2021年08月01日

太田朋子・神川靖子『飯田線ものがたり』


副題は「川村カネトがつないだレールに乗って」。

長野県の辰野駅から静岡県を経て愛知県の豊橋駅までの約200キロを結ぶJR飯田線。主に天竜川に沿って伊那谷を走る鉄道路線である。

この飯田線の建設においてアイヌの川村カネトらが測量に携わった。以前ウポポイの国立アイヌ民族博物館を訪れた際に、川村の使っていた測量機器が展示され「飯田線の測量を行った」との説明があるのを見て以来、興味を持っている。

中央アルプスと南アルプスに挟まれた伊那谷に鉄道を敷くのは難しく、測量も大変な作業だったようだ。

現在のJR飯田線の前身は、「豊川鉄道」「鳳来寺鉄道」「三信鉄道」「伊那電気鉄道」の四つの私鉄がのちに国営化されたものです。
(中央線は)中山道の「木曾谷ルート」と飯田や伊那のある「伊那谷ルート」が検討された結果、工費が少なくてすみ、線路の性質が優れていることなどの理由で「木曾谷ルート」に決定しました。

本書では地元に住む著者たちが、川村カネトの足跡をたどるとともに、飯田線沿線の名所・旧跡等の紹介をしている。

飯田線にはせひ一度乗りに行きたい。

2017年7月15日、新評論、2000円。

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2021年07月28日

長谷川ちえ『三春タイムズ』


絵:shunshun

福島県三春町で、「永く使いたい器と生活道具の店〈in-kyo〉」を営む著者が、四季折々の町の様子を記したエッセイ集。

2020年「立春」から始まって2021年の「大寒」までの二十四回、二十四節気ごとのエッセイがまとめられている。

三春という土地の名前は、梅・桃・桜の三つの春が同時に訪れることが由来だと聞いている。早い年だと三月末頃には梅が咲き始め、バトンを渡すかのように桃の花が色を添え、四月に入れば見事なまでのしだれ桜やソメイヨシノが蕾をほころばせる。
三春では暦と実際の自然の移ろいとが、ピタリと歩調を合わせることが多いような気がしている。昔は当り前だったかもしれないそのことが、気候変動もはげしい昨今、豊かなことだと素直に喜びたいと思っている。

気候、風土、歴史、民俗、人々の暮らしや交流の様子などが、落ち着いた筆致で記されている。読んでいて心地よい文章だ。

三春には一度だけ行ったことがある。福島に住んでいた時なので、もう四半世紀も昔のことだ。磐越東線の三春駅からバスに乗って、郊外の滝桜を見に行った。桜は素晴しかったけれど、そう言えば町はほとんど見ずに帰ってきたのだった。

いつかまた訪ねてみたい。

2021年3月29日、信陽堂、2000円。

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2021年07月24日

木下直之『動物園巡礼』

著者 : 木下直之
東京大学出版会
発売日 : 2018-11-30

全国各地にある動物園を巡りながら、動物園とは何かについて考察した本。公営の動物園以外にも、民間の小さな動物園や、かつて盛んに行われた見世物やサーカスの動物ショーに至るまで、対象は幅広い。

動物園が当り前にあった時代を過ぎて、今では動物園が何のために存在するのかを問い直される時代になっている。希少動物の輸入が難しくなり、動物福祉の考えも広まってきた。そうした中にあって、私たちにとって動物園とはいったい何であるのか。歴史・文化・民俗・科学・政策・法律など様々な観点からアプローチしていく。

現代の動物園で目にする動物の多くは、実は動物園生まれなのである。動物園で生まれ育ち、外の世界を知らずに死んでゆく。
つがいの動物はしばしば「夫婦」と見なされ、子どもが生まれると今度は「家族」と呼ばれることが普通だった。人間の関係が動物に平気で投影された。
地方自治体では、博物館・美術館は博物館法に基づき教育委員会、動物園は都市公園法第二条で「公園施設」に規定されているがゆえに公園課の所管が多く、それだけでも両者は遠く隔たっている。
動物園においては四〇年ほど前に廃止された動物ショーが、多くの水族館では集客のために欠かせない。その主役がイルカである。いくつかの水族館では、イルカショーがその経営を支えているといっても過言ではない。

現場を訪ねて取材を重ね、また多くの文献資料に当たることで、著者は動物と私たちをめぐる多くの問題を浮き彫りにする。その圧倒的な筆力には感嘆するほかない。動物について考えることは、人間について考えることでもあり、また命について考えることでもあるのだ。

2018年11月26日、東京大学出版会、2800円。

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2021年07月23日

関口良雄『昔日の客』


東京の大森で古本屋「山王書房」を営んでいた著者のエッセイ集。
1978年に三茶書房から刊行された本が32年後の2010年に復刊され、今でも版を重ねている。

正宗白鳥、上林暁、尾崎士郎、尾崎一雄、野呂邦暢といった文学者との交流や、店を訪れる客とのやり取り、古本に対する思い、故郷の思い出などが、ユーモアも交えて綴られている。確かに名著と言われるだけのことはある。

私は売れなくてもいいから、久米正雄の本は棚の上にそのまま置いておこうと思う。相馬御風、吉田絃二郎、土田杏村の本なども今はあまり読む人もなくなった。古本としては冷遇され、今は古本屋の下積みとなっている不遇な本たちだ。
柿の木にまたがって食う柿の味は、柿の最高の味かもしれない。まして、色づいた四囲の山々を眺めながらの味は……。

還暦記念に本書の出版の準備を進めていた著者は、完成を見ることなく59歳で亡くなった。でも、残された本は多くの人に読まれ続けている。

2010年10月30日第1刷、2021年2月15日第11刷。
夏葉社、2200円。

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2021年07月21日

村松美賀子・伊藤存『標本の本』


副題は「京都大学総合博物館の収蔵室から」。

約260万点の学術標本や教育資料を収蔵する博物館の中から、著者が興味を惹かれたものをカラー写真入りで紹介した本。標本とは何か、どのような目的で作られ、どのように活用されるかといった基本的なことも詳しく解説されている。

蝶の羽は色素ではなく“構造色”といって光の波長などが鱗粉の表面で変化する原理であるため褪色しにくいが、バッタやトンボ、ウスバカゲロウなどの色は色素なので、殺虫や保管に使う薬剤などにより、鮮やかな緑や黄色の色素は抜けてしまう。
“ウミヘビ”にはは虫類のウミヘビと魚類でウナギの仲間のウミヘビがいる。和名はどこに分類するかの判断材料にはならないのだ。
生物の種名に関しては、実在する種のうち多くて20分の1、少なく見積もると100分の1くらいしかついていないともいわれている。

こんな面白い話がたくさん載っていて飽きない。

中でも一番驚いたのは収集した植物を挟んでいた新聞紙の話。1923年に京都帝国大学理学部が沖縄の調査をして植物を収集した。

調査隊が持ち帰った大量の植物のうち、70点ほどが琉球新報、沖縄毎日新聞など当時の沖縄の新聞に挟まれていた。発見された貴重な新聞紙はすべて沖縄県公文書館に寄贈された。

太平洋戦争末期に戦場となった沖縄には、戦前の新聞がほとんど残っていない。戦災で多くのものが焼かれてしまった過酷な歴史が、こんなところにも顔を覗かせている。

2019年3月20日、青幻舎ビジュアル文庫、1500円。

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2021年07月20日

くどうれいん『わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版』

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俳句のウェブマガジン「スピカ」に2016年6月に連載された文章に加筆修正してまとめた一冊。「日付」+「俳句」+「食べものに関するエッセイ」というスタイルになっている。

ソーダ水すべてもしもの話でも
才能がなくてもここに夏銀河
夕立が聞こえてくるだけの電話

喜んでいても悩んでいても健康的な明るさを感じさせるのが、著者の特徴であり魅力でもある。読んで元気になるエッセイという感じだ。

「どうしてそんなに料理好きに育ったのかねえ」といつも母は不思議がるけれど、両親あってのこの娘だ、と胸を張って言える。菜箸を握るのが楽しいと思えることは、きっとすこやかに生きていくうえで武器になると信じている。

「両親あってのこの娘だ」と心に思うだけでなくこうして堂々と書ける人は、なかなかいない。まあ、もちろん明るいだけではないのだろうけれど。

2018年8月19日発行、2020年10月16日第9刷。
BOOKNERD、1000円。

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2021年07月19日

西尾克洋『スポーツとしての相撲論』


副題は「力士の体重はなぜ30キロ増えたのか」。

ブログ「幕下相撲の知られざる世界」が評判を呼び相撲ライターとなった著者が、30の質問の答える形で相撲の仕組みや魅力について記した一冊。

大相撲というと90年代のイメージを持たれている方が多いのですが、当時から30年近く経過するとイメージとは異なる実態があります。

と、まえがきにある通り、「寄り切りから押し出しへ」「平均130kgから160kgへ」「中卒叩き上げから大卒へ」「国民的スポーツからマイナースポーツへ」といった変化や、その理由がわかりやすく説明されている。

相撲というのは珍しい競技で、互いの呼吸の合ったところで勝負が始まります。よく誤解されますが、行司さんが「ハッキヨイ!」と声を上げるのは腕相撲で言うところの「レディー、ゴー!」に当たる立ち合いの合図ではありません。
相撲のもう一つの大きな特徴として、ルールのわかりやすさが挙げられます。土俵の外に出るか、足の裏以外が地面に付いたら負け。これだけです。
現在の18時打ち出しという時間は、プロスポーツの興行として捉えると改善の余地があるように思えます。社会人の大半が平日の18時まで仕事をしているので、リアルタイムでの相撲観戦ができないからです。
年収100万円の幕下力士が120人いる中で、年収1000万円以上の十両に上がれるのは毎場所4人程度。

ちょうど昨日、大相撲名古屋場所が白鵬の45回目の優勝で幕を閉じた。本書でも「Q9 白鵬がこれほど長い間、これほど強い理由を詳しく知りたいです。いくらなんでも強すぎませんか?」といった質問があり、まさにタイムリーな内容だ。

白鵬が休場すると誰が優勝してもおかしくないとはいえ、結局のところ絶好調の白鵬を上回る力士はいまだにいないのが実情です。

まさに著者の予想通りの結果になったという感じである。

2021年6月30日、光文社新書、880円。

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2021年07月17日

岡崎武志『上京する文學』


副題は「春樹から漱石まで」。
2012年に新日本出版社より刊行された単行本の文庫化。

さまざまな作品を「上京」という観点から読み解いたユニークな文学論。取り上げられる作家は、村上春樹、寺山修司、松本清張、太宰治、林芙美子など18名。

宮沢賢治は三十七年という短い生涯のなかで、九回も上京している。総滞在日数は約案百六十日にもなった。「三十七分の一」は、東京にいたことになる。
山周(山本周五郎)の作品は没後五十年を超えて、新潮文庫に約五十冊が残り、主要作品をほとんど読める。(・・・)新潮文庫にとって山周はいまだに大事な稼ぎ頭だ。
茂吉が見たのは「赤」だ。明治四十一年の監獄法施行規則により、未決囚のお仕着せは「青(浅葱色)」、既決囚は「赤(柿色)」と定められた。茂吉が見たのは既決囚ではなかったか。

時代背景を踏まえながら、短い文章で的確にポイントを指摘している。文学者にとって東京がどのような存在で、上京がどんな意味を持っていたのかが、よく見えてくる。

本書のもっとも根底にあるのは、著者自身が上京者であるということだ。30歳を過ぎて東京に出てきた時のことを、

知り合いも友人も就くべき仕事も書く媒体もない、まさに裸一貫の突進であった。それでも新しい部屋で新しい朝を迎えて、そこが「東京」だった時の興奮を今も忘れていない。

と書いている。この純粋な気持ちが、20年以上経って本書を生み出したのだと言ってもいいだろう。

2019年9月10日、ちくま文庫、840円。

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2021年07月11日

朴 順梨『離島の本屋』


副題は「22の島で「本屋」の灯りをともす人たち」。

フリーペーパー『LOVE書店!』の連載をまとめた一冊で、全国の離島にある本屋を訪ねて取材した内容である。

登場するのは、父島、母島、伊豆大島、中通島、礼文島、生口島、弓削島、周防大島、江田島、篠島、与那国島、与論島、八丈島、隠岐島後、北大東島、家島、大三島、奄美大島、新島、小豆島、対馬、沖永良部島。

と言っても、これらすべての島に本屋があるわけではなく、図書館がある島や出張本屋が来る島なども含めて、離島における本の事情をレポートしている。

交通の不便な離島でも多くの人の努力によって本が流通していることに、何とも心が温まる。もちろん、本の売れない時代にあって離島で本屋を続けるのは簡単なことではない。

「10年ほど前から、本屋としてのこだわりが持てなくなってしまいました」
「何がよく手に取られるのかが、わからないところがあるんです。良い本を売りたいと、ずっと思っているんですけど……」
「書籍の売れ行きは年々落ちてきているけど、書店なんだから本を置かないとね」

こうした話が随所に出てくる。それでも、地元ゆかりの本を置いたり、文具や雑貨を販売したり、様々な工夫をして本屋が生き残っているのであった。

2013年7月15日、ころから、1600円。

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2021年07月04日

カベルナリア吉田『肉の旅』


副題は「まだ見ぬ肉料理を求めて全国縦断!」。

全国各地の名物肉料理を食べ歩く旅行記。カラー写真が豊富に載っていて、食欲をそそられる。

登場するのは、トンテキ(四日市)、イルカ・クジラ(太地)、竜田揚げ(法隆寺)、肉じゃが(舞鶴・呉)、焼き鳥・せんざんぎ(今治)、唐揚げ(中津)、すっぽん(安心院)、チキン南蛮(延岡)、鶏飯(奄美大島)、ステーキ・山羊汁(沖縄)、ローメン(伊那)、ソースかつ丼(駒ヶ根)、おたぐり・焼肉(飯田)、パイカ(三沢)、馬肉・とりもつラーメン(新庄)、やきとり(室蘭・美唄)、がんがん鍋(赤平)、なんこ(歌志内)、ポークチャップ(砂川)、ジンギスカン(滝川)、サフォークラム(池田)、ザンギ(釧路)などなど。

肉料理を食べるだけではなく、各地を旅して著者は日本の現状を目の当たりにする。

人気の店めがけて脇目もふらず行列に並び、ほかの店を探すことはしない。ツマらなくなったね日本人。
東京に一極集中し、寂れていく地方。沖縄も、人もモノも那覇に集中し、宜野湾など近郊都市ですら寂れていく。
昨今はハコ物にゆるキャラ、歯抜けのテナントビル―。地方は本当に大変だが「アソコガ成功したからマネしてウチも」では絶対うまくいかない。

ネットの情報だけに頼って旅をする観光客、全国的にも地域的にも(世界的にも?)進む一極集中、そして地方の町おこしの難しさ。長年にわたって旅を続けている著者だからこそ気づく点も多い。

最近はテレビも雑誌もネットもグルメ「情報」だらけでウンザリしているので、あえて見せ情報はほとんど載せなかった。

確かにこの本はグルメ情報誌ではない。肉を食べ、店の人と語り、現地に行って自分の目で見つけたものを追求する。そんな著者の旅のあり方を見せてくれる一冊である。

2016年8月8日、イカロス出版、1600円。

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2021年06月26日

二宮敦人『世にも美しき数学者たちの日常』


2019年に幻冬舎から刊行された単行本の文庫化。

数学者と数学に興味を持った著者が、十数名の数学者・数学愛好者にインタビューをしてまとめたドキュメンタリー。一般にはほとんど知られていない数学者の日常が浮かび上がってくる。

数学は「これを解け!」の積み重ねではなかった。「なぜ?」の積み重ねなのだ。
数学は、言語も国も時間すらをも飛び越えて人間と人間を繋ぐ、世界へ開いた扉でもあるのだ。
型にはまったやり方を押しつけても、数学はやっていけない。自分らしく自由であることを、数学は人類に望んでいるのである。

著者は数学者の話を、巧みな喩えなども使って咀嚼し、数学の魅力に迫っていく。その話を引き出す力には驚かされる。

楽しそうな面もある一方で、厳しい世界であるのも間違いない。

「この人はこのぐらいのレベルだな」というのは、少し数学的な議論をすればすぐにわかってしまいます。学生とでもそうだし、数学者同士でもそう。(渕野昌)

まあ、多かれ少なかれ、こういう側面はどの世界にもあるのだろうけれど。

2021年4月10日、幻冬舎文庫、710円。

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2021年06月25日

光嶋裕介『ぼくらの家。』


副題は「9つの住宅、9つの物語」

2011年以降に著者のつくった8つの住宅「凱風館」「祥雲荘」「如風庵」「望岳楼」「旅人庵」「群草庵」「森の生活」「静思庵」と、「未来の光嶋邸」をめぐる物語。

本書の大きな特徴は、語り手が作者の一人称ではなく、9篇それぞれ別のものに設定されていること。家(ぼく)、女の子(わたし)、野良猫(俺)、家(オイラ)、男の子(ボク)、石(吾輩)、火(僕)、ハリネズミ(オレ)、娘(私)といった具合だ。

こうした手法の元にあるのは、家は建築家のものではなく多くの人の関わりによって生まれるものだという作者の信念であろう。

住宅という建築には、住まい手たちの物語があり、それが、どこか生命体のように設計者である建築家の意図をはるかに超えて、時間と共に大きく成長していきます。住宅には、住まい手たちを中心にしてコスモロジーがつくられていくのです。

人が家をつくるだけでなく、家もまた人を育て、人と人との新しいつながりを生み出していくのだ。

この国の木造住宅の平均寿命がたった三十年やそこらで、次々と建て替えられる「スクラップ・アンド・ビルド」の価値観は、住宅を消費される商品としてしか見ておらず、絶対に見直されなければならない。
建築家の仕事であるちょっぴり先の未来を予想する「設計」という行為に対して、不確定要素である「予測不能性」を残しておくことが鍵となってくるように思える。つまり、設計時には意図していなかった使われ方をするかもしれないことに、建築家が自覚的であり、覚悟をもってデザインに挑む必要がある。

こうした考え方は魅力的だし、共感する部分も多い。ただ、本書に収められているのは、如風庵における集成材使用に関するトラブルを除けば、基本的に成功例ばかり。建築としての真価が問われるのは、まだこれからなのかもしれない。

2018年7月25日、世界文化社、1600円。

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2021年06月23日

宇野重規『民主主義を信じる』


2016年から2020年まで「東京新聞」に連載された「時代を読む」51篇をまとめた本。

著者はこの時期を「トランプ大統領の大統領当選に始まり、その政権の終わりに至る、世界の民主主義にとって「危機の五年間」」(あとがき)と記している。

民主主義は決定過程を公開・透明化し、関係する誰もがそこに参加することを可能にする。より多くの人々が国や世界の政治を「他人事」ではなく「自分事」として捉え、当事者意識とそれに基づく責任感を持つことを要請する政治体制でもある。そのような民主主義は、一時的に混乱したり、判断を誤ったりすることがあっても、長期的には自らを修正し、多様な実験を可能にする。

「公開・透明化」にしろ、「当事者意識」や「責任感」にしろ、現在の日本や諸外国でこうした理想が実現されているかと言えば、かなり心許ない。でも、「長期的には自らを修正し」という部分こそが、おそらく民主主義にとって一番の強みであり、大切な点なのだろう。

Iターン者について触れたが、この町の特徴は地域の外からの人材をいかすことにある。島の出身者でなくても、他の場所で学び働いてきた人の知識や経験を、最大限にこの島のためにも発揮してもらう。
一つは外国人労働者を積極的に受け入れる道である。もし、その道を選ぶとすれば、より良い人材に、長期的に安定して働いてもらうための環境を整備する必要がある。(略)子どもの教育を含め、より良い受け入れの仕組みを整備すべきである。

上は隠岐の海士町について触れた2019年の文章で、下は外国人労働者の受け入れに関する2018年の文章だ。

今回この本を読んで気が付いたのは、過疎化の進む離島(隠岐)の振興策と、少子高齢化の進む島国(日本)の未来像は、同じ構造にあるということだ。海士町の掲げてきたキャッチフレーズ「最後尾から最先端へ」は、なるほど、こんなところにもつながっていたのである。

2021年2月11日、青土社、1400円。

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2021年06月22日

マーサ・ナカムラ詩集『雨をよぶ灯台』


第28回萩原朔太郎賞受賞。
15篇の作品を収めている。

何年間も庭に打ち捨ててあった三輪車を、がらがらと道路に引きずり出し、どこということもなく、ペダルをこぎ始めた。夜が明けるまでに、行き着く場所を考えていた。
          (「サンタ駆動」)
スナック『真紀』の飾り窓が、
荒く息をするように光っては消える。
光だと思ったものは、真っ白な男の顔だった。
          (「篠の目原を行く」)
目が覚めて、暗い布団の中で、
私は今、
自分が26歳なのか
62歳なのか分からなくなった
          (「夜の思い出」)

夢の中の話のような不思議な世界が次々と展開していく。
これからも現代詩をいろいろと読んでいきたい。

2020年6月30日 新装版、思潮社、2000円。

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2021年06月17日

安田峰俊『八九六四 完全版』(その3)

以下は、個人的な思い出話。

天安門事件が起きた1989年、私は大学1年生だった。6月4日の事件の報道を受けて、学内では抗議集会が盛んに開かれていた。

集会で話を聞いていた時に誘われて、この時、生まれて初めてデモに行った。街頭でデモ行進して、その後、日比谷公園で行われた集会に参加した。

もともと祖父が思想的に中国との交流に関わった人で、実家には赤い表紙の『毛主席語録』などが置いてあった。そうした環境で育った影響もあって、中学生の時に中国訪問ツアーに参加したこともある。1985年のことだ。

北京と上海を訪れて、万里の長城や故宮博物院などの有名観光地を回った。とにかく自転車が多かったことが印象に残っている。お土産に、人民解放軍の防寒帽、健身球、コルク細工、東条英機に関する本などを買った。

『八九六四』の登場人物の一人は、

彼は陝西省出身で、北京市内の大学に進学。一年生の一九歳で八九六四を迎えた。

と書かれている。まさに私と同年代の学生たちが、この天安門事件には参加していたのである。

2021年5月10日、角川新書、1000円。
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2021年06月16日

安田峰俊『八九六四 完全版』(その2)

この本には天安門事件の学生リーダーであった王丹とウアルカイシの話も載っている。

本人がどれだけ年齢を重ねても、二〇歳のときに出来上がった「天安門の王丹」の姿は彼を一生涯にわたり束縛する。かつて中国政府が彼を政治犯として押し込めた遼寧省の錦州監獄からは無事に釈放されても、過去の牢獄から出ることは永遠にできない。

事件当時、彼らがまだ20歳や21歳の学生だったことを思うと、その運命はあまりに過酷だ。60年安保闘争時の全学連委員長だった唐牛健太郎や、全共闘運動時の日大全共闘議長だった秋田明大のことなども思い浮かぶ。

天安門事件に関わった人々の「その後」は様々だ。国外に亡命して民主化運動を続けている人もいれば、考えを変えて実業の世界で成功している人もいる。事件の影響で人生が大きく変ってしまった人、今では事件を否定的に捉える人など、一人一人違う。

かつて現代中国史上で最大の事件に直面した人たちの日常は、今日も淡々と続いていく。大志を抱いた孫悟空の人生は、実は筋斗雲を降りてからのほうが長かったのだ。

「民主化は善」「弾圧は悪」といった正論だけでは見えてこない個々の人生や苦悩。それらを見事に浮き彫りにした一冊だと思う。

2021年5月10日、角川新書、1000円。

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2021年06月15日

安田峰俊『八九六四 完全版』(その1)


副題は「「天安門事件」から香港デモへ」。

2018年にKADOKAWAから刊行された単行本(城山三郎賞、大宅荘一ノンフィクション賞受賞)に新章を加筆して改題したもの。

1989年6月4日に起きた天安門事件やその後の中国の民主化運動に関わった様々な人へのインタビューを通じて、あの事件が何であったのか、社会や人々の人生にどのような影響を及ぼしたのかを、多面的に分析している。

これはすごい一冊! おススメ。

著者はまず、「民主主義は正しい。ゆえに民主化運動は正しい。それを潰すのは悪い。(なので、きっと将来いつか正義は勝つ)」という、四半世紀にわたって言われ続けてきた正論に疑問を呈する。

正論はあくまで正論として、でも現実はそうなっていないのはなぜなのか。深く切り込んでいくのである。

「中国は変わったということなのさ。天安門事件のときにみんなが本当に欲しかったものは、当時の想像をずっと上回るレベルで実現されてしまった。他にどこの国の政権が、たった二十五年間でこれだけの発展を導けると思う?」
「中国の経済発展はやはり認めざるを得ない。それに、いちど反体制側の人間になると親孝行ができなくなります。親が亡くなっても葬儀ができなし、墓参りもしてあげられない。この不孝は中国人にとってなによりもつらいことです」
民主化を望むような中国人は、なんだかんだ言って本当は祖国が大好きだ。ゆえに中華民族が力をつけ、中国が国際社会において重きをなしていく事態は、やはり心から嬉しくなってしまう。

一つ一つ、なるほどなあと思って読む。中国の圧倒的な経済発展は、天安門事件の意味や評価までも大きく変えていったのだ。その事実をまず直視しないことには、何も始まらないのだろう。

2021年5月10日、角川新書、1000円。

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2021年06月13日

安田菜津紀『故郷の味は海をこえて』


副題は「「難民」として日本に生きる」。

母国を離れて日本で暮らす人々に料理を作ってもらって話を聞くという内容。シリア、ミャンマー、ロヒンギャ、ネパール、バングラデシュ、カメルーン、カンボジアの7つの国(地域)の話が載っている。

タンスエさんの二人の子どもたちは、日本で生まれ、日本の社会しか知らずに育ってきました。娘さんは21歳、息子さんが14歳、どちらも日本の学校に通い、友だちは日本人ばかりです。ミャンマー語は家でしか使いません。

先日、映画「僕の帰る場所」で見た問題が、ここにも出てくる。いつか母国へ帰りたいと願っている親たちと違って、子どもは母国への帰属意識が既に薄い。

日本の難民認定率の低さや、出入国在留管理庁(入管)などの制度的な問題についての解説もあり、難民についての理解が深まる一冊となっている。

2019年11月、ポプラ社、1400円。

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2021年06月06日

樋口薫『受け師の道』


副題は「百折不撓の棋士・木村一基」。

東京新聞・中日新聞に2020年2月10日から4月10日まで連載された記事と、2020年1月11日に開催されたトークショーの内容を収めている。

一昨年、第60期の王位のタイトルを獲得した木村九段のドキュメンタリー。実に7度目のタイトル挑戦であり、46歳での初獲得は最年長記録であった。

気遣いの人として知られ「将棋の強いおじさん」の愛称でも親しまれている木村の棋士人生や人柄がよく伝わってくる内容だ。

「勝負の世界は同業者の見る目が大きい。落ちてもすぐに復帰すれば『陥落は間違いだった』となる。でも下のクラスに定着すると、周囲から『この人は実力が落ちた』と見られる。」
「勝つためには結局、将棋にかける時間を増やすしかないんです。奨励会の時代からずっとそうして、ここまでやってきましたから」
「(長考に関して)こっちが考えていたことが無駄になったのかといったらそんなことはなくて、こういうときに考えたことは、将来必ず生きます。このときは生きないかもしれませんけど、いずれ似たような形になったときに思い出す。」

負けようと思って戦う棋士はいない。それでも、勝つか負けるかの厳しい世界。木村の話す一語一語に重みがある。

棋士になってからタイトル獲得までに要した時間は実に22年5か月。これも最長記録である。ほとんどの棋士がタイトルを一度も獲ることなく去っていくことを思うと、まさに偉業とも呼ぶべき記録なのだと思う。

2020年6月27日、東京新聞、1400円。

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2021年06月05日

杉岡幸徳『世界奇食大全 増補版』


2009年に文春新書より刊行された本に加筆・増補して文庫化したもの。日本各地、世界各地の珍しい食べ物あれこれを紹介している。

登場するのは、フグの卵巣の糠漬け(石川県)、サンショウウオ(福島県檜枝岐村)、おたぐり(長野県伊那地方)、メダカの佃煮(新潟県)、カンガルー(オーストラリア)、鶏のとさか(フランス)、みかんご飯(愛媛県)、サルミアッキ(フィンランド)、ワラスボ(有明海)など56点。

内臓は肉よりも、ナトリウム、鉄分、ビタミン類がはるかに多い。肉食獣は、肉よりも内臓のほうがうまくて滋養に富むことを知っているに違いない。
アメリカの下院は二〇〇六年に、ウマを食肉のために屠ることを禁止する法案を可決しているのである。
白樺の樹液は、ロシアや東欧、北欧、中国、韓国などで飲用にされている。日本でも、アイヌがタッニワッカ(白い肌の木の液)と呼んで飲んだという。
トド肉本来の味を感じたかったら、ストレートに焼いて食べるといい。まず襲いかかって来るのは濃密な青魚の臭いだ。トドが魚を食するからだろう。

何を食べて何を食べないか、何を好み何がタブーになっているかは、地域や国によって様々である。私たち(?)が「奇食」と思うものを通じて、食や文化の多様性が見えてくる。

私たちの体は食べたものでできている。だからこそ、食べ物に関しては譲れない部分も大きいのだろう。食べるという行為が人間にとってどんな意味を持つのか、深く考えさせられる。

2021年4月10日、ちくま文庫、800円。

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2021年05月30日

石松佳詩集『針葉樹林』

著者 : 石松佳
思潮社
発売日 : 2020-12-10

第57回現代詩手帖賞を受賞した作者の初めての詩集。
第71回H氏賞受賞。

ふだん現代詩を読むことはあまりないのだが、葉ね文庫で見かけて購入した。

わたしは今まで、軽やかな田園というものを見たことがなかった。胸に広がる水紋は、どれもひとしく苦しい。(「田園」)
試合は閉じられる
すると大きい川が現れて
球児たちが一斉にその縁に
歯のように並び
川に向かって一礼をした
(「sad vacation」)
四川料理店で女性が、昼に向かって口笛を吹いている。曲の名を尋ねたら、水禽、と言って笑った。(「野鳥のこと」)
息を吹きかければ
硝子窓が曇る
生きることは衣服のように白い
(「雪」)

心惹かれる魅力的なフレーズがいっぱいある。言葉と言葉のつなぎ方やイメージの展開の仕方など、現代詩から学べることはたくさんありそうだ。

2020年11月30日、思潮社、2000円。

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2021年05月26日

野澤亘伸『師弟』


副題は「棋士たち 魂の伝承」。
2018年刊行の単行本の文庫化。巻末に文庫版特別鼎談「おらが弟子自慢」を収めている。

6組の棋士の師弟に取材して、棋士人生や師弟関係のありようを描いたノンフィクション。登場するのは「谷川浩司・都成竜馬」「森下卓・増田康宏」「深浦康市・佐々木大地」「森信雄・糸谷哲郎」「石田和雄・佐々木勇気」「杉本昌隆・藤井聡太」。

プロ棋士の養成機関である「奨励会」に入るには、棋士の誰かに入門する必要がある。

奨励会の試験は毎年8月に行われ、全国から「天才」と呼ばれた子どもたちが集まる。合格率は約3割。しかし、本当に厳しいのは入会後にプロになるまでの過程である。合格した子どもの約8割が、年齢制限までに規定の段位に達することができないか、自分の才能に限界を感じて辞めていく。

何ともすごい世界だと思う。そうしてプロになっても、タイトル争いに絡むことができる棋士はほんの一握りだ。

杉本 教室の生徒なら、こちらも一生その子と付き合えますが、奨励会に入りたいと言われてしまうと、ただでは済まない。棋士になって一生付き合うか、途中で辞めて違う道に行くかの二つに一つでしょうから。そう言った意味で師匠をお願いされるときには、非常に複雑な気持ちになることが多いです。

6組の師弟の関係は一様ではないが、世代の異なる二人が交わることによって、互いの人生が変化していく。その人間ドラマを、本書は見事に描き出している。おススメ。

2021年2月20日、光文社文庫、680円。

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2021年05月24日

かのよしのり『歩兵の戦う技術』


副題は「銃弾や砲弾が飛び交う戦場で勝利して生き残る」。

元陸上自衛官の著者が、現代の歩兵の基本的な点についてコンパクトにまとめた一冊。

「「歩兵」とは何か?」「歩兵の個人装備の重量」「兵站とは?」「匍匐前進」「行軍の速度」「地雷の処理」「防御は何のためにするのか?」「雪中カモフラージュ」「偵察と斥候」といった項目について、それぞれ文章1頁+図版1頁で解説している。

著者は「はじめに」の中で「国家主権とは軍事力を行使する権利にほかならないからです。ですから、民主主義すなわち国民が主権者であるということは、国民が軍事力の担い手であるということにほかなりません」と書いている。

賛否両論ある意見だと思うが、理屈としてはその通りだろう。戦争に反対する人も、軍事に関する知識は持っておくに越したことはない。

国から支給されるものを官給品といいます。英語ではガバメントイシューといいますが、これを略してGIといいます。兵隊のことをGIというのは、全身を官給品で包んでいることからきています。
戦争全体から見ると、この兵站活動こそが戦争の主体で、前線での戦闘などは、兵站という巨大な剣がぶつかり合って出ている火花にすぎないとさえいえます。
缶詰めは発明されたのに、缶切りが発明されるのはその48年も後で、それまで缶を開けるにはノミとハンマーが必要でした。
21世紀になって、偵察に用いる小型のドローンが歩兵部隊にまで配備されるようになりました。米軍を例にとれば、歩兵小隊には、手で投げて発進させ、90分程度の偵察ができるドローンが装備されています。

戦争をするべきでないのは当然のこととして、一方で現代の軍隊がどのような組織や装備になっているかを知っておくのは大切なことだろうと思う。

2018年11月25日、SBクリエイティブ サイエンス・アイ新書、1000円。
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2021年05月15日

木村元彦『13坪の本屋の奇跡』


副題は「「闘い、そしてつながる」隆祥館書店の70年」。

大阪の谷町6丁目にある隆祥館書店と経営者の二村善明・知子親子を描いたドキュメンタリー。「町の本屋」が次々と廃業していく中にあって、70年以上も営業を続けている秘密に迫っている。

全国の書店数は、この20年間に約22000店から11000店に半減している。店舗を構えている書店に限れば既に1万店を割っているのが現状だ。

その背景には出版不況や活字離れ、アマゾンを始めとしたネット通販の台頭などがあるのだが、それだけではない。大手2社の寡占体制になっている取次など、出版流通をめぐる構造的な問題がいくつも存在している。

二村親子は長年にわたって、同日入帳、ランク配本、見計らい配本など、中小の書店にとっての死活問題の改善に取り組んできた。また、2011年からは「作家と読者の集い」を260回以上にわたって続けている。

地域に書店のあることは、文化の発信地として、また人々の交流の拠点として、とても大きな意味を持っている。

私の生まれ育った町にも、駅前に大塚書店(ブックス飛鳥)・富士見堂・玉川学園購買部・久美堂などがあり、電車通学の帰りにいつも立ち寄っていた。思えばそうした環境が本を読む習慣につながったのである。

2019年11月25日、ころから、1700円。

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2021年05月13日

アレックス・カー『ニッポン巡礼』


白洲正子『かくれ里』に影響を受けた著者が、全国各地にある素敵な場所を訪ね歩き、日本の歴史や観光のあり方について考察した一冊。

取り上げられているのは、「日吉大社、慈眼堂、石山寺」「羽後町田代、阿仁根子」「能登半島」「八頭町、智頭町」「奄美大島」「萩」「三井寺」「南会津」「青ヶ島」「三浦半島」の全10か所。

こんなふうに全国各地をめぐるタイプの本は、見つけるといつも買ってしまうな。

日本はよく「木の文化」と称されますが、実は「石の文化」でもあります。殊に古代神道における石への崇拝は根強く、神社を訪れることは石との出会い、といっても過言ではありません。
東京を中心にした現代の感覚では、輪島は「遠い」場所で、この地で洗練された漆器類が生産されることは不思議に思われがちです。しかし、視点を変えれば、能登半島は昔の日本列島の航路における要衝の地と、とらえることができます。
「草の生えた屋根」は決して古式というわけではなく、エコロジカルな意味で最先端ととらえることもできます。近年では小さなデザイン住宅から巨大な工場まで、雑草や芝生を屋根や屋上に生やす試みを、世界各地で見ることができます。

半世紀近くにわたって日本を見てきた著者は、美しい風景を愛するだけでなく、土建国家日本の公共事業や、近年のオーバーツーリズム、インスタ映え等に対する危惧を、繰り返し指摘している。

私たちの観光も、将来を見据えて持続可能なものに変えていく必要があるのだろう。

2020年12月22日、集英社新書ヴィジュアル版、1400円。

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2021年05月08日

北田博充『これからの本屋』


本に関わる仕事を長く続けている著者が、本屋の現状や将来について考察した一冊。

「ていぎする」「くうそうする」「きかくする」「どくりつする」の四章から成っていて、書店員へのインタビュー、架空の本屋の物語、本を売るための企画など、様々な角度から本屋の今後について迫っている。

本が売れない時代だからこそ、新しい読者を増やさなければならないのは当然のことだが、そもそも本を読まない人は本屋に足を運ばない。本屋の中で奮闘することが重要なのは言うまでもないが、本が本屋の外に出向いていくことも同じくらい重要なことだ。
人はその店で買い物をすれば、その店のことをよく覚えているものだ。逆に、買わなかった店のことはすぐに忘れてしまう。だから、お客さんに再来店してもらおうと思えば、何でもいいから一冊買ってもらうことが大事なのだ。
今なんとなく感じているのは、「本を売ること」だけが本屋を定義するものではない、ということだ。本屋という名称は「場所」をさす言葉ではなく、「人」をさす言葉なのではないだろうか。

本屋を取り巻く状況は年々厳しくなっていくばかりだ。著者が2013年の立ち上げから2016年まで勤めた「マルノウチリーディングスタイル」も、先月閉店した。本屋の存在しない世界が、もうすぐそこまで来ているのかもしれない。

2016年5月1日、書肆汽水域、1200円。

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2021年05月02日

小嶋独観『奉納百景』


副題は「神様にどうしても伝えたい願い」。

願いごとを託し、あるいは願いが叶ったお礼に、神仏に物を供える。それが何百、何千と集まると、奇妙で圧倒的な光景が出現する。全国各地のそうしたスポットを訪れて紹介した一冊。

神木に打ち付けられた鎌、山のように積まれた牛の鼻輪、洞窟に差し込まれた刀、1万本以上ある鹿の角、畦道で結合する藁の性器、本堂に吊り下げられた死者の衣服など、どれもこれも凄まじい迫力だ。

それは人間の祈りの形ではあるけれど、さらに言えば人間の剝き出しの欲望や執念の姿でもある。美しさと醜さが入り混じっている。

民俗学・宗教学的な観点から見て印象的な話も多い。例えば「鮭千本供養」は、もともと鮭を千匹捕獲するたびに卒塔婆を一本立てる慣わしなのだが、

人工孵化によって遡上してくる鮭の数が桁違いに増えたのだ。かくして、数年あるいは数十年に一度だった鮭の供養塔も毎年のように建てられるようになったのである。

という状況になっている。供養すべき鮭の数が飛躍的に増えてしまったのである。

また、未婚で亡くなった子のための「婚礼人形」の奉納の背景には、

無縁仏とは、行き倒れや漂流死体もだが、その家の未婚で死んだ者や子を持たない者、そして幼児もそれに相当する。

という死生観があるのだという。つまり、早くに亡くなった子を家の祖霊として迎えるために、死後の婚礼を行っているのだ。そう考えると、何ともせつない気分になる。

2018年12月7日、駒草出版、1500円。

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2021年04月30日

上野誠『万葉集講義』


副題は「最古の歌集の素顔」。

万葉集がどのように成立し、どのような特徴を持つ歌集であるかを、歌を引きながらわかりやすく解説した本。全体が明快な構成になっていて、著者独自の観点も光る。

一、東アジアの漢字文化圏の文学としての性格を有する。
二、宮廷文学としての性格を有する。
三、律令官人文学としての性格を有する。
四、京と地方をつなぐ文学としての性格を有する。

著者はこの4つの要素を挙げて、それに沿って話を進めていく。「令和」という元号が決まった時に話題になったように、万葉集は最も日本的であると同時に最も中国的な歌集でもある。そうした様々なレベルの接点や重なりの中に万葉集は存在するのだ。

短歌なら五・七・五・七・七となるので、五音か七音で訓もうと万葉学徒は工夫するのである。もう一つは、歌の表現の型があるので、なるべく型に合わせて訓んでゆけば、なんとなく訓めるのである。じつは、万葉学徒といえども、なんとなく訓んでいるのである。
こういう心の交流は、むしろ身分差を肯定した上に成り立っているものと考えなくてはならない。身分差を越える心の交流によって、逆に身分差を固定化する性質があるといえるだろう。
防人は筑紫に派遣されるので、筑紫で歌われたと考えられがちであるが、そうではない。歌が集められたのは、難波なので、難波以西の歌は存在しないのである。
方言が使用された素朴な歌を東国に求めるのは、都びとの側の方なのである。だから、それは、都びとが求める東国の歌々のイメージでしかない。

以前、上野誠の講演を聴いて話の面白さに驚いたことがあるのだが、この本もやはり面白い。文章の書き方にリズムがあり、緩急がある。

正岡子規の俳句、短歌の革新運動も、欧化に対して心のバランスを取るものであったといえよう。その子規がもっとも重んじたのが、『万葉集』なのであった。

近代に入って万葉集が国民歌集として再発見された経緯は、品田悦一『万葉集の発明』に詳しい。中国文化の強い影響力のもとにあった飛鳥・奈良時代と西洋文化の強い圧力にさらされた明治時代。こうした似たような環境のもとに、万葉集は生まれ、再評価されることになったのだ。

2020年9月25日、中公新書、880円。

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2021年04月24日

小川善照『香港デモ戦記』


2019年に逃亡犯条例の改正案をきっかけに香港で起きた大規模なデモに取材した一冊。2014年の雨傘運動の高揚や挫折を経て新たなうねりとなったデモの経緯を、現地での取材やインタビューを通じてまとめている。

帯には日本でも有名になった周庭(アグネス・チョウ)の写真が大きく載っているが、周庭に関する話は終章に追加的に載っている程度。雨傘運動と違ってリーダーのいない運動と言われた2019年のデモについて、様々な参加者の声を集めることが中心となっている。

ブルース・リーの言葉“Be water”(水になれ)は、今回の運動の象徴的な言葉として、すでにTシャツなどに書かれ、戦術的なスローガンともなっているのだ。

1997年の香港返還以来、一国二制度という建前のもと、香港が徐々に中国本土の影響下に置かれてきたことは間違いない。その大きな要因は、中国の飛躍的な経済発展にある。

経済に関しては、香港はすでに中国の一部になっているとも言われる。一九九七年の中国返還に際して、中国全体のGDPに占める香港の割合は二〇%以上にも上っていた。しかし、二〇一四年現在、それはわずか三%になっている。
香港経済が大陸への依存度を高めていくにつれ、香港の地価を上昇させ、結果、香港人の住宅事情を悪化させた。香港の若者は二〇代後半でも親と同居せざるを得ないという。

香港の民主化運動と一口に言っても、参加する人の立場は様々だ。「民主派」「自決派」「本土派」「帰英派」「独立派」など、それぞれの主張には違いがある。

筆者は基本的にデモや民主化運動に寄り添う立場だが、運動が民族主義的で排外的な要素も持つことや、エリート大学生のデモ隊が学歴の低い警察官に侮蔑的な言葉を発する様子など、負の側面もきちんと描いている。そのあたりが信用できるところだと思う。

2020年5月20日、集英社新書、860円。

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2021年04月23日

BUBBLE-B『全国飲食チェーン本店巡礼』


副題は「ルーツをめぐる旅」。

全国各地の飲食店チェーンの本店(1号店)をめぐる旅の記録。

登場するのは、吉野家(築地店)、フレッシュネスバーガー(富ヶ谷店)、CoCo壱番屋(西枇杷島店)、ベル(大通店)、サイゼリヤ(教育記念館)、和食さと(橿原北店)、はなまるうどん(木太店)、天下一品(総本店)、餃子の王将(四条大宮店)、牛角(三軒茶屋店)、元禄寿司(本店)など、全49店。

1号店には、創業当時の歴史を感じさせる雰囲気や立地、調度品が残っていることも多い。

何度も食べてきた料理なのに、1号店を五感で感じながら食べることで、全く違った味に感じられるような気がする。これが本店巡礼の醍醐味である。

よく行くチェーン店に関しても、知らない情報がたくさんあった。

モスバーガーのMOSとはMOUNTAIN(山)、OCEAN(海)、SUN(太陽)の頭文字であり、自然志向である。
(ミスター・ドーナツは)1955年にアメリカで生まれたドーナツチェーンで(略)現在はアメリカには店舗はない

へえ、そうだったのかという感じ。

他にも、天津飯が日本生まれの中華料理であることを、この本で初めて知った。ナポリタンがナポリにないことは知っていたが、天津飯、お前もそうだったのか!

2013年8月5日、大和書房、1300円。

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2021年04月21日

磯辺勝『文学に描かれた「橋」』


副題は「詩歌・小説・絵画を読む」。

橋が好きな著者が、橋の登場する文学や絵画について、ゆるやかな連想を紡ぎつつ記したエッセイ。ジャンルを横断した切り口が珍しい。

書店でパラパラと見ていたら、最初に「幣舞橋を見た人々」として啄木の名前が挙がっていたので買う。

取り上げられているのは、林芙美子、徳富蘆花、エドモン・ゴンクール、松尾芭蕉、藤牧義夫、ランボー、平岩弓枝、井原西鶴、ヘンリー・ジェイムズ、釈迢空、中原中也、川端龍子など。まさに縦横無尽といった感じ。

橋があって、そこになにかじわりとにじんでくるもの、もしかすると、その橋を見たり渡ったりした人々の、心の堆積のようなものなのかもしれない。そういうものが私を引きつけるのだ。
私は客観的に存在するモノとしての橋ではなく、人の心に映り、それぞれの人の心のなかで生き、意味をもつ橋があるのだということを理解するようになった。

実は私もけっこう橋が好き。
橋を詠んだ歌がたくさんある。

明け方の淡い眠りを行き来していくつの橋を渡っただろう
                 『駅へ』
反り深き橋のゆうぐれ風景は使い込まれて美しくなる
                 『やさしい鮫』
夏の午後を眺めておれば永遠にねじれの位置にある橋と川
                 『風のおとうと』

2019年9月13日、平凡社新書、880円。

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2021年04月18日

藤井青銅『「日本の伝統」の正体』


2017年に柏書房から刊行された本に加筆修正して文庫化したもの。

日本の伝統と思われている様々な行事・風習・生活様式が、実は比較的新しいものであることを、多くの実例を挙げて面白く示している。

取り上げられているのは「初詣」「神前結婚式」「肉じゃが」「土下座」「千枚漬」「橿原神宮」「ちゃっきり節」「津軽三味線」など。

この本の良いところは、単に雑学ネタを並べただけでなく、私たちのモノの見方や認識の方法についての考察を含んでいるところだろう。

現地で作ったものを現地の人が食べるだけなら、特別な名前はいらないのだ。うどんはうどん、そばはそば、ラーメンはラーメン……で十分だから。(讃岐うどん)
対する西洋だって、実は漠としているのだ。なんとなくヨーロッパと北アメリカを思い浮かべる人が多いだろう。ではアフリカは?あそこは西洋なのか?(東洋)

香川県のうどんは県外に出て行って初めて「讃岐うどん」になる。西洋文明と出会うことで初めて「東洋」という概念が生まれる。

外部との接触によって新たな伝統が誕生するわけだ。おそらく、明治期の「短歌」もその一つと言っていいのだろう。

2021年1月1日、新潮文庫、590円。

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2021年04月07日

三浦しをん『ぐるぐる博物館』


2017年に実業之日本社より刊行された単行本の文庫化。

全国10館(+α)の博物館を訪れて博物館の魅力について記したルポエッセイ。軽快な文章で楽しく読み進められる。

登場するのは、茅野市尖石縄文考古館(長野県茅野市)、国立科学博物館(東京都台東区)、龍谷ミュージアム(京都市)、奇石博物館(静岡県富士宮市)、大牟田市石炭産業科学館(福岡県大牟田市)、雲仙岳災害記念館(長崎県島原市)、石ノ森萬画館(宮城県石巻市)、風俗資料館(東京都新宿区)、めがねミュージアム(福井県鯖江市)、ボタンの博物館(東京都中央区)。

「島嶼効果」とは、外敵が少ない島において、ゾウやシカなどの大型動物はミニサイズになり、ネズミやトカゲなどの小型動物は巨大化する、という現象なのだそうだ。
坑内で石炭の運びだしに馬を使っていた時代には、馬もケージに乗って竪坑を降りたのだそうだ。
鯖江は第二次世界大戦後、軍の跡地が工業用地に転用されたので、県内でも特にめがねづくりが盛んになって、いまに至る。

どれも個性的な博物館(と学芸員さん)ばかりで、知らない話が次々と出てくる。実際に行ってみたくなる所ばかり。

人間の好奇心と、最新の研究成果と、知恵や知識と、あとなんか常軌を逸した(失敬)蒐集癖や執着や愛。そういった諸々の分厚い蓄積を、楽しく我々に示してくれるのが博物館なのだ。

なるほど。博物館と言うと「モノ」のイメージが強いけれど、結局は「人」なんだな。

2020年10月15日、実業之日本社文庫、680円。

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2021年04月05日

阿古智子『香港 あなたはどこへ向かうのか』


以前、アップリンク京都で映画「香港画」を観た時にフロントで購入した本。
https://matsutanka.seesaa.net/article/480223069.html

その前に「私たちの青春、台湾」という映画も観ていて、このところ香港や台湾の情勢に関心が深まりつつある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/479846925.html

この本は、香港大学への留学経験を持つ著者が2019年12月に香港を訪れて、かつて同じ寮で暮らしていた友人たちにインタビューするところから始まる。

その後、2020年1月に総統選が行われる台湾へ。香港・台湾の取材を通じて著者は、デモや暴力のあり方、メディアや教育の役割、対立や分断を深める社会の中でどのように対話や自由を守っていくことができるか、といった問題を考察していく。

情報化は私たちの暮らしを便利にし、コミュニケーションを促進してくれたが、同時に、あらゆる場面に「敵」の存在がちらつくようになった。実際には、「敵」の輪郭をくっきりと描くことなどできないにもかかわらず。
香港には、日本による占領、イギリスによる植民地支配、そして経済大国化した中国、という外部の力が常に働いてきた。日本は「無色の他者」や「民族の敵役」として、香港人の意識に現れたり、消えたりしている。
監獄には自由がない。しかし、監獄の外も決して無条件に自由が保障されているわけではない。自由とは、自らがどうありたいのかを、他者との関係を調整しながら模索し、決断していくプロセスだ。

現在の香港の情勢を考えるには、2014年の香港の雨傘運動や台湾のひまわり運動、さらには1989年の中国の天安門事件までも視野に入れる必要がある。それは同じ東アジアの一員である日本にとっても、決して他人ごとではない話なのだ。

2020年9月30日、出版舎ジグ、1500円。

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2021年04月03日

大塚英志『文学国語入門』


2022年実施予定の高校の学習指導要領については様々な批判が出ているが、本書はそこに書かれた文章をもとに、

他者と生きる術を学ぶのが「文学国語」なら、それは「近代文学」の出番ではないか

という命題を立て、近代文学の成り立ちについて論じたものである。

第1章「「私」を疑う」から始まって、「他者」「物語」「世界」「作者」「読者」と、文学に関する要素が章ごとに一つずつ批判的に検討されていく。

この国は「キャラ」としての「私」というフィクションを「一人称言文一致体の文学」として明治期に誕生させ、しかしそこで書かれた「私」は本当の「私」だと多くの「作者」が言い、「読者」も長い間、そう信じ込んできました。そして、その約束ごとが現実生活では瓦解しながら、いざ、「文学」のこととなると、未だ、それは生きているわけです。

短歌の世界では、10年おきくらいに「私性」の問題が話題となり、同じような議論が延々と繰り返されている。けれども、それは短歌というジャンルの中だけで考えたり議論していても仕方がなく、もっと広く文学全般や物語論といった枠組みで考えなければ話が進まないのだろう。

SNSで語られることを担保するのはそれが「私」が語っているからでしかないのに、しばしば人は新聞記事や学術論文よりもSNSの「私」の言うことの方に信憑性を見出すわけです。

このように「私」をめぐる問題は、文学の中だけにとどまらず、SNSの時代の社会問題としても根強く残っているのであった。

また、明治になって東京に人々が集まるようになった際に必要となったツールとして、著者が「言文一致体」「告白」「観察」という3つの手法を挙げている点も印象に残った。

このうち「告白」と「観察」の2つは、まさに近代短歌の方法論とも重なる部分である。

他にも示唆に富む指摘が盛りだくさんで、知的好奇心を大いに刺激される一冊であった。

2020年10月23日、星海社新書、1050円。

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2021年03月23日

澤宮優『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』


昭和の頃にはあって今では見かけなくなった仕事を平野恵理子のイラスト入りで解説した本。

取り上げられている職業は、赤帽、灯台職員、井戸掘り師、炭焼き、金魚売り、貸本屋、寺男など114種類。中でも一番印象に残ったのは新聞社伝書鳩係。

鳩を訓練・育成するのが「伝書鳩係」で、新聞社内でも専門職として遇され、異動もなく、少人数で仕事を行った。彼らは鳩を会社から貰うと、社屋の屋上に鳩舎を作り、毎朝夕に規則正しく飛ばせて運動させ、飼育した。
昭和十五年、三宅島噴火のスクープ記事を新聞社が報道できたのは伝書鳩の送稿によってであった。

おお、そんな仕事があったとは!
昭和三十年代半ばまでは伝書鳩が使われていたらしい。

川に鉄筋の橋が架かると、それまで対岸まで人を乗せていた渡し船の人たちはどこへ行ってしまったのだろう。傘が安価に買えるようになると、傘の修理をして生計を立てた人はどうなったのだろう。いつも夕方に子供たちを楽しませてくれた紙芝居のおじさんたちは、テレビの登場でどこへ行ったのだろう。

様々な職種が成り立っていたのは、生活が貧しかったためである。でも、食べていくための手段・方法が多くあったわけで、見方によっては豊かな社会だったと言えるのかもしれない。

2021年2月25日、角川ソフィア文庫、1480円。


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2021年03月19日

村上稔『買い物難民対策で田舎を残す』


徳島で「移動スーパーとくし丸」を立ち上げた著者が、買い物難民対策の現状と課題をまとめた本。コンパクトな体裁であるが内容は充実していて、信頼できる書き手だと感じる。

(明石海峡)大橋開通当時の我々は、「これから徳島は本土と地続きになってますます発展する」と信じて疑わなかったのですが、結果はその反対。「ストロー現象」の教科書にでも載るような事例になってしまったのです。
食べることは(とくに高齢になるほど)生きる楽しみの大きな部分を占めるものですから、豊かであることが求められます。(…)人は非常時でもない限り、「食べられたら何でもいい」とはならないものです。
ウイルスが明らかにしたのは、これまでずいぶん長く推し進められてきた一極集中、効率化のための密へ密へという方向性に、巨大なリスクが潜んでいたということです。

買い物難民対策は、単に買い物の話にとどまらず、中山間地域に暮らす人々の健康や福祉、さらには集落の存続にまで関わる問題である。山梨に住む私の母も、運転免許を返納してまず買い物に困ったことを思い出す。中山間地域と都市部が表裏一体の関係であることを思えば、都市部に住む人にとっても無関心ではいられない話なのだ。

2020年10月6日、岩波ブックレット、620円。

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2021年03月16日

金田章裕『和食の地理学』


副題は「あの美味を生むのはどんな土地なのか」。
著者の名前は「かねだ」ではなく「きんだ・あきひろ」。

米、酒、味噌、醤油、茶、ダシ、漬物、干物、果物といった和食に欠かせない食材が、日本各地にどのような景観を生み出してきたのかを考察した一冊。写真も豊富でわかりやすい。

日本海沿岸の港町や瀬戸内海沿岸の港町などにも、大阪に見られるような、とろろ昆布などの昆布加工業が発達している。太平洋側のカツオ節の道の景観とは対照的な、昆布の道の景観が日本海側に点在し、さらに瀬戸内海沿岸にも点在するのである。
スグキ漬け、千枚漬け、柴漬けの三種の漬物は、いずれも乳酸菌発酵の漬物である。京都の伝統的な漬物を代表するものであるが、京の三大漬物と呼ばれることもある。
今は人気のない山中に一、二本の柿の木が見つかることがある。調査によってしばしば、そこにかつて存在した集落が廃村となった痕跡、あるいは廃屋の跡を確認することができる。

一つ一つの話は面白いのだが、ところどころ著者の個人的な話が挟まれるのが気になった。オーストラリアやイタリアのワインの話などは要らなかったのではないか。

2020年12月15日、平凡社新書、860円。

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2021年03月11日

『イザベラ・バードと日本の旅』のつづき(2)

もう1点興味深いのは、バードが北海道のアイヌ集落を訪れた理由についてである。

注意すべきは、アイヌ社会の特質を明らかにする旅であったということとキリスト教普及の可能性をさぐる旅という二つの特質が結びついていたこと、換言すれば、バードの平取での調査は、その二年前にデニングによって始められた英国教会伝道協会によるアイヌ伝道と不可分に結びつくものとしてあったということです。

このデニングの後任が、アイヌ研究家として知られるジョン・バチェラー。すなわち、『若きウタリに』を出したアイヌの歌人バチェラー八重子の養父ということになるのだ。

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2021年03月10日

『イザベラ・バードと日本の旅』のつづき(1)

翻訳の言葉の問題について、もう少し。

農作業をしている農民がかぶっているものを、バードの原文がhatだということで高梨氏や時岡氏は帽子と訳します。(…)しかし、正しくは前者は菅笠(…)、帽子と訳したのでは明治という時代も日本の文化・伝統も浮かび上がってきません。

この、「帽子」と訳すか「菅笠」と訳すかという問題は、なかなか難しい。もちろん文化的な背景を踏まえれば「菅笠」が正しいのだけれど、外国人がそんな言葉を知っているはずもない。

個人的には山口雅也『日本殺人事件』のような、外国人の見た不思議なニッポンの姿も好きなので、農民が(西洋的な)帽子をかぶっている姿が一瞬思い浮かぶのも悪くないように思う。

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2021年03月09日

金坂清則『イザベラ・バードと日本の旅』


イザベラ・バード研究の第一人者で『完訳 日本奥地紀行』の翻訳も成し遂げた著者が、「旅行記を科学する」という姿勢に基づき、バードの旅の本質や特徴を明らかにしていく。

その緻密で厳格な取り組みは圧倒的で、無名女性の物見遊山の旅のように言われることもあった「日本奥地紀行」のイメージを一変させている。バードは世界中を旅した有名な旅行者であり、キリスト教の伝道という使命を持ち、英国公使館や日本政府の支援・協力を受けての半ば公的な旅であったと捉えるのである。

バードの旅は、外国人が自由に旅=移動できる範囲が局限されていた時代にあって、地域的制限を受けない旅だったという点で、きわめて特異なものだったのです。
このような事実は、日本の旅が滞在総日数のほぼ四分の一を公使館で過ごす旅として計画されていたことを示します。
私はバードの日本の旅の目的の一つがキリスト教の普及の可能性を考えることにあったという、従来等閑視されてきた事実を、彼女の記述を通して明らかにしました

「日本奥地紀行」の翻訳に関しても、著者は歴史的・文化的背景を踏まえた訳を徹底的に(ちょっとコワイくらいに)追求する。

たとえばwestern Japanを西日本(高梨氏)とか日本の西部(時岡氏)と訳したのでは新潟の位置についての西洋人の認識を読者は理解できず、「本州西岸」[日本海側]としなければならない

なるほど! 日本人は「本州西岸」という捉え方は絶対にしないので、これには全く気づかなかった。地理学者である著者の面目躍如といった感じがする。

2014年10月15日、平凡社新書、880円。

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2021年03月06日

円城塔『文字渦』


2018年に新潮社より刊行された本の文庫化。
川端康成文学賞、日本SF大賞受賞。

文字をめぐる、文字による、文字を使った、文字のための、12篇の連作短編集。タイトルは中島敦の「文字禍」と同じかと思ったら「文字渦」であった。

兵馬俑、テキストファイル、ポケモンバトル、源氏物語絵巻、遣唐使、空海、Unicode、インベーダーゲーム、王羲之、阿閦仏国経、犬神家の一族、紀貫之など、実に様々な事柄が下敷きになっていて、迷宮のような世界を作り出している。

一度読んだだけでは、到底その迷宮から抜け出せそうにない。

2021年2月1日、新潮文庫、710円。

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2021年03月03日

斉藤光政『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』


2006年に新人物往来社から刊行され、2009年には新人物文庫に入った作品の復刊・再文庫化。巻末に「新章 あれから十二年―偽書事件の今」が追加されている。

1975年から77年にかけて青森県の『市浦村史 資料編』に掲載されたことで有名になった「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)。地元の東奥日報の記者である著者が、その真贋論争を取材したルポルタージュ。

とても面白い。

稚拙な偽書である「東日流外三郡誌」が、なぜ公的な文書に載り全国的な反響を呼ぶに至ったのか。著者は取材を続けていく中で、偽作者である和田喜三郎の手口を明らかにしていく。

それは、仏像などの古物を売り付ける際に偽の古文書でお墨付きを与えるというもの。神社のご神体や安東氏の財宝、役小角の墓、安倍頼時の遺骨、大量の和田家文書など、まさに何でもありの状態だ。

津軽半島の寒村をどうにか有名にしたいという切ない村おこしの気持ちと、人間ならだれしも持っているささやかな功名心。それらが複雑に絡んで生まれたのが『市浦村史資料編 東日流外三郡誌』と言えそうだった。

さまざまな人間の欲望が入り混じって拡大した偽書事件。その真相を明らかにした著者の執念が光る一冊である。

2019年3月25日、集英社文庫、800円。

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2021年02月21日

石堂淑朗『将棋界の若き頭脳群団(チャイルドブランド)』


約30年前の本を読む。

脚本家・評論家で将棋の観戦記も書いていた著者が、当時「チャイルドブランド」(=幼くして一流)と呼ばれていた羽生善治たちについて記した本。彼らの強さの理由や将棋界の変化を、かなり批判的に分析している。

升田幸三はじめ人間味溢れる棋士を理想とする著者にとって、羽生たちは強さこそ認めざるを得ないものの、決して認めたくはない存在であったようだ。

新人類、リズムとメロディーとハーモニーの違う将棋を指すCBたちが、どうしてこうも一挙にまとまって出現したのか
羽生のように何でもこなすという感性は、相撲でいうとなまくら四つの、せいぜい関脇クラスのものだといわれてもしかたないのである。
それが成立するのは、ゲーム将棋だからである。ゲームである以上は、勝てばよい。どんな手を指しても勝てばよい。

何とも、散々な書きようである。でも、嫌な感じはしない。自分の信じる将棋のあり方からすれば到底受け入れられないものを、何とか理解しようと努めている。そこに嘘はない。

現在光り輝いているCBが、三十のころいったいどのような運命をたどっているのか、ここには意地悪い好奇心が潜んでいることを認めざるをえないが、しかしこれもひとつの人生の相であると思えば、やはりだれがいったい三十まで息が続くのか、ぜひぜひ見たく思っている。

「三十まで息が続くのか」と揶揄された彼らは、実際には三十歳どころか五十歳になった今も第一線で活躍を続けている。若い時だけではなく、実に息の長い輝きを放つ世代となったのだ。

著者の予測は外れたわけだが、それはあくまで結果論。この本は二十歳代前半だった彼らが当時どのように見られていたのかを伝える貴重な記録となっている。

1992年10月15日、学習研究社、980円。

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2021年02月18日

清水浩史『不思議な島旅』


副題は「千年残したい日本の離島の風景」。

長年にわたって全国各地の島を旅してきた著者が、人口ひとりの島や古い風習が残っている島、無人島になってしまった島などを紹介しながら、島旅の魅力を語っている。

島には過去から継承された風習や在来知が色濃く残っている。加速度的に経済偏重に呑みこまれる社会において、島々はいにしえからの多様な知が息づく、最後の拠点なのかもしれない。

取り上げられているのは、黒島(長崎県)、前島(沖縄県)、多楽島(北海道)、オランダ島(岩手県)、由利島(愛媛県)など。あまり名前を聞いたことのない島が多い。

中でも印象的だったのは鹿児島県の新島(燃島)。「桜島沖に浮かぶ新島は、2019年に有人島に戻った。新島が有人になったのは、6年ぶりのこと」とある。

実は、この島には2013年に行ったことがある。当時は無人島になっていた。


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桜島から望む新島。写っている船が行政連絡船「しんじま丸」。
この船で桜島(浦之前港)から新島に渡る。


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島の道にはいたるところに草や木が生えていて、奥の方まで進むことはできない。


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かつての桜峰小学校新島分校跡。1972年に廃校になった。

屋根瓦つらぬき通す木の力、草の力、蔦の力を生みたるちから
窓ガラスあらぬ窓よりのぞき見る学ぶ子も遊ぶ子もいない分校
                  『風のおとうと』

この新島に、また人が住み始めたのだ。

今の新島は生まれ変わったかのようだ。雑草はきれいに刈り取られ、島全体が明るくなった印象を受ける。

何とも感慨深い。

2020年12月30日、朝日新書、790円。

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2021年02月14日

飯島渉『感染症と私たちの歴史・これから』


歴史総合パートナーズC。

天然痘、ペスト、結核、インフルエンザなどの感染症の歴史を、人類の誕生から21世紀まで順にたどった本。このシリーズはどれもわかりやすくまとまっていて、問題の概要を摑むにはとてもいい。

新型コロナの感染拡大以降、感染症に関する本が相次いで刊行されているが、この本は2018年に出たもの。何かが起きてからではなく、起きる前の刊行という点が信頼できる。

近い将来、鳥インフルエンザが流行した場合、日本だけで死者は70万人を超えるという予測もあるのです。
日本にもたらされた梅毒は、唐瘡や琉球瘡、九州では特に南蛮瘡と呼ばれました。(・・・)もし、新たな感染症が登場したら、私たちはこうした差別的意識から完全に自由になれるでしょうか。
天然痘の根絶が成功すると、人々は20世紀中に多くの感染症の制圧が可能になると考えるようになりました。しかし、それは正しくありませんでした。

こうした文章は今では予言のように響いてくる。COVID-19に関しても「武漢風邪」「中国ウイルス」といった呼び方をする人々がいる。感染者に対する差別も含めて、まだまだ歴史から学ぶことは多い。

2018年8月21日、清水書院、1000円。


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2021年02月12日

ナカムラクニオ『洋画家の美術史』


日本の近代洋画の歴史を16名の画家の作品や人生を通して描いた一冊。著者の考える「洋画」とは、次のようなものだ。

明治、大正期に西洋から日本に輸入され、独自に進化した「和制洋画」は、料理でいうと、カツレツ、カレーライス、コロッケ、エビフライ、あるいはビフテキとも似た「洋食」のような存在だろう。
「洋画」とは、明治時代以降「独自の進化を遂げたガラパゴス的西洋風絵画たち」を指すと考えていいのだろう。

登場する画家は、高橋由一、黒田清輝、藤島武二、萬鉄五郎、佐伯祐三、藤田嗣治、岸田劉生、坂本繁二郎、梅原龍三郎、長谷川利行、東郷青児、熊谷守一、曽宮一念、鳥海青児、須田剋太、三岸節子。

高橋由一の代表作「鮭」について、著者は「なぜ「新巻き鮭」なのか?」という問いを立て、次のように述べる。

実は江戸時代、絵画においても鮭のモチーフは人気だった。葛飾北斎も繰り返し描いている。幕末になると、大量の塩鮭が蝦夷地(北海道)から運ばれてくるようになり、鮭は庶民の食事として定番のメニューとなった。

図版には北斎の作品「塩鮭と白鼠」も載っており、それとの比較によって高橋の「鮭」の何が新しかったのかが浮き彫りにされている。実に鮮やかな解説だ。

絵画は大きく分けると「窓派」と「鏡派」の2種類ある。窓のように世界を切り取ったものと、鏡のように心を写し取ったものだ。

窓と鏡。おそらくこれは絵画にかぎらず、表現全般に当て嵌まることなのだと思う。

2021年1月30日、光文社新書、1120円。

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2021年02月11日

井上理津子『絶滅危惧個人商店』


「ちくま」2018年12月号から2020年5月号までの連載に加筆・編集を加えてまとめた一冊。

長年続く個人商店に取材して、店の歴史や店主の人生を丁寧に浮かび上がらせている。

取り上げられているのは、荒川区日暮里の佃煮「中野屋」、台東区の「金星堂洋品店」、葛飾区亀有の「栄眞堂書店」、新宿区神楽坂の「熱海湯」など18軒。

ジーンズという呼び方の語源は、イタリア語の「ジェノヴァ」。(・・・)フランス語で「ジェーヌ」と発音され、それが英語に転じてジーンズと呼ばれるようになったそうだ。
卸屋で仕入れるのは、タイヤ、車輪、スポーク、チェーン、フレーム、各種部品など自転車を構成する部材一式。「完成車」が流通するのは、少なくとも一九六〇年頃以降だと木下さんは言う。
「死んだ作家の本は読まれない。例外なのは、池波正太郎、山本周五郎、松本清張、吉村昭だけだね」古本の現場から、軽やかに時流を読む田辺さんである。

個人商店から、スーパーやデパートなどの大型店、ショッピングモール、さらにAmazonなどの通販へ。時代とともに私たちの買物の場もどんどん変ってきた。その中で得たものももちろん大きかったが、失ったものも少なくはなかったのだと思う。

2020年12月15日、筑摩書房、1500円。

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2021年02月10日

宮田登『民俗学』


1990年に放送大学の教材として刊行された本の文庫化。

「民俗学の成立と発達」「日本民俗学の先達たち」「常民と常民性」「ハレとケそしてケガレ」「ムラとイエ」「稲作と畑作」「山民と海民」「女性と子ども」「老人の文化」「交際と贈答」「盆と正月」「カミとヒト」「妖怪と幽霊」「仏教と民俗」「都市の民俗」という内容になっている。

柳田国男は、民俗学をたんなる古俗の詮索から脱却させ、すぐれて現代的課題にとり組むべき使命をもった学問として性格づけたのである。
若い世代の間に誕生日を祝う習俗が定着したけれど、この時の贈答も招待パーティもだんだん派手になってきた。年齢を満で数えるようになった結果、誕生日の実感が強くなったことや、個人意識の発達によるものである。
仏教と死者供養、先祖供養とのつながりは不可分のようにみえる。しかし本来仏教には、先祖供養の考えはなかった。

誕生日のお祝いや先祖供養の行事なども、当り前のことと思わずに一つ一つ丁寧に見ていくと、意外な事実が浮かび上がってくる。

内容的に古くなっている点もあるが、民俗学の基本を理解するのに良い一冊だと思う。

2019年12月10日発行、講談社学術文庫、960円。

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2021年02月01日

大川慎太郎『証言 羽生世代』


1970年生まれの羽生善治を中心とした将棋界の「羽生世代」。16名の棋士へのインタビューを通じて、羽生世代に多くの強豪が集まり長年にわたって活躍を続けた理由に迫っている。

登場するのは、谷川浩司、島朗、森下卓、室岡克彦、藤井猛、先崎学、豊川孝弘、飯塚祐紀、渡辺明、深浦康市、久保利明、佐藤天彦、佐藤康光、郷田真隆、森内俊之、羽生善治。

印象的な発言をいくつか引いておこう。

羽生さんたちは最後の「精神世代」ですよね。いまはほとんど使われなくなった言葉ですけど、「気持ち」や「根性」を彼らは持っていました。(島朗)
昔のように最初から自分で考えて時間を目いっぱい使う将棋って、いまは年に数局しかないですよ。(略)自分のタイトル戦を振り返っても、羽生世代の棋士たちと指していた時のほうがハイレベルだったと思いますね。(渡辺明)
ギリギリの勝負をしたいという気持ちが常にあるからでしょうね。だからタイトル戦も常にフルセットまで行きたいんです。(深浦康市)
そりゃあ羽生、佐藤、森内がいなければもっと勝てたでしょう。でも、そんなことはどうでもいい。そんなので勝ってもしょうがないんです。(郷田真隆)

羽生世代がデビューして30年以上。当初は上の世代との比較で合理性やデジタルな側面が強調されていた彼らだが、今では下の世代との比較も加えて、より客観的な位置づけや評価が可能になっている。

棋士たちの発言は総じてみな謙虚だ。それは「自ら負けを認める将棋のゲーム性」によって培われたものでもあるだろうし、また勝負の世界の厳しさも感じさせるものである。

個人と個人が戦って、勝つか負けるかしかない世界。そこには、どんな言い訳も弁解も存在しない。

2020年12月20日、講談社現代新書、1000円。

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