10月に第3回別邸歌会を開催する滋賀県甲賀市水口(みなくち)町へ、下見に出掛けた。
JR草津線の貴生川駅から近江鉄道に乗る。
今どき珍しい硬券の切符。
ICOCAなどの交通系ICカードは使えないので要注意。
「近江十景とれいん」と名付けられたラッピングカー。
写真を撮っている人が多い。
最寄駅の水口石橋駅。
「水口城南」「水口石橋」「水口」「水口松尾」と水口の付く駅が4つ続く。
水口は東海道の宿場町として栄えたところ。
今も古い町並みが残っている。
歌会の会場となる旧水口図書館。
昭和3年に建てられたヴォーリズ建築。国登録有形文化財。
建物は水口小学校の敷地内にあり、さるすべりが咲いていた。
毎月第2・第4日曜日に一般公開されている。
歌会で使わせていただく2階の部屋。
窓から明るい光が差し込んで良い感じだ。
徒歩15分くらいのところにある水口城跡。
本丸跡は高校のグラウンドになっている。
宿場町であり、城下町でもあった水口は、他にも見どころが多い。
観光を兼ねて10月2日(日)の別邸歌会にぜひご参加下さい!
2022年08月18日
2022年07月10日
豊岡の街歩き
豊岡市はカバンの生産量が日本一。
柳行李から始まる長い伝統を持つ地場産業だ。
14軒のカバン関連の店が立ち並ぶ「カバンストリート」。
何とカバンの自動販売機まである!
豊岡中央公園に展示されているSL。C57形11号。
1937年製造、1972年廃車。260万キロ以上走った車両とのこと。
現役で走った35年間よりも長く、もう50年ここにいることになる。
寿ロータリー。
日本では珍しいラウンドアバウトになっていて、放射状に6本の道につながっている。地上からの写真ではよくわからないので、案内板にあった高い所からの写真も載せておこう。
ロータリーに面した会社の建物の3階から撮影したもののようだ。
観光スポットとして開放してもらえないかな〜。
豊岡市役所旧本庁舎。旧豊岡町役場。
1927年竣工の美しい建物が保存・活用されている。
柳行李から始まる長い伝統を持つ地場産業だ。
14軒のカバン関連の店が立ち並ぶ「カバンストリート」。
何とカバンの自動販売機まである!
豊岡中央公園に展示されているSL。C57形11号。
1937年製造、1972年廃車。260万キロ以上走った車両とのこと。
現役で走った35年間よりも長く、もう50年ここにいることになる。
寿ロータリー。
日本では珍しいラウンドアバウトになっていて、放射状に6本の道につながっている。地上からの写真ではよくわからないので、案内板にあった高い所からの写真も載せておこう。
ロータリーに面した会社の建物の3階から撮影したもののようだ。
観光スポットとして開放してもらえないかな〜。
豊岡市役所旧本庁舎。旧豊岡町役場。
1927年竣工の美しい建物が保存・活用されている。
2022年06月17日
えきそば
6月26日(日)に姫路文学館の望景亭で歌会をするので、その下見に行ってきた。京都から姫路まで新快速で約1時間30分。
文学館の常設展を見て、事務所の担当の方と話をして、姫路の町をしばらくぶらぶら歩く。
帰りに駅のホームで見かけた「えきそば」。
姫路の名物の「まねきのえきそば」。
一般的な駅そばとは違う。スタイルは一般的な立ち食いそばだが、蕎麦ではなく中華麺を使っている。
https://www.maneki-co.com/ekisoba/
天ぷらえきそば390円を、平日14:00〜17:00のタイムサービス350円でいただいた。1949年誕生の「えきそば」。これからも長く続いていってほしい。
文学館の常設展を見て、事務所の担当の方と話をして、姫路の町をしばらくぶらぶら歩く。
帰りに駅のホームで見かけた「えきそば」。
姫路の名物の「まねきのえきそば」。
一般的な駅そばとは違う。スタイルは一般的な立ち食いそばだが、蕎麦ではなく中華麺を使っている。
https://www.maneki-co.com/ekisoba/
天ぷらえきそば390円を、平日14:00〜17:00のタイムサービス350円でいただいた。1949年誕生の「えきそば」。これからも長く続いていってほしい。
2022年06月06日
石田杜
2022年03月30日
房総旅行(その3)
3日目、旅行の最終日。
館山は晴れ。東京湾は穏やかに晴れ渡っている。
JR内房線に乗って、太平洋岸の和田浦まで行くと一転して曇り。
波も立っていて、やはり外海は表情も違う。
いちめんのなのはな。
房総半島の花シーズンは既に終盤に入っている。
と言っても、別に花を見に来たわけではなくて、目的はクジラ。
和田浦駅のホームに置かれているツチクジラの頭骨。
2022年1月の水産庁「捕鯨をめぐる情勢」によれば、現在、日本で捕鯨が行われているのは、基地式(小型沿岸)捕鯨が4か所(網走、鮎川、和田、太地)で、母船式が1か所(下関)。和田町では7月から9月にかけてツチクジラを獲っている。
花夢花夢(カムカム)広場にあるモニュメント。
「道の駅 和田浦WA・O!」の前に展示されているシロナガスクジラの骨格標本のレプリカ。全長26メートル。
南房総市役所和田地域センターにある鯨資料館。
日本有数のクジラコレクターである細田徹氏のコレクションの一部が「勇魚文庫・鯨資料館」として展示・公開されている。
「鯨の郷土玩具」だけでも、全国各地の物が集められており見応え十分の内容だ。
くじら料理の店「ぴ〜まん」の「くじら御膳(黒滝)」2200円。
https://www.wadapman.com/
赤身と皮の刺身、竜田揚げ、カツ、佃煮など、クジラ尽くしとなっている。どれも美味しい。
ひたすらよく歩いて、よく食べて、よく眠った3日間だった。
館山は晴れ。東京湾は穏やかに晴れ渡っている。
JR内房線に乗って、太平洋岸の和田浦まで行くと一転して曇り。
波も立っていて、やはり外海は表情も違う。
いちめんのなのはな。
房総半島の花シーズンは既に終盤に入っている。
と言っても、別に花を見に来たわけではなくて、目的はクジラ。
和田浦駅のホームに置かれているツチクジラの頭骨。
2022年1月の水産庁「捕鯨をめぐる情勢」によれば、現在、日本で捕鯨が行われているのは、基地式(小型沿岸)捕鯨が4か所(網走、鮎川、和田、太地)で、母船式が1か所(下関)。和田町では7月から9月にかけてツチクジラを獲っている。
花夢花夢(カムカム)広場にあるモニュメント。
「道の駅 和田浦WA・O!」の前に展示されているシロナガスクジラの骨格標本のレプリカ。全長26メートル。
南房総市役所和田地域センターにある鯨資料館。
日本有数のクジラコレクターである細田徹氏のコレクションの一部が「勇魚文庫・鯨資料館」として展示・公開されている。
「鯨の郷土玩具」だけでも、全国各地の物が集められており見応え十分の内容だ。
くじら料理の店「ぴ〜まん」の「くじら御膳(黒滝)」2200円。
https://www.wadapman.com/
赤身と皮の刺身、竜田揚げ、カツ、佃煮など、クジラ尽くしとなっている。どれも美味しい。
ひたすらよく歩いて、よく食べて、よく眠った3日間だった。
2022年03月29日
房総旅行(その2)
2日目は曇天。
朝から館山海軍航空隊の赤山地下壕跡へ行く。館山は幕末に台場が設置され、明治になってからは東京湾要塞地帯となり、1930年には海軍航空隊が置かれた。現在も海上自衛隊館山航空基地があり、各地に戦争遺跡が残っている。
地下壕の入口。入壕料は大人200円。
壕に入る際にはヘルメットと懐中電灯を渡される。
標高60メートルの「赤山」に掘られた地下壕で、総延長は2キロを超える。公開されているのはその一部だが、網目のようになっている通路をかなり自由に見て回ることができる。
館山周辺は海底が隆起してできた地形で、壕内には美しい地層がくっきりと見えている。
壁をアップにすると、こんな感じ。
続いて館山城へ。
里見氏の居城だったところ。
民謡里見節の詩碑と城。
城は現在、八犬伝博物館になっている。滝沢馬琴『南総里見八犬伝』の舞台である。
天守閣からの眺め。
目の前に東京湾が広がる。里見氏はこの東京湾の制海権をめぐって、相模の北条氏と長く争っていたらしい。現在の感覚で見ると安房は陸地の外れに見えるのだが、海上交通の盛んだった昔はむしろ最先端の土地であったのだ。
朝から館山海軍航空隊の赤山地下壕跡へ行く。館山は幕末に台場が設置され、明治になってからは東京湾要塞地帯となり、1930年には海軍航空隊が置かれた。現在も海上自衛隊館山航空基地があり、各地に戦争遺跡が残っている。
地下壕の入口。入壕料は大人200円。
壕に入る際にはヘルメットと懐中電灯を渡される。
標高60メートルの「赤山」に掘られた地下壕で、総延長は2キロを超える。公開されているのはその一部だが、網目のようになっている通路をかなり自由に見て回ることができる。
館山周辺は海底が隆起してできた地形で、壕内には美しい地層がくっきりと見えている。
壁をアップにすると、こんな感じ。
続いて館山城へ。
里見氏の居城だったところ。
民謡里見節の詩碑と城。
城は現在、八犬伝博物館になっている。滝沢馬琴『南総里見八犬伝』の舞台である。
天守閣からの眺め。
目の前に東京湾が広がる。里見氏はこの東京湾の制海権をめぐって、相模の北条氏と長く争っていたらしい。現在の感覚で見ると安房は陸地の外れに見えるのだが、海上交通の盛んだった昔はむしろ最先端の土地であったのだ。
2022年03月27日
房総旅行(その1)
2泊3日で房総半島を旅行してきた。
行きは京都から新幹線で品川、品川からバスで東京アクアラインを通って木更津へ。その後、内房線で館山へ行って2泊。帰りは金谷港から東京湾フェリーで三浦半島の久里浜港へ。そして、新横浜から新幹線で京都という行程。
初日はロープウェイで鋸山に登る。
標高329メートル。
かつての石切場などがある山。
山頂から眺める東京湾。
270度くらい海に囲まれている。
日本寺の境内にある百尺観音。
圧倒的な大きさだ。完成まで6年の歳月を要したとのこと。
有名な「地獄のぞき」。
一番の人気スポットで、行列ができていた。
通天閣(二天門)。
岩に空いた穴を通って石段が続いている。
石段をひたすら下りてようやく姿を現した大仏。
鎌倉や奈良の大仏を上回る大きさ。
大仏。
高さ31メートル。圧倒的な大きさである。
日本寺の境内は山の斜面に広がっていて、あちこち見て回ろうと思うと、高低差がすごい。石段を何段のぼったり下ったりしたことか。境内の案内図は平面図のように見えて実は立面図なのだった。
旅行初日だというのに、膝ががくがくして足が痛い。
行きは京都から新幹線で品川、品川からバスで東京アクアラインを通って木更津へ。その後、内房線で館山へ行って2泊。帰りは金谷港から東京湾フェリーで三浦半島の久里浜港へ。そして、新横浜から新幹線で京都という行程。
初日はロープウェイで鋸山に登る。
標高329メートル。
かつての石切場などがある山。
山頂から眺める東京湾。
270度くらい海に囲まれている。
日本寺の境内にある百尺観音。
圧倒的な大きさだ。完成まで6年の歳月を要したとのこと。
有名な「地獄のぞき」。
一番の人気スポットで、行列ができていた。
通天閣(二天門)。
岩に空いた穴を通って石段が続いている。
石段をひたすら下りてようやく姿を現した大仏。
鎌倉や奈良の大仏を上回る大きさ。
大仏。
高さ31メートル。圧倒的な大きさである。
日本寺の境内は山の斜面に広がっていて、あちこち見て回ろうと思うと、高低差がすごい。石段を何段のぼったり下ったりしたことか。境内の案内図は平面図のように見えて実は立面図なのだった。
旅行初日だというのに、膝ががくがくして足が痛い。
2022年02月27日
江原河畔劇場の周辺
2022年01月19日
続・奈良へ
2022年01月18日
奈良へ
2021年12月17日
46時間
22:30自宅→23:00京都駅→6:30富士駅→8:00波高島駅→8:30【母の施設】→9:00〜12:00病院→13:00〜14:00富士川クラフトパーク(昼食)→15:00下部温泉駅→16:30甲府駅→18:30八王子駅→19:00長津田駅→19:30あざみ野駅→20:00〜11:00【父の家】→11:30新百合ヶ丘駅→12:00向ヶ丘遊園駅→12:30〜16:00川崎市岡本太郎美術館(昼食)→16:30向ヶ丘遊園駅→17:00町田駅→17:30新横浜駅→20:00京都駅→20:30自宅
なかなかの強行軍だったな。
なかなかの強行軍だったな。
2021年12月07日
堺へ(その2)
続いて、晶子の生家跡から徒歩5分ほどの開口(あぐち)神社へ。
「少女たち開口の神の樟の木の若枝さすごとのびて行けかし」
ここは晶子がよく遊んだ場所で、『私の生い立ち』の中に
と記されている。ちなみに、この開口神社の三重塔は1945年7月10日の空襲で焼失して、今は残っていない。
いよいよ、「さかい利晶の杜」の企画展「与謝野寛・晶子夫妻の旅―パノラマ地図でたどる観光名所―」を見る。
昭和6年の北海道・九州・四国の旅で詠まれた歌や写真と、吉田初三郎の描いたパノラマ地図が取り合わされて展示されている。当時の旅の雰囲気がよく伝わってくる好企画であった。吉田初三郎ファンとしては嬉しい限り。
太田登氏の記念講演「与謝野夫妻の北海道紀行と石川啄木」も興味深い内容だった。
帰りは南海電車の堺駅から。
駅の西口に立つ与謝野晶子像。
9年前に訪れた時の写真を見ると以前は手に筆と短冊を持っていた。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138922.html
破損してそのままになっているのだろうか。
「少女たち開口の神の樟の木の若枝さすごとのびて行けかし」
ここは晶子がよく遊んだ場所で、『私の生い立ち』の中に
後を向いて街の方を見ますと、ずっと北の方に浅香山の丘が見え、妙国寺の塔が見え、中央に開口神社の塔が見えます。私等が実を拾って遊ぶ廻り二三丈もある開口神社の大木の樟が塔よりも高く見えます。
と記されている。ちなみに、この開口神社の三重塔は1945年7月10日の空襲で焼失して、今は残っていない。
いよいよ、「さかい利晶の杜」の企画展「与謝野寛・晶子夫妻の旅―パノラマ地図でたどる観光名所―」を見る。
昭和6年の北海道・九州・四国の旅で詠まれた歌や写真と、吉田初三郎の描いたパノラマ地図が取り合わされて展示されている。当時の旅の雰囲気がよく伝わってくる好企画であった。吉田初三郎ファンとしては嬉しい限り。
太田登氏の記念講演「与謝野夫妻の北海道紀行と石川啄木」も興味深い内容だった。
啄木が右の肩をば猶揚げて岬に立つと見ゆるその墓 寛
なつかしき函館に来て手に撫づる亡き啄木の草稿の塵 晶子
帰りは南海電車の堺駅から。
駅の西口に立つ与謝野晶子像。
9年前に訪れた時の写真を見ると以前は手に筆と短冊を持っていた。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138922.html
破損してそのままになっているのだろうか。
2021年12月06日
堺へ(その1)
「さかい利晶の杜」で行われている企画展「与謝野寛・晶子夫妻の旅―パノラマ地図でたどる観光名所―」を見るために堺へ。
まずは南海電鉄で「浜寺公園駅」へ行く。
1907年に辰野金吾の設計で造られた美しい駅舎。
かつて、この地が関西有数の別荘地・海水浴場であった時代を偲ばせる。2016年まで実際に使われ、その後、曳家工事を経て現在の場所に移りカフェやイベントスペースとして活用されている。
浜寺公園にある与謝野晶子の歌碑。
「ふるさとの和泉の山をきはやかに浮けし海より朝風ぞ吹く」
「浮けし」は「浮かべた」の意味。「浮く」を他動詞として使っている。1900年に鉄幹が堺を訪れた際に、浜寺公園で鉄幹と晶子は歌会をするなど交流を深めた。
かつては白砂青松の海岸だったこの一帯も昭和30年代に沿岸部が埋め立てられ、今では海が遠くなってしまった。美しい海の代わりに泉北臨海工業地帯の煙突が並ぶ。それでも、バラ園や遊具、運動場などがあって、浜寺公園は多くの人で賑わっている。
その後、阪堺電車の「浜寺駅」から「宿院駅」へ。
駅から徒歩数分のところに晶子の生家「駿河屋」の跡地がある。かつての店舗の敷地は、幅約50メートルに拡張された道路に完全に飲み込まれた形だ。
「海こひし潮の遠鳴りかぞえへつゝ少女となりし父母の家」
三句は歌集『恋衣』(1908年)では「かぞへては」であるが、初出の「明星」1904年8月号では「かぞへつつ」であった。歌碑は初出に拠っているのだろう。「つつ」だと同時進行の意味が強すぎるので、歌の出来としては改作後の方が良いと思う。
まずは南海電鉄で「浜寺公園駅」へ行く。
1907年に辰野金吾の設計で造られた美しい駅舎。
かつて、この地が関西有数の別荘地・海水浴場であった時代を偲ばせる。2016年まで実際に使われ、その後、曳家工事を経て現在の場所に移りカフェやイベントスペースとして活用されている。
浜寺公園にある与謝野晶子の歌碑。
「ふるさとの和泉の山をきはやかに浮けし海より朝風ぞ吹く」
「浮けし」は「浮かべた」の意味。「浮く」を他動詞として使っている。1900年に鉄幹が堺を訪れた際に、浜寺公園で鉄幹と晶子は歌会をするなど交流を深めた。
かつては白砂青松の海岸だったこの一帯も昭和30年代に沿岸部が埋め立てられ、今では海が遠くなってしまった。美しい海の代わりに泉北臨海工業地帯の煙突が並ぶ。それでも、バラ園や遊具、運動場などがあって、浜寺公園は多くの人で賑わっている。
その後、阪堺電車の「浜寺駅」から「宿院駅」へ。
駅から徒歩数分のところに晶子の生家「駿河屋」の跡地がある。かつての店舗の敷地は、幅約50メートルに拡張された道路に完全に飲み込まれた形だ。
「海こひし潮の遠鳴りかぞえへつゝ少女となりし父母の家」
三句は歌集『恋衣』(1908年)では「かぞへては」であるが、初出の「明星」1904年8月号では「かぞへつつ」であった。歌碑は初出に拠っているのだろう。「つつ」だと同時進行の意味が強すぎるので、歌の出来としては改作後の方が良いと思う。
2021年09月21日
2021年09月20日
飯田線の旅(その2)
2021年09月19日
飯田線の旅(その1)
2021年06月28日
犬山へ(その2)
2021年06月27日
犬山へ(その1)
2021年05月17日
本郷・湯島・上野
今日は本郷・湯島・上野を2時間ほどかけて散策した。
丸ノ内線の「本郷三丁目駅」で降りて、しばらく本郷界隈を歩き回ってから、湯島の切通しを抜けて、不忍池を経てJR「上野駅」へ。
東京は台地と谷と坂でできていることが、歩くと実によくわかる。
東京に住んでいた頃はいつも電車や地下鉄に乗っていて、歩いて移動することが少なかった。やっぱり歩かないと東京の面白さはわからないんだなと実感した。
丸ノ内線の「本郷三丁目駅」で降りて、しばらく本郷界隈を歩き回ってから、湯島の切通しを抜けて、不忍池を経てJR「上野駅」へ。
東京は台地と谷と坂でできていることが、歩くと実によくわかる。
東京に住んでいた頃はいつも電車や地下鉄に乗っていて、歩いて移動することが少なかった。やっぱり歩かないと東京の面白さはわからないんだなと実感した。
2021年04月10日
旧中川煉瓦製造所ホフマン窯(その2)
2021年04月09日
旧中川煉瓦製造所ホフマン窯(その1)
近江八幡にあるホフマン窯を見学に行く。
煉瓦製造所は現在「赤煉瓦の郷」という名前の老人施設になっていて、その敷地内に窯が残されている。
まず目につくのは高さ33メートルの巨大な煙突。
かつては煉瓦造の窯を覆うようにして木造の建屋があったそうだが、現在では失われている。
窯の大きさは長辺55メートル、短辺14メートルの楕円状。
明治末から大正にかけて築かれたものらしい。
今回は特別に中に入らせていただいた。
内部はドーナツ型のトンネルになっている。
トンネル部分が十数室の区画に分けられていて、煉瓦の搬入・乾燥・焼成・冷却・搬出という順にぐるぐると繰り返される構造。一度窯に火が入ると、あとは24時間365日、休むことなくこの作業が続く。
このホフマン窯の登場によって、煉瓦の大量生産が可能になった。
煉瓦製造所は現在「赤煉瓦の郷」という名前の老人施設になっていて、その敷地内に窯が残されている。
まず目につくのは高さ33メートルの巨大な煙突。
かつては煉瓦造の窯を覆うようにして木造の建屋があったそうだが、現在では失われている。
窯の大きさは長辺55メートル、短辺14メートルの楕円状。
明治末から大正にかけて築かれたものらしい。
今回は特別に中に入らせていただいた。
内部はドーナツ型のトンネルになっている。
トンネル部分が十数室の区画に分けられていて、煉瓦の搬入・乾燥・焼成・冷却・搬出という順にぐるぐると繰り返される構造。一度窯に火が入ると、あとは24時間365日、休むことなくこの作業が続く。
このホフマン窯の登場によって、煉瓦の大量生産が可能になった。
2021年04月04日
白龍園
今日は鞍馬の手前の二ノ瀬にある「白龍園」へ。
http://hakuryuen.com/
水仙、シャガ、桜、ミツバツツジ、山吹、木瓜、
シャクナゲなどが一斉に咲いていた。
谷向かいの山なみも巧みに借景として取り込んでいる。
苔も手入れが行き届いていて美しい。
点々と桜の花びらが散っている。
1963年の開山以来、オーナーの方たちが三代にわたって
整備してきた庭園を、じっくりと満喫させていただいた。
http://hakuryuen.com/
水仙、シャガ、桜、ミツバツツジ、山吹、木瓜、
シャクナゲなどが一斉に咲いていた。
谷向かいの山なみも巧みに借景として取り込んでいる。
苔も手入れが行き届いていて美しい。
点々と桜の花びらが散っている。
1963年の開山以来、オーナーの方たちが三代にわたって
整備してきた庭園を、じっくりと満喫させていただいた。
2021年03月31日
旧奈良監獄(その2)
中央監視所。
「第一寮」から「第五寮」までの5つの収容棟(2階建)が放射状に広がっていて、中央の監視所からすべて見渡せるようになっている。
こうした構造は建築家ジョン・ハビランドにちなんで「ハビランド・システム」と呼ぶそうだ。そういえば、以前訪れた網走監獄もこの形になっていた。
収容棟。
廊下の中央部分は吹き抜けになっていて、2階から1階を見下ろすことができる。
独居房(単独房)。
洗面所と便器と窓と分厚い扉。面積は4.7平方メートル。
重屏禁房。
かつて規律違反を犯した受刑者を閉じ込めるために使われていた懲罰室。通称マル房。円筒形の狭い土蔵のような空間で、内部は暗い。
重屏禁房の壁に残る落書き。
「俺は毎日悲しい様な淋しい様な切ない日ゞを送っている 丸房に入って来る者よ・・・」。いつの時代のものだろうか?
2021年03月30日
旧奈良監獄(その1)
2021年01月27日
山梨へ
今日から1泊2日で山梨の母の家へ。
当初は病院受診に付き添う予定だったのだが、現在母は入院中。半月前に屋外で転倒して救急車で運ばれ、骨盤にひびが入っていることがわかり寝たきりの状態だ。
コロナ禍のため家族も面会は出来ないので、今回は病院に必要なものを持って行くのと、介護認定の更新手続きだけをする予定。あと、無人になった自宅の片付けや郵便物のチェックなど。
退院しても自宅での一人暮らしはもう無理だと医師に言われているので、施設への入居を検討しているところ。いつかそうなるのはわかっていたけれど、いよいよという感じだ。
2016年の春に認知症が発覚してから、もうすぐ5年。ご近所の方やケアマネさん、ヘルパーさん、伯母などの助けを借りて、母もよく頑張ってきたなと思う。僕自身はあまり役に立てなかったけれど。
当初は病院受診に付き添う予定だったのだが、現在母は入院中。半月前に屋外で転倒して救急車で運ばれ、骨盤にひびが入っていることがわかり寝たきりの状態だ。
コロナ禍のため家族も面会は出来ないので、今回は病院に必要なものを持って行くのと、介護認定の更新手続きだけをする予定。あと、無人になった自宅の片付けや郵便物のチェックなど。
退院しても自宅での一人暮らしはもう無理だと医師に言われているので、施設への入居を検討しているところ。いつかそうなるのはわかっていたけれど、いよいよという感じだ。
2016年の春に認知症が発覚してから、もうすぐ5年。ご近所の方やケアマネさん、ヘルパーさん、伯母などの助けを借りて、母もよく頑張ってきたなと思う。僕自身はあまり役に立てなかったけれど。
2020年11月19日
那智(その2)
熊野那智大社のすぐ隣にあるのが青岸渡寺(せいがんとじ)。
境内からは美しい那智の滝と三重塔が見渡せる。
佐藤佐太郎の歌碑。
「冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ」
『形影』所収の昭和43年の作品。今回現地に足を運んでよくわかったのだけど、那智の滝(の下半分くらい)は実際にまっすぐ落ちる時と斜めになる時がある。もともと逆Yの字状に広がっているのだが、風によって片方だけに流れることがあるのだ。
ちなみに、朱色の三重塔は昭和47年の再建なので、佐太郎が訪れた時にはまだ建っていなかったはず。
三重塔の三階から眺めた那智の滝。
参拝料300円で中に入ることができる。
上田三四二の歌碑。
「瀧の水は空のくぼみにあらはれて空ひきおろしざまに落下す」
『遊行』の一首。最初に左下の「三四二」の部分が見えて、万葉集の歌番号かと思ってしまった。
三重塔の近くに立つ歌碑だが、このあたりからでは「空のくぼみに」という感じではない。滝口は緑の樹木に囲まれていて、空とはつながっていない。
滝壺近くの飛瀧神社(ひろうじんじゃ)から見た那智の滝。
ここまで来ると「空のくぼみに」という感じになる。
お滝拝所舞台参入料300円を払って、さらに近くへ。
かなり大きな音も響いてきて、ずっと見ていても飽きない。
境内からは美しい那智の滝と三重塔が見渡せる。
佐藤佐太郎の歌碑。
「冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ」
『形影』所収の昭和43年の作品。今回現地に足を運んでよくわかったのだけど、那智の滝(の下半分くらい)は実際にまっすぐ落ちる時と斜めになる時がある。もともと逆Yの字状に広がっているのだが、風によって片方だけに流れることがあるのだ。
ちなみに、朱色の三重塔は昭和47年の再建なので、佐太郎が訪れた時にはまだ建っていなかったはず。
三重塔の三階から眺めた那智の滝。
参拝料300円で中に入ることができる。
上田三四二の歌碑。
「瀧の水は空のくぼみにあらはれて空ひきおろしざまに落下す」
『遊行』の一首。最初に左下の「三四二」の部分が見えて、万葉集の歌番号かと思ってしまった。
三重塔の近くに立つ歌碑だが、このあたりからでは「空のくぼみに」という感じではない。滝口は緑の樹木に囲まれていて、空とはつながっていない。
滝壺近くの飛瀧神社(ひろうじんじゃ)から見た那智の滝。
ここまで来ると「空のくぼみに」という感じになる。
お滝拝所舞台参入料300円を払って、さらに近くへ。
かなり大きな音も響いてきて、ずっと見ていても飽きない。
2020年11月18日
那智(その1)
2020年11月12日
山梨から帰宅
今回は初めて、京都〜甲府の夜行バスを使った。
朝6:52、甲府駅着。
とりあえず、武田信玄。
甲府駅からJR身延線で50分、鰍沢口(かじかざわぐち)駅で下車。ここから、1日4本しかない身延町営バスで母の家に行く。
バスの到着時刻まで、しばらく付近を散歩。
「かじかざわ」と言えば、葛飾北斎の富嶽三十六景に「甲州石班沢(かじかざわ)」という一枚がある。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai062/
今ではもうこんな風景は見られないけれど。
バスに揺られること50分で、母の家の最寄りのバス停に到着。
富士川と色づき始めた山なみ。
もう紅葉のシーズンなのであった。
朝6:52、甲府駅着。
とりあえず、武田信玄。
甲府駅からJR身延線で50分、鰍沢口(かじかざわぐち)駅で下車。ここから、1日4本しかない身延町営バスで母の家に行く。
バスの到着時刻まで、しばらく付近を散歩。
「かじかざわ」と言えば、葛飾北斎の富嶽三十六景に「甲州石班沢(かじかざわ)」という一枚がある。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai062/
今ではもうこんな風景は見られないけれど。
バスに揺られること50分で、母の家の最寄りのバス停に到着。
富士川と色づき始めた山なみ。
もう紅葉のシーズンなのであった。
2020年11月10日
山梨へ出発
今日の夜行バスで山梨へ行き、明日、あさってと母の家で過ごす。
23:03京都駅発のバスに乗って、向こうの家に着くのは明朝9:45頃の予定。寒くなってきたけれど、幸い天気は良いみたいだ。
23:03京都駅発のバスに乗って、向こうの家に着くのは明朝9:45頃の予定。寒くなってきたけれど、幸い天気は良いみたいだ。
2020年10月05日
舞鶴(その2)
東舞鶴駅から徒歩で海の方へと向かう。
1972年に廃線となった中舞鶴線の跡地が、今では遊歩道となって整備されている。
北吸トンネル。
1904(明治37)年完成のレンガ造りの美しいトンネルだ。
途中駅があった「東門駅」の跡。
「しんまいづる(新舞鶴)」はかつての「東舞鶴」のこと。
海沿いの「舞鶴赤れんがパーク」には、明治から大正期に建てられた旧海軍鎮守府の倉庫が12棟ある。それぞれ「赤れんが博物館」「舞鶴市政記念館」、イベントホール、土産物店、カフェなどとして利用されている。
舞鶴には他にも海上自衛隊が管理する「海軍記念館」や「東郷邸」などがあるのだが、残念ながら今はコロナ対策のために見学中止となっている。
1972年に廃線となった中舞鶴線の跡地が、今では遊歩道となって整備されている。
北吸トンネル。
1904(明治37)年完成のレンガ造りの美しいトンネルだ。
途中駅があった「東門駅」の跡。
「しんまいづる(新舞鶴)」はかつての「東舞鶴」のこと。
海沿いの「舞鶴赤れんがパーク」には、明治から大正期に建てられた旧海軍鎮守府の倉庫が12棟ある。それぞれ「赤れんが博物館」「舞鶴市政記念館」、イベントホール、土産物店、カフェなどとして利用されている。
舞鶴には他にも海上自衛隊が管理する「海軍記念館」や「東郷邸」などがあるのだが、残念ながら今はコロナ対策のために見学中止となっている。
2020年10月04日
舞鶴(その1)
日帰りで舞鶴へ行ってきた。
お城のある西舞鶴には行ったことがあるが、かつての(今も)軍港だった東舞鶴は初めて。京都駅から特急で約1時間40分。
まずは東舞鶴駅からバスで舞鶴引揚記念館へ。
市街地から少し離れた場所にあるのだが、多くの来場者で賑わっていた。展示内容も充実しているし、説明して下さるボランティアの方々もいて、時代背景などがよくわかる。
「白樺日誌」。
シベリアに抑留された滝野修さんが、木の皮に書いて日本に持ち帰った日記。短歌と俳句、200首あまりが記されている。この「白樺日誌」を含む570点の資料が、現在、ユネスコ世界記憶遺産に登録されている。
ラーゲリ(収容所)での食事風景。
抑留生活体験室。
寒い室内で、実際に狭いベッドに寝たり、衣類に触れたりすることができる。
お城のある西舞鶴には行ったことがあるが、かつての(今も)軍港だった東舞鶴は初めて。京都駅から特急で約1時間40分。
まずは東舞鶴駅からバスで舞鶴引揚記念館へ。
市街地から少し離れた場所にあるのだが、多くの来場者で賑わっていた。展示内容も充実しているし、説明して下さるボランティアの方々もいて、時代背景などがよくわかる。
「白樺日誌」。
シベリアに抑留された滝野修さんが、木の皮に書いて日本に持ち帰った日記。短歌と俳句、200首あまりが記されている。この「白樺日誌」を含む570点の資料が、現在、ユネスコ世界記憶遺産に登録されている。
ラーゲリ(収容所)での食事風景。
抑留生活体験室。
寒い室内で、実際に狭いベッドに寝たり、衣類に触れたりすることができる。
2020年09月24日
母の家へ
1泊2日で母の家に行ってきた。
新幹線と特急「ふじかわ」を乗り継いで4時間、下部温泉駅からレンタカーで約20分。
今回は大学病院へ検査結果を一緒に聞きに行く。
病院は母の家から車で約1時間。
医師の話を5分ほど聞いて、支払いは70円。
みなさん親切で丁寧でありがたいのだけれど、こういうのこそオンラインで済ませられないのかなとも思う。
母の家の裏手は草刈りができずに、ジャングルのようになっている。
そこにヒガンバナが赤く咲いていた。
母は話に聞いていたよりは元気そうだった。
まあ、僕が知っているのは僕と一緒にいる時の母の姿だけなので、ふだんとは違うのだろうけれど。
身延町から給付された商品券があったので、鉄板焼きレストランにご飯を食べに行った。母はハンバーグランチを頼んだのだけど、僕のステーキ重が来ると「美味しそうね」と言って何切れかつまんだ。
新幹線と特急「ふじかわ」を乗り継いで4時間、下部温泉駅からレンタカーで約20分。
今回は大学病院へ検査結果を一緒に聞きに行く。
病院は母の家から車で約1時間。
医師の話を5分ほど聞いて、支払いは70円。
みなさん親切で丁寧でありがたいのだけれど、こういうのこそオンラインで済ませられないのかなとも思う。
母の家の裏手は草刈りができずに、ジャングルのようになっている。
そこにヒガンバナが赤く咲いていた。
母は話に聞いていたよりは元気そうだった。
まあ、僕が知っているのは僕と一緒にいる時の母の姿だけなので、ふだんとは違うのだろうけれど。
身延町から給付された商品券があったので、鉄板焼きレストランにご飯を食べに行った。母はハンバーグランチを頼んだのだけど、僕のステーキ重が来ると「美味しそうね」と言って何切れかつまんだ。
2020年09月17日
玄武洞
豊岡演劇祭のついでに、近くの玄武洞にも行ってみた。
160万年前の火山活動によって形成された柱状節理が有名なところ。
対岸のJR玄武洞駅から玄武洞ミュージアムが運営する渡し船が出ている。片道7分、400円。今ではほとんどの観光客が車で直接玄武洞に来ているようだけれど、この渡し舟はおススメ。円山川の川風が心地よい。→渡し船のチラシ
今回、玄武洞に来て初めて知ったことがいくつかある。
有名な観光地には「写真で見た時はすごかったけれど、実物は今ひとつ」というものがけっこう多いのだが、この玄武洞は反対に、写真で見るより実物の迫力が上回っている。
こちらは青龍洞。
柱状節理の美しさでは玄武洞より上かもしれない。
玄武洞はかつてはもっと規模が大きかったらしい。1925(大正14)年の北但馬地震でかなり崩落してしまったのだ。大正時代の絵葉書を見ると、ギリシア神殿のように整然と洞窟に柱が立っていた様子がわかる。
当時は洞窟の中にも自由に入れたようで、そんなのどかな時代が今では羨ましい。
160万年前の火山活動によって形成された柱状節理が有名なところ。
対岸のJR玄武洞駅から玄武洞ミュージアムが運営する渡し船が出ている。片道7分、400円。今ではほとんどの観光客が車で直接玄武洞に来ているようだけれど、この渡し舟はおススメ。円山川の川風が心地よい。→渡し船のチラシ
今回、玄武洞に来て初めて知ったことがいくつかある。
・玄武洞自体は自然にできた地形だが、洞になっている部分はかつての石の採掘跡。
・玄武洞だけでなく、青龍洞、白虎洞、北朱雀洞、南朱雀洞もある。
・玄武岩の名前は玄武洞に由来している。
有名な観光地には「写真で見た時はすごかったけれど、実物は今ひとつ」というものがけっこう多いのだが、この玄武洞は反対に、写真で見るより実物の迫力が上回っている。
こちらは青龍洞。
柱状節理の美しさでは玄武洞より上かもしれない。
玄武洞はかつてはもっと規模が大きかったらしい。1925(大正14)年の北但馬地震でかなり崩落してしまったのだ。大正時代の絵葉書を見ると、ギリシア神殿のように整然と洞窟に柱が立っていた様子がわかる。
当時は洞窟の中にも自由に入れたようで、そんなのどかな時代が今では羨ましい。
2020年09月11日
蓮華寺(その4)
蓮華寺と言えば・・・亀である。
昭和5年の「近江番場八葉山蓮華寺小吟」の一首。
この歌には詞書がある。
何とも生々しい話である。
茂吉は「作歌四十年」で、この歌について次のように書いている。
ここで「感動」とあるのは、文字通り深く感じて心が動いたという意味だろう。いかにも茂吉らしい。
さて、今回、蓮華寺の境内を歩き回ってみたところ、3か所に池があった。
本堂前の小さな池。
本堂とつながる庫裡の庭園にある池。
亀の姿は見えなかったが、いただいたパンフレットに「庭園の池でゆったりと泳ぐ鯉と甲羅干しのため池から上がった亀のユーモラスな姿が心を和ませます」と記されている。
本堂の裏手にある鬱蒼とした池。
茂吉が「この寺の裏手に池がある。水も湧き雨水が溜まって幽邃なところである」と書いているのを見る限り、歌に詠まれた亀はこの池のものではないかと思う。
石亀の生める卵をくちなはが待ちわびながら呑むとこそ聞け
『たかはら』
昭和5年の「近江番場八葉山蓮華寺小吟」の一首。
この歌には詞書がある。
この寺に沢ありて亀住めり。亀畑に来りて卵を生む。縞蛇という蛇、首を深く土中にさし入れて亀の卵を食うとぞ
何とも生々しい話である。
茂吉は「作歌四十年」で、この歌について次のように書いている。
この寺の裏手に池がある。水も湧き雨水が溜まって幽邃なところである。そこの石亀が陸地にあがって来て卵を生むと、蛇がその卵を呑む事実を、ここの寺の石川隆道さんが話してくれた。亀は卵を呑まれるとも知らず、心を安んじて池に帰ってゆくさうであった。蛇は多分地むぐりという奴で、何でも首をつきさすやうにして亀の卵を発見するさうであった。私はこの話にひどく感動して、いろいろと難儀して作ったがどうにか物になったやうである。
ここで「感動」とあるのは、文字通り深く感じて心が動いたという意味だろう。いかにも茂吉らしい。
さて、今回、蓮華寺の境内を歩き回ってみたところ、3か所に池があった。
本堂前の小さな池。
本堂とつながる庫裡の庭園にある池。
亀の姿は見えなかったが、いただいたパンフレットに「庭園の池でゆったりと泳ぐ鯉と甲羅干しのため池から上がった亀のユーモラスな姿が心を和ませます」と記されている。
本堂の裏手にある鬱蒼とした池。
茂吉が「この寺の裏手に池がある。水も湧き雨水が溜まって幽邃なところである」と書いているのを見る限り、歌に詠まれた亀はこの池のものではないかと思う。
2020年09月10日
蓮華寺(その3)
蓮華寺は想像していたよりもだいぶ大きな寺であった。浄土宗の寺としては、総本山の知恩院、大本山の7か寺に次ぐ地位を占めているようだ。
http://otera.jodo.or.jp/honzan/
現在では浄土宗であるが、昭和17年までは時宗に属していた。ただし一遍とは関係なく、一向上人(俊聖)が開いた寺である。それが江戸幕府の宗教統制により時宗に組み込まれ、時宗一向派の大本山となっていた。
明治以降、一向派は何度か時宗からの独立を政府に願い出たのだが、その請願委員の一人が若き日の窿應和尚であった。結局独立は達成できなかったものの、一遍派とは別の宗規を定めることが認められるという成果を勝ち取った。
窿應和尚が山形の宝泉寺から、時宗一向派大本山の蓮華寺の住職になったのは、そうした経緯を受けてのことだったのだろう。つまり大抜擢だったわけだ。
大正8年に蓮華寺住職となった窿應和尚は、大正13年に脳出血で倒れて寝たきりの生活を送ることになる。茂吉の訪問はその見舞いを兼ねてのものであった。その様子を描いた額が寺には飾られている。
昭和6年の死に際して、茂吉は「窿應上人挽歌」10首(『石泉』)を詠んでいる。
右半身麻痺の生活が9年にも及び、身体には大きな褥瘡ができていた。茂吉の悲痛な思いがよく伝わる。
本堂裏手に立つ「一向杉」。
一向上人が荼毘に付された後に植えられたと伝えられる杉で、樹齢700年。高さ30メートル、幹の周囲は5メートルになる。途中から太く枝分かれしている姿が印象的だ。
http://otera.jodo.or.jp/honzan/
現在では浄土宗であるが、昭和17年までは時宗に属していた。ただし一遍とは関係なく、一向上人(俊聖)が開いた寺である。それが江戸幕府の宗教統制により時宗に組み込まれ、時宗一向派の大本山となっていた。
明治以降、一向派は何度か時宗からの独立を政府に願い出たのだが、その請願委員の一人が若き日の窿應和尚であった。結局独立は達成できなかったものの、一遍派とは別の宗規を定めることが認められるという成果を勝ち取った。
窿應和尚が山形の宝泉寺から、時宗一向派大本山の蓮華寺の住職になったのは、そうした経緯を受けてのことだったのだろう。つまり大抜擢だったわけだ。
大正8年に蓮華寺住職となった窿應和尚は、大正13年に脳出血で倒れて寝たきりの生活を送ることになる。茂吉の訪問はその見舞いを兼ねてのものであった。その様子を描いた額が寺には飾られている。
昭和6年の死に際して、茂吉は「窿應上人挽歌」10首(『石泉』)を詠んでいる。
みほとけに茶呑茶碗ほどの大きさの床ずれありきと泣きかたるかな
右がはの麻痺に堪へたる御体ぞとおもへば九とせは悲しくもあるか
右半身麻痺の生活が9年にも及び、身体には大きな褥瘡ができていた。茂吉の悲痛な思いがよく伝わる。
本堂裏手に立つ「一向杉」。
一向上人が荼毘に付された後に植えられたと伝えられる杉で、樹齢700年。高さ30メートル、幹の周囲は5メートルになる。途中から太く枝分かれしている姿が印象的だ。
2020年08月11日
富川磨崖仏
滋賀県大津市にある富川磨崖仏を見に行った。
JR石山駅からバスに乗り瀬田川に沿って南へ約20分で「鹿跳橋」(ししとびばし)のバス停に着く。かつて弘法大師が鹿に乗って川を渡ったという伝説のある場所。
そこから、信楽川沿いに歩くこと1時間弱。信楽川は美しい渓谷になっていて、キャンプや水遊びをしている人を何組か見かけた。距離はそれほど遠くないのだが、猛暑のため到着する頃には汗だくになる。
正式名称は「阿弥陀三尊不動明王磨崖仏」。
阿弥陀三尊像と不動明王像が刻まれている。
中央の阿弥陀如来像は像高3.64メートル。
耳のあたりから水が湧き出ていることから、別名「耳だれ不動」とも呼ばれ、耳の病気に効験があると言われているそうだ。
JR石山駅からバスに乗り瀬田川に沿って南へ約20分で「鹿跳橋」(ししとびばし)のバス停に着く。かつて弘法大師が鹿に乗って川を渡ったという伝説のある場所。
そこから、信楽川沿いに歩くこと1時間弱。信楽川は美しい渓谷になっていて、キャンプや水遊びをしている人を何組か見かけた。距離はそれほど遠くないのだが、猛暑のため到着する頃には汗だくになる。
正式名称は「阿弥陀三尊不動明王磨崖仏」。
阿弥陀三尊像と不動明王像が刻まれている。
中央の阿弥陀如来像は像高3.64メートル。
耳のあたりから水が湧き出ていることから、別名「耳だれ不動」とも呼ばれ、耳の病気に効験があると言われているそうだ。
2020年08月01日
山梨へ
2泊3日(車中1泊)で山梨の母の家に行ってきた。
行きの京都駅―富士宮駅の夜行バス「フジヤマライナー」は乗客たった3名。以前は外国人観光客で満席の路線だったが、今は夏休みでもガラガラ。
富士宮駅から特急「ふじかわ」に乗り、下部温泉駅下車。
駅前でレンタカーを借りて母の家に行く。自宅から10時間半かかった。
・近所の方との相談
・役場の保健師さんとの相談
・組長さんへの挨拶
・ケアマネさんとの相談
などをする。行方不明の財布や照明用リモコンの捜索もしたが見つからず。
梅雨が明けて2日とも晴天だったのが良かった。
母もいつまで一人暮らしが続けられるかわからないが、一日でも長く自宅で過ごせるようにサポートしていきたい。
帰りは特急と新幹線で帰宅。それでも4時間半はかかる。
行きの京都駅―富士宮駅の夜行バス「フジヤマライナー」は乗客たった3名。以前は外国人観光客で満席の路線だったが、今は夏休みでもガラガラ。
富士宮駅から特急「ふじかわ」に乗り、下部温泉駅下車。
駅前でレンタカーを借りて母の家に行く。自宅から10時間半かかった。
・近所の方との相談
・役場の保健師さんとの相談
・組長さんへの挨拶
・ケアマネさんとの相談
などをする。行方不明の財布や照明用リモコンの捜索もしたが見つからず。
梅雨が明けて2日とも晴天だったのが良かった。
母もいつまで一人暮らしが続けられるかわからないが、一日でも長く自宅で過ごせるようにサポートしていきたい。
帰りは特急と新幹線で帰宅。それでも4時間半はかかる。
2020年07月18日
雲水寺(その2)
現在は別の寺に変ってしまったこともあって、茂吉や文明ゆかりの品などは残されていないが、歌会に使っていたという茶室を見せていただくことができた。
茶室は渡り廊下を通って行った先にあり、窓からは隣接する天王寺公園の大きな池が見渡せる。なるほど、歌会をするには恰好の部屋だ。
三間続きになっていて襖を取り払えばけっこうな広さだが、さすがに90名は入らないだろう。普段の歌会はここを使って、茂吉が来た時などは大広間を利用したのかもしれない。
茶室は渡り廊下を通って行った先にあり、窓からは隣接する天王寺公園の大きな池が見渡せる。なるほど、歌会をするには恰好の部屋だ。
三間続きになっていて襖を取り払えばけっこうな広さだが、さすがに90名は入らないだろう。普段の歌会はここを使って、茂吉が来た時などは大広間を利用したのかもしれない。
茂吉らの歌会開きし雲水寺にアララギに繋がる吾らの集ふ
昭和十年五月五日の憲吉忌茂吉文明ら雲水寺に集ひき
選火にも焼けず残りし雲水寺人手に渡り寺の名変へき
横山季由「天王寺七坂」(「現代短歌」2015年9月号)
2020年07月17日
雲水寺(その1)
JR天王寺駅から歩いて10分ほどのところに、統国寺という名前のお寺がある。
現在は在日本朝鮮仏教徒協会の傘下にある寺だが、もともとは黄檗宗の邦福寺という寺で、大勢の雲水がいたことから別名雲水寺とも呼ばれていた。
この雲水寺は、かつてアララギの大阪歌会が開かれ、土屋文明や斎藤茂吉も訪れた場所である。
これは昭和3年の作品。
また、杉浦明平『明平、歌と人に逢う』には、昭和8年4月に斎藤茂吉が参加して行われた歌会の様子が詳しく描かれている。
この時の歌会には茂吉以外に、上村孫作、大村呉楼、鈴江幸太郎、樋口賢治、中島栄一、高安やす子といった面々が参加していた。
現在は在日本朝鮮仏教徒協会の傘下にある寺だが、もともとは黄檗宗の邦福寺という寺で、大勢の雲水がいたことから別名雲水寺とも呼ばれていた。
この雲水寺は、かつてアララギの大阪歌会が開かれ、土屋文明や斎藤茂吉も訪れた場所である。
茶臼山雲水寺歌会
ひろき室にもの言ひつかれ終日(ひねもす)に恋ひし日影は夕暮となる
竹村(たかむら)はひとひ日あたれり夕影(ゆふかげ)に池より立ちし鳥のしろけれ
土屋文明『往還集』
これは昭和3年の作品。
また、杉浦明平『明平、歌と人に逢う』には、昭和8年4月に斎藤茂吉が参加して行われた歌会の様子が詳しく描かれている。
会場の茶臼山雲水寺は省線の天王寺駅からそんなに遠くなかった。(・・・)出席者は九十人の盛会だった。
この時の歌会には茂吉以外に、上村孫作、大村呉楼、鈴江幸太郎、樋口賢治、中島栄一、高安やす子といった面々が参加していた。
2020年06月11日
2泊3日
2泊3日で山梨の母の家に行ってきた。
まず、新幹線と特急を使ってJR身延線の「下部温泉駅」まで行く。そこから、一日数本のバスに乗って「飯富病院」のバス停へ。さらに徒歩20分くらいで到着。朝9:30に家を出て、母の家に着いたのは午後2:40。けっこう遠い。
家の近くを流れる富士川は日照り続きで水量がかなり減っている。
庭のつつじが満開できれい。
日差しが強くて、もう夏みたい。外を歩くと汗が流れる暑さである。
連れ合いを亡くして母が一人暮らしになってから、もう6年。4年前からは認知症を患っていて、いつまで自宅で暮らせるか心配な状態が続く。今は近所の方の助けに加えて、週2回のヘルパーさんと週2回のデイサービスを頼んでいる。
それでも、思ったより元気そうだったので安心した。ちょうどテレビで「NHK短歌」の再放送をやっていたので、一緒に見られて良かった。
まず、新幹線と特急を使ってJR身延線の「下部温泉駅」まで行く。そこから、一日数本のバスに乗って「飯富病院」のバス停へ。さらに徒歩20分くらいで到着。朝9:30に家を出て、母の家に着いたのは午後2:40。けっこう遠い。
家の近くを流れる富士川は日照り続きで水量がかなり減っている。
庭のつつじが満開できれい。
日差しが強くて、もう夏みたい。外を歩くと汗が流れる暑さである。
連れ合いを亡くして母が一人暮らしになってから、もう6年。4年前からは認知症を患っていて、いつまで自宅で暮らせるか心配な状態が続く。今は近所の方の助けに加えて、週2回のヘルパーさんと週2回のデイサービスを頼んでいる。
それでも、思ったより元気そうだったので安心した。ちょうどテレビで「NHK短歌」の再放送をやっていたので、一緒に見られて良かった。
2020年01月29日
東京、山梨
2020年01月25日
武生、福井
2020年01月09日
2019年11月26日
東京へ
1泊2日で東京へ。
今日は18:00から第6回佐藤佐太郎短歌賞(谷岡亜紀さん)と
第7回現代短歌社賞(森田アヤ子さん、北山あさひさん)の授賞式。
明日は啄木関連の取材をする予定。
ただ、天気がどうなるか。
明日は雨みたいだな。
今日は18:00から第6回佐藤佐太郎短歌賞(谷岡亜紀さん)と
第7回現代短歌社賞(森田アヤ子さん、北山あさひさん)の授賞式。
明日は啄木関連の取材をする予定。
ただ、天気がどうなるか。
明日は雨みたいだな。
2019年11月11日
吉野川市歌人クラブ10周年記念短歌大会
2019年10月24日
2019年10月23日
続・江北図書館
9月15日に書いた「江北(こほく)図書館」に行ってきた。
http://matsutanka.seesaa.net/article/470116062.html
JR北陸本線「木ノ本」駅の東口を出てすぐ。
ただし、駅から見えるのは蔦に覆われた建物の側面なので、パッと見ただけではわからない。
http://matsutanka.seesaa.net/article/470116062.html
JR北陸本線「木ノ本」駅の東口を出てすぐ。
ただし、駅から見えるのは蔦に覆われた建物の側面なので、パッと見ただけではわからない。
2019年08月29日
山梨(2泊3日)
母の介護認定の訪問調査に立ち会うため、山梨の身延町へ行く。
これまでは最寄りの下部温泉駅まで車で迎えに来てもらっていたのだが、もうすぐ母は車の運転ができなくなるので、今回は特急で一つ先の甲斐岩間駅まで行く。
駅前にあるバス停から身延町営バスに乗る。8人乗りのジャンボタクシーのようなバス。母の家の近くのバス停を通る路線があるので有難い。
運賃も200円と格安。下部温泉駅からタクシーに乗ると2500円くらいかかるので、この値段は助かる。
僕以外の乗客は運転手も含めてみな顔なじみのようで、最近の天気や畑の作物の出来具合などの話が続く。
母は元気そうだったので良かった。
認定調査も無事に済んで、夜はご近所の方も交えて11時過ぎまでお喋りを楽しんだ。秋には母を連れて一度東京にも行ってみたいと思う。
これまでは最寄りの下部温泉駅まで車で迎えに来てもらっていたのだが、もうすぐ母は車の運転ができなくなるので、今回は特急で一つ先の甲斐岩間駅まで行く。
駅前にあるバス停から身延町営バスに乗る。8人乗りのジャンボタクシーのようなバス。母の家の近くのバス停を通る路線があるので有難い。
運賃も200円と格安。下部温泉駅からタクシーに乗ると2500円くらいかかるので、この値段は助かる。
僕以外の乗客は運転手も含めてみな顔なじみのようで、最近の天気や畑の作物の出来具合などの話が続く。
母は元気そうだったので良かった。
認定調査も無事に済んで、夜はご近所の方も交えて11時過ぎまでお喋りを楽しんだ。秋には母を連れて一度東京にも行ってみたいと思う。
2019年08月09日
山梨へ(3泊4日)
2019年06月24日
鳥取(1泊2日)
22日(土)は8:50京都駅発のスーパーはくと3号で鳥取へ。11:57着。
13:00から国民宿舎「ニュー砂丘荘」で塔とっとり砂丘歌会。
参加者32名と大盛況。17:00まで。
その後、砂丘を散策して夕食。
夕食後はマイクロバスで近くの川辺に行って蛍を見る。
21:00から宿舎の部屋に集まって懇親会。
23:00頃に解散。
23日(日)は9:00から「砂の美術館」へ。
「世界旅行・南アジア編」というテーマで、ガンジー、モヘンジョダロ、バーミヤンの大仏など21点が展示されている。作品の質が非常に高い。遠近法などを用いて立体的な奥行きを生み出している。
その後、有島武郎と与謝野晶子の歌碑を見学して11:00に新日本海新聞社のホールへ到着。
13:00から現代歌人集会春季大会 in 鳥取。
「前川佐美雄と塚本邦雄〜鳥取からはじまった」をテーマに17:00まで。
参加者は100名ほど。
いろいろと学ぶことの多い内容であった。
特に前川佐美雄『積日』の歌が印象的だったので、読んでみようと思う。
帰りは18:40鳥取駅発のスーパーはくと14号で京都へ。
京都駅21:37着。
久しぶりにお会いした方も多く、密度の濃い楽しい二日間だった。
13:00から国民宿舎「ニュー砂丘荘」で塔とっとり砂丘歌会。
参加者32名と大盛況。17:00まで。
その後、砂丘を散策して夕食。
夕食後はマイクロバスで近くの川辺に行って蛍を見る。
21:00から宿舎の部屋に集まって懇親会。
23:00頃に解散。
23日(日)は9:00から「砂の美術館」へ。
「世界旅行・南アジア編」というテーマで、ガンジー、モヘンジョダロ、バーミヤンの大仏など21点が展示されている。作品の質が非常に高い。遠近法などを用いて立体的な奥行きを生み出している。
その後、有島武郎と与謝野晶子の歌碑を見学して11:00に新日本海新聞社のホールへ到着。
13:00から現代歌人集会春季大会 in 鳥取。
「前川佐美雄と塚本邦雄〜鳥取からはじまった」をテーマに17:00まで。
参加者は100名ほど。
いろいろと学ぶことの多い内容であった。
特に前川佐美雄『積日』の歌が印象的だったので、読んでみようと思う。
帰りは18:40鳥取駅発のスーパーはくと14号で京都へ。
京都駅21:37着。
久しぶりにお会いした方も多く、密度の濃い楽しい二日間だった。