2021年04月23日

BUBBLE-B『全国飲食チェーン本店巡礼』


副題は「ルーツをめぐる旅」。

全国各地の飲食店チェーンの本店(1号店)をめぐる旅の記録。

登場するのは、吉野家(築地店)、フレッシュネスバーガー(富ヶ谷店)、CoCo壱番屋(西枇杷島店)、ベル(大通店)、サイゼリヤ(教育記念館)、和食さと(橿原北店)、はなまるうどん(木太店)、天下一品(総本店)、餃子の王将(四条大宮店)、牛角(三軒茶屋店)、元禄寿司(本店)など、全49店。

1号店には、創業当時の歴史を感じさせる雰囲気や立地、調度品が残っていることも多い。

何度も食べてきた料理なのに、1号店を五感で感じながら食べることで、全く違った味に感じられるような気がする。これが本店巡礼の醍醐味である。

よく行くチェーン店に関しても、知らない情報がたくさんあった。

モスバーガーのMOSとはMOUNTAIN(山)、OCEAN(海)、SUN(太陽)の頭文字であり、自然志向である。
(ミスター・ドーナツは)1955年にアメリカで生まれたドーナツチェーンで(略)現在はアメリカには店舗はない

へえ、そうだったのかという感じ。

他にも、天津飯が日本生まれの中華料理であることを、この本で初めて知った。ナポリタンがナポリにないことは知っていたが、天津飯、お前もそうだったのか!

2013年8月5日、大和書房、1300円。

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2021年04月21日

磯辺勝『文学に描かれた「橋」』


副題は「詩歌・小説・絵画を読む」。

橋が好きな著者が、橋の登場する文学や絵画について、ゆるやかな連想を紡ぎつつ記したエッセイ。ジャンルを横断した切り口が珍しい。

書店でパラパラと見ていたら、最初に「幣舞橋を見た人々」として啄木の名前が挙がっていたので買う。

取り上げられているのは、林芙美子、徳富蘆花、エドモン・ゴンクール、松尾芭蕉、藤牧義夫、ランボー、平岩弓枝、井原西鶴、ヘンリー・ジェイムズ、釈迢空、中原中也、川端龍子など。まさに縦横無尽といった感じ。

橋があって、そこになにかじわりとにじんでくるもの、もしかすると、その橋を見たり渡ったりした人々の、心の堆積のようなものなのかもしれない。そういうものが私を引きつけるのだ。
私は客観的に存在するモノとしての橋ではなく、人の心に映り、それぞれの人の心のなかで生き、意味をもつ橋があるのだということを理解するようになった。

実は私もけっこう橋が好き。
橋を詠んだ歌がたくさんある。

明け方の淡い眠りを行き来していくつの橋を渡っただろう
                 『駅へ』
反り深き橋のゆうぐれ風景は使い込まれて美しくなる
                 『やさしい鮫』
夏の午後を眺めておれば永遠にねじれの位置にある橋と川
                 『風のおとうと』

2019年9月13日、平凡社新書、880円。

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2021年04月18日

藤井青銅『「日本の伝統」の正体』


2017年に柏書房から刊行された本に加筆修正して文庫化したもの。

日本の伝統と思われている様々な行事・風習・生活様式が、実は比較的新しいものであることを、多くの実例を挙げて面白く示している。

取り上げられているのは「初詣」「神前結婚式」「肉じゃが」「土下座」「千枚漬」「橿原神宮」「ちゃっきり節」「津軽三味線」など。

この本の良いところは、単に雑学ネタを並べただけでなく、私たちのモノの見方や認識の方法についての考察を含んでいるところだろう。

現地で作ったものを現地の人が食べるだけなら、特別な名前はいらないのだ。うどんはうどん、そばはそば、ラーメンはラーメン……で十分だから。(讃岐うどん)
対する西洋だって、実は漠としているのだ。なんとなくヨーロッパと北アメリカを思い浮かべる人が多いだろう。ではアフリカは?あそこは西洋なのか?(東洋)

香川県のうどんは県外に出て行って初めて「讃岐うどん」になる。西洋文明と出会うことで初めて「東洋」という概念が生まれる。

外部との接触によって新たな伝統が誕生するわけだ。おそらく、明治期の「短歌」もその一つと言っていいのだろう。

2021年1月1日、新潮文庫、590円。

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2021年04月07日

三浦しをん『ぐるぐる博物館』


2017年に実業之日本社より刊行された単行本の文庫化。

全国10館(+α)の博物館を訪れて博物館の魅力について記したルポエッセイ。軽快な文章で楽しく読み進められる。

登場するのは、茅野市尖石縄文考古館(長野県茅野市)、国立科学博物館(東京都台東区)、龍谷ミュージアム(京都市)、奇石博物館(静岡県富士宮市)、大牟田市石炭産業科学館(福岡県大牟田市)、雲仙岳災害記念館(長崎県島原市)、石ノ森萬画館(宮城県石巻市)、風俗資料館(東京都新宿区)、めがねミュージアム(福井県鯖江市)、ボタンの博物館(東京都中央区)。

「島嶼効果」とは、外敵が少ない島において、ゾウやシカなどの大型動物はミニサイズになり、ネズミやトカゲなどの小型動物は巨大化する、という現象なのだそうだ。
坑内で石炭の運びだしに馬を使っていた時代には、馬もケージに乗って竪坑を降りたのだそうだ。
鯖江は第二次世界大戦後、軍の跡地が工業用地に転用されたので、県内でも特にめがねづくりが盛んになって、いまに至る。

どれも個性的な博物館(と学芸員さん)ばかりで、知らない話が次々と出てくる。実際に行ってみたくなる所ばかり。

人間の好奇心と、最新の研究成果と、知恵や知識と、あとなんか常軌を逸した(失敬)蒐集癖や執着や愛。そういった諸々の分厚い蓄積を、楽しく我々に示してくれるのが博物館なのだ。

なるほど。博物館と言うと「モノ」のイメージが強いけれど、結局は「人」なんだな。

2020年10月15日、実業之日本社文庫、680円。

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2021年04月05日

阿古智子『香港 あなたはどこへ向かうのか』


以前、アップリンク京都で映画「香港画」を観た時にフロントで購入した本。
https://matsutanka.seesaa.net/article/480223069.html

その前に「私たちの青春、台湾」という映画も観ていて、このところ香港や台湾の情勢に関心が深まりつつある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/479846925.html

この本は、香港大学への留学経験を持つ著者が2019年12月に香港を訪れて、かつて同じ寮で暮らしていた友人たちにインタビューするところから始まる。

その後、2020年1月に総統選が行われる台湾へ。香港・台湾の取材を通じて著者は、デモや暴力のあり方、メディアや教育の役割、対立や分断を深める社会の中でどのように対話や自由を守っていくことができるか、といった問題を考察していく。

情報化は私たちの暮らしを便利にし、コミュニケーションを促進してくれたが、同時に、あらゆる場面に「敵」の存在がちらつくようになった。実際には、「敵」の輪郭をくっきりと描くことなどできないにもかかわらず。
香港には、日本による占領、イギリスによる植民地支配、そして経済大国化した中国、という外部の力が常に働いてきた。日本は「無色の他者」や「民族の敵役」として、香港人の意識に現れたり、消えたりしている。
監獄には自由がない。しかし、監獄の外も決して無条件に自由が保障されているわけではない。自由とは、自らがどうありたいのかを、他者との関係を調整しながら模索し、決断していくプロセスだ。

現在の香港の情勢を考えるには、2014年の香港の雨傘運動や台湾のひまわり運動、さらには1989年の中国の天安門事件までも視野に入れる必要がある。それは同じ東アジアの一員である日本にとっても、決して他人ごとではない話なのだ。

2020年9月30日、出版舎ジグ、1500円。

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2021年04月03日

大塚英志『文学国語入門』


2022年実施予定の高校の学習指導要領については様々な批判が出ているが、本書はそこに書かれた文章をもとに、

他者と生きる術を学ぶのが「文学国語」なら、それは「近代文学」の出番ではないか

という命題を立て、近代文学の成り立ちについて論じたものである。

第1章「「私」を疑う」から始まって、「他者」「物語」「世界」「作者」「読者」と、文学に関する要素が章ごとに一つずつ批判的に検討されていく。

この国は「キャラ」としての「私」というフィクションを「一人称言文一致体の文学」として明治期に誕生させ、しかしそこで書かれた「私」は本当の「私」だと多くの「作者」が言い、「読者」も長い間、そう信じ込んできました。そして、その約束ごとが現実生活では瓦解しながら、いざ、「文学」のこととなると、未だ、それは生きているわけです。

短歌の世界では、10年おきくらいに「私性」の問題が話題となり、同じような議論が延々と繰り返されている。けれども、それは短歌というジャンルの中だけで考えたり議論していても仕方がなく、もっと広く文学全般や物語論といった枠組みで考えなければ話が進まないのだろう。

SNSで語られることを担保するのはそれが「私」が語っているからでしかないのに、しばしば人は新聞記事や学術論文よりもSNSの「私」の言うことの方に信憑性を見出すわけです。

このように「私」をめぐる問題は、文学の中だけにとどまらず、SNSの時代の社会問題としても根強く残っているのであった。

また、明治になって東京に人々が集まるようになった際に必要となったツールとして、著者が「言文一致体」「告白」「観察」という3つの手法を挙げている点も印象に残った。

このうち「告白」と「観察」の2つは、まさに近代短歌の方法論とも重なる部分である。

他にも示唆に富む指摘が盛りだくさんで、知的好奇心を大いに刺激される一冊であった。

2020年10月23日、星海社新書、1050円。

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2021年03月23日

澤宮優『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』


昭和の頃にはあって今では見かけなくなった仕事を平野恵理子のイラスト入りで解説した本。

取り上げられている職業は、赤帽、灯台職員、井戸掘り師、炭焼き、金魚売り、貸本屋、寺男など114種類。中でも一番印象に残ったのは新聞社伝書鳩係。

鳩を訓練・育成するのが「伝書鳩係」で、新聞社内でも専門職として遇され、異動もなく、少人数で仕事を行った。彼らは鳩を会社から貰うと、社屋の屋上に鳩舎を作り、毎朝夕に規則正しく飛ばせて運動させ、飼育した。
昭和十五年、三宅島噴火のスクープ記事を新聞社が報道できたのは伝書鳩の送稿によってであった。

おお、そんな仕事があったとは!
昭和三十年代半ばまでは伝書鳩が使われていたらしい。

川に鉄筋の橋が架かると、それまで対岸まで人を乗せていた渡し船の人たちはどこへ行ってしまったのだろう。傘が安価に買えるようになると、傘の修理をして生計を立てた人はどうなったのだろう。いつも夕方に子供たちを楽しませてくれた紙芝居のおじさんたちは、テレビの登場でどこへ行ったのだろう。

様々な職種が成り立っていたのは、生活が貧しかったためである。でも、食べていくための手段・方法が多くあったわけで、見方によっては豊かな社会だったと言えるのかもしれない。

2021年2月25日、角川ソフィア文庫、1480円。


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2021年03月19日

村上稔『買い物難民対策で田舎を残す』


徳島で「移動スーパーとくし丸」を立ち上げた著者が、買い物難民対策の現状と課題をまとめた本。コンパクトな体裁であるが内容は充実していて、信頼できる書き手だと感じる。

(明石海峡)大橋開通当時の我々は、「これから徳島は本土と地続きになってますます発展する」と信じて疑わなかったのですが、結果はその反対。「ストロー現象」の教科書にでも載るような事例になってしまったのです。
食べることは(とくに高齢になるほど)生きる楽しみの大きな部分を占めるものですから、豊かであることが求められます。(…)人は非常時でもない限り、「食べられたら何でもいい」とはならないものです。
ウイルスが明らかにしたのは、これまでずいぶん長く推し進められてきた一極集中、効率化のための密へ密へという方向性に、巨大なリスクが潜んでいたということです。

買い物難民対策は、単に買い物の話にとどまらず、中山間地域に暮らす人々の健康や福祉、さらには集落の存続にまで関わる問題である。山梨に住む私の母も、運転免許を返納してまず買い物に困ったことを思い出す。中山間地域と都市部が表裏一体の関係であることを思えば、都市部に住む人にとっても無関心ではいられない話なのだ。

2020年10月6日、岩波ブックレット、620円。

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2021年03月16日

金田章裕『和食の地理学』


副題は「あの美味を生むのはどんな土地なのか」。
著者の名前は「かねだ」ではなく「きんだ・あきひろ」。

米、酒、味噌、醤油、茶、ダシ、漬物、干物、果物といった和食に欠かせない食材が、日本各地にどのような景観を生み出してきたのかを考察した一冊。写真も豊富でわかりやすい。

日本海沿岸の港町や瀬戸内海沿岸の港町などにも、大阪に見られるような、とろろ昆布などの昆布加工業が発達している。太平洋側のカツオ節の道の景観とは対照的な、昆布の道の景観が日本海側に点在し、さらに瀬戸内海沿岸にも点在するのである。
スグキ漬け、千枚漬け、柴漬けの三種の漬物は、いずれも乳酸菌発酵の漬物である。京都の伝統的な漬物を代表するものであるが、京の三大漬物と呼ばれることもある。
今は人気のない山中に一、二本の柿の木が見つかることがある。調査によってしばしば、そこにかつて存在した集落が廃村となった痕跡、あるいは廃屋の跡を確認することができる。

一つ一つの話は面白いのだが、ところどころ著者の個人的な話が挟まれるのが気になった。オーストラリアやイタリアのワインの話などは要らなかったのではないか。

2020年12月15日、平凡社新書、860円。

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2021年03月11日

『イザベラ・バードと日本の旅』のつづき(2)

もう1点興味深いのは、バードが北海道のアイヌ集落を訪れた理由についてである。

注意すべきは、アイヌ社会の特質を明らかにする旅であったということとキリスト教普及の可能性をさぐる旅という二つの特質が結びついていたこと、換言すれば、バードの平取での調査は、その二年前にデニングによって始められた英国教会伝道協会によるアイヌ伝道と不可分に結びつくものとしてあったということです。

このデニングの後任が、アイヌ研究家として知られるジョン・バチェラー。すなわち、『若きウタリに』を出したアイヌの歌人バチェラー八重子の養父ということになるのだ。

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2021年03月10日

『イザベラ・バードと日本の旅』のつづき(1)

翻訳の言葉の問題について、もう少し。

農作業をしている農民がかぶっているものを、バードの原文がhatだということで高梨氏や時岡氏は帽子と訳します。(…)しかし、正しくは前者は菅笠(…)、帽子と訳したのでは明治という時代も日本の文化・伝統も浮かび上がってきません。

この、「帽子」と訳すか「菅笠」と訳すかという問題は、なかなか難しい。もちろん文化的な背景を踏まえれば「菅笠」が正しいのだけれど、外国人がそんな言葉を知っているはずもない。

個人的には山口雅也『日本殺人事件』のような、外国人の見た不思議なニッポンの姿も好きなので、農民が(西洋的な)帽子をかぶっている姿が一瞬思い浮かぶのも悪くないように思う。

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2021年03月09日

金坂清則『イザベラ・バードと日本の旅』


イザベラ・バード研究の第一人者で『完訳 日本奥地紀行』の翻訳も成し遂げた著者が、「旅行記を科学する」という姿勢に基づき、バードの旅の本質や特徴を明らかにしていく。

その緻密で厳格な取り組みは圧倒的で、無名女性の物見遊山の旅のように言われることもあった「日本奥地紀行」のイメージを一変させている。バードは世界中を旅した有名な旅行者であり、キリスト教の伝道という使命を持ち、英国公使館や日本政府の支援・協力を受けての半ば公的な旅であったと捉えるのである。

バードの旅は、外国人が自由に旅=移動できる範囲が局限されていた時代にあって、地域的制限を受けない旅だったという点で、きわめて特異なものだったのです。
このような事実は、日本の旅が滞在総日数のほぼ四分の一を公使館で過ごす旅として計画されていたことを示します。
私はバードの日本の旅の目的の一つがキリスト教の普及の可能性を考えることにあったという、従来等閑視されてきた事実を、彼女の記述を通して明らかにしました

「日本奥地紀行」の翻訳に関しても、著者は歴史的・文化的背景を踏まえた訳を徹底的に(ちょっとコワイくらいに)追求する。

たとえばwestern Japanを西日本(高梨氏)とか日本の西部(時岡氏)と訳したのでは新潟の位置についての西洋人の認識を読者は理解できず、「本州西岸」[日本海側]としなければならない

なるほど! 日本人は「本州西岸」という捉え方は絶対にしないので、これには全く気づかなかった。地理学者である著者の面目躍如といった感じがする。

2014年10月15日、平凡社新書、880円。

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2021年03月06日

円城塔『文字渦』


2018年に新潮社より刊行された本の文庫化。
川端康成文学賞、日本SF大賞受賞。

文字をめぐる、文字による、文字を使った、文字のための、12篇の連作短編集。タイトルは中島敦の「文字禍」と同じかと思ったら「文字渦」であった。

兵馬俑、テキストファイル、ポケモンバトル、源氏物語絵巻、遣唐使、空海、Unicode、インベーダーゲーム、王羲之、阿閦仏国経、犬神家の一族、紀貫之など、実に様々な事柄が下敷きになっていて、迷宮のような世界を作り出している。

一度読んだだけでは、到底その迷宮から抜け出せそうにない。

2021年2月1日、新潮文庫、710円。

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2021年03月03日

斉藤光政『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』


2006年に新人物往来社から刊行され、2009年には新人物文庫に入った作品の復刊・再文庫化。巻末に「新章 あれから十二年―偽書事件の今」が追加されている。

1975年から77年にかけて青森県の『市浦村史 資料編』に掲載されたことで有名になった「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)。地元の東奥日報の記者である著者が、その真贋論争を取材したルポルタージュ。

