2024年09月14日

「塔」2024年9月号

本文明(熊本日日新聞文化部、編集専門委員)「新たな人生への出発の力」が良かった。

河野裕子が学生時代に所属していた熊本の歌誌「人間的」(人間的短歌会)に掲載された初期作品85首について書いている。この作品の存在は知っていたが、「人間的」の現物は見たことがなかったので、甲斐雍人や会員の河野作品に対する評などを興味深く読んだ。

致死量をあほりて失敗せしといふ話聞きつつ林檎むきおり
            (昭和41年6月号)
白きコップ吾が残し来し病院の鉄のベッドに誰が眠りゐむ
            (昭和41年8月号)
落日にあかく染るものみなかなし野に落つる鳩も汚れし山羊も
            (昭和42年4月号)
はかられつつ試されてゐる愛ならむか楕円の形に月のぼり来ぬ
            (昭和42年12月号)

河野裕子の初期作品については、「塔」2011年8月号(河野裕子追悼号)にまとめたことがある。それ以降に新たに見つけた歌もあるのだが、今のところ発表する機会がない。

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2020年12月29日

「塔」2020年12月号(その3)

当分のあいだと書かれし居酒屋の休業そろそろ三月となりぬ
                     坂下俊郎

コロナ禍で休業している店。「当分のあいだ」という貼紙のまま、一か月が過ぎ二か月が過ぎ、このまま閉店してしまうかもしれない。

生きてきた長さは年齢とは違う夕日に染まる野葡萄の影
                     吉原 真

上句の言い回しにハッとさせられた。同じ一年でも人によって長さや密度が異なる。下句の光景が上句の心情とうまく合っていると思う。

昼前に地震きたりてああお昼休みの話題ができたと思う
                     田宮智美

職場の昼休みに同僚たちとたわいもない会話をするのが苦手なのだろう。でも、この日は地震のおかげで話題探しに苦労しなくて済む。

コンビニのビニール袋がよく似合うあなたのままでいてほしかった
                     山名聡美

レジ袋が有料化され、多くの人が買い物袋や鞄に商品を入れるようになった。でも、確かにレジ袋が似合う感じのする人っているなあ。

こもりゐにひびくかなかな心配と心配りは同じ字だった
                     俵山友里

ステイホームで家にいて気付いたこと。「心配」はマイナス、「心配り」はプラスのイメージがあるけれど、漢字で書くと同じになる。

この街の公衆電話はすべて消えあなたの声は雪として降る
                     朝野陽々

携帯電話の普及に伴って年々公衆電話の数が減っている。下句が美しい。公衆電話で恋人と話をした記憶が、今も残っているのだろう。

手回しの音に世界が沈黙すコーヒーミルの聖なる時間
                     小林文生

ガリガリとコーヒー豆の挽かれる音だけがして、あたりはしんと静まり返っている。回転するコーヒーミルが世界の中心になったみたい。

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2020年12月28日

「塔」2020年12月号(その2)

感染が止まぬ九月の半年前「9月入学」主張されにき
                     向山文昭

春先に新型コロナウイルスの感染対策として、大学の「9月入学」への切替が話題になった。今から思うとだいぶ見通しが甘かったのだ。

開いたらもう戻れない朝顔が見せる花芯の深きが白い
                     高橋ひろ子

朝顔は明け方に一度咲いたら、その日の昼頃にはもうしぼむだけ。花の中心の奥に見える白い部分は、強い決意の表れのようでもある。

いくつもの会社を渡りきし図面大きく赤字で納期を記す
                     吉田 典

金属加工の会社で働く作者。おそらく単価が安く、あまり儲けのない仕事なのだろう。その上、納期が短くても遅れるわけにいかない。

「どちら様もようござんすね」と見回してゴミの袋を閉じる火曜日
                     丘村奈央子

サイコロを使った丁半博打でよく耳にする台詞。いったん袋を閉じた後でまだゴミがあったとなると面倒なので、念入りに確認するのだ。

「枯れ木」から「歌歴」に変換する間(あわい)小さな花と思いぬ歌を
                     山田恵子

昔話の「花咲か爺さん」をイメージさせる展開だ。電子機器の文字変換は、時おり意外な言葉と言葉を結び付けてくれる楽しさがある。

九十四年で閉園となる豊島園あと六年で百年なのに
                     本田 葵

1927年に開園して今年8月に閉園した豊島園。下句の呟きが面白い。そんなこと言ってもという感じだが、確かに気持ちはよくわかる。

送り火の燃えつきかけて死者たちは何からこの世を忘れはじめる
                     加茂直樹

お盆に帰ってきた死者の魂をあの世へ送る行事。下句が印象的だ。数多くある現世の記憶のうち、何から忘れ始め、最後に何が残るのか。


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2020年12月27日

「塔」2020年12月号(その1)

水野源三この世にまさばいかばかり喜びにけむオンライン礼拝
                     安藤純代

水野は瞬きを唯一のコミュニケーションの方法とした詩人。クリスチャンであったが生涯寝たきりで教会に行くことは叶わなかったのだ。

下山時に傷めた黒き足の爪初めて治る山へ行けずに
                     江種泰榮

「初めて治る」がおもしろい。普段は治りかけてもすぐにまた傷めてしまうのだ。コロナ禍でしばらく登山ができない状況なのだろう。

つぎの世は五人ばかりの子を産みてわさわさ生きむ歌はつくらず
                     落合けい子

結句「歌はつくらず」に短歌に対する様々な思いがこもる。現実の今の人生とはまったく別の生き方を、ふと想像してみたりするのだ。

少し眠ってしまったらしい床の本拾ってもとのページを探す
                     芦田美香

床に落ちた物音でハッと目を覚ましたのだろう。ウトウトして手から滑り落ちてしまった本。慌てて続きのページを探そうと指先が動く。

国民服の深きポッケより手品のごと父が取り出しき森永キャラメルを
                     東郷悦子

戦中か戦後間もなくの光景。食料の乏しい状況下でポケットから出されたキャラメルは、まるで宝石のように輝いて見えたに違いない。

赤き★に終はる迷路の出口まで迷ふことなし子の筆圧は
                     西之原一貴

子ども向けの迷路で遊んでいるところ。スタートからゴールまで力強く鉛筆を進めていく。「赤き★」がよく、カラーの紙が目に浮かぶ。

道の辺の茶房「風夢風夢(ふむふむ)」そのうちに扉開けんと今日も見て過ぐ
                     相馬好子

店名の面白さに心惹かれるものがある。でも、いつも「そのうちに」と思うばかりで、結局店に入ることはないまま終ってしまいそうだ。

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2020年11月27日

「塔」2020年11月号(その3)

膝の痛み十段階の何番目?十段目ってどんな痛み 医師(せんせい)
                   山田精子

病院などで痛みの程度を尋ねられることがよくあるが、返事が難しい。十段階と言われても、その最大値がわかっているわけではない。

左肘でねじ伏せながらA3の図面コピーす月曜の午後
                   神山倶生

製本された図面なのだろう。A3は通常のコピー機では最大のサイズなので、左肘を使って画面に押し付けるようにしてコピーするのだ。

お互いの職場の愚痴を言い合って聞き合う隣の席 混ざりたい
                   田宮智美

展開の面白い歌。最初は自分たちの話かと思って読んでいくと、実は隣の席の話。しかも、嫌がっているのではなく仲間に入りたいのだ。

サボテンが親ならその子もサボテンであたまの先に頼りない棘
                   竹垣なほ志

まだ育ち始めたばかりのサボテンの苗。棘も生えたばかりで、柔らかいのだろう。それでも一丁前にサボテンらしさを醸し出している。

潮風の木かげに両脚投げ出してばーばと孫は蛸つぼを洗ふ
                   中村浩一郎

使い終った蛸壺を海辺で洗っている祖母と孫。「両脚投げ出して」という描写が良く、場面が目に浮かぶ。のどかな時間が流れている。

たいやきのはらわたなりしカスタード右手に受けて笑ってしまう
                   星亜衣子

カスタード入りのたい焼きにかぶりついたら、中身がドバっと溢れて、慌てて手で受けたのだ。「はらわたなりし」にユーモアがある。


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2020年11月26日

「塔」2020年11月号(その2)

幻の大間鉄道中止となり昭和十八年のままのアーチ橋
                   星野綾香

下北半島の大間町へ伸びる予定だった鉄道路線。使われることなく終ったアーチ橋は、戦時中のままで時間が止まってしまったみたいだ。

「明子さんがいいと言ふから安心や」あんなにあつさりホームに入りて
                   広瀬明子

義母を施設に入れた時のこと。安心して全面的に頼りにしている言葉を聴き、かえって騙しているような切ない気分になったのだろう。

わたくしとルビをふるとき私の上下に空いた隙間が白い
                   竹内 亮

漢字1字に対してルビ2文字までは問題ないが、それ以上だと漢字の上下が空いてしまう。「わたくし」は4文字なので、空白が目立つ。

ドアミラーの中に消えゆく姫女菀渋滞が少し短すぎるよ
                   鈴木健示

道端に咲くヒメジョオンを、車のミラーの中にぼんやりと眺めている。もっと見ていたかったのに、車列が早くも動き始めてしまった。

IHの薄さばかりを繰り返す母に教える湯の沸かし方
                   中井スピカ

認知機能が衰えつつある母なのだろう。ガスレンジは危ないのでIHに替えたのだが、使い方をなかなか理解してもらえないもどかしさ。

親戚の爺さん婆さん元気なりみんな飛沫をとばして喋る
                   逢坂みずき

マスクして飛沫を飛ばさないことが求められる世の中で、そんなことは意に介してないお年寄り。その大らかさに何だか励まされもする。


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2020年11月25日

「塔」2020年11月号(その1)

引きながら断つ刃物なり若鶏のうすくれなゐの胸のふくらみ
                   梶原さい子

鶏肉を調理している場面だが、「うすくれなゐ」「ふくらみ」という言葉があることで、まるで生きているような生々しさが生まれる。

石仏に生まれ変わりて一日をお供え物で暮らすのも良し
                   紺屋四郎

発想が何とも言えずおもしろい。大量にお供えがあるわけではないが、全く放置されているわけでもない。その加減がちょうどいい。

マスクをつけたままご参列いただけます 遺影のみマスクなしで笑顔で
                   小林真代

葬儀の場面でも今やマスクが欠かせないのだろう。マスクする参列者の中にあって、マスクしてない故人の遺影に着目したのが印象的だ。

右だけを陽にさらしつつ永遠にうなずく春の御地蔵様は
                   吉岡昌俊

彫られた時の顔のまま、据えられた時の向きのまま、地蔵は立っている。東向きに立っているので顔の右半分だけが陽を受けているのだ。

物解りよき娘として応対す実家の電話に出る夏の居間
                   芦田美香

帰省した実家で電話に出た場面。「母がいつもお世話になって…」といったやり取りか。ふだんは決して「物解りのよき娘」ではない。

どこからか連れてこられたと母は言ふ鍾乳洞のやうな眼をして
                   一宮奈生

認知機能が衰えた母と話をしているところ。「鍾乳洞のやうな」という比喩が胸にささる。母が少しずつ離れていってしまうような不安。


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2020年11月07日

「塔」2020年10月号(その3)

本堂を出づればたちまち驟雨きて水掛不動は濡れすぎて立つ
                    三好くに子

結句の「濡れすぎて」が面白い。水掛不動なのでもともと参拝者が柄杓で水を掛けるのものなのだが、驟雨にずぶ濡れになってしまった。

本当に元気なときはもう少し静かな声で話す父親
                    宮脇 泉

電話で声だけ聴いているのだろう。元気だよと言うのだけれど、無理に元気そうに振舞っている感じが声のトーンから伝わってくるのだ。

さざなみがあらぶりたてばあらがはずあめんぼはただ淵にただよふ
                    大江裕子

「淵」だけが漢字で残りはすべて平仮名にした表記がいい。ア段の音を多用した響きがよく、「あら」「ただ」の繰り返しも効いている。

嚥下にも障害あれば声はりて夫は読みおりベッドシーンも
                    海野久美

嚥下障害の改善のため日々発声の練習をしているのだろう。聞いていてちょっと恥ずかしくなるようなシーンも声に出して読むのである。

うなずいて答をはぐらかすたびに自分の声がまた遠ざかる
                    吉田 典

相手の質問を適当にはぐらかしていると、自分の本当の気持ちがわからなくなる。時には真っ直ぐに答える勇気も持たなければとの思い。

坐礁せしザトウクヂラの亡骸を海へと沈むガス抜きのあと
                    永山凌平

海岸に流れ着いた大きな鯨の死体を処分する場面。体内にガスが溜まって膨張し爆発する危険性があるので、ガス抜きをする必要がある。

明るくて元気な人を募集するマクドナルドの紙の憂うつ
                    青海ふゆ

マクドナルドのアルバイト募集の広告。店内も明るくて賑やか。世の中には明るくも元気でもない人が大勢いて、作者もそうなのだろう。

×(ばってん)が/(スラッシュ)となりサンダルはわたしをほっぽりだしながら死ぬ
                    星亜衣子

クロスベルトのサンダルの片方が外れてしまった様子を記号を使って巧みに表現した。下句に歩きにくくて途方に暮れた感じが出ている。


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2020年11月05日

「塔」2020年10月号(その2)

「明日また」と庭師帰りぬスコップと手押し車を地面に伏せて
                    野 岬

結句「地面に伏せて」がいい。そうすることが一日の仕事を終えた時の作法になっているのだろう。真面目そうな庭師の姿も思い浮かぶ。

やうやくに「既読」の着きて眼を閉ぢる明け方近く雨になるとふ
                    澄田広枝

LINEのメッセージを相手が読んだマークが付かず、夜遅くまでやきもきしていたのだ。下句の天気予報の内容が作者の心情と重なる。

ゆつくりとカーブしてゆく車窓なりしづかに海をせり上げながら
                    越智ひとみ

「せり上がる」ではなく「せり上げながら」と他動詞で表現したのが印象的。海岸線に沿って走る電車の様子が鮮やかに浮かび上がる。

「押忍」の読み方わからねど飛ばし見てゐる孫の漫画を
                    小畑志津子

「オス」「オッス」が読めなくてもさほど内容の理解に問題はない。孫が好きな少年漫画をちょっと読んでみようという好奇心が素敵だ。

快晴がなくなるという 昭和より見上げ続けた空の喪失
                    佐伯青香

天気の観測が目視から機械に切り替わったことを受け、「快晴」という表記は使われなくなった。なじみのある表記がなくなった寂しさ。

爪を切る たとえば木々に降りしきる驟雨のような日々 爪を切る
                    真栄城玄太

「爪を切る」の繰り返しに、孤独感とでもいうべき心情が滲み出る。爪を切る時の音と木々に当たる驟雨の音が遠く響き合うような一首。

住所氏名電話番号、体温も手渡さなければ入れぬと言う
                    成瀬真澄

新型コロナ対策のため店や会場の入口で検温が行われている。体温というのは、よく考えれば非常にプライベートな情報であるのだけど。

アネモネの苗を選んでいる君をシマトネリコの下に待ちおり
                    ぱいんぐりん

園芸店で買物をする間、君は少し離れた場所で待っているのだろう。「アネモネ」「シマトネリコ」という名前が楽しい気分を伝える。


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2020年11月04日

「塔」2020年10月号(その1)

牛肉になりたる牛の眼しらぬまま牛肉食ふは筋肉のため
                    岩野伸子

生きていた時の牛の姿を見ることなく、牛の肉を食べている。「筋肉のため」が印象的。タンパク質が生きるために必要な筋肉になる。

お互いに世代の違いを認め合う九十歳と九十一歳
                    紺屋四郎

高齢の方は何となくみんな同じ世代のように捉えてしまうけれども、そうではない。90歳と91歳でも微妙な世代の差が存在するのだ。

二年間の賞味期間をすぎてから存在感あり桃の缶詰
                    久岡貴子

賞味期限が切れるまでは特に意識しなかった缶詰が、急に意識にのぼってくる。いつ食べようか、早く食べなくてはと毎日気になる。

遅れきて会議の席につく一人「反対」とわかる椅子の引き方す
                    村上和子

椅子の引き方ひとつで、反対の考えを持っていることが場に伝わる。反対には意志が要るからだ。やや荒っぽい引き方だったのだろう。

生きづらいという謎のマウントを取り合っているように梅雨、
紫陽花は咲く              長谷川琳

生きづらさは最近の短歌でもキーワードの一つ。私の方がより「生きづらい」というアピール合戦になってしまう危うさを感じるのか。

私だけがこんなにつらいとたまにおもうちがうのに 遠くの
ジュンク堂               川上まなみ

上句で述べたことについて、四句目で「ちがうのに」とすかさず自分でツッコミを入れている。句割れ・句跨りのリズムも効果的だ。

ボタンではひらけぬ相模線となり駅に停まればすなわちひらく
                    相原かろ

手動ボタンで扉を開閉する方式でなく自動開閉になった。それを「ボタンではひらけぬ」と嬉しくなさそうに詠んだところに個性がある。

ひざの上に鉄橋のかげ走らせて淀川わたる新快速は
                    石原安藝子

鉄橋を通過する時の感じがよく出ている歌。窓の外を見ていなくても、鉄橋の影が次々と車内を過ぎるので鉄橋を渡っているとわかる。

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2020年10月09日

「塔」2020年9月号(その3)

わが店は着物が売れず反物を潰して絹のマスクを作る
                    坂下俊郎

新型コロナウイルスの影響で呉服店も大変な状況なのだ。苦肉の策として絹製のマスクを作り、少しでも売上を伸ばそうと努力している。

昼過ぎの喉が求める缶コーヒー〈微糖〉はどこか官能的だ
                    鳥本純平

甘い缶コーヒーでも無糖でもなく「微糖」。この言葉の響きや、かすかな甘さが舌に伝わってくる感覚が結句の表現へとつながっている。

地図上に航路は細くゑがかれてアリカンテよりオランへ下る
                    岩下夏樹

スペインの港町アリアカンテから、地中海を渡ってアルジェリアのオランへと向かう。オランはカミュ『ペスト』の舞台になった町だ。

「置き配」を写すメールが送られる玄関口に撮る人の影も
                    八木由美子

宅配便を玄関先に置いた証明として、配達人からメールで写真が届く。接触が避けられる中で、影だけがわずかに人の存在感を伝える。

清流をすくひしやうなレタスの香食めばかすかに苦みありたり
                    竹内真実子

初二句の比喩が、新鮮なレタスのしゃきしゃきした歯触りを伝える。その中に野菜本来のわずかな「苦み」を感じ取っているのがいい。

我もまた誰かの「苦手の人」なるかひんやり昏いロッカー閉めつ
                    布施木鮎子

たいていの人は職場や親戚などの人間関係の中で「苦手の人」を持っている。この歌は、自分も誰かにとって、と考えたところが秀逸。

だとしても生きてゆくより他になく右手についた蚊をぬぐいおり
                    青海ふゆ

初句「だとしても」から始まるのが面白い。蚊を叩き潰したあとで、ふいに迷いを振り払うような決意が湧き上がってきたのだろう。

たくさんの西瓜をなかに蓄えたビニールハウス車窓に見える
                    竹内 亮

「蓄えた」という捉え方がいい。まるで備蓄用の倉庫のようにごろごろと西瓜が実っている。窓とビニールを通して見えた一瞬の光景。

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2020年10月08日

「塔」2020年9月号(その2)

犬連れて吠えられし家通りたりわが犬は逝きかの犬も居らず
                    加藤武朗

家の近所を歩いていて、ふと甦ってくる記憶。作者の飼い犬もその家の犬も、今ではもういない。過ぎ去った歳月を思い死んだ犬を思う。

森の中で動物たちと暮らしたしと思いしころの未来ぞ今は
                    浅野美紗子

「大きくなったら森の中で動物たちと暮らしたい」と夢に思い描いていた子どもの頃。その夢と現実の生活は、当然ながら同じではない。

(→任天堂のゲーム「あつまれどうぶつの森」のことではないかとの指摘をいただきました。なるほど。)

朝の八時に〈その十三〉を受け取って会社の喘ぎを通達にみる
                    竹田伊波礼

自宅でテレワークをしていると会社から多くの指示がメールで送られてくる。「喘ぎ」がいい。慣れない事態に会社も右往左往している。

夜空見て「ほし」と言う子の指先に月という名の星はかがやく
                    宮脇 泉

「ほし」という言葉を覚えたばかりの小さな子。大人は月のことを星とは言わないが、よく考えると月も夜空に光る星の一つなのだった。

わたしのなかに逆さに眠るこうもりのよく見たら足がくくられている
                    椛沢知世

下句が印象的な表現。私の中にこうもりがいるだけでも不気味だが、その足が括られている。無意識の不安や怖れ、束縛などを感じる。

古書店で買ひにし本を図書館に返してしまひさうな休日
                    森尾みづな

本を読み終えて「さあ図書館に返しに行こう」と思ったのか。新刊の本とは違う独特の手触りや匂い。自分だけののどかな休日の時間。

独り居の老女逝きたり六人の名連ねしままの表札ありぬ
                    山ア惠美子

かつては賑やかな家族が住んでいた家。子が家を出て夫が亡くなり、一人残った老女。かつての記憶を大事にしながら亡くなったのだ。

シリアルを牛乳で染め真っ白な一日ぶりの今日が始まる
                    吉原 真

「一日ぶりの今日」が面白い表現。前日も全く同じように朝食にシリアルを食べたのだ。繰り返される日常の感じがよく伝わってくる。

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2020年10月07日

「塔」2020年9月号(その1)

空のいろ少しかはりて内房から外房に出るマリン・ドライブ
                    安藤純代

房総半島の海岸線をドライブしている場面。東京湾側と太平洋側とで「空のいろ」が違うという発見が印象的だ。開放感が伝わってくる。

プラモデルのやうに待機の飛行機の並ぶ空港、遠くなりたり
                    木村輝子

新型コロナの影響で休止となった路線が多く、駐機場にたくさんの飛行機が止まっている。結句、海外に住む娘や孫のことを思うのだ。

もう父は助からないと大泣きしそれから夕餉の仕度する母
                    紺屋四郎

下句がいい。夫の容態が悪いことを医師から聞いて大泣きする母。放心したような状態で、それでもいつも通り夕飯の準備をするのだ。

引越しの前後のうたは越えてしまふ動詞は三つまでの約束
                    岡本伸香

短歌の入門書にはよく「一首に動詞は3つまで」などと書いてある。でも、引越しは次から次へとやることが多くて、三つに収まらない。

はねのある餃子を焼きてはねのなき母すわらせる白きゆうぐれ
                    澄田広枝

「はねのなき母」がいい。人間に羽のないのは当り前だが「はねのある」との対比でこう表現されると、年老いた母の状態が想像される。

これに容れてもうみえざればゴミといふ概念になる大根(だいこ)の皮など
                    千村久仁子

包丁で剥くまでは大根の一部であったものが、ゴミ入れに入れた途端に「ゴミ」へと変ってしまう。人間の認識のあり方が鋭く描かれた。

なかなかに三国にならぬ「三国志」三巻読み終へあと十巻に
                    潔ゆみこ

上句に思わず笑ってしまう。大作なので、誰もがよく知る有名なシーンにはなかなかたどり着かない。根気よく読み続けられるかどうか。

おすすめの物件よりも国道と線路に近き場所が落ち着く
                    山ア大樹

一般的には国道や線路近くの物件は騒音もあって敬遠されがち。でも、何を優先するかは人によるし生まれ育った環境によっても違う。

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2020年08月19日

「塔」2020年8月号(その3)

目と鼻の先にひとりで住んでいるおとうとされど会う用事なし
                   廣野翔一

ふるさとを離れた地で、偶然近くに住んでいる兄弟。でも、お互いに大人なので、兄弟と言っても別に頻繁に行き来するわけでもない。

俊太郎が今日出ていったと電話せりかつてわが子に去られし
母に                 柿野俊一郎

息子が家を出て行ったことを母に告げる作者。そんな作者もかつて母の家から出て行った。「俊一郎」「俊太郎」の名前にも味がある。

ずじゅうかん頭重感あり低気圧ていきあつなりもうすぐ雨が
                   森祐子

低気圧が近づいていて頭が重く感じるのだろう。同じ言葉をひらがなと漢字で繰り返しているところに、その体感がよく滲み出ている。

発言者だけがマイクをオンにして助け船なき会議は続く
                   竹田伊波礼

最近多くなったオンライン会議。発言者以外はみなマイクをオフにしていて、誰も言葉を挟まない。発言する人の孤独な様子が際立つ。

一夜だけ泊まった君の部屋壁に君以外知らん集合写真
                   イキヨルニ

君の友人や同級生が大勢写っている写真。自分の知らない過去の時間や人間関係が君にあることを、あらためて突き付けられてしまう。


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2020年08月18日

「塔」2020年8月号(その2)

今はまだ若いからとふ概念の医師とわれとに架かる吊り橋
                     澄田広枝

作者はもう自分が若いとは思ってないのだろう。でも若さは相対的なもので、医師から見れば「まだ若い」。お互いの認識にずれがある。

「ひよこの餌」と検索すれば餌となるひよこの姿が混じる
家居に                  穂積みづほ

ひよこに与える餌を調べようと検索したら、爬虫類や猛禽類の餌となる冷凍ひよこの画像も出てきてしまったのだ。その驚きが伝わる。

東山魁夷が五月に逝きにしと知りてなにゆゑわれは喜ぶ
                     西山千鶴子

東山魁夷の作品には「道」「緑響く」など青や緑の色彩の初夏を感じさせるものが多くある。おそらく好きだった季節に亡くなったのだ。

一人ずつ小さな枠におさまってニワトリ式に授業を受ける
                     松岡明香

オンライン授業の様子。分割された画面に映る学生の姿をケージの中のニワトリに喩えている。やはり教室で授業を受けたいのだろう。

夏服のかるさに腕をとほしつつはしやぎたり子にはじめての夏
                     浅野大輝

まだ1歳にならない子が、初めて迎えた夏。薄く軽くなった服を着せられて、ご機嫌なのだろう。子の喜ぶ様子を見る親の方も嬉しい。

引く指にひたと絡める透明な海老の背腸のつつましき筋
                     佐々木美由喜

海老の下処理で背わたを取っているところ。描写が実に丁寧で、作業の様子がよく見えてくる。まるで生き物の解剖しているみたいだ。



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2020年08月17日

「塔」2020年8月号(その1)

外された私の顔が置いてあるテーブルの上のマスクの窪み
                     河野美砂子

上句だけ読むとギョッとするが結句まで来てマスクの話だとわかる。マスクの窪んだ部分の形に自分の顔の凹凸が写し出されているのだ。

風雪の果ての五月の谷奥に巨木というは不愛想に立つ
                     関野裕之

下句がいい。長い歳月を重ねた巨木は愛想を振りまいたりせずに立っている。厳しい冬が終わって、巨木がまた新たな季節を迎えるのだ。

一日中この格好だよ、いやマジで フェイスシールド笑顔で
かぶる                  佐藤涼子

仕事でフェイスシールドを着用する人が自虐的に語る台詞に臨場感がある。最初は違和感があったことも次第に日常の風景に変っていく。

買い物に出でし夫は二度戻るまずエコバッグ次にはマスク
                     橋本成子

今はこの二つを忘れると買い物の時に困る。普段はあまり買い物をする機会がないのか。律儀に二度戻って来るところに夫の性格も滲む。

口笛を家の中で吹かないで何度も子に言うコロナ禍の日々
                     矢澤麻子

学校が休みになって一日中家にいる子ども。家に籠っているとストレスが溜まるので、口笛の音も気に障ってしまう。誰も悪くないのに。

布団干しまな板干してそのほかに何を干そうか考えている
                     山西直子

布団とまな板の二つを干したことで、何だか他のものも干したくなってきたのだ。きっと天気も良かったのだろう。干したい欲が高まる。


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2020年08月04日

「塔」2020年7月号(その3)

忘れもののようにぽかんと池はあり水面に春の雲を浮かべて
                      森川たみ子

何とものどかな光景。「忘れもののように」という比喩が効いている。あっ、こんなところに池があったんだという感じ。語順もいい。

花びらにあるのだらうか筋肉が さくら一輪ゆつたり開く
                      船岡房公

つぼみが開くのはどういう仕組みになっているのか。動物と違って筋肉があるわけでもないのに。素朴な疑問が桜の美しさを引き立てる。

ほろ酔いできみが繋いでくれた手をやっぱり離す築地場外
                      伊藤未来

築地場外市場でご飯を食べた後だろうか。手を繋がれて嬉しかったのだけど、恥ずかしい気もして離してしまう。その微妙な心の動き。

ハマスホイの絵よりしずかな週末の銀座は春を待ちつつねむる
                      小松 岬

静謐な室内風景画で知られるデンマークの画家ハマスホイ。外出自粛によって人通りの減った銀座の美しい街並みの様子が目に浮かぶ。

よろよろとのぼりゆくから鎧坂母が言いし坂今日も変わらず
                      鈴木佑子

久しぶりに鎧坂にやって来て、昔と変わらない坂の急勾配をのぼっている。名前の由来は実際は違うのだろうが、母の言葉に実感がある。

どっちみち濃厚接触する人とコーヒーを飲む一つカップで
                      丸山恵子

上句にドキリとさせられる歌。ソーシャルディスタンスが言われる世の中だけれど、恋人や家族同士であれば、別にそんなの気にしない。


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2020年08月03日

「塔」2020年7月号(その2)

マスク外す弁当の時に級友の顔がわかると新高校生
                      井木範子

常にマスクを着けていて、昼食の時だけ互いの顔を見ることができる。せっかくの高校生活なのに、これでは友達になるのも大変そう。

白粥にくれないの梅透けて見え夕餉はなやぐ歯は病めるとも
                      宮城公子

歯が痛むので普通の食事はとれないのだ。でも、白粥に梅干しを入れただけで気分は少し明るくなる。上句の描写が良くて美味しそう。

はるひがん石のあひだにしやがみつつ見えない人とともに
草ひく                   岡部かずみ

「石」としか言ってないが墓石のこと。墓参りのついでに草取りをしている。墓石が立ち並んでいるので、しゃがむと他の人も見えない。

やることはたくさんあっても「レジの人」と思われている
コンビニ店員                黒川しゆう

コンビニの店員はレジの他にも検品や品出し、掃除、宅配便の受付などやることが多い。でもそれは、実際にやった人にしかわからない。

走り来て転びし幼児そのままに遊び始めぬ地面をつつき
                      佐々木美由喜

転んで泣くのでも、すぐに立ち上がるのでもなく、転んだまま遊び始める幼児。大人(読者)には予想がつかない動きであるのが新鮮。



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2020年08月02日

「塔」2020年7月号(その1)

能面をつけたる途端足取りの確かになれる老いびとのゐて
                      梶原さい子

神社で演じられる薪能。ふだんは足取りの覚束ない老人が、舞台では颯爽としている。能面を付けてまるで別人格になったかのように。

「本当に今年でなくてよかった」と子等と語りぬ遺影を前に
                      沢田麻佐子

昨年亡くなった人の一周忌。今年だったら新型コロナのために、最期の看取りもできなかったかもしれない。影響はこんなところにまで。

アルコールで拭きアルコールを吹きつけてアルコール漬けの
日々となりたり               一宮奈生

「アルコール漬け」は普通は酒びたりの状態を言う言葉。ここでは頻繁に消毒や手洗いをする日常を、やや自虐的に言ったのがユニーク。

墓地を見ることのなき街ぶらつきて日暮に葱の匂いかぎたり
                      高橋武司

上句と下句の取り合わせに味わいがある。都市の街中では墓地を見かけることが少ない。死が隠された日常にふいに漂ってくる葱の匂い。

ひとつ席をあけ定食をたべる昼窓にながめる遠くの富士を
                      徳重龍弥

新型コロナのために窓際のカウンター席が一つおきに座るようになっているのだ。そんな状況ではあるけれど、富士山は変らずに美しい。

責任を取れるのかという声があり読話教室の中止迫り来
                      橋本英憲

「読話」は口の形から話を読み取る方法。自粛を求める人々の圧力によって、聴覚障害者の大切な講座が開催できなくなってしまう辛さ。


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2020年06月25日

「塔」2020年6月号(その3)

トイレットペーパーとして生まれれば痩せてゆくしかない日
々がある                 千葉優作

トイレットペーパーは使うほどに小さくなっていき、最後には芯だけが残る。そんな姿に自分自身の人生や生活を投影しているのだろう。

もうあまり詩は書かないということが綴られて手紙、ポター
ジュのよう                中田明子

書簡集や文学館などで展示されている手紙か。かえって詩に対する強い愛着を感じさせる内容だ。ポタージュの粘性がその愛着と重なる。

一パックに二十四個のひかりあり苺はわれに生きよと言ふか
                     木原樹庵

24個入りのイチゴのパック。その一粒一粒を「ひかり」と捉えたのがいい。イチゴの色の明るさやが生きる希望を与えてくれるようだ。

「中国製」を今も悪口として言う母は先進国の国民
                     平出 奔

かつての「中国製」は安物や粗悪品というイメージが強かった。経済的な力関係が変ったのに考え方を変えない母に対する強烈な皮肉。

糸の輪が代わる代わるに形かえわたしの川があなたの船に
                     成瀬真澄

二人であや取りをしている場面の歌で、下句がいい。糸が形を変えるだけのことだが、「川」と「船」で二人の関係を美しく描いている。

あれこれとめがね選びにのぞきこむ鏡のなかに父と出会えり
                     小林文生

父はもう亡くなっているのだろう。眼鏡を掛けた自分の顔が亡き父の顔に似てきたのだ。年齢を重ねると父の気持ちもわかるようになる。

最後までここにいたいと母さんは言ってるじゃない言ってる
じゃない                 東大路エリカ

ひとり暮らしの母を施設に入れる場面。自宅での生活を望む母の言葉が胸に突き刺さる。「言ってるじゃない」の繰り返しがせつない。


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2020年06月24日

「塔」2020年6月号(その2)

雪のない湾岸の国の冬終わり二月気温は上がり始める
                     春澄ちえ

UAE(アラブ首長国連邦)に住む作者。二月と言えば日本ではまだまだ真冬という感じだが、UAEではもう暖かくなりは鯵めるのだ。

対角であくびをこらえている人と五分に一度目が合う会議
                     乙部真実

大勢が参加している会議だろう。ロの字になった机の対角の位置で眠気をこらえる人と目が合う。退屈な会議の様子がよく伝わってくる。

馬酔木には鹿はふれずにゐるらしく早も萌え出づる草食みて
をり                   古谷智子

馬酔木は葉にも花にも樹皮にも毒があるので、鹿はよく知っていて手を付けない。馬酔木には見向きもせず、伸び始めた草を食べている。

空だけを眺めて過ごす一時間ときをり草が耳をくすぐる
                     近藤真啓

下句の描写がいい。草原に寝ころんでいる場面を想像した。風に吹かれた草が耳に触れるのも心地よい。全てから解放されたような気分。

百枚入りの長形三号手にとりぬためらいもなく買いし日のあり
                     相本絢子

以前は何のためらいもなく買ったけれど、今ではためらってしまう。百枚という分量を自分が生きている間に使い切れるのかと考えて。

その店を教えてくれたともだちがいなくなっても店にはかよう
                     山名聡美

最初は友人に連れて行ってもらった店に、友人がいなくなった今でも通う。店を訪れるたびに、その友人のことを思い出すのだろう。


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2020年06月23日

「塔」2020年6月号(その1)

わたしの手の届かぬところを掃除して娘は発ちゆけり夕映え
の空                   佐々木千代

ふだん掃除のできない高い所を娘が掃除してくれたのだ。そのさり気ない心遣いを嬉しく思う気持ちが、結句に滲んでいるように思う。

整形の窓辺の棚に並びいる『ブラック・ジャック』5と7が
ない                   山下裕美

手塚治虫のマンガの本の話なのだが、「整形」「窓辺」「5と7」といった言葉が数学の話のように響く。待合室に流れる静かな時間。

膝をだきかうしてゐると湯のなかに仮名文字のゆのやうなり
 私                   千村久仁子

膝を抱えて座る姿勢が「ゆ」の文字に似ているという発見。「湯」と「ゆ」の音の重なりにも味わいがある。自分ひとりの豊かな時間。

ここにきてやうやく合つてきたやうな身体、わたしの終の住
処よ                   濱松哲朗

年齢を重ねて自分の身体が自分にとってしっくり来るようになったのだろう。死ぬ日までずっと付き合っていかなくてはならない身体だ。

おほまかな筋は妻から聞いてゐる一話たりとも観てはゐないが
                     益田克行

妻の好きなテレビドラマがあり話をいつも聞かされているのだ。知らず知らずのうちに筋を覚えてしまう。少しも興味がないのだけれど。

手をうしろに組んで歩いている時はまだ何も決められてない
とき                   上澄 眠

人間の姿勢と頭の中の考えとは、どこかで関係があるのだろう。自分のこととも相手のこととも読めるが、姿勢を見ればその心がわかる。

この町で造られし豪華客船がテレビに映る毎日映る
                     寺田裕子

ダイヤモンド・プリンセス号は、作者の住む長崎の三菱重工の造船所で建造された船。いたたまれない思いでテレビを見つめているのだ。

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2020年06月02日

「塔」2020年5月号(その2)

百円で文庫五冊を売ったあと缶コーヒーを買わずに帰る
                     上杉憲一

缶コーヒーを買うとせっかくの百円を使ってしまうことになる。それでは、売った文庫五冊に何だか申し訳ないような気がしたのだろう。

あみだくじをゆっくり辿り降りてきて友のお腹に生まれた
いのち                  松本志李

上句の比喩が印象的。様々な出会いや両親の系図をたどって、ようやく一つの命が宿る。何かひとつ違っていても生まれなかった命だ。

他愛なき争ひ重ね子を叱りあのときわたし輝いてゐた
                     今村美智子

子育て真っ最中だった頃のことを思い出している。心の余裕もなく慌ただしく過ぎて行った日々だが、今から思えば充実した時間だった。

JR四日間乗り放題にて娘は来たり実家を宿に出かけてばかり
                     河内幸子

せっかく帰省してきたと喜んだのも束の間、実家はホテル代わりに寝るだけの場所なのであった。3日間泊まってまた戻っていくのだ。

嫗ひとりバスを降りたり日だまりに野梅こぼるる診療所まえ
                     冨田織江

何でもない場面を詠んで小品の味わいがある。「診療所」が効いている。のどかな風景が浮かび、ゆっくりと流れる時間まで感じられる。

がたんごとんがたんごとんと子を揺らし列車と共に絵本を進む
                     魚谷真梨子

子を膝に抱きながら絵本の読み聞かせをしているところ。身体を揺すりながら、絵本の中の列車に一緒に乗っているような気分になる。

右足でリズムとりつつガラス戸の向こうに大判焼きを焼く人
                     真栄城玄太

黙々と大判焼きを焼く人の足が一定のリズムで動いていることに気づいたのだ。確かにこうした作業は、リズムを取ることが欠かせない。

寒の鱈もらいて捌き食べ尽くす家族四人と猫一匹で
                     生田延子

一匹丸ごと「食べ尽くす」ところに美味しさだけでなく達成感も感じる。結句の「猫一匹」がいい。飼い猫も含めた家族の一体感が滲む。

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2020年06月01日

「塔」2020年5月号(その1)

「谷町の和子です」と言ふわれを車椅子の従姉瞬かず見る
                     上杉和子

親戚同士は名字が同じことも多いので、住んでいる場所で区別することがある。老齢の従姉との再会の場面。「谷町の」が実にリアルだ。

幸せに○を入れ死にたくなるにも○を入れたいくらしの調査
                     佐近田榮懿子

「幸せ」と「死にたくなる」は相反することのように感じるが、実はそうではない。死を安らかに受け入れる気分が生まれつつある。

スーパーの売場ちらっと見るだけでここが海から近いとわかる
                     廣野翔一

鮮魚売場のスペースが広かったり、町中では見かけないような珍しい魚が並んでいたりするのだろう。海に近い場所ならではの光景だ。

もう誰も鬼にはならず節分は猫に向かって豆をころがす
                     大森千里

子どもたちが巣立って、もう本格的に豆まきをすることもない。相手をしてくれるのは猫ばかり。投げるのでなく「ころがす」のがいい。

「この島の自然は好き」「は」を強く答え続けて四十年経つ
                     ほうり真子

佐渡に住む作者。島外から嫁いで四十年経っても、人間関係や古いしきたりには馴染めない部分があるのだろう。「は」の一語が重い。

真夜中の公衆便所の明るさのまえで体操する運転手
                     吉岡昌俊

公衆便所で用を足して、ついでに身体をほぐしているところか。深夜に働くタクシー運転手の孤独な姿がありありと見えてくる歌だ。

をちこちのスピーカーから「故郷」がずれつつ響く午後五時
明(あか)し               篠野 京

町の防災無線スピーカーから流れる夕方5時を告げる曲。「ずれつつ」がいい。輪唱のように重なりながら数か所から聞こえてくる。

さつま芋の色を連ねて走りゆく貨物列車は冬の日向を
                     高松紗都子

貨物列車の色を「さつま芋」に喩えたのが面白い。赤紫色のコンテナが何両も連なっていく。さつま芋の収穫を見ているような気分だ。

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2020年04月26日

「塔」2020年4月号(その2)

基板二個取り替へられて機嫌よきテレビと過す大晦日(おほ
つごもり)を            安永 明

映りの悪いテレビを修理してもらったところ。「機嫌よき」と擬人化したことで、古い友人と一緒に年末を過ごしている感じが生まれた。

点となるあたりに森はあるのだろう鳥かろがろとビルを越え
ゆく                黒木浩子

町中のビルを越えて行った鳥の群れがやがて小さくなって見えなくなる。遠くその方角に、鳥のねぐらとなる森があるのを想像している。

寒いから寒いぶんだけ着られずに乾くだろうと思うだけ着る
                  松岡明香

冬は洗濯物がなかなか乾かない季節。寒いからと言って何枚も着るのではなく、洗濯のローテーションを考えながら着なくてはならない。

読点に宿る悲しみ 自転車は漕げば漕ぐほど遠くに行ける
                  長谷川麟

初二句と三句以下の取り合わせがいい。句点と違って読点には、書き手の思いがこもる。自転車に乗って悲しみを紛らしているところか。

今ならば何メートルに達するや田島直人の三段跳びは
                  前田 豊

上句の発想が面白い。ベルリンオリンピックで優勝した時の世界記録16m00を現在の記録と比較すると、圧倒的な強さが伝わらない。

ハツ四つ串いつぽんにつらぬかれ鶏(とり)は四羽も殺されて
ゐる                千葉優作

「ハツ」は心臓なので一羽から一つしか取れない。一本の焼き鳥の串に四羽の命が刺さっていると思うと、何だか食べるのが怖くなる。

妹に似てというより父に似てまた祖父に似て甥の目鋭し
                  丸山恵子

妹の息子であるが、男性ということもあり、その眼差しから父や祖父の顔が思い浮かんだのだ。父や祖父はもう亡くなっているのだろう。

別れたくなさすぎたから居酒屋でぐじゃぐじゃのシクラメンに
なった               蔵田なつくら

相手から別れ話を持ちかけられて、夜の居酒屋で大泣きしているところ。「シクラメン」がおもしろい。顔全体に涙が広がっている感じ。


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2020年04月25日

「塔」2020年4月号(その1)

こころより体は孤独かもしれずぼんやりと見る病窓の夜
                  岩野伸子

孤独と言うと一般的には心の話と思うが、体が孤独なのだと言う。入院中のどこにも行けず部屋に閉じ込められている感じがよく伝わる。

安政地震に両脚残しし折鳥居生田の森に奉られてあり
                  佐近田栄懿子

1853年の地震で倒壊した鳥居の笠木や礎石が生田神社に祀られている。支柱の一本は同じ神戸の金星台で石碑に使われているらしい。

大晦日も夜勤といいし子のために年越しそばをラインでおくる
                  大森千里

年越しそばも食べずに働いている子のことを思って、ラインで画像を送ったのだろう。離れていても一緒にそばを食べている気分になる。

ふるさとはいつも誰かが死ぬところ帰省のたびに香典包む
                  数又みはる

上句の断言に重みがある。故郷を離れてから長い歳月が過ぎ、今では親戚や知り合いが亡くなった時にだけ訪れる場所になっているのだ。

水面にふる雪のやうにとどかないさびしさがある「いいね」は
しない               澄田広枝

親しい人のTwitterやFacebookの書き込みを読んで、自分の思いが届いてないことを感じたのだ。「いいね」しないのがせめてもの抵抗。

量られて買われてそして溶かされて何処へゆくのか祖母の
指輪は               中山悦子

亡くなった祖母の金の指輪を売却したのだ。形見の指輪だったものがただの物質としての金となり、祖母の記憶も遠いものになっていく。

了解と送りて終はりし筈なるにその了解に返信がくる
                  大島りえ子

電話を切るタイミングも難しいが、メールでも時々こういうことがある。もう一回返信すべきか、もうこのままで止めていいのか迷う。

ポリタンの上で寝ている猫もいる十日えびすの夜店のかたえ
                  川俣水雪

1月10日に主に西日本の神社で行われる行事。水や灯油を入れるポリタンクの上に寝ている猫が、何とも良い雰囲気を醸し出している。


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2020年03月29日

「塔」2020年3月号(その2)

手袋をはめた朝から冬だから落ち葉の道を立ちこぎでゆく
                 森 雪子

冬だから手袋をはめるのではなく、手袋をはめたから冬なのだという把握が面白い。寒さに縮こまらずに、自分を奮い立たそうとする。

全身に父の血母の血鳴り響くわたしはとてもいびつな楽器
                 田村穂隆

両親の血が自分の身体に流れていると思うと、好悪の入り混ざった感情が湧くのだ。そんな自分を「いびつな楽器」と表現したのがいい。

つぎつぎと二百の画面は暗みゆき二台の「社員さん」が灯りぬ
                 栗山れら

200台のパソコンの並ぶ職場に、正社員はたったの二人しかいない。定時にパートや派遣の人が仕事を終えた後も、その二人だけは残る。

スコープに見ゆる胃の荒れはわたくしのストレスにあらず
ハイターの跡         故 柴田匡志

病院で胃カメラの検査を受けている場面だろう。胃の内部に漂白剤の跡が残っている。自殺を企図して漂白剤を飲んだことがあったのか。

茗荷には茗荷にしかない色がある細く刻みて豆腐に載せる
                 丸山順司

ピンクと緑と黄色の混ざり合った独特な色合いをしていて、確かに茗荷色とでも呼ぶしかない。白い豆腐の上に色が映えて美味しそうだ。

どれよりも高く担がれヨコスカを米兵神輿がねりあるきゆく
                 北島邦夫

「よこすかみこしパレード」に米軍基地の兵士たちも参加している。アメリカ兵は背が高いので、数多くある神輿の中でも一番高くなる。

五十年前に出会いし三つ編みの少女が今はわれに指図す
                 坂下俊郎

「少女」=現在の妻ということだろう。ユーモアのある歌。あれこれ妻に指図されながら、三つ編みの少女だった頃を思い出している。

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2020年03月28日

「塔」2020年3月号(その1)

ありがたうすみませんなどもう言はず一日黙つてゐたい病室
                 岩野伸子

入院中は看護師や見舞いの人に手伝ってもらうことが多く、そのたびにお礼を言っていると疲れてしまう。そっとしておいて欲しい気分。

いつまでも空き缶つぶす音がする妻を亡くしし人の庭より
                 竹下文子

独り暮らしになった男性が黙々と空き缶を潰している。その行為に没頭することで、心の空虚感をかろうじて埋めているのかもしれない。

男殺油地獄がもしあればあぶらはもっともっとひつよう
                 大森静佳

「女殺油地獄」では与兵衛がお吉を殺す場面で油壺が倒れて油まみれになる。この歌では逆に女が男を殺す場面をイメージしているのだ。

四つに組む力士のように舞茸の天麩羅ふたつ皿の上にあり
                 天野和子

初二句の比喩が面白い。てのひらのような形をした舞茸の天麩羅が二つ、立てたように皿に盛り付けられている。色も人間の肌っぽい。

干し首のごとき玉葱が吊られをりコーラあかるきヴェンダー
の陰               篠野 京

初句からぎょっとするような比喩が使われている。コカコーラの赤い自動販売機とその陰に吊られた玉葱の薄暗さの対比も印象に残る。

手の内の小さき画面に雨雲の無きを確かめスーパーへ行く
                 畑久美子

スマートフォンで天気予報の雨雲レーダーを見て、今のうちにと近所へ買い物に出たのだろう。何とも便利な時代になったものである。

子供なら跳んで渡つて遊ぶだらう礎石が並ぶ国分尼寺跡
                 岡田ゆり

点々と並ぶ礎石を見ながら、石から石へぴょんぴょん跳んでみたくなったのだ。でも、大人になるとなかなかそういうことはできない。

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2020年02月28日

「塔」2020年2月号(その3)

ぴよんぴよんと幾度か芝地を跳びしあと畑岡奈紗のショット
は伸ぶる              澤崎光子

上句だけだと何のことかわからないが、下句でゴルフの歌だとわかる。何度かバウンドした後でフェアウェイを転がりつづけるボール。

九冊の十二国記を読み返す新たな旅を深めるために
                  高松紗都子

昨年18年ぶりに新作長編が刊行された小野不由美『十二国記』シリーズ。新作を読む前に、じっくりと既刊分を読み直しているのだ。

抱かれたいけど抱かれたら暑くなり仔犬は居場所なきやうに
鳴く                岡本 妙

最初は人間の話と思って読むのだが、下句で仔犬を抱いている場面とわかる。甘えてすり寄ってきたものの、すぐにまた逃げようとする。

「二百十日、二百十日」と祖母は言い家中の雨戸閉めてまわ
りぬ                 雅子

台風が近づいている場面。「二百十日」という昔ながらの言い方で台風に備えている祖母。緊迫した場面だが、どこか楽しそうでもある。

アルバイトを叱る怒声に丼をただ見つめおり緑のぐるぐる
                  榎本ユミ

他人が大声で叱られるのを聞いているのは、気分の良いものではない。ラーメン鉢の縁に描かれた模様(雷文)を見ながらやり過ごす。

なにもせずなにも産まずに終えし日の枕辺をゆく足ほそき蜘蛛
                  亀海夏子

特に何をするでもなく一日が過ぎて寝床についたところ。「足ほそき」という具体がいい。目に入った蜘蛛の姿をじっと見つめている。

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2020年02月27日

「塔」2020年2月号(その2)

ポケットの中で洗濯されているような気持ちで新宿にいる
                  長谷川麟

大勢の人が行き交う新宿の雑踏にいる心細さと、めくるめくような感覚。それを四句目までの長いユニークな比喩がうまく伝えている。

雪うさぎの二円切手買ふ 二千万必要といふ国に老ゆべく
                  森永絹子

郵便料金の値上げに伴ってよく使われるようになった2円切手。郵便局で「二円」の切手を買いながら、老後「二千万」円問題を思う。

木枯らしに二度も三度も庭を掃く柿の葉擦れに耳傾けて
                  澤田清志

風が強く吹いて、さっき掃いたばかりなのにまた葉が散っている。「二度も三度も」は苛立ちのようだが、下句を読むとむしろ穏やか。

玉ねぎを欲しいといへば二十キロ持たせてくれる兄のやうな人
                  森 絹枝

北海道に住む作者。この知り合いの農家はスケールも大きいし、気持ちも大きい。ちょっと欲しいと言ったら箱ごとドーンとくれたのだ。

真剣に遊んでこなかったんかなあコマもあやとりも教えられ
ない                吉田 典

上句の述懐がいい。コマの回し方やあやとりの取り方を子どもに教えようとして、「あれ?どうだったっけ?」と困ってしまったのだ。

ふるさとの島は遠くて東京の島を訪ねる ある晴れた日に
                  紫野 春

島に生まれ育って現在は東京に住む作者。島とはまるで正反対の環境にいて、時々島が恋しくなるのだ。近場の島の空気を吸いに行く。

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2020年02月26日

「塔」2020年2月号(その1)

旧姓をあまやかなものといふ人よその感受こそあまやかならん
                  村田弘子

一般的に姓を変えることの少ない男性の方が「あまやか」と捉えがちな気がする。それに対して、作者は幻想に過ぎないと思うのだろう。

土砂降りの三回戦を観にゆきてサッカーボールが記憶にあらず
                  小林真代

子どもたちのサッカーの試合を見に行った場面。普通はボールの動きを中心に見るのだが、雨と泥と人でぐちゃぐちゃな感じだったのだ。

十一月にクリスマスソングを流しいる店に買い物せざるを
得ない               矢澤麻子

一か月以上前からクリスマスソングを流すことに抵抗を覚えるのだ。でも、近くには他に適当な店がなく、嫌でも曲を聴く羽目になる。

コンビニが二十四時間あいてゐたと古老語れど誰も信じず
                  益田克行

未来を想像した歌。時代の移り変わりとともに、かつては当り前だったことが当り前でなくなり、やがてあり得ないことになっていく。

広島に買ひにゆきたし三色とも赤とふカープの三色ボールペン
                  野 岬

三色ボールペンと言えば黒・赤・青が一般的だが、広島カープのチームカラーにちなんで三色とも赤なのだ。作者も広島ファンなのかも。

にぎりめしラップのうへから握りなほし少女は食(たう)ぶ
秋の列車に             篠野 京

上句は何でもない動作を詠んでいるが、目の付けどころがいい。確かに、おにぎりを崩さないように、軽くこんな仕種をすることがある。

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2020年02月04日

「塔」2020年1月号(その2)

フェイントのゆるいボールが落ちて来つテレビ見ながらわが脚
動く                 丸山順司

バレーボールなどでスパイクを打つと見せかけて緩い球を打つフェイント。テレビを見ていて思わず身体が反応して動いてしまったのだ。

牛小屋にくっ付いていた外便所月ばっかりが思い出にある
                   中山大三

かつての日本家屋では便所が外にあることも多かった。この歌では何と牛小屋に併設されている。夜の便所に行く途中で見た月の美しさ。

箸袋に鶴の折り方書かれいて箸置きの鶴五羽になりたり
                   田宮智美

割り箸の袋を折って鶴の形の箸置きにする方法が印刷されていたのだ。見たらつい試してみたくなるもの。五名で食事している場面か。

北米の野鳥三十億羽減 星を剥がれていった羽音
                   田村穂隆

「三十億羽」という圧倒的な数字に驚かされる。「剥がれていった」が何とも痛ましい。地球上から失われてしまった数多くの鳥の命。

触れないと触れたいことがわからずに消去法にて指をからめる
                   中井スピカ

触れたいから触れるのではなく、触れることで触れたかった自らの気持ちに気づく。恋人と手をつなぐ時のちょっとした緊張感と嬉しさ。

ウェイター待たせに待たせボンゴレと君が言うから僕もボン
ゴレ                 坂下俊郎

「ボンゴレ」の繰り返しが楽しい。連れ合いが注文に迷って長々と待たせてしまったのが申し訳なくて、僕も同じものにしたのだろう。

日の差さぬ方をえらべばトンネルを抜けし車窓に海は見えない
                   黒木浩子

窓から差し込む日差しを避けて反対側の席に座ったら、せっかくの海の景色も反対側になってしまった。東海道新幹線などは、こうなる。

姑は二十時間の眠りより覚めて食事すコスモスを背に
                   生田延子

高齢でほとんど寝たきりの生活の姑。「二十時間」という具体がいい。長い眠りから覚めて食事する姿は、夢と現実の間にいるようだ。

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2020年02月03日

「塔」2020年1月号(その1)

この次は私の子供に生まれたし唐胡麻の花駅へとつづく
                   大橋智恵子

自分の子供に生まれたいという発想がユニーク。単為生殖のようなイメージだろうか。唐胡麻は生け花の花材としても使われるらしい。

数時間あとにはもどる船着き場知らないだれかが手をふって
いる                 岡本幸緒

遊覧船に乗る場面。どこかへ行くのではなく、ぐるっと回って帰ってくる船。こういう時は、なぜか知らない人同士でも手を振り合う。

道を行く人の頭髪じつと見る理容師なれば当然として
                   松島良幸

理髪店を営む作者。店の前を過ぎ行く人の髪の伸び具合が気になるのだ。それを「当然として」と言い切ったところにユーモアも感じる。

山陽線・美祢線・山陰線乗り継ぎ下関から萩へと帰る
                   片山楓子

下関から厚狭、長門を経由して萩へ。同じ山口県内であるにもかかわらず、列車の本数も少ないのでゆうに二時間以上はかかってしまう。

自陣より香車を打てばたちまちに盤の柾目の筋とほるなり
                   清水良郎

香車は縦にだけ進む駒なので、将棋盤の縦方向に真っ直ぐ通った木目が浮き上がるように強く意識されたのだ。駒の働きがよくわかる歌。

なりたくて親子になったわけじゃない子は思うらむ吾も思いき
                   関野裕之

親子関係が何かぎくしゃくしている様子。上句のことを作者自身もかつて親に対して思ったことがあるから、子の気持ちがよくわかる。

ロープウェイに乗れば七分 二時間をかけて登って鹿たちに
会う                 加藤武朗

「七分」と「二時間」の具体的な対比がいい。自分の足で苦労して登ったご褒美のように、登山道の途中で鹿が姿を現してくれたのだ。

我武者羅や釈迦力よりもシンプルにひたむきでいいと思うんだ
けど                 白澤真史

「がむしゃら」や「しゃかりき」を漢字で書くと物々しく肩に力が入った感じになる。そんなに気負わなくてもいいのでは、という思い。

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2019年12月29日

「塔」2019年12月号(その3)

鵺(ぬえ)に似たぼくのこころできみを抱く 鵺は意外とかはいいと思ふ
                    宮本背水

「鵺」は伝説上の気味悪い怪物だが、下句「意外とかはいい」に意外性がある。人を抱く時のふだんとは違う自分を楽しんでいるようだ。

願かけに生やしはじめて三十五年子らはひげ無きあなたを知らず
                    宮内ちさと

夫の願いごとは、生まれてくる、或いは生まれたばかりの子に関することではないかと思う。「三十五年」という年数に重みを感じる。

綿飴の膨らみを待つ額から流れる汗の甘そうなこと
                    中森 舞

お店の人が割り箸に綿飴を巻き取っていく姿を見つめている子ども。夏祭りなのだろう。あたりにはザラメの甘い匂いが漂っている。

川砂の白さを踏みて釣り人は夏のをはりの標本となる
                    森尾みづな

川岸に立ったままじっと動かない釣り人の様子。「夏のをはりの標本」がいい。時が止まって風景に閉じ込められてしまったみたい。

窓越しに口をパクパクさせながらこっちへこいと合図する姉
                    王生令子

声は聞こえないのに「こっちへこい」と言っていることがはっきりわかる。行かないと怒られそうだ。姉と妹の微妙な力関係を感じる。

クロワッサンみたいな人だいい色に焼けてはいるが迫力がない
                    福西直美

「クロワッサンみたいな人」という表現が面白い。人柄は良いのだけれど、押しが弱い。悪い人ではないんだけどねえ、という感じか。

水槽の青い魚を見るようにアイスケースの前に立つ人
                    竹内 亮

いろいろなフレーバーのアイスがケースの中に並んでいる。それを覗き込みながら、どれにしようかと目をきょろきょろ動かしている人。


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2019年12月27日

「塔」2019年12月号(その2)

「丸茄子の輪切りに味噌を挟むのは北信(ほくしん)流」と南信(なんしん)の人
                    青木朋子

「北信」は長野県北部、「南信」は南部のことだろう。他県の人から見れば同じ長野県なのだが、地元の人にとっては大きな違いなのだ。

首振りの扇風機壁に打ち当たりあくまでも首振らんとしをり
                    野 岬

自宅でも時々目にする光景だが、短歌に詠まれるのは珍しい。センサーなどで制御されてはいないところに昭和的な懐かしさを感じる。

鮎釣るは年寄りばかり思い出を拾うがごとく馬瀬川に立つ
                    加藤武朗

鮎釣りをする人も年々減っているのだろうか。「馬瀬川」という固有名詞がいい。川のあちこちに長年釣りをしてきた思い出があるのだ。

おとうとがページをめくり王朝のひとつが滅ぶ初夏ひるさがり
                    中田明子

世界史の教科書などを読んでいて、王朝が興ったり滅んだりするのだ。ページから3Dホログラムが立ち上がってくるみたいに感じる。

父母の木箱の雲丹は売られおり金の「特選」シール付けられ
                    逢坂みずき

両親の獲ったウニが店で立派な姿で売られているのを見て誇らしく感じている。どんなウニでも良いのではなく、選ばれた高級なウニ。

くりかえす朝焼けに身を撓らせていくどもいくどもお前を産むよ
                    魚谷真梨子

出産の時の記憶が何度も甦ってくるのだろう。子を産むというのは、産んで終わりではなく、永遠に産み続けることなのかもしれない。

競泳の選手の腕のかたちしてざぶりと波が海に飛びこむ
                    松岡明香

曲線を描く波頭の形をクロールの腕に喩えたのがおもしろい。波はもともと海の一部なのだが、まるで別の生き物のように感じられる。

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2019年12月25日

「塔」2019年12月号(その1)

白く冷たい音をたてつつそそがれて牛乳は朝のカップに目覚む
                    河野美砂子

「白く冷たい」牛乳ではなく「白く冷たい」音。目覚めるのも私ではなく牛乳。言葉が微妙にずらされることで光景が鮮明に見えてくる。

閉めるなとふ札のかかりて営林署の蛇口は山水流しつ放し
                    酒井久美子

蛇口をきっちり閉めてしまうと凍ってしまうのだ。冬には雪が積もるような寒い土地の感じが伝わる。水道ではなく沢から引いてきた水。

その川は筑紫次郎と呼ばれおり太郎三郎と出会うことなく
                    貞包雅文

「筑紫次郎」は筑後川。坂東太郎(利根川)や四国三郎(吉野川)と兄弟みたいな名前だが、もちろん離れ離れで合流することはない。

引き潮の昏い海岸を駈けていった大きな犬こわいくらい身軽な
                    白水裕子

モノクロ映画のワンシーンのような場面。下句「大きな犬こわい/くらい身軽な」の句跨りが、憧れや怯えのような不思議な余韻を残す。

怒られる前に帰ると娘はわらえりガラスのようないつもの声で
                    朝井さとる

あまり長居して喋っていると最後は小言になると知っているのだ。適度な距離感のある母と娘のさっぱりした関係が感じられて心地よい。

踏み跡を吸ひとるやうに雪をふむ白馬岳に眼はしろく病む
                    坂 楓

前の人の靴跡に自分の靴を重ねる様子を「吸ひとるやうに」と言ったのがいい。ずっと足元の雪を見続けて、目が見えにくくなっていく。

清くんが死んだよと言われ清くんは思い出の沼から立ち上がり来る
                    吉田淳美

もう忘れていた子どもの頃の友達だろう。その死を知らされて記憶の奥から甦った「清くん」。死んだことで一瞬作者の中に生き返った。


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2019年12月05日

「塔」2019年11月号(その3)

生返事するときいつもゆふぐれの雁を見送るやうなあなただ
                 千葉優作

「ゆふぐれの雁を見送るやうな」という比喩が印象的。どこか別のところに心が向いている相手の様子を、少し寂しく思っているのだ。

廊下なぞ歩いちゃ駄目だと言い聞かせ畑で放てば丸虫は行く
                 北乃まこと

「丸虫」は関西ではダンゴムシのこと。家の外に逃がしてやったのだ。「言い聞かせ」にユーモアがあり、結句にたくましさも感じる。

探し探して伯父を訪ねてくれたりきここが慰霊の最後と言ひき
                 西山千鶴子

戦死した伯父をかつての戦友が訪ねてきたのだろう。上句では伯父が生きているように感じるが下句の「慰霊」で一首の意味が変わる。

下の子のオマルも積みて行きしころ四国の実家はまだ遠かりき
                 冨田織江

瀬戸大橋が開通する前の思い出。小さな子どもを連れての帰省は荷物も多くて大変だったのだ。「オマル」という具体がよく効いている。

インベーダーゲームの如く雨粒がつぎつぎ窓を滑りて落ちる
                 酒本国武

窓に付いた雨粒がつつーっと落ちてくる様子。インベーダーゲームの粗い画面の感じが、滑らかでない落ち方をうまく表していると思う。

晩年はマックシェイクを好みいし祖父の十三回忌が巡る
                 長谷川麟

上句の具体が祖父の姿を鮮やかに立ち上げている。若者向けの飲み物も抵抗なく受け入れる柔軟さと好奇心。ストローを吸う顔が浮かぶ。


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2019年12月04日

「塔」2019年11月号(その2)

負傷した一兵卒と看護婦の出会いのありて生まれた私
                 坂下俊郎

戦争中の偶然によって出会った二人。戦争がなければ、父が負傷しなければ、母が別の病院勤務だったら、生まれることのなかった自分。

濃くうすく白さの濃度かえながら霧ながれゆく白滝山に
                 市居よね子

濃淡のある霧が流れてゆく様子だけをシンプルに詠んでいて印象に残る。「白滝山」という固有名詞も、この歌によく合っているようだ。

もうあまり泡のたたない石鹸のうすさのようなメールを返す
                 紫野 春

四句目までが長い比喩になっている。以前はもっと中身のあるメールをやり取りしていたのだろう。二人の関係の変化と寂しさが伝わる。

硝子戸と網戸の隙間に閉ぢ込めた熊蜂の目がぢつと見つめる
                 新井 蜜

網戸に止まっていた蜂を見て咄嗟に硝子戸を閉めたのだ。そのまま放置するつもりの作者を蜂は睨んでいるのか、助けを求めているのか。

バス停の案内板は今日も立つお前は乗せてもらへないのに
                 益田克行

バス停は人のような形をしているので擬人化しやすい。バスに乗る人たちの先頭にいるのにバス停自身は永遠にバスに乗ることがない。

胸に棲む小鳥に餌をやるようにステロイド剤深く吸いこむ
                 佐藤涼子

喘息の発作の予防などに用いられるステロイド剤の吸入。上句の比喩に病気とともに生きていくしかないという覚悟や決意が感じられる。


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2019年12月03日

「塔」2019年11月号(その1)

灯台はさながらマッチの棒に見え良い事ばかりそうは続かぬ
                 紺屋四郎

遠くにある灯台を見ながら下句のことを思ったのだろう。「マッチの棒」という素っ気ない言い方が、何か悲しみのようなものを伝える。

いつかあなたの絵の中に見し水色の橋渡りゆくあなたの通夜へ
                 酒井久美子

あなたの家の近くに架かる橋なのだろう。絵の中の世界と現実の世界が混じり合うような不思議な感覚が、生と死の隔たりにも通じる。

初蟬の夕べ夫と見ていたり中井貴一の長きくちづけ
                 山下裕美

テレビで映画やドラマを見ている場面。隣りにいる夫が妙に意識されてしまう。「中井貴一」と「長きくちづけ」の音の響き合いが絶妙。

よく喋る運転手なり天性のものではおそらくない快活さ
                 金田光世

乗車したタクシーの運転手の明るさが職業的な努力によるものだと感じ取る。作者もまたそういう努力をしているからかもしれない。

契約の署名の中にあの時の体力があり跳ねも払いも
                 竹田伊波礼

家や保険の契約など大金が関わる契約書だろう。今よりも若く元気だった自分の様子が、署名の一画一画から伝わってくるのである。

保険証裏の臓器移植に○を付け怖いと思う長生きしよう
                 田島キミエ

臓器移植の意思表示の欄には、心臓・肺・肝臓などの臓器名が記されている。それを見て自分の死を生々しく想像してしまったのだ。


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2019年10月28日

「塔」2019年10月号(その2)

海老のひげみたいなものがのつてゐるサラダを食べるどこからか風
                森尾みづな

「海老のひげみたいなもの」がいい。名前は知らないけれどよく見かけるやつ。調べると糸唐辛子と言うらしい。風にひげがそよぐ感じ。

あ、鴨じゃあと畑にそっと歩み寄る子らおりふるさとの夏の夕
                魚谷真梨子

出産のために帰省している作者。「あ、鴨じゃあ」が、いかにものどかな故郷の感じを伝える。子どもの頃と変わらない風景なのだろう。

この町に住んだらきっとカーテンを開けて最初に見るだろう川
                松岡明香

進学や引越しを控えているのだろうか。転居したら日常の暮らしに入ってくるものとして旅先の川を眺めている。視点がとても新鮮だ。

無愛想にレジを打つ人この店の閉店を誰もが知っている
                岡崎五郎

「閉店」は廃業の意味に受け取った。残り少なくなった時間を今までと同じように過ごしている。地元の人に親しまれてきた店なのだ。

父の手紙捨てるをためらいおりしかどひとつ捨てればつぎつぎ捨てる
                よしの公一

前後の歌から「父の手紙」は亡き父が手元に残した手紙とわかる。父の人生の証を捨てるのは忍びないけれど、もう必要のないものだ。

行かないで 絶叫ののちタックルのごとく抱きつく夢なれば父に
                石橋泰奈

「夢なれば」なので、実際にはそうできなかったという後悔。「タックルのごと」に迫力がある。別れ、または死の場面かもしれない。

釣られたる桶の鱚みなわれを見るせめて巧みに捌いてくれと
                壱岐由美子

もう後は食べられるしかない鱚たち。その目がじっと自分を見ているように感じたのだ。下句はユーモアだが、かすかな痛みも感じる。

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2019年10月27日

「塔」2019年10月号(その1)

落ちて咲くのうぜんかづらに出入りする蟻を見ており梅雨の晴れの間
                林田幸子

道に散った後も鮮やかに咲き続けている凌霄花。そのオレンジ色の花の奥へと黒い蟻が入っていく。色彩が鮮やかに浮かぶ絵画的な歌。

紋白蝶によく会う初夏だ糸屑のような軌跡に時間が止まる
                小川和恵

「糸屑のような軌跡」が紋白蝶の飛び方をうまく表している。目の前を蝶が横切って行く際の、時間の流れが一瞬とぎれるような感じ。

孫用に揃えおきたる袋菓子賞味期限が迫り来るなり
                畑かづ子

孫が遊びに来た時のために用意しておいたのに、長らく来ないままなのだ。捨てるのはもったいないし、自分で食べるのも気が進まない。

天井に水陽炎がゆれてゐる心字が池のちひさなるカフェ
                斎藤雅也

カフェの建物が池のほとりにあるので水面の反射が天井に映るのだ。ゆったりした時間が流れて心地よさそうな雰囲気が伝わってくる。

「ごちゅもん」と女は言えりテーブルに油の染みた雲井飯店
                朝井さとる

店員はおそらく中国の人だったのだろう。町の商店街にあるような昔ながらの中華料理店。「雲井飯店」という名前を入れたのがいい。

兄の留守にそつと開いて眺めてた蝶の切手を逃がさぬやうに
                穂積みづほ

兄の切手のコレクションをこっそり見ている場面。美しい蝶の図柄は、今まさに飛んで行ってしまいそうなほど鮮やかだったのだ。

紫陽花のみづみづあをき葉は旨さう猫は食べたり叱られてもなほ
                吉田京子

確かに梅雨の時期の紫陽花の葉は色も濃くて瑞々しい。猫が食べるというのも初耳だが、それを見て「旨さう」と思うのもユニークだ。

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2019年09月11日

「塔」2019年8月号(その2)

 引継ぎの最後に黙って渡されし封筒見れば「どっかの鍵」と
                           河野麻沙希

業務に必要な様々な引継ぎを終えた後に受け取った「どっかの鍵」。前任者も一度も使うことのなかった鍵だろう。でも、捨てるわけにもいかない。

 つばめの子カラスに食われ死にたるを子は告げに来て走り去りたり
                           福西直美

凄惨な現場を目撃した子は心がいっぱいになり、誰かに告げなければ耐えられなかったのだ。結句「走り去りたり」に小さな子の悲しみが溢れている。

 黒潮の力受けよと加計呂麻の塩の届きぬ退院の日に
                           大空博子

奄美の加計呂麻島で作っている天然の塩を友人が送ってくれたのだ。豊かな海の力を取り込んで早く元気になってほしいとの気持ちが伝わってくる。

 助走が必要だから逃げだせない フラミンゴ舎にぎゆつとフラミンゴ
                           森永絹子

屋根のないフラミンゴ舎なのだろう。でも、羽が切ってあるわけではなく、助走ができないから飛び立てないのだと言う。何か象徴的な話にも感じる。

 雨って世界でいちばんおだやかな暴力みたい 五月が終わる
                           帷子つらね

世界中のあらゆる場所を打つことのできる雨。それを「暴力」と捉えたのが個性的だ。豪雨でなくても、雨には暴力性が潜んでいるのかもしれない。

 言い直しをさせられるたび濁りゆく子の声にまた夫が怒る
                           吉田 典

何とも痛々しい場面。子の返事や言い方に納得できない父親が何度も言い直しをさせているところ。「口先だけで謝ってもダメだ!」という感じか。

 遠くだから会えないねという遠いままそこにいてその橋のふるさと
                           川上まなみ

故郷にとどまる人と離れた人との関係を詠んだ歌か。本当は遠く離れていてもお互いの気持ちさえあれば会うことができるのにという思いだろう。

 虫眼鏡かわるがわるに見る絵巻むかしの国に二人が暮らす
                           丸山恵子

虫眼鏡で覗き込んでいるうちに、絵と現実が入り混じり、絵の中に入り込んでしまうような面白さ。「かわるがわる」なので、作者も二人でいるのだ。

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2019年09月10日

「塔」2019年8月号(その1)

 廃屋のベランダにもたれ過ぎ去りし春を見つめるくまのプーさん
                           佐々木千代

黄色いプーさんのぬいぐるみがベランダに残されている。置かれたままの姿で廃屋とともに朽ちていく。楽しかった日々のことを思い出しながら。

 波切に来て道を聞くとまかげして指差す人は風にゆれゐる
                           久岡貴子

波切(なきり)は三重県志摩市の漁港。旅に来て地元の人に道を尋ねている場面。人物の動きから風や日差しの強さが感じられ、映像的な一首。

 うっすらと気配としてのみ過ぎてゆく街は文庫のページのうえに
                           中田明子

電車の中で文庫本を読んでいる場面。車窓の風景を見ているわけではないが、開いた本のページを過ぎていく光や影に、街の気配を感じている。

 屈託なく童話が好きと言う人にわたしの好きな童話明かさず
                           朝井さとる

「明かす」ではなく「明かさず」なのがいい。歌が数段ふかくなる。童話と言っても単に楽しいものばかりではない。軽々しく話せることではないのだ。

 屋内へと白衣の男消えにけり朝の路上にサトちやんを据ゑ
                           益田克行

薬局の店頭に置かれているゾウのキャラクター、サトちゃん。「薬局」と言わないのがいい。店員の白衣とサトちゃん人形のオレンジ色が目に浮かぶ。

 ラーメン屋〈雪〉に入りたり本当はカナダ料理を食べてみたいが
                           星野綾香

格安のスキーツアーでカナダを訪れた作者。ゆっくりした旅ではないので、観光客向けの店に入ったのだろう。「雪」という名前がいかにも安っぽい。

 にわか雨上がった後に光りたりうろこ模様の尾道のみち
                           山名聡美

「うろこ模様」は坂道のすべり止めかや石畳などだろうか。雨に濡れて光っているのが美しい。「尾道」という地名に「みち」が入っているのがポイント。

 補助イスでは眠るも出来ずカーテンで景色も見えぬ帰省のバスに
                           川井典子

窮屈なバスの補助席。おそらく長時間乗るのだが、以前はそんなに混むことのない路線だったのだろう。せっかくの帰省が帰り着く前に疲れてしまう。

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2019年07月25日

「塔」2019年7月号(その2)

 池の面へまた地の上へ椿落つ 選べざる死のいづれも朱し
                          西山千鶴子

池のほとりに咲く椿は、水面に落ちるか地面に落ちるか自分では選べない。「池」と「地」の文字が似ているのが効果的。人間の死をきっと同じだ。

 目を閉じても間違えないで弾けるけれどピアノは春を映してしまう
                          椛沢知世

上句から下句へのつながりが不思議な歌。ピアノの話をしているように見えて、どこからか作者の意識と無意識の話に移り変わっているのが面白い。

 君が寝て私が起きているときの世界の進み方がやや遅い
                          鈴木晴香

二人の時と自分だけが起きている時で、時間の流れ方が違う。眠った人のそばに取り残されて、まるで別の世界に来てしまったかのように感じる。

 海の見える席に座れず半島の北へ北へとバスに揺られる
                          山下好美

「海の見える席」に座った歌はよく見かけるが、これは座れなかった歌。海の見えない側の窓を眺めながら、残念な気持ちをずっと抱き続けている。

 できたてのベビーカステラ食べながら歩く桜のある方向へ
                          佐原八重

花見の会場近くの夜店で買った温かいベビーカステラ。「桜」を下句に持ってきた語順がいい。この先に見えてくる桜に対する期待感も伝わる。

 「ヤマネさん」呼びまちがえられてそのままにしばらく暗い所で
 暮らす                     山名聡美

「ヤマナ」を「ヤマネ」と一字間違えられて、でも訂正できずに黙っている場面。ヤマネは巣穴に籠って冬眠するので、下句のイメージが出てきた。

 女ひとり顔はがされし写真あり天金あせし父のアルバム
                          宮城公子

背後に物語を感じさせる作品。亡くなった父のアルバムに見つけた女の写真。父と一体どういう関係にあった人なのか。謎は深まるばかりである。

 ロッキング遊具に揺られ子の足もラッコの足も行きつ戻りつ
                          若月香子

公園にある動物の形をした前後に動く遊具。乗っている子の足だけでなく、遊具のラッコの足に着目したのがいい。ラッコと一緒に遊んでいる感じ。


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2019年07月23日

「塔」2019年7月号(その1)

 万人に知られてもよい願いごと四角い絵馬に書かれていたり
                          岡本幸緒

神社の絵馬掛けに納められた絵馬は、誰でも中身を読むことができる。上句の言い方は、反対に「人に知られてはいけない」願いごとを想像させる。

 ひとつ割ればひとつ買い足し我と夫の土鍋の柄のそろうことなし
                          山下裕美

対で買った食器でも両方同時に割れることはない。割れる時は一つずつである。いつもずれて揃わない土鍋の柄に、夫婦のありようが垣間見える。

 はだか畝湯気を立てをりくぷくぷと昨夜の雨みづ吸ひし黒土
                          小澤婦貴子

「はだか畝」がいい。まだ立てたばかりの何も植えていない畝のことだろう。二句以下は、土がよく肥えていて生きているのが伝わってくる描写だ。

 それでも世界は微動だにせず霧雨の中を丸鋸の音は響きぬ
                          小川和恵

初句「それでも」から始まる4・4のリズムに力がある。下句は何かの建設現場だろうか。「霧雨」と「丸鋸の音」に作者の憤りや無力感などが滲む。

 皮を剝けばしろきりんごのあらわれて「勝ち負けじゃない」は
 勝者のことば                 朝井さとる

赤い皮の下から姿をあらわす白い果肉。下句、なるほど言われてみればその通りだと思う。勝ち負けにこだわらずに済むのは自分に余裕があるから。

 筍の穂先はつかに出でてゐて見つけらるるまで見つからずあり
                          入部英明

下句は当り前のことなのだけれど一つの発見。いったん見つければ、周りの土とは違って見えるようになる。だが、見つけるまでは土でしかない。

 みづたまりのみづ飲んでゐる野良猫のよく動く舌が肉の色なり
                          小林真代

「肉の色」という把握が生々しい。舌というのは肉が剥き出しになっている部位なのだ。日常の何でもない光景が、途端に不気味なものに感じられる。

 ぼた餅を一つ供える少しだけ母の甘さに足らぬこと詫び
                          岩尾美加子

生前の母が作っていたぼた餅に比べ、自分の作るぼた餅は甘さ控えめなのだ。甘いのが好きだった母を偲びつつ、春のお彼岸に供えているところ。


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2019年07月13日

第9回塔短歌会賞・塔新人賞

第9回塔短歌会賞・塔新人賞が発表された。

塔短歌会賞は、大森千里「釦をさがす」30首。
看護師の仕事の歌とランニングの歌。身体感覚が鮮やかだ。

水鳥の飛び立つときの静けさよ 銀の湖面につばさ落として
白布をしずかに顔に掛けるときいつもためらうわたしの指は

次席は宮地しもん「死者の月」30首。
親しかった司祭がふるさとのスペインで亡くなったことを詠む。

その墓地を雪はいつごろ覆ふのか刻まれてゐむ日付けも埋めて
また会ふ日はないと思へりまた会ふ日までと聖歌はくりかへせども

塔新人賞は、近江瞬「句読点」30首。
石巻に住む新聞記者という立場から見た東日本大震災後の歳月。

「話を聞いて」と姪を失ったおばあさんに泣きつかれ聞く 記事にはならない
僕だけが目を開けている黙祷の一分間で写す寒空

次席は川上まなみ「風見鶏」30首。
新任の国語教師としての迷いや悩みを率直に詠んでいる。

まず耳が真っ先に起き五時半の小さな音を耳は集める
そこで怒れよという声を聴くぶら下がる木通のような冷たさの声

今年も良い作品が多く集まり、選考会は大いに盛り上がった。
詳しくは「塔」7月号をお読みください。

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2019年07月06日

「塔」2019年6月号(その2)

 「これでもうおあひこだから」はるばると鍵を届けて君は笑へり
                        永山凌平

何がどう「おあひこ」なのかはわからないが、二人の関係性が窺える感じがする。部屋の合鍵を返しに来た場面と読んだが、全く別の鍵かもしれない。

 すぐ帰るつもりだつたね取り置きし最中のみつかる義父(ちち)の
 引き出し                 今井早苗

義父は入院してそのまま亡くなったのだろう。死後に片づけをしていた見つかった最中が悲しい。ついに食べることできずに残されたものである。

 就活の解禁を機にあっさりと子は髭面をやめてしまいぬ
                        垣野俊一郎

「いちご白書をもう一度」では長髪を切るが、ここでは髭。髭を剃ってすっきりした子の顔を見て、安心するとともに少し物足りない気もしたのだろう。

 かなあみに口塞がれて旧道のトンネルの中に苔は光りぬ
                        永久保英敏

「口塞がれて」が生々しい。使われなくなって封鎖されたトンネルであるが、金網越しに見える苔の輝きがまだ生きていると訴えているかのようだ。

 道を訊くやうに近づききたる人けふ何曜日ですかと問へり
                        西山千鶴子

道を訊かれることはよくあるが、曜日を尋ねられるのは珍しい。何のために知りたかったのか謎めいている。店の休業日や特売日の関係だろうか。

 健やかなわれは何処の旅にあるもう戻らぬと医師は説きたり
                        山田精子

病気をして元の身体には戻れないと告げられたのだ。それを上句のように表現したのがいい。今も元気にどこかを旅している身体を想像している。

 山で折りし左小指が曲がりしまま顔洗ふたび鼻孔に入る
                        いわこし

登山中の事故で曲がったままになった指。毎朝顔を洗うたびに、怪我を負った時のことが脳裡に甦るのだろう。「鼻孔に入る」がよく効いている。

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2019年07月05日

「塔」2019年6月号(その1)

 山の上にひろごる空よ年一度峠を越えて桃売りが来る
                        酒井久美子

毎年夏になると山深い集落を訪れる桃の行商人。「峠を越えて」に風土が感じられる。集落の人たちも桃売りが来るのを楽しみに待っているのだ。

 けふ何を食べたかなどでしめくくる夜の電話はくらしの栞
                        鮫島浩子

「くらしの栞」とはなんて素敵な言葉だろう。特に用件があるわけではなく、今日も一日無事に過ごせたことを互いに報告し合うための電話である。

 おいしくて唇を吸いあう二人かな終点知らず目を閉じている
                        滝友梨香

初句が新鮮な表現。作者はブラジル在住の方だが、乗物の席でずっとキスしている男女の情熱的な世界を、「おいしくて」の一言で見事に表している。

 煙突の数本が見ゆ関係のもはや変わらぬ男女のごとし
                        金田光世

互いに距離を保ったままに立つ煙突を男女関係に喩えたのがおもしろい。知り合ってしばらくは様々な距離の変化があったのだが、もう変わらない。

 三日前罠に掛かりし白鼻心おなじ場所にて雌もかかりぬ
                        吉岡洋子

パートナーの雄の匂いをたどって来たのだろうか。雄に続いて雌も同じ罠に掛かったところに、相手が害獣とはいえかすかな悲哀を感じたのである。

 杖三本藤棚の下に立てかけてアイスを食べる老婆三人
                        王生令子

何ともほのぼのとした光景である。散歩の途中でちょっとひと休み。初句「杖三本」から結句「老婆三人」へとつながる数詞がうまく働いている。

 塩引き鮭数多吊らるるとびらの絵に変形性股関節症の会報届く
                        倉谷節子

上句から下句への展開に驚かされた歌。干されて乾いた鮭の姿と「変形性股関節症」がかすかに響き合う。単なる偶然のイラストなのだろうけれど。

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2019年06月03日

「塔」2019年5月号(その2)

 昼ドラの刑事が背中を流しあい今日見た遺体について語らう
                          太代祐一

実際は守秘義務もあってこんなことはしないだろうが、ドラマにはありそうなシーン。遺体の話をしながら身体を洗うところに奇妙な生々しさがある。

 ぎんいろの冬の空気を吐き出してこれはわたしに戻らない息
                          魚谷真梨子

一般的には「白い息」と言うところを「ぎんいろ」と言ったのがいい。冬の冷たく引き締まった空気。下句、自分の身体の一部が失われていくようだ。

 海蛇と珊瑚の沈むぬばたまの鞄をつよく抱く目黒線
                          北虎叡人

「海蛇と珊瑚」は藪内亮輔の歌集タイトル。『 』に括らないことで、本物の海蛇と珊瑚のイメージが立ち上がる。「目黒線」の「黒」も小技が効いている。

 タッパーに詰められるもの詰めてきた ひじきラタトゥイユナムル
 さばみそ                   小松 岬

パーティーや懇親会などで余った料理を持って帰ってきたところ。日本、フランス、韓国と全くバラバラな料理が一つのタッパーに入っている面白さ。

 そうか、僕は怒りたかったのだ、ずっと。樹を切り倒すように話した。
                          田村穂隆

心の奥に眠っていた感情に初めて気づいたのだ。相手と話しているうちに感情が昂ってきたのかもしれない。句読点を用いた歌の韻律も印象的。

 一つ空きしベッドの窓辺に集まりて患者三人雪を眺める
                          北乃まこと

病院の四人部屋の場合、通路側に二つ、窓側に二つのベッドがあることが多い。窓側の一つ空いたスペースに、残った三人が自然と集まってくる。

 ポケットに帽子の中に新しき言葉二歳は持ち帰りくる
                          宮野奈津子

ポケットや帽子に入っている拾ったもの。それを物でなく「言葉」と捉えたのがいい。小さな子にとって物との出会いは新しい言葉との出会いでもある。

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2019年06月02日

「塔」2019年5月号(その1)

 きのふけふ食べて明日もまた食べむ三本百円の大根のため
                          岩野伸子

「三本百円」という安さにつられてつい買ってしまった大根。三本と言えばかなりの量なので、食べ切るために毎日大根料理を食べ続けているのだ。

 うぐひす餅埋めて抹茶の山々の陰るところと日の差すところ
                          清水良郎

うぐいす餅には青きな粉や抹茶の粉がかけてある。それを若葉や青葉の山に見立てたのだ。皿に載ったうぐいす餅から感じる初夏の季節が鮮やか。

 夫婦には我慢が大事と言う人の口の形が姶良カルデラ
                          関野裕之

錦江湾や桜島を含む巨大な姶良(あいら)カルデラ。道徳的な話を続ける相手の口もとを皮肉な気分で見ている。結句「姶良カルデラ」が秀逸。

 同じドアー並びてをればドアノブにぬひぐるみ吊す女性入居者
                          尾崎知子

老人施設などの場面。廊下に面して同じドアが並ぶので、自分の居室の目印としてぬいぐるみを吊るしている。それが可愛くもあり、寂しくもある。

 ホットケーキの中なる仏 本心とはそもそも存在するのでしょうか
                          白水ま衣

「ホットケーキ」の中に「ホ」「ト」「ケ」の三文字が入っているという発見。「ホットケーキ」「仏」「本心」と「ほ」の音によって三句以下が導かれている。

 真冬にはしろく固まるはちみつの、やさしさはなぜあとからわかる
                          小田桐夕

三句「はちみつの、」という序詞的なつなぎ方が巧みな歌。相手の優しさに気づいた時には、もう二人の関係が変わり手遅れになっていたのだ。

 母にやや厳しい口調のわれだった 旅の写真の見えぬところで
                          山川仁帆

写真には親子の楽しげな姿だけが写っているのだが、それ以外の場面では口喧嘩になったりもしたのだろう。写真を見ながらそれを悔やんでいる。

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