橋泰奈

「夢なれば」なので、実際にはそうできなかったという後悔。「タックルのごと」に迫力がある。別れ、または死の場面かもしれない。

釣られたる桶の鱚みなわれを見るせめて巧みに捌いてくれと
                壱岐由美子

もう後は食べられるしかない鱚たち。その目がじっと自分を見ているように感じたのだ。下句はユーモアだが、かすかな痛みも感じる。

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2019年10月27日

「塔」2019年10月号(その1)

落ちて咲くのうぜんかづらに出入りする蟻を見ており梅雨の晴れの間
                林田幸子

道に散った後も鮮やかに咲き続けている凌霄花。そのオレンジ色の花の奥へと黒い蟻が入っていく。色彩が鮮やかに浮かぶ絵画的な歌。

紋白蝶によく会う初夏だ糸屑のような軌跡に時間が止まる
                小川和恵

「糸屑のような軌跡」が紋白蝶の飛び方をうまく表している。目の前を蝶が横切って行く際の、時間の流れが一瞬とぎれるような感じ。

孫用に揃えおきたる袋菓子賞味期限が迫り来るなり
                畑かづ子

孫が遊びに来た時のために用意しておいたのに、長らく来ないままなのだ。捨てるのはもったいないし、自分で食べるのも気が進まない。

天井に水陽炎がゆれてゐる心字が池のちひさなるカフェ
                斎藤雅也

カフェの建物が池のほとりにあるので水面の反射が天井に映るのだ。ゆったりした時間が流れて心地よさそうな雰囲気が伝わってくる。

「ごちゅもん」と女は言えりテーブルに油の染みた雲井飯店
                朝井さとる

店員はおそらく中国の人だったのだろう。町の商店街にあるような昔ながらの中華料理店。「雲井飯店」という名前を入れたのがいい。

兄の留守にそつと開いて眺めてた蝶の切手を逃がさぬやうに
                穂積みづほ

兄の切手のコレクションをこっそり見ている場面。美しい蝶の図柄は、今まさに飛んで行ってしまいそうなほど鮮やかだったのだ。

紫陽花のみづみづあをき葉は旨さう猫は食べたり叱られてもなほ
                吉田京子

確かに梅雨の時期の紫陽花の葉は色も濃くて瑞々しい。猫が食べるというのも初耳だが、それを見て「旨さう」と思うのもユニークだ。

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2019年09月11日

「塔」2019年8月号(その2)

 引継ぎの最後に黙って渡されし封筒見れば「どっかの鍵」と
                           河野麻沙希

業務に必要な様々な引継ぎを終えた後に受け取った「どっかの鍵」。前任者も一度も使うことのなかった鍵だろう。でも、捨てるわけにもいかない。

 つばめの子カラスに食われ死にたるを子は告げに来て走り去りたり
                           福西直美

凄惨な現場を目撃した子は心がいっぱいになり、誰かに告げなければ耐えられなかったのだ。結句「走り去りたり」に小さな子の悲しみが溢れている。

 黒潮の力受けよと加計呂麻の塩の届きぬ退院の日に
                           大空博子

奄美の加計呂麻島で作っている天然の塩を友人が送ってくれたのだ。豊かな海の力を取り込んで早く元気になってほしいとの気持ちが伝わってくる。

 助走が必要だから逃げだせない フラミンゴ舎にぎゆつとフラミンゴ
                           森永絹子

屋根のないフラミンゴ舎なのだろう。でも、羽が切ってあるわけではなく、助走ができないから飛び立てないのだと言う。何か象徴的な話にも感じる。

 雨って世界でいちばんおだやかな暴力みたい 五月が終わる
                           帷子つらね

世界中のあらゆる場所を打つことのできる雨。それを「暴力」と捉えたのが個性的だ。豪雨でなくても、雨には暴力性が潜んでいるのかもしれない。

 言い直しをさせられるたび濁りゆく子の声にまた夫が怒る
                           吉田 典

何とも痛々しい場面。子の返事や言い方に納得できない父親が何度も言い直しをさせているところ。「口先だけで謝ってもダメだ!」という感じか。

 遠くだから会えないねという遠いままそこにいてその橋のふるさと
                           川上まなみ

故郷にとどまる人と離れた人との関係を詠んだ歌か。本当は遠く離れていてもお互いの気持ちさえあれば会うことができるのにという思いだろう。

 虫眼鏡かわるがわるに見る絵巻むかしの国に二人が暮らす
                           丸山恵子

虫眼鏡で覗き込んでいるうちに、絵と現実が入り混じり、絵の中に入り込んでしまうような面白さ。「かわるがわる」なので、作者も二人でいるのだ。

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2019年09月10日

「塔」2019年8月号(その1)

 廃屋のベランダにもたれ過ぎ去りし春を見つめるくまのプーさん
                           佐々木千代

黄色いプーさんのぬいぐるみがベランダに残されている。置かれたままの姿で廃屋とともに朽ちていく。楽しかった日々のことを思い出しながら。

 波切に来て道を聞くとまかげして指差す人は風にゆれゐる
                           久岡貴子

波切(なきり)は三重県志摩市の漁港。旅に来て地元の人に道を尋ねている場面。人物の動きから風や日差しの強さが感じられ、映像的な一首。

 うっすらと気配としてのみ過ぎてゆく街は文庫のページのうえに
                           中田明子

電車の中で文庫本を読んでいる場面。車窓の風景を見ているわけではないが、開いた本のページを過ぎていく光や影に、街の気配を感じている。

 屈託なく童話が好きと言う人にわたしの好きな童話明かさず
                           朝井さとる

「明かす」ではなく「明かさず」なのがいい。歌が数段ふかくなる。童話と言っても単に楽しいものばかりではない。軽々しく話せることではないのだ。

 屋内へと白衣の男消えにけり朝の路上にサトちやんを据ゑ
                           益田克行

薬局の店頭に置かれているゾウのキャラクター、サトちゃん。「薬局」と言わないのがいい。店員の白衣とサトちゃん人形のオレンジ色が目に浮かぶ。

 ラーメン屋〈雪〉に入りたり本当はカナダ料理を食べてみたいが
                           星野綾香

格安のスキーツアーでカナダを訪れた作者。ゆっくりした旅ではないので、観光客向けの店に入ったのだろう。「雪」という名前がいかにも安っぽい。

 にわか雨上がった後に光りたりうろこ模様の尾道のみち
                           山名聡美

「うろこ模様」は坂道のすべり止めかや石畳などだろうか。雨に濡れて光っているのが美しい。「尾道」という地名に「みち」が入っているのがポイント。

 補助イスでは眠るも出来ずカーテンで景色も見えぬ帰省のバスに
                           川井典子

窮屈なバスの補助席。おそらく長時間乗るのだが、以前はそんなに混むことのない路線だったのだろう。せっかくの帰省が帰り着く前に疲れてしまう。

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2019年07月25日

「塔」2019年7月号(その2)

 池の面へまた地の上へ椿落つ 選べざる死のいづれも朱し
                          西山千鶴子

池のほとりに咲く椿は、水面に落ちるか地面に落ちるか自分では選べない。「池」と「地」の文字が似ているのが効果的。人間の死をきっと同じだ。

 目を閉じても間違えないで弾けるけれどピアノは春を映してしまう
                          椛沢知世

上句から下句へのつながりが不思議な歌。ピアノの話をしているように見えて、どこからか作者の意識と無意識の話に移り変わっているのが面白い。

 君が寝て私が起きているときの世界の進み方がやや遅い
                          鈴木晴香

二人の時と自分だけが起きている時で、時間の流れ方が違う。眠った人のそばに取り残されて、まるで別の世界に来てしまったかのように感じる。

 海の見える席に座れず半島の北へ北へとバスに揺られる
                          山下好美

「海の見える席」に座った歌はよく見かけるが、これは座れなかった歌。海の見えない側の窓を眺めながら、残念な気持ちをずっと抱き続けている。

 できたてのベビーカステラ食べながら歩く桜のある方向へ
                          佐原八重

花見の会場近くの夜店で買った温かいベビーカステラ。「桜」を下句に持ってきた語順がいい。この先に見えてくる桜に対する期待感も伝わる。

 「ヤマネさん」呼びまちがえられてそのままにしばらく暗い所で
 暮らす                     山名聡美

「ヤマナ」を「ヤマネ」と一字間違えられて、でも訂正できずに黙っている場面。ヤマネは巣穴に籠って冬眠するので、下句のイメージが出てきた。

 女ひとり顔はがされし写真あり天金あせし父のアルバム
                          宮城公子

背後に物語を感じさせる作品。亡くなった父のアルバムに見つけた女の写真。父と一体どういう関係にあった人なのか。謎は深まるばかりである。

 ロッキング遊具に揺られ子の足もラッコの足も行きつ戻りつ
                          若月香子

公園にある動物の形をした前後に動く遊具。乗っている子の足だけでなく、遊具のラッコの足に着目したのがいい。ラッコと一緒に遊んでいる感じ。


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2019年07月23日

「塔」2019年7月号(その1)

 万人に知られてもよい願いごと四角い絵馬に書かれていたり
                          岡本幸緒

神社の絵馬掛けに納められた絵馬は、誰でも中身を読むことができる。上句の言い方は、反対に「人に知られてはいけない」願いごとを想像させる。

 ひとつ割ればひとつ買い足し我と夫の土鍋の柄のそろうことなし
                          山下裕美

対で買った食器でも両方同時に割れることはない。割れる時は一つずつである。いつもずれて揃わない土鍋の柄に、夫婦のありようが垣間見える。

 はだか畝湯気を立てをりくぷくぷと昨夜の雨みづ吸ひし黒土
                          小澤婦貴子

「はだか畝」がいい。まだ立てたばかりの何も植えていない畝のことだろう。二句以下は、土がよく肥えていて生きているのが伝わってくる描写だ。

 それでも世界は微動だにせず霧雨の中を丸鋸の音は響きぬ
                          小川和恵

初句「それでも」から始まる4・4のリズムに力がある。下句は何かの建設現場だろうか。「霧雨」と「丸鋸の音」に作者の憤りや無力感などが滲む。

 皮を剝けばしろきりんごのあらわれて「勝ち負けじゃない」は
 勝者のことば                 朝井さとる

赤い皮の下から姿をあらわす白い果肉。下句、なるほど言われてみればその通りだと思う。勝ち負けにこだわらずに済むのは自分に余裕があるから。

 筍の穂先はつかに出でてゐて見つけらるるまで見つからずあり
                          入部英明

下句は当り前のことなのだけれど一つの発見。いったん見つければ、周りの土とは違って見えるようになる。だが、見つけるまでは土でしかない。

 みづたまりのみづ飲んでゐる野良猫のよく動く舌が肉の色なり
                          小林真代

「肉の色」という把握が生々しい。舌というのは肉が剥き出しになっている部位なのだ。日常の何でもない光景が、途端に不気味なものに感じられる。

 ぼた餅を一つ供える少しだけ母の甘さに足らぬこと詫び
                          岩尾美加子

生前の母が作っていたぼた餅に比べ、自分の作るぼた餅は甘さ控えめなのだ。甘いのが好きだった母を偲びつつ、春のお彼岸に供えているところ。


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2019年07月13日

第9回塔短歌会賞・塔新人賞

第9回塔短歌会賞・塔新人賞が発表された。

塔短歌会賞は、大森千里「釦をさがす」30首。
看護師の仕事の歌とランニングの歌。身体感覚が鮮やかだ。

水鳥の飛び立つときの静けさよ 銀の湖面につばさ落として
白布をしずかに顔に掛けるときいつもためらうわたしの指は

次席は宮地しもん「死者の月」30首。
親しかった司祭がふるさとのスペインで亡くなったことを詠む。

その墓地を雪はいつごろ覆ふのか刻まれてゐむ日付けも埋めて
また会ふ日はないと思へりまた会ふ日までと聖歌はくりかへせども

塔新人賞は、近江瞬「句読点」30首。
石巻に住む新聞記者という立場から見た東日本大震災後の歳月。

「話を聞いて」と姪を失ったおばあさんに泣きつかれ聞く 記事にはならない
僕だけが目を開けている黙祷の一分間で写す寒空

次席は川上まなみ「風見鶏」30首。
新任の国語教師としての迷いや悩みを率直に詠んでいる。

まず耳が真っ先に起き五時半の小さな音を耳は集める
そこで怒れよという声を聴くぶら下がる木通のような冷たさの声

今年も良い作品が多く集まり、選考会は大いに盛り上がった。
詳しくは「塔」7月号をお読みください。

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2019年07月06日

「塔」2019年6月号(その2)

 「これでもうおあひこだから」はるばると鍵を届けて君は笑へり
                        永山凌平

何がどう「おあひこ」なのかはわからないが、二人の関係性が窺える感じがする。部屋の合鍵を返しに来た場面と読んだが、全く別の鍵かもしれない。

 すぐ帰るつもりだつたね取り置きし最中のみつかる義父(ちち)の
 引き出し                 今井早苗

義父は入院してそのまま亡くなったのだろう。死後に片づけをしていた見つかった最中が悲しい。ついに食べることできずに残されたものである。

 就活の解禁を機にあっさりと子は髭面をやめてしまいぬ
                        垣野俊一郎

「いちご白書をもう一度」では長髪を切るが、ここでは髭。髭を剃ってすっきりした子の顔を見て、安心するとともに少し物足りない気もしたのだろう。

 かなあみに口塞がれて旧道のトンネルの中に苔は光りぬ
                        永久保英敏

「口塞がれて」が生々しい。使われなくなって封鎖されたトンネルであるが、金網越しに見える苔の輝きがまだ生きていると訴えているかのようだ。

 道を訊くやうに近づききたる人けふ何曜日ですかと問へり
                        西山千鶴子

道を訊かれることはよくあるが、曜日を尋ねられるのは珍しい。何のために知りたかったのか謎めいている。店の休業日や特売日の関係だろうか。

 健やかなわれは何処の旅にあるもう戻らぬと医師は説きたり
                        山田精子

病気をして元の身体には戻れないと告げられたのだ。それを上句のように表現したのがいい。今も元気にどこかを旅している身体を想像している。

 山で折りし左小指が曲がりしまま顔洗ふたび鼻孔に入る
                        いわこし

登山中の事故で曲がったままになった指。毎朝顔を洗うたびに、怪我を負った時のことが脳裡に甦るのだろう。「鼻孔に入る」がよく効いている。

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2019年07月05日

「塔」2019年6月号(その1)

 山の上にひろごる空よ年一度峠を越えて桃売りが来る
                        酒井久美子

毎年夏になると山深い集落を訪れる桃の行商人。「峠を越えて」に風土が感じられる。集落の人たちも桃売りが来るのを楽しみに待っているのだ。

 けふ何を食べたかなどでしめくくる夜の電話はくらしの栞
                        鮫島浩子

「くらしの栞」とはなんて素敵な言葉だろう。特に用件があるわけではなく、今日も一日無事に過ごせたことを互いに報告し合うための電話である。

 おいしくて唇を吸いあう二人かな終点知らず目を閉じている
                        滝友梨香

初句が新鮮な表現。作者はブラジル在住の方だが、乗物の席でずっとキスしている男女の情熱的な世界を、「おいしくて」の一言で見事に表している。

 煙突の数本が見ゆ関係のもはや変わらぬ男女のごとし
                        金田光世

互いに距離を保ったままに立つ煙突を男女関係に喩えたのがおもしろい。知り合ってしばらくは様々な距離の変化があったのだが、もう変わらない。

 三日前罠に掛かりし白鼻心おなじ場所にて雌もかかりぬ
                        吉岡洋子

パートナーの雄の匂いをたどって来たのだろうか。雄に続いて雌も同じ罠に掛かったところに、相手が害獣とはいえかすかな悲哀を感じたのである。

 杖三本藤棚の下に立てかけてアイスを食べる老婆三人
                        王生令子

何ともほのぼのとした光景である。散歩の途中でちょっとひと休み。初句「杖三本」から結句「老婆三人」へとつながる数詞がうまく働いている。

 塩引き鮭数多吊らるるとびらの絵に変形性股関節症の会報届く
                        倉谷節子

上句から下句への展開に驚かされた歌。干されて乾いた鮭の姿と「変形性股関節症」がかすかに響き合う。単なる偶然のイラストなのだろうけれど。

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2019年06月03日

「塔」2019年5月号(その2)

 昼ドラの刑事が背中を流しあい今日見た遺体について語らう
                          太代祐一

実際は守秘義務もあってこんなことはしないだろうが、ドラマにはありそうなシーン。遺体の話をしながら身体を洗うところに奇妙な生々しさがある。

 ぎんいろの冬の空気を吐き出してこれはわたしに戻らない息
                          魚谷真梨子

一般的には「白い息」と言うところを「ぎんいろ」と言ったのがいい。冬の冷たく引き締まった空気。下句、自分の身体の一部が失われていくようだ。

 海蛇と珊瑚の沈むぬばたまの鞄をつよく抱く目黒線
                          北虎叡人

「海蛇と珊瑚」は藪内亮輔の歌集タイトル。『 』に括らないことで、本物の海蛇と珊瑚のイメージが立ち上がる。「目黒線」の「黒」も小技が効いている。

 タッパーに詰められるもの詰めてきた ひじきラタトゥイユナムル
 さばみそ                   小松 岬

パーティーや懇親会などで余った料理を持って帰ってきたところ。日本、フランス、韓国と全くバラバラな料理が一つのタッパーに入っている面白さ。

 そうか、僕は怒りたかったのだ、ずっと。樹を切り倒すように話した。
                          田村穂隆

心の奥に眠っていた感情に初めて気づいたのだ。相手と話しているうちに感情が昂ってきたのかもしれない。句読点を用いた歌の韻律も印象的。

 一つ空きしベッドの窓辺に集まりて患者三人雪を眺める
                          北乃まこと

病院の四人部屋の場合、通路側に二つ、窓側に二つのベッドがあることが多い。窓側の一つ空いたスペースに、残った三人が自然と集まってくる。

 ポケットに帽子の中に新しき言葉二歳は持ち帰りくる
                          宮野奈津子

ポケットや帽子に入っている拾ったもの。それを物でなく「言葉」と捉えたのがいい。小さな子にとって物との出会いは新しい言葉との出会いでもある。

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2019年06月02日

「塔」2019年5月号(その1)

 きのふけふ食べて明日もまた食べむ三本百円の大根のため
                          岩野伸子

「三本百円」という安さにつられてつい買ってしまった大根。三本と言えばかなりの量なので、食べ切るために毎日大根料理を食べ続けているのだ。

 うぐひす餅埋めて抹茶の山々の陰るところと日の差すところ
                          清水良郎

うぐいす餅には青きな粉や抹茶の粉がかけてある。それを若葉や青葉の山に見立てたのだ。皿に載ったうぐいす餅から感じる初夏の季節が鮮やか。

 夫婦には我慢が大事と言う人の口の形が姶良カルデラ
                          関野裕之

錦江湾や桜島を含む巨大な姶良(あいら)カルデラ。道徳的な話を続ける相手の口もとを皮肉な気分で見ている。結句「姶良カルデラ」が秀逸。

 同じドアー並びてをればドアノブにぬひぐるみ吊す女性入居者
                          尾崎知子

老人施設などの場面。廊下に面して同じドアが並ぶので、自分の居室の目印としてぬいぐるみを吊るしている。それが可愛くもあり、寂しくもある。

 ホットケーキの中なる仏 本心とはそもそも存在するのでしょうか
                          白水ま衣

「ホットケーキ」の中に「ホ」「ト」「ケ」の三文字が入っているという発見。「ホットケーキ」「仏」「本心」と「ほ」の音によって三句以下が導かれている。

 真冬にはしろく固まるはちみつの、やさしさはなぜあとからわかる
                          小田桐夕

三句「はちみつの、」という序詞的なつなぎ方が巧みな歌。相手の優しさに気づいた時には、もう二人の関係が変わり手遅れになっていたのだ。

 母にやや厳しい口調のわれだった 旅の写真の見えぬところで
                          山川仁帆

写真には親子の楽しげな姿だけが写っているのだが、それ以外の場面では口喧嘩になったりもしたのだろう。写真を見ながらそれを悔やんでいる。

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2019年04月28日

「塔」2019年4月号(その2)

 壁紙を紺碧色に張り替える あなたの嘘がうそでなくなる
                       増田美恵子

上句と下句に明確な因果関係はないと読んだ。壁紙を張り替えたことで気分が変わり、相手の発言に対する受け取り方が変化したのではないか。

 ちちははの諍ふこゑに覚めたりし真夜の向うに聞きし海鳴り
                       栗山洋子

子どもの頃の記憶だろう。両親の喧嘩している声が静かな夜更けの家に響き、外からは海鳴りの音が聞こえる。今も忘れられないもの悲しさである。

 水仙が今年は遅いとまづ言ひて書かれし手紙言ひ訳にほふ
                       高橋ひろ子

水仙の開花が遅いのは単なる事実であるが、そこに言い訳の話を始めようとする相手の姿勢を感じ取ったのだ。「早い」と「遅い」でニュアンスが違う。

 ピサの斜塔を軽くささえるポーズして妻になりたてのわたしが写る
                       冨田織江

ピサの斜塔での記念撮影のお決まりのポーズ。でも、それは今のことではなく新婚当時の写真の話なのだ。「妻になりたて」に歳月の経過を感じる。

 水漏れは水のせいにはあらずして徴用工の苦き汗水
                       永久保英敏

日韓両政府の争いの種になったまま一向に補償などが進まない徴用工問題。その責任は一体どこにあるのかを「水」に喩えて鋭く問い掛けている。

 コンビニより出で来し主治医目の合へばあづきアイスを袋にしまふ
                       川田果弧

店の外に出て今まさにアイスを食べ始めようとしたところだったのだろう。目が合った瞬間の主治医の気まずそうな表情がありありと浮かんでくる。

 黒板の端から端まで数式を書く生徒あり 恋をしてるな
                       鳥本純平

結句の飛躍が印象的な歌。前に出て黒板の問題を解く生徒のいきいきした様子から想像したのだろうか。直感でわかってしまう感じがうまく出ている。

 たけくらべおおつごもりににごりえをちゃんぽんで読む冬休みかな
                       松岡美佳

『たけくらべ』『おおつごもり』『にごりえ』は樋口一葉の小説のタイトル。括弧に入れなかったところが上手い。平仮名表記が効果的に用いられている。

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2019年04月27日

「塔」2019年4月号(その1)

 蟷螂の歩める形に死にて居り歩みゆきつつ死にたるならむ
                       竹之内重信

まるで生きているみたいに立ったまま死んでいるカマキリ。どこかへ行く途中だったのか。死ぬ時はこんなふうに死にたいという作者の思いも滲む。

 ムンクの『叫び』の目から鼻から泡立ちて蓮根天婦羅からりと揚がる
                       橋本恵美

輪切りの蓮根をムンクの「叫び」の顔に見立てたのが面白い。「目から鼻から泡立ちて」にユーモアと怖さがあって、まさに「叫び」という感じがする。

 日常は二択にあふれ「年賀状以外」の穴に月詠おとす
                       田村龍平

年末年始の郵便ポストは「年賀状」と「年賀状以外」に分かれていることが多い。そんな二択を積み重ねるのが生活であり人生なのかもしれない。

 ホールには地元ゆかりの画家の絵が並びいづれも知らぬ人なり
                       益田克行

市民ホールのような場所だろう。全国的によく知られた有名画家ではなく、郷土の画家の絵が飾られている。その少し寂しげな雰囲気が出ている。

 一度きりフェリーで会った仙台の夫婦からの賀状二十九枚目
                       高原さやか

旅行先で乗った船でたまたま出会って話をした相手。その時に連絡先を聞いて写真を送ったりしたのかもしれない。それから二十九年が流れたのだ。

 はげましてほしいだけなのに一緒にかなしんでしまうからな、と子は
                       中田明子

ほとんどすべて子の台詞だけで成り立っている一首。子の悩みに深く寄り添っていたら、痛烈な一言を食らわされたのだ。親としては立つ瀬がない。

ひとりっこにいちど生まれてみたかった エレベーターに運ばれている
                       紫野 春

兄弟姉妹が欲しかったという歌は時々見かけるが、これは反対。上句が印象的で、「いちど」がよく効いている。きょうだいがいる苦労もあるのだろう。

 野兎の糞の一山さらさらと砂糖のように霜が包めり
                       川口秀晴

ころころとした糞が何個かまとまって山になっている。そこに白い霜が降りてキラキラと光っている様子。「砂糖のように」に野生の美しさを感じる。


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2019年04月14日

「塔」2019年4月号

創刊65周年記念号ということで、いつもより厚めの296ページ。
と言ってもお祝いの言葉などはなし。

・座談会「百葉集を読む」 坂井修一・栗木京子・花山周子
・65周年記念評論賞
  受賞作 穂積みづほ「郷土の歌人としての木俣修」
  次席  芦田美香「鳥は森に帰る〜なみの亜子の鳥の歌〜」
・会員エッセイ
  「わたしの気になる植物」「わたしの失敗」「わたしの塔の読み方」
・塔短歌会年表(2013〜2018)
・物故歌人一覧(『塔事典』刊行後)

今回は評論賞の選考委員を務めた。
穂積さんの受賞作は滋賀県と木俣修の関わりについて丁寧に調べて論じた一篇で、選考委員4名全員が票を入れた。

こうした地道な評論がきちんと評価されるのは嬉しいことだ。

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2019年03月26日

「塔」2019年3月号(その2)


無防備に咳、伸び、くしゃみができなくなりて三十六のからだになりぬ
                         丸本ふみ

他人に対しての配慮という意味だけでなく、身体も若かった頃とは感覚が違ってきたのだ。「三十六のからだ」にその年齢ならではの実感がある。

 伊右衛門と和菓子の並ぶぬばたまの夜の会合みなさん静か
                         坂下俊郎

ペットボトルの「伊右衛門」と和菓子が一人に一セットずつ置かれている。その様子が結句「みなさん静か」とうまく呼応して、場の様子が目に浮かぶ。

 せせらぎのボタンを押せば細流(せせら)いでしまう夥しき懊悩が!
                         太代祐一

近年のトイレに付いている消音用の「せせらぎ」の音。「せせらぐ」と動詞化して使っているのがユニーク。装置の持つ欺瞞性が暴かれる感じがする。

すれちがうふとき一度だけ鳴らしあふ定期航路のあかしあ、はまなす
                         松原あけみ

船と船がすれ違う時にそれぞれ汽笛を鳴らし合うのだろう。「あかしあ」「はまなす」のひらがな表記の優しさも印象的で、船が生き物のように感じる。

 うまれたのと尋ねるわれに渡されし青き体のあたたかな肌
                         吉田 典

出産の場面を詠んだ歌。陣痛と出産の痛みに耐えるのに必死で、生まれたかどうか自分ではわからなかったのだ。「青き」が何とも言えず生々しい。

 あらひざらひ話して楽になるならば、なるならば冬の線香花火
                         永山凌平

すべて話したところで心が楽にならないことを知っているのだ。「なるならば」の繰り返しに悲しみが滲む。黙って線香花火を見つめるしかない。

 ただいまと言ひお帰りと言つてみるしづもる塵を起さぬやうに
                         足立信之

ひとり暮らしの家に帰ってきた場面と読んだ。自分で言った「ただいま」に対して自分で「お帰り」と言ってみたのだろう。下句に侘しさが感じられる。

 十余年通う歯科医に昼下り町で出会えば案外若い
                         宮脇 泉

長い間通ってよく見知ったはずの顔なのに、白衣やマスクではない私服姿だとずいぶん印象が違ったのだ。偶然の出会いの様子がよく伝わってくる。


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2019年03月25日

「塔」2019年3月号(その1)


 母ちがふ妹ふたりどちらにもわたくしがゐる違ふかたちに
                         落合けい子

二人いる妹のうち下の妹は異母妹で、同じ姉妹と言っても微妙に関係が異なるのだろう。でも、作者にとっては大事な妹であることに変わりはない。

 直線に弓を弾きつつ円やかに音を拡げるバイオリニスト
                         新川克之

弓を前後に動かすことで音が出るバイオリン。演奏者を中心に円形に音が広がっていく。「直線」と「円やか」という幾何学的な対比がおもしろい。

 「善」の字は消えて「光寺」の残りゐる蝋燭の火に線香ともす
                         干田智子

善光寺という文字が入っていた蝋燭の上部が溶けて「光寺」だけが残っている。その字を見るたびに善光寺に参った記憶が甦るのかもしれない。

 滝のごとガラスをながるる今日の雨 桜えび丼ほのほの紅し
                         東郷悦子

激しく降っている雨を眺めながら食べる桜えび丼。水のイメージと桜えびの紅さの取り合わせがいい。丼からは温かな湯気が立っている気がする。

 大量の洗濯物が帰国するごはんがまずかったと言いながら
                         荒井直子

子どもが外国旅行から帰って来たところだろう。子と言わず「洗濯物」と言ったのがいい。何日分も溜まった洗濯物をまずは洗わなくてはならない。

 階段を走っておりる若猫の背中の肉の動くを愛す
                         山名聡美

子猫でも老猫でもなく「若猫」。階段を降りる時は背中の筋肉の動きがよく見えるのだろう。座っている時とは違ってしなやかで獣らしい姿である。

 犬五匹五本のリードにつながれて肛門五つが並んで行けり
                         宗形 光

「五匹」「五本」「五つ」と数詞を並べた歌。上句はごくごく当り前なのだが、下句で「肛門」に焦点を当てたのがいい。光景がぱっと目に浮かぶ。

 順繰りに人が嫌われゆく職場 あ、そのお弁当おいしそうだね
                         田宮智美

「順繰りに」ということは、いつ自分がその標的にされるかもしれないのだ。下句のような何気ない一言にも、作者の心はぴりぴりしてしまうのだろう。


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2019年03月02日

「塔」2019年2月号(その2)

 夢をみて目覚めぬままにゆくこともあるやも知れずあるを願えり
                         西村清子

「ゆく」は「逝く」の意味。眠りながら夢を見ながら死ぬことができたら、確かに何の苦しみもなくて幸せなことだろう。でも、自分では決められない。

 〈ここまでのあらすじ〉彼は結婚し家と職場を行き来してゐた
                         益田克行

連載小説などでよく見かける「ここまでのあらすじ」という言葉を取り込んだのが面白い。三句以下はおそらく作者自身のこれまでの人生のこと。

 落ちている手袋が道に指四本広げて鳥の地上絵のよう
                         川上まなみ

結句の比喩が面白い。ナスカの地上絵という全く大きさの違うものを持ってきたことで、日常の一こまが不思議な広がりを感じさせる歌になった。

 猫が水を飲む音 深い就寝の底には青い花野があって
                         田村穂隆

ベッドで眠りながら、かすかな意識のなかで猫が器の水を飲む音を聞いているところ。三句以下、現実と夢とが交錯するような美しさを感じる。

 犯人は画家だと確信得たる時かをりを立てて紅茶が届く
                         近藤真啓

喫茶店などで推理小説を読んでいる場面。本のなかの世界に没頭していると、注文した紅茶が運ばれてきて一瞬現実の世界に引き戻されたのだ。

 あったあったと生落花生を手に入れて塩茹でにしてふるさとにいる
                         真間梅子

落花生は炒って食べるのが一般的だが、地域によっては茹でて食べるところもある。塩茹での落花生を食べると故郷に帰って来たと感じるのだ。

 前の席にすわる女の眼鏡ごし雨降る車窓の景色ながれる
                         水野直美

視点の面白い歌。バスの前の座席の人の眼鏡越しに見える風景を詠んでいる。眼鏡と窓と雨を通して見える歪んだ景色に、生々しい臨場感がある。

 秋の日差しに影しっかりと僕はある いたいと決めてここにいること
                         長谷川麟

「影しっかりと」という表現が印象的な歌。地面に映るくっきりとした影を見て、自分自身の存在や決断をあらためて再確認しているところであろう。

 ベランダで黒板消しを叩いてる君が風にも色を付けつつ
                         近江 瞬

「風にも色を付けつつ」がいい。黒板消しに付いたチョークのピンクや黄色の粉が、風に舞って流れていく様子。君に寄せる恋心も滲んでいるようだ。

 行列の人数分の弁当は社務所の方に運ばれて行く
                         宮脇 泉

神社の祭の行列に参加している人が食べるための弁当。華やかで非日常的な祭の裏で、人数分の弁当の手配という現実的なことが行われている。

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2019年02月27日

「塔」2019年2月号(その1)


 境内に並み居る菊の大輪に見入る人びと菊のかほして
                         干田智子

寺社で開かれている菊花展を見にいったところ。結句「菊のかほして」がおもしろい。人間よりも展示されている菊の方が強い個性を放っている。

 人のために費やす時間は必ずしも清らかでない時もあるから
                         片山楓子

「人のために」と言うと何か良いことのような印象を受けるが、実際には、妬んだり憎んだり怒ったり悪だくみをしたりに費やしている時間も多い。

 捕えられし仲間を見守る十あまり浅瀬に集いて動くともなし
                         福政ますみ

前の歌を読むと、青鷺に鴨が捕まった場面とわかる。他の鴨たちは捕まった一羽を助けようとはしない。自然界の動物たちのありのままの姿である。

 ハローキティみたいにずっと口もとを隠したままで生きていきたい
                         上澄 眠

話をする時や食事をする時など、口もとを見られるのは緊張することかもしれない。何しろ身体の内側がむき出しになって見えてしまうのだから。

 配管の曲がるところに満月のひかりは溜まる 溜まれどこぼれず
                         金田光世

建物の外側に付いている配管の曲線部分が月の光を受けて光っている。「ひかりは溜まる」と表現したのがいい。光が液体のように感じられる。

 長傘はたたまれてみな下を向くそれぞれ兵のごとく疲れて
                         宮地しもん

下句の比喩が印象的だ。ずぶ濡れになった兵士たちが俯いて束の間の休息を取っている姿が目に浮かぶ。緑や紺や黒っぽい傘が多いのだろう。

 秋雨の午前一時に打ち終えた引継資料に印強く押す
                         佐藤涼子

夜遅くまで残業をして、あるいは家に仕事を持ち帰ってという場面。結句「印強く押す」がいい。ようやく資料が完成した疲労感と充実感がにじむ。

 時計屋に時計いくつも売られつつ時間は売られていない真昼間
                         鈴木晴香

発想のおもしろさに惹かれた歌。確かに「時計」は売っていても「時間」が売られているわけではない。それでも時計が並ぶ光景には何となく夢がある。

 新しいバイト入りて今までのバイトは電話をとらなくなりぬ
                         和田かな子

職場では電話の応対をまず教わることが多い。自然と一番新しい人が電話を取ることが多くなる。「今までのバイト」の子は一つ序列が上がったのだ。

 コンバインくるりくるりと滑り行く列なす稲穂を吸い込みながら
                         川述陽子

コンバインによる稲の収穫風景。刈り取り・脱穀・選別を一度にやってしまう優れもの。「滑り」「吸い込み」に機械のスムーズな動きが感じられる。

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2019年02月06日

「塔」2019年1月号(その2)

 東平(とうなる)のナルはひらたき土地の意と思へば哀しひとの
 想ひは                    有櫛由之

東平は別子銅山の採鉱本部などが置かれていた場所。標高750メートルの山間のわずかに開けた土地に、かつては多くの人々が暮らしていた。

 ナイターのかたちにひかりは浮かびいて広島球場車窓をよぎる
                         黒木浩子

山陽本線のすぐ傍にあるマツダスタジアム。電車の窓からナイターに賑わう球場の様子や照明のあかりが見える。上句の丁寧な描写に工夫がある。

 十月に六週あれば散る萩をなびく芒を見に行けるのに
                         山下好美

あちこち出掛けたい場所はあるのに、なかなか全部は行くことができない。「六週あれば」という意表を突いた発想に、残念な気分が強く滲んでいる。

 突然の死とは即ち欠員で仕事の穴は埋めねばならない
                         佐藤涼子

職場の同僚が若くして亡くなった一連の歌。悲しみに浸る間もなく、その人の欠けた分の仕事を誰かが補う必要がある。現実の厳しさが伝わる。

 飛行機はこれでは墜ちる飛の文字の筆順友は幾度も教う
                         相本絢子

「飛」の字のバランスがうまく取れず歪んでいるのだろう。「飛行機はこれでは墜ちる」という言葉がユニークだ。友の熱心な指導の様子が見えてくる。

 ルービックキューブ一面揃え去るドンキホーテの深夜は続く
                         拝田啓佑

六面揃えるのは大変だが一面だけなら誰でもできる。ほんの手すさびにやってみた感じだろう。夜中の店をさまよう作者のあてどなさも感じられる。

 眠りつつ片笑みもらすみどりごは生まれる前の野原にいるか
                         宮脇 泉

下句がおもしろい。一般的には「何の夢を見ているのか」とでもなるところ。まだ生まれたばかりなので、すぐに生前の世界の記憶に戻れるのだ。

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2019年02月05日

「塔」2019年1月号(その1)

