2026年09月13日

西東三鬼『神戸・続神戸』


戦時下の神戸の怪しげなホテルで過ごした日々を描いた自伝的小説。

「俳句」に昭和29年〜31年に連載された「神戸」(全10話)と「天狼」に昭和34年に連載された「続神戸」(全5話)を収めている。

めちゃめちゃ面白い。

国籍も職業もさまざまな人が出入りするホテルを舞台に、楽しくも哀しい人間模様が繰り広げられる。どこまでが事実でどこからがフィクションなのかはわからない。

わたしは四十五歳で、徴兵の最高年齢は、当時たしか四十二歳であったから、兵隊に引っぱり出される心配はなかったが、私の俳句友達は、私より年下の人が多かったから、もしかすると、汽車の窓から、神戸市民に別れの歓声を投げ掛ける兵隊達の中に、彼等の一人がいるのかもしれなかった。
昭和十八年の頃、東京には時々B29が現われたが、神戸は街全体がポカンと虚脱していて、市民にも国際都市特有の呑気さがあった。
神戸という街は、戦争中、流言のルツボであった。つまり、スパイの巣であった。県庁の外事課は、そのためやっきになっていたが、いわゆる敵性国、盟邦の、両方の人間が、日本の敗色濃い情報を流す。

戦時下にぽっかり空いた別世界のような、猥雑で非日常的で自由な空間。それは後にも先にもない、このときだけ出現した世界だったのかもしれない。

2019年7月1日発行、2025年9月20日6刷。
新潮文庫、490円。

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2026年09月08日

宮内悠介『かくして彼女は宴で語る』

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副題は「明治耽美派推理帖」。

「パンの会」に集った文学者・美術家たちが事件の謎に挑む連作短篇集。明治41年12月12日の第1回から42年3月13日の第6回の会合が舞台になっている。

登場するのは、主人公の木下杢太郎をはじめ、北原白秋、吉井勇、石井柏亭、山本鼎、森田恒友、長田幹彦、フリッツ・ルンプなど。

啄木と金田一京助が事件を解決する伊井圭『啄木鳥探偵處』を思い出した。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138705.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/474664344.html

団子坂の菊人形、浅草十二階、上野公園の東京勧業博覧会、ニコライ堂など、明治末期の東京の様子が細かく描かれているのが楽しい。

第5回には石川啄木も登場する。

この男は、面白おかしい話をしたり、うまいこと人から金を借りる術には長けている。反面、物事を正直に打ち明けて、人と折りあいをつけるということができない。そして、ときに逃げ出しもする。なぜそうなのかは、おそらく彼自身もわからずに困っている。

最終回では、近代日本の芸術運動や日本という国がその後どのような歴史をたどったのかが暗示されている。また、医学と芸術のどちらの道を選ぶか迷っていた杢太郎の人生についても考えさせられる。

何だか杢太郎に興味が湧いてきた。今月、熱海に行く用事があるので、ついでに伊東の木下杢太郎記念館に寄ってみようかな。

2023年10月5日、幻冬舎文庫、790円。

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2026年09月07日

幸田文『男』


1959年に「婦人公論」に一年間にわたって連載された「ルポルタージュ 男」11篇をはじめ、男性について記したエッセイを集めた本。

羅臼の鮭漁師、国鉄の運転士、外科手術をする医師、下水道の作業員、少年院の教官など、仕事の現場を訪れて観察し話を聞いている。

そして授精し、大切に砂をかけ終って、生涯のしごとは果される。夫妻ともに精根尽きて、ひどいのになればからだじゅう傷だらけで、しっぽも鰭も大概は形をなしていない。あとに残されているのは、自然の休息の時が来ることばかりである。
いまはもう蒸気は古くなった。この機関車はもう製造がとまっている。現在あるものが使えなくなれば、それで姿を消す車である。云うなれば、老骨に鞭うってしんがりを務めている剛の者である。
「ゆが出ていますよ」という。湯とはここの用語で、水を沸かした白湯のことかと思えばとんでもない。千六百度とかに熱せられてどろどろに溶けた鉄を、あっさりゆといって済ませているのである。

幸田文の文章は歯切れが良く、読んでいて気持ちいい。

2020年7月10日第1刷、2025年1月15日第3刷。
講談社文芸文庫、1500円。

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2026年09月01日

猪木武徳『地霊を訪ねる』


副題は「もうひとつの日本近代史」。

日本全国の鉱山や産業遺跡、温泉地などを旅した紀行文。

司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズのような感じで、「伊那谷から中山道へ出る」「登米、栗原から鶯沢の細倉鉱山へ」「筑豊三都を巡り、秋月城址へ」など、計27篇を収めている。

歴史上の事件や人物についてよく知りたいと思った時、事件の現場やその人物が活動した場所に行ってみたいという気持ちになることがある。「地霊」を感じてみたいということだろうか。
このような養子を迎えての「洋学」の継承には、学問も商売も、個人や一世一代限りの事業では完結しないほど、奥深いという認識があったのだろう。幕藩体制下の人材育成と選抜には実力主義による広域のネットワークが存在したことが分かる。
新興宗教の教団には素晴らしい美術館を持っているところがある。熱海のMOA美術館(世界救世教)、滋賀県信楽のMIHOミュージアム(世界救世教から分かれた神慈秀明会)など(…)。飛騨高山の光ミュージアムは崇教真光の総合博物館だ。
この由緒ある銀行は、明治初期に全国で一五〇余り設立された「国立銀行」のひとつだ。ちなみに「国立銀行」は、「私立」であって、国が設立して経営するという意味の「国立」ではない。米国のNational Bank(国法に基づく銀行)を(誤)訳したものだ。
青森のリンゴのように、士族授産事業を契機としてその後の地方の特産品となった例も少なくない。静岡のお茶、福岡の久留米絣、名古屋の養鶏などもそうした例であろう。

こうした興味深い指摘が次々と出てきて飽きない。

北一輝が「明星」に歌を投稿していたことや、田中正造が多くの歌を詠んでいたことなども、この本で初めて知った。機会があればさらに調べてみたい。

2023年1月30日、筑摩書房、2400円。

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2026年08月30日

多田多恵子『旅するタネたち』


副題は「時空を超える植物の知恵」。

むちゃくちゃ面白かった!

植物にはまったく詳しくないのだけれど、稲垣栄洋さんの本とかNHKの番組「植物に学ぶ生存戦略」を見るのは好き。そんな私にぴったりの本だった。

タネはいわばマイクロカプセル。みずからの設計図である遺伝子と、芽が育つための栄養が詰め込まれています。新しい場所で新しい世代を担うべく、タネたちは旅立つのです。

種を遠くへ運ぶ方法として、風や雨や川などの自然を利用するものもあれば、鳥やリスなどに食べられたり動物や人間にくっ付いたりするもの、あるいは自ら物理法則を使って弾き飛ばすものもある。

暑い気温の中で花を長く咲かせるのは、呼吸による消費や水分のロスも多いので、植物にとってもしんどいことなのです。ムクゲの花も、虫の活動が盛んな時間帯だけ開き、実を効率よく結ぼうとしています。
山火事のあとは、光が豊富で競争相手もおらず、灰の栄養もたっぷり。この絶好の機会を待って、ブラシノキはタネを散らし、後継者の木を育てるのです。
生命豊かなマングローブ林では、潮が引いた泥地にカニの巣穴が無数にあいています。うまいこと胚軸の先がカニの巣穴に刺されば万々歳。根が伸びて体を支え、小さなメヒルギの木に育ちます。
ヤドリギの実は消化しにくく粘液質に富み、食べると糞もネバネバになります。糞とともに落とされたタネは、ほかの木の枝や幹にへばりつき、そこで芽を出して育ちます。
2個のタネは、大きさや皮の厚さが少し違います。そして不思議なことに、芽を出すタイミングも違います。(…)オナモミの仲間が住んでいる空き地や水辺などは環境の変化が激しく、芽を出しても確実に育つとは限りません。2番手のタネは、1番手が事故にあったときのための保険なのです。

こんなに精巧で見事な仕組みは、一体どうやって生まれたのだろう?「進化」の概念だけではとても説明できる気がしない。

やっぱり神様がいるのかしら。

2024年10月1日、ヤマケイ文庫、1300円。

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2026年08月28日

松村秀一『これからの建築入門』


副題は「〈自分でつくる〉を取り戻せ」。

建築の歴史や仕組み、人との関係を解説しながら、今後の建築のあり方を示した本。

建築が専門家だけのものでなく誰にとっても身近で関わりを持てるものになるように、との提言が記されている。

現代の建築はどこに行っても同じような材料を使っているのが普通です。鉄筋コンクリートも鉄もガラスも集成材も、土地土地の違いなどありません。どこか遠くから運ばれてきた材料なのですから。でも、トラックも鉄道もなかった時代には、遠くから建築材料を運んでくるのは並大抵のことではありませんでした。ですから、その土地で取れる身近な材料を使うのは当たり前で、結果として建築に豊かな地域性がもたらされたのです。
日本で住宅用アルミサッシが上市されたのは1961年です。それまでの日本の住宅の窓はほぼ木製建具でできていました。主に地域の建具屋が製作していた住宅部品です。ところが、アルミサッシが登場して10年少々を経た1974年の時点で、新築住宅へのアルミサッシ普及率は約9割に達しました。
歴史的に長く続いてきた建築職人の流れと、それとは全く別物として明治時代以来幅を利かせてきた建築学の流れ。この二つの異なる流れが、人の行き来を通して部分的にであれ合流を始めていることは、建築を造ることに関心のある人にとっても、建築それ自身にとっても、望ましいことだと思います。

住宅やオフィスや公共建築を大量にどんどん建てれば良かった時代は終って、私たちの暮らし方や生き方に合った建築を考える時代になってきたのだ。

2025年10月17日、岩波ジュニア新書、880円。

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2026年08月23日

八木澤高明『裏横浜』


副題は「グレーな世界とその痕跡」。

6月に「横浜市大倉山記念館」で別邸歌会を行った際に、翌日、横浜を観光した。そんなこともあって、ちょっと横浜が気になっている。

横浜に生まれ育った著者が、オシャレな観光地としての横浜ではなく、ダフ屋や娼婦や革命家、ストリップ劇場、ドヤ街、海外への移民、米軍住宅などディープで猥雑な横浜を記した本。

この著者の本は、これまでに何冊か読んできた。どれも、けっこう個性的だ。

『日本殺人巡礼』
https://matsutanka.seesaa.net/article/504080009.html
『忘れられた日本史の現場を歩く』
https://matsutanka.seesaa.net/article/510282426.html
『軍都の陽炎』
https://matsutanka.seesaa.net/article/517002594.html

一九三六年(昭和一一)に設立されたのが大洋捕鯨株式会社だった。ちなみに大洋漁業はマルハ株式会社という企業名に変更するが、林兼商店の「○ハ」からその社名が付けられている。

