2024年11月06日

司馬遼太郎『街道をゆく11 肥前の諸街道』


初出は「週刊朝日」1977年4月8日号〜8月19日号。

久しぶりに「街道をゆく」を読みたくなって、手に取った。
やっぱり面白い。

「蒙古塚・唐津」「平戸」「横瀬・長崎」をめぐりながら、つらつら歴史に関する蘊蓄を傾け、日本の文化ついて考察している。

この元寇は、軍事のかたちをとった普遍性の高い文明と、特殊な条件下で育った民族文化とのあいだの激突であったといってよく、つまりは日本が普遍的文明というおそるべきものに触れた最初の経験であったといっていい。
江戸時代の小藩というのは、津和野、宇和島、大村、飫肥などの諸藩の例でわかるように、大藩よりもかえって教養主義の傾向がつよかった。平戸藩が、何人かいる家老のうち、山鹿、葉山というふうに二人までも学問で名が通っていたというのは、壮観といっていい。
ヨーロッパの航海者というのは、じつに不遠慮なものであった。たとえば、幕末にいたっても、英国でできた海図には、九州、瀬戸内海あたりの島や岬、海峡の多くが英国名称になっていた。つまりは、かれらが「発見」したからである。

「街道をゆく」が書かれてから約半世紀。グローバルスタンダートについて考えるにしても、アメリカ・ロシア・中国との関係を考えるにしても、司馬の問題意識は今なお色褪せていない。

2008年10月30日、朝日文庫、540円。

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2024年11月04日

楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』


三浦裕子訳。

1938(昭和13)年から翌年にかけて台湾に滞在した日本人の小説家青山千鶴子の旅行記、という体裁を取った小説。

台湾縦貫鉄道に乗って各地を訪れる様子やさまざまな食べ物のレポートなど、実際に戦前の台湾を訪れている気分を味わえる描写が多い。

青山と通訳の王千鶴との交流や、植民地支配をめぐる越えられない溝のことなど、台湾と日本の歴史を考えさせられる内容でもあった。

楊双子……今後、他の作品も翻訳されるのが楽しみだ。

2023年4月25日、中央公論新社、2000円。

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2024年10月21日

梯久美子『戦争ミュージアム』


副題は「記憶の回路をつなぐ」。

雑誌「通販生活」2020年盛夏号〜2024年初春号に連載された「シリーズ 戦争を忘れない」を補筆して書籍化したもの。

全国14のミュージアム(大久野島毒ガス資料館、予科練平和記念館、戦没学生慰霊美術館「無言館」、周南市回天記念館、対馬丸記念館、象山地下壕(松代大本営地下壕)、東京大空襲・戦災資料センター、八重山平和祈念館、原爆の図丸木美術館、長崎原爆資料館、稚内市樺太記念館、満蒙開拓平和記念館、舞鶴引揚記念館、都立第五福竜丸展示館)が紹介されている。

戦争ミュージアムは、死者と出会うことで過去を知る場所であると私は考えている。過去を知ることは、いま私たちが立っている土台を知ることであり、そこからしか未来を始めることはできない。

本当にその通りだと思う。14か所のうち私がこれまでに訪れたことのあるのは、わずかに3か所。機会を見つけて足を運んでみたい。

2024年7月19日、岩波新書、920円。

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2024年10月09日

北尾トロ『ツキノワグマの掌を食べたい!』


副題は「猟師飯から本格フレンチまでジビエ探食記」。

自らも狩猟免許を持ちエアライフルによる鳥猟を行う著者が、鳥獣のジビエ30種を食べた報告記。

鳥は、バン、ヤマシギ、キジバト、コジュケイ、キジ、ヤマドリ、ハシブトガラス、ハシボソガラス、カワウ、カルガモ、コガモ、マガモ、ハシビロガモ、ヒドリガモ、アオサギ、ホシハジロ、エゾライチョウ。

獣は、イノシシ、シカ、ツキノワグマ、ノウサギ、テン、イタチ、タヌキ、キツネ、ハクビシン、ヌートリア、アナグマ、アライグマ、キョン。

どれも写真入りで料理が紹介されていて、興味と食欲をそそられる。

いつも新鮮なジビエを食べていると、たまにスーパーで売っている家畜の肉を口にしても、おいしく感じられなくなるそうだ。
「ジビエに臭みがあるという人がいるけど逆なんだよね。スーパーの肉ににおいが気になっちゃう」

なるほど。確かにそうかもしれない。魚で言えば天然モノと養殖モノの違いで、本来は家畜の肉の方が人工的で不自然な匂いがしているのだ。私たちがそっちに慣れてしまっているだけで。

タイトルになったツキノワグマの話は、雑誌に掲載された際には「ツキノワグマの手を食べる」だったものが、「ツキノワグマの掌を食べたい!」に改題されている。

「食べる」より「食べたい!」の方がキャッチーだ。これは編集者の手柄だろう。

2024年4月5日、山と渓谷社、1650円。

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2024年09月16日

上明戸聡『改訂版 日本ボロ宿紀行』


全国各地の歴史ある古い宿を紹介する旅行記。

登場するのは、新むつ旅館(青森県八戸市)、飯塚旅館(青森県黒石市)、福山荘(岩手県遠野市)、山崎屋旅館(埼玉県寄居町)、山光荘(静岡県松崎町)、薫楽荘(三重県伊賀市)、星出館(三重県伊勢市)、あけぼの旅館(岡山県津山市)、河内屋旅館(鳥取県智頭町)、新湯旅館(熊本県八代市)など。

確かに今の高性能船にとっては風待ちの港など不要だし、なにより海運自体が陸上輸送にほぼ取って代わられています。
旅をしていると、大河ドラマの影響力の大きさを感じます。地元側も、この機会に観光客を呼ぼうと必死の努力をしているようでした。

古い木造の旅館は年々減って、現代的なホテルになっていく。元の本は2011年の出版なので、この改訂版が出た時点で既に廃業した旅館も少なくない。

「貴重な温泉文化を守ってきた宿。どうかこれからも長く繁盛してほしいと思います」という文章の後に「*現在閉業」という注があるのを見ると、何ともさびしい気分になる。

2023年1月26日、鉄人社、1980円。

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2024年09月13日

『生きて帰ってきた男』のつづき

引用したい箇所がたくさんある。

日中戦争以前は、二年在籍すれば軍隊から除隊できた。しかし戦争の拡大とともにそれが困難となり、「三年兵」や「四年兵」が多くなった。当然ながら、除隊の望みを失い、内務班に閉じ込められた古参兵はすさんでいった。
ペニシリンを嚆矢とする抗生物質は、第二次世界大戦において初めて本格的に使用された。これは当時、レーダーとならぶ連合諸国の新技術で、負傷兵の治療に絶大な効果を発揮した。
高度成長期の経済循環の名称が「神武景気」「岩戸景気」「いざなぎ景気」だったこと、冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが「三首の神器」とよばれたことは、この時代のマジョリティが戦前教育世代だったことを物語っている。
一九七〇年代は、各地で公害や乱開発に反対する住民運動が台頭した時期であった。それ以前の反対運動では、開発で生活基盤が破壊される農民や漁民が中心的な担い手だった。だが七〇年代以降は、戦後教育をうけ人権意識が向上した、新世代の若い都市住民が担い手になっていった。

あとがきの最後に著者は、「願わくば、読者の方々もまた、本書を通じてその営みに参加してくれることを望みたい」と、近親者への聞き取りを呼び掛けている。

私の父は1940(昭和15)年に秋田県の農家の二男として生まれた人だが、5歳で母を亡くし、中学卒業後に集団就職で東京に出てきた。そこで東京生まれの母と出会って結婚することになるのだが、あまり詳しいことは知らない。

今度、父のところに泊まる時は、そういう話を聞いてみようと思う。

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2024年09月09日

佐々涼子『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』


副題は「再生・日本製紙石巻工場」。
2014年に早川書房から刊行された単行本の文庫化。

東日本大震災で浸水し瓦礫や土砂で甚大な被害を受けた製紙工場が、再び稼働するまでを追ったノンフィクション。

長らく積読になっていたのだが、先日著者の佐々涼子さんが亡くなったというニュースを見て読み始めた次第。綿密な取材と確かな筆力の感じられる作品で、他の本もまた読みたくなった。

読書では、ページをめくる指先が物語にリズムを与える。人は無意識のうちに指先でも読書を味わっているのだ。
工場内には、たくさんの高圧電線や、燃料、水などのパイプが走っている。これを地下に埋設すると、交換のたびにいちいち掘り返さなければならないので、手間がかかる。そこで工場では、空中に無数のパイプが渡してあるのだ。
「文庫っていうのはね、みんな色が違うんです。講談社が若干黄色、角川が赤くて、新潮社がめっちゃ赤。普段はざっくり白というイメージしかないかもしれないけど(…)」
昔、図鑑や写真集は重くて持ち運びに不便だった。だが、最近は写真入りの書籍も雑誌も、写真やイラストの色が非常に美しいままで、昔よりも遥かに軽くなっている。これは、紙の進化によるものなのだ。

紙の生産から本の流通に至るまでの話が詳しく載っているのも興味深い。電子書籍に対して「紙の本」と言うことがあるけれど、確かに紙がとても大事なのであった。

2017年2月15日、ハヤカワノンフィクション文庫、740円。

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2024年09月06日

飴屋法水『キミは珍獣(ケダモノ)と暮らせるか?』


1997年に筑摩書房から出た単行本を改題、文庫化したもの。

当時、動物商として珍獣ショップ「動物堂」を開いていた著者が、犬猫以外の動物の飼い方について記した本。文体は軽いが内容はいたって真面目である。

登場するのは、キノボリヤマアラシ、トビウサギ、ワオキツネザル、ショウガラゴ、スローロリス、スカンク、ビントロング、ピグミーオポッサム、シマテンレック、ストローオオコウモリなどなど。

もともと、動物というものには値段はない。動物の値段というのは実は全て人件費だと思ってほしい。
人間は、たとえ知らない初めて見る動物でも、それが何の仲間かさえ分かれば意外と驚かないものである。「あらー、珍しいおサルさんねー」それで終わりである。
夜行性の動物、中でも目や耳の大きな動物は、小さな音、かすかな光にも当然敏感なわけだ。まぶしい光は人間の百倍まぶしく、大きな音は人間の百倍うるさいと思っといた方がいい。
動物は全て、ただ生きて、ただ死んでいく、決して肉体を超えようとなどしない。むしろ、肉体に支配され続ける。それが生きるということだ。

動物について考えることは、人間について考えることにもつながる。生きることや他者と関わることについて、思索を深めてくれる内容であった。

2007年10月10日、文春文庫PLUS、524円。

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2024年08月26日

藤原辰史『稲の大東亜共栄圏』


歴史文化ライブラリー352。
副題は「帝国日本の〈緑の革命〉」。

戦前・戦中のイネの品種改良が、大日本帝国の植民地支配にどのように関わったのかを解き明かした本。〈富国〉〈陸羽一三二号〉〈農林一号〉〈台中六五号〉といった品種が取り上げられている。

品種の改良は収量の増加につながる一方で、化学肥料への依存や在来種の淘汰といったマイナス面ももたらした。それは、戦後の開発途上国における「緑の革命」や現代の多国籍バイオ企業による遺伝子資源の独占といったエコロジカル・インペリアリズム(生態学的帝国主義)につながる問題を孕んでいる。

一連の植民地産米増殖計画のさきがけが、「北海道産米増殖計画」であったことは決して偶然ではない。朝鮮が良質米のフロンティアであり、台湾がジャポニカ米の南のフロンティアであったように、北海道はその冷涼な気候から、稲作一般の北のフロンティアであった。
一方で緑の革命は、新種子に必要な肥料・農薬・水への依存を高めた。この依存構造から抜け出すことは、薬物依存と同じほど困難である。肥料や農薬は多国籍企業が販売した。
〈台中六五号〉をはじめとする蓬莱米は、台湾や八重山列島の稲の品種地図を完全に塗り替えた。しかも、この品種改良技術は、従来、インディカ米が主流だった台湾や八重山列島を、言わば「ジャポニカ米の大東亜共栄圏」のなかに編成しなおすことに成功した。

山口謙三、寺尾博、石黒岩次郎、並河成資、磯永吉など、多くの育種技師たちのエピソードも載っている。永井荷風の弟で朝鮮農事試験場に勤めた永井威三郎や、夢野久作の子でインドの砂漠の緑化を推進して「グリーン・ファーザー」と呼ばれた杉山龍丸も登場する。

科学者たちが生涯をかけて取り組んだ品種改良が、結果的には大日本帝国の植民地支配に加担することになった。そのあたりをどう評価すべきかは、非常に難しい問題だと思う。

2012年9月1日第1刷、2021年4月1日第2刷。
吉川弘文館、1700円。

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2024年08月24日

菅野久美子『超孤独死社会』


副題は「特殊清掃の現場をたどる」
2019年に毎日新聞社より刊行された単行本の文庫化。

年々増加する孤独死の現場と、そこで働く特殊清掃の人々を描いたノンフィクション。孤独死予備軍が1000万人にのぼると言われる現代社会の姿がリアルに浮かび上がってくる。

近年、孤独死はもはや特殊な出来事ではなくなってきている。年間約3万人と言われる孤独死だが、現実はその数倍は起こっていると言う業者もいるほどだ。
ゴミを溜めこんだり、必要な食事を摂らなかったり、医療を拒否するなどして、自身の健康を悪化させる行為をセルフネグレクトと呼ぶ。ニッセイ基礎研究所によると、孤独死の8割がこのセルフネグレクト状態にあるとされている。
孤独死の4件中3件が男性なんです。単身、離婚で孤独になるんです。女の人って、何かと人間関係を作るのがうまいけど、男の人って何かで躓くと、閉ざしちゃうんですよね

とても他人事とは思えない。

「孤独死を防ぐためには、人と人との繋がりを取り戻すこと」という提言もあるが、それはなかなか難しい。孤独死を減らすよりも、むしろ安心して孤独死できる社会を目指す方が現実的かもしれない。

沢瀉(おもだか)は夏の水面の白き花 孤独死をなぜ人はあはれむ/雨宮雅子『水の花』

2024年7月30日、毎日文庫、900円。

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2024年08月22日

ヴァージニア・ウルフ『青と緑』


西崎憲編訳。副題は「ヴァージニア・ウルフ短篇集」。
19篇の短篇小説と3篇のスケッチを収めている。

「ラピンとラピノヴァ」「乳母ラグトンのカーテン」「サーチライト」「キュー植物園」「徴」が、特におもしろかった。

次々と思い浮かぶ連想を書き連ねる手法に特徴があって、どこまでが現実でどこからが幻想かわからない味わいがある。

フェミニズム的な観点がはっきりと記されている点も見逃せない。

現実のその種のさまざまなものや標準的なものにいま取って代わっているのははたして何だろうか? それはたぶん男性だ。もしあなたが女性だとしたら。男性の視点、それがわたしたちの生活を統治している。それが標準を決めている。(「壁の染み」)

巻末に編訳者による解説「ヴァージニア・ウルフについて」(45ページ分)があり、ウルフの生涯や作品の特徴を丁寧に記している。

2022年2月5日、亜紀書房、1800円。

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2024年08月20日

一ノ瀬俊也『東條英機』


副題は「「独裁者」を演じた男」。

旧日本軍関連の本は多く出ているが思想的に偏っているものもあるので、まずは信頼できる書き手のものを選ぶ必要がある。本書の著者も私にとってその一人だ。

太平洋戦争開戦時の首相であり戦後A級戦犯として処刑される東條英機の生涯について、数々の資料をもとに客観的に描いている。頑迷な精神主義者のように言われることも多い東條だが、実際には総力戦体制作りを含め相当に物量を重視していた。

昭和初年の日本陸軍の課題は、工業生産力や技術力に劣る日本が、欧米の総力戦体制にどう追いつくかにあった。東條は、中堅軍事官僚としてその実務を担っていたのである。
この対立はいわゆる統制派と皇道派の対立と呼ばれる。両派の違いは、精神主義的で対ソ戦志向の皇道派と、部内の統制を重視して対ソ戦より総力戦体制整備を進めようとする統制派、というように説明される。
東條の「思想戦」や「経済戦」そして「国民の給養」に気を遣う態度は、彼の個人的なものというよりは、第一次世界大戦後の陸軍が組織として主に敗戦国の独国より得た教訓≠ノ根ざしたものとみた方がよい。
航空戦の「総帥」たらんとして結果的に失敗し、敵の空襲で国を焦土と化させた東條を批判するのは簡単だが、彼のやり方を戦時下の国民がどうみていたのか、という観点もあってよいはずである。

空襲による惨禍について、東條はかなり早い段階から十分な認識をしていた。1933(昭和8)年の講演会「都市の防空」の中で、

都市に対する空襲の効果を具体的に知るには、かの関東大震災当時を想起するのが最も早道である。
震災は一個の自然力であったが、今日では、簡単な人力をもって、この程度の惨害なら一瞬にして実現し得る。

と述べている。

何とも皮肉な話だが、いわばこの予言通りの結末に向かってその後の歴史は進んで行ったのであった。

2020年7月20日第1刷、2020年12月5日第5刷。
文春新書、1200円。

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2024年08月14日

山崎雅弘『太平洋戦争秘史』


副題は「周辺国・植民地から見た「日本の戦争」」。

太平洋戦争は、日本対アメリカ(対中国、あるいは対ソ連)といった観点で語られることがほとんどだが、本書は違う。太平洋戦争において、当時の周辺国や植民地ではどのようなことが起き、人々がどのように行動したかが詳しく記されている。

取り上げられているのは、「インドシナ(フランス領)」「マラヤ・シンガポール(イギリス領)」「香港(イギリス領)」「フィリピン(アメリカ領)」「東インド(オランダ領)」「タイ」「ビルマ(イギリス領)」「インド(イギリス領)」「モンゴル」「オーストラリア・ニュージーランド・カナダ」「中南米諸国」である。

蘭印最大の都市であるジャワのバタヴィアは、オランダ人の別名である「バタヴィー」が語源だったが、日本の軍政当局は、一九四二年十二月九日付でバタヴィアを現地インドネシア呼称の「ジャカルタ」に変更した。
現地では十一世紀の王朝時代から、書き言葉の「ミャンマー」と話し言葉の「バマー」が併用されており、日本語のビルマは後者のオランダ語表記(Birma)が明治期に伝わったもので、漢字では「緬甸(めんでん)」と表記される。
日本人の視点では、日本とソ連の二つの「大国」の軍隊が草原で激突した国境紛争と思われがちなノモンハン事件だが、モンゴル側から見れば、日ソの二大国による戦闘の傍らで、異なる部族のモンゴル人が敵味方に分かれて戦った「ハルハ川戦争(モンゴル側の呼称)」という側面も存在したのである。

急速に勢力圏を拡大した大日本帝国に対して、あくまで抵抗を続けた人々もいれば、服従を余儀なくされた人々、念願の独立を果たそうと積極的に協力した人々もいる。各勢力のさまざまな思惑が入り乱れ、敵対や協力を繰り返し、やがて戦後の歴史へとつながっていく。

そうした展開が非常にダイナミックに描かれていて、ぐいぐいと引き込まれる。

大国中心の第二次世界大戦観あるいは太平洋戦争観では、望まずして戦争に巻き込まれた周辺国および植民地とその国民・住民を無視したり、周辺国や植民地を「大国の争奪対象」と見なす視点に陥る危険性があるように思います。

「まえがき」と「あとがき」に示された、こうした歴史観はとても大事なものだと思う。おススメの一冊です!

2022年8月30日、朝日新書、1200円。

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2024年08月08日

『放浪記』のつづき

『放浪記』は作者の自伝としてだけでなく、シスターフッドの物語としても読むことができる。暴力を振るったり経済力で支配しようとする男性に対して、女給仲間や文芸仲間と支え合い、励まし合い、時には立ち向かっていく。

時ちゃんが帰らなくなって今日で五日である。ひたすら時ちゃんのたよりを待っている。彼女はあんな指輪や紫のコートに負けてしまっているのだ。
飯田さんがたい子さんにおこっている。飯田さんは、たい子さんの額にインキ壺を投げつけた。唾が飛ぶ。私は男への反感がむらむらと燃えた。
私は生きていたい。死にそくないの私を、いたわってくれるのは男や友人なんかではなかった。この十子一人だけが、私の額をなでていてくれる。

もう一つ、先日読んだ頭上運搬の話も出てくる。

線路添いの細い路地に出ると、「ばんよりはいりゃせんかア」と魚屋が、平べったいたらいを頭に乗せて呼売りして歩いている。夜釣りの魚を晩選(ばんよ)りといって漁師町から女衆が売りに来るのだ。

尾道の小学校に通っていた1916〜17年頃の思い出である。まさに、三砂ちづる『頭上運搬を追って』に描かれていた通りの光景だ。

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2024年08月07日

林芙美子『放浪記』


第1次世界大戦後の東京で生きる一人の女性を描いた自伝的作品。経済的に困窮して職を転々としながらも、たくましく生き抜く姿が印象的だ。

文章に勢いがあって、引用したくなる箇所がたくさんある。ところどころ啄木の短歌も出てくる。

お茶をたらふく呑んで、朝のあいさつを交わして、十二銭なのだ。どんづまりの世界は、光明と紙一重で、ほんとに朗らかだと思う。
地球よバンバンとまっぷたつに割れてしまえと、呶鳴(どな)ったところで、私は一匹の烏猫(からすねこ)だ。
夜は御飯を炊くのが面倒だったので、町の八百屋で一山十銭のバナナを買って来てたべた。女一人は気楽だとおもうなり。
私は本当に詩人なのであろうか? 詩は印刷機械のようにいくつでも書ける。ただ、むやみに書けるというだけだ。一文にもならない。活字にもならない。そのくせ、何かをモウレツに書きたい。心がそのためにはじける。

今度東京へ行く機会があれば、新宿区にある林芙美子記念館を訪ねようと思う。

2014年3月14日第1刷、2023年7月5日第6刷。
岩波文庫、1150円。
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2024年08月04日

三砂ちづる『頭上運搬を追って』


副題は「失われゆく身体技法」。

水や芋や魚などを頭に載せて運ぶ頭上運搬。今も世界各地で行われ、かつては日本でも見られたこの運搬方法は、どのようにして可能になり、どうして失われていったのかを追究した本。

非常におもしろい。

頭上運搬ができる人たちは、絶対に頭上にのせた荷物を落とさない、落としたことがない、落とした人も見たことがない、という。
今や、自動車もあるし、頭にのせてものを運ばなくてもよくなってはいるのだが、頭にものをのせて運べたころの、自分の身体への理解と直感の力、意識の力がなくなってくることが、私たちの人間としてのあり方になんの影響もない、とどうしていえようか。
彼女たちの言う「何の練習もしていないけれど、やろうと思えばできた」という言葉には、人間本来の身体づかい、というものについての、大いなる示唆が隠されている。

生活環境の変化に伴って失われた身体技法を取り戻すのは容易ではない。生活が便利になる一方で、私たちは身体がもともと持っていた力を失いつつあるのかもしれない。

著者紹介を見ると、「ロンドン大学PhD(疫学)」「ブラジルで約十年間暮らした」「国立公衆衛生院疫学部に勤務」「津田塾大学学芸学部教授」「八重山で女性民俗文化研究所主宰」と、一人の人物とは思えないほど多彩な経歴を積んでいる。

でも、それらすべてが別々のものではなく、この人の中ではゆるやかにつながっているのだろう。

2024年3月30日、光文社新書、860円。

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2024年07月26日

土岐善麿『鶯の卵』


副題は「新訳中国詩選」。

1925(大正14)年にローマ字表記の『UGUISU NO TAMAGO』(アルス)として出版され、1956(昭和31)年に春秋社より新版が出た本を1985年に筑摩書房が新たに刊行したもの。

「晋の陶潜以後、唐宋元明清に及ぶ」漢詩167篇を取り上げて、日本語訳と短い解説を付けている。

最近、「啄木ごっこ」の連載で土岐善麿(哀果)について書いたので、その流れで積読の山から掘り出した。

「春眠不覚暁」(春あけぼのの うすねむり)、「生涯在鏡中」(鏡の中の こしかたよ)など、味わい深い文言が数多く出てくる。高校時代の漢文の授業を思い出したりした。日本語訳が主に五音・七音になっているのは、作者が歌人だからでもあるだろう。

解説によれば、日本では古来、漢文の訓読が行われてきたので、漢詩の日本語訳が本格的に始まったのは明治以降になるらしい。

これはあるいは森鷗外らによる『於母影(おもかげ)』や、上田敏『海潮音』、あるいは堀口大学の『月下の一群』など、ヨーロッパ詩のすぐれた訳業から逆に示唆と刺戟とを受けた結果ではないかと思われる。

なるほど、漢文訓読はすぐれた読解法であると同時に、純粋な翻訳を妨げる要因にもなってきたわけか。おもしろい問題だと思う。

1985年3月29日、筑摩叢書、1500円。

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2024年07月23日

本岡類『ごんぎつねの夢』


新美南吉の名作「ごんぎつね」をめぐるミステリー。

ちょうど今年4月に発行した同人誌「パンの耳」第8号に、新美南吉や「ごんぎつね」に関する連作15首を載せたところだったので、興味深く読んだ。

「ごんぎつね」が小学校のほとんどの教科書に取り入れられ、国民的童話≠ノなったのは1980年代からだというから、角田さんは学校で習っていなかったのだろう。
かつて団地は近代的な造りで、家族にとって憧れの住まいだったらしい。しかし、高度成長やバブルの時期をへて、有馬一家が越してきた頃には、団地は時代から遅れた住居となっていた。
半田はお酢で知られていましたが、今は作者の新美南吉の故郷ということで、ごんぎつねの町になってますね。
古本とか前の時代の雑誌とかは、過去の時代に立ち戻れるタイムマシンとも言えるでしょうな。古本屋は昔に戻れる場所なんだね

新美南吉は宮沢賢治と並んで詳細な研究の進んでいる児童文学者らしい。それだけ人を惹きつける魅力があるのだろう。

2024年5月1日、新潮文庫、710円。

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2024年07月22日

酒井聡平『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』


戦時中に小笠原諸島の母島や父島の部隊にいた祖父を持つ著者が、3度にわたり硫黄島戦没者遺骨収集団に参加するとともに、今も約1万人の日本兵の遺骨が見つからない問題を追求したノンフィクション。

硫黄島は、激戦から七十余年を経て、焦土の島から、ジャングルの島になっていた。
硫黄島戦は、遺児の悲劇を多く生み出した。兵士の多くが、全国各地から集められた30代、40代の再応召兵だったからだ。
収集団には化学さんと弾薬さん以外にも同行するスペシャリストがいた。人類学者や考古学者ら「鑑定人」と呼ばれる人骨の専門家たちだ。

著者は硫黄島戦の戦没者遺児である三浦孝治氏や硫黄島の戦闘の生き残りである元陸軍伍長の西進次郎氏、参議院議長で元日本遺族会会長の尾辻秀久氏などに取材を行い、また、情報公開請求によって過去の遺骨収集派遣団の報告書を入手するなど、地道な調査を続けていく。

その結果判明したのは、硫黄島が戦後1968年までアメリカの占領下に置かれただけでなく、返還後も核の持ち込みをめぐる密約が交わされ、現在もなおアメリカ軍の戦略拠点や軍事訓練場となっている事実である。そのため、日本の民間人の帰島はもちろんのこと、立ち入りも厳しく制限されている。

そう、硫黄島では今もまだ戦争が続いているのであった。

2023年7月25日第1刷、2024年1月29日第7刷。
講談社、1500円。

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2024年07月20日

八木澤高明『日本殺人巡礼』


2017年に亜紀書房より刊行された単行本の文庫化。

ドキッとするタイトルと表紙の本だが中身は興味本位のものではなく、いたって真面目なノンフィクション。全国各地の殺人現場や犯人の生家などを訪ね歩きながら、事件の背景となった時代や社会や風土を考察している。

東京などの都市を中心として人と人とのネットワークは、かつてこの国の隅々にまで毛細血管のように張り巡らされていた。その末端の血管である農村が壊死しつつあるのが、今の日本の姿ではないか。
今にして思えば、同じ町に暮らしながら何の交流もなかった東北人の姿は、最近よく見かける外国人労働者の姿と重なる。日本経済が底上げされ、東北からの出稼ぎ人の代わりにアジアや南米の人々がやってきた。
海に生きた和歌山の漁民たちは鰯や鰹、さらには鯨といったさまざまな獲物を捕らえることに長け、日本各地の海辺に移住した。代表的な土地では、千葉県の外房や長崎の五島列島などが挙げられる。
麻原の一家は、九人兄弟のうち三人が目に障害を持っていた。麻原と年齢が一一歳離れた全盲の長兄は、写真家藤原新也のインタビューの中で、幼少の頃、生家近くの水路で、貝や海藻を採って食べていたことから、兄弟に眼病が多いのは水俣病によるものではないかと証言している。

この著者の執筆した他の本も読んでみたくなった。

2020年9月25日、集英社文庫、940円。

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2024年07月16日

ライナー・マリア・リルケ『若き詩人への手紙』


副題は「若き詩人F・X・カプスからの手紙11通を含む」。これまで『若き詩人への手紙』はフランツ・クサーファー・カプス宛のリルケの手紙だけが出版されていた。そのため、

カプスはリルケに求められた詩人になる使命を果たすことができず、それゆえに大詩人に宛てた彼の手紙は公式には「残っていない」という伝説

があった。けれども、今回カプスのリルケ宛の手紙が収録された本書が刊行されたことで、二人の往復書簡が揃い、リルケが手紙に記した言葉の意味が明確になるとともに、カプスの名誉回復も実現したと言っていいだろう。

晩年、「リルケの手紙のおかげで、受け取っただけなのに、私は自分で書いたものによってよりもずっと有名になってしまいました」と語ったというカプス(1883-1966)の数奇な人生を思わずにはいられない。

この本を読めば明らかなように、カプスはもともと「詩人」ではなく、軍人である。陸軍士官学校卒業後にオーストリア・ハンガリー帝国の士官となり、第一次世界大戦にも従軍している。リルケに最初の手紙を送ったのも、リルケが陸軍学校を中退して詩人になった経歴の持ち主だったからだ。

陸軍学校から士官への道を歩みつつ、詩や文章など文学への憧れを捨てきれなかったカプスが、8歳年上のリルケに手紙でアドバイスを請うたのである。そういう意味では、第一次世界大戦後に退役して作家・ジャーナリストとして活躍したカプスは、自らの思い描いていた道に進むことができたと言っていい。

もう一つ印象的だったのは、二人の手紙が実にさまざなま住所から送られていることである。カフカはヨーロッパ各地に出掛け、カプスも軍隊の移動に伴って転居する。手紙は転送されながら相手に届き、何か月もかけてやり取りが行われている。現代のラインやメールのやり取りとはまるで違う。

カフカの手紙の発信地は「パリ」「ピサ近郊ヴィアレッジオ(イタリア)」「ブレーメン近郊ヴォルプスヴェーデ」「ローマ」「ボルゲビイ・ゴオ、フレディエ、スウェーデン」「フルボリ、ヨンセンド、スウェーデン」となっている。

一方のカプスの手紙の発信地は「ウィーン新市街」「ティミショアラ(現ルーマニア)」「ボジョニ、ドナウ通り38、ハンガリー(現スロバキア)」「ナーダシュ(現スロバキア)」「南ダルマチア、コトル湾、ツルクヴィチエ(現モンテネグロ)」だ。

1902年から1909年まで交わされた二人の手紙。その多くが100年以上の時を超えて残されたのは奇跡のようなことだと思う。

2022年6月30日、未知谷、2000円。

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2024年07月07日

遠藤ケイ『鉄に聴け 鍛冶屋列伝』


「ナイフマガジン」1991年6月号から1997年6月号まで連載された「僕の鍛冶屋修業」を加筆・改題して文庫にまとめたもの。

全国各地の鍛冶屋を取材してきた著者が自らも鍛冶小屋を構えて修行する様子を記したルポルタージュ。

一口に刃物と言っても「鮎の切り出しナイフ」「猟刀フクロナガサ」「ヤリガンナ」「渓流小刀」「肥後守」「斧」「剣鉈」「菜切り包丁」など、大きさや形や用途など実にさまざまだ。

ある意味で、人間は頭(観念)でなく、手(感覚)で思考し、判断する動物だ。使い勝手のいい道具は美しい。そして美しい道具は使い勝手がいい。
かつて、どこの町にも野鍛冶がいた。使い手と作り手の顔が見えた時代があった。使い手は用途や、自分の資質や癖に合った道具を選べた時代があった。だが、いまは出来合いの道具が幅をきかせ、人間が道具に合わせていかなければならない時代になった。
鍛冶仕事は作り手の力量の差がモロに出る。偶然うまくいくということは一切ない。厳しく残酷な世界である。しかし、だからこそ面白い。
繊細さを要求される日本の手仕事はすべて座業だった。座業は、膝も臑も、足の指も治具に使える。

炭と鞴(ふいご)で火を自在に操り、鉄と鋼と金槌とヤットコで何でも造ってしまう鍛冶屋たち。手打ち刃物を生み出す職人の姿が生き生きと描かれている。

2019年9月10日、ちくま文庫、900円。

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2024年07月02日

樋口健二『忘れられた皇軍兵士たち』


1970年から72年にかけて各地の療養所に暮らす傷痍軍人を取材した写真集。版元が先月末で廃業したので今後は入手が難しくなるかもしれない。

脊髄に障害を負った元兵士が暮らしていた「国立箱根療養所」(現・国立病院機構箱根病院)や精神を病んだ元兵士のいた「国立武蔵療養所」(現・国立精神・神経医療研究センター)・「国立下総療養所」(現・国立病院機構下総精神医療センター)など、今では知る人の少ない施設の様子が写真に収められている。

元皇軍兵士であった傷痍軍人たちが、社会から疎外されたまま、にもかかわらず必死に生きていたことはまぎれもない事実なのだ。彼らは「皇軍」が人間をどのように扱ったのかの生きた証拠として、黙々と「戦後」を告発し続けていたのだ。

著者は2006年にその後の様子を追加取材しているが、傷痍軍人の多くは既に亡くなっていた。

2017年6月30日、こぶし書房、2000円。

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2024年06月24日

志賀直哉『万暦赤絵 他二十二篇』


作者が自選した23篇を収めた短篇小説集。

長らく積ん読していたのだが、ちょど良い時期に読むことができた。志賀直哉が京都や奈良に住んでいた頃の作品も多く、なじみのある地名などが出てくる。

私小説が中心なのだが、主人公を「私は」と書くか「彼は」と書くかで、作者との距離が微妙に違ってくるのがおもしろい。

三人の女の子たちは久しぶりの上京のうれしさからしきりにはしゃぎ、待合室のソーファからソーファへと移り歩き、人なかをかまわず遠くから「お母様。お母様」と呼びかけた。(「晩秋」)

「ソーファ」は今のソファーのこと。sofaの発音にむしろ近いかもしれない。

豊岡、それから八鹿(やおか)辺では汽車から五、六間の所に鸛(こうのとり)が遊んでいるのを見た。(「プラトニック・ラヴ」)

1926年の作だが、当時コウノトリは普通に見られる鳥だったようだ。その後、1971年に国内の野生のコウノトリは一度絶滅することになる。

晴れてはいたが風が吹き、朝日ビルディングから淀屋橋へ来る川端が寒かった。二人は美津濃運動具店へ寄り、そこで男の子のシャツとかズボンとか、そういうものを買った。(「朝昼晩」)

「美津濃運動具店」はミズノのこと。調べてみると現在も登記社名は美津濃株式会社で、通称がミズノであるらしい。そして創業者は水野利八・利三兄弟なのだとか。

1938年10月15日第1刷、2014年7月9日第20刷。
岩波文庫、800円。

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2024年06月22日

金田章裕『景観から読む日本の歴史』


写真や古地図をもとに景観から地域の歴史を解き明かす「景観史」という手法について記した本。

全国各地の様々な景観がどのような経緯によって成り立ったのか、具体的な事例を豊富に記している。

もともと景観の語は、ドイツ語の「ラントシャフト(Landschaft)」の訳語として使われ始めたのに対し、風景は、日本語として古くから使われてきた言葉である。
風景とは、多くの人々に共有される印象か否かを別にして、個人的・感覚的なとらえ方であると言えよう。

「風景」に比べて「景観」は、より客観的、社会的、科学的な見方ということだろう。

日本橋川のように、近世以来の城下の濠や川が、近代以降に埋め立てられて道路となったり、そのまま残されていても上に高速道路が建設されたりした例は極めて多い。濠や川が本来果たしていた防御・水運機能を必要としなくなったこと、またそれらが市街地のなかに連続して存在する貴重な公有地であって、買収の必要がなく、新しい道路建設が容易であったこと、などが主たる要因である。
三国のような河口に立地する港は、伏木(富山県高岡市、小矢部川・庄川の河口)、東岩瀬(富山市、神通川の河口)、新潟(信濃川・阿賀野川の河口)、酒田(最上川の河口)など、日本海側では珍しくない。これらの河口港は、河川水運によって上流域の産物を集め、西廻り航路によってそれらを広い商圏に売りさばき、逆に、外からさまざなま商品を買い入れ、それを上流域にもたらすことで繁栄した。

一つ一つの話は興味深くおもしろいのだが、全体の構成がやや散漫な印象なのが惜しい。そう言えば、以前読んだ『和食の地理学』でも同じように感じたのだった。

https://matsutanka.seesaa.net/article/480517802.html

2020年7月17日、岩波新書、800円。

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2024年06月16日

角田光代・橋本由起子『林芙美子 女のひとり旅』


林芙美子の住んだ場所、旅した場所の写真と文章+解説(橋本由起子)という構成で、冒頭に「旅という覚醒」(角田光代)と題する芙美子論が載っている。

この人の旅は「観る」旅、つまり生活の上澄みにある部分をさらっと眺めていく観光旅行では、けっしてなかった。また、「ひとり旅」であるというのも、この作家にとって重要だったように思う。だれかとともにいると、目線の直接性が失われるのだ。(角田光代)

この論は芙美子の旅の本質をよく明らかにしていると思う。

取り上げられているのは「門司」「尾道」「東京」「パリ」「北海道」「北京」「屋久島」「落合」の8か所。

現在の日本では、屋久島は、一番南のはずれの島であり、国境でもある。(林芙美子「屋久島紀行」)

小説「浮雲」の取材で芙美子が屋久島を訪れたのは1950年4月のこと。成瀬巳喜男監督の映画「浮雲」を観たことがあるが、なるほど、屋久島が舞台なのはそういうわけだったのか。

沖縄返還が1972年であるのはよく知っていたけれど、奄美群島も1953年の返還まではアメリカ軍の統治下にあったのだ。

この本を読んで一番良かったのは、芙美子が晩年暮らした家が「新宿区立林芙美子記念館」として現存しているのを知ったことだ。

三百坪の地所を求める事が出来たが、家を建てる金をつくる事がむずかしく、家を追いたてられていながら、ぐずぐずに一年はすぎてしまったが、その間に、私は、まず、家を建てるについての参考書を二百冊近く求めて、およその見当をつけるようになり、材木や、瓦や、大工に就いての智識を得た。(林芙美子「家をつくるにあたって」)

芙美子の家に対する強いこだわりがよくわかる。東京に行く機会にぜひ訪ねてみよう。

2010年11月25日、新潮社 とんぼの本、1400円。

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2024年06月09日

司馬遼太郎『街道をゆく32 阿波紀行、紀ノ川流域』


1988年に「週刊朝日」に連載され翌年に単行本として刊行された本の文庫新装版。

今年、徳島にも和歌山にも出かけたのでこの1冊を読んでみる。行ったことのある場所が出てくると、やはり読んでいて楽しい。

徳川の世では、淡路は阿波徳島の蜂須賀家の領地だったのである。

現在は兵庫県に属している淡路島だが、その名の通りかつては徳島県とのつながりが深かった。本書の書かれたのは大鳴門橋(1985年)開通後の様子だが、その後に明石海峡大橋(1998年)ができて、また状況は変ったことだろう。

明治のころの徳島県の人口はざっと八十万人ほどで、いまも八十二万数千人であり、ふえたぶんだけ阪神方面が吸収しつづけていたことになる。

それから36年。現在の人口は約68万8千人となっている。

経典が中国訳されるとき、当時の翻訳者はダイヤモンドを具体的に知らぬままに金属のように硬い≠ニいう連想から、金剛という訳語をつけた。
古い日本語では、おなじ平地でも、水田ができる土地を野といい、そうでない土地を原といったが、小笠原はその典型的な地名である。
小牧・長久手のときの家康がさそった有力な同盟者のひとつが、紀州だった。雑賀(さいか)党という紀ノ川下流の地侍連合と、根来衆である。

時おり挟まれる作者と須田画伯とのやり取りも楽しい。何かに似ていると思ったら、いとうせいこう&みうらじゅんの「見仏記」シリーズだった。

蘊蓄を語る司馬と直感の冴える須田。なんだか司馬遼太郎≒いとうせいこう、須田剋太≒みうらじゅん、のようなのだ。

2009年3月30日(新装版)第1刷、2014年6月30日第3刷。
朝日文庫、680円。

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2024年06月03日

藻谷ゆかり『山奥ビジネス』


副題は「一流の田舎を創造する」。

「ハイバリュー・ローインパクト」「SLOCシナリオ」「越境学習」の3つの観点から、都市部以外でのビジネスのあり方を検証した本。著者は『里山資本主義』で知られる藻谷浩介の兄の妻。

紹介される自治体は「熊本県山都町」「石川県能都町」「北海道岩見沢市美流渡地区」「島根県大田市大森町」「新潟県十日町市」「北海道東川町」「山梨県小菅村」。

実際に酒蔵見学をやってみると、観光客は無料の試飲を楽しんでも、肝心の日本酒をなかなか買ってくれない。酒粕を利用して製造販売している漬物を買うぐらいで、平均客単価はわずか500円程度だった。
人口8522人の東川町は、この25年間で人口が20%も増えている全国でも稀有な町である。現在では、町の人口の約半数が移住者であるという。
日本酒の消費量は1973年の177万キロリットルをピークとしてその後は下がり続け、現在はピーク時の3分の1以下になっている。かつて全国に4000社あったといわれる酒蔵も、現在は1400社ほどまでに減少している。

取り上げられているのは成功した事例ばかりで前向きな内容となっているが、本当は失敗した事例も数多くあることだろう。その両方の分析が必要なのではないかと感じた。

2022年10月20日、新潮新書、780円。

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2024年05月30日

早坂隆『ペリリュー玉砕』


副題は「南洋のサムライ・中川州男の戦い」。

1944年9月15日から11月27日まで74日間にわたって激しい戦闘が繰り広げられた南洋のペリリュー島(現パラオ共和国)。その戦いの様子を日本軍の指揮官だった中川州男の生涯を軸に描いている。

「日本側のペリリュー島の戦いに関する認識には、日本軍の戦闘力に対する過大評価とある種の思い入れがある」(吉田裕『日本軍兵士』)という点には注意が必要だが、本書は概ね客観的な記述に徹しているように感じた。

文献の中には「州男に弟がいた」とする記録があるが、これは誤りである。
幾つかの文献の中には「現地ペリリュー島に赴いた中川が、その地形を見て地下陣地を構築する作戦を発案した」などと書かれたものが散見されるが、それらの記述は史実とは言い難い。

軍隊に関する興味深い記述もある。

ミツエの兄である平野助九郎少佐(後の陸軍少将)が、中川の上官にあたるという間柄であった。「上官の妹を娶る」という構図は、当時の陸軍では珍しくない光景だった。
同制度(=学校配属将校制度)には、軍縮の影響を被った軍人への失業対策という側面もあった。

一番驚いたのは、米軍が日本兵にビラやマイクで投降を呼びかけたのに対して、日本軍も米兵に投降勧告のビラを撒いていたという話。戦死者10022名、生存者わずか34名という玉砕戦の様子がなまなましく伝わってくる。

パラオには、いつかぜひ行ってみたい。

2019年6月20日、文春新書、880円。

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2024年05月26日

吉田裕『日本軍兵士』


副題は「アジア・太平洋戦争の現実」。

軍人・軍属230万人、民間人80万人、計310万人の日本人が亡くなったアジア・太平洋戦争。その実態を次の3つの問題意識から描き出している。

・戦後歴史学を問い直すこと
・「兵士の目線」で「兵士の立ち位置」から戦場をとらえ直してみること
・「帝国陸海軍」の軍事的特性との関連を明らかにすること

戦病死、餓死、海没死、特攻、自殺、兵士の体格の低下、栄養不良、戦争神経症、装備の劣悪化など、読んでいて気が重くなる話が次々と出てくる。でも、それが戦争の現実なのだ。

日本人に関していえば、この三一〇万人の戦没者の大部分がサイパン島陥落後の絶望的抗戦期の死没者だと考えられる。

戦没者の約9割が1944年以降に亡くなったと推定されている。終戦の決断の遅れが多大な犠牲をもたらす結果となった。

戦争が長期化するにしたがって戦病死者数が増大し、一九四一年の時点で、戦死者数は一万二四九八人、戦病死者数は一万二七一三人、この年の全戦没者のなかに占める戦病死者の割合は、五〇・四%である。

戦場の死者の2人に1人は敵と戦って死んだのではなく、マラリアや栄養失調などで死んだのであった。

海没死者の概数は、海軍軍人・軍属=一八万二〇〇〇人、陸軍軍人・軍属=一七万六〇〇〇人、合計で三五万八〇〇〇人に達するという。

艦船の沈没に伴って主に溺死した人の数である。今も多くの命が太平洋の各地に眠っている。

精神的にも肉体的にも消耗しきった兵士たちの存在を制度の問題としてとらえ直してみたとき、日本軍の場合、総力戦・長期戦に対応できるだけの休暇制度が整備されていなかったことが大きな問題だった。

このあたりの話は、現代の過労死やうつ病などの問題にもつながっているように感じる。

2017年12月25日初版、2022年8月30日第17版。
中公新書、820円。
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2024年05月20日

三上延『ビブリア古書堂の事件手帖W』


副題は「扉子たちと継がれる道」。

ビブリア古書堂のシリーズは、何だかんだ言いながら2011年刊行の1冊目から全部読んでいる。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138686.html

今回は「令和編『鶉籠』」「昭和編『道草』」「平成編『吾輩ハ猫デアル』」の3話。智恵子、栞子、扉子の女性三代の話をうまく絡めて展開している。

「本も、人間も、完全な存在ではなくて……人間が書いたものだから、本にも欠点はあります……最後は、欠点を許せなくても受け入れられるか……欠点や問題があったとしても、愛せるかどうかで、決まる気がするんです」

栞子さんの言葉が胸に響く。

2024年3月25日、メディアワークス文庫、730円。

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2024年05月18日

佐久田繁編著『琉球王国の歴史』

長らく積読になっていた本を読んだ。
どこで買った本だったかな。

副題は「大貿易時代から首里城明け渡しまで」。沖縄の古代から、三山分立、第一尚氏王統、第二尚氏王統、薩摩藩の侵攻、ペリー来航、廃藩置県までの歴史を記している。

「東洋のジブラルタル」ともいわれる戦略的要衝にある沖縄は、世界や日本の潮流の変わり目ごとにほんろうされ「地理は歴史の母」であることを痛感させられています。

編者が巻末にこのように書いている通り、中国や日本との関わりの中で独自の体制や文化を育んできた沖縄の苦闘の歴史がよくわかる。

中山が1372年初入貢して11年後の1383年、明朝は沖縄を『琉球』と命名、和名の「沖縄」より唐名の「琉球」が国際的通称になった。
幕府が開国を断るなら琉球を占領するつもりだったペリーは、入港10日後の6月6日、大砲2門と210人の海兵隊をひきいて首里城に向かい、開港を強要(…)
琉球藩内では日清両属の現状維持に固執する多数派の頑固党と、百年の大計のためには日本に専属すべしと主張する少数派の対立が激化するが、諸藩と同様に、『琉球藩存続』では一致していた。

本書は1879年の沖縄県設置(首里城明け渡し)で終っているのだが、その後の沖縄戦やアメリカによる占領、本土復帰などを考える上でも、沖縄の歴史をよく知っておく必要があると感じた。

1999年9月、月刊沖縄社、1000円。

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2024年05月17日

藤原明『日本の偽書』


2004年に文春新書から出た本を文庫化したもの。

『上記(うえつふみ)』『竹内文献』『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』『秀真伝(ほつまつたえ)』『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』『先代旧事本紀大成経』という6つの偽書を取り上げて、その内容や成立過程について論じている。

著者の狙いは真贋論争をすることではなく、偽書を学問として捉えることだ。

真に必要なことは、偽書というものが存在するのも一つの歴史的事実であることをうけとめ、それがどういう意味を持つのかを醒めた目で分析し、学問の上に位置づけることにあると考える。

その上で「言説のキャッチボール」などを通じて偽書が生み出される経緯を検証している。特に面白かったのは中世の注釈に関する話で、単に本文に付随する説明ではなかったらしい。

古典の本文を深読みすることも含め、本文を遊離した新たな伝承ともいえる言説が創造されるという性質がみられ、現代の注釈が「つける」ものであるのに対して、中世の注釈は「つくる」ものという関係にあるという。

短歌に関わる話も出てくる。

『秀真伝』は近世にはすでに存在していたが、明治以降、小笠原通当の一族の子孫、小笠原長城・長武父子が、歌人佐佐木信綱のもとに宮中への献上文を付けた『秀真伝』を送り、信綱を通じて目的を果たそうとしたが、信綱に偽書として一蹴されてしまった。

さすが信綱!

院政期の文化に関して、「文狂い」という現象が注目されている。(…)この「文狂い」という現象は、歌学の世界にもみられた。歌合の場で『万葉集』に存在しない架空の万葉歌を捏造する等の行為として現れる。

自分の詠んだ歌の本歌として万葉歌を捏造したというのだ。何とも面白い話で、詳しく調べてみたくなる。

2019年5月20日、河出文庫、760円。

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2024年05月12日

岡真理『ガザとは何か』


副題は「パレスチナを知るための緊急講義」。

2023年10月20日に京都大学で行われた「緊急学習会 ガザとは何か」と10月23日に早稲田大学で行われた「ガザを知る緊急セミナー 人間の恥としての」における講演をもとに編集、再構成したもの。

現在ガザで起きていることの背景や原因を明らかにするとともに、私たち一人一人が何をなすべきか問い掛けている。

パレスチナとイスラエルの間で起きていることは、「暴力の連鎖」でも「憎しみの連鎖」でもありません。これらの言葉を使うかどうかで、それが信頼できるメディアか、信頼できる人物かどうか、その試金石になります。
イスラエルは、パレスチナに対して行使するありとあらゆる暴力を、自分たちがユダヤ人であること、ホロコーストの犠牲者であることをもって正当化し、自分たちに対する批判の一切合切を「反ユダヤ主義」だと主張してきました。日本のマスメディアはあたかも、イスラエル=ユダヤ人であるかのように報道しています。
もちろん、今生きていくためにはそうした人道支援は不可欠です。でも、封鎖や占領という政治問題に取り組まずに、パレスチナ人が違法な占領や封鎖のもとでなんとか死なずに生きていけるように人道支援をするというのは、これは、封鎖や占領と共犯することです。だから、政治的な解決をしなければいけないんです。

イスラエルという国家やシオニズムの問題とユダヤ人に対する差別や迫害の問題を、まずは冷静に区別して考える必要があるのだろう。

その上で、昨年10月7日のハマスの攻撃を起点に考えるのではなく、2007年のイスラエルによるガザ封鎖、さらには1948年のイスラエル建国まで遡って、争いの原因や解決策を考える必要がある。

2023年12月31日、大和書房、1400円。

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2024年04月23日

下重暁子『家族という病』


60万部を超えるベストセラーになった本。

「ほんとうはみな家族のことを知らない」「家族は、むずかしい」「家族という病」といった刺激的な章題が並んでいる。

多くの人達が、家族を知らないうちに、両親やきょうだいが何を考え感じていたのか確かめぬうちに、別れてしまうのではないかという気がするのだ。
都会で独居してそのまま亡くなるケースを人々は悲惨だというが、はたしてそうだろうか。本人は一人暮らしを存分に楽しみ、自由に生きていたかもしれない。
「お子さんがいらっしゃらなくてお淋しいですね」という人がいますが、今あるものがなくなったら淋しいでしょうが、最初からなかったものへの感情はありません。

こんな文章を読んで、思い出したのは次の二首。

沢瀉(おもだか)は夏の水面の白き花 孤独死をなぜ人はあはれむ/雨宮雅子『水の花』
子はなくてもとよりなくてさびしさを知らざるわれをさびしむ人は/草田照子『旅のかばん』

いろいろと考えさせられる内容の一冊だった。

2015年3月25日、幻冬舎新書、780円。

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2024年04月18日

鎌田慧『日本列島を往く(5)』


副題は「夢のゆくえ」。
昨年、只見町の「たかもく本の店」で購入した本。

沖縄県本部町、北海道別海町、広島県因島市、香取開拓団、福島県三島町を訪れて記したルポルタージュ。それぞれの地で行われた沖縄海洋博やパイロットファーム、造船、開拓、ダム建設のその後を描いている。

このシリーズは20年くらい前に読んだはずなのだが、この1冊は未読だったようだ。

縫製工場が進出する計画もあるが、男の採用にはつながらない。失業地帯に低賃金の縫製工場が進出してくるのは、全国に共通した現象である。一家の主が失業すれば、主婦がはたらきに出なければならない。失業者が多ければ多いほど、パートの希望者がふえ、競争が激しくなって、安い賃金ではたらくようになる。
戦後の「緊急開拓事業」は、一九四五年一一月の閣議決定によるのだが、食糧増産と引揚者や戦災者の帰農対策との一石二鳥を狙うものだった。それはある意味では、戦前の「満州移民」の後始末でもあった。満州に移植させられたひとたちは、命からがら帰国したあと、こんどは「内地」の無人地帯に追放されたのだ。
こうして只見川流域には、東北電力が一三、電源開発が八、あわせて二一の発電所が並ぶことになった。福島県は水力発電のあと、東京電力の合計一〇基の原発を引き受けて、太平洋岸に並べ建て、「原発銀座」をつくりだした。文字通り「電力県」となったのだが、土木工事と交付金による、立地町村の好況は、一瞬のうちに過ぎ、それぞれ過疎地に転落している。

本書に収められた文章が書かれたのは1980年代のこと。それから、さらに約40年の歳月が過ぎた。インタビューを受けた人たちはその後どのような人生を送り、町は今どんなふうになっているのだろう。

2004年5月18日、岩波現代文庫、1000円。

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2024年04月14日

北野新太『透明の棋士』


将棋や棋士に関する文章17篇を収めた本。
ミシマ社の「コーヒーと1冊」シリーズ2。
https://mishimasha.com/coffee/

将棋と特に縁のなかった著者は、2005年の瀬川晶司の棋士編入試験をきっかけに将棋や棋士に興味を持ち始める。

今の私にとって将棋は不可欠な存在となっている。(…)なぜか。今の私にとって将棋以上に震える対象はないからだ。棋士以上に興味を惹かれる存在などいないからだ。

そんな著者が、里見香奈、三浦弘行、屋敷伸之、中村太地、羽生善治、渡辺明、森内俊之といった棋士の勝負を追い、話を聞く。

「6六銀は、ここに銀を捨てるからすごい手なんですよと、プロがアマチュアにすぐ説明できるじゃないですか。トップのプロが感心する一手というのは、もうちょっと難しくて地味なところの手ですね」(渡辺明)
「相手を打ち負かそうという感情は薄いと思います。でも、将棋は勝つか負けるかしかないので、負けないためには勝つしかないんですよね。負けるのは嫌なんです」(森内俊之)

勝つか負けるしかない世界の厳しさと潔さ。そこでは言い訳も弁解も肩書も年齢も、何の役にも立たない。

どれだけ優勢に立った終盤戦でも、三点リードの後半ロスタイムといった状況は存在しない。あるとすれば、三点リードで迎える九回裏二死満塁しかない。

なるほど。一手の持つ怖さが実によくわかる比喩だ。

2015年5月25日第1刷、2017年12月20日第4刷。
ミシマ社、1000円。

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2024年04月06日

「THE伏見」編集部編『歴史でめぐる伏見の旅』


京阪「丹波橋駅」の改札内にあった水嶋書房(先月27日に閉店)で購入した1冊。

古代から近代にいたる伏見(深草・稲荷・桃山・鳥羽・醍醐・淀)の歴史をたどるガイドブック。伏見に住んで23年になるが、まだ知らないことがいろいろとあった。

伏見を知る上で欠かせないのは、この町が、かつて「港湾都市」だったという視点ではないだろうか。現代の私たちからすれば港といえば海辺にあるものと思いがちだが、移動と運輸の主が船だった時代には、水運の要衝は政治・経済・軍事の面から重視された。
伏見を深く知るためのキーワードは「水」。古くは「伏水」とも書き、その字の通り、いまも伏流水(地下水)に恵まれた地です。
明治天皇崩御後、旧伏見城跡に陵墓が造られることになり、大正元年(一九一二)九月に桃山大葬列が行われました。その後も御陵参拝者は多い時には年間三十万人が訪れ、周辺の商店や旅館はおおいににぎわいました。
秀吉はなぜ伏見に城を造ったのか、平安時代の絶対王者・白河院の離宮はなぜ鳥羽だったのか。なぜ龍馬は伏見を拠点にしていたのか。港町というキーワードを知れば、あっけないほどにわかる謎ですが、伏見が港の機能を失って半世紀、巨椋池が姿を消して八十年近い時間が流れる中で、鍵は歴史の中に埋もれ、伏見の本当の魅力は見えにくくなってしまっています。

このところ気温が20度を超す暖かな日が続いている。また伏見のあちこちを散策してみよう。

2015年10月4日、淡交社、1500円。

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2024年03月12日

山舩晃太郎『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』


2021年に新潮社から出た単行本に、巻末の丸山ゴンザレスとの対談を追加して文庫化したもの。

「アメリカで水中考古学を学んでみたい!」という夢を持って渡米した著者が、自らの経歴や水中考古学の発掘の様子などを記している。

留学当初は英語がわからずタクシー料金をぼったくられたり、食べ物を買うこともできない日々が続く。

実は、アメリカのマクドナルドではハンバーガー単品のことを「サンドウィッチ」、セットメニューのことを「ミール」という。そんなことは全く知らない私は「バーガーセットプリーズ」と完全な日本人発音の英語で懇願していたのである。

それでも諦めることなく、ついにはテキサスA&M大学で船舶考古学の博士号を取得し、ギリシャ、クロアチア、イタリア、バハマ、コスタリカ、ミクロネシア連邦など世界各地の海で発掘調査をするまでに至る。

ユネスコは少なく見積もっても、世界中には「100年以上前に沈没し」、「水中文化遺産となる沈没船」が300万隻は沈んでいるとの指標を出している。

300万隻という数字からは、まだまだ調査されていない船が無数に海底に眠っていることがわかる。

19世紀の終わりに飛行機が発明されるまでは唯一、人が海を越えるための乗り物が船だった。そのため、常にその時代の最先端の技術がつぎ込まれている。

これは現代人が意外と気づかない観点かもしれない。船は最先端のテクノロジーの産物であり、沈没船や積荷を調べることで、当時の技術水準や交易の様子が明らかになるのだ。

では、どのようなタイミングで帆船は海難事故に遭うのであろか? 圧倒的に多いのは、「港を出てすぐ」と「港に帰ってくる時」なのだ。船は基本的には水深の浅い海岸線から距離を取って移動をする。しかし、出港と帰港のタイミングはどうしても陸に近づかなければならない。この時、暗礁や浅瀬に船の底が接触したり、乗り上げたりして座礁する危険性が圧倒的に高くなるのである。

これも言われてみれば当り前の話ではあるが、盲点だった。飛行機は離陸と着陸の時が事故の危険性が高いが、船も同じなのであった。

2024年2月1日、新潮文庫、590円。

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2024年03月09日

平野雄吾『ルポ入管』


副題は「絶望の外国人収容施設」。

日本の入管制度の問題点や非正規滞在(不法滞在)の外国人の現状を描いたルポルタージュ。2018年から19年にかけて共同通信に配信された数十本の記事が基になっている。

これまであまり関心を持たずに過ごしてきてしまったので、学ぶことが非常に多かった。2007年から2019年の間に入管施設内では自殺や病気により15名もが亡くなっている。病院に運ばれず亡くなった方もあり、何とも痛ましい。

解体、建設の現場に加え、農業や工場、飲食業……。人手不足が続く産業で、非正規滞在者が働き、日本経済の一翼を担う現実は間違いなく存在する。
元実習生らの例を見ればわかるように、根本には「移民政策は採らない」「単純労働者は受け入れない」と掲げながら、「技能実習」や「留学」という歪んだ制度で外国人の労働力を確保する政府全体の問題がある。
入管施設の収容を経験した外国人の多くは「あそこは無法地帯だった」と話す。一方で、入管庁は「法に従い適切に運営している」と強調する。

外国人労働者や移民に対する日本(政府)の建前と本音の乖離が、日本に来る外国人や現場の入管職員に大きな負担を強いる結果となっているのだ。さらに、そこには外国人に対する差別の問題も複雑に絡んでいる。

この問題については、今後も引き続き関心を向けていきたい。

2020年10月10日、ちくま新書、940円。

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2024年03月05日

中貝宗治『なぜ豊岡は世界に注目されるのか』


2001年から2021年まで20年にわたって兵庫県豊岡市長を務めた著者が、「小さな世界都市」を目指した取り組みについて記した本。

コウノトリの野生復帰や演劇によるまちづくりなど、ユニークな施策を次々と行ってきた経緯やそのもととなる考え方などが詳しく述べられている。

地方創生とは、「より大きく、より高く、より速いものこそが偉い」とする一元的な価値観との闘いであるとも言えます。豊岡は、「深さ」と「広がり」を極めていこうと努力を重ねてきました。
ある建物が壊されてなくなると、そこに何があったのか思い出せない、ということがしばしばあります。古くなったものが絶えず壊されていくまちづくりは、記憶喪失のまちを作るようなものだと、私は思います。

印象に残ったのは、いろいろな面で言葉を大切にしていること。「コウノトリも住める環境を創ろう」というスローガンは「コウノトリが」ではなく「コウノトリも」であるところが大事だと著者は言う。

こうした言葉へのこだわりや言葉の持つ力への信頼は、本書のいたるところから感じられる。

まちづくりは、手紙を書いているようなものだと思います。その宛先は、子どもたちです。

豊岡にまた行ってみたくなってきた。

2023年6月21日、集英社新書、1000円。

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2024年03月02日

安田浩一『団地と移民』


副題は「課題最先端「空間」の闘い」。

戦後の住宅難を解消するために全国各地に建てられた団地。その歴史と現在を描いたルポルタージュである。

著者は、公団団地第一号の金岡団地(堺市)、孤独死問題に取り組む常盤平団地(松戸市)、日活ロマンポルノの舞台となった神代団地(調布市、狛江市)、中国人が多く住む芝園団地(川口市)、移民が多く住むブランメニル団地(パリ)、中国残留孤児の多く住む基町団地(広島市)、日系ブラジル人が多く住む保見団地(豊田市)など、各地の団地を取材して回る。

団地はなにもかもが新しかった。銭湯通いが当たり前だった時代に、夢の「風呂付き住宅」である。しかも食卓と寝室が分かれていることも、庶民にとっては珍しかった。そのころは食事を負えたら座卓を片づけ、夜具を整えるのが当たり前だったのだ。

かつてはこのように生活スタイルの最先端であった団地は、現在では住民の高齢化と外国人入居者の増加によって、日本の未来を占う最先端の場所となっている。

ただでさえ交わることの少ない高齢者と若年層の間に、人種や国籍といった材料が加わり、余計に溝を深くする。敵か味方か。人を判断する材料がその二つしかなくなる。/団地はときに、排外主義の最前線となる。
団地ではいま、高齢者住民と外国人の間に深刻な軋轢が生まれている。異なった生活習慣と文化を持った人々への嫌悪(ゼノフォビア)は、まだまだ日本では根強い。/そこに加えて、日本社会の一部で吹き荒れる排外主義の嵐が、団地を襲う。

一方で、こうした課題にうまく対応することができれば、多文化共生の絶好のお手本になる場所でもある。そうした取り組みも既に各地で始まっている。

政府の思惑が何であれ、少子化と急激な高齢化が進行する以上、好むと好まざるとにかかわらず、移民は増え続ける。/その際、文字通りの受け皿として機能するのは団地であろう。/そう、団地という存在こそが、移民のゲートウェイとなる。

今、団地がおもしろい。これからも注目していきたい。

2022年4月10日、角川新書、920円。
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2024年02月26日

原武史『最終列車』

著者 : 原武史
講談社
発売日 : 2021-12-10

2020年に休刊した講談社のPR誌「本」に連載した文章を中心に、コロナ後の鉄道についての考察を追加してまとめたエッセイ集。

政治学者でもある著者は、鉄道に関するマニアックな話を記すだけでなく、そこから社会や時代、文化の姿を読み取っていく。鉄道という切り口からの社会批評と言っていいだろう。

政治的には中央集権体制だった明治時代のほうが、現在よりも東京のターミナルは分散していた。東海道本線は新橋、中央本線は飯田町、東北本線や常磐線は上野、総武本線は両国橋がターミナルだったからだ。
駅構内での放送の記憶をたぐり寄せてゆくと、少なくとも七〇年代までの鉄道は、視覚よりも聴覚を通した案内の割合が高かったことがわかる。聴覚と鉄道は、密接なつながりがあったのである。
アウシュヴィッツに送られたユダヤ人と長島に送られたハンセン病患者は、単に貨物列車に乗せられたという点で共通するだけではなかった。その根底に横たわる思想にまで、共通性があったのである。
そこに居合わせる人々との予期せぬ出会いもまた、オンラインにはない鉄道ならではの体験と言ってよい。明治以降のすぐれた小説や童話は、まさにこのテーマを扱ってきた。それは夏目漱石の『三四郎』や、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を見ても明らかだろう。

天皇が鉄道を詠んだ短歌も登場する。鉄道×短歌。

明治以降、日本の鉄道は〈男性〉と結びついてきた。一九八八(昭和六十三)年の歌会始で、昭和天皇は「国鉄の車にのりておほちちの明治のみ世をおもひみにけり」という和歌を詠んでいる。
六五年五月七日、天皇と皇后は初めて東海道新幹線を利用した。9時30分に東京を出た特別列車は、新大阪に13時30分に着いた。天皇は「四時間にてはや大阪に着きにけり新幹線はすべるがごとし」と詠んでいる。

個人的に印象に残ったのが、小田急線の駅名の付け方についての話。

小田急の「前」に対するこだわりは、これで終わったわけではなかった。八七年に大根が東海大学前に、九八年に六会が六会日大前にそれぞれ改称されている。学校に「前」を付ける習慣が開業当初の成城学園前から始まっていることを踏まえれば、一種のお家芸と言ってもよい。

なるほど、そうだったのか! 生家は小田急線の玉川学園前が最寄駅だったので、何とも懐かしい。

2021年12月8日、講談社、1800円。

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2024年02月22日

野矢茂樹『言語哲学がはじまる』


「ミケは猫だ」という簡単な文をスタートに、意味とは何か、固有名とは何か、言語とは何か、といった問題に深く迫っていく言語哲学の入門書。

二〇世紀の哲学を特徴づける言葉として「言語論的転回」と言われたりもします。哲学の諸問題は言語を巡る問題として捉え直されるべきだとして、言語こそが哲学の主戦場だと見定められたのです。

こうした認識のもとに、主にフレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタインの3人の思考の道筋をたどっていく内容となっている。

扱っているのは難しいテーマなのだが、著者は一つ一つ噛み砕くように説明し、ともに考え、読者を導いてくれる。また、時には「考えるマーク」を挟んで、読者に自分の頭で考えるよう促したりもする。

哲学は思考の実験場のようなものですから、ある前提を引き受けたならば、それをいわば純粋培養して、その前提の正体を見きわめようとします。
語の意味は、文以前にその語だけで決まるのではなく、文全体との関係においてのみ決まる。これが文脈原理です。
いま向こうに見えている「あれ」が「富士山」なのではなく、「あれ」を「富士山」と認定させる知識が「富士山」という語の意味なのではないでしょうか。

最後まで読んでくると、ウィトゲンシュタインに対する興味がぐんぐん湧いてくる。いきなり『論理哲学論考』を読むのは無理だろうから、とりあえず野矢茂樹『ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を読む』を読んでみようかな。

最初に野矢さんの名前を知ったのは20代の頃に読んだ『無限論の教室』だった。それ以降、何冊か読んだけれどどれも面白い。

https://matsutanka.seesaa.net/article/387138366.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138617.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/387139293.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/397563094.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/433829507.html

2023年10月20日、岩波新書、1000円。

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2024年02月17日

アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ』


副題は「ル=グウィンの小説教室」。

「ゲド戦記」シリーズなどで知られる著者が、ワークショップで実践していた小説の書き方をまとめた本。テーマごとの解説と実例、そして練習問題といった構成になっている。

小説についての話であるが、短歌とも共通する部分がけっこうある。

技術が身につくとは、やり方がわかるということだ。執筆技術があってこそ、書きたいことが自由にかける。また、書きたいことが自分に見えてくる。
書き上げたばかりの自作に対する自分の判断なんて信用できないというのが、作家における数少ない常識のひとつだ。実際に少なくとも一日二日空けてみないと、その欠点と長所が見えてこない。
良作をものにしたい書き手は、名作を学ぶ必要がある。もし広く読書をしておらず、当代流行の作家ばかり読んでいるのなら、自らの言語でなしえることの全体像にも限界が出てくる。
飛び越えるとは、省くということ。省けるものは、残すものに比して際限なくたくさんある。語のあいだには余白が、声のあいだには沈黙がないといけない。列挙は描写ではないのだ。

合評会についての話も出てくる。こちらも歌会と共通する点が多い。

創作仲間でいい合評ができると、お互いの励ましになる上、仲良く競い合うことも、刺激的な討論も、批評の実践も、難しいところを教え合うこともできる。
何らかの修正案は確かに貴重だが、敬意のある提案を心がけよう。自分には修正すべき方向性がわかっているという確信があっても、その物語はあくまで作者のものであって、自分のものではない。
作者としては自作が批評されると、どうしても弁解しようと、ムッとして言い訳や口答え、反論がしたくなるものだ――「いやでもその、自分の真意としては……」「いや次に書き直すときにそうしようと思ってて」。こういう反応は禁止しておくと、そんなことのために(自分や相手の)時間を無駄にしなくて済む。

面白く読んだ本なのだが、もともと英語の文章の書き方の話なので、言葉のひびきや文法に関する部分などどうしても翻訳では限界がある。丁寧な注釈や解説も付いているが、おそらく原文で読まないと伝わらない部分も多いだろうと感じた。

2021年7月30日、フィルムアート社、2000円。

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2024年02月16日

宮本常一『ふるさとの生活』


民俗学の調査で全国各地を訪れた著者が、村の成り立ちや暮らしの様子を子ども向けにわかりやすく記した本。原著は1950(昭和25)年に朝日新聞社から出ている。

70年以上前の本なので現在では失われた生活や風習の話もでてくるが、その分、貴重な記録にもなっている。また、時代を超えて変わらない部分が多いことにも気付かされる。

歴史は書かれている書物のなかだけにあるのではなく、このような、ほろびた村のあとにも、また私たちのくらしのなかにもひそんでいます。
徳川時代に、村長にあたる役目を、東日本では、名主とよんでいるところが多いのです。西日本では、庄屋というのが一般的です。
神主というのは、今では職業的になっていますが、昔は村の人々がつとめました。村によっては、今でもこのならわしがおこなわれています。
正月と盆は、ちょっと見れば、少しも似ているとは思えませんが、農村でおこなわれていることをしらべてみると、いろいろと似ている点もあり、もとは同じような祭りであったと思います。

日本各地のさまざまな様子も描かれている。

岩手県の三陸海岸は津波の多いところで、海岸にある村が、何十年目かに一度さらわれてゆきます。(…)長いあいだ、津波もないから、もういいだろうなどと思って、海辺に家をたてているとひどい目にあいます。

まさに東日本大震災の津波被害を思わせる記述だと思う。

まずケズリカケとかケズリバナというものをつくります。ヌルデやミズブサの木のようなものをうすくけずって、その端は、木につけたままにして花のようにするのです。それを神様にそなえます。

小正月に供えられていたという削り花。アイヌのイナウ(木弊)によく似ている。

長野県の山中で、多くの人々がおいしいものとして喜んだ「飛騨ブリ」という魚は、もとは富山県の海岸でとれたものですが、馬やボッカの背によって飛騨にはこばれ、さらにそこから、飛騨山脈をこえて長野県へ持ってこられたのです。そのあいだに、塩がちょうどよいかげんにきいてきて、おいしくなっているというわけです。

若狭から京都に鯖を運んだ鯖街道など、全国各地にこうしたルートがあったのだろう。

宮本常一はやっぱりいいな。

1986年11月10日第1刷、2000年3月28日第14刷。
講談社学術文庫、800円。

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2024年02月10日

津端修一・津端英子『なつかしい未来のライフスタイル』


副題は「続・はなこさんへ、「二人からの手紙」」。
『高蔵寺ニュータウン夫婦物語』の続編である。
https://matsutanka.seesaa.net/article/494647572.html

第T章「私のクラインガルテン12カ月」(津端英子)は、季節ごとの畑の作業や手作りの方法などを記したもの。第U章「拡散する自由時間の旅」(津端修一)は、スペイン・ドイツ・イタリア・ポリネシアなどを旅して世界の今後について考察したもの。

まったく違う内容の夫婦合作となっているのが面白い。文体にもそれぞれの特徴がよく表れている。

あたたかくなると、果樹の下のにらが大きく育ってきます。果樹につく油虫はこれが嫌い。年に五、六回は刈って根元に敷き並べると、消毒の必要がありません。〈果樹とにら〉のような関係をコンパニオン、プランツ、共生植物というのだそうです。(第T章)
年間一兆ドルを上まわる世界の総軍事費支出が、東西の政治的緊張を少しも和らげることができなかったのに、市民たちの自由を求める国際交流は東西の国境を確実に取り払い、それ以上の成果をあげてきた。(第U章)

ちょっと驚いたのが、「日本の本州は、世界第七位」の面積の島だという話。そんなに大きかったのか! 確かに調べてみると、グリーンランド、ニューギニア島、ボルネオ島、マダガスカル島、バフィン島(カナダ)、スマトラ島についで第7位であった。びっくり。

1998年8月10日第1刷、2017年11月10日第2刷。
ミネルヴァ書房、2200円。

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2024年02月06日

國分功一郎『中動態の世界』


副題は「意志と責任の考古学」。

かつてインド=ヨーロッパ言語に広く存在していた「中動態」というボイスを手掛かりに、私たちの「意志」「選択」「責任」「自由」といった問題について、哲学的な考察をしている。

小さな疑問や問いを疎かにすることなく、過去の哲学者たちの論考も参照しながら、地道に考えを深めていく。そして、階段を一歩一歩のぼっていくように丁寧に言葉で整理していく。読者はその思考の筋道を著者と伴走することになる。

久しぶりに、じっくりと脳を使う心地よい読書体験だった。

中動態を定義したいのならば、われわれがそのなかに浸かってしまっている能動対受動というパースペクティヴを一度括弧に入れなければならない。
「私」に「一人称」という名称が与えられているからといって、人称が「私」から始まったわけではない。
現代英語においても、受動態で書かれた文の八割は、前置詞byによる行為者の明示を欠いていることが、計量的な研究によってすでに明らかになっている。
「見える」は文語では「見ゆ」である。同じ系統の動詞にはたとえば「聞こゆ」や「覚ゆ」などがある。この語尾の「ゆ」こそが、インド=ヨーロッパ語で言うところの中動態の意味を担っていたと考えられる。
われわれがいま「動詞」と認識している要素が発生するよりも前の時点では、そもそも動詞と名詞の区別がない。単に、そのような区別をもたない言葉があったのである。

アリストテレス、トラクス、バンヴェニスト、デリダ、アレント、ハイデッガー、ドゥルーズ、スピノザといった哲学者や言語学者の話が出てくる。古代ギリシアから現代にいたる人類の長い歴史と脈々と続く思考の流れを感じる内容だ。

中動態という概念は、例えば近年の性的同意の問題や、京アニ放火事件の被告の成育歴と責任の問題を考える上でも有効だと思う。また、仏教の他力本願のことなども思い浮かんだ。

2017年4月1日、医学書院、2000円。

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2024年01月28日

エリック・ホッファー『現代という時代の気質』


1972年に晶文社より刊行された本の文庫化。柄谷行人訳。

「未成年の時代」「オートメーション、余暇、大衆」「黒人革命」「現代をどう名づけるか」「自然の回復」「現在についての考察」の6篇を収めた批評集。

1965〜66年に発表された文章なので時代背景も大きく違い、理解の難しい部分も多かった。

アフォリズム的に印象に残った文章を引いておく。

無為を余儀なくされた有能な人間の集団ほど爆発しやすいものはない。
文字は書物を書くためではなく、帳簿をつけるために発明されたのだ。
権力というものはつねに人間の本性、つまり人間という変数を行動の方程式から消去してしまおうという衝動を帯びている。
アメリカにおける黒人のジレンマは、彼がまず黒人であり、個人であるのは二次的なことにすぎない、ということである。
われわれが権力を満喫するのは、山を動かしたり川の流れの方向を左右したりするときではなく、人間を物体、ロボット、傀儡、自動人形、あるいは本物の動物に変えることができるときなのだ。

こうした文章は、発表から50年以上経った今も十分に通用する内容だと感じる。

2015年6月10日、ちくま学芸文庫、1000円。
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2024年01月24日

吉村昭『海軍乙事件』


1976年に刊行された単行本に1篇を加えて文庫化したもの(1982年)の新装版。

「海軍乙事件」「海軍甲事件」「八人の戦犯」「シンデモラッパヲ」の4篇を収めている。幅広い資料収集と取材を基にした戦記文学で、どれも読み応えがある。

「海軍乙事件」では、ゲリラの捕虜となった連合艦隊参謀長以下9名や救出に当たった部隊について、生存者に話を聞いて詳細を明らかにしている。

また、「海軍甲事件」では、撃墜された山本五十六司令長官機を護衛した六機の戦闘機のパイロットたちのその後をたどっている。

歴史の表舞台には出て来ないこうした人々の姿を丁寧に掘り起こしているところが、大きな特徴と言っていいだろう。

「シンデモラッパヲ」は、日清戦争で戦死したラッパ卒をめぐる軍国美談と騒動を冷静な目で描いている。

源次郎の生地船穂町では、日清戦役で戦死したのは白神源次郎ただ一人であったが、日露戦役では一四名、日華事変・太平洋戦争では実に二二〇名の戦死者数にふくれあがっている。

1名→14名→220名。時代が進むにつれて戦争の規模が拡大していく様子が如実にわかる数字だと思う。

2007年6月10日、文春文庫、524円。

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