名作「阿房列車」シリーズの同行者として知られる〈ヒマラヤ山系〉こと平山三郎が、内田百閧ノついて記した本。
シリーズにおいては何を言っても反応の薄いぬぼーっとした人物に描かれているが、この本を読むと観察も鋭いし、百閧ノ対する敬愛も厚い人物であったことがよくわかる。
その後、興津へ行ってみたら、道の突きあたりに松の黒い影なんかないんだ、おどろいたネ、と先生が云う。勘ちがいなんだ、勘ちがいなんだけれど、僕の書いた方がいいんだ、松がそこになければいけない、興津の町役場で松を植えればいいんだ。
岩波書店出版部の当時の係は佐藤佐太郎氏で、校正には細心である。百關謳カの方は、人も知る漱石全集の校正の為に漱石文法を作った昔から、現在では私などぎゅッという目にあわされる程、やかましく、きびしい。(…)最後に校了、印刷所へ廻そうとして、ふと気がついたら、書名が「旅順入場式」―入城が入場券の入城になっていた。
或る日、百闍盾訪ねたら、先生は眠むそうな顔をしておられた。
「ゆうべは原稿を書くために、いよいよ徹夜をしなければならないとカクゴして机に坐ったんだけれど、いやァ、平山くん、おどろいたねえ、ぼくは徹夜して居ねむりしちゃッた」
この本を読んで驚いたのは、百閧ェ東京帝国大学の学生時代に啄木と同じ蓋平館別荘に下宿していたこと。啄木が住んだのは明治41年9月から42年6月まで、百閧ヘ明治43年秋の入学以降のことなので、時期は重なっていないのだが。
もう一つ。
かつて黒澤明の映画「まあだだよ」を観たことがある。1993年の公開当時のこと。すっかり忘れていたのだが、この本に百閧フ誕生日を祝う「摩阿陀会」の話が出てきて、そうか、あの輪の中に平山三郎もいたんだなと私の中で一つにつながった。
2018年9月25日、中公文庫、1000円。