マルハはその後、ニチロ(日魯漁業)と合併してマルハニチロとなり、今はUmios株式会社になっている。そんなふうにして、いろいろな痕跡が消えていくわけだ。

彼女たち、外国人を相手にする遊女は「らしゃめん」と呼ばれた。漢字では綿羊娘となる。その語源は、西洋の船乗りたちが遠洋の航海で、雌の羊を性欲のはけ口としたことから、そう呼ばれるようになったという。
戦前の頃から最後の移民船が出た一九七三(昭和四八)までは、経済的な困窮から抜け出すために移民たちがブラジルを目指したわけだが、日本経済が大きく伸びると、ブラジルから日本へと逆流ともいえる現象が起きた。
新田開発後から昭和四〇年代までの地図を眺めれば、大通り公園の場所は、川だったことがわかる。その川は新吉田川と呼ばれていた。ここ横浜の色街も全国のほとんどの色街と同じく、川のほとりに形成された。

時おり自らの回想や体験も交えながら、横浜という街の光と影を描いていて、読み応えがあった。

2022年5月10日第1刷、2025年4月20日第4刷。
ちくま新書、960円。

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2026年08月16日

元永拓郎『歩くと心が軽くなるのはなぜか』


副題は「散歩の心理学」。

公認心理師・臨床心理士である著者が散歩の効用について、さまざまな角度から記した本。

散歩は、doing≠ェ、being≠ノなったり、また、doing≠ノ戻ったり、そんな、ふらふら≠キる営みです。
散歩は、いまここで、を味わう時間であると同時に、現在、過去、未来の間を、心や身体がいったりきたりする、そんなあわいに漂う営みです。
近所を散歩していて、小さな祠や橋、むかし小川が流れていた暗渠なども、あわいを感じさせます。
AIが人生を侵食するこれからの時代において、散歩や対話は、大地を踏みしめて世界とつながり直す、人類誕生以来の本質的な営みと交信し、私たちに最後まで残される数少ないあわいを衛(まも)る砦となるのかもしれません。

けっこう散歩はする方なので、面白かった。散歩がこんなに奥深いものだったとは。

2026年5月10日、ちくま新書、900円。

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2026年08月13日

中川たま『年を重ねて今を彩る 暦の手仕事』


表紙の色鮮やかな実山椒の写真にひかれて購入。

「春」「初夏」「盛夏」「秋」「冬」、それぞれの季節の料理についてのエッセイとレシピ集。カラー写真がたくさん載っていて、どれも美味しそうだ。

梅雨が近づくと、青梅とともに待ち焦がれている小さな実が旬を迎えます。そう、芳しい実山椒。水に放つと宝石のようにキラキラと輝き、うっとりと眺めてしまいます。
食材の力を信じ、そして、その食材を選んだ自分を信じて手を動かします。「トマト梅」は、いつもこのふたつに立ち返らせてくれる、幾度となく作り続けている一品です。
食用菊は、山形ではもってのほかという黄色の品種、新潟ではかきのもとという紫色の品種が多く、どちらも鮮やかで秋のアースカラーを引き立ててくれます。
果物には走りと名残りがあり、いちじくには早生、中生、晩生と時期によって異なるものが出て、7月から10月後半くらいまで楽しめます。夏に出回る走りは小ぶりでさっぱり、秋の名残りは甘みが強い傾向にあります。

読んでいると料理への意欲がかき立てられる。自分でもいろいろと作っていきたいな。

2026年2月20日、日本文芸社、1800円。

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2026年08月06日

稲泉連『増補 復興の書店』


2012年に小学館より単行本、2014年に小学館文庫として刊行された本に、「補章 能登の書店」を追加したもの。

東日本大震災で被災した東北各地の書店を訪ね、書店員や取次会社の思いと復興に向けた動きを描いたノンフィクション。

「本というのは趣味の一部で、何か大変なことがあったときに生活の中で最初に切られるのは趣味の部分だから、本屋を再開しても本は売れないだろうって。でも、それが逆だったんです。普通は食料や水だと思うじゃないですか。お客さんがお店に集まってくる様子を見て、自分の仕事ってこういうものだったんだ、と発見した思いでした」
(石巻市「金港堂」阿部利子)
「本屋って最初から欲しい商品がある人もいるけれど、いちばんの魅力は何となく棚を見ながら、一人で自分の興味のありそうな本を探せるところですよね。その意味で気分転換ができる場所だったのかな、と思うんです」
(相馬市「丁子屋書店」佐藤トキエ)
「それに本屋というのは神社の大木みたいなものでね。伐られてしまって初めて、そこにどれだけ大事なものがあったかが分かる。いつも当たり前のようにあって、みんなが見ていて、遊んだ思い出がある場所。震災が浮かび上がらせたのは、本屋は何となくあるようでいて、そんなふうに街の何かを支えている存在なのだということなのではないか」
(「ジュンク堂書店」工藤恭孝会長)

こうした心温まる話、心強い話が多く収められている一方で、書店をめぐる現実は年々厳しさを増している。

書店員として本書に登場し、小学館文庫版に「『復興の書店』を読まれる皆様へ」を書いている佐藤純子さんの働いていた「ジュンク堂書店仙台ロフト店」は2014年に閉店。

また、本書の巻末の解説「災害と書店」を書いている日野剛広さんが店長を務める「ときわ書房志津ステーションビル店」も、先日、今年10月25日での閉店を発表したところだ。

あとがきには、震災から15年を経た書店の今の様子も記されている。大手書店(山田町)、一頁堂書店(大槌町)、「桑畑書店」(釜石市)、「ブックポートネギシ」(大船渡市)など、いつか機会があれば訪れてみたい。

2026年2月13日、岩波現代文庫、1210円。

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2026年07月30日

グラフィック社編集部『老舗駅弁』


副題は「美味しさとロングセラーの秘密」。

50年以上の歴史を誇る全国各地の駅弁の数々を、豊富なカラー写真とともに紹介した本。

取り上げられているのは、氏家かきめし(厚岸)、八戸小鯛寿司(八戸)、高原野菜とカツの弁当(小淵沢)、だるま弁当(高崎)、うなぎ飯(浜松)、桃太郎の祭ずし(岡山)、かしわめし(西都城)など全60点。

日本で一番売れていると言われる駅弁がこの『シウマイ弁当』。一日平均で約3万3千食、多い時期には一日4万食以上を売り上げる。全国的に知られる横浜の顔≠セ。

崎陽軒の「シウマイ弁当」、やっぱりすごいな。

具材や調理法の細かな解説もあって、どれも実に美味しそう。良い本なのだけれど、誤植の多いのが残念。ざっと数えて20か所はある。校正にあまり手を掛けていないのだろう。

2026年5月25日、グラフィック社、2000円。

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2026年07月29日

武田百合子『ことばの食卓』


画:野中ユリ。

武田百合子の「枇杷」というエッセイが好きで、また読みたくなってこの本を買った。他にも食べものに関するエッセイが収められているが、読んだ記憶がない。「枇杷」はこの本ではなく、何かのアンソロジーで読んだのだったか。

夜学性が紙袋のお菓子を、食べてみるか、とすすめてくれたので、土間に立ったまま食べたのだ。カステラの間に羊かんをはさんで三角に切った形のお菓子だった。この菓子の名前知ってるか、と訊くから、知らない、と答えると、シベリヤ、と言った。
秋のお彼岸の快晴の日で、日光は眩しく、全員汗ばんで上気し、むやみと笑った。芝居を演っているような気分だった。あの写真、E家ではきっと破って、ちぎって捨てたろう。先を下りて行く娘にそう言うと「そりゃ、そうだ。当り前のことです」と娘は振り向かずに、下まで真直ぐの石段を下りて行く。
きっとあの人は、お花見会の幹事なのだ。明日か明後日に、勤め先か町内会か商店会のお花見会があるのに、散ってしまっては幹事として顔が潰れるので、花のことばかりが心配な毎日なのだ。一枚散ったら、もうおしまい。はらはらはらはら散り出すのである。出来ることならセメダインで、この一枚を元のところへ貼りつけておきたい気持だろう。

どのエッセイも味わい深く、うまい。現実と空想と回想がほどよく入り混じって独特の雰囲気を湛えている。

文章を整え過ぎないのがいいのだろうな。どうしても整えてしまうものだと思うのだけれど。

武田泰淳・武田百合子のお墓(分骨)が知恩院にあるみたい。一度お参りに行ってみよう。

1991年8月22日第1刷、2024年9月5日第30刷。
ちくま文庫、680円。

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2026年07月26日

つげ義春『つげ義春日記』


1983年に講談社から出た単行本の文庫化。

昭和50年から55年にかけての約5年間の日記。長男(正助)の誕生、藤原マキ(真喜子)との結婚、妻の癌の発病、古本や中古カメラの収集・販売、団地への入居、不安神経症の発病といった日々が描かれている。

何だか知っているような気がしたのは、以前、藤原マキ『私の絵日記』を読んだことがあるからだった。

今日も正助のうなり声で熟睡できず、子供のために生活のすべてを混乱させられているようで憎悪を覚える。そのことをマキに云うと泣き出した。
私が引き継ぐ百五十万のローンは、昭和七十六年十月まで支払いを続ける。あと二十三年間だ。溜息が出る。書類には「昭和七十六年」と明記されてあるが、昭和七十六年なんて年号が存続するものなのか?
医者嫌いの自分はあの待合室がなによりも苦痛だ。見知らぬ人の視線を意識しながらじっとしているのは耐えられない。「つげさんどうぞ」と名前を呼ばれ、すっと立ち上るとき、視線が集中するとよろけそうになる。
夕方から自分は一人で障子を張り替えた。初めての経験なのに上手にできた。こういうことをすると所帯じみているけれど「生活している」といった実感があり嬉しい気がする。しっかり「生活」するのはいいことだ。つまらぬ観念的なことを考えるより「生活者」になること、それが精神的にも安定を得ることになると思う。

後半は心身の不調が目立ち、記述もひたすら暗くなっていく。もちろん、事実そのままというわけではないのだろうが、胸が痛む。一方で、それが心地よかったりもするから厄介だ。

2020年3月10日第1刷、2021年11月10日第6刷。
講談社文芸文庫、1300円。

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2026年07月21日

『速水御舟随筆集』


副題は「梯子を登り返す勇気」。

40歳という若さで亡くなった画家・速水御舟(1894-1935)の残した文章を収めた随筆集。

絵画修業の道程に於て私が一番恐れていることは型が出来ると云うことである。何故なれば型が出来たという事は一種の行詰りを意味するからである。芸術は常により深く進展して行かねばならない。だからその中道にて出来た型はどんどん破壊して行かねばならない。
絵画にあっても、例えば一本の線を引くにしても、いい線を描こうと意図して引いた線は、最早や純粋な心から離れているものであるからして、立派な線とは言われない。また、いい線が引けたらなどと考えたときにも、同じ理由から、それは決していい線であるとは言われないことになる。
私は技巧と気持を区別しません。どの道でもそうじゃないかと思いますが、心と技巧は同じいもので、いくら自分が理想が高くても、技巧がなければ、思想をもっていても何にもならない。
梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い。大抵は一度登ればそれで安心してしまう。そこで腰を据えてしまう者が多い。登り得る勇気を持つ者よりも、更に降り得る勇気を持つ者は、真に強い力の把持者である。

やはり一流の人の言葉には重みがある。短歌など他のジャンルにも当て嵌まる話がたくさんあると思った。

2024年2月5日、平凡社ライブラリー、1700円。

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2026年07月16日

穂積和夫『絵で見る明治の東京』


2010年に草思社より刊行された単行本の文庫化。

明治時代の東京の様子を文章と数多くのイラストで紹介した本。「絵で見る」というのは大事で、イメージが何倍にも広がってくる。

そのころの東京は「車夫と書生の町」といわれていた。人力車夫と書生がやたらと多かったからだ。本郷から神田界隈には下宿屋や書店が立ち並び、学生街として知られるようになっていった。
堀割りと水運の町といわれた江戸の河川には、大小の橋がたくさん架かっていた。いずれも船の通行のために中央が太鼓状に盛り上がった木造橋で、これらは明治になると車馬交通のために平坦な形式に架けかえられるようになる。
江戸時代には高い建造物は禁止されており、高層といえば城の天守ぐらいで、江戸城の大天守も明暦大火後は再建されていないから、一般の高層建造物といえば火の見櫓ぐらいしかなかった。
江戸以来の高級商店は店先に商品を置かず、客の求めに応じて裏の蔵から品物を運んできて売る「座売り」の方式が一般的だった。これに対して、最初から店先に商品を並べて、客に手にとって買ってもらうのが「陳列販売」という方式で、これが急に流行するようになったのは、内国勧業博覧会の売店のスタイルが人気を集めたからだといわれている。

江戸から明治になって、町の風景も人々の暮らしも大きく様変わりする。その一つ一つの意味を、こうしてあらためて知ることができるのはありがたい。

2017年10月9日、草思社文庫、1000円。

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2026年07月15日

池内紀『旅の食卓』

著者 : 池内紀
亜紀書房
発売日 : 2016-07-27

何度か書いたことがあるけれど、池内さんは私の大学時代(独文科)の先生だった方。池内さんの文章を読むと、その独特な話し声が聞こえてくるような気がする。

日本全国の旅と食の思い出を記したエッセイ集。「石狩川と鮭」「八丈島と島寿司」「金沢のドジョウのかば焼き」「播州のそうめん丼」「豊後・日田の鮎料理」など、全23編が収められている。

ビジネスホテルのフロントには、第二、第三のおつとめといったタイプの年長者がおられるもので、土地のこと、また夜の居酒屋にくわしい。そんな人の助言をかりる場合は知ったかぶりはしないことで、素直にきいてメモをとったりしていると、親身になって教えてもらえる。
旅先でおでん屋に入るには勇気がいる。おでん屋そのものではなく、店をつつんでいる雰囲気があって、それが土地の人の憩いの場であることを告げている。
伊豆半島の東側には伊豆急が走っているが、西伊豆には鉄道がない。熱海、伊豆、沼津と距離はさほどではないが、ながながとのびる天城山系にさえぎられている。そんな西伊豆の先っぽにあたる松崎は辺鄙な土地と思われがちだが、実はそうではない。古くは船が足だった。

いかにも旅慣れている人という感じがする。

知られるとおり丼物は上の具と下の飯からなりたっており、正確にいうと、下の飯には二種類あって、おしるのしみたところと、しみていない白いごはんのところがある。わが独断であるが、その比率七・三といったところが望ましい。

このあたりは、先日亡くなった「東海林さだお」っぽいな。

2016年8月17日、亜紀書房、1600円。

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2026年07月12日

最相葉月『れるられる』


ノンフィクションライターである著者がさまざまな取材を通じて感じたこと、考えたことを記した連作エッセイ集。2015年に岩波書店より刊行された単行本に終章を加えて文庫化したもの。

「生む・生まれる」「支える・支えられる」「狂う・狂わされる」「絶つ・絶たれる」「聞く・聞かれる」「愛する・愛される」「見守る・見守られる」の全7章から成っている。

二〇一三年の晩秋、事態はさらに夫婦を追いつめる方向に進んでいた。妊婦の血液を調べるだけで胎児の染色体異常の有無がわかる新型出生前診断の臨床研究の結果、陽性と判明した妊婦の九割以上が中絶していたのである。
そもそもケアという行為自体、ケアする者とケアされる者という不平等な人間関係を形成せざるをえない。
ダイアログ・イン・ザ・ダークにはもう一つ、大きなねらいがあった。それは仕事が見つかりにくい人が働ける場所であるということである。ここでは目の見えない人たちがアテンドをつとめる。彼らがいて初めて、私たちは闇の中を進んでいける。

こうしたさまざまな「する/される」に関する話を通じて、読者は境界について考えることになる。

世界は、あちら側とこちら側で出来ています。こちら側の人があちら側にいることもあれば、あちら側の人がこちら側にいることもあります。こちらとあちらが一人の中に共存していることもあります。

こうした考え方は、今後ますます大事になってくるように思う。

2025年9月12日、岩波現代文庫、930円。

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2026年07月08日

『もっと知りたい 速水御舟 生涯と作品』


監修:尾崎正明
執筆:古田亮、鶴見香織、吉田春彦

いつからか速水御舟が好きになって美術館によく行くようになった。そんな速水御舟の人生と作品の変遷について解説した本。

作風に大きな違いがありながら、どの作品にも御舟らしさが必ず表われている。初期の《京の舞妓》と晩年の《花の傍》を例にとると、前者はものの存在の確かさに迫ろうとした写実的描写であり、後者は装飾性を意識した平面的な画面処理であって、二つの間の隔たりは大きい。しかし、表現に対する態度にはまったく違いがない。
おそらく、ではあるが、御舟が次男であったということも画家の誕生には有利に働いたことだろう。蒔田家は長男が継ぎ、御舟は一五歳で母方の祖母速水きくの養子となっている。父親には、御舟が絵の道に進むことについて反対する理由が特段見当たらなかったはずである。
「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りてきて、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い。大抵は一度登ればそれで安心してしまふ。そこで腰を据へてしまふ者が多い。登り得る勇気を持つ者よりも、更に降り得る勇気を持つ者は、真に強い力の把持者である。」(速水御舟語録)

「鍋島の皿に柘榴」(1921年)、「樹木」(1925年)、「翠苔緑芝」(1928年)など、いつか実物を見てみたい。

2009年10月15日第1刷、2019年7月20日第5刷。
東京美術、1600円。

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2026年06月28日

安達宏昭『大東亜共栄圏』


副題は「帝国日本のアジア支配構想」。

「大東亜共栄圏」と言えば、戦時中に日本が掲げたスローガンとして知られ、悪名が高い。一方で、アジア解放のための戦争だったと主張する人たちの論拠にもなっている。

この本はそうした善悪の判断をするのではなく、当時の日本が何を目指し、どのような理由で「大東亜共栄圏」を掲げ、それがなぜ挫折したのかを丁寧に分析している。知らなかったことも多く、非常にためになる一冊であった。

大東亜共栄圏については、「八紘一宇」や「アジアの解放」といったスローガンとともに語られることが多く、近代日本のアジア主義の系譜から読み解くこともできよう。しかし、大東亜共栄圏はそうしたイデオロギーではなく、経済的な自給確保こそが本質だった。
アメリカとの経済関係は、日本が中国と戦争をするために必要だった。日中戦争は、英米に経済的に依存しながらの戦争だった。一方、アメリカも中国との貿易を閉ざさないために、中立法の適用には慎重だった。
松岡はソ連に働きかけて、日独伊ソ四国協商の力で英米に圧力をかけて独英講和を斡旋する、さらに日米交渉を経て日本・ドイツ・イタリア・ソ連・アメリカ・イギリスの間に「平和条約」を締結し、ソ連、アメリカ、イギリスとも共栄圏を相互に承認することを思い描いていた。
各企業は政府・軍に対して開発地を申し込み激しい獲得競争をしたが、企業は利益追求だけでなく戦中に実績をつくり、戦後もその事業を獲得したい意図があった。戦後に向けた利権の争奪戦だった。
大東亜新政策が、名目上であれ「自主独立」を掲げた以上、東南アジアの対日協力者たちは、その論理を逆手にとって自己主張し、日本が設定した秩序の枠組みからでも、抵抗の声を上げていた。

私たちは、1945年8月15日の敗戦から遡って戦争について考えてしまうけれど、戦前・戦中の人はそうではない。戦争に勝利したり、講話が結ばれたりといった未来を見据えて行動している。その違いを認識することが大事なのだと思う。

レアアースや石油の確保をめぐるニュースがしばしば話題になるのを見れば、80年前も今も事態はさほど変っていないのだろう。

一九四三年一月一四日、大本営政府連絡会議は「占領地帰属腹案」を決定する。これにより、ビルマとフィリピンの独立が決まった。この案では、独立の条件として両国には軍事的に共同防衛を約束させる、日本軍の駐屯と軍事基地使用を認めさせ、外交・経済では緊密な提携や協力をさせることが明記された。

ずいぶん虫のいい話だと誰もが思うだろう。ビルマやフィリピンを完全に子分扱いしている。

一方で、これが敗戦後の(反転した)日本の姿であることにも気が付く。1951年のサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約締結によるアメリカと日本の関係は、まさにこうした「親分−子分」で成り立っていたのであり、その状況は今でも続いているのだ。

2022年7月25日、中公新書、880円。

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2026年06月19日

森まゆみ『野に遺賢をさがして』


副題は「ニッポンとことこ歩き旅」。

2018年〜2023年に『地域人』に連載した「暮らすように町に泊まる」の中から17篇を選び、加筆修正してまとめたもの。

全国各地を訪ねて、そこに住む人々、特に地域の活性化や町並み保存、新しい取り組みをしている人などに話を聞いて回った旅行記。

訪れている場所は、宮崎県高千穂町、北海道砂川町、埼玉県川口市、高知県室戸市、神奈川県茅ケ崎市、岩手県盛岡市など。

「かみすながわ炭鉱館」というのも夏場しか開いていないようだったし、「無重力科学館」というのも閉鎖されたようだった。バブルの時に観光を当て込んで造ったが人が来ず、人件費、光熱費が入館料をはるかに上回ったのに違いない。私は驚かなかった。北海道にはこのように、造られたが開かれていない観光施設があちこちにあるからだ。
午後は足袋蔵を見て歩く。リンゴやお茶の蔵は温度管理が大事だが、足袋は蒸れたり腐ったりはしないので、窓のない小屋裏のない蔵が多い。と言っても、漆喰壁、木の壁、トタン壁、石壁、いろんなタイプがある。ほとんどが家の奥にあるため見つけにくい。蔵を壊すのは費用がかかるので、工場や住宅は壊しても、蔵だけ残る。
市川は東京の郊外で、静かな環境を求めて文化人の多く住むところだった。大正時代は画家が多かった。戦後は、空襲で焼け出された幸田露伴や永井荷風が住んでいた。幸田文が父の死を看取るか「菅野の記」というのは、市川市菅野のことだ。
珈琲でも飲みますか、と「大菩薩峠」という名前の喫茶店へ。今まで見た自力建設の建物で五本の指に入る面白さ。レンガを自分で積み上げて造った迷路みたいな建築で、今も建設中である。

おお、「大菩薩峠」!

ここは私も2年前に訪れたことがある。懐かしい。
https://matsutanka.seesaa.net/article/503188791.html

2025年6月2日、亜紀書房、2000円。

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2026年06月15日

小川糸『椿ノ恋文』


『ツバキ文具店』『キラキラ共和国』に続くシリーズ第3作。

鎌倉で文具店を開くかたわら手紙の代書屋をしている雨宮鳩子の物語。前作から6年が過ぎ、鳩子は次女と長男を産んで5人家族になっている。

たとえどちらかが姿を消してしまっても、関係は続くのだということを、そして生前よりも親しくなれるのだということを、先代が身をもって教えてくれている。親孝行は、親が死んでしまってからでも可能なのだ。
ちなみに源氏池には、源氏の繁栄を願って島が三つ、対して平家池には島が四つある。それぞれ「三」と「産」、「四」と「死」をかけたのだ。当初は源氏池にも四つの島があったらしいのだが、マサコさんが源氏池の島をひとつ壊させ、三つにしたという噂である。

まじか。怖ぇー。

思春期の長女との仲直りや隣人との関係改善など、ちょっと話が出来過ぎていて鼻白むところはあるのだけれど、また続篇が出たら読んでしまうのだろうな。

2026年4月10日、幻冬舎文庫、810円。

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2026年06月14日

黒田賢治『イラン現代史』


副題は「イスラーム革命から核問題、対イスラエル戦争まで」。

1925年のパフラヴィ―王朝の成立から、1979年のイスラーム革命を経て現在に至るイランの歴史を記した本。最後は2025年6月のイラン・イスラエル戦争(12日間戦争)まで。

戦争が起きてから本を読んでも後追いにしかならないのだが、それでも読んで良かった。やはり最低限の知識は持っておくに越したことはない。

英国は米国に接近し、米国はモサッデグ政権の打倒と親英派のザーへディー少将を首相へと挿げ替える英国の計画に合意した。CIAはメディアを用いた政治工作を行いつつ、ザーへディーらとともに国内の軍高官らにクーデタ支持を取りつけようと奔走した。
米国のカーター政権は、ペルシア湾の石油権益の確保のため、それまでの中東情勢を注視する姿勢から、介入姿勢へと舵を切った。同政権は、一九八〇年一月の一般教書演説で、ペルシア湾支配を企図するいかなる外部勢力の試みも、米国の死活的権益への挑戦と見做し、軍事力を含めて、それらを排撃することを明示した。
一九八七年後半から、米国を中心に諸外国によるペルシア湾への介入が本格化した。イランが地対艦ミサイルを配備し、ホルムズ海峡の自由航行をめぐる緊張がさらに高まりを見せたからだ。さらにイラク軍が米国フリゲート艦を誤爆し、米兵三七名が死亡すると、米国は準臨戦態勢に入り、空母および巡洋艦を新たに派遣した。
欧米を中心とする国際社会は、イランはもっと国際的に協調する「正しい」国になっていくべきだと考え、経済制裁や軍事的な介入を行ってきた。しかしイランに生きる人にとっては、どうだろうか。自分たちを苦しめる相手の価値観を、「正しい」と思うことができないのは当然だろう。

この100年間、欧米諸国は幾度もイランやペルシア湾への介入を繰り返してきた。現在起きている戦争も、その続きと言っていいのかもしれない。

2025年11月25日、中公新書、1050円。

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2026年06月08日

司馬遼太郎『街道をゆく21 神戸・横浜散歩、芸備の道』


初出は「週刊朝日」1979年7月20日号から10月12日号(芸備の道)、1982年10月15日号から12月24・31日号(神戸・横浜散歩)。

日常がバタバタしているときに『街道をゆく』を読むと落ち着く。新たな知識を得るというよりも、司馬の語り口を味わっている感じ。

時々脱線しながら緩やかに、時に鋭い指摘も交えて話が進んでいく。それが心地よい。

広島県というのは瀬戸内海文化圏だとおもっていたのだが(事実そうではあるが)、それについての自然地理の面積はじつにせまい。広島市街を出て太田川とその上流(根之谷川)をわずか二〇キロばかり北上しただけで、もう川が日本海にむかって流れているというのは、ただごとではない。
一万石についてその動員兵力は二百人から二百五十人とされた。二百五十人として、毛利元就の初期勢力は、兵隊さんが六百人ほどだったという見当がつく。六百人というのは、たかが知れている。旧日本陸軍の歩兵でいえば三個中隊ほどで、その長である元就は陸軍少佐ほどであったろう。
居留地といえば、日本ではハイカラにきこえる。中国では租界という。「租界」には中国側にとって陰惨な語感がある。どちらも、おなじ意味・内容なのだが、陰翳の相違は両国の近代史のちがいといっていい。
幕府はあらたにこの橋をかけたときに、橋畔に関所を設けた。このため、吉田橋から浜の運上所までのあいだが「関内」とよばれて、一種特別の語感をもつ地域呼称になった。大阪でいえば船場といったような由緒ある商業区域といった語感と実質がこんにちもつづいている。

今月後半にちょうど横浜に行く機会があり、宿泊するホテルが関内のあたりだ。そういう偶然も楽しい。

2009年1月30日第1刷、2025年7月10日第6刷。
朝日文庫、680円。

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2026年06月03日

エミール・ギメ『明治日本散策 東京・日光』


訳:岡村嘉子、解説:尾本圭子。

1876(明治9)年に日本を訪れた著者の旅行記の第二巻。

https://matsutanka.seesaa.net/article/520791518.html
(エミール・ギメ『明治日本散策 横浜・鎌倉』)

相変らず面白い。読むほどにギメのファンになってしまう。観察が鋭く、見方が公平で、時おりユーモアや皮肉もまじえて飽きさせない。

泉岳寺で赤穂浪士の話を書き、浅草の知り合いの日本人の家を訪ね、増上寺の古い縁起を記し、仏教や漢字について考察し、河鍋暁斎に会いに行き、日光東照宮に参拝する。見るもの聞くものすべてに関心を向け、細かく記録している。

日本の神秘的な睡蓮ときたら、花を浮かべて葉を平たくした、フランスの睡蓮のような弱々しい様子ではなく、水からとび出てそそり立っているのだ。白い芯をもつ薔薇色の大きな杯が、力強い茎の上で開いている。
彼女は塩漬けの桜の花の煎じ茶〔桜湯〕を出してくれた。小さな青磁の湯飲みの中に、花がふわりと浮かんでいる。目には美しいが、飲むのは恐ろしい。
日本人はかようにも快適かつ芸術的で値の張らない民族衣装をもっているのに、どうしてわざわざ窮屈で不格好な西洋の衣服を、大枚をはたいてまで着なければならないと思っているのか、私は理解に苦しむのだ。
その朝、建物を取り壊す音で私は目が覚めた。誰かが何かを叩いたり、何度も打ちつけたり、取りはずしたりしていると思ったら、部屋に光が射してきた。解体されているのは、なんとこの家なのだ。外壁の役目を果たす木製の雨戸が取り払われ、戸袋に紙製の仕切り板〔襖あるいは障子か〕がしまわれた。

旅行記の続きがもっともっと読みたいと思うけれど、これで終わり。

当初は、この後に続く東海道旅行と京都滞在について第三巻、第四巻も出版される予定だったようだが、実現しなかったのだ。何とも残念なり。

2019年4月25日初版、2025年6月30日9版。
角川ソフィア文庫、1120円。

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2026年06月02日

関口勇『ニッポンの異空間』


副題は「ふだん着で行ける秘境」。

かつて「ワンダーJAPAN」の編集長、今は「ワンダーJAPON」の編集長を務める著者が、全国各地の不思議なスポットを紹介した本。

登場するのは、「軍艦島」「大道芸術館」「貝がら公園」「奥多摩工業 氷川工場」「長野堰用水円筒分水」「ハニベ巌窟院」「白光真宏会 富士聖地」「海中天然ミュージアム 足摺海底館」など50か所以上。

戦後80年が過ぎ、戦争のリアルな体験者、語り部が次々鬼籍に入られていくなか、国内のあちこちに現存する戦争遺跡は、過去を記録する史跡として重要性は高まるばかり。
数十年前、明治生まれのコンクリート造形家・浅野祥雲(1891〜1978)が製作した大量のコンクリート像が置かれている場所が、今ではどれもが有名なB級スポットとなっている。
江戸後期の19世紀以降に新しく興った宗教は「新宗教」と呼ばれる。天理教は、黒住教・金光教とともに幕末三大新宗教の1つとされている。

とりあえず行ってみたい、あるいは行く機会がありそうなのは、「旧横浜船渠株式会社第二号船渠(ドックヤードガーデン)」「友ヶ島」「熱海秘宝館」「中之院軍人像」「旅館 橋本の香」あたりかな。

2026年2月20日、大和書房、1700円。

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2026年06月01日

石川桂郎『妻の温泉』


「石川桂郎」という名前に何か見覚えがあって買った本。
何で見た名前だったのか、結局思い出せないまま。

1954(昭和29)年に刊行された短篇集。随筆のような、小説のような、不思議な味わいがあって面白い。

嬉しかったのは作者が戦後、鶴川に住んでいて鶴川近辺の話がたくさん出てくるところ。私の生まれ育った玉川学園の隣駅である。

そうして電車の中で眠ってしまい、自分の駅を通り越した先のトンネルの騒音で眼を醒ました。玉川学園で周章(あわ)てて降りると上りはもう一台もなかった。しかたなく私は線路づたいに、トンネルを抜け歩いて帰った。

う〜ん、懐かしい。小田急線の玉川学園前駅の手前にあるトンネル。私は中学から大学2年まで小田急線に乗って都心まで電車通学していたのだが、帰りはいつもこの轟音で眼を覚ましたものだった。

私の村から二つ先の駅に小田急線の新原町田駅があり、其処の繁華街の映画館で上演四時間という「風と共に去りぬ」が、この三日間特別興行されて、御近所の某家からその無料入場券を頂き、一家揃って出掛けた、私はいま留守番役なのである。

これまた懐かしい! 今は小田急線もJRも「町田駅」になっているが、私が子どもの頃は小田急線は「新原町田駅」で国鉄は「原町田駅」だった。

当時、町映グリーン・町映ローズという二つの映画館があって、小学校を卒業した春休みに「宇宙戦艦ヤマト 完結編」を観に行ったことを覚えている。

・・・何だか小説とはまったく関係ない話になってしまった。
石川桂郎、もっと読んでみたい。

2024年5月10日、講談社文芸文庫、2000円。

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2026年05月28日

エミール・ギメ『明治日本散策 横浜・鎌倉』


訳・解説:岡村嘉子。
1876(明治9)年に来日した著者の旅行記の第一巻。

とにかく面白い。ぐいぐいと引き込まれて読んだ。

日本に到着した印象や横浜・鎌倉・江ノ島の風物、人々の姿などが詳細に記されるとともに、同行の画家フェリックス・レガメのスケッチ126点も収めている。

思いもよらなかった日本人女性の特徴は、老いも若きも、出会うすべての女性たちが、子供を背負っていることである。しかも、赤ん坊とほとんど変わらないほど年端のゆかぬ幼児まで背負っているのだから。
日本家屋は、完全に取り外し可能なつくりになっている。そのため、こうした暑い季節には、壁に使われている紙の板〔襖。障子〕を外すので、通行人は、そこで働いたり、お喋りしたり、眠ったりする住人の姿を目にする。
聞くところによると、横須賀村は青い海に沿った灰色の家々からなる周辺部とのことだ。だが、いろいろ調べた結果、もうひとつの湾の奥、つまり右手の岬の裏に、軍港が隠されているとわかった。
この国では家の戸締りをしないといってよい。じっさいに必要がないのである。それというのも、泥棒が出るのは稀だし、物乞いにいたっては一切出会わないからである。
役者たちとは別に、舞台上には茶色い装束の者たちがおり、彼らは決して目に見えない存在とみなされている。ある者は小道具を運んだり、ガス灯の口を調節したりするために出入りする。

後に現在のフランス国立ギメ東洋美術館を創設する著者の観察は丁寧で、偏見や差別とも無縁だ。そのため、明治初期の日本の様子がありありと見えてくる。

当時の日本人にとっては当り前過ぎてわざわざ書かないようなことまで書き残しているのが、ありがたい。今では、それが当り前ではなくなっているからだ。

そういう意味では、明治初期の日本というのは、現代の日本人から見れば既に「外国」に近い存在になっているのかもしれない。

2026年4月25日、角川ソフィア文庫、1260円。

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2026年05月16日

三上延『ビブリア古書堂の事件手帖X』


副題は「扉子と謎めく夏」。

「ビブリア古書堂」シリーズも「栞子さん」が7冊に「扉子」が5冊で12冊目。最初に出たのが2011年なので、もう15年も続いていることになる。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138686.html

今回登場するのは、『シャーロック・ホームズの歸還』、森山大道『写真よさようなら』、中原中也『山羊の歌』。正直なところ本の謎解きとしては物足りないのだが、このシリーズだけは今も読んでしまう。

「扉子+恭一郎」のペアが、かつての「栞子+大輔」に重なって、近所のおじさんのような立ち位置で応援してしまうのかもしれない。

2026年4月25日、メディアワークス文庫、890円。

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2026年05月12日

今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』


副題は「ことばはどう生まれ、進化したか」。

私たちに身近なオノマトペを切り口にして、子どもがどのように言語を習得するのか、そして言語が現実世界とどのように結び付いているのかといった問題を追求している。

ベストセラーになっている本だが、確かにとても面白かった。言語学だけでなく、認知科学や発達心理学などさまざまな知見が盛り込まれている。

日本語の「かたい」という形容詞はいかにも硬く、「やわらかい」という形容詞はいかにも柔らかく感じられる。「かたい」はk、tという阻害音を、「やわらかい」はy、w、rという共鳴音を含んでいる。そのため、日本語を知らない外国人に「どちらがsoftでどちらがhard?」と聞くと、多くの人が正解する。
言語は目の前の物事だけでなく、その場にないものや過去・未来の出来事も話題にすることができる。つまり、言語はモノや事柄がイマ・ココに存在するか否かに縛られず、時空を超えて物事を語ることが可能である。
ことばが多義になる原因はほかにもある。想像によって意味を派生させようとする志向性である。この志向性によって、ヒトは、決まりきった使い方にとどまっていられず、つねに隠喩・換喩によって意味を発展させ、新しい意味を創り出そうとする。
つまり言語習得とは、推論によって知識を増やしながら、同時に「学習の仕方」自体も学習し、洗練させていく、自律的に成長し続けるプロセスなのである。

人間はまずオノマトペによって身体(現実世界)と言語の結び付きを獲得し、さらに言い間違いや推論の失敗を繰り返しながら言葉を学んでいく。その際、単に言葉を学ぶだけでなく言葉の学び方も学んでいくというところが言語習得の鍵と言っていいのだろう。

2023年5月25日初版、2025年3月20日12版。
中公新書、960円。
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2026年05月10日

橋本喜典『混濁の彼方に』

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昭和21年に著者(2019年逝去)が自作した本を遺族の方が出版したもの。昭和19年8月から昭和20年末までの日記を元に書かれた自伝的小説である。

満年齢で15歳から17歳まで、旧制中学4年から旧制高校1年にかけての時期。勤労動員で仲間とともにマグネシウム工場で働きながら、青春の悩みを語り合い、勉強し、受験して、やがて終戦とその後の混乱に直面する様子が描かれている。

こんな生活ではいけない! と云ふ感情がどっと押し寄せた。勉強しよう、勉強しようと思ふ心が、彼を痛みつけた。しかし疲れ切った体は、机に向ってもさう永くはもたなかった。
彼等はこの三月、豊島中學を卒業してゐたが、戰の実相は、彼等に上級学校に於ける勉強を與へず、当局は彼等をして、尚三ヶ月間、同工場に留める措置にでてゐた。
彼等は、お互に友人のサインを求め合った。卒業寫眞は寫眞屋が戰災の爲、あはれ灰燼に歸してしまひ、「金三円也」は誰の懷に入ったのか、彼等には何ら思ひ出の種とてもないからだった。
義夫は漢詩や新体詩、和歌等が大好きだ。未だ下手だけれども、よく作ろうと心掛けてゐる。誰だって始めから上手な人はゐない。好きで努力するのは美しいことだ。

勉強したくてもできない戦時下の困難な状況にあっても、仲間と励まし合いながら精一杯に日々を生きていた姿が、生き生きとした文章で綴られている。陸軍士官学校や海軍兵学校に入学する同級生を駅まで見送りに行ったり、仲間と秩父に山登りに出掛けたり、空襲が続く中でも自分たちのやりたいことを貫いている。

蒼波のわだつみの声に杭を打つ「だまれ」はかつての軍人言葉
/橋本喜典『行きて帰る』

橋本さんは晩年、戦争や社会状況に関する歌を多く詠んでいるが、その背後にはこうした自身の戦争体験があったことを、あらためて深く感じさせられた。

素晴らしい本、価値のある本だと思う。出版にご尽力された娘の佐怒賀悦子さんにも感謝したい。

2026年5月1日、3000円。

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2026年05月09日

アレックス・カー『ディープ・ニッポン』


構成:清野由美、写真:大島淳之

以前読んだ『ニッポン巡礼』の続篇。
https://matsutanka.seesaa.net/article/481473971.html

定番観光地とは違った日本各地の「ディープ」な場所をめぐった旅の記録。訪れているのは「国東」「青森」「小笠原」「北海道」「徳島」「福井・京都」の6か所。

それぞれ、磨崖仏や樹木、神社などテーマを決めて、あまり知られていないような場所へも足を運んでいる。

ディープすなわち「奥」「裏」の探求とは何かと問われれば、それは大勢が押し寄せるような観光ラッシュの名所ではなく、小さな神社や山里を訪ねて、古来の精神を探ることだと私は答えます。
稲は水生植物ですので、治水管理のために水田の周りには水路とあぜ道が作られ、その効果で田んぼは額縁に収められた絵画のようになります。
日本全土に普及した神社の系列としては、日吉・山王系や伊勢・出雲系などが有名で、それぞれ全国に数百、もしくは数千の社がありますが、「稲荷」「天満宮」、そして「八幡宮」と名の付く社は、それらをはるかに上回る数万、数十万の数を誇り、神社の「三大フランチャイズ」ともいえるものです。
一八八二年に欧米系島民はみな、日本国籍を取得しました、初期の移民団の家族は、Webbを「上部(うわべ)」、Savoryを「瀬堀(せぼり)」、Washingtonを「大平」のように姓を日本語の読みに変え、英語教育を受けるためにグアム島や横浜のSJCに子供たちを送り出すようになります。

この本を読んで初めて、著者が宗教法人「大本」の国際部に長く勤めていたことを知った。なるほど、それで神道についても詳しいのか。

2026年3月22日、集英社新書、1400円。

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2026年05月04日

荒井宏明『北海道建築』

著者 : 荒井宏明
トゥーヴァージンズ
発売日 : 2024-10-29

建築監修:角幸博
文・写真:荒井宏明

副題は「北の大地に根づく建物と暮らし」。北海道各地に残る古い建物を約300点の写真やインタビューも交えながら紹介した本。

この出版社のシリーズは好きで、これまでも何冊か読んでいる。

・『沖縄島建築』
https://matsutanka.seesaa.net/article/500296103.html
・『離島建築』
https://matsutanka.seesaa.net/article/516707318.html

取り上げられているのは、旧北海製罐(株)小樽工場第3倉庫、旧室蘭市立絵鞆小学校・円形校舎、国稀酒造、二風谷コタン、ニッカウヰスキー余市蒸留所、赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設(旧住友赤平炭鉱立坑櫓)など。

北海道の住宅は「平らな屋根が多い」のが特徴と言える。独立行政法人住宅金融支援機構が2014年に実施した調査では、屋根の角度(傾斜角)がほぼ0の住宅は、全国平均の7.4%に対し、北海道は38%を占める。
円形校舎がこぞって作られたのは1950年代前半の20年にも満たない期間であり、詳細な記録は残されていない。70棟以上、建てられたうちの少なくとも14棟が北海道内とされる。
その(日本遺産:松村注)ひとつに「炭鉄港(たんてつこう)」がある。空知地区の石炭、室蘭市の鉄鋼、小樽市の港湾、そして3地区を結びながら全道に広がった鉄道網。それらの一文字ずつを組み合わせた造語だ。

さまざまな建物を通じて北海道の風土や歴史を身近に感じることができた。またいつか訪れてみたいと思う。

2024年10月30日、トゥーヴァージンズ、2200円。

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2026年05月03日

佐々木ランディ『水中遺跡はそこにある』



水中考古学に関する本を見つけるたびに少しずつ読んでいる。

・井上たかひこ『水中考古学』
 https://matsutanka.seesaa.net/article/432451230.html
・佐々木ランディ『水中考古学』
 https://matsutanka.seesaa.net/article/498479883.html
・山舩晃太郎『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』
 https://matsutanka.seesaa.net/article/502639092.html

本書は水中考古学の概要と、日本各地の水中遺跡について記したもの。紹介されているのは、鷹島海底遺跡(長崎県)、エルトゥールル号(和歌山県)、桧原湖(福島県)、ファン・ボッセ号(沖縄県)、いろは丸(広島県)、本栖湖(山梨県)など。

