盲者が身に付けられる職業は自然決まっていた。男性は鍼灸や按摩、そして三味線引きや琵琶法師のような芸能者や宗教者、女性はイタコのような民間の巫業や流れの芸能者である瞽女(ごぜ)などであり、そういった意味において、イタコとは貧しい社会の中で体にハンデを負った者が食べていくことができる救済措置であったのだ。
長崎方面ではこのように、陸路よりも海上の船便に頼っていたことを感じさせる地形や街がいまだとても多い。ア津も、建物が通りの方ではなく、海に向かって玄関が建っているものもいくつかある。そういうところには、海に向かって降りる石の階段と短い石柱が埋め込まれていて、ここに船を繋いで海から出入りしていた跡が今でもみられる。
明治政府の主導で、神仏の混淆した存在ははっきり区別させられ、仏教的性格や出自の神格は記紀神話等に由来する神として改められた。なかでも牛頭天王は権現と並び、明治政府通達文の中で名指しで否定される存在となり、祇園社や天王社は八坂神社、津島神社、八王子神社などの名前に改称されることとなった。
戦後、洞川で温泉を掘ったのは、観光客を呼び込むためだった。それまでと比べ、洞川を訪れる行者たちの数は目に見えて減っており、洞川の集落存続には人が必要だったのである。
京都に住んでいるので祇園祭が八坂神社の祭であることはもちろん知っていたけれど、八坂神社がもともとは牛頭天王を祀る祇園社であったことは知らなかった。
まだまだ国内に行ったことのない土地も多いし、知らないこともたくさんあるとあらためて思う。
2025年11月5日、笠間書院、3000円。







































