2021年12月01日

土井善晴『一汁一菜でよいという提案』


2016年にグラフィック社より刊行された本の文庫化。20万部突破のベストセラー。

家での食事は「一汁一菜」で良い、さらに言えば、おかずを兼ねる具だくさんの味噌汁とご飯だけで良いとの考えを記した本。テレビの料理番組での温かみのある語り口がそのまま本になっている。

家庭料理ではそもそも工夫しすぎないということのほうが大切だと思っています。それは、変化の少ない、あまり変わらないところに家族の安心があるからです。
メディアでは「おいしい」「オイシイ‼」と盛んに言われていますが、繰り返し聞かされている「おいしいもの」は、実は食べなくてもよいものも多いのです。

まずは、料理に対するこうした発想の転換にハッとさせられる。一般的な料理本に見られる「美味しいもの」「特別なもの」を目指す方向性とは正反対だ。でも言われてみれば当り前のことばかりで、日常を大事にする姿勢が一貫している。

そして、「生きることと料理することはセットです」と書く著者の話は、人生論や文明論にもつながっていく。

私たちは生きている限り「食べる」ことから逃れられません。離れることなく常に関わる「食べる」は、どう生きるのかという姿勢に直結し、人生の土台や背景となり、人の姿を明らかにします。
料理とは、いつも新しい自分になることです。自然は絶えず変化していますから、レシピ通りにはいきません。自然に対して、自分自身も新しくするのです。

やや教訓めいたこの手の話は苦手と思う方もいるかもしれない。ジェンダーや「日本人の美意識」についての記述にも、世代的な違和感は覚える。

その一方で、私たちが時流や経済効率に流されず「食べる」ことを大事にするには、何らかの思想・考えが必要となるのも確かだ。外食や総菜、冷凍食品などで何でも比較的安く食べられる現代は、かえって「食べる」ことの難しい時代なのかもしれない。

2021年11月1日、新潮文庫、850円。

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2021年11月27日

青木真兵・青木海青子『山學ノオト』

著者 : 青木真兵
エイチアンドエスカンパニー
発売日 : 2020-10-05

「山學」は「やまがく」。

奈良県東吉野村で人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」を開いている夫妻の日記(2018年12月〜2019年末)と書下ろしのエッセイを収めた一冊。

人文系の図書は自然科学系のそれとは違い、「新しさ」と研究上の価値が相関しない。だから「古い」というだけで「意味がない」ということにはならない。
お金に振り回されず、お金の多寡が思考のノイズにならないように。むしろ効果的なお金の使い道を考えたい。そのためには生活の一部に、商品化されない「手作りの世界」を持つことが必要となる。
里と山を対置させて考えた時、里で生きるのに必要な能力は「お金を稼ぐ力」であり、山で必要なのは「お金がなくても生きていける力」だ。

山奥に住んでいるとはいえ引き籠っているわけではなく、あちこち出掛けて多くの人と会っている。人との出会いや会話が次の展開や活動へとつながっていくのだ。読んでいるうちに何だか少し元気になって、自分もいろいろチャレンジしてみようという気分になってきた。

それにしても、「ルチャ・リブロ」遠いなあ。

2020年9月28日、エイチアンドエスカンパニー(H.A.B)、1800円。
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2021年11月26日

北村薫『中野さんのお父さんは謎を解くか』


2019年に文藝春秋社より刊行された単行本の文庫化。

「中野のお父さん」シリーズ第2弾。8つの短篇が収められている。いわゆる安楽椅子探偵モノ&日常の謎モノで、主人公の田川美希から聞いた話をもとに父が謎を解いていく。

本や文芸に関する謎が多く、先日『文豪たちの友情』で読んだ徳田秋声と泉鏡花の喧嘩のエピソードの謎も出てきた。「火鉢は飛び越えられたのか」というタイトル。8篇の中ではこれが一番面白かったな。

巻末の初出一覧を見ると、初出の「オール讀物」掲載順と本の中での順序がかなり入れ替わっている。「2016年5月号」「2018年6月号」「2016年8月号」「2017年1月号」「2018年1月号」「2017年4月号」「2017年5月号」「2018年12月号」という並び方。

初出の順序で言えば、@FABECDGとなる。どうして、こういう並び方にしたのか気になる。何かの辻褄を合わせたのだろうか。これも作者から出された「日常の謎」なのかもしれない。

2021年11月10日、文春文庫、680円。

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2021年11月24日

三宅岳『山に生きる』


副題は「失われゆく山暮らし、山仕事の記録」。

全国各地に残る山仕事を訪ね回って取材したルポルタージュ。既に失われてしまった仕事もあり、貴重な記録となっている。

登場するのは「ゼンマイ折り」「月山筍採り」「炭焼き」「馬搬」「山椒魚漁」「大山独楽作り」「立山かんじき作り」「手橇遣い」「漆掻き」「木馬曳き」「阿波ばん茶作り」をする人々。

馬搬(馬を使って山から木を搬出する)をする方の、馬に関する話が載っている。

その名を尋ねれば、「馬には名前をつけない」という驚きの答えを口にする岡田さん。理由を尋ねれば、馬に名前をつけると愛情が生まれてしまうから、とのこと。馬はあくまで仕事の道具という割り切りなのだ。

内澤旬子『飼い喰い』にも、ペットと家畜の違いは名前を付けるか付けないかだという話があったことを思い出す。

かつての山には様々な仕事があり、多くの人の生活の場となっていた。こうした仕事には定年がない。体力的な限界を感じてやめることはあっても、長く働き続けることができるものだ。

年を取っても働くことは貧しさではなく、むしろ人生の豊かさだったのかもしれないと思う。

2021年10月5日、山と渓谷社、1600円。

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2021年11月21日

石井千湖『文豪たちの友情』


2018年に立東舎から刊行された単行本に加筆修正し、書き下ろしの章を追加して文庫化したもの。

「室生犀星と萩原朔太郎」「正岡子規と夏目漱石」「中原中也と小林秀雄」「江戸川乱歩と仲間たち」など、近代の文学者たちの交流や友情を取り上げて、その軌跡を丹念に追っている。

単に仲が良かったという話ではない。時に憎み合ったり、疎遠になったり、人生の様々な場面で影響を与え合う濃密な関係性が描かれる。

近代文学の作家の場合は、彼らが生きていた時代を共有していないので、そのまま読んだだけではわからないこともたくさんあります。文学史の概論を読んでも、どんな社会で生きていたのか具体的に思い浮かべることはできません。交友関係を取っ掛かりに詳しく調べたら、作品の世界をより深く理解できるのでは?

確かに、本書を読むと作家たちの生きた時代が見えてくるし、何よりも彼らの作品をもっと読んでみたくなる。近代文学の恰好のガイドブックと言っていいだろう。

時代が違っていても、生と死の世界に分かれても、一生に一度も会うことができなくても、本があれば友達になることができる。文学を通じてなら、時空を超えて書き手と読み手の対話が成り立つ。わたしはそう信じています。

一冊を通して著者の文学に対する愛情を感じるとともに、文学の持つ魅力にあらためて気づかされた。

2021年9月1日、新潮文庫、590円。

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2021年11月20日

自然食通信編集部編『手づくりのすすめ 増補改訂版』


文:小玉光子、八田尚子
版画:宮代一義

「味噌」「豆腐」「梅干」「コンニャク」「そば、うどん」「つくだ煮」などを手作りする方法を紹介した本。1987年初版の23篇に、新たに3篇が追加されている。どの回も版画による図解が付いていて、温かみが感じられる。

かつては土地の風土や気候に合わせて手作りされていた食べ物が、今では大規模な工場で生産される画一的な商品になってしまった。そうした流れを見直し、まずは自分の食べる物から少しずつ変えていきたいとの思いが強く伝わってくる。

本書を読み終えて、早速「カマボコ、チクワ」の手作りに挑戦してみた。時間は掛かるけれど、別に難しくはない。出来上がりは市販の物とは全然違うものの、それなりに美味しい。

家庭では、こんどはこうすれば失敗しないかも――などと、工夫を重ねながら、うまい味噌づくり、醤油づくりに挑戦するのも楽しみのひとつ。

そうなのだ、失敗も含めて手作りには楽しみがある。そこが何よりの出発点だ。手間や面倒と思うのではなく、自分の食べる物を自分で作る素朴な喜びを、まずは取り戻すことが大切なのだろう。

2021年11月1日、自然食通信社、1800円。

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2021年11月10日

野呂邦暢『野呂邦暢ミステリ集成』


野呂邦暢のミステリ小説8篇とミステリ関連のエッセイ8篇を収めたオリジナル編集の本。

小説は記憶や死者の残した物を手掛かりに深みへ嵌まっていくタイプのものが多く、高橋克彦の記憶シリーズとも似ている。もちろん、野呂の作品の方が古いのであるが。

エッセイはどれも数ページの短さだが、小説の舞台裏を垣間見せてくれる。

ヨーカンでも時計でもいい。初めに具体的な「物」がある。それによって記憶の井戸さらえのごときことが起り、主人公の内部に深く埋れていたものが明るみに出て来る。
世界の本質は謎である。私たちはそれを解くことはできないが世界を形造ることはできる。だとすれば謎を解く必要などありはしない。
初版の同シリーズ(早川のポケットミステリ:松村注)にはひどい訳があった。クリネクスを薄葉紙と訳してあるのは時代だから仕方がないが、文章が日本語になっていないものもあって、本筋の謎よりも訳文を読み解くのがかえってミステリアスであった。そこがいいのである。

なるほどなあ、と思う。「そこがダメ」なのではなく「そこがいい」のだ。誤訳とか、勘違いとか、記憶の変容とか、そうしたものが人生には大切なのかもしれない。

「ある殺人」という小説の中で、医師が

要するにあなたは会社の仕事に追われて神経が参ってるんですよ。かるい運動をおすすめしたいな。朝の十分間、ランニングか縄とびをするとか

と言う。読んですぐに、先日観た映画「草の響き」を思い出した。小説と映画、野呂邦暢と佐藤泰志が、私の頭のなかで混ざり合う。そして、静かに記憶の底へと沈んでいく。

2020年10月25日、中公文庫、1000円。

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2021年11月05日

内澤旬子『飼い喰い』


副題は「三匹の豚とわたし」。

千葉県に移住し1年間かけて三頭の豚を飼育し、それを屠畜場に出荷して食べるまでのドキュメンタリー。すごい本だとは聞いていたのだけれど、想像以上にすごい本だった。

豚の交配や分娩を手伝い、三匹の種類の違う子豚を手に入れ、豚小屋を建て、餌をやり、可愛がり、屠畜場へ連れて行き、屠畜の現場を見て、料理にして食べる。豚の命の最初から最後まで全てを見尽そうとする執念に圧倒される。

豚は生後約半年、肉牛は生後約二年半で屠畜場に出荷され、屠られ、肉となる。
生まれた雄は、生後四、五日で去勢をする。去勢をすると雌と同じくらい肉が柔らかくなり、性格も柔らかくなる。

私たちが日常食べている豚は、肉のやわらかな子豚ばかりというわけだ。わずか半年で約110キロまで太って肉となる。

昔と今の養豚の違いについての記述にも考えさせられる。1961年には農家1戸あたりわずか2.9頭であった飼育頭数が、2009年には1戸当たり1436頭に急増している。それだけ大規模化が進み、軒先で豚を飼うような農家は無くなったということだ。

1頭の豚からどれくらいの肉が取れるかについても詳しい。110キロの豚から取れる精肉は51キロ。そのうち、そのまま消費者に売られる「テーブルミート」はわずか23キロ(肩ロース4キロ、ヒレ1キロ、ロース9キロ、バラ9キロ)。残りの腕(12キロ)やモモ(16キロ)は主に加工用になる。

安くておいしいものをいつでも買えることは、いいことだ。少しでも安くておいしくて、安心安全な肉を求めて、消費者は動く。私だって買い手に回ればそうする。しかしお金をもらう側、売る側作る側になってみれば、大変だ。

豚1頭あたり数万円にしかならない現実を知ると、スーパーで豚肉を見る目も少し変わってくるのではないかという気がする。

2021年2月25日、角川文庫、800円。

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2021年10月30日

辰井裕紀『強くてうまい!ローカル飲食チェーン』


全国各地にある人気ローカルチェーンの魅力や経営方法を取材してまとめた本。

登場するのは、福田パン(岩手)、551HORAI(大阪)、ばんどう太郎(茨城)、おにぎりの桃太郎(三重)、ぎょうざの満洲(埼玉)、カレーショップインデアン(北海道)、おべんとうのヒライ(熊本)。

いまくらいの規模がちょうどいいです。会社が大きいと安全とも考えたんですけど、岩手ご当地のものだから取材していただけるのがわかってきました。そこに行かなきゃ味わえないほうが価値はある。(福田パン)
コンビニの台頭で多少の影響はありましたが、そもそも客層が違うんです。「やっぱり桃太郎のおにぎりじゃないと」って思ってくれるお客さまのために、そう確信できる商品を出したいですね。(おにぎりの桃太郎)
どんなにおいしい醤油ラーメンでも、豚骨ラーメンがメインの九州ではさほど売れません。同じ福岡のラーメンでさえ、博多、久留米、長浜と微妙に違うんです。地域性に応じて味を整えるのはすごく難しい。(おべんとうのヒライ)

私の印象に残っているローカルチェーンと言えば、函館のラッキーピエロ。楽しそうな店構えと美味しいハンバーガーで地元の人に愛されていた。

画一化・均質化が進む現代社会において、ローカルチェーンの掲げる地域密着の理念は今後ますます大切になっていくように思う。

2021年8月31日、PHPビジネス新書、1100円。

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2021年10月26日

小林多喜二『蟹工船 一九二八・三・一五』


3月に小樽文学館で小林多喜二のデスマスクを見た。多喜二の勤務先であった旧北海道拓殖銀行小樽支店(現・似鳥美術館)にも行った。


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その流れで、この1冊。読んでみたら予想以上に良かった。プロレタリア文学という括りを外しても十分に味わえる内容のように思う。

視点があちこち動くので最初は読みにくく感じたのだが、群像劇として描いていることがわかると、すんなり作品世界に入っていける。

内地では、労働者が「横平」になって無理がきかなくなり、市場も大体開拓されつくして、行き詰ってくると、資本家は「北海道・樺太へ!」鉤爪をのばした。
北海道では、字義通り、どの鉄道の枕木もそれはそのまま一本一本労働者の青むくれた「死骸」だった。築港の埋立には、脚気の土工が生きたまま「人柱」のように埋められた。

「蟹工船」は北洋漁業に出る船が舞台だが、当時の北海道における蛸部屋や鉄道工事の実態も生々しく描かれている。

竜吉は警察で非道(ひど)い拷問をされた結果「殺された」幾人もの同志を知っていた。直接には自分の周囲に、それから新聞や雑誌で。それらが惨めな死体になって引渡されるとき、警察では、その男が「自殺」したとか、きまってそういった。

「一九二八・三・一五」には、凄惨な拷問シーンが何か所も出てくる。この作品を書いた五年後、29歳の多喜二はまさに自らが書いた通りの姿で亡くなったのだ。

1951年1月7日第1刷、2003年6月13日改版第1刷、
2020年4月6日第19刷、岩波文庫、700円。

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2021年10月19日

後藤治・二村悟『食と建築土木』


副題は「たべものをつくる建築土木(しかけ)」。
写真:小野吉彦。

全国各地の農山漁村で見かけた石垣、小屋、仮設の棚など、建物以外の構築物を取材してまとめた本。あまり見たことのない珍しいテーマだと思う。

取り上げられているのは、「ゆで干し大根の大根櫓(長崎県西海市)」「階段状ワサビ田(静岡市)」「串柿の柿屋(和歌山県かつらぎ町)」「凍み豆腐干し(福島市)」「壁結(福岡県うきは市)」「海苔ヒビ(三重県南伊勢市)」など。

農家を評価するときに、これまでの研究はほとんど母屋の研究なんです。でも実は、産業を形成しているのは母屋よりも圧倒的に付属屋のほうです。

なるほど、言われてみれば確かにその通りだ。新幹線の車窓を見ていても、農業や漁業の生産に関わる構築物は町並みや景観の大事な要素になっていることが多い。

約200点も載っているカラー写真がどれも美しく、現地を訪ねてみたくなる。

2013年11月30日1刷、2018年12月10日2刷発行。
LIXIL出版、2300円。

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2021年10月17日

野呂邦暢『愛についてのデッサン』


副題は「野呂邦暢作品集」。
岡崎武志編。

読書には流れがあって、関口良雄『昔日の客』と岡崎武志『上京する文學』を経て、この1冊にたどり着いた。

古書店主の佐古啓介を主人公とした6篇の連作小説「愛についてのデッサン」と「世界の終り」「ロバート」「恋人」「隣人」「鳩の首」の5篇を収めている。

どの作品も推理小説のような味わいがあって、でもスッキリと解決するわけではない。読後に何かモヤモヤとしたものが残る。相手や他人の考えは結局はよくわからないという感じ。たぶん、そこが良いのだろう。

作者は1980年に42歳で亡くなった。

Wikipediaには「心筋梗塞のため急逝」とあるが、本当のところはどうなのだろう。

2021年6月10日、ちくま文庫、900円。

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2021年10月14日

つばた英子・つばたしゅういち『ふたりからひとり』


副題は「ときをためる暮らし それから」。
聞き手・編集:水野恵美子、写真:落合由利子

前作『ときをためる暮らし』(2012年)から4年後に刊行された続編。夫しゅういち氏が入院し、90歳で亡くなり、夫婦二人の暮らしから一人の暮らしへと変わる。

それでも、雑木林とキッチンガーデンのある木造平屋の家での営みは、変わらずに続いていく。

干し柿一つ、つくるのだって。くり返し、くり返しやらないと、うまくできない。だから、また来年もつくってみようと思うし、うまくできないからのおもしろさがあるのね。(英子)
病院での入院の日々は、いつどんな検査をするかわからないから、恐怖の日々だったって。退院した三か月後にまた検査しますからと言われましたけど、断ったの。このままずっと、平穏に暮らしたほうがいいって。(英子)
直すとかえってお金がかかる仕組みになってしまった世の中は、不自然ですよ。経済が回るよう、使い捨てを主流にしようとしてね。昔のものはとにかく丈夫で長持ち。そして、道具を自分の手で育てていくという楽しみがあるでしょ。(しゅういち)
炊事をやっていたねえやが「なんでも、手間ひまかけてつくったものがおいしいのよ」と言っていたけど、ほんとうにそうだなって。その言葉がいまだに耳に残っているから、梅を漬けたり、粕漬をつくったり、土鍋で豆を煮たり。(英子)

読んでいると、しーんと気持ちが穏やかになる。料理や家事といった日々の行いが、私たちの身体や心を整えていることにあらためて気づかされる。

巻末のプロフィールによれば、この本が出て2年後の2018年に英子さんも90歳で亡くなられたそうだ。

2016年12月5日1刷発行、2019年6月25日14刷発行。
自然食通信社、1800円。

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2021年10月11日

小倉ヒラク『日本発酵紀行』


発酵デザイナーである著者が、全国47都道府県の発酵食品の現場を訪ねてまわった旅の記録。

取り上げられているのは、「愛知・岡崎の八丁味噌」「京都・大原のしば漬け」「岡山・日生のママカリずし」「秋田・八森のしょっつる」「北海道・標津の山漬け」「群馬・高崎の酒まんじゅう」「香川・小豆島の醤油」「佐賀・呼子の松浦漬け」など。

一口に発酵と言っても実に多様であり、日本の食文化に欠かせないものであることがよくわかる。

熟成に時間のかかる醸造蔵は商品を仕込んでから出荷してお金に換えるまでに何年もかかる。それはつまり資金をプールしなければいけないということだ。近代的な金融システムが整備される前の日本では、商品製造のために資本蓄積をしなければいけなかった醸造蔵が、プールした資本の運用のために地域の金融サービスを担ってきた。
醸造蔵は簡単には引っ越せないし、蔵を建て替えることもできない。商品の個性をつくりだす微生物の生態系が変わってしまう恐れがあるからだ。だから古い建物を少しずつ直し、建て増しをしていく。結果、様々な時代の建築が蓄積されることになる。
江戸時代に起きた醸造ビッグバンには意外な立役者がいる。木桶だ。老舗の醤油蔵や味噌蔵で見かける、見上げるほど大きな木桶。これは日本で特異に発達した文化だという。そういえば、ワインやウィスキーに使う木樽(Barrel)で自分の背丈を超すようなものを見たことがない。
藍染めの産業を考えるうえで、ひとつ重要なポイントがある。藍染めの工房は日本各地にあるのだが、染めの原料となるすくもの生産地は限られている。なかでも阿波は質の高いすくもの名産地。全国に消費のための需要がある反面、「原料」を生産できる場所は限られている。これはビジネスにおける最強の勝ちパターン。

どのページにも、発酵に対する著者の情熱と愛情が満ち溢れている。

時おり出てくる「発達したんだね」「ほんとうなんだよ」「大変なんだ」といった語り掛けの口調に最初は少しとまどったけれど、慣れてくると親しみを感じるようになる。

2019年6月10日、D&DEPARTMENT PROJECT、1800円。

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2021年10月04日

つばた英子・つばたしゅういち『ききがたり ときをためる暮らし』


聞き手:水野恵美子、撮影:落合由利子。

80歳を超えた建築家・評論家の津端秀一と妻英子の生活の様子を、一年間にわたる聞き書きと美しい写真によって描き出した本。

雑木林とキッチンガーデンのある木造平屋の家。そこでの暮らしの四季折々の姿が浮かびあがってくる。

二人とも、健康診断はもう何十年と受けたことがないんですよ。もし、不具合が見つかったら怖いですからね。意識しちゃうでしょ、それも健康な人ほど、精神が不安定になってしまうから。たっだら検査を受けないほうがいいと思ってね。(修一)
収穫する量が多くありませんから、そんなたくさんはつくれないけど、「もう少し食べたい」と思うくらいがちょうどいいのね、ジャムに限らず何でも。また、来年を待つ楽しみができますからね。(英子)
このベーコンづくりも、もうすぐ一五〇回に到達する予定です。やっぱり、どんなことでも一〇〇回以上回数を超えると、自分らしいホンモノになってくるもんですねえ。何度も繰り返すことで、自分なりのやり方やコツがつかめてくる。(修一)
「自分が食べる物は、自分の手でつくりたい」という思いは、小さい頃からもっていましたけど、実現できるまでは長い時間がかかりましたものね。でも、思い続けて、それに向かって少しずつ実現していくことは大事なんですね。(英子)

野菜や果実を庭で育て、自家製のゆべし、ベーコン、ハブ茶、梅酒、梅干し、ジャム、佃煮、粕漬けなどを作る。植木の剪定や屋根の塗装なども自分たちでやる。そんな自由で自立した暮らしの美しさが存分に感じられる内容であった。

2012年9月20日初版1刷発行、2018年10月15日21刷発行。
自然食通信社、1800円。

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2021年10月03日

宮田珠己『日本全国津々うりゃうりゃ 仕事逃亡編』


2015年に廣済堂出版より刊行された本の文庫化。

全国各地のあまり有名でない(?)観光地を旅して回るシリーズ。同行編集者テレメンテイコ女史とのやり取りも楽しい。

書店でぱらぱらと目次を見て、「高知・徳島」の旅に沢田マンションが載っているのを見つけて買うことに決めた。沢田夫妻が30年かけてほぼ独力で建設したマンションで、以前から一度訪れたいと思っている場所だ。

https://matsutanka.seesaa.net/article/413024075.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/417319941.html

ガイドはさらに、流氷が接岸すると知床は内陸性気候になる、と教えてくれた。気象的な観点で言えば、ここはもう海ではないということだ。海面が閉ざされてしまうため、水分の蒸発が起こらないわけである。(オホーツク)
西福寺だけでなく、最近こういう、昔からあったけれども知られていなかったすごいものがいろいろと発掘されていて、日本の観光地図が変わってきた気がする。(栃尾又)
泊まった部屋には、宿泊者ノートがあって、めくってみると、わざわざ泊まりに来る人が少なくないようだ。(…)ついに念願の沢田マンションに来ました! と感動の言葉がたくさん書きつけられていた。(高知・徳島)

緊急事態宣言も明けたことだし、またあちこち出掛けてみようか。

2021年8月5日、幻冬舎文庫、710円。

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2021年09月26日

山下賢二『ガケ書房の頃 完全版』


副題は「そしてホホホ座へ」。

2004年から2015年まで京都で個性的な書店「ガケ書房」を経営していた著者が、人生を振り返りながら、商売において大事なことや本についての思いなどを記している。

お客さんからお金をもらって、店という場を続けていくためには、綱引きが求められる。お客さん側の引き。これは、ニーズだ。そして、店側の引き。これは、提案だ。
店は、始めることよりも続けることの方が圧倒的に難しい。運よく開店資金を用意できたとしても、そんなものはすぐになくなってしまう。
棚は畑に似ていて、手をかけていじればいじるほど本が魅力的に実る。そして、それをお客さんが刈り取っていく。嘘みたいな話だが、ずっと動きが悪い本を棚から一度抜き出して、また元の位置に戻すだけで、その日に売れていくこともある。

近年、書店をめぐる状況は悪くなるばかりだ。今月に入って京都でも大垣書店四条店の閉店が報じられている。

その一方で、いわゆるセレクト書店が少しずつ増えているのも確かだ。けれども、そこにも問題点がある。

セレクトを全面に押し出した提案型の個人書店がこの十年くらいで生まれてきた。しかし、そういう店の棚は、どうしても直取引をしてくれる出版社のタイトルに偏りがちで、そうした品揃えを選ばざるをえない個人書店が増えてきた結果、逆金太郎飴状態が生まれている。

なるほど、セレクト書店をいくつか見て回って不思議と品揃えが似ているように感じたのは、そういうわけだったのか。

もちろん、こうした問題に正解はない。生き残りをかけた書店の(そして私たちの)模索は今後も続いていく。

2021年8月10日、ちくま文庫、800円。

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2021年09月18日

西山純子『新版画作品集』


副題は「なつかしい風景への旅」。

大正から昭和初期にかけて、版元の渡邊庄三郎を中心に生み出された近代的な浮世絵「新版画」。川瀬巴水、吉田博、伊東深水ら多くの作家が誕生し、海外でも人気を博した。

その代表的な作品を「夜」「雪」「水辺」「富士と桜」といった内容別に収め、解説を施した一冊。作家紹介なども充実していて、新版画の良い入門書となっている。

新版画は和紙という優れた、特殊な媒体と水性顔料、超絶した彫りと摺りの技、そして近代に生きた作家の視覚や感性が、きわめて高い完成度のなかに融合した芸術世界である。
浮世絵や新版画の摺りの現場は、実に水気が多い。紙はあらかじめ湿らせておくし、顔料にも大量の水が使われる。(…)新版画は、日本の湿潤な風景を描くに実にふさわしい手法なのである。
新版画が外国人との仕事から出発したことはとても重要である。和筆を初めて持つ人の線と色を浮世絵の彫摺にあわせる試みが、職人たちを因習から解放し、新たな造形への踏切板となったからである。

新版画にかなり興味が湧いてきた。
美術館に実物の絵を観に行こうと思う。

2018年3月10日、東京美術、3000円。

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2021年09月12日

花房葉子『野のごちそう帖』

著者 : 花房葉子
自然食通信社
発売日 : 2007-07-01

旭川郊外のイカウシ(当麻町伊香牛)に暮らす著者が、山小屋での生活や四季の移り変わり、季節ごとの食べ物などについて記したエッセイ集。

雪が解けて水が流れ始める「春」、畑の野菜や草が育つ「夏」、豆や芋や果物を収穫する「秋」、そして一面の雪に閉ざされる「冬」。

実から地について育ったものの成長の安定感、周囲にあるものとのなじみ方は、買って来て植えた苗花とは全く違う。そういうものから私が学ぶ事は、計り知れない。
十年、二十年、毎日好きな食器で楽しく食事をする人と、間に合わせの貰い物で済ませている人との感覚の違いは大きいと思うのだ。
自分たちで作った野菜のピクルスや塩漬けや貯蔵した豆とジャガイモで食卓が用意される時、私たちは種蒔いた春を、暑くて忙しくてぶっ倒れた夏を、収穫した秋をお皿の中に再現することができる。
雪かきをする時はまず、お風呂をわかしてから作業にとりかかる。なぜかというと、汗だくになってしまうからだ。マイナス二十度の中で汗だくになる(…)

こういう生活に対する憧れが、少しずつ私の心に芽生え始めている。まあ、実現はできないと思うけれども。

2007年7月25日、自然食通信社、1700円。

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2021年09月11日

畑中章宏『21世紀の民俗学』


WIRED.jp」に2016年から2017年にかけて連載された原稿を元にまとめた一冊。

民俗学的な視点・手法によって、「自撮り棒」「宇宙葬」「聖地巡礼」「無音盆踊り」「ポケモンGO」「UFO学」「ホメオパシー」など、現代の様々な事象について考察を加えている。

物事や現象を分析し、その背後にひそむ人々の感情や思いを解き明かす。そこには、推理小説を読むような発見や驚きがある。

わたしにとっての民俗学とは、まず「感情」を手がかりに、さまざまな社会現象に取り組む姿勢のことである。(・・・)歴史には記録されていない感情を扱うことで、史料にもとづいた過去に囚われることなく、市井の人間のことを想像し、見つめ直すことができる。(・・・)民俗学の方法を用いることで、時代に左右されない本質を探すことができる。

民俗学と聞くと、過去を扱うもの、古くさいものといった印象があるが、実はそうではない。私たちが生活の中で目にするものについて自在に扱うことのできる、きわめてアクティブな学問なのだ。

2017年7月28日、KADOKAWA、1800円。

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2021年09月07日

『カムイブロートの食卓』の続き

「ベッカライ麦々堂」は今も旭川で営業を続けている。
https://www.mugimugidou.com/

麦さんは今もパンを焼いているが、著者の花房さんはHPに載っていない。少し調べてみたところ、花房さんは今はブラジルにお住まいだとわかった。
https://www.facebook.com/yoko.ishii.9849

何があったんだろうとさらに調べてみたところ、麦さんが2012年に書いた文章を見つけた。

それによれば、本の出版から8年後の2009年に2人は別れ、それぞれ別のパートナーを見つけたとのこと。さらに、さまざまなトラブルや訴訟などがあり、地元の木材を使ってイカウシに建てた家も手放したのであった。

『カムイブロートの食卓』に描かれた素敵な暮らしも、家も、人間関係も、10年も経たずに消えてしまったのだ。それは正直寂しいことだと思う。「二度とかかわり合いになりたくない」という強い言葉も記されている。

でも、だからと言ってこの本の価値が減ることはないだろう。この本の中にだけは、今も美しい時間が流れ続けているである。

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2021年09月06日

花房葉子『カムイブロートの食卓』


写真:Harry E.Creagen
副題は「猫のパン屋の台所から」。

旭川で北海道産小麦・ライ麦と天然酵母のパンの店「ベッカライ麦々堂」を営む著者が、北海道の生活やパン屋の日常、周囲の人々との交流について記したエッセイ集。

美しい写真や著者の描いた挿絵がふんだんに入っていて、眺めているだけで豊かな気分になる。

郷に入れば郷に従いながらも、自分のスタイルを持っている人は素敵だなあと思う。田舎の良いところはどんどんまねすればいいし、田舎のつまらない因習はきっぱりやめていけばいいのである。
北海道に住んでいる者は、春という季節に特別の感慨を持つ。まずは雨の音。雪は音がしない。音がするときもあるが、文字にすることができない。ただ気配だけがする。半年ぶりに聞く雨の音は元気な音だ。
何を、どう食っているかは、生き方とつながっているように思えてならない。高価なものを食べるという事ではなく、地元の採れたての野菜や、手を掛けて作ったチーズや燻製を食べ慣れると、出来合いのお惣菜やレトルトパックに入っているものとか電子レンジでチン、というような食べ物は、喉を通らなくなってくる。

麦々堂でパンを焼く麦さん、「アガペ農園」の夫妻、隆平棟梁、チーズ工房「アドナイ」の堤田さん、無農薬野菜を育てるフレッドなど、登場する人物たちもみな魅力的だ。美味しいものとお酒が好きで、楽しくて濃いつながりがある。

読み終えてぜひ一度「麦々堂」に行ってみたいなと思ったのだが、何しろ20年前の本である。今も店が続いているか心配になって検索したところ・・・お店はあった! 旭川で営業を続けている。

しかし・・・

2001年10月10日、自然食通信社、1800円。

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2021年09月01日

谷川浩司『藤井聡太論』


副題は「将棋の未来」。

藤井聡太二冠の活躍で盛り上がる将棋界の現状や今後、そして藤井将棋の魅力や強さなどを分析した本。自身の体験やこれまでの将棋界の話もまじえて丁寧に論じている。

単なる分析だけではなく、著者の将棋観や考え方が随所にうかがえるのが良い。

序盤と中盤の構想段階で持ち時間を使って懸命に考えることは、その対局では必ずしも生きないかもしれない。(…)しかし、それは間違いなく将来に向けた大きな財産になる。
棋士は「勝負師」と「研究者」と「芸術家」の三つの顔を持つべきだ、というのが私の年来の持論である。
最近はAIが評価することもあり、金銀をバランスよく配置する陣形が好まれるようになってきた。(…)すべての戦法に「堅さよりもバランス重視」の傾向が見られるようになっている。

中でも一番印象に残ったのは、羽生九段に対する思いの深さだ。「羽生さんの存在があったから自分のレベルを高めることができた」と述べる著者は、歴代対局数で谷川―羽生が168局、羽生―佐藤康光九段が164局であることに対して、こんなふうに書く。

だが、四十代、五十代と少しずつ対局の機会も減り、やがて羽生さんとの対局数で佐藤康光さんにトップの座を脅かされるようになった。対局数を追い抜かれてしまうのは、こちらの力不足ゆえのことだとわかりながらも、長年付き合った恋人に振られるような複雑で微妙な気持ちである。

「恋人に振られるような」という表現に驚く。トップレベルで対局する者同士にしかわからない熱い思いが、将棋盤の上には広がっているのだろう。

2021年5月19日、講談社α新書、900円。

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2021年08月26日

堀部篤史『街を変える小さな店』


副題は「京都のはしっこ、個人店に学ぶこれからの商いのかたち。」
8年前の本だが今も版を重ねている。

独自な品揃えで知られる恵文社一乗寺店の店長だった著者が、自分の店や京都にある個性的な店について記した本。書店の話であるとともに魅力的な店とは何かを考察した内容になっている。

出版流通の世界では、POSと呼ばれるデータをもとに問屋が各店におさめる本の内容を決定するのが一般的だ。そのシステムの下では、われわれ購買側は、一人の客や読者としてではなく、データとしてしか認識されない。
書店の閉店が相次ぐのは、素人でも成りたつ構造でなくなりつつあることを意味するのだろう。店頭で立ち読みするのび太をハタキではたいて邪魔をするような、のんびりとした本屋の姿は、いまや一昔前のものになってしまった。
生活の一部である嗜好品、街の延長としての場は、合理性とは相容れない部分もある。同じことは、本屋や出版業界にもあてはまるのではないだろうか。本は商品だけど、文化でもある。論理的には説明しきれない「何か」があるからこそ、文化は継続されるのだ。

刊行から8年、既に様々な状況が変化している。著者は独立して誠光社の店主となり、巻末の対談相手の山下賢二氏はガケ書房を移転・改名して「ホホホ座」の座長となった。著者の「リアルな学びの場であり、先生だった」三月書房は閉店。その一方で「日常的に映画を楽しめる場所は今もない」と記された左京区に、出町座が誕生した。

昨年から続くコロナ禍も街の風景を大きく変えている。店を運営する側にだけ街の変化の責任があるわけではない。私たちもまた、何にどうお金を使うかを示すことで、街づくりに参加できるのである。

2013年11月20日、京阪神エルマガジン社、1600円。

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2021年08月19日

石井正己『感染症文学論序説』


「史料としての感染症文学」という観点から、様々な近代文学を読み解いていく。尾崎紅葉「青紅葉」、正岡子規「病牀六尺」、森鷗外「金毘羅」、志賀直哉「流行感冒」芥川龍之介「南京の基督」など。

子規が1900年に発表した「消息」という書簡体の文章が紹介されている。

いやしくも病人の口に触れし器は、後にて消毒なされ被下様願い候。これは病人のうちの物を喰うよりも、遥に危険の度多く候故、是非とも願い度候。消毒はその器を煮るか蒸すかが宜しく候えども、それ出来ねば沸湯をかけて灰にて磨き候ても宜しかるべく候。

これは、1899年に子規が香取秀真宅を訪れたお礼に書いた葉書の

我が口を触れし器は湯をかけて灰すりつけてみがきたぶべし

に対応するものと言っていいだろう。
他にも、知らなかったことがたくさん出てくる。

衛生法では、コレラ患者を自宅で療養させることは禁じられていた。だが、町民は罰金や体罰を受けても、患者を隠蔽しようと努力した。避病院は患者で満員の上、病人の扱いが乱暴で、身内の者からまったく隔離されてしまうからだった。
戦場はむしろ、感染症による死のリスクとの戦いの方が甚大だったことが知られる。実は、これまでの戦死を語る言説は、その名誉が重んじられていたために、不名誉でしかない感染症による病死は、必ずしもその実態が明らかになっているわけではない。

新型コロナ感染症の流行する今、非常にタイムリーで刺激的な一冊であった。

2021年5月30日、河出書房新社、1720円。

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2021年08月13日

大木毅『独ソ戦』(その2)

この本が興味深いのは、太平洋戦争との類似点も多いように感じるからかもしれない。

当時、(ドイツ)国防軍の戦車や航空機をはじめとする近代装備の多くは、ルーマニア産の石油で動いていた。それゆえ、ハルダーは、攻勢防御の方針をあらため、ルーマニアの油田を守るためには対ソ戦もやむなしと判断したのだ。

これは、日本軍がオランダ領インドネシアの油田地帯を攻撃・占領した話とつながるものだろう。

小都市デミーンでは、ソ連軍の占領直後、一九四五年四月三〇日から五月四日にかけて、市民多数が自殺した。正確な死者数は今日なお確定されていないが、七〇〇ないし一〇〇〇名以上が自ら命を絶ったと推定されている。

ドイツ本土で起きた集団自決である。これを読むと、沖縄などで起きた悲劇は日本特有のものではないことがわかる。これまで日本の特殊性のように言われていたことを相対化するものと言っていいだろう。

ソ連軍の満洲侵攻や戦後のシベリア抑留との関わりも深い。侵攻してきたソ連軍に対して関東軍がまたたく間に蹂躙されたのも、独ソ戦で発揮されたソ連の「作戦術」によるものなのかもしれない。また、戦死者を多く出したことによるソ連の労働力不足は、シベリア抑留の一つの原因にもなった。

独ソ戦について学ぶことで、日本の戦争の姿が見えてくる面があるのだと思う。


 P1040715.jpg

2015年にサハリンを訪れた際に見かけたポスター。

「5月9日」は何の日だろうと思って調べたところ、対独戦勝記念日であった。

2019年7月19日第1刷発行、2020年2月5日第10刷発行。
岩波新書、860円。

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2021年08月12日

大木毅『独ソ戦』(その1)


副題は「絶滅戦争の惨禍」。

2020年新書大賞を受賞し累計12万部に達した話題の本。第二次世界大戦におけるドイツとソ連の攻防を、軍事・外交・経済・思想など多面的な観点から概説している。

「独ソ戦の実態に迫る、定説を覆す通史!」と帯に記されているが、そもそも独ソ戦の「通説」がどういうものかを知らない読者が、私も含めて多いのではないだろうか。それでも、著者の筆力と博識によって十分に満足できる一冊となっている。

「人類史上最大の惨戦と言っても過言ではあるまい」と書かれているように、ヒトラーの率いるドイツも、スターリンの率いるソ連も、互いにイデオロギーに基づいた容赦のない収奪、殺戮を行った。

五七〇万名のソ連軍捕虜のうち、三〇〇万名が死亡したのだ。実に、五三%の死亡率だった。
スターリングラードで捕虜となったドイツ軍将兵九万のうち、戦後、故国に生きて帰ることができた者は、およそ六〇〇〇名にすぎなかった。

また、今回強く感じたのは、現在の世界地図との違いである。今の地図ではドイツとロシアの間に様々な国が存在するが、独ソ戦当時はバルト三国はソ連に併合され、ポーランドも分割され、ドイツとソ連が国境を接する状態になっていたのだ。戦いの主要な舞台となるミンスク、キエフ、ハリコフなども、今ではベラルーシやウクライナの都市になっている。

2019年7月19日第1刷発行、2020年2月5日第10刷発行。
岩波新書、860円。

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2021年08月09日

高橋博之ほか『人と食材と東北と』


副題は「つくると食べるをつなぐ物語 『東北食べる通信』より」。

2013年に創刊された食材付きの情報誌「東北食べる通信」は、生産者と消費者をつなぎ、毎月食の物語を届けてきた。その中から20篇を取り上げてまとめた一冊。

食べる通信は、私たち消費者が「食べものをつくる世界」に参画する回路を開いた。海や土などの自然が生み落とし、哲学や思いを持って生産者が育てる食材が食卓に届くまでのプロセスを共有し、いろいろな形で参画していく。

わらび、にんにく、里芋、桃、胡桃、牡蠣、わかめ、ハタハタ、じゅんさい、赤豚、短角牛など、様々な食材が登場する。カラー写真が豊富で、それぞれの食材の調理方法も載っていて楽しい。

台風の被害で野菜が高騰しているというニュースが流れると、大抵の場合、家計を直撃し消費者が困っている報道になるが、農家の苦しい実態が伝えられることは少ない。
立体農業とは、樹木や家畜を取り入れた循環型農業のことで、広大な面積がなくても農民が十分に食べていけるよう、地面だけでなく空間も利用して立体的≠ネ生産性がデザインされている。
地域から持ち出せる価値では都市住民を感動させられない。外に持ち出せない、その場にあるからこそ生まれる価値に触れるからこそ、本当に心を打つ。

都市部に住みスーパーで買った食材を消費するだけの存在となっている私たちに、多くの問い掛けをしてくれる内容であった。

2021年5月20日、オレンジページ、2300円。

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2021年08月05日

姜尚美『京都の中華』


2012年に京阪神エルマガジン社から刊行された単行本に加筆・修正して文庫化したもの。

他の町とは違う独自の変化を遂げた京都の中華料理の歴史や魅力、店ごとの特徴などを記した本。「京都の中華」というジャンル(?)を新たに打ち立てた一冊だ。表紙の酢豚を見ても、一般的な酢豚との違いは歴然としている。

よく言われるのは、お座敷に「におい」を持ち込むことを嫌う祇園などの花街で育った、にんにく控えめ、油控えめ、強い香辛料は使わないあっさり中華、という特徴。
中華料理は東京や横浜などでいったん「日本化」された。遅咲きの「京都の中華」は、その「日本化された中華」の波を浴びつつ、今度は、独自に「京都化」していくのである。

取り上げられている店は、「鳳舞系」「盛京亭系」と呼ばれる二大系譜を中心に、「草魚」「盛華亭」「蕪庵」「芙蓉園」「鳳飛」「八楽」「ハマムラ河原町店」「ぎおん森幸」など。カラー写真も豊富で、すぐにでも食べに行きたくなる。

著者は、以前読んだ『何度でも食べたい。あんこの本』の方。
https://matsutanka.seesaa.net/article/474867954.html
食べものと京都に対する愛情が深い。

文庫版付録として、老舗料亭[菊乃井]の主人との対談が載っているのだが、これがすこぶる面白い。和食と中華では全く違うように思うけれど、京都においては限りなく似てくるのだ。

2016年12月10日初版、2021年5月31日4刷。
幻冬舎文庫、800円。

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2021年08月01日

太田朋子・神川靖子『飯田線ものがたり』


副題は「川村カネトがつないだレールに乗って」。

長野県の辰野駅から静岡県を経て愛知県の豊橋駅までの約200キロを結ぶJR飯田線。主に天竜川に沿って伊那谷を走る鉄道路線である。

この飯田線の建設においてアイヌの川村カネトらが測量に携わった。以前ウポポイの国立アイヌ民族博物館を訪れた際に、川村の使っていた測量機器が展示され「飯田線の測量を行った」との説明があるのを見て以来、興味を持っている。

中央アルプスと南アルプスに挟まれた伊那谷に鉄道を敷くのは難しく、測量も大変な作業だったようだ。

現在のJR飯田線の前身は、「豊川鉄道」「鳳来寺鉄道」「三信鉄道」「伊那電気鉄道」の四つの私鉄がのちに国営化されたものです。
(中央線は)中山道の「木曾谷ルート」と飯田や伊那のある「伊那谷ルート」が検討された結果、工費が少なくてすみ、線路の性質が優れていることなどの理由で「木曾谷ルート」に決定しました。

本書では地元に住む著者たちが、川村カネトの足跡をたどるとともに、飯田線沿線の名所・旧跡等の紹介をしている。

飯田線にはせひ一度乗りに行きたい。

2017年7月15日、新評論、2000円。

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2021年07月28日

長谷川ちえ『三春タイムズ』


絵:shunshun

福島県三春町で、「永く使いたい器と生活道具の店〈in-kyo〉」を営む著者が、四季折々の町の様子を記したエッセイ集。

2020年「立春」から始まって2021年の「大寒」までの二十四回、二十四節気ごとのエッセイがまとめられている。

三春という土地の名前は、梅・桃・桜の三つの春が同時に訪れることが由来だと聞いている。早い年だと三月末頃には梅が咲き始め、バトンを渡すかのように桃の花が色を添え、四月に入れば見事なまでのしだれ桜やソメイヨシノが蕾をほころばせる。
三春では暦と実際の自然の移ろいとが、ピタリと歩調を合わせることが多いような気がしている。昔は当り前だったかもしれないそのことが、気候変動もはげしい昨今、豊かなことだと素直に喜びたいと思っている。

気候、風土、歴史、民俗、人々の暮らしや交流の様子などが、落ち着いた筆致で記されている。読んでいて心地よい文章だ。

三春には一度だけ行ったことがある。福島に住んでいた時なので、もう四半世紀も昔のことだ。磐越東線の三春駅からバスに乗って、郊外の滝桜を見に行った。桜は素晴しかったけれど、そう言えば町はほとんど見ずに帰ってきたのだった。

いつかまた訪ねてみたい。

2021年3月29日、信陽堂、2000円。

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2021年07月24日

木下直之『動物園巡礼』

著者 : 木下直之
東京大学出版会
発売日 : 2018-11-30

全国各地にある動物園を巡りながら、動物園とは何かについて考察した本。公営の動物園以外にも、民間の小さな動物園や、かつて盛んに行われた見世物やサーカスの動物ショーに至るまで、対象は幅広い。

動物園が当り前にあった時代を過ぎて、今では動物園が何のために存在するのかを問い直される時代になっている。希少動物の輸入が難しくなり、動物福祉の考えも広まってきた。そうした中にあって、私たちにとって動物園とはいったい何であるのか。歴史・文化・民俗・科学・政策・法律など様々な観点からアプローチしていく。

現代の動物園で目にする動物の多くは、実は動物園生まれなのである。動物園で生まれ育ち、外の世界を知らずに死んでゆく。
つがいの動物はしばしば「夫婦」と見なされ、子どもが生まれると今度は「家族」と呼ばれることが普通だった。人間の関係が動物に平気で投影された。
地方自治体では、博物館・美術館は博物館法に基づき教育委員会、動物園は都市公園法第二条で「公園施設」に規定されているがゆえに公園課の所管が多く、それだけでも両者は遠く隔たっている。
動物園においては四〇年ほど前に廃止された動物ショーが、多くの水族館では集客のために欠かせない。その主役がイルカである。いくつかの水族館では、イルカショーがその経営を支えているといっても過言ではない。

現場を訪ねて取材を重ね、また多くの文献資料に当たることで、著者は動物と私たちをめぐる多くの問題を浮き彫りにする。その圧倒的な筆力には感嘆するほかない。動物について考えることは、人間について考えることでもあり、また命について考えることでもあるのだ。

2018年11月26日、東京大学出版会、2800円。

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2021年07月23日

関口良雄『昔日の客』


東京の大森で古本屋「山王書房」を営んでいた著者のエッセイ集。
1978年に三茶書房から刊行された本が32年後の2010年に復刊され、今でも版を重ねている。

正宗白鳥、上林暁、尾崎士郎、尾崎一雄、野呂邦暢といった文学者との交流や、店を訪れる客とのやり取り、古本に対する思い、故郷の思い出などが、ユーモアも交えて綴られている。確かに名著と言われるだけのことはある。

私は売れなくてもいいから、久米正雄の本は棚の上にそのまま置いておこうと思う。相馬御風、吉田絃二郎、土田杏村の本なども今はあまり読む人もなくなった。古本としては冷遇され、今は古本屋の下積みとなっている不遇な本たちだ。
柿の木にまたがって食う柿の味は、柿の最高の味かもしれない。まして、色づいた四囲の山々を眺めながらの味は……。

還暦記念に本書の出版の準備を進めていた著者は、完成を見ることなく59歳で亡くなった。でも、残された本は多くの人に読まれ続けている。

2010年10月30日第1刷、2021年2月15日第11刷。
夏葉社、2200円。

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2021年07月21日

村松美賀子・伊藤存『標本の本』


副題は「京都大学総合博物館の収蔵室から」。

約260万点の学術標本や教育資料を収蔵する博物館の中から、著者が興味を惹かれたものをカラー写真入りで紹介した本。標本とは何か、どのような目的で作られ、どのように活用されるかといった基本的なことも詳しく解説されている。

蝶の羽は色素ではなく“構造色”といって光の波長などが鱗粉の表面で変化する原理であるため褪色しにくいが、バッタやトンボ、ウスバカゲロウなどの色は色素なので、殺虫や保管に使う薬剤などにより、鮮やかな緑や黄色の色素は抜けてしまう。
“ウミヘビ”にはは虫類のウミヘビと魚類でウナギの仲間のウミヘビがいる。和名はどこに分類するかの判断材料にはならないのだ。
生物の種名に関しては、実在する種のうち多くて20分の1、少なく見積もると100分の1くらいしかついていないともいわれている。

こんな面白い話がたくさん載っていて飽きない。

中でも一番驚いたのは収集した植物を挟んでいた新聞紙の話。1923年に京都帝国大学理学部が沖縄の調査をして植物を収集した。

調査隊が持ち帰った大量の植物のうち、70点ほどが琉球新報、沖縄毎日新聞など当時の沖縄の新聞に挟まれていた。発見された貴重な新聞紙はすべて沖縄県公文書館に寄贈された。

太平洋戦争末期に戦場となった沖縄には、戦前の新聞がほとんど残っていない。戦災で多くのものが焼かれてしまった過酷な歴史が、こんなところにも顔を覗かせている。

2019年3月20日、青幻舎ビジュアル文庫、1500円。

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2021年07月20日

くどうれいん『わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版』

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俳句のウェブマガジン「スピカ」に2016年6月に連載された文章に加筆修正してまとめた一冊。「日付」+「俳句」+「食べものに関するエッセイ」というスタイルになっている。

ソーダ水すべてもしもの話でも
才能がなくてもここに夏銀河
夕立が聞こえてくるだけの電話

喜んでいても悩んでいても健康的な明るさを感じさせるのが、著者の特徴であり魅力でもある。読んで元気になるエッセイという感じだ。

「どうしてそんなに料理好きに育ったのかねえ」といつも母は不思議がるけれど、両親あってのこの娘だ、と胸を張って言える。菜箸を握るのが楽しいと思えることは、きっとすこやかに生きていくうえで武器になると信じている。

「両親あってのこの娘だ」と心に思うだけでなくこうして堂々と書ける人は、なかなかいない。まあ、もちろん明るいだけではないのだろうけれど。

2018年8月19日発行、2020年10月16日第9刷。
BOOKNERD、1000円。

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2021年07月19日

西尾克洋『スポーツとしての相撲論』


副題は「力士の体重はなぜ30キロ増えたのか」。

ブログ「幕下相撲の知られざる世界」が評判を呼び相撲ライターとなった著者が、30の質問の答える形で相撲の仕組みや魅力について記した一冊。

大相撲というと90年代のイメージを持たれている方が多いのですが、当時から30年近く経過するとイメージとは異なる実態があります。

と、まえがきにある通り、「寄り切りから押し出しへ」「平均130kgから160kgへ」「中卒叩き上げから大卒へ」「国民的スポーツからマイナースポーツへ」といった変化や、その理由がわかりやすく説明されている。

相撲というのは珍しい競技で、互いの呼吸の合ったところで勝負が始まります。よく誤解されますが、行司さんが「ハッキヨイ!」と声を上げるのは腕相撲で言うところの「レディー、ゴー!」に当たる立ち合いの合図ではありません。
相撲のもう一つの大きな特徴として、ルールのわかりやすさが挙げられます。土俵の外に出るか、足の裏以外が地面に付いたら負け。これだけです。
現在の18時打ち出しという時間は、プロスポーツの興行として捉えると改善の余地があるように思えます。社会人の大半が平日の18時まで仕事をしているので、リアルタイムでの相撲観戦ができないからです。
年収100万円の幕下力士が120人いる中で、年収1000万円以上の十両に上がれるのは毎場所4人程度。

ちょうど昨日、大相撲名古屋場所が白鵬の45回目の優勝で幕を閉じた。本書でも「Q9 白鵬がこれほど長い間、これほど強い理由を詳しく知りたいです。いくらなんでも強すぎませんか?」といった質問があり、まさにタイムリーな内容だ。

白鵬が休場すると誰が優勝してもおかしくないとはいえ、結局のところ絶好調の白鵬を上回る力士はいまだにいないのが実情です。

まさに著者の予想通りの結果になったという感じである。

2021年6月30日、光文社新書、880円。

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2021年07月17日

岡崎武志『上京する文學』


副題は「春樹から漱石まで」。
2012年に新日本出版社より刊行された単行本の文庫化。

さまざまな作品を「上京」という観点から読み解いたユニークな文学論。取り上げられる作家は、村上春樹、寺山修司、松本清張、太宰治、林芙美子など18名。

宮沢賢治は三十七年という短い生涯のなかで、九回も上京している。総滞在日数は約案百六十日にもなった。「三十七分の一」は、東京にいたことになる。
山周(山本周五郎)の作品は没後五十年を超えて、新潮文庫に約五十冊が残り、主要作品をほとんど読める。(・・・)新潮文庫にとって山周はいまだに大事な稼ぎ頭だ。
茂吉が見たのは「赤」だ。明治四十一年の監獄法施行規則により、未決囚のお仕着せは「青(浅葱色)」、既決囚は「赤(柿色)」と定められた。茂吉が見たのは既決囚ではなかったか。

時代背景を踏まえながら、短い文章で的確にポイントを指摘している。文学者にとって東京がどのような存在で、上京がどんな意味を持っていたのかが、よく見えてくる。

本書のもっとも根底にあるのは、著者自身が上京者であるということだ。30歳を過ぎて東京に出てきた時のことを、

知り合いも友人も就くべき仕事も書く媒体もない、まさに裸一貫の突進であった。それでも新しい部屋で新しい朝を迎えて、そこが「東京」だった時の興奮を今も忘れていない。

と書いている。この純粋な気持ちが、20年以上経って本書を生み出したのだと言ってもいいだろう。

2019年9月10日、ちくま文庫、840円。

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2021年07月11日

朴 順梨『離島の本屋』


副題は「22の島で「本屋」の灯りをともす人たち」。

フリーペーパー『LOVE書店!』の連載をまとめた一冊で、全国の離島にある本屋を訪ねて取材した内容である。

登場するのは、父島、母島、伊豆大島、中通島、礼文島、生口島、弓削島、周防大島、江田島、篠島、与那国島、与論島、八丈島、隠岐島後、北大東島、家島、大三島、奄美大島、新島、小豆島、対馬、沖永良部島。

と言っても、これらすべての島に本屋があるわけではなく、図書館がある島や出張本屋が来る島なども含めて、離島における本の事情をレポートしている。

交通の不便な離島でも多くの人の努力によって本が流通していることに、何とも心が温まる。もちろん、本の売れない時代にあって離島で本屋を続けるのは簡単なことではない。

「10年ほど前から、本屋としてのこだわりが持てなくなってしまいました」
「何がよく手に取られるのかが、わからないところがあるんです。良い本を売りたいと、ずっと思っているんですけど……」
「書籍の売れ行きは年々落ちてきているけど、書店なんだから本を置かないとね」

こうした話が随所に出てくる。それでも、地元ゆかりの本を置いたり、文具や雑貨を販売したり、様々な工夫をして本屋が生き残っているのであった。

2013年7月15日、ころから、1600円。

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2021年07月04日

カベルナリア吉田『肉の旅』


副題は「まだ見ぬ肉料理を求めて全国縦断!」。

全国各地の名物肉料理を食べ歩く旅行記。カラー写真が豊富に載っていて、食欲をそそられる。

登場するのは、トンテキ(四日市)、イルカ・クジラ(太地)、竜田揚げ(法隆寺)、肉じゃが(舞鶴・呉)、焼き鳥・せんざんぎ(今治)、唐揚げ(中津)、すっぽん(安心院)、チキン南蛮(延岡)、鶏飯(奄美大島)、ステーキ・山羊汁(沖縄)、ローメン(伊那)、ソースかつ丼(駒ヶ根)、おたぐり・焼肉(飯田)、パイカ(三沢)、馬肉・とりもつラーメン(新庄)、やきとり(室蘭・美唄)、がんがん鍋(赤平)、なんこ(歌志内)、ポークチャップ(砂川)、ジンギスカン(滝川)、サフォークラム(池田)、ザンギ(釧路)などなど。

肉料理を食べるだけではなく、各地を旅して著者は日本の現状を目の当たりにする。

人気の店めがけて脇目もふらず行列に並び、ほかの店を探すことはしない。ツマらなくなったね日本人。
東京に一極集中し、寂れていく地方。沖縄も、人もモノも那覇に集中し、宜野湾など近郊都市ですら寂れていく。
昨今はハコ物にゆるキャラ、歯抜けのテナントビル―。地方は本当に大変だが「アソコガ成功したからマネしてウチも」では絶対うまくいかない。

ネットの情報だけに頼って旅をする観光客、全国的にも地域的にも(世界的にも?)進む一極集中、そして地方の町おこしの難しさ。長年にわたって旅を続けている著者だからこそ気づく点も多い。

最近はテレビも雑誌もネットもグルメ「情報」だらけでウンザリしているので、あえて見せ情報はほとんど載せなかった。

確かにこの本はグルメ情報誌ではない。肉を食べ、店の人と語り、現地に行って自分の目で見つけたものを追求する。そんな著者の旅のあり方を見せてくれる一冊である。

2016年8月8日、イカロス出版、1600円。

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2021年06月26日

二宮敦人『世にも美しき数学者たちの日常』


2019年に幻冬舎から刊行された単行本の文庫化。

数学者と数学に興味を持った著者が、十数名の数学者・数学愛好者にインタビューをしてまとめたドキュメンタリー。一般にはほとんど知られていない数学者の日常が浮かび上がってくる。

数学は「これを解け!」の積み重ねではなかった。「なぜ?」の積み重ねなのだ。
数学は、言語も国も時間すらをも飛び越えて人間と人間を繋ぐ、世界へ開いた扉でもあるのだ。
型にはまったやり方を押しつけても、数学はやっていけない。自分らしく自由であることを、数学は人類に望んでいるのである。

著者は数学者の話を、巧みな喩えなども使って咀嚼し、数学の魅力に迫っていく。その話を引き出す力には驚かされる。

楽しそうな面もある一方で、厳しい世界であるのも間違いない。

「この人はこのぐらいのレベルだな」というのは、少し数学的な議論をすればすぐにわかってしまいます。学生とでもそうだし、数学者同士でもそう。(渕野昌)

まあ、多かれ少なかれ、こういう側面はどの世界にもあるのだろうけれど。

2021年4月10日、幻冬舎文庫、710円。

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2021年06月25日

光嶋裕介『ぼくらの家。』


副題は「9つの住宅、9つの物語」

2011年以降に著者のつくった8つの住宅「凱風館」「祥雲荘」「如風庵」「望岳楼」「旅人庵」「群草庵」「森の生活」「静思庵」と、「未来の光嶋邸」をめぐる物語。

本書の大きな特徴は、語り手が作者の一人称ではなく、9篇それぞれ別のものに設定されていること。家(ぼく)、女の子(わたし)、野良猫(俺)、家(オイラ)、男の子(ボク)、石(吾輩)、火(僕)、ハリネズミ(オレ)、娘(私)といった具合だ。

こうした手法の元にあるのは、家は建築家のものではなく多くの人の関わりによって生まれるものだという作者の信念であろう。

住宅という建築には、住まい手たちの物語があり、それが、どこか生命体のように設計者である建築家の意図をはるかに超えて、時間と共に大きく成長していきます。住宅には、住まい手たちを中心にしてコスモロジーがつくられていくのです。

人が家をつくるだけでなく、家もまた人を育て、人と人との新しいつながりを生み出していくのだ。

この国の木造住宅の平均寿命がたった三十年やそこらで、次々と建て替えられる「スクラップ・アンド・ビルド」の価値観は、住宅を消費される商品としてしか見ておらず、絶対に見直されなければならない。
建築家の仕事であるちょっぴり先の未来を予想する「設計」という行為に対して、不確定要素である「予測不能性」を残しておくことが鍵となってくるように思える。つまり、設計時には意図していなかった使われ方をするかもしれないことに、建築家が自覚的であり、覚悟をもってデザインに挑む必要がある。

こうした考え方は魅力的だし、共感する部分も多い。ただ、本書に収められているのは、如風庵における集成材使用に関するトラブルを除けば、基本的に成功例ばかり。建築としての真価が問われるのは、まだこれからなのかもしれない。

2018年7月25日、世界文化社、1600円。

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2021年06月23日

宇野重規『民主主義を信じる』


2016年から2020年まで「東京新聞」に連載された「時代を読む」51篇をまとめた本。

著者はこの時期を「トランプ大統領の大統領当選に始まり、その政権の終わりに至る、世界の民主主義にとって「危機の五年間」」(あとがき)と記している。

民主主義は決定過程を公開・透明化し、関係する誰もがそこに参加することを可能にする。より多くの人々が国や世界の政治を「他人事」ではなく「自分事」として捉え、当事者意識とそれに基づく責任感を持つことを要請する政治体制でもある。そのような民主主義は、一時的に混乱したり、判断を誤ったりすることがあっても、長期的には自らを修正し、多様な実験を可能にする。

「公開・透明化」にしろ、「当事者意識」や「責任感」にしろ、現在の日本や諸外国でこうした理想が実現されているかと言えば、かなり心許ない。でも、「長期的には自らを修正し」という部分こそが、おそらく民主主義にとって一番の強みであり、大切な点なのだろう。

Iターン者について触れたが、この町の特徴は地域の外からの人材をいかすことにある。島の出身者でなくても、他の場所で学び働いてきた人の知識や経験を、最大限にこの島のためにも発揮してもらう。
一つは外国人労働者を積極的に受け入れる道である。もし、その道を選ぶとすれば、より良い人材に、長期的に安定して働いてもらうための環境を整備する必要がある。(略)子どもの教育を含め、より良い受け入れの仕組みを整備すべきである。

上は隠岐の海士町について触れた2019年の文章で、下は外国人労働者の受け入れに関する2018年の文章だ。

今回この本を読んで気が付いたのは、過疎化の進む離島(隠岐)の振興策と、少子高齢化の進む島国(日本)の未来像は、同じ構造にあるということだ。海士町の掲げてきたキャッチフレーズ「最後尾から最先端へ」は、なるほど、こんなところにもつながっていたのである。

2021年2月11日、青土社、1400円。

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2021年06月22日

マーサ・ナカムラ詩集『雨をよぶ灯台』


第28回萩原朔太郎賞受賞。
15篇の作品を収めている。

何年間も庭に打ち捨ててあった三輪車を、がらがらと道路に引きずり出し、どこということもなく、ペダルをこぎ始めた。夜が明けるまでに、行き着く場所を考えていた。
          (「サンタ駆動」)
スナック『真紀』の飾り窓が、
荒く息をするように光っては消える。
光だと思ったものは、真っ白な男の顔だった。
          (「篠の目原を行く」)
目が覚めて、暗い布団の中で、
私は今、
自分が26歳なのか
62歳なのか分からなくなった
          (「夜の思い出」)

夢の中の話のような不思議な世界が次々と展開していく。
これからも現代詩をいろいろと読んでいきたい。

2020年6月30日 新装版、思潮社、2000円。

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2021年06月17日

安田峰俊『八九六四 完全版』(その3)

以下は、個人的な思い出話。

天安門事件が起きた1989年、私は大学1年生だった。6月4日の事件の報道を受けて、学内では抗議集会が盛んに開かれていた。

集会で話を聞いていた時に誘われて、この時、生まれて初めてデモに行った。街頭でデモ行進して、その後、日比谷公園で行われた集会に参加した。

もともと祖父が思想的に中国との交流に関わった人で、実家には赤い表紙の『毛主席語録』などが置いてあった。そうした環境で育った影響もあって、中学生の時に中国訪問ツアーに参加したこともある。1985年のことだ。

北京と上海を訪れて、万里の長城や故宮博物院などの有名観光地を回った。とにかく自転車が多かったことが印象に残っている。お土産に、人民解放軍の防寒帽、健身球、コルク細工、東条英機に関する本などを買った。

『八九六四』の登場人物の一人は、

彼は陝西省出身で、北京市内の大学に進学。一年生の一九歳で八九六四を迎えた。

と書かれている。まさに私と同年代の学生たちが、この天安門事件には参加していたのである。

2021年5月10日、角川新書、1000円。
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2021年06月16日

安田峰俊『八九六四 完全版』(その2)

この本には天安門事件の学生リーダーであった王丹とウアルカイシの話も載っている。

本人がどれだけ年齢を重ねても、二〇歳のときに出来上がった「天安門の王丹」の姿は彼を一生涯にわたり束縛する。かつて中国政府が彼を政治犯として押し込めた遼寧省の錦州監獄からは無事に釈放されても、過去の牢獄から出ることは永遠にできない。

事件当時、彼らがまだ20歳や21歳の学生だったことを思うと、その運命はあまりに過酷だ。60年安保闘争時の全学連委員長だった唐牛健太郎や、全共闘運動時の日大全共闘議長だった秋田明大のことなども思い浮かぶ。

天安門事件に関わった人々の「その後」は様々だ。国外に亡命して民主化運動を続けている人もいれば、考えを変えて実業の世界で成功している人もいる。事件の影響で人生が大きく変ってしまった人、今では事件を否定的に捉える人など、一人一人違う。

かつて現代中国史上で最大の事件に直面した人たちの日常は、今日も淡々と続いていく。大志を抱いた孫悟空の人生は、実は筋斗雲を降りてからのほうが長かったのだ。

「民主化は善」「弾圧は悪」といった正論だけでは見えてこない個々の人生や苦悩。それらを見事に浮き彫りにした一冊だと思う。

2021年5月10日、角川新書、1000円。

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2021年06月15日

安田峰俊『八九六四 完全版』(その1)


副題は「「天安門事件」から香港デモへ」。

2018年にKADOKAWAから刊行された単行本(城山三郎賞、大宅荘一ノンフィクション賞受賞)に新章を加筆して改題したもの。

1989年6月4日に起きた天安門事件やその後の中国の民主化運動に関わった様々な人へのインタビューを通じて、あの事件が何であったのか、社会や人々の人生にどのような影響を及ぼしたのかを、多面的に分析している。

これはすごい一冊! おススメ。

著者はまず、「民主主義は正しい。ゆえに民主化運動は正しい。それを潰すのは悪い。(なので、きっと将来いつか正義は勝つ)」という、四半世紀にわたって言われ続けてきた正論に疑問を呈する。

正論はあくまで正論として、でも現実はそうなっていないのはなぜなのか。深く切り込んでいくのである。

「中国は変わったということなのさ。天安門事件のときにみんなが本当に欲しかったものは、当時の想像をずっと上回るレベルで実現されてしまった。他にどこの国の政権が、たった二十五年間でこれだけの発展を導けると思う?」
「中国の経済発展はやはり認めざるを得ない。それに、いちど反体制側の人間になると親孝行ができなくなります。親が亡くなっても葬儀ができなし、墓参りもしてあげられない。この不孝は中国人にとってなによりもつらいことです」
民主化を望むような中国人は、なんだかんだ言って本当は祖国が大好きだ。ゆえに中華民族が力をつけ、中国が国際社会において重きをなしていく事態は、やはり心から嬉しくなってしまう。

一つ一つ、なるほどなあと思って読む。中国の圧倒的な経済発展は、天安門事件の意味や評価までも大きく変えていったのだ。その事実をまず直視しないことには、何も始まらないのだろう。

2021年5月10日、角川新書、1000円。

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2021年06月13日

安田菜津紀『故郷の味は海をこえて』


副題は「「難民」として日本に生きる」。

母国を離れて日本で暮らす人々に料理を作ってもらって話を聞くという内容。シリア、ミャンマー、ロヒンギャ、ネパール、バングラデシュ、カメルーン、カンボジアの7つの国(地域)の話が載っている。

タンスエさんの二人の子どもたちは、日本で生まれ、日本の社会しか知らずに育ってきました。娘さんは21歳、息子さんが14歳、どちらも日本の学校に通い、友だちは日本人ばかりです。ミャンマー語は家でしか使いません。

先日、映画「僕の帰る場所」で見た問題が、ここにも出てくる。いつか母国へ帰りたいと願っている親たちと違って、子どもは母国への帰属意識が既に薄い。

日本の難民認定率の低さや、出入国在留管理庁(入管)などの制度的な問題についての解説もあり、難民についての理解が深まる一冊となっている。

2019年11月、ポプラ社、1400円。

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2021年06月06日

樋口薫『受け師の道』


副題は「百折不撓の棋士・木村一基」。

東京新聞・中日新聞に2020年2月10日から4月10日まで連載された記事と、2020年1月11日に開催されたトークショーの内容を収めている。

一昨年、第60期の王位のタイトルを獲得した木村九段のドキュメンタリー。実に7度目のタイトル挑戦であり、46歳での初獲得は最年長記録であった。

気遣いの人として知られ「将棋の強いおじさん」の愛称でも親しまれている木村の棋士人生や人柄がよく伝わってくる内容だ。

「勝負の世界は同業者の見る目が大きい。落ちてもすぐに復帰すれば『陥落は間違いだった』となる。でも下のクラスに定着すると、周囲から『この人は実力が落ちた』と見られる。」
「勝つためには結局、将棋にかける時間を増やすしかないんです。奨励会の時代からずっとそうして、ここまでやってきましたから」
「(長考に関して)こっちが考えていたことが無駄になったのかといったらそんなことはなくて、こういうときに考えたことは、将来必ず生きます。このときは生きないかもしれませんけど、いずれ似たような形になったときに思い出す。」

負けようと思って戦う棋士はいない。それでも、勝つか負けるかの厳しい世界。木村の話す一語一語に重みがある。

棋士になってからタイトル獲得までに要した時間は実に22年5か月。これも最長記録である。ほとんどの棋士がタイトルを一度も獲ることなく去っていくことを思うと、まさに偉業とも呼ぶべき記録なのだと思う。

2020年6月27日、東京新聞、1400円。

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2021年06月05日

杉岡幸徳『世界奇食大全 増補版』


2009年に文春新書より刊行された本に加筆・増補して文庫化したもの。日本各地、世界各地の珍しい食べ物あれこれを紹介している。

登場するのは、フグの卵巣の糠漬け(石川県)、サンショウウオ(福島県檜枝岐村)、おたぐり(長野県伊那地方)、メダカの佃煮(新潟県)、カンガルー(オーストラリア)、鶏のとさか(フランス)、みかんご飯(愛媛県)、サルミアッキ(フィンランド)、ワラスボ(有明海)など56点。

内臓は肉よりも、ナトリウム、鉄分、ビタミン類がはるかに多い。肉食獣は、肉よりも内臓のほうがうまくて滋養に富むことを知っているに違いない。
アメリカの下院は二〇〇六年に、ウマを食肉のために屠ることを禁止する法案を可決しているのである。
白樺の樹液は、ロシアや東欧、北欧、中国、韓国などで飲用にされている。日本でも、アイヌがタッニワッカ(白い肌の木の液)と呼んで飲んだという。
トド肉本来の味を感じたかったら、ストレートに焼いて食べるといい。まず襲いかかって来るのは濃密な青魚の臭いだ。トドが魚を食するからだろう。

何を食べて何を食べないか、何を好み何がタブーになっているかは、地域や国によって様々である。私たち(?)が「奇食」と思うものを通じて、食や文化の多様性が見えてくる。

私たちの体は食べたものでできている。だからこそ、食べ物に関しては譲れない部分も大きいのだろう。食べるという行為が人間にとってどんな意味を持つのか、深く考えさせられる。

2021年4月10日、ちくま文庫、800円。

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2021年05月30日

石松佳詩集『針葉樹林』

著者 : 石松佳
思潮社
発売日 : 2020-12-10

第57回現代詩手帖賞を受賞した作者の初めての詩集。
第71回H氏賞受賞。

ふだん現代詩を読むことはあまりないのだが、葉ね文庫で見かけて購入した。

わたしは今まで、軽やかな田園というものを見たことがなかった。胸に広がる水紋は、どれもひとしく苦しい。(「田園」)
試合は閉じられる
すると大きい川が現れて
球児たちが一斉にその縁に
歯のように並び
川に向かって一礼をした
(「sad vacation」)
四川料理店で女性が、昼に向かって口笛を吹いている。曲の名を尋ねたら、水禽、と言って笑った。(「野鳥のこと」)
息を吹きかければ
硝子窓が曇る
生きることは衣服のように白い
(「雪」)

心惹かれる魅力的なフレーズがいっぱいある。言葉と言葉のつなぎ方やイメージの展開の仕方など、現代詩から学べることはたくさんありそうだ。

2020年11月30日、思潮社、2000円。

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