2025年07月08日

宝塚駅周辺観光

先日宝塚の観劇に行った際に、駅の周辺を案内していただいた。

駅を出て武庫川にかかる宝来橋を渡ると、橋のたもとに与謝野晶子の歌碑がある。


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武庫川の板の橋をばぬらすなりかじかの声も月の光も
/与謝野晶子

「歌劇」創刊号(大正7年8月号)に載った歌で、歌集には収められていないようだ。
https://www.tca-pictures.net/books/kageki100th/ayumi/


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宝塚温泉碑。

晶子の歌碑と道を挟んだ反対側にある。古い絵葉書にも写っているもので、明治時代に建てられた碑のようだ。

https://adeac.jp/takarazuka-city/viewer/mp4020250-200020/402-025/
絵葉書「摂津宝塚温泉浴室」


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丁字ヶ滝。

かつて「宝塚八景」の一つとして有名だったらしい。古い絵葉書を見ると滝の前に茶店などもあって賑わっていたようだが、今ではほとんど訪れる人もいない。

https://adeac.jp/takarazuka-city/viewer/mp4020120-200020/402-012/
絵葉書「摂津宝塚丁字ヶ瀧」

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2025年06月12日

宮津旅行(その2)

宮津には古い建物が多く残っていて、歩き回るのが楽しい。


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中村眼科医院。昭和初期の建物か。


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旧三上家住宅。

江戸時代に北前船で財をなした豪商三上家の邸宅。重要文化財。


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木造三階建ての「茶六本館」。


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創業三百年の老舗旅館「清輝楼」。

あちこち建物を見て回ったあとに、観光案内所でレンタサイクルを借りて、市街地近郊にあるという「金引の滝」を見に行く。自転車で15分ほどの距離。


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日本の滝100選にも選ばれたという滝で、高さ約40メートル、幅約20メートル。もっと上の方まで滝は続いているのだが、写真だとうまく撮れない。


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しばらく滝の音と涼しさに浸っていた。

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2025年06月11日

宮津旅行(その1)

先日、別邸歌会の会場の下見のために京都府宮津市へ行ってきた。

JR藤森駅6:14発に乗って、宮津駅到着は10:01。普通列車だと4時間弱かかるが2390円で行くことができる。長時間の列車の移動はまったく苦にならない。本を読んだり、景色を眺めたり、眠ったり。


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1962(昭和37)年竣工の宮津市役所。

設計は沖種郎。いかにもモダニズム建築という感じのする建物だ。


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カトリック丹後教会宮津教会堂。

1886(明治19)年にフランス人宣教師ルイ・ルラーブの設計で建てられたもので、重要文化財に指定されている。


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反対側から見ると、建物の入口はこんな感じ。


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1923(大正12)年竣工のキセンバ港館(旧橋北汽船本社)。

海のすぐ近くに映画のセットみたいに立っている。


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「みやづし」のマンホール。

宮津市と言えば天橋立が有名。


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宮津湾に面したショッピングモールの5階から眺めた海。

奥の方の山並みとつながってしまって写真ではわかりにくいが、天橋立の全長を見ることができる。

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2025年05月17日

桑名(その2)

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六華苑(旧諸戸清六邸)。

桑名の実業家、二代諸戸清六の邸宅として大正2年に竣工。重要文化財の洋館と和館のほか、番蔵棟、離れ屋などの建物と広い庭園がある。洋館はジョサイア・コンドルの設計によるもの。


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洋館の中はこんな感じ。


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和館の廊下はこんな感じ。長い。


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六華苑に隣接する「諸戸氏庭園」の入口となる本邸(重要文化財)。


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庭園はひたすら広い。このあたりは菖蒲池。


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御殿と池。


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庭内に立つ三畳の「推敲亭」の扁額。

「諸戸氏庭園」は初代諸戸清六の二男精太が跡を継いだ諸戸宗家(西諸戸家)のもので、「六華苑」は初代諸戸清六の四男(二代諸戸清六)の諸戸本家(東諸戸家)のものだった。

両家は今でも数々の会社を経営し、「諸戸グループ」を形成しているとのこと。

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2025年05月16日

桑名(その1)

石薬師(鈴鹿市)に行った日は四日市に泊まり、翌日は桑名へ。


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まずはマンホールの蛤。

「その手は桑名の焼き蛤」ということわざでも有名。


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同じくマンホールの「七里の渡し」。

かつて東海道の桑名宿から宮宿(愛知県名古屋市熱田区)までは海路で結ばれていた。桑名は東海道の宿場町であり、桑名藩の城下町であり、木曽三川から伊勢湾へ出る港町でもあった。


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「七里の渡し」の碑。


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今はもう渡し舟はなく、伊勢国の一の鳥居が立っている。この鳥居は20年に一度、伊勢神宮の宇治橋前の鳥居のお下がりをいただいているのだそうだ。


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どーんと広がる揖斐川。

この風景だけでも見に来る価値がある。遠く奥の方に見えているのは長良川河口堰。このあたりで揖斐川と長良川は合流する。


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川のすぐ近くにある「蟠龍櫓」(ばんりゅうやぐら)。

かつての城の櫓を模して2003年に建てられた水門の管理棟で、2階は展示室&展望台になっている。


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桑名城跡の九華(きゅうか)公園。

かつての本丸と二の丸跡が公園になっている。桑名は旧かなで書くと「くはな」。それを「九(く)華(はな)」と表したのだが、この由来は新かなの現代ではちょっと伝わりにくい。


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ひたすらのどかで暖かい。堀の水はかなり緑色をしている。


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本多忠勝の像。

徳川四天王の一人で桑名藩の初代藩主。右肩の後ろに槍が立っているのだが、長すぎて先端が写真に入りきらない。

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2025年05月13日

石薬師(その3)

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石薬師の地名の元になった「石薬師寺」。


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本堂(薬師堂)の前に歌川広重「東海道五十三次之内 石薬師」の大きな複製が掲示されている。絵の左側に描かれているのが石薬師寺。

本尊は石に刻まれた薬師如来(秘仏)。年に1度、12月20日に御開帳になるそうだ。


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参道の青もみじが美しい。


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信綱の歌碑。

「蝉時雨石薬師寺は広重の画に見るがごとみどり深しも」

石薬師寺は今も緑に包まれて雰囲気が良い。でも、境内のすぐ横を国道1号線が通っていて車の往来が激しいので、一歩外へ出ると現実に引き戻される。


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河曲駅へ戻る途中で偶然見つけた「山辺の御井」(やまのへのみい)の碑。


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まったく知らなかったのだが、万葉集にも詠まれた泉であるらしい。


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でも、ほとんど水は無かった。
そして誰もいない。

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2025年05月12日

石薬師(その2)

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信綱が地元に寄贈した「石薬師文庫」前に立つ歌碑。

ふるさとの鈴鹿の嶺呂の秋の雲あふぎつつ思ふ父とありし日を
           佐佐木信綱
傾けてバイクを駆れる群が行く鈴鹿の山は父祖のふるさと
           佐佐木幸綱

信綱の歌に出てくる「嶺呂」(ねろ)は万葉集に見られる上代東国方言で「嶺」(みね、ね)のこと。「父」は国学者・歌人の佐々木弘綱(1828-1891)。


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信綱生家前を通る旧東海道。

街道沿いに家があるというのは、ネットなどのなかった当時かなり大きなメリットだったにちがいない。探検家・著述家として活躍した松浦武四郎の生家が伊勢街道沿いにあったことなどを思い出す。


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浄福寺前にある「佐々木弘綱翁紀念碑」。

姓が「佐々木」であることに注目。「佐佐木」が使われ始めるのは信綱が1903年に中国を訪れてからのこと。


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同じ場所にある佐佐木幸綱の歌碑。

「しゃくなげを愛し短歌をすずか嶺を愛し石薬師を愛したる人」

これは祖父の信綱のこと。


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旧東海道石薬師宿の南北約1.8キロが「信綱かるた道」と名付けられ、あちこちに信綱の歌計50首が掲示されている。

「いきいきと目をかがやかし幸綱が高らかに歌ふチューリップのうた」


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「幼きは幼きどちのものがたり葡萄のかげに月かたぶきぬ」


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「蝉時雨石薬師寺は広重の画に見るがごとみどり深しも」

このあたりの旧東海道は車通りも少なく、信綱の歌を探しながら歩くのにちょうどいい。

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2025年05月11日

石薬師(その1)

三重県鈴鹿市石薬師町へ行く。


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最寄り駅はJR関西本線の「河曲」。
読み方は「かわの」。これは知らないと読めないな。

駅から約2キロの道のりを歩く。


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石薬師はかつて東海道の宿場町だったところ。
現在も旧東海道や国道1号線が通っている。


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旧東海道に面して「佐佐木信綱資料館(記念館)」がある。

信綱(1872-1963)の色紙や短冊、著書などの資料が展示されている。入館料は無料。


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資料館の前に咲いているウツギ(卯の花)。
信綱作詞の唱歌「夏は来ぬ」にちなんであちこちに植えられている。


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資料館の隣にある信綱の生家。
満5歳まで信綱はこの家で暮らした。


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生家の庭にある「佐佐木信綱先生 産湯の井戸」。
水道の時代に生まれた人には、もうこういうものは残らない。


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生家の前にある信綱の歌碑(幸綱書)。
「目とづればここに家ありき奥の間の机のもとに常よりし父」

信綱一家が転居した後、生家は他家の個人宅となり別の場所に移築され、ここにはなかった。そのため「ここに家ありき」と過去形で詠まれている。信綱の死後、昭和45年に鈴鹿市によって元の場所に再移築されたそうだ。

信綱も喜んでいることだろう。

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2025年05月08日

帰宅

1泊2日の小旅行から帰宅。
思い付くままに感想を。

・JR藤森駅から桑名駅まで、たった1980円で行ける!
・休館日は確認してから出かけよう。
・明治大正期の諸戸家は桁外れのお金持ち。
・ボランティアガイドの方は何でもよく知っている。
・桑名は木曽三川から伊勢湾につながる交通の要衝。
・JR四日市駅を出ると何もない。
・JR四日市駅と近鉄四日市駅はかなり離れている。
・鈴鹿市石薬師周辺では佐佐木家の存在感が圧倒的。
・「生家+記念館」は近代歌人に必須の場所かも。
・三重に泊まるとテレビでは中日戦をやってる。
・JRはなぜ関西本線を複線化、高速化しないのか?

晴天に恵まれて発見や収穫の多い二日間だった。
ひたすら歩いて、かなり日焼けした。

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2025年05月07日

旅行中

桑名、四日市、鈴鹿あたりに行ってきます。

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2025年04月20日

伏見と仁丹看板

私の住んでいる伏見(京都市伏見区)は、もともと城下町・宿場町・港町として発展した場所で、京都とは別の町であった。

先日読んだ『京都を歩けば「仁丹」にあたる』を手掛かりに、その名残を探して歩く。


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民家の2階に設置された仁丹看板。

よく見ると「伏見区」ではなく「伏見市」新町三丁目と書いてある。


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こちらも同じく「伏見市」京町大黒町。

『京都を歩けば「仁丹」にあたる』では次のように説明されている。

 昭和になって京都市は「大京都市」をうたって周辺町村の編入を進めていく。当然のことながら伏見町も対象になった。しかし、伏見町は吸収合併ではなく、あくまで対等合併にこだわった。伏見市への昇格はそのためで、昇格からわずか700日後の1931(昭和6)年4月に伏見市は周辺の深草町や下鳥羽村などとともに編入され、広大な伏見区が誕生した。

つまり、これらの看板が設置されたのは、1929年5月(伏見市への昇格)から1931年4月(京都市への編入)までの間ということになる。

なんとも貴重な歴史の証人ではないか。

一方で、仁丹看板は年々その数を減らしているらしい。もともと古い家屋に設置されているものが多いので、建物の解体に伴って取り外されたり廃棄されたりしているのだ。

今回も本をもとに探した3枚のうちの1枚は見つからなかった。新しい家が建っていたので、おそらく取り外されてしまったのだろう。


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代わりに(?)見つけたのがこの石柱。

「桝形町」「皇紀二千六百年記念」とある。伏見を歩いていて見つかる記念碑は御大典記念(1928年)と皇紀二千六百年記念(1940年)のものが圧倒的に多い。

駐車場の角に傾いて立っているけれど、いつもまでもお元気で!

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2025年04月13日

旧前田家本邸

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旧前田家本邸の洋館。

旧加賀藩主前田家の居宅として1929年に建てられたもの。重要文化財。玄関前には車寄せがある。現在の駒場公園は戦前はすべて前田家の敷地であった。


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1階の「第一応接室」。


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階段下にある「イングルヌック」(炉隅の小スペース)。


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2階へのぼる「大階段」。


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2階の「寝室」。


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2階の「書斎」。


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南側の芝庭から見るとこんな感じ。
桜がまだ咲いていた。

この洋館と渡り廊下でつながって和館もある。どちらも見学は無料なのでおススメです。

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2025年04月12日

駒場

東京の「駒場」周辺は10代から20代にかけて約10年間、通ったり住んだりしたことがあるので懐かしい場所である。


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岡本太郎の壁画「明日の神話」。
渋谷駅の連絡通路にある。

渋谷から駒場へは井の頭線に乗ってもいいのだけれど、せっかくなので歩くことにする。距離にして2キロくらいか。


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駒場池(通称、一二郎池)。

大学のキャンパスの外れにひっそりとたたずむ池。有名な本郷の「三四郎池」をもじって「一二郎池」と呼ばれている。1・2年生は駒場、3・4年生は本郷に通うので、ぴったりのネーミングだ。

昔はもっと鬱蒼とした感じで人の寄りつかない場所だったけれど、今は遊歩道も整備されて少しきれいになっている。でも、人通りはほとんどない。


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日本近代文学館。

ここが今回の目的地。近代文学関係の資料を収集・保存するため1967年に開館した施設で、駒場公園の中にある。


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2階の展示室では「北原白秋生誕140年 白秋万華鏡」展が開催されていた。

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2025年03月19日

新宮&別邸歌会(その3)

熊野速玉大社への参拝を終えて熊野川を見に行く。


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ちょうど三反帆の遊覧船が下ってくるところだった。
かつては本宮大社から速玉大社まで舟で下って参拝したらしい。


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大石誠之助宅跡。

住宅街を通っていたら、偶然見つけた。
調べて行って見つけるより偶然見つける方が価値がある。

その後、丹鶴ホール4階の新宮市立図書館に寄って中上健次コーナーを見学。熊野川を見わたす素晴らしい環境の図書館だった。

そして、午後からは第18回別邸歌会を旧チャップマン邸で開催。参加者15名。13:00から17:00まで計30首について楽しく議論した。

終了後、近くのハンバーガー&クレープの店「マジックピエロ」で懇親会。短歌についてあれこれ話す。

16日(日)

大雨の予報だったが、朝起きると雨はほとんど止んでいたので、バスに乗って熊野本宮大社へ行くことにする。


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熊野本宮大社。


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前登志夫の歌碑。
「那智瀧のひびきをもちて本宮にぬかづくわれや生きむとぞする」


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馬酔木がきれいに咲いていた。

帰りは新宮から特急くろしおに乗り、大阪経由で京都まで。行きは松阪経由だったので、往復で紀伊半島をほぼ一周した感じになった。

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2025年03月18日

新宮&別邸歌会(その2)

15日(土)

新宮に「大逆事件資料室」があると聞いたのだが、ネットにはあまり情報が出ていない。常時開いているわけではなく、担当の方に電話して予約する必要があるようだ。

9:00過ぎにホテルから電話して「今日の午前中か明日見学したい」と話したところ、9:30には開けてくださるとのこと。対応が実にスピーディーでありがたい。


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熊野新宮大逆事件資料室。


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1910(明治43)年に起きた大逆事件の概要のほか、新宮グループ6名(大石誠之助、成石平四郎、高木顕明、成石勘三郎、崎久保誓一、峯尾節堂)についての詳しい展示がある。

2001年に新宮市議会は「6人は冤罪であっただけでなく、平等・非戦を唱えた先覚者」として犠牲者顕彰碑を建立。2018年には大石誠之助を新宮市の名誉市民に認定している。

見学後、午後の歌会までまだ時間があったので、熊野速玉大社へ参拝に行く。


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熊野速玉大社。
新宮駅から徒歩約20分。


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佐藤春夫の句碑。
「速玉の竹柏(なぎ)や芝生や時雨けり」


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野口雨情の詩碑。
「国のまもりか速魂さまの御庭前まで神さびる」

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2025年03月17日

新宮&別邸歌会(その1)

14日(金)

京都から近鉄で松阪へ出て、そこからJR紀勢本線に乗る。
熊野市駅で降りて海岸沿いを歩く。


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熊野灘。

このあたりは「七里御浜」と呼ばれている。三重県熊野市から紀宝町に至る約22キロの砂礫海岸だ。


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獅子岩。

高さ約25メートル。岩を何かの形に見立てるというのは全国各地にあるけれど、これはかなり獅子っぽい。


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花窟(はなのいわや)神社へ。


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社殿はなくて、高さ約45メートルの巨岩がご神体になっている。
圧倒的な存在感だ。


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再び七里御浜。

ひたすら海。波音のほか何もない。人もいない。

その後、有井駅まで歩いて列車に乗り新宮へ。新宮まではJR東海のテリトリーであった。

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2024年12月10日

江田島(その2)

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教育参考館。

1936(昭和11)年竣工。旧日本海軍に関する資料約16,000点を収蔵し、そのうち約1,000点を展示している。吉田松陰、勝海舟から広瀬武夫、東郷平八郎、山本五十六に関するもの、さらには神風特別攻撃隊の兵の遺書まで数多くの資料が並び、海軍の歴史をたどることができる。靖国神社の遊就館を思い出した。


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屋外に展示されている特殊潜航艇(特型格納筒)。

真珠湾攻撃に使用され、1960年に引き上げられたもの。破損個所が補修されて元通りの形になっている。


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戦艦「陸奥」の4番砲塔。
構内には砲弾や錨、砲塔などがあちこちに展示(?)されている。

以上で見学ツアーは終了。歴史について考える、学ぶにはとても良い場所だと思う。

あとは小用港へ戻ればいいのだが、ここで問題になるのが旅先におけるマイルール。それは、「同じ道を戻らない」というもの。だから、朝やって来た道を東へ戻るわけにはいかないのだ。




そこで、自衛隊→(南へ、県道44号線)→鷲部→(東へ、県道298号線)→秋月→(北へ、県道298号線)→小用と縦長の長方形を描く迂回ルートを歩く。


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天気が良くて海がきれい。

鷲部から秋月へは「秋月トンネル」(1005メートル)を通る。時おり車が猛スピードで走り抜けるが、歩行者は誰もいない。そして、秋月から北へ向かう道はぐねぐねとした山道になる。


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道を横切って廃屋に逃げ込んだキジ。
こういう出会いは嬉しい。


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しびれ峠。

ここまで来ればもう一息。足が痺れるからしびれ峠なのだろうか。


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軍艦榛名・出雲戦歿者留魂碑。

昭和20年7月に小用港沖で空襲を受けて大破した戦艦「榛名」と練習艦「出雲」の死者を弔うためのもの。

2時間ほど歩いて、無事に小用港にたどり着いた。

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2024年12月09日

江田島(その1)

先月、岩国からの帰りに広島で1泊して、翌日に江田島を訪れた。

ずっと「えだじま」だと思い込んでいたのだが、現地に行って初めて「えたじま」であることを知った。マンガ「魁!!男塾」の塾長の江田島平八は「えだじまへいはち」だけれども。

広島港(宇品)から江田島の小用港まで、高速船で約20分。そこから徒歩20分ほどで海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校に到着する。かつての海軍兵学校だった施設である。

ここでは平日は1日3回、土日祝は1日4回、一般公開の見学ツアー(約90分)が行われているので、それに参加する。


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まずは大講堂。1917(大正6)年竣工。
こちら側は天皇や皇族などのための玄関。


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一般の人の入口はこちら。

敗戦後に進駐軍に接収された際に教会として使われたという話だが、確かに教会っぽい。


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大講堂の内部。
昔も今も入校式や卒業式で使われている。


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アーチ状の窓や舵輪をかたどったシャンデリアなど。


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大講堂の隣りに見える赤煉瓦の建物。


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赤煉瓦と松と青空の取り合わせが美しい。


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旧海軍兵学校生徒館。

現在は海上自衛隊幹部候補生学校として使われている。自衛隊(戦後)と旧日本軍(戦前)との連続性が感じられる場所でもある。

以前見学した旧陸軍第16師団司令部庁舎にも似ている。
https://matsutanka.seesaa.net/article/500127777.html


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建物の横から中をのぞくと、長さ144メートルの廊下がまっすぐに続いている。

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2024年11月29日

岩国(その2)

吉香公園からロープウェイに乗って、標高約200メートルの城山にのぼる。乗車時間は約3分。


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山頂駅からの眺め。
遠く瀬戸内海の島々までよく見える。


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山頂駅から徒歩約10分で岩国城に到着。


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城の周りにはツワブキが咲いていた。


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城の最上階からの眺め。
市街地から海まで一望できる。右の方に見えるのが錦帯橋。


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錦帯橋をズームしてみる。


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下りのロープウェイを待っていると青空が広がってきた。


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吉香公園のカイノキ。
青空がバックだと紅葉がさらに映える。

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2024年11月28日

岩国(その1)

岩国といえば錦帯橋。


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5連の木造アーチ橋。
入橋券(往復310円)を買う窓口に40人くらい並んでいた。


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渡ってみると、けっこう急な勾配になっている。


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川岸から見るとこんな感じ。
川では釣りをしている人がいた。


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メタセコイア。
橋を渡った先の吉香(きっこう)公園には立派な木がたくさんある。


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迫力のあるカイヅカイブキ。


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イチョウは葉が散り始めていた。


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この後、ロープウェイに乗って山頂にある城へと向かう。

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2024年11月13日

倉吉観光(その3)

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第53代横綱「琴櫻記念館」。

今の大関琴櫻ではなく、その祖父に当たる先代の琴櫻。現役時代は知らないので、私のなかでは佐渡ヶ嶽親方としてのイメージが強い。化粧廻しや優勝額が展示されているほか、数々の映像資料を観ることができる。


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記念館の近くにある琴櫻の銅像。

不知火型の土俵入りの姿である。


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続いて、「エースパックなしっこ館」(鳥取二十世紀梨記念館)へ。

梨に関するさまざまな展示があり、シアターで「梨の来た道」などの映像を見られるほか、3種の梨の食べ比べなども行っている。


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昭和初期の梨農家を模した劇場。

作業している夫婦(ロボット)が身体や手を動かしながら、二十世紀梨の歴史や栽培の苦労について語ってくれる。

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2024年11月12日

倉吉観光(その2)

続いて、国登録有形文化財の「豊田家住宅」へ。
倉吉には昔ながらの町家が数多く残っている。


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1900年竣工の主屋と1930年竣工の離れをつなぐ渡り廊下。
間口は狭く奥行きが長い敷地になっている。

主屋の二階は寄席になっていて、倉吉の歴史講談が行われている。今回は「淀屋の光と影」という演目を聴かせてもらった。朗々とした声で語りつつ、時おり張り扇で釈台をパンッと叩くのが気持ちいい。


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ぶらぶら歩いていると蒸気機関車が目に入った。
C11ー75。天気が良いので黒い車体がよく映える。


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倉吉線鉄道記念館。

1985年に廃線になった国鉄倉吉線の歴史に関する資料や写真が展示されている。かつて、このあたりに打吹(うつぶき)駅(旧倉吉駅)があったらしい。


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館内には貨車移動用のディーゼル機関車も保存されていた。

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2024年11月11日

倉吉観光(その1)

倉吉駅に着いて真っ先に向かったのは、円形劇場(くらよしフィギュアミュージアム)。


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1955年竣工の旧明倫小学校の円形校舎が、解体の危機を乗り越えて2018年からフィギュアの展示・体験施設として公開されている。

円形校舎の外観はいくつか見たことがあるが、中に入るのは初めて。


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円の中心に螺旋階段があり、放射状に教室が並んでいる。


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岡本光博さんの作品「トラロープ」。

黄色と黒の標識ロープで巨大な虎の頭を作っている。そのアイデアが素晴らしい。


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3階には教室風景を再現した部屋もある。


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扇形の教室の内側に黒板があり、外側は全面窓になっている。


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最上階から見下ろした螺旋階段。
吸い込まれてしまいそうだ。

校舎の屋上にも出られるようになっていて、倉吉の町並みを眺めることができる。

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2024年09月29日

上田三四二の歌碑(その2)

続いて、JR宇治駅から徒歩10分ほど、宇治橋の近くにある放生院(通称:橋寺)へ。京阪宇治駅からだと徒歩2分くらい。


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門の前の通りは大勢の観光客で賑わっているが、境内にはほとんど人がいない。ひっそりと静まり返っている。


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橋寺にいしぶみ見れば宇治川や大きいにしへは河越えかねき

1982年の歌会始の題「橋」に応じて詠まれた歌で、第5歌集『照徑』に収められている。碑を見ると濁点は省かれ、結句の「かねき」は万葉仮名で「賀祢吉」と刻まれている。

この歌碑の近くに、宇治橋の由来を記した「宇治橋断碑」(重要文化財)が立っている。東屋のようなものの中に入っているが、見学料500円を納めると鍵を開けて中を見せてもらえる。

写真撮影は不可だが、住職さんがとても詳しく解説してくださるのでおススメです。

大化2年(646年)に宇治橋が架けられた由来を記した石碑で、よく見ると2つに割れている。上側の約3分の1が建立当初のもので、下側の約3分の2は江戸時代に補われたものとのこと。

浼浼横流 其疾如箭
(べんべんたるおうりゅう そのはやきことやのごとし)

に始まる96文字が刻まれ、宇治川の流れの速さと人々の渡る苦労、そして橋の完成を喜ぶ思いが記されている。

上田三四二もこの碑を見て、かつての宇治川の光景に思いを馳せたのであった。

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2024年09月28日

上田三四二の歌碑(その1)

上田三四二の歌碑めぐり。

まずは、JR奈良線の山城青谷駅(京都府城陽市)へ。自宅の最寄駅から普通電車で約30分。

駅の東口を出てすぐの所に歌碑があるはずなのだが、新たに周辺が整備されたようで見当たらない。駅近くの公民館で尋ねると、西口に移されたということであった。


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というわけで、閑散とした西口の方に現在は設置されています。


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満ちみちて梅咲ける野の見えわたる高丘は吹く風が匂ひつ

第1歌集『黙契』の歌で、当時三四二は青谷梅林近くの旧国立京都療養所(現・国立病院機構 南京都病院)で働いていた。

梅林や病院は駅の東口方面にあり、そちらの方が商店もあって賑わっているので、歌碑も本当は東口にある方が良いのだけれど。

結句の「つ」が左下の「三四二のうた」の近くにあって、最初は何か汚れが付いているのかと思ってしまった。

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2024年08月17日

台風一過

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台風一過の東京は晴れ。
和やかで充実した時間を過ごした。

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2024年07月19日

東京から

東京から帰宅。

昨日は早朝6:00前に東京駅にバスで着き、本郷→九段下→相模原→溝の口と、取材と打合せで20:30まで。

今日は朝から83歳の父親を連れてスーパー銭湯「湯けむりの里」へ行き、入浴・食事・昼寝で計4時間、のんびりしてきた。

posted by 松村正直 at 18:40| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月06日

柴又(その2)

帝釈天から徒歩数分で「山本亭」に着く。
大正から昭和にかけて建てられた和洋折衷の邸宅。


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洋風の意匠を取り入れた長屋門のステンドグラス。


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居間から見る庭の様子。
抹茶やぜんざいをいただきながら、のんびりくつろぐことができる。


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洋室の「鳳凰の間」。
大理石のマントルピースがある。

続いて、徒歩数分のところにある寅さん記念館へ。


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1997年の開館。
山田洋次ミュージアムも併設されている。


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映画撮影に使われた「くるまや」や「朝日印刷所」のセットが移設・保存されている。これが最大の見どころと言っていいだろう。


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列車の座席にすわりながら、「男はつらいよ」の鉄道シーンを観ることができるコーナー。その他にも工夫された展示が多く、寅さんの世界にたっぷりと浸ることができた。

続いて、徒歩すぐの江戸川へ。


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川の向こうはもう千葉県だ。


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映画や小説、歌謡曲などで有名な「矢切の渡し」。
現在も片道200円で運行されている。


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「矢切の渡し」の歌詞が刻まれた石碑。
「つれて逃げてよ…」「ついておいでよ…」

細川たかしのイメージが強いのだが、もともとはちあきなおみが歌っていたのか。

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2024年06月05日

柴又(その1)

先日、仕事で東京へ行ったついでに柴又を観光してきた。

東京には22年住んだけれど生まれ育ちは南西端の町田市なので、東京の東部、特に荒川の東側(足立区、葛飾区、江戸川区)にはほとんど足を運んだことがない。というわけで、「男はつらいよ」で有名な柴又も今回が初めての訪問だ。


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京成「柴又」駅前に立つ寅さんの像。
後ろを振り返っている姿である。


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振り返った先にはさくらの像がある。
また旅立ってゆく兄を見送る妹の姿だ。


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駅から続く帝釈天の参道。
草団子や川魚の店が軒を連ね、観光客が行き交っている。


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柴又帝釈天!

「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」というお馴染みの口上を思い出す。

門や鐘楼は映画でもよく登場するが、拝観料400円を払うと帝釈堂内殿の外周にある彫刻ギャラリーと庭園(邃渓園)を見学することができる。


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外周に沿って仏教説話の10の場面が彫刻されている。


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彫りが細かくて実に見事な出来栄えだ。


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大客殿の前に広がる庭園は、屋根付きの廊下を伝って一周することができるようになっている。


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京都ではだいぶ前に終わったつつじが、ここではまだ咲いている。参道や境内の賑やかさと打って変わって、静かな時間の流れる場所。


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帝釈天を出て玉垣に沿って歩いていると、「渥美清」「倍賞千恵子」の名前を発見。左に見える「三崎千恵子」はおばちゃんだ。

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2024年05月02日

徳島(その3)

徳島の2日目は晴れ。


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両国橋の親柱に立つ阿波踊りの像。


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徳島駅からJR牟岐線で南へ約1時間10分。阿波福井駅に着く。他に降りる客はいない。この駅から国道55号を北に向かって歩いて行く。


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約1時間で目的の建物に到着!


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喫茶店「大菩薩峠」。


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別の角度から見た全景。

セルフビルド建築として有名なお店。店主が自ら10数万個の煉瓦を焼いて積み上げて造ったらしい。1971年の開業から50年が経ち、煉瓦に蔦の緑が鮮やかだ。


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入口へ向かう階段。


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お店の入口。

11:40頃に着いたのだが、ほぼ満席だった。運よく座ることができて、チキンカツ定食850円をいただく。料理はボリュームがあって、家族連れや運転手たちで賑わっていた。テーブルや椅子などの備品や内装も味わいがある。


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食後に店の上の方を探索。


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迷路のようになっている。


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こちらは自宅か作業場なのだろう。


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スロープもあって、車で上までのぼれるようになっている。


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「大菩薩峠」からさらに北に歩いて海へ。

堤防に座って本を読むのは最高に気持ちがいい。

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2024年04月29日

徳島(その1)

1泊2日で徳島へ行ってきた。
京都駅〜徳島駅は高速バスで約3時間。


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あいにくの小雨だが、徳島に来たからには眉山(びざん)に登らないと、というわけでロープウェイに乗る。そもそもロープウェイが好きなのだ。ここのロープウェイは2台がセットで運行している。


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山頂からの徳島市街の眺め。
川が何本も走っていて、海も近い。


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パゴダ平和記念塔。

1958年に第二次世界大戦の死者を慰霊するために建てられたもの。約30年前に眉山を訪れた時にも見て印象に残っている。


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万葉歌碑。

「眉のごと雲居に見ゆる阿波の山懸けて漕ぐ舟泊り知らずも」
(船王 巻六 998)

眉山の名前の由来となったとされる歌である。

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2024年04月28日

徳島から

徳島から帰ってきました。

とても楽しい2日間。昨日は四国キャラバン歌会、今日は晴天の道をひたすら歩いて日に焼けました。

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2024年04月27日

徳島へ

四国キャラバン歌会に行ってきます。

徳島へ行くのも、自分が主催する以外の歌会に参加するのも久しぶりなので楽しみ!

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2024年04月08日

伏見桜まつり

昨日は「伏見桜まつり」へ。


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京橋(伏見みなと公園)付近。
水路沿いに多くの屋台が出て、大勢の人で賑わっていた。


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桜は満開で天気も上々。


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 伏見であい橋付近。


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 肥後橋から眺めた濠川。
 遠くに三栖閘門が見える。


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東高瀬川の土手。
ここまで来ると誰もいない。


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 紅白の鉄塔がいい味を出している。


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松本酒造株式会社。
ここは伏見の定番の撮影スポットになっている。

気温25度の暖かさの中を歩き回って、桜と春をたっぷり満喫した。

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2024年03月11日

黒江(その2)


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「紀州漆器伝統産業会館 うるわし館」の前に立つうるしの木。
漆を掻いた跡が筋状に刻まれている。


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築100年以上の古民家を改装したカフェ「べっちんさん」。


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茶がゆセット1200円。寒い日だったので身体が暖まる。


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築160年の古民家カフェ&ギャラリー「黒江ぬりもの館」に飾られていた雛人形。

昨年、テレビ番組「ふるカフェ系 ハルさんの休日」にも登場したそうで、多くのお客さんで賑わっていた。


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古い町並みから15分ほど歩くと海に出る。


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町のあちこちに海抜の表示があり、津波避難場所が設けられている。近い将来起こるとされている南海トラフ地震への対策だ。

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2024年03月10日

黒江(その1)

今月末に行う別邸歌会の下見を兼ねて、和歌山県海南市の黒江に行ってきた。

黒江は紀州漆器の産地として栄えた町で、今も古い町並みが残り漆器店や古民家カフェなどが点在する。JR黒江駅から15分ほど歩いて黒江の中心部へ。


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まず目に入ったのが万葉歌碑。1866年創業の老舗「名手酒造」直営の「黒牛茶屋」の駐車場にある。

「黒牛方 塩干乃浦乎 紅 玉ネ君須蘇延 往者誰妻」(巻9-1672)
(黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻)


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町を歩いていると、家の前に大きな桶を置いて花などを飾っている家が何軒もある。


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「紀州漆器伝統産業会館 うるわし館」の前にある説明を見ると、これは「くろめ桶」というものらしい。かつて漆を精製する際に使われていたものを、今は町おこしのオブジェとして再利用しているということだ。

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2023年11月14日

奈良カエデの郷ひらら(その2)

来月の別邸歌会で使うのは、木造校舎2階の「5年1組」の教室。


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係の方に案内していただいて、部屋の中を見せてもらう。
昔ながらの小学校の教室である。全部で20席。


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中庭(駐車場)側から見た木造校舎はこんな感じ。


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別棟にある「Cafeカエデ」(11:00〜16:00)で昼食をとる。
この日は多くの人が訪れていて、11:30には満席になっていた。


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ハンバーグや海老フライといった通常のメニューもあるのだが、私の目当ては土日限定30食の「給食ランチ」。


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皿うどん、中華スープ、春雨サラダ、クリーミーコロッケ、あげパン、牛乳。1200円。基本は給食なのだけれど、パンは揚げ立てだしスープも熱々で、どれも美味しい。


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ゆるキャラの「カエデくん」と「もみじちゃん」。
来月また会いましょう!

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2023年11月13日

奈良カエデの郷ひらら(その1)

来月の別邸歌会の会場となる、奈良県宇陀市の「奈良カエデの郷ひらら」へ下見に行く。JR榛原駅からバスで15分の「古市水分神社」から徒歩3分。


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2006年に閉校した旧宇太小学校をリノベーションした複合施設。
この地域の観光の拠点になっているようだ。


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門柱には「宇太小學校」と旧字で彫られている。
1874年開校という古い歴史を持つ小学校だった。


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現在、敷地には1200種、3000本のカエデが植えられている。
紅葉のピークは過ぎたようだが、見応え十分。


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1935年に建てられた木造二階建の校舎。
遠くから見ても圧倒的な存在感を放っている。


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廊下はこんな感じ。写真撮影などにも使われているようだ。


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廊下に飾られた卒業制作のパネル。
1970年の大阪万博が描かれている。

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2023年11月10日

山梨あれこれ

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JR身延線の下部温泉駅。
母の家の最寄り駅。天気は快晴。


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母の家は庭木や草が伸びて、外から見ると廃屋状態。
人が住まなくなると、あっという間に荒れてしまう。


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夜の下部温泉駅。
しばらく前に無人駅になってしまった。

駅の裏手に新しく「ヘルシースパサンロード しもべの湯」という日帰り入浴施設ができていた。次回行く時は入ってみようかな。

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2023年10月25日

近江鉄道ミュージアム

先日、別邸歌会の始まる前に八日市駅の2階にある「近江鉄道ミュージアム」を見学した。近江鉄道は1896(明治29)年創立、1898年開業という古い歴史を持ち、現在は

・本線(米原〜貴生川 47.7キロ)
・多賀線(高宮〜多賀大社前 2.5キロ)
・八日市線(近江八幡〜八日市 9.3キロ)

の3路線を運行している。


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ミュージアムには古い駅名標やタブレット(通票)、駅舎の写真などが展示されているほか、運転席からの展望動画も見ることができる。

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2023年10月11日

柳川(その3)

柳川藩主立花邸「御花」へ。


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1910(明治43)年に建てられた西洋館。
ちょうど「啄木ごっこ」の連載も1910年の話を書いているところ。


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西洋館2階の広間。
シーリングメダリオンが華やかだ。


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和風建築の部屋に飾られた雛人形と「さげもん」。
さげもんは柳川に伝わる吊るし飾り。


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西洋館と和風建築の屋敷がつながっている。
樹齢400年以上という蘇鉄が力強く鮮やか。


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大広間から見る「松濤園」。
この庭が広々として素晴らしい。


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涼しい風に吹かれながら、30分ほど庭を眺めていた。

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2023年10月10日

柳川(その2)

柳川と言えば北原白秋のふるさと。毎年、白秋の命日の11月2日を挟んで1日から3日まで「白秋祭」が開かれているとのこと。


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北原白秋の生家。

酒造業で栄えた北原家だが、酒蔵などは火事で焼けてしまい、現在は母屋(修復)と蔵、隠居部屋(復元)だけが残る。

三日三夜(みかみよ)さ炎あげつつ焼けたりし酒倉の跡は言ひて見て居り/北原白秋『夢殿』


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母屋の内部。土間、茶の間、食事場など。

コロナ禍などで入館者が減り、生家の維持・存続が大変な状況になっているらしい。
https://www.asahi.com/articles/ASNBG7FVQNBFTGPB003.html


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仏間にある白秋のデスマスク(複製)。

デスマスクって最近はあまり聞かないけれど、今でも作製する人はいるのだろうか。


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敷地内にある汲水場。

鍋二つ汲水場(くみづ)に伏せて明らけき夏真昼なり我家(わがや)なりにし/北原白秋『夢殿』


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生家の奥にある柳川市立歴史民俗資料館(白秋記念館)。

1階は「水郷柳川」「柳川の歴史」「柳川の民俗」に関する展示で2階が白秋関係。「関東大震災から100年」の特別展があり、震災の日の様子をなまなましく描いた自筆原稿「その日のこと」などが展示されていた。

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2023年10月09日

柳川(その1)

現代歌人集会福岡エリア歌会の翌日、初めて柳川を訪れた。
福岡(天神)から西鉄で約1時間。

まずは、有名な川下りを。柳川駅近くの乗船場から観光スポットの集まる付近の下船場まで、約50分、1700円。


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残暑もようやく落ち着いて、秋らしい一日。
船頭さんが周辺の案内をしたり、唄を歌ったりしてくれる。


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家の裏口から堀へと続く石段が、あちこちに見られる。
堀の水が生活用水として使われていた頃の名残だ。

ついかがむ乙(おと)の女童(めわらは)影揺れてまだ寝起らし朝の汲水場(くみづ)に/北原白秋『夢殿』
背戸ごとの汲水場(くみづ)の段(きだ)に桶洗ひ菜を洗ひけむ言(こと)かはしつつ/阿木津英『黄鳥』


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終点に着くまでに12の橋を潜る。
首をすくめなくてはいけないくらい低い橋もある。


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堀に面して白秋の歌碑がいくつか立っている。

「水のべは柳しだるる橋いくつ舟くぐらせて涼しもよ子ら」


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こちらは宮柊二の歌碑。
昭和25年に柳川を訪れた際に詠んだもの。『日本挽歌』所収。

「往還に白き埃の立ちながれあな恋ほしかも白秋先生」

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2023年10月04日

太郎坊宮

先日、別邸歌会の下見に八日市へ行ったついでに、太郎坊宮(阿賀神社)にお参りしてきた。


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八日市駅から西に30分ほど歩くと、山の中腹に神社が見えてくる。岩が露出して、いかにも霊山という感じがする。


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祭神は「正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのおおかみ)」。勝利と幸福を授ける神とのこと。

赤神山(350メートル)にある本殿まで、登山口から740段の石段をひたすら登っていく。


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途中にある絵馬殿からの眺め。
ベンチに座ってしばらく休憩する。


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日露戦争の水師営の会見(乃木将軍とステッセル将軍)を描いた絵馬。「大正十五年六月」のもの。


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夫婦岩。

二つの巨岩に挟まれた幅わずか80センチの道が12メートルにわたって続いている。巨石好きなので、こういうのはグッとくる。


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本殿のすぐ下にある展望台(懸造りの舞台)からの眺め。

がんばって登ってきた甲斐があった。

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2023年10月02日

福岡から

1泊して福岡から帰ってきました。
現代歌人集会の福岡エリア歌会は充実した内容でした。
今後も西日本の各地で開催できるといいなと思います。

今日は柳川を観光してきました。
京都〜福岡は新幹線で約2時間40分。
意外と近いですね。

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2023年09月28日

彼岸花

亀岡市に彼岸花を見に行った。
亀岡駅からバスで10分ほどのところ。


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畦に沿って彼岸花が咲いている。
今年は猛暑のため例年より開花が遅れたそうだ。


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彼岸花の「赤」と露草の「青」。


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一か所に群れて咲いている彼岸花もある。


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 西国三十三所の「穴太寺」(あなおうじ)の仁王像。
 吽形。


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 阿形。


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落ち着いた雰囲気の庭園。

本堂には寝釈迦(釈迦如来大涅槃像)が祀られ、撫で仏として参拝者に親しまれている。


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畦道をぐるぐる歩き回る。
写真を撮っている人もちらほら見かけた。


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長かった夏もようやく終わり、秋になったという感じがする。

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2023年09月04日

温泉津温泉(その2)

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沖泊港。

温泉津港から海岸沿いに数百メートル進んだところにある。かつて石見銀山の銀の積み出し港として栄えたところ。


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江戸時代には北前船の寄港地でもあった。


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沖泊の岸から見た海。
今は十数軒の集落があるだけで、ひっそりとした場所になっている。


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鼻ぐり岩。
船を係留するための穴の空いた岩が、今も数多く残っている。


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岸の近くで見かけたクラゲ。
誰もいない海で数匹がのんびりと泳いでいた。

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2023年09月03日

温泉津温泉(その1)

先日、益田市で開催された「人麿の里全国万葉短歌大会」を終えて、温泉津(ゆのつ)温泉に泊まった。JR温泉津駅から徒歩約15分。国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている古い町並みが残る。


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共同浴場「元湯泉薬湯(せんやくとう)」。

入浴料450円。浴槽が3つあって、初心者用、普通、熱めとなっていて、熱めの湯は46℃くらいあるようだ。1300年の歴史を誇るだけあって、雰囲気もお湯も素晴らしい。


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共同浴場「薬師湯」。

入浴料600円。こちらは明治5年の浜田地震で湧き出た温泉。浴室には一面に湯の花が付着していて最高の味わいである。


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2階の休憩室。無料でくつろぐことができる。


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3階(屋上)のガーデンテラスからの眺め。
石州瓦の町並みが続いていて、風呂上がりの身体に風が涼しい。


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今回泊まったゲストハウス「湯るり」。
築145年の古民家を改装した建物で、外国人の利用も多いようだ。


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温泉津港。
ここから数百メートルにわたって温泉街が続いている。


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野口雨情の詩碑。

戦時中の昭和18年4月に温泉津を訪れたとのこと。「向かう笹島日の入る頃は磯の千鳥もぬれて啼く」。

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2023年08月28日

帰宅

2泊3日の島根旅行から帰ってきました。

京都→益田(多田温泉泊)→人麿の里全国万葉短歌大会→温泉津(温泉津温泉泊)→京都

大会では初めての方や久しぶりの方に、たくさんお会いできました。
お招きいただき、ありがとうございました。

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2023年08月27日

人麿の里全国万葉短歌大会

今日は13:30から島根県芸術文化センターグラントワ(益田市)で、柿本人麿没後1300年記念事業「人麿の里全国万葉短歌大会」があります。

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