とても面白い。

稚拙な偽書である「東日流外三郡誌」が、なぜ公的な文書に載り全国的な反響を呼ぶに至ったのか。著者は取材を続けていく中で、偽作者である和田喜三郎の手口を明らかにしていく。

それは、仏像などの古物を売り付ける際に偽の古文書でお墨付きを与えるというもの。神社のご神体や安東氏の財宝、役小角の墓、安倍頼時の遺骨、大量の和田家文書など、まさに何でもありの状態だ。

津軽半島の寒村をどうにか有名にしたいという切ない村おこしの気持ちと、人間ならだれしも持っているささやかな功名心。それらが複雑に絡んで生まれたのが『市浦村史資料編 東日流外三郡誌』と言えそうだった。

さまざまな人間の欲望が入り混じって拡大した偽書事件。その真相を明らかにした著者の執念が光る一冊である。

2019年3月25日、集英社文庫、800円。

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2021年02月21日

石堂淑朗『将棋界の若き頭脳群団(チャイルドブランド)』


約30年前の本を読む。

脚本家・評論家で将棋の観戦記も書いていた著者が、当時「チャイルドブランド」(=幼くして一流)と呼ばれていた羽生善治たちについて記した本。彼らの強さの理由や将棋界の変化を、かなり批判的に分析している。

升田幸三はじめ人間味溢れる棋士を理想とする著者にとって、羽生たちは強さこそ認めざるを得ないものの、決して認めたくはない存在であったようだ。

新人類、リズムとメロディーとハーモニーの違う将棋を指すCBたちが、どうしてこうも一挙にまとまって出現したのか
羽生のように何でもこなすという感性は、相撲でいうとなまくら四つの、せいぜい関脇クラスのものだといわれてもしかたないのである。
それが成立するのは、ゲーム将棋だからである。ゲームである以上は、勝てばよい。どんな手を指しても勝てばよい。

何とも、散々な書きようである。でも、嫌な感じはしない。自分の信じる将棋のあり方からすれば到底受け入れられないものを、何とか理解しようと努めている。そこに嘘はない。

現在光り輝いているCBが、三十のころいったいどのような運命をたどっているのか、ここには意地悪い好奇心が潜んでいることを認めざるをえないが、しかしこれもひとつの人生の相であると思えば、やはりだれがいったい三十まで息が続くのか、ぜひぜひ見たく思っている。

「三十まで息が続くのか」と揶揄された彼らは、実際には三十歳どころか五十歳になった今も第一線で活躍を続けている。若い時だけではなく、実に息の長い輝きを放つ世代となったのだ。

著者の予測は外れたわけだが、それはあくまで結果論。この本は二十歳代前半だった彼らが当時どのように見られていたのかを伝える貴重な記録となっている。

1992年10月15日、学習研究社、980円。

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2021年02月18日

清水浩史『不思議な島旅』


副題は「千年残したい日本の離島の風景」。

長年にわたって全国各地の島を旅してきた著者が、人口ひとりの島や古い風習が残っている島、無人島になってしまった島などを紹介しながら、島旅の魅力を語っている。

島には過去から継承された風習や在来知が色濃く残っている。加速度的に経済偏重に呑みこまれる社会において、島々はいにしえからの多様な知が息づく、最後の拠点なのかもしれない。

取り上げられているのは、黒島(長崎県)、前島(沖縄県)、多楽島(北海道)、オランダ島(岩手県)、由利島(愛媛県)など。あまり名前を聞いたことのない島が多い。

中でも印象的だったのは鹿児島県の新島(燃島)。「桜島沖に浮かぶ新島は、2019年に有人島に戻った。新島が有人になったのは、6年ぶりのこと」とある。

実は、この島には2013年に行ったことがある。当時は無人島になっていた。


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桜島から望む新島。写っている船が行政連絡船「しんじま丸」。
この船で桜島(浦之前港)から新島に渡る。


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島の道にはいたるところに草や木が生えていて、奥の方まで進むことはできない。


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かつての桜峰小学校新島分校跡。1972年に廃校になった。

屋根瓦つらぬき通す木の力、草の力、蔦の力を生みたるちから
窓ガラスあらぬ窓よりのぞき見る学ぶ子も遊ぶ子もいない分校
                  『風のおとうと』

この新島に、また人が住み始めたのだ。

今の新島は生まれ変わったかのようだ。雑草はきれいに刈り取られ、島全体が明るくなった印象を受ける。

何とも感慨深い。

2020年12月30日、朝日新書、790円。

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2021年02月14日

飯島渉『感染症と私たちの歴史・これから』


歴史総合パートナーズC。

天然痘、ペスト、結核、インフルエンザなどの感染症の歴史を、人類の誕生から21世紀まで順にたどった本。このシリーズはどれもわかりやすくまとまっていて、問題の概要を摑むにはとてもいい。

新型コロナの感染拡大以降、感染症に関する本が相次いで刊行されているが、この本は2018年に出たもの。何かが起きてからではなく、起きる前の刊行という点が信頼できる。

近い将来、鳥インフルエンザが流行した場合、日本だけで死者は70万人を超えるという予測もあるのです。
日本にもたらされた梅毒は、唐瘡や琉球瘡、九州では特に南蛮瘡と呼ばれました。(・・・)もし、新たな感染症が登場したら、私たちはこうした差別的意識から完全に自由になれるでしょうか。
天然痘の根絶が成功すると、人々は20世紀中に多くの感染症の制圧が可能になると考えるようになりました。しかし、それは正しくありませんでした。

こうした文章は今では予言のように響いてくる。COVID-19に関しても「武漢風邪」「中国ウイルス」といった呼び方をする人々がいる。感染者に対する差別も含めて、まだまだ歴史から学ぶことは多い。

2018年8月21日、清水書院、1000円。


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2021年02月12日

ナカムラクニオ『洋画家の美術史』


日本の近代洋画の歴史を16名の画家の作品や人生を通して描いた一冊。著者の考える「洋画」とは、次のようなものだ。

明治、大正期に西洋から日本に輸入され、独自に進化した「和制洋画」は、料理でいうと、カツレツ、カレーライス、コロッケ、エビフライ、あるいはビフテキとも似た「洋食」のような存在だろう。
「洋画」とは、明治時代以降「独自の進化を遂げたガラパゴス的西洋風絵画たち」を指すと考えていいのだろう。

登場する画家は、高橋由一、黒田清輝、藤島武二、萬鉄五郎、佐伯祐三、藤田嗣治、岸田劉生、坂本繁二郎、梅原龍三郎、長谷川利行、東郷青児、熊谷守一、曽宮一念、鳥海青児、須田剋太、三岸節子。

高橋由一の代表作「鮭」について、著者は「なぜ「新巻き鮭」なのか?」という問いを立て、次のように述べる。

実は江戸時代、絵画においても鮭のモチーフは人気だった。葛飾北斎も繰り返し描いている。幕末になると、大量の塩鮭が蝦夷地(北海道)から運ばれてくるようになり、鮭は庶民の食事として定番のメニューとなった。

図版には北斎の作品「塩鮭と白鼠」も載っており、それとの比較によって高橋の「鮭」の何が新しかったのかが浮き彫りにされている。実に鮮やかな解説だ。

絵画は大きく分けると「窓派」と「鏡派」の2種類ある。窓のように世界を切り取ったものと、鏡のように心を写し取ったものだ。

窓と鏡。おそらくこれは絵画にかぎらず、表現全般に当て嵌まることなのだと思う。

2021年1月30日、光文社新書、1120円。

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2021年02月11日

井上理津子『絶滅危惧個人商店』


「ちくま」2018年12月号から2020年5月号までの連載に加筆・編集を加えてまとめた一冊。

長年続く個人商店に取材して、店の歴史や店主の人生を丁寧に浮かび上がらせている。

取り上げられているのは、荒川区日暮里の佃煮「中野屋」、台東区の「金星堂洋品店」、葛飾区亀有の「栄眞堂書店」、新宿区神楽坂の「熱海湯」など18軒。

ジーンズという呼び方の語源は、イタリア語の「ジェノヴァ」。(・・・)フランス語で「ジェーヌ」と発音され、それが英語に転じてジーンズと呼ばれるようになったそうだ。
卸屋で仕入れるのは、タイヤ、車輪、スポーク、チェーン、フレーム、各種部品など自転車を構成する部材一式。「完成車」が流通するのは、少なくとも一九六〇年頃以降だと木下さんは言う。
「死んだ作家の本は読まれない。例外なのは、池波正太郎、山本周五郎、松本清張、吉村昭だけだね」古本の現場から、軽やかに時流を読む田辺さんである。

個人商店から、スーパーやデパートなどの大型店、ショッピングモール、さらにAmazonなどの通販へ。時代とともに私たちの買物の場もどんどん変ってきた。その中で得たものももちろん大きかったが、失ったものも少なくはなかったのだと思う。

2020年12月15日、筑摩書房、1500円。

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2021年02月10日

宮田登『民俗学』


1990年に放送大学の教材として刊行された本の文庫化。

「民俗学の成立と発達」「日本民俗学の先達たち」「常民と常民性」「ハレとケそしてケガレ」「ムラとイエ」「稲作と畑作」「山民と海民」「女性と子ども」「老人の文化」「交際と贈答」「盆と正月」「カミとヒト」「妖怪と幽霊」「仏教と民俗」「都市の民俗」という内容になっている。

柳田国男は、民俗学をたんなる古俗の詮索から脱却させ、すぐれて現代的課題にとり組むべき使命をもった学問として性格づけたのである。
若い世代の間に誕生日を祝う習俗が定着したけれど、この時の贈答も招待パーティもだんだん派手になってきた。年齢を満で数えるようになった結果、誕生日の実感が強くなったことや、個人意識の発達によるものである。
仏教と死者供養、先祖供養とのつながりは不可分のようにみえる。しかし本来仏教には、先祖供養の考えはなかった。

誕生日のお祝いや先祖供養の行事なども、当り前のことと思わずに一つ一つ丁寧に見ていくと、意外な事実が浮かび上がってくる。

内容的に古くなっている点もあるが、民俗学の基本を理解するのに良い一冊だと思う。

2019年12月10日発行、講談社学術文庫、960円。

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2021年02月01日

大川慎太郎『証言 羽生世代』


1970年生まれの羽生善治を中心とした将棋界の「羽生世代」。16名の棋士へのインタビューを通じて、羽生世代に多くの強豪が集まり長年にわたって活躍を続けた理由に迫っている。

登場するのは、谷川浩司、島朗、森下卓、室岡克彦、藤井猛、先崎学、豊川孝弘、飯塚祐紀、渡辺明、深浦康市、久保利明、佐藤天彦、佐藤康光、郷田真隆、森内俊之、羽生善治。

印象的な発言をいくつか引いておこう。

羽生さんたちは最後の「精神世代」ですよね。いまはほとんど使われなくなった言葉ですけど、「気持ち」や「根性」を彼らは持っていました。(島朗)
昔のように最初から自分で考えて時間を目いっぱい使う将棋って、いまは年に数局しかないですよ。(略)自分のタイトル戦を振り返っても、羽生世代の棋士たちと指していた時のほうがハイレベルだったと思いますね。(渡辺明)
ギリギリの勝負をしたいという気持ちが常にあるからでしょうね。だからタイトル戦も常にフルセットまで行きたいんです。(深浦康市)
そりゃあ羽生、佐藤、森内がいなければもっと勝てたでしょう。でも、そんなことはどうでもいい。そんなので勝ってもしょうがないんです。(郷田真隆)

羽生世代がデビューして30年以上。当初は上の世代との比較で合理性やデジタルな側面が強調されていた彼らだが、今では下の世代との比較も加えて、より客観的な位置づけや評価が可能になっている。

棋士たちの発言は総じてみな謙虚だ。それは「自ら負けを認める将棋のゲーム性」によって培われたものでもあるだろうし、また勝負の世界の厳しさも感じさせるものである。

個人と個人が戦って、勝つか負けるかしかない世界。そこには、どんな言い訳も弁解も存在しない。

2020年12月20日、講談社現代新書、1000円。

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2021年01月30日

池田 渓『東大なんか入らなきゃよかった』


副題は「誰も教えてくれなかった不都合な話」。

東大卒のライターである著者が、自らの経験や取材をもとに卒業生たちのその後の人生を記した本。

「東大うつ」(銀行)、「東大ハード」(官僚)、「東大いじめ」(市役所)、「東大オーバー」(博士課程)、「東大プア」(警備員)などの実例を挙げて、東大卒でも楽ではない(当り前だが)現実を描き出している。

送別会にかぎらず、あらゆる組織の行事は出ていく人ではなくその場に残り続ける人たち、つまり組織のために行われる。
出版に携わる人なら思い知っているが、本というものはびっくりするほど売れない。売れない本は即座に絶版とされ、在庫は再生紙工場行きだ。

最初は軽い気持ちで笑いながら読んでいたのだが、だんだんと笑えなくなってきて、妙に落ち込んでしまった。

2020年9月26日、飛鳥新社、1364円

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2021年01月26日

牧村健一郎『漱石と鉄道』


漱石と鉄道の関わりを深く掘り下げて考察した一冊。漱石の旅の行程を当時の時刻表をもとにたどり、また漱石作品に出てくる鉄道の描写についても取り上げている。

明治期の鉄道が人々にどのように利用され、日本人の行動や思考をどのように変えていったかが、実によくわかる内容だ。

汽車の車内は、さまざまな階層の人びとが一時的に膝をつき合わせ、会話を交わし、別れていく。同じ時間をつかのま共有し、離れていく。プラットホームでは出会いや別れが繰り返される。こうした光景は、近代になって鉄道が登場するまでは、見られないものだった。
郵便事業や電信と同様、鉄道は中央集権的な国民国家を作り上げる基幹事業であり、国家機構の頂点と末端をつなげる強力なネットワークを形成する。
日清戦争は山陽鉄道広島延伸を待って始まった、ともいえる。兵隊や装備を満載した列車が山陽鉄道のレールを西に走った。

明治期の鉄道が持っていたこうした特徴や意味は、鉄道が当り前に存在する現在では逆に見えにくくなっていると言っていいだろう。

銚子は江戸時代以来、東回り海運と利根川舟運の結節地で、東北と江戸を結ぶ重要な中継地だった。銚子から江戸に行くには、利根川を上り、野田近くから江戸川に入り、江戸に下る。今も続く銚子や野田の醤油業の隆盛は、利根川なくしては語れない。

鉄道の発達はまた日本の物流地図を塗り替えることにもなった。銚子と東京は今ではとても遠い印象を受けるのだが、かつて両者は舟運によって深く結ばれていたのである。

2020年4月25日、朝日新聞社、1700円。

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2021年01月22日

篠田航一『盗まれたエジプト文明』


副題は「ナイル5000年の墓泥棒」。

毎日新聞社のカイロ特派員として3年間エジプトに赴任した著者が、盗掘と略奪(とロマン)に彩られたエジプト史を描いた本。初心者にも一通りの流れがよくわかる内容となっている。

旧約聖書に出てくるヨセフが、農作物の不作に備えて穀物を貯蔵するために作った倉庫がピラミッドである。五世紀頃にはそんな説が唱えられていたという。
古代の王墓にあった副葬品の金銀財宝に加え、中世以降、盛んに略奪されたのは「ミイラ」だった。(中略)身分の貴賤にかかわらず、それがミイラである限りは貴重な医薬品として欧州で高く売れたからだ。
エジプトの考古学者はヒエログリフを勉強しているため、表音文字と表意文字について詳しく、日本人が両方を使うことも知っている。

この本に載ってるのは過去の話だけではない。「いまも暗躍する盗掘者たち」という章もあり、多くの文化財が盗掘されて国外に流出している現状が記されている。ちょうど1月17日の読売新聞にも「コロナ苦境 盗掘に走る」「エジプト 急増2.6倍」という大きな記事が載っていて、現在進行形の話であることをあらためて感じた。

2020年8月20日、文春新書、880円。

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2021年01月17日

「Number」1018号

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将棋特集第2弾「藤井聡太と将棋の冒険。」

昨年9月にスポーツ誌「Number」で初めて将棋の特集が組まれた時は驚いた。今回も充実した内容で、インタビューや観戦記を通じてそれぞれの棋士の個性が浮き彫りになっている。写真もいい。

中でも、渡辺明と池谷裕二(脳研究者)の対談が面白かった。誌面に掲載されていないネット公開の部分に事実誤認があって、いろいろと批判も起きているようだけれど、こういうジャンルの違う人同士の対談はやはり刺激的だ。

将棋に限らず、頭脳明晰でありたければ「筋トレしろ、走り込みしろ」という話になってくる。体を動かすとそれだけで脳が活性化しますから。
脳そのものは衰えません。あとは若い人にどう対抗していくかです。ですから、もし若者の新しい方法論についていけるなら、原理的にはトップレベルを維持できるはずなんです。
僕らは「記憶の干渉」と言いますが、似たことをやると脳が混乱するんです。ノートパソコンだったら、座る場所を次々移動した方がいい。その方が学習効果は高くなります。

池谷氏の発言から。信じる信じないはともかく、どれもふだんの生活に取り入れられる話だ。

2021年1月21日号(1月7日発売)、640円。

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2021年01月16日

原 武史『「線」の思考』


副題は「鉄道と宗教と天皇と」。

点でも面でもなく鉄道という「線」をたどりつつ、土地の歴史や人々の動きをじっくりと考察した8篇の論考を収めている。初出は「小説新潮」2018年から2020年発表。

著者の趣味である鉄道と専攻の政治思想史が融合した内容と言っていいだろう。特に皇室とキリスト教の関わりの深さが印象的だった。

明治から敗戦まで全国各地に配置された陸軍の部隊である師団の存在が、一九六〇年代までの炭鉱同様、地方都市の繁栄を維持していた面があることもまた確かだ。言い換えれば、戦後に師団が消えたことが、地方の衰退を招く一因となったのである。
日蓮が生きていた当時、現在の東京のあたりは、まだ湾が複雑に入り組む湿地帯だった。むしろ、浦賀水道を介して鎌倉とつながる安房のほうが、行き来がしやすく、政治の中心に近かったのである。
明治以降の皇室は皇室典範により男系の男子による皇位継承が定められた。(・・・)一方、天照皇大神宮教では女系の女子のによる教主の継承が続いている。
九州北部には、神功皇后を聖母としてまつる信仰が少なくとも中世からあった。だからこそ、近世になって聖母マリアを崇敬するカトリックをすんなりと受容し、弾圧されてもなお聖母信仰だけは捨てなかったのではなかろうか。

なるほど、どれもハッとさせられる指摘ばかりだ。他にも、千葉県には「四一〇メートル以上の山がなく、全都道府県のなかで最も地形がなだらか」であることなど、学ぶことが多い一冊だった。

2020年10月15日、新潮社、1800円。

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2021年01月14日

吉村昭『鯨の絵巻』


動物と関わって暮らす人々を描いた作品5篇を収めた短編集。

太地町の捕鯨の刃刺、鯉の養殖家、ヤマガラの飼育家、奄美のハブ捕り、牛蛙の漁り子と、かなり珍しい仕事をする男たちが主人公である。それぞれに抱えている孤独感や、生き物と向き合う時の緊張感などが印象に残る。

鯨は、セミ鯨、マッコウ鯨をのぞいて死亡すると海底に沈み、引揚げることは不可能になる。それを防止するために、鯨の死の寸前にその鼻の下をくりぬいて、あたかも牛の鼻に環を通すように綱を通す。

古式捕鯨のクライマックスとも言うべき「鼻切り」の場面。圧倒的な迫力だ。

1990年11月25日、新潮文庫、360円。

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2021年01月10日

服部文祥『サバイバル家族』


食糧を現地調達する「サバイバル登山」で知られる著者のエッセイ集。結婚して三人の子が産まれ、犬や猫や鶏を飼う生活が綴られる。

随所に記されている人生哲学には共感する部分が多い。

何かをするには、別の何かは犠牲になる。自分の選んだ道が自分にとって最良なのか、比較的良いのか、ぼちぼちなのかを、別の人生と比べることはできない。
私の信条は「なにも経験しない平坦な人生より、良いことでも悪いことでも色々経験したほうがいい」である。

車も携帯電話も持たず、エアコンの設置にも頑なに反対する。さらには、こんな宣言までしてしまう。

「俺は今後できるだけ庭でウンコすることにする」
全家族(妻、長男、次男、長女)が夕食に集まったときに宣言した。子どもたちはしばし動きを止めた程度の反応しかしなかった。

いやはや、これはとても真似できない。
服部家では採卵目的で鶏を飼育し、人工孵卵器を使って雛も育てている。生れたばかりの雛は、まだオスとメスの区別がつかない。

オスのニワトリは成鶏になると「時の声」を上げるようになる。日本語でコケコッコーというやつだ。最初はまだへたくそで、ココッコーなどと言っているが、これが聞こえたら、週末にはもうトリ鍋にするしかない。若オンドリにとって「時の声」は自分への死刑宣告である。

卵を産まず、鳴き声を立てるだけのオスには、殺される運命が待っているのだ。

2020年9月25日、中央公論新社、1650円。


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2020年12月26日

竹下大学『日本の品種はすごい』


副題は「うまい植物をめぐる物語」。

タイトルの付け方が気になるが、内容はいたって真面目。花卉のブリーダー(育種家)である著者が、ジャガイモ、ナシ、リンゴ、ダイズ、カブ、ダイコン、ワサビの7種類の植物の品種改良の歴史を記した本である。

とにかく知らないことがいっぱい載っていて面白い。時代によって変わる品種の流行や長年にわたって研究を続ける人々の努力など、育種の奥深さがよくわかる。

(ジャガイモの)出荷量は約一九〇万トンである。このうち、カルビーの使用量は約二七万トン、国内生産量の一割を超えている
(ナシの)「新高」の名の由来は、当時日本の領土であった台湾最高峰の山、標高三九五一メートルの新高山(台湾名玉山)からとられた。
(リンゴの「ふじ」は)二〇〇一年に世界生産量ナンバーワン品種に認定されて以降、今日にいたるまで世界各国で栽培面積を広げ続けている。一説によると。「ふじ」の世界シェアは三〇%にも達しているそうだ。
すべての作物において、早生化は重要な育種目標となっている。作物の旬がどんどんと前進してしまうのは、初物ほど高く売れるという市場原理が強く働き、そこに大きなビジネスチャンスがあるからだ。
中国、朝鮮半島、シベリア経由で日本に入ってきたカブだが、なぜか中国では根菜としての改良は進まず、作物としての地位も高まらなかった。一方で、葉を食べる作物としては目覚ましい進化を遂げた。この作物こそがハクサイである。
ダイコンの消費量については、日本はいまだに世界一である。それも二位以下に圧倒的な差をつけてだ。その量はじつに、世界の約九割を占めているとされるほど。
人口一〇〇万人を超えて世界最大の都市になっていた江戸では、玄米を精米した際のぬかが大量に出るようになったため、ぬか漬けもまた庶民の口に入るようになったのである。
ワサビは数少ない日本原産の野菜であるとともに、日本オリジナルのスパイスである。

毎日食べている野菜や果物だけれど、こうして歴史や生産量などを具体的に示されると、一つ一つの食材が何ともいとおしく思えてくる。

2019年12月25日、中公新書、900円。


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2020年12月23日

島村恭則『みんなの民俗学』


副題は「ヴァナキュラーってなんだ?」

ヴァナキュラー(俗、vernacular)をキーワードに、民俗学の考え方や具体的な研究内容を記した入門書。「家庭の中のヴァナキュラー」「喫茶店モーニング習慣の謎」「パワーストーンとパワースポット」など、現代的な民俗学の興味深い事例が紹介されている。

日本では、民俗学というと、農山漁村に古くから伝わる民間伝承(妖怪、昔話、伝説、祭りなど)を研究する学問だと思われている場合も少なくないようだが、現在の民俗学はそのようなものではない。
民俗学は、覇権主義を相対化し、批判する姿勢を強く持った学問である。強い立場にあるものや、自らが「主流」「中心」の立場にあると信じ、自分たちの論理を普遍的だとして押しつけてくるものに対し、それとは異なる位相から、それらを相対化したり、超克したりする知見を生み出そうとするところに、民俗学の最大の特徴があるのだ。

なるほどなあと思う。自分が民俗学に何となく興味を惹かれる理由が、これらの文章を読んでよくわかった。

折口は、民俗学調査の道すがらよく歌をつくったが、そこでは、しばしば「かそけさ」が歌われた。
  山びとの 言ひ行くことのかそけさよ。きその夜、鹿の 峰をわたりし
  山のうへに、かそけく人は住みにけり。道くだり来る心はなごめり
といった歌がそれだ。

つまり、こうした「かそけさ」も、「主流」や「中心」ではないものということなのだ。以前から考えていた短歌と民俗学の親和性を読み解く重要なポイントと言ってよいだろう。

共同井戸や共同水道が使われなくなった時期と、モーニングがさかんになりはじめた時期とがほぼ重なっているという話は、各地でしばしば耳にするところである。

そうか。モーニングは単に朝食代りの安いサービスというだけでなく、人々の井戸端会議的な場としての役割を果たしているのだ。

民俗学、おもしろいな。

2020年11月13日、平凡社新書、880円。


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2020年12月20日

播田安弘『日本史サイエンス』


副題は「蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る」。

船の専門家である著者が数字やデータを用いて歴史の謎を分析し、これまでの定説に異議を唱える内容。取り上げているのは「蒙古軍はなぜ一夜で撤退したのか」「秀吉の大返しはなぜ成功したのか」「戦艦大和は無用の長物だったのか」の3つ。

蒙古軍が300隻もの大船団を狭い博多湾につなぐだけでも、船のことを知っている筆者からみれば大変な仕事です。
玄米のごはんで握ったおにぎり1個を、およそ100gと見積もります。そのエネルギー量は、約173kcalです。すると、3700kcalをまかなうには、ほぼ20個必要となります。つまり、兵士1人あたり1日に20個のおにぎりが必要ということになります。全軍は2万人ですから、毎日、約40万個のおにぎりが必要だということです。
41cm砲と46cm砲では、弾径は46/41で1.12倍ですが、砲弾の容積は46/41の3乗で1.41倍となりますので、威力は41cm砲に比べ、46cm砲は約1.4倍にもなるわけです。

こんなふうに数字やデータが多く出てくるのだけれど、計算段階での見積もりや推定には恣意的な部分がけっこうある。この本に記された著者の独自の見解に対して、歴史家はどう思うのかも聞いてみたい。

2020年9月20日、講談社ブルーバックス、1000円。

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2020年12月12日

藤原昌『すし図鑑ミニ』


2013年にマイナビ出版より刊行された『すし図鑑』を再編集し、文庫化したもの。

寿司ダネ333種類をカラー写真や細かなデータとともに紹介している。「赤身」「サーモン」「魚卵」「光りもの」「長もの」「白身」「イカ・タコ」「貝」「エビ・カニ」「その他」、よく食べる魚から初めて聞く名前のものまで、実に種類が豊富だ。雑学的な知識もたくさん載っている。

中落ち、尾、背鰭下などの身をかきとることを、古くは「ねく」「ねぎとる」といったのが、ネギトロの語源。

何と!ネギ&トロではなかったのか!

時代の変化とともに国産品が減少し、同じ名前で別の品種が流通している現状なども述べられている。

シシャモは実は高級なもの。なんとなくシシャモだと思っているのがカラフトシシャモ(カペリン)であることが多い。
二種の国産(ハマグリ、チョウセンハマグリ)の漁獲量はそんなに多くない。それを補っているのが台湾のハマグリや中国、韓国から輸入しているシナハマグリだ。今や単にハマグリといったらシナハマグリのことと考えていい。
回転ずしでエビが食べられるのは、本種(ブラックタイガー)が安く台湾などから輸入されているため。

あ〜、寿司を食べに行きたい。

2018年8月31日、マイナビ文庫、860円。

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2020年12月05日

茸本朗『野食ハンターの七転八倒日記』


ウェブメディア「cakes」2018年5月15日〜2019年6月5日掲載の文章をまとめたもの。

野外で採取した食材を普段の食用に活用する「野食」をライフワークとする著者が、様々な食材を食べてみた記録である。

取り上げられているのは、アメリカザリガニ、カミツキガメ、アオダイショウ、セミ、ハマダイコン、ノビル、ウシガエル、コブダイ、ドチザメ、シャグマアミガサダケ、ヤハズエンドウ、カンゾウタケなどなど。動物、雑草、魚、茸と何でも挑戦している。

中にはワックス魚を食べて下痢したり、ウツボに手を嚙まれて負傷したり、毒キノコを食べて中毒したりといった失敗例もある。それでも、著者は野食に情熱を傾ける。

どうして、そこまで夢中になるのか。

未知の食材を食べるときのドキドキ、そしてそれが美味だったときの喜び
身近な食材を食卓に用いて、エンゲル係数を下げる
災害やトラブルなどで流通や経済が破壊され、都市機能がまひしてしまったときも、明るく楽しく無理なく生き延びるための知識
食のフロンティアに立って後世のために新しい有用食材を見つけ出すことは、楽しいだけではなく、今後必ず役に立つはず

といった説明がある。趣味と実益とサバイバル術、そして謎の使命感といったところ。でもまあ、実際は理屈ではないのだろう。その野食へののめりこみようが、読んでいて楽しい。

2019年11月13日、平凡社、1400円。


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2020年12月02日

樹原アンミツ『東京藝大 仏さま研究室』


「樹原アンミツ」は、三原光尋(映画監督)と安倍晶子(ライター)の合作ペンネーム。

東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復彫刻研究室、通称「仏さま研究室」を舞台にした青春群像劇。修士2年の学生4名それぞれの視点から、一年間にわたる修了製作(仏像の模刻)の様子が描かれる。

模刻に取り組む中で、各自が人生の悩みや問題点を克服していくという流れになっていて、ストーリーはわかりやすい。軽い読み物といった感じだが、随所に大学の風景や仏像に関する知識が織り交ぜられていて興味を惹かれる。

文化財修理には三つのルールがある。「当初部優先」「現状維持」「可逆性」だ。
彫刻の技術は「モデリング」と「カービング」のふたつに分かれる。粘土や漆など柔らかい素材を積み重ね、盛りあげたり凹ませてかたち(model=型式)をつくるのがモデリング。石や木など固い素材を削る(carve=刻む)のがカービングだ。
御神木は神社のものと思いがちだが、実際は多くのお寺にも「御神木」と呼ばれる、霊験あらたかなシンボルツリーが存在する。

2020年10月30日、集英社文庫、680円。


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2020年11月22日

日野原健司編『北斎 富嶽三十六景』


葛飾北斎の浮世絵版画シリーズ「富嶽三十六景」全46点をカラーで見開きに収め、それぞれ2ページの説明を付している。巻末には23ページにわたる解説があり、北斎の人となりや富嶽三十六景の成り立ちや特徴などがよくわかる。

編者が繰り返し書いているのは、北斎の絵が見たままの風景ではないということだ。

北斎の念頭にあったのは、実際の景色を描写することではなく、波と富士山を対比させる構図の面白さだったのであろう。(神奈川沖浪裏)
巨大な松と富士山との対比の面白さを演出するため、実際に目に見える風景よりも画面構成を優先しているのである。(青山円座松)
実際の風景をそのまま描くよりも、もっともらしい風景を自由に組み合わせてしまう北斎の自由な作画姿勢が認められるだろう。(甲州三嶌越)

それと、もう一つ。定番の描き方をしないということ。

定番の表現を好まない、天邪鬼な北斎の性格がよく表されていると言えよう。(下目黒)
日本橋と言えば、人々の雑踏を描くのが常識という中、あえてその定番を逸脱しようとしているのである。(江戸日本橋)
ありきたりな描写を好まない、北斎の作画姿勢がここでも反映されていると言えよう。(従千住花街眺望ノ不二)

こうした話は絵画に限らず、どんな表現にとって大切な点だと思う。

あと、面白かったのは、字の間違いがけっこうあること。これは今回初めて知った。

鰍沢を石斑沢と書こうとしたところ、誤って石班沢としてしまったのであろう。(甲州石班沢)
題名は「相州梅沢左」とあるが、「左」がどのような意味をもつかは判然としない。文字の形から考えて、「梅沢庄」あるいは「梅沢在」を誤って彫ってしまったと考えられている。(相州梅沢左)
題名が「雪ノ且」とあるが、「且」では意味が分からない。おそらく「雪ノ旦」とすべきところを誤ったのであろう。(礫川雪ノ且)

へえ、そんなことがあるんだ。
何とものどかな話だな。

2019年1月16日、岩波文庫、1000円。


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2020年11月17日

森まゆみ『本とあるく旅』


本と旅についてのエッセイ集。

京都に行くなら京都の本を、沖縄に行くなら沖縄の本を、現地で読むとすっと身体に入る。でもミスマッチも時々はいい。持っていった本などそっちのけで、フランスのルマンで『コンビニ人間』を読んだり、(・・・)

本と旅は相性がいい。どちらも日常を離れた移動の時間だ。本に関する旅もあれば、旅に関する本もある。本と旅は深くつながっている。

25年にわたって雑誌「谷中・根津・千駄木」の編集人を務めてきた著者は、実に多くの引き出しを持っている。そこから様々な知識や体験を自在に取り出して、次々と結び付けていく。その手腕が何とも鮮やかだ。

私は高校の国語で習った『こころ』が好きじゃない。
こういう自己中心の男と付き合うと女は不幸になる。小奴もさんざん啄木に貢がされた。
その後に読んだ『眠れる美女』そして京都を美化した『古都』や『美しさと哀しみと』は好きになれなかった。

著者のもの言いは率直で、男性作家に対して時に厳しい。

2020年8月28日、産業編集センター、1100円。


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2020年10月30日

井上恭介、NHK「里海」取材班『里海資本論』


副題は「日本社会は「共生の原理」で動く」。

「里海」とは「人手が加わることにより生物多様性と生産性が高くなった沿岸海域」のこと。瀬戸内海沿岸各地で行われている里海を生かした活動を取材した一冊。『里山資本主義』の概念をさらに拡大して、今後のさらなる可能性を探っている。

岡山・笠岡のカブトガニ博物館に行くと、すぐに実感できる。一〇年ほど前までは「建物の中」が博物館だった。今はその前の「干潟が博物館」だ。

岡山に住んでいた1993年に、このカブトガニ博物館を訪れたことがある。その時の説明では、もう自然の繁殖地は減って絶滅状態とのことだった。それが今では劇的に改善しているらしい。

そう言えば、数日前に「瀬戸内海きれい過ぎ」問題がニュースになっていた。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6374643

ダントツに過疎がすすむ島。それを、どうとらえるか。「二〇世紀の常識」に頭を支配された人は、見るとがっかりするのだろう。「二一世紀の新たな常識」として里山・里海の見方や発想を獲得した人はどうか。この島にこそ時代を切り拓く最先端がある、と考える。

右肩上がりだった時代の発想や考え方が、今もなお社会や政治の場面で中心となっている。それを、いかに転換していくか。

江戸時代、現在の都道府県で区分してみて最も人口が多かったのは、東京でも愛知でも大阪でもなく新潟県だった。

新潟と言われると驚くが、東京一極集中の歴史も実はそれほど古いものではないのである。

2015年7月10日、角川新書、800円。

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2020年10月29日

会田誠『げいさい』

著者 : 会田誠
文藝春秋
発売日 : 2020-08-06

美術家である作者の自伝的(?)小説。
久しぶりにすごいのを読んじゃったなあという感じ。

浪人時代に訪れた美術大学の学園祭、通称「芸祭(げいさい)」の一夜の出来事を描いている。そこに回想として、美術予備校の授業や美大受験をめぐる悩み、友人・恋人との関わりなどが挟み込まれていく。

ところどころ、書き手である作者自身の言葉も挿入される。

ここからしばらく『ねこや』の大きなテーブルで人々がお喋りする記述が続くのだが、ここであらかじめ断っておきたいことがある。僕は話をちょっと作ってしまうだろう――ということだ。
しかし詳述は勘弁願いたい。ただ、今でも言葉で再現することが耐えがたい恥辱であるような、恐るべき不手際の連続だったことだけを書くに留めておきたい。

舞台が1985年と、私が大学時代を過ごした時代と近いこともあって、懐かしさや共感を覚えつつ読んだ。

全体としては帯文にもある通りの「青春群像劇」なのだが、随所に本物の絵とは何か、絵心とは何か、芸術の本質とは何か、といった問題が出てくる。それは美術家として活躍する作者の原点ともいうべきものなのだろう。

2020年8月10日、文藝春秋、1800円。


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2020年10月24日

遠藤ケイ『蓼食う人々』

著者 : 遠藤ケイ
山と渓谷社
発売日 : 2020-05-07

長年、日本各地を旅して人々の生活や民俗を取材してきた著者が、珍しい食べ物について記した本。

取り上げられているのは、野兎、鴉、トウゴロウ(カミキリムシの幼虫)、岩茸、野鴨、鮎、鰍、山椒魚、スギゴケ、スガレ(クロスズメバチ)、ザザ虫(カワゲラやトビケラの幼虫)、イナゴ、槌鯨、クマ、海蛇(エラブウミヘビ)、海馬(トド)。

と言っても、単なるゲテモノ食いの話ではなく、食文化に関する考察に裏打ちされたルポルタージュである。

かつて過酷な山間僻地に住んだ人たちも、山の植物を食い、獣を食い、爬虫類を食い、昆虫を食った。それは単に、食糧が乏しかっただけではなく、山の生物の中に神秘的な精力が宿っていることを、経験的に知っていたからだ。
命あるものを慈しむ心と、その命を奪って食べようとする二律背反する心理が同居している。小さな無辜の命に対する憐れみと、殺傷に高揚する野蛮な狩猟本能がない混ぜになっている。それが人間である。
漁は、魚と人間の間に介在する道具が少ないほど面白い。手摑みが釣りになり、筌や簗、投網や刺し網などの道具になっていくと、徐々に魚と人間の距離が遠くなっていく。直にやりとりする醍醐味が薄れてくる。
昔の人は、心臓が悪いと獣の心臓を食べ、肝臓の持病があると肝臓を食べた。眼病には獣や昆虫の目玉を飲み、足が悪いと跳躍力の強い動物の部位を食べて、その力を体内に取り込もうとした。

人間と他の動物との関わりや、食べることの本質といったものが、よく伝わってきて味わい深い。

2020年5月20日、山と渓谷社、1500円。

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2020年09月20日

外山滋比古『思考の整理学』


今年7月に亡くなった著者のベストセラー&ロングセラー。「刊行から34年 驚異の245万部突破」と帯にある。

ベストセラーと言われる本はあまり読まないのだけれど、この本はさすがに良かった。ものを考えるヒント(答ではなく)がたくさん詰まっていて、考えたり書いたりすることが楽しくなるような内容である。

学校はグライダー人間をつくるには適しているが、飛行機人間を育てる努力はほんのすこししかしていない。
夜考えることと、朝考えることとは、同じ人間でも、かなり違っているのではないか、ということを何年か前に気づいた。
独立していた表現が、より大きな全体の一部となると、性格が変わる。見え方も違ってくる。前後にどういうものが並んでいるかによっても感じが大きく変わる。

これは、短歌の連作についても当てはまる話。

中心的関心よりも、むしろ、周辺的関心の方が活潑に働くのではないかと考えさせるのが、セレンディピティ現象である。
講義や講演をきいて、せっせとメモをとる人がすくなくない。忘れてはこまるから書いておくのだ、というが、ノートに記録したという安心感があると、忘れてもいいと思うのかどうか、案外、きれいさっぱり忘れてしまう。

まったく同感。下を向いてメモしているより話者を見ていた方が、話の内容が頭に残る。

書く作業は、立体的な考えを線状のことばの上にのせることである。
題名の本当の意味ははじめはよくわからないとすべきである。全体を読んでしまえば、もう説明するまでもなくわかっている。

これも、連作の題や歌集の題を付ける際に踏まえておきたいこと。

調子に乗ってしゃべっていると、自分でもびっくりするようなことが口をついて出てくる。やはり声は考える力をもっている。
散歩のよいところは、肉体を一定のリズムの中におき、それが思考に影響する点である。

こんな感じで、印象に残った箇所を引いていくとキリがないほどだ。

1986年4月24日第1刷発行 2020年3月5日第122刷発行
ちくま文庫、520円。


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2020年09月15日

藻谷浩介・NHK広島取材班『里山資本主義』


副題は「日本経済は「安心の原理」で動く」。

7年前に刊行されてベストセラーになった本をようやく読んだ。里山をキーワードに、今の日本が抱える問題点への対策を論じている。

「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全のネットワークを、予め用意しておこうという実践だ。

こうした考えのもとに著者が掲げるのは以下の3つのことである。

・「貨幣換算できない物々交換」の復権
・「規模の利益」への抵抗
・分業の原理への異議申し立て

これらは田舎暮らしをしていなくても、それぞれの生活の場で実践可能な考え方だろう。今では工場の現場でもライン生産からセル生産方式への切り替えが進んでいる。もはや大量生産・大量消費の時代ではない。

経済成長のために、地域を安価な労働力や安価な原材料の供給地とみるのではなく、地域に利益が還元される形で物つくりを行う。ただし、そのために自分たちが犠牲になる必要もない。自分たちも、ちゃんと利益をあげる。

本書では「エコストーブ」「木造高層建築」「CLT建築」「ジャム作り」「自然放牧の牛乳」など、様々な実例が紹介されている。読み終えて少し明るい気分になれる一冊だ。

2013年7月10日、角川ONEテーマ21新書、781円。


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2020年09月07日

外山滋比古『省略の文学』


今年7月に亡くなった著者の切れ字を中心とした俳句論、日本語論、日本文化論など、計18篇が収められている。短詩型文学の実作者でも研究者でもないが、内容は示唆に富んで実に面白い。

切られた言葉が大きな表現効果を持つのは、それにつづく沈黙の空間で残響が増幅されるからである。
切字の切れ方は連句における句と付句の距離を原型としているのではなかろうか。連句における句と句の空間は小さくない。
俳句においては作者自身の作意ですら絶対的権威をもっていない。
作者と読者とが対話的コミュニケイションの場をもっているところに、俳句があのような短詩型で定立しえたもう一つの理由がある。
ことばを最大限に生かして使うには、一つ一つのことばをなるべく離して、大きな空間を支配するように配列すればよいはずである。それには、囲碁における布石が参考になる。
もし、人間関係によってことばづかいが違ってくるものならば、逆に、ことばづかいによって人間関係が決定されるという命題も成立するはずである。

40年以上前に書かれた本であるが、少しも古びていない。深い思索に基づいた論考は、ちょっとやそっとで古びたりはしないのだ。

人間でなくてはできないと思われていた作業が次々に機械によって行なわれるに至って、われわれは人間の能力の再認識をせまられているのである。新しい技術文化は新しい人間観の確立を求める。
教育というものは元来、保守的であるから、新しい時代に適応するのにいつも遅れがちになるが。まだ人間をコピー的活動から解放しようとはしていない。相変わらず記憶中心の知識の詰め込みを行なっているが、それは、人間が記憶する唯一の機械であった時代の要求に基づいた教育そのままである。

こうした文章は、近年のAIの発達やアクティブラーニングの推進といった状況を、はるかに先取りしたものだろう。この人はすごいな。

1976年4月25日、中央公論社、950円。


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2020年09月03日

伊藤宏『食べ物としての動物たち』


副題は「牛、豚、鶏たちが美味しい食材になるまで」。

家畜(豚、鶏、牛)がどのように育てられ、食肉となっていくかを、写真や図をまじえて詳しく記した本。

現在の肉豚の多くは、出荷日齢は一六〇日、出荷体重が一一〇kgということになってきている。
今の鶏の大部分はとうに就巣性というものがない、いや、なくさせられているから、産んだ卵にはまったく関心を示さずに唯々卵を産み続ける。
一般に卵用鶏の雄雛は育つのが遅く、その肉質もよくないので、しかるべく処分される。(・・・)良好なタンパク質供給源として加工処理され、他の動物に与えられる素材になるという。
盛んに産卵を続けてきた鶏も、四〇〇卵以上を産むとさすがに疲れが出始め、休産日が多くなる。系統によって、それぞれの採算ベースが決められているので、個体の成績には目もくれずに一斉に処分される。いわゆる廃鶏と称するものになる。
ここ三〇年ばかりの間に、ブロイラーの成長は著しく速くなり、出荷日齢は、一九六〇年代の一二週齢から、六〜七週齢へと短くなってきた。
生まれる子牛の半分は雄であり、種牛候補として残されるのは二〇〇頭に一頭もいないだろう。したがって肥育用の素畜となる雄子牛は、未成熟の生後二〜三ヵ月の間に去勢して、第二次性徴が現れないようにする。

わずか6か月で110キロまで太らされて出荷される豚、生まれてすぐに処分される卵用鶏の雄の雛、400個の卵をひたすら産み続けた後に処分される雌鶏、生後2〜3か月で去勢されてしまう雄牛。

知れば知るほど、何ともすさまじい世界だ。家畜の育成はどんどん合理化され、工業製品と同じように徹底的に生産性が追求されている。

こうした実態を頭の片隅に置いて、日々の肉を食べなくてはいけないのだと思う。

2001年8月20日第1刷発行、2012年10月1日第4刷発行。
講談社ブルーバックス、940円。


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2020年08月31日

平田オリザ『22世紀を見る君たちへ』


副題は「これからを生きための「練習問題」」。

大学入試改革をめぐる議論を皮切りに、演劇的手法を取り入れたコミュニケーション教育や地方自治体の新しい取り組みなどに触れ、これからの社会で生きていくために必要な力について考察している。

「何を学ぶか?」よりも「誰と学ぶか?」が重要になる。それは学生の質だけではない。教職員も含めて、どのような「学びの共同体」を創るかが、大学側に問われているのだ。

大学入試と言えばつい自分が受験した時のことを思い浮かべてしまうのだが、それはもう30年も前の話であって、今では大きく変っている。「大学全入時代」を迎えて、大学も漫然と運営していたのでは生き残ることができない。

インターネットの時代になり、知識や情報の地域間格差はなくなっていく。すると逆に、生でしか観られない部分で大きな差がつく時代となってしまう。東京の有利さが増幅されやすいと言ってもいい。
岡山県奈義町の項でも触れたことだが、本来、自治体は「来ない理由」に着目しなければならなかった。来ない理由は、「医療、教育、文化」に対する不安である。医療は、全国津々浦々、相当に整備が進んだ。あとは教育と、食文化やスポーツも含めた広い意味での文化、居場所作りだ。

都市と地方の格差やU・I・Jターンの話についても、詳しく論じられている。東京から兵庫県豊岡市に移住し、豊岡の劇場に拠点を移したのも、そうした問題意識が根底にあってのことなのだろう。

2020年3月20日、講談社現代新書、860円。


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2020年08月23日

近藤二郎監修『カラー版 世界のミイラ』


多くの写真入りで世界のミイラについて解説・紹介した本。

エジプトのミイラだけでなく、「インカ時代の少女のミイラ」「メキシコのミイラ博物館」「アイスマン」「シチリア島の少女ロザリア」「レーニン」「楼蘭の美女」「アンガ族の燻製ミイラ」「フランシスコ・ザビエル」「日本の即身仏」など、多くのミイラが登場する。

1801年には、エジプトツアーが始まり、ヨーロッパではエジプト熱が非常に高まった。そして、エジプトツアーのひとつの興行として、高級ホテルのラウンジでは、その日の朝に見つかったミイラの包帯を解くショーが行われたのだ。
スペインの征服者は、インカ帝国にある王のミイラを悉く破戒し処分した。そうすることによって、皇帝の権勢を削ごうとしたのだ。

ミイラにはこんな歴史もあったのか!

写真が豊富で見ているだけでも楽しいのだが、誤植が多いのが残念。近年、出版社によっては校正がかなり疎かになってきている。

2019年11月15日、宝島社新書、1200円。

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2020年08月22日

三上延『ビブリア古書堂の事件手帖U』


副題は「扉子と空白の時」。

人気の「ビブリア古書堂」の新シリーズの2冊目。
扉子はもう高校生になっている。

今回取り上げられるのは横溝正史の『雪割草』と『獄門島』。
何だかんだ言いながら、このシリーズは読み続けてしまうなあ。

2020年7月22日、メディアワークス文庫、630円。

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2020年08月20日

加藤聖文『「大日本帝国』崩壊』


副題は「東アジアの1945年」。

1945年8月15日の敗戦は東アジア各地にどのような影響をもたらしたのか。現在の「日本」国内だけでなく、かつての「大日本帝国」支配下各地の状況を詳しく検証した一冊。

「東京」「京城」「台北」「重慶・新京」「南洋群島・樺太」における敗戦とその後の経緯が細かく描かれている。私たちは8月15日を戦争の「終わりの日」という見方で捉えることが多いが、実はそれは大日本帝国崩壊の「始まりの日」でもあった。

朝鮮における南北分断国家の誕生、台湾における二・二八事件と国民党政府による支配、中国における国共内戦と中華人民共和国の成立、ソ連におけるシベリア抑留。いずれも8月15日から始まった歴史の中で起きたことである。

さらにそれは、現在まで続く東アジアの緊張関係を生み出した原因ともなっている。

八月十五日正午、昭和天皇による玉音放送がラジオによって流された。放送は朝鮮、台湾、樺太、南洋群島、さらには満洲国でも流された。この放送は、天皇が「帝国臣民」に向かって初めて直接語りかけたものであったが、語りかけた「帝国臣民」はすでに「日本人」だけになっていた。「内鮮一如」「一視同仁」といったスローガンのもとに皇民化され「帝国臣民」となっていた朝鮮人や台湾人やその他の少数民族は含まれていなかったのである。

この時点で、早くも戦後の日本が抱える大きな問題が始まっていたわけだ。現在の「日本」の範囲に限定して戦前の「大日本帝国」の問題を考えようとすれば、当然抜け落ちてしまう部分が多くある。

東アジアには現在もなお解決されずに残っている様々な問題がある。そうした問題を考える上でも有意義な視点をもたらしてくれる本だと思う。おススメ。

2009年7月25日、中公新書、820円。


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2020年08月13日

天野太郎監修『京阪沿線の不思議と謎』


京阪電鉄の歴史や沿線の名所、地名、エピソードなどについて記した本。わが家は京阪「墨染駅」から徒歩約10分なので、普段から京阪にはよく乗っている。

京阪本線は「淀屋橋」〜「出町柳」だと思っていたのだが、正しくは「淀屋橋」〜「三条」なのだと初めて知った。「三条」〜「出町柳」は京阪鴨東(おうとう)線と言うのだそうだ。

なぜ阪急の路線に、京阪の社長が書いた扁額が掲げられているのだろうか。それは、もともと阪急京都線を敷いたのが、京阪の子会社・新京阪鉄道だったためである。
現在も琵琶湖疏水は約一四五万人の京都市民に年間二億トン以上もの水を供給しているが、その代償として、京都市は毎年二億二〇〇〇万円の感謝金を滋賀県に支払っている。
桑原町は、北は京都御苑、南は京都地方裁判所に挟まれた一角にある。(…)桑原町には建物が一軒もないのだ。それもそのはず、なんと道路上に存在するのである。
もともと信貴生駒電鉄は私市から生駒へと路線を延伸し、枚方〜生駒〜王子間を結ぼうとしていたが、経営難に陥ったために計画は頓挫。

こんな雑学的なネタがいっぱい載っている。

2016年12月17日、実業之日本社(じっぴコンパクト新書)、900円。


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2020年08月09日

庭田杏樹×渡邉英徳『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』


「記憶の解凍」プロジェクトの一環として出版された一冊。

戦前・戦中のモノクロ写真をAIによる自動色付けと資料や証言による手作業の色補正によってカラー化し、350枚を収めている。

カラー写真になったことで、人々の暮らしや戦争の被害状況が、非常に生々しく甦ってくる。戦前の沖縄や広島の中島地区(現在の広島平和記念公園)で撮られた写真も多く、そこに写る人々の運命を否応なく突き付けられる。

これは、すごい本だ。

2020年7月30日、光文社新書、1500円。


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2020年08月08日

平松洋子『肉とすっぽん』


副題は「日本ソウルミート紀行」。

さまざまな肉の現場を訪ねて、食べること、生きることについて考察した全10篇のノンフィクション。「羊」「猪」「鹿」「鳩」「鴨」「牛」「内臓」「馬」「すっぽん」「鯨」が取り上げられている。

ここ数年、私は捕鯨や狩猟、食肉の問題について関心を持っているので、良い本に巡り合ったという感じがする。

食べることは、身体のなかに入れること。自分の身体を使って敬意を払うということ。
「肉にも旬がある」
野生の肉は、自然環境と季節の移ろいの産物である。また、産地や扱う人間によって、質のよしあしも異なる。
流通価格を決める格付けでは、短角牛はせいぜいいA2(最上級A5)止まり。牛肉の格付けを決めるにあたって、サシの入り方が重要な要素とされているからだ。
豚のトントロの例も記憶にあたらしい。それまで豚の喉周辺の肉は、とくに注目されてもいなかったが、誰がつけたのか、トントロという名前がついて売られるようになった。

北海道、島根、埼玉、石川、東京、熊本、静岡、千葉など、各地の生産者の語る話はどれも印象的だ。命と向き合う仕事の奥深さをを強く感じた。

2020年7月15日、文藝春秋、1500円。

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