その歌を知れども椰子の実は知らずわずかな世界を見て老いゆくか
                         小石 薫

島崎藤村の詩に曲をつけた「椰子の実」は何度も歌ったことがあるのに、実物は見たことがないのだ。下句に何とも言えない寂しさが滲んでいる。

 亡きひとは亡きこと知らずに集いたる写真のなかに夏巡るたび
                         沢田麻佐子

かつて撮った集合写真に写る故人を偲んでいるのだろう。自分が死んだことに気づいていないかのように、写真の中で楽しそうにしているのだ。

 癌を抱き生き長らえて庭石の濡るるを見おり眼鏡を置きて
                         竹之内重信

病を抱える身体で縁側に出て、久しぶりに自宅の庭を眺めているのか。結句「眼鏡を置きて」がいい。濡れた庭石がいつもより鮮やかに目に映る。

 慣れるとは嬉しきことで検尿の尿もすぐ出る きれいな尿だ
                         山下昭榮

病院に通う機会が増え、最初の頃はなかなか思い通りに出なかった尿がスムーズに出せるようになってきたのだ。一字空けの後の結句が印象的。

 床の上に触れさうで触れぬカーテンの襞がま直ぐに濃くなる夕べ
                         石原安藝子

「触れさうで触れぬ」ところに味わいがある。触れていたら歌にならないところ。外が暗くなるにつれて、カーテンの襞の部分が翳りを帯びてくる。

 「denisten-official」のまだ生きていて開けばデニスのまだ生きて
 いて                      小川和恵

デニス・テンは昨年亡くなったカザフスタンのフィギュアスケート選手。最初の「生きていて」は、公式サイトが閉じられてないことを指している。

 電話ボックスに睦み合ひゐる二人あり髪の短き方と目が合ふ
                         川田果孤

電話ボックスという密室で抱き合うふたり。「髪の短き方」という性別を明示しない言い方がおもしろい。目と目が合って何となく気まずい感じだろう。

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2018年12月28日

「塔」2018年12月号(その3)

 人はみな腹に穴あるものと知りわが臍を子がしきりと探る
                          益田克行

「腹に穴がある」がいい。大人が当り前に思ってしまうことに対しても、幼い子は強い関心を示す。父親の臍を見つめては何度も触ってくるのだろう。

 突然の雨ビニール傘に子を入れて自分も入れてかばんはみ出る
                          春澄ちえ

雨が降り始めたことによって「子」「自分」「かばん」という優先順位が図らずも露わになったのだ。鞄が濡れてしまうのは仕方がないという思いである。

 ひいやりと銅山坑道そこここに今は人形たちが働く
                          古栗絹江

観光用に公開されている坑道。昔の作業の様子がわかるように人形が置かれている。結句「働く」と擬人化したことで奇妙な味わいが生まれた。

 吾の名を決めてくれしとふ上の姉四十歳(しじふ)で逝きて写真に
 笑まふ                    竹尾由美子

だいぶ年齢の離れた姉だったのだ。自分が子どもの頃には既に大人だった感じである。そんな姉が今では自分より若い姿で写真に微笑んでいる。

 泥酔しひらく真昼の冷蔵庫なにかをつかめば卵であった
                          田獄舎

夜遅くまで飲んでいたのだろう。目を覚まして喉が渇いたか空腹を覚えたか、朦朧とした意識のままに冷蔵庫を開ける。卵は割れてしまったかも。

 ペン立てにペンを立てればペン立ては満足そうにペンを立たせる
                          真栄城玄太

言葉遊びのような楽しい歌。ペン立てはペンが入っていないとただの容器だが、ペンが入っていると「ペンを立てる」という機能を果たせるのである。

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2018年12月27日

「塔」2018年12月号(その2)

 順ぐりに高足蟹は足あげて踏みはづし行けり底のひらめを
                          篠野 京

タカアシガニの折り畳まれた脚の長さやゆっくりした動きが見えてくる歌。一歩一歩、足元にいるヒラメを踏まないように歩くなど、意外に繊細なのだ。

 思い出しながら頭の中に書く崖という字が景色に変わる
                          高松紗都子

下句の表現がいい。「ガケってどう書くんだったかな?」と思いながら一画一画書いていき、「崖」という字になった瞬間、崖の景色が思い浮かぶ。

 声かけつつ互みに照らし合ふみちに安堵を分かつ知らぬ顔とも
                          栗山洋子

作者は北海道の方。9月の北海道地震は夜中3時過ぎに起きた。「互みに照らし合ふ」がいい。懐中電灯を持って外に出て互いの生存を確かめ合う。

 揉上げは普通でよいかと聞かれたりまこと普通は便利なことば
                          宗形 光

理髪店でもみあげについて尋ねられる場面。長さや切り方など実際には多くのパターンがあるのだろう。でも、大体は「はい」と答えてお任せになる。

 このお花おいしさうねと母が言ふ食べることはや絶えてしまひしに
                          祐徳美惠子

もう食欲もないほどに衰えた母が、飾られた花を見て「おいしさうね」と呟く。その言葉に軽い驚きを覚えつつも、命の不思議な息づきを感じたのだろう。

 夏が夏に疲れるような夏だった橋の向こうに日没を見る
                          魚谷真梨子

猛暑続きだった夏がようやく終わろうとするところ。橋の向こうに沈む夕日が季節の終わりを告げるとともに、虚脱感のような身体感覚を伝えている。


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2018年12月26日

「塔」2018年12月号(その1)

 土石流に流されし木のずるむけの赤きしめりに夏の日射せり
                          上條節子

作者は広島の方。豪雨の被害に遭った場所に、表皮の剝がれた木が横たわって残っているのだろう。「ずるむけ」という言葉が何とも生々しい。

 パソコンのハードディスクに積ん読の電子書籍がたまりてゆけり
                          岡本幸緒

「積ん読」は読んでいない本が積まれている状態のこと。電子書籍はデータなので積まれることはないのだが、それを「積ん読」と言ったのが面白い。

 ちひろの切手にハガキ届きぬをみなごの顔に二本の風あと付けて
                          伊東 文

「二本の風あと」は消印の波線のことだろう。まるで風に吹かれているかのような表現が巧みだ。いわさきちひろの絵の少女が生き生きと見えてくる。

 旅の話をするのは一度っきりでいい 寧ろ、旅とはあなたのことだ
                          白水ま衣

一緒に行ったのではない旅の話を相手がするのだろう。三句で切って「寧ろ、」でつないだ文体が特徴的。あなた自身の話を聴きたいという思いか。

 自転車に登り来て青年自販機の飲料を買う「峠茶屋」の跡
                          小島美智子

かつて茶屋があった所に今は自動販売機が立っている。時代は変っても地形は昔のままだから、自転車や徒歩の人はそのあたりで喉が渇くのだ。

 薬局の壁紙しろく避妊具のとなりに売られている離乳食
                          吉田 典

「避妊具」と「離乳食」の取り合わせが印象的。子ども産まないためのものと生まれた子どものためのもの。正反対と言ってもいいものが隣り合う。


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2018年11月27日

「塔」2018年11月号(その2)

 水平に、また垂直に伸びていく都市だ 五階の窓をひらけば
                        紫野 春

高い建物の窓から眺めると、街が平面的に広がるだけでなく、立体的に伸びていることに気が付く。「水平に、また垂直に」という始まり方がいい。

 年寄りはみな赤ん坊に触れたがり雨の街ゆくバス華やげり
                        王生令子

赤ちゃんが一人いることで、周りが賑やかになる感じがよく伝わってくる。赤ちゃんに触れると、何かエネルギーをもらって若返ったような気分になる。

 常夜灯ついてるほうがなんとなく心細くて暗闇にする
                        小松 岬

蛍光灯のナツメ球のこと。一般的には真っ暗だと不安なので常夜灯を点けておく。でも、言われてみれば確かに、ほのかな光なのでかえって心細い。

 二刀流宮本武蔵はすぐ倒(こ)ける父が作りし小っちゃい人形
                        松下英秋

情景がありありと目に浮かぶ歌。刀を二本持っているのでバランスが悪く、すぐに前に倒れてしまうのだ。何とも弱そうな宮本武蔵なのがおかしい。

 機械油に汚れし階段のぼりゆく産前休業まであと七週
                        吉田 典

工場などの職場で働いている作者。妊娠中なので階段をのぼるのも大変である。「あと七週」と自身に言い聞かせながら一日一日働いているのだ。

 浄水場のみづは水路を走りをりしんそこほそいクロイトトンボ
                        松原あけみ

水路の上をクロイトトンボが飛んでいるところ。「しんそこほそい」のひらがな表記が効果的。トンボの身体の細さだけでなく水の流れもイメージされる。

 落石に押し潰された看板の「落石注意」はだいぶ正しい
                        平出 奔

交通標識の破損をユーモアを交えて詠んでいる。まさに注意喚起していた通りに落石があったわけだから、標識としてはある意味本望かもしれない。


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2018年11月26日

「塔」2018年11月号(その1)

 たまたまに外出どきの蚊のひとつ肩にとまりてわが家にはひる
                        大橋智恵子

蚊のことが別に嫌いなわけではないようで、冷静に観察している。洋服の肩に止まったまま家に入って来てしまった蚊を心配しているようでもある。

 巡回の鳩のうしろをしずしずと立ちゆく朝のちいさき草は
                        なみの亜子

鳩が踏みつけた後で草がまた起き上がる様子。「巡回」とあるので、鳩はそのあたりを何度もぐるぐる歩いているのだ。鳩と草と作者の朝のひととき。

 子供らがよくしてくれてと人に言ひ母は私をつなぎとめたい
                        久岡貴子

上句だけ読むとほのぼのした家族の話かと思うのだが、下句でドキッとさせられる。母と娘の間の心理的な駆け引きが一首に深い陰翳を与えている。

 へろへろと去年の糸瓜が芽を出すから男なんてと思つてしまふ
                        大島りえ子

前年に育てた糸瓜のこぼれ種が芽を出したのか。糸瓜の芽から下句の「男なんて」に飛躍したところが面白い。何か不満に思うことがあったのだろう。

 三人産むはずだったのと今日も言う母の穴すべて今塞ぎたし
                        朝井さとる

実際は一人か二人しか産まなかった母。娘である作者にしてみれば、「私では不満なの」と言いたくなる。下句は介護の場面か。何とも強烈な表現。

 捻子一つ夫の手にありパソコンの椅子の組み立て終わりしあとを
                        数又みはる

ユーモアのある歌。どこかの捻子を一つ付け忘れたのだ。でも組み立てには順序があるから、もう一度バラバラにしない限り締めることができない。

 ふた回り小さきバスが巡行す若きみどりのペイント塗られ
                        岡山あずみ

近年あちこちでよく見かけるコミュニティバスだろう。通常の路線バスより小さな車体のものが多い。そして、過剰なまでの明るさが演出されている。


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2018年11月01日

「塔」2018年10月号(その2)


 かなへびを咥えて来たる飼い猫を足で叱りて歯を磨きおり
                      永久保英敏

「足で叱りて」が面白い。洗面所で歯を磨いている作者のもとに、猫が獲物を見せに来たのだ。手が塞がって動けないので、足でさっと払いのける。

 とろみある空気の中を跳ねるよう線路の上に赤とんぼ飛ぶ
                      中西寒天

「とろみある」という形容がいい。いかにも秋の空気という感じがする。そのとろみの中をゆっくりと飛ぶ赤とんぼ。懐かしさと心地よさが伝わってくる。

 リコーダーを復習ふ子けふは二音のみシソシソシソシソ七夕近し
                      西山千鶴子

小学生が家でリコーダーを吹いているのが聴こえる。苦手な音のところだけ繰り返し練習しているのだろう。結句「七夕近し」が季節を感じさせて良い。

 コロッケを揺らして帰る道端に朝顔の芽の双葉のみどり
                      吉原 真

肉屋か総菜屋でコロッケを買って帰るところ。何でもない日常の一こまだが、「コロッケを揺らし」「双葉のみどり」に幸せな気分がうまく出ている。

 七夕も雨 締まりをらむ玄関の鍵をまはせば鍵の締まりぬ
                      篠野 京

家の鍵を開けようとしたら、既に開いていて、反対に閉めてしまったのだ。「七夕も雨」という初句も含めて、ちぐはぐでうまく行かない感じが滲む。

 こはいから殺したいのと女生徒が蜘蛛を追ひつむ箒を持ちて
                      森永絹子

「こはいから殺したいの」という台詞はよく考えるとけっこう怖い。蜘蛛が現実に何をするわけでもないのだが。人間の心理を鋭く突いている歌だ。

 轢かれたる蝉はかたちを失くしたりただ色だけを路上にのこし
                      吉田京子

蝉の色だけが模様のようにアスファルトに残っていたのだ。描写が的確で映像が目に浮かぶ。死んで地面に落ちた蝉のこの世での最後の姿。

 帆船のごとく背中を膨らませ夏服の子ら湖へと下る
                      丸本ふみ

湖へ向かって子どもたちが坂道を駆けていくのだろう。白いシャツの背中が風に大きく膨らむ。季節も天気も未来も、すべてが明るさに溢れている。

 騙し絵の鳥に見られるあなたとの朝の食卓、夜の食卓
                      岡田ゆり

ダイニングの壁に飾られている一枚の絵。下句「朝の食卓、夜の食卓」がいい。現実と絵の世界が入れ替わってしまうような不思議な感じがある。

 「つぎのかげまで競争だ」子供って暑いことさえ遊びにできる
                      松岡明香

強い日差しが照り付ける夏の日。大人は無駄な体力を使わないようにひっそりと歩くが、子どもたちは日陰から日陰へと走って行く。汗をかきながら。

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2018年10月31日

「塔」2018年10月号(その1)

今月は西日本豪雨や台風に関する歌が多かった。

 瀬野川に石の粗きが残されてしろき尖りを鵜のつかみおり
                      上條節子

豪雨の後の変化してしまった川の風景。「石の粗きが」や「しろき尖りを」といったあたりの観察と描写が行き届いていて、場面がくっきりと見えてくる。

 「そんなこと言はれなくてもわかつてる」言はずに私は私を閉ぢる
                      久岡貴子

母の介護をする作者の歌。自分でもわかっていることを誰かに言われてしまうことに対する苛立ち。でも、言葉にはせず自分だけの殻に閉じこもる。

 年きけば双子の姉が答へたりエンドウマメの花の咲くみち
                      清水良郎

双子なので当然二人とも同じ年齢だから、どちらか一人が答えればいい。おそらく、いつも「姉」が答えているのだろう。下句の光景ものどかで良い。

 弓なりの駅のホームにゆつくりと電車止まりぬ傾きしまま
                      永山凌平

電車が駅に停車する様子をゆっくりとスローモーションで映したような一首。カーブの内側に傾いた形で止まる車両。ホームとの間に隙間がある。

 葡萄色ってつまりは葡萄の皮の色 然れどお辞儀は丁寧にする
                      白水ま衣

確かに言われてみれば「葡萄色」は葡萄の中身ではなく皮の色である。下句の取り合わせは唐突な気もするが、どちらも表面的というつながりか。

 東畑・呉越え・中畑・原・郷と土地の記憶を雨は流れる
                      中野敦子

豪雨の被害を伝えるニュースに報じられる地名なのだろう。地名は土地の歴史や文化、そこに住む人々の暮らしといったものと深く結び付いている。

 真夜中の牛乳一杯グラスよりましろきすぢがのみど下りゆく
                      水越和恵

レントゲンを撮ったみたいに、自分の喉を流れる牛乳をイメージしている。夜の部屋で飲んでいるからこそ、牛乳の白さが際立って感じられるのだ。

 花柄の紙の手提げに道東の土産の氷下魚(こまい)2ダースもらふ
                      川田果弧

「花柄の紙の手提げ」と「氷下魚」のアンバランスな感じが面白い。「匹」ではなく「ダース」という単位で呼ばれているところに、魚の特徴が出ている。

 ひらがなで自分の名前は書ける児のひらがな読めず名はひと続き
 の字                  三木節子

一文字一文字のひらがなを認識しているのではなく、一つらなりの線として自分の名前を認識している。ある一時期だけの子の姿を掬い取った歌。

 扇風機みぎにひだりに首ふれば遅れてうごく猫の黒目よ
                      大森千里

扇風機が首を振るのが気になるのだろう。じっと座りながらも目だけでその動きを追っている。扇風機と猫と作者がいる部屋の様子が目に浮かぶ。

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2018年10月17日

「塔」十代・二十代歌人特集


「塔」10月号は2年に1回の「十代・二十代歌人特集」。
今年の参加者は45名と大盛況だった。

 笹嶋侑斗・北野中子・うにがわえりも・希屋の浦・多田なの・
 田村穂隆・塩原礼・頬骨・逢坂みずき・佐原八重・宮本背水・
 濱本美由紀・紫野春・帷子つらね・中山靖子・長月優・宗形瞳・
 加瀬はる・はなきりんかげろう・永山凌平・瀧川和麿・高田獄舎・
 太代祐一・魚谷真梨子・はたえり・川又郁人・阿波野巧也・
 川上まなみ・北虎叡人・森永理恵・安田茜・西川すみれ・永田櫂・
 卓紀・永田玲・廣野翔一・とわさき芽ぐみ・長谷川麟・横田竜巳・
 椛沢知世・吉田恭大・拝田啓佑・近江瞬・白水裕子・大森静佳

作品もエッセイも写真も、それぞれの個性が出ていて面白い。

ジュンク堂池袋本店(東京)、 ちくさ正文館本店(名古屋)、三月書房(京都)、葉ね文庫(大阪)で、一般向けにも販売しております(1000円)。

また、「塔」のHPでも購入を受け付けております。
http://toutankakai.com/contact/

ちなみに、特集だけでなく月例作品も出しているのは45名のうち31名。
毎月の詠草の方も欠かさずに出してほしいと思う。


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2018年09月29日

「塔」2018年9月号(その2)

 わたしより大きな箸を持つ夫の甲に浮かんだ青き静脈
                       大森千里

夫婦二人の食事風景。夫の手の甲に浮き出た血管を見て、年齢を感じているのだ。普段はあまり意識しないところに気付いた感じがうまく出ている。

 手を離す 果たせなかつた約束のやうに流れてゆく笹の舟
                       千葉優作

何かを失ってしまう感覚を川を流れる笹舟のイメージで詠んでいる。初句「離す」から二句「果たせなかった」へ「は」の音でつなぐ呼吸がいい。

 いわし煮る妻の無言が気にかかる青山椒が家じゅう匂う
                       中山大三

別に機嫌が悪いわけではないのだろうが、ずっと無言でいられると気になものだ。青山椒の匂いが妻の発する雰囲気を伝えているようで面白い。

 事務椅子がカモメに似たる声で鳴き午後のスタッフルームは渚
                       益田克行

椅子の軋む音をカモメの鳴き声に喩えている。昼食後の少しのんびりとしたオフィスの風景。「カモメ」から「渚」へと展開したことで広がりが出た。

 台北のメトロに「博愛席」ありてあつさり譲られ腰をおろしぬ
                       水越和恵

日本で言うシルバーシートのこと。国内では席を譲られることに対してためらいや抵抗感があるけれど、外国旅行の場ではむしろ平気だったのだ。

 脳内で文字化けしてる感情の 脱ぎ捨てられた黒い靴下
                       田村穂隆

「文字化けしてる感情」がいい。自分でもはっきりとはわからない、名付けようのない感情。下句の靴下がその感情のかたまりのように感じられる。

 防波堤を地元の猫のしなやかに尾の先見えて海側へ消ゆ
                       森川たみ子

よく見かける猫なのだろう。「地元の猫」という言い方が印象的。しっぽを上げて慣れた足取りで防波堤を歩き、海の方へすとんと降りて行ったのだ。


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2018年09月28日

「塔」2018年9月号(その1)

 悪臭と広辞苑に記さるるどくだみがわれは好きなり硝子器に挿す
                       竹田千寿

『広辞苑』を引くと確かに「葉は心臓形で悪臭をもつ」と記載されている。でも、どくだみ茶もあるくらいだから、好きな人もけっこういるように思う。

 カーテンを洗つたことは気づかれずひとり吹かれるすずしき風に
                       干田智子

カーテンを丸洗いするのは大変な作業だけれど、家族は誰も気付いてくれない。でも、きれいなカーテンに吹く風の心地よさに報われた気分になる。

 分かりやすい言葉で書けとわれに言う声は蛍光ペンの明るさ
                       白水ま衣

文章にしろ短歌にしろ、分かりやすさだけを求めると底が浅くなってしまう。蛍光ペンのような翳りのない明るさを求める風潮に対する異議申し立て。

 「着衣のマハ」「裸のマハ」を観てきたる眼は見てをり鮎の火かげん
                       渡辺美穂子

昼間はゴヤの展覧会を見てきて、夕食の支度をしているところ。取り合わせが面白い。鮎を焼く火を見ながら絵のことを思い出しているのだろう。

 こころには琴線という線のあり他者だけがふれくる前触れもなく
                       中田明子

確かに「琴線」は自分で触れることはできない。何かを見たり誰かの話を聴いたりして感じるもの。四句の字余りと「ふれ」「触れ」の重なりが効果的。

 切られし首つながれ苔の生えてをり廃仏毀釈の名残りといひて
                       田口朝子

明治期の廃仏毀釈では多数の寺や仏像が壊されるなどの被害にあった。切られた痕を癒やすかのように苔の生えた石仏に、歴史を感じている。

 なわばりを決めているのか一枚の田に一羽ずつ白鷺が立つ
                       森 祐子

場面がよく見えてくる歌。四角い田の一枚一枚にぽつんぽつんと立っている白鷺。特に縄張りがあるわけではないのだろうが、距離感が面白い。

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