飛行機が使われる以前は、海を渡らずに日本に到達することはできませんでした。横浜や神戸、函館が幕末に開港するまでは、長崎や松前が日本の玄関口でした。江戸時代以前となるとイメージにしにくいという読者もいるかもしれませんが、堺、博多、大輪田泊(兵庫)、もしくは鎌倉も当てはまるかもしれません。
遺跡は、その地域の人々にとって誇りやアイデンティティを感じられるものであるべきです。遺跡を守るのは、その地域に住む人たちです。遺跡は専門家のものではありません。我々は、その遺跡が歴史的にどんなものであるかを解明しますが、その意義や価値を考えるのは、地域の人々だと常々思いながら研究を行っています。
若江島の積石もそうなのですが、江戸城の石垣の石は、伊豆や相模国西部で切り出して江戸まで運んでいます、伊豆半島から小田原にかけては良質で加工しやすい石が多くとれるだけでなく、石切り場から海までの距離が短く、運びやすいのです。
水中遺跡、とくに沈没船は運んでいたものがそのまま残っている、タイムカプセルのような存在です。事故現場ともいえます。普通、陸の遺跡だと貝塚など破棄されたモノや使われなくなった場所に残っているモノからその時代の生活を考えるのですが、沈没船遺跡は、現場検証。

なるほど、なるほど。

とりあえず、家から一番近い葛籠尾崎(つづらおざき)湖底遺跡資料館(滋賀県長浜市)に行ってみようかな。

2026年2月10日、ちくまプリマ―新書、1200円。

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2026年04月26日

『山種美術館所蔵 速水御舟作品集』

先月、山種美術館に行った際に購入したもので、同館が所蔵する速水御舟の作品120点すべてが紹介されている。

「画塾からの出発」「古典への挑戦」「十ヶ月にわたる渡欧と人物画への試み」「更なる高みを目指して」の4章構成。速水御舟(1894−1935)は40歳という若さで亡くなったが、それでも作品を見ると初期から晩年に至る一生分の変遷がある。

有名な作品で言えば、13「炎舞」(1925年)、23「翠苔緑芝」(1928年)、41「名樹散椿」(1929年)、96「牡丹花(墨牡丹)」(1934年)など。119「一本松(写生)」120「三本松(写生)」(1935年)を見ると、死期が近いのがわかる。

ところどころに御舟自身の書いた文章が引かれているのだが、これがまたいい。

それから、わたしは自然を徹底的に見ようと思った。自然のまま、草木の葉の葉脈までも美際に見なければ安心が出来ないと思った。小さな自分の主観は夢だ、現実に即して徹底して行こうと、努力して行った。これは非常に苦痛なことであった。
私は常に型を破壊するのに苦心している。いつになったら自分で満足し得られる画境に落付くのだろうか。それは知らない。一生型を壊しつつ終るかも知れない。
写生にも順序が有ると思います。最初は形を写す事。それから形の心持を写す事。この心持が写せなければ画にはならないと存じます。どうしても写生が肝要だと思います。

このあたり、石田比呂志の「写神、不写形」という言葉を思い出す。石田は「対象の模写を越えて心を写生する」「外形的描写ではなくて、精神の、命の描写」と書いていた。絵画に限らず、どの表現にも当て嵌まることなのだろう。

2019年6月8日第1刷、2021年9月9日第2刷。
山種美術館、1300円。

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2026年04月22日

安田登『異界を旅する能』


2006年にNHK出版より刊行された『ワキから見る能世界』に加筆したもの。

このところ、「能」のことが気になっていて、この本を手に取った。能楽師としてワキを演じる著者が、能におけるワキの役割や、ワキ的な世界を生きた芭蕉について記している。

能のワキは現代の演劇や映画で言われているような脇役とは違うし、ましてや比喩として使われるような脇役では決してない。
トラウマも意識化されたときになくなるというのは精神分析の考え方だが、ワキのすることもシテの思いを無意識の暗闇から意識の明るみに引き出すのだから、それに似ていると言える。
ワキにとって、霊との出会いはまったく自分が予期せぬものだ。が、しかし、それはワキとしての、まさに彼の消極的霊力によるものなのだ。
ワキは何かをアドバイスすることもなく、ただ問うことによって、残恨の思いを晴らし、そして成仏を助ける。

私が「能」に関心を持つのは、短歌や俳句とも深いつながりがあるからだ。

掛詞はひとつの語によって、上の言葉と下の言葉を繋ぐ力をもつ。これによって文章は途切れることなく、どんどんと無限に繋がっていく。

和歌における掛詞は、主体と客体、この世とあの世を繋ぐものなのかもしれない。そう考えると、現代短歌においても有効に用いることができそうだ。

写生を重視し、近代俳句を確立した正岡子規も若い頃に新作能を書いている。その病床では、虚子たちが子規のために謡を謡っている。

芭蕉や子規と能は深い関わりがある。土岐善麿や馬場あき子が新作能を書いていることも含めて、これからもっと探っていきたい。

2011年6月10日第1刷、2024年11月15日第6刷。
ちくま文庫、780円。

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2026年04月16日

『辰野金吾』の続き

辰野金吾は1880年に官費留学生としてロンドンへ行く。2年間の学業を終えてからは、フランスやイタリアの各都市をめぐった。著者はこれを「日本人建築家初のグランド・ツアーである」と指摘する。

グランド・ツアーとは何か。

旅をすることによって教養を積むという考えは、イギリスにおいてはグランド・ツアーの伝統に由来する。グランド・ツアーは十七世紀末に始まり、十八世紀にイギリスの良家の子弟の教育を目的としておこなわれた、数ヶ月から数年間にも及ぶヨーロッパ大陸への大旅行のことである。

なるほど。

辰野金吾に限らず、森鷗外や与謝野鉄幹・晶子や斎藤茂吉たちがヨーロッパ各地を回ったのも、そういう意味だったのか。

辰野は『滞欧野帳』に各地の建物のスケッチを残しているのだが、著者はその実物を探しに現地を訪れている。

数年間かけて、地図を片手に辰野が描いた実物を探索した。時間と労力とお金もかかるが、描かれたものを同定できた時の喜びはひとしおであった。(…)厳寒のブロワで《軽業師の家》の正面の柱を飾る木彫装飾を見つけ、辰野がスケッチしたと思われる位置に立って見たときの感動は今も思い出される。

この話を読んで、以前、山種美術館の展覧会で、速水御舟のヨーロッパ旅行中の絵(商店)と、現在のその建物の写真が並べて展示されていたことを思い出した。これも、建物を突き止めるのは大変だっただろうし、だからこそ喜びもひとしおだったにちがいない。

2014年3月20日、佐賀県立佐賀城本丸歴史館、952円。

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2026年04月14日

清水重敦・河上眞理『辰野金吾』

著者 : 清水重敦
佐賀県立佐賀城本丸歴史館
発売日 : 2014-03-30

「佐賀偉人伝」シリーズの8番。

昨年、唐津を訪れてから辰野金吾のことがいろいろと気になっている。辰野の建築について考えることは、日本の近代について考えることでもある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/517645231.html

辰野らがコンドルに学んだ時期は、わずか二年半であった。この期間が長いか短いか。どうも、辰野にとっては、これまで言われてきたほどコンドルからの強い影響を受けていないのではないかと思われる節がある。
工部大学校は、この時点で唯一の工学教育機関だったわけではなかった。文部省管轄の高等教育機関である東京大学においても、理学部の中ではあるが工学教育が行われていたのである。工部大学校は、帝国大学発足を前に、この東京大学に吸収合併された弱者であった。
ここには、宿敵妻木率いる政府営繕組織対東京帝国大学建築学科という建築界における対立の構図があるわけだが、同時に辰野が主導したグループの立場の弱さも見えることに注意が必要である。
「辰野式」の語は、実は辰野存命時の文献には見つけることができない。辰野没後の文献や、当時を回顧する話の中にぽつぽつと現れる。昭和八年には文献上で確認できるので、それ以前から使われていたことがわかる。ただ、かつての使われ方には、多少の皮肉が込められているようだ。

こういった話を読むと、辰野の建築家人生はけっして順風満帆だったわけではないことがよくわかる。運や時代に恵まれた部分もあるが、やはり本人の愚直な努力が実を結んだのだと言っていいだろう。

2014年3月20日、佐賀県立佐賀城本丸歴史館、952円。

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2026年04月07日

木村聡『不謹慎な旅 2』


副題は「負の記憶を巡る「ダークツーリズム」」。

「週刊金曜日」2021年11月〜2024年10月の連載を再構成したもので、『不謹慎な旅』(2022年)の続篇である。
https://matsutanka.seesaa.net/article/518638308.html

「天災・人災の記憶」「喪失する産業の記憶」「戦争の記憶」「差別・抑圧の記憶」「生命と悲しみの記憶」の五章構成で、「名古屋オリンピック構想」「化女沼レジャーランド」「陶器爆弾と焼き物の里」「イエスの方舟」「前期旧石器捏造事件」など35件が取り上げられている。

不謹慎な旅の現場では大声にかき消される小声に耳を澄ませ、そばだてねばならない。だから難しい。でもそれが旅の醍醐味。
遺跡指定を取り消された旧上高森遺跡はもう誰も訪れやしない。二〇一八年に太陽光発電所が完成し、空を見上げるのはソーラーパネルだけ。
産まれた障がい児の命を絶つのではなく、家の体面のため外に出さずにずっと閉じ込めるという選択。(…)「口減らし」の必要のないそもそも裕福な家にこそザシキワラシがいられたということだ。
およそ都内のどの国の大使館も、抗議デモで近寄れるのは五人以内という制限があるのだそうだ。一説に警察がこの「五人ルール」を最初に始めたのが在日本イスラエル大使館らしい。

過去の歴史を学ぶことから現在が見えてくることも多い。

長引く戦争はこの国の物資を逼迫させていた。こと九割以上を輸入に依存する石油。開戦に踏み切った一因には米国などによる対日石油禁輸があり、それゆえ油田を求め出兵した東南アジアであったが、戦況の悪化で原油の輸送が困難になる。

戦時中の「松根油」緊急増産の話。80年前も今も石油の輸入が止まれば生活が立ち行かなくなる状況は、何も変わっていない。

2025年1月30日、弦書房、2000円。

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2026年03月18日

吉村英夫『完全版「男はつらいよ」の世界』


映画「男はつらいよ」のシリーズ全48作の一つ一つについて解説を記した本。

作品の鑑賞だけでなく、主人公の寅さんの人物造形、山田洋次監督の作風、シナリオやカメラワークの特徴、時代との関わりなど、多くの視点からシリーズの全体像を浮かび上がらせている。

とらやを構成する役者は、渥美、森川、太宰久雄が「コメディー」で、倍賞、前田吟、三崎千恵子が「リアリズム」である。おいちゃんが下条正巳になってから明確になったことであるが、(…)とらやの雰囲気がリアリズムに傾斜することになった。つまり、三対三が二対四になってしまった。
明らかに山田は『男はつらいよ』と非『男はつらいよ』との相乗作用のなかで高揚している。山田を寅さんだけで理解してもいけないし、逆に非シリーズだけに矮小化してもいけない。山田は寅さんとシリアス・ドラマと言われる作品系列の区別をしりぞける。
小津はスタンダードという小さな画面で孤独の側面の強い一人配置を多く試み、山田は横長のシネマスコープにつながりあおうとする人物像を複数で配置する。
寅という「ヒーロー」は、本質的には不老不死という性格を持っている。永遠の愛の追求者として旅を続け、老いとは無縁である。渥美清の肉体の老齢化はいかんともしがたいが、それでも寅が歳をとってしまっては失恋物語は成立しなくなる。
山田=高羽が作りだす映像は日常の再現に近いものを求めている。だが、現実をありのままに写せば日常を写しとれるかというと、そうではない。その日常性は、ヤラセとしての演技と人工的な機材の駆使の合体として造りだされる。非日常的な方法で日常性をフィルムにすくいとる「創造された日常」は、職人性に徹した一分一厘の隙もない撮影技術から生まれる。

こうした鋭い分析の数々を読んでいると、また「男はつらいよ」が観たくなってくる。

見るたびに発見がある。あるいは印象や感想が違ってくる。寅の像が前回と次回では違って見えてくることがある。それだけ『男はつらいよ』は深いし、渥美清には含蓄がある。見る側の主体的条件や価値観の変化に対応して輝き方が変わる、そんな力を持っている。

現在、神保町シアターで「没後30年 俳優・渥美清」特集が上映されている。来週、東京に行く際に、何作か観てこようと思う。

https://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/

2005年12月20日第1刷、2019年12月23日第4刷。
集英社文庫、760円。
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2026年03月15日

宮崎学『イマドキの野生動物』


人間の生活圏に出没する野生動物の動向を追った写真ルポ。

ノウサギ、ニホンカモシカ、ムササビ、フクロウ、シカ、クマ、ハクビシン、ヌートリア、アカミミガメ、キョン、サル、アマサギ、イノシシなど、様々な動物が登場する。

原生林のような密度の濃い森林が皆伐されて得をしたのが、ノウサギ、シカ、カモシカといった草食獣たちだ。そのいっぽうで、森林の樹木空間を生活圏としていた動物たちは、大きなダメージを受けたことになる。
昭和の中ごろには、まだまだ何種類もの野鳥飼育が認められていた。しかしその後、愛鳥団体などが野鳥保護の観点から、「和鳥は飼わずに、ブンチョウやインコなどの洋鳥を飼いましょう」というキャンペーンを張った。
ツキノワグマは最大で20年くらい生きるとされているが、平均寿命は10年程度と思われる。中央高速道ができてすでに30年以上が経つから、今日生きているクマはすべて、赤ん坊のときから高速道路を見て育った世代である。(…)こうして世代交代の早い動物たちは、社会の変化にどんどん順応していく。

近年、クマによる人や農作物の被害が大きな話題になっているが、14年前に刊行されたこの本でも既にクマの話題が出ている。

農村の高齢化や過剰な自然保護、そしてゴミ捨てや果樹の放置といった意図しない餌付けが、野生動物の横行や獣害を招いている実態が繰り返し指摘されている。

現代の社会はさまざまな形で、野生動物たちに巨大な「餌場」を提供してきた。生き物にとって、「食べる」という行為はもっとも基本的な営みだから、餌のあるところに集まってくるのは当然の成り行きといえる。
人と野生動物が真に共存していくためには、互いに関心を持ち、危険を認識し合って、うまくすみ分けていくことが必要だ。そのためにも、自然や動物をただ花鳥風月的に愛でる自然観は、もうなくした方がいい。

40年以上にわたって野生動物を撮り続けてきた著者の言葉だけに、重みがある。

2012年3月10日、農山漁村文化協会、2400円。

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2026年03月14日

岡根谷実里『世界ひと皿紀行』


副題は「料理が映す24の物語」。

「世界の台所探検家」を名乗る著者が、世界各国の家庭で作られている料理を紹介した本。

登場するのは、代替肉チャーシュー(ベトナム)、姑の舌(キルギス)、タラトール「ブルガリア」、ソラマトゥル(アイスランド)、ポソレ(メキシコ)、タヤリンヴェルデ(ペルー)、ウム(トンガ)など全24品。

世界地図で生乳生産量の分布を見ると、多くはヨーロッパの国に集中している。乳牛は暑いと夏バテして乳量が減ってしまうので、アジアやアフリカよりも冷涼なヨーロッパのほうが、酪農に適しているのだ。
実はこの伝統食を食べる行事、昔から行われてたものではなく、結構新しい。(…)一つのレストランが提供したのがはじまりで、普段が食べる機会もなくなっていた伝統食を食べる「新たな伝統行事」として定着したのだという。
事は単純ではないけれど、人と人とが互いを理解しようとし、争うよりも協調を目指せたならば、世界はもっと良い場所になると信じている。政治的立場によらず、誰もが日々何かを食べて生きている。ひと皿の向こうの世界に興味を持つことの力を信じたい。

写真やイラストも入って楽しく読める一冊になっている。

2025年3月10日、山と渓谷社、2000円。

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2026年03月04日

齋藤美衣『やっと言えた』


心身の不調を日々感じる著者が、カウンセリングを受けるなかで自らの心の傷と向き合い、緩やかに回復していく姿を描いたドキュメンタリー。

前著『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』も自らの心を深く掘り下げる姿勢が印象的であったが、本書も生々しい心のありようを一つ一つ丁寧に言葉で描き出している。
https://matsutanka.seesaa.net/article/510743013.html

カウンセリングは順調に進んだわけではなく、何の進展も感じられない日々が続いたり、カウンセラーと衝突したり、カウンセリングを中止しようと決断したり、紆余曲折が続く。それでも心の傷を見つめ正面から向き合うことで、やがて自分の身体と心を取り戻すまでにいたるのだ。

生きている人は誰もが、種類や深さは異なれど傷をかかえている。わたしの描いた物語は一つのケースだが、ここには「人が人と共に生きていく」という普遍的なテーマが含まれていると思っている。その意味で、この物語はわたしのものでありながら、多くの人のものでもあるとも考えている。(「少し長いあとがき」)

同じような悩みや苦しみを抱えている人に勇気と希望を与える一冊と言っていいだろう。

先日の歌集『世界を信じる』批評会の前に本書を読んだのだが、批評会ではあえてこの本の内容には触れなかった。歌は歌だけで鑑賞した方が良いと思ったからである。

でも、もちろん両者は深いところでつながっているのであって、歌集のあとがきにもカウンセラーへの感謝の言葉が記されている。

2025年11月15日、医学書院、2200円。

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2026年02月16日

『日本遠国紀行』のつづき

他にも引いておきたい箇所がたくさんある。

盲者が身に付けられる職業は自然決まっていた。男性は鍼灸や按摩、そして三味線引きや琵琶法師のような芸能者や宗教者、女性はイタコのような民間の巫業や流れの芸能者である瞽女(ごぜ)などであり、そういった意味において、イタコとは貧しい社会の中で体にハンデを負った者が食べていくことができる救済措置であったのだ。
長崎方面ではこのように、陸路よりも海上の船便に頼っていたことを感じさせる地形や街がいまだとても多い。ア津も、建物が通りの方ではなく、海に向かって玄関が建っているものもいくつかある。そういうところには、海に向かって降りる石の階段と短い石柱が埋め込まれていて、ここに船を繋いで海から出入りしていた跡が今でもみられる。
明治政府の主導で、神仏の混淆した存在ははっきり区別させられ、仏教的性格や出自の神格は記紀神話等に由来する神として改められた。なかでも牛頭天王は権現と並び、明治政府通達文の中で名指しで否定される存在となり、祇園社や天王社は八坂神社、津島神社、八王子神社などの名前に改称されることとなった。
戦後、洞川で温泉を掘ったのは、観光客を呼び込むためだった。それまでと比べ、洞川を訪れる行者たちの数は目に見えて減っており、洞川の集落存続には人が必要だったのである。

京都に住んでいるので祇園祭が八坂神社の祭であることはもちろん知っていたけれど、八坂神社がもともとは牛頭天王を祀る祇園社であったことは知らなかった。

まだまだ国内に行ったことのない土地も多いし、知らないこともたくさんあるとあらためて思う。

2025年11月5日、笠間書院、3000円。

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2026年02月15日

道民の人『日本遠国紀行』


副題は「消えゆくものを探す旅」。

日本全国をめぐって各地に残る風習や伝承、廃墟などをSNSなどで発信している著者(@North_ern2)の旅の記録。

「北の斜陽(北海道)」「異形の神々が佇む村(秋田)」「死者の婚姻(山形・青森)」「最後のイタコに会いに行く(青森)」「隠れキリシタンを訪ねて(長崎・熊本)」「祇園坊主の里(愛知)」「紀伊山地と十津川村(奈良)」の7つの章がある。

いずれも、現在では失われかけているものばかりで、「今あるものをできる限り記録に残す」(序にかえて)という著者の姿勢がよく表れている。それは使命感に近いものかもしれない。

幸い日本列島には九州・北海道を中心に豊富な炭田が存在し、石炭産業は日本の近代化に大きな役割を果たした。日本が世界でも類を見ない短期間で近代化を遂げられたのは、一説にはエネルギー資源である石炭を国内で自給できたからという話もある。
この花は西洋から輸入されたもので、他の草より種が拡散しにくい。ゆえに、これが咲いている地域は、かつて誰かが入植し、やがて無人化して花だけが残ったことを物語っている。この性質からルピナスは「離農花」とも呼ばれている。
現代ではその制作に用いる藁を用意すること自体が大変になった。昔は稲を刈ったあと、稲穂を束ねて稲架掛けを行い乾燥・脱穀していた。これならば自然と藁が手に入るが、現代の稲刈りはほとんどコンバインで行われる。コンバインは刈り取ったその場で籾を脱穀して機械乾燥する仕組みで、切り離された藁は特に設定を変えない限りはそのまま切り刻まれて田んぼへ戻される。
江戸の世に飢饉が頻発したのは天候不順と災害のみならず、経済と政治により食糧であるはずの米が「金」として扱われてしまったことによる、半分は人災のような一面もあったのだ。
イタコという存在の発生した時代や由来はあまりよくわかっていない。かつての日本では公的な神子(みこ)と民間の市子(いちこ)がいたとされるが、その「イチコ」が「イタコ」へ訛ったのだろうとされる。

とても面白い本だと思う。

単に旅をした場所を描いただけの記録ではなく、旅をしながら著者の感じたこと・考えたことが丁寧に記述されている。そこには歴史や風土、文化、民俗学といった内容が多く含まれていて奥が深い。

2025年11月5日、笠間書院、3000円。

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2026年02月13日

森元斎『アナキズム入門』


「歌壇」2月号に「評論・詩・短歌から読み解く啄木晩年の思想 ― クロポトキンの言葉の出典をめぐって」という評論を書いた。となると、やはりクロポトキンやアナキズムについてもっと知っておかなければ、というわけでこの本を手に取った。

全体にやや軽いノリの書き方の本だが、プルードン(1809‐1865)、バクーニン(1814‐1876)、クロポトキン(1842‐1921)、ルクリュ(1830‐1905)、マフノ(1889‐1934)の5人を取り上げてわかりやすく紹介している。

ロシアの貴族将校たちは、少なくともインテリであった。フランス語もドイツ語も自由に話せた。だから、ヨーロッパ中央部の人々の自由を、そこにいる市民たちとの会話で直接知り、あるいは活字で知識を得ていった。
日本に社会主義・共産主義の考えが導入される頃には、(…)国家レベルの革命思想と無政府的なそれとの差異が明確になっていた。その頃のヨーロッパでのアナキスト代表格がクロポトキンだったのだ。だから、日本のアナキストたちは、よってたかってクロポトキンを夢中で読んだ。
ネストル・マフノは一八八九年ウクライナのグリャイポーレという農村で生まれた。ちなみに、日本のアナキスト大杉栄はマフノが好きすぎて、長男にネストルという名前をつけている。

(引用されているバクーニンの文章)
どれほどその人物が「美徳をそなえた天才」であっても、たったひとりの人間に、またどれほど賢明で思慮深くとも、少数の人間に、大衆を支配する権力を預けるようなことがあってはけっしてならないのだ。けだしあらゆる権力は、権力そのものに固有の法則によって、必然的にその濫用をもたらすのであり、またたとえ普通選挙によって任命された政府であったとしても、あらゆる政府は不可避的に専制政治に傾くものだからである。

何だか最近の政治状況を言い当てているようでもある。

2017年3月10日第1刷、2022年11月20日第2刷。
ちくま新書、880円。

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2026年02月07日

門田隆将『狼の牙を折れ』


副題は「史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部」。

1974年8月30日の三菱重工爆破事件(死者8名)をはじめ12件の連続企業爆破を起こした東日本反日武装戦線の犯人を追った公安捜査官の姿を描いたノンフィクション。

1975年5月19日の大道寺将司ら主要メンバー7名の一斉逮捕(斎藤和は自殺)までの捜査の状況が細かく記されているほか、その後の超法規的措置による釈放(佐々木則夫、大道寺あや子、浴田由紀子)や現在の状況についても言及がある。

「尾行」という言葉は、刑事部独特の言葉である。公安部では、尾行とは呼ばない。「行確(こうかく)」だ。これは、「行動確認」を略したもので、公安部の前身である思想警察の特高(特別高等警察)時代からの名残りである。
基調とは、捜査官が最初におこなう「基礎調査」のことだ。まだ犯人の目星がどうこうする段階ではない「基礎的な調査」のである。まずは、住民登録どおりに、そこに目的の人物が居住しているかどうか。それを確かめるのも基調のひとつだ。

この本を読むと公安部は1974年末には東アジア反日武装戦争と思想的に近い旧東京行動戦線の筋から佐々木則夫と斎藤和をマークして、その後、基調や行確を通じて他のメンバーを突き止めていったことがわかる。

メンバーの住むアパートの近くに捜査官が部屋を借りて行動確認をするだけでなく、部屋から出たごみ袋のチェックも行っている。こうしてメンバーは24時間監視のもとで泳がされ、組織の全貌が明らかになった段階で一斉逮捕となったのであった。

東アジア反日武装戦線も尾行対策や証拠隠滅などを念入りに行なっていたのだが、公安部の執念と組織力がそれを上回っていたと言っていいだろう。

2024年8月11日、小学館文庫、860円。

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2026年02月01日

『日本ご当地パン大全』


先日、シェア型書店「HONBAKO 京都宇治」で購入。

長野県の「牛乳パン」、高知県の「ぼうしパン」、福島県の「クリームボックス」、石川県の「ホワイトサンド」など、全国各地のご当地パンのほか、地域に根差した老舗のパン屋や変わり種のパンなどを紹介した本。

カラー写真が豊富で眺めてるだけでも楽しい。

滋賀県の「つるやパン」の名物「サラダパン」はたくあんが入っていることで知られているが、もともとは違ったらしい。

当初はマヨネーズであえた具材はキャベツだったが、試行錯誤の末に食感もよく日持ちもするたくあんに。つるやパンの創業者の奥さんが考案。

なるほど。だから「たくあんパン」ではなく「サラダパン」なのか。

1954(昭和29)年に「学校給食法」が成立し、日本全国の小中学校で給食を実施する体制がようやく法的に整うことになる。この時、主食と定められたのが、パンだった。
日本の3大菓子パンといえば、あんパン、ジャムパン、クリームパン。あんパンは銀座木村屋、ジャムパンは木村屋総本店が発明した。クリームパンの元祖はこちら、新宿中村屋だ。

アンパンマン、ジャムおじさん、クリームパンダ、カレーパンマン、メロンパンナちゃん、しょくぱんまん、ロールパンナ……の顔が次々と思い浮かぶ。

2022年7月10日、辰巳出版、1500円。

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2026年01月27日

『文化防衛論』のつづき

『文化防衛論』に収められている文章や発言は1967年から70年にかけてのもの。三島は1970年11月25日に45歳で自決をするので、その予兆のような話も多く出てくる。

日本刀持ち出せば、相手も死ぬときだし、自分も死ななきゃ日本刀じゃないんだよ。日本刀持ち出したら殺傷するんだよ。殺傷して、場合によっちゃ自分も死ぬんだよ。ぼくはそういう武器しか信じない。
美しく死ぬということはつまり私の年齢ではもう遅いのかもしれないけれども、西郷隆盛は私は美しく死んだと思っている。あれは四十九歳なんです。まだ私はあと六年か七年あるので、まだ望みを未練がましく持っているわけです。
自分のうちにあるテレビとかステレオとか女房子供とか、あるいは壁に掛けてある誰某さんの絵とか、電気洗濯機とか冷蔵庫とかそういうものを守るためにお前死ねといっても、なかなか人間は死なない。やはり死ぬべきものというものは、その護るものにもっと自分より超越的な価値がなければ護るという気持が出てこない。

三島由紀夫と学生との討論としては1969年5月13日に行われた東大全共闘とのものが有名だ。
https://matsutanka.seesaa.net/article/474422839.html

でも、この本に収められている一橋大学(1968年6月16日)、早稲田大学(同10月3日)、茨城大学(同11月16日)のティーチインもそれぞれおもしろい。

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2026年01月26日

三島由紀夫『文化防衛論』


1969年に新潮社より刊行された単行本に「果たし得てない約束」(1970年)を追加して文庫化したもの。

1967年から69年にかけて発表した論文4篇と、いいだももとの対談「政治行為の象徴性について」、一橋大学、早稲田大学、茨城大学で行われたティーチイン「国家革新の原理」が収められている。

三島が繰り返し述べているのは、戦後民主主義体制の日本社会の欺瞞と、共産主義が行政権を持つと言論の自由が奪われること、文化にとって欠かせない言論の自由を守るために天皇を日本文化の象徴として護るということだ。

そうした考えには別に同意しないが、60年近く経った今読んでも示唆に富む話が多い。

われわれは新宿動乱で、モッブ化がどのような働きをするかつぶさに見た。あのモッブ化は日本の何ものかを象徴している。あのモッブ化こそは、日本の、自分の生活を大切にしながら刺戟を期待し、変化を期待する民衆の何ものかを象徴している。
私は、明治以来のいわゆる純文学に、剣道の場面が一つもあらわれないことを奇異に感じる、いかに多くの蒼ざめた不健全な肉体の登場人物が、あたかも餓鬼草紙のように、近代文学に跋扈していることだろう。
政治上のアナーキズムとは、エロティシズム上のルストモルトと相接近した観念であって、地上に実現されずサドの牢獄の中における幻想裡でしか実現されぬ理想的観念なのである。
私は民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛清はつきものだと思っております。共産主義の粛清のほうが数が多いだけ、始末が悪い。

1968年に起きたキング牧師やロバート・ケネディ上院議員暗殺事件を受けての話だが、近年でも安倍元首相銃撃事件やトランプ暗殺未遂事件などが起きていることを思い出す。

これはチェコというものが社会主義に対して甘い夢をつなぎ、一方では国際間の力と力による均衡というものの計算をしそこなったところからきたんだと思います。これはチェコが冷戦及び平和共存の時代を生きて、平和共存の論理というものを信じ過ぎて、計算し過ぎて、足を出し過ぎ、そこで失敗した。

1968年の「プラハの春」と「チェコ事件」についての話。2022年から続くロシアによるウクライナ侵攻を考えるとき、こうした冷徹な観点も必要なのかもしれない。

2006年11月10日第1刷、2019年10月5日第8刷。
ちくま文庫、780円。

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2026年01月22日

森崎和江『海路残照』

著者 : 森崎和江
インスクリプト
発売日 : 2025-11-11

昨年読んだ『能登早春紀行』が素晴らしかったので、それに先行するこの本を読んだ。
https://matsutanka.seesaa.net/article/519046029.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/519187171.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/519214023.html

元は1981年に朝日新聞社から出た本。渡邊英理が解説「女たちの海へ、いのちの海へ」を書いている。

不老長寿の海女の伝承を追って、作者は地元に近い玄界灘の庄の浦、鐘崎から、若狭の小浜、能登の輪島、福浦、津軽の十三、さらに北海道の松前へと思索の旅を続けていく。

わたしはかつて浦々で正月になれば箸と椀とを海に流す風習があったのを思い出した。それは寄り物祈願なのだという。波が運んでくる海草や破船や他国の品々などの海辺の幸を祈るのである。
小浜はかつての城下町である。というより、大和朝廷のころから奈良その他の都の外港としてひらけ、やがて京の港の表玄関として近世初期まで繁栄した港町だった。
かつて海運が主要な物資の輸送手段だったころ、日本海の船乗りたちの大切な中継地だった輪島は、いまはどの地方とも接していない奥能登の中心町である。
もし、わたしが子を産んでいなかったなら、こんな形で日本海の海辺をさまよったかどうかわからない。まるで民族の深層心理をたずねたがるような、あてもない旅などしなかったかもしれぬ。
津軽を中心に青森県、秋田県の北部、北海道南部には、いたことは別にごみそと呼ばれる祈祷師がいるのだった。いたこが主として死者の霊とかかわりを持つのに対して、ごみそは神仏に祈って占う。

神功皇后、八百比丘尼、安東水軍、宗像信仰、北前船、東日流外三郡誌……。海と出産と命と交流の物語が、日本海沿岸の各地に豊かに根付いている。

2025年11月10日、インスクリプト、2200円。

posted by 松村正直 at 10:04| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする