2022年01月18日

奈良へ

時おり小雪が降ったりするなか、奈良を散策する。
良い雰囲気のものにたくさん出会った。


P1090546.JPG

崩れかけの土塀


P1090550.JPG

苔むした木のベンチ


P1090549.JPG

目鼻の薄れた不動明王


P1090564.JPG

仁丹の町名看板

奈良、いいところだなあ〜。
今度はもう少し暖かい時に行ってみよう。

posted by 松村正直 at 22:17| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月17日

46時間

22:30自宅→23:00京都駅→6:30富士駅→8:00波高島駅→8:30【母の施設】→9:00〜12:00病院→13:00〜14:00富士川クラフトパーク(昼食)→15:00下部温泉駅→16:30甲府駅→18:30八王子駅→19:00長津田駅→19:30あざみ野駅→20:00〜11:00【父の家】→11:30新百合ヶ丘駅→12:00向ヶ丘遊園駅→12:30〜16:00川崎市岡本太郎美術館(昼食)→16:30向ヶ丘遊園駅→17:00町田駅→17:30新横浜駅→20:00京都駅→20:30自宅

なかなかの強行軍だったな。

posted by 松村正直 at 22:41| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月07日

堺へ(その2)

続いて、晶子の生家跡から徒歩5分ほどの開口(あぐち)神社へ。


 P1090415.JPG

「少女たち開口の神の樟の木の若枝さすごとのびて行けかし」

ここは晶子がよく遊んだ場所で、『私の生い立ち』の中に

後を向いて街の方を見ますと、ずっと北の方に浅香山の丘が見え、妙国寺の塔が見え、中央に開口神社の塔が見えます。私等が実を拾って遊ぶ廻り二三丈もある開口神社の大木の樟が塔よりも高く見えます。

と記されている。ちなみに、この開口神社の三重塔は1945年7月10日の空襲で焼失して、今は残っていない。


 P1090423.JPG

いよいよ、「さかい利晶の杜」の企画展「与謝野寛・晶子夫妻の旅―パノラマ地図でたどる観光名所―」を見る。

昭和6年の北海道・九州・四国の旅で詠まれた歌や写真と、吉田初三郎の描いたパノラマ地図が取り合わされて展示されている。当時の旅の雰囲気がよく伝わってくる好企画であった。吉田初三郎ファンとしては嬉しい限り。

太田登氏の記念講演「与謝野夫妻の北海道紀行と石川啄木」も興味深い内容だった。

啄木が右の肩をば猶揚げて岬に立つと見ゆるその墓  寛
なつかしき函館に来て手に撫づる亡き啄木の草稿の塵 晶子

帰りは南海電車の堺駅から。


  P1090428.JPG

駅の西口に立つ与謝野晶子像。

9年前に訪れた時の写真を見ると以前は手に筆と短冊を持っていた。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138922.html

破損してそのままになっているのだろうか。

posted by 松村正直 at 07:49| Comment(2) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月06日

堺へ(その1)

「さかい利晶の杜」で行われている企画展「与謝野寛・晶子夫妻の旅―パノラマ地図でたどる観光名所―」を見るために堺へ。

まずは南海電鉄で「浜寺公園駅」へ行く。


 P1090405.JPG

1907年に辰野金吾の設計で造られた美しい駅舎。

かつて、この地が関西有数の別荘地・海水浴場であった時代を偲ばせる。2016年まで実際に使われ、その後、曳家工事を経て現在の場所に移りカフェやイベントスペースとして活用されている。
  

  P1090406.JPG

浜寺公園にある与謝野晶子の歌碑。
「ふるさとの和泉の山をきはやかに浮けし海より朝風ぞ吹く」

「浮けし」は「浮かべた」の意味。「浮く」を他動詞として使っている。1900年に鉄幹が堺を訪れた際に、浜寺公園で鉄幹と晶子は歌会をするなど交流を深めた。

かつては白砂青松の海岸だったこの一帯も昭和30年代に沿岸部が埋め立てられ、今では海が遠くなってしまった。美しい海の代わりに泉北臨海工業地帯の煙突が並ぶ。それでも、バラ園や遊具、運動場などがあって、浜寺公園は多くの人で賑わっている。

その後、阪堺電車の「浜寺駅」から「宿院駅」へ。


  P1090412.JPG

駅から徒歩数分のところに晶子の生家「駿河屋」の跡地がある。かつての店舗の敷地は、幅約50メートルに拡張された道路に完全に飲み込まれた形だ。


 P1090410.JPG

「海こひし潮の遠鳴りかぞえへつゝ少女となりし父母の家」

三句は歌集『恋衣』(1908年)では「かぞへては」であるが、初出の「明星」1904年8月号では「かぞへつつ」であった。歌碑は初出に拠っているのだろう。「つつ」だと同時進行の意味が強すぎるので、歌の出来としては改作後の方が良いと思う。

posted by 松村正直 at 08:27| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月21日

飯田線の旅(その3)

豊川駅から徒歩5分の豊川稲荷へ。


P1090237.JPG

7色の風鈴が奉納されているやぐら。
涼しげな音を鳴らしている。


P1090241.JPG

境内の奥まったところにある霊狐塚。
1,000体以上の狐の石像が安置されている。

posted by 松村正直 at 08:53| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月20日

飯田線の旅(その2)

途中、飯田市内で1泊。


P1090189.JPG

飯田のシンボルはりんご。
マンホールの図柄も林檎だ。
大通りには約400メートルにわたって林檎の木が植えられている。


P1090194.JPG

飯田市立追手町小学校。
昭和4年竣工、鉄筋コンクリート造3階建(地下1階)。
入口部分の曲線が美しい。


P1090199.JPG

追手町小学校の講堂。
昭和6年竣工、鉄骨造平屋建。
こんな講堂(体育館)を使える子どもたちが羨ましい。

posted by 松村正直 at 07:56| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月19日

飯田線の旅(その1)

先月、JR飯田線に乗る旅に出かけた。


P1090185.JPG

駒ヶ根駅からバスとロープウェイに乗って千畳敷カールへ。
中央アルプスの宝剣岳の手前。標高は2600メートル。


P1090171.JPG

紫色が鮮やかなサクライウズ(桜井烏頭)。
他にもいろいろな高山植物が咲いていた。


P1090188.JPG

千畳敷カールから眺めた南アルプスの山並みと富士山。
山頂の形で遠くからでも富士山だとわかる。

posted by 松村正直 at 11:58| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月18日

大和郡山吟行

先日、大和郡山へ吟行に出掛けた。

郡山城跡→金魚池→やまと錦魚園・郡山金魚資料館→とほん(本屋)→町家物語館(旧川本家住宅)という行程。

城跡は以前も訪れたことがあるのだが、天守台が復元整備されて眺めの良い展望台のようになっていた。


P1090099.JPG

金魚養殖業の店で見つけた金魚の鏝絵。


 P1090101.JPG

金魚の自動販売機。
朝取り(!)金魚が一袋200円で売られている。


P1090104.JPG

木造三階建の町家物語館。
大正13年に建てられたもので、もとは遊郭であった。


P1090111.JPG

建物2階から見た中庭。
吹抜けになっている。


P1090113.JPG

ハート形をした猪目窓(いのめまど)。
陰影が美しい。

posted by 松村正直 at 00:16| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月28日

犬山へ(その2)

二日目は、犬山城へ。
松本城、彦根城、姫路城、松江城とともに国宝5城の一つ。


P1090084.JPG

市街地から坂を登った先に立つ城。
感染対策のアルコール消毒と検温を行ってから城内へ。


P1090087.JPG

天守閣からの眺めが素晴らしい。
廻縁に出てぐるっと一周することができる。
北西方向。


P1090088.JPG

こちらは北東方向。
木曽川がゆったりと流れている。

posted by 松村正直 at 11:23| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月27日

犬山へ(その1)

1泊2日で愛知県の犬山市へ。

まずは博物館「明治村」に行く。十数年ぶり2回目。
入鹿池に面した広い敷地に、六十数棟の建物が点在している。


P1090079.JPG

聖ヨハネ教会堂(重要文化財)
1907(明治40)年に京都の河原町五条に建てられた教会。


P1090074.JPG

聖ザビエル天主堂
1890(明治23)年に京都の河原町三条に建てられた教会。


P1090073.JPG

聖ザビエル天主堂の内部。
ステンドグラスから差し込む光が美しい。

京都には今も美しい教会があるけれど、かつては河原町にも
あったんだな。

posted by 松村正直 at 16:46| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月17日

本郷・湯島・上野

今日は本郷・湯島・上野を2時間ほどかけて散策した。

丸ノ内線の「本郷三丁目駅」で降りて、しばらく本郷界隈を歩き回ってから、湯島の切通しを抜けて、不忍池を経てJR「上野駅」へ。

東京は台地と谷と坂でできていることが、歩くと実によくわかる。

東京に住んでいた頃はいつも電車や地下鉄に乗っていて、歩いて移動することが少なかった。やっぱり歩かないと東京の面白さはわからないんだなと実感した。

posted by 松村正直 at 23:46| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月10日

旧中川煉瓦製造所ホフマン窯(その2)


P1080912.JPG

ホフマン窯の中は暗い。

右側の出入口から光が差し込んでいるが、ここも焼成中は煉瓦で密閉される。


P1080915.JPG

窯の上部や斜め上には多くの穴が開いている。
これは燃料となる粉炭を入れるための「投炭口」。

下部の穴は煙道で、中央の煙突につながっている。
ダンパーによって煙道を開閉し、空気の流れをコントロールする。


P1080930.JPG

煙道の開口部を覗くとこんな感じ。
ここから煙が排出されて中央の煙突を通って外へ出る仕組み。


P1080931.JPG

窯は内側も外側もかなり劣化が進んでいる。

現在は登録有形文化財になっているだけだが、今後さらなる保存・活用が進めば良いと思う。

posted by 松村正直 at 21:22| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月09日

旧中川煉瓦製造所ホフマン窯(その1)

近江八幡にあるホフマン窯を見学に行く。

煉瓦製造所は現在「赤煉瓦の郷」という名前の老人施設になっていて、その敷地内に窯が残されている。


P1080906.JPG

まず目につくのは高さ33メートルの巨大な煙突。

かつては煉瓦造の窯を覆うようにして木造の建屋があったそうだが、現在では失われている。


P1080918.JPG

窯の大きさは長辺55メートル、短辺14メートルの楕円状。

明治末から大正にかけて築かれたものらしい。
今回は特別に中に入らせていただいた。


P1080908.JPG

内部はドーナツ型のトンネルになっている。

トンネル部分が十数室の区画に分けられていて、煉瓦の搬入・乾燥・焼成・冷却・搬出という順にぐるぐると繰り返される構造。一度窯に火が入ると、あとは24時間365日、休むことなくこの作業が続く。

このホフマン窯の登場によって、煉瓦の大量生産が可能になった。

posted by 松村正直 at 22:56| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月04日

白龍園

今日は鞍馬の手前の二ノ瀬にある「白龍園」へ。
http://hakuryuen.com/


P1080889.JPG


P1080890.JPG

水仙、シャガ、桜、ミツバツツジ、山吹、木瓜、
シャクナゲなどが一斉に咲いていた。


P1080893.JPG

谷向かいの山なみも巧みに借景として取り込んでいる。


P1080897.JPG

苔も手入れが行き届いていて美しい。
点々と桜の花びらが散っている。


 P1080900.JPG

1963年の開山以来、オーナーの方たちが三代にわたって
整備してきた庭園を、じっくりと満喫させていただいた。

posted by 松村正直 at 21:50| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月31日

旧奈良監獄(その2)


P1080854.JPG

中央監視所。

「第一寮」から「第五寮」までの5つの収容棟(2階建)が放射状に広がっていて、中央の監視所からすべて見渡せるようになっている。


P1080860.JPG

こうした構造は建築家ジョン・ハビランドにちなんで「ハビランド・システム」と呼ぶそうだ。そういえば、以前訪れた網走監獄もこの形になっていた。


P1080857.JPG

収容棟。

廊下の中央部分は吹き抜けになっていて、2階から1階を見下ろすことができる。


P1080852.JPG

独居房(単独房)。

洗面所と便器と窓と分厚い扉。面積は4.7平方メートル。


P1080863.JPG

重屏禁房。

かつて規律違反を犯した受刑者を閉じ込めるために使われていた懲罰室。通称マル房。円筒形の狭い土蔵のような空間で、内部は暗い。


P1080864.JPG

重屏禁房の壁に残る落書き。

「俺は毎日悲しい様な淋しい様な切ない日ゞを送っている 丸房に入って来る者よ・・・」。いつの時代のものだろうか?

posted by 松村正直 at 07:05| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月30日

旧奈良監獄(その1)

旧奈良監獄の内部を見学できると聞いて行ってきた。
1908年完成の赤レンガ造りの建物で、2017年に
重要文化財に指定されている。


P1080845.JPG

表門。

左右にドーム型の屋根の付いた円塔がある。
これが監獄の入口とはとても思えない。


P1080846.JPG

庁舎・講堂。

表門から入って、まずはこの建物へ。
窓の上のアーチや石とレンガの装飾が美しい。


P1080878.JPG

医務所。

診察室や処置室、歯科治療室などが備わっている。


P1080875.JPG

建物の回廊部分。

西洋の教会か大学にでも来たような雰囲気だ。


P1080885.JPG

旧奈良監獄全体の模型図。

中央の監視所から放射状に延びている部分が収容棟で、
全部で約500室あるとのこと。

posted by 松村正直 at 00:05| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月22日

赤穂

赤穂へ吟行に行く。
午後から雨の予報だったが、幸いなことに降らなかった。


P1080633.JPG

赤穂城跡。

とにかく広い。三重の堀を渡って、二之丸庭園(整備中)、本丸御殿、本丸庭園、天守台など、ひたすら歩き回る。


P1080635.JPG

大石神社の赤穂義士石造群。

兵馬俑みたいだなと思ったら、実際に「兵馬俑工芸技術伝承者作製」と書いてあり、中国で造られたものらしい。


P1080644.JPG

花岳寺にある野口雨情の詩碑。

「春のあけぼの/花なら桜/武士の鑑ぢや/赤穂義士」。

赤穂はとても良いところだった。
ぜひまた訪れてみたい。

posted by 松村正直 at 00:12| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月27日

山梨へ

今日から1泊2日で山梨の母の家へ。

当初は病院受診に付き添う予定だったのだが、現在母は入院中。半月前に屋外で転倒して救急車で運ばれ、骨盤にひびが入っていることがわかり寝たきりの状態だ。

コロナ禍のため家族も面会は出来ないので、今回は病院に必要なものを持って行くのと、介護認定の更新手続きだけをする予定。あと、無人になった自宅の片付けや郵便物のチェックなど。

退院しても自宅での一人暮らしはもう無理だと医師に言われているので、施設への入居を検討しているところ。いつかそうなるのはわかっていたけれど、いよいよという感じだ。

2016年の春に認知症が発覚してから、もうすぐ5年。ご近所の方やケアマネさん、ヘルパーさん、伯母などの助けを借りて、母もよく頑張ってきたなと思う。僕自身はあまり役に立てなかったけれど。

posted by 松村正直 at 07:34| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月19日

那智(その2)

熊野那智大社のすぐ隣にあるのが青岸渡寺(せいがんとじ)。


 P1080271.JPG

境内からは美しい那智の滝と三重塔が見渡せる。


 P1080274.JPG

佐藤佐太郎の歌碑。
「冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ」

『形影』所収の昭和43年の作品。今回現地に足を運んでよくわかったのだけど、那智の滝(の下半分くらい)は実際にまっすぐ落ちる時と斜めになる時がある。もともと逆Yの字状に広がっているのだが、風によって片方だけに流れることがあるのだ。

ちなみに、朱色の三重塔は昭和47年の再建なので、佐太郎が訪れた時にはまだ建っていなかったはず。


 P1080276.JPG

三重塔の三階から眺めた那智の滝。
参拝料300円で中に入ることができる。


 P1080281.JPG

上田三四二の歌碑。
「瀧の水は空のくぼみにあらはれて空ひきおろしざまに落下す」

『遊行』の一首。最初に左下の「三四二」の部分が見えて、万葉集の歌番号かと思ってしまった。

三重塔の近くに立つ歌碑だが、このあたりからでは「空のくぼみに」という感じではない。滝口は緑の樹木に囲まれていて、空とはつながっていない。


 P1080284.JPG

滝壺近くの飛瀧神社(ひろうじんじゃ)から見た那智の滝。
ここまで来ると「空のくぼみに」という感じになる。


 P1080286.JPG

お滝拝所舞台参入料300円を払って、さらに近くへ。
かなり大きな音も響いてきて、ずっと見ていても飽きない。


posted by 松村正直 at 08:29| Comment(2) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月18日

那智(その1)

太地町へ行ったついでに那智にも足を延ばした。こちらも初めて。
太地から那智へはJR紀勢線で4駅、12分という近さである。


  P1080263.JPG

まずは熊野那智大社へ。

山のふもとは人が少なかったが、バスで山を登って境内に来ると大勢の観光客で賑わっている。


  P1080268.JPG

樟霊社(しょうれいしゃ)。
平重盛が植えたと伝えられる樹齢約850年の大きなクスノキ。


  P1080267.JPG

胎内くぐり、300円。

太い幹の空洞部分に入って別の穴から出られるようになっている。あちこちの寺社で胎内くぐりはしたことがあるが、樹洞を抜けるのは初めて。


  P1080266.JPG

こちらがが出口。

樹洞の中に梯子があって、地下から入って2階から出るような感じ。これは楽しい!おススメ!


posted by 松村正直 at 08:08| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月12日

山梨から帰宅

今回は初めて、京都〜甲府の夜行バスを使った。
朝6:52、甲府駅着。


 P1080391.JPG

とりあえず、武田信玄。


 P1080392.JPG

甲府駅からJR身延線で50分、鰍沢口(かじかざわぐち)駅で下車。ここから、1日4本しかない身延町営バスで母の家に行く。


 P1080393.JPG

バスの到着時刻まで、しばらく付近を散歩。

「かじかざわ」と言えば、葛飾北斎の富嶽三十六景に「甲州石班沢(かじかざわ)」という一枚がある。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai062/

今ではもうこんな風景は見られないけれど。


 P1080395.JPG

バスに揺られること50分で、母の家の最寄りのバス停に到着。
富士川と色づき始めた山なみ。


 P1080397.JPG

もう紅葉のシーズンなのであった。


posted by 松村正直 at 23:38| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月10日

山梨へ出発

今日の夜行バスで山梨へ行き、明日、あさってと母の家で過ごす。
23:03京都駅発のバスに乗って、向こうの家に着くのは明朝9:45頃の予定。寒くなってきたけれど、幸い天気は良いみたいだ。

posted by 松村正直 at 21:53| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月05日

舞鶴(その2)

東舞鶴駅から徒歩で海の方へと向かう。

1972年に廃線となった中舞鶴線の跡地が、今では遊歩道となって整備されている。


 P1080109.JPG

 P1080111.JPG

北吸トンネル。
1904(明治37)年完成のレンガ造りの美しいトンネルだ。


 P1080115.JPG

途中駅があった「東門駅」の跡。
「しんまいづる(新舞鶴)」はかつての「東舞鶴」のこと。


 P1080119.JPG

 P1080120.JPG

海沿いの「舞鶴赤れんがパーク」には、明治から大正期に建てられた旧海軍鎮守府の倉庫が12棟ある。それぞれ「赤れんが博物館」「舞鶴市政記念館」、イベントホール、土産物店、カフェなどとして利用されている。

舞鶴には他にも海上自衛隊が管理する「海軍記念館」や「東郷邸」などがあるのだが、残念ながら今はコロナ対策のために見学中止となっている。

posted by 松村正直 at 18:54| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月04日

舞鶴(その1)

日帰りで舞鶴へ行ってきた。

お城のある西舞鶴には行ったことがあるが、かつての(今も)軍港だった東舞鶴は初めて。京都駅から特急で約1時間40分。

まずは東舞鶴駅からバスで舞鶴引揚記念館へ。


 P1080102.JPG

市街地から少し離れた場所にあるのだが、多くの来場者で賑わっていた。展示内容も充実しているし、説明して下さるボランティアの方々もいて、時代背景などがよくわかる。


 P1080093.JPG

 P1080094.JPG

「白樺日誌」。
シベリアに抑留された滝野修さんが、木の皮に書いて日本に持ち帰った日記。短歌と俳句、200首あまりが記されている。この「白樺日誌」を含む570点の資料が、現在、ユネスコ世界記憶遺産に登録されている。


 P1080095.JPG

ラーゲリ(収容所)での食事風景。


 P1080097.JPG

抑留生活体験室。
寒い室内で、実際に狭いベッドに寝たり、衣類に触れたりすることができる。

posted by 松村正直 at 08:20| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月24日

母の家へ

1泊2日で母の家に行ってきた。
新幹線と特急「ふじかわ」を乗り継いで4時間、下部温泉駅からレンタカーで約20分。

今回は大学病院へ検査結果を一緒に聞きに行く。
病院は母の家から車で約1時間。
医師の話を5分ほど聞いて、支払いは70円。
みなさん親切で丁寧でありがたいのだけれど、こういうのこそオンラインで済ませられないのかなとも思う。

母の家の裏手は草刈りができずに、ジャングルのようになっている。
そこにヒガンバナが赤く咲いていた。


 P1080085.JPG


母は話に聞いていたよりは元気そうだった。
まあ、僕が知っているのは僕と一緒にいる時の母の姿だけなので、ふだんとは違うのだろうけれど。

身延町から給付された商品券があったので、鉄板焼きレストランにご飯を食べに行った。母はハンバーグランチを頼んだのだけど、僕のステーキ重が来ると「美味しそうね」と言って何切れかつまんだ。


posted by 松村正直 at 11:31| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月17日

玄武洞

豊岡演劇祭のついでに、近くの玄武洞にも行ってみた。
160万年前の火山活動によって形成された柱状節理が有名なところ。


 P1080063.JPG


対岸のJR玄武洞駅から玄武洞ミュージアムが運営する渡し船が出ている。片道7分、400円。今ではほとんどの観光客が車で直接玄武洞に来ているようだけれど、この渡し舟はおススメ。円山川の川風が心地よい。→渡し船のチラシ


 P1080051.JPG


 P1080046.JPG


今回、玄武洞に来て初めて知ったことがいくつかある。

・玄武洞自体は自然にできた地形だが、洞になっている部分はかつての石の採掘跡。
・玄武洞だけでなく、青龍洞、白虎洞、北朱雀洞、南朱雀洞もある。
・玄武岩の名前は玄武洞に由来している。

有名な観光地には「写真で見た時はすごかったけれど、実物は今ひとつ」というものがけっこう多いのだが、この玄武洞は反対に、写真で見るより実物の迫力が上回っている。


 P1080056.JPG


こちらは青龍洞。
柱状節理の美しさでは玄武洞より上かもしれない。


玄武洞はかつてはもっと規模が大きかったらしい。1925(大正14)年の北但馬地震でかなり崩落してしまったのだ。大正時代の絵葉書を見ると、ギリシア神殿のように整然と洞窟に柱が立っていた様子がわかる。

当時は洞窟の中にも自由に入れたようで、そんなのどかな時代が今では羨ましい。

posted by 松村正直 at 08:24| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月11日

蓮華寺(その4)

蓮華寺と言えば・・・亀である。

石亀の生める卵をくちなはが待ちわびながら呑むとこそ聞け
                 『たかはら』

昭和5年の「近江番場八葉山蓮華寺小吟」の一首。
この歌には詞書がある。

この寺に沢ありて亀住めり。亀畑に来りて卵を生む。縞蛇という蛇、首を深く土中にさし入れて亀の卵を食うとぞ

何とも生々しい話である。
茂吉は「作歌四十年」で、この歌について次のように書いている。

この寺の裏手に池がある。水も湧き雨水が溜まって幽邃なところである。そこの石亀が陸地にあがって来て卵を生むと、蛇がその卵を呑む事実を、ここの寺の石川隆道さんが話してくれた。亀は卵を呑まれるとも知らず、心を安んじて池に帰ってゆくさうであった。蛇は多分地むぐりという奴で、何でも首をつきさすやうにして亀の卵を発見するさうであった。私はこの話にひどく感動して、いろいろと難儀して作ったがどうにか物になったやうである。

ここで「感動」とあるのは、文字通り深く感じて心が動いたという意味だろう。いかにも茂吉らしい。

さて、今回、蓮華寺の境内を歩き回ってみたところ、3か所に池があった。


 P1070995.JPG

本堂前の小さな池。


 P1070980.JPG

本堂とつながる庫裡の庭園にある池。

亀の姿は見えなかったが、いただいたパンフレットに「庭園の池でゆったりと泳ぐ鯉と甲羅干しのため池から上がった亀のユーモラスな姿が心を和ませます」と記されている。


 P1070988.JPG

本堂の裏手にある鬱蒼とした池。

茂吉が「この寺の裏手に池がある。水も湧き雨水が溜まって幽邃なところである」と書いているのを見る限り、歌に詠まれた亀はこの池のものではないかと思う。


posted by 松村正直 at 06:18| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月10日

蓮華寺(その3)

蓮華寺は想像していたよりもだいぶ大きな寺であった。浄土宗の寺としては、総本山の知恩院、大本山の7か寺に次ぐ地位を占めているようだ。
http://otera.jodo.or.jp/honzan/

現在では浄土宗であるが、昭和17年までは時宗に属していた。ただし一遍とは関係なく、一向上人(俊聖)が開いた寺である。それが江戸幕府の宗教統制により時宗に組み込まれ、時宗一向派の大本山となっていた。

明治以降、一向派は何度か時宗からの独立を政府に願い出たのだが、その請願委員の一人が若き日の窿應和尚であった。結局独立は達成できなかったものの、一遍派とは別の宗規を定めることが認められるという成果を勝ち取った。

窿應和尚が山形の宝泉寺から、時宗一向派大本山の蓮華寺の住職になったのは、そうした経緯を受けてのことだったのだろう。つまり大抜擢だったわけだ。

大正8年に蓮華寺住職となった窿應和尚は、大正13年に脳出血で倒れて寝たきりの生活を送ることになる。茂吉の訪問はその見舞いを兼ねてのものであった。その様子を描いた額が寺には飾られている。


 P1070979.JPG


昭和6年の死に際して、茂吉は「窿應上人挽歌」10首(『石泉』)を詠んでいる。

みほとけに茶呑茶碗ほどの大きさの床ずれありきと泣きかたるかな
右がはの麻痺に堪へたる御体ぞとおもへば九とせは悲しくもあるか

右半身麻痺の生活が9年にも及び、身体には大きな褥瘡ができていた。茂吉の悲痛な思いがよく伝わる。


 P1070992.JPG

本堂裏手に立つ「一向杉」。

一向上人が荼毘に付された後に植えられたと伝えられる杉で、樹齢700年。高さ30メートル、幹の周囲は5メートルになる。途中から太く枝分かれしている姿が印象的だ。

posted by 松村正直 at 06:21| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月11日

富川磨崖仏

滋賀県大津市にある富川磨崖仏を見に行った。

JR石山駅からバスに乗り瀬田川に沿って南へ約20分で「鹿跳橋」(ししとびばし)のバス停に着く。かつて弘法大師が鹿に乗って川を渡ったという伝説のある場所。

そこから、信楽川沿いに歩くこと1時間弱。信楽川は美しい渓谷になっていて、キャンプや水遊びをしている人を何組か見かけた。距離はそれほど遠くないのだが、猛暑のため到着する頃には汗だくになる。


 P1070944.JPG

正式名称は「阿弥陀三尊不動明王磨崖仏」。
阿弥陀三尊像と不動明王像が刻まれている。


 P1070946.JPG

中央の阿弥陀如来像は像高3.64メートル。


 P1070949.JPG

耳のあたりから水が湧き出ていることから、別名「耳だれ不動」とも呼ばれ、耳の病気に効験があると言われているそうだ。


posted by 松村正直 at 23:21| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月01日

山梨へ

2泊3日(車中1泊)で山梨の母の家に行ってきた。

行きの京都駅―富士宮駅の夜行バス「フジヤマライナー」は乗客たった3名。以前は外国人観光客で満席の路線だったが、今は夏休みでもガラガラ。

富士宮駅から特急「ふじかわ」に乗り、下部温泉駅下車。
駅前でレンタカーを借りて母の家に行く。自宅から10時間半かかった。

・近所の方との相談
・役場の保健師さんとの相談
・組長さんへの挨拶
・ケアマネさんとの相談

などをする。行方不明の財布や照明用リモコンの捜索もしたが見つからず。

梅雨が明けて2日とも晴天だったのが良かった。
母もいつまで一人暮らしが続けられるかわからないが、一日でも長く自宅で過ごせるようにサポートしていきたい。

帰りは特急と新幹線で帰宅。それでも4時間半はかかる。


 P1070933.JPG

 P1070935.JPG

posted by 松村正直 at 22:01| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月18日

雲水寺(その2)

現在は別の寺に変ってしまったこともあって、茂吉や文明ゆかりの品などは残されていないが、歌会に使っていたという茶室を見せていただくことができた。

 P1070914.JPG


 P1070913.JPG


茶室は渡り廊下を通って行った先にあり、窓からは隣接する天王寺公園の大きな池が見渡せる。なるほど、歌会をするには恰好の部屋だ。

三間続きになっていて襖を取り払えばけっこうな広さだが、さすがに90名は入らないだろう。普段の歌会はここを使って、茂吉が来た時などは大広間を利用したのかもしれない。

茂吉らの歌会開きし雲水寺にアララギに繋がる吾らの集ふ
昭和十年五月五日の憲吉忌茂吉文明ら雲水寺に集ひき
選火にも焼けず残りし雲水寺人手に渡り寺の名変へき
 横山季由「天王寺七坂」(「現代短歌」2015年9月号)


posted by 松村正直 at 21:42| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月17日

雲水寺(その1)

JR天王寺駅から歩いて10分ほどのところに、統国寺という名前のお寺がある。


 P1070910.JPG


現在は在日本朝鮮仏教徒協会の傘下にある寺だが、もともとは黄檗宗の邦福寺という寺で、大勢の雲水がいたことから別名雲水寺とも呼ばれていた。

この雲水寺は、かつてアララギの大阪歌会が開かれ、土屋文明や斎藤茂吉も訪れた場所である。

  茶臼山雲水寺歌会
ひろき室にもの言ひつかれ終日(ひねもす)に恋ひし日影は夕暮となる
竹村(たかむら)はひとひ日あたれり夕影(ゆふかげ)に池より立ちし鳥のしろけれ
                土屋文明『往還集』

これは昭和3年の作品。

また、杉浦明平『明平、歌と人に逢う』には、昭和8年4月に斎藤茂吉が参加して行われた歌会の様子が詳しく描かれている。

会場の茶臼山雲水寺は省線の天王寺駅からそんなに遠くなかった。(・・・)出席者は九十人の盛会だった。

この時の歌会には茂吉以外に、上村孫作、大村呉楼、鈴江幸太郎、樋口賢治、中島栄一、高安やす子といった面々が参加していた。


posted by 松村正直 at 22:14| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月11日

2泊3日

2泊3日で山梨の母の家に行ってきた。

まず、新幹線と特急を使ってJR身延線の「下部温泉駅」まで行く。そこから、一日数本のバスに乗って「飯富病院」のバス停へ。さらに徒歩20分くらいで到着。朝9:30に家を出て、母の家に着いたのは午後2:40。けっこう遠い。


  P1070819.JPG

家の近くを流れる富士川は日照り続きで水量がかなり減っている。


  P1070814.JPG

庭のつつじが満開できれい。


  P1070811.JPG

日差しが強くて、もう夏みたい。外を歩くと汗が流れる暑さである。


連れ合いを亡くして母が一人暮らしになってから、もう6年。4年前からは認知症を患っていて、いつまで自宅で暮らせるか心配な状態が続く。今は近所の方の助けに加えて、週2回のヘルパーさんと週2回のデイサービスを頼んでいる。

それでも、思ったより元気そうだったので安心した。ちょうどテレビで「NHK短歌」の再放送をやっていたので、一緒に見られて良かった。

posted by 松村正直 at 20:13| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月29日

東京、山梨

東京に1泊、山梨に1泊して帰宅。

27日(月)は東京會舘で開催される第65回角川短歌賞の贈呈式へ。
田中道孝「季の風」50首と鍋島恵子「螺旋階段」50首の同時受賞。

陽のあたるクレーンのよこで飯食えば雲雀が空を押し上げて
いる            /田中道孝
ふえてゆくほくろ美し死とともに星図は完成すると思えば
              /鍋島恵子

28日(火)は新宿→身延の高速バスで移動。山中湖、河口湖付近が大雪との情報で心配したのだが、バスは通常運通りの運行であった。

29日(水)は母の家で、介護保険の更新のための調査に立ち会う。
天気も良く暖かくなったので、母と一緒に30分ほど散歩もした。


P1070621.JPG


posted by 松村正直 at 23:09| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月25日

武生、福井

昨日は武生で「あなたを想う恋のうた」の審査会。
最優秀賞1首、優秀賞3首、秀逸10首、佳作15首、入選30首を選ぶ。朝10時から夕方5時までみっちりと議論をした。

P1070611.JPG


審査会を終えて、紫式部公園を少し散策。
越前国守になった父藤原為時に連れられて、紫式部は武生で約1年半を過ごしている。

  P1070614.JPG


今日は福井県立図書館を訪ねて、貴重な資料を見せていただく。
同じ建物に併設されている福井県ふるさと文学館も見学。

 P1070618.JPG


ありがとうございました!

posted by 松村正直 at 23:11| Comment(2) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月09日

飯富橋

P1070597.JPG


母の家から一番近くにあるバス停「飯富橋」。
富士川の流れがきれいだった。

posted by 松村正直 at 22:41| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月26日

東京へ

1泊2日で東京へ。

今日は18:00から第6回佐藤佐太郎短歌賞(谷岡亜紀さん)と
第7回現代短歌社賞(森田アヤ子さん、北山あさひさん)の授賞式。
明日は啄木関連の取材をする予定。

ただ、天気がどうなるか。
明日は雨みたいだな。

posted by 松村正直 at 11:13| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月11日

吉野川市歌人クラブ10周年記念短歌大会

昨日は徳島県吉野川市で開催された短歌大会へ。

20191110113754.jpg


京都駅から徳島駅まで高速バスで行き、そこからJR徳島線に乗って「鴨島駅」まで。自宅から会場まで片道4時間半かかった。

大会では講演「竹山広の時間表現」と詠草90首の総評を行う。
皆さん熱心に聴いて下さって有難い。

 水のへに到り得し手をうち重ねいづれが先に死にし母と子
           竹山広『とこしへの川』

海も空も川もきれいで、気分もリフレッシュして楽しい一日だった。

posted by 松村正直 at 22:47| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月24日

賤ヶ岳

  P1070453.JPG

 賤ケ岳(しづがたけ)七本槍をそらんじて中学生のわれ
 走り出す           小池 光『梨の花』

福島正則、加藤清正、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、糟屋武則、
加藤嘉明。

posted by 松村正直 at 21:26| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月23日

続・江北図書館

9月15日に書いた「江北(こほく)図書館」に行ってきた。
http://matsutanka.seesaa.net/article/470116062.html


 P1070454.JPG


JR北陸本線「木ノ本」駅の東口を出てすぐ。
ただし、駅から見えるのは蔦に覆われた建物の側面なので、パッと見ただけではわからない。

posted by 松村正直 at 21:11| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月29日

山梨(2泊3日)

母の介護認定の訪問調査に立ち会うため、山梨の身延町へ行く。

これまでは最寄りの下部温泉駅まで車で迎えに来てもらっていたのだが、もうすぐ母は車の運転ができなくなるので、今回は特急で一つ先の甲斐岩間駅まで行く。


 P1070360.JPG


駅前にあるバス停から身延町営バスに乗る。8人乗りのジャンボタクシーのようなバス。母の家の近くのバス停を通る路線があるので有難い。


  P1070362.JPG


運賃も200円と格安。下部温泉駅からタクシーに乗ると2500円くらいかかるので、この値段は助かる。

僕以外の乗客は運転手も含めてみな顔なじみのようで、最近の天気や畑の作物の出来具合などの話が続く。


 P1070373.JPG

 P1070369.JPG


母は元気そうだったので良かった。

認定調査も無事に済んで、夜はご近所の方も交えて11時過ぎまでお喋りを楽しんだ。秋には母を連れて一度東京にも行ってみたいと思う。


posted by 松村正直 at 20:59| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月09日

山梨へ(3泊4日)

8月6日の夜から9日まで、山梨の母の家へ行ってきた。


 P1070333.JPG


京都も暑いけれど、山梨も今回はかなりの暑さ。
家の周りの草木がかなり生い茂っている。

今回は母を連れて役場へ行き、介護保険サービスの申請や配食サービスの手配などをした。母はもうすぐ車の運転ができなくなるので、その後の生活についての相談もしてきた。

まあ、長期戦という感じなので、気長に構えるしかない。


 P1070327.JPG


 P1070326.JPG


 P1070331.JPG


母はふだんはあまり料理をしていないのだが、今でもやればできるようだ。要は一緒に食べてくれる人がいないと、やる気が出ないということだろう。そのあたりが、高齢者のひとり暮らしの難しさでもある。

秋になったら、母を連れて一度東京にも行ってみたい。


posted by 松村正直 at 20:50| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月24日

鳥取(1泊2日)

22日(土)は8:50京都駅発のスーパーはくと3号で鳥取へ。11:57着。
13:00から国民宿舎「ニュー砂丘荘」で塔とっとり砂丘歌会。
参加者32名と大盛況。17:00まで。

その後、砂丘を散策して夕食。
夕食後はマイクロバスで近くの川辺に行って蛍を見る。

21:00から宿舎の部屋に集まって懇親会。
23:00頃に解散。

P1070287.JPG


23日(日)は9:00から「砂の美術館」へ。
「世界旅行・南アジア編」というテーマで、ガンジー、モヘンジョダロ、バーミヤンの大仏など21点が展示されている。作品の質が非常に高い。遠近法などを用いて立体的な奥行きを生み出している。

その後、有島武郎と与謝野晶子の歌碑を見学して11:00に新日本海新聞社のホールへ到着。

13:00から現代歌人集会春季大会 in 鳥取。
「前川佐美雄と塚本邦雄〜鳥取からはじまった」をテーマに17:00まで。
参加者は100名ほど。

いろいろと学ぶことの多い内容であった。
特に前川佐美雄『積日』の歌が印象的だったので、読んでみようと思う。

帰りは18:40鳥取駅発のスーパーはくと14号で京都へ。
京都駅21:37着。

久しぶりにお会いした方も多く、密度の濃い楽しい二日間だった。

posted by 松村正直 at 21:05| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月17日

山梨(4泊5日)


12日から16日まで4泊5日で、母の住む山梨へ。
7日に入院して10日に甲状腺右葉切除(甲状腺腫瘍)の手術を終えたばかりの母を見舞う。


P1070283.JPG

山梨大学医学部附属病院の部屋から見える富士山。
富士山が見えることを母はとても喜んでいた。



P1070281.JPG

病院は甲府の郊外にあるのだが、周囲にはとうもろこし畑が多い。
近所の方から、もとうもろこしをたくさんいただいた。



P1070280.JPG

病院の近くで見つけた「鎌倉街道」の案内板。
こんなところも通っていたのか、鎌倉街道は!



P1070285.JPG

15日に無事に退院。
母の家の前にはいつもの自然が広がっていた。
入院中は元気がなかった母も、自宅に帰ってホッとしたようだ。


posted by 松村正直 at 20:08| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月25日

母、そして父

3泊4日で母と父を訪ねてきた。

22日(水)の夜に山梨の母の家へ。

23日(木)は朝から母の受診の付き添いで、山梨大学医学部附属病院へ。
来月、甲状腺腫瘍の摘出手術を受けるので、その説明を受ける。
中庭ではカルガモの親子が楽しそうに泳いでいた。

  P1070193.JPG


午後は入院に必要なものを買ってから、近所の富士川クラフトパークの「バラまつり」を見に行く。天気も良くて、幼稚園児や小学生、老人施設の方たちなどが大勢訪れていた。

 P1070204.JPG


24日(金)は昼前に母の家を発って最寄りの下部温泉駅へ。
駅の近くを流れる下部川がきれいだ。

 P1070216.JPG


JR身延線で甲府に出て、そこから中央線で東京へ。
都内で短歌関係の打ち合わせをした後、夕方に東京郊外の父の家へ行く。
近所の蕎麦屋で一緒に夕飯を食べ、夜は巨人・広島戦をテレビ観戦。

25日(土)の朝に父の家を発ち、啄木関連の取材を少ししてから京都に帰ってきた。

母も父もそこそこ元気で良かった。

posted by 松村正直 at 15:13| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月01日

桜から桜へ


午前中、御所(京都御苑)にお花見へ。

地下鉄「今出川」駅で降りて今出川門から入り、南へと下りながら、近衛邸跡のシダレザクラや「出水のシダレザクラ」を見てまわる。


 P1070152.JPG


 P1070156.JPG


他にも、ヤマザクラ、モモ、ハクモクレン、ユキヤナギ、ツバキなどがあちこちに咲いている。天気も何とか大丈夫で良かった。

その後、富小路口から出てランチを食べ、午後からは新京極三条のMOVIX京都へ。「ソローキンの見た桜」を見る。桜から桜への一日だった。

posted by 松村正直 at 21:19| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月15日

母の料理


静岡駅から甲府駅へと向かう身延線は、富士山が間近に見える路線だ。
母の家に行く時は、これが楽しみの一つ。


 P1070132.JPG


母は昔から料理の得意な人だったけれど、連れ合いを亡くして一人暮らしになったことや病気の影響もあって、最近はほとんど料理らしい料理をしていないらしい。ご近所の人がずいぶん心配していた。

でも、今回は息子が来たというので、張り切っていろいろ作ってくれた。


 P1070145.JPG

初日の夕食。


 P1070146.JPG

二日目の朝食。

食べてくれる人さえいれば、今でもけっこう料理はできるようだ。
それだけでもだいぶ安心する。

母の短期記憶はかなり衰えてしまっているので、僕が昨日母の家にいたことや母の料理を食べたことは、もう覚えていないかもしれない。だから、ここに写真を載せておくね。

posted by 松村正直 at 17:48| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月13日

山梨へ


今日から1泊2日で山梨へ行ってきます。
母が大学病院を受診するので、その付き添いに。

両親が離婚してからは母子家庭だったこともあって、
母との関係だけは今でもちょっと特別な感じがある。

posted by 松村正直 at 08:18| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月10日

仙台歌会


今日は「塔」仙台歌会へ。
朝7:00に家を出て、京都から新幹線に乗り11:30仙台着。
良い天気で暑いくらい。

昼ご飯を食べて、13:00から17:00まで歌会。


P1070129.JPG

会場は仙台市シルバーセンター。
参加者18名と賑やかで、初めて会う若い人も多かった。

その後、近くの店で懇親会。
19:30の新幹線に乗って、23:50帰宅。
京都は大雨であった。

posted by 松村正直 at 23:55| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月12日

高松へ(その2)

天気も良いので、高松港付近をしばらく散歩する。


 P1070119.JPG

アート広場にある巨大な椰子の実のような作品。
台湾の林舜龍(リン・シュンロン)の「国境を越えて・海」。

もともと2013年の瀬戸内国際芸術祭で香川県の豊島に展示され、続いて2016年の芸術祭でこの場所に展示、その後、恒久展示になったそうだ。


 P1070106.JPG

別の角度から。
今は内部には入れなくなっていた。


 P1070108.JPG

御製「種ぐさのいのち育む藻場にせむと小さきあまもの苗を手渡す」

2004年に高松市で開催された第24回全国豊かな海づくり大会で来られた時の歌。「豊かな海づくり大会」のことは全く知らなかったのだが、全国植樹祭・国民体育大会と並んで「三大行幸啓」の一つに数えられるイベントなのだとか。


 P1070121.JPG

宇高連絡船「讃岐丸」の錨。

瀬戸大橋が開通するまで、岡山県の宇野と高松を結んで大活躍した船である。1996年の退役後はインドネシアに売却されて「Dharma Kencana I」という名前で就航しているそうで、興味を惹かれる。

午後からの四国歌会の詠草にもちょうどこの讃岐丸を詠んだ歌があった。地元の人々に親しまれた船だったようだ。


 P1070123.JPG

歌会会場の「サンポートホール高松」から見える海。
13:00〜17:00は歌会、その後は懇親会と、楽しい一日だった。

posted by 松村正直 at 08:28| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする