2026年02月16日

『日本遠国紀行』のつづき

他にも引いておきたい箇所がたくさんある。

盲者が身に付けられる職業は自然決まっていた。男性は鍼灸や按摩、そして三味線引きや琵琶法師のような芸能者や宗教者、女性はイタコのような民間の巫業や流れの芸能者である瞽女(ごぜ)などであり、そういった意味において、イタコとは貧しい社会の中で体にハンデを負った者が食べていくことができる救済措置であったのだ。
長崎方面ではこのように、陸路よりも海上の船便に頼っていたことを感じさせる地形や街がいまだとても多い。ア津も、建物が通りの方ではなく、海に向かって玄関が建っているものもいくつかある。そういうところには、海に向かって降りる石の階段と短い石柱が埋め込まれていて、ここに船を繋いで海から出入りしていた跡が今でもみられる。
明治政府の主導で、神仏の混淆した存在ははっきり区別させられ、仏教的性格や出自の神格は記紀神話等に由来する神として改められた。なかでも牛頭天王は権現と並び、明治政府通達文の中で名指しで否定される存在となり、祇園社や天王社は八坂神社、津島神社、八王子神社などの名前に改称されることとなった。
戦後、洞川で温泉を掘ったのは、観光客を呼び込むためだった。それまでと比べ、洞川を訪れる行者たちの数は目に見えて減っており、洞川の集落存続には人が必要だったのである。

京都に住んでいるので祇園祭が八坂神社の祭であることはもちろん知っていたけれど、八坂神社がもともとは牛頭天王を祀る祇園社であったことは知らなかった。

まだまだ国内に行ったことのない土地も多いし、知らないこともたくさんあるとあらためて思う。

2025年11月5日、笠間書院、3000円。

posted by 松村正直 at 22:11| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年02月15日

道民の人『日本遠国紀行』


副題は「消えゆくものを探す旅」。

日本全国をめぐって各地に残る風習や伝承、廃墟などをSNSなどで発信している著者(@North_ern2)の旅の記録。

「北の斜陽(北海道)」「異形の神々が佇む村(秋田)」「死者の婚姻(山形・青森)」「最後のイタコに会いに行く(青森)」「隠れキリシタンを訪ねて(長崎・熊本)」「祇園坊主の里(愛知)」「紀伊山地と十津川村(奈良)」の7つの章がある。

いずれも、現在では失われかけているものばかりで、「今あるものをできる限り記録に残す」(序にかえて)という著者の姿勢がよく表れている。それは使命感に近いものかもしれない。

幸い日本列島には九州・北海道を中心に豊富な炭田が存在し、石炭産業は日本の近代化に大きな役割を果たした。日本が世界でも類を見ない短期間で近代化を遂げられたのは、一説にはエネルギー資源である石炭を国内で自給できたからという話もある。
この花は西洋から輸入されたもので、他の草より種が拡散しにくい。ゆえに、これが咲いている地域は、かつて誰かが入植し、やがて無人化して花だけが残ったことを物語っている。この性質からルピナスは「離農花」とも呼ばれている。
現代ではその制作に用いる藁を用意すること自体が大変になった。昔は稲を刈ったあと、稲穂を束ねて稲架掛けを行い乾燥・脱穀していた。これならば自然と藁が手に入るが、現代の稲刈りはほとんどコンバインで行われる。コンバインは刈り取ったその場で籾を脱穀して機械乾燥する仕組みで、切り離された藁は特に設定を変えない限りはそのまま切り刻まれて田んぼへ戻される。
江戸の世に飢饉が頻発したのは天候不順と災害のみならず、経済と政治により食糧であるはずの米が「金」として扱われてしまったことによる、半分は人災のような一面もあったのだ。
イタコという存在の発生した時代や由来はあまりよくわかっていない。かつての日本では公的な神子(みこ)と民間の市子(いちこ)がいたとされるが、その「イチコ」が「イタコ」へ訛ったのだろうとされる。

とても面白い本だと思う。

単に旅をした場所を描いただけの記録ではなく、旅をしながら著者の感じたこと・考えたことが丁寧に記述されている。そこには歴史や風土、文化、民俗学といった内容が多く含まれていて奥が深い。

2025年11月5日、笠間書院、3000円。

posted by 松村正直 at 11:16| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年02月13日

森元斎『アナキズム入門』


「歌壇」2月号に「評論・詩・短歌から読み解く啄木晩年の思想 ― クロポトキンの言葉の出典をめぐって」という評論を書いた。となると、やはりクロポトキンやアナキズムについてもっと知っておかなければ、というわけでこの本を手に取った。

全体にやや軽いノリの書き方の本だが、プルードン(1809‐1865)、バクーニン(1814‐1876)、クロポトキン(1842‐1921)、ルクリュ(1830‐1905)、マフノ(1889‐1934)の5人を取り上げてわかりやすく紹介している。

ロシアの貴族将校たちは、少なくともインテリであった。フランス語もドイツ語も自由に話せた。だから、ヨーロッパ中央部の人々の自由を、そこにいる市民たちとの会話で直接知り、あるいは活字で知識を得ていった。
日本に社会主義・共産主義の考えが導入される頃には、(…)国家レベルの革命思想と無政府的なそれとの差異が明確になっていた。その頃のヨーロッパでのアナキスト代表格がクロポトキンだったのだ。だから、日本のアナキストたちは、よってたかってクロポトキンを夢中で読んだ。
ネストル・マフノは一八八九年ウクライナのグリャイポーレという農村で生まれた。ちなみに、日本のアナキスト大杉栄はマフノが好きすぎて、長男にネストルという名前をつけている。

(引用されているバクーニンの文章)
どれほどその人物が「美徳をそなえた天才」であっても、たったひとりの人間に、またどれほど賢明で思慮深くとも、少数の人間に、大衆を支配する権力を預けるようなことがあってはけっしてならないのだ。けだしあらゆる権力は、権力そのものに固有の法則によって、必然的にその濫用をもたらすのであり、またたとえ普通選挙によって任命された政府であったとしても、あらゆる政府は不可避的に専制政治に傾くものだからである。

何だか最近の政治状況を言い当てているようでもある。

2017年3月10日第1刷、2022年11月20日第2刷。
ちくま新書、880円。

posted by 松村正直 at 20:30| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年02月07日

門田隆将『狼の牙を折れ』


副題は「史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部」。

1974年8月30日の三菱重工爆破事件(死者8名)をはじめ12件の連続企業爆破を起こした東日本反日武装戦線の犯人を追った公安捜査官の姿を描いたノンフィクション。

1975年5月19日の大道寺将司ら主要メンバー7名の一斉逮捕(斎藤和は自殺)までの捜査の状況が細かく記されているほか、その後の超法規的措置による釈放(佐々木則夫、大道寺あや子、浴田由紀子)や現在の状況についても言及がある。

「尾行」という言葉は、刑事部独特の言葉である。公安部では、尾行とは呼ばない。「行確(こうかく)」だ。これは、「行動確認」を略したもので、公安部の前身である思想警察の特高(特別高等警察)時代からの名残りである。
基調とは、捜査官が最初におこなう「基礎調査」のことだ。まだ犯人の目星がどうこうする段階ではない「基礎的な調査」のである。まずは、住民登録どおりに、そこに目的の人物が居住しているかどうか。それを確かめるのも基調のひとつだ。

この本を読むと公安部は1974年末には東アジア反日武装戦争と思想的に近い旧東京行動戦線の筋から佐々木則夫と斎藤和をマークして、その後、基調や行確を通じて他のメンバーを突き止めていったことがわかる。

メンバーの住むアパートの近くに捜査官が部屋を借りて行動確認をするだけでなく、部屋から出たごみ袋のチェックも行っている。こうしてメンバーは24時間監視のもとで泳がされ、組織の全貌が明らかになった段階で一斉逮捕となったのであった。

東アジア反日武装戦線も尾行対策や証拠隠滅などを念入りに行なっていたのだが、公安部の執念と組織力がそれを上回っていたと言っていいだろう。

2024年8月11日、小学館文庫、860円。

posted by 松村正直 at 13:47| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年02月01日

『日本ご当地パン大全』


先日、シェア型書店「HONBAKO 京都宇治」で購入。

長野県の「牛乳パン」、高知県の「ぼうしパン」、福島県の「クリームボックス」、石川県の「ホワイトサンド」など、全国各地のご当地パンのほか、地域に根差した老舗のパン屋や変わり種のパンなどを紹介した本。

カラー写真が豊富で眺めてるだけでも楽しい。

滋賀県の「つるやパン」の名物「サラダパン」はたくあんが入っていることで知られているが、もともとは違ったらしい。

当初はマヨネーズであえた具材はキャベツだったが、試行錯誤の末に食感もよく日持ちもするたくあんに。つるやパンの創業者の奥さんが考案。

なるほど。だから「たくあんパン」ではなく「サラダパン」なのか。

1954(昭和29)年に「学校給食法」が成立し、日本全国の小中学校で給食を実施する体制がようやく法的に整うことになる。この時、主食と定められたのが、パンだった。
日本の3大菓子パンといえば、あんパン、ジャムパン、クリームパン。あんパンは銀座木村屋、ジャムパンは木村屋総本店が発明した。クリームパンの元祖はこちら、新宿中村屋だ。

アンパンマン、ジャムおじさん、クリームパンダ、カレーパンマン、メロンパンナちゃん、しょくぱんまん、ロールパンナ……の顔が次々と思い浮かぶ。

2022年7月10日、辰巳出版、1500円。

posted by 松村正直 at 09:36| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月27日

『文化防衛論』のつづき

『文化防衛論』に収められている文章や発言は1967年から70年にかけてのもの。三島は1970年11月25日に45歳で自決をするので、その予兆のような話も多く出てくる。

日本刀持ち出せば、相手も死ぬときだし、自分も死ななきゃ日本刀じゃないんだよ。日本刀持ち出したら殺傷するんだよ。殺傷して、場合によっちゃ自分も死ぬんだよ。ぼくはそういう武器しか信じない。
美しく死ぬということはつまり私の年齢ではもう遅いのかもしれないけれども、西郷隆盛は私は美しく死んだと思っている。あれは四十九歳なんです。まだ私はあと六年か七年あるので、まだ望みを未練がましく持っているわけです。
自分のうちにあるテレビとかステレオとか女房子供とか、あるいは壁に掛けてある誰某さんの絵とか、電気洗濯機とか冷蔵庫とかそういうものを守るためにお前死ねといっても、なかなか人間は死なない。やはり死ぬべきものというものは、その護るものにもっと自分より超越的な価値がなければ護るという気持が出てこない。

三島由紀夫と学生との討論としては1969年5月13日に行われた東大全共闘とのものが有名だ。
https://matsutanka.seesaa.net/article/474422839.html

でも、この本に収められている一橋大学(1968年6月16日)、早稲田大学(同10月3日)、茨城大学(同11月16日)のティーチインもそれぞれおもしろい。

posted by 松村正直 at 23:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月26日

三島由紀夫『文化防衛論』


1969年に新潮社より刊行された単行本に「果たし得てない約束」(1970年)を追加して文庫化したもの。

1967年から69年にかけて発表した論文4篇と、いいだももとの対談「政治行為の象徴性について」、一橋大学、早稲田大学、茨城大学で行われたティーチイン「国家革新の原理」が収められている。

三島が繰り返し述べているのは、戦後民主主義体制の日本社会の欺瞞と、共産主義が行政権を持つと言論の自由が奪われること、文化にとって欠かせない言論の自由を守るために天皇を日本文化の象徴として護るということだ。

そうした考えには別に同意しないが、60年近く経った今読んでも示唆に富む話が多い。

われわれは新宿動乱で、モッブ化がどのような働きをするかつぶさに見た。あのモッブ化は日本の何ものかを象徴している。あのモッブ化こそは、日本の、自分の生活を大切にしながら刺戟を期待し、変化を期待する民衆の何ものかを象徴している。
私は、明治以来のいわゆる純文学に、剣道の場面が一つもあらわれないことを奇異に感じる、いかに多くの蒼ざめた不健全な肉体の登場人物が、あたかも餓鬼草紙のように、近代文学に跋扈していることだろう。
政治上のアナーキズムとは、エロティシズム上のルストモルトと相接近した観念であって、地上に実現されずサドの牢獄の中における幻想裡でしか実現されぬ理想的観念なのである。
私は民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛清はつきものだと思っております。共産主義の粛清のほうが数が多いだけ、始末が悪い。

1968年に起きたキング牧師やロバート・ケネディ上院議員暗殺事件を受けての話だが、近年でも安倍元首相銃撃事件やトランプ暗殺未遂事件などが起きていることを思い出す。

これはチェコというものが社会主義に対して甘い夢をつなぎ、一方では国際間の力と力による均衡というものの計算をしそこなったところからきたんだと思います。これはチェコが冷戦及び平和共存の時代を生きて、平和共存の論理というものを信じ過ぎて、計算し過ぎて、足を出し過ぎ、そこで失敗した。

1968年の「プラハの春」と「チェコ事件」についての話。2022年から続くロシアによるウクライナ侵攻を考えるとき、こうした冷徹な観点も必要なのかもしれない。

2006年11月10日第1刷、2019年10月5日第8刷。
ちくま文庫、780円。

posted by 松村正直 at 10:16| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月22日

森崎和江『海路残照』

著者 : 森崎和江
インスクリプト
発売日 : 2025-11-11

昨年読んだ『能登早春紀行』が素晴らしかったので、それに先行するこの本を読んだ。
https://matsutanka.seesaa.net/article/519046029.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/519187171.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/519214023.html

元は1981年に朝日新聞社から出た本。渡邊英理が解説「女たちの海へ、いのちの海へ」を書いている。

不老長寿の海女の伝承を追って、作者は地元に近い玄界灘の庄の浦、鐘崎から、若狭の小浜、能登の輪島、福浦、津軽の十三、さらに北海道の松前へと思索の旅を続けていく。

わたしはかつて浦々で正月になれば箸と椀とを海に流す風習があったのを思い出した。それは寄り物祈願なのだという。波が運んでくる海草や破船や他国の品々などの海辺の幸を祈るのである。
小浜はかつての城下町である。というより、大和朝廷のころから奈良その他の都の外港としてひらけ、やがて京の港の表玄関として近世初期まで繁栄した港町だった。
かつて海運が主要な物資の輸送手段だったころ、日本海の船乗りたちの大切な中継地だった輪島は、いまはどの地方とも接していない奥能登の中心町である。
もし、わたしが子を産んでいなかったなら、こんな形で日本海の海辺をさまよったかどうかわからない。まるで民族の深層心理をたずねたがるような、あてもない旅などしなかったかもしれぬ。
津軽を中心に青森県、秋田県の北部、北海道南部には、いたことは別にごみそと呼ばれる祈祷師がいるのだった。いたこが主として死者の霊とかかわりを持つのに対して、ごみそは神仏に祈って占う。

神功皇后、八百比丘尼、安東水軍、宗像信仰、北前船、東日流外三郡誌……。海と出産と命と交流の物語が、日本海沿岸の各地に豊かに根付いている。

2025年11月10日、インスクリプト、2200円。

posted by 松村正直 at 10:04| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月15日

長谷川櫂『古池に蛙は飛び込んだか』


「俳句研究」2004年1月号から12月号に連載された「古池の彼方へ」をまとめたもの。

芭蕉の代表作「古池や蛙飛こむ水のおと」の解釈から始まって、蕉風開眼とは何だったのか、そして俳句の本質とは何かといった問題に迫った評論集。

まず芭蕉が詠んだ「蛙飛こむ水のおと」は当時はこれだけでも驚くべき表現だった。というのは和歌や連歌はいうまでもなく、貞門、談林の俳諧においても蛙は鳴声を詠むものと決まっていたからである。
宮廷の歌人たちはたいてい都の外へ出たがらない人々だったから歌枕など見たこともなかったが、それは何のさしつかえにもならなかった。それどころか、想像力を働かせるにはその方がかえって好都合だった。
「蛙飛こむ水のおと」は現実の音である。これに芭蕉が取り合わせた「古池」は心の中に浮かんだ景色だった。蕉風開眼とは現実の世界に心の世界を取り合わせたことだったのである。
早くからあった江戸、伊賀、尾張の門弟たちの間では芭蕉の新風、いわゆる蕉風をめぐって意見が分かれ、のちに袂を分かつ人も出たのに対して、近江と京の門弟はみな初めから蕉風を浴びて育った蕉風の申し子たちだった。

論理展開が実に鮮やかで、発想も文章も圧倒的に冴え渡っている。

まさに名著。

2005年6月10日、花神社、2000円。

posted by 松村正直 at 09:53| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月12日

中村富士美『「おかえり」と言える、その日まで』


副題は「山岳遭難捜索の現場から」。

民間の山岳遭難捜索チームLiSSの代表を務める著者が、実際の遭難捜索(遺体発見や回収まで)の現場について記した本。6つの実例を挙げて、山で何が起きたのか、登山ルートのどこで遭難したのか、どんな理由で遭難したのかに迫っていく。

遭難者の捜索だけでなく、残された家族の心理的なケアなど、プロの仕事の様子を垣間見ることができる。

2026年1月1日、新潮文庫、520円。

posted by 松村正直 at 16:46| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月07日

長沼毅『辺境生物はすごい!』


副題は「人生で大切なことは、すべて彼らから教わった」。

南極や北極、深海、砂漠などの生物を研究する「辺境生物学者」である著者が、自らの研究人生や珍しい生物の生態、そして生物から学んだ生き方について記した本。

「優勝劣敗」という言葉もあるように、生物の進化は「勝ち負け」で考えられやすいところがあります。しかし、「勝つ」ことと「滅びない」ことは、必ずしも同じではないのでしょう。
南極大陸というと気温がとても低いイメージが強いでしょう。しかし南極はただ寒いだけでなく、「乾燥した大陸」でもあります。
そもそも卵子と精子のサイズがこれほど違うことから考えても、自然界におけるメスとオスの関係は決して対等なものではありません。基本的には、自然界においては「卵子中心社会=メス社会」なのだと考えていいでしょう。

全体に人生訓的な話が多く、それはそれで面白いのだけれど、もっと生物自体の話を書いてもらいたかったかなとも思う。

2015年7月30日、幻冬舎新書、780円。

posted by 松村正直 at 23:53| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年12月28日

栗原康監修『日本のテロ』


副題は「爆弾の時代60s-70s」。

啄木の詩「はてしなき議論」や「ココアのひと匙」などを読んでいると、言葉と行為の関係について考えざるを得ない。

その流れで手に取った本。やはりここに戻ってくるのかという感じ。

連合赤軍、日本赤軍、東アジア反日武装戦線の行った数々のテロが生まれた背景や思想について論じている。

また、革命家列伝として「谷川雁」「田中美津」「重信房子」「足立正生」「太田竜」「竹中労」などを紹介するコラムもある。

巻末には「この時代を知るためのブックガイド」として53冊の本が取り上げられている。

その中に中上健次のエッセイ集『鳥のように獣のように』(1976年)という本があって驚く。河野裕子『森のやうに獣のやうに』(1972年)とは関係ないのだろうけれど。

2017年8月30日、河出書房新社、1000円。

posted by 松村正直 at 08:14| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年12月21日

植松三十里『イザベラ・バードと侍ボーイ』


1878(明治11)年に東京から北海道まで旅をして『日本奥地紀行』を著したイザベラ・バードと通訳兼ガイドの伊藤鶴吉をモデルにした歴史小説。

46歳の英国人女性と20歳の日本人青年のやり取りが楽しい。

それでも日本の貧しさを、西洋人に知られるのは嫌だった。鶴吉には日本人としての矜持がある。こんな貧しい村が日本にあるとは、自分も知らなかったし、知りたくもなかった。
クックの来島から三十年ほど後に、諸島の統一王朝であるハワイ王国が誕生した。(…)そのためにイギリスとアメリカの両国が、諸島の領有を目論んでおり、ハワイ王朝の政権は、ふたつの国の間で揺らいでいた。

明治維新をはじめとする近代の日本の歴史は、欧米列強による植民地獲得が進んだ国際情勢と密接に関わっている。

すると突然、視野が開けた。森の中に、樹木も雑草も、きれいに刈り込まれた広場があり、巨大な石碑がそびえていた。柳川熊吉は石碑の台座に手を触れて、刻まれた文字を見上げた。「俺は無学だから読めねえが、碧血碑って書いてあるそうだ。(…)」

函館山にある碧血碑も登場する。この碑は戊辰戦争で亡くなった旧幕府軍の死者を供養するために建立されたもの。

函館に住んだ啄木にも碧血碑に関わる歌がある。

函館の臥牛(ぐわぎう)の山の半腹(はんぷく)の
碑の漢詩(からうた)も
なかば忘れぬ
/石川啄木『一握の砂』

これは、碧血碑のそばに立つ宮本小一(1836‐1916)の碑を詠んだものだ。碑の全文は以下の通り。

戦骨全収海勢移 紛華誰復記當時
鯨風鰐雨函山夕 宿草茫々碧血碑
 明治三十四年八月来展題之 東京鴨北老人宮本小一

2024年2月25日、集英社文庫、780円。

posted by 松村正直 at 22:01| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年12月15日

小松和彦『聖地と日本人』


2006年に光文社から出た『誰も知らなかった京都聖地案内 京都人が能楽にこめた秘密とは』を改題、文庫化したもの。雑誌「観世」に2年間連載した文章が元になっている。

能に登場する日本各地の聖地・異界を取り上げて、その土地に関する伝承や物語などを能の演目と絡めて記している。

取り上げられているのは、「愛宕山」「貴船」「竹生島」「日高川」「富士山」「白峯」「安達ヶ原」など。訪れたことのある場所も多く、興味深く読んだ。

観音の霊場は、瀧や清水が湧く岩場や洞窟を抱え持っているところが多く、これは、豊穣を司る古来の水神=地母神の聖地に、新来の女神とみなされた仏教系の観音が進出し、その役割を引き継いだ結果である
中世の職能・芸能者たちは、木地師たちがその始祖を文徳天皇の第一皇子、惟喬親王に求めたように、自分たちの先祖を貴種に求めることでその職能・芸能を権威づけるとともに、権益を守ろうとした。蟬丸=延喜帝第四皇子説も、そうした動きのなかで生み出されたものであった。
熊野三山の信仰の基層には何があるのか。まず考えなければならないのは、伊勢神宮のある伊勢地方や支配者たちの住む大和・山城地方から見ると、熊野地方全体が「死の国」というイメージをもって理解されていたらしいことである。
日本の多くの霊山は遠くから山を拝してそこから霊性を感じ取る「遥拝」型の信仰を基礎にしながら、山に分け入り登ることで聖性を得る「登拝」型の信仰、つまり修験道系の信仰が加わることで、その内容を豊かなものにしてきた。

能を観に行きたくなってきたな。

2021年3月25日初版、2025年3月5日3版。
角川ソフィア文庫、880円。

posted by 松村正直 at 23:38| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年12月12日

山口仲美『男が「よよよよよよ」と泣いていた』


副題は「日本語は感情オノマトペが面白い」。

『犬は「びよ」と鳴いていた』『ちんちん千鳥のなく声は』などオノマトペ研究で知られる著者の新刊。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138598.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138907.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/387139010.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/387139011.html

人間(男/女)の泣き声や笑い声がどのようなオノマトペで表されてきたか。数多くの文献を調査して、時代ごと(奈良時代/平安時代/鎌倉時代/室町時代/江戸時代/明治以降)の変遷を丁寧に解き明かしている。

『源氏物語』には、「よよ」「さくりもよよ」という泣き声を写す擬音語が使われていますが、それらは光源氏、薫、匂宮という主人公格の男性たちの泣き声なんです!
男が泣くのはみっともないという現代の認識は、鎌倉・室町時代の認識を継承したものであったことです。江戸時代は、男も女も一緒に大声をあげて泣いていましたし、平安時代など、男性が泣くことこそ価値があると考えていたのです!

この「男が泣くのはみっともない」問題については、私も「啄木ごっこ」の連載の中で「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」を取り上げて書いたことがある。

それにしても、江戸時代以降現代に至るまで、笑い声の代表格である「ハ行音」の笑い声が、なぜ、鎌倉・室町時代には、まったく見られないのか? 結論を先に言えば、「ハ行音」の発音が、現在と違っていたため、腹から出す笑い声をうまく写せなかったためです。
「ホホ」と記された笑い声は、現在と発音が違っているからこそ、平安時代の男性貴族の笑い声になり得たのです。(…)平安貴族たちは、口元に扇をあてて、さらに「フォフォ」と相手に息がかからないように笑う。いかにも貴族らしい笑いです。
和歌は、機知を重んじて詠む風潮がありました。文字数が三十一音と限定されているなかで、最大限の効果を上げるには、こうした掛詞式のオノマトペが打ってつけです。現代短歌でも、写実のみならず、機知をも尊ぶ風潮が生まれれば、掛詞式のオノマトペが再び脚光を浴びるかもしれません。

オノマトペの変遷を調べることで、日本語の発音の変化、さらには時代ごとの社会や文化の移り変わりまで見えてくる。豊富な実例が挙げられていて、研究の面白さの詰まった一冊だと思う。

2025年8月30日、光文社新書、1140円。

posted by 松村正直 at 14:08| Comment(4) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年12月11日

『日本画聖地巡礼2025』図録

展覧会を観てもふだんは図録など買わないのだが、先月行った山種美術館の「特別展 日本画聖地巡礼―速水御舟、東山魁夷から山口晃まで―」はとても良かったので、応援の意味も込めて図録を購入した。
https://matsutanka.seesaa.net/article/518825369.html

京都府京都市北区にある昆陽山地蔵院は浄土宗の寺院。境内の五色八重散椿がとても有名で、「椿寺」とも呼ばれています。(…)現地に赴いて写生した時点で、樹齢は既に約四百年。現在は枯れて同所に二代目の樹木があります。

速水御舟「名樹散椿」のモデルとなった木の話。

木の音をいかに描くか、写生をしながら構図を考えていた時に、ふとここにミミズクを配したらどうだろうかと、ひらめいたのである。(…)写実に立ちながら厳密には写実ではないのである。

「木精」を描いた山口華楊の言葉。

私は魁夷の定宿であった京都ホテル(現在のホテルオークラ京都)を訪ね、同ホテル十七階から、魁夷が描いたと思われる日蓮本宗本山要法寺の周辺を眺めてみました。しかし、当時と変わらない建物はこの寺院くらいで、本作品に描かれた京の町家はその趣を失っていました。

東山魁夷「年暮る」の舞台を訪れた山ア妙子(山種美術館館長)のコラム。

雅邦四天王の一人で、雅邦の娘と結婚したが、ほどなく離縁。台湾などを放浪し、失意のまま三十八年の短い生涯を終えた。

「台湾風景」を描いた西郷孤月(1873‐1912)の解説。
そうなのか。興味を引かれるなあ。

https://yamatane-museum.myshopify.com/collections/%E5%9B%B3%E9%8C%B2-1/products/anihongapilgrimage2025

2025年10月4日、山種美術館、1400円。

posted by 松村正直 at 22:56| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年12月10日

逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』(その2)

印象に残った箇所を引く。

「通常の技術者は失敗を繰り返して熟練に近づく。だが我々の世界に試行錯誤は許されない。お前たちもその目に焼き付けろ。これが狙撃兵の死だ」
国を問わず、歩兵と狙撃兵は相性が悪い。それは職能の差によるものである。(…)もし歩兵に求められる精神性で狙撃兵になれば一日であの世行きであるし、狙撃兵の精神性で歩兵になれば戦いに行くこと自体がままならない。
殺される心配をせず、殺す計画を立てず、命令一下無心に殺戮に明け暮れることもない、困難な「日常」という生き方へ戻る過程で、多くの者が心に失調をきたした。

このような戦争トラウマの問題も、エピローグで触れられている。

戦後ソ連が顕彰したのは、武器を手に戦地で戦った男たちと、その帰りを待ち、銃後を支えた貞淑な女たちだった。(…)生きて帰った女性兵士は敬遠され、特に同じ女性から疎外された。

兵士となった女性たちの戦後の苦悩については、『戦争は女の顔をしていない』でも繰り返し語られていた。本当の戦いはむしろ戦後に始まったのだと言ってもいい。

読み応え十分の本であったが、難点を言えば、後半に入って偶然の出会いが次から次へ起きるのが気になった。これはドラマとしては必要なものだと理解しつつも、実際の戦争にはドラマなどないこともあらためて思わされた。

posted by 松村正直 at 23:01| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年12月09日

逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』(その1)


読書というのは流れが大事だと思っている。この本について言えば、

・大木毅『独ソ戦』
https://matsutanka.seesaa.net/article/482885876.html
・スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』
https://matsutanka.seesaa.net/article/518043925.html

を読んで、ここにたどり着いた。ふだん小説はあまり読まないのだけれど、深い読後感の残る一冊だった。

始まりは「進撃の巨人」や「鬼滅の刃」を思わせるもので、エンターテインメントとしても優れている。そして、もちろん独ソ戦における女性狙撃兵の戦いが克明に描かれる重さもある。

ドイツ兵のことはいついかなるときも「フリッツ」と呼ぶこと。
「イワン(ロシア兵を意味するドイツ側俗語)どもは人間ではないのです」

相手側の兵のことは、それぞれ「フリッツ」「イワン」と呼ぶ。個別の顔や名前を持たない匿名の存在に貶めることで、初めて平気で殺すことができるようになるのだ。

そんなディテールの描写に、ひしひしと怖さを感じる。

2024年12月15日発行、2025年8月15日第10刷。
ハヤカワ文庫、1100円。

posted by 松村正直 at 21:06| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月25日

『能登早春紀行』のつづきのつづき

『能登早春紀行』を読んでいて、今年見た2つのテレビ番組を思い出した。

森崎和江は富来町で明治41年生まれの浜谷シノさんに話を聞いている。当時75歳。「岩のりとりや栗ひろいが好きでじっとしておれん」という方である。

「巌門のとこでとるの、ふだんは。のりとりは怖ろしいとこよ。手で持つとこない岩を上って行くの。波があるわね。あたしは身軽やし。おもしろいわね。藁沓はいて」

ETV特集「間垣の里のしさのばあちゃん」にも、輪島市に住み震災で避難を余儀なくされた「しさのばあちゃん」が岩のり採りをする場面があった。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2025151130SA000/

昔から変わることなく続いてきた海辺の集落の暮らしの姿である。

また、森崎は珠洲市では円覚寺の住職塚本真如と会う。

珠洲の高屋海岸で塚本真如さんが笑う。
「風が強いですよ、ここは。鐘堂に張っているあの厚い幕も破れてしまうのだから」

ETV特集「奥能登に生きる〜2つの過疎の町と震災〜」に、この塚本さんが出ていた。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2024139543SA000/

能登半島地震からの復興のこと、そして、かつて集落を二分した原発建設計画のことが語られていたのが印象に残っている。

能登の外浦に原子力発電所の建設案が出ていると聞いた。土つくりとは関係なさそうにみえる。けれども自然の浄化作用にゆだねることが不可能な廃棄物が出る。

私が30年前に珠洲市を訪れたときも、原発反対の立札を見かけた。その後、塚本さんたちを中心とした粘り強い反対運動の結果、原発計画は2003年に凍結された。

もし、珠洲市に原発が建設されていたら、今回の能登半島地震で多大な被害が出たことだろう。

その一方で、過疎化の進む地域の振興のためにと原発建設に賛成した人々のことも忘れられない。原発の立地騒動が収まった代りに、国の振興策も施されることなく、奥能登の過疎化はさらに進んでいったのであった。

posted by 松村正直 at 22:14| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月23日

『能登早春紀行』のつづき

森崎和江『能登早春紀行』については、まだまだ書きたいことがたくさんある。

この本に収められている能登半島の旅は1983年、渡島半島の旅は1984年のものだ。今から約40年前ということになる。

今年になってこれが文庫として刊行された背景には、フェミニズムの観点から近年、森崎和江が再評価されているのに加えて、2024年の能登半島地震によって大きな被害を受けた能登に対する関心の高まりがある。

私がこの本を手に取ったのは、能登半島(輪島・珠洲)も渡島半島(松前・江差・函館)も旅したことがあるからだ。前者は金沢に住んでいた1994・95年、後者は函館に住んでいた1996・97年のこと。どちらも約30年前である。

この本には、能登半島、渡島半島の地図が載っているが、どちらも2024年現在のもの。これは不親切だと思う。森崎が旅した当時の地図を載せることはできなかったのだろうか。40年の間に変わったものが多くある。

その一つは鉄道だ。

内浦の、入江や小さな駅は、薄陽の中に霧にまかれたようにやわらかに続いていた。列車は短いトンネルに幾度も入り、草群に車体をふれさせつつホームに止まる。車窓から眺める海は民家の屋根越しに、子どもの画のようにかわいい。能登小木、小浦、羽根と駅名も抒情的で、残雪も薄陽も夢の中のようにうっすらとしているのである。

美しい描写だと思う。でも、今はもうここに列車は走っていない。

ここに描かれている「のと鉄道」の穴水〜蛸島(61キロ)は2005年に廃線になった。それ以前に穴水〜輪島(20.4キロ)も2001年に廃線になっている。

私が輪島や珠洲を旅したときは、まだ鉄道があった。蛸島から半島の先端の禄剛埼灯台にも行ったし、輪島から船で舳倉島にも渡った。そんな懐かしい路線も今はもうない。

私も津軽半島を知らずにいたなら、連絡船に乗ることも、江差・松前行のディーゼルカーにゆられることもなかったろう。ディーゼルカーは途中の木古内で、江差行と松前行に別れた。私は松前へむかう。二輛つながってことことと海辺を行く。

木古内〜松前(50.8キロ)を結んでいた松前線は1988年に廃線になったので、私は乗っていない。一方の木古内〜江差(42.1キロ)の江差線が廃線になったのは2014年なので、私は列車に乗って江差に行った。江差は見どころの多い素敵な町だった。

『能登早春紀行』の中に珠洲市の人口は32000人、輪島は33000人とある。2025年現在ではそれが9800人と18700人まで減っている。

震災が起きるはるか以前から過疎化は進み、鉄道は廃止され、人々の暮らしは損なわれ続けてきた。そのことを、この本はあらためて教えてくれる。

posted by 松村正直 at 21:54| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月20日

森崎和江『能登早春紀行』


『能登早春紀行』(1983年)と『津軽海峡を越えて』(1984年)の2冊を収めた文庫オリジナル版。

作者の住む福岡から能登半島へ渡った海女の歴史をたどりつつ、さらに北前船の往き来のあった北海道の渡島半島へと旅を続けていく。

その土地その土地に暮らす人に会って話を聞き、集落を丹念に歩き回って思考をめぐらす。民俗学・歴史学・社会学の調査をするかのような旅の記録である。

その航海の折の風待ち港は、酒田から江戸までの間に十カ所ほど定められ、航路の安全をはかるために幕府の保護が加えられていた。日本海側には、佐渡の小木、能登の福浦、但馬の柴山、石見の温泉津、長門の下関がある。
珠洲は人口三万二千人。人口比率からいえば農業が主体の市とのこと。輪島市も人口三万三千人ほどで、輪島も珠洲もその人口が市街地に集中するばかりでなく、海辺から山間に散って集落を営んでいる。
真宗講は日々の暮らしの中で育ちそれを支えて来た。北陸を中心にひろく浸透していることについて、その歴史的由来もさることながら、信徒がどのような生活の中でどのような姿勢でそれを日常化しているのかということのほうが私の関心をさそう。
松前にやってくると、実にしばしば日本海側の町や村の名が出てくる。それが私にあらためて海路の長い歴史を感じさせる。日本のどこの町でも多くの移住者がいて、さまざまな寄り合いをみせているのだが、ここは日本海航路の関係者に集中しているので印象が深い。
私たちが赤レンガの建造物に魅せられるのは、それが一枚一枚人の手で積み重ねられているせいだ。その重なりが、一日一日を踏み渡る人生そっくりに見えてしまうからだろう。

森崎和江、とてもいいな。

これまで読んでこなかったのが申し訳ない感じ。他の著作もどんどん読んでいきたい。

2025年1月25日、中公文庫、960円。

posted by 松村正直 at 20:08| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月08日

毎日新聞校閲センター『校閲至極』


2018年に始まった「サンデー毎日」の連載コラム「校閲至極」を書籍化したもの。校閲の現場で体験したこと、感じたことなど74篇が収められている。

「吹奏学部」はワープロが普及する前、手書き原稿の時代から指摘され続けてきた息の長い誤りで、2020年も大量発生し根絶されることはありませんでした。
「ばえる」は2022年1月に発行された『三省堂国語辞典』の第8版で見出し語に追加されるなど、大出世を遂げた。江戸時代の国学者・本居宣長は「古代日本語には濁点で始まる言葉がほとんどない」という発見をしており、単独で「ばえる」と読むのは不自然だと言う声が根強かった。
一般に固有名詞は東日本では連濁、西日本では連濁回避の傾向があると聞く。兵庫出身の柳田(やまぎた)国男、和歌山出身の南方(みなかた)熊楠という民俗学者2人の例もある。
平成初期まで新聞製作の現場では「?」を「みみ」と当たり前に読んでいました。「詠み合わせ」、つまり手書き原稿と、パンチャーが入力したものの照合のために2人1組で声を出して照合していたとき、記号には特殊な読み方が用いられていました。

校閲というのは地味で大変な仕事だけれど、言葉に関する知識が詰まっていて楽しそうだなと思う。

2023年8月30日、毎日新聞出版、1300円。

posted by 松村正直 at 21:56| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月03日

岩田文昭編『嘉村礒多集』


以前、『文学傑作選 鎌倉遊覧』に収録されている嘉村礒多の「滑川畔にて」が強く印象に残った。
https://matsutanka.seesaa.net/article/514911985.html

他にも嘉村の作品を読んでみたいと思って買ったのが本書。小説8篇、随筆6篇、書簡6通が収められ、「私小説の極北」と称される作家の世界がたっぷりと味わえる。

作品の内容とは別に、大正から昭和にかけての暮らしの様子が窺える描写が随所にあった。

天気の良い日には崖上から眠りを誘うような物売りの声が長閑に聞えて来た。「草花や、草花や」が、「ナスの苗、キウリの苗、ヒメユリの苗」という声に変ったかと思うと瞬く間に「ドジョウはよござい、ドジョウ」に代り、やがて初夏の新緑をこめた輝かしい爽やかな空気の波が漂うて来て、金魚売りの声がそちこちの路地から聞えて来た。

季節ごとにさまざまな振売りの声が行き交っていたことがわかる。今では竿竹売りと石焼芋くらいになってしまったけれど。

きょう立秋なのに秋立たばこそ、朝来一トむらの草を揺がす風もなく、午前六時の気温は例年の平均七十三度を凌ぐこと四度、七十七度を示し、午前十時半遂に今年最高の九十五度余九十六度近きを示し

気温が摂氏ではなく華氏で表されている。今では国内で華氏を見かけることはほとんどないが、戦前はけっこう用いられていたようだ。華氏77度は摂氏25度、華氏96度は摂氏35度くらい。今に比べればまだマシかも。

キューピー射的というのは、ユキが銀座の百貨店で買って帰った子供への土産だった。初めはチャンチャン坊主とばかし思っていたが、よく見るとメリケンで、それ等七人のキューピー兵隊を鉄砲で撃って、命中して倒れた兵隊の背中に書いてある西洋数字を加えて、勝ち負けを争うように出来ていた。

ネットで調べたところ、下記のような商品であったようだ。
https://utuszd.hojago.ru.com/index.php?main_page=product_info&products_id=35152

「チャンチャン坊主」と「メリケン」という言葉が対比的に使われているのが目に付く。「メリケン」がアメリカン(アメリカ製)を意味することを踏まえると、「チャンチャン坊主」は中国製を侮蔑した言い方と思われる。こんなところにも、昭和初期の日本人の対中感情が滲み出ている。

2024年3月15日、岩波文庫、910円。

posted by 松村正直 at 08:55| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月22日

池内紀『新編 綴方教室』


「ことばが好き」(あとがき)な著者が、多くの例を挙げながら文章の書き方についてエッセイ風に記した本。

「主語」「述語」「受身形」「否定語」「外来語」「最初の一行」「最後の一行」「推量語」「条件文」「因果関係」といった項目を取り上げて、ユーモアを交えつつ楽しく、真面目に解説している。

なぜ日本語では「……を」が必ずしも他動詞につくとかぎらず、けっこう自動詞とともに用いられたりするのだろう。(…)いろいろ理由は考えられるが、もしかするとその一つとして、「である」と「する」との奇怪な混在があずかって余りあるのではあるまいか。
私たちは、きわめて効果的な受身の使用法を心得ているといわなくてはならないだろう。この点なるほど「相手に投げられたときケガをしないように倒れる術」を基本とするスポーツの柔道を発明した国民である。
食べもの、飲みもの、愛情を問わず、すぎたるは悪しき結果をもたらすようだ。文章も同様である。形容詞を重ねると加算式に印象が高まると思いがちだが、むしろ引き算に転化して、せっかくの効用が消え失せる。
「だろう」にはそれ自体の過去形がなく、また否定形もない。ということは、ひとたび「だろう」「かもしれない」の推量の沼にはまりこむと、これを打ち消すすべがない。過去として断ちきる切れ目がない。

ことば(日本語)をめぐる話の中から、日本文化や人生に関する数々の有益な示唆も受け取ることができるのだった。

1993年9月14日、平凡社ライブラリー、951円。

posted by 松村正直 at 23:41| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月19日

木村聡『不謹慎な旅』


副題は「負の記憶を巡る「ダークツーリズム」」。

「週刊金曜日」2019年6月〜2021年10月の連載記事を再構成して書籍化したもの。全国各地の戦跡や被災地、公害・差別などの現場を訪ねたルポルタージュ。

「旧大槌町役場と東北の震災遺構」「祝島と上関原発建設予定地」「原爆死没者慰霊碑とニ号研究」「川柳家・鶴彬」「南紀白浜と「三段壁」」など計40のルポが収められている。

古河機械金属(旧古河鉱業)は銅生産という本業が停止してもなお、有毒物質の堆積場とそこからの浸透水について安全管理をしなければならず、閉じた坑道から延々としみ出す鉱毒水のためにいまも設置した中才浄水場で無害化処理作業を繰り返している。(旧足尾銅山と松木村跡)
日弁連の調査報告によると、合併町村に共通する衰退の要因に「役場の喪失」が挙げられている。役場機能の縮小、郵便局や学校の統廃合など、行政がスリムになると同時に地域から姿を消していった公務就労者。気づかされたのは、彼らが地場の飲食店や地元業者の最大顧客だったということだ。(大合併と中越地震)
一九四〇年に旧日本陸軍が作った福生飛行場(多摩飛行場)。戦後接収した米軍は敷地を拡張し、現在は福生市全体の三分の一を占め、同市と隣り合う四市一町にまたがる。沖縄を除くと日本最大の米軍基地だ。(福生ベースサイドストリート)
少なからず子や孫が戦争体験を語り継いでいる広島や沖縄と異なり、過去に堕胎や断種が強いられたハンセン病患者には次世代がない。国立ハンセン病療養所(全国一三ヵ所)の入所者は現在約一〇〇〇人。平均年齢は八六歳を超える。(ハンセン病「重監房」と「継承講話」)

負の遺産を観光に用いるダークツーリズムには賛否があるが、「不謹慎≠ニ言って封印する悲劇の中には、だれかの不都合≠竡梠繧フ不条理≠ニいった、隠しておきたい存在がこっそりしのばされていることもあった」(はじめに)というのも確かだろう。

筑豊三都(田川・飯塚・直方)、国立療養所長島愛生園、恐山など、いつか訪れてみたいと思う。

2022年2月28日、弦書房、2000円。

posted by 松村正直 at 13:01| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月16日

高橋源一郎『大人にはわからない日本文学史』


明治から現代にいたる日本文学の「文学史」について考察した一冊。小説・論文・詩・短歌などを引きながら、近代の「文学史」を作り上げてきた枠組みや前提自体を問い直している。

取り上げられている作品は、樋口一葉『にごりえ』『たけくらべ』、綿矢りさ『インストール』『You can keep it.』、赤木智弘『若者を見殺しにする国』、石川啄木「時代閉塞の現状」「ローマ字日記」、穂村弘『短歌の友人』、岡田利規『わたしたちの許された特別な時間の終わり』、川上未映子『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』、前田司郎『グレート生活アドベンチャー』、太宰治『津軽』、中原昌也『凶暴な放浪者』など。

一葉は、周囲で興隆しつつあった言文一致体によるリアリズムの文章に基づく小説というものを、「リアル」ではない、と感じたのではないでしょうか。
自然主義的リアリズムによってなにを表現できるのか――近代文学の黎明期を担うことになった、主として男性作家たちは、自然主義的リアリズムによって、わたしたちの「真実」を、すなわち人間の「内面」の「奥底」を描き出せると考えました。/しかし、ほんらい、「目に見えるもの」を「目に見えるように」描く自然主義的リアリズムで、「目に見えない」「内面」や「真実」を描き出すことなど可能なのでしょうか。
斎藤茂吉のことばが正規軍の使う武器ならば(塚本邦雄のことばが、特殊部隊が用いる、高度な兵器だとするなら)、ニューウェイヴの歌人たちは、いわばことばをゲリラ的な武器として用いたのです。
口語というものはわかりやすく、文章語とうものはわかりにくいという常識とは逆に、実は、わたしたちが喋っている口語というものにはほとんど意味がなく、いわば大半が単なる音であり、ノイズにすぎません。
わたしも、ここまで、この国の近代文学史というものを、明治十年代末に「始まり」、一九九〇年代のどこかで「終わり」を告げようとしているものだといってきたのです。

「文学史」について語りながら、そもそも現代において「文学史」が成り立つのかという問いを投げ掛ける内容となっている。

2009年2月20日、岩波書店、1700円。

posted by 松村正直 at 22:39| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月10日

相澤秀仁・相澤京子『ねこめぐり にっぽん猫紀行』


シェア型書店「HONBAKO 京都宇治」で購入。
全都道府県を訪ねて猫を撮影している夫婦の写真&エッセイ集。

沖縄の慶良間島の猫から始まって北海道の小樽の猫まで、全部で121匹の猫が登場する。何千枚も撮影した中から厳選したのだろう。どれも唯一無二の写真ばかり。

奈良時代から平安時代にかけ、大陸から仏典などが船で運ばれた。大切な仏典をネズミから守るため、猫を乗せていたという。
屋根がくっつく京都特有の家並み、そこは猫たちにとって専用の径になっている。
路上の猫を見て、すぐに野良猫と決めつける人もいるけれど、そんな猫はむしろ少ない。多くの猫が住民とつながりをもち、「みんなの猫」とか「地域猫」として認知されている。

顔見知りの猫には何度も会いに行ったりしているらしい。全国各地になじみの猫がいるのだ。

2024年10月25日、二見書房、1300円。

posted by 松村正直 at 08:38| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月07日

内田樹×釈徹宗『聖地巡礼 ライジング』


聖地巡礼シリーズの1冊。副題は「熊野紀行」。
これでシリーズ4作すべて読んだことになる。

・『聖地巡礼 ビギニング』
https://matsutanka.seesaa.net/article/399764437.html
・『聖地巡礼 リターンズ』
https://matsutanka.seesaa.net/article/445838563.html
・『聖地巡礼 コンティニュード』
https://matsutanka.seesaa.net/article/516566653.html

 日本の宗教性を考える場合、「場」の神道と「語り」の仏教との組み合わせという側面から見ると、なかなか面白いのではないでしょうか。
辻本(雄一) 熊野には牟婁という地域があるんですが、現在は、東牟婁郡と西牟婁郡が和歌山県で、南牟婁郡と北牟婁郡が三重県なんです。もともと熊野はひとつの大きなエリアだったわけですが、明治になって熊野川に県境ができて分離されてしまい、その不便を我々はいまでも被っているんです。
森本(祐司) 地域的には新宮と本宮の関係ってあんまりよくないんです。商業都市として発展してきた新宮の背景には、熊野川沿いの山林が生み出す富があったんです。ですから、本宮の人たちにとっては、搾取というと語弊があるんですけど、新宮に富を吸い取られているという感覚があるように思います。
内田 「一義的なもの」よりも「両義的なもの」のほうが、「義とはなにか」という問いを深めてくれる。だから、「クロスボーダーなもの」というのは、ボーダーを否定するものじゃなくて、「ボーダーとはなにか」、それはどういう基準で設定されていて、そもそも何を生み出すもののためか、という問いを深めてくれるものなんです。

熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)や花の窟神社、神倉神社、補陀落山寺には行ったことがあるので、読んでいて楽しかった。

さすがに熊野は奥深い。

2015年3月13日、東京書籍、1500円。

posted by 松村正直 at 21:15| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月06日

『高濱虚子 並に周囲の作者達』のつづき

他に印象に残ったところを、いくつか引いておこう。

私は中学時代から文学志望であったが、家の医業を継ぐために文科受験を許されず、興味なき医科に入ることとなったので、暇さえあれば文学書を耽読して僅かに自ら慰めていた。

秋櫻子の家は祖父の代からの産婦人科医。
のちに佐佐木幸綱が生まれたときに担当したのも秋櫻子。

ここで思い出すのは高安国世のこと。高安も同じく医者の家系に生まれ高校は理科であったにもかかわらず、大学は文学部に入りドイツ文学者になった。「早春、医科の試験準備中、永年ためらひしてゐた心を遂に決して、生涯を文学に捧げることにし、父母にも嘆願し説得して、文学部に志望した」(『Vorfrühling』巻頭歌の詞書)

昭和三年になって、私の家では震災後仮普請にしたままの病院を、本建築に改める準備にかかった。父はすでに老齢なので、私がすべての責任を負わなければならなかった。(…)私は、はじめから医師の仕事が好きでなく、父の命令でやむなく医科に入ったので、病院経営よりも俳句の方がはるかに面白いのであるが、ここまで来るとそんなことを言って居られなかった。

このあたり、震災で焼失した病院の再建に奔走する斎藤茂吉の苦悩を思い出す。

空穂は当時、歌集「青水沫」の歌を詠んでいた時代で、四十二三歳、気力が充実していた。やさしい人柄でありながら、歌の指導にはきびしく、歌会に於ては必ず参加者の歌を全部批評した。
空穂はよく日常の生活に取材した歌を詠む。それは一見平凡で、誰でも考え得ることなのだが、空穂によって詠まれると、不思議なひびきを以て読者の胸につたわる。これが調べの力なのである。

秋櫻子は2年間、宇都野研主宰の「朝の光」に所属して窪田空穂の指導を受けたことがある。このあたりも、後に「調べ」を唱えるきっかけになったのかもしれない。

この頃、斎藤茂吉の「短歌写生の説」という本が上梓された。私は早速読んで見た。ある日発行所へ行くと、平素読書をあまりしたことのない虚子も読んでいて、次の漫談会にはこれをとりあげて見たい。そうして茂吉とは面識があるから、招聘して共に話し合ったら有益であろうと言った。

写生や写実、主観と客観の問題は俳句と短歌に共通するもの。ジャンルを超えた意見交換はいつの時代においても大事なことだと思う。

posted by 松村正直 at 10:07| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月05日

水原秋櫻子『高濱虚子 並に周囲の作者達』


高濱虚子に師事して「ホトトギスの四S」の一人として活躍した著者が、やがて客観写生や花鳥諷詠の理念に飽き足らず袂を分つまでを記した自伝的回想記。

表題になった高濱虚子のほか、高野素十、松根東洋城、池内たけし、中田みづほ、山口青邨、山口誓子、原石鼎、川端茅舎、赤星水竹居、富安風生、鈴木花蓑、田中王城といった俳人が登場する。

結社の師弟関係や人間関係、主観と客観の問題など、今にも通じる話がたくさん出てきて面白く、また考えさせられる内容だ。

ホトトギスには「客観写生」という標語があった。元来「写生」という語には、作者の心が含まれているわけで、客観写生というのはおかしな言い方なのであるが、大衆には一応わかりやすい語であるに相違ない。
いままでに詠んでいた句が、殆どすべて景色や花鳥の描写ばかりで、自分の感情をわすれ、主観を捨てていた。だから句を読み返すと、景色は眼の前に浮んで来るが、その時の心の躍動は消えてしまっている。こういう俳句ではなく、心がいつまでも脈々とつたわる俳句が詠みたいのだが、ホトトギスではそれを教えない。
虚子は明らかに作者の主観を認めている。それならばその主観をいかにして描写の上に現してゆくかということを、私達はききたいのであった。私達は句の調べの上に主観をのせてゆくことを考えていたが、それを完全に理論的に説明することがむずかしいのである。
結局はホトトギスを去ると決心して、さすがに思われるのは、十年の育成を受けた恩であった。私は初学者にして渋柿を去ったので、ともかくも俳句のことがわかるようになったのはホトトギスに学んだ為である。

仲間との会話や吟行の場面など当時の様子が事細かに記されているが、この本が刊行されたのは1952年、著者60歳の時のこと。「ホトトギス」を脱退したのは1931年、39歳の時なので、20年以上経ってからの回想ということになる。

何か元になる日記などがあったのだろうか。

2019年2月7日、講談社文芸文庫、1800円。

posted by 松村正直 at 23:31| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月25日

小牟田哲彦『日本鉄道廃線史』


副題は「消えた鉄路の跡を行く」。

多くの費用と歳月をかけて建設された鉄道が廃線へと至る経緯について、「戦時における廃線」「国鉄時代の赤字線廃止」「災害による廃線」「平成・令和の経営不振路線」と時代ごとに区分して記している。

現地への探訪記も多く含まれていて、単に歴史的な記録としてではなく、まさに現在の問題として鉄道の廃線を考える姿勢が明確になっている。

高千穂鉄道が先例(?)となったのか、大規模な自然災害によって列車の運行が不可能なほどに施設が損壊したJRのローカル線が、そのまま復旧されることなく廃止される例が、近年ではさほど珍しいことではなくなった。
路線バスの運転手不足は全国的な問題となっており、「赤字の鉄道路線をバスに切り替えれば、地方の公共交通を維持しつつ経費削減にも繋がる」といった発想は、地域によっては机上の空論に近づきつつある。
長距離の大量輸送を得意とする鉄道は、本質的に旅客よりも貨物の輸送量が収支に大きく影響する。北海道新幹線の建設に伴う並行在来線問題がクローズアップされたことで、貨物輸送の盛衰が路線の存廃に大きな影響を及ぼすことが、久々に問題意識として顕在化した。
鉄道を廃棄するという作業は、陸上のインフラを限定的にしか持たないバス路線や航空路線、船舶の撤退に比べて、はるかに大きな社会的影響をもたらす。そして、いったん廃線になって線路を剝がせば、後で事情の変化があっても、再び同じ区間に線路を敷いて列車を走らせることはほぼ不可能である。

鉄道の存廃は民間企業の収支だけで判断されるべきではなく、地域の活性化や移動の自由といった点も含め、国の交通政策全体のなかで考えていくべき課題なのだろう。

2024年6月25日、中公新書、1050円。

posted by 松村正直 at 22:56| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月24日

佐藤卓己『大衆はどう国民化されたのか』


歴史総合パートナーズ18。
副題は「世論メディア史」。

このシリーズを読むのはこれで7冊目だが、どれも良書ばかり。

近代の国民国家が政治参加などの民主主義を通じて大衆を国民化し、輿論(public opinion)が世論(popular sentiments)へと変貌していく過程を経て、やがてファシズムを生み出すまでの流れを解き明かしている。

今日ではほとんどの歴史教科書でナチズムは「国民社会主義」と訳されていますが、第二次世界大戦後は長らく「国家社会主義」と誤訳されてきました。その理由は、戦後日本ではナショナリズムを「悪しき国家主義」と「善なる国民主義」に訳し分ける習慣が成立していたためです。
敵性語の駆逐は第一次世界大戦時の英語圏でまず始まりました。アメリカではドイツ語由来のフランクフルトが「ホット・ドッグ」、ハンバーガーが「リバティ・サンドイッチ」と言い換えられました。
1913年の憲政擁護運動や1918年の米騒動で街頭を埋めた「進歩的」民衆と、1923年の大震災後に朝鮮人を虐殺した「反動的」民衆はまったく異なる人々ではありません。一方を国家権力に抵抗する階級的前衛として、他方を国家権力に騙された被害者として描く民衆史観には大きな問題があります。
女性や労働者階級まで含めて国民を総動員あるいは総参加させるために、交戦各国は社会保障などを通じて個人の家庭生活にまで直接介入し始めます。皮肉にも戦争国家warfare stateから福祉国家welfare stateは生まれました。日本でも総力戦となる日中戦争(1937〜1945年)が始まった翌年、1938年に厚生省が設置されます。
アメリカにおけるマスコミュニケーションは、ナチ・プロパガンダに対抗する自らのプロパガンダを指す言葉でした。つまり、それはプロパガンダの代替語です。

メディアを通じた情報・宣伝によって大衆の国民化が進められ、世論のうねりが形成されていく様子は、もちろん第二次世界大戦時の話だけでなく現代にも通ずるものだ。

先の選挙で「参政党」という政治参加を掲げる政党がSNSなどを巧みに使って大きく躍進したのも、何ら不思議なことではなく、遠くこうした文脈で理解できることなのだろう。

民衆は善、為政者は悪といふあつけなき前提にすがり寄り来ぬ
/小池光『静物』

2025年3月22日、清水書院、1000円。

posted by 松村正直 at 22:57| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月13日

小川格『至高の近代建築』


副題は「明治・大正・昭和 人と建物の物語」。

明治から昭和戦前までの約80年間に建てられた全国32の建築を取り上げて紹介した本。

明治時代が終わって、大正時代になると、「文明」から「文化」へと時代の空気が変わっていった。国家や産業のための建築から市民のための建築へと関心が移っていった。(旧国立駅舎)
仏教に起源はインドにある。たまたま中国を経由して日本に伝来したため、日本の仏教寺院は中国の建築様式になっているが、元をたどればインドの建築様式でもおかしくない。(築地本願寺本堂)

読書はタイミングと流れが大事だと思っている。7月に唐津を訪れて辰野金吾に興味を持ち、門井慶喜『東京、はじまる』を読んだ。東京駅を設計する辰野の姿を描いた小説だ。

そして、今回はこの本。もちろん東京駅も載っている。

肥前唐津藩の下級武士の貧しい家の生まれながら、幸運にも東京に出て、出来たばかりの工部省工学寮に入学。秀才ではなかったが、強い意思と努力によって頭角を現し、最優秀で卒業すると、ロンドンへの三年間の留学と設計事務所での実務経験を経て、日本最初の建築家として帰国、工部大学校の主任教授となった。

もちろん、辰野の師であったジョサイア・コンドルの建築も取り上げられている。(旧岩崎邸、六華苑、清泉女子大学本館)

コンドルは工部大学校造家学科で多くの人材を育て、それまで日本になかった「建築家」という仕事とその生き方を示した。また、教え子の辰野金吾が教授に就任するにあたって三一歳で学校を解雇されても日本に留まり、傾倒していた日本文化を学び続け、次々に著書を著して欧米に紹介した。

そして明日は、いよいよコンドル設計の六華苑(桑名市)で歌会だ。
う〜ん、完璧な流れではないか。

2025年2月20日、新潮新書、880円。

posted by 松村正直 at 21:04| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月10日

門井慶喜『東京、はじまる』


赤煉瓦の東京駅をつくった「日本近代建築の父」辰野金吾(1854‐1919)の生涯を描いた小説。

読書はタイミングと流れが大切だと思っている。7月に唐津に行って旧唐津銀行(辰野金吾記念館)を見てきたこともあり、唐津に生まれ育った辰野のことが気になっていた。

(片山)東熊のこういう早耳は、肥前唐津藩という旧佐幕組、つまり維新の負け組の出身である(辰野)金吾や(曽禰)達蔵には逆立ちしても得られぬものだった。
おそらく日本初の民間の建築事務所であろう辰野建築事務所は、このようにして誕生した。日本に職業としての「建築家」が誕生した、その瞬間ともいえる。
金吾はおなじ日本銀行でも、本店と大阪支店はドイツ式でやったが、その後の名古屋支店、および京都支店はクイーン・アンでやっている。

師のジョサイア・コンドルとの関係や同じ唐津出身で工部大学校造家学科(現在の東京大学工学部建築学科)でも同期(一期生)であった曽禰達蔵との友情、明治から大正への時代の移り変わりなどが鮮やかに描かれている。

辰野は国会議事堂の設計にも意欲を持っていたが、果たすことなく64歳で亡くなる。その死因がスペイン風邪だったことを、この本で初めて知った。

近代建築界の「大ボス」みたいな人。イメージとしては、俳句の高浜虚子、短歌の土屋文明、将棋の大山康晴みたいな感じかな。時代は違うけれど。

「大ボス」がいるというのは、良くも悪くもそのジャンルにとって大事なことだと思う。

2023年4月10日、文春文庫、910円。

posted by 松村正直 at 09:59| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月09日

『戦争は女の顔をしていない』のつづきのつづき

繰り返しになるけれど、この本は「過去のもの」ではない。

本に出てくる地名は、チェリャビンスク(ロシア)、クラスノダール(ロシア)、クールスク(ロシア)、ミンスク(ベラルーシ)、ジトーミル(ウクライナ)、キエフ(ウクライナ)、クリミヤ(ウクライナ、ロシア実効支配中)など、当時のソ連西部の諸都市である。

現在、ウクライナとロシアは戦争中で、ベラルーシはロシアと同盟関係にある。ウクライナとロシアの戦争を考える際にも、独ソ戦の歴史は踏まえておく必要があるだろう。

また、訳者のあとがきには、次のような記載もある。

「アレクシエーヴィチの真実など我々には不用だ。外国で著書を出版し祖国を中傷して金をもらっているのだ」と彼女を外国に身売りをした裏切り者と非難するルカシェンコ大統領が統治するベラルーシでは、ここ十年以上彼女の本は出版されていない。

2001年以降、弾圧を避けて西欧で暮らしていたアレクシエーヴィチは2011年にベラルーシに帰国したものの、2020年に病気の治療のためドイツへ出国し現在も事実上の亡命生活を余儀なくされている。

この本に出てくる人々にとっても、この本を書いた著者にとっても、事態はまだ現在進行形で続いているのである。

〈スヴェト〉は光だ光を捕えろとスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ 光へ
/貝澤駿一『ダニー・ボーイ』(2025)

posted by 松村正直 at 07:58| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月08日

『戦争は女の顔をしていない』のつづき

この本を読んで痛切に感じたのは、これが「遠い国の昔々の話」ではないということだ。

仲間の中に無線通信兵がいて、彼女は最近赤ちゃんを産んだばかりだった。赤ちゃんはおなかを空かせていて、おっぱいをほしがった。(…)赤ちゃんの声が聞こえれば全員が死ぬことになる。三十人全員が。おわかりでしょう?(…)母親は自分で思い当たった。布きれに包んだ赤ちゃんを水の中に沈めて、長いこと押さえていた。
連れて逃げる負傷者、置いて行く負傷者……。自動車が足りない。せかされる。「残したまま、逃げなさい」逃げようとするけれど、負傷者たちがじっと見送っている。その眼はすべてを語っているんです。あきらめ、恨み、悲しみ、「兄弟たち! 頼む! ドイツ軍が来るのに置き去りにしないでくれ。撃ち殺して行ってくれ」と。
(夫は)元捕虜という烙印を押されたの。(…)軍隊の弾丸はたちまち尽きてしまい、戦うのもやっと、自殺に残すどころじゃない。彼は足を負傷して、捕虜になった。(…)「ソ連の将校は降伏しない、わが国で捕虜になった者はいない、生き残った者は裏切り者だ」、同志スターリンはそう言って、捕虜になっていた自分の息子を拒絶したほど。
私たちの指揮官のところに五人のドイツ娘がやって来たの。みんな泣いていたわ……産婦人科が検査して、その子たちはあそこに引き裂いたようなけがをしていた。パンツが血だらけだった……その娘さんたちは一晩中暴行されたの。兵隊たちが行列していた……

こうした証言を読むと、沖縄戦や満州からの引き揚げや日本軍の占領した町で起きた出来事などを思い出す。それらはこれまで旧日本軍の特殊性のように語られることが多かったけれど、実はそうではない。

戦地では赤子は殺され、負傷兵は置き去りにされ、捕虜は存在を否定され、婦女は暴行を受ける。こうしたことは、どこの国でもいつの時代でも起き得ることなのだ。(だからと言って、もちろん旧日本軍の行為を免罪するものではない)

軍隊や戦争とは常にそういうものだと認識することによって初めて、私たちは現在起きている戦争やこれから起きる戦争について正しく考察することができる。

この本は第二次世界大戦下の独ソ戦の証言集であるけれど、戦争と個人についての普遍性もあわせ持つ内容になっていると思う。

posted by 松村正直 at 09:23| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月07日

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』


この1週間この本を読み続けて、ずっと暗い気分になっていた。
すごい本。まさに圧倒的な内容だ。

2015年にノーベル文学賞を受賞した著者のデビュー作。
三浦みどり訳。

ベラルーシ人の父とウクライナ人の母を持つ著者が、第二次世界大戦に従軍した女性たち500名以上から聞き取りを行って記した本。これまであまり表に出てこなかった女性の体験した戦争の実態が生々しく描かれている。

母の父親であるウクライナ人の祖父は戦死して、ハンガリーのどこかに葬られており、ベラルーシ人の祖父、つまり、父の母親はパルチザン活動に加わり、チフスで亡くなっている。その息子のうち二人は戦争が始まったばかりの数ヶ月で行方不明となり、三人兄弟の一人だけが戻って来た。それがわたしの父だ。

このように、著者の生い立ちにも戦争は深く関わっている。

大木毅『独ソ戦』に克明に記されている通り、ドイツとソ連の戦いは想像を絶する激しさだった。現在のウクライナやベラルーシはドイツ軍の進撃に蹂躙され、占領され、無数の死傷者を出した。
https://matsutanka.seesaa.net/article/482885876.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/482900345.html

そして多くの10代や20代の若いソ連の女性が従軍し、狙撃兵や通信兵、機関銃兵、飛行士、電信係、射撃手、軍医、看護婦、衛生指導員、斥候として戦った。

また料理係や洗濯係、パン焼き係、運送係などを務めた女性もいる。さらに、占領下でパルチザンや地下活動家になった女性など、一人一人の証言が細かく書き留められている。

「勇気を称える」メダルをもらったのが十九歳。すっかり髪が白くなったのが十九歳。最後の戦いで両肺を撃ち抜かれ、二つ目の弾丸が脊椎骨の間を貫通し、私の両脚が麻痺して戦死したとみなされたのが十九歳でした。十九歳の時に……(ナヂェージダ・ワシリーエヴナ・アニシモワ)
せめて一日でいいから戦争のない日を過ごしたい。戦争のことを思い出さない日を。せめて一日でいいから……(オリガ・ワシリーエヴナ・ポドヴィシェンスカヤ)
祖国でどんな迎え方をされたか? 涙なしでは語れません……四十年もたったけど、まだほほが熱くなるわ。男たちは黙っていたけれど、女たちは? 女たちはこう言ったんです。「あんたたちが戦地で何をしていたか知ってるわ。若さで誘惑して、あたしたちの亭主と懇ろになってたんだろ。戦地のあばずれ、戦争の雌犬め……」あるとあらゆる侮辱を受けました……。(クラヴヂア・S)

戦争は勝利という結果に終わったけれども、彼女たちは身体や心に深い傷を負った。さらに、戦後になると従軍していた女性たちは一転して激しい差別にさらされることになる。

こうした戦争の負の側面は、戦勝国ソ連の歴史において長らく伏せられ、隠され、語られることのないものだった。それを長い時間をかけて取材し、発掘し、記録した著者の功績は大きい。

2016年2月16日第1刷、2022年4月15日第14刷。
岩波現代文庫、1400円。

posted by 松村正直 at 21:37| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月03日

『古寺巡礼』の続き

『古寺巡礼』を読むと、まだ観光地化される前の奈良の寺の様子がよくわかる。境内は荒れ、堂内には埃が溜まり、人の気配は少ない。

小さい裏門をはいると、そこに講堂がある。埃まみれの扉が壊れかかっている。古びた池の向こうには金堂の背面が廃屋のような姿を見せている。まわりの広場は雑草の繁るにまかせてあって、いかにも荒廃した古寺らしい気分を味わわせる。

大正7年の薬師寺の様子である。多くの建物が再建され白鳳期の伽藍が復興した現在とはまるで違う光景だ。

一方で、法隆寺金堂壁画の話なども出てくる。

この画こそは東洋絵画の絶頂である。剥落はずいぶんひどいが、その白い剥落面さえもこの画の新鮮な生き生きとした味を助けている。この画の前にあってはもうなにも考えるには及ばない。なんにも補う必要はない。ただながめて酔うのみである。

絶賛と言っていいだろう。けれども、この壁画は昭和24年に焼損してしまって今はもう見ることができない。

以下、雑学的な話を2つ。

恐らくそれは西域が特に仏教的であって、シヴァやインドラの快楽を憧憬するインド教に侵されていなかったからであろう。

こんなふうに、「インド教」という言葉が何度か出てくる。ヒンドゥー教のことである。調べてみると、インドもヒンドゥーもともに語源はサンスクリット語の「シンドゥ」Sindhu(川、インダス川)なので、インド教という言い方も成り立つわけだ。

こんな話をきいているうちに汽車は丹波市を通った。天理教の本場で、大きい会堂らしい建物が、変に陰鬱な感じを与えるほど、立ちならんでいる。

「丹波市」とあってびっくりする。丹波市(たんばし)と言えば、兵庫県の山間にある市だ。それがどうして奈良の話に出てくるのだろう?

これも調べてみてわかった。昭和29年に天理市ができるまで、丹波市町(たんばいちちょう)という自治体があったのだ。和辻の書いているのは、その丹波市(たんばいち)だったというわけである。

おもしろいな。

posted by 松村正直 at 22:04| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月02日

和辻哲郎『古寺巡礼』


1918(大正7)年に29歳の著者が奈良を訪れて書いた紀行文。

新薬師寺、浄瑠璃寺、東大寺、奈良博物館、唐招提寺、法華寺、薬師寺、当麻寺、法隆寺、中宮寺などが登場する。単なるガイドブックではなく、仏像や建築を見て感じたこと考えたこと想像したことが記される思索の書でもある。

西洋の風呂は事務的で、日本の風呂は享楽的だ。西洋風呂はただ体のあかを洗い落とす設備に過ぎないので、言わば便所と同様の意味のものであるが、日本の風呂は湯の肌ざわりや熱さの具合や湯のあとのさわやかな心持ちや、あるいは陶然とした気分などを味わう場所である。
写実はあらゆる造形美術の地盤として動かし難いと思う。しかしこの写実は、写真によって代表せられるような平板なものではない。それは作者の性格を透過し来たることによってあらゆる種類の変化を示現し得るような、自由な、「芸術家の眼の作用」を指すのである。
固有の日本人の「創意」などにこだわる必要はない。天平の文化が外国人の共働によってできたとしても、その外国人がまたわれわれの祖先となった以上は、祖先の文化である点において変わりはない。
いい芸術はまず第一にそれを求むる者の自由な享受を目ざして処置せらるべきである。それでこそ初めてその芸術の人類的な性質が妨げられることなく現われて来るのである。そのためにはこの種の画は常に陳列せられていなくてはならぬ。

仏像や建築を通して和辻は日本文化の成り立ちや源流を考える。ギリシア、ヘレニズム、インド、中国、朝鮮から何がどのように伝わり、どのように変化し、日本の文化が生まれたのか。

現物を観察しての直感と大胆な想像力が繰り広げる歴史の物語は、100年以上経った今も魅力を失っていない。大正という時代の持っていた自由な空気が、この本からは感じられる。

私もまた奈良へ行ってみることにしよう。

1979年3月16日第1刷、2009年4月8日第54刷改版。
岩波文庫、760円。

posted by 松村正直 at 13:27| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年08月27日

門田隆将『大統領に告ぐ』


副題は「硫黄島からルーズベルトに与ふる書」。

「ルーズベルトに与ふる書」を書いた市丸利之助少将、英文に翻訳した三上弘文兵曹、腹に巻いて突撃した村上治重参謀の3名を取り上げたノンフィクション。

中でも、これまで「ハワイ生まれの日系二世」という事実くらいしか知られていなかった三上の生い立ちや生涯、遺族とお墓のことまで明らかにした功績は大きい。

第二十七航空戦隊司令官に、八月十日付で市丸利之助少将が発令された。市丸という大物≠起用することで、帝国海軍は、「硫黄島死守」への並々ならぬ決意を示したといえる。しかし、硫黄島の海軍航空戦力は、米軍の航空攻撃を連続的に受けて、十月初旬までに戦力を消耗していく。(…)海軍はここにおいて、航空兵力のないまま「地上戦」へと突き進んでいくのである。

市丸は若き日はパイロットとして、大怪我を負ってからは予科練の部長として、さらには各地の航空隊の司令官として、一貫して航空畑を歩んできた。そんな彼が最後は飛行機のない島の地上戦で死んでいったのは、何とも無念なことだったろうと思う。

数々のノンフィクションを書いてきた著者の取材力には感心するのだけれど、帯文に「忘れかけていた日本人の心が震える」とあるような執筆姿勢にはまったく賛同できない。そのためにちょっと人にはおススメしにくい本である。

2025年8月5日、産経新聞出版、1700円。

posted by 松村正直 at 23:41| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年08月24日

俵万智『生きる言葉』


「西日本新聞」や「朝日新聞」に載った言葉に関するエッセイに書き下ろしを加えて一冊にまとめたもの。

コミュ力、日本語ラップ、クソリプ、マルハラ、歌会、「光る君へ」、AI、谷川俊太郎など、ホットな話題が次々に出てくる。

大人になると「この本が面白いことはわかった。では次の本を読もう」となるのだが、子どもはそうではない。「この絵本が面白いことはわかった。だからまた読んでほしい」となる。
言葉で表現するからには技術は必要で、ただし技術ばかりを追い求めてしまうと本末転倒になってしまう。そこを自覚したうえで技術を用いるのが最強なのである。
若者が、LINEでの会話に句点があることに違和感を抱くのは、それが限りなく話し言葉に近いと思っているからだろう。(…)いっぽうで中高年世代にとっては、LINEといえども画面に文字が出る以上、あくまでそれは書き言葉なのだ。

身近な話題から言葉の本質へと巧みに話題を展開していく。俵万智の文章は俵万智の短歌のように的確で心地よい。

2025年4月20日、新潮新書、940円。

posted by 松村正直 at 23:33| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年08月22日

平川祐弘『米国大統領への手紙 市丸利之助伝』

著者 : 平川祐弘
地方小出版流通センター
発売日 : 2006-05-30

この夏のオンラインセミナーで取り上げた市丸利之助の伝記。

1996年に新潮社から刊行されたのち、2006年に市丸の故郷佐賀県の出門堂から増補改訂版が刊行された。同じ出版社から『市丸利之助歌集』も出ている。

太平洋戦争では米軍にも夥しい死者は出た。ただし、夥しいといってもその総数はその同じ期間中のアメリカ本土で自動車事故で死亡した者の数には及んでいない。

まずは、こんな記述に驚く。なるほど、これでは太平洋戦争についての見方が日本側とアメリカ側で大きく異なるのも当然だろう。

本書はできるだけ偏りなく公平に市丸の生涯を記述しようと努めていて、信頼のおける内容となっている。巻末には付録として日本軍の重慶爆撃をユーモラスに描いた中国の文人画家 豊子ト(ほうしがい)の『毛厠救命』という文章が載っている。これは、

重慶や成都を爆撃した日本側の市丸の歌だけでなく、爆撃された中国市民の側の文章もないのか、と気にかけていた。

という著者の意向によるものだ。爆撃する側と爆撃される側、双方からの記述をあわせ見ることで、私たちは歴史上の出来事の実相に一歩近づくことができる。

2006年5月30日、出門堂、2381円。

posted by 松村正直 at 19:39| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年08月21日

山ア晃司監修『図解 クマの話』


「眠れなくなるほどおもしろい 図解シリーズ」の1冊。

最近各地で熊による被害が相次いでいることもあり、熊について知りたくて読んだ。イラストが多めの軽い入門書だが、知らないことが多かった。

現在、クマ科の仲間は世界に8種類しかいません。アメリカクロクマ、ヒグマ、ツキノワグマ、ホッキョクグマ、マレーグマ、アンデスグマ、ナマケグマ、そしてジャイアントパンダといった顔ぶれです。

パンダもクマ科だったのか、という軽い驚き。

ナマケグマは、特に子育てにおいて、ほかのクマではあまり見られない特徴を持っています。なんと、子グマを背中に乗せて移動するのです。それも1頭だけではなく、2、3頭をいっぺんに背負うこともあります。

なんと。可愛すぎでしょう!

雑食とはいえ、基本は竹一筋の食生活を送っているジャイアントパンダ。(…)しかし、うまく竹の栄養を吸収できないため、少量食べるだけでは栄養が足りません。そこで、1日12時間以上かけて10〜20sの竹をひたすら食べ、量を摂ることで栄養を補っているのです。

竹の栄養価が低いのだと思っていたのだが、吸収の問題だったのか。

新世代≠フクマたちは、人間との距離感が最初から近いということ。対策をしないままでいると、さらに多くのクマが人の暮らしのなかへと入り込んでしまうかもしれません。新世代クマとは、クマの側の問題ではなく、私たち人間の暮らし方の鏡≠ナもあるのです。

なるほど、なるほど。クマについてますます興味が湧いてきた。

2025年8月10日、日本文芸社、990円。

posted by 松村正直 at 22:37| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年08月14日

酒井聡平『死なないと、帰れない島』


前作『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』(2023年)で著者は、硫黄島の戦死者の遺骨の多くがまだ見つかっていない問題を明らかにした。
https://matsutanka.seesaa.net/article/504099799.html

本作では、戦時中に強制疎開させられた島民たちが、戦後80年が経つ今もなお島に戻ることができない問題を取り上げている。

硫黄島には、21世紀になっても解決されない二つの「帰れない」問題がある。一つは、戦没者1万人の遺骨が家族の元に帰れずにいること。もう一つは、1944年7月に本土疎開を命じられた旧島民と子孫が、いまだに故郷の島に帰ることを許されていないことだ。
国が火山活動を理由に再居住を許さないのならば、火山列島である日本中はどこも居住できないことになる。水がなく、産業の発達が望めないとの理由も挙げるが、戦前には1000人以上の島民が実際に豊かな生活を送り、現在も多くの在島自衛官たちが本土と変わらぬ生活を送っている。
奄美返還は、単なる行政上の復帰にとどまらなかった。「声を上げれば、島は戻る」という事実を、ほかの島々の島民たちに教えた。当時、奄美、小笠原、沖縄、北方領土の返還運動は、連帯する形で展開されていた。
兵力不足に陥った大戦末期の硫黄島に配備された約2万人の日本兵。その多くは、当時「老兵」と呼ばれた30代以上の再応召兵だった。彼らは一度兵役を果たして家庭や職場に戻った庶民だ。

「硫黄島の戦い」は島民を強制疎開させ、日本兵約2万人が亡くなっただけではない。戦後もアメリカ軍や自衛隊の軍事利用に島は独占的に使われ、今もなお民間人は住むことができない。この島では戦争はまだ終っていないのだ。

前作に続いてすぐれたノンフィクションだと思うのだが、一つだけ気になったことがある。本書の最後は、今年4月に天皇皇后両陛下が慰霊のために硫黄島を訪れ、旧島民の子孫たちがそれを喜び感謝する話で終っている。

その純粋な気持ちはよくわかる。エピローグにぴったりの内容でもある。一方で、そうした「天皇をありがたがる」メンタリティーこそが、戦前と変わることのない大きな問題でもあるのだと思う。

2025年7月2日、講談社、2300円。

posted by 松村正直 at 23:54| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年08月10日

渡邉英徳・貴志俊彦・中島みゆき『戦中写真が伝える動物たちがみた戦争』


毎日新聞社が所蔵する「毎日戦中写真」6万点余の中から動物の写っている200点余を取り上げて掲載したもの。そのうち約半数をカラー化している。

「移動」「建設」「警備」「癒やし」「食」「死」という6つのテーマごとに、馬、象、犬、鳩、猫、猿、インコ、鹿、ガチョウなど、さまざまな動物が登場する。

私はかつて「軍馬という兵器」という評論を書いたことがあり(『短歌は記憶する』収録)、また軍用鳩についても調べたことがあるので、興味深く読んだ。

「軍用鳩の話」
https://matsutanka.seesaa.net/article/480869084.html
「さらに軍用鳩の話」
https://matsutanka.seesaa.net/article/480891612.html

当時の新聞写真は、しばしば国威発揚や戦意高揚といったプロパガンダの意図を色濃く反映していました。つまり、カラー化の元となるモノクロ写真の段階で、既にそこには「演出された現実」としての虚構性が含まれていた可能性があります。AIによるカラー化は、そうした元来の虚構性を、現代の技術によって無意識のうちに増幅し、より魅力的な「真実」として私たちの眼前に提示しているのかもしれません。

コラムや巻末の座談会などで、AIを用いたカラー化の良い点だけでなく問題点も何度か指摘されている。カラー化についてはあまり気にならなかったのだが、下記のAIによる動画化の映像を見ると、確かにフェイクニュースに近い危うさを感じる。

「動物たちのみた戦争」AIによる自動動画化
https://vimeo.com/1088613824/57136d5d95?share=copy

このあたりは、今後難しい問題になっていくだろう。

2025年7月30日、光文社新書、1500円。

posted by 松村正直 at 23:53| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年08月07日

上杉和央『軍港都市の一五〇年 横須賀・呉・佐世保・舞鶴』


歴史文化ライブラリー534。

かつて日本海軍の鎮守府が置かれた4つの軍港都市の成り立ちと発展、敗戦から戦後復興の歩みを描いた本。

先月、横須賀を訪れたこともあって、このところ海軍のことが気になっている。

基本的に既存市街地を指向して駐屯地が決められた陸軍に対して、海軍はまったく異なる方針をとった。国内で言えば、海軍は横須賀・呉・佐世保・舞鶴の四か所に軍港を設置し、青森県の大湊や長崎県対馬の竹敷には軍港よりも下位にあたる要港を設置した。いずれも江戸時代までは都市が形成されていなかった場所である。
戦後に新しい都市を「建設」しようとした広島と、戦前の要素を「転換」しつつ都市作りをおこなおうとした呉。等しく「平和」な都市を目指すスローガンを掲げながらも、一方は戦前との断絶性を強調し、他方は戦前との連続性を保ちつつ、それぞれの歩みを進め始めるのである。
海上自衛隊は戦前の海軍鎮守府(および要港部)の施設を継承する形で活動を開始し、現在に至る。海軍と海上自衛隊の関係もまた、断絶しているが連続しているのであり、結局のところ、軍港都市の戦前・戦後の都市史もまた、断絶するが連続するものとして描くことができる。

4つの都市のうち佐世保だけはまだ行ったことがない(ハウステンボスは行ったけど)。機会を見つけて訪れることにしよう。

2021年10月1日、吉川弘文館、1900円。

posted by 松村正直 at 20:55| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年08月04日

久山忍『英雄なき島』


副題は「私が体験した地獄の戦場 硫黄島戦の真実」。

2008年に産経新聞出版から刊行された単行本の文庫化。硫黄島の戦いで生き残った大曲覚氏(海軍中尉)の体験談を著者が聞き取ってまとめたもの。

この本に記されているのは日本軍の激しい抵抗でも英雄的な戦いでもなく、壕を掘るのに疲労困憊し、病気に罹り、水不足に苦しみ、転々と逃げまどいながら死んでいく兵たちの姿である。

私は、日本の攻撃によって米軍にまとまった損害を与えたのは、十九日から二十一日までの三日間だったと考えている。
硫黄島において地上戦が長引いた原因の一つは、米軍が慎重だったからである。すでに空港は制圧した。飛行機の離発着も開始されている。日本軍に反撃する力は残っていない。米兵が無理をする理由は一つもなかった。
戦争の本当の恐ろしさは、大砲や機関銃で撃たれることではなく、人間の本性が露わになっていくところにある。私はそれを体験した。

華々しいところは何もない。読んでいて息苦しくなってくる。それだけに、貴重な証言だと思う。

2024年11月20日、光人社NF文庫、891円。

posted by 松村正直 at 23:17| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年07月26日

石川九楊『一日一書』


2001年1月から12月まで「京都新聞」朝刊に連載されたコラムに新聞休刊日の分も増補してまとめたもの。一日一書、計365の書が解説とともに紹介されている。

二千年にわたる書の歴史の厚みと表現の多彩さにまず驚かされる。さらに、中国と日本の共通点と相違点についても考えさせられた。

中学時代の書道の時間に欧陽詢「九成宮醴泉銘」を習ったことなどを懐かしく思い出す。この本に出てくる三人組をまとめておこう。

三筆:空海・嵯峨天皇・橘逸勢
三蹟:小野道風・藤原佐理・藤原行成
寛永の三筆:本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗
明治の三筆:日下部鳴鶴・中林梧竹・巖谷一六

コラムは200字程度の短いものだが含蓄に富む内容が多い。

書くことは、欠く、掻く、画く、描くにつうじるかくこと。土地をかくことが「耕」。「晴耕雨読」は、耕すことが書くことを含意し、東アジア漢字(書)言語圏に格別の言葉である。
康熙帝が編集させた「康熙字典」の字体は、現在もなお日本の印刷文字の典拠となっている。
筆順は唯一でも任意でもなく、書字史のどこに倣うかという歴史の継承法に属する問題である。
〈きへん〉を〈てへん〉のように書くところに、楷書体よりも草書体が先に生まれ、草書体が転じて楷書体と化した秘密が隠されている。
にじみは中国では風化し角のとれた石刻文字の姿を再現するため。日本の淡い情緒的、美学的なにじみとは少し異なる。

書では副島種臣の「心」「雲」「野」、祝允名の「流」、金農の「糧」、文彭の「鴛鴦」などが強く印象に残った。

2002年5月10日、二玄社、1800円。

posted by 松村正直 at 21:57| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年07月22日

内田百閨w百鬼園随筆』


1933(昭和8)年10月に三笠書房から刊行された本の文庫化。
表紙の絵は芥川龍之介「百關謳カ邂逅百關謳カ図」。

ちょっと斜めから社会を見るところとか、天邪鬼でへそ曲がりなところとか、借金の話を細かく書いているところとか、どれも面白い。

私は汽車の一等車に乗った事がないから、乗って見ようと思い立って、上野から仙台までの白切符を買った。

有名な阿房列車の旅は戦後の1950年からだが、戦前からこんなふうに既にその萌芽はあったわけだ。

顔と云うものは、もともと自分の所有には相違ないけれども、背中と同じく、自分で見ることの出来ないものである。是非見ようとするには、鏡の如き装置を要する。本来は自分で見るものではなくて、他人に見せる目印なのである。
揺揺(ようよう)と云う玩具を弄んで寝た。横になって、眠りに入るまでの間に、私は自分の体が軽く上下に揺れているような心地がして、その儘夢につながってしまった。

「揺揺」はヨーヨーのことか。初めて見た表記だが面白い。そもそもヨーヨーって何語なんだろう。

つくづく考えてみると、借金するのも面倒臭くなる。
借金したって、面白い事もないのである。借りた金は、大概その前に借りになっているところへ返して、それですんでしまう。またそういう目的につかうのでなければ、人も貸してはくれないのである。
私と云うのは、文章上の私です。筆者自身の事ではありません。

短歌の私性のような問題が、既にこのエッセイ集においても顔を覗かせている。

2002年5月1日発行、2024年3月20日26刷。
新潮文庫、710円。

posted by 松村正直 at 08:58| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年07月17日

八木澤高明『軍都の陽炎』


副題は「軍靴と娼婦の記憶を旅する」。

全国各地の軍隊の町とそこに付随する色街の跡を旅して回ったノンフィクション。先日、横須賀を訪れた際に本屋で手に取って、第一章が「横須賀」だったので迷わず買った。そういう偶然は強く信じることにしている。

軍都を起源とする色街は、日本中を見渡してみれば、各地にある。北海道の旭川、千歳、青森県の大湊や三沢、山形県の神町、茨城県の土浦、神奈川県の横須賀、兵庫県の丹波篠山、京都府の舞鶴、大阪府の信太山、山口県の岩国、広島県の呉、鳥取県の米子、福岡県の芦屋、久留米、長崎県の佐世保、鹿児島県の鹿屋。
天下泰平の江戸時代は、伊勢参りをはじめ、庶民の間に寺社仏閣へ詣でることが流行した。(…)江戸時代の寺社仏閣への参拝は、寺社周辺や街道筋にあった飯盛旅籠などで遊ぶことが、言ってみれば大きな目的だった。
高倉健の服装は、アメリカの匂いを感じさせる服装も多かったように思う。映画でも米軍がベトナム戦争などで着用していたM65フィールドジャケットを羽織っていた。北九州におけるアメリカ文化の影響はここ芦屋基地が原点だった。
明治時代に日本政府が徴兵制度を導入するに当たって気にかけたのは、国民病とも呼ばれた梅毒への対策だった。軍隊に性病が蔓延すれば、罹患者の分だけ戦闘力が低下することになる。

軍隊と性、あるいは性暴力はいつの時代も密接に関わっている。それは過去の話ではなく現在もそうであり、また将来も続く問題なのだと思う。

2025年6月25日、集英社文庫、840円。

posted by 松村正直 at 23:24| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする