2024年01月03日

橋爪伸也『瀬戸内モダニズム周遊』


明治から昭和戦前期の地図や絵葉書、旅行案内などをもとに、瀬戸内海がどのように発展してきたのかを記した本。観光、文化、産業、都市、温泉といった様々な角度から、瀬戸内海の姿を描き出している。

吉田初三郎などが手掛けた鳥観図が数多く載っていて、図版を見るだけでも楽しい。

「瀬戸内海」というイメージが広く流布する大きな契機が、先の述べた瀬戸内海国立公園の制定であり、それに伴う近代的な観光開発の進展である。
「瀬戸内海」という広域の海面を表す概念は、日本を訪問した外国人が発見したものだ。近世の日本人は、和泉灘、播磨灘、備後灘、安芸灘、燧(ひうち)灘、伊予灘、周防灘のように、いくつかの「灘」に分けて海を把握していた。

なるほど、この指摘は目からウロコという感じだ。昔からそこに海はあったけれど、「瀬戸内海」が誕生したのは近代になってからのことだったのだ。

『瀬戸内海名所巡り』の表紙には、大阪商船の顔となった新型船の勇姿を描いたイラストを掲載している。同社がドイツ製ディーゼル客船「紅丸」を購入、大阪と別府を結ぶ航路に就航させたのは明治四十五年(一九一二)の春のことだ。

2000年から2001年にかけて、私は当時住んでいた大分と神戸を往復するフェリーにしばしば乗っていた。関西と大分を結ぶ路線がこんなに長い歴史を持っていたとは!

別府の名物「地獄めぐり」に関する話も出てくる。

明治四十三年(一九一〇)、「海地獄」の管理者が、湧き出る湯をのぞきに訪れた湯治客から二銭を徴収して名所として売り出す。これを嚆矢として、それまでの「厄介者」が温泉郷の名物となる。血の池地獄、坊主地獄、八幡地獄、紺屋地獄がこれに続き、公開を始める。

なるほど、「地獄めぐり」もまた近代になって生まれたものだったのか。古くからの伝統のように思われているものも、ルーツを探ると意外に新しいものなのであった。

血の池地獄の沈殿物から作られる「血ノ池軟膏」をその昔愛用していたのだけれど、今でも売っているだろうか。

2014年5月25日、芸術新聞社、2500円。

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2023年11月27日

光嶋裕介『これからの建築』


副題は「スケッチしながら考えた」。

住宅、美術館、学校、駅、塔、高層ビル、橋、競技場などの様々な建築について、建築家としての考えを記した本。書き(描き)ながら考え、考えながら書く(描く)。その行為の積み重ねの先に、著者の考える「これからの建築」の姿が浮かび上がってくる。

変わる建築と変わらぬ風景が街に違った時間を同居させていく。「ローマは一日にして成らず」、とは言い得て妙である。魅力ある街の景観は、建築の継承と更新を適度に続けながら、保たれる。
モダニズムの原理の前提として想定された「人間」とは、マジョリティーの健康な人間、それも西洋人であることを忘れてはならない。
教室のなかにみんなと一緒に座っていたひとが教壇に上がって、彼らと同じ方向を向くのではなく、彼らと対面し、語りかけることで、ひとはだれでも文字通り「先生」になる。
スケッチには視覚情報以上に、建築体験そのものの記憶がしっかりと定着されていく。私にとってスケッチは、なにより大切な旅の記録装置となる。だからスケッチを終えると必ずサインを入れる。

3年近く書き続けた末に著者のたどり着いた結論は、「生命力のある建築」というものだ。その実践は「森の生活」(2018年)や「桃沢野外活動センター」(2020年)に見ることができる。

https://www.ykas.jp/works/detail.html?id=167
https://www.ykas.jp/works/detail.html?id=269

2016年9月28日、ミシマ社、1800円。

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2023年11月17日

釈徹宗『異教の隣人』


2015年4月から2年間にわたって毎日新聞大阪本社版に連載された「異教の隣人」をもとに加筆・再構成したもの。関西各地にある様々な宗教の施設を訪れ話を聞く内容だ。

取り上げられているのは「イスラム教」「ジャイナ教」「ユダヤ教」「台湾仏教」「シク教」「ベトナム仏教」「ヒンドゥー教」「韓国キリスト教」「ブラジル教会」「正教会」「コプト正教会」など。宗教だけでなく民間信仰や祭事の話も出てくる。

もともと、日本の地域コミュニティは「お寺」や「神社」を核として構築されてきました。でも、そのカタチは都市部を中心に大きく変化しています。
宗教は「死者とどう向き合うか」という人類独自の課題を担っています。この世界はけっして生者だけのものではありません。生者は死者と共に暮らしています。
同じ信仰、生活様式、言語、食習慣を持つ人が集う場があるから暮らしていける。特有の行動様式や価値体系の蓄積が宗教だと考えるなら、異文化の中で暮らしている人にとって、自分たちの宗教的土壌を感じられる場は必要となってきます。

宗教について考えることは、狭い意味での「宗教」だけでなく、文化や社会、生活様式、生き方、コミュニティ、相互理解、マイノリティなどについて考えることでもあるのだった。

2018年10月30日、晶文社、1650円。

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2023年11月16日

宮脇俊三編『日本の名随筆(93)駅』


巻頭に金子光晴の詩「駅」を置き、続いて駅に関する随筆32篇を収めている。宮脇俊三の選びだけあって、どれも鉄道愛に溢れた味わい深い文章ばかり。

自動車をドライヴすると同じ気持で、省線山手線をドライヴすることは一層快適なことにちがひない。うちに居て退屈して仕方のないとき、心の鬱して仕方のないとき或は心が逞しくてぢつとしてゐられないときなど、必ず一度は試むべきものではないだらうか。
/上林暁「省線電車」
「ガード下」というのは町のなかの裏通りではあるのだが、それは決してさびれたところではない。むしろ町で暮らしているさまざまな人間の喜怒哀楽が、まるで焼き鳥の煮込みのようになってぐつぐつとたぎっている人間臭い場所である。
/川本三郎「「ガード下」の町、有楽町」
ある日小瀬温泉口駅まで行くと、草津の方から来る電車が二、三時間延着すると駅長が言った。ということは、それが来るまでこっちの電車も動かないということなのだ。ワケを訊くと、上州方面から油虫の大群が飛んで出てレールに密集したため、それをいまガソリンで焼きつつあるのですという。
/北條秀司「幻の草軽電車」
旭川空港―旭川駅前間の旭川電気軌道バスといい、鉄道がなくなっても往時の社名を名のっている会社は全国に数多い。社名変更は経費がかかって大変だから、そのままになっているのだろうが、先人の歴史をしのぶ気持ちもはたらいているのではなかろうか。
/種村直樹「三菱石炭鉱業南大夕張駅」
中国の列車食堂というのは、車輛に鍋釜を持ち込んで、竈に勇ましく火を起し、一つ一つ料理にあの炎と油の祭典を繰りひろげるのだ。日本の列車食堂では電子レンジ出身の去勢された料理ばかりだが、ここではいきのいい素朴な惣菜にありつける。
/桐島洋子「莫斯料(モスクワ)行れっしゃはやおら黙念と北京駅を離れた」

どれもいいなあ。駅もいいし、文章もいい。
読んでいると、鉄道の旅に出たくなってくる。

1990年7月25日、作品社、1300円。

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2023年11月12日

最東対地『この場所、何かがおかしい』


全国各地の廃墟、戦争遺跡、B級スポット、パワースポットなど15か所を訪れた旅エッセイ。

登場するのは、大久野島(広島)、案山子畑(滋賀)、沖島(滋賀)、雄島(福井)、世界平和大観音(兵庫)、貝殻公園(愛知)、小池遊郭跡(愛知)、まぼろし博覧会(静岡)、江ノ島(神奈川)、友ヶ島(和歌山)、鬼怒川温泉街(栃木)、清里駅前(山梨)、小網神社(東京)、東京トンネル怪紀行(東京)、エクスナレッジ本社(東京)。

今から遡ること三〇うん年、清里高原にあるJR清里駅は若者でごった返していた。黒山の人だかりを作り、道行く車は渋滞で動かない。(…)そこにかわいらしいポップな外見のお店、メルヘンチックでカラフルなお店が軒を連ね、若者……特に若い女性がひっきりなしに店内へと吸い込まれていく。

そんな店の多くが今は廃墟化しているとは、まったく知らなかった。歳月やブームというのは何とも残酷なものだ。

2022年8月3日、エクスナレッジ、1400円。

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2023年11月07日

尾形希莉子・長谷川直子『地理女子が教えるご当地グルメの地理学』


全国47都道府県の地理的な特徴と関係の深いご当地グルメを解説・紹介した本。

環境によって育つ作物、採れる食材が違い、また保存方法・調理方法が異なります。つまり、その土地ならではの料理には、その土地の特徴が詰まっているといえるのです。

「地理」×「グルメ」という組み合わせは意外なようでいて、きちんとした根拠があるのだ。

取り上げられているのは、石狩鍋(北海道)、フカヒレ(宮城県)、かんぴょう(栃木県)、ぶり大根(富山県)、ふなずし(滋賀県)、しじみ汁(島根県)、室戸キンメ丼(高知県)、地獄蒸しプリン(大分県)など。

笹団子に性別があるのはご存知でしたか? 一般に知られている餡入りの笹団子は、じつは女団子と呼ばれています。逆に男団子は、団子の中に野菜きんぴらが入っているものを指すのです。
静岡県にある浜名湖地域では、うなぎの養殖が盛んです。浜名湖で養殖しているわけではなく、湖周辺に人工池を造り、養殖をしています。
大阪以外でも、北前船の寄港地には昆布料理が多く見られます。たとえば、富山の昆布締め・昆布かまぼこや、沖縄のクーブイリチーという昆布の炒めものなどです。北前船の航路は、このような昆布文化をもたらしたことから「昆布ロード」と呼ばれています。

カラー写真も数多く載っていて、どれも実に美味しそうだ。

2018年6月25日、ベレ出版、1600円。

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2023年11月05日

村上春樹『猫を棄てる』


副題は「父親について語るとき」。
絵・高妍(ガオ・イェン)。

2020年に文藝春秋社より刊行された単行本を文庫化したもの。亡き父との思い出を記しつつ、父の戦争体験の意味を問い直している。

当時はまだ海は埋め立てられてはおらず、香櫨園の浜は賑やかな海水浴場になっていた。海はきれいで、夏休みにはほとんど毎日のように、僕は友だちと一緒にその浜に泳ぎに行った。
生まれはいちおう京都になっているのだが、僕自身の実感としては、そしてまたメンタリティーからすれば、阪神間の出身ということになる。同じ関西といっても、京都と大阪と神戸(阪神間)とでは、言葉も微妙に違うし、ものの見方や考え方もそれぞれに違っている。

このあたり、関西に住んでいるとなるほどと思うことが多い。
高安国世も阪神間育ちの人。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138714.html

読書というのは流れが大切だと思っていて、小堀杏奴『晩年の父』→『猫を棄てる』は父の思い出つながり、乃南アサ『美麗島プリズム紀行』→映画「エドワード・ヤンの恋愛時代」→『猫を棄てる』は台湾つながり(イラストの高妍は台湾出身)。

こんなふうに別の文脈が交差するところには、何か大事なものが潜んでいると思っている。

2022年11月10日、新潮文庫、660円。

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2023年11月02日

小堀杏奴『晩年の父』


このところ鷗外が気になって仕方がない。
著者の小堀杏奴は鷗外の次女(1909−1998)。

父は何時も静かであった。葉巻をふかしながら本を読んでばかりいる。子供の時、私はときどき元気な若い父を望んだ。自分の細かいどんな感情をも無言の中に理解してくれる父を無条件で好きではあったが、父はいつでも静かだったし、一緒に泳ぐとか走るとかいう事は全然なかった。
父は物事を整然(きちん)と整理する事が好きだった。私たちが何か失くしたというと、
「まず」
といってから、そのものには全然関係のない抽出からはじめて、一つ一つゆっくり整頓して行った。/すっかり整然と片付けてゆくと、また不思議になくなったと思うものも出て来た。
不律が死に、残った姉までが既(も)う後廿四時間と宣告された時、父は姉の枕許に坐ったまま後から後から涙の零れるのを膝の上に懐紙をひろげてうつむいていると、その紙の上にぼとぼとと涙が落ちる。/廿年近い結婚生活の中で、父の涙を見たのはこの時が初めてでそしてまた終りであったと母は言っているが、その時は吃驚して父の顏ばかり見ていたそうである。

どの文章からも鷗外の姿がなまなましく浮かび上がる。回想の甘やかさと懐かしさと不確かさ、そして父に対する愛情が混然一体となって、独特な味わいを醸し出している。初出は与謝野寛・晶子の雑誌「冬柏」で、与謝野夫妻のプロデュース力はさすがなものだ。

この本は、1936年刊行の『晩年の父』に1979年発表の文章を「あとがきにかえて」として追加して一冊にまとめている。

・「晩年の父」(1934年執筆)
・「思出」(1935年執筆)
・「母から聞いた話」(1935年執筆)
   以上は『晩年の父』(1936年)収録
・「あとがきにかえて」(1978年執筆)
   (原題は「はじめて理解できた「父・鷗外」」)

つまり、25〜26歳の頃に書かれた文章と69歳の時の文章が一緒に収められていることになる。そこに年齢的な変化があるのはもちろんだが、それ以上にキリスト教への入信が大きな影響を与えたことが見て取れる。

鷗外47歳の時に生まれ13歳で父と死に別れたこと、鷗外と後妻の志げとは18歳の年の差があったこと、嫁姑の仲が良くなかったことなど、家族というものについてあれこれ考えさせられる内容であった。

他の子どもたちの書いた本も読んでみようと思う。

1981年9月16日第1刷、2022年7月27日第18刷。
岩波文庫、600円。

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2023年10月20日

『定本 日本近代文学の起源』のつづき

引用したい箇所がたくさんあるので、もう少し。

子規の短歌は俳句の革新は、結核が強いた現実や生理と無関係ではない。しかし、彼は意味≠ニしての結核とは無縁なままであった。『病牀六尺』は苦痛を苦痛としてみとめ、醜悪さを醜悪さとしてみとめ、「死への憧憬」のかわりに生に対する実践的な姿勢を保持している。
徴兵制についてはしばしば否定的に言及されることはあっても、学制それ自体が問題にされないのは奇妙というほかはない。それらが並んで出てきたことの意味が考えられたことがないのだ。それらが「富国強兵」の基礎として実施されたことはいうまでもないが、そこにはもっとべつの意味がある。
江戸時代の画が「写実」的であったとしても、それはわれわれが考えるような「写実」ではない。なぜなら、彼らはそのような「現実」をもっていないからであり、逆にいえば、われわれのいう「現実」は、一つの遠近法的配置において存在するだけなのである。
ネーション=ステートが成立した後には、それ以前の歴史もネーションの歴史として語られる。すなわち、ネーションの起源が語られる。しかし、ネーションの「起原」は、そのような古い過去にあるのではなく、むしろそのような古い体制を否定した所にこそ存在するのである。ところが、ナショナリズムにおいては、まさにそのことが忘れられ、古い王朝の歴史が国民の歴史と同一化されるのだ。

和歌革新運動と近代短歌の成立について考える際にも、パレスチナとイスラエルの紛争を考える際にも、おそらくこうした角度からの分析が必要になってくるのだと思う。

2008年10月16日、岩波現代文庫、1200円。

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2023年10月19日

柄谷行人『定本 日本近代文学の起源』


2004年に岩波書店より刊行された単行本の文庫化。
原本は1980年に講談社より刊行された。

「風景」「内面」「告白」「病」「児童」などをキーワードに、明治20年代の日本近代文学の成り立ちを考察する評論集。それはまた、「日本」や「近代」を問い直すことにもつながっている。

かなり難しい内容も含まれていて、全体の4割くらいしか理解できなかったけれど、それでも十分に面白かった。示唆に富む部分が随所にある。たまには、こういう硬い本も読まなくてはと痛感した。

近代に対して中世、古代、あるいは東洋を対置する人達は少なくない。しかし、すでに中世とは近代に対して中世を賛美するロマン主義によって想像的に見出されたものであり、東洋(オリエント)もまた同様に、近代西洋への批判として創造された表象である。
明治以降のロマン派は、たとえば万葉集の歌に古代人の率直な「自己表現」を見た。しかし、古代人が自己を表現したというのは近代から見た想像にすぎない。そこでは、むしろ、人に代わって歌う「代詠」、適当な所与の題にもとづいて作る「題詠」が普通であった。
もともと歌舞伎は人形浄瑠璃にもとづいており、人形のかわりに人間を使ったものである。「古風な誇張的な科白」や「身体を徒に大きく動かす派手な演技」は、舞台で人間が非人間化し「人形」化するために不可欠だったのである。
告白という形式、あるいは告白という制度が、告白さるべき内面、あるいは「真の自己」なるものを産出するのだ。(…)隠すべきことがあって告白するのではない。告白するという義務が、隠すべきことを、あるいは「内面」を作り出す。
結核は現実に病人が多かったからではなく、「文学」によって神話化されたのである。事実としての結核の蔓延とはべつに、蔓延したのは結核という「意味」にほかならなかった。

いずれも、逆説や転倒を含む論理展開が鮮やかで刺激的だ。この本の原書が著者39歳の作であることにも驚きを覚える。やはり、すごい人はすごいものだ。

2008年10月16日、岩波現代文庫、1200円。

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2023年10月17日

吉野俊彦『鷗外百話』


日本銀行に勤めるエコノミストであり、また鷗外研究者として知られる著者の、鷗外に関するエッセイや講演70篇を集めた本。

当初は題名通り100篇を収める予定だったのが、分量の関係で70篇に絞ったとのこと。それでも376ページという厚さである。

文学者であり軍医でもあった鷗外の作品を、著者は「サラリーマンの哀歓」という観点から捉える。二足のわらじを履いた人生の苦悩を読み取るのである。

いままでの鷗外文学の研究は、専門の文学者かお医者さんか、いずれかの見方であったのですね。ところがサラリーマンという眼で、われわれと同じ悩み、喜びを持った、何十年も同じそういう生活をした鷗外の全作品を見直すと、その本質はサラリーマン文学なんだということを痛感せずにはいられない。
彼は大学を出て、軍医中尉格の「陸軍軍医副」に任官し、下級のサラリーマンとして世に出たのです。そしてそれを出発点としてずーッと何年も勤めたあげく、最後に最高の地位に到達したに過ぎない。その間、実に多くの迫害を受け、まさに辞職の一歩手前までいっているので、決して順風満帆の生涯ではなかったのです。
陸軍省医務局長という地位は軍医として最高の地位であったには違いないにしても、陸軍次官、さらに陸軍大臣という上級職の指揮下にあり、また形式的には同格の軍務局長、人事局長などに対しても、事実上劣位にあったことは否定できず、ある意味では中間管理職に似た苦境に立つ可能性を内包するものだったとみるべきである。

こうした観点に立って、著者は鷗外が味わった様々な人生の苦み(小倉への左遷、文芸活動に対する批判、陸軍次官との衝突)を具体的に記している。著者もサラリーマン生活をしながら、鷗外研究を長年続けるという二足のわらじを履いた人であった。鷗外に対する共感と敬愛の深さが滲む。

人間には必ず「興味」というものがある。この興味というのは天の啓示であり、神のおぼしめしである、と私は思っている。それを徹底的にやりなさいということを、天が命じているのだといってもよい。

専門の経済関係の本とは別に鷗外に関する研究書を十数冊刊行した著者の言葉だけに重みがある。

百年のちのベルリンへ人は出発し日が暮れて読む『鷗外百話』
       永井陽子『モーツァルトの電話帳』

1986年11月30日、徳間書店、2000円。

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2023年10月14日

渥美清『新装版 渥美清わがフーテン人生』


「サンデー毎日」1976年新年号から17回にわたって連載された聞き書きを一冊にまとめたもの。1996年に毎日新聞社より刊行された単行本が、「男はつらいよ」50周年記念に復刊された。

生い立ち、不良少年時代、浅草でのコメディアン時代、結核による療養生活、テレビや映画への出演、アフリカ旅行、「男はつらいよ」の誕生など、自らの半生について率直に話している。

木枯らしの吹く寒い夜なんか、四角い顔(つまりわたくしでございます)と丸い顔(関やん)が、四隅に重しをつけた風呂敷みたいなそんな掛けブトンを掛けて、まるでプロレスやってるような格好で抱き合ったまま寝ます。
わたくし、療養所で二年ぐらい過ごしたことになりますが、その間、ずっと医療保護と生活保護を受けておりました。ですから、わたくし、国からお借りしたその分をいま、せっせとお返ししているつもりなんでございます。
野生の動物といえば、ずいぶんいろんなヤツを見ました。しかし、数いる動物の中で、すばらしい造形の妙をそなえているのは、やっぱり、サイでございますよ。あれは自然の産物ではなくて、たとえば鉄工所なんてとこで人工的に作ったものではないかという気がいたしました。
大体、花火というやつは打ち上げられてみて初めて、夜空に美しく咲いたかどうかわかるように、役者もまた演じてみて初めて、お客がそれをどう受け止めたかがわかるものではないでしょうか。

全篇、寅さん口調でユーモラスに楽しく語っているのだけれど、ところどころにコワさや厳しさが顔を覗かせる。戦後の焼け跡風景と右肺摘出の闘病生活は、渥美清の人生観に大きな影響を与えたようだ。

2019年8月5日、毎日新聞出版、1400円。

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2023年10月07日

吉村昭『遠い日の戦争』


以前から関心を持っている西部軍事件(昭和20年6月から8月にかけて福岡市の油山などでアメリカ軍の捕虜30名以上が処刑された事件)をモデルにした小説。

以前読んだ小林弘忠『逃亡―「油山事件」戦犯告白録』と同じく、2年以上にわたって逃亡生活を続けた人物が主人公となっている。
https://matsutanka.seesaa.net/article/484902418.html

捕虜を処刑する生々しい場面、戦犯として追われる身になった心情、戦後の変わりゆく社会、裁判の様子などが丁寧に描き出されている。やはり吉村昭の小説は読ませる。

主人公は姫路のマッチ箱工場で逃亡生活を送る。

橋の上からは、城の全容が望まれた。天守閣や櫓の壁の白さが眼にしみた。工員からきいた話によると、城が戦災にあわず残されたのは、貴重な史蹟である城を惜しんだアメリカ空軍の措置だという声が専らだという。が、琢也は、それは偶然の結果で、大規模な都市への焼夷攻撃を執拗に反復し原子爆弾まで二度にわたって投下したアメリカ空軍が、そのような配慮をしたはずはなく、おそらくそれは、アメリカ占領軍が宣撫工作のためにひそかに流した噂にちがいない、と思った。

こうした噂は戦後も長く残り続けたようだ。でも実際のところは、この主人公の考えたように偶然の結果に過ぎなかったことが明らかになっている。
https://www.kobe-np.co.jp/news/backnumber/201707/0011622977.shtml

1984年7月25日発行、2021年9月30日20刷。
新潮文庫、490円。

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2023年10月03日

長谷川清美『豆くう人々』


副題は「世界の豆探訪記」。

北海道の老舗豆専門店「べにや長谷川商店」に生まれ、現在「べにやビス」代表を務める著者が、世界各国の豆食事情を取材した本。

2012年から2019年に訪れた66か国の中から29の国・地域を取り上げて、どんな種類の豆が栽培され、どんな豆料理があるのかを記している。一口に豆と言っても、大豆、いんげん豆、ベニバナインゲン、リマ豆、ささげ、小豆、緑豆、そら豆、えんどう豆、ひよこ豆、レンズ豆など、実に多彩だ。

メキシコには伝統的農法「ミルパ」があると以前から聞いていた。別名「スリーシスターズ」といい、窒素固定をして土地を肥やす「豆」、豆のツルが這う支柱となる「トウモロコシ」、葉が日除けとなる「かぼちゃ」を組み合わせて植えることで、お互いの生育が助けられる農法だという。
日本で豆料理が日常から遠ざかった原因は、わたしはガスコンロの普及によるものだと思っている。ストーブにかけておけば煮えているようなほったらかし調理ができないので、いつしか豆料理は「手間がかかるもの」になってしまったのだ。
(コスタリカの豆の消費量は)ほかの中南米諸国と比べるとかなり少ない。おそらくタンパク源を肉に依存しているのだろうが、「経済水準と豆の消費は反比例する(=豊かな国のタンパク源は豆ではなく肉)」というから、この傾向が如実にあらわれている。
地方や農村では、今でも豆板醤は自家製で、手前味噌ならぬ手前豆板醤なのだが、最近は手づくり派が減ってきているので、ザオさんの商売も右肩上がりだという。

それにしても著者の「豆」愛はすごい。知らない豆や豆料理があると聞くと、世界のどこへでも行き、畑や台所を見て、現地の人の話を聞き、実際に料理を食べてみる。その好奇心と探究心に感心する。

2021年12月15日、農山漁村文化協会、2200円。

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2023年09月27日

エリック・ホッファー『エリック・ホッファー自伝』


副題は「構想された真実」。
中本義彦訳。原題は〈Truth Imagined〉。

エリック・ホッファー(1902‐1983)が『大衆運動』を刊行して著作活動に入る以前の生活について記した本。巻末に72歳の時のインタビューも載っている。

7歳で失明し15歳で視力は回復したものの18歳で両親を亡くし、28歳で自殺未遂を起こす。その後、季節労働者や港湾労働者として長年働き続けた。

旧約聖書に登場する人物で活力のない者は、ほとんどいない。王、聖職者、裁判官、助言者、兵士、農夫、労働者、商人、修行者、預言者、魔女、占い師、狂人、のけ者など、ページの中には数え切れないほど多くの主人公たちが登場する。
われわれは、貧民街の舗道からすくい上げられたシャベル一杯の土くれだったが、にもかかわらず、その気になりさえすれば山のふもとにアメリカ合衆国を建国することだってできたのだ。
開拓者とは何者だったのか。家を捨てて荒野に向かった者たちとは誰だったのか。(…)明らかに財をなしていなかった者、つまり破産者や貧民、有能ではあるが、あまりにも衝動的で日常の仕事に耐え切れなかった者、飲んだくれ、ギャンブラー、女たらしなどの欲望の奴隷。逃亡者や元囚人など世間から見放された者。
四十歳から港湾労働者として過ごした二十五年間は、人生において実りの多い時期であった。書くことを学び、本を数冊出版した。しかし、組合の仲間の中に、私が本を書いたことに感心する者は一人もいない。沖仲士たちはみな、面倒さえ厭わなければできないことはないと信じているのである。

こうした話には、労働者や社会的弱者の持つバイタリティに対する畏敬の念がある。それは、人間が本来誰でも持っているはずの生きる力に対する信頼と言ってもいい。

誰かといるよりも孤独を好む一方で、街で知らない人に話し掛ける気さくな一面も持っている。

私が「何かお手伝いしましょうか」と冗談半分に声をかけると、彼は頭を上げて、初めびっくりしていたが、私に微笑みかけた。彼が読んでいたのは紙が黄色くなったドイツ語の本で、もう一冊は独英辞典だった。
明らかに初めての来訪で、列車を降りた場所であたりを見回している。様子を見ているうちに、急に話しかけてみたくなり、足早に彼女たちに近づいて「何かお手伝いしましょうか」と声をかけた。

ちょっと寅さんに似ているところがあるかもしれない。

2002年6月5日第1刷、2021年5月20日第25刷。
作品社、2200円。

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2023年09月24日

土井善晴・土井光『お味噌知る。』

著者 : 土井善晴
世界文化社
発売日 : 2021-10-29

味噌について知り、日々の食事に味噌汁を作ろうとすすめる一冊。カラー写真とともに70種類以上の素朴なレシピが載っている。

テレビ番組でもよく見かける著者のやわらかな語り口と、細かなところにこだわらないおおらかさが特徴である。出汁を取らなくてもいいとか、洋食と合わせても美味しいとか、とにかく自由。その上で、守るべきことは何かを伝えてくれる。

味噌汁は濃くても、薄くても、熱くても、冷めてもおいしいのです。味噌に任せておけばいいのです。
かぼちゃなどの野菜の種やワタは、きれいに除くのが日本料理だと昔、言ってきましたが、毎日の食事であれば、全部用いることが大事だと思います。手間を省くというわけではなく、野菜の種の周りや、魚や肉の骨の周りはおいしいものです。それは栄養価値もあるからです。
油揚げは日本のベーコンと考えてもよいでしょう。油揚げを入れる場面では、代わりにベーコンや豚肉、ソーセージに変えてもよいということです。
季節にあるもんを食べるというのは、旬を食べるということです。季節のもんを食べたら、また、一年が過ぎて巡って来たなあ、と思います。旬を食べることを基本にしていると、一年のリズムができて大事なことをちゃんと身体が思い出してくれ、失うものが少ないような気がします。
食べてから身体の外に出るまでが、食事です。頭で考えるだけじゃなくて、自分自身の身体の声をよく聞いてみてください。

料理についての著者の考えの根幹にあるのは「自立」ということだ。

自分の食べるものを、自分で作ることは第一の自立です。お料理には、不思議な力があるんです。
一人でお料理やってみることで、その経験を生かして、だんだん、いろんなことを身につけてもらえたらいいなと思います。お料理することは自立することです。自立して、自由になって、自分の人生を楽しくやってください。

食の大切さや料理の大切さを、押し付けがましくなく、丁寧にやさしく教えてくれる。早速、今日から味噌汁を作ってみようか。

2021年11月10日、世界文化社、1600円。

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2023年09月22日

黒岩比佐子『伝書鳩』


副題は「もう一つのIT」。

明治時代から現代までの主に国内における軍用鳩・伝書鳩・レース鳩の歴史について記した本。今では知る人も少なくなったエピソードが数多く含まれている。

一九一九(大正九)年にフランスから多数の鳩を輸入すると共に共感も招き、本格的に軍用鳩の研究を始めている。その結果、陸軍ではシベリア出兵を皮切りに、満洲事変から日中戦争にかけて鳩通信を実用化し、太平洋戦争においても前線で活用していた。
(第一次世界大戦で)重要地点に設けられていた有線通信網は、敵軍に発見されてことごとく破壊され、頼みの無線通信機は故障がちで、いざという時には全く役に立たなかった。結局、砲煙弾雨の最前線で危険な通信の任務を果たしたのは、科学技術が創り出した機器類ではなく、鳩だったのである。
(関東大震災後)九月中旬にようやく機械通信が復旧するまでの間、通信面に関しては、ほとんど伝書鳩の独り舞台の観があったと言われている。結局、十一月初旬に戒厳勤務が終了するまでの間に鳩が運んだ通信件数は、二千七百余通にも達した。
湾岸戦争は、ハイテク兵器や軍事衛星や高度な通信システムが駆使され、最先端のテクノロジーの戦争と言われたが、万一、衛星通信網が使えなくなった場合に備えて、スイスが自国軍から三千五百羽の伝書鳩を多国籍軍に貸与したのである。

国内の通信社・新聞社では1960年頃まで伝書鳩が用いられていた。スイスの伝書鳩部隊は1994年に廃止されるまで続いていたとのこと。そんな最近まで、とびっくりする。

伝書鳩は通信文や写真を運ぶだけでなく、輸血用の血液のサンプルや人工授精用の牛の精液も運んだそうだ。現代のドローンのような役割も果たしていたということだろう。

・伝書鳩の歌
https://matsutanka.seesaa.net/article/480698315.html
・軍用鳩の歌
https://matsutanka.seesaa.net/article/480869084.html
・さらに軍用鳩の話
https://matsutanka.seesaa.net/article/480891612.html

伝書鳩・軍用鳩については、今後もいろいろと調べてみたい。

2000年12月20日、文春新書、680円。

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2023年09月18日

石村博子『ピㇼカチカッポ』


副題は「知里幸恵と『アイヌ神謡集』」。

昨年没後100年を迎えた知里幸恵の評伝である。タイトルは「美しい鳥」を意味するアイヌ語。

生い立ちから金田一京助との出会い、上京、そして死に至るまでの軌跡と『アイヌ神謡集』の刊行から現代までの話を描いている。

幸恵の洗礼名はどの資料にも記されていない。創氏改名が進んでいた時期で、アイヌ名もつけられていない。幸恵が生まれたのは、アイヌたちが根底から覆されたアイヌの暮らしを立て直そうと、力を振り絞って生き残ろうとしている時期でもあった。
一九二〇年代末には、青年の多くはアイヌ語を用いないし、知らないとの調査の記録があるが、学校教育がアイヌ語の急激な喪失にどれほど加担したかを物語っている。
「ユカㇻ」は一般的に使われだしたのは、一九九〇年代後半から。この頃からアイヌ語学習が盛んになり、表記も発音に忠実になってきた。その流れを受けて、二〇一六年からは『北海道新聞』が紙面でアイヌ語の表記に関しては独特の小書きのかなを使用するようになる。
追い打ちをかけるように、発刊直後の九月一日に関東大震災が発生。『アイヌ神謡集』に関する重要ないくつもの資料は消失してしまった。修正が入ったタイプ原稿もいまだに見つかっていない。

『アイヌ神謡集』については、今もいくつかの謎が残されている。

それにしても本当になぜ、「アイヌ神謡」という特異なテーマであるのに、金田一による解説は何もなされなかったのだろう? 岩波文庫版の知里真志保の論文も、この本のために書かれたものではないので、幸恵の世界に誘うには適役とは言い難い。

刊行100年を迎えた今年、ちょうど岩波文庫『アイヌ神謡集』の補訂新版が出た。中川裕の解説も付け加えられているので、そちらもまた読んでみたい。

2022年4月27日、岩波書店、1800円。

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2023年09月15日

森まゆみ『京都不案内』

著者 : 森まゆみ
世界思想社
発売日 : 2022-12-02

2015年から頻繁に京都に通うようになった著者の個人的な体験や友人知人の話、京都の歴史に関することなどを綴ったエッセイ集。

世界思想社のWEBマガジン「せかいしそう」に2020年3月から2021年12月まで連載した文章に、書き下ろし1本とインタビュー3本を加えてまとめている。

いわゆる京都観光や名所旧跡案内とは違うので「京都不案内」というタイトルにしたのだろう。前半、「樹木気功で身体を治す」「バスと自転車」「ゲストハウスとアパート探し」「カフェとシネマ」「がらがらの京都」など、どれも具体的で面白い。

ただ、後半は学者・文化人仲間の話が多くなってきて今ひとつという印象だった。有名人でなければ入れない世界といった感じがする。

インタビューでは法然院の貫主、梶田真章さんの話が良かった。

昨日も仏教講座があってみんなで話が弾みました。みなさん、いろいろと活発にご意見をおっしゃるので、おっしゃる場があるということはいいことやな、と。読書会もやっています。わかりあうんじゃなくて、わかりあえないことをわかりあうために。
スポーツ選手はオリンピックなどで金メダルを取ると、「努力したらかなうということがわかった」とおっしゃいます。でも、その一方で努力してもかなわない人が無数にいらっしゃる。そのほうも伝えていかないと、なかなかつらい人も多いかなと思います。

法然院は河野裕子さんのお墓と歌碑のあるところ。もう少し涼しくなったら、また訪ねてみたい。

2022年12月10日、世界思想社、1600円。

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2023年09月13日

叶内拓哉『鳥に会う旅』


副題は「野鳥写真家が綴る日本全国野鳥撮影紀行」。

1991年に世界文化社から出た単行本を30年ぶりに復刊・文庫化したもの。「写真は、印刷関係のデジタル化により、初版時のものとは別のものを多数使っている」とまえがきに記されている。

「出水のツル」「道東のタンチョウ」「羅臼のワシ」「大栗川のヤマセミ」「立山のライチョウ」「対馬の珍鳥」「根室のシマフクロウ」「南部のコノハズク」「屋我地のアジサシ」「蒲生のコバシチドリ」「伊良湖岬のタカ渡り」「伊豆沼のガン」と、各地に出掛けている。

丹頂鶴。日本人なら誰でも知っているだろうこの鳥の本名は、ただのタンチョウである。日本では現在までに七種類のツルが記録されているが、そのなかで名前にツルと付いていない唯一のツルである。
晴天が何日か続いたときなどは、佐護の田んぼに全く鳥影がないという日もある。天気がいいと、渡り鳥たちは対馬に降り立って休む必要がないわけで、どんどん頑張って次の目的地まで飛んで行ってしまうからだ。
野鳥写真を撮っていて、いちばん難しいと思うのは、夏らしい写真を撮ることである。(…)夏を代表する花、誰が見てもすぐに夏の花だと分かるものとなると、ヒマワリかアサガオあたりか。しかし、これらの花に野鳥が止まることはほとんどない。

著者の撮影したカラー写真が100点くらい載っていて美しい。初めて知った鳥も多いのだが、どの鳥も命名がわかりやすい。「キガシラセキレイ」は頭部が黄色いし、「アカエリカイツブリ」は首が赤い、「キマユホオジロ」は目の上に黄色い線が入っているといった感じで、何だかおもしろい。

2022年2月15日、世界文化社 モン・ブックス、1600円。

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2023年09月09日

クリス・フィッチ『図説 世界地下名所百科』


副題は「イスタンブールの沈没宮殿、メキシコの麻薬密輸トンネルから首都圏外郭放水路まで」。上京恵訳。

世界各地の印象的な地下空間40か所を取り上げて、地図や美しい写真とともに解説した本。紹介されているのは、自然の洞窟や古代の陵墓から地下鉄や現代の実験施設までさまざまだ。

今では絶滅したオオナマケモノが掘ったと考えられる古代巣穴(ブラジル)、かつて2万人が暮らした地下都市デリンクユ(トルコ)、東西ベルリンをつないで57名を逃がした「トンネル57」(ドイツ)、核攻撃に備えた秘密シェルターのバーリントン(イギリス)など。

世界にはまだまだ知らない場所、魅惑的な地下空間がたくさんあるのだとあらためて感じた。

2021年2月22日、原書房、3200円。

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2023年09月08日

中島美千代『土に還る』

ぷねうま舎
発売日 : 2020-07-22

副題は「野辺送りの手帖」。

かつて使われていた集落の小さな火葬場を見つけたのを機に、著者は土地の歴史や風土、信仰などについて民俗学的な考察を深めていく。それは、葬送の文化とは何かという問題でもある。

人生最後の儀式とはいっても、葬儀をどのようにするのかは、死者あるいは「死にゆく私」の問題ではない。だから、そこにくっきりと見えてくるのは、死者がどのような「関係」の中を生きたのかということ、どんな共同体と、そこに堆積した文化の層とともに歳を重ねたのかということなのだ。
野辺送り、拾骨のためには、火葬場が集落からあまり遠くてはいけない。風向きによっては火葬の煙と匂いが漂ってくるだろうから、近すぎるのも困る。
獺ヶ口への道路が改修されたことによって、一番奥の集落とされた下吉山が芦見地区の入口になった。すると数百年もの間、入り口だった皿谷が一番奥の集落になったのである。
火葬は仏教とともに日本に入ってきたと言われているが、多くの仏教宗派は布教のためには土葬も容認したし、真宗にしても火葬が至上命令というわけではなかった。だが、越前では真宗のひろまりと同時に火葬が普及した。真宗は、この地の葬送の文化を変えたのである。

集落の火葬場から公営の火葬場へ、宮型霊柩車から洋型霊柩車へ、自宅葬から葬祭会館へ、葬儀や葬送の形は時代とともに変わってきた。近年は家族葬も増えている。

それは共同体や人間関係の変化、そして私たちの生き方の変化をも意味している。

2020年7月22日、ぷねうま舎、1800円。

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2023年09月02日

芥川竜之介『芥川竜之介紀行文集』


国内旅行記9篇と1921年に大阪毎日新聞の視察員として中国を訪れた際の紀行文(上海游記、江南游記、長江游記、北京日記抄、雑信一束)を収めている。

「長崎小品」は7ページほどの短篇だが、おもしろい。日本における西洋文化の受容について考えさせられる。

慣れて見ると、不思議に京都の竹は、少しも剛健な気がしない。如何にも町慣れた、やさしい竹だと云う気がする。根が吸い上げる水も、白粉の匂いがしていそうだと云う気がする。(京都日記)
実際私は支那人の耳に、少からず敬意を払っていた。日本の女は其処に来ると、到底支那人の敵ではない。日本人の耳は平すぎる上に、肉の厚いのが沢山ある。中には耳と呼ぶよりも、如何なる因果か顔に生えた、木の子のようなのも少くない。(上海游記)
古色蒼然たる城壁に、生生しいペンキの広告をするのは、現代支那の流行である。無敵牌牙粉、双嬰孩香烟、――そう云う歯磨や煙草の広告は、沿線到る所の停車場に、殆見なかったと云う事はない。(江南游記)
何しろ長江は大きいと云っても、結局海ではないのだから、ロオリングも来なければピッチングも来ない。船は唯機械のベルトのようにひた流れに流れる水を裂きながら、悠悠と西へ進むのである。

芥川の中国紀行はかなり露悪的で、口が悪い。中華民国初期の政治的な混乱や街の猥雑な様子を皮肉たっぷりに描いている。そこに中国に対する差別意識を見る人もいるかもしれない。

ただ、芥川の筆致は国内旅行記でも似たようなものなので、むしろ長年漢詩などで親しんできた文学的・歴史的な中国とは異なる現実の中国の姿を鋭く描き出したと評価すべきだろう。

表紙に「詳細な注解を付した」とある通り、約400ページのうち、実に約100ページが注解となっている。丁寧なのはいいのだけれど、注解を見ながら読もうとすると、けっこうわずらわしくもあった。

2017年8月18日、岩波文庫、850円。

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2023年08月30日

川瀬巴水とその時代を知る会編『川瀬巴水探索』


副題は「無名なる風景の痕跡をさがす」

川瀬巴水の版画の風景がどこで描かれたものなのか、主に茨城県内の作品について現地調査を行った記録。古い航空写真や絵葉書、近隣の住民の証言などを元に、一枚一枚、作品の場所を特定していく。

巴水の絵はどこを描いたのか、分からない場合が多いのです。それは巴水がいわゆる名所を選ばずに、どこにでもある普通の風景を描くからです。
巴水はふつう風景画に分類されますが、そこに書き込まれた小さな人物に着目することで、その時代に生きた人間たちの歴史が強烈に浮かび上がって来ることが多いのです。
巴水の作品(「浮島戸崎」)に描かれた湖面は、昭和三十年代後半に稲作増産用に干拓されたが、米の需要がなくなったことにより、今はただ野原が続くのみである。

大正から昭和の戦後にかけて、巴水が全国各地を旅して描いた風景は、今も多くの人々の心を惹きつけている。まさに愛好者ならではの思いのこもった一冊だと思う。

2022年10月29日、文学通信、1900円。

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2023年08月29日

中島国彦『森鷗外』


副題は「学芸の散歩者」。

森鷗外の誕生から死までの軌跡を鷗外の作品や周囲の人々の証言によって描き出した評伝。昨年は森鷗外の没後100年ということで多くの本が出たが、本書もその一冊である。

鷗外には、津和野を正面から描いた文章は、なぜか見当たらない。実は、生前一度も津和野に帰ってはいないのである。
鷗外の翻訳文体は、『即興詩人』で高度の達成を見せる。有名な、「国語と漢文とを調和し、雅言と俚辞とを融合せむ」という言葉をそのまま体現する、見事な文体である。
『青年』が、漱石の『三四郎』の影響で、鷗外が「技癢」(腕がムズムズすること)を感じて書かれたことは、よく知られている。東京人漱石は地方から上京する門下生を見ているが、鷗外はそれとは違い、自身が上京の体験を持っていた。

このところ、いろいろな本の中で鷗外と出会うようになってきた。鷗外作品をもっと読まなくてはと思う。

2022年7月20日、岩波新書、880円。

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2023年08月25日

林宏樹『京都極楽銭湯案内』


副題は「由緒正しき京都の風景」。写真:杉本幸輔。

京都の銭湯のうち53軒を取り上げて紹介した本。銭湯の周辺にある店なども載っていて散策ガイドにもなっている。

唐破風、タイル絵、籐莚、行李、石田のハカリなど、昔ながらの風情を残している所も多い。写真を見ているだけで楽しくなってくる。

京都の銭湯が最も多かったのは1963年の595軒。この本が刊行された2004年には約260軒になっていた。それから約20年。今では約100軒にまで減っているようだ。

わが家の近くにあった泉湯も今はセブンイレブンになってしまった。「京都で一番のビジュアル銭湯」と紹介されている羽衣伝説のタイル絵も、もう見ることはできない。

2004年12月24日、淡交社、1500円。

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2023年08月15日

平岡昭利『アホウドリを追った日本人』


副題は「一攫千金の夢と南洋進出」。

アホウドリを基点に近代日本の海洋進出について描いた内容で、とても面白かった。鳥類の捕獲や鳥糞(グアノ)の採取、リン鉱の採掘と帝国日本の膨張がリンクしていたことがよくわかる。

舞台となるのは、鳥島、小笠原諸島、南鳥島(マーカス島)、尖閣諸島、沖大東島(ラサ島)などの現在の日本の領土だけでなく、遠くミッドウェー島、ウェーク島、北西ハワイ諸島、アンガウル島、プラタス島(東沙島)、パラセル諸島(西沙諸島)、スプラトリー諸島(南沙諸島)にも及ぶ。

撲殺したアホウドリの数は、一八八七年一一月の鳥島上陸からわずか半年間に一〇万羽、一九〇二年八月の鳥島大噴火で出稼ぎ労働者一二五人が全滅するまでの一五年間では、およそ六〇〇万羽に達した。
早くから羽毛は輸出品であり、一八八〇年代〜一九二〇年頃にかけて、日本は世界の婦人帽などの主要な原料供給国であった。羽毛に加えて明治一〇年代後半から、鳥類のはく製の輸出も盛んになった。

太平洋の無人島の発見や開発、領有をめぐっては、日本人同士あるいは日米間でさまざまな摩擦が起きている。さらには、実際には存在しない島の領有を宣言する事態まで生じた。

(一九〇八年)七月二十三日に、この件が閣議決定され、ガンジス島は中ノ鳥島と名称を変えて、「帝国」に日本の領土に組み入れられた。
この中ノ鳥島が、日本の領土から消えるのは、第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本の行政権の範囲を決定した一九四六年のことで、「発見」から三九年後である。「帝国」日本は、「幻の島」を長く領有したのである。

本書に登場する島々の中には、太平洋戦争で日米の戦闘が行われた島もあり、また現在も国同士が領有権を争う島もある。誰も住まない小さな島であっても、国家の領土問題と無縁ではいられないのだ。

明治以降、日本が南方の多くの無人島を編入したことで、今日の排他的経済水域、すなわち海洋資源や水産資源が確保される二〇〇カイリの海域と領海を合わせた面積は、四六五万平方キロメートルと、日本の国土の一二倍にもなり、世界第六位の広さを持つことになつたのである。

今から考えると驚くほど粗末な船や装備で無人島へと乗り出していった明治期の日本人たち。そこには歴史的に見れば負の側面もあるのだけれど、その勇気や度胸にはやはり驚かされる。

2015年3月20日、岩波新書、780円。

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2023年08月08日

普久間朝充(監修)岡本尚文(写真)『沖縄島建築』


副題は「建物と暮らしの記録と記憶」。

建築という観点から沖縄の歴史や文化について考察した本。時代も用途も様式もさまざまな建築を取り上げて、建物の来歴や現状についてインタビューをしている。

この本でかたちにしたかったことは、建築や風土の記録とともに、沖縄に暮らす人々の声を聞き、書き留めること。それが写真とひとつになって、沖縄の生きてきた時間を想像させることだった。(岡本尚文「あとがき」)

紹介されているのは、「玉那覇味噌醤油」「津嘉山酒造所」「大宜見村役場旧庁舎」「沖縄ホテル」「親川鮮魚店」「首里劇場」「キャンプタルガニーアーティスティックファーム」「聖クララ教会」「オーアイシーメガネ店」「シーサイドドライブイン」。

他にも、沖縄の建築を理解するのに必要な話を盛り込んだコラムや、地域別の建築物のガイドマップもあり、充実した内容だ。

現在、解体・建て替えが検討されている名護市庁舎も載っている。地域主義建築の代表的な作品で、なるほど、これはすごいと思わせる。
https://maidonanews.jp/article/14944751

2019年12月20日第1刷、2020年2月1日第2刷
株式会社トゥーヴァージンズ、1900円。

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2023年07月30日

稲泉連『サーカスの子』


私がサーカスを好きになったのは、大人になってからのことだ。大学を出てフリーター生活を始めた岡山で、初めてサーカスを見たのがきっかけである。

それ以来、サーカス関連の本もいろいろと読んできた。中でも、久田恵『サーカス村裏通り』(1986、文春文庫1991)は忘れられない。4歳の子を連れたシングルマザーがサーカスに入って働く様子を描いた本である。

今回、書店で『サーカスの子』をぱらぱら見ていて、著者の稲泉連が、久田恵の息子であることを知った。あの4歳の子が、大きくなって母と同じノンフィクション作家として活躍していたとは!

かなり驚いた。そんなこんなで、この本も私にとって思い入れの深い一冊となった。

稲泉は子どもの頃に自分が1年間を過ごしたキグレサーカスの関係者を訪ねて取材する。『サーカス放浪記』(岩波新書1988)を書いた宇根元由紀も出てくる。キグレサーカスは2010年に解散して、今はもう存在しない。

サーカスの人々は、西暦や年号で自分たちの歴史を語らない。「木更津」や「高崎」、「福島にいたとき」という具合に、公演場所で、「あの頃」について語る。それが二か月に一度、公演場所を変える彼らの時間感覚だったからだ。
サーカスの公演は二か月に一度のペースで「場越し」をする。だから、小学校や中学校に通う子供たちは、年に少なくとも六回は転校しなければならない。
新幹線のホームにぽつんと四人だけで立っている光景が、今でも彼女の胸には残っている。そのなかで、サーカス以外の「社会」を知っているのは彼女だけだった。テント村での大勢の人々との暮らしから離れてみると、そんな四人の「家族」はあまりに弱々しく、心許ない存在だった。

サーカスを離れた団員たちのその後は人それぞれだ。でも、華やかなスポットライトを浴び、共同体のなかで生きてきた人たちにとって、外の社会で生活していくことが大変なのはよくわかる。

ずっしりとした読後感の残る内容であった。
それ以上は、ちょっとうまく言えない。

2023年3月30日、講談社、1900円。

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2023年07月29日

中川誼美『ちょっと前の日本の暮らし』


「たもかく本の店」で購入した古本。

「お宿吉水」を経営する著者が、季節感を大切にした昔ながらの暮らしを現代に生かすことを提唱している。

五感を養うということは、生きていく判断力を身に付けることにも繋がります。それは、大人になるにせよ、年をとるにせよ、そのいずれの時も自分にとっては初めての経験ですから、その時過去の体験からの判断力が役に立つのです。
私は宿屋を始めてから、野菜や建材を求めて地方に出かけることが多くなりました。その出かけた経験から、地方に元気がないと感じずにはいられません。
改めてロハスやオーガニックという横文字の言葉でなく、自然、持続可能な暮らし、ありがたい、もったいないなどの意味を含む言葉はないものかと、さんざん考えた結果、「ちょっと前の日本の暮らし」という言葉に行き着きました。

少しお説教っぽいところや日本の伝統礼賛的な部分が気になるものの、基本的な考え方には賛同する点が多い。とはいえ、37度、38度の気温が続くこの夏の猛暑。

夏には縁側に風鈴が下げられ、涼しげな音が鳴っていました。打ち水をした庭や道端には縁台が出され、団扇片手に将棋を指す姿がありました。行水を喜ぶ子供の声が聞こえる昼下がり、蚊帳の中で夕立の雷の過ぎるのを待つ不安な時など。

こんな昔の光景は取り戻すのは、もう不可能だとも思う。

2010年11月10日、中公新書ラクレ、740円。

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2023年07月27日

宗像和重編『鷗外追想』(その2)

古い文章を読んでおもしろいのは、現在の見方や価値観とは違う内容が記されているところかもしれない。

例えば、観潮楼歌会についての北原白秋の書いた「千樫君と私」には、

その頃のアララギは歌壇的勢力からいうと、いまのアララギのみを見ている人から思うと、それは想像外に微々たるもので、私などもそれまでの左千夫さんの存在も知らなければ、アララギと云う雑誌を一度も見たことがなかったのです。

とある。明治40年頃の話だ。これを読むと初期の「アララギ」はごくごく小さな勢力であり、短歌の新しい時代を切り拓いたのは圧倒的に「明星」の力であったことがわかる。この文章が書かれたのは昭和2年なので、別の言い方をすれば大正期に「アララギ」が勢力を急拡大したということだろう。

また、岡田正弘「大正十年二月十四日の晩」には、鷗外が文壇を離れた大正7年頃の話が出てくる。

その頃鷗外の著書は既に新刊書を売る店には無かった。菊判の全集が出たのは先生の歿後であるから、わたくしは鷗外の著書やその作品の載ったスバル、三田文学等の古雑誌を求めてあたかも逢引の如き心のときめきを感じながら、本郷、神田から場末の古本屋に至るまで一軒一軒と尋ね歩いた。

鷗外の亡くなるのは大正11年のことだが、その晩年には既に鷗外の著書は本屋にはなく、古書店で買うしかなかったのだ。今では漱石と並ぶ二大文豪という扱いを受けている鷗外だが、生前はそうでもなかったということだろう。

最後に、大阪毎日新聞社長の奥村信太郎「追憶の森鷗外博士」から。

わたくしの従事している大阪毎日新聞社では、ライヴァル・ペーパーである朝日新聞が夏目漱石氏を迎えて紙価を高からしめているので、何とかしてこれに対抗する文芸の大家を聘しようと、いろいろに焦慮した。

これを受けて、鷗外は大正5年から6年にかけて新聞に「渋江抽斎」「伊沢蘭軒」「北条霞亭」といった史伝物を連載する。けれども、新聞社の求めたのは購読者を増やしてくれるような人気の出る小説であった。

有態にいうと当時かかる読み物は、新聞紙上において大衆から余り歓迎を受けられないのであったが、わが社は執拗にこれを続けて行った。そしてわたくしは何か別に創作をお願いしたのであったが、博士は伝記物に興味を持たれていて、終にわが社には一篇の創作すら掲載することなくして、美術院長に任ぜらるると同時に、わが社を辞されたのであった。

事情や背景がよくわかるだけに、何だか読んでいるうちに鷗外が可哀そうになってくる。

2022年5月13日、岩波文庫、1000円。

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2023年07月26日

宗像和重編『鷗外追想』(その1)


森鷗外について書かれた追悼文や回想など55篇を収めたアンソロジー。執筆者は、与謝野晶子、坪内逍遥、佐佐木信綱、小山内薫、平塚らいてう、芥川龍之介、小堀杏奴、森類、森茉莉など。

鷗外の素顔や人柄などが多面的に浮かび上がってくる内容で、すこぶる面白い。没後100年を記念して編まれた本であるが、鷗外のことが非常に身近に感じられる。

どうも病気が重いようだったから、私が劇しい手紙を出して、医者に見て貰って薬用しろと云うと、その返事に、馬鹿を云うな、一年かそこらの生命はなんだ、一行りでも一字でも調べて行くのが自分の生命だ、それゆえ仕事を継続しているのだ、それをやめて養生して一年二年生き延びても、自分において生きてるとは思わない、再び云ってよこすな……と先ずそういう精神なので(…)(賀古鶴所「通夜筆記」)
兄は自分の周囲は綺麗に整頓して置くのが好きで、机は大小二脚を備え、右手の小の方に硯、インキ壺、筆、ペン、鉛筆、錐、鋏その他文房具を浅い箱に入れて載せ、正面の大机に書籍なり原稿紙なり時に応じて置くという工合にし、小机の横から自分の背後に参考書その他必要書類を一山一山正しく重ねて置き、暗中でも入用にものは直ぐ分るようになっている。(森潤三郎「兄の日常生活」)
私の思うままを有体に云うと、純文芸は森君の本領では無い。劇作家または小説家としては縦令第二流を下らないでも第一流の巨匠で無かった事を敢て直言する。何事にも率先して立派なお手本を見せて呉れた開拓者では有ったが、決して大成した作家では無かった。が、考証はマダ僅に足を踏掛けたばかりであっても、その博覧癖と穿鑿癖とが他日の大成を十分約束するに足るものがあった。(内田魯庵「森鷗外君の追憶」)
先生は一体、所謂天才らしい所の無い方であった。夏目さんや芥川龍之介や晶子夫人などに見る如き才華煥発の趣きは、若い時のことは知らないが、私どもが知る限りでは微塵も無い。人物の上にも無い、作物の上にも無い。その反対に理性の権化のような先生が規帳面に作られた文章が、返って落付きがあって奥光りがして人をして永く厭かしめざること、所謂天才家のそれに優っていることは驚くべきことである。(平野万里「鷗外先生片々」)
先生はいつも独りである。一所に歩こうとしても、足の進みが早いので、つい先きへ先きへと独りになって仕舞うのだ。競争と云うような熱のある興味は先生の味おうとしても遂に味えない処であろう。自分は先生の後姿を遥かに望む時、時代より優れ過ぎた人の淋しさという事を想像せずに居られない。(永井荷風「鷗外先生」)

引用が長くなったので、これくらいにしておこう。
どれも鷗外に対する深い思いのこもった良い文章ばかりだ。

2022年5月13日、岩波文庫、1000円。

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2023年07月23日

森鷗外『ウィタ・セクスアリス』


昨年は森鷗外(1862‐1922)の没後100年だったので、関連する本が多く出版された。本書も版を改め「鷗外を、読んでみよう」という帯を付けて出たもの。初出は「スバル」1909(明治42)年7月号。

タイトルは「性欲的生活」を意味するラテン語だが、想像していた内容とは全然違った。過激なところはまったくなく、自らの生い立ちを丁寧に記した小説という感じ。鷗外の生真面目さが窺える。これがどうして発禁処分を受けたのかわからない。

印象的だったのは、自分の容貌が醜いと繰り返し書いていること。かなりのコンプレックスがあったようだ。

同じ小倉袴紺足袋の仲間にも、色の白い目鼻立の好い生徒があるので、自分の醜男子であることを知って、所詮女には好かれないだろうと思った。
その美しい夢のようなものは、容貌の立派な男女の享ける福で、自分なぞには企て及ばないというような気がする。それが僕には苦痛であった。
青年男女のnaivelyな恋愛がひどく羨ましい、妬ましい。そして自分が美男に生れて来なかったために、この美しいものが手の届かない理想になっているということを感じて、頭の奥には苦痛の絶える隙がない。
生んでもらった親に対して、こう云うのは、恩義に背くようではあるが、女が僕の容貌を見て、好だと思うということは、ちょっと想像しにくい。

鷗外が自分の容貌のことで悩んでいたなんて、不思議な気がする。
最後に、一番印象に残った部分を引こう。

僕はどんな芸術品でも、自己弁護でないものはないように思う。それは人生が自己弁護だからである。あらゆる生物の生活が自己弁護であるからである。

鷗外に対する興味がだんだん強くなってきた。

1935年11月15日第1刷、2022年3月15日改版第1刷。
岩波文庫、480円。

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2023年07月20日

小倉美惠子『諏訪式。』


諏訪の風土や歴史・文化に興味を惹かれた著者が、さまざまな角度から諏訪の独自の魅力に迫ったノンフィクション。「近代ものづくり編」「近代ひとづくり編」「土地となりわい編」「科学と風土編」の全4章に分かれている。

諏訪では、江戸時代の地場産業から近代の製糸業、戦後の精密機械産業からIT、メカトロニクスと言われる現在に至るまで、その主体は地生えの諏訪人たちであることに驚かされる。
製糸業は蚕の生態に人が寄り添う「農的」な側面と、人間の欲求・欲望を原動力とする市場経済に則った「商工業的」側面の二つを持ち合わせている。
日本の水田といえば、だだっ広い平野に広がる田園風景を思い浮かべるが、平地の水田は近世の新田開発によるもので、水利技術の向上がもたらした成果なのだ。山の高低差を利用して湧水や沢の水を引き込む谷戸田や棚田といった小さくて不規則な形の田んぼの方が古い。
かつて、原料のテングサ類は伊豆の海から上がり、「塩の道」と同じ経路をたどり、駿河岩淵から甲州鰍沢まで富士川舟運で上り、陸揚げされると馬の背に負われて諏訪まで届いたという。
長野県は、疲弊した農村の救済策という体で、満蒙開拓青少年義勇軍(満蒙開拓団)を積極的に推進したが、その中心を担ったのは皮肉にも信濃教育会だった。

下諏訪温泉にある島木赤彦の「恋札」の話もおもしろかった。近代短歌の世界においても、諏訪は重要な土地なのである。

土着の文化と外来の文化、古い価値観と新しい価値観をどのようにミックスさせるかという問題意識が、著者には常に働いている。

自文化を「過去の遺物」としか見られず、そこに何の価値も見出すことができなければ、それは地に着いた自分の「軸足」を放棄するに等しいことなのではないだろうか。土地に根ざした自分たちの文化や、ものの見方を失い、一方に同化、吸収されることを意味するのではないか。
先住者は、次元の異なる文化を持ち込む外来者によって、駆逐、あるいは滅ぼされてしまうことが多い中で、外来の民である建御名方側は、先住の民を攻め滅ぼすことなく、先住者の祀る神を尊重し、その文化を駆逐することがなかった。土着の洩矢神も吸収されて同化するのではなく、軸足を譲ることなく外来者を受け入れたのだろう。

こうした問題意識は、経済や文化のグローバル化がますます進む現代において、とても大切なものだと思う。

ただ、「三協精機」も日本電産の子会社「日本電産サンキョー」となり、今春から「ニデックインスツルメンツ」に名前が変った。諏訪のアイデンティティの象徴であったスケート部も昨年廃止されている。そうした経緯を見ると、「諏訪式」もまた大きな岐路に立たされているのかもしれない。

2020年10月2日、亜紀書房、1800円。

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2023年07月09日

大竹昭子『個人美術館への旅』


全日空のPR誌「ていくおふ」に連載された文章をまとめたもの。全国にある12の個人美術館の訪問記である。

「たかもく本の店」で購入。2002年刊行の新書だが、20年くらい前の本を読むのも意外といいのかもしれない。例えば、この本で言えば、20年経過した今も12の美術館すべてが(市町村合併で名称の変ったものもあるが)残っている。そこに、著者の眼力を認めることができるだろう。

個人美術館は、いろいろな作家のものを一堂に集めた県立美術館などに比べると作品の量が少なく、展示室を三つ、四つまわるともうロビーにもどっている。この小ささがとても都合がいい。
個人美術館は作家の郷里だったり、アトリエのあった場所だったり、人生の大半を過ごした土地だったりと、ゆかりのある場所に建てられていることが多い。日帰りのできる近さでも、かならず美術館の近くに宿をとって一泊した。
たったひとつの美術館のために、飛行機や電車やバスを乗り継いで出かけていく。思えばずいぶん贅沢な旅である。だが、たどりつくまでの時間や労力が大きければ大きいほど、そこで出会う一点に目を凝らそうとする思いも強くなる。

こうした著者の考えに共感し、納得する。

人は五十歳に近づくと、これまで歩んできた道程を振り返り、人生のはじまりを確認しようとする。土門は酒田を再訪したとき四十八歳だった。故郷を思うのにいい時期だったように思う。(土門拳記念館)
ノグチの作品を西洋と東洋の融合のように見るのはつまらない。彼が求めたのは東洋・西洋という区分けが存在する以前の世界にむかうことだった。人が自然との交感を求めて物を造った時代に旅立とうとした。(イサム・ノグチ庭園美術館)

各美術館の展示に関する解説も行き届いている。好著。

2002年9月20日、文春新書、680円。

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2023年07月07日

中川裕『NHK 100分de名著 知里幸恵『アイヌ神謡集』』


2022年9月のNHK「100分de名著」のテキスト。

知里幸恵『アイヌ神謡集』が刊行されてから今年で100年。番組は見られなかったのでテキストだけ読む。

口承文芸にはこれが原本だというテキストはありません、それは語り手によってそのたびに創造され、そのたびに完成するものなのです。
当時すでに、アイヌの伝統的な生活は過去のものになりつつありました。(…)それは、ニㇱパという言葉が「お金持ち」と訳されていることにも表れています。二ㇱパというのは日本語にしにくい単語で、本来は、狩りなどが上手で、カムイからの覚えもめでたく、豊かな生活を送っている立派な人という意味です。
同化論とは、アイヌの人々がそれまでの文化や生活を捨て去り、和人と肩を並べて和人として生きていくのが最も望ましいとする考え方のことです。これは金田一独自の考え方ではありません。当時の為政者も進歩的な文化人と呼ばれる人たちも、みんなこのような考え方をしていたと思われます。
つまりアイヌ語は、日本語にも外国語にも入らない言語で、それを言い表す言葉は日本語にはないのです。『アイヌ神謡集』が岩波文庫で赤色なのは、このことと無関係ではありません。アイヌ文学はどこにも入らない、「日本文学」ではないということで、仕方なく外国文学に入っているのです。

岩波文庫の『アイヌ神謡集』は8月に補訂新版が刊行されるとのこと。これを機にさらに多くの人に読まれるといいなと思う。
https://www.iwanami.co.jp/book/b629847.html

2022年9月1日、NHK出版、600円。

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2023年07月06日

原武史『地形の思想史』


2019年にKADOKAWAから出た単行本を新書化したもの。

「岬」「峠」「島」などの地形と歴史や思想との関わりを掘り下げた内容で、7つの話を収めている。著者のユニークな視点が生かされていて面白い。

皇太子夫妻が子供たちと同居し、直接子供たちを育てる一九六〇年代から七〇年代にかけての時期は、戦後日本で夫婦と未婚の子供からなる核家族が確立される時期と一致していた。核家族のためのコンパクトな居住空間として、日本住宅公団により団地が大量に建設されてゆくのもこの時期であった。
山梨県の多摩川水系まで含めた西多摩地域の思想史を振り返るために、明治以降の鉄道をいったんカッコに括ってみたい。そうすると立川でなく、甲州街道の宿場町として栄えた八王子を中心とする明治以前の交通網が見えてくる。
戦前の大規模な軍事施設が、戦後になると自衛隊の中核施設としてそのまま使われている都市としては、ほかに北海道の旭川市が挙げられる。陸軍の第七師団があったところが、陸上自衛隊旭川駐屯地になっているからだ。

印象に残ったことが2つある。

一つは天皇の臨席のもと日中戦争勃発まで毎年行われていた「陸軍特別大演習」が、全国の都道府県持ち回りの開催であったこと。なるほど、戦後の国体や植樹祭が都道府県を巡回しているのは、この続きであったわけか。

もう一つは私にもなじみの深い小田急線の「相模大野」「小田急相模原」「相武台前」といった駅が、戦前の軍隊と深く結び付いていたこと。それぞれ、陸軍通信学校、臨時東京第三陸軍病院、陸軍士官学校の最寄駅であったのだ。

著者は、あとがきに次のように書く。

実際に日本各地を訪れ、さまざまな場所に立ち、地形が織り成す風景を目にすると、まるでそこにしかない風景が語りかけてくるかのような瞬間があるのを、まざまざと体験した。

ネットで多くのことを調べられる時代だからこそ、こうした体験の持つ価値は今後ますます高くなっていくにちがいない。

2023年5月10日、角川新書、940円。

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2023年07月04日

石川幸太郎『潜水艦伊16号 通信兵の日誌』


1992年に草思社から刊行された単行本の文庫化。

第二次世界大戦において、真珠湾攻撃、マダガスカル島攻撃、インド洋通商破壊作戦、ソロモン決戦、ラバウル決戦に参加した潜水艦「伊16号」。その乗組員であった著者が艦内で書いていた日誌である。

開戦から約1年間のものだが、読み応え十分。現代に残っているのが奇跡のような日記だと思う。真珠湾やマダガスカル島のディエゴスアレスにおける特殊潜航艇による攻撃の様子など貴重な話が多い。

日誌の始まりは1941年11月17日。「明十八日はいよいよ作戦地へ向けて晴れの征途に就くのだ」とある。12月8日の真珠湾攻撃の約3週間前から、既に行動が開始されていたことがわかる。

印象に残るのは、潜水艦内での長期生活の過酷さだ。

夜間に入ってからの艦の動揺はなはだしく、夜通し、ベッドの上にて左右にゴロゴロころがされて眠れず、かつ胸がつかえるようだった。(1941年11月26日)
爽やかに明けんとする東天を拝し、と言いたいところだが、戦争という運命は、われわれに太陽も見ることを許さない立場にしてしまった。生れてこの方、元旦の陽の光を見ざるは今年をもって初めとする。(1942年1月1日)
片舷機故障のため、水もあまりとれないので、顔も洗わず身体もぬぐわない。歯を磨いたのは出港してから数回に過ぎないだろう。世の中に潜水艦乗りほど物臭いのもないだろう。(1942年6月3日)
腹の具合がとても悪い。未だに下る。食事も今朝ちょっと食べてみたが、すぐ痛くなるようなので、昼食を抜きにする。明日出撃までによくならないと、出港後は長時間潜航中、大便にゆけないので一番困るのだ。(1942年11月3日)

日記は1942年11月5日で終っている。

これにて、ハワイ海戦以来の陣中日誌、一冊目を終る。読み返す気もない。幾度か決死行の中にありて、気の向いたときに書き綴ったもの。そしてわれ死なばもろともにこの世から没する運命にある。しかし、第二冊目を書き続けてゆかねばならない。運命の魔の手が、太平洋の海底に迎えに来るその日まで。

この1冊目の日誌は翌年、伊16号が修理のため横須賀に戻った際に家族に渡された。その後、1944年5月19日に伊16号はソロモン諸島沖で撃沈され、著者も運命を共にする。27歳。結婚したばかりの妻と幼い娘を残しての戦死であった。

2冊目以降も書き続けられたはずの日誌は、海の底に眠っている。

本を読むのが好きな著者で、読書の話もたくさん出てくる。

樋口一葉『にごりえ』『たけくらべ』及びヴァイウォーターの『英独海戦』若干を読む。(1943年7月17日)

戦時中の潜水艦の中で樋口一葉の小説を読みながら、26歳の石川幸太郎はどんなことを考えていたのだろうか。

2021年12月8日、草思社文庫、1000円。

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2023年07月02日

林光『職人技を見て歩く』


副題は「人工心臓、トイレ、万年筆、五十塔…」。

「たかもく本の店」で購入した20年前の新書。モノ作りの職人を訪ねて話を聞くシリーズで、全10話を収めている。私はこういう「見て歩く系」の本が好きで、つい見かけると買ってしまう。

印象に残った発言を引く。

送電鉄塔って、鉄塔だけではだめで、電線があってはじめて完成なんですね。だからマイクロ鉄塔や電波塔みたいに、塔だけとはちがって、電線が張られて、はじめて美しくなるんですよ。(東京電力株式会社 本郷栄次郎)
じつは、外国の万年筆のメーカーさんにとって、いま、世界最大の万年筆のマーケットは日本なんです。世界では、いまの日本と同じように、圧倒的に簡便なボールペンが主流で、ほとんどがそれです。(潟pイロット 広沢諄一)
焼き物は、やっぱり中国が本家ですからね。戦争で中国に行ったということは、私にとって、本当にプラスになったんですよ。あれが、別のどっか島にでもほっぽりだされてたら、もう、目も当てられんですね。(走波焼き五代 佐藤走波)

文中に「弟のリンボウ先生」という記述があって、初めて著者と林望が兄弟だと知った。

2002年3月20日、集英社新書、700円。

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2023年06月23日

『〈記憶の継承〉ミュージアムガイド』


副題は「災禍の歴史と民族の文化にふれる」。

戦争や差別、公害、震災などの歴史を語り伝えるミュージアムを紹介するガイドブック。全国にある23館が取り上げられている。

原爆の図丸木美術館、戦没画学生慰霊美術館無言館、ひめゆり平和祈念資料館、沖縄県平和祈念資料館、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」、東京大空襲・戦災資料センター、舞鶴引揚記念館、水俣病歴史考証館、水俣市立水俣病資料館、満蒙開拓平和記念館、国立アイヌ民族博物館、平取町立二風谷アイヌ文化博物館、在日韓人歴史資料館、2・8独立宣言記念資料室、ウトロ平和祈念館、もうひとつの歴史館・松代、高麗博物館、文化センター・アリラン、長島愛生園歴史館、重監房資料館、国立ハンセン病資料館、ホロコースト記念館、リアス・アーク美術館

実際に各資料館を訪ね、館長や学芸員の方に話を聴き、ミュージアムの趣旨や歴史、展示内容などを詳しく紹介している。カラー写真も豊富で、雰囲気もよく伝わってくる。

それだけでなく、コロナ禍による入館者の減少や語り部の高齢化など、ミュージアムが直面している課題も見えてくる。

23館のうち私の行ったことのあるのは、たった3館であった。早速いくつか見て回りたいと思う。

2022年4月8日、皓星社、1800円。

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2023年06月22日

Pippo編著『人間に生れてしまったけれど』


副題は「新美南吉の詩を歩く」。

新美南吉の詩に魅せられた著者が、南吉の故郷の半田市などを訪ね歩き、その生涯をたどった一冊。後半には南吉の詩21篇と幼年童話6篇も収めている。

南吉と言えば「ごん狐」などの童話が有名だが、実は童謡も含めると約550篇もの詩を残しているのだそうだ。タイトルの「人間に生れてしまったけれど」も南吉の詩「墓碑銘」の一節から取られている。

引用されている南吉の日記や手紙の言葉も印象深い。

文学で生きようなどと考へて一生を棒にふつて親兄弟にまで見はなされてこつこつやつてゐるのは神様の眼から見ていいことなのか悪いことなのか、そこのところもよく解らない
僕はどんなに有名になり、どんなに金がはいる様になつても華族や都会のインテリや有閑マダムの出て来る小説を書かうと思つてはならない。いつでも足に草鞋をはき、腰ににぎりめしをぶらさげて乾いた埃道を歩かねばならない
こんどの病気は喉頭結核といふ面白くないやつで、しかも、もう相当進行してゐます。朝晩二度の粥をすするのが、すでに苦痛なのです。生前(といふのはまだちよつと早すぎますが)には実にいろいろ御恩を受けました、何等お報いすることのなかつたのが残念です。

「ふるさと文学散歩」1〜4は地図と写真入りで、南吉の生家や墓、勤務先の小学校、杉治商会、高等女学校などの場所を紹介している。南吉作品とふるさとの風土の結び付きの強さをあらためて感じた。

2023年3月22日、かもがわ出版、1700円。

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2023年06月19日

司馬遼太郎『街道をゆく16 叡山の諸道』


初出は「週刊朝日」1979年10月19日号〜1980年3月28日号。

比叡山の延暦寺で行われる法華大会(ほっけだいえ)を見学するために来た著者は、日吉大社、赤山禅院、曼殊院門跡、横川、無動寺谷などをめぐりながら思索を深めていく。

子規と最澄には似たところが多い。どちらも物事の創始者でありながら政治性をもたなかったこと、自分の人生の主題について電流に打たれつづけるような生き方でみじかく生き、しかもその果実を得ることなく死に、世俗的には門流のひとびとが栄えたこと、などである。
江戸幕府は、天皇家に親王がたくさんうまれることをおそれた。それらが俗体のままでうろうろしていたりすると、南北朝のころのように「宮」を奉じて挙兵するという酔狂者が出ぬともかぎらず、このため原則として天皇家には世継ぎだけをのこし、他は僧にし、法親王としてその身分を保全したまま世間から隔離することにした。
かつて木造であったものが、一見木造風のコンクリートに模様がえさせられる場合、実体であるよりも実体の説明者(ナレーター)の位置に転落させられてしまうことを、建てるひとびとは考えてやらないのではないか。

話題は次々に連鎖し、時に脇道に逸れたりしながら、縦横無尽に広がっていく。そこが面白い。

ときに唐は、晩唐の衰弱期で、かつてあれだけ世界の思想や文物に寛容だったこの王朝が、仏教に非寛容になり、土俗信仰である道教を大いに保護しはじめていた。多くの理由があるにせよ、国家が衰弱して力に自信がもてなくなると、かえってナショナリズムが興るということであるのかもしれない。

この文章など、40年以上も前のものなのに、近年の日本のことを言っているようにも読める。そうした時代を超える力を持っているからこそ、「街道をゆく」のシリーズは今も読まれ続けているのだろう。

「週刊朝日」は先月で休刊になったところだけれど。

2008年11月30日、朝日文庫、580円。

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2023年06月16日

近藤康太郎『百冊で耕す』


副題は「〈自由に、なる〉ための読書術」。

前著『三行で撃つ』の姉妹編。
https://matsutanka.seesaa.net/article/486715542.html

名物記者・ライターの記す読書論。長年にわたって著者自身が実践してきた内容でもある。

本は、読むだけではない。本は眺めるものだ。なで回すものだ。わたしは、それに生かされてきた。読んだ場所、読んだ時間、読んだ日差し、読んだ風の匂いを、五感を使って記憶に定着させる。
個々の読書体験が、ふとしたことでつながる。〈分かる〉とは、そういうことだ。
本を読む。そのもっともすぐれた徳は、孤独でいることに耐性ができることだ。読書は、一人でするものだから。ひとりでいられる能力。人を求めない強さ。世界でもっとも難しい〈強さ〉を手に入れる。

短歌に通じる話も、いろいろと出てくる。

「正しい読み/間違った読み」はないのだが、しかし、「おもしろい読み/つまらない読み」はある。
文章は、基本的に分からないものだ。分からない本を読まないで、むしろどうする。自分の知らないことを、知る。自分になかった視点を得ようとする。だから、本は難しくてあたりまえ。

いつも通り、歯切れ良く、テンポのいい文章が続く。

巻末の百冊選書には、ドストエフスキー『悪霊』、村上春樹『風の歌を聴け』、ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』などとならんで、『与謝野晶子歌集』も入っている。

2023年3月13日、CCCメディアハウス、1600円。

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2023年06月15日

村上春樹『一人称単数』


2020年に文藝春秋社から刊行された単行本の文庫化。
特に熱心な読者ではないので、文庫になったのを機に読んだ。

8篇を収めた短篇小説集。

短歌が出てくると聞いていて、表題作の「一人称単数」かと思っていたらそうではなく、冒頭の「石のまくらに」という話だった。

「私は短歌をつくっているの」と彼女はほとんど唐突に言った。
「短歌?」
「短歌って知ってるでしょ?」
「もちろん」。

人生において偶然出会った人や、短い期間だけ付き合った人を回想する話が多い。人生には何が正しくて何が本当であるのか、永遠にわからないできごとがある。

(  )の挿入の多い文体も、読んでいるうちにだんだん中毒になってくる。

ふと気がつくと(数をかぞえることに意識を集中していたので、気がつくまでに時間がかかった)、ぼくの前に人の気配があった。
でも僕は暇があれば(というか、当時の僕はだいたいいつも暇だった)神宮球場に足を運び、一人で黙々とサンケイ・アトムズを応援していた。
私は中華料理をまったく食べないので(どうやら中華料理で使われる香辛料の中に、アレルギーを引き起こすものがいくつかあるみたいだ)、彼女は中華料理を食べたくなると、親しい女友だちを誘ってどこかに食べに行く。

さすが村上春樹。なんだかんだ言ってもやっぱり味わい深い。

2023年2月10日、文春文庫、720円。

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2023年06月14日

黒田一樹『すごいぞ!私鉄王国・関西』


関西の私鉄大手5社「阪急」「南海」「阪神」「近鉄」「京阪」について、その歴史や特色などを徹底的に分析した本。カラー写真も豊富で、内容も充実している。

著者がそれぞれの私鉄のキーワードに挙げるのは、「阪急=創業者、南海=バロック、阪神=スピード、近鉄=エキゾチシズム、京阪=名匠」。その意味するところは、本書を読むとよくわかる。

関西の私鉄の話が満載の一冊であるが、実は著者は東京に住む人。そのため、関東と関西の違いに関する話もたくさん出てくる。

関東私鉄は「小田急線」「西武線」のように「○○線」の呼び名が主流ですが、関西私鉄は「阪急電車」「南海電車」のように「○○電車」の呼び名が主流です。
のりば表示案内は、たとえば難波駅なら「堺 岸和田 泉佐野 和歌山市方面」と手前から書くのが関東流。「和歌山市 泉佐野 岸和田 堺方面」と終着駅を大きく書いたうえで奥から書くのが関西流である。
駅に備え付けの発車時刻表にも関東流と関西流がある。時間を縦軸にとるのが関東流、横軸にとるのが関西流だ。

私は京阪電車に乗ることが多いのだが、「京阪」に関しても知らない話がいっぱいあった。淀屋橋駅が1面3線しかないにもかかわらず、ダイヤの組み方や停車位置をずらす工夫によって狭さを感じさせないことなど、まったく気付いていなかった。

言われてみれば、なるほどと思うことばかり。

残念ながら、この本の著者はもうこの世にはいない。「編集が佳境に入った今年の1月、わたしは末期の大腸ガンと診断されました」と、あとがきに記されている。刊行から1年も経たず、2017年1月3日に45歳の若さで亡くなった。

ご冥福をお祈りします。

2016年5月3日初版、2016年8月31日4刷。
株式会社140B、1800円。

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2023年06月11日

石井正己編・解説『菅江真澄 図絵の旅』


菅江真澄(1754‐1829)は愛知県に生まれ、信越・東北・北海道を旅して多くの日記や地誌を残した。その中から112点の図絵を取り上げて、現代語訳の日記などとともに解説を付した一冊。

とても面白い。

彩色された絵が鮮やかで、当時の風景や人々の暮らしの様子がよくわかる。民俗学や自然史の資料としても貴重なものだろう。干拓前の八郎潟で月見をしたり、隆起前の象潟を眺めたりもしている。

1789年のクナシリ・メナシの戦いや1792年のラクスマン来航、アイヌの暮らし、北海道に残る円空仏、三内丸山遺跡や縄文土器の話なども出てくる。歴史が身近に感じられる内容だ。

また、和歌も数多く詠まれている。

極楽の浜の真砂し踏む人の終(つひ)に仏がうたがひもなし【青森県、仏ヶ浦】
むかし誰(た)が手に馴らしけん四つの緒のしらべかへたる松風の声【秋田県、独鈷大日神社】
千代を経て宇須(うす)となるべき木々はみな枝垂れ地(つち)に付くといふなり【長野県、碓氷】

当時、北海道の松前でも和歌を詠む人が多くいたようだ。

神々に和歌を献上したり、季節の移り変わりの歌題を設けて和歌を詠んだりしている。真澄は、藩主・松前道広の継母の文子や重臣の下国季豊、稲荷社神主の佐々木一貫、商人の土田直躬らと和歌を通じて交流を重ねている。真澄の長期滞在は松前歌壇の興隆に大きく寄与した。

和歌は土地褒めであり、神と人、人と人をつなぐコミュニケーションの役割も果たしていた。近代以降の自己表現としての短歌とは異なる和歌の意味について、あれこれ考えている。

2023年1月25日、角川ソフィア文庫、1500円。

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2023年06月06日

高橋博之『都市と地方をかきまぜる』


副題は「「食べる通信」の奇跡」。

2013年に食べ物付きの情報誌「東北食べる通信」を創刊した著者が、食と命、都市と地方、民主主義と当事者意識といった問題について記した本。関係人口という概念の創出や「食べる通信」の全国化など、具体的で実践的な内容となっている。

地方も行き詰まっているが、都市もまた行き詰まっている。そして、都市の行き詰まりを解決しえるものが、地方にはある。ならば、都市が地方を支える、助けるという議論とは別に、私たち地方が都市を支える、助けるという議論を堂々と展開していっていいのではないか。
生きる実感とは、噛み砕いていえば、自分が生きものであるということを自覚、感覚できるということ。生命のふるさとである海と土から自らを切り離してしまった都市住民が生きる実感を失っていくのも、当然のことではないだろうか。
田舎から都会に出ていく回路は、進学、就職と圧倒的に広い。対して都会から田舎に出向く回路は、観光と移住しかない。これをさらに拡大するには、関係人口という考え方で定期的に通ってくる人たちを増やすことだと思う。
繰り返すが、人間は食べないと生きていけない。その意味でこと職に関しては、すべての国民が当事者といえる。なのにこれまでの一次産業は、農家と漁師だけが当事者として孤軍奮闘してやってきた。私たち消費者も当事者なのに、観客席で高みの見物をし、まるで他人事だった。

かなり明確な理論と哲学があり、それに基づいて事業を展開している様子を見て取ることができる。一方で、現実の世界は理想通りには行かないことも多いようだ。

2016年の時点で「食べる通信」は全国34地域にまで広がり、それを100に増やすという目標が本書には掲げられていた。けれども、実際は2017年の41地域をピークに、その後は休刊や廃刊が続き、現在は22地域にまで減っている。
https://taberu.me/league

どこに誤算があったのだろう。

2016年8月20日、光文社新書、740円。

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2023年06月04日

稲垣栄洋『はずれ者が進化をつくる』


副題は「生き物をめぐる個性の秘密」。

毎年何点もの新刊を次々と出している人気植物学者が、若者向けに書いた本。雑草などの植物の生態についての話をもとに、教育論・人生論を展開している。

雑草は図鑑どおりではありません。それが何よりの魅力です。/図鑑には春に咲くと書いてあるのに、秋に咲いていたり、三〇センチくらいの草丈と書いてあるのに、一メートル以上もあったり、そうかと思うと五センチくらいで花を咲かせていたりします。
激しい競争が行われている自然界ですが、そんな中で、生物はできるだけ「戦わない」という戦略を発達させています。ナンバー1になれるオンリー1のポジションがあれば、そんなに戦わなくても良いのです。
どこにでも生えるように見える雑草ですが、じうはたくさんの植物がしのぎを削っている森の中には生えることができません。/豊かな森の環境は、植物が生存するのには適した環境です。しかし同時に、そこは激しい競争の場でもあります。そのため、競争に弱い雑草は深い森の中に生えることができないのです。

身近なわかりやすい例を取り上げて、そこから意外な話や深い話へつなげていくところが鮮やかだ。

2020年6月10日第1刷、2021年10月25日第7刷。
ちくまプリマ―新書、800円。

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2023年05月29日

千葉俊二編『新美南吉童話集』


新美南吉が読みたくなって岩波文庫の童話集を買った。

「ごん狐」「手袋を買いに」「赤い蝋燭」「最後の胡弓弾き」「久助君の話」「屁」「うた時計」「ごんごろ鐘」「おじいさんのランプ」「牛をつないだ椿の木」「百姓の足、坊さんの足」「和太郎さんと牛」「花のき村と盗人たち」「狐」の14篇と評論「童話における物語性の喪失」を収めている。

童話はたぶん子どもの頃にほとんど読んだことがある。ストーリーを思い出すものが多かった。でも、当然ながら読み方は昔と違う。時代の移り変わりによって失われるものへの眼差しが印象に残った。

これだけ世の中が開けて来たのだと人々はいう。人間が悧口になったので、胡弓や鼓などの、間のびのした馬鹿らしい歌には耳を籍(か)さなくなったのだと人々はいう。もしそうなら、世の中が開けるということはどういうつまらぬことだろう、と木之助は思ったのである。/「最後の胡弓弾き」
どこの家のどこの店にも、甘酒屋のと同じように明かるい電燈がともっていた。光は家の中にあまって、道の上にまでこぼれ出ていた。ランプを見なれていた巳之助にはまぶしすぎるほどのあかりだった。巳之助は、くやしさに肩でいきをしながら、これも長い間ながめていた。/「おじいさんのランプ」

こうした出来事は今ではさらに頻繁に、短いスパンで、当り前のように繰り返されている。もう童話に書かれることさえないままに。

1996年7月16日第1刷、2019年6月14日第28刷。
岩波文庫、740円。

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2023年05月26日

『宝塚少女歌劇、はじまりの夢』の続き

短歌関連で印象に残ったことを書いておこう。

まずは、初期の団員たちの芸名である。高峰妙子、雲井浪子、篠原浅茅、瀧川末子など、みんな百人一首にちなんだ名前になっている。

田子の浦にうち出でて見れば白の富士の高嶺に雪はふりつつ
わたの原こぎ出でてみれば久方の雲ゐにまがふ冲つ白
浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれてもにあはむとぞ思ふ

当時はこういう名前が美しさを感じさせたのだろう。

続いて、高安やす子(高安国世の母)のことである。この本には2か所、やす子の名前が出てくるのだが、「歌劇」大正8年1月号に掲載された短歌「湯気のかく絵」について見てみたい。

いつとなく湯気のかく絵をながめ居ぬうつとりとして湯ぶねの中に
大理石(ナメイシ)の温泉(イデユ)の中に浪子はもギリシヤの女(ヒト)に似したちすがた

(…)高安は雲井浪子の立ち姿がギリシャ女性を思わせると詠んでいるが、一緒に入浴する機会があったのか、それとも想像の中での吟詠なのか。

宝塚新温泉の大理石の浴場を詠んだ歌である。やす子は関西の社交界では有名な女性で、与謝野寛・晶子の指導を受けて「紫絃社」という短歌グループを作っていた。

引用歌から思い出したのは、大正14年に高安やす子の書いた「日本の温泉と浴槽」というエッセイ(『一日一文』所収)である。日本の温泉設備が貧弱なことを指摘した後に、ローレンス・アルマ=タデマ(1836‐1912)の古代ギリシア・ローマの浴場を描いた絵画に言及している。

私はアルマタデマの好んで描くあの浴槽に多大の憧憬を持つ。美しい丸柱の並んだ柱廊や広間の中の大理石の階段をもつた浴槽、しきりのカーテンの上からわづかにのぞく蒼穹、美しい彫刻の口からおちる水晶の透明をもつた湯の泉、海の見えるベランダには丸柱にからむ薔薇の花が淡紅の雪とくづれる。洗練された美のかぎりなきしなやかさと、調和と明快と言語に絶した光と蔭と匂と豊潤な詩とこれ等最高な美をそなへた希臘の女がそこに浴みをする。

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例えば、こんな絵である。「お気に入りの習慣」(1909)。

先に引いた歌の「ギリシヤの女」という表現の背景には、やす子のこうした理想があったと見ていいだろう。

posted by 松村正直 at 15:16| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする