2022年11月11日

梅木孝昭『サハリン 松浦武四郎の道を歩く』


幕末の探検家・著述家の松浦武四郎は、1846(弘化3)年と1856(安政3)年の2回にわたって樺太を訪れた。著者は武四郎の残した日記やスケッチを元に、彼の通ったルートを追跡していく。

舗装されていない道路も多く、また道のない海岸線もある。非常に根気の要る調査の末に、サハリン州郷土博物館の協力もあり、7年間かけてようやくルートの全容が明らかになった。

樺太各地で武四郎の描いたスケッチと、著者の撮った写真が対比されている。

私は現地で、絵の構図に合わせた写真を撮ろうとして近くの斜面に登ったが、その辺りはせいぜい五〇メートルほどの高さでしかなかった。しかも四五度以上もある急斜面で、ずるずると滑り落ちながら苦労して撮影した。

現地を訪れて著者が発見したのは、武四郎のスケッチが単に見たままを描いたものではなく、周辺の地形を説明するための鳥観図であるということだ。今ならドローンを使って撮影したようなものだろう。

武四郎は西能登呂岬の「白主土城」も訪れている。元軍による樺太侵攻(北の元寇)の遺跡とも言われる場所だ。

これが築かれた年代ははっきりしないが、一二八一年(弘安四年)の元軍による第二回目の日本遠征の後、カラフトアイヌ人との交戦が幾度かあり、一三〇八年(延慶元年)には完全に元軍に屈したと伝えられている。

松浦武四郎、すごい人だな。
サハリンを気軽に旅行できる日が、早くまた訪れてほしい。

1997年3月17日、北海道新聞社、1500円。

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2022年07月21日

林田家と林家

1977年刊行の林宏匡さんの歌集『ニムオロのうた』が文庫化され、現代短歌社から刊行された。縁があって私が「根室からウクライナまで」と題する文庫版の解説を書かせていただいた。
https://gendaitanka.thebase.in/items/64812243

作者は生後6か月の時に、産婦人科医で歌人でもあった父、林霞舟ともに樺太の真岡に渡り、戦後に引揚げて来られた方。その後、医師となり88歳の今も現役で働いている。

貨車に乗りて豊原(とよはら)目ざす難民の少年として死を覚悟せる
自動小銃の音甦る老の夢八月二十日は忌はしき日ぞ
セピア色の写眞見つめて語り合ふ故郷眞岡を奪はれし日々を
        『ホルムスクの夕日』(2016年)

70年以上が過ぎても、昭和20年のソ連軍の樺太侵攻の記憶が薄れることはない。ますます懐かしく故郷のことを思い出すのである。

林田恒利(1914‐1996)・林田恒浩(1944‐)、林霞舟(1905‐1988)・林宏匡(1934‐)は、ともに親子二代の歌人で樺太から引き揚げてきたという共通点がある。

それだけではない。林田鈴(恒浩の母、歌人)のエッセイ集『忘却のかなたから』には、こんな話が載っている。

 また真岡町の病院長である婦人科の林霞舟氏のお宅も近くにあった。真岡町には歌会等もあって、それにも私は出席したことがある。(…)私は、真岡町病院で、林院長先生より診断をいただき「おめでたです」と言われ、翌十九年夏に長男を生んだのである。

つまり、林田恒浩さんは樺太の真岡町の林霞舟の病院で生まれたのであった。

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2022年06月08日

川村湊編『現代アイヌ文学作品選』


アイヌ文学のアンソロジー。収録されているのは、知里幸恵、知里真志保、バチェラー八重子、違星北斗、森竹竹市、鳩沢佐美夫、山本多助、貝澤正、萱野茂の9名。

私はアイヌだ。何処までもアイヌだ。何処にシサムのようなところがある?! たとえ、自分でシサムですと口で言い得るにしても、私は依然アイヌではないか。つまらない、そんな口先でばかりシサムになったって何になる。シサムになれば何だ。アイヌだから、それで人間ではないという事もない。同じ人ではないか。私はアイヌであったことを喜ぶ。
        (知里幸恵 日記)
古老たちの少なくなったことにもよるが、私たちの身辺から素朴な信仰の対象であったイナウ(木幣)が完全に消えていた。盆だとか正月、あるいは命日などに行なっていたシン・ヌラッパ(仏の供養儀式)の、厳かなうちにも華やかな集いも、ほとんど見なくなった。偏見視され蔑まれる直接的なものは、若い層から強硬に頑に否定されてしまったのである。それが祖母の力説する「アイヌもシャモも変わりない時代!」を造り上げたのかもしれなかった。が半面に、私たちが帰依する真の場がなくなってしまっている。
        (鳩沢佐美夫「証しの空文」)
 祖父らが文字を学び新しい文化を吸収しようと、学校をたて日本人の先生を招いたのは、明治二五年であった。その時は、アイヌ文化とアイヌ語、アイヌ精神まで失うとは、エカシの誰も予期しなかったと思う。
 父は学校で受けた教育で、先生の影響を受けて日本人化した代表的なアイヌとなった。天皇を崇拝し、日本民謡を唄い、晩年には、酒が入ると軍歌「戦友」をうたい自己満足していた。
        (貝澤正「母(フチ)のこと」

巻末には川村湊の解説「甦るアイヌ文学の世界」、著者紹介、アイヌ文化史年表を収めている。近代以降のアイヌ文学を知るには恰好のアンソロジーと言っていい。現在「品切」になっているのが何とも残念だ。

2010年3月10日、講談社学芸文庫、1500円。

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2022年05月21日

アイヌを詠んだ古い歌

国立国会図書館の「個人向けデジタル化資料送信サービス」や「次世代デジタルライブラリー」を活用すると、これまで調べられなかった資料が次々と見つかる。

アイヌを詠んだ古い歌をいくつか挙げてみよう。

柳田国男の1906(明治39)年の歌(『定本柳田國男集』第26巻)

  釧路にて
たまさかにとりてほしたるしらぬか(白糠)のあいぬかこふをぬらす雨かな

(附記)此歌ハ九月六日十勝ノ帯広ヨリ汽車ニノリ午頃白糠ヲ通リシニイト晴レタル日ニテアイヌ共浜ニ下リ水ニ入リテ昆布ヲ引上ゲ砂ノ上ニホセリアクル日帰リノ汽車ハ大雨ナルニ昨日ノ砂ノ上ノ昆布ハサナガラアリ人々可愛サウニ昆布ハクサルベシナドイフヲキヽテカクヨメル也

金子薫園編『凌宵花』(1905年)に収録されている歌

十勝野の夏をかざれる白すみれやさし愛奴(あいぬ)が髪にかざせり
               園田巨人
蝦夷酒に紅茄子めでゝ愛奴(あいぬ)らが軍(いくさ)がたりに雪の夜ふけぬ
               羅臼山人
愛奴らが蝦夷笛鳴らし山越えぬひとりひとりに馴鹿(となかい)つれて
               筒井菫坡『残照』(1908年)

まだまだ調べればいくらでも見つかる感じで、今後が楽しみだ。

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2022年05月17日

川嶋康男『ラストアイヌ』


副題は「反骨のアイヌ歌人森竹竹市の肖像」。

アイヌの詩人・歌人、森竹竹市(1902‐1976)の評伝。森竹の生涯をたどりつつ、その行動や作品を読み解いている。違星北斗や並木凡平との交流や国鉄での仕事など、森竹の思想のもとになった出来事がよくわかる。

なぜこうもウタリは自身を卑下するか平等に生きやう自尊心持て
視察者に珍奇の瞳みはらせて「土人学校」に子等は本読む
ウタリからガンヂー出でよ耶蘇出でよ殉愛の士が一人出たなら
川に鮭山に熊なく耕すに土地なきウタリは何処にゆくのか
シャクシャインの意図貫徹しておれば蝦夷地はとうにアイヌ王国

2020年3月25日、柏艪舎、1500円。

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2022年05月12日

講座「アイヌと短歌」

講座「アイヌと短歌」チラシ.jpg


5月22日(日)11:00〜12:30、毎日文化センター(大阪梅田)で「アイヌと短歌」という講座を行います。

バチェラー八重子、違星北斗、森竹竹市らアイヌの歌人の短歌を読むとともに、北原白秋、前田夕暮、与謝野晶子らがアイヌの集落を訪れて詠んだ短歌も紹介し、アイヌ民族の歴史や多文化共生について考えます。

教室受講とオンライン受講の併用講座となります。ご興味のある方も、特に興味はないけどという方も、ぜひご参加下さい!

http://www.maibun.co.jp/wp/archives/course/36106

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2022年05月07日

石原真衣編著『アイヌからみた北海道一五〇年』


2018年の「北海道命名一五〇年」を祝う行事についての違和感や疑問をきっかけに、30数名のアイヌの人々から寄せられた声や物語をまとめた一冊。

北海道の歴史をアイヌの側から捉え直すとともに、アイヌに対する差別の問題や今後の共生のあり方を示している。

「サイレント・アイヌ」の沈黙はさまざまである。アイヌであることが嫌で隠す。アイヌとして生きたいけれど、それができないから、隠す。アイヌの出自を持つことを知っているが、歴史や物語、文化について何も継承していないがゆえに、何を語っていいかわからない。(石原真衣)
今から五〇年前、二風谷では金田一京助氏の歌碑が建立された。碑文と石に刻まれた寄付者一覧が当時の状況を現代に伝えている。一番驚くべきは、今では悪名高い児玉作左衛門氏の名前もそこに刻まれていることだ。(萱野公裕)
近年、アイヌの文化がもてはやされていますが、アイヌは文化民族なのでしょうか? アイヌを名乗る人、アイヌを名乗れない人、アイヌでない人たちに、アイヌの真の歴史を考えてほしく思います。(戸塚美波子)
アイヌ語教室などで教えてくれる学者さんには、よくぞアイヌ語を勉強してくれた≠ニ感謝の気持ちがありますが、自分の民族の言葉を学者に習わなければならない情けない状況をつくった責任は国にあると思います。(山本栄子)

印象的なのは、アイヌの人々と一口に言っても非常に多様だということである。コミュニティとの関わり方も、住む場所も、祝賀行事についてのスタンスや考え方も、一人一人違う。これは考えてみれば当り前なのだけれど、忘れがちなことかもしれない。

例えば、イベントで和人がアイヌの衣装を着て踊ることについて「一緒にやってくれてありがとう、広めてくれてありがとうという気持ちで接したい」という人もいれば、「アイヌ民族を、和人の一部と貶めているのだ。だから、こんなでたらめが起こるのだ」と反発する人もいる。

もちろん、それは単に正反対の考えということではなく、その根底に先住民族アイヌに対する長い差別の歴史があることを踏まえて考えるべき問題なのだ。

30数名の文章のうち5名の方は「匿名」になっている。その事実こそが、差別が過去のものではなく今もなお続いていることを、何よりも雄弁に示している。

2021年9月25日、北海道大学出版会、1600円。

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2022年04月29日

講座「アイヌと短歌」

 講座「アイヌと短歌」チラシ.jpg


5月22日(日)11:00〜12:30、毎日文化センター(大阪)で、「アイヌと短歌」という講座を行います。

バチェラー八重子、違星北斗、森竹竹市らアイヌの歌人の短歌を読むとともに、北原白秋、前田夕暮、与謝野晶子らがアイヌの集落を訪れて詠んだ短歌も紹介し、アイヌ民族の歴史や多文化共生について考えます。

教室受講とオンライン受講の併用講座となります。ご興味のある方も、特に興味はないのだけどという方も、ぜひご参加下さい!

http://www.maibun.co.jp/wp/archives/course/36106

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2022年04月08日

『近現代アイヌ文学史論〈近代編〉』の続きの続き

本書は近代のアイヌの言論人や文学作品について非常に詳細に調べ上げた労作である。それでも、随所に現時点でまだわかっていない点についての言及がある。

著者の青山樹左郎という人物もどういう経歴の人物なのか判然としない。当時の樺太アイヌ研究者のなかにそうした人物は見受けられない。
この『樺太アイヌ叢話』という本にはいくつかの謎がある。/まず第一に、千徳と発行所である市光堂市川商店との関係である。(…)また、この市光堂という発行所についても情報がほとんどない。
川村の生年については一八九八年、一九〇二年、一九〇六年と研究者により分かれており、現時点では確定できない。
片平が持っているというバチェラーの遺言状なるものがどのような内容であったのか、またそれが実在していたかどうかについても不明である。

このように、現時点でわかっていることとわかっていないことを、明確に区別して論じている。これは大事なことだろう。

本書を踏まえて今後さらに研究や資料の発掘が進み、新たな事実が判明することもあるにちがいない。

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2022年04月07日

『近現代アイヌ文学史論〈近代編〉』の続き

アイヌ文学にとって最大のテーマである「同化」について、著者は次のように記す。

当時の和人はアイヌ民族を「滅びゆく民族」と考えていて、遠からず人種・文化・言語・風習・宗教などすべてにおいて和人への吸収・一体化がなされるものとしていた。そしてそれを「同化」という言葉で語った。一方、アイヌの言論人たちは「同化」を和人とは異なった意味に捉えていた。「同化」とはすなわち和人との平等化・対等化であると考え、仮に容貌・風習・言葉を失ってもアイヌ民族であるとの意識を将来にわたって保持することを前提としていた。
アイヌ民族として言うこの「同化」には、もうひとつ、近代化の意味も含まれていた。それが教育・禁酒・生活・衛生面で改善の意味を持つ「同化」であった。このようにアイヌの人々にとって「同化」とは対等化と近代化という二重の意味、多重の論理を持っていたのである。

つまり、和人とアイヌ民族では、同じ「同化」という言葉を用いていても、認識や理解に大きなズレがあったということだ。これは非常に大切な点であると思う。

また、近代のアイヌ民族にとって大きな問題であった「キリスト教」「教育」「同化政策」などについても、非常に説得力のある論が示されている。

当時のアイヌの人たちにとってキリスト教に入信するということは、日本政府による強制同化とは異なる近代化≠ノ身を委ねようとすることであった。
アイヌ民族の名だたる論者は一様に「教育」の重要性を説いた。アイヌ民族にとって、教育とは和人との対等化を実現し、近代日本を生き抜くためのいわば唯一の抵抗の手段であった。ところが和人施政者にとってアイヌ民族教育とは、アイヌの人たちを日本に同化させるための統治の手段でしかなかった。
日本人は、建前上は「われわれ日本人」に組み入れながらも、本音ではアイヌ民族を域外の異民族として「純粋な日本人」とは認めていなかった。その一方では社会的差別を内包した強制同化によってそうした状況の早期解決を図ろうとしたわけである。日本の同化政策とは、このように、「包摂」と「排除」、あるいは「同化」と「異化」が混在・併存し、建前と本音で都合よく使い分けられた政策であった。

これらはアイヌ民族に対してだけでなく、戦前の台湾や朝鮮半島などの植民地における政策や、現在の在日外国人や外国人労働者への対応などにもつながってくる問題と言っていいだろう。

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2022年04月06日

須田茂『近現代アイヌ文学史論〈近代編〉』


副題は「アイヌ民族による日本語文学の軌跡」。

近代のアイヌ文学を網羅的に取り上げて詳細に論じた一冊。広範な文献を丹念に渉猟して、緻密に論考を組み立てている。

序章ではまずタイトルに関連して、本書で扱う「近現代」「文学」「アイヌ民族」それぞれの定義を示すところから始めている。そうした姿勢が徹底されていていい。

また、注や登場人物の年譜、参考文献、人名索引の提示も行き届いており、今後この分野を論じる人にとって重要な基盤となる内容と言っていいだろう。

登場するのは、金成太郎、山辺安之助、千徳太郎治、武隈徳三郎、知里幸惠、違星北斗、バチェラー八重子、森竹竹市、貝澤藤蔵、貫塩喜蔵、辺泥和郎、川村才登、向井山雄、江賀寅三など。

アイヌ文化のなかでもとくに近現代のアイヌ文学については、その役割の大きさにもかかわらず、いまだ位置づけが十分に定まった(あるいは評価された)とは言えない状況にある。それは近現代のアイヌ文学が、アイヌ語ではなく日本語で書かれたことにより、「日本語文学」として「日本文学」のなかに紛れ、埋もれてしまっているからである。

全524ページという分厚さであるが、アイヌ民族に対する差別やマジョリティの偏見をきちんと正そうとする姿勢が貫かれており、執筆する著者の姿勢に信頼の置ける良書だと感じた。

引き続き、現在同人誌に連載中という「現代編」の刊行も楽しみに待ちたいと思う。

2018年5月31日、寿郎社、2900円。

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2022年04月01日

講座「アイヌと短歌」

 講座「アイヌと短歌」チラシ.jpg


5月22日(日)11:00〜12:30、毎日文化センター(大阪)で、「アイヌと短歌」という講座を行います。

バチェラー八重子、違星北斗、森竹竹市らアイヌの歌人の短歌を読むとともに、北原白秋、前田夕暮、与謝野晶子らがアイヌの集落を訪れて詠んだ短歌も紹介し、アイヌ民族の歴史や多文化共生について考えます。

教室受講とオンライン受講の併用講座となります。ご興味のある方は、ぜひご参加下さい。

http://www.maibun.co.jp/wp/archives/course/36106

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2022年03月21日

尾上柴舟とアイヌ

尾上柴舟『素月集』(昭和11年)には昭和6年の作品「白老村にて」10首が収められている。

  白老村にて
近づけば耻ぢみゆかしみあいぬの子小屋の戸口を出つ入りつする
円き眼によろこび見せてあいぬの子戸に入る我に取りつきにけり
  金蒔絵の器はあいぬの宝とするものといふ
小屋隅のきららとしたる片明り金の蒔絵の行器(ほかゐ)よりする
入墨の青き口許美しき笑みをたたへて人われを待つ
熊とると山の峡間の二十里を雪にふむとふあいぬ健夫(たけを)は
怒れるを抱きて刺すとふ熊よりも太き胆をしあいぬは持てる
神祭る窓より入りて日はさしぬまろうどらにと敷ける莚に
草の花あかるき庭に熊のくびかけたる棚は影ひきにけり
あいぬの子手さし入るればじやれつきてわざところがる檻の熊の子
立ちあがり檻の格子に手をかけて熊は見おくる見かへる我を

この一連とは関係ないが、尾上柴舟(八郎)は昭和16年にもアイヌの集落(おそらく白老)を訪れている。これは、当時尾上が勤めていた東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)の修学旅行に際してであった。

「お茶の水女子大学デジタルアーカイブズ」の「卒業記念写真帖」(昭和16年、文科)には「修学旅行」「アイヌ人男性との記念撮影。中央の教官は、左が尾上八郎教授、右が江本ヨシ生徒主事。」という一枚が掲載されている。

https://www.lib.ocha.ac.jp/archives/exhibition/L31_172/a_ph_172-0055.html

修学旅行でアイヌの集落を訪れている点に興味をひかれる。

宮沢賢治は大正3年に盛岡中学の生徒として修学旅行で白老を訪れ、大正13年には花巻農学校の教師として再び修学旅行の引率で白老を訪れている。当時、北海道への修学旅行に際して白老のアイヌ集落に寄るのが、一つの定番のコースになっていたのかもしれない。

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2022年03月20日

アイヌのことを詠んだ歌

「現代短歌」5月号の特集「アイヌと短歌」に、「異民族への「興味・関心」と「蔑視・差別」 近代短歌にとってアイヌとは何だったっか」という論考を書いた。その中で取り上げたのは、以下の9冊の歌集や連作である。

・長塚節『長塚節歌集』
・窪田空穂『濁れる川』
・太田水穂『雲鳥』
・北原白秋『海阪』
・前田夕暮『水源地帯』
・与謝野晶子「北遊詠草」
・与謝野寛「北遊詠草」
・川田順『鷲』
・満岡照子『火の山』

小田観螢の歌集と佐佐木信綱『豊旗雲』については、他の執筆者が取り上げる予定だったので省いた。

また、今回は取り上げられなかったが、下記の歌集にもアイヌのことを詠んだ歌が収められている。

・宇都野研『木群』
・尾上柴舟『素月集』
・斎藤茂吉『石泉』
・中城ふみ子『乳房喪失』
・木俣修『呼べば谺』
・葛原繁『玄』『又々玄』

今後もさらに多くの歌を見つけて、考えを深めていきたいと思う。

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2022年01月15日

満岡伸一『アイヌの足跡』(増補改訂第8版)

白老で郵便局長をしていた著者が、アイヌの伝統や風習、言語、生活についてまとめた本。アイヌの入門書として戦前からよく読まれていたと聞く。

著者と妻で歌人の満岡照子は多くの和人をアイヌ集落に案内しており、白老のキーパーソンとも言える存在である。

オハウと云うのは魚の塩汁の事で、普通魚肉と野菜を一緒に煮て塩味を付けたものである。(…)北海道の三平汁は北海道の名物になって居るが、畢竟アイヌのオハウである。
進歩と変化のない、彼等の社会では、何と言っても老人は、物知りであり経験者である。総ての行事は皆、老人の指揮指導をまたねばならぬことばかりで、老衰しても、家長として、村の元老として貫録を保ち、周囲の尊敬を受けている。
道内到る所にベンケの地名がある。之れも弁慶の遺跡の様に伝えるが、アイヌ語のベンケは上、バンケは下の意で、弁慶とは何等関係がない。
数十年前彼等は内地人の赤児を喜んで貰い育てる風があった。内地人も又種々の事情から赤児をアイヌに呉れる事が往々あった。其の児は純血の内地人であるが、彼等の家庭では実施同様に取扱うので、結局言語、習慣、食物等も全然アイヌと同一である。
普通の熊狩は積雪のある早春の頃で、熊が逃れても雪の上に残る足跡と、猟犬の臭覚とで所在を突止める事が容易である。それで強いて強い毒を用いず毛皮、肉に影響ない程度に加減した適当のものを使用する。

どの話も非常に詳しく記されていて、著者のアイヌ文化に対する理解の深さやアイヌの人々との交流の深さを感じさせる。

序文に

北海道三百万の住民中二万に足らざるアイヌ人は、内地人に同化され、アイヌ古来の特殊の風俗習慣は日に月に廃れ、今後数年ならずして全く其の足跡をも存せざるに至らんとするを惜み、後日実家の参考ともならんと順序もなく筆記し置けるもの。

とあるように、著者の基本的な考えは、アイヌ文化は内地人への同化によって早晩廃れていくので、せめて記録に残しておくというものだ。題名の「アイヌの足跡」も、そうした考えに基づいて付けられている。

こうした姿勢は現在では「サルベージ・エスノグラフィー」として批判を受けることもある。著者が同化政策の片棒を担いだという見方も当然できるだろう。非常に悩ましい問題であるが、それでも、この本の持つ価値は変わることはないと思う。

1924年10月15日初版、1987年2月1日第8版増補。
財団法人アイヌ博物館発行。

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2022年01月14日

童謡「アイヌの子」

北原白秋「アイヌの子」は「赤い鳥」1925(大正14)年12月号に発表された作品。

大豆畠の
露草は、
露にぬれぬれ、
かわいいな。

大豆畠の
ほそ道を、
小(ち)さいアイヌの
子がひとり。

いろはにほへと
ちりぬるを、
唐黍たべたべ、
おぼえてく。

この年、樺太・北海道を旅行した白秋は、アイヌに関する詩や短歌を数多く詠んでいる。この童謡もその一つ。

「いろはにほへと/ちりぬるを」には、正しくは傍点が付いている。学校帰りの子どもだろうか。トウモロコシを食べながら声に出して言葉を唱えている姿が可愛らしい。

もっとも、別の角度から見れば、これは北海道旧土人保護法に基づいてアイヌ学校が設置され、日本語教育をはじめとした同化政策が行われた時期の作品でもある。

そうした観点に立つと、「いろはにほへと/ちりぬるを」も自ずと違った意味合いを帯びてくる。

白秋はアイヌ語を取り入れた詩や歌も作っているが、はたしてどんな意識でこの「いろはにほへと/ちりぬるを」を書いたのだろうか。

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2021年09月28日

沢田猛『カネト―炎のアイヌ魂』


絵・こさかしげる。

上川アイヌの家系に生まれ、北海道内はじめ全国各地の鉄道測量で活躍した川村カ子(ネ)ト(1893−1977)。彼が天竜川沿いの三信鉄道(現・JR飯田線)の測量を行った際の苦闘を描いた本である。

これは
自然のきびしさと
数々の迫害にたえて生きた
ひとりのアイヌ・川村カネトの物語です

子ども向けの本ではあるが、ノンフィクションとして優れた内容となっている。

今年3月に訪れた白老のウポポイ(国立アイヌ博物館)に、彼が使っていた測量器具が展示されていた。いつか旭川の川村カ子トアイヌ記念館にも行ってみたい。

1983年2月、ひくまの出版、1200円。

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2021年09月23日

茅辺かのう『アイヌの世界に生きる』


1984年に筑摩書房から刊行された本の文庫化。

1973年に著者はアイヌの農家に20日間ほど同居して、アイヌ語の口述筆記を手伝った。その時の体験や話に聞いた内容をまとめたもの。

1906(明治39)年に福島県で生まれ、北海道の十勝に開拓農家の子供として渡ってきた「トキさん」は、生後1年ほどでアイヌの養子になって育てられた。農家として働きながら12人の子を産み9人を育て上げ、70歳近い当時は一人暮らしをしていた。

トキさんは子供を通して、新しい考えや世の中の動きを吸収しようとした。養母はアイヌ語で話したが、トキさんは子供たちと日本語で話した。自分が受け継いだアイヌに関わるあらゆること――伝説や教訓や習慣や言葉などは、自分の子供たちに伝えなかった。
私はトキさんに教わるまで「フレップ」をコケモモの実のことだと思っていたが、特定のものを指すのではなく、赤い実一般を指すということだった。夕焼朝焼で赤く染まった空の色も「フレ」である。
トキさんのいう「よそから来た人たち」は、主に戦時中の徴用で北海道へ送りこまれた朝鮮人の労働者を指している。開拓農民で作る移民社会から疎外された者同士の濃やかなつきあいが、アイヌと朝鮮人の間に自然に生まれ、身内のように乏しいものを分け合い苦労を共にしてきたのである。

アイヌに対する差別や偏見が続く中で生きてきた女性の一代記。それを書き留めた著者の社会学的な視点も鮮やかだ。

解説で本田優子(札幌大学教授、アイヌ語学者)は、本書に描かれた「トキさん」が実は仮名であり、後にアイヌ語伝承者として1997年に「アイヌ文化賞」を受賞するなどした澤井トメノであることを明らかにしている。

1973年に著者にアイヌ語を口述筆記してもらった体験が、澤井のアイヌ文化伝承の初めの一歩になったのかもしれない。そう思うと、何ともドラマチックな一冊である。

2021年7月10日、ちくま文庫、840円。

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2021年08月23日

萱野茂『完本 アイヌの碑』


1980年に朝日新聞社から刊行された『アイヌの碑』と2005年刊行の『イヨマンテの花矢 続・アイヌの碑』を合わせて文庫化したもの。

アイヌ文化の伝承に努めアイヌ初の国会議員にもなった著者の自伝的エッセイ集。平取町二風谷の暮らし、祖父母や両親のこと、アイヌに対する差別、研究者との交流、資料館の建設、アイヌ新法の制定など、1926年に生まれ2006年に亡くなるまでの一代記となっている。

穏やかな語り口の文章であるが、中にはアイヌの研究者に対する厳しい批判などもある。

わたしはこのころ、アイヌ研究の学者を心から憎いと思っていました。(…)二風谷に来るたびに村の民具を持ち去る。神聖な墓をあばいて祖先の骨を持ち去る。研究と称して、村人の血液を採り、毛深い様子を調べるために、腕をまくり、首筋から襟をめくって背中をのぞいて見る……。
アイヌの言葉や文化に関心を持った日本人の学者や研究者にはありがたいと思う反面、そういった泥棒まがいや無神経な振る舞いも数多く見てきました。

近年話題になっているアイヌの遺骨返還の問題や、かつての植民地主義的な人類学のあり方などを考えさせられる。

アイヌ協会は昭和三十六年、アイヌという言葉があまりにも差別用語として使われているため、北海道ウタリ協会に名称を変更しました。そのときにわたしは、「いずれアイヌ協会に戻るであろうけれども」と言って、中立の立場を取りました。

著者の没後のことになるが、協会は2009年に再び「北海道アイヌ協会」に戻った。もちろん、それはアイヌ差別の問題が解決したという意味ではないが、大きな一歩と言っていいだろう。先住民族としての権利や文化が今後いっそう守られ、発展していくようにと願う。

2021年7月30日、朝日文庫、1000円。

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2021年08月08日

石坂啓『ハルコロ』(1)(2)



原作:本多勝一、監修:萱野茂。
1992年に潮出版社から刊行された単行本を文庫化したもの。
長年読むことのできなかった名作が、約30年ぶりに復刊された。

舞台はまだ和人の進出が始まる前のアイヌモシリ(北海道)。オペレ(おちび)と呼ばれていた娘が「ハルコロ」という名を与えられ、一人前の女性として成長していく物語である。

アイヌの風習や文化、口承文芸のユーカラやウエペケレなども交えつつ、アイヌの人々の暮らしを生き生きと描き出している。

(1)には1992年版の本多勝一の解説と、中川裕(アイヌ語研究者、千葉大学名誉教授)の文庫版解説、(2)には1992年版の萱野茂の解説と、石坂啓の文庫版あとがきが載っている。多くの人の力によって誕生し、そして今回復刊された作品と言っていいだろう。

研究者が論文を書いても、その影響は研究という閉じた世界の中に限られる。それが社会的な広がりを持つためには、より多くの人の目に触れる映画や漫画といった手段によることも重要である。

現在大ヒット中の漫画『ゴールデンカムイ』の監修も行っている中川の言葉である。この作品を通じて、さらにまた多くの方がアイヌに関心を持つようになるといいなと思う。

2021年6月15日、岩波現代文庫、各1300円。

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2021年05月28日

瀧口夕美『民族衣装を着なかったアイヌ』

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副題は「北の女たちから伝えられたこと」

阿寒湖畔のアイヌコタンの土産物店に生まれ育った著者が、様々な人への聞き取りを通じて自らのルーツとアイデンティティを模索・確認していく物語。

「観光」が大嫌いだった私には、この「神秘」のマリモほど陳腐なしろものはなかった。おみやげマリモがまとう陳腐さが、観光地で暮らす自分に重なる。
わたしは自分自身のルーツとして、アイヌのことがものすごく気になりながらも、アイヌ民族というものと、現代のアイヌである自分自身との距離がずっとつかめずにいた。

観光地で生まれ育ったことに居心地の悪さを感じていた著者は、自らのルーツであるアイヌをどう受け止めればいいのか悩む。そんな彼女の心をほぐし励ましてくれたのは、北海道やサハリンで生きる女性たちであった。

母の瀧口ユリ子(アイヌ)、北川アイ子(ウイルタ)、金玉順(サハリン残留朝鮮人)、マリア・セルゲイブナ(金山秀子、サハリン残留日本人)、長根喜代野といった「北の女たち」の人生は、国境や民族といった枠を越えて強烈な印象を残す。

差別があった、抑圧があった、それに対してアイヌは闘ってきた。それはいわば外向けの語りであって、人は普段から、たとえば身内の人間に対して、つねにこういう話し方をするわけではない。

民族や国家などの大きな歴史と並行して存在する無数の個人の歴史。その両方を見ていかなければ、本当の意味で歴史を知ることにはならないのだろう。

十数年の時間をかけて出来上がったこの本には、著者の思索や眼差しの深まりがよく表れている。書かれるべき一冊、生まれるべき一冊だったのだと強く思う。

2013年6月15日第1刷発行、2021年2月22日第4刷。
編集グループSURE、2500円。

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2021年05月25日

井澗裕編著『稚内・北航路』


ブックレットボーダーズ3。
副題は「サハリンへのゲートウェイ」。

稚内とサハリンの歴史的な結び付きや、日ロの交流と国境観光の地としての魅力を記した一冊。

稚内は「日本のさいはて」というイメージが強いが、サハリンへの玄関口という見方もできる。

北海道内の「隣りの市」と言っても、オホーツク海側の紋別市が約二一〇キロメートル、日本海側の留萌市が約一九〇キロメートル、内陸の名寄市が約一七〇キロメートルだ。眼を転じて宗谷海峡を越えると、コルサコフ市が航路の距離で約一五八キロメートルと、余程近い位なのだ。

2015年の夏に私がサハリンへ行った際には、稚内からフェリーでコルサコフへ渡った。けれども、ハートランド社はこの年で撤退。2019年以降は定期航路が休止状態となっている。
https://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/sangyo/saharin/

定期航路は本来、ノンパワー・セキュリティ(武器なき平和)の根幹である。コミュニティが健全であるための第一原則は「隣近所と行き来がある」「顔を知っている」ということだ。

なるほど、そうだなと思う。コロナ禍が終息したら、何とかまた定期航路を復活させてもらいたいものだ。

2016年7月10日、NPO法人国境地域研究センター、900円。

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2021年04月11日

堀内みさ(文)・堀内昭彦(写真)『カムイの世界』


副題は「語り継がれるアイヌの心」。

多くの美しい写真とともにアイヌの文化や伝統を解説した本。「カムイ(神)」「カムイノミ(祈り)」「コタン(集落)」「シンヌラッパ(先祖供養)」「アシㇼチェㇷ゚ノミ(サケ迎え)」「チㇷ゚サンケ(舟下ろし)」「ユカㇻ(叙事詩)」「チャランケ(談判)」「ケウタンケ(無念の声)」「アイヌ(人間)」の章に分かれている。

アシㇼチェㇷ゚ノミは豊漁を祈る儀式かと確認した著者に、副祭主はこう答える。

「いいかい。アイヌは豊漁や大漁を願わない民族だ。サケが上がってくれてありがとう。それだけだ」

これは今風に言えば、持続可能な生活を目指していたということなのだろう。

2020年3月25日、新潮社とんぼの本、2000円。

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2021年04月01日

固有の領土?

教科書検定に関して、こんなニュースが流れている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/

公共と地理総合の新しい学習指導要領は、北方領土と竹島、尖閣諸島について「わが国固有の領土」と記述するよう明記した。

領土問題については様々な考え方があると思う。でも、「わが国固有の領土」なんて言い方は、世界ではまったく通用しないだろう。国境線が時代とともに常に変化してきたことは歴史が示す通り。そもそも領土や国境は人為的なものでしかない。

「固有の領土」という概念は典型的な島国根性の表れでしかなく、日本国内にしか通用しないものだ。ロシアや中国に通じないだけならまだしも、欧米諸国やその他の国々も含めてどこも認めないと思う。

今どき教科書にこんな記述を載せていることに、がっかりしてしまう。それとも、北方四島の地面を掘ったら「日本領土」と書いてあるとでも思っているのだろうか?

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2021年03月25日

ウポポイ

北海道へ行ったら絶対に訪れたいと思っていたウポポイ(民族共生象徴空間)へ。最寄駅はJR室蘭本線の白老駅。


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ここから徒歩で約10分。シャトルバスも出ている。

ウポポイはポロト湖畔の広い敷地にある複合施設で、国立アイヌ民族博物館を中心に、体験学習館、体験交流ホール、工房、伝統的コタンなどが点在している。


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ブロニスワフ・ピウスツキの胸像と国立アイヌ民族博物館。

博物館の展示は映像や音声もふんだんに取り入れた充実したもの。それ以外にも、伝統芸能や口承文芸の実演、伝統工芸の実演・体験、楽器演奏の鑑賞・体験など多くのプログラムが用意されていて、体験型の学びの場となっている。


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美しいポロト湖の風景。

周囲約4kmの海跡湖で、名前は「大きな沼」を意味するそうだ。

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2021年03月04日

「中國紀行CKRM」vol.22


書店でアイヌ特集の組まれた雑誌を見かけて購入。

〈中国の「今」を旅して、日本の「原点」を見つめる〉というコピーのある雑誌で、創刊時は「中華浪漫」というタイトルだったらしい。だからCKRMなのか。

写真や図版が豊富に載っていて、内容も充実している。

今のJR飯田線の「天竜峡〜三河川合」は(川村)カ子トがアイヌ測量隊を率いて断崖絶壁での測量作業をやり遂げ、難工事の末に開通させたものである。
そもそもオホーツクというのは、樺太のほぼ真北に位置するロシアのハバロフスク地方に属する港町の名前である。
アイヌの文化圏や、その直接的な交易対象である民族たちには、今ある「国」の領域とは無関係な広がりがあった。

いろいろと知らない話もあって楽しい。江戸時代の菅江真澄や松浦武四郎についても興味が湧いてきた。

2021年2月28日、アジア太平洋観光社、909円。


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2021年02月25日

瀬川拓郎『アイヌの歴史』


副題は「海と宝のノマド」。

新しい研究成果をふんだんに取り入れて、生き生きとしたアイヌの歴史を記した一冊。和人やニブフらと盛んに交易をしていた姿を描き出している。

本州の人びとが農耕社会に踏み出し、激変の歴史をあゆんできたように、北の狩猟採集民の社会も、あゆみこそ異なるものの変容し、複雑化し、矛盾は拡大してきた。かれらはその歴史のなかをしたたかに生き抜いてきたのだ。
私たちは、アイヌを日本の周縁や辺境の人びとと見なしている。そしてそれは、ほとんど自明のことになっている。しかし、アイヌが周縁や辺境という本質をもつ人びとだったことは一度もない。

アイヌの主要な交易品は鮭とワシ羽であった。それを元に手に入れた日本産の漆器や刀剣、中国産の織物やガラス玉は、アイヌ社会での宝となり権力ともなった。

この鮭とワシ羽に関する詳細な分析が実におもしろい。

長期保存用には産卵場付近まで遡上し、脂肪が抜けきったサケが最適だった。だからアイヌは河口部ではなく、内陸の産卵場でサケ漁をおこなっていたのだ。
ワシ・タカのなかでもオオワシとオジロワシは真鳥とよばれ、その尾羽は真鳥羽、略して真羽と称されていた。なかでもオオワシの尾羽がランクの頂点に位置し、さらに一四枚あるオオワシの尾羽は、外側から何番目の羽かといった部位や、その斑文によっても価値が異なっていた。

この本は多くの発掘品や文献資料をもとに、ありのままのアイヌ社会の歴史を記している。貶めることもない代わりに、過度に持ち上げることもない。でもアイヌに寄せる愛情は十分に伝わってくる。

2007年11月10日、講談社選書メチエ、1600円。

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2021年02月24日

ウポポイ

先日ETV特集「帰郷の日は遠く〜アイヌ遺骨返還の行方〜」を観た。
https://www.nhk.jp/p/etv21c/

来月、北海道白老町にあるウポポイ(民族共生象徴空間)、国立アイヌ民族博物館に行くつもりなので、いろいろなことを学んでおきたいと思う。

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2020年12月30日

全国樺太連盟の解散

本日届いた「樺連情報」1月号によれば、一般社団法人全国樺太連盟は2021年3月末をもって解散することに決まったとのこと。会員数は今も973名と少なくないが、高齢化が進み、今後の活動が難しい状況となっているようだ。歴史的な役割を終えたということだろう。

樺太連盟と北海道との間に委譲契約書が締結され、5773点の資料が北海道博物館に納品されたとのことで、ひとまず良かったと思う。ただ、残った資料等については、4月以降、「清算人会で寄贈・廃棄案を検討する」そうで、貴重な資料が失われてしまわないか心配である。

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2020年11月24日

セミナー「稚内からサハリンを語る」

UBRJ(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター境界研究ユニット)・実社会共創セミナー「稚内からサハリンを語る」(ZOOMウェビナー開催)を視聴した。

報告者 三谷 将(稚内市サハリン事務所長)
    斎藤譲一(稚内市教育委員会・学芸員)
進行役 岩下明裕(スラブ・ユーラシア研究センター)

三谷さんは通常はサハリンで仕事をしているのだが、コロナ禍のため3月に日本に帰国して以来、まだ現地に戻れていないとのこと。新型コロナの流行は国際交流にも大きな影響を及ぼしている。

稚内―コルサコフの定期航路は2018年を最後に途絶えている。これは日本とサハリンの人の往来が船から飛行機にシフトしているのも一つの原因らしい。そこには団体旅行から個人旅行へという旅のスタイルの変化も関わっている。

飛行機であれば成田空港や新千歳空港から直接ユジノサハリンスクへ行くことになり、稚内は素通りされてしまう。とりあえずは農産物を中心とした貨物の輸送に活路を見出したいようであったが、なかなか現状は厳しそうだ。

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2020年08月21日

『「大日本帝国」崩壊』の続き

樺太戦に関する詳しい分析もある。

樺太戦の特徴は、一般住民からなる国民義勇隊が実戦に参加したことである。国民義勇隊は、本土決戦を控え一億玉砕が叫ばれるなか、一般住民を地域・職域・学校などの単位で編成して、作戦の後方業務・警防補助・戦災復旧・重要物資輸送などに当たらせることを目的として結成された。
樺太では、ソ連軍の侵入によって「本土決戦」が現実にはじまり、樺太の一般住民で編成された国民義勇隊は、一四日に軍の指揮下に入って国民義勇戦闘隊へと転移し、住民の一部は、日本刀や猟銃、竹槍などを武器として実際に戦闘支援に従事していたのである。

樺太ではこのように、兵隊だけでなく一般住民も駆り出される戦闘が行われたのであった。けれども、こうした事実は今ではほとんど忘れ去られている。

内地の南端である沖縄での米軍との戦闘の記憶は戦後に長く語り継がれても、内地の北端で起きたソ連軍との戦闘はなぜか語り継がれることはなかった。日本人だけでなく、少数民族を巻き込んだ樺太戦の忘却は、戦後日本で語り継がれた戦争体験の矛盾を象徴している。

この忘却の最大の理由は、現在沖縄が日本領であるのに対して、樺太は日本の領土ではないためである。戦後「日本」でなくなった樺太に対して、日本人の関心が薄れるのはある意味止むを得ないことだ。

けれども、そうした考え方で行けば、もし沖縄が日本に返還されずに今もアメリカの領土であったなら、日本人は沖縄戦を語り継ぐこともなかったということになる。はたして、それで良いのだろうか?

75年前の樺太では、今日(8月21日)も依然として激しい戦闘が継続中である。

カミッシュ峠の地域での日本軍の粘り強さは、サハリンの南に第113旅団の進軍を遅らせた。北部では、日本兵と貯蓄者の別々のグループが橋を爆破し、道路をクリアし、第56ライフル部隊の高度な分遣隊の前進のペースを遅くしました。この時点で、兵士たちはアヨロ(ガステッロ)に到着しただけです。

これは、ロシアのサイト「50度線からのリポート」からの自動翻訳による記述。「カミッシュ峠」とあるのは、真岡から豊原へ向かう途中にある激戦地、熊笹峠のことだろうか。

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2020年08月15日

全国樺太連盟本部事務所の資料

一般社団法人全国樺太連盟は来年2021年での解散が決まっているのだが、「樺連情報」7月8月合併号に気になる記事が載っていた。「事務局だより」に、こんなことが書いてある。

▼樺連本部事務所にある数々の貴重な資料を分散させずに今後どのように残し、誰が管理していくか大きな課題となっている。
▼「樺太関係資料室」のような場所を設け、たとえ週に三日でも気軽に資料を閲覧できるような空間をつくる手立ては無いものだろうか。

樺太連盟の本部事務所には「樺太短歌」や「ポドゾル」など、ここでしか見られない詩歌関連の資料もある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/444484485.html

こうした貴重な資料の受け入れ先がまだ決まっていないとは!
散逸したり、倉庫で死蔵されたりといった運命にならないと良いのだが。

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2020年08月10日

知里幸惠編訳『アイヌ神謡集』


アイヌの神謡(カムイユカラ)13篇を、アイヌ語のローマ字表記(左ページ)と日本語訳(右ページ)で記した本。巻末に金田一京助「知里幸惠さんのこと」と弟の知里真志保の「神謡について」を収めている。

これまで何となく敬遠して読まずに来たのだが、読んでみたらとても面白かった。「梟の神」や「狐」や「兎」や「蛙」が一人称で話す物語。繰り返しの多いリズムも楽しく、人間と自然の豊かな関係が感じられる。

序文で「おお亡びゆくもの……それは私たちの名」「激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たち」とアイヌの行く末を案じた著者は、本書を書き上げて間もなく19歳で亡くなった。でも、その名著は今も多くの人に読み継がれている。

1978年8月16日第1刷、2020年2月5日第60刷、
岩波文庫、580円。


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2020年07月30日

北原モコツトゥナシ・谷本晃久監修『アイヌの真実』

著者 :
ベストセラーズ
発売日 : 2020-05-21

KKベストセラーズが新たに創設する新書シリーズの1冊目。アイヌの文化や歴史についてコンパクトにまとめてある。

アイヌ民族は狩猟採集生活だけを行っていたわけではなく、北の海を駆けめぐった交易者でもあった。
「先住民族」とは、ある地域を現在支配している国家・民族よりも以前から、その地域に住み、民族としてのアイデンティティを共有していた人びと(及びその子孫)のことをいう。
政府はアイヌ民族の風習、たとえば女子の顔への入れ墨や男子の耳飾りなどを「陋習」(非文明的な風習)として禁止し、日本語の使用を義務付け、和人風の名前に改名させた。

明治政府のこうした政策は、昭和に入って朝鮮半島で行われた創氏改名につながるものと言っていい。朝鮮半島が現在は独立した国家になっているのに対して、アイヌは国家を持たないために議論されることが少ないだけである。

千島アイヌの女性「シケンルッマッ」(1867〜1939)が、ロシア名「アレクサンドラ・ストローゾワ」や日本名「浪越あさ」を持っていたことを思うと、国家や国境がいかに人々を分断してきたかがよくわかる。

私たちはどうしても現在の国境線に縛られて歴史を見てしまうが、例えば、次のような地理的な条件を知ると、大陸と樺太と北海道の関わりの深さも見えてくるだろう。

大陸と樺太の間の「間宮海峡」は水深約10メートル
樺太と北海道の間の「宗谷海峡」は水深約50メートル
本州と北海道の間の「津軽海峡」は水深約150メートル

今月、北海道白老町に国立アイヌ民族博物館を含む「民族共生象徴空間」(ウポポイ)が開業した。私もアイヌについての理解をさらに深めていきたいと思う。

2020年5月30日、ベスト新書、1300円。


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2020年06月30日

大泊

幾たびもその名を改められながら大いなる泊(とまり) 春にしづかなり
              梶原さい子『ナラティブ』

サハリン(樺太)のコルサコフ(大泊)を訪れた時の歌。人口約4万人。ユジノサハリンスクに次ぐサハリン第2の都市である。

古くはアイヌ語でクシュンコタン(久春古丹)と呼ばれ、1875(明治8)年に千島・樺太交換条約でロシア領となった際に、東シベリア総督ミハイル・セミョーノヴィチ・コルサコフの名前を取ってコルサコフと名付けられた。

その後、日露戦争を経て1905(明治38)年には日本領となり、1908(明治41)年に大泊と改名された。

大泊(おほどまり)の山見えそめてかはるころ旅なつかしくおもほゆるかも
                 斎藤茂吉『石泉』

1945(昭和20)年にはソ連に占領され、1946(昭和21)年に再びコルサコフと改名されて現在に至っている。

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2020年06月29日

中川裕『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』


人気マンガ「ゴールデンカムイ」のアイヌ語監修を務めている著者が、アイヌ文化やアイヌ語、アイヌの世界観について記した入門書。随所に「ゴールデンカムイ」の場面が引用されている。

アイヌ語では「見る」には二種類あって、「テレビを見る」「本を見る」のように、見るものが前もってわかっている場合はヌカㇻという語を使い、「窓の外を見る」「遠くのほうを見る」のように、何が見えるかは見た後でわかるような場合にはインカㇻという語を使うことになっています。
カムイは本来魂だけの姿でカムイの世界にいて、そこから人間の世界にやってくるわけですが、そこに戻る時にも肉体から離れて魂の姿になって戻らなければなりません。それも自分の力で肉体から抜け出すことはできず、人間の手で解放してもらわなければならないことになっています。それが狩猟であり、木を切ることであり、山菜を採取することであるのです。
アイヌモシリというと、普通は人間が暮らしているこの世界ということで、カムイモシリ「カムイの世界」に対置されるものです。近年では日本語の文脈の中で「北海道」を表すのに使われることがありますが、アイヌ語のテキストの中でそういう意味で使われている例はほとんどありません。

どれも、非常にわかりやすい説明だと思う。アイヌモシリ=北海道という捉え方は、アイヌの人に寄り添っているように見えながら、実はアイヌの世界を矮小化してしまう危険性を孕んでいることを初めて知った。

2019年3月20日、集英社新書、900円。

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2020年05月21日

松浦武四郎

六花亭の商品「十勝日誌」は、和綴じの本の形をしている。

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表紙をめくると中が箱になっていて、マルセイバターサンドなど約20種類のお菓子が入っているという仕掛けだ。何とも素敵なアイデアだと思う。

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「十勝日誌」を書いた幕末の探検家、松浦武四郎は「北海道」の名付け親としても知られている。松浦は北海道だけでなく樺太にも足を延ばしているし、和歌もたくさん詠んでいるので興味がある。

くものみねくづれても猶十勝が峰ソラチの岳のなをのこる見ゆ
あきもはや日数へにけんしべつ河せにつく鮭の色さびにけり
あさかぜに真帆はしらせて行く船は唐太さして島づたひせむ

生地の松阪市にある松浦武四郎記念館や、国際基督教大学の敷地内の保存されている書斎「一畳敷」など、いつか訪れてみたい。


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2020年05月07日

相原秀起『一九四五 占守島の真実』


副題は「少年戦車兵が見た最後の戦場」。

昭和20年8月17日深夜から21日にかけて千島列島最北端の占守島で日ソ両軍の激しい戦闘があった。参加した元兵士らへのインタビューや手記を元に、戦闘の様子やその後の抑留生活を描いている。

占守島で戦った戦車第十一連隊の通称「士魂部隊」が、現在も陸上自衛隊第十一戦車大隊に受け継がれていること、第二次世界大戦中に占守島とカムチャツカ半島の間の海峡はアメリカからソ連へ送られる軍事物資の通り道になっていたこと、などを初めて知った。

第六章「時が止まった島」は2013年に著者が占守島を訪れた記録となっている。「現在、住民がおらず、島内には二カ所ある灯台の職員四人しか定住者はいない」とのこと。

https://www.youtube.com/watch?v=l-xYnHJckNc
https://www.youtube.com/watch?v=kjWhjjnOt3k

ぜひ、一度訪れてみたいものだ。

2017年7月28日、PHP新書、880円。

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2020年05月03日

川越宗一『熱源』


史実をもとにした小説。第162回直木賞受賞作。

ヤヨマネクフ(山辺安之助)、千徳太郎治、ブロニスワフ・ピウスツキ、金田一京助などの実在の人物をモデルに、1881(明治14)年から1945(昭和20)年までという長い時間を描いた壮大な群像劇。

舞台は樺太(サハリン)を中心に、北海道、ロシア、ポーランド、東京、南極など。国境を越えて様々な民族が行き来する姿と、戦争や国境線の変更によって人々の人生が翻弄される様子が、なまなましく浮き彫りにされている。

近代日本のナショナリズムや世界的な帝国主義の伸張によって、次第に追い詰められていく少数民族や辺境に住む人々。彼らは何を感じ、どのように生きたのか。「生きる」ことの意味をあらためて問い掛けてくる一冊である。

2019年8月30日、文藝春秋、1850円。

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2020年04月28日

『アイヌ民族と日本人』の続き

引用したい個所がたくさんあって、迷ってしまう。

蠣崎波響の「夷酋列像」は代表的なアイヌ人物像として有名であるが、(・・・)この絵に限らず「蝦夷」を描いた絵画は、文献同様、おしなべて描く側のイデオロギー性なり文化意識を強烈に発散させているとみておかなければならない。

「夷酋列像」は4年前に展覧会で見て、その鮮やかな色彩や力強さが印象に残っている。
 http://matsutanka.seesaa.net/article/435963678.html
けれども、この絵の描かれた背景や夷風性を強調した描き方なども、十分に理解して鑑賞する必要があるのだろう。

武家社会の需要が高かった鷲鷹類の羽も重要な北方交易品として見逃せないものの一つである。羽が最高級の矢羽となる大鷲や尾白鷲は千島からカムチャッカにかけて、および樺太から沿海州にかけてが繁殖地であり、蝦夷地にも多く冬鳥として飛来したからである。

オオワシやオジロワシの羽が矢羽として流通していたことは初めて知った。近年まで弓道においても使われていたらしい。現在はワシントン条約などの制限に基づき、「保有」のみOKで「使用」「譲渡」は禁じられてる状態とのこと。
 https://www.kyudo.jp/pdf/info/usearrow_3.pdf

蝦夷平定の地に北方守護の観音や毘沙門がつぎつぎ建てられていくのは、武力討伐のあとの仏教による魂の征服といってよいかもしれない。

これは、近代以降、台湾・朝鮮・樺太・満洲・南洋群島に多数の神社が建立された事実ともつながる話だ。下記のサイトによれば「その数は史料上確認されているものだけでも1,600余社」にのぼっている。
 http://www.himoji.jp/database/db04/

アイヌと和人の関係をめぐる問題は、こんなふうに様々な形で現代までつながっていることなのだと思う。

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2020年04月27日

菊池勇夫『アイヌ民族と日本人』


副題は「東アジアのなかの蝦夷地」。

アイヌの歴史や文化を日本史の枠組みを超えた東アジア全体の中で捉えるとともに、和人とアイヌの関わりや交流がどのような意味を担ってきたのかを解き明かしている。

とにかく知らないことが多いので、ワクワクしながら読んだ。

アイヌの活動は中世や近世でも同様であって、樺太アイヌの山丹交易(沿海州方面との交易)にみられるように、明・清の中国に求心する北東アジアと日本とをつなげる役割を果たしていた。

近年、蝦夷錦に代表される北方の交易が注目を集めているが、そこで大きな役割を果たしたのがアイヌであった。中国―沿海州の諸民族―樺太・北海道アイヌ―日本というルートである。

中世の武家政権が征夷大将軍として出発し、その後室町・江戸幕府と継承されてきたことは、現実的な重みはともかく、夷狄・蝦夷が武家権力の国家意識のうえで絶えず再生産されつづけるということでもあった点を見逃してはなるまい。

古代には蝦夷征討で有名な坂上田村麻呂など実際的な意味を持っていた征夷大将軍が、後に武家の棟梁の肩書きのように鎌倉・室町・江戸幕府に引き継がれていく。それは日本史で習った話であったが、これまでその意味を考えたことがなかった。

松前藩に与えられた対アイヌ交易独占権は、幕府の外交体制全体としてみるならば、対馬藩による朝鮮、薩摩藩による琉球と、国境を接する場所での異国押えの管理システムの一環をなすものであったこともつとに指摘されてきたところである。

こうした領土意識は、江戸時代にとどまらず、近代以降の日本へとつながっていくものだろう。2001年まで中央省庁には北海道開発庁・沖縄開発庁が存在したし、現在の北方領土・尖閣諸島・竹島といった領土問題の舞台にもなっている。

1994年9月25日、朝日選書、1400円。

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2020年04月09日

安田敏朗『金田一京助と日本語の近代』


国語学者・言語学者・アイヌ語学者として、また石川啄木の友人としても知られる金田一京助。戦前から戦後にかけての彼の軌跡をたどりつつ、アイヌに対する差別意識、戦前・戦中の体制翼賛、戦後も変らない天皇制擁護といった問題点を取り上げた本。

記録するという一点を除いてしまえば、金田一ははたしてアイヌ文化への敬意をもっていたのか、疑問とせざるをえない。つまり、ある古老が記憶していた口承文芸をすべて「記録」してしまえば、その古老は金田一にとって何の存在意義もなくなる、というに等しい。
「平時」ではできない「改革」を戦時体制下におこなおう、という主張である。これは国語協会全体の論調でもあるのだが、容易に敗戦後の「改革」を主張する根拠ともなっていく。
要は、金田一もふくめて、敗戦をどの程度真剣にうけとめていたのかという問題である。「作法」にしたがうのが敬語だとすれば、民主主義も「作法」としてしかうけとっていなかったことになるだろう。

このようなかなり厳しい指摘が続くのだが、これらは金田一個人の問題というよりも、近代以降の日本が抱えた問題と見た方が良いと思う。その問題は現在も解消されずに残っている。

金田一がアイヌ語研究に進んだのは、もともとアイヌ語に興味を持っていたからではなかった。師の上田万年の日本語の系統を探るプロジェクトにおいて弟子たちが各言語に配置された結果であったのだ。

 ・橋本進吉  古代日本語
 ・小倉進平  朝鮮語
 ・伊波普猷  琉球語
 ・金田一京助 アイヌ語
 ・後藤朝太郎 中国語
(・藤岡勝二  満洲語、蒙古語)

著者が「日本帝国大学言語学」と名付けるように、言語の研究もまた当時の政治や社会の状況と密接に結びついたものだったのである。

2008年8月12日、平凡社新書、880円。

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2020年04月08日

藤巻光浩『国境の北と日本人』


副題は「ポストコロニアルな旅へ」。

サハリン(旧樺太)、旭川、青森という三つの地域への旅行記。単なる旅の記録ではなく、旅を通じて歴史・国家・民族・政治・文化など様々な問題について考察を深めていく。

日本で教育を受けると、先住民族であるアイヌやヴィルタのことや、彼らのオホーツク海での交易のことなどは、ほぼ触れられることがない。その代りに、自然と共生する、絶滅をひっそりと待つばかりの穏やかな存在としてのステレオタイプが定着することになる。
北海道にある神社は非常に興味深い。この地は、明治維新の後で「北海道」と名付けられ、屯田兵を入植させていったため、この地の神社は神仏が習合していた歴史を持たないことになる。
開拓事業以後、田畑が開かれ、稲の品種改良を経て、東北は日本の「米どころ」となり、現在は豊かな生活を営むことができるようになった、という日本という国家のストーリーが出来上がる。これが、「銀シャリ信仰」に基づく発展段階史観であり、それを支える「(日本の)稲作イデオロギー」である。

著者は旅をすることで認識やものの見方、価値観などが変化し、自分自身が変ることを大事にしている。自分が変らない旅は単なる移動に過ぎないということだろう。

2019年1月30日、緑風出版、2000円。


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2020年03月27日

NHKスペシャル取材班『樺太地上戦』


副題は「終戦後7日間の悲劇」。
2017年8月14日のNHKスペシャルで放送された内容を書籍化したもの。

1945年8月9日のソ連の参戦に始まり、8月22日の停戦に至るまでに多くの死者を出した樺太の地上戦。生存者の証言や旧ソ連側の資料をもとに、その実態を描き出している。

日本国内での地上戦は沖縄戦(1945年3月26日〜6月23日)が唯一のものだったと信じている人は今も少なくない。樺太地上戦は日本人の記憶から失われたというよりは、認識すらされてこなかった歴史だった。
沖縄戦を当時、国はどう見ていたのか。内閣情報局が毎週発行していた「週報」から窺い知ることができる。1945(昭和20)年7月11日号で、沖縄戦について大本営報道部は、「3か月の貴重な時を稼いだ」とし、「作戦的勝利」と称賛している。
樺太(サハリン)の戦場で犠牲になった5000人とも6000人ともいわれる人々。その多くは民間人であったが、民間人と特定できる遺骨はいまだに1柱も日本に戻っていない。

8月15日の終戦後も「自衛戦闘」を継続するようにとの命令のもとに樺太では交戦が続いた。それはソ連軍の北海道占領を防ぐためだったとの見方もある。捨て石とされた人々の無念はいかばかりか。

2019年10月25日、KADOKAWA、1600円。

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2020年03月17日

坂田美奈子『先住民アイヌはどんな歴史を歩んできたか』


歴史総合パートナーズ5。
このシリーズはコンパクトで奥が深くおススメ!

アイヌの歴史や先住民の問題については基本的な部分で知らないことが多かったので、非常にためになる内容であった。

先住民問題とは石器時代に遡る話ではなく、多くの場合、近代史の産物なのです。
現在に伝わるアイヌの伝統文化が花開いたのは、実は和人との経済関係でいえば場所請負制の全盛期にあたる18世紀後半から19世紀にかけての時期であるともいわれています。
アイヌの近代においては、政府が強要する「同化政策」とアイヌ自身による自発的な「文化変容」を分けて考える必要があるのです。
実際には和人のアイヌへの同化という現象も見られたにもかかわらず、アイヌと和人の通婚によって、アイヌのほうが一方的に和人へ同化し、アイヌという固有の民族は消滅する、と考えられていた(…)

本書の優れている点は、アイヌを差別され虐げられてきただけの民族といった捉え方はしていないところだろう。差別や抑圧の問題点を指摘するとともに、アイヌの主体的な動きもきちんと描き出している。

これは非常に微妙な部分なのだが、著者はアイヌを差別や庇護の対象として見るのではなく、和人と対等な存在として、できるだけ客観的に記述しようとしている。その姿勢に共感を覚えた。

2018年8月21日、清水書院、1000円。

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2020年03月14日

千島列島

いつか千島列島に行ってみたいという夢があって、時々「クリルツアー」というロシアの旅行会社のHPを眺めている。

日本語版もちゃんとあって、「シュムシュ島とパラムシル島での12日間のコース」とか「オンネコタン島での10日間のコース」など、いくつかのコースが紹介されている。

謎めいたクリール諸島はどんなロマンずきな人にも旅行者にも天国です。 近づきにくいこと、人が住んでいないこと、地理的に孤立していること、活火山、少ない情報などが、この霧や噴煙につつまれ、たくさんの秘密をもつ元日本軍の基地のある島々へ人々をひきつけずにはおかないのです。

ちょっと微妙な日本語の味わいも素敵で、何だか現実の世界とは思えない。参加した日本人はいるんだろうか??

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2020年01月07日

中山大将著『国境は誰のためにある?』


「歴史総合パートナーズ」I。
副題は「境界地域サハリン・樺太」。

国境というものが、いつ、どのようにして生まれ、人々の暮らしにどのような影響を与えてきたのか。国境変動の現場となったサハリン・樺太を例に、丁寧にわかりやすく論じている。

日本国民は最初から均質だったのではなく、明治維新以来均質化の努力が図られてきた結果徐々に均質化が進んだと言えます。
皮肉なことに、先住民族は中欧日の地図製作者や探検家たちに様々な形で協力し、知る限りの地理情報も提供しましたが、結果として、それは自分たちの暮らしている土地が国民国家によって奪われるための準備に自ら加わっていたことになったのです。
北方領土返還は日本、あるいは東アジアにおいて最も可能性の高い境界変動のひとつです。しかし、そのことについて日本国民はどれだけ具体的な想像力を持っているのでしょうか。

国境は自明なものでも不動のものでもない。国境について考えることで、社会や世界を見る視野が広がってくる気がする。

2019年12月9日、清水書院、1000円。


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2019年12月26日

マカロフのこと

「角川短歌」1月号の連載「啄木ごっこ」で、啄木の「マカロフ提督追悼」という詩を取り上げた。マカロフはロシア海軍の太平洋艦隊司令長官で、日露戦争において戦死した人物。

このステパン・マカロフ(1849‐1904)に関する小ネタを一つ。

かつて樺太の東海岸に知取(しるとる、しるとり)という町があった。知取炭鉱や王子製紙知取工場などがあり、人口は約1万8千人。


  P1070596.JPG


昭和10年5月に樺太を訪れた林芙美子は、樺太庁の置かれた豊原から敷香へ鉄道で向かう途中に、この知取を通っている。

知取の町は豊原よりにぎやかかも知れません。それに第一活気があって、まるでヴォルガ河口の工場地帯のようでした。灰色の工場の建物はやや立派です。煙が林立した煙突から墨を吐き出しているようなのです。ここでは新聞紙やマニラボール、模造紙、乾燥パルプをつくっています。(「樺太への旅」)

工業都市として賑わっていた様子がよくわかる描写だ。

この町は現在、「マカロフ」という名前になっている。これはステパン・マカロフの名前にちなんで名づけられたもの。第2次世界大戦に勝利したソ連が、日露戦争で戦死した英雄の名前をこの町に付けたのだ。

もともと南樺太が日露戦争後に日本に割譲された土地であったことを思えば、そこに込められた意味は自ずと明らかだろう。


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2019年07月31日

『イネという不思議な植物』 のつづき

北海道は現在、全国で2位の米の生産量を誇っているが、江戸時代までは稲作ができない地域であった。

やがて明治時代になって北海道の開拓が本格化したときには、不可能とされた「稲作」は禁止された。米を作るという不確かな夢を見るよりも、欧米式の畑作や畜産を導入しようとしたのである。
しかし、禁止されても米を作りたいという開拓民たちの情熱はなくなることはなかった。中には、稲作を試みて逮捕された者もいるという。しかし、そうした中でも、人々は米作りへの挑戦をやめなかった。そして、明治六年(一八七三年)に初めて稲作に成功し、ついに北海道で稲作をすることが認められるのである。

ああ、北海道もそうだったのか!と思う。

なぜなら、これと全く同じことが数十年後の樺太でも繰り返されたからである。北海道よりもさらに寒冷な地で、それでも開拓農民たちは米を作ろうとした。それだけ、米と日本人のアイデンティティは深く結び付いていたのだ。

結局、樺太での稲作は試験的なものにとどまり、本格的な米作りは行われずに敗戦を迎えた。そして、戦後は樺太(南サハリン)が日本領でなくなったために、もう稲作が試みられることもなくなったのである。そこに歴史の皮肉を感じざるを得ない。

もし現代の最新技術を用いたら、はたしてサハリンでの稲作は可能なのだろうか?

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2019年07月18日

ウィルタのアザラシ猟

『クジラ博士のフィールド戦記』の中に、1975年にオホーツク海・サハリン沖で行われていた母船式アザラシ猟の話が出てくる。母船には3〜4隻の伝馬船が積まれていて、アザラシのいる海域まで来ると海に降ろされる。

伝馬船には舵取りとハンターが乗っており、ハンターがライフル銃で流氷の上のアザラシを撃つのだ。

 この海豹猟は、漁業の中では非常に特殊な側面をいくつか持っていた。
 一つには、氷上の海豹を撃ち落とすという行為で、日本の漁業技術というよりは、北方民族の狩猟に近い。こうした背景もあり、網走在住の北方系少数民族の方々も、この海豹猟に従事していた。

「北方系少数民族」という文字に、思わず目が引き付けられる。

 これらの方々は、おそらく第二次世界大戦前に、南樺太において皇民化政策の一環として作られた “オタスの杜” に居住していたウィルタの方々と思われる。つまりオロッコ族やギリヤーク族で、戦後、日本居留民と共に北海道東部へ引き揚げた方々、もしくはその子弟であった。

やはり、戦後に樺太から北海道へ移って来た方々であったか。

引き揚げとは言っても、樺太に生まれ育った彼らにとって北海道は異国の地である。そこでアザラシ猟をしていたウィルタの人々。彼らの人生の変転を思うと胸が痛む。

posted by 松村正直 at 23:56| Comment(0) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする