2023年03月02日

『波止場日記』のつづき

印象に残った文章の続き。

知識人は人間の操作に熱中する。ソヴィエト・ロシアの卓越したインテリゲンチャは、自然を手馴づけ支配するために巨大な計画を実施するが、この計画を人間を手馴づけ統制する手段として利用する。知識人は人々を放っておこうとはしない。
今朝思ったのだが、私がくつろげるのは波止場にいるときだけだ。私はこれまでどこに行ってもアウトサイダーと感じていた。波止場では強い帰属感を持つ。もちろん、ここに根がおりるほど長くとどまっているのも一つの理由である。しかし、ここでは一日目からくつろいでいたように思う。
二億のアメリカ人は、ほとんどがヨーロッパの余計者や落伍者の子孫なのに、アメリカで、この惑星上で、もっとも重要な物質力を創り出したことが、私には奇跡に思える。(…)アメリカで起った先例のないできごとは、大衆に起ったものである。歴史上大衆が自分の力だけで何ができるかを示す機会を持ったことはなかったのである。
自由という大気に中にあって多くを達成する能力の欠けている人々は権力を渇望する。
絶対的な権力はその所有者を、神のごときものにではなく神に反するものに変えてしまう。神は粘土を人間に作り変えたが、絶対的な暴君は人間を粘土に変えるからである。

日記の記述はだいたい、その日の仕事のことから始まる。「第二十六埠頭、ドイツ船ドルトハイム号、九時間」「第十九埠頭、オランダ船ロンボック号、八時間」など。

「第四十埠頭、ハコネサン丸、八時間」とあるのは、日本船「箱根山丸」だろう。1954年に竣工した大阪商船三井船舶の定期貨物船だ。
https://ameblo.jp/italymaru/entry-12654562563.html

沖仲士としての肉体労働と読書や著述。ホッファーにはそれが心身の良いバランスを生んでいたようである。

2014年9月10日第1刷、2020年1月10日第4刷。
みすず書房、3600円。

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2023年03月01日

エリック・ホッファー『波止場日記』


副題は「労働と思索」。
1971年に刊行された『波止場日記』(新装版は2002年)をもとに新たに編集したもの。

沖仲士(港湾労働者)として働きながら思索と著述を続けた「波止場の哲学者」エリック・ホッファー(1902‐1983)が、1958年6月1日から翌年5月21日まで付けていた日記。

主な内容は、日々の仕事のことや政治や社会についての考察、知り合いの妻子との付き合いなど。東西冷戦下のソ連に対する嫌悪や官僚などの知識人に対する批判がしばしば出てくる。その一方で、移民の国であるアメリカの大衆に対しては強い信頼を置く。

無知は極端に走りがちである。これはおそらくあたっているだろう。自分の知らないことについての意見はどうもバランスのとれた穏健なものではなさそうだ。
ある社会の活力を判断するには維持能力をみるのがもっともよい。どんな社会でもなにかの建設のためにしばらくのあいだ活気づくことがある。しかし毎日よく手入れする意欲と技術はまれにしかみられない。
うんざりした日になるのは、きまって仕事のせいではなく、ときどき仕事に伴って生ずる不愉快なことのためである。性急さ、争論、あつれきなどで、疲労し、また気落ちするのである。五分間口論するよりも五時間働いた方がいい。
私が満足するのに必要なものはごくわずかである。一日二回のおいしい食事、タバコ、私の関心をひく本、少々の著述を毎日。これが、私にとっては生活のすべてである。
偶然というものがなかったら、人生はどんなに味気ないものになるだろう。祈りや希望は皆偶然を求めているのである。現実にどこかに向っているとの感をわれわれに与えるのは、ほとんどの場合、時機を得た偶然のできごとである。私の知るかぎりでは、人生は偶然の十字路であるがゆえにすばらしい。

引用したい箇所が他にもたくさんある。
続きは、また次回に。

2014年9月10日第1刷、2020年1月10日第4刷。
みすず書房、3600円。

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2023年02月25日

平田オリザ『名著入門』


副題は「日本近代文学50選」。

明治以降の50人の文学者の50冊の本を取り上げて書いた代日本文学史。朝日新聞に連載された「古典百名山」を元に加筆修正し、さらに第七章「文学は続く」を書き下ろしで追加している。

西洋文学の大きな影響のもと、小説、詩歌、戯曲それぞれのジャンルにおいて、日本語でいかに近代の社会や人間を描くかという苦闘が繰り広げられた。その軌跡が鮮やかに描かれている。

近代社会は個の時代であり、個が自我を持つ時代だということは頭では分かっていたはずの鷗外や北村透谷といったインテリたちは、一葉の文章に衝撃を受けた。そうなのだ。文学が描かなければならないのは、このような人間の内面なのだ。しかもそれを風景描写や人間の行動を通じて描くのだ。悲しい気持ちを「悲しい」と書くのではなく、状況の描写で描くのだ。/樋口一葉『たけくらべ』
そもそも彼がロシア語を学んだのは文学のためではなかった。当時の、極めて平均的な愛国者であった青年長谷川辰之助は、陸軍士官学校を受験するも近眼のために三度、不合格となり、それならばと対露防衛のためにロシア語を学ぼうと決意したのだ。/二葉亭四迷『浮雲』
明治維新から四十数年、四民平等、努力すれば出世できる世の中、身分を超えた恋愛など社会は大きく変化した。そしてやっと言葉はそこに追いついた。漱石たちが発明した文体で私たち日本人は、一つの言葉で政治を語り、裁判を行い大学の授業を受け、喧嘩をしラブレターを書くことができるようになった。/夏目漱石『坊っちゃん』
一九三〇年代中盤以降、多くの作家は戦争とどう向き合うのかを皆問われた。ある者は立ち向かい、ある者は転向し、またある者は最初から無邪気に国粋主義を賛美した。しかし、ここに、その向き合い方を半ば宿命づけられた一群がある。当時の植民地に生まれ育った者たちだ。/中島敦『山月記』

一冊あたり4ページという分量ながら、示唆に富む話が多く、自我、文体、国家、戦争など様々なことを考えさせられる。

ちなみに短歌からは、与謝野晶子『みだれ髪』、石川啄木『一握の砂』、若山牧水『若山牧水歌集』の3冊が選ばれている。

2022年12月30日、朝日新書、850円。

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2023年02月21日

竹内早希子『巨大おけを絶やすな!』


副題は「日本の食文化を未来へつなぐ」。

かつては酒や醤油の醸造に広く使われていた巨大な木桶も、今では需要が減り桶を作る職人が絶えようとしている。それを何とか継承しようと小豆島のヤマロク醤油が2012年に始めた「木桶職人復活プロジェクト」を描いた本。
https://www.s-shoyu.com/kioke

いま、日本で生産されている醤油のうち、木桶でつくられている醤油の割合はどのくらいだと思いますか?答えは、たったの一パーセント。九九パーセントの醤油は、ステンレス製、あるいはFRP(強化繊維入りプラスチック)やコンクリート、ホーローなどのタンクでつくられています。
蔵独特の微生物は、古くから木桶で醤油や味噌をつくってきた醸造蔵にとってなくてはならない宝物で、その微生物がすみつく木桶も大切な財産です。
現在、国内に残っている木桶は四五〇〇〜四七〇〇本あるといわれていますが、そのうち一一〇〇本が小豆島に集中しています。

高さや長径が2メートルもある大桶を作るには、樹齢100年以上の杉と長さ15メートル以上の真竹が必要になる。単に桶作りの技術を伝えるだけでは継承できないのだ。

もともとは、たが屋というたがを専門につくる職人がいました。しかし、桶がつくられなくなって、たが屋も成り立たなくなり、一九九六年、日本で最後のたが職人が廃業し、いなくなってしまいました。
一〇〇年以上前の人が、後の世代のことを考えて苗木を植え、山の手入れをするところから、木桶づくりは始まっています。

多くの人々が長い時間をかけて生み出してきた「木桶」の文化。それを失うことは、私たちの生活や歴史の一部を失うことでもある。そうした問題に深く気付かせてくれる内容であった。

2023年1月20日、岩波ジュニア新書、860円。

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2023年02月18日

藤井青銅『東洋一の本』


著者は子どもの頃から地元にある秋芳洞は「東洋一の鍾乳洞」だと教わって育ったのだが、ある日、別の鍾乳洞も「東洋一」を名乗っていることを知る。そこから「東洋一」をめぐる調査と考察が始まった。

そもそも、東洋の範囲はどこまでか。東洋一は誰がどのように決めるのか。調べるほどに謎が多く、はっきりした定義のない世界に迷い込んでいく。東洋一には「といわれる物件」が多いとの指摘が鋭い。

自らは宣言していないものの、「東洋一といわれる」と他から称された形をとるもの。東洋一の中では最大のジャンルとなっているようだ。ただし、いったい誰に「いわれた」のかハッキリしないのが特徴。もうほとんど民間伝承のようになているものもある。

こんなふうに文章も軽快で面白くクスクス笑いながら読めるのだが、その奥は深い。「東洋一」には、日本の近現代史が色濃く関わっていたのである。

かつて「東洋」という言葉には威厳があった。ロマンがあった。カッコよかったんだと思う。カッコいいから、大正〜戦前にかけて、企業、団体などに「東洋」の名前をつけることが流行した。

そう言えば、子どもの頃は「広島東洋カープ」と言っていた。1920年創業の東洋コルク工業が1927年に東洋工業に改称し、1983年にマツダになったのであった。なるほど。

日本は、世界の中では「西洋」というコンプレックスに悩み、東洋の内部においては「中国」というコンプレックスに悩み、なのに「東洋の代表者」という立場で、西洋に対峙しようとした。(…)おそらく、「東洋一」とは、こうした環境の中から生まれてきた言葉なのだ。

身近な疑問から出発して、さまざまな調査を重ね、納得のいく結論に到達する。民俗学や社会学の本と言ってもいいのかもしれない。

2005年5月20日、小学館、1300円。

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2023年02月16日

山折哲雄『歌の精神史』


日本の歌が叙情や生命力を失いつつあるという危機意識に立って、歌謡曲、演歌、短歌、浪花節、平家物語、釈教歌、和讃、今様、瞽女唄、童謡など、さまざまな「歌」について考察した本。

取り上げられるのは、美空ひばり、尾崎豊、小野十三郎、折口信夫、俵万智、春野百合子、小林秀雄、古賀政男、阿久悠、西行、石川啄木、道元、親鸞、小林ハル、西條八十、北原白秋など。

むしろ現代の短歌こそ、じつは通俗と大衆趣味のなかに低迷しているのではないか。短歌の叙情とは似ても似つかぬ、たんなる乾いた言葉の断片と化しているような歌なら、いくらでも拾うことができる。
短歌的叙情の否定、とりわけて叙情的なものへの敵意、伝統的なリズムへの引きつるようなアレルギー……、それが現代短歌がその上を歩もうとしている乾燥し切った舗道の地盤を支えている観念の共鳴版である。

こうした現代短歌に対する批判は、かなり独断的な内容ではあるけれど、考えてみる必要のある問題だろう。もちろん、17年前の本なのでさらに状況は変化していると思う。

中世は聴覚の時代だったのである。そういえば、わが国においても十三世紀の親鸞は「聞法」ということを強調していた。(…)近代に近づくにつれて、聴覚の世界にたそがれが訪れる。疑い深い眼差しに彩られた視覚の時代がしだいに浮上してくるからだ。
これは道元の場合にかぎらないのだが、出家僧が詠んだ歌の領域を「釈教歌」の枠組にとじこめ、それを手すさびの余技と位置づけ、そのことで、歌のリズムやイメージがもつ生命の明らかな形を見失ってきたのではないかということだ。
そもそも日本の歌謡や芸能は、琵琶や筝曲の歴史をみてもわかる通り、盲人抜きには語れない。

本書の一番の魅力は、このように時代やジャンルを超えて縦横無尽に「歌」を捉えているところだろう。短歌について考える時にも、こうした広い視点は大切だと思う

2006年8月10日、中公叢書、1500円。

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2023年02月15日

山本命『松浦武四郎入門 改訂版』


昨年、松浦武四郎記念館に行った時に購入した本。
著者は記念館の館長。

幕末の探検家であり、また多方面で才能を発揮した松浦武四郎(1818‐1888)の生涯と功績を、わかりやすくまとめている。これ一冊で一通りのことがわかるようになっていてありがたい。

武四郎は、常に野帳(のちょう)と呼ばれるフィールドノートと矢立(筆記具)を持ち歩き、旅先で見聞したことをメモやスケッチにして、のちに書物にまとめました。探検家であると同時に、ルポライター、編集者、出版社でもあったのです。

記念館で野帳の実物を見たけれど、本当にすごい。横長の小型の帳面にびっしりと動植物や風景などがスケッチされていた。

一五歳の頃には、鈴を愛した松阪の国学者本居宣長が集めた鈴の絵を、松阪屈指の豪商長谷川家で見せてもらい丁寧に模写したり、気に入った骨董品を見つけては買い集めていった。

こうしたところに、当時の松阪の発展ぶりや文化レベルの高さをうかがうことができる。

武四郎は数多くの和歌を残したことでも知られている。68歳で大台ヶ原に登った時に詠んだ歌について、こんなふうに書かれている。

優婆塞(うばそく)もひじりもいまだ分け入らぬ深山の奥に我は来にけり

紀伊半島の霊場には役行者(役小角)が開いた大峰山、弘法大師(空海)が開いた高野山がある。「優婆塞」とは役行者、「ひじり」とは弘法大師のこと。「二人が訪れたことのない深い山の奥に私は来ている。大台ヶ原を開山するのはこの私だ」という意気込みが感じられ、武四郎の探検家精神は老いてなお衰えていないことがわかる。

武四郎の和歌については、今後何かの形できちんと取り組んでみたいと思う。

2018年3月1日初版第1刷、2022年4月24日改訂版第1刷。
月兎舎、1200円。

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2023年02月08日

司馬遼太郎『街道をゆく24 近江散歩、奈良散歩』


1984年に朝日新聞社から出た単行本の文庫版。

このところ、司馬遼太郎をしみじみとした気分で読んでいる。近江と奈良の話なので、行ったことのある場所が多い。奈良散歩では最初の方に前川佐美雄が出てくる。

前川さんは、血圧をあげるためか、わずかに酒を飲む。戦後ほどもなく、歌集『紅梅』が出た。そこに「晩酌は五勺ほどにて世の歎きはやわが身より消えむとぞする」という歌があって、薬として飲んでおられたような気配がある。

他に印象に残ったところをいくつか。

大阪の船場のことばは京ことばを真似ぞこなって出来たものだと私は思っているが、実際には近江の丁寧言葉が元祖であったかもしれない。船場の中核的な商家の多くは近江系だったし、江戸・明治期は近江から丁稚を採用した。
近江は明治維新まではゆたかな先進地帯だったが、明治後、滋賀県という名に変ってからはさほどの近代産業をもたず、下流の京阪神に人材を提供するだけの県になった。
東大寺が建立された奈良時代では、仏教は生者のみのものだった。このため、東大寺ではなお創建以来の精神が息づいていて、葬儀というものはやらない。
死者に戒名をつけるなどという奇習がはじまったのはほんの近世になってからである。インド仏教にも中国仏教にもそんな形式も思想もない。江戸期になって一般化したが、おそらく寺院経営のためのもので、仏教とは無縁のものといっていい。

最近、テレビでも「ブラタモリ」などの街歩きの番組が増えているけれど、「街道をゆく」はその元祖みたいなものだったのだろう。

2009年1月30日、朝日文庫、800円。

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2023年02月04日

倉片俊輔『京都 近現代建築ものがたり』


京都に現存する13の代表的な近現代建築を取り上げて解説した本。

・京都国立博物館明治古都館(片山東熊)
・京都文化博物館別館(辰野金吾)
・本願寺伝道院(伊東忠太)
・京都府立図書館(武田五一)
・東華菜館本店(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ)
・ウェスティン都ホテル京都(村野藤吾)
・京都タワービル(山田守)
・国立京都国際会館(大谷幸夫)
・京都信用金庫(菊竹清訓)
・TIME'S(安藤忠雄)
・京都駅ビル(原広司)
・ロームシアター京都(前川國男)
・京都京セラ美術館(前田健二郎)

最後の2つは、元の建築だけでなく、近年行われた大規模な改修についても言及している。

「近現代」を実感するのに「建築」は良い手段である。なぜか。実体であるからだ。今につながるものがどの時代に、どのようにできたのか。当時の考え方がどのように違っているのか。それ以前をどう捉えたのか。目に見えて分かる。

なるほど。京都市内に点在する建築物は、そのまま近現代建築史の実物見本にもなっているわけだ。

旧日本銀行京都支店が面しているのは、今も昔も、歩行を中心としたストリートなのである。したがって、構成が左右対称であることはあまり意識されない。(京都文化博物館別館)
ホテルは時代に即した機能を要求される。したがって、建物の更新が必要となる。だが、全面的に休業するのは、経営上も社会信頼上も好ましくない。よって、ある館の営業を続け、別の館を建て替えることが多い。しばしば異なる時代の建物が敷地内に併存しているのは、そのためだ。ホテルにとって、不統一が状態だと言える。(ウェスティン都ホテル京都)
まだ仕上がるように思えてしまうのは、強さが足らないからだ。そこで、物自体で完成した感覚を与える打放しコンクリートが目指された。(TIME'S)

今、朝日新聞の連載「語る 人生の贈りもの」に、ちょうど原広司が出ているところ。こういう偶然も嬉しい。

2021年9月15日、平凡社新書、860円。

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2023年01月29日

池内紀詩集『傀儡師の歌』

DSC00757.JPG


池内紀は私の大学時代の先生だが、詩集を出していたことを最近になって初めて知った。32歳の若さで刊行したもので、ユーモア、言葉遊び、エロ・グロ・ナンセンスに満ちている。

 殺しのバラード

おまえを殺(や)った。
竹蜻蛉の要領で
おまえを削(そ)いだ
ざくろに割った
むしむし嗅いだ
おまえの肉体(にく)を

(以下略)

クリスティアン・モルゲンシュテルンの『絞首台の歌』や夢野久作の『猟奇歌』、『マザー・グース』に通ずるような味わいだ。

1973年9月15日、思潮社、500円。

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2023年01月24日

林えいだい『《写真記録》関門港の女沖仲仕』


副題は「近代北九州の一風景」。

貫始郎の短歌を読んで沖仲仕の仕事のことをもっと知りたいと思って買った本。記録作家である著者が1975年から80年代にかけて撮影した写真と、1983年に刊行した『海峡の女たち―関門港の沖仲仕の社会史』からの文章の抜粋で構成されている。

沖仲仕の花形は、なんといってもスコップや雁爪(がんづめ)で荷をすくい入れる入鍬(いれくわ)であろう。しかし、その陰に隠れて地味ではあるが、針(はりや)の存在を忘れることはできない。作業中に小麦や砂糖の袋が破れれば、すばやく飛びついて穴を繕う。
門司では長らく、「けがと弁当は仲仕持ち」と言われた。人力に頼っていた時代は、事故があってもあるていど軽傷ですんでいた。ところが、日中戦争前後にウインチが導入され、荷役設備が機械化され始めると、死ぬか重傷かどちらかというほど、命取りになりかねないものになった。
夏のダンブル内は「地獄窯」。船内荷役に不慣れで脱水症状を起こし、救急車で病院へ運ばれる者も出る。

沖仲仕の仕事の過酷さだけでなく、仲間同士の助け合いの強さや仕事に対する誇りも描かれている。しかし、港湾設備の機械化が進み、次第に沖仲仕の仕事はなくなっていく。

入港する船の数が減ったのに加え、港湾設備の急速な機械化が、港と沖の仕事に決定的な影響を及ぼしている。昔のように大勢の日雇沖仲仕は必要とされなくなった。職業安定所に日参しても、アブレる日が増えた。
「ああ、もう一度だけでいい、ぶっ倒れるまでバンカーの天狗取りをしたいのう」
一人が大声で叫んだが、その声はむなしく波間に消えた。港は、もう彼女たちを呼んではいないのである。

1988年に新港湾労働法が制定され、門司港の名物であった女沖仲仕は完全に姿を消した。けれども、彼女たちの生きた証は、この本にしっかりと刻まれている。記録することの大切さをあらためて思わされる一冊であった。

2018年3月25日、新評論、2000円。

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2023年01月22日

中央公論新社編『開化の殺人』


副題は「大正文豪ミステリ事始」。

「中央公論」大正7年7月臨時増刊「秘密と開放号」掲載の小説5篇と戯曲2篇、さらに関連する随筆2篇を収めたアンソロジー。

・佐藤春夫「指紋」
・芥川龍之介「開化の殺人」
・里見ク「刑事の家」
・中村吉蔵「肉店」
・久米正雄「別筵」
・田山花衣「Nの水死」
・正宗白鳥「叔母さん」

大正期の小説家が書いたミステリだがどれも面白い。特に「肉店」はゾッとするような迫力があった。

また、北村薫の解説「大正七年 滝田樗陰と作家たち」も素晴らしい。27ページにわたって様々な蘊蓄を傾けていて、一つの作品になっている。

もう一つ、「刑事の家」の登場人物が「ツルゲエネフの散文詩集」を読んでいるのも印象的。啄木にも影響を与えた本だが、当時の人気のほどがうかがえる。

2022年3月25日、中公文庫、840円。

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2023年01月19日

平田オリザ『ともに生きるための演劇』


「学びのきほん」シリーズの1冊。

演劇教育やワークショップを通じて、対話やコミュニケーションの方法を広めている作者が、これからの時代に演劇が果たす役割について記した本。

「多様なままでともに生きる世界」を成り立たせるためには、何よりも「対話」の力が必要です。そのような「対話」の力は、演劇を通してこそ、確実に学ぶことができると私は考えています。
演劇は、「世界を見る解像度を上げる」ことができる。演劇には、日常生活では見えないものを顕在化させる働きがあるのです。
演劇に限らず、「共同体の中で最も弱い人をどう活かすか」ということが、全体のパフォーマンスを上げる秘訣なのです。黒澤明の『七人の侍』でも若くて弱い侍が登場するように、集団のドラマでは必ずその中に弱い人が含まれています。
私は、社会のセーフティーネットとして、自由に参加することや離脱することが可能で、趣味や嗜好によって集まり、離合集散を繰り返しながらゆるやかに発達していくような「関心共同体」を作ることが必要だと考えています。

これらはすべて「演劇」についての話なのだが、おそらく「短歌」や「歌会」や「結社」にも当て嵌まることではないだろうか。

2022年8月30日、NHK出版、670円。

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2023年01月16日

風来堂『カラーでよみがえる軍艦島』


面積0.063㎢という狭さにもかかわらず、最盛期の1959年には人口5259人に達した長崎県の端島(軍艦島)。2015年には「明治の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として、他の諸施設とともに世界遺産に登録されている。

その島の歴史や炭鉱の様子、島民の生活、住宅状況などを、カラー化した写真とともに紹介した本である。

1972(昭和47)年当時、新卒の月給は5〜6万円だったのに対し、軍艦島では月約20万円受け取っており、極めて恵まれた生活をしていたと想像される。
端島病院には外科だけでなく、内科、眼科など一通りの診療科目がそろっていた。歯科だけはなかったが、端島病院とは別のアパート棟に個人歯科医院が営業していた。
軍艦島には、病院から学校、床屋、麻雀店まであらゆる施設が揃っていたが、墓所と火葬施設はなかった。亡くなった人は舟に乗せられ、軍艦島から北に700mほど離れた中ノ島の火葬場で荼毘に付された。

軍艦島には以前に一度、上陸ツアーの船で訪れたことがある。この時は出航したものの、残念ながら波が高く上陸できなかった。
https://matsutanka.seesaa.net/article/422902360.html

この本にも「端島は荒波の影響もあり、年間100日程度しか一般人が立ち入れない」とある。次の機会を楽しみに待ちたい。

2022年5月20日、イースト新書、1000円。

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2023年01月15日

池内紀『昭和の青春 播磨を想う』

著者 : 池内紀
神戸新聞総合出版センター
発売日 : 2020-11-27

姫路市文化国際交流財団が発行する地域季刊誌「BanCul」(播州カルチャー)に掲載された作品18篇を収めた本。

姫路市出身の著者が、取材に基づく実話と創作を織り交ぜた文章を書いている。播州の自然や暮らし、産業、時代の移り変わりなどが巧みに浮かび上がる内容だ。

聞き書きのような体裁の小説とでも言おうか。どこまでが事実でどこからが脚色なのか、はっきりとわからない虚実皮膜の味わいである。

兵庫県福崎町出身の歌人、岸上大作の名前も出てくる。

名前を岸上大作といい、神経質そうな顔に眼鏡をかけていた。啓一が幼いころに極端な恐がりだったと聞くと、声をたてて笑って、自分もそうだったといった。スイボウは「水莽」と書いて中国からきた毒草だと教えてくれた。

そして、著者が高校時代に短歌を詠んでいたことも書かれている。

高校生の私は数学ができず、もっぱら短歌に熱中していた。寺山修司が先鞭をつけ、全国の高校生に短歌や俳句のブームがあった。最初の女性誌が出たころで、文芸欄に姉の名前で投稿して賞金をせしめた。

そうだったんだ、池内先生。

2020年11月16日、神戸新聞総合出版センター、2000円。

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2023年01月13日

細馬宏通『浅草十二階(増補新版)』


副題は「塔の眺めと〈近代〉のまなざし」。

明治・大正期の浅草にあった凌雲閣(通称「十二階」)に関する本。単に歴史的な事実を述べるだけでなく、塔の上からの眺めや塔を見上げる眺めなど、近代のまなざしのあり方やその変遷について深い考察を記している。

凌雲閣からの「望み」は、まさしく二つの「望み」、まなざしと欲望を兼ね備えていた。そしてことばは、所有の欲望を喚起した。
私たちは、あるメディアから次のメディアへと単に発展的に移行しているわけではない。メディアを移行することで、何かを忘れ、何かを失うのである。
パノラマのリアルさは、単に絵が写実的であるがゆえに生まれるのではない。むしろ、見る側が積極的に奥行きを生み出していくがゆえに生まれる。

これは、短歌におけるリアルや写実を考える上でも大事なポイント。読者の能動性や参与を引き出すことが、歌のリアルには欠かせない。

凌雲閣とゆかりの深い啄木に関する話も多く、多くの学びを得ることができた。

2011年9月10日、青土社、2400円。

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2023年01月04日

水上勉『土を喰う日々』


副題は「わが精進十二ヵ月」。

もうずいぶん昔に読んだことのある本だが、このところ料理について考えることが多いので再読した。版を重ねているだけあって、実に味わい深い本だ。

9歳で禅寺に入って精進料理を覚えた著者が、軽井沢の山荘暮らしで作る料理を一月から十二月まで季節を追って紹介している。

何もない台所から絞り出すことが精進だといったが、これは、つまり、いまのように、店頭へゆけば、何もかも揃う時代とちがって、畑と相談してからきめられるものだった。ぼくが、精進料理とは、土を喰うものだと思ったのは、そのせいである。
道元さんという方はユニークな人だと思う。「典座教訓」は、このように身につまされて読まれるのだが、ここで一日に三回あるいは二回はどうしても喰わねばならぬ厄介なぼくらのこの行事、つまり喰うことについての調理の時間は、じつはその人の全生活がかかっている一大事だといわれている気がするのである。
ぼくが毎年、軽井沢で漬ける梅干が、ぼく流のありふれた漬け方にしろ、いまは四つ五つの瓶にたまって、これを眺めていても嬉しいのは、客をよろこばせることもあるけれど、これらのぼくの作品がぼくの死後も生きて、誰かの口に入ることを想像するからである。

読んでいると、時々、読者に向けて語り掛けてくるところがあるのも面白い。

みょうがは、私にとって、夏の野菜としては、勲章をやりたいような存在だが読者はどう思うか。
これが水上流の大根の「照り焼き」だ。いちどやってみたまえ。物事は工夫ひとつだな、ということがわかってくる。

調理風景や料理を撮影したモノクロ写真も随所に差し挟まれている。どれも美味しそうだ。

1982年8月25日発行、2021年10月20日第30刷。
新潮文庫、550円。

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2022年12月29日

司馬遼太郎『街道をゆく9 信州佐久平みち、潟のみちほか』


1976年に「週刊朝日」に連載され、77年に朝日新聞社より刊行され、79年に文庫化された本の新装版。

時に理由はないのだけれど、年末になって「街道をゆく」が読みたくなった。「潟のみち」(新潟県)「播州揖保川・室津みち」(兵庫県)、高野山みち(和歌山県)、信州佐久平みち(長野県)の4篇が収められている。

半世紀近く前に書かれた文章だが、今でも特に引っ掛かりなく素直に読むことができる。ものを見る目が公平で偏りがないからだろう。途中、雑談になったり、同行者の観察をしたりと寄り道も多いのだが、それが味わい深さになっている。

極端にいえば、特に化(か)していることは定着して稲作をしていることであり、特に化していない(化外)ということは、稲作をせずにけものを追ったり、魚介を獲ったりしているということであったにちがいない。
(三木)露風は一貫して象徴詩の立場を持(じ)し、反自然主義や、北海道の修道院の講師になってからは自然の感情からはほど遠い宗教詩なども書いたが、結局はわれわれ素人の胸にのこっているのは、この童謡「赤とんぼ」であるかもしれない。
信州は鎌倉以来、上方圏に属せず、関東圏に属し、交通網もそのようになっている。鎌倉幕府ができると鎌倉へできるだけ早く到着できるように信州の各地で多くの「鎌倉往還」が開鑿された。
空海の教学は後継者によって発展しなかった。発展する余地がないほどに空海が生前完璧なものにしてしまっていたからである。これに対し最澄の後継者たちはちがっていた。(…)この系統から無数の学僧や思想的人物が出、ついに鎌倉仏教という日本化した仏教世界を創造するにいたった。

この本を読んで特に印象に残ったことが2つある。

一つは湿地帯であった土地を排水して広々とした水田に変えた「亀田郷」のこと。私の好きな菓子メーカー「亀田製菓」は、なるほどこの地の生まれであったのか。

もう一つは「播州揖保川・室津みち」の案内役を、歌人の安田章生がしていること。安田は司馬とも画家の須田剋太とも、古い友人なのであった。

2008年10月30日、朝日文庫、700円。

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2022年12月28日

小熊英二『日本という国』


中学生以上を対象とした「よりみちパン!セ」シリーズの1冊。2018年に「決定版」が出ているのだが、今回読んだのは2006年初版のもの。

全体が二部構成になっていて、「明治時代」と「第二次世界大戦後」という二つの時期が取り上げられている。どちらも日本という国のあり方を方向づけた重要な時期であり、日本の現在や今後を考える際にも欠かすことのできない論点を含んでいる。

日本の近代化は、国民全体に西洋文明の教育をゆきわたらせながら、同時に政府や天皇への忠誠心をやしなうという方向で進んでいった。
講和条約と同時に日米安全保障条約を結び、アメリカ占領軍は「駐留軍」とか「在日米軍」と名前を変えただけで、日本にあった米軍基地といっしょに居残ることになった。
日本政府は、アジアの民間からの補償要求には「国家間で解決済み」といいながら、自国民が被害をこうむったシベリア抑留問題では、「国民個人の請求権は放棄していない」と表明したわけだ。

中学生でも理解できる平易な文章で書かれているが、内容は十分に深くて濃い。

2006年3月30日、理論社、1200円。

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2022年12月22日

武田尚子『ミルクと日本人』


副題は「近代社会の「元気の源」」。

日本における牛乳の歴史をたどりつつ、近代社会の成り立ちや、経済と福祉の発展について考察した本。切り口がおもしろい。

日本でミルクが近代以降の産物であるからこそ、ミルクを手がかりに、日本近代の特徴を深く探る醍醐味を味わうことができる。

文明開化とともに牛乳が栄養豊富な飲物として推奨されたこと、少ない資本で参入できる商売として牛乳販売業が起こり、やがてミルクプラントの寡占化が進んでいったこと、都市の住民の間でミルクホールが流行ったことなど、明治・大正期の牛乳の広がりが資料に基づいて描かれていく。

私たちがよく知っている人物も登場する。一人は芥川龍之介であり、もう一人は伊藤左千夫だ。

築地「耕牧舎」は芥川龍之介の生家である。後年、芥川は「僕の父は牛乳屋であり、小さい成功者の一人らしかった」と記している。小さい成功者どころではなく、あっという間に一頭地を抜いた大変な成功者で、牛歩のなかのダークホースのようなものである。
牛乳配達人から独立自営をめざして、見事に実現したのがアララギ派の歌人伊藤左千夫である。(…)四年間で七カ所の搾乳所・販売店に勤め、二十五歳のときに同郷者一名との共同経営であるが独立自営を達成した。

さらに、関東大震災の被災者や栄誉不良の児童に対する牛乳の配給や、戦後の学校給食における脱脂粉乳の提供まで、牛乳をめぐる話は続いていく。

給食で毎日牛乳を飲んだ(飲まされた?)頃のことを懐かしく思い出した。

2017年6月25日、中公新書、880円。

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2022年12月19日

服部文祥『アーバンサバイバル入門』


登山家で猟師でもある著者が、横浜の自宅で行っている自力生活のノウハウを、写真700点・イラスト50点とともに詳しく記した本。

服部文祥は好きな作家の一人で、これまでにも著書を読んできた。

『狩猟サバイバル』
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138731.html
『サバイバル登山家』
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138924.html
『百年前の山を旅する』
https://matsutanka.seesaa.net/article/387139332.html
『ツンドラ・サバイバル』
https://matsutanka.seesaa.net/article/433185162.html
『サバイバル登山入門』
https://matsutanka.seesaa.net/article/465418615.html
『サバイバル家族』
https://matsutanka.seesaa.net/article/479454510.html

衣食住それぞれの分野に関して具体例が示されている。「ニワトリを飼う」「野菜を育てる」「魚をおろす」「ミドリガメを食べる」「刃物を研ぐ」「庭で排便する」「ウッドデッキの設置」「自転車の修理とメンテナンス」といったもの。もちろん、同じようなことが誰にでもできるわけではないが、読むだけで元気になってくる。

自然環境の中を自分の力だけで移動していると、文明の力で広く薄まっていた自分の移動能力が、すっと本来の自分に戻ってくる気がする。自分という生き物の輪郭がはっきりするのである。
命とはお互い食べたり食べられたりしながら、この世に存在しているものにほかならない。食べ物は生き物であり、生き物は食べ物。同時代をいっしょに生きる「命の仲間」である。人間は、一方的に食べるばかりなので、ちょっと実感がないだけだ。
道具が使い手の意志を具現化し、使い手は道具によって自分のできることを増やしていく。そうした「正」の循環が道具と使い手の幸せである。

できるだけお金に頼らずに自力で行うのは、単に理念のためではなく、純粋に楽しいからであり、また生きている実感を味わえるからなのだ。そうした姿勢に共感を覚える。

2017年5月26日、デコ、3000円。

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2022年12月13日

吉田篤弘『なにごともなく、晴天。』


2013年に毎日新聞社より刊行された旧版に書き下ろしを加えた増補版。装幀・装画はクラフト・エヴィング商會。

鉄道の高架下の商店街を舞台に、古道具屋の店番をする主人公と、様々な住人たちが織り成す連作短編集。章題が「食べる。」「眠る。」「考える。」「隠す。」「泣く」など、すべて動詞になっているのが面白い。

私は神も仏も信じないが、ただひとつ、祖母がよく口ずさんでいた「お天道様は見ているから」のお天道様を信じていた。それゆえ、空をめぐるあれこれを憎めない。
この歳になって銭湯に通ってみると、そこは思いがけず賑やかなところで、その賑やかさも、裸になっているせいか、ひとつも嘘がなかった。
おいしいものというのは、たいていの場合、手間ひまがかかっていて、そのうえ、何かしらを思い出させる。昔のことや、遠いところや、ずいぶん会ってないひとや(…)

小説を読むのは久しぶりだったけれど、何だか少し元気になった。

2020年11月20日、平凡社、1800円。

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2022年12月09日

津幡修一・津幡英子『高蔵寺ニュータウン夫婦物語』


副題は「はなこさんへ、「二人からの手紙」」。

2017年公開の映画「人生フルーツ」に登場したつばた夫妻の原点とも言える共著。T章が英子、U章が修一の執筆。孫に宛てた手紙のように、それぞれの人生や40年に及ぶ結婚生活について記している。

母を見ていて、年をとれば頭も体も弱るのがあたり前。それでも自立の意欲を失わないためには、いつでも誰かの役に立つ働きを心がけなければ。「自分一人のためには、人間って、生きられないんだなあ」と、しみじみ思いました。
半田の家は、約千坪あまりの敷地に、酒蔵、精米、樽屋などの酒造りの工房と一緒に、中庭を囲むように建てられていました。子供心に、奥の深い大きな家といった印象でした。
「卒業したら、自由な、個人の建築家として生きてみたい」と、私は決めた。フリー(自由)、プライベート(家族)、アーキテクト(都市計画家)という、その後の人生を決めることになったキーワードが、私の心のなかに育ちはじめた。
「一枚の水田に、一〇倍の里山」という環境認識が、昔の農家には常識としてあった。米をつくる一枚の水田に、薪を採り、炭を焼き、また水田に必要な水を供給してくれる雑木山の里山が一〇倍なければ、そこで生活を続けられない。

ホームメーカー(主婦)として畑作りや食べ物作りに励む英子と、建築家・自由時間評論家として都市計画や執筆活動に励む修一。夫婦の成長がそのまま戦後の日本の成長と重なった時代だったと言っていいだろう。その幸福な姿がここにはある。

1997年12月20日第1刷、2017年11月10日第2刷。
ミネルヴァ書房、2200円。

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2022年11月29日

大下一真『鎌倉 花和尚独語』


読売新聞と「短歌往来」に連載したエッセイ48篇を収めた本。花の寺として知られる鎌倉の瑞泉寺の住職として過ごす日々が、落ち着いた筆致で描かれている。

作者の歌集には草を引いたり枯葉を掃いたりといった歌が多くあるが、エッセイにもそうした場面が出てくる。

草取りの話をしていると、住職みずからそのようなことをなさるのですかと問われることがある。むろん嘘ではない。そもそも禅寺では、畑仕事などを作務(さむ)と呼んで尊び、唐代の禅者百丈和尚は「一日作(な)サザレバ一日食(くら)ハズ」と言われた。勤労なくして食なしという戒めである。

瑞泉寺は1327年創建の古い歴史を持つ。住職としての責任は重い。

寺はタイムカプセルなのだ。必要とする人のために、まずは大切に保存しておく。後に伝える。それが文化のリレーランナーたる住持の最低限のマナーなのだ。そう思って、一日仕事の文書探しを終え、箱のふたをする。

身近な雑学や蘊蓄の話もあって、読んでいて楽しい。

ずいぶんと昔の話だが、何かの必要があって、手元にある草花図鑑で「ヤマイモ」を引こうとした。だが不思議なことに、「ヤマイモ」はない。そんなはずはないと分厚い図鑑をひっくり返しひっくり返して何度も調べ、やっと分かった。「ヤマイモ」ではなく「ヤマノイモ」が正式の名なのだと。

2020年7月2日、冬花社、1700円。

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2022年11月25日

古波蔵保好『料理沖縄物語』


1983年に作品社より刊行され1990年に朝日文庫に入った本を、与那原恵の協力により再刊したもの。

ジャーナリスト・エッセイストの古波蔵保好(こはぐら・ほこう、1910‐2001)が、主に戦前の沖縄の食に関して記したエッセイ集。

「冬至雑炊(とぅうじ・じゅうしい)」「鬼餅(むうちい)」「ぽうぽう」「ゆし豆腐」「スミイカ汁」「らふてえ」「古酒(くうす)」「豚飯(とぅんふぁん)」「山羊(ふぃじゃあ)」など、美味しそうな食べ物がたくさん出てくる。

わたしは、料理本を書くつもりはなかった。料理に託して、沖縄の女たちが描く風俗絵図をお見せしたかったのである。

著者があとがきに書いている通り、戦争で失われてしまったかつての沖縄の暮らしや習慣が、この本の一番のテーマなのかもしれない。

もちろん家庭の惣菜料理では、魚そのものがよく使われたけれど、昔ながらの手料理でわたしを育ててくれた母は、焼き魚とか煮魚など、日本的料理を知らなかったらしく、ぶつ切りにしてお汁に仕立てたり、炒め煮したり、「飛び魚」だと輪切りにしてカラ揚げにするといった調子だった。
沖縄の人たちにとって、家庭菜園の作物は共有みたいなもので、菜園のない近所の人たちが、あたりまえのように、「ごうやあもらいますよ」と入ってきて、欲しいだけ取っていく。取られるほうも、あたりまえのように、ニコニコと、幾つもさしあげる。
あのころの沖縄で飼育されているのは、黒い毛の豚ばかりだった。体毛の白い豚を見たことのないわたしは、豚は黒いものだと思っていたのである。沖縄からよその土地へいって、白豚を見たコドモが、あれも豚だと教えられ、豚のお婆さんですね、と珍しがったそうだ。

読んでいるうちに、沖縄にまた行きたくなってきた。沖縄料理が食べたいな。

2022年5月13日、講談社文庫、660円。

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2022年11月24日

岡本太郎『芸術と青春』


1956年に河出書房から刊行された単行本を再編集して文庫化したもの。「青春回想」「父母を憶う」「女のモラル・性のモラル」の三章構成になっている。

いつもながら、パリに帰ったときの感激は素晴らしい。世界にこんな明快で、優美で、心の奥までしみ入る情緒のあるところはない、この町以外で、どうして人間が人間らしく生活できるのか、とふしぎに思えるくらい、この町のユニークなよさに感動してしまうのである。
華やか好きだった母かの子を中心とした芸術家三人の親子は、確かに世の羨望の的だった。だから私達一家を、人々が非常に恵まれた、睦まじい家庭であったように想像しているのも無理ではないと思うが、しかし実際は、必ずしもそのような表現は当てはまらないのである。
私はお母さん達とか先生とか、若い世代を指導する人達に言いたい。あなた方がこれはやってはいけないことだ、と思われるようなことこそ、大ていの場合、むしろやらなきゃいけないことである。そう思ってみてほしいということです。

岡本太郎の文章は歯切れがよく、読んでいて気分がいい。特に父の一平や母のかの子に関する話は、どれもしみじみとした味わいがあって良かった。

2002年10月15日第1刷、2020年10月10日第11刷。
光文社知恵の森文庫、514円。

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2022年11月22日

朴順梨『離島の本屋ふたたび』


副題は「大きな島と小さな島で本屋の灯りをともす人たち」。
2013年刊行の『離島の本屋』の続篇。
https://matsutanka.seesaa.net/article/482420991.html

連載の場が増えたことで今回は古書店も取り上げられている。また、沖縄本島の話が多く離島色はやや薄めになっている。

登場する島は、沖縄本島、喜界島、宇久島、種子島、佐渡島、伊豆大島、石垣島、屋久島。

私はずっと、なくならないことだけが正解だと思っていた。しかし時代が変われば人の生活も変わり、利用するデバイスも変わってくる。そんな中で私ができるのは、本と本屋に関わったことを「楽しかったし幸せだった」と思えるように、そこにいる人たちを応援し続けていくことなのだろう。
いつでも会える、いつでも行ける。そう思っているうちに人や場所はなくなってしまい、気づいた時に悔やんでももう取り返しはつかない。店は閉店したけれど、会いに行こう。
この取材で沖縄では、新刊本と古書を同じ棚に並べている書店がいくつもあることを知った。他の地域では古書と新刊はしっかり分けて売られていることが一般的なので、興味深く映った。

本屋をめぐる状況は厳しさを増している。そんな中で、この作者のように本屋を応援し、記録する試みは、ますます大事になっていくに違いない。

2020年10月30日、ころから、1600円。

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2022年11月20日

森英介『風天 渥美清のうた』


映画「男はつらいよ」シリーズで知られる渥美清は、「風天」の俳号で俳句を詠んでいた。その作品を探し出し、全容を明らかにしようとした一冊。

芸名渥美清、役名車寅次郎、本名田所康雄、そして俳号風天。語っても語っても語りつくせない渥美清伝説の中で第四の顔、風天の部分だけがすっぽり抜け落ちている。

前半は関係者へのインタビューや取材を通じて全220句を見つけ出すまでの話で、後半は石寒太による全句解説という構成になっている。

印象に残った句を引く。

なんとなくこわい顔して夜食かな
立小便する気も失せる冬木立
ひぐらしは坊さんの生れかわりか
納豆を食パンでくう二DK
たけのこの向う墓あり藪しずか
あと少しなのに本閉じる花冷え
そば食らう歯のない婆(ひと)や夜の駅
乱歩読む窓のガラスに蝸牛
新聞紙通して秋刀魚のうねりかな
雨蛙木々の涙を仰ぎ見る

2008年7月10日第1刷、2018年5月15日第5刷。
大空出版、1714円。

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2022年11月17日

大崎善生『将棋の子』


2001年に講談社より刊行された単行本の文庫化。
第23回講談社ノンフィクション賞受賞作。

日本将棋連盟で働き「将棋世界」の編集長を務めた著者が、プロ棋士養成機関である「奨励会」(新進棋士奨励会)について記した作品。過酷な競争の果てにプロになれず去っていった退会者たちの、その後を描いている。

同じ札幌出身で親しかった成田英二を訪ねて北海道へ行く話を軸に、戦いに敗れた退会者たちの物語が群像劇のように展開する。世代的には羽生善治の前後に当たる者たちの話が多い。

羽生は55勝22敗で6級から初段をかけ抜けた。ということは、奨励会対羽生は22勝55敗、誰かがその55敗を引きうけていることになる。しかも、それは羽生だけに限らず、羽生とそれほど遜色のない勝率でここまで勝ちあがってきた57年組全員に対していえることなのである。つまり、57年組の嵐が吹き荒れる間、奨励会は沈没船や難破船の山となっていたはずなのだ。

1勝の影には必ず1敗があり、勝者の向こうには必ず敗者がいる。プロになれずに去っていく者の方が、人数で言えば圧倒的に多いのだ。そして、その後も人生は続いていく。

2003年5月15日第1刷、2020年10月28日第27刷。
講談社文庫、700円。

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2022年11月13日

二松啓紀『絵はがきの大日本帝国』


1900年の北清事変から1945年の敗戦に至る「大日本帝国」の姿を、390点のカラーの絵葉書とともに解説した本。とても興味深く、資料的な価値も高い。

絵はがきはメディアである。見知らぬ土地の風景を我々に見せてくれる。小さな紙片にはさまざまな情報が凝縮されている。それが古いとなれば、未知なる過去への扉にもなる。

私も『高安国世の手紙』や『樺太を訪れた歌人たち』に、資料として絵葉書を載せている。戦前の出来事や社会風俗を知るためには、絵葉書は必須のアイテムと言っていいだろう。

絵はがきの世界は、購入者が見たい、発行者が見せたい、検閲者が見せてはならないという三要素によって成立してきた。発行者が不特定多数の購入者(読者)を意識し、大量に発行するとマスメディアとしても機能した。

以下、備忘的に印象に残った部分を引く。

当時の京城でブランド力を持つ百貨店は三越だけではない。「三中井」ブランドも強かった。「三中井」は、近江商人の中江家が江戸時代から神崎郡金堂村で営む呉服小物店「中井屋」を起源とし、旅順陥落から間もない一九〇五年一月、朝鮮の大邱に創立した三中井商店が大陸進出の第一歩となる。
第一次世界大戦では日本とロシアは連合国として参戦した。ウラジオストクを中継点にシベリア鉄道を経由して、日本からヨーロッパへ大量の軍需物資が輸送された。かつて日本にとって軍事的脅威だった鉄道が逆に莫大な富をもたらす輸送ルートになった。
和風の住宅街の後方に二七本の煙突が確認できる。上空に噴き上がる黒煙は凄まじい。現代人の感覚からすれば、産業化どころか環境汚染の象徴のように感じるが、当時の感覚は今と異なっていた。(…)戦前日本において黒煙は豊かさを生み出す源泉と見なされた。
「平野丸」は一九〇八(明治四一)年一二月に竣工した貨客船だ。欧州航路に就航し、歌人与謝野晶子が乗船した船としても知られるが、一九一八(大正七)年一〇月四日にドイツ海軍のUボートの攻撃を受けて英国西部ウェールズ沖で撃沈され、二一〇人の犠牲者を出す。
調査団は英国のリットン伯爵(卿)を委員長とし、フランスのクローデル中将、イタリアのアルドロバンディ伯爵、米国のマッコイ陸軍少将、ドイツの植民政策研究家シュネー博士が委員だった。公平を期すため委員五人の人選は日中両国の同意を得ていた。
北日本汽船の「日本海時代来る」は日本海湖水論の視覚化に成功したといえる。大陸を取り囲むように、樺太から北海道、本州、九州へと連なり、稚内、留萌、小樽、函館、酒田、新潟、舞鶴などの都市名を列記する。大陸側にあるソ連の浦鹽斯徳(ウラジオストク)、朝鮮北部の清津、雄基、城津から一直線に敦賀と舞鶴へと航路が延びる。

それにしても、知らない話がたくさん載っている。歴史の奥深さと面白さを体感できる一冊だ。

2018年8月10日、平凡社新書、1400円。

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2022年11月09日

落合博『新聞記者、本屋になる』


長年勤めた新聞社を退職し、浅草・田原町に書店「Readin' Writin' BOOKSTORE」を開業した著者が、新聞記者時代の経験や書店開業に至る経緯、そして開業後のできごとについて記した本。

近年、数を増やしているセレクト系、独立系の個人経営の書店の開業記だ。

芥川賞や直木賞などのニュースに即応して平積み展開する本屋を「FAST MEDIA」、返品できない代わりにロングセラーに軸足を置くうちのような本屋を「SLOW MEDIA」と定義してみる。
1000円の本が売れたとして手元に残るのは200〜300円。本屋だけの稼ぎで暮らしていくのは不可能に近い、というのが開店5年目に入った僕の実感だ。

店では本を売るだけでなく様々なイベントも行っていて、コロナ禍前には年間100回以上も開催していたとのこと。歌人の鈴木晴香さんの短歌教室の話も出てくる。

最初の教室で鈴木さんは「短歌は自分の気持ちは書きません。情景を書きます」と話した。ライティングの個人レッスンで僕も同じようなことを話している。短歌を詠んだことは一度もなかったが、共通点があることを知り、うれしかった。

文章は読みやすいのだが、けっこう癖が強い。オヤジの自慢話的な口調がのぞく部分もあって、好みの分かれる一冊だと思う。

2021年9月30日、光文社新書、940円。

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2022年11月06日

会田誠『性と芸術』

著者 : 会田誠
幻冬舎
発売日 : 2022-07-21

全体が2章構成になっていて、T章の「芸術」と二章の「性」に分かれている。

T章は、物議を醸した絵画作品「犬」シリーズ6作について、その制作過程や動機、芸術をめぐる問題などについて論じたもの。U章は、幻冬舎のPR誌やウェブマガジンに計9回連載された文章で、「性」に関する考察が記されている。

自作や自分について記すのは難しく苦しいものだと思うが、T章U章ともに著者の真摯で率直な姿勢が滲み出ていて良かった。

明治になって西洋から「洋画(油絵)」が入ってきた時、それに対立するものとして、無数の人々によって人工的に作られたのが、「日本画」という概念および文化ジャンルである。明治以前にはその言葉はなかった。
この「岩絵具問題」に限らず、「物質的フェイク/にもかかわらず・だからこそ/(目指せ)精神的本物」というコンセプトは、私の全美術作品に共通する特徴になってゆく。
『犬』の第一の目的は、「日本画維新」であって、「悪」はそのための手段に過ぎなかった。あるいは「エロティシズム」も。どちらも、この作品では主題として全力を傾けて追求されているものではない。
私がたずさわっている仕事は「現代美術」であり、そのことを保証しているのは、私の作ったものに批評性が宿っているからだ。逆に言えば、批評性がなくなったら、その時点で作ったものは「現代美術」の範疇から外れてしまう
芸術とは何か――そもそも「芸術」と「芸術じゃないもの」の線引きは、近年ますます難しくなってきています。「美しいものが芸術」「感動させるものが芸術」といった素朴な定義は、だいたいひい爺さんの時代に終わりました。

「絵画」や「美術」「芸術」についての話であるが、もちろんこうした問題を「短歌」に置き換えて考えることもできるだろう。

2022年7月20日、幻冬舎、1600円。

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2022年10月30日

松葉登美『群言堂の根のある暮らし』


写真:山口規子。
副題は「しあわせな田舎 石見銀山から」。

石見銀山のある島根県大田市大森町で、ファッションや雑貨のブランド「群言堂」や、古民家宿「他郷阿部家」を運営する著者が、土地に根差した暮らしの魅力について記した本。

古い家の修復をしながら、わたしたち夫婦が強く思うようになったのは、「世の中が捨てたものを拾おう」ということでした。都会では経済性や効率性が優先されますが、わたしたちはあえて非効率なことやものを大切にしようと考えました。
手を動かし、手を汚してこそ、わたしのものづくりはできるのだと考えています。机の前でじっと考えているだけでは、決してよいものは生まれません。
一〇〇%でやろうとすると、お客さまも期待をするでしょう。そうすると、期待に応えようとして不自然な部分が出てきたり、しんどくなったり、考えがかたくなったりすると思うのです。
ものづくりというのは、どんなものでも最後には天にゆだねるような部分があります。私自身も、自分がつくる服は、七、八割方の完成度で市場に送り出すという気持ちでやってきました。

作者の周りには、夫の松葉大吉、中国人留学生の姚和平、彫刻家の吉田正純、職人の楫谷稔、藍染め研究家の加藤エイミー、刺繍家の望月真理、染織家の滝沢久仁子など、多くの人たちが集まってくる。

人を惹きつけ、人と人をつなぐ力こそ、作者の一番の持ち味なのかもしれない。

2009年9月1日第1刷、2016年12月26日第4刷。
家の光協会、1524円。

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2022年10月28日

幸徳秋水『二十世紀の怪物 帝国主義』


幸徳秋水(1871‐1911)の最初の著書『二十世紀の怪物 帝国主義』(1901)と、獄中で書かれた絶筆「死刑の前」(1911)を現代語訳したもの。山田博雄訳。

「二十世紀の怪物 帝国主義」は、当時世界的に隆盛を極めていた帝国主義について記したもの。幸徳は帝国主義を「「愛国心」を経とし、「軍国主義(ミリタリズム)」を緯として、織りなされた政策」と分析して、その危険性を示すとともに、人々に社会の変革を訴えている。

日本人の愛国心は、日清戦争に至って史上空前の大爆発を引きおこした。日本人が清国人を侮蔑し、ねたましいと思って見、そして憎悪する様子といったら、まったくなんと形容していいかわからないほどであった。
「帝国主義」とは、すなわち大帝国(グレーターエンパイア)の建設を意味する。大帝国の建設は、そのまま自国の領土の大いなる拡張を意味する。
米国は本当にキューバがスペインから独立と自由を勝ちとる運動のために戦ったのか。それなら、なぜ一方で、あんなに激しくフィリピン人民の自由を束縛するのか。なぜあんなに激しく入りピンの自主独立を侵害するのか。
帝国主義者たちは手に入れることができる新市場の余地が乏しくなったので、世界各国はすでに互いに他国の市場を奪い合う兆しをみせている。

ここに記されている内容は、歴史的に見れば1914年に起きる第1次世界大戦や、1945年の日本の敗戦などを見通したものと言えるだろう。幸徳の先見の明が光る。

「死刑の前」は、大逆事件で罪に問われ39歳で刑死した幸徳が、死を前にして自らの死生観などについて記したもの。全五章が予定されていたが、一章を書いた段階で処刑されたために未完となっている。

死刑! 私にはじつに自然な成り行きである。これでいいのである。かねてからの覚悟があるべきはずである。私にとって死刑は、世の中の人々が思うように、忌まわしいものでも、恐ろしいものでも、何でもない。
私は長寿自体が必ずしも幸福ではなく、幸福は、ただ自己の満足をもって生き死にすることにあると信じていた。もしまた、人生に社会的な価値(ヴァリュー)とも名づけるものがあるとすれば、それは長寿にあるのではなく、その人格と事業が、彼の周囲と後代の人々に及ぼす感化・影響の如何にあると信じていた。今もそのように信じている。

死刑を前にして、驚くべきほどの落ち着きようだと思う。あらためてすごい人物だと感じる。

1911年1月18日に死刑の判決が下り、早くも24日に死刑が執行された。この人を死刑にした国に、私たちは生きているのである。

2015年5月20日、光文社古典新訳文庫、860円。

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2022年10月27日

平田オリザ×藻谷浩介『経済成長なき幸福国家論』


副題は「下り坂ニッポンの生き方」。

劇作家・演出家で『下り坂をそろそろと下る』を書いた平田と、『デフレの正体』『里山資本主義』などの著書のある藻谷との対談集。

国語の近代化、統一は、スピードの違いはあれ、どの近代国家も経てきた道のりです。ただ、国家が成熟した段階になると、今度は生物多様性と一緒でいろいろな価値観を持った人がいたほうが組織は長生きする。(平田)
東京に住んでいる人は職場の沿線に住むんだけれど、地方は車社会なんで、職場から三〇分圏内ならばどこに住んでも同じです。本当に地方では若い世代が住む自治体を選ぶ時代になっています。(平田)
東京は世界最大の町ですが、若者が自分たちの半分の子どもしか残せない町になってしまっているという点で、生物学的に失敗しているのです。(藻谷)
私はよく演劇教育を導入する先生方に「おとなしい子に無理して声を出させないでいいですよ」と言います。おとなしい子は「おとなしい子」っていう役を演じたら一番うまいんです。(平田)
私はこれまで全国で五〇〇〇回以上講演してきたのですが、毎日が「分からない人に分かるように伝えるにはどうするか」を探求する戦いであり、「話というのはいかに伝わらないものか」を痛感する敗北でもありました。(藻谷)

会社も、短歌結社も、自治体も、そして個人も、ただ漫然と続けているだけでは生き残っていけない。明らかにそういう時代になってきている。

それはもちろん大変ではあるのだけれど、一方で、工夫しがいのある、さまざまな可能性のある時代だとも言えるかもしれない。

2017年9月25日、毎日新聞出版、1000円。

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2022年10月24日

國友公司『ルポ路上生活』


路上生活の実態を探るべく、2021年7月23日から2か月間、東京でホームレス生活を体験してみたルポルタージュ。「東京都庁下」「新宿駅西口地下」「上野駅前」「上野公園」「隅田川高架下」「荒川河川敷」の6か所での暮らしが描かれている。

ホームレスと話をするときは「夏と冬どちらが辛いか」と質問をするようにしたのだが、ほぼ全員が「夏のほうが辛い」と答えるのだ。その理由はやはり、「冬はNPOやボランティアが防寒具をくれるから」だ。
共に過ごす相手次第で生活の色は大きく変わる。それは普段いる社会においてもホームレスの世界においても同じである。
――炊き出しを求めて路上生活者たちが長蛇の列を――。
みたいな文言をよく新聞やニュースで目にするが、私が見た限りでは「メニューと場所を見比べて魅力的な炊き出しに食べに行っている」といった状態だ。

何となくホームレスは孤立しているというイメージを持っていたのだが、実際には仲間同士の情報交換や食料の分け合いもあれば、NPOやボランティア団体による炊き出しなどの支援もある。そうした、人と人とのやり取りが本書の多くを占めている。

もちろん、2か月の潜入取材ですべてがわかるはずもなく、こうした手法を批判的に見る人もいるだろう。でも、ホームレス自身の多くは表現手段を持っていないので、彼らの姿を伝えるという意味で貴重な記録だと思った。

2021年12月27日、KADOKAWA、1500円。

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2022年10月20日

アミの会編『おいしい旅 初めて編』


初めて訪れた場所で味わう食べ物を描いた小説のアンソロジー。

「アミの会」は実力派女性作家集団≠ナ、さまざまなアンソロジーを刊行しているようだ。本書では、坂木司、松尾由美、近藤史恵、松村比呂美、篠田真由美、永嶋恵美、図子慧の7名が執筆している。

登場する舞台と食べ物は、「下田のキンメコロッケ」「台湾のパイナップルケーキ」「オランダのニシン、フライドポテト」「糸島の塩むすび」「箱館のコーヒー」「サハリンのシベリア風水餃子」「松山の鯛茶漬け」など。

箱館(函館)とサハリンが入っているのを見て購入。どちらも懐かしい場所だ。

箱館の市電は現在二系統だけが残されていて、東の終点は『湯の川』、西は『どつく前』、途中『十字街』で分岐して、南端『谷地頭』が終着になる。
サハリンはとても風光明媚な場所だった。道端に咲く花も、なだらかな山並みも、曇りがちの空でさえもきれいだった。何より、食べた料理の何もかもがおいしかった。

引用していて気が付いたのだけど、函館の市電の停留場名は「函館どつく前」と、「つ」が大きい。これは、「函館どつく株式会社」という社名の「つ」が大きいかららしい。
http://www.hakodate-dock.co.jp/jp/

1896年創立の古い会社だが、「函館船渠」「函館ドック」という社名を経て、現在の「函館どつく」になったのは1984年のこと。老舗ならではの旧かなっぽさを出しているのだろうか。

2022年7月25日、角川文庫、720円。

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2022年10月19日

成田龍一『大正デモクラシー』


シリーズ日本近現代史C。

大正デモクラシーの概要や評価がよくわかる一冊。「大正デモクラシー」という言葉は大正時代だけでなく、「日露戦争後の一九〇五年ころから、一九三一年九月の「満州事変」前夜までのほぼ四半世紀」を指すのだそうだ。

民本主義の議論は、帝国の根幹にふれるところまでには及んでいない。大日本帝国憲法の壁とともに、帝国意識が大きく立ちはだかっている。そもそも、民本主義の基礎をなす立憲主義の出発点は、「内に立憲主義、外に帝国主義」を唱えるところにあった。
民本主義の歴史的な評価が揺らぐのは、内政的には自由主義を主張しているが、それが国権主義と結びつき、対外的には植民地領有や膨張主義などを容認し、帝国とのきっぱりとした態度がとりにくいためである。

このあたりに、大正デモクラシーを支えた思想である「民本主義」の柔軟性と弱さが潜んでいたのだろう。

孫文は、一九二四年一一月に、神戸で「大亜細亜問題」と題した講演を行い、ヨーロッパの「覇道文化」とアジアの「王道文化」を対比し、日本は双方を有しているとした。そして、孫文は西洋の覇道の「番犬」となるか、東洋の王道の「干城」」となるかを問いつめた。

結果論になるけれど、このあたりに歴史の分岐点があったのかもしれない。もし1945年の敗戦へ至る道とは違う道に進んでいたら、その後の日本は、そして今の日本はどうなっていたのだろうか。

2007年4月20日第1刷、2021年8月16日第17刷。
岩波新書、860円。

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2022年10月13日

うぬまいちろう『日本全国地魚定食紀行』


副題は「ひとり密かに焼きアナゴ、キンメの煮付け、サクラエビのかき揚げ…」。

日本各地の漁港をめぐり、その土地で獲れる魚を使った料理を紹介した紀行文。

登場するのは、羅臼の「黒ハモ丼」、酒田の「ニジバイガイの握り」、銚子の「イワシ塩焼き」、駿河湾の「サクラエビのかきあげ丼」、尾道の「白ハゼの煮付け」、太良の「ワタリガニ」など、計18か所の料理。

ちなみに日本全国津々浦々の漁師町や港町のお寺には、ご本尊様が流れ着いたり網にかかったりするシチュエーションの伝説が多々あるが、流れ着くもの、来るものを拒まない、あっけらかんとした漁師町や港町の気質を感じる話である。
ちなみにマグロといえば、こちこちに凍って真っ白になったもの、もしくはセリにかけられて横たわり、黒光りするものを思い浮かべる方が多いと思うが、実はマグロの本来の背色は濃紺から徐々にグラデーションしていく鮮やかなブルーである。

こういった蘊蓄もたくさん出てきて楽しい。

2021年3月31日、徳間書店、1500円。

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2022年10月09日

稲垣栄洋『世界史を変えた植物』


2018年7月にPHPより刊行された『世界史を大きく動かした植物』を改題し、加筆・修正して文庫化したもの。著者は近年、驚異的なペースで次々と面白い本を出している。

本書は、さまざまな植物が人間とどのように関わり、人の暮らしや歴史を変えてきたのかを解説したもの。取り上げられているのは、コムギ、イネ、コショウ、トウガラシ、ジャガイモ、トマト、ワタ、チャ、コーヒー、サトウキビ、ダイズ、タマネギ、チューリップ、トウモロコシ、サクラ。どれも食材や嗜好品や鑑賞用として身近なものばかりだ。

双子葉植物は茎の断面に形成層という導管と師管から成るリング状のものがあるのに対して、単子葉植物では形成層がない。このように単子葉植物の構造が単純だが、じつは単子葉植物の方が進化した形なのだ。
自然に恵まれた豊かな地域と、自然に恵まれない地域があった場合、農業が発達するのは後者である。
香辛料が持つ辛味成分は、もともとは植物が病原菌や害虫から身を守るために蓄えているものである。冷涼なヨーロッパでは害虫が少ない。一方、気温が高い熱帯地域や湿度が高いモンスーンアジアでは病原菌や害虫が多い。そのため、植物も辛味成分などを備えている。
世界で最も多く栽培されている作物はトウモロコシである。次いでコムギの生産量が多く、三位はイネである。トウモロコシ、コムギ、イネという主要な穀物は世界三大穀物と呼ばれている。四位がジャガイモ、五位がダイズであり、食糧として重要なこれらの作物に次いで生産されているのがトマトである。

植物学×世界史という組み合わせで、知らなかった話や意外な話がたくさん載っている。読み終えて、「人類の歴史は、植物の歴史でもある」という著者の言葉に納得した。

2021年9月23日、PHP文庫、820円。

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2022年10月08日

三上延『ビブリア古書堂の事件手帖V』


副題は「扉子と虚ろな夢」。
扉子シリーズの第3弾。

取り上げられるのは、映画パンフレット『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』、樋口一葉『通俗書簡文』、夢野久作『ドグラ・マグラ』など。

本が好きで、本に人生を変えられ、本に狂わされていく人々。

書籍を人間の外部記憶と定義づければ、人間は脳だけでなく蔵書によっても思考していると言えるわ……少なくとも、蔵書から人間の思考を一部は辿ることができる。

確かにそういう面はあるだろうなと思う。

シリーズものは次第につまらなくなって読まなくなることが多いのだけど、ビブリア古書堂はなぜか読み続けている。これで栞子シリーズ7冊+扉子シリーズ3冊。最初に読んだのが2012年なので、もう10年以上読んでいることになる。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138686.html

2022年3月25日、メディアワークス文庫、670円。

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2022年10月05日

米原万里『旅行者の朝食』


2002年に文藝春秋社より刊行された単行本の文庫化。

ロシア語や翻訳や食べ物に関する37篇を収めたエッセイ集。世界各地の文化や歴史のことがあれこれ出てきて、ひたすら面白い。

ヨーロッパ文明圏の言語と日本語を取り持つ通訳者たちが最も恐れていることの一つに、スピーカーがいつギリシャ語やラテン語の慣用句や有名な詩の一節を原文のまま口にするか予測不可能ということがある。
トルストイの『戦争と平和』であれ、ツルゲーネフの『貴族の巣』であれ、十九世紀ロシアの貴族社会を描いた小説を読むと、地の文はロシア語なのに、作中人物たちの会話がしばしばフランス語の原文のまま載っている。
(『ちびくろサンボ』の)原作は、パンケーキとなっているが、ナンをイギリス人の原作者はパンケーキと言い表し、それを日本語に翻訳する際にポピュラーなホットケーキに超訳したのだろう。虎のバターも、実は原作では、インド料理でよく使うギーとなっている。
(正餐式に)酸味のあるパンを用いるか、カトリック教会で一般的だった酸味のないパンを用いるかをめぐって、十一世紀半ばには激論が東西教会間で交わされているのだ。教皇レオ九世が、「正餐で酸味のあるパンを用いてはならない」と断を下したことによって、ビザンチンの正教会本部は、カトリックと袂を分かつしかなくなった。

この人の本は、もっと読んでみよう。

2004年10月10日第1刷、2021年12月5日第26刷。
文春文庫、600円。
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2022年09月29日

『ロバート・キャパ写真集』


ICP(国際写真センター) ロバート・キャパ・アーカイブ編。

ロバート・キャパ(1913-1954)の撮影した約7万点のネガから236点を選んで掲載した写真集。演説するトロツキーを写した最初の1枚から、地雷を踏んで死ぬ直前の最後の1枚まで、各地の戦場を撮ったキャパの生涯が浮かび上がる。

目次は「《ロバート・キャパ》の誕生1932-1939」「スペイン内戦1936-1939」「日中戦争1937-1941」「第2次世界大戦1939-1945」「戦いの後の光景1945-1952」「イスラエル独立と第1次中東戦争1948-1949」「友人たち」「日本1954」「第1次インドシナ戦争1946-1954」となっている。

キャパは中国での紛争を、ファシズムに対抗する世界共通の戦いの、東洋における前線=「東部戦線」と考えていた。

「スペイン内戦」と「日中戦争」を一つの大きな枠組みで捉える視点を、当時からキャパは持っていたわけだ。その視野の広さが魅力的である。

1944年8月、ドイツ軍の占領から解放されたフランスで撮られた写真には、次のようなものもある。「ドイツ兵との間に子をなしたフランス人女性は、罰として頭髪を剃られた」「頭髪を剃られたフランス人女性は、市民から嘲笑を浴び、徒歩で帰宅させられる」。

歓喜に湧く市民やドゴール将軍の演説だけでなく、こうした影の部分も写しているところに、キャパの目の確かさを感じる。

1913年生まれということは、高安国世と一緒なんだな。

2017年12月15日第1刷、2021年5月27日第5刷。
岩波文庫、1400円。

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2022年09月26日

筒井清忠編『大正史講義【文化篇】』


大正時代の文化に関して24名の執筆者の書いた計27篇の論稿をまとめた本。

民本主義、国家主義、大正教養主義、童謡運動、新民謡運動、女子学生服、大衆文学、時代小説、漫画、大衆歌謡、映画、百貨店、カフェーなど、幅広い分野の話が載っている。

また、取り上げられている人物も、吉野作造、上杉愼吉、西田幾多郎、夏目漱石、宮沢賢治、北原白秋、鈴木三重吉、西條八十、竹久夢二、岡本一平、小林一三と多岐にわたる。

日本の学生マルクス主義の特徴として、はなはだ教養主義的傾向が強いということが指摘されうるだろう。それは、何よりも「西欧古典崇拝」の傾向が両者ともに強いという共通性に窺える。
漱石はこの新興勢力(岩波書店:松村注)の象徴的存在となり、漱石文学の普及と大正教養主義の隆盛、そして岩波書店の発展の三つが相乗効果を生み、それぞれの威信の上昇につながったと考えられる。
年表的には、大正時代は大正天皇の即位とともに始まるが、文学の面、さらに広くいえば文化史的には日露戦争の終結から始まっている。それはちょうど、昭和時代が文化の面では、大正十二年の関東大震災のあとの帝都復興、モダン都市東京から始まっているのに似ている。
むしろ、前近代社会の方が、謡の共通性が高く、近代化されたこの時代になって人々は地域的差異化、ローカリズムの確立を望んだのである。
住吉や御影が神戸市に編入されるのは昭和二五(一九五〇)年であり、この両地域が「阪神間モダニズム」として語られるのは、大正末昭和初期は、神戸市外だったからである。

ジャンル横断的に多くの論が含まれているが、その背景にある大正という時代の輪郭が、読み進めるうちに色濃く浮かび上がってくる。

2021年8月10日、ちくま新書、1300円。

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2022年09月18日

安永幸一監修『吉田博画文集』


副題は「われ山の美とともにあり」。

主に吉田博『高山の美を語る』から引いた文章と、吉田の絵画を取り合わせて編集した画文集。

いつも一(ひと)元気で一気に描くことにしている。その方が時間をかけて綿密に描くものよりもはるかに力がある。
それから、これは純粋な山ではないが、私は瀬戸内海の島々が好きである。瀬戸内海からいえば、島とはつまり山だということになるが、これ等の諸々がいずれも素晴らしい特異な展望美を備えている。
ヒマラヤは、丁度九州の端から北海道の端までの長さぐらいの連山である。幅も丁度日本内地の幅に略々等しい。

文章からは吉田の山に対する愛情がよく伝わってくる。

「渓流」「モレーン湖」「マッターホルン/マタホルン山」「風景(ダージリン)/ダージリンの朝」など、油彩と版画の両方で同じ場面を描いた作品もあるが、両者の印象はずいぶん違う。油彩が暗くて荒々しいのに対して、版画は明るくて穏やかだ。

肉筆浮世絵と浮世絵版画(錦絵)の違いに似ている。

吉田は福岡県久留米市で生まれ、福岡県浮羽郡(現うきは市)で育った関係で、福岡県立美術館や福岡市美術館に作品が多く収蔵されているようだ。

2017年9月20日、東京美術、2000円。

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2022年09月16日

フィリップ・ワイズベッカー『フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり』


パリとバルセロナを拠点に活動するアーティストが、日本各地の郷土玩具の制作現場を訪ねて回ったエッセイ集。小さな判型の本にデッサンや写真、取材ノートも載っていて楽しい。

・子 伏見人形の唐辛子ねずみ(京都)
・丑 会津張り子の赤べこ(福島)
・寅 ずぼんぼのとら(東京)
・卯 金沢からくり玩具のもちつき兎(石川)
・辰 竹工芸の辰(岡山)
・巳 きびがら細工のヘビ(栃木)
・午 きじ車の馬(大分)
・未 仙台張り子の羊(宮城)
・申 木の葉猿(熊本)
・酉 木工創作玩具の酉(宮城)
・戌 赤坂土人形の戌(福岡)
・亥 一刀彫の亥(奈良)

ところどころ、外国人から見た日本についての印象が記されているのも面白い。

欧米では月面に人の顔が見えると言われてきたが、日本人には兎が餅をつく姿に見えるらしい。
線路沿いに見える水田は、住宅に接し、見渡す限りあちこちに広がっている。水が土に入れ替わった光景は、西洋人の私には驚くべきものだ。
こけしは主に東北地方でつくられる人形で、我々フランス人がジュ・ドゥ・キーユと呼ぶボウリングに似た遊びの道具に形が似ている。
奈良では、鹿が優先権を持っている。道路上で頻繁に見かける「鹿の飛び出し注意」の標識に仰天したのは私だけで、ここでは当たり前のことなのだ。

連載は「中川政七商店」のWEBでも読むことができる。
https://story.nakagawa-masashichi.jp/34832

2018年11月27日、青幻舎、2000円。

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2022年08月31日

吉田千亜『その後の福島』


副題は「原発事故後を生きる人々」。

原発事故による避難生活を送る人々の姿を描いたノンフィクション。多くの避難者への取材を通じて、原発事故の実態や社会の様相を浮き彫りにしている。

国・行政側が、放射能汚染に対する住民感情として用いる「不安」という言葉は、「不安を抱える人の側の情報や性格に問題がある」というように、その責任を個人に転嫁する意図で使われている。
原発事故の本質を抜き去った「復興計画」が進み、その流れに乗らない人は、「復興」を妨げる人間として責められる。「団結からはみ出した人を非難し、排除する」というようなメンタリティだ。
こうして原発事故の被害について口にできない被害者と、福島内のことだから関われない、他人事だから関わらないという世間によって、原発事故の記憶は「風化」し、何事もなかったかのようになっていくのかもしれない。

この本が出てから4年。最近また「原発」や「復興」に関するニュースがよく報じられるようになっている。そうしたニュースを見るたびに、この本の内容が思い出される。

例えば、8月24日には岸田首相がエネルギー政策を大きく転換して原発の新増設を検討することを表明した。

貧しい地域に原発とお金がやってくる、住民の命や健康よりも企業の利益を優先させる、という構造から変えなくては、根本解決にならない。裁判に関わるようになり、被害と加害の構造を改めて知った、と中島さんは言う。

原発の再稼働や新増設に向けた動きは、深刻な原発事故から11年経った今も、こうした「構造」が何も変っていないことを意味しているのだろう。

また、8月30日には福島県双葉町の特定復興再生拠点区域の避難指示が解除された。これまで全町避難が続いていただけに、「復興」の明るいニュースとしてテレビでも取り上げられていた。

避難指示解除や帰還をめぐっては、土地を追われた人々が自宅に帰れるのがすなわち良いこととして語られることもあるが、そんなに単純な話ではない。そこには、まだ安全が確保されていないと判断した人の避難の長期化、世代間の放射能汚染に対する判断の違いなど、簡単に元通りにはならないヘ原子力災害特有の問題が横たわっている。

避難指示の解除によってすべての問題が片付くわけではない。それにもかかわらず、「復興」をめぐるニュースで原発事故の幕引きが図られ、「原発」の再稼働や新増設が進められつつあるのだ。

2018年9月30日、人文書院、2200円。

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2022年08月28日

小出裕章『日本のエネルギー、これからどうすればいいの?』


「中学生の質問箱」シリーズの1冊。

原子力の専門家である著者が、2011年の福島第1原発の事故を踏まえて、エネルギー問題についてわかりやすく論じている。

原発事故が起きてから原発について論じるようになった人は多いが、著者は1970年代からずっと反原発の運動や発信を続けてきた。そこが何よりも信頼の置けるところだと思う。

 日本では、「核」と言えば軍事利用で、「原子力」と言えば平和利用であるかのように宣伝されてきました。英語では同じニュクリア(Nuclear)でも、
「ニュクリア・ウェポン(Nuclear Weapon)」は「核兵器」
「ニュクリア・パワー・プラント(Nuclear Power Plant)」は「原子力発電所」
と訳されます。
国と巨大原子力産業、電力会社は、彼らの論理で原子力を進め、原子力から恩恵を受けない国の人々、弱い立場におかれた労働者や立地住民たち、そういう人々をブルドーザーでつぶすように苦しめてきました。だから私は原子力に反対して抵抗してきました。
エネルギーの問題は原子力をやめればいい、ということではないのです。エネルギーの使い方そのものが問題で、それは世界の構造そのものの問題であって、最終的に言ってしまえば、どうやって生きることが幸せなのかというそれぞれのひとの人生観の問題です。

著者は単に原発に反対しているのではない。エネルギーの大量消費の上に成り立っている現代の暮らしのあり方や、先進国と発展途上国、都市部と農村部との格差がもたらす差別や抑圧、非民主的な物事の決定方法といったものに、異議を唱えているのである。

その一つの現れとして原発の問題がある。だから、原発にどう対応するかという話は、私たちが暮らす日本の社会をどのようにしていくかという話でもあるのだ。

2012年5月28日第1刷、2022年5月14日第2刷。
平凡社、1200円。
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2022年08月24日

岩瀬昇『日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか』


戦前の日本が石油を中心としたエネルギー問題に対して、どのように取り組んでいたのかを論じた本。

国内産の石油だけではもちろん足りず、北樺太や満洲における油田開発、石炭を元にした人造石油の開発など、様々な取り組みが行われた。しかし国としての明確なエネルギー政策を欠いた日本は、結局、太平洋戦争による南方油田の奪取へと進むことになる。

巷間では、初の「日の丸原油」は、アラビア石油の創設者・山下太郎の手によるカフジ原油だと信じられている。だが、本当の意味で日本人が自らの手で掘り出した最初の海外原油は、樺太のオハ原油だったのである。
昭和十一(一九三六)年の日独防共協定は、まさに共産主義国家ソ連を敵対視するもので、これを機にソ連側の北樺太石油の事業推進に対する締め付け、嫌がらせ、事業推進妨害は熾烈なものとなっていった。
緒戦の戦果に浮かれていた大本営政府の首脳は、南方から石油を乗せた船が、アメリカ軍の潜水艦や航空機攻撃で壊滅状態になることへの想像力を欠いていた。
石油、いやエネルギーに関しては、太平洋戦争当時の日本を取り巻く基本骨格が、現代もなお変わっていないという事実に驚かされる。日本は、昔も今も、石油を始めとする一次エネルギー資源をほぼ持たない「持たざる国」なのだ。そしまた、「非常時」がいつ来るか、わからない。

この予言は、現在まさに的中したと言っていいだろう。ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、石油・天然ガスの開発プロジェクト「サハリン1」「サハリン2」における日本の権益を維持できるかが大きな問題となっている。

また、2011年に起きた福島第一原発の事故や、現在の原発再稼働に向けての動きの背景にも、こうしたエネルギー問題がある。それは、今なお解決できていない問題として残されたままなのだ。

2016年1月20日、文春新書、820円。

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2022年08月21日

岡部敬史(文)山出高士(写真)『目でみる日本史』


『くらべる東西』『くらべる時代』『くらべる京都』などの「くらべる」シリーズや「目でみる」シリーズが人気のコンビの最新刊。

https://matsutanka.seesaa.net/article/441584092.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/457471609.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/476536337.html

歴史上の人物の見たであろう風景を、現地に行って実際に眺めてみるという内容の一冊。持統天皇の「香久山」、源頼朝の「しとどの窟(いわや)」、平田靱負の「油島千本松締切堤」、正岡子規の「子規庵」、太宰治の「三鷹跨線橋」など、34名の34か所が美しい写真入りで紹介されている。

奈良県は全国でもっともビルの低いことで知られ、県内でもっとも高い建物は、JR奈良駅近くにあるホテル日航奈良の46メートルだという。(甘樫丘展望台)
史跡巡りでは、再現された城郭だけを見るケースもあるだろうが、建物よりもその当時の姿を残した自然環境のほうが、よほど想像力をかきたてて、昔の姿を想像しやすい。(一乗谷朝倉氏遺跡)

距離感や高低差、眺望などは、地図を見ただけではなかなかわからない。現地を訪れて初めて見えてくることがたくさんあるのだ。

2022年7月20日、東京書籍、1300円。

posted by 松村正直 at 07:17| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする