2025年07月21日

永田和宏『人生後半にこそ読みたい秀歌』


朝日新聞出版のPR誌「一冊の本」に2年間連載された文章をもとにまとめた一冊。

「老いのユーモア」「定年と退職」「離婚・再婚」「介護の歌」「病の歌」「酒のたのしみ」「孫との日々を楽しむ」といったテーマに沿って歌を紹介するとともに、中年期以降の生き方について考察している。

(石川啄木『一握の砂』の「はたらけど……」について)
おそらくこの歌を知らない日本人は皆無でしょう。さほどいい歌とも思えないのですが、なぜこんなにも有名になったのか、歌の運命ということも思わせる一首でもあります。啄木と聞いただけで、多くの人は「ぢつと手を見る」を連想してしまう、ほとんどことわざ化した一首と言ってもいい。

この「ことわざ化」という点に啄木短歌が読まれ続けるヒントがあるのかもしれない。

行くところあるが如くに出でて来て行くところなき十余り五歩
              石田比呂志『忘八』

「おひとり様の老後」で紹介されているこの歌も、啄木の「家を出て五町ばかりは、/用のある人のごとくに/歩いてみたれど――」(『悲しき玩具』)を思い出させる。石田は啄木の歌集を読んで歌を詠み始めた歌人であった。

一般に、そこに何かが〈ある〉ことに気づくことはあっても、何かが〈ない〉ことに気づくことは、はるかに困難なことであります。コンピューターの検索機能は便利で、文書のなかに紛れ込んでいる言葉を検索するのは至極簡単ですが、そこに〈ない〉言葉を検索することは基本的にできないわけです。
本来、漢字の「癌」は上皮細胞の腫瘍のみに用い、ひらがなの「がん」は、悪性腫瘍全体を指すときに用いるとされているのですが、一般社会ではこの区別はほとんど知られていないでしょうし、使い分けられてもいないようです。

これは全く知らない話だった。単に「癌」という漢字が難しいからひらがなを使うことがあるのだと思っていた。細胞生物学者である著者は、歌を読んでいても表記が気になってしまうことがあるのだろう。

全体に文章がのびやかで、楽しんで書いている様子が伝わってくる。また、私自身が「人生後半」を生きていることもあって、思い当たることや身につまされることが多くあった。

2025年4月30日、朝日新聞出版、1800円。

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2025年07月18日

大辻隆弘『私性とリアル 短歌時評08-20』


青磁社評論シリーズ12。
2008年から2020年までに書かれた時評的な文章計83篇を収めた時評集。

第一章に「私性という黙契」「写生という遺産」「戦後短歌のアポリア」という総論的な3篇が載っていて、これを読めば大辻の基本的な考えがよくわかるようになっている。以下、第二章は総合誌や結社誌に載った文章、第三章は新聞に載った文章という構成だ。

読者の側から見た「私性」とは、歌の文面の中や文面の背後に一人の人物像を感じ取ってしまう、という現象である。その人物像は、一首目の歌のように「登場人物」であったり、二首目の歌のように「視線の主」であったり、三首目の歌のように「言語構築の主体」であったりする。
永井の歌は「テクニックのない歌」では決してない。むしろ彼の歌は、「てにをは」を中心として彼自身が編み出した言葉の使いざまを、きわめて戦略的・意識的に駆使した巧緻な歌なのだ。
近代短歌はそもそも個に密着した詩であった。が、ことに震災や原発事故を歌おうとするとき、その構造はある限界に遭遇してしまうのではないか。
分かり合えないかもしれない。でも、分かり合うことへの希望は失わない。そんな成熟した対話の場をつくり得るか否か。短歌の明日は、その一点に掛かっている。

大辻の文章は論旨が明快で教えられることが多くある。永井祐を「あたらしき「てにをは」派」と位置付けたり、斉藤斎藤の連作から「多声化の方法」を読み解いたりするなど、随所に鋭く深い分析を見せている。

「東京から来た転校生 ―穂村弘『水中翼船炎上中』―」はユニークな穂村弘論。初出が同人誌ということもあって、ちょっと他の文章とは雰囲気が違う。「レ・パピエ・シアン」に載ったときにブログに感想を書いたことがある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/461745026.html

大辻は長年にわたって精力的に短歌に取り組み続けている。何よりも感心させられるのは、歌集を出すだけでなく、講演をすれば講演集、評論を書けば評論集、時評を書けば時評集と、自らの書いた文章や講演の内容を必ず本にしていることだ。

書きっぱなし、喋りっぱなしではなく、自らの考えや理論をきちんと体系立てて本にまとめ、誰もが読めるものにしておく。これは簡単なことではない。そこには大辻の強い意志が働いているように思う。

2025年2月19日、青磁社、2700円。

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2025年07月15日

林和清『塚本邦雄の百首』


副題は「塚本の血のあと」。

「歌人入門」シリーズの 13冊目。
このシリーズはどれもおススメのものばかり。

海も葡萄も眞(まさを)に濡れて秋が來る老人のやうに坐つてゐるな/第一歌集以前
原爆忌昏れて空地に干されゐし洋傘(かうもり)が風にころがりまはる/『装飾樂句』
水を切る敦盛蜻蛉(あつもりとんぼ)水くぐる維盛蜻蛉(これもりとんぼ) 男ははかな/『天變の書』
日向灘いまだ知らねど柑橘の花の底なる一抹の金/『豹變』
枇杷の汁股閧ノしたたれるものをわれのみは老いざらむ老いざらむ/『詩歌變』
三次(みよし)の街に晝飯くらふさびしさは北さして流れゆく川ばかり/『黄金律』
その夏の葬りの死者が戰死者にあらざるを蔑されき忘れず/『詩魂玲瓏』

初期から最晩年まで100首の歌の鑑賞を通じて、塚本の60年以上にわたる歌の変遷や特質がよく伝わってくる。

初出は一九五一年九月「日本短歌」、その時は「鮭色の踵の」だった。なぜ桃色に変えたのだろう。鮭のほうがよくないか。
名歌「夢の沖に」のあとに数首「鶴」の歌が続くのはやや興ざめの感がある。塚本は類歌の処理に関しての自己基準が、やや緩やかだったのではないか。
ただこの時期、先行する詩句のもじりやパロディで成立している歌が多すぎるように思う。多作は塚本の信条であったが、言葉の量で圧す方法には疑問が残る。

塚本に師事したことを「私の人生において無上の幸福であった」と記す著者だが、疑問点や批判すべき点はきちんと指摘しているところも印象に残った。これこそ文学における師弟関係のあるべき姿と言っていいだろう。

2025年6月30日、ふらんす堂、1700円。

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2025年07月13日

高山邦男歌集『Mother』

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晩年の母との暮らしを詠んだ第2歌集。
第29回若山牧水賞受賞。

金魚さんゐなくなつたと不安げな母に指さす水槽の中
親族が集ふ場にゐて妻のないわれは薄墨めいて座りぬ
歯ブラシとヘアーブラシを迷ひつつ母はもごもご歯磨きをする
今朝採つたキュウリ二本を母に見せ喜んでゐる母をよろこぶ
普通人の生活ありたる更地には墓標のごとく立つ水道栓
昼風呂の湯気に煙りてシャンプーが人形のごと窓辺にならぶ
先送りできる余裕のあることが若さだつたか月明かりの日々
わが亡父(ちち)は逆さまになり朝を待つ母が片付けしテーブルの上
高山さんはわが母のこと介護職の方には息子さんと呼ばれる
生きるとは死ぬまで生きむとする力テーブルの海に母の手泳ぐ

1首目、「ここにいるよ」と教えて、その都度母を安心させている。
2首目、結婚式や葬式などの場では夫婦や家族が一つの単位になる。
3首目、認知症の母との生活。同じブラシでも大きさがだいぶ違う。
4首目、キュウリの収穫自体よりも母が喜んでくれたことが嬉しい。
5首目、解体された家の後に残る水道栓。比喩がうまく効いている。
6首目、窓の外が明るいので何本かある容器が人形のように見える。
7首目、年を取って気づくこと。時間がたっぷりあった頃との違い。
8首目、逆さまになった父の遺影。悲しいような微笑ましいような。
9首目、介護の場面ではこうなる。利用者である母が中心の関係性。
10首目、生きようとする力が人間の心にも身体にも備わっている。

2024年7月7日、ながらみ書房、2300円。

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2025年07月11日

志垣澄幸歌集『雁喰』

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414首を収めた第15歌集。
歌集名の読み方は「かりばみ」。

海辺にて初日拝みし人ら去り初日はいつもの陽となりのぼる
夕闇に溶けてしまひしうつそみのまなこのみにて夜の道帰る
いのちはつる日は遠からず来むものを屋根越えてゆく鳩群れが照る
山頂に測候所ならむ一センチにも満たざる白き建物が見ゆ
消し忘れてゐたるトイレの灯がみゆるまだわれが中に居るやも知れず
夜となれば沼の面にあまたなる遠き宇宙の星がきて浮く
吹きあげられし傘にすがれる青年が雨の中に見ゆ駅前広場
幕がおりれば舞台より死者が立ちあがるやうにはいかぬ人生といふは
妻はひとり居間にすわりてありつたけの声を出させてゐたりテレビに
くさはらに陽を照り反す物体が空缶のかたちみせはじめたり
雑木林拓かれて工場が建つといふそのこと木々らに告げずにおかむ
まだわれと関はりのなき少女期の母が樹に凭るモノクロ写真
たなごころにいのちの重さつたはりてしなやかに竿を曲げるハヤたち
引退せし白鵬も青き服を着て会場内の整理してをり
昭和期の蚊ならむ定価五十円の古書にはさまれ干涸(ひから)びてをり

1首目、初日が拝まれるのは日の出の直後だけ。その後は平常運転。
2首目、身体が闇に没して眼だけが夜道を動いていくような感覚か。
3首目、旋回する鳩の美しい輝きを眺めて、そこに命を感じている。
4首目、「一センチにも満たざる」が面白い。実際は大きいのだが。
5首目、トイレの中にいる自分とトイレの明かりを見ている自分と。
6首目、動詞の選びがいい。「映る」ではなく「きて浮く」とした。
7首目、台風などで天気が大荒れなのだ。「すがれる」が実に巧み。
8首目、芝居の死者は生き返ることができるが現実はそうではない。
9首目、妻に何があったのかと思って読んでいくとボリュームの話。
10首目、光の反射でよく見えなかったのが近づいて空缶とわかる。
11首目、下句にユーモアと寂しさが滲む。好きな林だったのかも。
12首目、上句の言い回しに味わいがある。自分を産む前の母の姿。
13首目、身体感覚から始まって下句で釣りの場面だとわかる語順。
14首目、親方として仕事をする白鵬の姿。「白」「青」が鮮やかだ。
15首目、「昭和期」はユーモアだけでなく自身の姿も重ねているか。

2025年4月24日、江南書房、2000円。

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2025年07月10日

千種創一歌集『あやとり』

著者 : 千種創一
短歌研究社
発売日 : 2025-04-15

2013年から2025年の作品265首を収めた歌集。

祖母への取材を基にした「つぐ」89首や江戸時代の尾張藩主の紀行歌集の足取りをたどった「知多廻行録」など、コンセプチュアルな連作を多く含んでいる。

開演はふしぎな渚、際に立つ刹那すべての波音は消え
木の雨戸ごっとずらせばひとすじの月の光が右肩にある
このビルの向うに海があることをかもめの声に教えてもらう
電磁波に鮭あたためる、火に似せた暖光のなか鮭は回って
芋粥は霞みてゃぁに薄くって仙人だにゃぁのに私(あたし)らぁ
こんな不味(まず)て、ほんで美味しい芋粥も食べれせん、亡(の)うなったトヨちゃんは
神社には永遠みたいな池があり底に椿のいくつも沈む
幸せになってほしいと願うとき花火くらいのかげりはあった
海へ突堤が伸びてる この腕はつかみそこねた夏の何かを
波止場から子犬は歩く初秋の夢から帰ってきたような眼で

1首目、初二句のフレーズが印象的だ。演奏会が始まる一瞬の静寂。
2首目、オノマトペ「ごっと」と結句の動詞「ある」が効いている。
3首目、見えないけれど近くに海があるとわかったときの心の変化。
4首目、電子レンジの照明は温めには関係ないのだが安心感がある。
5首目、食糧不足のなか学徒動員で働いた祖母の証言を踏まえた歌。
6首目、方言まじりの話し言葉を実にうまく定型に取り入れている。
7首目、太古から存在するような池と毎年そこに咲いて落ちる椿と。
8首目、花火を「かげり」と捉えたのが印象的。微妙な心情が滲む。
9首目、「突堤が海へ伸びてる」とせず句またがりのリズムを使う。
10首目、三句以下の比喩がおもしろい。子犬の背後に海が広がる。

2025年4月7日、短歌研究社、2500円。

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2025年06月29日

笹公人歌集『終楽章』

著者 : 笹公人
短歌研究社
発売日 : 2022-08-20

第5歌集。

従来のSF的、オカルト的な作品だけでなく、父の介護を中心とした生活詠や境涯詠が含まれているのが目を引く。

認知症の父を探してまわる町に子連れの吉田を見かけ見送る
もう喋ることさえできぬ父の目に愚鈍な介護士として映りいるわれか
浅き眠りの父を傍(かたえ)に読みふける介護の歌なき万葉集を
流木のような足首持ち上げて最初で最後の親孝行せん
「おしん」見て大根めしをねだりたる小学二年の冬の食卓
グーグルアースに映れる絹の道をゆく白き小粒は三蔵法師か
予定地に光の柱のぼらしめ宗教画めくマンションチラシ
新型が枕詞となる日々にカップラーメンまた一個減る
懐かしのCM集を見飽きぬ夜 想い出の中はあたたかいから
二(ふた)文字の字余りも文明らしきかな土屋文明記念文学館

1首目、かつての同級生だろうか。境遇の違いを思わざるを得ない。
2首目、プロの介護士のようにはいかないけれど精一杯に介護する。
3首目、下句に発見がある。万葉集の頃はあまり長生きしなかった。
4首目、おむつを換えている場面。「流木のような」に実感がある。
5首目、貧乏の象徴なのだが子供心に美味しそうに見えたのだろう。
6首目、SF的な感覚の冴えた一首。夏目雅子のイメージもあるか。
7首目、よくあるタイプのチラシだが、なるほど宗教画っぽいのだ。
8首目、上句が面白い。「コロナウイルス」の前に必ず付いていた。
9首目、下句のストレートな言い回しが印象的。現実生活との落差。
10首目、施設名を7・9音と捉えた。文明には字余りの歌が多い。

私も一昨年母を亡くし今は父が施設に入所している状況なので、いろいろと身につまされる点が多かった。

2022年8月21日、短歌研究社、2000円。

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2025年06月22日

馬場めぐみ歌集『無数を振り切っていけ』


2011年に短歌研究新人賞を受賞した作者の第1歌集。
2011年から2024年までの321首を収めている。

(心配をかけてごめんね大丈夫気にしないでね)息を止めて打つ
浴槽は海に繋がっていません だけどいちばん夜明けに近い
死ぬさかな生きるさかなの境目が途切れこの眼は海を失う
涙しか辿りつけない場所があり道筋を思い出すために泣く
大腿骨骨折前の祖母のいる世界に未だ肩をぶつける
寒いところで育ったひとの匂いだね 本当にそうだから嬉しい
いつまでも姉妹だけれど函館はもう家のなくなったふるさと
ベビーカーを覗きこまれるのがこわい さわれるかたちのわたしのこころ
つまさきを頰張った 地を知らぬ皮膚が果実のようにきらめいていて
空豆の皮剝くように置いていく母の娘であったわたしを

1首目、ラインの返信などの文。本当は大丈夫ではないのだけれど。
2首目、長く浴槽に浸かっている感じ。孤独だけれど安心感もある。
3首目、魚の命が終わる様子。「さかな」「境目」の音が響き合う。
4首目、泣くという行為によって甦ってくる感情や感覚があるのだ。
5首目、祖母が大腿骨骨折して衰えてしまわなかった世界線を思う。
6首目、自らの身体に備わる故郷の風土性を当てられることの喜び。
7首目、生家があるのとないので同じ故郷なのに違って感じられる。
8首目、私の心そのものの赤子。まだ無垢であり無力な存在である。
9首目、仰向けにつま先をしゃぶって身体を認識していく赤子の姿。
10首目、脱皮するように「母の娘」から子の母へと変わっていく。

V章の最初の連作「夏に向かって」が良かった。

2025年6月26日、短歌研究社、2200円。

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2025年06月09日

紺屋四郎歌集『空行くような』

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「塔」所属の作者の第1歌集。

薄氷のごとき勤めと居直りて本日ハヤシライスの旨し
いま消した職場のあかりもう一度つけても同じわが職場なり
結局は愛媛みかんを食べているふるさとに棲むふるさとの猿
人事課に異動となりてまずもって「新居浜コンガ踊り」覚える
円陣を組んで一同励ましてそののちひとり酒呑みにゆく
橋はいつも切り替えの場所なかほどに自転車止めて川をながめる
ときおりは納骨堂のとびら開け父と母とのいさかい覗く
感触はいまでも残る たらればを言わぬと決めし日のげんこつの
手術後の見習い医師はどん兵衛の蓋を押さえて目を閉じている
花かげに尻尾を捨てて去るトカゲ捨てたるものをただ一度見つ
詠草をポストに投じ帰る道往きに気付かぬ石蕗に逢う
病む人と医師は並んで待っているエレベーターが下りてくるまで

1首目、職場で強いられるストレスを振り払うようなハヤシライス。
2首目、残業をした帰りだろうか。職場が消えてしまうはずもない。
3首目、「四国の猿の子猿」と詠んだ正岡子規にあやかっての「猿」。
4首目、下句が抜群に面白い。これが踊れないと話にならないのだ。
5首目、中間管理職の悲哀が滲む。円陣とひとりの対比が印象的だ。
6首目、自宅と職場の間にある橋。家庭から仕事、仕事から家庭へ。
7首目、結句が何とも面白い。生前しばしば喧嘩していたのだろう。
8首目、悔しさと決意で握りしめた拳が今も心の支えになっている。
9首目、お湯を注いで5分待つ間に手術の光景が甦る。疲労が深い。
10首目、永遠の訣別シーンに自分の何かを重ね合わせているのか。
11首目、ポストからの帰り道は目的がないだけにのんびりできる。
12首目、同じように立っているけれど病院内での立場は全く違う。

2025年5月11日、青磁社、2500円。

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2025年06月03日

道浦母都子歌集『あふれよ』

角川文化振興財団
発売日 : 2024-06-25

第10歌集。

その傍を通るのみにて訪ねざる姉のマンション木犀のいろ
生姜漬け辣韭を漬け固定資産税納めてやっと六月終わる
校庭の見える梅林人気なし二月の空は晴れながら冷ゆ
末枯れたる水仙束ね土に盛る冬の終わりのしるべのひとつ
「引き揚げ」の言葉もすでに死語となり引き揚げ者の父母ニッポンに死す
尻無川木津川安治(あじ)川合流の河口は静かな馬の肌のいろ
一冊の日記のような歌集にて振り回されたるわれの一生
母の最期に間に合えなかったわたくしに小さな蝶がつねにまつわる
捨てるべき白きマスクが重なりてヒトツバタゴに見える雨の夜
心までマスクしていた三年間 全速力で来たのは老いだ

1首目、疎遠になってしまった姉との関係が繰り返し詠まれている。
2首目、生姜と辣韭のつぎに固定資産税の話が来るのがおもしろい。
3首目、季節感がよく出ている歌。作者の心象風景のようでもある。
4首目、花の終った水仙の葉を束ねてまとめておく。毎年の仕事だ。
5首目、引揚者であった両親には、きっと苦労も多かったのだろう。
6首目、大阪湾に注ぐあたり。「馬の肌のいろ」が実に味わい深い。
7首目、『無援の抒情』のイメージがその後何十年もまとわりつく。
8首目、何年経っても消えることのない心残り。母の魂のような蝶。
9首目、一回では捨てられず、机などに膨らんだ形で溜まっていく。
10首目、コロナ禍が心身の衰えを加速させた。率直で痛切な叫び。

2024年6月25日、角川文化振興財団、2600円。

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2025年05月30日

第6歌集『について』刊行!

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第6歌集『について』(現代短歌社)が刊行されました。

四六判変形ハードカバー
184ページ
2,200円(税込)
478首収録(T:278首、U:200首)

現在、現代短歌社のオンラインショップで販売中です。
https://gendaitanka.thebase.in/items/109145161

また、Amazonでも販売中です。歌会などにも持参しますので、お会いすることのある方は声をかけてください。

よろしくお願いします。

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2025年05月25日

外塚喬歌集『不変』

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2020年の一年間の作品を収めた第14歌集。

臼歯にはまだ力あり噛むことが命ながらへるためならば噛む
鳥を見に行かうかと言へば鳥よりもうれしさうな声それを待つてゐた
迷ふこと少したのしゑ街中の漢方薬店にて蛇に遇ふ
三月は帽子の欲しくなる季節こころと身体(からだ)のずれを正さむ
食卓にナイフもフォークもなくなりぬ老いの二人に必要のなく
わたしの代はりに死んだ金魚がゐるといふ連れ合ひのこゑを聞く夏の朝
三歳の萌々夏(ももか)は歌ふ〈パプリカ〉をときに全身をうごかしながら
退職記念の時計も遅れがちになり沈みがちなる梟のこゑ
充電の完了ランプ灯りゐてシェーバーは夜の孤独ふかめつ
あしたより雨は降りつぎ亡き母の写真にひらく紺のあさがほ

1首目、噛むこと、食べることは人間が生きるうえで一番の基本だ。
2首目、結句に深い喜びが滲む。意欲があるのがまずは大事である。
3首目、道に迷ったため思い掛けないものと巡り合うことができた。
4首目、心は春を感じているのに気候や身体は冬のままなのだろう。
5首目、昔ながらの和食中心の食生活なら箸だけで十分に間に合う。
6首目、妻の言葉をどう捉えたらいいか。声が宙吊りになったよう。
7首目、楽しそうに歌う様子が目に浮かぶ。幼子ならではの明るさ。
8首目、遅れがちな時計や梟の鳴き声に自らの老いの深まりを思う。
9首目、電気が充ちた一方でシェーバー内部は完全に停止している。
10首目、「ひらく」がいい。今開いたかのような動きを感じさせる。

2024年5月5日、いりの舎、3000円。

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2025年05月22日

坂井修一歌集『鷗外の甍』


2021年春から2025年新春までの作品507首を収めた第13歌集。

『シャー・ナーメ』初訳は土屋文明と知つておどろく図書館便り
釈迦に降りし雨はキリストよりおほしぽつんぽつんと頭(かしら)をぬらす
給金の安きを言ひて教へ子の「日本を捨てる」はや二十人
大学を横に出でたる津島修治 出られぬわたし六十四歳
二十五時妻の入りくる寝室をわが出でゆけり会議はじまる
実験をしない学者が遠望す「くすりばこ持たぬ薬師」のきみを
あびこ、あびこ 水のにほひのする街へ声はこだます駅からあふれ
血液内科入院棟へ妻が来て四角い笑顔見せし二時間
われは病を若者は生を苦といひきぎいぎいと鳴る貸部屋の椅子
奇跡の書『澁江抽齋』手に思ふわれにはいまだ来ない時間を

1首目、ペルシャの長篇叙事詩。文明『波斯神話』は1916年刊行。
2首目、釈迦が誕生した時は雨が降った。気候の違いと宗教の違い。
3首目、頭脳流出の現状。研究者が日本を出て海外へ行ってしまう。
4首目、大学を中退した太宰治と教員として大学に勤め続ける自分。
5首目、初句に驚く。海外の会議にオンラインで参加している場面。
6首目、現場仕事を離れた管理職の森鷗外の姿に自分を重ねている。
7首目、抒情性豊かな歌。我孫子はかつて白樺派の文人が住んだ町。
8首目、「四角い笑顔」から緊迫感が伝わる。二つの数詞も効果的。
9首目、「ぎいぎい」が苦しげ。年齢や立場により苦の中身は違う。
10首目、史伝小説に晩年の情熱を傾けた鷗外を羨む気持ちだろう。

結婚のブレーキかけし父と母いまはてしなく吾妻に甘ゆ
わが婚を壊さむとせし母ありきそのひとよつひに幼児(をさなご)のごと
わが婚をやめよと告げしそのわけのつひにわからず母呆けたり

両親がかつて結婚に反対したことが繰り返し詠まれている。何十年経っても消えないしこりとなって、胸のうちに残っているのだろう。

2025年4月20日、短歌研究社、3000円。

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2025年04月28日

佐々木朔歌集『往信』

著者 : 佐々木朔
書肆侃侃房
発売日 : 2025-03-05

早稲田短歌会を経て同人誌「羽根と根」に参加する作者の第1歌集。

ホチキスの針をどっちに打つかって話したせっかくの風のなか
花の名を教えるひとと聞くひとのそれぞれにそれぞれの花園
ほんとうに山下町は山の下 ゆっくり過ぎてゆくでかい犬
行きつけのようでそうでもないようなファミレスで夏の雨をみている
行き先は同じだけれど行く道がことなるバスが三台つづく
感情はむしろ孤島に咲いていて、そうだとしても言葉をつなぐ
ずっと一緒にいたいと思う/思わない 商店街のアーチをくぐる
陸橋と思い渡っているうちに眼下に見えてくる細い川
朗読をかさねやがては天国の話し言葉に到るのだろう
目を伏せていたって冥王星でだってあなたがめげていたらわかるよ

1首目、三つの促音と句またがりの生み出すリズム。右上か左上か。
2首目、頭の中の花園が違う。「それぞれの」「花園」が響き合う。
3首目、わが家の近くにある山下町も確かに山の下に位置している。
4首目、「行きつけ」の顔なじみ感には個人の店のイメージが強い。
5首目、終点まで行くならどれも一緒だが、そうでなければ要注意。
6首目、感情を相手と共有するのは難しい。下句に強い思いが滲む。
7首目、「思う」「思わない」が同時に存在することもあるのが心。
8首目、川の出現により「陸橋」だった構造物が「橋」へと変わる。
9首目、朗読に慣れてくると良くも悪くも言葉が透明になっていく。
10首目、冥王星の遠さと暗さ感が初句と重なる。「め」の音の響き。

2025年2月28日、書肆侃侃房、2000円。

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2025年04月19日

大辻隆弘『短歌の「てにをは」を読む』

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「うた新聞」2020年4月号から2024年5月号まで計50回にわたって連載された文章をまとめた本。短歌の助詞・助動詞を愛する著者が、具体的な例歌を引きながら「てにをは」の精妙な働きについて記している。

高校の国語教師として古文の文法なども教える著者であるが、そうした学校での公式的な説明を超えて、自らの経験をもとにさらに突っ込んだ話を展開している。

柊二にとって「たたかひ」は自分に関わりのない他人事ではない。同時に、その帰趨を主体的に決められる現象でもない。彼の身体は「たたかひの終りたる身」でもなく「たたかひを終へたるわが身」でもない。宙ぶらりんで、置き所のない「たたかひを終りたる身」だったのである。
「信頼」のような、「信じる」(他動詞)と「頼る」(自動詞)が混合した漢語の場合、「信」に重きを置いて助詞「を」を入れるか、「頼」に重きを置いて助詞「に」とするか、悩ましい。
現在、目の前で進行してゆく事態をどう捉えるべきなのか。現在進行形という西欧語伝来の時制表現を、従来の文語体系のなかでどう表現したらいいのか。圧倒的な西欧語の流入に際会して、近代の歌人たちは、そのような悩みのなかにいたのだろう。

50項目それぞれの題もおもしろい。

・やる気のない「て」
・憧れの「らむ」
・いまいましさの「など」
・不安の滲む「む」
・勢いの「も」
・一回性の「と」
・自己志向的な「の」

など、無味乾燥な文法の説明とは違って、実感に即した記述がなされている。長年にわたって短歌を読み、詠み続けてきた著者ならではの一冊と言っていいだろう。おススメです。

2025年3月15日、いりの舎、1800円。

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2025年04月14日

川野里子対話集『短歌って何?と訊いてみた』


川野里子と15名のゲストとの対話を収めた一冊。

登場するゲストは、納富信留(哲学・西洋古典学者)、サンキュー・タツオ(日本語学者・芸人)、岩川ありさ(現代日本文学研究者)、伊藤比呂美(詩人)、井上弘美(俳人)、堀田季何(歌人・俳人)、村田喜代子(小説家)、三浦しをん(小説家)、宮下規久朗(美術史家)、新見隆(キュレーター)、三浦佑之(日本文学者)、品田悦一(万葉学者)、木村朗子(日本文学研究者)、赤坂憲雄(民俗学者)、高野ムツオ(俳人)。

「歌壇」5月号に書評を書いたので、ここでは印象に残った発言を備忘のために記しておくだけにする。

我々は普通、韻文は人工的で散文が自然だと思ってる。だけど歴史的には逆で、他の文化圏もだいたい同じですが、最初文学が生まれるのは韻文なんですね。(納富信留)
いいネタだけど、この人じゃなくても成り立つと思われたらそれはよくなくて、多少雑でもその人でなきゃいけないもののほうがずっと面白い。(サンキュータツオ)
身体や感情を消すことが戦争への言葉の参加だったんだと思います。だから戦争が終わったときにまず言葉がやったことが身体を取り戻すということ。(川野里子)
伝統派は比喩としては使わないんですよ。比喩的に用いた時には季語として働かないからです。(井上弘美)
私は、近代以降の俳句も短歌も純粋な伝統詩だとは考えていないのです。欧米の詩と融合したと思っています。(堀田季何)
西洋ではヌード彫刻は外にはない。あれは日本特有の現象で、駅前に裸像があるのを見て西洋人はびっくりするんです。ヌードを西洋文化そのものだと思って愚直に増殖させてしまったのが日本の近代で、これは大きな誤解です。(宮下規久朗)
山陰道は京都山城から丹後を通って西へ行く。山陰と北陸は直接はつながっていないんです。近代の鉄道ができても北陸本線と山陰本線を乗り換えようとしたら一旦、京都に出ないといけない。(三浦佑之)
言葉は人間が生んだものだけれども、その人間をも全て制してしまう力がある。特に文字に書かれた言葉の力ですね。スペインがかつての大帝国時代を築き上げることができたのもスペイン語という言葉の力です。(高野ムツオ)

どの対話も刺激的で面白い。おススメです。

2025年1月23日、本阿弥書店、2500円。

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2025年04月03日

今井恵子『短歌渉猟 和文脈を追いかけて』


「短歌研究」2017年1月号から2019年6月号まで計28回連載された文章と評論「短歌における日本語としての「われ」の問題」を収めた評論集。

短歌の話だけでなく、音楽や美術、時事的な話題なども取り込みながら、幅広く短歌や日本語について論じている。短歌を通して考える日本語論、日本文化論といった内容だ。

鳥の目の司会者と蟻の目の司会者がいる。鳥の目の司会者は時間配分が上手く、公平で軽快、バランスがいい。蟻の目の司会者は、重要な問題に立ち止まって深めることに長けている。(…)優れた進行は、適宜往き来して両方を使い分けている。
近代文学史を考えるとき、わたしたちは新しく加わったもの、前代になかったものに注目し、その輝きを時代のものとして称賛するのが一般的である。(…)明治三十年前後の短歌潮流の変動の中で、一葉の歌が「旧派」のそれとして、ほとんど顧みられなかったのも頷ける。
読者は、並べられた言葉の順番から逃れられない。短歌一首でいえば、初句を読むときに結句に目を走らせるということは出来なくなる。否が応でも、作者が指定した順番通りに言葉を辿る。
洋服と着物の大きな違いは何か。端的に言えば、洋服はクローゼットにぶら下げておき、着物は畳んで箪笥にしまうことだろう。(…)洋服は、着る人の体形に合わせて服地を立体的に縫い合わせてあるから、平面に還元するのが難しく、着物はもともと平面でできているものを人体に纏って使うからである。
アンコールワットの回廊を、外側から内側へと数えることは、国内の神社を参拝するときに潜る鳥居を、神殿に遠いところから、つまり参拝者からみて手前から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と数える私たち日本人にとって、自然なことである。しかし、西洋では、数える順番が逆転するらしい。

読んでいて楽しい評論集である。示唆に富む話が次々と出てくる。話題はあれこれ移ったり、ぐるぐる廻ったりするのだが、読者も著者の思考に寄り添って一緒に迷路を歩んでいるような気がしてくる。

タイトルに使われている「和文脈」について、著者は「日本語が内包する生理と、短歌形式が生み出す時空を指し示す用語」と定義したうえで、

作歌するとき、モノやコト、また対立や違和や異物、訳の分からない不気味というような夾雑物を排し収斂してゆくと、どこかの時点で、ドアがぱたりと閉まるように、外界・他者・社会・抵抗・疑問などの摩擦のない自己閉塞世界へ入ってしまう。

と記している。そうした閉塞した世界に入らないためにも、考えながら書き、書きながら考える、行きつ戻りつするようなスタイルがこの本には必要だったのだろう。

2024年10月10日、短歌研究社、3000円。

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2025年04月01日

小原奈実歌集『声影記』

著者 : 小原奈実
港の人
発売日 : 2025-01-30

「本郷短歌」「穀物」などに参加していた作者の第1歌集。

剝かれたる梨のあかるさ身のうちに蜜をとどむるちから満ちつつ
読み終へし手紙ふたたび畳む夜ひとの折りたる折り目のままに
犬飼ふを勧められたる夕べよりしづけさはしなやかに尾を振る
鳥去りて花粉散りたる花の芯ながく呼吸をととのへてゐる
触るるなく見てゐしもののひとつにて海は合掌のごとく暮れゆく
魚跳ねてうをちひさきを また跳ねてみづのふかきを港におもふ
鉄橋とすすきまじはる川辺より四肢冷えきつて立ち上がりたり
風みえて欅散りをり木版のごとくかするる西陽のうちを
窓鎖して朴の花より位置高く眠れり都市に月わたる夜を
くちなしの香るあたりが少し重く押しわけて夜のうちを歩めり
日暮れにはまだ時ありて蜂は音、蝶は影とぶあざみのめぐり
胸骨を手放す時刻 頭(づ)を垂れて生への門を閉ざせる時刻
揚雲雀喉ひらくとき体内にひとすぢ初夏の陽は至りゐむ
はるかに曳かれゆきたるごとく雪の上(へ)に累々と人の跡つらなりぬ
みづからの顔をおほかた裂きながら青鷺は大き魚のみくだす

1首目、果汁をたっぷり含む梨のみずみずしさ。後半タ行音が響く。
2首目、相手の人が紙を折ったときの手の動きが見えてくるようだ。
3首目、まぼろしの犬の尾の動きだけが部屋に存在しているみたい。
4首目、乱暴者(?)の鳥が去った後に花が平常心を取り戻すまで。
5首目、「合掌のごとく」が印象的。海の存在感の大きさと祈りと。
6首目、最初は魚にだけ目が行ったが次は海の深さが思われたのだ。
7首目、「四肢冷えきつて」に長い時間しゃがんでいた実感がある。
8首目、葉が散ることで風の筋が見える。ざらっとした西陽の感じ。
9首目、マンションの部屋だろう。人工物と自然との対比的な構図。
10首目、三句を字余りにしたことでリズムも「少し重く」なった。
11首目、「蜂は音」「蝶は影」の対句が鮮やか。本体でないもの。
12首目、医療現場を詠んだ一連から。心臓マッサージを終える時。
13首目、雲雀の体に差す一筋の光。レントゲン写真を見るみたい。
14首目、ただの足跡なのにまるで囚人の列が過ぎて行ったようだ。
15首目、語順がいい。餌を捕る動きが迫力をもって伝わってくる。

2025年2月3日、港の人、2200円。

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2025年03月20日

矢部雅之歌集『Another Good Day!』

著者 : 矢部雅之
書肆侃侃房
発売日 : 2025-01-11

現代歌人シリーズ39。

第1歌集『友達ニ出会フノハ良イ事』(2003年)以来21年ぶりの第2歌集。2008年から2014年までカメラマンとしてニューヨークに住んだ日々が詠まれている。

転ぶのもしだいにうまくなるものか上手に転び子が立ち上がる
おのが心おのが歩みにおくれつつ聖堂のさむきくらがりをゆく
ひともわれも黄葉か流れの上に落ちしばしを絡みやがて隔たる
ツグミまで腹の出てゐる国にありむしろ痩せ気味の日本人われ
裏切りを未だ知らねば三歳は「どしてなの?」と幾たびも訊く
孤独にも金また銀の孤独あり 錆びたる鉄の孤独を吾に
カウチにて雌猫の背を撫でをれば鏡の中の妻と目が合ふ
一目見んと思(も)ふは思(も)へども座すほかなし半日白昼のつづく機中に
なにごとも差別のせゐにする人とせぬ人ありてけふも晴れの日
風船は風の船なり風吹けば小(ち)さき手を発ち風中を行く

1首目、小さな子の様子を見ての発見。転び方も上達するのである。
2首目、上句がいい。異国の教会の雰囲気に少し気圧される感じか。
3首目、別れた前妻を詠んだ歌。川面を流れる二枚の黄葉のように。
4首目、同じ鳥でも日米で姿が違うように痩せや肥満の基準も違う。
5首目、イソップ物語の裏切りの意味がわからずに尋ねてくる幼子。
6首目、格言みたいな響きがかっこいい。孤独にも種類があるのだ。
7首目、何となく気まずい感じ。妻が嫉妬するわけでもないのだが。
8首目、母危篤の報せを受けて帰国する。矢部版「死にたまふ母」。
9首目、差別が問題なのは前提としてその後の人の態度は分かれる。
10首目、風船が飛んで行っただけなのだが、言葉がとても美しい。

2024年12月28日、書肆侃侃房、2200円。

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2025年03月12日

滝本賢太郎歌集『月の裏側』


「まひる野」所属の作者の第1歌集。

近代と呼ばれて冷ゆる美術史の空より鮭が吊るされている
帰らなくていいのかと問えばいいと言う死にたるひとの娘の声が
両岸にはしゃぐ男女をちりばめてネッカー川はひと房の夏
鯉の吐く泥より重く眠ってた旅の終わりの特急のなか
秋深き動く歩道で動かずに駅の終わりに着くまで話す
黒瑪瑙(オニキス)のカフスを通し冬立てば清しきまでに冷たしシャツは
フラミンゴの首をゆっくり締め上げる心でほうれん草絞るべし
殉国の碑をたちまちに黒く染め首都のはずれを驟雨は駆ける
触れたれば感電死してしまうだろう白梅は花あんなにつけて
川魚ひっそりと売る商店を見つけたり、きっと買うことはないが

1首目、高橋由一の「鮭」だろう。近代の洋画の出発となった作品。
2首目、留学中に祖母が亡くなった場面。母である以上に娘なのだ。
3首目、葡萄の房を思い浮かべた。短い夏を楽しむドイツの人たち。
4首目、もう家に帰るだけとなってどっと疲労感が押し寄せてくる。
5首目、少しでも長く相手と話をしていたいという心境なのだろう。
6首目、初句の表記が秀逸。季節感と身の引き締まる感じが伝わる。
7首目、茹でたほうれん草の絞り加減。上句の嗜虐性が印象に残る。
8首目、三句の「黒く染め」が戦争や殉国者のイメージとつながる。
9首目、語順に工夫がある。梅の枝ぶりや花の付き方のバチバチ感。
10首目、四句の途中で句割れして文語から口語に転ずるのがいい。

2025年2月26日、六花書林、2500円。

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2025年03月03日

山中千瀬歌集『死なない猫を継ぐ』


第1歌集。

暴力から生まれた暴力太郎から生まれた暴力太郎太郎、あたしは
花のくき手折れば爪に花のにおい 花のたましいがどこにあろうと
先生が森さんを海(モーリェ)さんと呼ぶ 教室はさざなみに洗われる
サーカスは黙って行ってしまった。置いていかれた町で暮らした
すれ違いを続けるあたしの人生と郵便局の営業時間
枝分かれした運命のいくつかのピーマンだけが具のナポリタン
花を火の比喩として手に集まって交わす世界を燃やす約束
水筒のみずぬるくなり放課後の教室、ともだちごっこはだるい
たわいないこころのささえ なし狩りの梨がとってもぬるかったこと
いい桃を分けてもらって持ち帰る 友だちの心臓を運ぶみたいに

1首目、虐待の連鎖をイメージした。名前が増殖するようでこわい。
2首目、花びらや蕊だけでなく茎からも花の匂いがするという発見。
3首目、「モーリェ」はロシア語で海のこと。下句への展開がいい。
4首目、空き地などで興行していたサーカスが去った後のさびしさ。
5首目、「すれ違い」と捉えたのが面白い。平日の昼には行けない。
6首目、あみだくじのような事情を経て玉ねぎもウインナーもない。
7首目、手に手に花火を持って話している。上句の表現が印象的だ。
8首目、表面上の付き合いを続ける気怠さが水のぬるさと響き合う。
9首目、結句に意外性がある。木からもぎ取ったままの自然な温度。
10首目、上句の「も」の連鎖から下句の個性的で鮮やかな比喩へ。

2025年1月20日、典々堂、1800円。

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2025年02月20日

小俵鱚太歌集『レテ/移動祝祭日』


「短歌人」「たんたん拍子」所属の作者の第1歌集。
2018年から2024年までの作品374首を収めている。

しなくても良い前泊に夜の窓あけてビジネスホテルの季節
猫老いて店主も老いてどちらかが死ぬまでつづく瀬戸物屋さん
ベランダの夜にやもりと佇んでたがいに気付かぬ振りをしていた
満月を半月にする夜行バス 6Pチーズをつぎつぎ食べて
商談をコメダですれば豆菓子は食べず互いにかばんへ入れて
ひとりでいるときのわたしを私だとおもう師走に独りで居れば
気がつけば小説だったというような雨がそのうち本降りになる
でたらめに路地を歩いて川に出れば川に沿いたい初夏のこころは
だとしても。ごく軽度だとぽつぽつと毀れた家族がはま寿司にいる
地下なのにスロープがある 何もかも思い通りになんてならない

1首目、当日の朝に出ても間に合うのに前泊する。自分だけの時間。
2首目、時が止まったような店であるが、それも永遠には続かない。
3首目、まるで同志のように何も言わなくても心が通じ合っている。
4首目、上句から下句への展開が楽しい。3個食べ終わったところ。
5首目、商談の席ではコーヒーに付く豆菓子はちょっと食べにくい。
6首目、独りの時が一番自分らしいと感じる。寂しさと自負が滲む。
7首目、上句の比喩がおもしろい。小説と現実が入り混じるような。
8首目、でたらめに歩く楽しさ。歩くことで自分の心に気付くのだ。
9首目、離れて暮らす幼い娘の障害の話。「はま寿司」がせつない。
10首目、情と景の取り合わせ。両側から掘り進めて生じた高低差。

2024年7月15日、書肆侃侃房、2200円。

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2025年02月06日

良真実『はじめての近現代短歌史』


明治時代から現在にいたる短歌の歴史をまとめた本。

まえがきに「短歌史とは秀歌の歴史のことです」とある通り、まず第一部「作品でさかのぼる短歌史」では秀歌69首を読み解きながら現在から明治時代へと時代をさかのぼっていく。その後、第二部「トピックで読み解く短歌史」では、時代順に歌壇に起きた出来事や登場した歌人たちを紹介している。

かなり専門的な話も出てくるのだが、著者の文章は明晰で論旨もすっきりしていて読みやすい。また、すべての人名にふりがなを付けたり、文語助動詞の解説を付け加えたりという点も親切だ。「です・ます」調の文体も含めて、多くの人に読んでもらいたいという気持ちの表れだろう。

本書の大きな特徴として、男性に偏っていた短歌史の記述をできるだけ男女平等にしようと試みている点が挙げられる。従来の男性歌人中心の語りの問題について繰り返し言及するとともに、女性歌人の作品や動向について丁寧に記している。

また、「キリスト教」「沖縄」への目配りも、これまでの短歌史に薄かった部分だ。わからない歌として話題になった服部真里子の作品について「キリスト教の文脈を導入すれば容易に読むことができます」と解説している部分や、新城貞夫や沖縄戦を詠んだ歌を取り上げているところに持ち味が出ている。

以下、備忘のため印象に残った部分を引いておく。

モノの機能を捉え直す技法は「リフレーミング」と呼ばれ、投稿歌壇の入選作に多く見られますが(…)
子規庵歌会はそれまでの歌会と異なり、句会の形式を採用していました。(…)匿名互選によって歌会からヒエラルキーを取り払った点は革新的であり、この構造は少しだけ形を変えて、現在の歌会でも維持されています。
文語短歌は当時の言葉で「普通文」と呼ばれる書き言葉で書かれます。「普通文」とは明治期に確立した統一的な書き言葉の一種で、(…)平安時代の書き言葉に由来する助動詞を使います。しかし、動詞や名詞はある程度口語文と共通しています。
新興短歌は思いのほか少数派です。当時の大手出版社である改造社刊の『短歌研究』について、創刊年の一九三二年から新興短歌が終息を迎える一九四一年までの寄稿者を集計すると、新興短歌側の人名は全体の一〇%ほどにしかなりませんでした。
既存の短歌史は、多くの場合話題になった評論や論争ベースで書かれています。本書もそれを踏襲しました。こうした手法では男性歌人中心の短歌史記述となることを免れません。

過去百数十年の短歌の流れをたどり、これからの短歌について考えるのに絶好の一冊となっている。おススメです!

2024年11月6日、草思社、2300円。

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2025年01月29日

逢坂みずき歌集『昇華』


「塔」所属の作者の第2歌集。前作『まぶしい海』は短歌だけでなく日記やエッセイも収めた作品集なので、「歌集」にはカウントしていないようだ。

・『虹を見つける達人』(2020年)
https://matsutanka.seesaa.net/article/476161815.html
・『まぶしい海 ― 故郷と、わたしと、東日本大震災』(2022年)
https://matsutanka.seesaa.net/article/486137241.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/486186998.html

都会での一人暮らし、そして故郷の宮城県女川町に戻ってからの生活。ひりひりするような心情を詠んだ歌も入っている。

うっすらと雪平鍋に染みついた線は一人分の味噌汁の嵩
自販機で買った緑茶がへこんでるゴールデンウィーク最終日
たちあおい 比べるなって言いながら一番比べているのはわたし
建設中のマンションの前に停まってるトラックにたくさんの浴槽
セーターの毛玉ちみちみつまみつつ広告動画が終わるのを待つ
友はもう母をおばあちゃんと呼んでいてわたしの裡を野分がめぐる
わたしの中に女があるのはいいけれど女の中にわたしは居たくない
結婚をするのも仕事の一つにて家族経営のどん詰まりにいる
幸せの定義は深く考えない かっぱえびせんを覚えたかもめ
親戚がほとんど枝のたらの芽やほとんど竹のたけのこくれる

1首目、具体がよく効いている歌。一人暮らしの様子が見えてくる。
2首目、中身には別に問題ないのだけれど、ツイてないなあと思う。
3首目、直立するタチアオイの姿と二句以下の取り合わせが絶妙だ。
4首目、100戸のマンションなら100個の浴槽が必要になるわけだ。
5首目、動画広告を所在なくやり過ごす様子。「ちみちみ」がいい。
6首目、結婚して子を産んだ友人と自分の差を感じて心がざわつく。
7首目、性別は属性の一つに過ぎないのに、窮屈さを感じてしまう。
8首目、水産業を営む実家で男手や跡継ぎを期待される現実がある。
9首目、上句と下句の取り合わせがいい。かもめは無心に食うだけ。
10首目、たくさん採ってきたのだろう。親戚同士の気安さが滲む。

2024年9月18日、短歌研究社、2000円。

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2025年01月05日

久々湊盈子『加藤克巳の百首』


「歌人入門」シリーズの12冊目。
副題は「生きていることの実感」。

加藤克巳の歌100首の鑑賞と解説「歌人加藤克巳の出立」を収めている。70年以上にわたって歌を詠み、さまざまに作風を変えていった加藤の魅力がよく伝わってくる内容だ。

まつ白い腕が空からのびてくる抜かれゆく脳髄のけさの快感
/『螺旋階段』(1937年)
鶴はしづかに一本の脚でたちつづけるわらひのさざなみにかこまれながら
/『宇宙塵』(1956年)
かなしみとおかしさが一緒にやってくるトランペットトランペット野から山から
/『球体』(1969年)
たましいのあくがれいずるごとくして朴の高枝を花離れゆく
/『万象ゆれて』(1978年)
いとじりを撫でたりするなまだ早い老いぶるなんておかしいではないか
/『矩形の森』(1994年)

写実的な作風とは違うので、一首をどのように読み取るか、さまざまな迷いや試行錯誤が繰り返される。

いずれも超現実的な絵画を思わせるような作りだが、字面をそのまま追ってもつまらない。
高度成長期に入った日本経済の、成功を夢見て逸る青年の姿、などといった小賢しい講釈など抜きに味わってみたい。
いや、ここではそんな対比など思わずに発展をつづける大都会の光景としてのみ鑑賞すればいいのだろう。

画家の瑛九(1911−1960)との交友について知ることができたのも収穫だった。

隣市に住んでいたフォト・デッサンで世界的に著名な瑛九とも親交があり、歌集『宇宙塵』『球体』の表紙絵としたことを無上の喜びと語っていた。

加藤は与野市(現・さいたま市)、瑛九は浦和市(現・さいたま市)に住んでいた。新歌人集団が浦和で発足したことや、「浦和画家」と呼ばれる画家たちがいることを考えると、浦和が芸術・文化の大きな磁場であったことがよくわかる。

2024年10月11日、ふらんす堂、1700円。

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2025年01月04日

桑原憂太郎『現代短歌の行方』


第40回現代短歌評論賞を受賞した著者の初めての評論集。

全体が三章に分かれていて、Tは現代口語短歌に関する評論、Uは時評集、Vは歌論集となっている。日本語文法や物語論を踏まえた分析が随所に見られ、説得力のある内容となっている。

現在、様式化していると思われる特徴的な技法として、1動詞の終止形、2終助詞、3モダリティ、の三つの活用による技法について取り上げる。
近代短歌が「静止画的リアリズム」で、現代口語短歌が「動画的リアリズム」だとして、では、なぜ、現代口語短歌はこんな「動画的リアリズム」の手法をとることになったのか。
「私」のことを詠っていれば、〈私性〉ということにはならない。いくら実体験であろうが、短歌文芸で〈私性〉を彫琢するには、そのための技法というものが必要になる。
現代口語短歌には、こうした〈語り手〉の語りと〈主体〉の「心内語」の混然が現時点で確認できる。こうした〈私〉の混然は、少なくとも小説世界の文体では出現していないだろう。

あとがきに「しばらくは書くことが尽きることはないから、これからも短歌の世界で、あれやこれやと書き続けることになるのだろう」とある。今後のさらなる活躍が楽しみだ。

2024年9月30日、六花書林、2400円。

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2024年12月24日

斎藤美衣歌集『世界を信じる』


「コスモス」「COCOON」所属の作者の第1歌集。

仕事の歌、子育ての歌、日々のできごとや自身のこころと丁寧に向き合う様子がよく伝わってきた。

寝室の洋服簞笥のひきだしのひとつに潮のかをる段あり
電卓を支払調書のうへに置き鮭おにぎりのフィルムをはがす
夕飯のさなかに仕事の電話来て口はわれより上手に話す
なはとびをしばし休みて子はひとり五月の空を聴くごとくゐる
死んでゆくときは頭のほうから?と月見うどんをすすり子は問ふ
カステラのはづむ黄いろを切り分けぬ 切れば切るほどあかるくなりて
曇り日にチェロを負ふ人歩みゆくおとがひをふかく襟にうづめて
子の影はわれより長し面談を終へて冬日の陸橋を行く
消灯あとの部屋にからだを横たへてみな順々に胸の灯を消す
にんげんはほんたうはよいものでせう塩壺にしろき塩を足したり
なんの鍵か分からぬ鍵も付け替へるハワイ土産のキーホルダーに
うたがはず夫を社長と呼ぶ人のネクタイ光る午後の銀行
きみの書く「衣」の字はいつもやはらかい わたしはすこしやはらかくなる
夕焼けの町を歩けばわれでなく夕焼け空が歩み出すなり
雨音のひびきやさしく満ちる部屋生まれなかつた子のこゑ混じる

1首目、簞笥のなかの海。山田富士郎のコインロッカーの歌を思う。
2首目、忙しく仕事しながら簡単に食事を済ます様子が目に浮かぶ。
3首目、仕事以外のモードの時でも話すべきことは口が覚えている。
4首目、縄跳びで遊んでいる時よりも、何だか大人びた姿に見える。
5首目、子どもの発想や質問は大人には予想外で驚かされてしまう。
6首目、下句がいい。切断面が増えるにつれて黄の明るさが広がる。
7首目、内面まで見えてくるような描き方。下句の描写が実に的確。
8首目、相手は今何を考えているのだろうかと思いつつ無言で歩く。
9首目、入院時を回想した歌。同室の人がいてもやはり孤独である。
10首目、上句は『手袋を買いに』を思い出す。下句の具体がいい。
11首目、長年使っていなくても万一のことを思うと捨てられない。
12首目、無意識の男女差別が、仕事する女性にとって障害となる。
13首目、いつもの字を見て気持ちが落ち着く。「衣」ならではだ。
14首目、夕焼けの色合いや雲の移りゆく感じが生き生きと伝わる。
15首目、世間的には存在しなくても自分の中に確かにいた子の命。

2024年11月30日、典々堂、2700円。

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2024年12月14日

伊藤一彦『若山牧水の百首』


歌人入門シリーズの11冊目。
副題は「自然に漂う未来の人」。

牧水の歌100首の鑑賞と解説「未来の人」を収めている。牧水の書簡や随筆、妻喜志子の短歌なども引きながら、要所を押さえた鑑賞を行っている。また、誰がその歌を見出したのかに関する言及の多いことも特徴だ。

この歌を取りあげて解釈と鑑賞を行ったのは俵万智著『牧水の恋』が初めてである。
この歌を取りあげたのは馬場あき子以外にはいない。
白鳥の歌に優るとも劣らぬこの一首を見つけて推賞したのは佐佐木幸綱である。

その歌を最初に取り上げた人というのは、確かに大事な話だと思う。

生涯にわたって旅した牧水は岬を特に愛した。長女の名前を「みさき」と名づけている。
牧水には女体を歌った作品が少なくない。エロスの歌人でもある。
牧水は古典和歌の歌人のなかで西行を最も愛していた。
牧水は聴覚のすぐれた人だった。幼少期から谷川の音を聴き、鳥の声に耳を澄ましてきた。

牧水の生まれた宮崎に住み、牧水に関する本も多く出している著者だけに、こんなふうに牧水の特徴を次々といくつも挙げている。

藻草焚く青きけむりを透きて見ゆ裸体(はだか)の海女と暮れゆく海と/『独り歌へる』
草ふかき富士の裾野をゆく汽車のその食堂の朝の葡萄酒/『別離』
飲むなと叱り叱りながらに母がつぐうす暗き部屋の夜の酒のいろ/『みなかみ』
きゆうとつまめばぴいとなくひな人形、きゆうとつまみてぴいとなかする/『みなかみ』
昼は菜をあらひて夜はみみづからをみな子ひたる渓ばたの湯に/『くろ土』

牧水の歌をあらためて読み直してみたくなった。

2024年9月1日、ふらんす堂、1700円。

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2024年12月11日

加古陽歌集『夜明けのニュースデスク』


新聞社に勤める作者の第1歌集。

或る人々にはつけねばならぬでも二度はつけてはならぬ敬語のルール
殺された人は実名、自殺なら匿名、死者を分ける線あり
ワイパーが消し去るまでのうたかたの星座広がるフロントガラス
四引く一引く一引く一まぎれなく一人となれば広すぎる家
「よお」と言い笑顔みせればなぜ君は詫びる、なんにも悪くないのに
一日にすれば三千五百人。死はありふれたことではあるが
ネモフィラの宴に人も蜜蜂も舌を伸ばして群がっている
腹腔にマングローブを抱きながら〈大発(だいはつ)〉波に洗われており
消毒した人差し指を立てて入るサイゼリヤとはくちなしの花
南無阿弥陀仏(あんまんだぶ)南無阿弥陀仏に唱和する義母(はは)のスマホの「春の小川」は

1首目、皇室の人々のことだろう。新聞記事にはルールが存在する。
2首目、なぜ線引きされているのか、あらためてその理由を考える。
3首目、フロントガラスに付いた雨滴を星に見立てたのが印象的だ。
4首目、家族が一人また一人と減っていってついに自分だけになる。
5首目、ホスピスに入った部下の見舞い。痛切な思いが強く伝わる。
6首目、国内の死者の数。それでも一人の死に対して悲しみは深い。
7首目、次々と花の蜜を吸う蜜蜂とお喋りに興じている人間たちと。
8首目、ニューギニアで朽ちる上陸用舟艇。兵の死体を見るようだ。
9首目、一人で店に来たのだろう。くちなしの花が黙食につながる。
10首目、法要の席に流れる着メロ。読経と唱歌は相性が良さそう。

作者は本名の加古陽治として『一首のものがたり』などの本も出されている。
https://matsutanka.seesaa.net/article/439106767.html

2024年10月3日、ながらみ書房、2500円。
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2024年12月04日

川野芽生歌集『星の嵌め殺し』

著者 : 川野芽生
河出書房新社
発売日 : 2024-07-29

『Lilith』(2020年)に続く第2歌集。
装幀と作品世界がよく合っている。

産むことのなき軀より血を流し見下ろすはつなつの船着き場
落雷に狂ふこころのくらがりに苛々花開くライラック
弑逆のよろこびをもて園丁はむらさきの薔薇の首を落としぬ
撥条(ぜんまい)のほどくるやうに花は咲き地上は壊れゆく置時計
死者なべて身代はりなれば夕かげを羽織れるながき列に加はる
宇宙、しづかに膨張しつつ冷えてゆくからだを金の釦もて留む
縄を綯ふやうにおのれを捩(よじ)りつつ大樹は天をあきらめきれず
鯨骨を天井に吊りその下をゆきかふ魚の敬虔をもて
戦闘服のつもりで着たるノースリーブドレスの肩に触れてくる人
本ののど深く栞を差し込みぬ痛みのごとく記憶は走る

1首目、生理による心の翳りと海の明るさ。句跨りの「つ」が響く。
2首目、「落雷」「苛々」「開く」「ライラック」と音が連鎖する。
3首目、「園丁」という語の選択が日常を離れた世界を感じさせる。
4首目、撥条から時計への展開が鮮やか。神の視点で見ているよう。
5首目、人生とは死の順番を待つ行列に並ぶことなのかもしれない。
6首目、「冷えてゆく」が蝶番のように上句と下句をつないでいる。
7首目、バベルの塔のように天まで達しようとしてもがき苦しむ姿。
8首目、骨格標本から生前の海を泳ぐ鯨の姿が生々しく甦ってくる。
9首目、授賞式で受けたセクハラを詠んだ連作「party talk」から。
10首目、本にも人にも「のど」があり肉体的な痛みが想起される。

2024年7月30日、河出書房新社、2000円。

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2024年11月22日

吉植庄亮歌集『開墾』(その2)

路の上の牛の糞をばわが小田に放りこみつつ百姓われは
代田搔く親にすがりて牛の仔の無理無体にし乳のまむとす
五月雨の雨に重たき蓑ぬぎて田植がへりは夕映のそら
田の土の煮ゆる土用は吾命(わぎのち)にあくまでも暑しひびかひにけり
泥の手をわれは術(すべ)なみ二の腕にしたたる顔の汗をしごき捨つ
早稲いねの花ざかり田にちりうける花粉(はなこ)を池の鯉あがり食ふ
牛馬は草に放ちて遊ばしむ早苗振すぎてとみに閑けさ
遠き海を過ぎ居るといふ颱風は青天にかぎりなき雲を飛ばせり
田植傭人顔見知る頃は入れかはりこの多き人の中にぞ暮す
月にわたるわが家の田植のけふはてて大早苗振は星合の空
とどろきて花ざかり田に吹きあるる野分に一夜こころ揉まるる
冬に向ふ小庭の池のしづかなる鯉もくはれて少くなりぬ

1首目、牛糞は良い肥料になるので捨てずに田んぼの中へ放り込む。
2首目、牛は貴重な労働力。働く母牛に乳をねだる子牛が愛らしい。
3首目、レインコートなどはなく、雨の日は蓑をまとっての作業だ。
4首目、真夏の田んぼの中は煮えるように暑い。その中で一日働く。
5首目、手のひらは泥まみれなので二の腕で何度も顔面の汗を拭う。
6首目、水田の表面に浮かぶ稲の花粉を鯉がやってきて食べている。
7首目、早苗饗(さなぶり)は田植え終わりの祝い。ようやく一息。
8首目、雲の動きが台風の接近を告げている。天候は農業の生命線。
9首目、田植えの時期には多くの臨時雇いを集めての作業がつづく。
10首目、すべての田植えを終えるまで一か月かかる。星合は七夕。
11首目、暴風の吹き荒れる音を聞きながら、眠れない夜を過ごす。
12首目、鯉は趣味で飼うのではなく、寒い冬の貴重なタンパク源。

米の値の下りに下る嘆きつつ月夜明かきに稲を扱くなり
そろばんに合はざる米をつくりつつ百姓われの愚を押しとほす
生きがたき生活(たつき)に黙(もだ)す田作のその日暮しを政治救はず

凶作になっても豊作になっても米価次第で困窮する農村の状況を見るに見かねて、吉植は衆議院議員に立候補する。「農村問題の徹底的解決が必要となつて来た時、農民代表として推されて、私は立候補することになつた」とある。

1936(昭和11)年、千葉県第2区より出馬して当選。衆議院議員であった父庄一郎と同じ道を歩むことになった。

1941年1月1日、甲鳥書林。

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2024年11月21日

吉植庄亮歌集『開墾』(その1)

大正15(1926)年から10年間かけて印旛沼周辺を開墾し、計60町歩の水田にするまでの農作業の日々を詠んでいる。歌数は1000首を超えるが実に面白くて飽きない。

「開墾一年」から始まって「開墾十年」、その後に「附録」として衆議院議員になってからの歌が収められている。昭和初期の農村の疲弊を何とか打開したいという思いが滲む。

やがて戦争へと到る昭和の歴史の貴重な証言として読むこともできるだろう。

塩びきの鮭に茶漬をかき込みて開墾業(わざ)は腹減りにけり
いささかの傷には土をなすりつけて百姓われの恙もあらず
厩より首伸べて馬は土を嗅げり春雨はれてとみにぬくとし
きのふけふにはかに花に咲きにける菜は鶏(とり)にやり豚にたべさす
下男(しもべ)らと競ひ働(ばたらき)にはたらきてをりふし眠る直土のうへ
少女等に放りてくばる苗束の苗のちぎれは手に青青し
向日葵の花にかけ干す仕事着のしたたる汗は乾きたるらし
とり入るる西瓜は馬車に積みあまれり二つ三つ紅く土に割れたり
荒莚畳の上に敷き並めて籾はこぶ人ら土足にはこぶ
土の中に鋤きおこしたる寒蛙生きてゐる眼にものは見ぬらし
しやぼんの泡まねくぬりたるわが手足いよいよ黒し泡の中にて
家堀に養ふ鯉の日和田にあがりてけふも波を押し寄す

1首目、汗をかく作業には塩分が必要。茶漬けもさっと食べられる。
2首目、土で治してしまうところに百姓になった意気込みを感じる。
3首目、春雨が降って土が柔らかに匂う。馬は貴重な労働力である。
4首目、花の咲いてしまった菜花を急いで鶏や豚に餌として与える。
5首目、作者は大勢の人を雇う立場だが率先して自らも働いている。
6首目、田植えは少女たちの仕事。田にいる少女に苗を投げて渡す。
7首目、汗に濡れた仕事着を向日葵に掛けて乾しているのが印象的。
8首目、馬車の荷台からこぼれ落ちて割れた西瓜。豊作だったのだ。
9首目、まだ収獲小屋がないので母屋の部屋に籾を運び込んでいる。
10首目、春先に田起しをしていて掘り出してしまった冬眠中の蛙。
11首目、作業を終えて石鹸で手を洗うと泡が真っ黒になっていく。
12首目、堀と田は水路でつながっていて鯉は自由に行き来できる。

開墾作業の苦労と収穫の喜びが生き生きと伝わってくる。また、牛、馬、鶏、豚、七面鳥、鵞鳥、山羊、蛙、雲雀、雀、鶸、蝗、鯉など、多くの生きものが登場して賑やかだ。

1941年1月1日、甲鳥書林。

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2024年10月25日

門脇篤史歌集『自傾』

 kadowaki.jpg

『微風域』(2019年)に続く第2歌集。

牛乳の白き水面に生るるあわ野田琺瑯のはだへの熱に
断面にみづはにじみてしろがねの匙もて抉るキウイの果肉
マジックに書かれて198の文字アラのパックのおもてにたわむ
革靴を明日のために磨くときはつかにくゆる火薬のにほひ
みづからにめり込むやうなかたちして昼のオフィスに眠るひとびと
ひときれの鰤のくぐれるせうゆゆゑ暗き水面は輝きを帯ぶ
収集場所に立てかけらるる一本の箒かごみかわからざりけり
ツナ缶に満つる油を捨ててをり蓋の薄きに肉を堰き止め
定年を待たずに辞めるひとのため日暮れの花舗に花を見てゐる
真夜中をまたたいてゐる光源に近づくための脚立をのぼる
窓を向く席のひとつにひとをりて海みるごとく舗道を見つむ
つきだしの茄子の煮浸しつやつやと模様のちがふ皿に盛られて
祖母(おほはは)の漬けし梅干しおほきくて触れたるめしはくれなゐに染む
オピネルのうすき刃は手のひらのうへにのせたる豆腐にしづむ
少しだけ冷たき米の残りゐる冷凍炒飯よく混ぜて食ふ

1首目、琺瑯の鍋に牛乳を温めている様子。琺瑯の優しさを感じる。
2首目、半分に切ったキウイを食べるだけだが、描写と語順が巧み。
3首目、バーコードの値札でなくラップに直に値段が書かれている。
4首目、仕事のための靴なので戦いのイメージが生まれるのだろう。
5首目、デスクにうつ伏せになっている姿。上句の比喩が印象的だ。
6首目、醤油に鰤の脂が滲み出て虹のような色合いが生まれている。
7首目、ゴミとして捨てられた箒か収集場所を掃くための箒なのか。
8首目、日常生活で誰もがやっていることを、丁寧に描写している。
9首目、花束を買いに来たのだろうが「見てゐる」としたのがいい。
10首目「電球」と言わず「光源」としたことで星のように感じる。
11首目、ぼんやりと考えごとでもしているような眼差しが美しい。
12首目「模様のちがふ皿」がいかにも突き出しらしい感じがする。
13首目、下句の描写に亡くなった祖母への追慕の思いが深く滲む。
14首目、オピネルはフランスの刃物メーカー。力を入れず切れる。
15首目、電子レンジで温めた時に中の方にまだ冷たい部分が残る。

食べもの、お酒、煙草を詠んだ歌が多い。
徹底して暮らしの手触りや細部の描写にこだわっている。

2024年8月12日、現代短歌社、2700円。

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2024年10月23日

一ノ関忠人歌集『さねさし曇天』


第5歌集。

土瀝青(アスファルト)の罅割れに小さき草の色さがみの国に春来るらしも
古への絹街道(シルクロード)もかくやあらむ寧楽は異国の言語(ことば)に賑はふ
関節がにはかにゆるみだす気配こぶし、もくれんに白き花咲く
をちこちに蟬討死にす。いつのまにか天下分け目の合戦終る
壮大なる錯誤とおもふ。天皇位を継ぐための儀式も即身仏も
散水するホースを抱へ虹創る外国人労働者に笑顔ありけり
きび餅にきな粉をこぼし湯河原の旅をふりかへる妻と笑みつつ
窓の外をラクダの通るけはいする夢とはおもへどけだもの臭き
パプリカにトマト、まぐろのさしみなど赤きをそろへ妻の還暦
御殿場線の窓に来てゐる秋あかね駿河小山の駅に停車す

1首目、春は再生の季節。植物の生命力に明るさを感じ励まされる。
2首目、インバウンドに賑わう奈良から古代のシルクロードを思う。
3首目、冬が終って春が来る様子を身体の感覚に喩えたのが印象的。
4首目、気が付けば夏のピークも過ぎ蟬の亡骸が多く転がっている。
5首目、2019年の大嘗祭のために仮設された大嘗宮を見ての感慨。
6首目、解体現場で働く外国人労働者の笑顔に少しホッとする思い。
7首目、きび餅は湯河原名物。旅行から帰ってきた安堵感がにじむ。
8首目、「けだもの臭き」がいい。匂いのある夢というのは珍しい。
9首目、赤いちゃんちゃんこなどではなく、赤い色の食べ物で祝う。
10首目、富士山近くの小さな駅。のどかな旅の様子がよく伝わる。

2024年6月30日、砂子屋書房、3000円。

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2024年10月19日

久永草太歌集『命の部首』

 hisanaga.jpg

昨年、第34回歌壇賞を受賞した作者の第1歌集。

心臓の模式図として黒板に教授が描くハートうつくし
皮膚という袋縫う午後 漏れそうな命はきっと水みたいなもの
治す牛は北に、解剖する牛は南に繋がれている中庭
採算と命の値段のくらき溝 鶏の治療はついぞ習わず
その毒を使わず終える一世(ひとよ)あれセグロウミヘビにヒョウモンダコに
保育士の「おやすみなさい」に潜みたる命令形に影濃かりけり
定番は青ペンらしいベトナムに過ごせば青くなりゆく手帖
ロゼットは春待つかたち床じゅうに教科書ひらくその野に眠る
身離れのよさ褒められているカレイどんな気持ちで煮汁に沈む
おいしさの罪嚙みており嚙みておりかつて光っていたホタルイカ

1首目、ハートの形はもともと心臓の形であったことを再認識する。
2首目、袋の中の「水」に喩えることで命の危うさと大切さを思う。
3首目、人間の決めた命の線引きがはっきり目に見えてしまう場所。
4首目、鶏一羽を治療して助けても、値段が安くて採算が合わない。
5首目、有毒生物への見方が個性的。使わないに越したことはない。
6首目、おとなしく昼寝してほしい場面。命令形であると意識する。
7首目、爽やかで印象的な海外詠。日本では黒になっていくだろう。
8首目、タンポポのロゼットのように自分も新しい春を待っている。
9首目、「身離れのよさ」が完全に人間側の目線だと気付かされる。
10首目、海の中で鮮やかに発光するホタルイカ。その命を食べる。

2024年9月24日、本阿弥書店、2200円。

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2024年10月17日

藪内亮輔歌集『心臓の風化』


現代歌人シリーズ38。
『海蛇と珊瑚』(2018年)に続く第2歌集。

位置について よーい終はりのわたしたち とてもきれいなだけの夕暮れ
鞦韆はたれも乗らずに揺れてゐず風もふかずにこの世もあらず
沁み込んだ――滴(しづく)が。甃(いし)に。手のひらに。――血液といふ出口なき川
木から枝、枝からは葉が天へ向け逃れむと手を伸ばし花咲く
朝顔は薄く空気を螺旋せりあなたがゐないことでゐるけふ
iPhoneを落して映る壁紙が床に真冬の海をひらいた
雨に昏い部屋に明かりをつけながら梨を食む梨のなかにも雨が
ふとき本に圧死してゐる栞紐とりだせばまた冬が来てゐる
顔を連れて顔を川辺に坐らせる顔は炎のやうにうつむく
咲(ひら)くとはこはれることで総身をふるはせ春を泳ぐさくらは

1首目、始まることもなく終わってしまったという感覚だけが残る。
2首目、「鞦韆」から始まって、次々に言葉も世界も消えてしまう。
3首目、下句が印象的。確かに血液は身体の外へと出ることはない。
4首目、花とは地上から逃れようとする必死の抗いの姿だったのか。
5首目、不在であることが、かえって濃密に存在を感じさせるのだ。
6首目、スリープになっていた画面が点灯して寒々とした海を映す。
7首目、雨の中に部屋があり部屋の中に梨があり梨の中に雨がある。
8首目、「圧死」がいい。取り出してあげると栞紐も生き返るのだ。
9首目、顔を他者のように詠むことで思い詰めた様子が強く伝わる。
10首目、「咲く」と「こはれる」は正反対のようで実は同じこと。

箴言的な印象に残るフレーズが多く出てくる。

「あなた」「雨」「花」「火」「心」「死」といった言葉が頻出し、同じモチーフが繰り返し詠まれている。

2024年8月20日、書肆侃侃房、2400円。

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2024年10月14日

河路由佳『土岐善麿の百首』


副題は「生活派短歌の旗手」。
「歌人入門」シリーズの10冊目。

土岐善麿の短歌100首の鑑賞に加えて、解説「短歌といっしょに長距離を走り切った生活者」が載っている。

――to katareba,
‘Ya, ima omoeri shika ware mo’ to ii, tagaini,
  Yorokobishi koro! /『NAKIWARAI』

汗みどろの
顔をふりむけて、炎天の
 荷ぐるまひきがわれをば見たり。/『街上不平』

つぶら眼の首振り人形真夜中にひとりゑみして首ふらず居り/『初夏作品』

いきなり窓へ太陽が飛び込む、銀翼の左から下から右から/『土岐善麿新歌集作品T』

はじめより憂鬱な時代に生きたりしかば然かも感ぜずといふ人のわれよりも若き/『土岐善麿新歌集作品2 近詠』

鉄かぶと鍋に鋳直したく粥のふつふつ湧ける朝のしづけさ/『夏草』

わが鼻を小(ちい)さき指につまむもの天上天下この孫ばかり/『相聞抄』

長い人生をかけて実に多様な歌を詠み続けてきたことが、初期から晩年に至る100首を読むだけでもよくわかる。

土岐善麿は青年時代から晩年まで一貫して「歌人」と呼ばれることを厭い、短歌を経済活動に結びつけようとしなかった。頼まれて選者をつとめることはあったものの、自ら結社を組織せず、弟子をとらず、短歌の指導書や入門書は書かなかった。

『現代短歌全集』(筑摩書房)全17巻を見ると、土岐善麿の歌集は『黄昏に』『新歌集作品T』『六月』『遠隣集』の4冊が入っていて、これは北原白秋、窪田空穂、斎藤茂吉、土屋文明、若山牧水とならんで最多である。

その割に論じられることがあまり多くないのは、結社や弟子がないという点とも関係しているのかもしれない。

私は最近「啄木ごっこ」の連載で啄木の友人としての土岐善麿について書いたが、これまでの『短歌は記憶する』『樺太を訪れた歌人たち』『戦争の歌』『踊り場からの眺め』にも土岐善麿は出てくる。短歌史に関して何か書こうとすると、必ずあちこちで出会う人なのだ。

2024年6月8日、ふらんす堂、1700円。

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2024年10月01日

川島結佳子歌集『アキレスならば死んでるところ』

 kawashima.png

「かりん」所属の作者の第2歌集。

起床して4秒でパソコン起動する在宅勤務にも慣れた冬の朝
どのような老女に私はなるのだろう押すとふかふかしているみかん
私が桃ならばここから腐るだろう太腿にある痣撫でている
シャーペンの先から芯を入れる眼をして蜜蜂を食おうとする猫
わたしがイカならば永遠に生きるだろう「産卵後すぐ死ぬ」と書かれて
空間を曲げつつ配達員の手を痺れさせつつ机は届く
お年玉もらうことなくあげることもなく一葉の無表情あり
冷蔵庫の闇にひっそり傷みゆくレタスは自らの水分で
人もなくて光もなくて真っ暗な花火大会翌夜の荒川
目を閉じて空腹だけになる私を吊り下げながら運ぶ地下鉄

1首目、始業時間ぎりぎりまで寝ていても大丈夫。「4秒」がいい。
2首目、上句と下句の取り合わせがおもしろい。浮き皮のみかんだ。
3首目、初句の入り方に意表を突かれる。傷みやすい果物である桃。
4首目、上句の比喩が個性的。集中して目にも力が入っているのだ。
5首目、出産してないことに対する複雑な思いをユーモアに包んで。
6首目、室内に運び入れるのが大変。「空間を曲げつつ」が印象的。
7首目、子どもや甥姪などがいないと、お年玉をあげる機会がない。
8首目、レタスのことを詠みつつ自らの身体のことも思うのだろう。
9首目、花火大会の歌は数多くあるけれど、翌日の夜の歌は珍しい。
10首目、身体が消え失せて空腹の意識だけが存在しているような。

2024年6月18日、現代短歌社、2200円。

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2024年09月10日

小田桐夕歌集『ドッグイヤー』


「塔」所属の作者の第1歌集。

輪郭のぱりりとかるい鯛焼きに口をあてつつ熱を食(は)みゆく
沸点がたぶんことなるひととゐる紅さるすべり白さるすべり
駅と駅をつなぐ通路の側面のひとつにて買ふ志津屋あんぱん
アイスからホットにかへて珈琲のカップを朝の両手につつむ
串刺しにまはりつづける馬たちのつやの瞳に映るひとびと
借りるね、といひあふ距離を家と呼びひるすぎの窓わづかに開ける
真冬にはしろく固まるはちみつの、やさしさはなぜあとからわかる
猪とナイロンともに植ゑられて手にかろやかな楕円のブラシ
このあたり霧が深くて。窓の外(と)の白さを見つつ看護師がいふ
あつまればこゑの厚みは増すらしく雀の群れのかたちが分かる

1首目、バリの食感とあんこの熱さ。「熱を食み」が巧みな表現だ。
2首目、自分の沸点だけでなく相手の沸点を知っておくことも大切。
3首目、地下のの通路の側面に埋め込まれたように店が並んでいる。
4首目、季節の変化の描き方が鮮やか。手のひらに温もりを感じる。
5首目、回転木馬を串刺しと捉えると、途端に残酷な世界に見える。
6首目、一緒に暮らす、家族になるとはこういうことかもしれない。
7首目、上句と下句の取り合わせがいい。時間が経って変わるもの。
8首目、上句から下句への展開がおもしろい。猪の毛の話であった。
9首目、映画のワンシーンのような美しさ。日常とは異なる世界だ。
10首目、鳴き声を聴いていると雀らの数や位置が目に浮かぶのだ。

2024年5月27日、六花書林、2500円。

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2024年09月07日

堀静香歌集『みじかい曲』


「かばん」所属の作者の第1歌集。

夜道ならぐんぐん進む自転車よハイツやハイムがいっとう好きだ
行かなかった祭りのあとの静けさの金木犀のつぼみの震え
ふた粒ならべるコアラのマーチふたつとも少しかなしい顔をしている
笑いながら見せ合っていた歯や歯ぐき一房のえのきをほぐしつつ
ゆうへい、と唇を湿らせてみる ひとの名前と思えばやさしい
きれぎれのこうふくだろうあなたからレーズンパンを受け取る夕べ
トンネルのすべてに名前があることの どこにもいないぼくらの子ども
考えるときに眉毛を抜く癖ははじめはどちらかのものだった
風のない午後にふたりで出かければ気まぐれに手をつないだりする
風邪の名残りのあなたはちょっと遅れて笑う乾いた米粒をひからせて

1首目、音の響きが楽しい。やや古風な「いっとう」が効いている。
2首目、「行かなかった」に滲む寂しさと秋の季節感がうまく合う。
3首目、かなしく見えてしまう心境なのだろう。「ふた粒」がいい。
4首目、「歯や歯ぐき」と「えのき」のイメージがよく重なり合う。
5首目、音だけ聞くと雄平などの名前にも思えるし幽閉にも思える。
6首目、「こうふく」も幸福であると同時に降伏でもあるのだろう。
7首目、上句から下句への展開が印象的だ。産道に似ているのかも。
8首目、今では二人とも同じ癖があってどちらが先だったかは不明。
9首目、ごくごく自然な幸福感が出ていてシンプルだが気持ちいい。
10首目、韻律的にも少し遅れる感じ。米粒は顔に付いているのか。

2024年6月17日、左右社、1800円。

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2024年09月04日

吉川宏志歌集『叡電のほとり』


副題は「短歌日記2023」。

ふらんす堂の短歌日記シリーズの14冊目で、2023年1月1日から12月31日までの365首を収めた第10歌集。

新年のなかに二つの「ん」の音の朝の陽のさす道を踏みゆく
まだ会いしことはなけれど娘(こ)の彼が看病に来ていると聞くのみ
雨のあと登りきたりし寺庭に泥跳ねをつけカタクリが咲く
夜のうちに十センチほど積もりたる偽のメールをつぎつぎに消す
菜の花の収穫をする人ありて軍手のなかの刃物は見えず
梅雨のあめ夜半(よわ)にやみたりチッチッと時計の針の音よみがえる
戦時下もコンビニは開いているだろう氷のすきまに珈琲そそぐ
比叡より落ちくる水のひとつにて梅谷川の暗きを渡る
背表紙を金(きん)に照らせる秋の陽のたちまち消えてうすやみの部屋
青く輝(て)る海に差し出す牲(にえ)のごと灯台は岩のうえに立ちたり

1首目、小さな発見がいい。『青蟬』の「冬」の字の歌を思い出す。
2首目、これだけで離れて暮らす娘が風邪など引いた状況とわかる。
3首目「泥跳ねをつけ」という細かな観察がいい。解像度が上がる。
4首目、雪の話かなと思って読み進めると下句で意外な展開が待つ。
5首目、菜の花と刃物のイメージの対比が「見えず」により際立つ。
6首目、時計の音はずっと変らないのだが静かでないと聞こえない。
7首目「氷のすきま」という表現の工夫が上句の想像を支えている。
8首目、雰囲気と味わいのある歌。「梅谷川」の名前が効いている。
9首目、日暮れの短い時間だけ、窓から射す光が本棚まで届くのだ。
10首目、灯台を「牲」と見たのが印象的。自然の美しさと厳しさ。

短歌に添えられた短文では、うさぎとぬいぐるみの話が2回出てくるのが印象に残った。4月5日と10月11日。「新年」の歌と同じで、人間は一つだと気にならないが二つだと気になるのだろう。

このウサギも先日亡くなったと聞いた。

2024年7月29日、ふらんす堂、2200円。

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2024年09月03日

小島ゆかり歌集『はるかなる虹』


2020年末から2024年初めまでの作品468首を収めた第16歌集。

似た顔の全員ちがふ顔が来て飲み食ひをする正月の家
陽のなかを吹く風すこし老犬はながき舌しまひわすれて眠る
三つ目の角に見えつつ歩いても歩いても遠いサルビアの花
深秋の街より帰り姉さんと呼びたき大き柿ひとつ食む
滅びゆく途中のからだ春の日は痛む右手に蝶がまつはる
猛暑日の刃物重たく腫れ物のやうな完熟トマトを切りぬ
ねむりつつかぜに吹かるるあしうらの地図の山河の谿深くなる
手術後の母はさびしい鳥の貌 車椅子ごと母を受け取る
フランスパンをレタスざくつとはみだしてはみだすものが光る三月
近づくとき遠ざかるときこの町のどのバス停にも母が佇む

1首目、血縁関係のある者同士、それぞれ似ていて違うのが面白い。
2首目、舌が出ている姿を「しまひわすれて」と描いたのが印象的。
3首目、赤色がよく目立つ花。遠近感が狂うような夏の暑さを思う。
4首目、「姉さん」がユニーク。どっしりとした頼もしさを感じる。
5首目、私たちの身体はいつでも「滅びゆく途中のからだ」なのだ。
6首目、夏の気怠い感じがよく出ている。刃物と腫れ物が響き合う。
7首目、足裏の凹凸が意識されるのだろう。山河に喩えたのがいい。
8首目、既に車椅子が母の一部になっている。「受け取る」も哀切。
9首目、早春の季節感。内側に縮こまっていたものが広がり始める。
10首目、バスに乗っている間も気が付けば母の姿を探してしまう。

2024年7月7日、短歌研究社、3000円。

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2024年08月29日

早川晃央歌集『こいつら』


「コスモス」「COCOON」所属の作者の第1歌集。

デパートの屋上になお一プレイ三十円のゲーム作動す
平日の昼間の安売りスーパーに男性客は意外と多い
ローソンとナチュラルローソン向かい合い利益を競う新宿の夜
メシを食うときも辺りを気にかけるカラスのような生き方は嫌だ
飛行機の翼が塵で黒くなり空はきれいでないことを知る
見上げれば綿菓子であり見下ろせば流氷らしく雲は見えたり
松屋では機械が飯を入れておりしゃもじは飯を整えている
銭湯の男子トイレのウォシュレット無数の男の尻を洗えり
食べられるために食べさせられているフィードロットの牛の静けさ
立ち食いの蕎麦すする人を後ろから見ればお辞儀をしているようだ

1首目、かなりレトロな雰囲気の屋上遊園地。「三十円」がいい。
2首目、平日の昼間=仕事というのも一つの固定観念でしかない。
3首目、微妙に客層が違う。客単価や利益率の比較など面白そう。
4首目、他者や世間に怯えずに、安心して生きていきたいものだ。
5首目、発見の歌。澄んだ青空に見えても大気中には汚れがある。
6首目「綿菓子」はよく聞くが、「流氷」は個性的な見方だろう。
7首目、ご飯をよそうはずの「しゃもじ」が整え役になっている。
8首目、どのトイレでも同じことなのだが「銭湯」だと生々しい。
9首目、もうすぐ殺されるとは知らず肥育場で餌を食べている牛。
10首目、蕎麦を啜るたびに上下する頭に会社員の悲哀を見るか。

2024年7月11日、六花書林、2300円。

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2024年08月23日

井口可奈歌集『わるく思わないで』

iguchi.jpg


第11回現代短歌社賞を受賞した作者の第1歌集。

わたしたち、って主語をおおきくつかってることわかってて梔子の花
なんでこんなに暑いんだっけドトールの気をゆるしたらやられる感じ
そばかすをコンシーラーで隠さずにドリンクバーでたまに触って
ぶかぶかのTシャツを着るひとのではなくじぶんので過去はたまねぎ
テーブルががたついていてレシートをたくさん挟んできたまま帰る
それからは専門学校生としてひとのからだを曲げて暮らした
車から降りてくるひとおおすぎて、乗りなおすことができなさそうだ
夕暮れに鳩とんできて空欄に自由記述をながく書いてる
ゆっくりと値札を剥がす家族には言えないことを思い浮かべて
イベントの後のけだるさたこ焼きのために切られたぶつぎりの蛸

1首目、若干の後ろめたさを感じながら話す。結句の収め方がいい。
2首目、くらくらするような暑さ。下句の軽快な言い回しが楽しい。
3首目、隠さないことで前向きに捉えることができ、愛着も覚える。
4首目、伸び切ったのか、体形が変化したのか。結句がおもしろい。
5首目、一度挟んだら帰る時にわざわざ取り外したりしないものだ。
6首目、整体師や理学療法士になる学校か。散文のような文体の妙。
7首目、バスなどでも相当たくさんの人が一台に乗っていたりする。
8首目「はい・いいえ」や番号ではとても答えられない思いがある。
9首目、上下の取り合わせに実感がある。わずか数秒の話だけれど。
10首目、たこ焼きになれなかった蛸はこの後どうなるのだろうか。

2024年4月29日、現代短歌社、2500円。

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2024年08月19日

内藤明歌集『三年有半』

著者 : 内藤明
砂子屋書房
発売日 : 2024-02-27

2019年から2023年までの約3年半の作品494首を収めた第7歌集。

入間川(いるまがは)高麗川(こまがは)毛呂川(もろがは)越辺川(をつぺがは)越えて逢ひたり都幾川(ときがは)の辺に
親四人送りおほせて卓上に桃と蜻蛉(あきつ)の猪口を置きたり
感染(うつ)るのは怖くはないが伝染(うつ)すのを恐れて今日も人に逢はざる
右へ切る形のままに三輪車路上にありてだあれもゐない
無防備に四肢投げ出して畳には猫のひらきが時々動く
底知れぬキャピタリズムの渦潮に朱塗りの椀はくるくる廻る
zoom会議の〈退出〉に触れもどりゆく冬の小部屋に西日が射せり
行きがけに投函せんとポケットに入れた葉書が食卓に在り
雨音の濃くまた淡く息づくを聴いてゐるなり人のかたへに
磨かれて板目艶めくカウンター仕切られてありアクリル板に

1首目、埼玉県西部。五本の川の名前が歴史や風土をを感じさせる。
2首目、夫婦で晩酌している場面と読んだ。しみじみとした味わい。
3首目「感染(うつ)る」と「伝染(うつ)す」の使い分けに納得。
4首目、上句の描写に三輪車から降りる子どもの姿が浮かび上がる。
5首目、アジのひらきではなく「猫のひらき」。警戒心ゼロである。
6首目、一寸法師の椀をイメージしたがjapan(漆器)の意味かも。
7首目、画面の中の世界から現実の部屋に戻ってきた感覚が鮮やか。
8首目、入れたはずが入れてなかったし、すっかり忘れていたのだ。
9首目、相聞歌。雨音と人の気配や息遣いが入り混じるような感覚。
10首目、立派な分厚い木の板に対して何とも安っぽいアクリル板。

2024年3月13日、砂子屋書房、3000円。

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2024年08月13日

花山多佳子歌集『三本のやまぼふし』

 hanayama.jpg

それぞれにかくも異なる犬つれて人びとあるく夜明けの道を
年とりて気がつきやすくこのごろは手袋おとせばかならず拾ふ
電線をコイルのやうに巻く蔓は夢みるごとし根つこ断たれて
一メートルほど上空にひらひらと凧連れて児はむやみに走る
大声で「カメ」と言ふ子は亀ゐるを告ぐるにあらず亀を呼ぶなり
低気圧近づきたれば頭(づ)のなかをうしろへうしろへ魚が泳ぐ
冬の陽はただあたたかくテーブルの胡桃の影に凹凸のなし
えんぺらを抜き墨袋ぬき軟骨をぬきてなめらかな空洞とせり
数日を置きても固きアボカドのクレヨンのやうな食感をはむ
伝染病はいつしか感染症となり自己責任の気配濃くなる

2015年から2020年までの作品494首を収めた第12歌集。
読み終えると付箋だらけになってしまう面白さ。

1首目、一口に犬と言ってもチワワも柴犬もシベリアンハスキーも。
2首目、以前はよく紛失したのだろう。話の展開にユーモアがある。
3首目、結句で光景がはっきりする。もう生きてはいない蔓なのだ。
4首目「連れて」という動詞が絶妙。高々と空に上がることはない。
5首目、大人と違って亀に向かって「カメ」と呼び掛けているのだ。
6首目、気圧の変化の影響を独特な身体感覚で表現していて面白い。
7首目、発見の歌。実物の胡桃には細かな凹凸があるが影にはない。
8首目、イカを調理する時の様子。「なめらかな空洞」が印象的だ。
9首目、下句の比喩がいい。食感とともに色合いもクレヨンっぽい。
10首目「うつす」と「うつる」、どちらに重点を置くのかが違う。

2024年7月11日、砂子屋書房、3000円。

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2024年08月11日

浦河奈々歌集『硝子のあひる』


「かりん」所属の作者の第3歌集。

スワロフスキーの硝子のあひる口あけてなにか訴ふ飾り棚の中
「ゆるされない」と誰かいひけり喪服なる人々のなか靴脱ぎをれば
ブルーベリー小鉢一杯摘んできて昼寝の夫の腹の上(へ)に置く
育ちゆくいのちの濃さに圧されつつ水平に差し出すお年玉
ただそこにゐることですら戦ひで椿は舐めるやうに見られる
ダックスフントは濡れた黒目の頭(づ)を捩りひとを見ながら曳かれてゆきぬ
麻雀は四人家族の遊びにて遥かな昭和の正月あはれ
こぶのやうに夫のとなりにゐるわれは夫に出さるる茶を享けて置く
車椅子押し始めればわれの胃のあたり漂ふ父のあたまは
隣室に吊せるみちのく風鈴がしづかに鳴る日、岸にゐるわれ

1首目、巻頭歌でタイトルとなった一首。作者自身の姿でもあろう。
2首目、強い口調に思わず手が止まる。濃密な人間関係の表れる場。
3首目、ユーモラスだが少しくらい手伝ってくれてもと思うのかも。
4首目、子を持たない作者の複雑な思いが滲む。「水平に」がいい。
5首目、上句が印象的な言い回しだ。椿は女性の喩でもあるだろう。
6首目、まだ行きたくないのに無理やり連れていかれる犬の哀しさ。
7首目、四人が標準家庭と言われていた頃にぴったりの遊びだった。
8首目、添えもののような存在にされていることへの鬱屈した心情。
9首目、「胃のあたり漂ふ」がいい。父への労わりと寂しさが深い。
10首目、風鈴の音を聞きながら、川岸あるいは此岸を感じている。

2024年6月12日、短歌研究社、2200円。

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2024年07月30日

天野匠歌集『逃走の猿』

2003年から2016年の作品308首を収めた第1歌集。

駅前に聳える高級マンションといえど見た目は板チョコに似る
ラタトゥイユ平らげしのち思いおり閉経のまえに死にたる母か
あやまてばたちまち死者の出る仕事リフトに吊りて人を移しぬ
呑みながら話題の輪からそれてゆくさびしさもちて海ぶどう食む
東京の迷路浮き彫りとなるまでを成人の日の雪ふりやまず
独り居の父に金庫の開けかたを教わるゆうべこれで三度目
全盲の老女に降っているのかと問われて気づく硝子の雪に
アナウンスのこえ三重にかさなれる新宿駅に快速を待つ
この世へと押し出してやる枝豆のつややかな照り食えば楽しも
哄笑の起こらぬ施設 談笑はところどころに咲きて立冬

1首目、「高級マンション」と「板チョコ」の何とも驚くべき落差。
2首目、若くして亡くなった母。上句のシーンからの展開が鮮やか。
3首目、入浴介助の場面だろう。モノではなく人の命を預かる仕事。
4首目、「海ぶどう」のぷちぷちした歯触りに寂しさを噛み締める。
5首目、道路の部分だけ黒く残る。迷いの多い人生の象徴のように。
6首目、もしもの時に備えてなのだが、「三度目」が何とも哀しい。
7首目、窓の外に降る雪の気配を老女は敏感に感じ取ったのだろう。
8首目、「三重」はあまりない。多くの列車が発着する駅ならでは。
9首目、莢の中の暗闇にある時はまだ「この世」ではなかったのだ。
10首目、老人介護施設の様子。ゆっくりと穏やかな時間が過ぎる。

2016年5月20日、本阿弥書店、2700円。

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2024年07月24日

椛沢知世歌集『あおむけの踊り場であおむけ』


第4回笹井宏之賞大賞を受賞した「塔」所属の作者の第1歌集。

水着から砂がこぼれる昨年の砂がこぼれて手首をつたう
冬の肘のかさつきに似た陽を浴びて広場の鳩にパンくずをやる
手のひらを水面に重ね吸い付いてくる水 つかめばすり抜ける水
うたたねの妹の口があいている飴を食べるか聞くとうなずく
おかえりと犬のしっぽがふくらます春の風船はちきれそうな
わるぐちとぐちの違いがわからない 鳩の身体に追いつく頭
夜の川に映る集合住宅は洗いたての髪の毛のよう
見つめれば犬の瞳におさまって手のひらから肘舐められていく
そういえば定食屋さんもうないねと言われるまではたしかにあった
めがさめてしめった布団から部屋がはなれていくゆっくりとだんだん
起き上がるまでのアラーム一つずつ消して朝から降る天気雨
人差し指握って離す 握られてできたみたいなゆびのいでたち
思いっきりぶつけた脛の残像が新宿の夜のクレープ屋さん

1首目、結句がいい。一年前の夏の記憶が体感とともに甦るようだ。
2首目、比喩が面白い。「かさつき」と「パンくず」の質感も似る。
3首目、同じ水であるのに粘り気を感じたりさらさらしてたりする。
4首目、妹の歌はどれも妙に存在感がある。日常のだらっとした姿。
5首目、喜んでいる犬の気持ちが「春の風船」により可視化された。
6首目、頻りに前後に動く鳩の頭は体に追い付こうとしていたのか。
7首目、かなり距離のある比喩だが、不思議と納得させる力がある。
8首目、犬の黒目に自分の全身が映っている。犬と私の距離の近さ。
9首目、以前から無くなっていたのだが認識としては今消えた感じ。
10首目、布団=部屋の睡眠の状態から次第に空間が生まれてくる。
11首目、時間差で3個以上の目覚ましが鳴る。全体の流れがいい。
12首目、まるで粘土を手のひらで摑んで生まれたような形である。
13首目、二つの出来事が記憶の中で強く結び付いているのだろう。

2024年7月6日、書肆侃侃房、1800円。

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2024年07月10日

黒木三千代歌集『クウェート』

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第2歌集。ニューウェイブ女性歌集叢書5。

咬むための耳としてあるやはらかきクウェートにしてひしと咬みにき
  91・1・17
ペルシャ湾から「サダームヘ愛をこめて」まことに愛は迅くみなぎる
西側の二枚の舌がしんしんと嬲(なぶ)りしパレスチナにあらぬか
想ひ出といふやはらかな実りには敷藁が要(い)る、ぬくき敷藁
なにものと知れぬ獣に飾らるる壺ありてこの国のこんとん
この家のまはり坂ばかり 大いなる中華鍋の底ゆ日に一度出る
男でも女でもなく人間と言へといふとも桶と樽はちがふ
花鳥図に百年咲きて芍薬のひかりやうやう褪せゆくらしも 奈良県立美術館
すべての葉動かぬ桃の木はありつ 鈍牛(どんぎう)のやうな夏を感じる
戦利品・商品として女ある 野葡萄をこそ提げてゆくべきに
〈雌伏〉といひ〈雄飛〉といふを 〈奸婦〉といひ〈悍婦〉といふを 寂しみて繰る
赤松も蓖麻(ひま)もこぞりて戦争をせし日本を思ひつつゐる

1首目、湾岸戦争の歌。戦争と性愛を重ね合わせた表現が印象的だ。
2首目、艦艇から発射された巡航ミサイルに記された落書きだろう。
3首目、イギリスの二枚舌外交に始まる歴史。「嬲」の字が強烈だ。
4首目、思い出は単なる記憶とは違い、熟成されて育ってゆくもの。
5首目、混沌(カオス)でもあり渾沌(中国神話の動物)でもある。
6首目、「中華鍋」の比喩が面白い。地形的に窪地に家があるのだ。
7首目、性別は関係ないと思いつつも、現実には身体の違いがある。
8首目、絵の中の芍薬が100年生き続けているように詠まれている。
9首目、日差しが強く風も吹かない暑い昼。「鈍牛」の比喩がいい。
10首目、女性の扱いに対する異議申立て。下句に強い矜持を示す。
11首目、言葉のジェンダー格差。後半は女性だけに使われる言葉。
12首目、戦争末期には松根油やひまし油まで何もかもが使われた。

高野公彦の解説「比喩と諧謔」の最後の部分が目を引く。

歌のスタイルとか韻律の面で岡井隆の影響が見られる。影響といふより、意欲的な接近であるかもしれない。第三歌集では〈岡井ふう〉が払拭されてゐることを希ふ。

かなり率直な書き方だ。こうした批判的な文言は、最近の歌集ではほとんど見かけなくなったように思う。

1994年3月1日、本阿弥書店、2500円。

posted by 松村正直 at 12:41| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする