2020年12月05日

茸本朗『野食ハンターの七転八倒日記』


ウェブメディア「cakes」2018年5月15日〜2019年6月5日掲載の文章をまとめたもの。

野外で採取した食材を普段の食用に活用する「野食」をライフワークとする著者が、様々な食材を食べてみた記録である。

取り上げられているのは、アメリカザリガニ、カミツキガメ、アオダイショウ、セミ、ハマダイコン、ノビル、ウシガエル、コブダイ、ドチザメ、シャグマアミガサダケ、ヤハズエンドウ、カンゾウタケなどなど。動物、雑草、魚、茸と何でも挑戦している。

中にはワックス魚を食べて下痢したり、ウツボに手を嚙まれて負傷したり、毒キノコを食べて中毒したりといった失敗例もある。それでも、著者は野食に情熱を傾ける。

どうして、そこまで夢中になるのか。

未知の食材を食べるときのドキドキ、そしてそれが美味だったときの喜び
身近な食材を食卓に用いて、エンゲル係数を下げる
災害やトラブルなどで流通や経済が破壊され、都市機能がまひしてしまったときも、明るく楽しく無理なく生き延びるための知識
食のフロンティアに立って後世のために新しい有用食材を見つけ出すことは、楽しいだけではなく、今後必ず役に立つはず

といった説明がある。趣味と実益とサバイバル術、そして謎の使命感といったところ。でもまあ、実際は理屈ではないのだろう。その野食へののめりこみようが、読んでいて楽しい。

2019年11月13日、平凡社、1400円。


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2020年12月02日

樹原アンミツ『東京藝大 仏さま研究室』


「樹原アンミツ」は、三原光尋(映画監督)と安倍晶子(ライター)の合作ペンネーム。

東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復彫刻研究室、通称「仏さま研究室」を舞台にした青春群像劇。修士2年の学生4名それぞれの視点から、一年間にわたる修了製作(仏像の模刻)の様子が描かれる。

模刻に取り組む中で、各自が人生の悩みや問題点を克服していくという流れになっていて、ストーリーはわかりやすい。軽い読み物といった感じだが、随所に大学の風景や仏像に関する知識が織り交ぜられていて興味を惹かれる。

文化財修理には三つのルールがある。「当初部優先」「現状維持」「可逆性」だ。
彫刻の技術は「モデリング」と「カービング」のふたつに分かれる。粘土や漆など柔らかい素材を積み重ね、盛りあげたり凹ませてかたち(model=型式)をつくるのがモデリング。石や木など固い素材を削る(carve=刻む)のがカービングだ。
御神木は神社のものと思いがちだが、実際は多くのお寺にも「御神木」と呼ばれる、霊験あらたかなシンボルツリーが存在する。

2020年10月30日、集英社文庫、680円。


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2020年11月22日

日野原健司編『北斎 富嶽三十六景』


葛飾北斎の浮世絵版画シリーズ「富嶽三十六景」全46点をカラーで見開きに収め、それぞれ2ページの説明を付している。巻末には23ページにわたる解説があり、北斎の人となりや富嶽三十六景の成り立ちや特徴などがよくわかる。

編者が繰り返し書いているのは、北斎の絵が見たままの風景ではないということだ。

北斎の念頭にあったのは、実際の景色を描写することではなく、波と富士山を対比させる構図の面白さだったのであろう。(神奈川沖浪裏)
巨大な松と富士山との対比の面白さを演出するため、実際に目に見える風景よりも画面構成を優先しているのである。(青山円座松)
実際の風景をそのまま描くよりも、もっともらしい風景を自由に組み合わせてしまう北斎の自由な作画姿勢が認められるだろう。(甲州三嶌越)

それと、もう一つ。定番の描き方をしないということ。

定番の表現を好まない、天邪鬼な北斎の性格がよく表されていると言えよう。(下目黒)
日本橋と言えば、人々の雑踏を描くのが常識という中、あえてその定番を逸脱しようとしているのである。(江戸日本橋)
ありきたりな描写を好まない、北斎の作画姿勢がここでも反映されていると言えよう。(従千住花街眺望ノ不二)

こうした話は絵画に限らず、どんな表現にとって大切な点だと思う。

あと、面白かったのは、字の間違いがけっこうあること。これは今回初めて知った。

鰍沢を石斑沢と書こうとしたところ、誤って石班沢としてしまったのであろう。(甲州石班沢)
題名は「相州梅沢左」とあるが、「左」がどのような意味をもつかは判然としない。文字の形から考えて、「梅沢庄」あるいは「梅沢在」を誤って彫ってしまったと考えられている。(相州梅沢左)
題名が「雪ノ且」とあるが、「且」では意味が分からない。おそらく「雪ノ旦」とすべきところを誤ったのであろう。(礫川雪ノ且)

へえ、そんなことがあるんだ。
何とものどかな話だな。

2019年1月16日、岩波文庫、1000円。


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2020年11月17日

森まゆみ『本とあるく旅』


本と旅についてのエッセイ集。

京都に行くなら京都の本を、沖縄に行くなら沖縄の本を、現地で読むとすっと身体に入る。でもミスマッチも時々はいい。持っていった本などそっちのけで、フランスのルマンで『コンビニ人間』を読んだり、(・・・)

本と旅は相性がいい。どちらも日常を離れた移動の時間だ。本に関する旅もあれば、旅に関する本もある。本と旅は深くつながっている。

25年にわたって雑誌「谷中・根津・千駄木」の編集人を務めてきた著者は、実に多くの引き出しを持っている。そこから様々な知識や体験を自在に取り出して、次々と結び付けていく。その手腕が何とも鮮やかだ。

私は高校の国語で習った『こころ』が好きじゃない。
こういう自己中心の男と付き合うと女は不幸になる。小奴もさんざん啄木に貢がされた。
その後に読んだ『眠れる美女』そして京都を美化した『古都』や『美しさと哀しみと』は好きになれなかった。

著者のもの言いは率直で、男性作家に対して時に厳しい。

2020年8月28日、産業編集センター、1100円。


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2020年10月30日

井上恭介、NHK「里海」取材班『里海資本論』


副題は「日本社会は「共生の原理」で動く」。

「里海」とは「人手が加わることにより生物多様性と生産性が高くなった沿岸海域」のこと。瀬戸内海沿岸各地で行われている里海を生かした活動を取材した一冊。『里山資本主義』の概念をさらに拡大して、今後のさらなる可能性を探っている。

岡山・笠岡のカブトガニ博物館に行くと、すぐに実感できる。一〇年ほど前までは「建物の中」が博物館だった。今はその前の「干潟が博物館」だ。

岡山に住んでいた1993年に、このカブトガニ博物館を訪れたことがある。その時の説明では、もう自然の繁殖地は減って絶滅状態とのことだった。それが今では劇的に改善しているらしい。

そう言えば、数日前に「瀬戸内海きれい過ぎ」問題がニュースになっていた。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6374643

ダントツに過疎がすすむ島。それを、どうとらえるか。「二〇世紀の常識」に頭を支配された人は、見るとがっかりするのだろう。「二一世紀の新たな常識」として里山・里海の見方や発想を獲得した人はどうか。この島にこそ時代を切り拓く最先端がある、と考える。

右肩上がりだった時代の発想や考え方が、今もなお社会や政治の場面で中心となっている。それを、いかに転換していくか。

江戸時代、現在の都道府県で区分してみて最も人口が多かったのは、東京でも愛知でも大阪でもなく新潟県だった。

新潟と言われると驚くが、東京一極集中の歴史も実はそれほど古いものではないのである。

2015年7月10日、角川新書、800円。

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2020年10月29日

会田誠『げいさい』

著者 : 会田誠
文藝春秋
発売日 : 2020-08-06

美術家である作者の自伝的(?)小説。
久しぶりにすごいのを読んじゃったなあという感じ。

浪人時代に訪れた美術大学の学園祭、通称「芸祭(げいさい)」の一夜の出来事を描いている。そこに回想として、美術予備校の授業や美大受験をめぐる悩み、友人・恋人との関わりなどが挟み込まれていく。

ところどころ、書き手である作者自身の言葉も挿入される。

ここからしばらく『ねこや』の大きなテーブルで人々がお喋りする記述が続くのだが、ここであらかじめ断っておきたいことがある。僕は話をちょっと作ってしまうだろう――ということだ。
しかし詳述は勘弁願いたい。ただ、今でも言葉で再現することが耐えがたい恥辱であるような、恐るべき不手際の連続だったことだけを書くに留めておきたい。

舞台が1985年と、私が大学時代を過ごした時代と近いこともあって、懐かしさや共感を覚えつつ読んだ。

全体としては帯文にもある通りの「青春群像劇」なのだが、随所に本物の絵とは何か、絵心とは何か、芸術の本質とは何か、といった問題が出てくる。それは美術家として活躍する作者の原点ともいうべきものなのだろう。

2020年8月10日、文藝春秋、1800円。


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2020年10月24日

遠藤ケイ『蓼食う人々』

著者 : 遠藤ケイ
山と渓谷社
発売日 : 2020-05-07

長年、日本各地を旅して人々の生活や民俗を取材してきた著者が、珍しい食べ物について記した本。

取り上げられているのは、野兎、鴉、トウゴロウ(カミキリムシの幼虫)、岩茸、野鴨、鮎、鰍、山椒魚、スギゴケ、スガレ(クロスズメバチ)、ザザ虫(カワゲラやトビケラの幼虫)、イナゴ、槌鯨、クマ、海蛇(エラブウミヘビ)、海馬(トド)。

と言っても、単なるゲテモノ食いの話ではなく、食文化に関する考察に裏打ちされたルポルタージュである。

かつて過酷な山間僻地に住んだ人たちも、山の植物を食い、獣を食い、爬虫類を食い、昆虫を食った。それは単に、食糧が乏しかっただけではなく、山の生物の中に神秘的な精力が宿っていることを、経験的に知っていたからだ。
命あるものを慈しむ心と、その命を奪って食べようとする二律背反する心理が同居している。小さな無辜の命に対する憐れみと、殺傷に高揚する野蛮な狩猟本能がない混ぜになっている。それが人間である。
漁は、魚と人間の間に介在する道具が少ないほど面白い。手摑みが釣りになり、筌や簗、投網や刺し網などの道具になっていくと、徐々に魚と人間の距離が遠くなっていく。直にやりとりする醍醐味が薄れてくる。
昔の人は、心臓が悪いと獣の心臓を食べ、肝臓の持病があると肝臓を食べた。眼病には獣や昆虫の目玉を飲み、足が悪いと跳躍力の強い動物の部位を食べて、その力を体内に取り込もうとした。

人間と他の動物との関わりや、食べることの本質といったものが、よく伝わってきて味わい深い。

2020年5月20日、山と渓谷社、1500円。

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2020年09月20日

外山滋比古『思考の整理学』


今年7月に亡くなった著者のベストセラー&ロングセラー。「刊行から34年 驚異の245万部突破」と帯にある。

ベストセラーと言われる本はあまり読まないのだけれど、この本はさすがに良かった。ものを考えるヒント(答ではなく)がたくさん詰まっていて、考えたり書いたりすることが楽しくなるような内容である。

学校はグライダー人間をつくるには適しているが、飛行機人間を育てる努力はほんのすこししかしていない。
夜考えることと、朝考えることとは、同じ人間でも、かなり違っているのではないか、ということを何年か前に気づいた。
独立していた表現が、より大きな全体の一部となると、性格が変わる。見え方も違ってくる。前後にどういうものが並んでいるかによっても感じが大きく変わる。

これは、短歌の連作についても当てはまる話。

中心的関心よりも、むしろ、周辺的関心の方が活潑に働くのではないかと考えさせるのが、セレンディピティ現象である。
講義や講演をきいて、せっせとメモをとる人がすくなくない。忘れてはこまるから書いておくのだ、というが、ノートに記録したという安心感があると、忘れてもいいと思うのかどうか、案外、きれいさっぱり忘れてしまう。

まったく同感。下を向いてメモしているより話者を見ていた方が、話の内容が頭に残る。

書く作業は、立体的な考えを線状のことばの上にのせることである。
題名の本当の意味ははじめはよくわからないとすべきである。全体を読んでしまえば、もう説明するまでもなくわかっている。

これも、連作の題や歌集の題を付ける際に踏まえておきたいこと。

調子に乗ってしゃべっていると、自分でもびっくりするようなことが口をついて出てくる。やはり声は考える力をもっている。
散歩のよいところは、肉体を一定のリズムの中におき、それが思考に影響する点である。

こんな感じで、印象に残った箇所を引いていくとキリがないほどだ。

1986年4月24日第1刷発行 2020年3月5日第122刷発行
ちくま文庫、520円。


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2020年09月15日

藻谷浩介・NHK広島取材班『里山資本主義』


副題は「日本経済は「安心の原理」で動く」。

7年前に刊行されてベストセラーになった本をようやく読んだ。里山をキーワードに、今の日本が抱える問題点への対策を論じている。

「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全のネットワークを、予め用意しておこうという実践だ。

こうした考えのもとに著者が掲げるのは以下の3つのことである。

・「貨幣換算できない物々交換」の復権
・「規模の利益」への抵抗
・分業の原理への異議申し立て

これらは田舎暮らしをしていなくても、それぞれの生活の場で実践可能な考え方だろう。今では工場の現場でもライン生産からセル生産方式への切り替えが進んでいる。もはや大量生産・大量消費の時代ではない。

経済成長のために、地域を安価な労働力や安価な原材料の供給地とみるのではなく、地域に利益が還元される形で物つくりを行う。ただし、そのために自分たちが犠牲になる必要もない。自分たちも、ちゃんと利益をあげる。

本書では「エコストーブ」「木造高層建築」「CLT建築」「ジャム作り」「自然放牧の牛乳」など、様々な実例が紹介されている。読み終えて少し明るい気分になれる一冊だ。

2013年7月10日、角川ONEテーマ21新書、781円。


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2020年09月07日

外山滋比古『省略の文学』


今年7月に亡くなった著者の切れ字を中心とした俳句論、日本語論、日本文化論など、計18篇が収められている。短詩型文学の実作者でも研究者でもないが、内容は示唆に富んで実に面白い。

切られた言葉が大きな表現効果を持つのは、それにつづく沈黙の空間で残響が増幅されるからである。
切字の切れ方は連句における句と付句の距離を原型としているのではなかろうか。連句における句と句の空間は小さくない。
俳句においては作者自身の作意ですら絶対的権威をもっていない。
作者と読者とが対話的コミュニケイションの場をもっているところに、俳句があのような短詩型で定立しえたもう一つの理由がある。
ことばを最大限に生かして使うには、一つ一つのことばをなるべく離して、大きな空間を支配するように配列すればよいはずである。それには、囲碁における布石が参考になる。
もし、人間関係によってことばづかいが違ってくるものならば、逆に、ことばづかいによって人間関係が決定されるという命題も成立するはずである。

40年以上前に書かれた本であるが、少しも古びていない。深い思索に基づいた論考は、ちょっとやそっとで古びたりはしないのだ。

人間でなくてはできないと思われていた作業が次々に機械によって行なわれるに至って、われわれは人間の能力の再認識をせまられているのである。新しい技術文化は新しい人間観の確立を求める。
教育というものは元来、保守的であるから、新しい時代に適応するのにいつも遅れがちになるが。まだ人間をコピー的活動から解放しようとはしていない。相変わらず記憶中心の知識の詰め込みを行なっているが、それは、人間が記憶する唯一の機械であった時代の要求に基づいた教育そのままである。

こうした文章は、近年のAIの発達やアクティブラーニングの推進といった状況を、はるかに先取りしたものだろう。この人はすごいな。

1976年4月25日、中央公論社、950円。


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2020年09月03日

伊藤宏『食べ物としての動物たち』


副題は「牛、豚、鶏たちが美味しい食材になるまで」。

家畜(豚、鶏、牛)がどのように育てられ、食肉となっていくかを、写真や図をまじえて詳しく記した本。

現在の肉豚の多くは、出荷日齢は一六〇日、出荷体重が一一〇kgということになってきている。
今の鶏の大部分はとうに就巣性というものがない、いや、なくさせられているから、産んだ卵にはまったく関心を示さずに唯々卵を産み続ける。
一般に卵用鶏の雄雛は育つのが遅く、その肉質もよくないので、しかるべく処分される。(・・・)良好なタンパク質供給源として加工処理され、他の動物に与えられる素材になるという。
盛んに産卵を続けてきた鶏も、四〇〇卵以上を産むとさすがに疲れが出始め、休産日が多くなる。系統によって、それぞれの採算ベースが決められているので、個体の成績には目もくれずに一斉に処分される。いわゆる廃鶏と称するものになる。
ここ三〇年ばかりの間に、ブロイラーの成長は著しく速くなり、出荷日齢は、一九六〇年代の一二週齢から、六〜七週齢へと短くなってきた。
生まれる子牛の半分は雄であり、種牛候補として残されるのは二〇〇頭に一頭もいないだろう。したがって肥育用の素畜となる雄子牛は、未成熟の生後二〜三ヵ月の間に去勢して、第二次性徴が現れないようにする。

わずか6か月で110キロまで太らされて出荷される豚、生まれてすぐに処分される卵用鶏の雄の雛、400個の卵をひたすら産み続けた後に処分される雌鶏、生後2〜3か月で去勢されてしまう雄牛。

知れば知るほど、何ともすさまじい世界だ。家畜の育成はどんどん合理化され、工業製品と同じように徹底的に生産性が追求されている。

こうした実態を頭の片隅に置いて、日々の肉を食べなくてはいけないのだと思う。

2001年8月20日第1刷発行、2012年10月1日第4刷発行。
講談社ブルーバックス、940円。


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2020年08月31日

平田オリザ『22世紀を見る君たちへ』


副題は「これからを生きための「練習問題」」。

大学入試改革をめぐる議論を皮切りに、演劇的手法を取り入れたコミュニケーション教育や地方自治体の新しい取り組みなどに触れ、これからの社会で生きていくために必要な力について考察している。

「何を学ぶか?」よりも「誰と学ぶか?」が重要になる。それは学生の質だけではない。教職員も含めて、どのような「学びの共同体」を創るかが、大学側に問われているのだ。

大学入試と言えばつい自分が受験した時のことを思い浮かべてしまうのだが、それはもう30年も前の話であって、今では大きく変っている。「大学全入時代」を迎えて、大学も漫然と運営していたのでは生き残ることができない。

インターネットの時代になり、知識や情報の地域間格差はなくなっていく。すると逆に、生でしか観られない部分で大きな差がつく時代となってしまう。東京の有利さが増幅されやすいと言ってもいい。
岡山県奈義町の項でも触れたことだが、本来、自治体は「来ない理由」に着目しなければならなかった。来ない理由は、「医療、教育、文化」に対する不安である。医療は、全国津々浦々、相当に整備が進んだ。あとは教育と、食文化やスポーツも含めた広い意味での文化、居場所作りだ。

都市と地方の格差やU・I・Jターンの話についても、詳しく論じられている。東京から兵庫県豊岡市に移住し、豊岡の劇場に拠点を移したのも、そうした問題意識が根底にあってのことなのだろう。

2020年3月20日、講談社現代新書、860円。


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2020年08月23日

近藤二郎監修『カラー版 世界のミイラ』


多くの写真入りで世界のミイラについて解説・紹介した本。

エジプトのミイラだけでなく、「インカ時代の少女のミイラ」「メキシコのミイラ博物館」「アイスマン」「シチリア島の少女ロザリア」「レーニン」「楼蘭の美女」「アンガ族の燻製ミイラ」「フランシスコ・ザビエル」「日本の即身仏」など、多くのミイラが登場する。

1801年には、エジプトツアーが始まり、ヨーロッパではエジプト熱が非常に高まった。そして、エジプトツアーのひとつの興行として、高級ホテルのラウンジでは、その日の朝に見つかったミイラの包帯を解くショーが行われたのだ。
スペインの征服者は、インカ帝国にある王のミイラを悉く破戒し処分した。そうすることによって、皇帝の権勢を削ごうとしたのだ。

ミイラにはこんな歴史もあったのか!

写真が豊富で見ているだけでも楽しいのだが、誤植が多いのが残念。近年、出版社によっては校正がかなり疎かになってきている。

2019年11月15日、宝島社新書、1200円。

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2020年08月22日

三上延『ビブリア古書堂の事件手帖U』


副題は「扉子と空白の時」。

人気の「ビブリア古書堂」の新シリーズの2冊目。
扉子はもう高校生になっている。

今回取り上げられるのは横溝正史の『雪割草』と『獄門島』。
何だかんだ言いながら、このシリーズは読み続けてしまうなあ。

2020年7月22日、メディアワークス文庫、630円。

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2020年08月20日

加藤聖文『「大日本帝国』崩壊』


副題は「東アジアの1945年」。

1945年8月15日の敗戦は東アジア各地にどのような影響をもたらしたのか。現在の「日本」国内だけでなく、かつての「大日本帝国」支配下各地の状況を詳しく検証した一冊。

「東京」「京城」「台北」「重慶・新京」「南洋群島・樺太」における敗戦とその後の経緯が細かく描かれている。私たちは8月15日を戦争の「終わりの日」という見方で捉えることが多いが、実はそれは大日本帝国崩壊の「始まりの日」でもあった。

朝鮮における南北分断国家の誕生、台湾における二・二八事件と国民党政府による支配、中国における国共内戦と中華人民共和国の成立、ソ連におけるシベリア抑留。いずれも8月15日から始まった歴史の中で起きたことである。

さらにそれは、現在まで続く東アジアの緊張関係を生み出した原因ともなっている。

八月十五日正午、昭和天皇による玉音放送がラジオによって流された。放送は朝鮮、台湾、樺太、南洋群島、さらには満洲国でも流された。この放送は、天皇が「帝国臣民」に向かって初めて直接語りかけたものであったが、語りかけた「帝国臣民」はすでに「日本人」だけになっていた。「内鮮一如」「一視同仁」といったスローガンのもとに皇民化され「帝国臣民」となっていた朝鮮人や台湾人やその他の少数民族は含まれていなかったのである。

この時点で、早くも戦後の日本が抱える大きな問題が始まっていたわけだ。現在の「日本」の範囲に限定して戦前の「大日本帝国」の問題を考えようとすれば、当然抜け落ちてしまう部分が多くある。

東アジアには現在もなお解決されずに残っている様々な問題がある。そうした問題を考える上でも有意義な視点をもたらしてくれる本だと思う。おススメ。

2009年7月25日、中公新書、820円。


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2020年08月13日

天野太郎監修『京阪沿線の不思議と謎』


京阪電鉄の歴史や沿線の名所、地名、エピソードなどについて記した本。わが家は京阪「墨染駅」から徒歩約10分なので、普段から京阪にはよく乗っている。

京阪本線は「淀屋橋」〜「出町柳」だと思っていたのだが、正しくは「淀屋橋」〜「三条」なのだと初めて知った。「三条」〜「出町柳」は京阪鴨東(おうとう)線と言うのだそうだ。

なぜ阪急の路線に、京阪の社長が書いた扁額が掲げられているのだろうか。それは、もともと阪急京都線を敷いたのが、京阪の子会社・新京阪鉄道だったためである。
現在も琵琶湖疏水は約一四五万人の京都市民に年間二億トン以上もの水を供給しているが、その代償として、京都市は毎年二億二〇〇〇万円の感謝金を滋賀県に支払っている。
桑原町は、北は京都御苑、南は京都地方裁判所に挟まれた一角にある。(…)桑原町には建物が一軒もないのだ。それもそのはず、なんと道路上に存在するのである。
もともと信貴生駒電鉄は私市から生駒へと路線を延伸し、枚方〜生駒〜王子間を結ぼうとしていたが、経営難に陥ったために計画は頓挫。

こんな雑学的なネタがいっぱい載っている。

2016年12月17日、実業之日本社(じっぴコンパクト新書)、900円。


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2020年08月09日

庭田杏樹×渡邉英徳『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』


「記憶の解凍」プロジェクトの一環として出版された一冊。

戦前・戦中のモノクロ写真をAIによる自動色付けと資料や証言による手作業の色補正によってカラー化し、350枚を収めている。

カラー写真になったことで、人々の暮らしや戦争の被害状況が、非常に生々しく甦ってくる。戦前の沖縄や広島の中島地区(現在の広島平和記念公園)で撮られた写真も多く、そこに写る人々の運命を否応なく突き付けられる。

これは、すごい本だ。

2020年7月30日、光文社新書、1500円。


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2020年08月08日

平松洋子『肉とすっぽん』


副題は「日本ソウルミート紀行」。

さまざまな肉の現場を訪ねて、食べること、生きることについて考察した全10篇のノンフィクション。「羊」「猪」「鹿」「鳩」「鴨」「牛」「内臓」「馬」「すっぽん」「鯨」が取り上げられている。

ここ数年、私は捕鯨や狩猟、食肉の問題について関心を持っているので、良い本に巡り合ったという感じがする。

食べることは、身体のなかに入れること。自分の身体を使って敬意を払うということ。
「肉にも旬がある」
野生の肉は、自然環境と季節の移ろいの産物である。また、産地や扱う人間によって、質のよしあしも異なる。
流通価格を決める格付けでは、短角牛はせいぜいいA2(最上級A5)止まり。牛肉の格付けを決めるにあたって、サシの入り方が重要な要素とされているからだ。
豚のトントロの例も記憶にあたらしい。それまで豚の喉周辺の肉は、とくに注目されてもいなかったが、誰がつけたのか、トントロという名前がついて売られるようになった。

北海道、島根、埼玉、石川、東京、熊本、静岡、千葉など、各地の生産者の語る話はどれも印象的だ。命と向き合う仕事の奥深さをを強く感じた。

2020年7月15日、文藝春秋、1500円。

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2020年07月27日

岡部敬史(文)・山出高士(写真)『くらべる京都』


「くらべる」シリーズも6冊目。

今回は岡部氏のふるさと「京都」に関する様々なことが比べられている。「賀茂川/鴨川」、「西寺/東寺」、「衣笠丼/木の葉丼」、「東華菜館/レストラン菊水」など。

鴨川の「かわゆか」は「涼しそうに見えるけれど実は暑い」こともありますが、貴船の「かわどこ」は、北部の山中にあることもあり本当に涼しい。

京都に住んで19年になるけれど、三条大橋(昭和25年)より七条大橋(大正2年)の方が古いことや、「中二階」と「総二階」の違い、東大路通りに面した八坂神社の「西楼門」が正門でないことなど、この本で初めて知った。

千葉県鴨川市を流れる「加茂川」や伊豆の修善寺にある「渡月橋(とげつばし)」を京都の本家と比べているのも、独自の視点で面白い。

2020年3月4日、東京書籍、1300円。


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2020年07月24日

先崎学『うつ病九段』


副題は「プロ棋士が将棋を失くした一年間」。
2018年に文藝春秋社より刊行された本の文庫化。

将棋の棋士として、またエッセイの書き手としても知られる著者が、自らのうつ病体験を赤裸々に記した一冊。2017年6月の発病から始まり、一か月間にわたる入院、その後の回復の日々、そして復帰へ向けて準備を進める2018年3月までの記録である。

うつは孤独である。誰も苦しさを分かってくれない。私には家族がいて、専門家の兄がいるという最強の布陣だったが、それでも常に孤独だった。
知ったのは、世の中にうつ病の人間がいかに多いかだった。実は私の兄弟がとか、親がとか、ごろごろ出てくる。そして身内にいる人といない人とでは、同じはなしをしても反応が違うのだ。

うつ病については知らないことが多かったので、今回この本を読めたのは良かった。

もちろん、将棋に関する話も出てくる。

なんといっても棋界は弱肉強食の世界である。常に厳しい競争を繰り返し、そして当たり前だが、みんな馬鹿みたいに将棋が強く、紙一重のところで勝負がつく。
将棋界は仲間意識は強いが、弱った者は基本的に叩かれるのが習いとなっている。奨励会はもろに淘汰の世界で、弱いものからはじかれていく。

藤井聡太棋聖の活躍もあって近年将棋が大きな注目を集めているが、実力勝負の厳しい場であることをあらためて感じた。

2020年7月10日、文春文庫、600円。


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2020年07月16日

内藤正典・中田 考『イスラムが効く!』


イスラム地域研究者の内藤正典とイスラム法学者でムスリムの中田考が、イスラムの様々な知恵について語り合った本。人生、ビジネス、男女、貧困問題、心の病、高齢社会、家族、世界平和といった話題について、イスラムの観点からの見方・考え方を教えてくれる。

中田 お金を払って買う人間はそもそも「お客(guest)」じゃない。Customerです。それが日本だと、そもそも商業文化があまりないもので……
内藤 西洋諸国の多くは、「世俗主義」、日本では「政教分離」と言ったほうがわかりやすいですけど、政治や公の領域に、教会や宗教は出ちゃいけないんだという原則で国を作ってきた。
中田 日本みたいに「収入がないから結婚できない」というのはバーチャルな妄想です。妄想の中で生きているんですよね。
中田 イスラームの教えの基本は「人の言うことは気にしなくてもいい」ということなのですよね。神様が認めてくれればそれでいいわけですから、人がなんと言おうとかまわない。
中田 イスラームでは「寿命は決まっている」という考え方ですので、長生きするのがいいというのはべつに言いません。
内藤 日本人の世界観はどこか情緒的です。トルコなんて、枕詞みたいに「親日国」と言われますが、そもそも大半のトルコ人は日本のことを知りません。

こんなふうに、西洋的な考え方とも日本的な考え方とも違うイスラムの考え方を知るだけでも、ずいぶんと新鮮な気分になる。そもそも「国」だって、自明なものでも何でもない。「日本」や「日本人」という枠組みに縛られている必要もないのかもしれない。

2019年3月5日、ミシマ社、1600円。


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2020年07月14日

原 武史『滝山コミューン一九七四』


2007年に講談社より刊行された本の文庫化。
何ともすごい本である。

1974年に東久留米市立第七小学校において形成された強固な地域共同体(滝山コミューン)とは何だったのか。自らの小学校時代の暗い記憶を掘り起こし、関係者への取材も交えて、著者はその原因となった教育のあり方を突き止めていく。その背景には、全国生活指導研究協議会(全生研)の主導した集団主義教育や「学級集団づくり」があった。

全生研が「学級集団づくり」を進めてゆく上で、「ソビエト市民生活」に近い「四〜五階のアパート形式で、エレベーターなしの階段式」の滝山団地がいかに“理想的”な環境にあったかは、こうした観点からも裏付けられるように思われる。
私にとっての「安住できる場所」は、しだいに四谷大塚になってゆく。後に見るように、七小で疎外感や孤立を味わえば味わうほど、塾通いという、表面的には批判されるべき日曜の一日が、私にとっては七小の児童以外の集団に帰属する貴重な機会となった。
児童により構成される選挙管理委員会が、4年以上の全校児童から立候補者を募り、委員長、副委員長、書記を同じく4年以上の全校児童の投票による直接選挙で選ぶことにしたのである。

こうした記述を読みながら、私も自分の小学校時代を思い出す。著者よりは8歳年下で、住んでいたのも西武沿線ではなく小田急沿線であったが、東京郊外のベッドタウンで育ったこと、四谷大塚進学教室に通っていたこと、児童代表委員会の選挙があったことなど、いくつも共通点がある。

この本を読んで痛ましく思うのは、教師も親もみな良いことをしているという強い意識を持っていたことである。実際に、教育に熱心な教師であり、子供の将来を思う親たちであったのだ。でも、そうした善意が必ずしも良い結果を生むとは限らないのである。

私は小学校生活に普通になじんでいたと思うけれど、本当のところはどうだったのだろう。

2010年6月15日、講談社文庫、600円。

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2020年07月12日

藤森照信『現代住宅探訪記』


「TOTO通信」の連載から15件を選んでまとめた本。

篠原一男〈谷川さんの住宅〉、A・レーモンド/津端修一〈津端邸〉、磯崎新〈新宿ホワイトハウス〉、藤井厚二〈八木邸〉、平田晃久〈Tree-ness House〉など、個性豊かな建築が豊富な写真や図面とともに紹介されている。

建築作品の個性は、篠原でも山下でも建築家の人柄と深く関係し、違う人柄の人がまねようとしても結局ダメだと。私も、そう思う。人柄だけでなく、知力、身体性、すべての総和として建築は生まれてくる。
藤井がただひとりというか、最初に伝統とモダンの通底化に成功したのは、和と洋といった文化的差異の奥に幾何学という世界共通の原理を発見したから、と、近年の私は考えている。
日本のすぐれた建築家たちは、公共建築や銀行、会社などの大建築だけでなく、住宅という私的で小さな建築においても大建築に負けない、というより、ときには大建築では認められないような先駆的試みに取り組み続けて今に至ることが分かる。

お金のある人生だったら、自分の好きな家を建ててみたいものだな。

2019年12月30日、世界文化社、2200円。

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2020年07月09日

『おいしい資本主義』のつづき

ライター生活30年の著者は、文章を書くことについてもこの本で述べている。

自分としては、音楽を書こうと文学を書こうと、アメリカや、政治、経済の話を書こうと、ばっちり焦点があっている、というか、〈同じこと〉を書いているつもりだ。

これは、よくわかる気がする。他人から見ればバラバラに見えることでも、自分の中ではちゃんと一つの像を結んでいるのだ。

文章を書く前は、自分が何を考えているのかも、分からない。文章に組み立て、ようやく、「ああ、おれはこんなことを考えていたのか」と、驚く。考えがあって、文章がまとまるんじゃない。逆。

これも、まさに実感するところ。文章を書く時もそうだし、短歌を詠む時もそうだ。

そう言えば、この本には頭脳警察、TEARDROPS、クール・アシッド・サッカーズなどの歌詞が随所に引用されているのだが、短歌もあった。

空は青雲は白いというほかに言いようないねじっと空を見る
どこまでが空かと思い結局は地上すれすれまで空である。
                  奥村晃作


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2020年07月08日

近藤康太郎『おいしい資本主義』


朝日新聞の人気連載「アロハで田植えしてみました」の著者が、自らの体験を記した本。

東京でライター兼新聞記者の仕事をしていた著者は、東京での生活に行き詰まりを覚え、諫早市に移って朝1時間だけの田んぼ仕事をすることにする。目標は自分の食べるだけの米を自分で作ること。

と言っても、単なる農業体験記ではない。現代の資本主義社会の問題点を指摘し、新たな生き方を提案・実践する思索の書でもある。

じつは、日本は瑞穂の国ではない。日本の国土が稲作に適しているというのは、美しい神話だ。植物としての稲を、いわば「工業製品」として、廉価に、大量に、効率的に栽培しようと思ったら、日本の風土が最適というわけでは決してない。
いまの社会はコミュニケーション能力に過剰に力点を置いている、「コミュ力強迫社会」である。コミュ力、コミュ力と追い立てられて、居場所がなくなっちゃう人、適応できない人、生きにくくなっている人が、一定数、出てきているのも事実。
うまい農家はカネなんか使わない。というか、「貨幣でなんとでもなる」という時代精神は、田では思考の怠惰でしかない。

好きなライター仕事を一生続けていくために、とりあえず自分の食い扶持は自分で作る。実にシンプルで、かっこいい。

2015年8月30日、河出書房新社、1600円。


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2020年07月04日

辻田真佐憲『ふしぎな君が代』


「君が代」は、賛成か反対かの二元論で語られるか、敬して遠ざけるといった態度を取られることが多い。それに対して著者は、以下の6つの疑問を解き明かしたうえで「君が代」への新しい向き合い方を提案している。

・なぜこの歌詞が選ばれたのか
・誰が作曲したのか
・いつ国歌となったのか
・いかにして普及したのか
・どのように戦争を生き延びたのか
・なぜいまでに論争の的になるのか

歌詞や作曲など、自分自身こんな基本的なことも知らなかったのかと驚かされることばかり。まずは「君が代」についてよく知ることが、議論のためにも必要なのだ。

唱歌や軍歌と呼ばれる歌は、鉄道や通信制度などと同じく、明治政府の関係者が西洋諸国を参考にして導入したものであった。
当時、国歌を作りうる政府機関は、陸軍軍楽隊、海軍軍楽隊、宮内省雅楽課、文部省音楽取調掛の四つしかなかった。
インターネットで検索すればすぐ「君が代」の音源が見つかる現代では考えにくいが、録音技術が未発達な時代、その模範的な歌い方を実際に聴くことは容易ではなかった。
起立して、姿勢を正し、「君が代」を一回だけ歌う。(…)現在我々が当たり前だと思っている「君が代」斉唱の風景は、実は戦時下に完成したものに他ならなかった。

「君が代」をめぐる話を通じて浮かび上がってくるのは、明治以降の日本の歴史であり、近代日本が抱え込んだ様々な矛盾や軋轢である。それは過去の話ではなく、現在まで続く問題として残されている。

2015年7月30日、幻冬舎新書、860円。

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2020年06月07日

木原善彦『アイロニーはなぜ伝わるのか?』


「言いたいことの逆を言う」かのようなアイロニーがなぜ相手に伝わるのか。豊富な用例を提示しながら丁寧に解説している。

従来の「こだま理論」「ほのめかし理論」「偽装理論」などを紹介・批判したうえで、著者が示すのは「メンタル・スペース理論」。〈期待〉される世界と〈現実〉の世界との衝突や差によってアイロニーが生まれるというものだ。

この説明ですっきり納得が行くかと言えば、残念ながらそこまでではない。もやもやしたものが残る。ただ、様々なアイロニーの型や例が挙げられているので、それを読むだけでも面白い。

本の内容とは離れるが、今年5月6日にバンクシーが発表した作品「Game Changer」について、医療従事者への感謝を表しているという見方もあれば、医療従事者をヒーロー扱いする政府やメディアへの皮肉という意見もあった。

同じ作品をアイロニーとして受け取る人とそうでない人がいる。これは短歌の読みにおいても時おり見られることで、アイロニーという方法の奥深さであり難しさでもあると思う。

2020年1月30日、光文社新書、780円。

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2020年06月04日

太宰治『人間失格 グッド・バイ 他一篇』


「他一篇」は評論「如是我聞」。三篇とも太宰が38歳で亡くなる昭和23年に書かれた作品である。

太宰の作品は高校から大学の頃に愛読していたが、今回30年ぶりくらいに読んだ。本当に久しぶりという感じ。自分が年を取った分、以前とはまた違った味わいを楽しめた気がする。

世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。
                   「人間失格」

それにしても、38歳って早いな。

1988年5月16日第1刷発行、2019年9月17日第48刷発行。
岩波文庫、600円。

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2020年05月28日

pha『どこでもいいからどこかへ行きたい』


「旅」「街」「住む場所」についてのエッセイ集。2017年に幻冬舎より刊行された単行本『ひきこもらない』を改題、再構成して文庫化したもの。

旅先でも一切特別なことはしない。観光名所なんか一人で行ってもつまらない、景色なんて見ても2分で飽きる。一人で食事するときはできるだけ短時間で済ませたいので、土地の名物などは食べず、旅先でも普通に吉野家の牛丼とかを食べている。

というようなスタイルで、「ぼーっとしたいときは高速バスに乗る」「一人で意味もなくビジネスホテルに泊まるのが好きだ」「チェーン店以外に行くのが怖い」「夕暮れ前のファミレスで本を読みたい」「昔住んでた場所に行ってみる」といった話が書いてある。

僕にとって旅行というのは普段しないような珍しい体験をしたくてするものではなくて、ただ自分のいつもの見慣れた日常を抜け出して、知らない土地で行われている別の日常を覗き見したくてしているようなところがあるのだと思う。
細かい場所に面白さや新しさを見出せる視点さえあれば、家の近所を散歩しているだけでも毎日新たな発見がある。既知と思っていることの中にいくらでも未知は隠れているものだ。
電車を降りたらまず駅前にある地図を見て、「東口より西口のほうが栄えてそうだな」などと、街の構造を想像する。
カフェなどを仕事場にするときのジレンマというのがあって、それは「空いている店は落ち着けてよいけれど、あまりにもガラガラの店は潰れてしまう」というものだ。
今の僕は京都を遠く離れて東京に住んでいるけれど、東京にはなぜ鴨川がないのだろうと不満に思う。

共感する箇所を引用し始めるとキリがないくらいだ。一番根本にあるのは、社会の中でどのように自分を保ちつつ自由に生きていくか、ということだろう。でも、あまり共感し過ぎてもいけない気がする。そのあたりが何とも微妙なところ。

2020年2月10日、幻冬舎文庫、600円。

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2020年05月18日

白井久也『検証 シベリア抑留』


敗戦後に約57万5千人がソ連各地で強制労働に従事させられ約5万8千人が死亡したとされる「シベリア抑留」。その原因や実態、国家賠償を求める裁判などについて記している。

本書の一番の特徴は、シベリア抑留がなぜ起きたかという点を詳しく分析しているところだろう。それは単に国際法を無視したソ連の横暴や日本軍の無責任な体質のためでけでなく、様々な要素が結び付いて行われたものであった。

一つには、激しい独ソ戦で約2660万人もの死者を出したソ連では労働力の不足が著しかったこと、また、スターリンの独裁下で政治犯などを収容するラーゲリが全国各地にあったこと、大戦末期に日本が植民地の割譲や兵力賠償を条件にソ連に和平交渉の仲介を依頼したこと、日本には捕虜を恥とする考えが根強く捕虜の扱いや権利に関する知識が不足していたこと、などである。

もともと給食の定量が少なくて、慢性的飢餓感に苛まれていた日本人捕虜は、ノルマを巧妙に操った「懲罰減食」の恐怖におびえて、わが身を一段と過酷な捕虜労働に駆り立てた結果、病気になったり、命を落としたりする悲劇が、後を絶たなかった。
「反動」の烙印を押された捕虜は、捕虜集会に引き摺り出され、「吊し上げ」という名の大衆制裁を受けた。アクティブたちが被告となった捕虜の罪状を告発、自己批判を強要するのだ。

シベリア抑留の実態は、読めば読むほど悲惨の限りである。でも、それを戦争の生んだ悲劇とだけ捉えていても始まらない。実態を正確に記録し、原因や責任を明確にすることが、私たちの今後のためにも必要なのだ。

2010年3月15日、平凡社新書、800円。

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2020年05月16日

『恥ずかしながら、詩歌が好きです』の続き

この本には「近現代史を味わい、学ぶ」という副題が付いているが、取り上げられている作品はほぼすべて近代短歌、近代詩である。現代の、最近の詩歌は載っていない。

それは教科書などを通じて私たちが慣れ親しんでいる詩歌が近代のものだからいう理由だけではないようだ。

どんなに美しく、また観念的、象徴的であっても、近代詩歌は基本的には詩人の実人生を反映しています。選び抜かれた言葉の襞のあいだには、折りたたまれた人生の苦悩がぎっしり詰まっている。
ホントにね、漢詩風の文語体や七五調の威力は凄くて、私は今回、好きだった詩をあれこれ思い出しながら本書を書いているのですが、暗唱できるのはほとんど七五調の詩ばかりで、自由律詩は断片しか思い出せませんでした。

こうした文章を門外漢の話と退けることもできるけれど、そうではなくて、現代詩や現代短歌に対する耳の痛い批評として読むことも可能だろうと思う。

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2020年05月15日

長山靖生『恥ずかしながら、詩歌が好きです』


副題は「近現代詩を味わい、学ぶ」。

人気の評論家である著者が、自分の好きな詩歌について分析も交えながら楽しく論じた一冊。明治から戦後にかけての文壇交流史や文学史として読むこともできる。

取り上げられている詩人・歌人は、正岡子規、伊藤佐千夫、長塚節、与謝野鉄幹、夏目漱石、森鷗外、大塚楠緒子、与謝野晶子、乃木希典、上田敏、北原白秋、木下杢太郎、佐藤春夫、萩原朔太郎、吉井勇、若山牧水、中村憲吉、中原中也、石川啄木、百田宗治、萩原
恭次郎、小熊英雄、片山廣子、芥川龍之介、高村光太郎、山村暮鳥、千家元麿、三好達治、佐藤惣之助、立原道造、堀辰雄、折口信夫、斎藤茂吉、山之口獏など。実に幅広い。

日清戦争時の戦争詩というと新体詩ではなく圧倒的に漢詩です。文人だけでなく、戦地の将校や兵卒らも漢詩を作っては日本に送り、それが雑誌などによく載っていました。
北原白秋旗下の三羽烏といえば萩原朔太郎、室生犀星、大手拓次ですが、彼らは三感覚をそれぞれ継承した感があります。萩原は色彩、室生は味覚、そしてもちろん大手といえば香りですね。
私は長塚節の小説『土』と共に中村憲吉の造り酒屋の歌が、日本の地方・農村というものを考えるうえで、今も忘れてはならない根源的な精神を伝えてくれていると考えています。
弟子が一人前になるには、師と決別する時期を持たなければなりません。強く惹かれる分、師の模倣ではない「自分だけの世界」を確立する努力は辛いものとなります。

時おり混じる軽い口調が少し気になるが、全体に詩歌に対する深い愛情と博識ぶりに引き込まれて読んだ。短歌は短歌、詩は詩と分けて考えていても、近代の詩歌は見えてこない。もっと詩を読んで、詩に対する理解を深めていかなくてはと思う。

2019年11月30日、光文社新書、940円。

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2020年05月09日

半田カメラ『遥かな巨大仏 西日本の大仏たち』


西日本各地にある大仏を訪れて写真入りで紹介したガイドブック。『夢みる巨大仏 東日本の大仏たち』の続編。

立像で4.8メートル、坐像で2.4メートル以上の大きさの仏像を求めて、北陸、東海、近畿、中国、四国、九州を旅する。「大仏めぐりをはじめてから10年目」とのことだが、とにかく大仏愛に溢れた内容となっている。

ありふれた日常の風景を切り裂くように忽然と現れる巨大な仏さま。瞬時にそれが現実のものとは受け入れられず、目と頭との間でいつもより念入りに情報交換が行われ、頭がこれは現実だと受け入れてからやっと体が動き出す感じ。

「奈良の大仏」や日本最古の「飛鳥大仏」など有名な文化財だけでなく、平成20年にできたばかりの紀三井寺の「大千手十一面観世音菩薩」や個人所有のビルの屋上にある「安治川の仏頭」など、82体の大仏が載っている。大仏であれば何でもOKという姿勢が清々しい。

大仏に限らず大きなものが好きなようで、コラムでは東尋坊タワーや香川県観音寺市の「寛永通宝」、福岡県の「旧志免鉱業所竪坑櫓」なども紹介されている。

本業がカメラマンということもあって、掲載されている写真がどれも素敵なものばかり。時間や季節や天気をよく考えて撮影しているのだと思う。

2020年2月24日、書肆侃侃房、1800円。

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2020年05月04日

山下裕二『日本美術の底力』


副題は「「縄文×弥生」で解き明かす」。

「動と生、過剰と淡泊、饒舌と寡黙、あるいは飾りの美と余白の美」を、それぞれ「縄文」と「弥生」の2つのキーワードにして、日本美術の歴史を描いた本。縄文土器から村上隆の「五百羅漢図」まで、カラー写真69点も収められている。

特に良かったのは、伊藤若冲「紅葉小禽図」、葛飾北斎「木曽路ノ奥阿弥陀ヶ滝」、宮川香山「褐釉蟹貼付台付鉢」、安本亀八「相撲生人形」、佐藤玄々「天女(まごころ)像」、小村雪岱「青柳」、福田平八郎「漣」、田中一村「不喰芋と蘇鐵」、岸田劉生「麗子坐像」。

日本における水墨画とは、基本的に中国・宋代の絵画スタイルをもとに、鎌倉時代後期以降に描かれた作品を指します。それ以前の作品は、たとえ墨一色で描かれていても水墨画とは呼びません。
若冲作品のなかでも人気の「鳥獣花木図屏風」は、かつて東京国立博物館の奥で埃をかぶっていました。東博に寄託されていたこの作品を発見したのは、当時、同館に勤めていた美術史家の小林忠氏です。

こういった美術史家としての知識にも、教えられるところが多い。

2020年4月10日、NHK出版新書、1200円。

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2020年05月01日

姜尚美『何度でも食べたい。あんこの本』


2010年に京阪神エルマガジン社から刊行された単行本を加筆修正して文庫化したもの。

25歳であんこの美味しさに開眼した作者が、全国36軒の店を取材して紹介している。それぞれの店の人の語る言葉が印象深い。

甘さ控えめがいいみたいに言われてますけど、砂糖を減らしたら控えめに感じるかと言えば、それは違う。ただの水くさいあんこになってしまうんです。(紫野源水)
大阪の御堂筋のイチョウ並木の黄色とね、和歌山の高野山のイチョウの黄色は違うんですよ。御堂筋のはすこーし濁った黄色ですわ。高野山は透明な黄色。(河藤)

あんこに関する話も興味が尽きない。

京都の和菓子屋さんには、意匠に凝ったその店独特の菓子を出す上生菓子屋さん、饅頭や最中を出すおまん屋さん、餅や餅菓子を出すお餅屋さんの3種類ある。
小豆は、世界の豆類の中でかなりマイナーな存在だ。おもに栽培は東アジアでされているが、伝統的に流通・食用までしているのは中国、韓国、台湾、日本の4か国ほど。その中で一番小豆を食べているのが日本で、ほとんどをあんこにして食べている。

日本人って、そんなにあんこが好きだったのか・・・

巻末の「あんこ日記」によると、作者は日本国内にとどまらず「東アジアあんこ旅」と称して、韓国、台湾、中国、ベトナムにも取材に出向いている。その上で「あんこへの道は迷宮入りした。しかし、ここから新たな扉が開くような予感もする」と書く。

あんこって、奥が深い。

2018年3月10日、文春文庫、850円。


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2020年04月23日

アサダ・ワタル『住み開き 増補版』


副題は「もう一つのコミュニティづくり」。
2012年に筑摩書房より刊行された単行本を増補・文庫化したもの。

自宅の一部をカフェや美術館、図書館、イベントスペースなどとして開放することを「住み開き」と名付け、全国で35件の実践例を紹介している。印象的なのは、「住み開き」を通じてそれまでとは違うタイプの人と人のつながりが生まれていることだ。

集会所を借りるよりもお金がかからない、などの経済的な面もあるだろうが、何よりも、「自宅開放」が人とのつながりをより強固に編み上げる機能を果たしているのだ。
結局のところ、「住み開き」は他者を変える、地域を変える前に、「私」をこそ開き、「私」をこそ変えるのだと。

もちろん、自宅に人が出入りするのだから難しい面もたくさんある。実際に「2012年発刊当時掲載した31事例のうち、実に半数以上が同地での活動を解消」しているそうだ。別形態への展開や発展的な解消もあるけれど、「掲載の数年後に、メンバーの仕事と生活の環境変化のために活動終了」といった例もある。

そうした後日談も含めて、いろいろと学ぶことの多い一冊であった。

2020年3月10日、ちくま文庫、820円。


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2020年04月21日

松木武彦編著『考古学から学ぶ古墳入門』


このところ古墳に興味があって、あちこち見に行っている。見るだけでなく少しは知識も得ようと思って、この本を買った。古墳の役割や歴史、形状や構造、見るポイントなどが詳しく解説されている。

15万基以上という古墳の数は、日本のコンビニエンス・ストアの店舗総数の約3倍です。
仏教の伝来と公認によって思想が国際的に開明化したことが、前方後円墳を消滅させました。
デジタルの地理情報を容易に手に入れ、操作することができるようになったいまでは、それらを使って古墳を見つける試みも始まっています。

古墳の数が全国に15万基以上もあり、しかもまだ見つかっていない古墳もあるというのは驚きだ。

著者は古墳を愛してやまない人らしい。石室の撮影ポイントの一つに「天井」を挙げて「カッパ着用なら玄室の床に寝転がって撮る」と書いている。

いや、すごいな。一度やってみよう。

2019年6月11日、講談社、1500円。

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2020年03月30日

石牟礼道子・藤原新也『なみだふるはな』


2012年に河出書房新社より刊行された単行本の文庫化。
東日本大震災後の2011年6月13日から15日の三日間、熊本市の石牟礼道子宅で行われた対談を収めている。

帯に「水俣と福島―共振する、ふたつの土地」とあり、最初はちょっと強引な結び付け方ではないかと思ったのだが、対談を読み進めるうちに、水俣で起きたことと福島で起きたことの間には深い共通点があることがよくわかった。

電気が最初に来た日は、何時ごろ電気が来ますと町内でふれ合って、時計を見ながらみんなで待っているんです、電気を。傘もない裸電球ですけれども。そのときの驚きとうれしさはなかったですよ。「それで世の中が開ける」という言葉が家では定着していました。その最初を開いてくれたのは会社だ、と。
「チッソ」とはいっていませんでしたね。いまでも「チッソ」とはいわない。水俣に行けば「会社」という。
うれしかったですよ。だって、大人たちが「市になってよかった」と。日本の近代というのは田舎をなくそうということだったでしょう。それで、「田舎者」という言葉がありますように、「いなかもん」といわれるほど屈辱はない。

水俣とチッソの関係は、福島(の浜通り)と東京電力の関係とよく似ている。

石牟礼の記憶は非常に鮮明で、細かな部分にも話は及ぶ。それを丁寧に掬い取りながら話題を展開していく藤原のさばきも良い。内容の濃い優れた対談だと思う。

2020年3月20日、河出文庫、850円。

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2020年03月25日

増補版というもの

西村佳哲『増補新版 いま、地方で生きるということ』は2011年刊行の本に2019年のインタビューが増補されている。8年の間に状況が変ったり、当初の思い通りに行かなくなったりした話も載っている。

彼はその後、キャベツ中心の大規模農家になりました。今はそのビジネスの成就に心血を注いでいるようです。当時は一緒に新しい試みを模索していましたが、今ではまったく交わることが無くなってしまいました。(柴田道文)
西村さんのインタビューの後にこの土地から離れていった人も沢山いましたし、私が『のんびり』に必死すぎたせいで、秋田に居ながらにして距離が生じてしまった人も多く、半ば強制的に自分の足で立たなければならなくなった。(矢吹史子)
氷見には2013年以来通えていないけど、子どもが生まれた子もいて、元気にしているという便りをもらっている。自費出版の写真集をみんなに届けに行ったのが最後です。(酒井咲帆)

こういう後日譚にこそ、生々しい現実が滲んでいるように感じる。それを読めるのが、この増補版の一番の良さかもしれない。

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2020年03月22日

渡部陽一『戦場カメラマンの仕事術』


テレビでも人気の著者が、戦場カメラマンになった経緯や取材の方法を記した本。第二部には4名のジャーナリストとの対談が載っている。

印象に残るのは下積み時代の話。アルバイトでお金を貯めては戦場に行くという日々だったようだ。

僕はひとりぼっちのフリーランスで、バナナの積み込み作業をして戦場に行き、編集部に写真を届け、1枚も使ってもらえずに、また積み込みをしてお金が貯まると戦場に行くという繰り返しでした。

他にも著者の考え方や大事にしていることが、いろいろと明らかにされている。

悩んだときにはゴー。悩んだそこには答えがある、と思うんですね。
21世紀はインターネットが発達して、取材の仕方、発表媒体、掲載のスピードなど様々な条件が変わってきています。しかし、基本のアプローチはアナログだと思います。
移動の段取りを自分で組み、手探りで進むことで、町の名前や思い出、移動手段のバス会社の名前などのひとつひとつがインプットされる。これもまた大切な取材の一環ですね。


2016年3月20日、光文社新書、880円。

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2020年03月18日

西村佳哲『増補新版 いま、地方で生きるということ』


2011年8月にミシマ社より刊行された本に増補加筆して文庫化したもの。東日本大震災後の2011年5月に東北と九州を訪れ、11人にインタビューしながら考えた内容に、8年後のインタビューが追加されている。

ふだん自然学校などを運営している方々が震災後の被災地に入って経験を生かしたボランティア活動をされていたことを、この本で初めて知った。「自然学校」と「震災」は全く関係ないように見えるのだが、ライフラインのない場所でどう生きるかという意味でとても近いものがあったのだ。

商売にせよ遊びにせよ、何事においても基本やっぱり“一人でできる”ということですよね。「自立」というか個々のパワーアップがないと、最終的に単なる村社会のようになってしまう。(柴田道文)
山菜やきのこの採り方だったり、いろんなことを知っていて。「なにもなくても生きていけるぜ」っていう、生きる力っていうのかな。それをすごく持っている人がたくさんいて。(柏ア未来)
欧米では公(public)・共(Common)・私(Private)の三つは別々の概念として捉えられている。(・・・)ところが日本では「公共」という言葉で、このうちの二つが一緒くたになっている。(徳吉英一郎)
中央/地方と分けてとらえること自体に違和感がある。僕の中でそれらの領域の境目が薄れてきている感じがあるんです。(田北雅裕)
フィジカルをケアしておけばいいと言ったのは、物事に反応する自分自身が変わっていくから。たとえば健康になると気分がいいから、またジョギングやろうかなって気になったり。(豊嶋秀樹)

生きる上でのいろいろなヒントが詰まった本。
でも、最後は誰だって自分で考えて決めなくてはならない。

2019年12月10日、ちくま文庫、860円。

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2020年03月02日

『秘境旅行』のその後

『秘境旅行』はもともと1962年刊行の本なので、60年近く前の話ということになる。ここに載っている写真の多くは、今ではもう撮ることができないだろう。失われてしまったものや、無くなってしまったものがたくさんある。

一方で、この本に書かれた話のその後が続いている例もある。

例えば「一校長の執念の結晶」として紹介されている広島県千代田町(現・北広島町)の新藤久人氏の収集品は、現在、芸北民俗芸能保存伝承館に保存されている。
https://www.town.kitahiroshima.lg.jp/site/bunkazai/1775.html

また、町ぐるみで養鶏が奨励されていた島根県大東町(現・雲南市)は今でも養鶏が盛んで、「うんなんたまごプロジェクト」といった町おこしにも活用されている。
https://www.unnan-tamago.com/

こんなふうに現在まで繋がっているものがあることを知ると、何だかとても嬉しい。

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2020年03月01日

芳賀日出男『秘境旅行』


1962年に秋元書房から刊行された本を再編集し、加筆・修正のうえ文庫化したもの。おススメの一冊。

「写真家としてこの十年間二千日くらい旅行をした」と記す作者が、北は北海道のノサップ岬から南は沖縄の久高島まで、昭和30年代の日本各地を訪れた記録。

150点余り掲載されている写真が実にいい。風景も人の表情も、豊かで力がある。私の生まれる前の世界なので、懐かしさとは違う。別世界の美しさといった感じである。

文章も味わい深い。

歯舞をすぎてバスの車掌が、
「カワイさん前」
と呼ぶ。北海道の田舎を旅行していると「タカハシさん前」とか、「キムラさんのお宅前」という名のバスの停留所にあう。広々とした原野の中にぽつんと一軒、サイロウを持った農家がある。(北海道ノサップ)
鉄道東海道線が開通して回船制度が消滅すると、同時にそれは妻良の没落であった。以後七十年間、妻良は毒りんごを食べた白雪姫のように眠りつづけてしまった。(静岡県妻良)
誰一人知る人もない外泊の村へ坂をこしてゆくのはいくらか心細かった。それでも岬をまわって外泊を一目見た時、私の瞳は天地に一ミリずつ大きく開いたほどの素晴らしさに見とれた。(愛媛県外泊)

全国18か所が紹介されているのだが、私が行ったことのあるのは「網走」と「舳倉島」の2か所だけ。もっと日本のあちこちに行ってみないとなあ。

2020年1月25日、角川ソフィア文庫、1160円。

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2020年02月25日

『ちくま日本文学12 中島敦』


先日、万城目学の『悟浄出立』を読んだ流れで、中島敦を読む。
小説17篇と短歌170首あまり。読んだことのある作品がほとんどだが、やはり中島敦はいい。

彼の主人たるこの島の第一長老はパラオ地方――北はこの島から南は遠くペリリュウ島に至る――を通じて指折の物持ちである。  /「幸福」

昭和 17年11月の作品だが、このわずか2年後にペリリュー島が日米両軍の激戦地になることを思うと感慨深い。パラオには一度行ってみたい。

「巡査の居る風景」(昭和4年6月)は戦前の朝鮮が舞台。夫が商売で東京に行って地震(関東大震災)で亡くなったと言う朝鮮人女性が出てくる。

 男は急にギクリとして眼をあげると彼女の顔を見た。と、しばらくの沈黙の後、彼は突然鋭く云った。
――オイ、じゃあ、何も知らないんだな。
――エ?何を。
――お前の亭主はきっと、……可哀そうに。

ここに暗示されているのは朝鮮人虐殺事件である。彼女の夫は地震で死んだのではなく、震災の混乱のなかで殺されたのだ。

うす紅くおほに開ける河馬の口にキャベツ落ち込み行方知らずも
海越えてエチオピアより来しといふこのライオンも眠りたりけり
縞馬の縞鮮やかにラグビイのユニフォームなど思ほゆるかも
うねうねとくねりからめる錦蛇一匹(ひとつ)にかあらむ二匹(ふたつ)にかあらむ
カメレオンの胴の薄さや肋骨も翠(みどり)なす腹に浮きいでて見ゆ

2008年3月10日、ちくま文庫、880円。

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2020年02月14日

万城目学著『悟浄出立』


万城目学は好きな作家で、『鴨川ホルモー』『鹿男あをによし』『ホルモー六景』『プリンセス・トヨトミ』『偉大なる、しゅららぼん』『とっぴんぱらりの風太郎』と読んで、映画も3本とも見たのだが、なぜかそこで止まっていた。

本書は中国の古典に題材を得た作品5篇(「悟浄出立」「趙雲西航」「虞姫寂静」「法家孤憤」「父司馬遷」)を収めたもの。どれも原典を踏まえつつ自由な想像力で奥行きのある話を生み出している。

中でも「虞姫寂静」はストーリーの展開が見事で味わい深い。
このシリーズはもっと読みたいなあ。

2017年1月1日、新潮文庫、490円。

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2020年02月11日

田山花袋著『田舎教師』


明治34年から38年の埼玉県を舞台に、家が貧しくて進学できず小学校の教師となった主人公、林清三の生活や心情を描いた小説。熊谷、行田、羽生、弥勒、中田といった町の様子や利根川の風景なども記されている。

 「湯屋で、一日遊ぶような処が出来たって言うじゃありませんか。林さん、行って見ましたか」(・・・)
 上町の鶴の湯にそういう催しがあるのを清三も聞いて知っていた。夏の間、二階を明放して、一日湯に入ったり昼寝でもしたりして遊んで行かれるようにしてある。氷も菓子も麦酒(ビール)も饂飩も売る。ちょっとした昼飯位は食わせる準備も出来ている。浪花節も昼一度夜一度あるという。

これは、まさに現代の「スーパー銭湯」ではないか。何と100年以上も前からあったとは!

明治という時代について知るための資料のつもりで読んだのだが、すこぶる面白かった。田山花袋、いいな。

1931年1月25日第1刷、2018年3月16日改版第1刷、
岩波文庫、740円。

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2020年02月09日

小川輝光著『3・11後の水俣 MINAMATA』


歴史総合パートナーズ7。

水俣を訪れて水俣病の歴史や現在を学ぶとともに、3・11後の社会のあり方を考える本。

水俣病については学校で習った程度の知識しかなかったので、公害の問題を差別や格差、分断といった社会的な側面から捉え、そこに福島の原発事故と同じ構造を見出す視点が強く印象に残った。

肥薩おれんじ鉄道水俣駅を降りるとすぐ正面に、チッソ水俣工場の正門が見えます。この間の距離は50メートルもあります。というのも、もともと水俣駅はこの工場のためにつくられたからです。

駅の前に工場があるのではなく、工場の前に駅が作られたということ。それを知っているだけでも風景の見方が変ってくる。

そのチッソは、水俣の人たちにとって絶対的な存在でした。チッソの側に立つか立たないかで、生活を巻き込んだ分断を招きました。漁民暴動の際には工場の従業員と漁民との間の隔絶が、安賃闘争の際にはチッソで働く者同士の分断が、患者の座り込みの時には市民と患者との断絶が見られました。

こうした分断の構図は、原発の立地する町にも必ずと言って良いほど存在するものだ。

そのような学びの中で、原田正純がたどり着いた最も重要な理解は何だと思いますか。それは、「公害があるから、差別が起こるのではない」「差別のあるところに公害が起きる」という事実でした。

非常に大切で、説得力のある見解だと思う。

「歴史総合パートナーズ」(10冊)は2022年から高校の必修科目となる「歴史総合」のために刊行されたシリーズで、記述はわかりやすく内容は深い。おススメ。

2019年1月9日、清水書院、1000円。


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2020年02月06日

武田徹著『日本ノンフィクション史』


副題は「ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで」。

現代では当り前のように使われる「ノンフィクション」という言葉は、いつ頃、どのようにして生まれたのか。1930年代から現代に至る歴史をたどって考察した本。

大宅壮一、林芙美子、石川達三、堀田善衛、安部公房、梶山季之、草柳大蔵、沢木耕太郎といった人々や、筑摩書房「世界ノンフィクション全集」、日本テレビ「ノンフィクション劇場」などが取り上げられている。

ノンフィクションとフィクションの分岐に人々は関心を持つが、実はノンフィクションを書こうとする表現者の姿勢が現実に人為の加工を加えてフィクション化してしまう。
『世界ノンフィクション全集』の刊行が「非小説」という否定形の消極的な定義しかなかった「ノンフィクション」の概念を内側から具体的に輪郭づけることに大きく寄与したことは疑いえない。
ノンフィクションがフィクションを生み出す一方で、フィクションもまたノンフィクションに織り込まれてゆく宿命を持っている。

日本のノンフィクションの歴史をたどりつつ、著者はノンフィクションとは何か、フィクションとノンフィクションは何が違うのか、を丁寧に分析していく。このあたりは、短歌における事実と虚構の問題とも通じる点が多い。

ノンフィクションというジャンルがもともと自明のものとして存在していたわけではない。多くの人々の苦闘や試行錯誤が、ノンフィクションというジャンルを生み出したのである。

2017年3月25日、中公新書、880円。


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2020年02月01日

小林百合子(文)・野川かさね(写真)『山と山小屋』


副題は「週末に行きたい17軒」。

僕は本格的な山登りはしたことがないのだけれど、憧れはあって、山登りの本を読んだりすることがある。これも、その一冊。

各地の山小屋の風景や人々の様子が、味わい深い写真とともに描かれている。

「しらびそ小屋」「高見石小屋」「黒百合ヒュッテ」「青年小屋」「縞枯山荘」「山びこ荘」「雲取山荘」「三条の湯」「金峰山小屋」「甲武信小屋」「燕山荘」「涸沢小屋」「北穂高小屋」「三斗小屋温泉大黒屋」「龍宮小屋」「花立山荘」「三角点・かげ信小屋」。

やっぱりいいな、山登り。

2012年5月25日、平凡社、1500円。

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2020年01月23日

蒲田正樹著『驚きの地方創生「木のまち・吉野の再生力』


副題は「山で祈り、森を生かし、人とつながる」。

河瀬直美監督の映画「Vision」から始まって、吉野の世界遺産登録、鬼フェス、木育(もくいく)授業、吉野杉の家、ゲストハウス「三奇楼」、木の子文庫、吉野スポーツクラブなど、様々な取り組みを紹介している。

ただ、多くの事例を取り上げている分、一つ一つの掘り下げ方が浅くて物足りない。うまく行っている部分だけを見ていても、地域活性化の本当の難しさは伝わらないのではないだろうか。

2019年7月1日、扶桑社新書、820円。

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