2025年07月09日

平山三郎『実歴 阿房列車先生』


名作「阿房列車」シリーズの同行者として知られる〈ヒマラヤ山系〉こと平山三郎が、内田百閧ノついて記した本。

シリーズにおいては何を言っても反応の薄いぬぼーっとした人物に描かれているが、この本を読むと観察も鋭いし、百閧ノ対する敬愛も厚い人物であったことがよくわかる。

その後、興津へ行ってみたら、道の突きあたりに松の黒い影なんかないんだ、おどろいたネ、と先生が云う。勘ちがいなんだ、勘ちがいなんだけれど、僕の書いた方がいいんだ、松がそこになければいけない、興津の町役場で松を植えればいいんだ。
岩波書店出版部の当時の係は佐藤佐太郎氏で、校正には細心である。百關謳カの方は、人も知る漱石全集の校正の為に漱石文法を作った昔から、現在では私などぎゅッという目にあわされる程、やかましく、きびしい。(…)最後に校了、印刷所へ廻そうとして、ふと気がついたら、書名が「旅順入場式」―入城が入場券の入城になっていた。
或る日、百闍盾訪ねたら、先生は眠むそうな顔をしておられた。
「ゆうべは原稿を書くために、いよいよ徹夜をしなければならないとカクゴして机に坐ったんだけれど、いやァ、平山くん、おどろいたねえ、ぼくは徹夜して居ねむりしちゃッた」

この本を読んで驚いたのは、百閧ェ東京帝国大学の学生時代に啄木と同じ蓋平館別荘に下宿していたこと。啄木が住んだのは明治41年9月から42年6月まで、百閧ヘ明治43年秋の入学以降のことなので、時期は重なっていないのだが。

もう一つ。

かつて黒澤明の映画「まあだだよ」を観たことがある。1993年の公開当時のこと。すっかり忘れていたのだが、この本に百閧フ誕生日を祝う「摩阿陀会」の話が出てきて、そうか、あの輪の中に平山三郎もいたんだなと私の中で一つにつながった。

2018年9月25日、中公文庫、1000円。

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2025年07月07日

服部文祥『息子と狩猟に』


ノンフィクションではなく小説だと聞いていたのだけれど、ほんとうに小説だった。それもかなり本格的な内容の「息子と狩猟に」「K2」の2篇を収めている。

もちろん、狩猟と登山という作者のバックグラウンドは存分に作品のなかに生かされている。

獲物を狩るのは面白い。そこにはたしかな興奮と喜びがある。準備を整え、じっと状況を積み重ね、備え、そして訪れた遭遇の瞬間に、すべての感情を封鎖する。(…)殺生とは相手を殺すことのようで、実は、自分という人間をひととき殺すことだ。/「息子と狩猟に」
ここまで登ってくるルート上には、いたるところに遭難と死者の痕跡が残っていた。時代遅れの登山靴から、骨と白蠟化した肉が飛び出しているのを見て以来、私は人工的な色が目に付くとあえて目を背けた。過去の登山者の一部は自分の未来を見るようで気分が悪い。/「K2」

どちらも命の極限状況を描いた作品。おそらく小説という方法でしか表現できないものが作者の内にあったのだろう。

2017年6月30日、新潮社、1600円。

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2025年07月03日

箭内博行『離島建築』


副題は「島の文化を伝える建物と暮らし」。

国内350の島々を訪れた写真家が、離島にある魅力的な建物を写真と文章で紹介した本。

取り上げられているのは、「焼尻郷土館(旧小納家)」(北海道/焼尻島)、「コーガ石建造物」(東京/新島)、「いんのしまペンション白滝山荘(旧ファーナム邸)」(広島/因島)、「粟島海洋記念館(旧国立粟島海員学校)」(香川/粟島)、「かあちゃんの店」(長崎/池島)、「姫島小学校・志摩中学校姫島分校」(福岡/姫島)、「金沢屋旅館(旧金澤楼)」(新潟/佐渡島)など。

まだ鉄道や自動車もなく、陸路が未発達だった頃、最も効率よくモノと人を運べる交通手段は船であり、全国の船が集まる港町こそが、時代の先端をゆく文化の集積地だった。
当時の琉球士族の住宅は、残念ながら沖縄本島には残っていない。戦災によってすべて失われてしまったからだ。では、どこに残っているのか。実は、那覇市の首里から南へ約450q離れた八重山諸島の石垣島に1棟だけ残されている。
その地域から学校がなくなってしまうと、さらに人が離れるという悪循環に陥る。一度減ってしまった人口はなかなか元には戻らない。

本書に載っている約100の島々のうち私が訪れたことのある島は、天売島、焼尻島、佐渡島、舳倉島、竹生島、沖島、神島、島後、小豆島、男木島、因島、江田島、平戸島、姫島(大分県)、天草上島、天草下島の16個だった。

もっとあちこち行ってみたい。

2024年4月30日、トゥーヴァージンズ、2000円。

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2025年07月02日

フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』


杉山晃・増田義郎訳。

メキシコ人作家フアン・ルルフォ(1918‐1986)の小説。

70の断片から成り立っている不思議な形式の作品で、生者や死者など多くの登場人物が時系列を超えて重層的に絡み合う。

ぐいぐい引き込まれて読んだのだけれど、一回通読しただけでは消化しきれない感じもある。きっと二回、三回と読むべきなのだろう。

1992年10月16日第1刷、2017年5月8日第8刷。
岩波文庫、600円。

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2025年06月27日

黒川創ほか『愉快な家』


副題は「西村伊作の建築」。

昨年・今年と新宮に2回行き、西村伊作記念館(旧西村家住宅)を見学したり旧チャップマン邸で歌会を行ったことから、西村伊作に興味が湧いてきた。


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西村伊作記念館


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旧チャップマン邸

この本は西村の建築の写真や図面が豊富に載っていて、彼の建築に対する考えがよくわかる内容になっている。

こうした座敷中心・接客本位の間取りを、居間中心・家族本位へと大きく転換させた伊作の自邸は、画期的なものであったといえるだろう。
住宅の洋風化が叫ばれた当初、富裕層の多くは洋館と和館を並べ建て、和洋二重の生活をしていたが、そうした建物は「不調法不体裁」極まりないと伊作は批判した。

本書の出版当時、旧チャップマン邸は個人の所有だったらしい。「現在、住人のいない家になってはいるが、沖浦さんはこの家を可能なかぎり維持していきたいと思っている」と書かれている。その後、新宮市の所有となり、今では文化交流施設として公開・活用されている。

岡山県倉敷市には「倉敷教会」「若竹の園」「旧林桂二郎邸」など西村の建築が多く残っているようで、いつか見に行ってみたいと思う。

2011年3月15日、LIXIL出版、1500円。

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2025年06月26日

澤宮優『あなたの隣にある沖縄』


沖縄の歴史や文化、そして米軍基地の問題などを探ったノンフィクション。2023年から24年にかけて「web集英社文庫」に13回にわたって連載された文章に書き下ろしを加えて一冊にまとめている。

故郷の熊本県八代市に戦時中沖縄から多くの子どもが疎開していたことを知った著者は、沖縄への関心を深めていく。

生活スタイルの違いと言えば、球磨川に水を汲みに行くとき、沖縄の子供たちは頭に桶を乗せて水を運んでゆく。その姿を見た地元の子供たちは、奇妙な格好に驚き、からかう。
対馬丸は学童疎開船のイメージが強く、報道などでもそう伝えられるが、事実は違う。家族で疎開する人も多く乗った一般疎開船である。そのため子供の両親や老人、赤ちゃんなど多くの命が海の底に沈んだままになっている。
昭和四十七年の祖国復帰以前は集団就職者のパスポートを経営者が取り上げて、逃げられないようにする会社もあった。

かつての沖縄出身者に対する差別の実態。現在も外国人の技能実習生に対して同様のことが行われて問題化することがあり、何十年経っても変らない構造が浮かび上がる。

千原の拝所は、嘉手納飛行場内にあるが、幸いなことに今も壊されずに残っている。基地内に入ることは、このときだけは黙認されており、米軍から許可を取らなくても良い。

屋良健一郎の歌集『KOZA』の〈春空の煙となりてなびく祖父 フェンスの向こうの故郷へ帰れ〉を思い出した。ふるさとの家や拝所が今では米軍基地になってしまった人が数多くいるのだ。

2024年8月30日、集英社文庫、700円。

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2025年06月25日

『聖地巡礼 コンティニュード』のつづき

本を読んでいると、思いがけないつながりが見つかることがある。

永留 雨森芳洲についても、ちょっとご説明しておきます。対馬だけでなく、日本にとっても、とても重要な人物です。(…)もともとの雨森家の出身は琵琶湖のほとりの高月町という所なんですが、(…)今は町村合併で長浜市、そこに雨森っていう土地があるんです。(…)芳洲が対馬に来て「誠信の交隣」という外交を打ち立てます。誠と、よしみを表す信頼の「信」ですね。対馬藩にも、幕府にも、通信使にも、すべての立場の人に対して、真心からの交流を続けようということを唱え、自分自身も実践した人です。

以前、長浜市の高月に吟行に行ったことがある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/506367413.html

この時に見学した「高月観音の里歴史民俗資料館」の2階に雨森芳洲や朝鮮通信使の展示があった。なるほど、ここが出身地だったのか。
https://www.city.nagahama.lg.jp/section/takatsukirekimin/tenji/index-2.html

吟行は仏像がメインで雨森芳洲に関する展示はざっと通り過ぎただけだったのだけど、ようやくこれでつながった。

こういう思いがけない出会いは嬉しい。そのために本を読んでいるのかもしれない。

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2025年06月23日

内田樹×釈徹宗『聖地巡礼 コンティニュード』


副題は「対馬へ日本の源流を求めて」。

このシリーズを読むのは3冊目。
・『聖地巡礼 ビギニング』
https://matsutanka.seesaa.net/article/399764437.html
・『聖地巡礼 リターンズ』
https://matsutanka.seesaa.net/article/445838563.html

以前から対馬には一度行ってみたいと思っているので(それなら行けばいいのだけれど)、興味深く読んだ。内田と釈、そしてナビゲーターの永留史彦のやり取りが楽しい。

 日本人の職種って大正時代には三八〇〇ぐらいあったのに、今は二五〇ぐらいしかないらしいですね。だから、どれほど多様性のない社会になっているか。
永留 宗家文書というのが一二万点以上あるんですが、今、対馬にあるのと、慶應義塾大学、東京大学とか国立国会図書館とか、そういう所にも保存されています。
内田 日本海海戦は、まさに対馬の海戦だったんですね。
永留 だから、英語では、Battle of Tsushima=B
永留 国境が開かれると、外国への窓口になるんです。閉ざされると条件が一八〇度変わります。
 どれほど力の強い場でも、車で乗りつけて車で去っていくと、聖地がわからないんです。そこに到達するまでのプロセスも含めて聖地。
内田 聖地は、あっちからやって来ないですね。

こんなふうに旅をしながら現地で喋ったり考えたりする本が私は好きなんだろう。「街道をゆく」とか「見仏記」のシリーズとか。

本書に登場する永留氏は『街道をゆく13 壱岐・対馬の道』で司馬遼太郎を案内した永留久恵の息子とのこと。いや、何だがすごいな。

2017年9月1日、東京書籍、1800円。

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2025年06月20日

秋尾沙戸子『京都占領』


副題は「1945年の真実」。

米軍ハウスが建てられた「府立植物園」やゴルフ場が造られた「神山」など、占領下の京都で起きていた出来事を記した本。

一九四六(昭和二十一)年、(…)堀川通から、米軍の小型飛行機が飛び立った。京都市内最大の幹線道路は、占領軍の滑走路となっていたのだ。
平安神宮を、平安時代から続く神社だと勘違いする人は少なくない。しかし、実は極めて歴史が浅く、明治維新の後に造られている。その新しさこそが、米軍との親和性を高めたともいえるだろう。
樹木はチェーンソーでなぎ倒され、薬草園やロックガーデンはブルドーザーでつぶされ、貴重な山野草も埋め立てられた。池の水が抜かれ、鯉も水辺の植物も全滅。

知らなかった話も多く興味深く読んだのだが、一つのトピックに関して10ページ程度の記述しかないので掘り下げが足りない印象を受ける。また、最後の方は日本文化礼賛の匂いが強くて、今ひとつ共感できなかった。

2024年12月20日、新潮新書、880円。

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2025年06月18日

『戦争について』のつづき

他に『戦争について』で印象に残ったところ。

こちらへ来てから仁丹の広告というものには感服していた。どの街へ行っても仁丹の広告が眼に附かぬ事はない。城壁に大きく「仁丹」は無論の事だ。碑門の「道貫古今」などという字を見事な字と思って見ていると、直ぐ傍に抜からず「仁丹」とある。

昭和13年発表の「蘇州」より。中国大陸における「仁丹」の宣伝力に感心している。仁丹の広告に関しては、以前私も『短歌は記憶する』の「仁丹のある風景」に書いたことがある。

松陰が伝馬町の獄で刑を待っている時、「留魂録(りゅうこんろく)」という遺書を書いた事は皆さんも御承知でしょうが、そのなかに辞世の歌が六つありますが、その一つ、
  呼だしの声まつ外に今の世に待つべき事の無かりけるかな
「呼だしの」とは無論首斬りの呼だしであります。

吉田松陰のこの歌は初めて知った。「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」「七たびも生きかへりつつ夷をぞ攘(はら)はんこころ吾れ忘れめや」などの勇ましい歌よりも、深い味わいがあると思う。

僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。大事変が終った時には、必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。(…)僕は無智だから反省なぞしない。利口な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。

これは敗戦後の昭和21年の座談会における発言。これに対して、小林ほどの評論家が「無智な一国民」のはずがない、とか、戦中の言動を反省しろといった批判も可能だろう。でも、私の考えるのはそういうことではない。

軍閥といふことさへも知らざりしわれを思へば涙しながる
          斎藤茂吉『白き山』

これは敗戦後の茂吉の、とかく評判のわるい一首であるけれど、まずは当時の茂吉の本音として素直に読む必要があるのではないかということだ。小林秀雄の「無智な一国民」と茂吉の「軍閥といふことさへも知らざりし」には共通点があるように思う。

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2025年06月14日

小林秀雄『戦争について』


日華事変(日中戦争)の始まった1937(昭和12)年から敗戦後の1946(昭和21)年までの間に著者の発表した文章35篇と座談会1篇を年代順に収めた本。文藝評論家の小林秀雄が戦時下に何を考え何を語ったかがよくわかる一冊となっている。

現在の目で見て当時の小林の文章の問題点を批判するのは簡単なことだろう。でも、そんなことにはあまり意味がない。

大切なのは、国内や世界の情勢がどのように展開していくか予想の付かない中にあって、彼が真摯に考え続けリアルタイムに自らの意見や態度を表明したという事実だと思う。

文学は平和の為にあるのであって戦争の為にあるのではない。文学者は平和に対してはどんな複雑な態度でもとる事が出来るが、戦争の渦中にあっては、たった一つの態度しかとる事は出来ない。戦いは勝たねばならぬ。
文学は創造であると言われますが、それは解らぬから書くという意味である。予め解っていたら創り出すという事は意味をなさぬではないか。文学者だけに限りません。芸術家と言われる者は、皆、作品を作るという行為によって、己を知るのであって(…)
扱う対象は実は何でもいいのです。ただそれがほんとうに一流の作品でさえあればいい。そうすれば、あらゆるものに発見の喜びがあって、どれを書いても同じです。音楽でも、美術でも、小説でも、それが西洋のものであれ、日本のものであれ、ともかく一流というものの間には非常に深いアナロジーがある。

他にも興味深い個所が数多くあった。さすがに小林秀雄だな。

2022年10月25日、中公文庫、1000円。

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2025年06月07日

北村太郎『センチメンタル・ジャーニー』


副題は「ある詩人の生涯」。
1993年に草思社から出た単行本の文庫化。

1992年に亡くなった著者が自らの生い立ちから晩年までを記した自伝。第一部は聞き取りの速記原稿をもとに自ら書いたもの、第二部は「著者の死去のため、テープ収録の速記原稿(著者生前に閲読済み)」となっている。

詩人北村太郎の文学的な出発点が短歌であったことを、この本で初めて知った。

短歌欄を開くと、投稿の一首が活字になっている。(…)自分の作った作品が活字になったのはこれが初めてで、顔が紅潮するほど嬉しい思いを味わったのはたしかである。
ちょうど桃の花が盛りのころで、わたくしはそれを材料にしていくつかの短歌を作り、東京日日新聞(現在の毎日新聞)の歌壇に投稿した。

15歳の時に西条八十主宰の投稿雑誌「臘人形」に茅野雅子の特選トップで採られた歌が載っている。

弾のあとに血のかたまりて山陰に雀子(こがらめ)一羽死にてゐにけり/「臘人形」1938年5月号

確かに特選に採られるだけのことはある。

詩というものはどんなマス状況になっても一人一人に向かう。詩は一種の直撃力ですから、受け取る人がいるか、いないかということです。詩というものはわずかな人に向けるメッセージであるわけです。同時に、やはり一般大衆、マスに向けられている。そういう矛盾した二面性をもっているのが詩です。

これは詩についての話だが、短歌にも当て嵌まることかもしれない。

著者の死によって頓挫しかけた自伝は、聞き手の正津勉の尽力によって二部構成をとる一冊にまとまった。その経緯も含めて奇跡的な一冊だと思う。

2021年2月8日、草思社文庫、900円。

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2025年06月04日

万城目学『バベル九朔』


2016年にKADOKAWAから刊行された単行本の文庫化。

先日、万城目学・門井慶喜『ぼくらの近代建築デラックス!』を読んだ流れで、そう言えば、このところ万城目学の小説を読んでいないなあと思って積読の山から掘り出してきた。

万城目学の小説はわりと読んでいる方だと思う。それでも全部は読めていない。

『鹿男あをによし』
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138304.html
『プリンセス・トヨトミ』
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138476.html
『偉大なる、しゅららぼん』
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138567.html
『とっぴんぱらりの風太郎』
https://matsutanka.seesaa.net/article/440568523.html
『悟浄出立』
https://matsutanka.seesaa.net/article/473577644.html

5階建ての雑居ビルの管理人をしている「俺」の冒険譚。地下1階は「千加子ママ」、1階は「レコ一」、2階は「双見くん」、3階は「蜜村さん」、4階は「四条さん」という設定に、「めぞん一刻」を思い出して懐かしくなった。

オーナー用の住居フロアを最上階に備えた雑居ビルは、驚くほどそこかしこに建っている。俺の感触では四階から六階建てあたりの高さのビルに多い。十階建てくらいになると、ほとんどお目にかからない。見分け方は、一階から「洋」のテナントが続いているのに、突如最上階のガラス窓に「和」の障子が現れたり、同じく最上階のベランダに必要以上の密度で観葉植物が置かれ、特に多肉植物が多く見られること――、これらがオーナーの生活の存在をひそかに伝えるサインだ。

何だかんだ言って、やっぱり万城目学の本はおもしろい。また、しばらく読もうかな。

2019年2月25日、角川文庫、680円。

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2025年05月28日

万城目学・門井慶喜『ぼくらの近代建築デラックス!』


2012年に文藝春秋社より刊行された単行本に2篇を追加して文庫化したもの。

近代建築好きな二人の作家が、大阪・京都・神戸・横浜・東京、そして台湾と、気になる建築を見て回った記録。

門井 大正十四年に周囲の町村を合併し、大阪市の人口が日本一になる。この状況は昭和七(一九三二)年まで続くんですが、天守閣が建築されたのは、まさにその絶頂期なんですね。
門井 灯台ってじつは近代化の最重要インフラで、明治初年から十年まで、工部省の総予算が少ないときでも二五パーセント、多いときだと四〇パーセントを灯台関係に使ってるんです。
万城目 同じ港町どうし、神戸と比べながら一日歩いてみたんですが、とにかく横浜は町が大きい。神戸って、あっちに山があったらこっちに海があり、その中間地点のどこかに自分がいるというふうに空間把握できるんですけど、横浜は広すぎて海がどこかもわからない。

二人でお喋りしながら見て歩くスタイルが何かに似ているなと思っていたのだが、みうらじゅん&いとうせいこうの「見仏記」シリーズだった。あのシリーズと同じく二人のやり取りが楽しい。

この「ぼくらの近代建築」も、さらなる続篇を期待したい。

2015年5月10日第1刷、2023年9月25日第3刷。
文春文庫、840円。

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2025年05月26日

伊藤左千夫『野菊の墓・隣の嫁』

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伊藤左千夫の小説「野菊の墓」「奈々子」「水害雑録」「隣の嫁」「春の潮」の5篇と上田三四二・土屋文明の解説、年譜を収めた本。

昨年、葛飾柴又の寅さん記念館を見に行ったのだが、記念館の裏手が江戸川で、かつて「矢切の渡し」のあった場所だった。

https://matsutanka.seesaa.net/article/503565425.html

そこを渡った先が「野菊の墓」の舞台で文学碑もあると知って、初めてこの有名な本を読んでみた次第。

僕の家というは、松戸から二里ばかり下って、矢切の渡しを東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村といってる所。

主人公の民子と政夫は短歌の話もしている。

「何というえい景色でしょう。政夫さん、歌とか俳句とかいうものをやったら、こんなときに面白いことがいえるでしょね。(…)」
「僕は実は少しやっているけど、むずかしくて容易にできないのさ。(…)」

左千夫の小説をきちんと読んだのは初めてだが、どれもなかなか面白かった。左千夫の短歌と小説について、二人の解説者は次のように書いている。

いま人は左千夫を知るのに、歌人としてよりは、むしろ小説家として知ることのほうが多いのではないだろうか。そのことを、歌人左千夫のために惜しむには当たらないかもしれない。が、縁あって左千夫の小説になんらかの感銘を得るほどの人は、いつか、彼の文学の故郷ともいうべきその短歌をも顧みることが、左千夫理解のためには必要だと思われるのである。
(上田三四二)
結局左千夫は小説家ではなく、短歌作者であるということは、この比較でもますますはっきりしてくるのであるが、両者をあわせ読むことによって、われわれは人間左千夫というものに対する理解を深くすることには、非常な便宜があるように思われる。
(土屋文明)

左千夫の小説に対する評価は二人の間で微妙に違っている。そこには、上田が左千夫と同様に短歌と小説の両方を手掛けていたのに対して、文明はほぼ短歌一本だったことも関係しているだろう。

1966年3月20初版、1993年7月20日改版40版。
角川文庫、300円。

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2025年05月24日

森達也『クォン・デ』


副題は「もう一人のラストエンペラー」。
2003年に角川書店から出た単行本の文庫化。

ベトナムのグェン朝の皇族であり独立運動家として日本に亡命し、戦後の日本で亡くなったクォン・デ(1882‐1951)。彼の数奇な人生をたどったドキュメンタリー。

彼の日本行きを手配した同じくベトナムの独立運動家ファン・ボイ・チャウ(1867‐1940)についても詳しく描かれている。

日露戦争における日本の勝利が、アジアやアラブ世界に衝撃と覚醒を与え、アジア中から留学生や亡命政客たちが日本に押し寄せたこの時期、彼らの受け入れ窓口となったのは、アジア主義を掲げる玄洋社などの結社であり、その後ろ盾となったのは、犬養毅や大隈重信、後藤新平に福島安正、近衛篤麿ら、政界や軍部の大物たちだった。
一九〇九年一月、本郷森川町のクォン・デ邸には未明から人の出入りが激しかった。邸の周囲で張り込みを続ける警視庁の刑事たちは、四〇人ほどのベトナム人が邸内に入っていったことを確認した。

おお、本郷森川町!と思う。

この時期、石川啄木も本郷森川町の蓋平館別荘に住んでいた。1908年9月から1909年6月までのことだ。啄木が道でクォン・デとすれ違っていたかもしれないと思うと楽しい。

大切なことは黒か白かではなく、その双方が混在することが人の営みなのだと自覚することだ。自分自身を置き換えれば誰もが納得するはずだ。理念もあればエゴもある。清廉もあれば汚穢もある。人は絶えず多面的な世界で多面的な自分に揺らいでいる。

初めて知る話ばかりでとても面白かったのだが、ところどころ著者の主義主張が前面に出過ぎているのが気になった。淡々と事実だけを提示しても十分に読者に考えさせることのできる内容だと思うので。

2007年7月25日、角川文庫、590円。

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2025年05月20日

司馬遼太郎『歴史を紀行する』


1976年に文藝春秋社より出た単行本の文庫版。
初出は「文藝春秋」1968年1月号〜12月号。

「風土性に一様性が濃く、傾斜がつよく、その傾斜が日本歴史につきささり、なんらかの影響を歴史の背景にあたえたところの土地」を選んで旅をしたエッセイ集。

訪れたのは、高知、会津若松、滋賀、佐賀、金沢、京都、鹿児島、岡山、盛岡、三河、萩、大阪。

司馬の文章は読んでいて心地よい。話題が縦横無尽に展開し、時に脱線したりしながら、大事な核心らしきものを浮き彫りにしていく。

藩主山内家の祖一豊は尾張人であり、遠州掛川から関ケ原の功によって一躍土佐二十四万石に封ぜられたが、その入封にあたってその新規の家臣団は上方以東において徴募し、非土佐人をもって編成し、それをもって入封した。このため土佐長曾我部氏の遺臣と号する土着土佐人との間に、潜在的、ときには顕在的抗争が三百年くりかえされた。
芦屋の近江人たちは上女中はかならず近江からよぶが、どころが水仕事をする下女中は播州(兵庫県)の田舎からよぶ。播州こそいい面の皮だが、これが近江人の近江至上主義であり、近江共栄主義であり、江頭教授のいうところの「華僑の風習に似ている」ところであろう。
なにしろ八戸といえば南部氏上陸の地で、いわば南部氏にとって発祥の聖地であり、鎌倉期以後ずっと南部領であり、江戸時代は盛岡の「大南部」という呼称に対して、「小南部」とよばれ、支族南部氏二万石の城下町だった。明治政府はなさけ容赦もなくこれを青森県に追いやった。

取り上げられている町にはほとんど行ったことがあるので、町の風景を思い出しながら懐かしく読んだ。

2010年2月10日新装版第1刷、2024年5月25日第18刷。
文春文庫、710円。

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2025年05月14日

小川糸『ツバキ文具店』


先日読んだ『文学傑作選 鎌倉遊覧』に、この小説の初めの章にあたる「夏」が収録されていた。その続きが読みたくなって購入。
https://matsutanka.seesaa.net/article/514911985.html

文具店&代書屋を営む主人公の雨宮鳩子と近所の住人や代書の依頼に訪れた客たちの物語。鎌倉を舞台に「夏」「秋」「冬」「春」と季節が進んでいく。

血の繋がった先代には優しくできなかったのに、たまたま隣り合って暮らすバーバラ婦人とは、こんなに仲良くカマンベールチーズを食べている。先代も先代で、会ったこともない文通相手には、素直に心のうちを吐露することができた。

そういうことって、あるよなあと思う。

「ポッポちゃんは、イチゴに練乳かけないの?」
「私は、つぶしたイチゴにミルクを混ぜて、ハチミツをかけて食べます」

このあたり、世代や時代を感じる。今はイチゴはそのまま食べるけれど、僕も子どもの頃は潰して牛乳と砂糖をかけて食べていた。あれは、何だったんだろうな。今のイチゴより小粒で酸味が強かったのだろう。

他にも、グレープフルーツは半分に切って、断面に砂糖をじょりじょり塗り込んで、皮と実の間を包丁の先で一周切って、スプーンで房から掬って食べていた。今はもうあんな食べ方しないだろうな。

最後の方の大事な場面で寿福寺が出てくる。ここは3年前に米川稔の墓を探してれたところ。

人生はいろんなことがつながっている。

2018年8月5日初版、2024年7月25日25版。
幻冬舎文庫、600円。

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2025年05月09日

土井勉『ガチャコン電車血風録』


副題は「地方ローカル鉄道再生の物語」。

滋賀県を走る近江鉄道の経営危機「ギブアップ宣言」と上下分離方式による再建を描いた本。

近江鉄道には、第3回別邸歌会(甲賀市)や第9回別邸歌会(八日市市)に行くときに乗ったのでなじみがある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/490826870.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/501239354.html

著者は「近江鉄道線活性化再生協議会」の座長を務めこの問題に深く関わった方なので、再生に至るまでのさまざまな困難や齟齬などが具体的に記されている。

わが国の地方ローカル鉄道の存廃問題について実施されたプロジェクトの多くが、敗戦直前の取り組みであったことも影響して「延命」を目指すものでした。これに対して、近江鉄道は、まだ余力が多少あるタイミングでギブアップ宣言を行ったことで、鉄道の「延命」ではなく、「再生」を目指すリーディングプロジェクトを担うことになりました。
これまでは、鉄道は企業の持ちものという考え方が中心でしたが、上下分離とすることで、鉄道は道路と同じようにインフラであると考える市民が出てきたことになります。

鉄道会社、自治体、沿線の企業や学校、市民、専門家などが力を合わせ、鉄道路線を維持し活用していく姿を示したことは、とても有意義で画期的なことだと思う。

鉄道の存廃は単に鉄道会社の経営の話ではなく、まちづくりや交通政策、インフラの整備の問題でもある。そうした視点を忘れてはならないだろう。

2025年1月17日、岩波ジュニア新書、940円。

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2025年05月05日

藤谷治編『文学傑作選 鎌倉遊覧』


鎌倉を舞台にした文学作品のアンソロジー。

3年前に米川稔の墓を探して鎌倉を訪れて以来、何となく鎌倉のことが気になっている。

編者の作品の選びや並べ方のセンスが素晴らしく、収録作のどれもが胸に沁みる。特に、嘉村礒多「滑川畔にて」、小津安二郎「晩春」、黒川創「橋」が印象に残った。

元弘三(一三三三)年五月二十二日以後、鎌倉は「歴史」から見捨てられ、江戸中期あたりから細々と、明治の鉄道開通からは賑やかに、観光地、避暑地として注目を浴びた。古廟名刹の立ち並ぶ「歴史」を感じさせる場所として、何のことだか知らないが「和」の趣きを味わえる土地として、つまりは芝居の背景幕のような場所として、鎌倉は人気を得た。

鎌倉に住んでみたら楽しいだろうな。

2024年11月10日、ちくま文庫、1084円。

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2025年05月04日

森まゆみ『反骨の公務員、町をみがく』


副題は「内子町・岡田文淑の町並み、村並み保存」。

愛媛県内子町役場職員として長年にわたって町並み保存、村並み保存に取り組んできた岡田文淑氏への聞き書き。

伝統的建造物群保存地区に指定されている内子の木蠟資料館上芳我邸や内子座は以前訪れたことがあるので、興味を惹かれて読んだ。

あの頃は経済成長時代で、どんどん若者は都会に出て行き、地方は寂れるばかり、人がいなくなったところにダムだの、空港だの、原発だのが押し付けられてきた。愛媛には伊方原発がある。
大事なことは、本当の住民参加ということです。いままでの行政のやり方は、町会長とか公民館長とかに肩書きの「はく」をつけてやって、ちやほやしながらこき使う。彼らだけを住民とか市民と呼び、それ以外の活力やアイディアを持つ人たちを敵視して、町会経由で意見を言わないと聞かないという疑似住民参加のシステムを作り上げた。
僕も昭和五〇年代に景観意識調査というのをやった。五〇枚のスライドを見せて、美しいと思ったらボタンを押してもらうというのだったわ。そうするとコンクリート景観を見せると農家の人は「美しい」と思う。すっきりして近代化して。ヨモギが生えるあぜ道を見せると「美しくない」と思う。その辺を説得するのは難しいですよ。

何だかとても懐かしい。また内子に行ってみたいな。

ネットに出ている兄の日記によれば、内子に行ったのは2001年11月9日のことである。もう24年も前の話なのか……。
https://marrmur.com/2001/11/30/2796/

2014年5月23日、亜紀書房、1800円。

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2025年04月25日

芦原伸『北海道廃線紀行』


副題は「草原に記憶をたどって」。

北海道大学を卒業して鉄道ジャーナル社「旅と鉄道」の編集などに携わった著者が、北海道各地に残る廃線跡をたどったドキュメンタリー。過去の旅の記憶も描かれ、歳月の経過を強く感じさせる。

登場するのは、天北線、深名線、標津線、広尾線、胆振線、岩内線、湧網線など計21の路線。こんなに多くの路線が廃止になったのかという驚きとともに、こんなに隅々まで鉄路を敷いた明治〜昭和期の人々の情熱が胸にしみる。

北海道というとラーメンを思い浮かべる方が多いだろうが、実は北海道が日本一の生産量を誇るそば王国≠ナあることは意外と知られていない。日本の国産そばの四割を北海道が占めている。
鉄道は単なる交通手段ではない。そこには人々の生活があり、歴史があり、出会いや別れの人生の記憶が凝縮されている。駅はそのシンボルで、情報の集散地、コミュニケーションの場であった。
昭和三〇年代炭鉱の最盛期、夕張市の人口は一一万六〇〇〇を数えた。市内に鉱山は二四ヵ所、鉄道は二二駅あり、高校は七校、映画館は一六館。炭住ではひねもす煙が昇り、繁華街では終夜営業のバーやキャバレーがさんざめいていた。
鉄道王国が築かれた北海道だったが、今や「廃線王国」となってしまった。最盛期の昭和三〇年代に四一〇〇キロあった北海道の路線だが、現在残るのは二四〇〇キロ、ほぼ四割が消滅している。

「北海道鉄道路線図(鉄道発祥から現在まで)」というサイトを見ると、1880年から2025年までの路線の消長をたどることができる。

江差線や留萌本線は北海道に住んでいた頃に乗ったことがある路線なので懐かしい。江差や天売島・焼尻島は今どんなふうになっているのだろう。

2022年5月15日、筑摩選書、1700円。

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2025年04月23日

中野重治『歌のわかれ・五勺の酒』


詩「歌」、小説8篇、自作に関する随筆4篇を収めた作品集。

金沢の旧制高校時代を描いた自伝的小説「歌のわかれ」は、かつて金沢に住んでいたことがあって印象深かった。歌会の場面も出てくる。

金之助の「暮れよどむ街の細辻に……」が最高点の一つにはいった。彼はそのほかに、「苦しきことをこの上はわれ思はざらむ犀川の水はやけにせせらぐに」というのを出していてやはり問題になったが、「やけに」がどうかという評に対して、「いや、『やけに』なんだ!」と大声を出して一座を笑わせたりした。
安吉たちが今までやってきた歌会では、採点の最高点を得た作品から順に批評をするのが常だった。最高点のものについては、ほめるものも反対するものも総じてムキになった。そうしてそのムキになった批評のレベルが、そのまま点のあまりよくない作品にも及ぼされて行った。

中野の小説は話があちこち飛んだり回想と現在が入り混じったりして、あまり読みやすくない。その点は本人も自覚していたようで、随筆に次のように書いている。

まして私は上手な小説書きではない。批評家もそう言っていて私も認めている。ただ私は、上手下手ということを基本的なことだとは思うものの、上手でも下手でも自分のものを書きたいと思っている。(…)上手ということはこれからも学びたい。しかし下手にしろ自分のものを書きたい。

これは、どんなジャンルにおいても大切な心掛けだろうと思う。

2021年12月25日、中公文庫、1000円。

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2025年04月15日

樺山聡『京都を歩けば「仁丹」にあたる』


副題は「町名看板の迷宮案内」。

2009年に「仁丹のある風景」という評論(『短歌は記憶する』所収)を書いて以来、仁丹の広告が気になっている。

京都の町には仁丹の広告入りの町名看板が今も数多く残っていて、それに関心を持つ人々が「京都仁丹樂會」を結成して調査・研究を続けている。

京都仁丹樂會がこれまでに存在を確認した琺瑯約1550枚のうち、95%以上が「上京區」と「下京區」の表記だった。これは何を物語っているのか。琺瑯「仁丹」のほとんどは京都市が上京区と下京区の2区しかなかった時代に設置された。
現在の地図と昭和4年の地図を見比べるとよく分かる。戦後、堀川通が「建物疎開」の跡地を利用して整備された際、段階的に拡幅する中で、並んで南北に走る醒ヶ井通や西中筋通を、広い歩道として飲み込んでいた。つまり「仁丹」は。大通りに吸収されて、その名が消えてしまった小通りの記憶をしっかりと刻み込んでいるのだった。
現在の町名は「北区紫野十二坊町」だが、かつて「鷹野」と呼ばれていた時期があることも示す。興味深い異色の1枚になっている。消えた地名を今に伝えるのも「仁丹」の魅力の一つと言える。

「仁丹」の町名看板から、明治・大正・昭和の京都の町のさまざまな歴史が見えてくる。区名・町名の変更や道路の拡幅・移動などを伝える証拠にもなっているのだ。

2023年12月1日、青幻舎、1800円。

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2025年03月23日

早尾貴紀『イスラエルについて知っておきたい30のこと』


「シオニズムはどのように誕生したか」「イスラエルには誰が住んでいるか」「〈10・7〉とは何だったのか」など30の問いに答える形で書かれたパレスチナ問題の解説書。

シオニズム運動とは、十字軍やレコンキスタのころから一貫している、他者を排斥するキリスト教社会の排外主義・人種主義、そして中東地域に対する植民地的な欲望が生み出したのであって、徹底的にヨーロッパ諸国の都合によるものです。
ヘブライ語は聖書の古語として受け継がれていましたが、日常用語としての話者はいませんでした。文法的にも語彙的にも近代言語として通用するものではなかったので、文法を整理し直し、アラビア語やヨーロッパ諸語から持ってきて単語をつくり、近代言語として現代ヘブライ語が創出されました。
西洋文明を守る戦争という言葉は非常に象徴的です。イスラエルによるガザ攻撃は、まさに西洋中心主義的な植民地主義的世界を守るための戦争なのです。

本書の最後30番目の問いは「私たちになにができるのか」である。引き続き考え、自分なりに行動していきたい。

2025年2月10日、平凡社、1900円。

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2025年03月04日

高橋和夫『なぜガザは戦場になるのか』


副題は「イスラエルとパレスチナ 攻防の裏側」。

ガザをめぐって戦争が起きる歴史的な背景や国際情勢について、コンパクトにわかりやすく解説した本。

パレスチナ問題は、しばしば「イスラムとユダヤの2000年来の宗教対立」といった言葉で語られる。しかし、こうした解説は事実と対応していない。(…)争いはパレスチナという地域を誰が支配するかをめぐってである。これは土地争いであり、それに付随する水争いである。
第一次世界大戦の終結まで、オスマン帝国という国が存在した。この帝国は、現在のトルコのイスタンブールに首都を置き、ヨーロッパ、アジア、アフリカに及ぶ巨大な領域を支配していた。パレスチナは、この帝国の一部であった。
中東最強の軍隊と、世界最先端のテクノロジーを持ち、世界で最も「テロ対策」が進んだ国で、なぜ世界で最もテロ≠ェ起きるのか。その理由と向き合うことなしには、イスラエル国民の本当の安全はないのではないか。
現在でも、アメリカの対外援助の相手国のランキングでは1位がイスラエルで、2位がエジプトというのが通常は定位置である。エジプトが援助を受け続けることができるのは、イスラエルとの関係を維持しているからである。

入門書といった程度の内容なのだと思うが、初めて知ることも多く理解が深まった。

2024年2月25日、ワニブックスPLUS新書、990円。

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2025年02月25日

齋藤美衣『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』


毎日のように「死にたい」思いに襲われる著者が、精神科閉鎖病棟への措置入院の経緯を記すとともに、自らの心に深く封じ込めてきたものを掘り起こし向き合った記録。

何とも凄絶で、時おり読み進めるのが辛くなる内容だが、「書く」ということの力を強く感じる一冊であった。

この本は、なぜわたしに「死にたい」が毎日やってくるのか、その理由を探すために、目的地も見えぬなか歩み出した旅の記録だ。わたしには書くという作業が必要だった。必要というより必然だった。書くことを通してでしか、〈自分〉という未踏の地に足を踏み入れる勇気を保つことはできなかった。

第T部「世界との接点」は、過去にさかのぼり自らの経験を具体的・客観的に描き出している。

14歳の時に急性骨髄性白血病となり1年にわたる入院生活を送った著者は、本当の病名を告げられず、でも密かに知ってしまったことで、深く傷つく。やがて病気は寛解したものの、今度は「生き残ってしまった」という思いに苦しむことになる。

両親や医師、社会との関わりのなかで、自分の話を聞いてもらえない、感情を無いものとされるという経験が何度も繰り返される。そうした過程でずっと抑えてきた思いが、肉体的・精神的な不調となって表れるのだ。

第U部「穿ちつづける」は、自らの体験をもとに心の問題を深く探っていく内容で、「食べる」とは何か、「謝る」とは何か、「時間」とは何か、といった哲学的とも言うべき考察が続く。

食べること、性的なことの共通点は、どちらも人の営みの中心にある、ということではないだろうか。つまり生きていることに直結していること。そしてこの二つはどちらも、自分ではないもの(他者)を受け入れて、自分と融合させることだ。
人が謝るとき、本来の許しを求めることを大切にしないで、謝るために謝ることが存外行われているんじゃないだろうか?許しを求めるということは、相手の気持ちを十分に想像して、そこに自分の気持ちを沿わせることだろう。

書くことを通じて、著者は長年封じ込めてきた感情と向き合い、自分自身や世界と出会い直す。昨年刊行した第1歌集のタイトルに『世界を信じる』と付けたのも、きっとそうした思いの反映なのだろう。

https://matsutanka.seesaa.net/article/507351655.html

2024年10月15日、医学書院、2000円。

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2025年02月21日

北村薫『中野のお父さんの快刀乱麻』


2021年に文藝春秋社から刊行された単行本の文庫化。

・『中野のお父さん』
https://matsutanka.seesaa.net/article/462601696.html
・『中野のお父さんは謎を解くか』
https://matsutanka.seesaa.net/article/484549087.html

「中野のお父さん」シリーズ第3弾。今回取り上げられるのは、大岡昇平、古今亭志ん生、小津安二郎、瀬戸川猛資、菊池寛、古今亭志ん朝。文学の謎だけでなく、落語や映画の話も出てくる。

詩歌にも詳しい作者なので、菊池寛の学生時代の短歌「我が心破壊を慕ひ一箱のマッチを凡(す)べて折り捨てしかな」に関して次のような父と娘のやり取りがある。

「勿論、実際、ポキポキ折ったわけじゃないだろう。しかし、こういう時の、譬(たと)えに使うのに《マッチ》は、持って来い――だな。(…)」
 美希も、無論、マッチがどういうものか知ってはいる。しかし少なくとも、この一年、使ったことはない。
「やり場のないいらいら。今の子なら、一本の歯磨きを、《えいやっ》と、すべてひねり出す方が――分かりますかねえ」

この歯磨きの話は、もちろん穂村弘の歌を踏まえているのだろう。

「猫投げるくらいがなによ本気だして怒りゃハミガキしぼりきるわよ」
           穂村弘『シンジケート』

このシリーズ、単行本ではもう第4弾が出ているようだ。

2024年11月10日、文春文庫、730円。

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2025年02月11日

八木澤高明『忘れられた日本史の現場を歩く』


北海道から九州まで全国19か所を訪れて、その土地に関する出来事を追ったドキュメンタリー。

「拝み屋が暮らす集落」(高知県香美市)、「人首丸の墓」(岩手県奥州市」、「無戸籍者たちの谷」(埼玉県秩父市ほか)など、歴史の表舞台には出てこない話を、著者は好んで取り上げている。

明治から昭和の戦前にかけて、日本から主にアジアに出て体を売った娼婦はからゆきさんと呼ばれた。ちなみにアメリカで体を売った娼婦たちのことは、あめゆきさんと言った。当時、日本人の女性が海外で体を売ることは珍しいことではなかった。
その地図では、アイヌが暮らした場所を、「\村(えぞむら)」と記している。地図によれば、弘前藩の領地には五ヶ所の\村があった。ケモノ偏に犬とは人間ではないようで、何ともひどい呼称だが、江戸時代のアイヌに対する感覚が如実に表れている。
五島列島は東京を中心とすれば、日本の外れとなってしまうが、東シナ海というアジアの海の回廊を中心にすれば、古代から日本の玄関口であった。その回廊によって、キリスト教も戦国時代の日本へと伝わった。

興味深い話が多くカラー写真も雰囲気をよく伝えているのだが、1か所あたり6〜8ページという分量で終ってしまうのがもの足りない。さらに深掘りした詳しい話を聞きたくなった。

2024年6月5日、辰巳出版、1600円。

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2025年02月09日

内田宗治『30年でこんなに変わった!47都道府県の平成と令和』


1990年代前半と2020年代とを比較して、この30年の間にどのような変化があったのかを各都道府県別に記した本。人口、産業、歴史、交通などに加えて、地方百貨店、民放テレビ局、進学校の実績などの動向もデータで示している。

学校で習ったことや漠然と抱いていたイメージとは異なる現状に驚かされることの多い内容だった。

「札仙広福」という言葉がある。東京、大阪、名古屋の三大都市圏に次いで、札幌、仙台、広島、福岡の4都市が、地方としては群を抜いているためである。
90年頃の教科書までは、更新世は洪積世、完新世は沖積世と呼ばれていた。
現在の50歳くらいのひとを境に知っている、知らないが分かれるものに「忠臣蔵」がある。
日本全国での果実の収穫量は、30年前に比べて、ほとんどの種類で減少している。93年比で21年の収穫量は、リンゴ0.65倍、ミカン0.50倍、ブドウ0.64倍、モモ0.62倍、梨0.48倍だ(…)
児島周辺に学生服の会社(工場)が集中したのは、80年代くらいの教科書には書かれていた児島湾の干拓と関係する(90年代の教科書ではふれられていない)。
80年代くらいまで、日本には京浜、中京、阪神、北九州の四大工業地帯がある、と教えられてきた。(…)現在の教科書によれば、京葉工業地域、北関東工業地域、瀬戸内工業地域との用語が登場し、これら各工業地域の出荷額は約30〜40兆円(18年)。いずれも北九州工業地帯の約10兆円より数倍も多い。
佐賀市の東側、神崎市と吉野ヶ里町にまたがる丘陵で、89年吉野ヶ里遺跡の発見が報道された。(…)それまでの教科書では、弥生時代の遺跡としては、登呂遺跡(静岡県)の記述が代表的だったので、主役が交代した形となった。
サツマイモは22年鹿児島県21.0万t、茨城県19.4万tで、近年生産量では鹿児島県は茨城県に猛迫されている。茨城県のサツマイモはベニアズマが多く、生食用が大半。鹿児島県のサツマイモはコガネセンガンが多く、焼酎の原料となるアルコール類用が約50%を占める。

各都道府県の人口動態を見ると、県庁所在地やその周辺のベッドタウンに30年で人口が大きく偏ってきたのがよくわかる。日本列島を人体に喩えると、太い血管にだけ血が流れていて毛細血管はもう干からびているような状態だ。

2024年1月21日、実業之日本社 じっぴコンパクト新書、1200円。

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2025年01月13日

村上春樹『海辺のカフカ』(下)


小説を読む楽しみはいろいろあると思うが、村上春樹の場合、会話の随所にあらわれる箴言のようなものに惹かれる。

でも私は思うんだけど、生まれる場所と死ぬ場所は人にとってとても大事なものよ。もちろん生まれる場所は自分では選べない。でも死ぬ場所はある程度まで選ぶことができる。
思い出はあなたの身体を内側から温めてくれます。でもそれと同時にあなたの身体を内側から激しく切り裂いていきます。
人間にとってほんとうに大事なのは、ほんとうに重みを持つのは、きっと死に方のほうなんだろうな、と青年は考えた。死に方に比べたら、生き方なんてたいしたことじゃないのかもしれない。

この小説にはさまざまな登場人物が出てくるけれど、最も魅力的だったのはナカタさんかもしれないな。

2005年3月1日発行、2024年11月10日55刷。
新潮文庫、950円。

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2025年01月12日

村上春樹『海辺のカフカ』(上)


村上春樹の熱心な読者ではないのだが、時おり何かのきっかけで手に取って読み、そのたびに引き込まれる。『海辺のカフカ』もそんな1冊(上下2冊)だった。

僕らの人生にはもう後戻りができないというポイントがある。それからケースとしてはずっと少ないけれど、もうこれから先には進めないというポイントがある。そういうポイントが来たら、良いことであれ悪いことであれ、僕らはただ黙ってそれを受け入れるしかない。
エジソンが電灯を発明するまでは、世界の大部分は文字通り深い漆黒の闇に包まれていた。そしてその外なる物理的な闇と、内なる魂の闇は境界線なくひとつに混じり合い、まさに直結していたんだ

一つだけ気になったのは啄木に関する記述。

そのお父さん、つまり先々代は、自身歌人でもあり、その関係で多くの文人が四国に来るとここに立ち寄った。若山牧水とか、石川啄木とか、あるいは志賀直哉とか。

小説の主要な舞台となる高松の「甲村記念図書館」に関する話である。架空の図書館の話なので別にこだわることもないのだけれど、啄木は四国には行ってない。四国どころか横浜より西には一度も足を運んだことがない。

そのため、読んでいて「えっ??」と思ってしまったのだった。

2005年3月1日発行、2023年9月30日59刷。
新潮文庫、900円。

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2024年12月17日

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』


同じ著者の『中動態の世界』がとても面白かったので、今度はこの本を読む。
https://matsutanka.seesaa.net/article/502289063.html

「暇と退屈」がどのようにして発生し、それに人々はどのように対応してきたのか、また対応すべきなのか。過去の歴史を遡り、哲学や倫理学だけでなく人類学や経済学、精神分析学、生物学、医学など多くの分野の見解も踏まえながら論じている。

狩りをする人は狩りをしながら、自分はウサギが欲しいから狩りをしているのだと思い込む。つまり、〈欲望の対象〉を〈欲望の原因〉と取り違える。
食料生産は定住生活の結果であって原因ではない。農業などの技術を獲得したから定住したのではなくて、定住したからその技術が獲得されたのだ。
浪費は生活に豊かさをもたらす。そして、浪費はどこかでストップする。それに対して消費はストップしない。
「決断」という言葉には英雄的な雰囲気が漂う。しかし、実際にはそこに現れるのは英雄的な有り様からはほど遠い状態、心地よい奴隷状態に他ならない。
あらゆる経験はサリエントであり、多少ともトラウマ的であるとすれば、あらゆる経験は傷を残すのであり、記憶とはその傷跡だと考えられる。

ものを考えるとはどういうことか、どのように論理を組み立てていくか、そしてそれをどう伝えるか。そうした根本的な問題について、多くを学ぶことのできる一冊であった。

2022年1月1日発行、2024年5月25日24刷。
新潮文庫、900円。
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2024年12月06日

井竿富雄編著『知られざる境界地域 やまぐち』


「ブックレット・ボーダーズ」の10冊目。

先日、山口県の岩国市を訪れたこともあって積ん読になっていたこの冊子を手に取った。山口がこのシリーズで取り上げられるのは意外な気がしたが、

大内文化は東アジアやキリスト教との交流とともにあり、長州は英国などとの戦争を契機に一挙に欧米と結ぶ開国の先導者ともなった。また山口は九州や朝鮮半島との結節点であり、近現代においても日本の光と影を体現してきた。

という記述を読んで納得した。

ついでに言えば、山口は横に長い。そのため、同じ山口と言っても、西が九州の影響力が強いのに対して、東は広島エリアに入る。
岩国市の中心に「国境」がある。瀬戸内海に向かって広がる大きな三角州の中に位置する米海兵隊岩国航空基地である。神奈川県厚木基地や沖縄県の基地を越え、今や東アジア最大規模といわれる。
この秋吉台も戦前は日本陸軍の実弾演習場として広島第五師団隷下の第四二連隊が演習を重ねる場であった。それを戦後、山口県に駐屯したニュージーランド軍が強制接収。一九五五年からは同軍に代わって在日米軍の海軍航空部隊が対地爆撃演習地としての使用を打診してきたことがあった。
日本の大陸進出、戦争の拡大とともに、日本と朝鮮半島・大陸との間を関釜連絡船により大量の客貨が往来した。関釜連絡船の繁栄とともにあった下関の繁栄は、日本の大陸進出と一体だったのである。

なるほど、戦前の「樺太」との往来は稚内―大泊の稚泊連絡船が担ったが、「朝鮮・満州」との往来は下関―釜山の関釜連絡船が担っていたのである。

2023年9月25日、国境地域研究センター、900円。

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2024年12月02日

山田良介編著『ダークツーリズムを超えて』


国境地域研究センターの刊行する「ブックレット・ボーダーズ」の11冊目。副題は「北海道と九州を結ぶ」。

過去の歴史の負の部分を見つめる中からどのような明るい未来を見出していくのか、という観点で北海道と九州各地のさまざまな事例を取り上げている。

九州と北海道を結ぶもの。端的に考えれば、それは近代化を支える労働や資源の「供給源」となったことだろう。
坑内馬は島原や対馬、熊本などから買い集められた。坑内は高さが十分ではなかったので、使役できるのは肩までが一三〇センチぐらいの体高の低い馬でなければならなかった。(…)ひとたび坑内に下がった馬は生きては地上へ戻ることはなかった。
一九四四(昭和一九)年八月、日本政府は戦況悪化により「内地」への石炭輸送が困難となったため、樺太や釧路の炭鉱での採炭を中止し、労働者を北部九州などの「内地」の炭鉱へ移動させた。
夕張市はかつて石炭産業で栄えたまちである。(…)石炭産業によって一九六〇年には人口が一一万人を越えていたが、それ以来六〇年以上にわたって人口は減少し続け、二〇二四年現在では六千人ほどの人々が暮らすまちとなっている。

このブックレットのシリーズは、どれも読み応えがある。
http://borderlands.or.jp/seika/seika.html

2024年11月10日、国境地域研究センター、1200円。

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2024年11月26日

『新装版 文豪の家』

著者 :
エクスナレッジ
発売日 : 2022-07-17

監修:高橋敏夫、田村景子。

太宰治、夏目漱石、志賀直哉、谷崎潤一郎、野上弥生子など36名の文学者を取り上げて、彼らが住んだ家のうち現存するものについて紹介している。

写真や間取り図もあって、文学者の見た風景や暮らしの様子が浮かび上がってくるようだ。

漱石は終生借家暮らしであった。生後間もなく里子に出され、二歳の時には他家の養子とされた生い立ちを想起するまでもなく、松山で二軒、熊本で七軒、ロンドンで五軒、帰国後に三軒の下宿・借家を転々とする(…)
父の井上隼雄は陸軍の軍医で、各地を転任。靖は、父が当時勤務していた旭川第七師団の官舎で生まれた。
苦悩を吐露するかのように作品を書き続けた火野葦平は、一九六〇(昭三五)年、河伯洞の薄暗い書斎で自殺した。

本書に載っている家のうち、私が訪れたことのあるのは、

漱石鷗外旧居(愛知県明治村)、夏目漱石内坪井旧居(熊本県)、啄木齋藤家(岩手県)、啄木新婚の家(岩手県)、本郷喜之床(愛知県明治村)、旧有島家住宅(北海道)、北原白秋生家(福岡県)、小泉八雲旧居(島根県)、幸田露伴蝸牛庵(愛知県明治村)、斎藤茂吉箱根山荘の勉強部屋(山形県)、志賀直哉旧居(奈良県)、中村憲吉生家(広島県)、林芙美子旧居(東京都)、子規庵(東京都)、鷗外生家(島根県)

の15か所。まだまだ行ってみたいところがあるなあ。

2022年7月19日、エクスナレッジ、1680円。

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2024年11月20日

高橋慎一朗『幻想の都 鎌倉』


副題は「都市としての歴史をたどる」。

第一章「紀元前〜鎌倉前期」、第二章「鎌倉中期〜室町後期」、第三章「近世」、第四章「近代」と時代をたどりながら、鎌倉の町の変遷や人々の動向を描いている。

タイトルに「幻想の都」とあるのは、鎌倉にはかつての武家政権に関する史跡は残っておらず、人々の鎌倉に寄せる郷愁や知識によって「古都鎌倉」のイメージが形作られてきたという意味である。

現在の鶴岡八幡宮は純然たる「神社」であるが、これは明治時代の神仏分離によって仏教色が一掃された後の姿である。明治以前には、「鶴岡八幡宮寺」という名称もあり、寺院と神社が一体となった「神仏習合」の形態をとっていた。
鎌倉の港として、もう一つ忘れてはならないのが、六浦の港である。(…)天然の良港を備えた六浦は、鎌倉とは朝比奈峠を越える陸路で結ばれ、鎌倉の外港として重要な位置を占めていた。
鎌倉の主こそが関東の支配者であるという観念が、当時の人々のあいだに広く存在していたとみられる。関東の戦国大名にとって、鎌倉や鶴岡八幡宮の存在は、勢力拡大の大義名分のために無視できない魅力を持っていたのである。
横須賀線の開通は、東京から鎌倉への観光客の利便を図るためのものではなかった。軍事的に重要性を増していた横須賀と東京を連絡することが、主な目的であった。

先日読んだ司馬遼太郎の『街道をゆく42 三浦半島記』と内容的に重なる記述もけっこう出てきた。読書はそんなふうに連鎖するから楽しい。

2022年5月30日、光文社新書、820円。

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2024年11月15日

司馬遼太郎『街道をゆく42 三浦半島記』


初出は「週刊朝日」1995年3月24日号〜11月10日号。

三浦半島を歩いて、各地の地理や歴史について語っていく。主な舞台は鎌倉と横須賀で、源頼朝、三浦義明、畠山重忠、和田義盛、鎌倉景政、小栗上野介、勝海舟、旧日本海軍の軍人などが出てくる。

ユンカーやジェントリー、そして平安末期の武士たちに共通しているのは、領有する地名を名乗っていること、戦陣には領地の若者をひきいてゆくこと、それに家紋をもっていることである。
後白河法皇は、稀代の政略家だったというほかない。古来、分を越えて官位を得る者は暴落するという考え方が京にあり、一方、没落させたいと思う相手には、官位をその相応以上に与えたりすることがあった。官打ち≠ニよばれた。
鎌倉幕府は、もともと頼朝と北条氏の合資会社で、頼朝の死後は、北条氏に権力が移るべくして移ったとみるほうが自然である。奇妙なことに、頼朝の血流が絶えてからのほうが、政権が安定した。
大正から昭和初年にかけて、海軍士官の多くは、鎌倉や湘南地方に住んだ。たとえば、日露戦争における日本海海戦の作戦を担当した少佐秋山真之も、その若い晩年、逗子に住んだ。

三浦半島は大きくないが、西の伊豆半島や東の房総半島と海上交通でつながっており、また近世以降は東京湾への入口に当たる地理的環境もあって、日本史で大きな役割を果たしてきた。

司馬遼太郎の縦横無尽の筆致が楽しい。

2009年5月30日第1刷、2024年2月28日第8刷。
朝日文庫、760円。

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2024年11月06日

司馬遼太郎『街道をゆく11 肥前の諸街道』


初出は「週刊朝日」1977年4月8日号〜8月19日号。

久しぶりに「街道をゆく」を読みたくなって、手に取った。
やっぱり面白い。

「蒙古塚・唐津」「平戸」「横瀬・長崎」をめぐりながら、つらつら歴史に関する蘊蓄を傾け、日本の文化ついて考察している。

この元寇は、軍事のかたちをとった普遍性の高い文明と、特殊な条件下で育った民族文化とのあいだの激突であったといってよく、つまりは日本が普遍的文明というおそるべきものに触れた最初の経験であったといっていい。
江戸時代の小藩というのは、津和野、宇和島、大村、飫肥などの諸藩の例でわかるように、大藩よりもかえって教養主義の傾向がつよかった。平戸藩が、何人かいる家老のうち、山鹿、葉山というふうに二人までも学問で名が通っていたというのは、壮観といっていい。
ヨーロッパの航海者というのは、じつに不遠慮なものであった。たとえば、幕末にいたっても、英国でできた海図には、九州、瀬戸内海あたりの島や岬、海峡の多くが英国名称になっていた。つまりは、かれらが「発見」したからである。

「街道をゆく」が書かれてから約半世紀。グローバルスタンダートについて考えるにしても、アメリカ・ロシア・中国との関係を考えるにしても、司馬の問題意識は今なお色褪せていない。

2008年10月30日、朝日文庫、540円。

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2024年11月04日

楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』


三浦裕子訳。

1938(昭和13)年から翌年にかけて台湾に滞在した日本人の小説家青山千鶴子の旅行記、という体裁を取った小説。

台湾縦貫鉄道に乗って各地を訪れる様子やさまざまな食べ物のレポートなど、実際に戦前の台湾を訪れている気分を味わえる描写が多い。

青山と通訳の王千鶴との交流や、植民地支配をめぐる越えられない溝のことなど、台湾と日本の歴史を考えさせられる内容でもあった。

楊双子……今後、他の作品も翻訳されるのが楽しみだ。

2023年4月25日、中央公論新社、2000円。

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2024年10月21日

梯久美子『戦争ミュージアム』


副題は「記憶の回路をつなぐ」。

雑誌「通販生活」2020年盛夏号〜2024年初春号に連載された「シリーズ 戦争を忘れない」を補筆して書籍化したもの。

全国14のミュージアム(大久野島毒ガス資料館、予科練平和記念館、戦没学生慰霊美術館「無言館」、周南市回天記念館、対馬丸記念館、象山地下壕(松代大本営地下壕)、東京大空襲・戦災資料センター、八重山平和祈念館、原爆の図丸木美術館、長崎原爆資料館、稚内市樺太記念館、満蒙開拓平和記念館、舞鶴引揚記念館、都立第五福竜丸展示館)が紹介されている。

戦争ミュージアムは、死者と出会うことで過去を知る場所であると私は考えている。過去を知ることは、いま私たちが立っている土台を知ることであり、そこからしか未来を始めることはできない。

本当にその通りだと思う。14か所のうち私がこれまでに訪れたことのあるのは、わずかに3か所。機会を見つけて足を運んでみたい。

2024年7月19日、岩波新書、920円。

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2024年10月09日

北尾トロ『ツキノワグマの掌を食べたい!』


副題は「猟師飯から本格フレンチまでジビエ探食記」。

自らも狩猟免許を持ちエアライフルによる鳥猟を行う著者が、鳥獣のジビエ30種を食べた報告記。

鳥は、バン、ヤマシギ、キジバト、コジュケイ、キジ、ヤマドリ、ハシブトガラス、ハシボソガラス、カワウ、カルガモ、コガモ、マガモ、ハシビロガモ、ヒドリガモ、アオサギ、ホシハジロ、エゾライチョウ。

獣は、イノシシ、シカ、ツキノワグマ、ノウサギ、テン、イタチ、タヌキ、キツネ、ハクビシン、ヌートリア、アナグマ、アライグマ、キョン。

どれも写真入りで料理が紹介されていて、興味と食欲をそそられる。

いつも新鮮なジビエを食べていると、たまにスーパーで売っている家畜の肉を口にしても、おいしく感じられなくなるそうだ。
「ジビエに臭みがあるという人がいるけど逆なんだよね。スーパーの肉ににおいが気になっちゃう」

なるほど。確かにそうかもしれない。魚で言えば天然モノと養殖モノの違いで、本来は家畜の肉の方が人工的で不自然な匂いがしているのだ。私たちがそっちに慣れてしまっているだけで。

タイトルになったツキノワグマの話は、雑誌に掲載された際には「ツキノワグマの手を食べる」だったものが、「ツキノワグマの掌を食べたい!」に改題されている。

「食べる」より「食べたい!」の方がキャッチーだ。これは編集者の手柄だろう。

2024年4月5日、山と渓谷社、1650円。

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2024年09月16日

上明戸聡『改訂版 日本ボロ宿紀行』


全国各地の歴史ある古い宿を紹介する旅行記。

登場するのは、新むつ旅館(青森県八戸市)、飯塚旅館(青森県黒石市)、福山荘(岩手県遠野市)、山崎屋旅館(埼玉県寄居町)、山光荘(静岡県松崎町)、薫楽荘(三重県伊賀市)、星出館(三重県伊勢市)、あけぼの旅館(岡山県津山市)、河内屋旅館(鳥取県智頭町)、新湯旅館(熊本県八代市)など。

確かに今の高性能船にとっては風待ちの港など不要だし、なにより海運自体が陸上輸送にほぼ取って代わられています。
旅をしていると、大河ドラマの影響力の大きさを感じます。地元側も、この機会に観光客を呼ぼうと必死の努力をしているようでした。

古い木造の旅館は年々減って、現代的なホテルになっていく。元の本は2011年の出版なので、この改訂版が出た時点で既に廃業した旅館も少なくない。

「貴重な温泉文化を守ってきた宿。どうかこれからも長く繁盛してほしいと思います」という文章の後に「*現在閉業」という注があるのを見ると、何ともさびしい気分になる。

2023年1月26日、鉄人社、1980円。

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2024年09月13日

『生きて帰ってきた男』のつづき

引用したい箇所がたくさんある。

日中戦争以前は、二年在籍すれば軍隊から除隊できた。しかし戦争の拡大とともにそれが困難となり、「三年兵」や「四年兵」が多くなった。当然ながら、除隊の望みを失い、内務班に閉じ込められた古参兵はすさんでいった。
ペニシリンを嚆矢とする抗生物質は、第二次世界大戦において初めて本格的に使用された。これは当時、レーダーとならぶ連合諸国の新技術で、負傷兵の治療に絶大な効果を発揮した。
高度成長期の経済循環の名称が「神武景気」「岩戸景気」「いざなぎ景気」だったこと、冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが「三首の神器」とよばれたことは、この時代のマジョリティが戦前教育世代だったことを物語っている。
一九七〇年代は、各地で公害や乱開発に反対する住民運動が台頭した時期であった。それ以前の反対運動では、開発で生活基盤が破壊される農民や漁民が中心的な担い手だった。だが七〇年代以降は、戦後教育をうけ人権意識が向上した、新世代の若い都市住民が担い手になっていった。

あとがきの最後に著者は、「願わくば、読者の方々もまた、本書を通じてその営みに参加してくれることを望みたい」と、近親者への聞き取りを呼び掛けている。

私の父は1940(昭和15)年に秋田県の農家の二男として生まれた人だが、5歳で母を亡くし、中学卒業後に集団就職で東京に出てきた。そこで東京生まれの母と出会って結婚することになるのだが、あまり詳しいことは知らない。

今度、父のところに泊まる時は、そういう話を聞いてみようと思う。

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2024年09月09日

佐々涼子『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』


副題は「再生・日本製紙石巻工場」。
2014年に早川書房から刊行された単行本の文庫化。

東日本大震災で浸水し瓦礫や土砂で甚大な被害を受けた製紙工場が、再び稼働するまでを追ったノンフィクション。

長らく積読になっていたのだが、先日著者の佐々涼子さんが亡くなったというニュースを見て読み始めた次第。綿密な取材と確かな筆力の感じられる作品で、他の本もまた読みたくなった。

読書では、ページをめくる指先が物語にリズムを与える。人は無意識のうちに指先でも読書を味わっているのだ。
工場内には、たくさんの高圧電線や、燃料、水などのパイプが走っている。これを地下に埋設すると、交換のたびにいちいち掘り返さなければならないので、手間がかかる。そこで工場では、空中に無数のパイプが渡してあるのだ。
「文庫っていうのはね、みんな色が違うんです。講談社が若干黄色、角川が赤くて、新潮社がめっちゃ赤。普段はざっくり白というイメージしかないかもしれないけど(…)」
昔、図鑑や写真集は重くて持ち運びに不便だった。だが、最近は写真入りの書籍も雑誌も、写真やイラストの色が非常に美しいままで、昔よりも遥かに軽くなっている。これは、紙の進化によるものなのだ。

紙の生産から本の流通に至るまでの話が詳しく載っているのも興味深い。電子書籍に対して「紙の本」と言うことがあるけれど、確かに紙がとても大事なのであった。

2017年2月15日、ハヤカワノンフィクション文庫、740円。

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2024年09月06日

飴屋法水『キミは珍獣(ケダモノ)と暮らせるか?』


1997年に筑摩書房から出た単行本を改題、文庫化したもの。

当時、動物商として珍獣ショップ「動物堂」を開いていた著者が、犬猫以外の動物の飼い方について記した本。文体は軽いが内容はいたって真面目である。

登場するのは、キノボリヤマアラシ、トビウサギ、ワオキツネザル、ショウガラゴ、スローロリス、スカンク、ビントロング、ピグミーオポッサム、シマテンレック、ストローオオコウモリなどなど。

もともと、動物というものには値段はない。動物の値段というのは実は全て人件費だと思ってほしい。
人間は、たとえ知らない初めて見る動物でも、それが何の仲間かさえ分かれば意外と驚かないものである。「あらー、珍しいおサルさんねー」それで終わりである。
夜行性の動物、中でも目や耳の大きな動物は、小さな音、かすかな光にも当然敏感なわけだ。まぶしい光は人間の百倍まぶしく、大きな音は人間の百倍うるさいと思っといた方がいい。
動物は全て、ただ生きて、ただ死んでいく、決して肉体を超えようとなどしない。むしろ、肉体に支配され続ける。それが生きるということだ。

動物について考えることは、人間について考えることにもつながる。生きることや他者と関わることについて、思索を深めてくれる内容であった。

2007年10月10日、文春文庫PLUS、524円。

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2024年08月26日

藤原辰史『稲の大東亜共栄圏』


歴史文化ライブラリー352。
副題は「帝国日本の〈緑の革命〉」。

戦前・戦中のイネの品種改良が、大日本帝国の植民地支配にどのように関わったのかを解き明かした本。〈富国〉〈陸羽一三二号〉〈農林一号〉〈台中六五号〉といった品種が取り上げられている。

品種の改良は収量の増加につながる一方で、化学肥料への依存や在来種の淘汰といったマイナス面ももたらした。それは、戦後の開発途上国における「緑の革命」や現代の多国籍バイオ企業による遺伝子資源の独占といったエコロジカル・インペリアリズム(生態学的帝国主義)につながる問題を孕んでいる。

一連の植民地産米増殖計画のさきがけが、「北海道産米増殖計画」であったことは決して偶然ではない。朝鮮が良質米のフロンティアであり、台湾がジャポニカ米の南のフロンティアであったように、北海道はその冷涼な気候から、稲作一般の北のフロンティアであった。
一方で緑の革命は、新種子に必要な肥料・農薬・水への依存を高めた。この依存構造から抜け出すことは、薬物依存と同じほど困難である。肥料や農薬は多国籍企業が販売した。
〈台中六五号〉をはじめとする蓬莱米は、台湾や八重山列島の稲の品種地図を完全に塗り替えた。しかも、この品種改良技術は、従来、インディカ米が主流だった台湾や八重山列島を、言わば「ジャポニカ米の大東亜共栄圏」のなかに編成しなおすことに成功した。

山口謙三、寺尾博、石黒岩次郎、並河成資、磯永吉など、多くの育種技師たちのエピソードも載っている。永井荷風の弟で朝鮮農事試験場に勤めた永井威三郎や、夢野久作の子でインドの砂漠の緑化を推進して「グリーン・ファーザー」と呼ばれた杉山龍丸も登場する。

科学者たちが生涯をかけて取り組んだ品種改良が、結果的には大日本帝国の植民地支配に加担することになった。そのあたりをどう評価すべきかは、非常に難しい問題だと思う。

2012年9月1日第1刷、2021年4月1日第2刷。
吉川弘文館、1700円。

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2024年08月24日

菅野久美子『超孤独死社会』


副題は「特殊清掃の現場をたどる」
2019年に毎日新聞社より刊行された単行本の文庫化。

年々増加する孤独死の現場と、そこで働く特殊清掃の人々を描いたノンフィクション。孤独死予備軍が1000万人にのぼると言われる現代社会の姿がリアルに浮かび上がってくる。

近年、孤独死はもはや特殊な出来事ではなくなってきている。年間約3万人と言われる孤独死だが、現実はその数倍は起こっていると言う業者もいるほどだ。
ゴミを溜めこんだり、必要な食事を摂らなかったり、医療を拒否するなどして、自身の健康を悪化させる行為をセルフネグレクトと呼ぶ。ニッセイ基礎研究所によると、孤独死の8割がこのセルフネグレクト状態にあるとされている。
孤独死の4件中3件が男性なんです。単身、離婚で孤独になるんです。女の人って、何かと人間関係を作るのがうまいけど、男の人って何かで躓くと、閉ざしちゃうんですよね

とても他人事とは思えない。

「孤独死を防ぐためには、人と人との繋がりを取り戻すこと」という提言もあるが、それはなかなか難しい。孤独死を減らすよりも、むしろ安心して孤独死できる社会を目指す方が現実的かもしれない。

沢瀉(おもだか)は夏の水面の白き花 孤独死をなぜ人はあはれむ/雨宮雅子『水の花』

2024年7月30日、毎日文庫、900円。

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2024年08月22日

ヴァージニア・ウルフ『青と緑』


西崎憲編訳。副題は「ヴァージニア・ウルフ短篇集」。
19篇の短篇小説と3篇のスケッチを収めている。

「ラピンとラピノヴァ」「乳母ラグトンのカーテン」「サーチライト」「キュー植物園」「徴」が、特におもしろかった。

次々と思い浮かぶ連想を書き連ねる手法に特徴があって、どこまでが現実でどこからが幻想かわからない味わいがある。

フェミニズム的な観点がはっきりと記されている点も見逃せない。

現実のその種のさまざまなものや標準的なものにいま取って代わっているのははたして何だろうか? それはたぶん男性だ。もしあなたが女性だとしたら。男性の視点、それがわたしたちの生活を統治している。それが標準を決めている。(「壁の染み」)

巻末に編訳者による解説「ヴァージニア・ウルフについて」(45ページ分)があり、ウルフの生涯や作品の特徴を丁寧に記している。

2022年2月5日、亜紀書房、1800円。

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2024年08月20日

一ノ瀬俊也『東條英機』


副題は「「独裁者」を演じた男」。

旧日本軍関連の本は多く出ているが思想的に偏っているものもあるので、まずは信頼できる書き手のものを選ぶ必要がある。本書の著者も私にとってその一人だ。

太平洋戦争開戦時の首相であり戦後A級戦犯として処刑される東條英機の生涯について、数々の資料をもとに客観的に描いている。頑迷な精神主義者のように言われることも多い東條だが、実際には総力戦体制作りを含め相当に物量を重視していた。

昭和初年の日本陸軍の課題は、工業生産力や技術力に劣る日本が、欧米の総力戦体制にどう追いつくかにあった。東條は、中堅軍事官僚としてその実務を担っていたのである。
この対立はいわゆる統制派と皇道派の対立と呼ばれる。両派の違いは、精神主義的で対ソ戦志向の皇道派と、部内の統制を重視して対ソ戦より総力戦体制整備を進めようとする統制派、というように説明される。
東條の「思想戦」や「経済戦」そして「国民の給養」に気を遣う態度は、彼の個人的なものというよりは、第一次世界大戦後の陸軍が組織として主に敗戦国の独国より得た教訓≠ノ根ざしたものとみた方がよい。
航空戦の「総帥」たらんとして結果的に失敗し、敵の空襲で国を焦土と化させた東條を批判するのは簡単だが、彼のやり方を戦時下の国民がどうみていたのか、という観点もあってよいはずである。

空襲による惨禍について、東條はかなり早い段階から十分な認識をしていた。1933(昭和8)年の講演会「都市の防空」の中で、

都市に対する空襲の効果を具体的に知るには、かの関東大震災当時を想起するのが最も早道である。
震災は一個の自然力であったが、今日では、簡単な人力をもって、この程度の惨害なら一瞬にして実現し得る。

と述べている。

何とも皮肉な話だが、いわばこの予言通りの結末に向かってその後の歴史は進んで行ったのであった。

2020年7月20日第1刷、2020年12月5日第5刷。
文春新書、1200円。

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