2023年09月28日

彼岸花

亀岡市に彼岸花を見に行った。
亀岡駅からバスで10分ほどのところ。


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畦に沿って彼岸花が咲いている。
今年は猛暑のため例年より開花が遅れたそうだ。


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彼岸花の「赤」と露草の「青」。


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一か所に群れて咲いている彼岸花もある。


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 西国三十三所の「穴太寺」(あなおうじ)の仁王像。
 吽形。


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 阿形。


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落ち着いた雰囲気の庭園。

本堂には寝釈迦(釈迦如来大涅槃像)が祀られ、撫で仏として参拝者に親しまれている。


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畦道をぐるぐる歩き回る。
写真を撮っている人もちらほら見かけた。


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長かった夏もようやく終わり、秋になったという感じがする。

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2023年09月04日

温泉津温泉(その2)

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沖泊港。

温泉津港から海岸沿いに数百メートル進んだところにある。かつて石見銀山の銀の積み出し港として栄えたところ。


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江戸時代には北前船の寄港地でもあった。


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沖泊の岸から見た海。
今は十数軒の集落があるだけで、ひっそりとした場所になっている。


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鼻ぐり岩。
船を係留するための穴の空いた岩が、今も数多く残っている。


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岸の近くで見かけたクラゲ。
誰もいない海で数匹がのんびりと泳いでいた。

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2023年09月03日

温泉津温泉(その1)

先日、益田市で開催された「人麿の里全国万葉短歌大会」を終えて、温泉津(ゆのつ)温泉に泊まった。JR温泉津駅から徒歩約15分。国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている古い町並みが残る。


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共同浴場「元湯泉薬湯(せんやくとう)」。

入浴料450円。浴槽が3つあって、初心者用、普通、熱めとなっていて、熱めの湯は46℃くらいあるようだ。1300年の歴史を誇るだけあって、雰囲気もお湯も素晴らしい。


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共同浴場「薬師湯」。

入浴料600円。こちらは明治5年の浜田地震で湧き出た温泉。浴室には一面に湯の花が付着していて最高の味わいである。


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2階の休憩室。無料でくつろぐことができる。


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3階(屋上)のガーデンテラスからの眺め。
石州瓦の町並みが続いていて、風呂上がりの身体に風が涼しい。


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今回泊まったゲストハウス「湯るり」。
築145年の古民家を改装した建物で、外国人の利用も多いようだ。


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温泉津港。
ここから数百メートルにわたって温泉街が続いている。


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野口雨情の詩碑。

戦時中の昭和18年4月に温泉津を訪れたとのこと。「向かう笹島日の入る頃は磯の千鳥もぬれて啼く」。

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2023年08月28日

帰宅

2泊3日の島根旅行から帰ってきました。

京都→益田(多田温泉泊)→人麿の里全国万葉短歌大会→温泉津(温泉津温泉泊)→京都

大会では初めての方や久しぶりの方に、たくさんお会いできました。
お招きいただき、ありがとうございました。

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2023年08月27日

人麿の里全国万葉短歌大会

今日は13:30から島根県芸術文化センターグラントワ(益田市)で、柿本人麿没後1300年記念事業「人麿の里全国万葉短歌大会」があります。

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2023年08月26日

益田へ

島根県益田市へ行ってきます。
京都から5時間くらい。

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2023年07月21日

富山・岩瀬(その2)

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北前船廻船問屋「森家」。
国指定重要文化財。明治11年に建てられたもの。


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オイ(広間)の見事な梁組。
北前船の模型も飾られている。


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「食堂天保」の白えび海鮮丼(白えびコロッケ付)。
美味しかったです。


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旧東岩瀬駅舎。

国鉄・JR時代の古い駅舎が休憩所になって保存されている。すぐ横に現在のLRT(次世代型路面電車)の駅がある。富山港線は本数も増え、富山駅の南側への直通運転もして、かなり便利になっている。LRT化の成功例と言っていいだろう。


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富山地方鉄道9000形電車(セントラム)。
こんなカッコいい車両が走っている。


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富山から京都・大阪へ向かう高速バスから見た砺波平野。
良い旅でした。

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富山、岩瀬(その1)

「現代歌人集会春季大会 in 富山」終了後、いなり鉱泉で1泊して翌日、富山港に近い岩瀬まで行ってきた。


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富岩運河環水公園。

「世界一美しい」スターバックスなどがあり、人気の観光スポットなっている。富岩運河(富山〜岩瀬)は昭和9年の完成。富山港までの物資の輸送を担ったほか、掘削した土砂を用いて市街地に残っていた神通川の旧流路の埋立も行った。まさに一石二鳥である。


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天門橋の上からの眺め(東側)。
左端に少し見えているのがスタバ。


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天門橋の上からの眺め(西側)。

岸に観光船が3隻泊まっているのが見える。これから乗る「富岩水上ライン」の船だ。高度経済成長期以降使われなくなった運河を保存・再生し、観光に活用している。


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中島閘門。国指定重要文化財。

運河の途中に水位差2.5メートルを調整する閘門が設けられている。パナマ運河と同じ方式の「水のエレベーター」で、船に乗ったまま2.5メートル下降していくところ。


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岩瀬はかつて北前船で栄えた町。
旧北国街道沿いに古い街並みが残っている。


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旧馬場家住宅。
北陸の「五大北前船主」の一つ。


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立派な梁組。


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縁側から眺めた庭園。


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洗面所にあるステンドグラス。

迷子になってしまいそうなほど部屋数が多くて広い。観覧料は「馬場家・森家共通券」で180円と格安。

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2023年07月03日

堀之内、小出、只見(その4)

ダムに沈んだ田子倉集落の歴史を伝える「ふるさと館田子倉」、只見町の自然をテーマにした「ただみ・ブナと川のミュージアム」を見学したあと、三石神社へ向かう。

駅の裏手の山の中腹に3つの大きな岩があって、ご神体として祀られているとのこと。いわゆる「磐座」(いわくら)である。これは、見に(拝みに)行かなければなるまい。


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一の岩。

山道を15分くらい登るといきなり現れる。岩の下側の鳥居の奥に穴が空いている。「この岩の穴に頭を入れてお祈りすると頭が良くなり頭の病気も治るといわれている」。

雨上がりで地面が濡れていたので、残念ながらこれはパス。


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泪岩(二の岩)。

一の岩からY字になった道を左手に進むとすぐ。「不思議なことに昔から夏の暑い日でもこの岩から水が沁み出ており涙を流しているようでその水を目につけると目の病気が治るといわれている」。

実際に岩からポタポタと滴が落ちてくる。目の病気はないけれど、滴を両方の目に受けておいた。


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縁結び岩(三の岩)。

一の岩からY字になった道を右手に進むとすぐに見えてくる。真打登場という感じで、とにかく迫力がすごい。岩の下の洞の部分が社になっている。


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横から見るとこんな感じ。ちょっと秘密基地みたいでわくわくする。

「岩の小さな穴を見つけ、ヒモを通して結ぶことができれば縁がむすばれるといわれている」そうで、穴にはたくさんの細紐が通され、五円玉がぶら下がっていた。

その後、食事したり、カフェで休んだりしていたところ、午後3時半ころから激しい雨となり、只見線が運行休止となってしまった……。仕方がないので、駅前の旅館に泊まる。


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宿泊した「只見荘」。

飛び込みの客だったにもかかわらず、とても親切で丁寧な対応をしていただいた。「これに懲りずにまた来てくださいね」との言葉に送られて、宿を後にする。

只見線は運行再開の見込みだったが、念のため会津田島までバスに乗り、そこから会津鉄道・野岩鉄道・東武鉄道を直通する特急「リバティ」に乗り、北千住→東京→京都というルートで帰ってきた。何ごとも経験だな。


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会津田島駅前に展示されている「C11-254」。

蒸気機関車を見るとつい写真を撮ってしまう。1944年製造の車両。世の中にはすごい人がいるもので、全国に保存されている約600両の蒸気機関車の情報を載せているサイトなどもある。
https://www.steamlocomotivejapan.com/c11-254

こういう情熱にはひたすら感心するばかりだ。

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2023年07月02日

堀之内、小出、只見(その3)


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JR小出駅。

越後堀之内の隣の駅(上越線)であるとともに、只見線の始発駅でもある。駅名板は俳優の渡辺謙が書いたもの。新潟県北魚沼郡広神村(現・魚沼市)出身で、県立小出高校に通っていたらしい。


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小出駅から魚野川を渡った反対側に商店街や魚沼市役所などの市街地があり、そこで1泊する。商店街には宮柊二記念館のチラシが貼られていた。


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小出駅5:36発の只見線の始発列車。

午前中はこれ一本しかない。乗り遅れたら次は13:12発。只見線は昨年10月に11年ぶりに全線運転再開となって話題を呼んだ。観光路線として人気が出ていて、休日には座れないことも多いという。


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福島県に入って最初の只見駅で降りて「たもかく本の店」へ。

読み終わった本と只見の森を交換するという珍しい事業をやっているところ。倉庫を含めると本は150万冊くらいあるらしい。ただし、コロナ禍のため現在は店主一人で運営していて大変なようだ。


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蒸気機関車C58-244。

JR只見駅から200メートルほど離れた只見振興センターの前に保存されている。1940年に製造されたものなので今年で83歳。

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2023年07月01日

堀之内、小出、只見(その2)


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宮柊二の生家跡の「丸末書店」。
今も営業を続けている。


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雁木の続く古い街並み。
商店街になっているが、営業している店は少ない。


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宮柊二の作詞した「堀之内小唄」の歌碑。
7・7・7・5のリズム。

波に陽がさす
早瀬の中を
上る若あゆ
二寸鮎

一人出てみりゃ
磧の河鹿 田戸の
渡しの
灯がうるむ



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堀之内を流れる魚野川。


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宮柊二のお墓があると知って向かう。
案内表示がいくつもあって、ありがたい。


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この石段の先が墓処になっている。


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「宮柊二之墓」。


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全体はこんな感じ。
墓処全体がきれいに掃除され、落ち着いた空間になっていた。

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2023年06月28日

旅行中

旅の空です。
福島県です。

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2023年06月27日

旅行中

旅の空です。
新潟県です。

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2023年05月23日

菅大臣天満宮

京都市下京区にある菅大臣天満宮(菅大臣神社)へ行く。


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入口は北、西、南と3か所あって、これは南側(高辻通)。


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こちらは北側(仏光寺通)の入口に立つ「菅家邸址」の碑。

かつて菅原道真の紅梅殿・白梅殿と呼ばれる屋敷があり、有名な飛梅もあった場所らしい。現在、このあたりの住所は「菅大臣町」となっている。


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同じく北側入口に立つ「天満宮降誕之地」の碑。
道真は何人いるのかと思うくらい、生誕地が何か所もある。


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拝殿。
今はマンションや住宅に囲まれて境内はだいぶ狭くなっている。


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目当ての菅公聖蹟二十五拝の碑。
今回もすぐに見つけることができた。

「聖跡廿五拝」「第三番」「菅大臣天満宮寶前」と刻まれている。
中ほどで一度折れたのを修復した跡が残る。


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側面には発起人2名の名前が記されている。
「東京 松浦武四郎」「西京 畑増尾」。


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松浦武四郎のアップ。
これで京都に現存する3つの石碑はすべて見たことになる。

楽しくなってきたので、他の府県にも足を延ばしてみようかな。

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2023年05月15日

半田へ(その4)

新美南吉を探して雁宿(かりやど)公園へ。


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「貝殻」詩碑。

1961(昭和36)年建立。数多くある南吉の文学碑のうち、最も古いものである。貝殻とアーク灯を組み合わせた形になっている。


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モニュメントには詩の一節「かなしいときは貝殻鳴らそ…」が刻まれている。


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明治天皇半田大本営。

1890年(明治23)年に陸海軍大演習を統監するため、明治天皇が半田に来た時に宿泊した建物。元は「國盛 酒の文化館」の場所にあったのを移築している。


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明治天皇駐蹕碑。

「駐蹕」(ちゅうひつ)は天皇専用の言葉で、「天子の行幸中、一時のりものをとどめること」。標高約40メートルのこの地で、明治天皇は演習をご覧になったらしい。

それを記念して、没後の1913(大正2)年に雁宿公園が整備され、この碑も建てられた。だから、この碑が公園の中心になっている。


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展望台から見た雁宿公園の中心部。


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同じく展望台から見た半田の町並み。遠くに海も見える。


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JR半田駅前にある蒸気機関車C11形265号機。

周辺は現在高架工事中だが、将来的には駅前に明治期の跨線橋や油庫などの鉄道産業遺産を保存する公園ができるらしい。

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2023年05月14日

半田へ(その3)


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半田市のキャッチフレーズは「山車・蔵・南吉・赤レンガの街」。
「ごんぎつね」などで知られる新美南吉(1913‐1943)は、ここ半田に生まれ育った。


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「ひよめのうた」碑。
宿泊したホテル近くの宮池という池のほとりに立っていた。


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南吉の生家(復元)。

通りに面した部分は平屋に見えるが、奥は二階建。父の畳屋と継母の下駄屋も兼ねている。


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矢勝川(やかちがわ)。

兵十がうなぎを捕った舞台になった川。秋になると堤に300万本の彼岸花が咲くらしい。


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新美南吉記念館。

芝生に覆われた曲線が印象的な半地下式の建物が素晴らしい。展示にも工夫があり、直筆の原稿、書簡、ミニチュア、映像などが充実している。


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「権狐草稿」碑。

記念館に隣接する「童話の森」の中にある。南吉の書いた「権狐」は、かなりの改変を経て「ごんぎつね」になった。


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北谷墓地にある南吉の墓。
29歳の若さで亡くなった新美南吉は、今年で生誕110年を迎える。

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2023年05月12日

半田へ(その2)


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重要文化財の旧中埜家住宅。

1911(明治44)年に別荘として建てられたもの。木造2階建て、スレート葺き。今回は外観を見ただけだが、年に数回、内部も公開されている。


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歩いている途中に見かけた「唐子組」の山車の収蔵庫。
半田には市内10地区に計31輌の山車がある。

春に地区ごとの祭りが開かれるほか、5年に一度の「はんだ山車まつり」では31輌が勢揃いするとのこと。次回は今年の10月28、29日。
https://handa-dashimatsuri.jp/


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半田赤レンガ建物。

1898(明治31)年に「カブトビール」の製造工場として建てられたもの。設計は妻木頼黄。サッポロ(札幌)、ヱビス(東京)、キリン(横浜)、アサヒ(大阪)の4大ビールに割って入ろうとした意気込みが伝わる。


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常設展示の入場料(200円)を払うと、スタッフの方がガイドをしてくださった。とても行き届いた説明で、一人では見逃していたポイントをいくつも教えていただいた。


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夕暮れの赤レンガ建物。

戦後は外壁を白く塗られた状態で食品工場として使われていた。平成になって解体される途中で半田市に買い上げられ、耐震工事や復元整備を経て、現在このように公開されている。

建物が残って、ほんとうに良かった。

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2023年05月11日

半田へ(その1)

愛知県半田市は、以前から一度訪れたいと思っていた町。
https://matsutanka.seesaa.net/article/483908963.html
ようやく都合がついて行くことができた。

最寄りのJR藤森駅を5:37に出る始発に乗って、京都、米原、大府で乗り換え、9:19半田駅に到着。新幹線を使わなかったので、片道3時間40分ほどかかった。


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10:00に予約していたMIZKAN MUSEUM(ミツカンミュージアム)を見学する。ミツカングループが運営する醸造酢に関する博物館。コロナ禍で長く休館が続いていたので、再開が嬉しい。

江戸時代に高価な米酢の代わりに酒粕を用いた酢を作って儲けたらしい。それが江戸の寿司の流行につながったのだとか。なるほど。

半田から江戸まで酢の樽を運んだ弁才船も館内に復元されていて、迫力がある。もちろん、酢の歴史だけでなく、ミツカンの酢や味ぽん、「おむすび山」「金のつぶ」などの商品の展示もあり、まさに現代的な企業ミュージアムという感じだ。


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ミュージアムの脇を通る半田運河。
右手に数百メートル行くと、もう海である。
対岸にもミツカングループの建物がならんでいる。


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続いて「國盛 酒の文化館」へ。
中埜酒造株式会社の運営するお酒の博物館。


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酒造りの道具などの他に、河東碧梧桐の書が展示されていた。

書家としても人気なだけあって、独特な存在感のある文字だ。日本酒「國盛」(くにざかり)のラベルにも、この字が使われている。
https://www.nakanoshuzou.jp/product/detail/00132/


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昨年重要文化財に指定された小栗家住宅(萬三商店)。
今も現役の住宅として使われていて、内部は非公開となっている。

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2023年05月06日

菅原院天満宮

京都市上京区にある菅原院天満宮神社へ行く。


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地下鉄の丸太町駅から北へ徒歩数分のところ。
通称「烏丸の天神さん」。


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入口の門の提灯には「菅原道真公御生誕地」とある。

かつて菅原清公(きよきみ)・是善(これよし)・道真の三代の邸宅「菅原院」のあった場所とのこと。


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「菅公御初湯の井」の石碑。
右の奥の方に見えるのが、その井戸である。


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特に説明がなければ、ただの井戸という感じだ。


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詳しい説明版も立っている。
この井戸から汲まれた水が産湯に使われたというわけだ。


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「うつくしや紅の色なる梅の花 阿呼が顔にもつけたくぞある」

道真が5歳の時に詠んだと伝えられる和歌。
「阿呼」(あこ)というのは道真の幼名らしい。


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いよいよ目当ての石碑へ。
境内が広くないので、今回はすぐに見つかった。

正面には「聖跡廿五拝」「第壹番」「菅原院天満宮寶前」とある。


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側面は「願主 松浦武四郎」「世話人 畑増尾」。

松浦武四郎! 会えて嬉しい。

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2023年05月02日

近江八幡(その2)

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旧伴家住宅のある新町通り。
古い町並みが続いている。


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白雲館。

明治10年に八幡東小学校として建てられ、現在は観光案内所や市民ギャラリーとして使われている。玄関の上に唐破風があり、屋根には太鼓楼が載る擬洋風建築。


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時代劇の撮影などでも使われる八幡堀。
時おり堀めぐりの舟が通っていく。


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ロープウェーで八幡山(272m)にのぼると、眼下に琵琶湖が広がっている。何とも気持ちのいい風景だ。

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2023年05月01日

近江八幡(その1)

先日、フレンテ歌会のメンバー6名で近江八幡へ吟行に行った。


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旧伴家住宅。

江戸時代の豪商「伴庄右衛門」の本家として、1827年から1840年にかけて建てられた商家。三階建ての大きな建物で、明治以降は役場や小学校、図書館などに使われ、2004年から一般公開されている。


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入口の土間の奥にある吹き抜け。

3階の屋根裏まで続いていて、煙出し部分の明かりが見える。


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2階の45畳の大広間。

蚊帳の縫製などが行われていたらしい。窓の上には長さ14メートルの赤松の梁がある。


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3月に行われる左義長まつりの山車。

毎年干支にちなんだ飾りが、食べ物を使って作られる。兎の毛は「春雨」、法被は「寒天」、鯉は「スルメ」、波は「玉ねぎの皮」でできている。手の込んだ力作だ。

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2023年04月14日

吉祥院天満宮(その2)

北海道・樺太を探検したことで知られる松浦武四郎は、実に多面的でさまざまな業績を残している。

その一つに、「菅公聖蹟二十五拝」の制定がある。これは、北野天満宮(京都)、大阪天満宮(大阪府)、厳島神社天神社(広島県)、太宰府天満宮(福岡県)など、菅原道真とゆかりの深い天満宮25社を巡拝するもの。

松浦は1875年から1886年にかけて25社に神鏡を奉納し、石碑を建立した。また「聖跡二十五拝順拝双六」を発行したりもしている。

ここからが本題なのだが、25社のうち6社が京都にあり、そのうち3社には石碑が現存している。その一つが吉祥院天満宮にあるのだ。

第1番 菅原院天満宮(京都市上京区)*石碑あり
第2番 錦天満宮  (京都市中京区)
第3番 菅大臣天満宮(京都市下京区)*石碑あり
第4番 吉祥院天満宮(京都市南区) *石碑あり
第5番 長岡天満宮 (長岡京市)
第25番 北野天満宮 (京都市上京区)

吉祥院天満宮の境内には数多くの石碑や石柱が立っていて、見つけるのに時間がかかった。20分くらい探し回っただろうか。拝殿前にあるあまり目立たない少し黒ずんだ石が、目当ての石碑であった。


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石碑の表面。

部分的にかなり擦り減っているが、「聖■■■■(蹟廿五拝)」「第四番」「吉祥院天満宮寶前」「望月■■■書」とあるようだ。


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表面の下部。


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石碑の裏面。

こちらには、「発起人 ■■ 松浦武四郎」「資材主 江尻 望月治三郎」と刻まれている。


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裏面の下部。
右側に「松浦武四郎」の文字がはっきりと確認できる。

すごいな、武四郎と京都で会えるなんて!


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藤棚の藤も咲き始めて、とても雰囲気の良い神社だった。
残りの2社も近いうちに訪ねてみよう。

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2023年04月13日

吉祥院天満宮(その1)

京都市南区にある「吉祥院天満宮」へ、とある石碑を見に行く。
JR西大路駅から徒歩で約15分。

創建は934年と古く、菅原道真の生誕地と伝えられている。


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「菅公御誕生之地」の碑。
ただし、京都には他にもいくつか生誕地とされる場所がある。


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菅公胞衣塚。
「胞衣(えな)」は胎盤やへその緒のこと。


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へその緒に因んでへその形の石が祀られている。


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天満宮と言えば、なで牛。
この牛は撫でるだけでなく、お腹をくぐることもできる優れもの。


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「征清之役軍人紀念之碑」。
日清戦争後の1896(明治29)年に建てられた記念碑だ。


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「忠魂碑」。
傍らにツツジが咲き始めている。


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忠魂碑の裏側。

「昭和■辰四月建之」とある。おそらく1928(昭和3)年(戊辰)の建立だろう。下部には「征露之役戦死者」として日露戦争の死者の名が刻まれている。


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新緑に包まれた拝殿。

見どころの多い神社だが、境内には誰もいなくて静かだ。この写真の右側の灯籠の奥の木の左に見える小さな石碑が、今回の目当てのものである。

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2023年03月27日

紀伊風土記の丘

和歌山市にある「紀伊風土記の丘」に行ってきた。


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JR和歌山駅からバスで約20分。
ただし、バスの本数は少ない。


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月曜日だということをすっかり忘れていて、肝心の資料館は休館。
何をやっているんだか。

でも、園内の桜が見事で、子どもからお年寄りまで大勢の人が花見に訪れていた。天気もよく、絶好の花見日和。


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園内には移築された建造物もある。
これは、重要文化財の「旧柳川家住宅・同前蔵」。


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こちらは復元された古墳時代の竪穴式住居。


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圧巻なのは「岩橋千塚古墳群」。
5~7世紀の古墳が園内に約500基、園外も含めると約900基も集まっている。見応えあり。


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「万葉植物園」もあって、見どころの多い場所だ。
広い園内を歩き回るだけでけっこうな運動になる。

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2023年03月11日

月ヶ瀬梅林

暖かくなってきたので、思い立って奈良県の月ヶ瀬梅林へ出掛けた。
JR関西本線の月ヶ瀬口駅から臨時バスで15分ほど。


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梅林入口に立つ石碑。
このあたりは昔ながらの立派な構えの店がならぶ。


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マンホールも梅の図柄。
店で売られているのも、梅干や盆梅や梅ソフトクリームなど。


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その昔、梅干を作るのに使われていたという巨大な桶。
先日読んだ『巨大おけを絶やすな!』を思い出す。
https://matsutanka.seesaa.net/article/498271496.html


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名勝「一目八景」。
眼下に月ヶ瀬湖(名張川)が見え、斜面に梅が咲いている。


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少し別の角度から。
思っていたよりも谷が深い。


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梅の品種園。
いろいろな種類の梅が植えられている。何とものどかな光景だ。


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立派なしだれ梅。


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真福寺の境内に咲く梅。

同じ花見でも梅と桜ではだいぶ雰囲気が違う。華やかな桜に対して、梅は地味だけれど、その分ゆったりと散策を楽しむことができる。

散策路や茶店も昭和の頃の雰囲気を色濃く残していて、何とも良い味わいだった。

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2022年12月26日

松阪へ(その3)

さらに、城跡を歩き続ける。


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本居宣長記念館

重要文化財1,949点を含む約16,000点を収蔵し、自筆稿本や遺品、自画像などを公開している。今は「宣長と春庭」という企画展が開かれていて、これがとても良かった。実物の手紙や稿本の持つ生々しい迫力を感じる。


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本居宣長旧宅(鈴屋)

宣長が60年住んだ家が城跡に移築・保存されている。築300年。


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1階はこんな感じ。
店の間、中の間、奥中の間、仏間、奥座敷などがある。


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2階へのぼる階段

2階に宣長の書斎(鈴屋)があるのだが、見学できるのは1階のみ。建物の外の石垣に上がると2階の書斎が見えるとの案内がある。


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というわけで、外から望遠レンズで捉えた「鈴屋」。

広さは四畳半。床の間に「縣居大人之靈位」(あがたいのうしのれいい)という掛け軸(複製)が見える。これは本来、師の賀茂真淵(縣居大人)の命日に掛けられたものらしい。

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2022年12月25日

松阪へ(その2)

近鉄松坂駅に移動して、市の中心部を見て回る。


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「新上屋跡」

本居宣長と賀茂真淵が会った「松阪の一夜」の舞台となった旅籠のあった所。宝暦13年(1763)5月25日の夜。宣長34歳、真淵67歳。この後、宣長は真淵に入門して手紙で教えを受けることになる。


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三井家発祥の地

豪商三井家の基礎を築いた三井高利(1622‐1694)が生まれ場所。門の中には、高利が産湯を使った井戸や記念碑などがあるらしい。


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松阪城跡

1588年に蒲生氏郷により築かれた城。建物は何も残っていないが、石垣が実に素晴らしい。


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松阪市立歴史民俗資料館

1912年に飯南郡図書館として建てられた建物。1階は松阪商人や松阪木綿、松阪城に関する展示。2階は「小津安二郎松阪記念館」となっていて、青春期を松阪で過ごした小津安二郎の日記や資料が展示されている。


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城跡からの眺め。御城番屋敷のあたりを見下ろす。


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天守閣跡

何重もの高い石垣に沿ってぐるぐる回るようにして、ようやく天守閣跡までたどり着く。天守閣再建の議論もあったらしいが、これだけ立派な石垣や城構えが残っていれば、天守閣なんて要らないでしょう。

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2022年12月24日

松阪へ(その1)

昨日は松阪へ行ってきた。


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目当ては「松浦武四郎記念館」!
近鉄松阪駅の3つ手前の伊勢中川駅から直線距離で約3キロ。

平日だけ運行される「たけちゃんハートバス」(1日5便)というコミュニティバスに乗って約10分で到着。このところ旅先でコミュニティバスに乗ることが増えてきた。


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1994年開館の施設で、今年4月にリニューアルされたばかり。
展示内容が充実していて、工夫されていて、おススメです!


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記念館前の松浦武四郎の歌碑。
「陸奥の蝦夷の千島を開けとて神もや我を作り出しけむ」

(蝦夷地の島々を調べて明らかにするようにと、神様は私を生み出したのであろうよ)という内容で、強い使命感がにじむ。


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近くの松阪市立小野江小学校のコンクリート塀には、松浦武四郎に関する絵が描かれている。


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松浦武四郎の縁で植えられたエゾヤマザクラ。
春に咲いている姿を見に来たい。


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松浦武四郎誕生地。
記念館から歩いて7分くらいのところにある。

主屋と離れが昔の姿に復元保存されているほか、土蔵2棟と納屋も残っている。受付におられたボランティアの方が、とても丁寧に説明をしてくださり、地元の方の武四郎愛を強く感じた。


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家の前を通る道が伊勢街道。伊勢神宮に参拝する人々が大勢行き交った道である。現代の道路を見慣れた目からすると、道幅の狭い脇道にしか見えないが、ここがかつてのメインストリートだったのだ。多くの旅人の姿が武四郎の心を外の世界に向けさせることにもなった。

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2022年11月26日

和歌山へ

中林祥江歌集『草に追はれて』を読む会に参加するため、和歌山へ。

会が始まる前に、会場近くの和歌山城を訪ねる。


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天守閣と御橋廊下。


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名勝 西之丸庭園(紅葉渓庭園)。


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あいにくの曇り空だったけれど、紅葉はきれいに色づいていた。


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一の橋のクスノキ。
樹高25メートル。1945年の和歌山空襲にも耐えて生き延びた木だ。

13:00から「塔」和歌山歌会、その後14:30から『草に追はれて』を読む会を行う。参加者の3首選に多く引かれていた歌は次の通り。

今日も陽は絶好調に昇りきて向日葵の頭(づ)をまづは照らしぬ
雨の前に花はよく咲く蜜蜂とキウイの受粉に励みて居りつ
本を読む少女の靴のつま先が折々あがる朝の電車に
色のよき実に仕上げむと一枚づつ葉を後ろ手のかたちに組ます
十月の畑に生れたる歌ひとつとどめし紙は土の匂ひす
わが憂さが指の先より抜けるゆゑ今日も一日庭の草ひく
この道を歩いてゆけば辿り着く月とおもへり海の一条

久しぶりにお会いする方も多く、楽しく懐かしい一日だった。
ありがとうございました!

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2022年11月19日

今井町へ(その2)


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称念寺のイチョウ。

今井町はもともと、この寺の寺内町として発展してきた歴史がある。本堂は重要文化財。門の前には「明治天皇今井行在所」の石碑が立っている。


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今井まちなみ交流センター「華甍」(はないらか)

明治36年建築の旧高市郡教育博物館。昭和4年からは今井町役場として使われた。現在は今井町の歴史を紹介する資料館となっている。


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「紙半」豊田家住宅。

「紙半」という屋号で、肥料・綿・油・木綿などを扱っていた旧家。道の向かいにある「豊田家記念館」とあわせて入館料300円。


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天井を見ると、昔のままの太い梁が残っている。


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豊田家記念館の敷地にあるカイヅカイブキ。
樹高11.5メートル。樹齢約250年。

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2022年11月18日

今井町へ(その1)

来月の別邸歌会の下見も兼ねて、奈良県橿原市の今井町へ行く。


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蘇武橋のエノキ。

飛鳥川にかかる蘇武橋(そぶはし)の西岸に立っている。今井町の入口に当たる場所だ。樹高14メートル。推定樹齢420年。


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「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている今井町。
東西約600メートル、南北約310メートル。
周囲に堀や土塁をめぐらした環濠集落であった。


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重要文化財9件を含む約500件の伝統的建造物があり、江戸時代の雰囲気を色濃く残している。映画のセットのようにも見えるけれど、普通に人が暮らす生活の場だ。


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重要文化財の旧米谷(こめたに)家住宅。
18世紀中頃の建物で、無料で公開されている。


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かつては「米忠」という屋号で金物商を営んでいたとのこと。
伊右衛門のCMに使われたこともある。
https://www.youtube.com/watch?v=mS1vn1tE5EM

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2022年10月25日

大崎市

先週、国際啄木学会の大会に参加するために、宮城県の大崎市へ行ってきた。大崎市という名前にはなじみがないが、中心地は古川。2006年に古川市と周辺の町が合併して大崎市という名前になったようだ。

せっかくなので少し観光をすることにして、まずは「尿前(しとまえ)の関」(宮城県大崎市鳴子)へ。鳴子温泉の近くである。


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ここは、奥の細道の旅で芭蕉が訪れたところ。

南部道遥に見やりて、岩手の里に泊る。小黒崎・みづの小嶋を過て、なるごの湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に超えんとす。この路(みち)旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸(ようよう)として関をこす。

続いて、県境を越えて「封人(ほうじん)の家」(山形県最上町堺田)へ。正式名は旧有路家住宅で重要文化財に指定されている。


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入口に立つ芭蕉と曾良。

「封人」とは国境を守る人のことで、ここは芭蕉が泊まって有名な句を詠んだ家と伝えられている。

大山をのぼつて日すでに暮ければ、封人の家を見かけて舎(やどり)を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。

  蚤虱馬の尿する枕もと

続いて、封人の家から歩いて「堺田分水嶺」へ。JR陸羽東線(奥の細道湯けむりライン)の堺田駅からすぐのところ。


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ここで左右に分かれた流れは、西側は102km下って山形県酒田市の日本海へ、東側は116km下って宮城県石巻市の太平洋へ向かう。まさに、運命の分かれ道だ。

ちなみに、国際啄木学会の会場となったのは、吉野作造記念館(宮城県大崎市古川)。


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民本主義を唱え大正デモクラシーを主導した政治学者、吉野作造はこの古川の地に生まれた。新幹線の古川駅を出ると「吉野作造生誕の地」という大きな標柱が立っている。

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2022年08月18日

水口町へ

10月に第3回別邸歌会を開催する滋賀県甲賀市水口(みなくち)町へ、下見に出掛けた。


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JR草津線の貴生川駅から近江鉄道に乗る。
今どき珍しい硬券の切符。
ICOCAなどの交通系ICカードは使えないので要注意。


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「近江十景とれいん」と名付けられたラッピングカー。
写真を撮っている人が多い。


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最寄駅の水口石橋駅。
「水口城南」「水口石橋」「水口」「水口松尾」と水口の付く駅が4つ続く。


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水口は東海道の宿場町として栄えたところ。
今も古い町並みが残っている。


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歌会の会場となる旧水口図書館。
昭和3年に建てられたヴォーリズ建築。国登録有形文化財。


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建物は水口小学校の敷地内にあり、さるすべりが咲いていた。
毎月第2・第4日曜日に一般公開されている。


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歌会で使わせていただく2階の部屋。
窓から明るい光が差し込んで良い感じだ。


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徒歩15分くらいのところにある水口城跡。
本丸跡は高校のグラウンドになっている。

宿場町であり、城下町でもあった水口は、他にも見どころが多い。
観光を兼ねて10月2日(日)の別邸歌会にぜひご参加下さい!

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2022年07月10日

豊岡の街歩き

豊岡市はカバンの生産量が日本一。
柳行李から始まる長い伝統を持つ地場産業だ。


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14軒のカバン関連の店が立ち並ぶ「カバンストリート」。


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何とカバンの自動販売機まである!


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豊岡中央公園に展示されているSL。C57形11号。
1937年製造、1972年廃車。260万キロ以上走った車両とのこと。
現役で走った35年間よりも長く、もう50年ここにいることになる。


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寿ロータリー。

日本では珍しいラウンドアバウトになっていて、放射状に6本の道につながっている。地上からの写真ではよくわからないので、案内板にあった高い所からの写真も載せておこう。


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ロータリーに面した会社の建物の3階から撮影したもののようだ。
観光スポットとして開放してもらえないかな〜。


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豊岡市役所旧本庁舎。旧豊岡町役場。
1927年竣工の美しい建物が保存・活用されている。

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2022年06月17日

えきそば

6月26日(日)に姫路文学館の望景亭で歌会をするので、その下見に行ってきた。京都から姫路まで新快速で約1時間30分。

文学館の常設展を見て、事務所の担当の方と話をして、姫路の町をしばらくぶらぶら歩く。

帰りに駅のホームで見かけた「えきそば」。


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姫路の名物の「まねきのえきそば」。

一般的な駅そばとは違う。スタイルは一般的な立ち食いそばだが、蕎麦ではなく中華麺を使っている。

https://www.maneki-co.com/ekisoba/

天ぷらえきそば390円を、平日14:00〜17:00のタイムサービス350円でいただいた。1949年誕生の「えきそば」。これからも長く続いていってほしい。

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2022年06月06日

石田杜


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石田杜(いわたのもり)は万葉集以来の歌枕の地。
京都市伏見区石田森西にある「天穂日命(あめのほひのみこと)神社」が、その地に当たるとされている。現在の地名は「いしだ」。


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神社の入口近くに立つ歌碑。
山科の石田の小野のははそ原見つつか君が山道越ゆらむ
           藤原宇合「万葉集」


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ひぐらしの涙やよそに余るらん秋と石田の森の下風
           順徳院「順徳院御集」


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石の鳥居は裏側から鉄骨で補強されていた。
表から見ると、ほとんどわからないようになっている。

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2022年03月30日

房総旅行(その3)

3日目、旅行の最終日。


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館山は晴れ。東京湾は穏やかに晴れ渡っている。


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JR内房線に乗って、太平洋岸の和田浦まで行くと一転して曇り。
波も立っていて、やはり外海は表情も違う。


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いちめんのなのはな。
房総半島の花シーズンは既に終盤に入っている。

と言っても、別に花を見に来たわけではなくて、目的はクジラ。


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和田浦駅のホームに置かれているツチクジラの頭骨。

2022年1月の水産庁「捕鯨をめぐる情勢」によれば、現在、日本で捕鯨が行われているのは、基地式(小型沿岸)捕鯨が4か所(網走、鮎川、和田、太地)で、母船式が1か所(下関)。和田町では7月から9月にかけてツチクジラを獲っている。


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花夢花夢(カムカム)広場にあるモニュメント。


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「道の駅 和田浦WA・O!」の前に展示されているシロナガスクジラの骨格標本のレプリカ。全長26メートル。


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南房総市役所和田地域センターにある鯨資料館。

日本有数のクジラコレクターである細田徹氏のコレクションの一部が「勇魚文庫・鯨資料館」として展示・公開されている。


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「鯨の郷土玩具」だけでも、全国各地の物が集められており見応え十分の内容だ。


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くじら料理の店「ぴ〜まん」の「くじら御膳(黒滝)」2200円。
https://www.wadapman.com/

赤身と皮の刺身、竜田揚げ、カツ、佃煮など、クジラ尽くしとなっている。どれも美味しい。

ひたすらよく歩いて、よく食べて、よく眠った3日間だった。

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2022年03月29日

房総旅行(その2)

2日目は曇天。

朝から館山海軍航空隊の赤山地下壕跡へ行く。館山は幕末に台場が設置され、明治になってからは東京湾要塞地帯となり、1930年には海軍航空隊が置かれた。現在も海上自衛隊館山航空基地があり、各地に戦争遺跡が残っている。


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地下壕の入口。入壕料は大人200円。
壕に入る際にはヘルメットと懐中電灯を渡される。


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標高60メートルの「赤山」に掘られた地下壕で、総延長は2キロを超える。公開されているのはその一部だが、網目のようになっている通路をかなり自由に見て回ることができる。


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館山周辺は海底が隆起してできた地形で、壕内には美しい地層がくっきりと見えている。


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壁をアップにすると、こんな感じ。


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続いて館山城へ。
里見氏の居城だったところ。


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民謡里見節の詩碑と城。

城は現在、八犬伝博物館になっている。滝沢馬琴『南総里見八犬伝』の舞台である。


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天守閣からの眺め。

目の前に東京湾が広がる。里見氏はこの東京湾の制海権をめぐって、相模の北条氏と長く争っていたらしい。現在の感覚で見ると安房は陸地の外れに見えるのだが、海上交通の盛んだった昔はむしろ最先端の土地であったのだ。

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2022年03月27日

房総旅行(その1)

2泊3日で房総半島を旅行してきた。

行きは京都から新幹線で品川、品川からバスで東京アクアラインを通って木更津へ。その後、内房線で館山へ行って2泊。帰りは金谷港から東京湾フェリーで三浦半島の久里浜港へ。そして、新横浜から新幹線で京都という行程。

初日はロープウェイで鋸山に登る。


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標高329メートル。
かつての石切場などがある山。


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山頂から眺める東京湾。
270度くらい海に囲まれている。


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日本寺の境内にある百尺観音。
圧倒的な大きさだ。完成まで6年の歳月を要したとのこと。


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有名な「地獄のぞき」。
一番の人気スポットで、行列ができていた。


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通天閣(二天門)。
岩に空いた穴を通って石段が続いている。


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石段をひたすら下りてようやく姿を現した大仏。
鎌倉や奈良の大仏を上回る大きさ。


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大仏。
高さ31メートル。圧倒的な大きさである。

日本寺の境内は山の斜面に広がっていて、あちこち見て回ろうと思うと、高低差がすごい。石段を何段のぼったり下ったりしたことか。境内の案内図は平面図のように見えて実は立面図なのだった。

旅行初日だというのに、膝ががくがくして足が痛い。

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2022年02月27日

江原河畔劇場の周辺

劇場周辺を少し散歩する。


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「江原河畔劇場」という名前の通り、裏手すぐのところを
円山川が流れている。


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近くのお寺で見つけた日清戦争の碑。
「明治二十七八年之役戦死病歿者追弔記念碑」
「明治三十年十二月二十五日」


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橋のたもとに祀られているお地蔵さん。
寒さ対策もバッチリだ。


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橋を見下ろす高台にある神社の狛犬。
近くには鹿の糞らしいものがたくさん転がっていた。

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2022年01月19日

続・奈良へ

森鷗外は晩年、帝室博物館の総長として奈良にしばしば滞在した。
当時、博物館の官舎があった場所に、建物の門だけが残されている。


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東大寺大仏殿に入る交差点の角にあるのだが、知らなければ気づかないと思う。それくらい、ひっそりと立っている。写真では見にくいが、門の裏手に鹿が寝そべっていた。


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「鷗外の門」と名付けられている。
刻まれているのは「奈良五十首」の歌。

猿の来し官舎の裏の大杉は折れて迹なし常なき世なり

この門を鷗外が出入りしていたわけだ。
常なき世ではあるけれど、あなたの通っていた門は100年後も残っていますよ、と教えてあげたい。

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2022年01月18日

奈良へ

時おり小雪が降ったりするなか、奈良を散策する。
良い雰囲気のものにたくさん出会った。


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崩れかけの土塀


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苔むした木のベンチ


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目鼻の薄れた不動明王


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仁丹の町名看板

奈良、いいところだなあ〜。
今度はもう少し暖かい時に行ってみよう。

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2021年12月17日

46時間

22:30自宅→23:00京都駅→6:30富士駅→8:00波高島駅→8:30【母の施設】→9:00〜12:00病院→13:00〜14:00富士川クラフトパーク(昼食)→15:00下部温泉駅→16:30甲府駅→18:30八王子駅→19:00長津田駅→19:30あざみ野駅→20:00〜11:00【父の家】→11:30新百合ヶ丘駅→12:00向ヶ丘遊園駅→12:30〜16:00川崎市岡本太郎美術館(昼食)→16:30向ヶ丘遊園駅→17:00町田駅→17:30新横浜駅→20:00京都駅→20:30自宅

なかなかの強行軍だったな。

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2021年12月07日

堺へ(その2)

続いて、晶子の生家跡から徒歩5分ほどの開口(あぐち)神社へ。


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「少女たち開口の神の樟の木の若枝さすごとのびて行けかし」

ここは晶子がよく遊んだ場所で、『私の生い立ち』の中に

後を向いて街の方を見ますと、ずっと北の方に浅香山の丘が見え、妙国寺の塔が見え、中央に開口神社の塔が見えます。私等が実を拾って遊ぶ廻り二三丈もある開口神社の大木の樟が塔よりも高く見えます。

と記されている。ちなみに、この開口神社の三重塔は1945年7月10日の空襲で焼失して、今は残っていない。


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いよいよ、「さかい利晶の杜」の企画展「与謝野寛・晶子夫妻の旅―パノラマ地図でたどる観光名所―」を見る。

昭和6年の北海道・九州・四国の旅で詠まれた歌や写真と、吉田初三郎の描いたパノラマ地図が取り合わされて展示されている。当時の旅の雰囲気がよく伝わってくる好企画であった。吉田初三郎ファンとしては嬉しい限り。

太田登氏の記念講演「与謝野夫妻の北海道紀行と石川啄木」も興味深い内容だった。

啄木が右の肩をば猶揚げて岬に立つと見ゆるその墓  寛
なつかしき函館に来て手に撫づる亡き啄木の草稿の塵 晶子

帰りは南海電車の堺駅から。


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駅の西口に立つ与謝野晶子像。

9年前に訪れた時の写真を見ると以前は手に筆と短冊を持っていた。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138922.html

破損してそのままになっているのだろうか。

posted by 松村正直 at 07:49| Comment(2) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月06日

堺へ(その1)

「さかい利晶の杜」で行われている企画展「与謝野寛・晶子夫妻の旅―パノラマ地図でたどる観光名所―」を見るために堺へ。

まずは南海電鉄で「浜寺公園駅」へ行く。


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1907年に辰野金吾の設計で造られた美しい駅舎。

かつて、この地が関西有数の別荘地・海水浴場であった時代を偲ばせる。2016年まで実際に使われ、その後、曳家工事を経て現在の場所に移りカフェやイベントスペースとして活用されている。
  

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浜寺公園にある与謝野晶子の歌碑。
「ふるさとの和泉の山をきはやかに浮けし海より朝風ぞ吹く」

「浮けし」は「浮かべた」の意味。「浮く」を他動詞として使っている。1900年に鉄幹が堺を訪れた際に、浜寺公園で鉄幹と晶子は歌会をするなど交流を深めた。

かつては白砂青松の海岸だったこの一帯も昭和30年代に沿岸部が埋め立てられ、今では海が遠くなってしまった。美しい海の代わりに泉北臨海工業地帯の煙突が並ぶ。それでも、バラ園や遊具、運動場などがあって、浜寺公園は多くの人で賑わっている。

その後、阪堺電車の「浜寺駅」から「宿院駅」へ。


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駅から徒歩数分のところに晶子の生家「駿河屋」の跡地がある。かつての店舗の敷地は、幅約50メートルに拡張された道路に完全に飲み込まれた形だ。


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「海こひし潮の遠鳴りかぞえへつゝ少女となりし父母の家」

三句は歌集『恋衣』(1908年)では「かぞへては」であるが、初出の「明星」1904年8月号では「かぞへつつ」であった。歌碑は初出に拠っているのだろう。「つつ」だと同時進行の意味が強すぎるので、歌の出来としては改作後の方が良いと思う。

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2021年09月21日

飯田線の旅(その3)

豊川駅から徒歩5分の豊川稲荷へ。


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7色の風鈴が奉納されているやぐら。
涼しげな音を鳴らしている。


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境内の奥まったところにある霊狐塚。
1,000体以上の狐の石像が安置されている。

posted by 松村正直 at 08:53| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月20日

飯田線の旅(その2)

途中、飯田市内で1泊。


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飯田のシンボルはりんご。
マンホールの図柄も林檎だ。
大通りには約400メートルにわたって林檎の木が植えられている。


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飯田市立追手町小学校。
昭和4年竣工、鉄筋コンクリート造3階建(地下1階)。
入口部分の曲線が美しい。


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追手町小学校の講堂。
昭和6年竣工、鉄骨造平屋建。
こんな講堂(体育館)を使える子どもたちが羨ましい。

posted by 松村正直 at 07:56| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月19日

飯田線の旅(その1)

先月、JR飯田線に乗る旅に出かけた。


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駒ヶ根駅からバスとロープウェイに乗って千畳敷カールへ。
中央アルプスの宝剣岳の手前。標高は2600メートル。


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紫色が鮮やかなサクライウズ(桜井烏頭)。
他にもいろいろな高山植物が咲いていた。


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千畳敷カールから眺めた南アルプスの山並みと富士山。
山頂の形で遠くからでも富士山だとわかる。

posted by 松村正直 at 11:58| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月18日

大和郡山吟行

先日、大和郡山へ吟行に出掛けた。

郡山城跡→金魚池→やまと錦魚園・郡山金魚資料館→とほん(本屋)→町家物語館(旧川本家住宅)という行程。

城跡は以前も訪れたことがあるのだが、天守台が復元整備されて眺めの良い展望台のようになっていた。


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金魚養殖業の店で見つけた金魚の鏝絵。


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金魚の自動販売機。
朝取り(!)金魚が一袋200円で売られている。


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木造三階建の町家物語館。
大正13年に建てられたもので、もとは遊郭であった。


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建物2階から見た中庭。
吹抜けになっている。


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ハート形をした猪目窓(いのめまど)。
陰影が美しい。

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2021年06月28日

犬山へ(その2)

二日目は、犬山城へ。
松本城、彦根城、姫路城、松江城とともに国宝5城の一つ。


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市街地から坂を登った先に立つ城。
感染対策のアルコール消毒と検温を行ってから城内へ。


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天守閣からの眺めが素晴らしい。
廻縁に出てぐるっと一周することができる。
北西方向。


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こちらは北東方向。
木曽川がゆったりと流れている。

posted by 松村正直 at 11:23| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする