2022年08月08日

小牟田哲彦『「日本列島改造論』と鉄道』


副題は「田中角栄が描いた路線網」。

1972(昭和47)年に刊行されて1年間で91万部の大ベストセラーとなった田中角栄の『日本列島改造論』。そのうちの鉄道政策に焦点を当てて、この50年間を検証し、今後の鉄道のあり方を考察する内容である。

1922(大正11)年に制定された鉄道敷設法の改正法は、1987(昭和62)年に廃止されるまで実に65年間も効力を持った。同じように1970年(昭和45)年に成立した全国新幹線鉄道整備法は、50年以上経った今も施行中である。

『日本列島改造論』に描かれた「全国新幹線鉄道網理想図」をなぞるように整備新幹線や基本計画線を定めた国策は、それから半世紀が経った令和の今もなお、我が国の高速鉄道政策の根幹として効力を有していることは、日本国民にもっと知られてもよい事実ではないだろうか。

国全体で人口が減少し、自家用車の保有率が高まり、少子高齢化の進む日本において、ローカル線をはじめとした鉄道網をどのように維持していくかは、現在、大きな課題となっている。

不採算路線の存廃問題や大規模災害の被災路線の復旧という問題が現実化する過程で、民営化が万能の理論ではなく、やはり一定程度の公共の関与や支援がなければ地方交通や広域ネットワークの永続的な維持は難しいケースもあるのだ、という方向へ、日本社会全体が再び軌道修正しているように見受けられる。

一つ一つの路線の話に終始するのではなく、国全体の鉄道政策の新たなグランドデザインを示すことが、今まさに必要となっているのだ。

2022年6月15日、交通新聞社新書、990円。

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2022年08月03日

司馬遼太郎『街道をゆく37 本郷界隈』


連載中の「啄木ごっこ」との関わりで、久しぶりに「街道をゆく」シリーズを読む。話題が縦横無尽にポンポン飛んでいくのが楽しい。

江戸時代の本郷は、このあたりをいくつかの大名屋敷が占拠しているだけで、神田や日本橋、深川といったような街衢の文化は、本郷にはなかった。それが、明治初年に一変する。ここに日本唯一の大学が置かれ、政府のカネがそそぎこまれたのである。
上京した子規は、下屋敷の長屋に起居し、ついで他に移ったりするうちに、旧藩主家の給費生にえらばれた。月額七円で、書籍費はべつに出る。(・・・)“育英”は、明治の風でもあった。前章でふれた坪内逍遥の場合も、給費生になったおかげで、明治九年の上京が可能になった。
明治後、東京そのものが、欧米の文明を受容する装置になった。同時に、下部(地方や下級学校)にそれを配るという配電盤の役割を果たした。いわば、東京そのものが、“文明”の一大機関だった。

こういう真面目な話だけでなく、雑学的な小ネタも出てくる。

モース(Morse)は、明治時代、多くのひとたちがモールスとカナでよんだ。おもしろいことに、“モールス信号”のS・F・B・モース(一七九一〜一八七二)と同じ綴りである。
日本料理に揚げものが入るのは十六世紀だったそうで、おそらく中国から禅僧を通じてのものだろう。僧侶が入れたから、このため麩や豆腐を揚げるといった精進ものが中心にならざるをえなかった。要するに江戸時代のフライの中心は油揚豆腐(あぶらげ)であった。

街歩きしながら、真面目なことを考えたり雑学を披露したり。今で言えば、ちょうどブラタモリみたいな感じなのであった。

2009年4月30日第1刷、2021年6月30日第5刷。
朝日文庫、760円。

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2022年07月30日

山田七絵編『世界珍食紀行』


アジア経済研究所の職員たちが世界35の国・地域で体験した食べ物をめぐるエッセイ集。「アジ研ワールド・トレンド」「IDEスクエア」に連載されたコラムをまとめたもの。

登場するのは、韓国のホンオフェ(エイ)、ベトナムの卵コーヒー、カザフスタンのクムス(馬乳酒)、デンマークのニシンの酢漬け、南アフリカのブラーイ(バーベキュー)、ペルーのクイ(モルモット)など。

外国から来た料理が現地風にアレンジされて土着化するという現象は、もちろんインドでもみられる。「インド中華料理」はまさにその典型であり、「マンチュリアン」はもっとも代表的な料理といえるだろう。
イランのファンタジーは、イランにしかない欧風パンとして、華麗な呼び名とは裏腹なその庶民的味を守り続けているのである。
タンザニアでは、食事を終えた人が水道で手にこびりついたウガリを爪でこすり落としているのを見ることがある。それを見た外国人は、「スプーンで食べればいいのに」と思うかもしれない。しかし、日本人が白いご飯を箸で食べるのと同じように、ウガリは手で食べて味わうものだ。

ほとんどの料理が一度食べてみたいと思うものばかり。現地でしか食べられない料理もたくさんあって、外国に行きたい気分になる。

2022年7月20日、文春新書、980円。

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2022年07月25日

藤森照信『藤森照信 建築は人にはたらきかけること』


「のこす言葉」KOKORO BOOKLETシリーズの1冊。

建築史家として日本の近代建築の研究をするだけでなく、建築家として「タンポポハウス」「高過庵(たかすぎあん)」「ラコリーナ近江八幡」などの話題作をつくってきた著者が、自らの生い立ちや建築に対する思いを記している。

「高過庵」も「茶室 徹」も、一見ツリーハウスのように見えますが、ツリーハウスではありません。もともとそこにあった樹の上につくったわけではなく、枝ぶりのよい木を選んで伐り倒し、現場に運んで柱として立てて、その上に庵をつくっています。この違いはとても重要。
発見の喜びは、解釈の喜びよりはるかに大きい。だって東京駅を設計したあの辰野金吾の建築だって、知られてないのが次々と出てくるんですから。竣工当時は有名だったものも、忘れられてますからね。
優れた建築は、本人も気づかなかった意味がいっぱい入ってる。だから、時代を超えられる。本人が自覚した点は本人が文章に書いてるけれど、それはその時代のなかで考えたことで、時代が変われば消えていく。だけど時代を超えるものがある。それは本人も自覚していないことなんですよ。
当たり前ですが、理論化は、言葉によってしかできない。言葉は、人間が生み出した最も抽象的なもののひとつです。一方、ものをつくることは、自分のなかの酵母のようなものがぐずぐずとした発酵状態にあって、そこから生まれてくる。言葉で理論化することは、そこに強い光を当てるようなもので、だいたい酵母は死ぬ。

このあたりは、短歌にもよく当て嵌まる話だと思う。

巻末の「のこす言葉」は「部屋は一人の 住宅は家族の 建築は社会の 記憶の器。自力でも誰かに頼んでも お金はかけてもかけなくても 脳を絞り手足を動かして作れば大丈夫。器が消えると記憶もこぼれて消えるでしょう。個人も家族も社会も記憶喪失ご用心。藤森照信」というもの。

建築の持つ「記憶の器」としての力をあらためて感じた。

2020年2月19日、平凡社、1600円。

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2022年07月18日

三浦英之『帰れない村』


副題は「福島県浪江町「DASH村」の10年」。

TOKIOが農業体験をするテレビの人気番組「DASH村」の舞台であった福島県浪江町津島地区(旧津島村)。現在も帰還困難地区(原則立入禁止)となったまま、約1400名の住民の誰ひとり帰れない状態が続く。

この本は2017年秋から2021年春にかけて、津島地区と住民百数十人に取材して、それぞれの思いを聞き取ったルポルタージュである。

国の説明会で「一〇〇年は帰れない」と言われて集落の記録誌を作った人、満蒙開拓団からの引き揚げに続いて再び家を追われた人、伝統芸能「田植え踊り」を何とか残そうと道具を新調した人、屋外での炊き出しを子どもに手伝ってもらったことを後悔し続ける人。

原発事故が一人一人の人生に与えた傷の大きさをあらためて感じる。

津島地区は原発から20キロ以上離れているため、当初、浪江町の住民の避難場所となった。けれども、実際には放射性物質は風に乗って北西に流れ、この区を広範囲にわたって汚染していたのであった。

かつての「DASH村」の今の様子は、2021年にテレビ放映された。
https://www.ntv.co.jp/dash/articles/65tqkaubaj266r2cbw.html

2022年1月25日、集英社文庫、620円。

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2022年07月16日

半田カメラ『道ばた仏さんぽ』


全国各地の石仏や磨崖仏を訪ね回って紹介した本。
カラー写真252点が美しい。

半田さんと言えば巨大仏のイメージなのだけど、それだけではなかったのだ。
https://matsutanka.seesaa.net/article/474996810.html

「石仏は新しくても、古くても違った良さがあります」と記している通り、歴史的な文化財から2020年に造られたばかりのものまで、実に多彩な仏たちが登場する。

「自由さ」「優しさ」に「親密さ」を加えた3つが、石仏を語る上でのキーワードになると思います。
磨崖仏はその場に行かなければ絶対に会うことのできない仏さまなのです。
自然の中にある磨崖仏は、季節、その日の天候、時間などによって見え方が大きく変わり、仏さまの表情も刻々と変化します。
屋外にある石仏はもしかしたら明日、崩れてしまうかもしれません。(…)親と石仏はいつまでもあると思ってはいけません。

石仏・磨崖仏への愛情がものすごい。磨崖仏を「その場に行かなければ絶対に会うことのできない仏さま」と捉えているのが印象的だ。この制約がむしろ魅力になるんだろう。何しろ今は興福寺の阿修羅像だって東京に行く時代なのだから。

項目に挙げられている86の仏さんのうち、見に行ったことのあるものを数えたら全部で15体だった。まだまだ会いに行きたい仏さんがたくさんいるなあ。

瑞巌寺の三十三観音(宮城)、岩屋観音(福島)、大谷観音(栃木)、薬師瑠璃光如来(千葉)、百尺観音(千葉)、磨崖不動明王像(滋賀)、富川磨崖仏(滋賀)、わらい仏(京都)、長井の弥勒磨崖仏(京都)、笠置寺の磨崖仏(京都)、頭塔石仏(奈良)、大野寺弥勒磨崖仏(奈良)、国宝臼杵石仏(大分)、熊野磨崖仏(大分)、天念寺川中不動尊(大分)

2022年3月15日、ビジュアルだいわ文庫、1000円。
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2022年07月13日

桑田ミサオ『おかげさまで、注文の多い笹餅屋です』


副題は「笹採りも製粉もこしあんも。年5万個をひとりで作る90歳の人生」。

著者は60歳の定年後に本格的な餅作りを始め、75歳で起業し、90歳でこの本を出された。テレビ番組で見た姿がとても印象的だったので購入。

笹の葉も自分で山に採りにいきます。1年で5万個のお餅を作れば、笹の葉だって5万枚要るわけで、これも大仕事です。私の背より高い藪にも入りますし、山では蜂が飛び出してくるので重装備です。
蒸し上がった2kgのお餅を、蒸し布ごと抱えて、平皿に広げる時も、水を入れた大きな蒸し器を抱えるのも、みんな力仕事です。(…)何よりも、奥の倉庫から27kgの米袋を、製粉機まで運んでこなければなりません。

一つ一つのお餅は小さいけれど、こうして数字で示すと大変な作業だということがよくわかる。

「人生80歳からが楽しい」とよく申し上げるのは、80歳になって、自分の中で、焦りというものがなくなったような気がするからです。(…)義務だとか、余計な考えがなくなる。それからが楽しいんです。
よく、こんな年になって新しいことを始めるなんて、という方もいます。でもどうか、自分でこれはできない、いい年してこんなことをしては恥ずかしいなどと決めつけないでください。悩んだりするくらいならば、思いきって新しいことに挑戦してみてください。

80歳からが楽しいと言われると、何だか元気が出るな。

ミサオさんは現在95歳。今も現役で笹餅を作っていらっしゃる。
http://www.superstore.co.jp/sasamochi

2018年1月22日初版、2022年6月22日第4刷発行。
小学館、1400円。

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2022年07月06日

円満字洋介『京都まち遺産探偵』


建築探偵として活躍する著者が、京都に残る「古橋」「木彫動物」「紋章」「狛犬」「タイル」「看板」などを取り上げて紹介・解説した本。カラー写真が豊富で眺めているだけで楽しい。

むかしは借家に風呂がなかったので、銭湯の存在はその地域が借家街であることを示す。
古い石垣のうち不安定なものは長年の間に地震で崩れてしまう。だから残っている石垣は、安定した良い石垣だけだということになる。
ウサギや鶴が陰陽のセットになるとき、右のような(⊂と―:松村注)構図が多い。わたしは向って左を「振り向き」、右を「追っかけ」と呼んでいる。

私がふだんよく通る道の近くにも名品が数多くあるようだ。今度探しに行ってみよう。

2013年4月2日、淡交社、1600円。

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2022年06月28日

五十嵐大『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』


「コーダ」(CODA=Children of Deaf Adults 聴覚障害のある親に育てられた聴こえる子ども)である著者が、自らの小学生時代から現在までを振り返りつつ、母との関係を築き直すまでを描いたノンフィクション。

〈耳の聴こえない母が大嫌いだった。それでも彼女はぼくに「ありがとう」と言った。〉という帯文(初出のネット記事のタイトル)が強い印象を残す。

生まれつき耳が聴こえないお母さんに育てられているだなんて、誰にも知られたくなかった。とにかく恥ずかしい、とさえ思っていた。

先月、映画「コーダ あいのうた」を観て「コーダ」のことを知った。著者も20歳代半ばで初めて「コーダ」という言葉に出会う。

衝撃的だった。自分のような生い立ちの人間をカテゴライズする言葉があるなんて、考えたこともなかったからだ。同時に、胸中に不思議な安堵感が広がっていく。
コーダは「聴こえない親を守りたい」という肯定的な気持ちと、「聴こえない親なんて嫌だ」という否定的な気持ちとの狭間で大きく揺れ動くこと。(…)自身の境遇を「可哀想」とは思っていないのに、社会からの偏見により半ば強制的に可哀想な子ども≠ノされてしまうこと。

とても良い本だった。自分の行動や心情をここまで客観的に描けるようになるまでには、相当な時間がかかったにちがいない。家族が家族であるためには、そうした努力が必要なのである。

2021年2月10日、幻冬舎、1400円。

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2022年06月25日

いとうせいこう・みうらじゅん『見仏記 道草篇』


シリーズ第8弾。2019年にKADOKAWAから刊行された単行本の文庫化。

訪問先は、長野(善光寺など)、群馬(慈眼院など)、大分(熊野磨崖仏など)、青森(恐山菩提寺など)、中国四川省(華厳時など)。

1992年から始まったこの仏像見物紀行も、気づけば30年を迎えた。旅する2人だけでなく、読む私もそれだけ年を取ったということだ。

左折し、民家が固まっている狭い山道を抜けると、じきに達磨寺へ到着した。
ゴーンと急に鐘の音がした。
むしろあたりが静かになった気がした。
みうらさんも言った。
「今、すべてが消えた」
「まさに円空。これ、滞在期間長いね」
みうらさんが言った。確かにいわゆる木っ端仏でなく、ある程度腰をすえて作ったものだった。仏像の作りがそのまま円空のいた時間をあらわすというのは慧眼だ。いずれ円空という時間単位になるかもしれない。

2人の名コンビぶりは変わらない。天才みうらの呟きを、いとうが鮮やかに理論化していく。

「道草篇」と名付けただけあって、何と寺や仏像を鑑賞しない回まである!中国四川省のジャイアントパンダ繁殖基地を見物して終わり。

この調子でどんどん自由に続けていってほしい。

2022年4月25日、角川文庫、660円。

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2022年06月20日

吉田博『高山の美を語る』


1931年に実業之日本社から刊行された単行本の文庫化。原著の口絵や挿画のほか「日本アルプス十二題」などがカラーの口絵で収録されている。

明治から昭和にかけての風景画を描き、新版画の制作でも知られる著者だが、登山の経歴も本格的だ。富士山や日本アルプスをはじめ、海外のロッキー、アルプス、ヒマラヤにも登りに出掛けている。

登山と画(え)とは、今では私の生活から切り離すことのできないものとなっている。画は私の本業であるが、その題材として、山のさまざまな風景ほど、私の心を惹きつけるものはない。
山には歩き方がある。歩き方一つでどんな人でも一万尺の高峰に登ることができる。(…)面白いのは下山の時にすっかり参ってしまっている男は、きまって登山の時には最も元気だったものに限るようである。
瑞西のアルプスでは、世に名だたる名山と、その反対にごく平凡な山との両方に鉄道が通じている。平凡な山というのは、なかなか面白い思いつきで、その目的とするところは、山それ自身は鑑賞の価値に乏しくとも、つまりその山の高い部分から、相対する名山を眺望しようというのである。

山登りに関する話がおもしろい。山の風景がほんとうに好きなんだなと思う。吉田博の文章をもっと読んでみたくなった。

2021年8月1日、ヤマケイ文庫、990円。

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2022年06月19日

土井善晴『一汁一菜でよいと至るまで』


料理研究家の著者が、家庭料理は「一汁一菜でよい」という理念にたどり着くまでの道のりを記した本。

若き日のフランスや日本の料亭での修業、父の料理学校の手伝い、父から引き継いだテレビの仕事、レストランのプロデュースや商品開発といった様々な経験を経て、家庭料理の価値を見出していく。

調理場や道具をきれいに手入れしておけば、不思議なことに、仕事に追い込まれた時に道具が味方してくれ、自分(の仕事)を守ってくれていると感じるのです。
毎度「○○を入れてもいいんですか」と確認されます。味噌汁に入れたくないものはあっても、味噌汁に入れていけないものなんてありません。それが味噌汁の凄さです。
料理の決まり事の多くはハレの日のために洗練されたプロの仕事です。ハレの日やプロの仕事が日常の暮らしに入りこんでしまったから料理が「面倒なもの」になったのです。そんな箍はすべて外せばいい。
一人暮らしでも、自分でお料理して食べてください。そうすれば、いつのまにか、自分を大切にすることができるようになっています。

私たちの体は食べたものからできている。食べることは生きることの基本であり、もともと料理は楽しいことなのだ。そんな当り前の事実に気付かせてくれる一冊であった。

2022年5月20日、新潮新書、820円。

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2022年06月16日

森まゆみ『『五足の靴』をゆく』


副題は「明治の修学旅行」。2018年に集英社から刊行された単行本に、書き下ろしの「付録一〜五」を追加して文庫化したもの。

与謝野鉄幹、北原白秋、木下杢太郎、平野万里、吉井勇の5名が1907(明治40)年7月から8月にかけて行った九州旅行「五足の靴」の足跡をたどる紀行文である。

同じ学生組でも、東京帝国大学の木下、平野がそれぞれ医学、工学を極めるため真面目に勉強をしていたのに比して、早稲田組の吉井、北原はほとんど学校に行っていなかった。
江戸時代、長崎の人口六万人のうち、一万人は中国人であったという。密貿易を防ぐため竹矢来で囲ったなかで、中国の人たちはどのような暮らしをしていたのだろうか?
この旅、福岡、江津湖、柳河、どこでも舟遊びがもてなしになっている。私が小さい頃も、不忍池でボート、東京湾でハゼ釣りなど、小船で遊ぶことは多かった。
近代になると、雲仙は日本国内の宣教師や上海在住の欧米人たちの格好の避暑地になった。上海から船で一晩寝れば長崎に着いたのだという。
本書を書いた一の動機はまず『五足の靴』にいかに『即興詩人』の影響が大きいかを見ることである。鷗外を敬慕した与謝野鉄幹と若い仲間たちは、西洋に行くことは難けれど、せめて九州の、宣教師がやってきて布教したところ(…)

著者は機会を見つけては「五足の靴」に関する土地を歩き回り、人々から話を聴く。そのフットワークの軽さと好奇心の強さが印象的だ。文学と歴史、地理、文化、産業など様々なものを結び付けて綴る文章は、読んでいて面白いだけでなく多くの示唆を与えてくれる。

2021年11月25日、集英社文庫、800円。

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2022年06月10日

田中輝美『すごいぞ!関西ローカル鉄道物語』


関西にあるローカル鉄道を訪れて、その歴史や現状、見どころなどを紹介した本。取り上げられているのは、阪堺電車、水間鉄道、紀州鉄道、和歌山電鐵、近江鉄道、信楽高原鐡道、北条鉄道、神戸電鉄、叡山電車、京都丹後鉄道、京福電鉄の11社。

かつて信楽焼は火鉢の8〜9割のシェアを占めていたそうです。火鉢を含めて信楽焼が産業として発展してきたことから、住民たちから鉄道輸送を望む声が高まります。

なるほど、タヌキの置物ではなく火鉢が主力製品だったわけだ。鉄道を待望する声が大きかったのもよくわかる。

こうした取り組みの背景にあるのが、嵐電が掲げる「沿線深耕」という言葉です。「振興」ではなく「深耕」。地域と鉄道は一体であるという考えに基づき、沿線の資源や良さを深く発掘・再構築し、沿線を住んでみたい、魅力ある地域にするため、鉄道会社として積極的にお手伝いをしていこうという思いが込められています。

ローカル鉄道の場合、こうした地域密着の姿勢を取りやすい。鉄道会社と地元が協力することでWIN-WINの関係を築くことができる。ここが、最近のJR西日本の赤字路線廃止に向けた動きや地元自治体との対立といった話との大きな違いだ。

本格的な人口減少時代に突入した日本で、これから地域に新しい鉄道や路線をつくることは基本的に難しい。そう考えると、今ローカル線が走っている地域は、他の地域が持てない「資源」を持っていると言い換えることもできるのです。

新しいものを作るのではなく、今あるものをどのように有効活用していくか。これはローカル鉄道の話だけでなく、今の日本の社会全般に当て嵌まる問題と言っていい。鉄道は「つなげる力」を持っているという観点も印象的だった。

2020年2月27日、140B、1800円。

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2022年05月30日

『子規紀行文集』のつづき

最上川の舟下りの場面。

本合海を過ぎて八面山を廻る頃、女三人にてあやつりたる一艘の小舟、川を横ぎり来つて我舟に漕ぎつくと見れば、一人の少女餅を盛りたる皿いくつとなく持ち来りて客に薦む。客辞すれば、彼益々勉めてやまず。時にひなびたる歌などうたふは、人をもてなすの意なるべし。餅売り尽す頃、漸くに漕ぎ去る。

舟下りをする客相手に商売をする舟の様子である。江戸時代に淀川の枚方付近で多く見られたという「くらわんか舟」を思い起こさせる。現代でも、保津川の川下りをすると終点付近でこうした舟が来る。今は観光用といった感じだけれど、昔はもっと生活感があったのだろう。そう言えば、タイの水上マーケットに行った時も、舟で淹れたコーヒーを買って飲んだ。

続いて、秋田県を歩いている場面。

夕日は傾きて本山の上二、三間の処に落ちたりと見るに、一条の虹は西方に現はれたり。不思議と熟視するに、一条の円虹僅に両欠片を認るのみにて、其外は淡雲掩ひ重なりて何事も見えざりき。こは普通の虹にはあらで「ハロ」となん呼ぶ者ならんを、我は始めてこゝに見たるなり。

「ハロ」(halo、日暈、白虹)の目撃談である。こうした科学的な目も持っているところが、子規の紀行文の多面的な面白さにつながっている。

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2022年05月25日

復本一郎編『子規紀行文集』


子規の紀行文の中から「はて知らずの記」「水戸紀行」「かけはしの記」「旅の旅の旅」「鎌倉一見の記」「従軍紀事」「散策集」「亀戸まで」の八篇を収め、詳細な脚注を施したもの。

子規と言うとどうしても病床に寝ているイメージが強いのだが、この本に出てくる子規は明るくて元気。文章も生き生きしていて、実に楽しい。

例えば、松島を舟でめぐる場面の描写。

舟より見る島々縦に重なり横に続き、遠近弁(わきま)へ難く、其(その)数も亦(また)知り難し。我位置の移るを、覚えず海の景色の動くかと疑はる。一つと見し島の二つになり、三つに分れ、竪(たて)長しと思ひしも忽ちに幅狭く細く尖りたりと眺めむる山の、次第に円く平たく成り行くあり。

臨場感に溢れていて、子規のワクワク感がそのまま伝わってくる。
続いてもう一つ。三島から修善寺に乗合馬車で出掛けて徒歩で戻ってくる場面。

こゝより足をかへして、けさ馬車にて駆けり来りし道を辿るに、おぼろげにそれかと見し山々川々もつくづくと杖のさきにながめられて、素読(そどく)のあとに講義を聞くが如し。

一度馬車から眺めた風景を、今度は自分の足でたどっていく。その様子を「素読のあとに講義を聞くが如し」と書いた比喩が見事だ。

俳句も少し引いておこう。

涼しさや羽(はね)生えさうな腋の下
正宗の眼(まなこ)もあらん土用干
山の温泉(ゆ)や裸の上の天の河
唐きびのからでたく湯や山の宿
底見えて魚見えて秋の水深し

脚注にしばしば明治期の『日本名勝地誌』が引かれているのも良い。子規の旅した場所が、当時の人々にどのように認識されていたのかがわかって参考になる。今の記述ではダメなのだ。

2019年12月13日、岩波文庫、740円。

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2022年05月18日

瀬川晶司『泣き虫しょったんの奇跡 完全版』


副題は「サラリーマンから将棋のプロへ」。
2018年に松田龍平主演で映画化もされている。

プロ棋士養成機関である奨励会を26歳の年齢制限で退会し、プロになる夢を絶たれた著者が、戦後初めてのプロ編入試験に合格して35歳で棋士となるまでの話。

本人の努力はもちろんのこと、両親と二人の兄、小学校の担任の先生、近所に住むライバル、将棋道場の席主、奨励会や棋士の友人など、多くの人の支えや励ましが印象に残る。

昭和45年横浜市生まれの著者と私は同じ年。小学校高学年の時に将棋ブームが訪れる話など、似たような境遇に育ったこともあり共感する部分が多かった。

幼少時に「タオル姫」と呼ばれていたとあり、こんな話が出てくる。

大きなタオルケットを体に巻きつけて、いつもズルズルと引きずって歩いていたからだ。タオルケットには絶対に代わりはきかないお気に入りの一枚があって、外出するときもそれを引きずっていたらしい。

「ライナスの毛布」(安心毛布)だ! 私も全く同じでいつもタオルケットを持ち歩いていた。何とも懐かしい。

2010年2月13日第1刷、2018年8月6日第9刷。
講談社文庫、640円。

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2022年05月14日

梶井照陰『限界集落』


副題は「Marginal Village」。

僧侶で写真家である著者が、各地の限界集落の姿を写真と文章で描いたフォトルポルタージュ。

取り上げているのは、新潟県佐渡ヶ島、山梨県芦川、新潟県鹿瀬、熊本県球磨村、長野県栄村、北海道初山別村、山形県西川町、徳島県一宇、東京都檜原村、和歌山県高野町、石川県門前町、京都府五泉町。

旧芦川村は山梨県中部にある僻村である。芦川渓谷に沿って4つの集落が点在し、其処で暮らす人々はこんにゃく芋やほうれん草などを栽培しながら生活している。その集落の一つで、芦川の下流域に鶯宿集落がある。芦川渓谷のX字谷に67戸の民家が立ち並び、斜面に築かれた石積みの美しい集落だ。

「鶯宿」という言葉にピンとくる。山崎方代の〈生れは甲州鶯宿峠(おうしゅくとうげ)に立っているなんじゃもんじゃの股からですよ〉に出てくる地名だ。調べてみると、方代の母がこの鶯宿の出身だったらしい。

「むかしの人は難儀したんだ。お産をしても2週間ぐらいで畑仕事や桑採りにいかねばなんねがった」(…)「最近は生活も楽になったのにな。集落からは若者がいねぐなってしまったハ」
「合併したら村の財政はよくなるって聞いたけどな。合併したらどんどん生活は不自由になりよる」
「以前はこの集落にも大勢の人がいたけどな。今は買い物にくるのは、ひでさんとちよちゃんの2人だけになってしまったな。ほかは足が弱くなって山からおりてこられなくなったりしちまってさ」

集落に暮らすお年寄りの話から、その土地の歴史や産業、生活の様子が浮かび上がってくる。その一言一言が、重く胸に迫る。

2008年2月8日、フォイル、1400円。

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2022年05月13日

一ノ瀬俊也『軍隊マニュアルで読む日本近現代史』


副題は「日本人はこうして戦場へ行った」。
2004年に光文社新書から刊行された本を改題して文庫化したもの。

明治・大正・昭和初期に刊行された「兵営事情案内・軍隊教科書」「手紙例文集」「式辞・挨拶模範」などのマニュアル本を丹念に読み解いている。そこから見えてくるのは、軍隊や戦争に関する人々の意識のあり方である。

これらの軍隊「マニュアル」は現代のものと同様、安価で誰でも買える、一冊だけを見ればありきたりとしか言いようのない本である。おそらくそのためか、これまでの歴史学研究の中で積極的にとりあげられることもなかった。

そうした本を数多く収集・分析して歴史学の研究に役立てた目の付け所が、非常に冴えていると思う。そこには、単なる建前でも本音でもない人々の心情が滲んでいたのだ。

一般の兵士でも現役服役中は結婚できない。だから家事上妻帯を要する場合には、なるべく入営前に正式な婚姻をしておかねばならない。なぜなら万一戦死した場合、国家から支給される扶助料の受給資格が内縁の妻にはないからである。
陸軍の兵士観は、『歩兵操典』の文言を見ただけでは決して知りえない。「捕虜になるくらいなら死ね」などとは、そのどこにも書いていないからである。
各「マニュアル」は戦争、徴兵制軍隊の存在を人々に納得させて受け入れさせる説得¢葡uの役割を果たしていたのである。

公的な文書や書物からだけでは見えてこない軍隊の実際の姿が、マニュアルという通俗的な本を通じて浮かび上がってくる。非常に視点の鮮やかな一冊だ。

2021年4月30日、朝日文庫、740円。

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2022年05月10日

公益財団法人日本生態系協会『にほんのいきもの暦』


2009年にアノニマ・スタジオから刊行された単行本の文庫化。

立春から大寒に至る二十四節気それぞれの特徴と動植物の様子を、カラー写真入りで紹介している。

身も凍るような寒さの中、二十四節気では春を迎えます。(…)中国から伝わった陰陽五行説には、寒さが極まり底をつけば、それから後は暖かくなっていくという考え方があります。そこから、一番寒いときに春が生まれるとされたのです。

これまで漠然と旧暦と新暦のずれによって立春が寒い時期に来るのだと思っていたのだが、そうではなかった。昔も今も立春は寒い時期に来るのである。「暦の上では春ですが」と思うのは暦の問題ではなく、昔と今の季節感(季節をどのように区分けするか)の変化の問題なのであった。

四十雀(しじゅうから) 体重は十五グラム程ですが、1年に食べる虫は10万匹を超えるといわれています。
日本では、螢といえば清流を思いうかべる人が多いかもしれませんが、その多くは森や草はらでくらしています。
鳳蝶(あげはちょう) 幼虫が、天敵の攻撃や厳しい気象条件、食べものの奪い合いなど、さまざまな困難を乗り越えて無事に蝶の姿となれる確率は、わずか一、二%です。
(常緑樹は)何年も同じ葉をつけているわけではなく、落ち葉そのものの量は、落葉樹とくらべてほとんど変わりません。古い葉が落ちる前にちゃんと次の葉が生えているので、一年中青い葉をつけているのです。

こうして読んでみると、身近な自然についても知らないことがたくさんあることに気が付く。

2016年12月25日、角川文庫、960円。

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2022年05月04日

木村聡『さしすせその仕事』

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副題は「本物の調味料を作る本物の人」。

「週刊金曜日」2007年5月18日号から2008年9月26日号の連載を一冊にまとめたもの。

味噌、塩、みりん、酢、ソース、砂糖、ケチャップ、醤油など、各種の調味料を作る現場を訪れて取材したドキュメンタリー。

「調味料は主役ではなく、あくまで脇役です」
調味料の役どころを示す控えめで、謙虚な物言いだが、しかし裏側に「主役が映えるのは調味料があってこそだゾ」という職人の自負を感じてならない。
もともとみりんは甘い酒として広まっていた。家庭で調味料として使われ出すのは戦後になってからと新しい。
加工用トマトは赤系に分類され、ピンク系の生食用のトマトより色が鮮やか。ケチャップの濃い赤色とは、まさにこの加工用トマトの完熟色にほかならない。
醤油製造会社は大正時代には全国で約一万二〇〇〇社、戦後でも六〇〇〇社以上あったという。味噌ほど多彩ではないが、地方ごとに個性豊かな醤油蔵と味が存在した。しかし、その数は年々減り続け、現在は一六〇〇社ほど。

手間と時間をかけて作られる調味料の持つ豊かな味わい。こうした背景を知ると、値段が高くても良い調味料を使ってみようという気持ちになる。

2009年5月1日、株式会社金曜日、1800円。

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2022年05月02日

ペーター・ヴォールレーベン『後悔するイヌ、嘘をつくニワトリ』


本田雅也訳。
副題は「動物たちは何を考えているのか?」

2018年に早川書房より刊行された単行本『動物たちの内なる生活―森林管理官が聴いた野生の声』を改題・文庫化したもの。

リス、ニワトリ、ミツバチ、ノロジカ、ウマ、クマムシなど様々な動物たちについてのエッセイ41篇が収められている。

人間は「目の動物」で、視覚に頼って狩りをする。だから人間に獲物として狙われる動物は、その視界から消えることを目指すことになる。
大人のウサギの寿命は平均して二年半だけれども、序列の違いが寿命の差と連動していることが確認されたのだ。いちばん下位のウサギは、性成熟に入ったあと数週間もしないうちに死ぬ。
では、ヨーロッパアマツバメは? 彼らは止まり木になど、決して止まらないのである。必要以上は一秒たりとも、地面や巣にとどまっていない。眠くなれば、飛びながら寝る。

著者の一貫した興味・関心は、動物にも感情や心があるのかという問題だ。これは現代の科学ではまだ証明できない点も多いのだが、著者は動物たちにも人間と同じ感情や心があると固く信じている。

人間はおもに感情によって動かされているのだから、目の前の相手の感情の動きをとらえてるためのアンテナを私たちだって備えているはずだ。そして、その相手が人間ではなく動物だというだけで、そのアンテナが機能しなくなるわけがあるだろうか?

本書の原題は「Das seelenleben der Tiere」(動物たちの魂の生活)なので、単行本『動物たちの内なる生活』の方が直訳に近い。しかもベストセラーになった「Das geheime Leben der Bäume」(樹木たちの知られざる生活)の続篇だということがわかりやすい。
https://matsutanka.seesaa.net/article/485621898.html

どうして改題したのだろう?

2021年7月15日、ハヤカワノンフィクション文庫、900円。

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2022年04月28日

甲斐みのり『地元パン手帖』

グラフィック社
発売日 : 2016-02-05

全国各地のご当地パンを紹介した本。

全国規模の大手のメーカーではなく、その町その町の業者が作っている地元のパン。味も形も包装も昭和っぽくて懐かしい感じがする。

昭和50年代から郡山市内のパン屋がつくりはじめるようになったクリームボックス。
新潟ではバタークリームを塗ったコッペパンをサンドパンと呼び複数の店が製造。
石川県の多くのパン屋でつくられるホワイトサンド。
高知県内のほとんどの製パン会社がつくるぼうしパン。

など、地域色満載。

京都伏見の納屋町商店街にある「ササキパン本店」も紹介されていて、早速パンを買いに行ってきた。以前から古いお店だとは思っていたけれど、大正10年の創業なのだとか。

お菓子好きが高じて地元パン採集をはじめ、地元パンを愛するゆえに、パンのよき友である、牛乳やコーヒーまでにも食指が動くように。好き≠ェするする広がって、慕わしい味が増えていく。

著者の地元パンへの愛情がたっぷり詰まっていて、豊富な写真を眺めているだけでも楽しい一冊だ。

2016年2月25日第1刷、2016年6月15日第5刷。
グラフィック社、1500円。

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2022年04月26日

太田匡彦、北上田剛、鈴木彩子『岐路に立つ「動物園大国」』


1882(明治15)年に日本で初めての動物園が上野に誕生して、今年で140年。動物園は大きな曲がり角を迎えている。

当り前のように町に動物園があって、珍しい動物が見られた時代はもう終った。ワシントン条約による輸入制限や余剰動物の取り扱い、希少動物の種の保存、動物福祉の向上、生息域の環境保全など、動物園は様々な問題を抱えている。

ライオンは繁殖が容易で、一度に3頭前後を産む。「赤ちゃん」のうちは人気があるから増やす動物園は多いが、成長すると近親交配や闘争のリスクが出てくる。
ちなみにウェイティングリストができるアシカは、メスに限る。なぜなら、体が大きいオスはショーに使うには危険で、水族館側はオスを望まないためだ。だからオスは、やはり余剰になりやすい。
そもそも動物園から別の場所へと移動させられること自体が、動物にとって負担になる側面もある。動物園動物の診療に携わる獣医師は、「種の保存のためには動物の移動は避けられないが、移動によって健康を損なうリスクがある」と明かす。

つい先日、神戸から岩手へ移送する途中にキリンが死亡したという事故のニュースが流れたばかり。
http://kobe-ojizoo.jp/info/detail/?id=512

今、動物園は存在意義を問われ始めている。それは、動物園の側だけでなく、市民であり観客である私たちの側にも突き付けられた問題なのだ。

2022年3月20日、現代書館、1800円。

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2022年04月25日

『北海道のトリセツ』


副題は「地図で読み解く初耳秘話」。

道路地図や旅行ガイドブックで知られる昭文社が刊行する「トリセツシリーズ」の1冊。2019年9月に刊行が始まり、2022年1月の『高知のトリセツ』で47都道府県すべて揃ったとのこと。

このところ、北海道に関する興味・関心が私の中で強くなっている。写真や地図が豊富で、「地理」「鉄道」「歴史」「産業」「文化」と話題の幅も広く、知らない話がたくさん載っていた。

また北海道に行きたくなってきたな。

2020年11月15日1刷、2021年8月1日3刷発行。
昭文社、1400円。

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2022年04月24日

井堂雅夫『平成版浮世絵 京都百景』


絵師として長年にわたって活躍した井堂雅夫(1945-2016)の多色刷り木版画の作品集。「清水寺」「三千院」「鴨川」「伏見稲荷大社」「金閣寺」「天橋立」など、京都を舞台にした100の風景が描かれている。

木版画は絵師と彫師と摺師の共同作業。その伝統を守るべく、井堂はギャラリーに併設する形で版元・歡榮堂を立ち上げた。

多色刷り木版画の伝統を継承していく観点からも、木版の世界に生きる職人が、将来にわたってより良い展望を持てるようにすることが必要と考えた井堂は、歡榮堂が平成の版元として、その役割を果たす象徴的な仕事に「京都百景」を位置づけた。

100点の作品にはすべて彫師と摺師の名前が明記され、「21版24度刷り」など版木の数や刷りの回数も記されている。多くの手によって一つの作品が生み出されることがよくわかる。

作品に添えられた短い文によれば、井堂は見たままの風景を描いているだけではない。

この作品に描いた桜の木は実際にはないが、急に桜を描きたい衝動に駆られた。(直指庵)
私は、手前の何もなかった空間に赤い寒椿を活けたくなった。(宝泉院)
木版画の下絵を描く段になって、雪景色の二条城にしようと思い立った。(二条城)

以前、川瀬巴水の展覧会を見た時にも感じたことだが、様々なアレンジが絵には施されており、晴れの景色が雪景色になることもある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/483817956.html

これは、「写実」の短歌にも当てはまる話だろう。

2009年5月20日、京都新聞出版センター、1800円。

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2022年04月22日

花崎皋平『静かな大地』


副題は「松浦武四郎とアイヌ民族」。

1988年に岩波書店より刊行され、1993年に岩波の同時代ライブラリー版が出た本の文庫化。

幕末から明治にかけての探検家(地理学者・民俗学者・文筆家・画家)として、計6回にわたる蝦夷地の調査を行い、北海道・樺太に関する数多くの記録を残した松浦武四郎。

彼の『初航蝦夷日誌』『竹四郎廻浦日誌』『再航蝦夷日誌』『丁巳日誌』『戊午日誌』『近世蝦夷人物誌』などを読み解き、その足跡をたどるとともに、北海道の地理やアイヌ民族の歴史についての考察を深めている。

武四郎の記録は、各戸の戸主名から始まり、家族の名、年齢、続柄が列記される。ほとんど各戸毎に、誰々は「雇に下げられたり」とか「雇いに取られ」とか「浜へ下げられ」とある。
松浦武四郎自身が、せめても一人一人の名と年齢を記録にのこし、その苦しみや悲しみを後世に伝えようという思いであったろうことを、その厖大な日誌を読みつづけてきて、私はほとんど確信する。

武四郎は各地で松前藩の役人や商人によるアイヌ民族に対する横暴や抑圧を目の当たりにする。集落の働き手は漁場や遠隔地に駆り出され、若い女性は妾にされ、老人や子どもだけが残される。そのため病気になる者や結婚できない男女が増え、人口が大幅に減り続けているのであった。

この本は過去のそうした歴史を単に記しているだけではない。アイヌ民族の置かれた状況を記録して幕府や明治政府に伝えた武四郎の姿勢から、社会問題への取り組み方や歴史の見方を学んでいる。さらにそれを自らの実践へつなげていこうとするところに、一番の特色があるように思った。

2008年2月15日第1刷、2019年1月25日第2刷。
岩波現代文庫、1320円。

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2022年04月19日

近藤康太郎『三行で撃つ』


副題は「〈善く、生きる〉ための文章塾」。

朝日新聞の記者&ライターで、農業や狩猟もやっている著者が記した文章の書き方指南。

新聞の連載やコラム、著書『アロハで猟師、はじめました』『おいしい資本主義』など、この人の文章はとにかくおもしろい。そして、奥が深い。その文章術が余すことなく述べられている。

https://matsutanka.seesaa.net/article/475827441.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/476124710.html

読者は、あなたに興味がない。
読者にとって、あなたの書こうとするテーマは、どうでもいい。
冷厳な現実だ。しかしこの現実を認めるところからしか、始まらない。
結論は書き始める前には自分にも分かっていない。そこが、文章を書くことの急所だ。
企画とは、自分自身を知る作業だ。(…)自分で自分の考えていたことに驚く。また、自分で自分を驚かせられないことに、他人である読者が驚くわけがない。
文章を書く人が、本やCD、ライブのチケットにカネを惜しむようになったらおしまいです。音楽で得たカネは、音楽に返す。文学で稼いだら、文学に返す。

文章を書くことの厳しさと楽しさ、そして生活のあり方や生き方にまで話は及ぶ。どの言葉にも、30年以上文章を書いて生きてきた人ならではの説得力がある。

「常套句をなくせ」「感情を文章で説明してはならない」「陳述の力とはなにか。それは究極につづめて言うならば「てにをは」の力なのだ」「スリリングと書かないで、読み手に映画のスリルを伝える」など、短歌の世界に当て嵌まる話もたくさん出てくる。

近藤康太郎、やっぱり面白い。
そう言えば、名前も佐藤佐太郎に似ている!

2020年12月15日初版、2021年11月25日第5刷。
CCCメディアハウス、1500円。

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2022年04月15日

村瀬信也『将棋記者が迫る棋士の勝負哲学』


2019年から「幻冬舎plus」に連載された「朝日新聞記者の将棋の日々」をもとに、書き下ろしを加えて再構成した一冊。早稲田大学将棋部出身で新聞社で将棋を担当する著者が、21名の棋士を取り上げている。

藤井聡太、渡辺明、羽生善治、佐藤康光、森内俊之、谷川浩司、木村一基、藤井猛、先崎学、深浦康市、久保利明、山崎隆之、豊島将之、永瀬拓也、佐藤天彦、広瀬卓人、斎藤慎太郎、佐々木勇気、里見香奈、米長邦雄、加藤一二三。

近年、将棋の中継では将棋ソフトが「評価値」によって形勢判断を示すし、各棋士の強さも対戦結果をもとに日々レーティングで示されている。
https://shogidb.com/shogiDb/
https://shogidb.com/shogiDb/rating/0/0/

もともと勝ち負けの明確な世界であり、しかも現在では数字が示す世界にもなっているわけだ。それでも(それゆえに)棋士の人となりや性格、人生などのドラマについての関心が薄れることはない。

「観る将」の中には、将棋を見ている人もいれば、人間を見ている人もいる。それを完全に分けることなどできないし、どちらも大切なものなのだ。

2022年1月25日、幻冬舎、1500円。

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2022年04月14日

三浦英之『南三陸日記』


2012年に朝日新聞社より刊行された単行本に「再訪 二〇一八年秋」を加えて文庫化したもの。

東日本大震災発生直後から約一年間、宮城県南三陸町に住み、毎週1回新聞に連載したコラム+写真など計54篇を収めている。

いずれも被災地の人々の暮らしや心情、そして人生が見えてくる内容だ。

被災地では、土砂にまみれた時計の多くが地震の起きた午後二時四十六分ではなく、午後三時二〇分前後で止まっている。津波が押し寄せた時間だ。
被災地の駐在記者をしていて、うれしいことは、地域の人に名前で呼ばれることである。最初は大抵、「記者さん」と呼ばれる。それが次第に「朝日さん」になり、やがて「三浦さん」へと変わっていく。職業も会社名も関係ない。人と人のつきあいになる。
歌津地区の千葉光一さん(八九)の母親の名前は「なみ」だった。一八九六年の明治三陸津波のとき、妊娠中だった祖母のくらさんは、隣の浜まで流された。家に戻ると、くらさんの母と子二人が亡くなっていた。一家は悲しみの中、半年後に生まれた娘に「なみ」と名付けた。

以前、著者の書いた『五色の虹 満洲建国大学卒業生たちの戦後』に感銘を受けたことがある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/451019705.html

その後も多くの本を出されているので、さらに読んでいきたい。

2019年2月25日、集英社文庫、550円。

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2022年04月13日

山前譲編『文豪たちの妙な話』



副題は「ミステリーアンソロジー」。

文豪の書いたミステリー(っぽい話)を集めたアンソロジー。夏目漱石、森鷗外、芥川龍之介、梶井基次郎、佐藤春夫、谷崎潤一郎、久米正雄、太宰治、横光利一、正宗白鳥の計10篇が収められている。

最後の正宗白鳥「人を殺したが…」(185ページ分)以外は、どれも30ページ未満の短篇ばかり。

別に探偵や刑事が出てきたり、殺人が起きたりしなくても、十分にミステリーになる。登場人物の心理描写を突き詰めていけば、すべての話はミステリーになるのかもしれない。

大塚英志は『文学国語入門』の中で、明治の東京で必要となったツールとして、「言文一致体」「告白」「観察」という3つの手法を挙げている。それはミステリーにも当て嵌まるものだ。

そうした意味で、ミステリーとは近代のものであり、都会のものと言っていいのだろう。

2022年2月20日、河出文庫、890円。

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2022年04月09日

小泉武夫『北海道を味わう』


副題は「四季折々の「食の王国」」。
北海道の食べものの魅力を四季に分けて紹介した一冊。

著者は北海道農政部アドバイザーとして15年間北海道の農産物のPRに努め、大学を定年退職後は、石狩の研究施設や札幌のマンションと東京を行き来する生活を送っている。

取り上げられるのは、ホッキガイ、ベニズワイガニ、フキノトウ、ギョウジャニンニク、シマエビ、トウモロコシ、ニンジン、メロン、ホッケ、キンキ、タラ、ワカサギ、などなど。

江戸時代には冷凍技術などなかったので、ニシンを乾燥させて身欠ニシンをつくり、それを江差から北前船で京都に運んでいた。そのとき、江差にあった豪商の横山家に伝わるニシン蕎麦のレシピも一緒に伝わっていったというのである。
北海道では、国策で明治時代から綿羊の飼育が盛んとなり、大正時代に入ると国産羊毛自給を目指して「綿羊百万頭計画」が立案され、札幌の月寒や滝川などに種羊場がつくられた。そのような背景があって、やがて食肉用の飼育も盛んになり、次第に羊肉を食べる土地柄になっていったのである。

食べものの味の説明も詳しく、テレビの食レポなどをはるかに凌駕している。例えば、ニシンの刺身についてはこんな感じだ。

口に入れた瞬間、ヤマワサビの快香が鼻から抜けてきて、口の中ではニシンの刺身のポッテリとしたやさしく柔らかい身が歯に応えてホクリ、トロリとし、そこからまろやかなうま味と耽美な甘み、そして脂肪からのペナペナとしたコクなどがジュルジュルと湧き出してくる。それをヤマワサビのツンツンと醤油のうまじょっぱみが囃し立てるものだから、たちまちにして私の大脳皮質の味覚受容器は充満するのであった。

特に、オノマトペが多く使われているのが目に付く。数ページ見ただけでも、「クリクリ」「ムッチリ」「プチュプチュ」「ガツガツ」「プチンプチン」「カチンカチン」「ガブリ」「スルリ」「ピョロロン」「ムシャムシャ」「トロトロ」と、実に多彩である。

2022年3月25日、中公新書、900円。

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2022年04月03日

稲垣栄洋『生き物の死にざま』


副題は「はかない命の物語」。

2020年に草思社から刊行された単行本の文庫化で、前作『生き物の死にざま』の続篇になる。

ツキノワグマ、ウナギ、ホタル、ウスバキトンボ、カタツムリなど27種の生き物についてのエッセイが収められている。

メスが戻ってきても、オスが死んでしまっていることもある。/オスが待ちわびても、旅の途中で生き倒れたメスが戻ってこないこともある。もし、メスが戻ってこなければ、オスとヒナは、餓えて死ぬしかない。(コウテイペンギン)
「子どもを育てる」ということは、強い生物にだけ与えられた特権である。/哺乳類や、鳥類が子どもを育てるのは、親が子どもを守ることができる強さを持っているということなのである。(カバキコマチグモ)
百獣の王であるライオンの子どもたちは、どうして死んでしまうのだろうか。/その一番の原因は「餓え」である。/弱肉強食とはいっても肉食獣は、簡単に草食獣を捕らえられるわけではない。(チーター)
セミの幼虫が土の中に潜ってから、あたりの風景が一変してしまうこともある。木々が切られてなくなってしまうこともある。土がコンクリートで埋められてしまうこともある。/やっとの思いで土の中から出てきても、羽化するための木が見つからないこともあるのだ。(セミ)

それぞれ、命について、生きること死ぬことについて、考えさせられる内容だ。ただ、前作に比べるとやや教訓的な匂いが強まっている。生物の話としてだけでも十分に面白いので、あまり人生訓に寄り過ぎない方がよいと思うのだけれど。

2022年2月8日、草思社文庫、750円。

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2022年03月17日

長谷川櫂『俳句と人間』


「図書」2019年10月〜2021年10月に連載された文章をまとめたエッセイ集。

皮膚癌が見つかった話から始まって、正岡子規、夏目漱石、生と死、漢字と概念、東日本大震災、芭蕉、言葉と虚構、ダンテ、忠臣蔵、空海、死後の世界、平家物語、万葉集、天皇制、新型コロナウイルス、大岡信、三島由紀夫、ギリシア神話、丸谷才一と、縦横無尽に話が展開する。

「国のために生きる」という明治の国家主義が、やがて「国のために死ぬ」という昭和の国粋主義に変質してゆく
心という言葉、身体という言葉があるからこそ人間は心と体を分けて認識する。心が体を離れてさまようことも想像できる。現実にはない虚構(フィクション)を生み出す言葉の力によって、人間は心と体を別のものとしてとらえることができるのだ。
『おくのほそ道』は単なる旅の記録、紀行文ではない。芭蕉の心の遍歴を旅に託して書いたのが『おくのほそ道』なのだ。その遍歴を経てつかんだのが「かるみ」という人生観だった。

テンポがよく、歯切れがよく、読みやすい。同意する部分と疑問に思う部分の両方があるが、著者の考えや主張が明快に伝わってくるところがいい。

2022年1月20日、岩波新書、860円。

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2022年03月13日

『沖縄島料理』


監修・写真:岡本尚文、文:たまきまさみ
副題は「食と暮らしの記録と記憶」

沖縄の料理店42軒を取り上げ、多数の写真をまじえて紹介した本。10軒についての詳しいインタビューをはじめ、沖縄の文化や暮らしに関するコラムや料理店マップも載っている。

インタビューに登場するのは、「琉球料理 美榮」「本家新垣菓子店」「首里そば」「長堂豆腐店」、ジャズ喫茶「ROSE ROOM」「食事の店 崎山」「ジャッキーステーキハウス」、タコス店「café OCEAN」「中国料理 孔雀樓」、ハンバーガー店「GODIES」。

宮廷料理や伝統的な料理からアメリカ由来の料理まで、沖縄の歴史を感じさせるラインナップとなっている。食を通じて沖縄の姿が浮かび上がってくるところがいい。

2021年10月17日、トゥーヴァージンズ、1900円。

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2022年03月11日

『蓬莱島余談』のつづき

この本に収録されている船旅は1939年から1940年にかけてのもの。太平洋戦争は始まっていないが、既に日中戦争や第二次世界大戦は始まっている。そのため、ところどころに戦争の気配が漂う。

この頃は独逸語系の猶太人が沢山東洋に流れ込んで来て、郵船の船だけでも既に何千人とか運んだそうである。

これはナチスによるユダヤ人迫害から逃れてきた人々のことだろう。

支配人は私共のテーブルの上を見て、お飲物はお一人につき麦酒又はサイダーのどちらか一本ずつと云う事になっている。こちら様へは既に麦酒二本とサイダーが来ている。もうこれ以上は差上げられないと云った。

物資の不足も始まっていて、百閧フ好きなビールも既に手に入りにくくなっていたのだ。

そして、戦争は船そのものにも大きな影響を与える。百閧ヘ大和丸、富士丸、八幡丸、新田丸、氷川丸などに乗っているが、どの船もその数年後には戦争で沈む運命にあった。

郵船のNYKを一字ずつ頭文字にする三隻の豪華姉妹船が出来る事になった。Nは新田丸、Yは八幡丸、Kは春日丸、いずれも一万七千噸級で、郵船ラインの欧洲サーヴィスに就航させる。

例えば、この新田丸について見てみよう。百閧ヘ1940年4月の新造披露航海に乗船し、各界の名士を招いた船上座談会に参加している。

けれども、第二次世界大戦の影響により、新田丸が欧州航路に就航することはなかった。1941年9月に日本海軍に徴用され輸送船となり、太平洋戦争開戦後の1942年8月には航空母艦に改造され「冲鷹」(ちゅうよう)と改名された。そして、1943年12月に敵潜水艦の攻撃により沈没したのである。

竣工から3年あまりの短い命であった。他の船も、みな同じような経緯をたどっている。こうして、戦前の「船の黄金時代」(川本三郎の解説)は終わりを迎えたのだ。

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2022年03月06日

渡邉格『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』


副題は「タルマーリー発、新しい働き方と暮らし」。
2013年に講談社から刊行された単行本の文庫化。

著者の渡邉格(いたる)さんと麻里子(まりこ)さん夫妻が営む「タルマーリ―」(千葉県いすみ市→岡山県真庭市→鳥取県智頭町)は、天然酵母と自家製粉した国産小麦によるパン作りを行っている。

本書には、店を立ち上げるまでの経緯やパン作りについての話だけでなく、現代の資本主義に対する違和感や新たな経済のあり方をめぐる考察も記されている。そこが多くの人の共感を呼んでいる点だろう。

グローバル経済といえば聞こえがいいが、国境を超えてカネ儲けのためにカネをつぎこむ投機マネーが、市井の人びとの仕事を、人生を、狂わせていく。そのおかしさは、僕が「食」の世界で見ている矛盾と、分かちがたくつながっているように感じた。
「腐らない」食べものが、「食」の値段を下げ、「職」をも安くする。さらに、「安い食」は「食」の安全の犠牲のうえに、「使用価値」を偽装して、「食」のつくり手から技術や尊厳をも奪っていく。

パン作りに欠かせない発酵や菌に関する話も面白い。

今も、問題に直面したときは、ただひたすら「菌」の声に耳を傾ける。この場所に棲む「菌」の声をただじっと聴く。「菌」たちはとても小さく、声も小さければ、口数も少ない。「菌」たちが微かに発するわずかな声は、感覚を研ぎ済まさなければ聴こえてこない。
毎日、「天然菌」とかかわりながら働いていると、なんとも不思議な感覚になってくる。自然の大きさや奥の深さに圧倒され、とても人間の力なんて及ばないと痛感させられる一方で、自然とつながって生きている喜びのような安心感のような気持ちが、胸に湧き上がってくるのだ。

日々の食べ物であるパンを通じて、経済や社会のあり方、さらには私たちの生き方まで考えさせられる一冊になっている。

2017年3月16日第1刷、2021年8月20日第7刷発行。
講談社+α文庫、790円。

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2022年03月03日

岩下明裕『世界はボーダーフル』


「ブックレット・ボーダーズ」No.6。

ボーダースタディーズ(境界研究・国境学)の第一人者で国境地域研究センターの副理事長も務める著者が、世界各地のボーダーについて記した本。

日本の国境、アメリカとメキシコの国境、ヨーロッパや中東の国境(ドーバー海峡トンネル、ベルファスト、ベルリン、パレスチナ自治区)、中国とロシアの国境、中国と中央アジア諸国との国境など、各地の現場に実際に足を運んだ経験をレポートしている。

境界は変わり、国のかたちは流転する。「固有の」という表現などそもそも土地に当てはまらない。例えば、いまのポーランドはポーランドではなく、かつてのドイツはいまのドイツではない。
国境の暗いイメージを変えたい。対馬・釜山、与那国・花蓮、稚内・サハリンで会議を開催した経験を思い出す。実際に国境を越えてみると発見に満ちている。国境と境界地域の面白さを観光でアピールしたらどうだろうか。こうして始まったのがボーダーツーリズムだった。

世界がボーダーフルであることを前提に、「その敷居を低くし、隣人同士が快適に暮らせるような道筋をつけていく」のが著者の目標である。その実現はまた少し遠ざかってしまったようだけれど。

2019年7月25日、NPO国境地域研究センター、900円。

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2022年03月01日

橋本倫史『市場界隈』


副題は「那覇市第一牧志公設市場界隈の人々」。

2019年6月から建て替え工事が行われ、2022年4月には新市場がオープンする予定の牧志公設市場。その建て替え前の姿を記録するべく、市場内外の30店舗に取材したノンフィクション。

戦後の闇市から始まった市場の歴史や、沖縄の戦後史、さらには沖縄の食文化や暮らしの姿が浮かび上がってくる。

沖縄の人にとって、山羊は食べ慣れた食材の一つだ。公設市場にも山羊肉店が五、六軒あったが、この十年で次々と閉店してしまって、現在では「上原山羊肉店」だけが残る。山羊を飼う人が少なくなり、山羊肉が高級品になってしまったことが原因だという。
沖縄県は一世帯あたりの鰹節消費量が断トツの一位だ。二〇一六年の調査によれば、全国平均が年間二七六グラムであるのに対して、沖縄はその六・四倍の一七六八グラムである。

古い泡盛を収蔵する博物館&酒屋を営む「バザー屋」を紹介する中で著者は、

今目の前にあるものは、そこにあることが当たり前過ぎて、いつのまにか消え去ってしまう。でも、同時代の人達から変人扱いされる人の手で、時代は記録されてゆく。

と書いている。とても大切な指摘だと思う。これは、名著『ドライブイン探訪』や本書を記した著者自身の姿勢でもあるのだろう。
https://matsutanka.seesaa.net/article/465212751.html

2019年5月25日、本の雑誌社、1850円。

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2022年02月24日

酒井順子『鉄道無常』


副題は「内田百閧ニ宮脇俊三を読む」。

鉄道紀行文の二大巨頭とも言うべき二人を取り上げて、その人生や文章の魅力を解き明かしている。

「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」 内田百
「鉄道の『時刻表』にも、愛読者がいる」 宮脇俊三

鉄道紀行ファンなら誰もが知っているこの二つの文から、本書はスタートする。

変化を好まない百閧ニ、変化を受け入れ、味わう宮脇。それは、生まれた時代の違いと言うこともできよう。百閧ェ生きたのは、戦争を挟んでいたものの、鉄道が勢いを持ち、その路線を延伸していた時代だった。(…)対して宮脇は、鉄道斜陽の時代を見ている。
百閧ノとっても、宮脇にとっても、鉄道こそがエネルギーの源だった。そんな鉄道に乗っている時に、酒が進み、食が進むのは当然だったのだろう。(…)百閧煖{脇も、酒を生涯の友とした。鉄道に乗ることが叶わなくなった後も、二人は酩酊の中に、列車の揺れを感じていたのであろう。

二人の先達に対する愛情と敬意が随所に感じられて、読んでいて何だか嬉しくなる。

鉄道好きはターミナル駅に対して、特別な思いを抱くものである。ローカル線の端っこの駅にある素朴な車止めであっても、大きなターミナル駅における頭端式ホームの車止めであっても、そこで途切れる線路からは、「もうおしまい」という寂しさと、「ここからスタート」という希望とが感じられるのだ。
鉄道は、自動車のように好きな時間に出発して、好きな道を進むわけにはいかない。線路とダイヤグラムによって二重に拘束される運命にあるが、鉄道好き達はその拘束の中でどのように自分の意思を貫くかを考えるところに、悦びを感じるのだ。

作者も大の鉄道ファンだけに、こうしたファン心理の分析にも鋭いものがある。

2021年5月28日、角川書店、1500円。

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2022年02月19日

佐藤信之『JR北海道の危機』


副題は「日本からローカル線が消える日」。

先日、映画「日高線と生きる」を見た流れで購入した本。国鉄時代まで歴史を遡り、現在のJR北海道の置かれている状況の厳しさを分析している。

主な原因は、バブル崩壊後の超低金利政策によって分割民営化時に設けられた「経営安定化基金」の運用益が減少したこと、高速道路網が整備されて鉄道の利用者が減ったこと、高齢化・過疎化が進み札幌への人口集中が進んだことの3点だ。

札幌市の北海道全体の人口に占める比率は一九七〇年の一九・五%から二〇一〇年の三四・八%まで一貫して上昇している。

どれも構造的な問題であって簡単な解決策は見つからない。しかも、JR北海道の話だけではなく、全国に共通する問題でもある。先日もJR西日本が路線維持の難しいローカル線の収支を公表するというニュースが流れていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa884a91531d6a88e0cc0e60e3e10e7904b0e8fb

もっとも、JR北海道がずっと低迷状態だったわけではない。1987年の発足から2000年代にかけて、良い時期もあったのだ。

JR発足後の一五年間は、JR北海道も長距離列車の高速化や札幌圏の輸送力増強など、積極的に設備投資が行われた。

私が北海道に住んでいたのは1996年から97年にかけてのこと。まだ、北海道の鉄道に元気のあった時代だったわけである。

2017年10月16日、イースト新書、907円。

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2022年02月15日

ペーター・ヴォールレーベン『樹木たちの知られざる生活』


副題は「森林管理官が聴いた森の声」。
長年ドイツで森林管理官を務めている著者が、木の生態の不思議を描いたエッセイ37篇を収めている。

木が「会話する」「助け合う」「子育てする」「数をかぞえる」「移動する」など、一見、えっ?と思うような話が次々と出てくるが、どれも最新の科学と長年の観察を踏まえた内容だ。

一本のブナは五年ごとに少なくとも三万の実を落とす。立っている場所の光の量にもよるが、樹齢八〇年から一五〇年で繁殖できるようになる。寿命を四〇〇年とした場合、その木は少なくとも六〇回ほど受精し、一八〇万個の実をつける計算だ。そのうち成熟して木に育つのはたった一本。
大雨のときに一本の成木が集める水の量は一〇〇〇リットルを超えることもあると言われている。木は自分の根元に水を集めやすい形になっている。そうやって、乾期に備えて水を地中に蓄えておくのだ。
街中の木は、森を離れて身寄りを失った木だ。多くは道路沿いに立つ、まさに“ストリートチルドレン”といえる。(…)根がある程度広がったら、大きな壁に突き当たる。道路や歩道の下の土壌は、アスファルトを敷くために公園などよりもはるかに強く固められているからだ。
木は歩けない。誰もが知っていることだ。それなのに移動する必要はある。では、歩かずに移動するにはどうしたらいいのだろうか? その答えは世代交代にある。どの木も、苗の時代に根を張った場所に一生居座りつづけなければならない。しかし繁殖をし、生れたばかりの赤ん坊、つまり種子の期間だけ、樹木は移動できるのだ。

ドイツで100万部を超えるベストセラーになっただけあって、とにかく面白い。科学に基づきながらも、科学を超えた生命の謎や神秘に触れている。

2018年11月15日発行、2021年9月15日11刷。
ハヤカワノンフィクション文庫、700円。

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2022年02月09日

辻原登・永田和宏・長谷川櫂著『歌仙はすごい』


副題は「言葉がひらく「座」の世界」。

作歌の辻原登、歌人の永田和宏、俳人の長谷川櫂の3人が巻いた歌仙と座談会、計8篇が収められている。「葦舟の巻」(大津)、「隅田川の巻」(深川)、「器量くらべの巻」(鎌倉)、「御遷宮の巻」(横浜)、「鬼やらひの巻」(同)、「五郎丸の巻」(鎌倉)、「短夜の雨の巻」(秋田)、「葦舟かへらずの巻」(江ノ島)。

575の長句と77の短句を繰り返し、計36句の連句で一巻とする歌仙。その魅力やコツについては、捌き手である長谷川の言葉が参考になる。

一句一句視点を自在に変えられる。多面体になる、というところが連句の面白いところかな。
あえて数量的に、前句と付け句の距離がゼロから十まであるとしたら、ゼロから六まではダメだと思います。七以上じゃなきゃいけない。十一でもいいときもある。

読んでいると、ハッとさせられる付け方が随所に現れる。

樏(かんじき)を背負ひて山は八合目(永田)
御蔵(おぞう)の中に古(こ)フィルム捜す(辻原)
オークションの案内届くエアメール(永田)
木槌にさめる春のうたたね(長谷川)
宇宙から眺める地球水の星(長谷川)
一瞬のいなづま我が家を照らす(辻原)

短歌との関係で言えば、「575」「77」という韻律は同じだが、私性に関しては正反対と言っていい。再び長谷川の言葉を引こう。

もちろん誰でも年齢、性別、職業、信条をもつ特定の個人「私」である。しかし歌仙の連衆はその「私」を忘れ、付句が求める別の人物にならなければならない。
日本人がヨーロッパから学んだ近代文学が「私」に固執する文学であるなら、連衆が「私」を捨てて別の人になりきる歌仙はその対極にある文学ということになるだろう。

そもそも明治時代に和歌が短歌にリニューアルされたのは、ヨーロッパから近代文学が入ってきた影響であった。歌仙と比べてみることで、特定の個人「私」を根拠とする短歌の特徴が浮き彫りになる気がする。

2019年1月25日、中公新書、880円。

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2022年02月06日

鹿野政直・香内信子編『与謝野晶子評論集』


与謝野晶子の評論27篇を収めた本。
30歳代から40歳代、大正時代に書かれた論が中心となっている。

晶子の評論は抜群にいい。短歌よりも良いかもしれない。
実に精力的に論を書いていて、毎年のように評論集を出している。

婦人問題や男女平等の話だけでなく、政治や社会、国際情勢など、非常に幅広く論じている。大正デモクラシーの時代でもあり、民主主義についての話も多く出てくる。100年経った今でも十分に通じる内容ばかりだと思う。

(それだけ、100年経っても社会や世界が変っていないということでもあるのだけれど)

1985年8月16日第1刷、2018年8月17日第14刷。
岩波文庫、810円。

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2022年02月02日

樋口明雄『田舎暮らし毒本』


東京から山梨県北杜市に移住して20年になる著者が、田舎暮らしで出会った様々な困難について記した本。これから移住を考えている人に参考になる内容だ。

「毒本」とあるので、田舎の閉鎖性や陰湿な人間関係などの暗い話が書かれているのかと思ったら、そうではなかった。「ログハウス」「薪ストーブ」「狩猟問題」「電気柵問題」「水問題」といった話が中心である。

何しろ20年にわたって自ら田舎暮らしを続けている著者であるから、どちらかと言えば肯定的な内容であり、困難をどう乗り越えたかの実践例となっている。もちろん相当な覚悟は必要であるが、決して田舎暮らしに否定的な本ではない。

田舎暮らしにスローライフなんて存在しない!(…)田舎暮らしはとにかく多忙だ。朝から晩まで汗水流して働きづめである。
田舎暮らしの基本のひとつ。それはとにかく何でも自分でやるということ。都会にいて、たとえば蛇口から水が出なくなったり、トイレが壊れたり、家電製品が故障したりすれば、業者を呼ぶ。(…)ところが――田舎では違う。

新しい土地で出会う想定外の事態にどう対応するか。様々なトラブルを毒にするか薬にするか。そんな覚悟を問い掛けてくる一冊である。

2021年9月30日、光文社新書、900円。

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2022年01月27日

鯨統一郎『金閣寺は燃えているか?』


「文豪たちの怪しい宴」シリーズ第2弾。

前作に続いてバー「スリーバレー」を舞台に、バーテンダーのミサキと、大学教授の曽根原、客の宮田の3人が文学談議を交わす。

取り上げられるのは、川端康成『雪国』、田山花袋『蒲団』、梶井基次郎『檸檬』、三島由紀夫『金閣寺』の4篇。

どれも面白く読めるのだが、前作に比べるとちょっと軽い気もする。シリーズものの難しさだろう。

それにしても、いわゆる文豪の小説はこんなふうに「読者が読んでいること」を前提に話が進められるのがいい。(実際に読んでいるかどうかは別にして)

今ではもうそんな前提が通用する作品はなくなってしまった。(作品の質の話ではなく)

2021年11月21日、創元推理文庫、680円。

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2022年01月25日

小林信彦『おかしな男 渥美清』


映画「男はつらいよ」シリーズで有名な渥美清との個人的な付き合いや思い出を記した一冊。

1961年夏の出会いから始まって1996年に渥美が亡くなるまでが描かれているが、特に1969年の映画「男はつらいよ」に至るまでの若き日の姿が印象的だ。

渥美清には当時から他人を寄せつけない雰囲気があった。言いかえれば、〈近寄りがたい男〉である。
渥美清は自分の仕事、とくに現在進行形のものについては口が堅かった。他人を信じていなかったからである。
「狂気のない奴は駄目だ」
渥美清は言いきった。
「それと孤立だな。孤立してるのはつらいから、つい徒党や政治に走る。孤立してるのが大事なんだよ」

お互いに独身でアパートの部屋に呼ばれる間柄であっても、渥美はけっして心を開くことはない。田所康雄―渥美清―車寅次郎は、同じ人物でありつつそれぞれ違うレベルの人間なのである。

「男はつらいよ」に関しても、いくつか大事な指摘がある。舞台となった柴又は東京の下町と言うよりも〈はるかに遠い世界〉であったことや、シリーズの最初の4作がわずか半年間のうちに封切られていることなど。どちらも、言われなければ気づかない点だと思う。

初期の寅次郎の迫力は、どこかで素の渥美清、または田所康雄がまざってしまうところにあり、決して〈ご存じの寅さん〉ではなかった。

全478ページにわたって、渥美清に対する深い愛情が滲んでいる。また、著者の記憶力の良さも特筆すべきものだと思う。

2016年7月10日第1刷、2020年3月10日第4刷発行。
ちくま文庫、950円。

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2022年01月23日

鯨統一郎『文豪たちの怪しい宴』


歴史談義シリーズで知られる著者が、新たに始めた文学談議シリーズの第1弾。

バー「スリーバレー」を舞台に、バーテンダー「ミサキ」と大学教授の「曽根原」、客の「宮田」の間で文学作品についての話が繰り広げられる。

扱われるのは、夏目漱石『こころ』、太宰治『走れメロス』、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』、芥川龍之介『藪の中』と、有名な作品ばかり。それを意外な観点から読み解いていく。

「そして読者の読みかたが時には作者さえ意識していなかった作品の真実を探り当てることもあると思っています」
「作者さえ意識していなかった……」
「そうです。作者は何者かに導かれるように書いてしまっていたことを読者が見つける。興奮しませんか?」

こんな感じ。短歌の読みにも似たところがあるかもしれない。

2019年12月13日、創元推理文庫、720円。

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2022年01月12日

松葉登美『過疎再生 奇跡を起こすまちづくり』


副題は「人口400人の石見銀山に若者たちが移住する理由」。

(株)石見銀山生活文化研究所所長で服飾ブランド「群言堂」のデザイナーを務める著者が、島根県大田市大森町での暮らしや町づくりについて記した本。

大森町が重要伝統的建造物群保存地区に指定されたり(1987年)、石見銀山が世界遺産に選定されたり(2007年)する前から、実に40年にわたって夫とともに大森町に店を構え、古民家の改装や移築などを続けてきた方である。

お客さまは、どんなに不便な場所でも、必ずお見えになる。不便だからこそ、その価値が高まることもある。石見銀山に店をおくことが、ブランディングになると考えたのです。
地方は「スモール」「スロー」「シンプル」。小さい世界だから、やったことの答えが見えやすいし、反応がつかみやすい。都会ほど経済的に追われないから、長いスパンで物事を考えていけるし、情報もあふれるほどではないから、自分たちに必要なものが見極めやすいですよね。
足元の宝というけれど、いちばんの足元は自分自身。自分の中の可能性に目覚めて、自分がどう生きたいのか、どうありたいのか、そういうことを一人一人深めていけば、地域の創造力につながると思いますね。
私は「家の声を聴く」「土地の声を聴く」ってよく言いますが、もちろん自分の声はあるけれど、そればかりを中心におくと偏ってしまうので、自分の声は消しておいて、家や土地の声を聴くようにすると、新しいことが発見できたり、聴こえてきたりするんです。

試行錯誤を続けながら実績を残してきた人だけに、一つ一つの言葉に説得力がある。大森町には以前一度行ったことがあるが、また訪れてみたくなった。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138541.html

2021年10月11日、小学館、1500円。

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2022年01月11日

なるほど知図帳編集部編『日本の遺構』


副題は「地図から消えた歴史の爪痕」。

全国各地の廃村や幻の町、産業遺産、遺跡などを紹介した本。取り上げられているのは、鴻之舞金山(北海道)、大滝宿(福島)、八丈小島(東京)、安濃津(三重)、大川村(高知)、軍艦島(長崎)、アクアポリス(沖縄)など。

書かれている内容が古いと思ったら、2007年発売の『まっぷる選書D〈なるほど知図BOOK〉歴史の足跡をたどる 日本遺稿の旅』に一部加筆修正して刊行されたものなのであった。

アメリカ軍にとって、第二次世界大戦後は文字通りの「戦後」ではなかった。1950(昭和25)年に朝鮮戦争が勃発、1965(昭和40)年にはアメリカがベトナムに本格介入を開始。平和な日本とは裏腹に、アメリカ軍は休む間もなく戦いを続けた。

「米軍府中基地」に関する記述だが、言われてみればその通り。日本とアメリカとで、戦後の意味はかなり違っているのだろう。一度、戦争ごとの死者数などを調べてみよう。

2021年8月15日、昭文社、900円。

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