2022年04月15日

村瀬信也『将棋記者が迫る棋士の勝負哲学』


2019年から「幻冬舎plus」に連載された「朝日新聞記者の将棋の日々」をもとに、書き下ろしを加えて再構成した一冊。早稲田大学将棋部出身で新聞社で将棋を担当する著者が、21名の棋士を取り上げている。

藤井聡太、渡辺明、羽生善治、佐藤康光、森内俊之、谷川浩司、木村一基、藤井猛、先崎学、深浦康市、久保利明、山崎隆之、豊島将之、永瀬拓也、佐藤天彦、広瀬卓人、斎藤慎太郎、佐々木勇気、里見香奈、米長邦雄、加藤一二三。

近年、将棋の中継では将棋ソフトが「評価値」によって形勢判断を示すし、各棋士の強さも対戦結果をもとに日々レーティングで示されている。
https://shogidb.com/shogiDb/
https://shogidb.com/shogiDb/rating/0/0/

もともと勝ち負けの明確な世界であり、しかも現在では数字が示す世界にもなっているわけだ。それでも(それゆえに)棋士の人となりや性格、人生などのドラマについての関心が薄れることはない。

「観る将」の中には、将棋を見ている人もいれば、人間を見ている人もいる。それを完全に分けることなどできないし、どちらも大切なものなのだ。

2022年1月25日、幻冬舎、1500円。

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2022年04月14日

三浦英之『南三陸日記』


2012年に朝日新聞社より刊行された単行本に「再訪 二〇一八年秋」を加えて文庫化したもの。

東日本大震災発生直後から約一年間、宮城県南三陸町に住み、毎週1回新聞に連載したコラム+写真など計54篇を収めている。

いずれも被災地の人々の暮らしや心情、そして人生が見えてくる内容だ。

被災地では、土砂にまみれた時計の多くが地震の起きた午後二時四十六分ではなく、午後三時二〇分前後で止まっている。津波が押し寄せた時間だ。
被災地の駐在記者をしていて、うれしいことは、地域の人に名前で呼ばれることである。最初は大抵、「記者さん」と呼ばれる。それが次第に「朝日さん」になり、やがて「三浦さん」へと変わっていく。職業も会社名も関係ない。人と人のつきあいになる。
歌津地区の千葉光一さん(八九)の母親の名前は「なみ」だった。一八九六年の明治三陸津波のとき、妊娠中だった祖母のくらさんは、隣の浜まで流された。家に戻ると、くらさんの母と子二人が亡くなっていた。一家は悲しみの中、半年後に生まれた娘に「なみ」と名付けた。

以前、著者の書いた『五色の虹 満洲建国大学卒業生たちの戦後』に感銘を受けたことがある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/451019705.html

その後も多くの本を出されているので、さらに読んでいきたい。

2019年2月25日、集英社文庫、550円。

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2022年04月13日

山前譲編『文豪たちの妙な話』



副題は「ミステリーアンソロジー」。

文豪の書いたミステリー(っぽい話)を集めたアンソロジー。夏目漱石、森鷗外、芥川龍之介、梶井基次郎、佐藤春夫、谷崎潤一郎、久米正雄、太宰治、横光利一、正宗白鳥の計10篇が収められている。

最後の正宗白鳥「人を殺したが…」(185ページ分)以外は、どれも30ページ未満の短篇ばかり。

別に探偵や刑事が出てきたり、殺人が起きたりしなくても、十分にミステリーになる。登場人物の心理描写を突き詰めていけば、すべての話はミステリーになるのかもしれない。

大塚英志は『文学国語入門』の中で、明治の東京で必要となったツールとして、「言文一致体」「告白」「観察」という3つの手法を挙げている。それはミステリーにも当て嵌まるものだ。

そうした意味で、ミステリーとは近代のものであり、都会のものと言っていいのだろう。

2022年2月20日、河出文庫、890円。

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2022年04月09日

小泉武夫『北海道を味わう』


副題は「四季折々の「食の王国」」。
北海道の食べものの魅力を四季に分けて紹介した一冊。

著者は北海道農政部アドバイザーとして15年間北海道の農産物のPRに努め、大学を定年退職後は、石狩の研究施設や札幌のマンションと東京を行き来する生活を送っている。

取り上げられるのは、ホッキガイ、ベニズワイガニ、フキノトウ、ギョウジャニンニク、シマエビ、トウモロコシ、ニンジン、メロン、ホッケ、キンキ、タラ、ワカサギ、などなど。

江戸時代には冷凍技術などなかったので、ニシンを乾燥させて身欠ニシンをつくり、それを江差から北前船で京都に運んでいた。そのとき、江差にあった豪商の横山家に伝わるニシン蕎麦のレシピも一緒に伝わっていったというのである。
北海道では、国策で明治時代から綿羊の飼育が盛んとなり、大正時代に入ると国産羊毛自給を目指して「綿羊百万頭計画」が立案され、札幌の月寒や滝川などに種羊場がつくられた。そのような背景があって、やがて食肉用の飼育も盛んになり、次第に羊肉を食べる土地柄になっていったのである。

食べものの味の説明も詳しく、テレビの食レポなどをはるかに凌駕している。例えば、ニシンの刺身についてはこんな感じだ。

口に入れた瞬間、ヤマワサビの快香が鼻から抜けてきて、口の中ではニシンの刺身のポッテリとしたやさしく柔らかい身が歯に応えてホクリ、トロリとし、そこからまろやかなうま味と耽美な甘み、そして脂肪からのペナペナとしたコクなどがジュルジュルと湧き出してくる。それをヤマワサビのツンツンと醤油のうまじょっぱみが囃し立てるものだから、たちまちにして私の大脳皮質の味覚受容器は充満するのであった。

特に、オノマトペが多く使われているのが目に付く。数ページ見ただけでも、「クリクリ」「ムッチリ」「プチュプチュ」「ガツガツ」「プチンプチン」「カチンカチン」「ガブリ」「スルリ」「ピョロロン」「ムシャムシャ」「トロトロ」と、実に多彩である。

2022年3月25日、中公新書、900円。

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2022年04月03日

稲垣栄洋『生き物の死にざま』


副題は「はかない命の物語」。

2020年に草思社から刊行された単行本の文庫化で、前作『生き物の死にざま』の続篇になる。

ツキノワグマ、ウナギ、ホタル、ウスバキトンボ、カタツムリなど27種の生き物についてのエッセイが収められている。

メスが戻ってきても、オスが死んでしまっていることもある。/オスが待ちわびても、旅の途中で生き倒れたメスが戻ってこないこともある。もし、メスが戻ってこなければ、オスとヒナは、餓えて死ぬしかない。(コウテイペンギン)
「子どもを育てる」ということは、強い生物にだけ与えられた特権である。/哺乳類や、鳥類が子どもを育てるのは、親が子どもを守ることができる強さを持っているということなのである。(カバキコマチグモ)
百獣の王であるライオンの子どもたちは、どうして死んでしまうのだろうか。/その一番の原因は「餓え」である。/弱肉強食とはいっても肉食獣は、簡単に草食獣を捕らえられるわけではない。(チーター)
セミの幼虫が土の中に潜ってから、あたりの風景が一変してしまうこともある。木々が切られてなくなってしまうこともある。土がコンクリートで埋められてしまうこともある。/やっとの思いで土の中から出てきても、羽化するための木が見つからないこともあるのだ。(セミ)

それぞれ、命について、生きること死ぬことについて、考えさせられる内容だ。ただ、前作に比べるとやや教訓的な匂いが強まっている。生物の話としてだけでも十分に面白いので、あまり人生訓に寄り過ぎない方がよいと思うのだけれど。

2022年2月8日、草思社文庫、750円。

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2022年03月17日

長谷川櫂『俳句と人間』


「図書」2019年10月〜2021年10月に連載された文章をまとめたエッセイ集。

皮膚癌が見つかった話から始まって、正岡子規、夏目漱石、生と死、漢字と概念、東日本大震災、芭蕉、言葉と虚構、ダンテ、忠臣蔵、空海、死後の世界、平家物語、万葉集、天皇制、新型コロナウイルス、大岡信、三島由紀夫、ギリシア神話、丸谷才一と、縦横無尽に話が展開する。

「国のために生きる」という明治の国家主義が、やがて「国のために死ぬ」という昭和の国粋主義に変質してゆく
心という言葉、身体という言葉があるからこそ人間は心と体を分けて認識する。心が体を離れてさまようことも想像できる。現実にはない虚構(フィクション)を生み出す言葉の力によって、人間は心と体を別のものとしてとらえることができるのだ。
『おくのほそ道』は単なる旅の記録、紀行文ではない。芭蕉の心の遍歴を旅に託して書いたのが『おくのほそ道』なのだ。その遍歴を経てつかんだのが「かるみ」という人生観だった。

テンポがよく、歯切れがよく、読みやすい。同意する部分と疑問に思う部分の両方があるが、著者の考えや主張が明快に伝わってくるところがいい。

2022年1月20日、岩波新書、860円。

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2022年03月13日

『沖縄島料理』


監修・写真:岡本尚文、文:たまきまさみ
副題は「食と暮らしの記録と記憶」

沖縄の料理店42軒を取り上げ、多数の写真をまじえて紹介した本。10軒についての詳しいインタビューをはじめ、沖縄の文化や暮らしに関するコラムや料理店マップも載っている。

インタビューに登場するのは、「琉球料理 美榮」「本家新垣菓子店」「首里そば」「長堂豆腐店」、ジャズ喫茶「ROSE ROOM」「食事の店 崎山」「ジャッキーステーキハウス」、タコス店「café OCEAN」「中国料理 孔雀樓」、ハンバーガー店「GODIES」。

宮廷料理や伝統的な料理からアメリカ由来の料理まで、沖縄の歴史を感じさせるラインナップとなっている。食を通じて沖縄の姿が浮かび上がってくるところがいい。

2021年10月17日、トゥーヴァージンズ、1900円。

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2022年03月11日

『蓬莱島余談』のつづき

この本に収録されている船旅は1939年から1940年にかけてのもの。太平洋戦争は始まっていないが、既に日中戦争や第二次世界大戦は始まっている。そのため、ところどころに戦争の気配が漂う。

この頃は独逸語系の猶太人が沢山東洋に流れ込んで来て、郵船の船だけでも既に何千人とか運んだそうである。

これはナチスによるユダヤ人迫害から逃れてきた人々のことだろう。

支配人は私共のテーブルの上を見て、お飲物はお一人につき麦酒又はサイダーのどちらか一本ずつと云う事になっている。こちら様へは既に麦酒二本とサイダーが来ている。もうこれ以上は差上げられないと云った。

物資の不足も始まっていて、百閧フ好きなビールも既に手に入りにくくなっていたのだ。

そして、戦争は船そのものにも大きな影響を与える。百閧ヘ大和丸、富士丸、八幡丸、新田丸、氷川丸などに乗っているが、どの船もその数年後には戦争で沈む運命にあった。

郵船のNYKを一字ずつ頭文字にする三隻の豪華姉妹船が出来る事になった。Nは新田丸、Yは八幡丸、Kは春日丸、いずれも一万七千噸級で、郵船ラインの欧洲サーヴィスに就航させる。

例えば、この新田丸について見てみよう。百閧ヘ1940年4月の新造披露航海に乗船し、各界の名士を招いた船上座談会に参加している。

けれども、第二次世界大戦の影響により、新田丸が欧州航路に就航することはなかった。1941年9月に日本海軍に徴用され輸送船となり、太平洋戦争開戦後の1942年8月には航空母艦に改造され「冲鷹」(ちゅうよう)と改名された。そして、1943年12月に敵潜水艦の攻撃により沈没したのである。

竣工から3年あまりの短い命であった。他の船も、みな同じような経緯をたどっている。こうして、戦前の「船の黄金時代」(川本三郎の解説)は終わりを迎えたのだ。

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2022年03月06日

渡邉格『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』


副題は「タルマーリー発、新しい働き方と暮らし」。
2013年に講談社から刊行された単行本の文庫化。

著者の渡邉格(いたる)さんと麻里子(まりこ)さん夫妻が営む「タルマーリ―」(千葉県いすみ市→岡山県真庭市→鳥取県智頭町)は、天然酵母と自家製粉した国産小麦によるパン作りを行っている。

本書には、店を立ち上げるまでの経緯やパン作りについての話だけでなく、現代の資本主義に対する違和感や新たな経済のあり方をめぐる考察も記されている。そこが多くの人の共感を呼んでいる点だろう。

グローバル経済といえば聞こえがいいが、国境を超えてカネ儲けのためにカネをつぎこむ投機マネーが、市井の人びとの仕事を、人生を、狂わせていく。そのおかしさは、僕が「食」の世界で見ている矛盾と、分かちがたくつながっているように感じた。
「腐らない」食べものが、「食」の値段を下げ、「職」をも安くする。さらに、「安い食」は「食」の安全の犠牲のうえに、「使用価値」を偽装して、「食」のつくり手から技術や尊厳をも奪っていく。

パン作りに欠かせない発酵や菌に関する話も面白い。

今も、問題に直面したときは、ただひたすら「菌」の声に耳を傾ける。この場所に棲む「菌」の声をただじっと聴く。「菌」たちはとても小さく、声も小さければ、口数も少ない。「菌」たちが微かに発するわずかな声は、感覚を研ぎ済まさなければ聴こえてこない。
毎日、「天然菌」とかかわりながら働いていると、なんとも不思議な感覚になってくる。自然の大きさや奥の深さに圧倒され、とても人間の力なんて及ばないと痛感させられる一方で、自然とつながって生きている喜びのような安心感のような気持ちが、胸に湧き上がってくるのだ。

日々の食べ物であるパンを通じて、経済や社会のあり方、さらには私たちの生き方まで考えさせられる一冊になっている。

2017年3月16日第1刷、2021年8月20日第7刷発行。
講談社+α文庫、790円。

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2022年03月03日

岩下明裕『世界はボーダーフル』


「ブックレット・ボーダーズ」No.6。

ボーダースタディーズ(境界研究・国境学)の第一人者で国境地域研究センターの副理事長も務める著者が、世界各地のボーダーについて記した本。

日本の国境、アメリカとメキシコの国境、ヨーロッパや中東の国境(ドーバー海峡トンネル、ベルファスト、ベルリン、パレスチナ自治区)、中国とロシアの国境、中国と中央アジア諸国との国境など、各地の現場に実際に足を運んだ経験をレポートしている。

境界は変わり、国のかたちは流転する。「固有の」という表現などそもそも土地に当てはまらない。例えば、いまのポーランドはポーランドではなく、かつてのドイツはいまのドイツではない。
国境の暗いイメージを変えたい。対馬・釜山、与那国・花蓮、稚内・サハリンで会議を開催した経験を思い出す。実際に国境を越えてみると発見に満ちている。国境と境界地域の面白さを観光でアピールしたらどうだろうか。こうして始まったのがボーダーツーリズムだった。

世界がボーダーフルであることを前提に、「その敷居を低くし、隣人同士が快適に暮らせるような道筋をつけていく」のが著者の目標である。その実現はまた少し遠ざかってしまったようだけれど。

2019年7月25日、NPO国境地域研究センター、900円。

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2022年03月01日

橋本倫史『市場界隈』


副題は「那覇市第一牧志公設市場界隈の人々」。

2019年6月から建て替え工事が行われ、2022年4月には新市場がオープンする予定の牧志公設市場。その建て替え前の姿を記録するべく、市場内外の30店舗に取材したノンフィクション。

戦後の闇市から始まった市場の歴史や、沖縄の戦後史、さらには沖縄の食文化や暮らしの姿が浮かび上がってくる。

沖縄の人にとって、山羊は食べ慣れた食材の一つだ。公設市場にも山羊肉店が五、六軒あったが、この十年で次々と閉店してしまって、現在では「上原山羊肉店」だけが残る。山羊を飼う人が少なくなり、山羊肉が高級品になってしまったことが原因だという。
沖縄県は一世帯あたりの鰹節消費量が断トツの一位だ。二〇一六年の調査によれば、全国平均が年間二七六グラムであるのに対して、沖縄はその六・四倍の一七六八グラムである。

古い泡盛を収蔵する博物館&酒屋を営む「バザー屋」を紹介する中で著者は、

今目の前にあるものは、そこにあることが当たり前過ぎて、いつのまにか消え去ってしまう。でも、同時代の人達から変人扱いされる人の手で、時代は記録されてゆく。

と書いている。とても大切な指摘だと思う。これは、名著『ドライブイン探訪』や本書を記した著者自身の姿勢でもあるのだろう。
https://matsutanka.seesaa.net/article/465212751.html

2019年5月25日、本の雑誌社、1850円。

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2022年02月24日

酒井順子『鉄道無常』


副題は「内田百閧ニ宮脇俊三を読む」。

鉄道紀行文の二大巨頭とも言うべき二人を取り上げて、その人生や文章の魅力を解き明かしている。

「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」 内田百
「鉄道の『時刻表』にも、愛読者がいる」 宮脇俊三

鉄道紀行ファンなら誰もが知っているこの二つの文から、本書はスタートする。

変化を好まない百閧ニ、変化を受け入れ、味わう宮脇。それは、生まれた時代の違いと言うこともできよう。百閧ェ生きたのは、戦争を挟んでいたものの、鉄道が勢いを持ち、その路線を延伸していた時代だった。(…)対して宮脇は、鉄道斜陽の時代を見ている。
百閧ノとっても、宮脇にとっても、鉄道こそがエネルギーの源だった。そんな鉄道に乗っている時に、酒が進み、食が進むのは当然だったのだろう。(…)百閧煖{脇も、酒を生涯の友とした。鉄道に乗ることが叶わなくなった後も、二人は酩酊の中に、列車の揺れを感じていたのであろう。

二人の先達に対する愛情と敬意が随所に感じられて、読んでいて何だか嬉しくなる。

鉄道好きはターミナル駅に対して、特別な思いを抱くものである。ローカル線の端っこの駅にある素朴な車止めであっても、大きなターミナル駅における頭端式ホームの車止めであっても、そこで途切れる線路からは、「もうおしまい」という寂しさと、「ここからスタート」という希望とが感じられるのだ。
鉄道は、自動車のように好きな時間に出発して、好きな道を進むわけにはいかない。線路とダイヤグラムによって二重に拘束される運命にあるが、鉄道好き達はその拘束の中でどのように自分の意思を貫くかを考えるところに、悦びを感じるのだ。

作者も大の鉄道ファンだけに、こうしたファン心理の分析にも鋭いものがある。

2021年5月28日、角川書店、1500円。

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2022年02月19日

佐藤信之『JR北海道の危機』


副題は「日本からローカル線が消える日」。

先日、映画「日高線と生きる」を見た流れで購入した本。国鉄時代まで歴史を遡り、現在のJR北海道の置かれている状況の厳しさを分析している。

主な原因は、バブル崩壊後の超低金利政策によって分割民営化時に設けられた「経営安定化基金」の運用益が減少したこと、高速道路網が整備されて鉄道の利用者が減ったこと、高齢化・過疎化が進み札幌への人口集中が進んだことの3点だ。

札幌市の北海道全体の人口に占める比率は一九七〇年の一九・五%から二〇一〇年の三四・八%まで一貫して上昇している。

どれも構造的な問題であって簡単な解決策は見つからない。しかも、JR北海道の話だけではなく、全国に共通する問題でもある。先日もJR西日本が路線維持の難しいローカル線の収支を公表するというニュースが流れていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa884a91531d6a88e0cc0e60e3e10e7904b0e8fb

もっとも、JR北海道がずっと低迷状態だったわけではない。1987年の発足から2000年代にかけて、良い時期もあったのだ。

JR発足後の一五年間は、JR北海道も長距離列車の高速化や札幌圏の輸送力増強など、積極的に設備投資が行われた。

私が北海道に住んでいたのは1996年から97年にかけてのこと。まだ、北海道の鉄道に元気のあった時代だったわけである。

2017年10月16日、イースト新書、907円。

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2022年02月15日

ペーター・ヴォールレーベン『樹木たちの知られざる生活』


副題は「森林管理官が聴いた森の声」。
長年ドイツで森林管理官を務めている著者が、木の生態の不思議を描いたエッセイ37篇を収めている。

木が「会話する」「助け合う」「子育てする」「数をかぞえる」「移動する」など、一見、えっ?と思うような話が次々と出てくるが、どれも最新の科学と長年の観察を踏まえた内容だ。

一本のブナは五年ごとに少なくとも三万の実を落とす。立っている場所の光の量にもよるが、樹齢八〇年から一五〇年で繁殖できるようになる。寿命を四〇〇年とした場合、その木は少なくとも六〇回ほど受精し、一八〇万個の実をつける計算だ。そのうち成熟して木に育つのはたった一本。
大雨のときに一本の成木が集める水の量は一〇〇〇リットルを超えることもあると言われている。木は自分の根元に水を集めやすい形になっている。そうやって、乾期に備えて水を地中に蓄えておくのだ。
街中の木は、森を離れて身寄りを失った木だ。多くは道路沿いに立つ、まさに“ストリートチルドレン”といえる。(…)根がある程度広がったら、大きな壁に突き当たる。道路や歩道の下の土壌は、アスファルトを敷くために公園などよりもはるかに強く固められているからだ。
木は歩けない。誰もが知っていることだ。それなのに移動する必要はある。では、歩かずに移動するにはどうしたらいいのだろうか? その答えは世代交代にある。どの木も、苗の時代に根を張った場所に一生居座りつづけなければならない。しかし繁殖をし、生れたばかりの赤ん坊、つまり種子の期間だけ、樹木は移動できるのだ。

ドイツで100万部を超えるベストセラーになっただけあって、とにかく面白い。科学に基づきながらも、科学を超えた生命の謎や神秘に触れている。

2018年11月15日発行、2021年9月15日11刷。
ハヤカワノンフィクション文庫、700円。

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2022年02月09日

辻原登・永田和宏・長谷川櫂著『歌仙はすごい』


副題は「言葉がひらく「座」の世界」。

作歌の辻原登、歌人の永田和宏、俳人の長谷川櫂の3人が巻いた歌仙と座談会、計8篇が収められている。「葦舟の巻」(大津)、「隅田川の巻」(深川)、「器量くらべの巻」(鎌倉)、「御遷宮の巻」(横浜)、「鬼やらひの巻」(同)、「五郎丸の巻」(鎌倉)、「短夜の雨の巻」(秋田)、「葦舟かへらずの巻」(江ノ島)。

575の長句と77の短句を繰り返し、計36句の連句で一巻とする歌仙。その魅力やコツについては、捌き手である長谷川の言葉が参考になる。

一句一句視点を自在に変えられる。多面体になる、というところが連句の面白いところかな。
あえて数量的に、前句と付け句の距離がゼロから十まであるとしたら、ゼロから六まではダメだと思います。七以上じゃなきゃいけない。十一でもいいときもある。

読んでいると、ハッとさせられる付け方が随所に現れる。

樏(かんじき)を背負ひて山は八合目(永田)
御蔵(おぞう)の中に古(こ)フィルム捜す(辻原)
オークションの案内届くエアメール(永田)
木槌にさめる春のうたたね(長谷川)
宇宙から眺める地球水の星(長谷川)
一瞬のいなづま我が家を照らす(辻原)

短歌との関係で言えば、「575」「77」という韻律は同じだが、私性に関しては正反対と言っていい。再び長谷川の言葉を引こう。

もちろん誰でも年齢、性別、職業、信条をもつ特定の個人「私」である。しかし歌仙の連衆はその「私」を忘れ、付句が求める別の人物にならなければならない。
日本人がヨーロッパから学んだ近代文学が「私」に固執する文学であるなら、連衆が「私」を捨てて別の人になりきる歌仙はその対極にある文学ということになるだろう。

そもそも明治時代に和歌が短歌にリニューアルされたのは、ヨーロッパから近代文学が入ってきた影響であった。歌仙と比べてみることで、特定の個人「私」を根拠とする短歌の特徴が浮き彫りになる気がする。

2019年1月25日、中公新書、880円。

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2022年02月06日

鹿野政直・香内信子編『与謝野晶子評論集』


与謝野晶子の評論27篇を収めた本。
30歳代から40歳代、大正時代に書かれた論が中心となっている。

晶子の評論は抜群にいい。短歌よりも良いかもしれない。
実に精力的に論を書いていて、毎年のように評論集を出している。

婦人問題や男女平等の話だけでなく、政治や社会、国際情勢など、非常に幅広く論じている。大正デモクラシーの時代でもあり、民主主義についての話も多く出てくる。100年経った今でも十分に通じる内容ばかりだと思う。

(それだけ、100年経っても社会や世界が変っていないということでもあるのだけれど)

1985年8月16日第1刷、2018年8月17日第14刷。
岩波文庫、810円。

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2022年02月02日

樋口明雄『田舎暮らし毒本』


東京から山梨県北杜市に移住して20年になる著者が、田舎暮らしで出会った様々な困難について記した本。これから移住を考えている人に参考になる内容だ。

「毒本」とあるので、田舎の閉鎖性や陰湿な人間関係などの暗い話が書かれているのかと思ったら、そうではなかった。「ログハウス」「薪ストーブ」「狩猟問題」「電気柵問題」「水問題」といった話が中心である。

何しろ20年にわたって自ら田舎暮らしを続けている著者であるから、どちらかと言えば肯定的な内容であり、困難をどう乗り越えたかの実践例となっている。もちろん相当な覚悟は必要であるが、決して田舎暮らしに否定的な本ではない。

田舎暮らしにスローライフなんて存在しない!(…)田舎暮らしはとにかく多忙だ。朝から晩まで汗水流して働きづめである。
田舎暮らしの基本のひとつ。それはとにかく何でも自分でやるということ。都会にいて、たとえば蛇口から水が出なくなったり、トイレが壊れたり、家電製品が故障したりすれば、業者を呼ぶ。(…)ところが――田舎では違う。

新しい土地で出会う想定外の事態にどう対応するか。様々なトラブルを毒にするか薬にするか。そんな覚悟を問い掛けてくる一冊である。

2021年9月30日、光文社新書、900円。

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2022年01月27日

鯨統一郎『金閣寺は燃えているか?』


「文豪たちの怪しい宴」シリーズ第2弾。

前作に続いてバー「スリーバレー」を舞台に、バーテンダーのミサキと、大学教授の曽根原、客の宮田の3人が文学談議を交わす。

取り上げられるのは、川端康成『雪国』、田山花袋『蒲団』、梶井基次郎『檸檬』、三島由紀夫『金閣寺』の4篇。

どれも面白く読めるのだが、前作に比べるとちょっと軽い気もする。シリーズものの難しさだろう。

それにしても、いわゆる文豪の小説はこんなふうに「読者が読んでいること」を前提に話が進められるのがいい。(実際に読んでいるかどうかは別にして)

今ではもうそんな前提が通用する作品はなくなってしまった。(作品の質の話ではなく)

2021年11月21日、創元推理文庫、680円。

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2022年01月25日

小林信彦『おかしな男 渥美清』


映画「男はつらいよ」シリーズで有名な渥美清との個人的な付き合いや思い出を記した一冊。

1961年夏の出会いから始まって1996年に渥美が亡くなるまでが描かれているが、特に1969年の映画「男はつらいよ」に至るまでの若き日の姿が印象的だ。

渥美清には当時から他人を寄せつけない雰囲気があった。言いかえれば、〈近寄りがたい男〉である。
渥美清は自分の仕事、とくに現在進行形のものについては口が堅かった。他人を信じていなかったからである。
「狂気のない奴は駄目だ」
渥美清は言いきった。
「それと孤立だな。孤立してるのはつらいから、つい徒党や政治に走る。孤立してるのが大事なんだよ」

お互いに独身でアパートの部屋に呼ばれる間柄であっても、渥美はけっして心を開くことはない。田所康雄―渥美清―車寅次郎は、同じ人物でありつつそれぞれ違うレベルの人間なのである。

「男はつらいよ」に関しても、いくつか大事な指摘がある。舞台となった柴又は東京の下町と言うよりも〈はるかに遠い世界〉であったことや、シリーズの最初の4作がわずか半年間のうちに封切られていることなど。どちらも、言われなければ気づかない点だと思う。

初期の寅次郎の迫力は、どこかで素の渥美清、または田所康雄がまざってしまうところにあり、決して〈ご存じの寅さん〉ではなかった。

全478ページにわたって、渥美清に対する深い愛情が滲んでいる。また、著者の記憶力の良さも特筆すべきものだと思う。

2016年7月10日第1刷、2020年3月10日第4刷発行。
ちくま文庫、950円。

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2022年01月23日

鯨統一郎『文豪たちの怪しい宴』


歴史談義シリーズで知られる著者が、新たに始めた文学談議シリーズの第1弾。

バー「スリーバレー」を舞台に、バーテンダー「ミサキ」と大学教授の「曽根原」、客の「宮田」の間で文学作品についての話が繰り広げられる。

扱われるのは、夏目漱石『こころ』、太宰治『走れメロス』、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』、芥川龍之介『藪の中』と、有名な作品ばかり。それを意外な観点から読み解いていく。

「そして読者の読みかたが時には作者さえ意識していなかった作品の真実を探り当てることもあると思っています」
「作者さえ意識していなかった……」
「そうです。作者は何者かに導かれるように書いてしまっていたことを読者が見つける。興奮しませんか?」

こんな感じ。短歌の読みにも似たところがあるかもしれない。

2019年12月13日、創元推理文庫、720円。

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2022年01月12日

松葉登美『過疎再生 奇跡を起こすまちづくり』


副題は「人口400人の石見銀山に若者たちが移住する理由」。

(株)石見銀山生活文化研究所所長で服飾ブランド「群言堂」のデザイナーを務める著者が、島根県大田市大森町での暮らしや町づくりについて記した本。

大森町が重要伝統的建造物群保存地区に指定されたり(1987年)、石見銀山が世界遺産に選定されたり(2007年)する前から、実に40年にわたって夫とともに大森町に店を構え、古民家の改装や移築などを続けてきた方である。

お客さまは、どんなに不便な場所でも、必ずお見えになる。不便だからこそ、その価値が高まることもある。石見銀山に店をおくことが、ブランディングになると考えたのです。
地方は「スモール」「スロー」「シンプル」。小さい世界だから、やったことの答えが見えやすいし、反応がつかみやすい。都会ほど経済的に追われないから、長いスパンで物事を考えていけるし、情報もあふれるほどではないから、自分たちに必要なものが見極めやすいですよね。
足元の宝というけれど、いちばんの足元は自分自身。自分の中の可能性に目覚めて、自分がどう生きたいのか、どうありたいのか、そういうことを一人一人深めていけば、地域の創造力につながると思いますね。
私は「家の声を聴く」「土地の声を聴く」ってよく言いますが、もちろん自分の声はあるけれど、そればかりを中心におくと偏ってしまうので、自分の声は消しておいて、家や土地の声を聴くようにすると、新しいことが発見できたり、聴こえてきたりするんです。

試行錯誤を続けながら実績を残してきた人だけに、一つ一つの言葉に説得力がある。大森町には以前一度行ったことがあるが、また訪れてみたくなった。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138541.html

2021年10月11日、小学館、1500円。

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2022年01月11日

なるほど知図帳編集部編『日本の遺構』


副題は「地図から消えた歴史の爪痕」。

全国各地の廃村や幻の町、産業遺産、遺跡などを紹介した本。取り上げられているのは、鴻之舞金山(北海道)、大滝宿(福島)、八丈小島(東京)、安濃津(三重)、大川村(高知)、軍艦島(長崎)、アクアポリス(沖縄)など。

書かれている内容が古いと思ったら、2007年発売の『まっぷる選書D〈なるほど知図BOOK〉歴史の足跡をたどる 日本遺稿の旅』に一部加筆修正して刊行されたものなのであった。

アメリカ軍にとって、第二次世界大戦後は文字通りの「戦後」ではなかった。1950(昭和25)年に朝鮮戦争が勃発、1965(昭和40)年にはアメリカがベトナムに本格介入を開始。平和な日本とは裏腹に、アメリカ軍は休む間もなく戦いを続けた。

「米軍府中基地」に関する記述だが、言われてみればその通り。日本とアメリカとで、戦後の意味はかなり違っているのだろう。一度、戦争ごとの死者数などを調べてみよう。

2021年8月15日、昭文社、900円。

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2022年01月09日

林芳亨『日本のジーパン』


1988年に「ドゥニーム」を立ち上げ、現在は「リゾルト」のデザイナーを務める著者が、ジーパンの歴史や自らの半生を記した本。

流行を追うことなく4つの型だけのジーパンを売り続ける姿勢や、ジーパン作りに対する徹底したこだわりの奥には、いつまでも薄れることのないジーパン愛がある。

裾を切るということは、(…)裾の幅が広くなってしまい、せっかくのすっきりしたシルエットを損なうことになります。裾の幅が広くなることは、そのジーパンが本来デザインされた形を壊してしまうことになるのです。
備後地方には、紡績が得意な工場、染色が得意な工場、機織りが得意な工場が揃っているんです。紡績、染色、機織りそれぞれの工程で、リゾルトのジーパンにベストな工場を選んでお願いしています。

巻頭の8枚のカラー写真のモデルは本人。どのジーパン姿もかっこいい。穿き続けるうちに身体に馴染んでくるジーパン。日本人の体型に合った理想の定番を求めて、これからも著者の探究は続く。

2021年9月30日、光文社新書、960円。

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2022年01月07日

稲垣栄洋『生き物の死にざま』


2019年に草思社から刊行された単行本の文庫化。

様々な生き物の死にざまを通じて、生きるとは何か、命とは何かを描き出している。登場するのは、セミ、サケ、カゲロウ、タコ、ウミガメ、ミツバチ、ヒキガエル、ミノムシ、ニワトリ、ゾウなど30種。

ハサミムシの母親は、卵からかえった我が子のために、自らの体を差し出すのである。そんな親の思いを知っているのだろうか。ハサミムシの子どもたちは先を争うように、母親の体を貪り食う。
宝くじの一等に当たる確率は一〇〇〇万分の一と言われている。マンボウが無事に大人になる確率は、宝くじの一等に当たるよりも難しいと言っていい。
女王にとって働きアリが働くマシンであるならば、働きアリたちにとって女王アリは、いわば卵を産みマシンでしかない。卵を産むことだけが、女王の価値なのだ。

昆虫や動物の生のあり方は、人間と違って実にシンプルだ。生まれて、食べて、生殖活動をして、死ぬ。そのすべてが虚飾なく剝き出しになっている。ひたすら「命のバトン」をつなぐことだけが唯一の目的と言っていい。

生命が地球に誕生したのは、三八億年も前のことである。すべての生命が単細胞生物であったこの時代に、生物に「死」は存在しなかった。
オスとメスという仕組みを生み出すと同時に、生物は「死」というシステムを作り出したのである。

死とは何か、人はなぜ死ぬのか。そうした問題を考える上でも非常に示唆に富む一冊だと思う。

2021年12月8日、草思社文庫、750円。

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2022年01月04日

岩田徹『一万円選書』


副題は「北国の小さな本屋が起こした奇跡の物語」。

北海道砂川市で「いわた書店」を営む著者が、「一万円選書」というサービスにたどり着くまでの経緯や書店経営にあり方について記した本。

一万円選書とは、「何歳のときの自分が好きですか?」「これだけはしない、と決めていることはありますか?」「いちばんしたいことは何ですか?」といった質問の記された「選書カルテ」をもとに、書店が約1万円分の本を見繕って届けるシステムだ。

現在は多数の応募者の中から月に100名を選んで選書を行っており、これがいわた書店の経営を支えている。

ネット書店は読者が「これがほしい」というはっきりしたNeedsで検索して本を探しますよね。で、アルゴリズムによって同じような関連本がすすめられる。一方、一万円選書は、あなたはこんな本を求めているんじゃないのって、僕が本人も気づいていないような欲求を汲み取って、ご自身では探せないような本を紹介します。
作者が書いた本は、読者に読まれてはじめて「本」になり「言葉」になる。作者と読者をつなぐために僕は本屋をやっているし、この本の中でもこうして本を紹介しています。
出版業界はどうしても新刊偏重で、書店はいま売れる本をどんどん打っていこうって姿勢になりがちなんだけど、いわた書店では既刊本を長く売っていくことに重きを置いています。

人口1万6千人の町で両親の代から続く書店を守り続ける著者の、信念と気概が伝わってくる一冊であった。

2021年12月6日、ポプラ新書、900円。

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2021年12月31日

大杉浩司『岡本太郎にであう旅』


副題は「岡本太郎のパブリックアート」。

先日、川崎市岡本太郎美術館にて購入した本。全国約50か所の施設や広場、公園などにある岡本太郎作品が写真入りで紹介されている。

万博記念公園の「太陽の塔」や渋谷駅の「明日の神話」などの有名作から、寒河江市役所の「生誕」や別府の「緑の太陽」など初めて見るものまで、実に様々な作品がある。

美術館や個人が所蔵する作品と違って、パブリックアートは誰もが見ることができる。その一方で、施設の改装や取り壊しなどにより作品自体が失われてしまうこともある。

京都や関西の作品も載っているので、近くに行く際には足を運んでみたい。

2015年9月19日第1刷、2020年10月7日第3刷。
小学館、1500円。

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2021年12月26日

山下裕二『商業美術家の逆襲』


副題は「もうひとつの日本美術史」。

挿絵、口絵、装幀、装画、工芸、デザイン、新版画、イラスト、漫画など、いわゆる商業美術に焦点を当て、多くの作家や作品を紹介した一冊。アカデミックな美術史においてワンランク下のものとされてきた世界を再評価し、美術史を書き替える意図が込められている。

登場するのは、渡辺省亭、鏑木清方、柴田是真、小村雪岱、歌川国芳、河鍋暁斎、鰭崎英朋、伊藤彦造、伊東深水、川瀬巴水、橋口五葉、田中一光、横尾忠則、つげ義春など。

そもそも明治以降、漆工や金工、木工、陶芸といった工芸は「美術」の埒外に置かれ、作品の多くは外貨獲得のため「製品」として輸出されるのが普通でした。この時代の職人が精魂を込め、切磋琢磨した精華とその超絶技巧を正当に評価していたのは、海外の美術家やコレクターだったのです。
本画の作品は画集に編まれ、美術全集にも収載されていますが、どれだけ素晴らしい作品であっても挿絵は蚊帳の外。挿絵作品を総覧するような全集が編まれるには、昭和一〇年まで待たなければなりませんでした。
将来的には、マンガの原画が国の重要文化財や国宝に指定される日が来るでしょう。その筆頭候補は、何と言っても「ねじ式」です。文化財候補マンガの中でも、この作品は「絵」として最も素晴らしい。

カラー写真が71点と豊富で、作品の持つ力をまざまざと感じることができる。この本で初めて名前を知った美術家も多く、実物を見に美術館へと足を運びたくなる。

2021年12月10日、NHK出版新書、1100円。

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2021年12月22日

清水浩史『幻島図鑑』


副題は「不思議な島の物語」。

島旅のプロと言っていい著者が、「はかなげで(人口が少ない、もしくは無人島、無人化島)、稀少性(珍しい名称・フォルム、稀有な美しさ、知られざる歴史)のある小さな島」を幻島(げんとう)と名付け、全国17の島を旅した記録。

登場するのは、エサンベ鼻北小島(北海道)、大島(岩手)、鵜渡根島(東京)、見附島(石川)、ホボロ島(広島)、鴨島(島根)、羽島(山口)、ねずみ島(愛媛)、初島・三池島(福岡)、沖ノ島(佐賀)、六島(長崎)、宇々島(同)、蕨小島(同)、黒島(同)、具志川島(沖縄)、降神島(同)。

何よりも特筆すべきなのは、地図に記載されている「エサンベ鼻北小島」が、著者の取材によって既に消失している事実が明らかになったこと。これは数年前にニュースでも報道されていたが、まさに幻の島だったわけだ。これだけ科学技術の発達した世の中で、そんなことが現実に起きるのである。

ひとたび有人島が無人島になってしまうと、全国の例を見る限り、ふたたび有人島に戻れる可能性はまずない。上陸は困難となり、閉ざされた存在となってしまう。
快適性や利便性にまっしぐらに進んでいく今の社会って、いったい何なんだろう。もしかすると、思い出深い人生の真逆、「薄味の人生」に向けてまっしぐらに進んでいることになりはしないのか。

数え方にもよるが、日本には6852の島があり、そのうち416島に人が住んでいるらしい。それを多いと見るか少ないと見るか。今後の移り変わりも含めて、だんだんと興味が湧いてきた。

2019年7月30日、河出書房新社、1600円。

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2021年12月21日

小林弘忠『逃亡』


副題は「「油山事件」戦犯告白録」。
2006年に毎日新聞社から刊行された本の文庫化。
第54回エッセイスト・クラブ賞受賞作。

油山事件(昭和20年8月10日、福岡市の油山においてアメリカ軍の捕虜8名が処刑された事件)によりBC級戦犯として指名手配された元陸軍見習士官、左田野修の3年半に及ぶ逃亡生活を描いたノンフィクション。

昭和21年2月に故郷の福岡を発って岐阜県多治見市に行き、偽名を使って陶器製造所で働く生活を送ったのち、昭和24年7月に逮捕、戦犯法廷で裁かれるまでが記されている。

戦後社会における価値観の変化や、警察による厳しい追及の様子が生々しい。

戦争に負けて連合国に占領され、「ミンシュシュギ」という言葉が、DDTの粉を振り撒くように全国を席捲すると、出兵時に「バンザイ」と歓呼の声で送り出してくれた国民たちは、手のひらを返したごとく元軍人たちを責め立てている。
(姉の)葬式のとき、警察官二人が家の近くに張り込み、弔問客の中に左田野が混じっているかどうか目を光らせ、葬儀が終わるまで立ち去らなかった。彼が姉の死を知ったのは巣鴨プリズンに収監された後だった。
巣鴨プリズンの収容者で絞首刑となったのはA級七人、BC級五十三人の計六十人、各国の計死者を入れるとBC級の死者は九百三十五人。

先日、同じく油山事件で裁かれた見習士官の大槻隆氏の残した資料を、立命館大学国際平和ミュージアムで閲覧してきた。巣鴨プリズンで短歌を詠み始め、合同歌集『巣鴨』の刊行などに尽力された方だ。

http://www.ritsumei.ac.jp/mng/er/wp-museum/publication/journal/documents/17_73_2.pdf

彼らの過酷な人生について、しばらく考え続けてみようと思う。

2010年7月25日、中公文庫、838円。


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2021年12月14日

国谷裕子+東京藝術大学『クローズアップ藝大』


23年にわたってNHKで「クローズアップ現代」を担当してきた著者は、現在、東京藝術大学の理事となり、広報も兼ねて教授たちとの対談を行っている。その12回分をまとめた本。
https://www.geidai.ac.jp/cntnr_column/archive/closeup-geidai

美術、音楽、映像、アート、デザインなど、様々な分野の第一線で活躍している人々の語る言葉には印象的なものが多い。

テクノロジーを活用したシステムやデジタルコンテンツやコンピュータを使った仮想現実は、わたしの作品と似ているように見えますが、真逆ですね。わたしの目指しているものは、どうやって予定調和が壊れるかなんです。それは風であり、空気であり、人。/大巻伸嗣
例えば、手を骨折してギプスをつけていたとします。すると、もういつものようには歌えません。共鳴が変わるんです。声楽に手の骨折は関係ないと思われるかもしれませんが、声を支えるのは全身なんです。まさに全身が楽器となります。/菅英三子
自分自身が強いモチベーションを持って作品を作り始める部分は、あとで説明しようと思っても上手く言えないんです。(…)作品を完成させて十年くらい経って、やっとやりたかったことがなんとなくわかるという。/山村浩二
エネルギーが高まると良い発想ができるんですよね。発想だけ求めても、果てしない砂漠で金貨を探しているようなものです。発想っていうのは、その人間が持つエネルギー、力の強さだという気がするんですよ。/前田宏智
演奏の中で無意識にやっていることってあるじゃないですか。それを人には言葉で教えるしかない。例えば、口の中でどういう空間ができているとか、自分の息がどこに当たっているとか、どこを意識して響かせるとか、お腹の空気の持っていき方とか。/高木綾子
「多様であらねばならない」とか「分断を避けなければならない」とか、「ねばならない」という話って、頭では賛同できても、そうじゃない自分に気が付くだけなんですよね(…)世の中が、「ねばならない」っていう重い足かせや、重荷を背負って、悲壮感の中で新しい時代を作っていこうっていうのは、気高くはあるけど難しい。/箭内道彦

こうした言葉が次々に出てきて引き込まれる。対談相手の言葉をうまく引き出す著者の、インタビュアーとしての技量の表れでもあるのだろう。

2021年5月30日、河出新書、900円。

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2021年12月08日

原武史『歴史のダイヤグラム』


副題は「鉄道に見る日本近現代史」。
初出は朝日新聞「be」2019年10月〜2021年5月(現在も連載中)。

日本政治思想史を専門とする著者が、自らの趣味である鉄道の話をもとに、近現代史の様々なトピックに迫っている。一篇あたり3ページという短さながら、多くの本やデータを踏まえて中味の濃い話を展開している。

大正から昭和になると、明治天皇の誕生日である一一月三日が「明治節」という祝日になるなど、明治ブームが起こった。文部省は明治天皇が全国各地を回った際に宿泊や休憩のために使った施設を「聖蹟」として顕彰するキャンペーンを始め(…)

なるほど、それで「明治天皇御○○跡」みたいな石碑が全国あちこちにあるのか!
https://meiji.fromnara.com/

一九四五(昭和二〇)年八月十七日、会社員の吉沢久子は神田駅でビラが貼られているのを見つけた。そこには「軍ハ陸海軍共ニ健全ナリ、国民ノ後に続クヲ信ズ 宮中尉」と書かれていた。(『吉沢久子、27歳の空襲日記』)

著者は他の例も挙げて「天皇の玉音放送が流れたあとも、なお抗戦を呼びかけるビラが首都圏の駅に貼られていたわけだ」と書く。思い出すのは次の一首。

いつの間に夜の省線にはられたる軍のガリ版を青年が剥ぐ
             近藤芳美

『埃吹く街』(1948年)の有名な巻頭歌である。

この総選挙(1946年:松村注)では女性に初めて参政権が認められ、京都府でも三人の女性が当選した。国務大臣だった小林一三は「婦人の当選者の多いのには驚いた、正に世界一だ。米国は下院議員四百三十五名の中、僅かに九名、英国は六百十五名の中二十三名、我国では四百六十何名の中、驚く勿れ、三十九名」と記している。

日本の女性議員の割合が世界一と言われた時代があったとは!
欧米諸国も思いのほか少なかったのだな。

それから75年が過ぎた今、その割合は465名中45名(先月の衆議院選挙の結果)と、ほとんど増えてない。

2021年9月30日、朝日新書、850円。

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2021年12月03日

青木真兵・青木海青子『山學ノオト2』

著者 : 青木真兵
エイチアンドエスカンパニー
発売日 : 2021-09-27

人文系私設図書館ルチャ・リブロを運営する二人の2020年の日記+エッセイ。

毎日のように本を読んだり、打ち合わせをしたり、ラジオの収録をしたりと、忙しい毎日が記されている。そんな中で、「男はつらいよ」にも興味を持ったようだ。

年越しは酒をちびちびやりながら、「男はつらいよ」を鑑賞。(1/1)
年始から観始めた「男はつらいよ」完走。全作最高。(3/10)
今年に入り急に「男はつらいよ」を最初から見続けているのだが、それは何も「寅さん」に日本人の理想像云々を見出したわけではない。そこには時代を映すドキュメント的要素があったり、日本社会特有(?)の病理が詰まっていたり、柴又を社会モデルで見てみたり、色んな角度から見ることができるのだ!(5/28)
山田洋次「男はつらいよ」二周目を引き続き見る傍ら(6/18)
「男はつらいよ」は、高度経済成長を経た人々の「自然との向き合い方」について、寅さんという「自然」を中心に描いた作品だと思っている。(11/29)

いや〜、寅さん熱がすごい。

しかも、単に見て楽しむだけでなく、そこから私たちの生き方や社会のあり方についてのヒントを摑み、思索を深め、独自の理論を組み立てている。

2021年9月15日、エイチアンドエスカンパニー(H.A.B)、2000円。

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2021年12月01日

土井善晴『一汁一菜でよいという提案』


2016年にグラフィック社より刊行された本の文庫化。20万部突破のベストセラー。

家での食事は「一汁一菜」で良い、さらに言えば、おかずを兼ねる具だくさんの味噌汁とご飯だけで良いとの考えを記した本。テレビの料理番組での温かみのある語り口がそのまま本になっている。

家庭料理ではそもそも工夫しすぎないということのほうが大切だと思っています。それは、変化の少ない、あまり変わらないところに家族の安心があるからです。
メディアでは「おいしい」「オイシイ‼」と盛んに言われていますが、繰り返し聞かされている「おいしいもの」は、実は食べなくてもよいものも多いのです。

まずは、料理に対するこうした発想の転換にハッとさせられる。一般的な料理本に見られる「美味しいもの」「特別なもの」を目指す方向性とは正反対だ。でも言われてみれば当り前のことばかりで、日常を大事にする姿勢が一貫している。

そして、「生きることと料理することはセットです」と書く著者の話は、人生論や文明論にもつながっていく。

私たちは生きている限り「食べる」ことから逃れられません。離れることなく常に関わる「食べる」は、どう生きるのかという姿勢に直結し、人生の土台や背景となり、人の姿を明らかにします。
料理とは、いつも新しい自分になることです。自然は絶えず変化していますから、レシピ通りにはいきません。自然に対して、自分自身も新しくするのです。

やや教訓めいたこの手の話は苦手と思う方もいるかもしれない。ジェンダーや「日本人の美意識」についての記述にも、世代的な違和感は覚える。

その一方で、私たちが時流や経済効率に流されず「食べる」ことを大事にするには、何らかの思想・考えが必要となるのも確かだ。外食や総菜、冷凍食品などで何でも比較的安く食べられる現代は、かえって「食べる」ことの難しい時代なのかもしれない。

2021年11月1日、新潮文庫、850円。

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2021年11月27日

青木真兵・青木海青子『山學ノオト』

著者 : 青木真兵
エイチアンドエスカンパニー
発売日 : 2020-10-05

「山學」は「やまがく」。

奈良県東吉野村で人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」を開いている夫妻の日記(2018年12月〜2019年末)と書下ろしのエッセイを収めた一冊。

人文系の図書は自然科学系のそれとは違い、「新しさ」と研究上の価値が相関しない。だから「古い」というだけで「意味がない」ということにはならない。
お金に振り回されず、お金の多寡が思考のノイズにならないように。むしろ効果的なお金の使い道を考えたい。そのためには生活の一部に、商品化されない「手作りの世界」を持つことが必要となる。
里と山を対置させて考えた時、里で生きるのに必要な能力は「お金を稼ぐ力」であり、山で必要なのは「お金がなくても生きていける力」だ。

山奥に住んでいるとはいえ引き籠っているわけではなく、あちこち出掛けて多くの人と会っている。人との出会いや会話が次の展開や活動へとつながっていくのだ。読んでいるうちに何だか少し元気になって、自分もいろいろチャレンジしてみようという気分になってきた。

それにしても、「ルチャ・リブロ」遠いなあ。

2020年9月28日、エイチアンドエスカンパニー(H.A.B)、1800円。
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2021年11月26日

北村薫『中野さんのお父さんは謎を解くか』


2019年に文藝春秋社より刊行された単行本の文庫化。

「中野のお父さん」シリーズ第2弾。8つの短篇が収められている。いわゆる安楽椅子探偵モノ&日常の謎モノで、主人公の田川美希から聞いた話をもとに父が謎を解いていく。

本や文芸に関する謎が多く、先日『文豪たちの友情』で読んだ徳田秋声と泉鏡花の喧嘩のエピソードの謎も出てきた。「火鉢は飛び越えられたのか」というタイトル。8篇の中ではこれが一番面白かったな。

巻末の初出一覧を見ると、初出の「オール讀物」掲載順と本の中での順序がかなり入れ替わっている。「2016年5月号」「2018年6月号」「2016年8月号」「2017年1月号」「2018年1月号」「2017年4月号」「2017年5月号」「2018年12月号」という並び方。

初出の順序で言えば、@FABECDGとなる。どうして、こういう並び方にしたのか気になる。何かの辻褄を合わせたのだろうか。これも作者から出された「日常の謎」なのかもしれない。

2021年11月10日、文春文庫、680円。

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2021年11月24日

三宅岳『山に生きる』


副題は「失われゆく山暮らし、山仕事の記録」。

全国各地に残る山仕事を訪ね回って取材したルポルタージュ。既に失われてしまった仕事もあり、貴重な記録となっている。

登場するのは「ゼンマイ折り」「月山筍採り」「炭焼き」「馬搬」「山椒魚漁」「大山独楽作り」「立山かんじき作り」「手橇遣い」「漆掻き」「木馬曳き」「阿波ばん茶作り」をする人々。

馬搬(馬を使って山から木を搬出する)をする方の、馬に関する話が載っている。

その名を尋ねれば、「馬には名前をつけない」という驚きの答えを口にする岡田さん。理由を尋ねれば、馬に名前をつけると愛情が生まれてしまうから、とのこと。馬はあくまで仕事の道具という割り切りなのだ。

内澤旬子『飼い喰い』にも、ペットと家畜の違いは名前を付けるか付けないかだという話があったことを思い出す。

かつての山には様々な仕事があり、多くの人の生活の場となっていた。こうした仕事には定年がない。体力的な限界を感じてやめることはあっても、長く働き続けることができるものだ。

年を取っても働くことは貧しさではなく、むしろ人生の豊かさだったのかもしれないと思う。

2021年10月5日、山と渓谷社、1600円。

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2021年11月21日

石井千湖『文豪たちの友情』


2018年に立東舎から刊行された単行本に加筆修正し、書き下ろしの章を追加して文庫化したもの。

「室生犀星と萩原朔太郎」「正岡子規と夏目漱石」「中原中也と小林秀雄」「江戸川乱歩と仲間たち」など、近代の文学者たちの交流や友情を取り上げて、その軌跡を丹念に追っている。

単に仲が良かったという話ではない。時に憎み合ったり、疎遠になったり、人生の様々な場面で影響を与え合う濃密な関係性が描かれる。

近代文学の作家の場合は、彼らが生きていた時代を共有していないので、そのまま読んだだけではわからないこともたくさんあります。文学史の概論を読んでも、どんな社会で生きていたのか具体的に思い浮かべることはできません。交友関係を取っ掛かりに詳しく調べたら、作品の世界をより深く理解できるのでは?

確かに、本書を読むと作家たちの生きた時代が見えてくるし、何よりも彼らの作品をもっと読んでみたくなる。近代文学の恰好のガイドブックと言っていいだろう。

時代が違っていても、生と死の世界に分かれても、一生に一度も会うことができなくても、本があれば友達になることができる。文学を通じてなら、時空を超えて書き手と読み手の対話が成り立つ。わたしはそう信じています。

一冊を通して著者の文学に対する愛情を感じるとともに、文学の持つ魅力にあらためて気づかされた。

2021年9月1日、新潮文庫、590円。

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2021年11月20日

自然食通信編集部編『手づくりのすすめ 増補改訂版』


文:小玉光子、八田尚子
版画:宮代一義

「味噌」「豆腐」「梅干」「コンニャク」「そば、うどん」「つくだ煮」などを手作りする方法を紹介した本。1987年初版の23篇に、新たに3篇が追加されている。どの回も版画による図解が付いていて、温かみが感じられる。

かつては土地の風土や気候に合わせて手作りされていた食べ物が、今では大規模な工場で生産される画一的な商品になってしまった。そうした流れを見直し、まずは自分の食べる物から少しずつ変えていきたいとの思いが強く伝わってくる。

本書を読み終えて、早速「カマボコ、チクワ」の手作りに挑戦してみた。時間は掛かるけれど、別に難しくはない。出来上がりは市販の物とは全然違うものの、それなりに美味しい。

家庭では、こんどはこうすれば失敗しないかも――などと、工夫を重ねながら、うまい味噌づくり、醤油づくりに挑戦するのも楽しみのひとつ。

そうなのだ、失敗も含めて手作りには楽しみがある。そこが何よりの出発点だ。手間や面倒と思うのではなく、自分の食べる物を自分で作る素朴な喜びを、まずは取り戻すことが大切なのだろう。

2021年11月1日、自然食通信社、1800円。

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2021年11月10日

野呂邦暢『野呂邦暢ミステリ集成』


野呂邦暢のミステリ小説8篇とミステリ関連のエッセイ8篇を収めたオリジナル編集の本。

小説は記憶や死者の残した物を手掛かりに深みへ嵌まっていくタイプのものが多く、高橋克彦の記憶シリーズとも似ている。もちろん、野呂の作品の方が古いのであるが。

エッセイはどれも数ページの短さだが、小説の舞台裏を垣間見せてくれる。

ヨーカンでも時計でもいい。初めに具体的な「物」がある。それによって記憶の井戸さらえのごときことが起り、主人公の内部に深く埋れていたものが明るみに出て来る。
世界の本質は謎である。私たちはそれを解くことはできないが世界を形造ることはできる。だとすれば謎を解く必要などありはしない。
初版の同シリーズ(早川のポケットミステリ:松村注)にはひどい訳があった。クリネクスを薄葉紙と訳してあるのは時代だから仕方がないが、文章が日本語になっていないものもあって、本筋の謎よりも訳文を読み解くのがかえってミステリアスであった。そこがいいのである。

なるほどなあ、と思う。「そこがダメ」なのではなく「そこがいい」のだ。誤訳とか、勘違いとか、記憶の変容とか、そうしたものが人生には大切なのかもしれない。

「ある殺人」という小説の中で、医師が

要するにあなたは会社の仕事に追われて神経が参ってるんですよ。かるい運動をおすすめしたいな。朝の十分間、ランニングか縄とびをするとか

と言う。読んですぐに、先日観た映画「草の響き」を思い出した。小説と映画、野呂邦暢と佐藤泰志が、私の頭のなかで混ざり合う。そして、静かに記憶の底へと沈んでいく。

2020年10月25日、中公文庫、1000円。

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2021年11月05日

内澤旬子『飼い喰い』


副題は「三匹の豚とわたし」。

千葉県に移住し1年間かけて三頭の豚を飼育し、それを屠畜場に出荷して食べるまでのドキュメンタリー。すごい本だとは聞いていたのだけれど、想像以上にすごい本だった。

豚の交配や分娩を手伝い、三匹の種類の違う子豚を手に入れ、豚小屋を建て、餌をやり、可愛がり、屠畜場へ連れて行き、屠畜の現場を見て、料理にして食べる。豚の命の最初から最後まで全てを見尽そうとする執念に圧倒される。

豚は生後約半年、肉牛は生後約二年半で屠畜場に出荷され、屠られ、肉となる。
生まれた雄は、生後四、五日で去勢をする。去勢をすると雌と同じくらい肉が柔らかくなり、性格も柔らかくなる。

私たちが日常食べている豚は、肉のやわらかな子豚ばかりというわけだ。わずか半年で約110キロまで太って肉となる。

昔と今の養豚の違いについての記述にも考えさせられる。1961年には農家1戸あたりわずか2.9頭であった飼育頭数が、2009年には1戸当たり1436頭に急増している。それだけ大規模化が進み、軒先で豚を飼うような農家は無くなったということだ。

1頭の豚からどれくらいの肉が取れるかについても詳しい。110キロの豚から取れる精肉は51キロ。そのうち、そのまま消費者に売られる「テーブルミート」はわずか23キロ(肩ロース4キロ、ヒレ1キロ、ロース9キロ、バラ9キロ)。残りの腕(12キロ)やモモ(16キロ)は主に加工用になる。

安くておいしいものをいつでも買えることは、いいことだ。少しでも安くておいしくて、安心安全な肉を求めて、消費者は動く。私だって買い手に回ればそうする。しかしお金をもらう側、売る側作る側になってみれば、大変だ。

豚1頭あたり数万円にしかならない現実を知ると、スーパーで豚肉を見る目も少し変わってくるのではないかという気がする。

2021年2月25日、角川文庫、800円。

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2021年10月30日

辰井裕紀『強くてうまい!ローカル飲食チェーン』


全国各地にある人気ローカルチェーンの魅力や経営方法を取材してまとめた本。

登場するのは、福田パン(岩手)、551HORAI(大阪)、ばんどう太郎(茨城)、おにぎりの桃太郎(三重)、ぎょうざの満洲(埼玉)、カレーショップインデアン(北海道)、おべんとうのヒライ(熊本)。

いまくらいの規模がちょうどいいです。会社が大きいと安全とも考えたんですけど、岩手ご当地のものだから取材していただけるのがわかってきました。そこに行かなきゃ味わえないほうが価値はある。(福田パン)
コンビニの台頭で多少の影響はありましたが、そもそも客層が違うんです。「やっぱり桃太郎のおにぎりじゃないと」って思ってくれるお客さまのために、そう確信できる商品を出したいですね。(おにぎりの桃太郎)
どんなにおいしい醤油ラーメンでも、豚骨ラーメンがメインの九州ではさほど売れません。同じ福岡のラーメンでさえ、博多、久留米、長浜と微妙に違うんです。地域性に応じて味を整えるのはすごく難しい。(おべんとうのヒライ)

私の印象に残っているローカルチェーンと言えば、函館のラッキーピエロ。楽しそうな店構えと美味しいハンバーガーで地元の人に愛されていた。

画一化・均質化が進む現代社会において、ローカルチェーンの掲げる地域密着の理念は今後ますます大切になっていくように思う。

2021年8月31日、PHPビジネス新書、1100円。

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2021年10月26日

小林多喜二『蟹工船 一九二八・三・一五』


3月に小樽文学館で小林多喜二のデスマスクを見た。多喜二の勤務先であった旧北海道拓殖銀行小樽支店(現・似鳥美術館)にも行った。


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その流れで、この1冊。読んでみたら予想以上に良かった。プロレタリア文学という括りを外しても十分に味わえる内容のように思う。

視点があちこち動くので最初は読みにくく感じたのだが、群像劇として描いていることがわかると、すんなり作品世界に入っていける。

内地では、労働者が「横平」になって無理がきかなくなり、市場も大体開拓されつくして、行き詰ってくると、資本家は「北海道・樺太へ!」鉤爪をのばした。
北海道では、字義通り、どの鉄道の枕木もそれはそのまま一本一本労働者の青むくれた「死骸」だった。築港の埋立には、脚気の土工が生きたまま「人柱」のように埋められた。

「蟹工船」は北洋漁業に出る船が舞台だが、当時の北海道における蛸部屋や鉄道工事の実態も生々しく描かれている。

竜吉は警察で非道(ひど)い拷問をされた結果「殺された」幾人もの同志を知っていた。直接には自分の周囲に、それから新聞や雑誌で。それらが惨めな死体になって引渡されるとき、警察では、その男が「自殺」したとか、きまってそういった。

「一九二八・三・一五」には、凄惨な拷問シーンが何か所も出てくる。この作品を書いた五年後、29歳の多喜二はまさに自らが書いた通りの姿で亡くなったのだ。

1951年1月7日第1刷、2003年6月13日改版第1刷、
2020年4月6日第19刷、岩波文庫、700円。

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2021年10月19日

後藤治・二村悟『食と建築土木』


副題は「たべものをつくる建築土木(しかけ)」。
写真:小野吉彦。

全国各地の農山漁村で見かけた石垣、小屋、仮設の棚など、建物以外の構築物を取材してまとめた本。あまり見たことのない珍しいテーマだと思う。

取り上げられているのは、「ゆで干し大根の大根櫓(長崎県西海市)」「階段状ワサビ田(静岡市)」「串柿の柿屋(和歌山県かつらぎ町)」「凍み豆腐干し(福島市)」「壁結(福岡県うきは市)」「海苔ヒビ(三重県南伊勢市)」など。

農家を評価するときに、これまでの研究はほとんど母屋の研究なんです。でも実は、産業を形成しているのは母屋よりも圧倒的に付属屋のほうです。

なるほど、言われてみれば確かにその通りだ。新幹線の車窓を見ていても、農業や漁業の生産に関わる構築物は町並みや景観の大事な要素になっていることが多い。

約200点も載っているカラー写真がどれも美しく、現地を訪ねてみたくなる。

2013年11月30日1刷、2018年12月10日2刷発行。
LIXIL出版、2300円。

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2021年10月17日

野呂邦暢『愛についてのデッサン』


副題は「野呂邦暢作品集」。
岡崎武志編。

読書には流れがあって、関口良雄『昔日の客』と岡崎武志『上京する文學』を経て、この1冊にたどり着いた。

古書店主の佐古啓介を主人公とした6篇の連作小説「愛についてのデッサン」と「世界の終り」「ロバート」「恋人」「隣人」「鳩の首」の5篇を収めている。

どの作品も推理小説のような味わいがあって、でもスッキリと解決するわけではない。読後に何かモヤモヤとしたものが残る。相手や他人の考えは結局はよくわからないという感じ。たぶん、そこが良いのだろう。

作者は1980年に42歳で亡くなった。

Wikipediaには「心筋梗塞のため急逝」とあるが、本当のところはどうなのだろう。

2021年6月10日、ちくま文庫、900円。

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2021年10月14日

つばた英子・つばたしゅういち『ふたりからひとり』


副題は「ときをためる暮らし それから」。
聞き手・編集:水野恵美子、写真:落合由利子

前作『ときをためる暮らし』(2012年)から4年後に刊行された続編。夫しゅういち氏が入院し、90歳で亡くなり、夫婦二人の暮らしから一人の暮らしへと変わる。

それでも、雑木林とキッチンガーデンのある木造平屋の家での営みは、変わらずに続いていく。

干し柿一つ、つくるのだって。くり返し、くり返しやらないと、うまくできない。だから、また来年もつくってみようと思うし、うまくできないからのおもしろさがあるのね。(英子)
病院での入院の日々は、いつどんな検査をするかわからないから、恐怖の日々だったって。退院した三か月後にまた検査しますからと言われましたけど、断ったの。このままずっと、平穏に暮らしたほうがいいって。(英子)
直すとかえってお金がかかる仕組みになってしまった世の中は、不自然ですよ。経済が回るよう、使い捨てを主流にしようとしてね。昔のものはとにかく丈夫で長持ち。そして、道具を自分の手で育てていくという楽しみがあるでしょ。(しゅういち)
炊事をやっていたねえやが「なんでも、手間ひまかけてつくったものがおいしいのよ」と言っていたけど、ほんとうにそうだなって。その言葉がいまだに耳に残っているから、梅を漬けたり、粕漬をつくったり、土鍋で豆を煮たり。(英子)

読んでいると、しーんと気持ちが穏やかになる。料理や家事といった日々の行いが、私たちの身体や心を整えていることにあらためて気づかされる。

巻末のプロフィールによれば、この本が出て2年後の2018年に英子さんも90歳で亡くなられたそうだ。

2016年12月5日1刷発行、2019年6月25日14刷発行。
自然食通信社、1800円。

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2021年10月11日

小倉ヒラク『日本発酵紀行』


発酵デザイナーである著者が、全国47都道府県の発酵食品の現場を訪ねてまわった旅の記録。

取り上げられているのは、「愛知・岡崎の八丁味噌」「京都・大原のしば漬け」「岡山・日生のママカリずし」「秋田・八森のしょっつる」「北海道・標津の山漬け」「群馬・高崎の酒まんじゅう」「香川・小豆島の醤油」「佐賀・呼子の松浦漬け」など。

一口に発酵と言っても実に多様であり、日本の食文化に欠かせないものであることがよくわかる。

熟成に時間のかかる醸造蔵は商品を仕込んでから出荷してお金に換えるまでに何年もかかる。それはつまり資金をプールしなければいけないということだ。近代的な金融システムが整備される前の日本では、商品製造のために資本蓄積をしなければいけなかった醸造蔵が、プールした資本の運用のために地域の金融サービスを担ってきた。
醸造蔵は簡単には引っ越せないし、蔵を建て替えることもできない。商品の個性をつくりだす微生物の生態系が変わってしまう恐れがあるからだ。だから古い建物を少しずつ直し、建て増しをしていく。結果、様々な時代の建築が蓄積されることになる。
江戸時代に起きた醸造ビッグバンには意外な立役者がいる。木桶だ。老舗の醤油蔵や味噌蔵で見かける、見上げるほど大きな木桶。これは日本で特異に発達した文化だという。そういえば、ワインやウィスキーに使う木樽(Barrel)で自分の背丈を超すようなものを見たことがない。
藍染めの産業を考えるうえで、ひとつ重要なポイントがある。藍染めの工房は日本各地にあるのだが、染めの原料となるすくもの生産地は限られている。なかでも阿波は質の高いすくもの名産地。全国に消費のための需要がある反面、「原料」を生産できる場所は限られている。これはビジネスにおける最強の勝ちパターン。

どのページにも、発酵に対する著者の情熱と愛情が満ち溢れている。

時おり出てくる「発達したんだね」「ほんとうなんだよ」「大変なんだ」といった語り掛けの口調に最初は少しとまどったけれど、慣れてくると親しみを感じるようになる。

2019年6月10日、D&DEPARTMENT PROJECT、1800円。

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2021年10月04日

つばた英子・つばたしゅういち『ききがたり ときをためる暮らし』


聞き手:水野恵美子、撮影:落合由利子。

80歳を超えた建築家・評論家の津端秀一と妻英子の生活の様子を、一年間にわたる聞き書きと美しい写真によって描き出した本。

雑木林とキッチンガーデンのある木造平屋の家。そこでの暮らしの四季折々の姿が浮かびあがってくる。

二人とも、健康診断はもう何十年と受けたことがないんですよ。もし、不具合が見つかったら怖いですからね。意識しちゃうでしょ、それも健康な人ほど、精神が不安定になってしまうから。たっだら検査を受けないほうがいいと思ってね。(修一)
収穫する量が多くありませんから、そんなたくさんはつくれないけど、「もう少し食べたい」と思うくらいがちょうどいいのね、ジャムに限らず何でも。また、来年を待つ楽しみができますからね。(英子)
このベーコンづくりも、もうすぐ一五〇回に到達する予定です。やっぱり、どんなことでも一〇〇回以上回数を超えると、自分らしいホンモノになってくるもんですねえ。何度も繰り返すことで、自分なりのやり方やコツがつかめてくる。(修一)
「自分が食べる物は、自分の手でつくりたい」という思いは、小さい頃からもっていましたけど、実現できるまでは長い時間がかかりましたものね。でも、思い続けて、それに向かって少しずつ実現していくことは大事なんですね。(英子)

野菜や果実を庭で育て、自家製のゆべし、ベーコン、ハブ茶、梅酒、梅干し、ジャム、佃煮、粕漬けなどを作る。植木の剪定や屋根の塗装なども自分たちでやる。そんな自由で自立した暮らしの美しさが存分に感じられる内容であった。

2012年9月20日初版1刷発行、2018年10月15日21刷発行。
自然食通信社、1800円。

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2021年10月03日

宮田珠己『日本全国津々うりゃうりゃ 仕事逃亡編』


2015年に廣済堂出版より刊行された本の文庫化。

全国各地のあまり有名でない(?)観光地を旅して回るシリーズ。同行編集者テレメンテイコ女史とのやり取りも楽しい。

書店でぱらぱらと目次を見て、「高知・徳島」の旅に沢田マンションが載っているのを見つけて買うことに決めた。沢田夫妻が30年かけてほぼ独力で建設したマンションで、以前から一度訪れたいと思っている場所だ。

https://matsutanka.seesaa.net/article/413024075.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/417319941.html

ガイドはさらに、流氷が接岸すると知床は内陸性気候になる、と教えてくれた。気象的な観点で言えば、ここはもう海ではないということだ。海面が閉ざされてしまうため、水分の蒸発が起こらないわけである。(オホーツク)
西福寺だけでなく、最近こういう、昔からあったけれども知られていなかったすごいものがいろいろと発掘されていて、日本の観光地図が変わってきた気がする。(栃尾又)
泊まった部屋には、宿泊者ノートがあって、めくってみると、わざわざ泊まりに来る人が少なくないようだ。(…)ついに念願の沢田マンションに来ました! と感動の言葉がたくさん書きつけられていた。(高知・徳島)

緊急事態宣言も明けたことだし、またあちこち出掛けてみようか。

2021年8月5日、幻冬舎文庫、710円。

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2021年09月26日

山下賢二『ガケ書房の頃 完全版』


副題は「そしてホホホ座へ」。

2004年から2015年まで京都で個性的な書店「ガケ書房」を経営していた著者が、人生を振り返りながら、商売において大事なことや本についての思いなどを記している。

お客さんからお金をもらって、店という場を続けていくためには、綱引きが求められる。お客さん側の引き。これは、ニーズだ。そして、店側の引き。これは、提案だ。
店は、始めることよりも続けることの方が圧倒的に難しい。運よく開店資金を用意できたとしても、そんなものはすぐになくなってしまう。
棚は畑に似ていて、手をかけていじればいじるほど本が魅力的に実る。そして、それをお客さんが刈り取っていく。嘘みたいな話だが、ずっと動きが悪い本を棚から一度抜き出して、また元の位置に戻すだけで、その日に売れていくこともある。

近年、書店をめぐる状況は悪くなるばかりだ。今月に入って京都でも大垣書店四条店の閉店が報じられている。

その一方で、いわゆるセレクト書店が少しずつ増えているのも確かだ。けれども、そこにも問題点がある。

セレクトを全面に押し出した提案型の個人書店がこの十年くらいで生まれてきた。しかし、そういう店の棚は、どうしても直取引をしてくれる出版社のタイトルに偏りがちで、そうした品揃えを選ばざるをえない個人書店が増えてきた結果、逆金太郎飴状態が生まれている。

なるほど、セレクト書店をいくつか見て回って不思議と品揃えが似ているように感じたのは、そういうわけだったのか。

もちろん、こうした問題に正解はない。生き残りをかけた書店の(そして私たちの)模索は今後も続いていく。

2021年8月10日、ちくま文庫、800円。

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2021年09月18日

西山純子『新版画作品集』


副題は「なつかしい風景への旅」。

大正から昭和初期にかけて、版元の渡邊庄三郎を中心に生み出された近代的な浮世絵「新版画」。川瀬巴水、吉田博、伊東深水ら多くの作家が誕生し、海外でも人気を博した。

その代表的な作品を「夜」「雪」「水辺」「富士と桜」といった内容別に収め、解説を施した一冊。作家紹介なども充実していて、新版画の良い入門書となっている。

新版画は和紙という優れた、特殊な媒体と水性顔料、超絶した彫りと摺りの技、そして近代に生きた作家の視覚や感性が、きわめて高い完成度のなかに融合した芸術世界である。
浮世絵や新版画の摺りの現場は、実に水気が多い。紙はあらかじめ湿らせておくし、顔料にも大量の水が使われる。(…)新版画は、日本の湿潤な風景を描くに実にふさわしい手法なのである。
新版画が外国人との仕事から出発したことはとても重要である。和筆を初めて持つ人の線と色を浮世絵の彫摺にあわせる試みが、職人たちを因習から解放し、新たな造形への踏切板となったからである。

新版画にかなり興味が湧いてきた。
美術館に実物の絵を観に行こうと思う。

2018年3月10日、東京美術、3000円。

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