2025年12月06日

一ノ関忠人歌集『欅、その他』

2021年から2024年までの作品を収めた第6歌集。

納豆のねばねばはいのちのねばねばと糸引納豆いく度も練る
和菓子屋のショーケースにはさくら餅はやくも並ぶ春のさきぶれ
東西南北四方に桃の花咲く村まぼろしの如おもひみてをり
静岡鉄道(しづてつ)の沿線のさくらのかがやきを黄色い電車に運ばれてゆく
コンビニのおにぎり二つを喰ひ終へて横須賀軍港雲一つなし
行き過ぎて柊の白き花の匂ひ十一月半ば冬の香りす
わが時の流れに石川さゆりの歌がありその時どきのうたをつぶやく
六十色の色使ひ分け葉のいのち写したるとき絵がうごきだす
若水は南アルプスの天然水、塩は奥能登の真塩にて、米は山形のつや姫供ふ
珈琲に練乳(ミルク)を足して今朝は飲むミルク注いで心揺れたり

1首目、ねばねばは身体に良いと聞くので念入りに練っているのだ。
2首目、和菓子は季節を先取りする。花より早く販売が始まる桜餅。
3首目、小中英之の名歌「ぼあーんぼあーん」を踏まえた歌だろう。
4首目、車体の黄色と桜の色の取り合わせが春らしい気分を伝える。
5首目、上句下句に関係はないのだが食べて消えてしまったみたい。
6首目、通り過ぎてから香りに気づく。柊の字のなかにも冬がある。
7首目、50年以上も活躍するのでその時々の思い出と重なるのだ。
8首目、60色の色鉛筆を使って丁寧に描いていくと絵に命が宿る。
9首目、新年の神棚に供えるもの。ペットボトルの水なのが現代的。
10首目、ふだんは入れないのだろう。ミルクの揺れが心を揺らす。

2025年10月3日、現代短歌社、3000円。

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2025年12月01日

岩岡詩帆歌集『蔦の抒べ方』


「未来」所属の作者の第1歌集。
2012年以降の作品357首を収めている。

落ち角のやうなる枝をひとつ越ゆ不在は冬の森にあかるし
春の夜の闇やはらかくみづからの重みに従(つ)きて扉(と)は閉ぢゆけり
黒揚羽あふられゆける八月の、光にかげとルビを打ちたり
地球儀の冷えはじめたる秋の陸(くが) 子規に短き従軍ありき
洗ひゆく香魚はうすき血を持てり血はゆるやかにみづにほどけて
ひと夜さに試験範囲の中世を子は駆けゆけり砂塵をたてて
透けながらそびら合はせて文字はあり春のひかりに頁を繰れば
とほき世に蹴られし鞠も越えて来よ山吹咲きてあかるめる垣
銃眼の隠れてひとつあることも揺れさだまらぬ万緑のなか
すずかけの落葉つづけり気送管くぐる封書のごとくしづけく
日盛りの茄子を洗へばきうきうといるかの背(せな)もかくにかあらむ
返信を待つ間めぐりのひそけさにパンは音吸ふものと思ふも

1首目、生きものの気配があまりない冬の森のひっそりとした様子。
2首目、自重によってゆっくりと閉じる扉の感触と春の夜の空気感。
3首目、光と影が入れ替わり明滅するようにはばたいて飛ぶ黒揚羽。
4首目、子規の人生の転機となった従軍と帰りの船での喀血を思う。
5首目、香魚は鮎。結句「ほどけて」がいい。「流れて」ではなく。
6首目、一夜漬けで世界史の試験勉強をしている子。結句がうまい。
7首目、背中合わせに透けて見える文字。実に繊細な感覚だと思う。
8首目、平安貴族の遊んだ蹴鞠の鞠が時空を超えて垣の向こうから。
9首目、風に揺れる木々の緑の中にまぼろしの銃眼を思い浮かべる。
10首目、比喩が印象的。エアシューターを通って地面に落ちる葉。
11首目、色合いとつやつやした質感の類似。オノマトペが効果的。
12首目、食パンの白い部分に音が吸収されていくようなイメージ。

季節を感じさせる歌が多い。

2025年8月12日、本阿弥書店、2700円。

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2025年11月27日

川本千栄『土屋文明の百首』


「歌人入門」シリーズ14冊目。副題は「近現代短歌を生きた百年」。

読んでまず思ったのは選歌がいいこと。よく引かれる有名歌、代表歌だけでなく、あまり知られていないけれど印象的な歌を多く取り上げている。

夕ぐるるちまた行く人もの言はずもの言はぬ顔にまなこ光れり
/『ふゆくさ』
休暇となり帰らずに居る下宿部屋思はぬところに夕影のさす
/『往還集』
庭石のかわきて荒るる園みれば物のほろぶる人よりもはやし
/『六月風』
鳥籠に寄り立つ人の父を見る万(まん)の戦死者の親かくありや
/『山下水』
なほ一人の土屋が山に残り居て落葉の坂を行くかともまどふ
/『青南集』
牛の子の如くにからびしくそつけて臥(こ)やる一日は侘しかりけり
/『続青南集』
いつの間に時は行くのかなびき合ふすすきの原にこゑはのこりて
/『青南後集以後』

もう一つの特徴は、すべての歌に口語訳が付いていることである。これは、このシリーズでも初めてのことではないか。

25字×10行という短い鑑賞文のなかの2〜3行を使って口語訳を示すというのは、かなり思い切った決断だ。以前のように「短歌」=「文語」の時代であれば、おそらく不要だったものだろう。

でも、今はそうではない。口語で短歌を詠む人の増えた現在、口語訳の持つ意義は大きい。古語の意味や助詞・助動詞の意味がきちんと示され、句切れの位置も明らかになる。

また、川本の口語訳は単なる逐語訳ではない。歌の読みや解釈のために必要に応じて言葉を補っている。

出勤時(しゆつきんどき)の鋪道(いししきみち)に落ち散りて人はみざらむ百合の樹の花

例えば、この歌の口語訳の冒頭には「百合の樹の高い所に花が咲いている。」という一文を加えている。それによって、慌ただしく歩く人々が見ないのは舗装路に落ちた花だけでなく、頭上に咲いている花でもあるという解釈を提示しているのだ。

巻末の解説で文明の歌集を五期に区分してそれぞれの特徴を論じているところなども含め、読み応えのある一冊となっている。

2025年10月13日、ふらんす堂、1700円。

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2025年11月22日

本条恵歌集『星とアスパラ』

著者 : 本条恵
短歌研究社
発売日 : 2025-09-29

「未来」所属の作者の第1歌集。

塩水にリンゴウサギは浸される ワニを騙した報いのように
太陽じゃないとうすうす気づいてるような形に伸びる豆苗
水槽の反射が頭上にゆらめいて生物室はいつも眠たい
一筋の道の向こうは月曜が燃やせるゴミの日じゃない世界
死ばかりを見せてごめんね薄布で軽く拭って真珠を仕舞う
  奇石博物館にて
自らの名に「石」の字があることを学芸員は嬉しげに言う
隣家には隣家のためのお母さん二十三時の掃除機の音
窓側のベッドは差額 二千円の夜景をスマホのカメラに収める
蛇行しているのは川か我々か 空知川こえまた空知川
他をすべて「はずれ」にしてやろうなんて星形のピノは思っていない

1首目、変色防止のために浸した姿から因幡の白兎へと連想が飛ぶ。
2首目、台所の照明の下でひょろひょろと伸びて再利用される豆苗。
3首目、上句の描写がいい。高校時代の気怠い感じがよく出ている。
4首目、地域によって収集日が異なる。「世界」と言ったのがいい。
5首目、葬儀や法事の時にだけ身に着ける真珠のネックレスのこと。
6首目、きっと石のことが好きで好きでたまらない人なのだろうな。
7首目、一家に一人「お母さん」をする人物が配属されている感じ。
8首目、四人部屋の窓側は割増料金。それでも入院中の心がなごむ。
9首目、空知川に沿って走る根室本線。列車で旅する体感が伝わる。
10首目、星形を「あたり」と思うと通常の形は「はずれ」になる。

2025年9月29日、短歌研究社、2300円。

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2025年11月18日

田宮朋子歌集『光に濡れる』


2015年から2024年までの作品503首を収めた第5歌集。

あかつきの雪野のふかき靄のなかヘッドライトが道なりに来る
まみどりの薹菜たつぷり食べる春血のくれなゐが濃くなるといふ
大雪に半ば埋もるる墓群の墓のひとつに「南無」の文字見ゆ
八月に生まれて逝きし二人子の足はこの世の土踏まざりき
寺泊遊郭跡は畑となり蟬声のなかをみなへし咲く
光とも影ともみえて窓の外ほたりほたりと牡丹雪降る
子をもたぬわれに末期の母言ひきおまへのときは迎へてあげる
凸凹の圧雪の道ハンドルの遊びにゆだねゆるゆると行く
「おのれこそおのれのよるべ」十五の春聞きにし父のこゑをわすれず
糸魚川産の翡翠は海わたり新羅の王の冠をかざりき
遠花火見ながら夫と歩く道いづれか生きて思ひ出とせむ
あこがれは猫にもあらむ秋陽さす網戸に鼻をつけて風吸ふ

1首目、ぼんやりしたヘッドライトの光の動きで道が浮かび上がる。
2首目、色のイメージが鮮やか。人々の暮らしの中での言い伝えだ。
3首目、「南無阿弥陀仏」の上の部分がわずかに雪の上に出ている。
4首目、生後三日で亡くなった子。何十年経っても消えない悲しみ。
5首目、「をみなへし」は漢字で書くと女郎花。遊女の姿が浮かぶ。
6首目、モノクロの影絵のような世界。初二句がいかにも牡丹雪だ。
7首目、母の言葉に優しさと凄みを感じる。一人で死ぬのは寂しい。
8首目、ハンドルを握る手に力を入れ過ぎると、かえってよくない。
9首目、住職であった父。後に生きる上での支えとなったのだろう。
10首目、日本海側と朝鮮半島の古代からの行き来を感じさせる歌。
11首目、後に残された一人にとって良い思い出になるだろう場面。
12首目、外の世界を黙って眺めている猫の姿。描写が実に丁寧だ。

2025年9月27日、角川文化振興財団、2600円。

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2025年11月17日

『について』について

第6歌集『について』について雑誌やブログ等で多くの書評や一首評などをいただいております。ありがとうございます!

【書評】
・恒成美代子「暦日夕焼け通信」(2025年5月30日)
 http://rekijitsu.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/index.html

・山名聡美「note」(2025年8月18日)
 https://note.com/satomiyamana/n/n291d26c094b5

・門脇篤史「選択肢のひとつ」(「現代短歌新聞」2025年8月号)
・山本まとも「土地の記憶へ」(「短歌研究」2025年9・10月号)
・門脇篤史「今月の歌」(「未来」2025年9月号)

・工藤吉生「存在しない何かへの憧れ」(2025年9月22日)
 http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52337883.html

・大西淳子「みそひと書房」(「NHK短歌」2025年11月号)
・大西淳子「マイ・セレクト」(2025年11月1日)
 https://www7b.biglobe.ne.jp/~juntan/posts/blog46.html

・田村元「立ち止まらせる歌」(「短歌往来」2025年11月号)
・寺阪誠記「書評」(「角川短歌」2025年11月号)
・小原奈実「知的主体の孤独」(「うた新聞」2025年11月号)
・大松達知「いかたこ・きつねたぬき」(「現代短歌」112号)

【一首評】
・俵万智「新々句歌歳時記」(「週刊新潮」2025年7月3日号)
  「お父さん」ではなく「お義父さん」だろう電車にすわる男女の
  会話
・長谷川櫂「四季」(「読売新聞」2025年8月25日)
  黒蟻に集(たか)られているクワガタのどんな結末もわれは諾う

・東直子「短歌の杜」(「婦人画報」2025年10月号)
  沿わせつつ刃を動かせば親指はすでにあじわう梨の甘みを
 https://www.fujingaho.jp/culture/column-essay/a68029254/higashinaoko-250928/

・小田桐夕「波と手紙」(2025年9月15日)
  雨の日に長く線路を見つめてはいけない 死後も濡れているから
 https://odagiri-yu.hatenablog.jp/entry/railway

・内山晶太「日々のクオリア」(2025年10月1日)
  生きている時間の方がみじかくて冬川跨ぐ橋をわたりぬ
 https://sunagoya.com/tanka/?p=35860

歌集『について』は版元の現代短歌社で販売中です。
(メール・電話・オンラインショップから購入できます)
 http://gendaitanka.jp/book/kashu/123/

また、私のBOOTHでも「送料無料・サイン入り」で購入できます。
https://masanao-m.booth.pm/

他にも葉ね文庫やAmazonなどで販売しておりますので、どうぞよろしくお願いします!

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2025年11月15日

なべとびすこ歌集『デデバグ』


第1歌集。

飲む前の水は重たい手荷物で飲んだ途端に自分に変わる
ふるさとを離れた人がふるさとを語るテレビをふるさとで見る
ゴミ袋ちょっと濡れてる 枯れた日と捨てた日どっちが命日だろう
信号を無視するときこそ信号を最も強く意識しながら
中間を取れば三ノ宮になっていつも誰かと会うための街
僕よりも僕のために怒ってくれて花束だった 花束だったな、
「じゃあまた」の「また」のころには春だろう 風をリュックにしまって歩く
「音楽もぜんぜん聴けんくなった」って言われてほうじ茶ラテが揺れてる
灯籠は下流で回収されるらしいそれでも君が灯した光
19時まで店員だった店員が私服になって帰っていった

1首目、ペットボトルの水は飲んでしまえばもう重さがなくなる。
2首目、ふるさとに住み続ける作者は複雑な気分で聞くのだろう。
3首目、花瓶の花を捨てる場面。上句の細かな描写が効いている。
4首目、無視することでかえって強く意識する。信号だけでなく。
5首目、大阪と姫路付近の人が会う場合。それ以外では行かない。
6首目、その場面を何度も思い返しては嬉しさを噛み締めている。
7首目、上句が鮮やか。次に会うときにはもう季節が変っている。
8首目、仕事などで余裕がない相手。何と声を掛けたらいいのか。
9首目、海へ行くことはない灯籠だが祈りの気持ちは本物である。
10首目、制服のときとは違う印象の私服姿。もう店員ではない。

連作としては、結婚して東京に転居した先輩を詠んだ「クジラのなまえ」18首が特に良かった。

2025年10月13日、左右社、1800円。

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2025年11月11日

雲嶋聆歌集『紫陽花に祈ふ』

著者 : 雲嶋聆
短歌研究社
発売日 : 2025-09-30

「中部短歌会」所属の作者の第1歌集。
タイトルの「祈ふ」は「こふ」。

飛車の威を借る歩か我も年上の部下の仕事にダメ出しをして
かの日蜘蛛に喰はれし蝶の叫喚の嫋嫋たるをわがうちに聴く
どこまでも、どこまでも、空。 〈縊死〉ののち翅を持ち始むる蟻の群れ
泥濘になほ白かりきたんぽぽも紋白蝶の産卵管も
はよしりん、やぐい子だねえ。センセイの親指がおしつける名札(おなまえ)
         注 やぐい:三河弁で「どんくさい」。
昼休み 愛想笑ひの絆もて同僚と行く〈ラーメン二郎〉
彼岸へのモールスめきて蛍火は明滅しつつのぼりゆきけり
#呟いてみた 「生きたい」と「死にたい」がぶつかる交差点
特攻を生き延びし祖父七十年のちのベッドに横たはりをり
母の死の後をひつそり生きてゐる秋の日差しを眩しみながら

1首目、「虎の威を借る狐」のもじり。会社内での上下関係の様子。
2首目、細く長く聞こえる叫び。声にならない悲鳴が心の中にある。
3首目、岸上大作を詠んだ一連の歌。羽蟻の飛翔のイメージが鮮明。
4首目、泥に塗れたものたち。白さゆえに一層痛ましく感じられる。
5首目、滋賀から愛知へと転居していじめられた経験。先生もまた。
6首目、「愛想笑ひの絆」が秀逸。自分だけでなく相手も愛想笑い。
7首目、蛍の光を死後の世界への通信として見ているのが印象的だ。
8首目、ハッシュタグを用いた一連。生きたいと死にたいは紙一重。
9首目、1945年と2015年。祖父が生き延びたから今自分がいる。
10首目、親を亡くした後の茫漠とした喪失感が深く滲み出ている。

2025年9月25日、短歌研究社、1800円。

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2025年11月07日

馬場昭徳歌集『父さんの帽子』

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400首を収めた第6歌集。

新聞の訃報欄などなきときの八月の死者 犇き合ひて
樟の木の影過ぎりつつゆつくりと物言ふ人でありたしわれは
山頂にわが立ちをれば長き風短き風が吹き抜けてゆく
人間の喜怒哀楽のその中の哀しさだけが鮮度を保つ
鍋に煮つつ何か加へてにんまりとして見せたりし妻の横顔
投票率三十八パーセントの海に沈みてゆきしわれの一票
七十四歳の人がテレビに映りゐてああこれが七十四歳かと思ふ
冷蔵庫に砂糖容器を入れむとし人生のこと深く思へり
あらがねの土煙立ち戦争は人の命を国有化する
採血のしやすきことを褒められてわが前腕に静脈は浮く

1首目、作者は長崎市生まれ。原爆で亡くなった人々のことを思う。
2首目、樟の木のようにどっしり構えてとは思うがなかなか難しい。
3首目、「長き風」「短き風」が面白い。風の長さが見えるみたい。
4首目、他の感情と違って時間とともにあまり薄れゆくことがない。
5首目、ただの料理の場面だが、こんなふうに詠むとちょっと怖い。
6首目、投票した候補の落選よりも投票率の低さに気分が落ち込む。
7首目、自分の年齢や姿を客観視するのは難しいが他人だとわかる。
8首目、一体おれは何をしようとしているんだと思って愕然とする。
9首目、三句以下が箴言のように響く。「国有化」をこう使うとは。
10首目、別に何の手柄でもないけれど褒められるとやはり嬉しい。

2025年10月7日、なんぷう堂、1000円。

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2025年11月02日

笹川諒歌集『眠りの市場にて』

著者 : 笹川諒
書肆侃侃房
発売日 : 2025-08-27

「短歌人」所属の作者の第2歌集。

空はいま無言を搾っているところ あとにしよう音楽の話は
もう消えた記憶の成れの果てとしてセイタカアワダチソウ群れて咲く
触れられる形でいえば駅だろう矢印と風を持つひとだった
雨後の街は金魚のにおいばかりする こころの外へ僕を出さねば
音楽のように片手を上げているあなたが何かを修復している
やわらかな冬のひかりよ日時計に一人称があればうれしい
春はなおさらあなたの中に教会が二つ見えその小さめの方
あこがれが針のようだと思うときこころから飛ぶまっさらな蜂
ひとすじの光を曳いて去り際のあなたは青いオーボエだった
みずいろのカフェテラスでは風に訊く人形同士の恋の顚末

1首目、無言でいることも時に大切。言葉で何かを壊さないために。
2首目、思い出せない記憶の残骸として黄色に塗りつぶされた風景。
3首目、自由な心と強い意志を持つ人の佇まいが目に浮かんでくる。
4首目、居心地のよい自分の心の中に閉じ籠ってしまわないように。
5首目、演奏しているのか指揮しているのか世界を直しているのか。
6首目、完全に受身の存在である日時計にも自らの意志があるはず。
7首目「春」や「小さめの方」という限定がイメージを強めている。
8首目、自分の心から対象へと向かって真っ直ぐに進んでいく思い。
9首目「青い」が印象的。オーボエの形や音、金属部分の光沢など。
10首目、本人たちに訊くわけにはいかない。風が見守っていた恋。

2025年8月23日、書肆侃侃房、2000円。

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2025年10月25日

瀬戸夏子『をとめよ素晴らしき人生を得よ』


副題は「女人短歌のレジスタンス」。

戦後「女人短歌会」に集った女性歌人たちの人間模様や男性中心の歌壇における苦闘について描いた本。

「大西民子と北沢郁子」「北見志保子と川上小夜子」「中城ふみ子と中井英夫」など全10章+補章2篇、付録として12名の歌人の「一首評+10首選」のアンソロジーという内容になっている。

ふたりで旅行に行ったさい、大西は自分の嵌めていたガーネットの指輪を北沢にプレゼントした。次に銀座でふたりで食事をしたとき、大西の指に同じガーネットの指輪があった。北沢にプレゼントしたあと、同じものを大西はまた買ったのだ。
齋藤とイェイツの共通点は、それぞれが、二・二六事件とイースター蜂起で、複数の親しい友人知人が首謀格となり、処刑されていることだ。社会的な作品であると同時に、私的な悲歌(エレジー)でもある。
本当は女性のみの団体をつくることによってやっと存在を認めてもらえるようなことなどまったく不当であり、そもそも性別による差別などなく歌そのものを見てもらえる世界であるべきだ。しかしそんな理想だけじゃ物事が動かせなかったころ、その世界のいびつさをまともに受けとめてできたのが「女人短歌」だった。

WEB連載が元になっている本だが、文章に勢いがあってぐいぐいと引き込まれる。登場する女性歌人ひとりひとりが生き生きと輝いて感じられる。

これまでアララギ(茂吉・赤彦・文明)、前衛短歌(塚本・岡井・寺山)、ニューウェーブ(荻原・加藤・穂村)など男性中心に描かれることの多かった短歌史は、今後大きく書き換えられていくことになるだろう。

この本が短歌関連の出版社以外の版元から刊行されたのも意義深いことだと思う。短歌の世界にとどまらず、多くの方々に読んでほしい一冊だ。

2025年8月10日、柏書房、1900円。

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2025年10月23日

白川ユウコ歌集『ざざんざ』


2013年から2024年までの作品501首を収めた第3歌集。

引っ越しの荷づくりすれば生活は直方体にはこばれてゆく
針と糸あるところには刺繍あり文字を持たない民族にもある
〈鳥ぎん〉は時が止まった釜めし屋うすいしゃもじでおこげをはがす
頼朝と政子の〈腰掛石〉ふたつあればふたりで腰掛けており
陽がのぼる前のひかりの窓辺にてひとりひらけり新約聖書
水を飲みドライフルーツ少し食み小鳥のように午後を過ごせり
どくだみの香りを嗅ぐと思い出すいつでも雨の大角(おおすみ)医院
六枚組〈啄木絵はがき〉五枚出し蟹の絵柄の一枚のこす
駱駝より駱駝の影はおおきくて砂漠の西に沈む太陽
孫代わりと母に呼ばれる雄猫がわがふくらはぎひょろんと跨ぐ

1首目、生活という形のないものが目に見える直方体の集積になる。
2首目、単に縫うだけでなく刺繍を施すのが人間ならではの部分か。
3首目、下句の描写がいい。昔ながらの店の佇まいがよく出ている。
4首目、伝説でしかないのだがもっともらしく二つ並んでいるのだ。
5首目、「ひ」の音の繰り返しが静謐な朝の空気と心を感じさせる。
6首目、ひとりで過ごす時間。少しのものだけで十分に満たされて。
7首目、子どもの頃の記憶か。常に暗い雨の印象とともにある医院。
8首目、「東海の…」の歌の記された一枚。思い入れがあったのか。
9首目、映像が目に浮かぶ歌。傾いた陽により影が長く伸びている。
10首目、孫を持たない母への複雑な思い。「ひょろんと」がいい。

2025年8月11日、六花書林、2500円。

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2025年10月11日

阿木津英『アララギの釋迢空』


大正4年に島木赤彦と出会って「アララギ」に評論や作品を発表し始めた釈迢空が、大正10年に選者を辞して「アララギ」を去るまでの軌跡を描いた評論集。

民間伝承探訪の旅を重ねた迢空の歌の変化や「アララギ」の写生論による結束の強化など、大正期の短歌や歌壇の動向がよくわかる内容となっている。

そもそも、歌を空想で作るということは、明治という時代にあっては、ごくあたりまえのことだった。明星派はもちろん、子規にどれくらい空想の歌があることか。茂吉のごく初期の歌は、空想の歌ばかりといっていいほどである。
大正期に入ったアララギという磁場のなかにあって、「写生」の手法を獲得しつつ、そこにおさまりきれない歌の動機をもてあましていた迢空も、こうして苦しみつつ、ついに〈体験の束〉としての旅する主体を統合する方向を開いた。
「夜ごゑ」は、画期的にすぐれた一連であった。茂吉・赤彦らの主導するアララギの新しい「写生」歌は、現実世界から「自己」の姿を切り出し、歌を一元的な「自己」の世界で塗りつぶすのだが、そのようなものとはまったく異質の歌を、迢空はここに実現した。

迢空が「アララギ」の写生論におさまりきれないものを抱えてついに訣別に至るまでの流れは、先日読んだ水原秋櫻子と「ホトトギス」の関係にも似ている。

これは人間関係のゴシップではなく、結社の理念と個人の信条・志向の相克として捉えるべき話だと思う。

2021年5月25日、砂子屋書房、3000円。

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2025年10月09日

塚田千束歌集『星夜航路』

著者 : 塚田千束
短歌研究社
発売日 : 2025-08-22

『アスパラと潮騒』(2023年)に続く第2歌集。

光合成、こうごうせいとつぶやいて、枯れた指先ひらいてとじた
石膏のように生きたい踏まれてもなぞられてもただひんやりとして
だれとでも交換可能な丸石になるよう波に洗われていた
不器用なワルツのようにもつれあうただキッチンに行くだけなのに
金木犀 出さない手紙を書くときの永遠の手前みたいな愛しさ
会いたさが突風のようにふきぬけて部屋中の窓をひらいてまわる
すこしこわい いつも怒らずいるひとと豆花(トウファ)のふっくらまろやかな白
院内のローソン暗く廊下暗くひとつあかるきナースステーション
汗の匂いそれぞれちがう頭ありみんなおんなじ風呂に押し込む
うつむいて水面にくちばし触れさせてはつか境がゆらぐ翡翠

1首目、光合成で養分を生み出す植物のように元気を出そうとする。
2首目、初二句が印象的。周囲や社会からの圧力や侵犯を拒絶する。
3首目、一つ一つ違った形であった石が丸くなるように人間もまた。
4首目、家の中の通路で家族とぶつかりそうになったりする暮らし。
5首目、純粋な思い。初句と二句以下の取り合わせの距離感がいい。
6首目、下句を付けたのがいい。会いたさの表現として迫力がある。
7首目、どちらも穏やかな見た目だけれど、だからこそ怖いのかも。
8首目、病院の雰囲気がよく出ている歌。昼と思っていたが夜かな。
9首目、子育ての歌。きょうだいでも匂いに違いがあるという発見。
10首目、水の内の世界と外の世界が一瞬触れ合い波紋が生まれる。

2025年8月17日、短歌研究社、2200円。

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2025年10月02日

奥村晃作歌集『天啓』

著者 : 奥村晃作
短歌研究社
発売日 : 2025-09-12

鎌倉や阿弥陀仏なる御仏は露天に坐して日銭を稼ぐ
年一回花に誘われ見る幹の黒くて太いソメイヨシノは
数十年振りに銭湯の湯に浸かり熱く大量の湯に身を沈む
ジギタリス毒持つ花と恐れつつ開花を待てり妻のジギタリス
どこまでも伸び広がれるゴーヤにて緑の実をば垂直に垂る
魚屋は全滅したが八百屋二店辛うじて残る赤塚商店街
自転車が二台停(と)まれり自転車に妻もわたしももう乗れなくて
つらければ入院せよと説く妻は入院にメリット無きを解せず
保育士の半分ほどの背丈にて黄の帽かむる園児ら行けり
ヘモグロビン8.1で輸血する輸血で我は生かされている

1首目、上句は晶子の歌を踏まえてか。大仏の拝観料は一般300円。
2首目、花ではなく幹の色や太さに注目している。幹あっての花だ。
3首目、「熱く大量の」が納得の表現。個人宅とは桁違いの湯の量。
4首目、結句「妻の」を入れたことで妻が毒を持っているみたいに。
5首目、日除けのために育てているゴーヤの旺盛な生命力を感じる。
6首目、昔ながらの個人商店が減っていく。「全滅」の響きの強さ。
7首目、「自転車」の繰り返しが効果的だ。しんみりとさせられる。
8首目、理解してないのではなくその方が妻の負担が減るのだろう。
9首目、大きさに注目して「半分ほど」と即物的に言ったのがいい。
10首目、正常値は13〜17くらい。私の父も輸血が欠かせなかった。

2025年9月8日、短歌研究社、2500円。

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2025年09月28日

上川涼子歌集『水と自由』

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昨年、第12回現代短歌社賞を受賞した作者の第1歌集。
2016年から2025年までの作品342首を収めている。

たどりつくべき港などなきゆゑに鋏は紙をしづかにすすむ
景物はぬれて映れりみづうすく張りてひらける人の眼に
活版が紙を彫(ゑ)りたる稜を撫でいまゆつくりと詩行へと入る
夢に会ひし人とうつつの週末に会ふ約束をLINEに交はす
日が永くなつたことなど話したり小籠包をれんげに寄せて
火と紙と互ひを奪ひ合ひながらともに喪ふのちのしづもり
肌の上に青く重なる薄絹をとどろきののち雷(らい)と知りたり
花の名の書かれし札をひとつづつみな確かめて蜂のごとしも
繰りかへす日々をしづかに引き受けて烏賊の甲ほど薄き石鹸
上映のさなかに人は銀幕という布を見てゐることを忘れて
欲望のかげりなきまで眩しきに茄子、茗荷など並ぶコンビニ
横顔にマスクの紐を牽きながら御者のごとくに人の耳あり
いづれ去る身体にあればこの日々を苛む湿疹さへも野の花
あなたより一回多く振りかへる帰路のこの平凡なさみしさ
白き陶器をゆまりのながれみづのながれひとりのための泉をとぢる

1首目、水脈を引いて進む船に見立てたのが鮮やかでしかも美しい。
2首目、初二句に発見がある。実際の景物とは違う見え方なのかも。
3首目、活版印刷の凹凸の手触りも詩の味わいの一部になっている。
4首目、夢と現実が反転したみたい。LINEの世界はその中間かも。
5首目、下句の細かな描写がよく効いている。いかにも短歌な感じ。
6首目、一般的には火が紙を燃やすと捉える場面。見え方が変わる。
7首目、「薄絹」と表現したことで青白い稲光に手触りが生まれた。
8首目、花屋に並ぶ様々な花を蜂になって順々にめぐっている気分。
9首目、「烏賊の甲ほど」が抜群の比喩。半透明の色合いも浮かぶ。
10首目、映画が始まるまではあったスクリーンが意識から消える。
11首目、資本主義的な欲望とはちょっと雰囲気の異なる野菜たち。
12首目、何とも個性的な比喩。人間の顔が馬や馬車になった感じ。
13首目、生きている間だけの仮の宿と思うと少し気分も軽くなる。
14首目、最後は振り向いてくれなかった相手の背中を見送るだけ。
15首目、排泄の場面だが美しい。デュシャンの「泉」を想起する。

2025年8月27日、現代短歌社、2500円。

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2025年09月18日

永田和宏歌集『わすれ貝』


2016年から2019年までの作品506首を収めた第16歌集。

灯の消ゆるあたりが海か淀川の夜の流れを窓より眺む
橋の上に雪は凍りて残りをり行きて楽しき会にあらねど
たつた一度わが師を諫(いさ)めたりしこといまもときをりわれを嚙むなり
銅像が銅像のままパンを食ふマイヨール広場午後三時過ぎ
病むために仕事辞めるにあらざれど仕事を辞めて病む友多し
人づてに聞きし消息かなしけれ坂野信彦死にてゐたりき
冷凍室の大半を占むる保冷剤大(おほ)きあり小(ち)さきありいづれも凍る
冬枯れの林を行けり自転車のふたつ置かれてありし辺(へ)を過ぎ
耳に口よせてをさながくりかへす内緒話がほぼ聞こえない
わが肺の右上葉を持ち去りしダ・ヴィンチの細き腕を思ふも
鐘のなき火の見櫓がぽつねんと残されて春とほき近江路
年魚市潟(あゆちがた)から愛知ができたといふ話歩けばすなはち地名身に添ふ

1首目、川の両岸には街の明かりがある。でも海になると真っ暗だ。
2首目、坂田博義の「わたりて楽しき街あらざりし」を思い出した。
3首目、高安国世が「塔」を解散しようとしたのを止めた日のこと。
4首目、スタチューパフォーマンス。そのままの身なりで休憩中だ。
5首目、ようやくのんびりできると思ったら。人生の皮肉を感じる。
6首目、若き日に歌論などを戦わせた相手とその後は疎遠になって。
7首目、白秋のニコライ堂の歌を思い出す。結句が当り前だが発見。
8首目、雰囲気の良い歌。そこにはいない恋人同士の姿を想像する。
9首目、幼子によくある仕種。可愛らしいのだけれど聴き取れない。
10首目、麻酔で眠っている間に遠隔操作のアームで手術された体。
11首目、用済みになった火の見櫓がまだ残るのどかな田舎の風景。
12首目、地名はただのラベルではなく土地と深く結び付いている。

2025年7月24日、青磁社、2800円。

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2025年09月17日

本田一弘歌集『あらがね』

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2014年から18年までの作品421首と長歌1首を収めた第4歌集。
生まれ育った福島県や会津へ寄せる強い思いが印象に残る。

いはしろの会津高田の梅の実に月さすあをきみなづきのよる
いくさより百四十六年、夕光が十六橋のからだを蔵(つつ)む
ふくしまの空気を吸つて熟(みの)りたるあかつきといふ桃のゐさらひ
除染土を入れた三百十四の袋が雨に流されにけり
ウェールズ語喋る罰とぞ子の首に掛けられてゐしWelsh Not
いにしへの楢葉(ならは)標葉(しねは)の名も遠き双葉高校募集停止す
都よりみれば東北 東にも北にもあらぬわがうぶすなよ
しろたへの手があらはれて苗といふあをきいのちを植ゑにけるかも
教職員人事評価のなき猫は道の真中に背中をこする
くるまみな路肩に寄りて真んなかを救急車ゆく雪のゆふぐれ

1首目、岩代は福島県西部の旧国名。月光を受けた梅の実が美しい。
2首目、戊辰戦争の激戦地。会津の人には忘れられない戦いの記憶。
3首目、福島を代表する桃の品種。結句に形状と愛情が感じられる。
4首目、具体的な数詞が効いている。何ともやるせない思いが滲む。
5首目、日本にも方言札があった。中央と地方の格差や差別の歴史。
6首目、旧制中学以来の伝統ある高校が原発事故の影響により休校。
7首目、「東北」という言葉が中央からの見方を如実に表している。
8首目、美しい田植えの光景。白秋の「大きなる手が」を思わせる。
9首目、教員をしている作者。猫は気楽でいいなあと思うのだろう。
10首目、路肩の雪に乗り上げるようにして道路を空けているのだ。

2018年5月28日、ながらみ書房、2500円。

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2025年09月13日

渡英子『メロディアの笛U 白秋の昭和』

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『メロディアの笛 白秋とその時代』(2011年)の続篇。
「短歌往来」2016年1月号から3年間連載した文章に訂正、加筆したもの。

関東大震災、飛翔吟、前田夕暮・島木赤彦・斎藤茂吉との関係、「日光」創刊、鈴木三重吉や山田耕筰との関わり、戦争観、「多磨」創刊、薄明吟など、大正の終わりから昭和17年の死に至るまでの白秋の軌跡を描いている。

「本書は短歌を中心に同時期の詩や童謡、歌謡などの他のジャンルの作品も視野に入れて書くことを念頭に置いた」とあとがきにある通り、「歌人」という枠組みに収まらない国民詩人であった白秋の生涯が浮かび上がってくる。

白秋は、現実を描写して記録するという行き方を選ばず、大震災という大きな悲傷を背負わざるを得なかった時代感情を引き受けて童謡「からたちの花」を書いたのである。
赤彦による「アララギ」の編集経営が軌道にのり、歌壇の交流よりも根岸派の伝統路線を選んだ赤彦の標的となったのが白秋と夕暮であったのである。
郷土の言葉とは異なった標準日本語を用いて、西洋の楽曲の音階を習得させる唱歌教育に対する嫌悪感が、やがて童謡創作へと白秋をむかわせてゆくのである。
プロの文士として愛国歌謡や童謡の委嘱に応えねばならない立場にあった白秋にとって短歌は自由に心を遊ばせることのできる唯一無二の表現となっていたのである。

白秋は昭和10年に「多磨」を創刊し、「五十七年の生涯の最後の七年を歌人として生き、詩業の集大成に短歌を選んだ」。それは白秋にとって大きな意味を持っただけでなく、歌壇にとっても大きな出来事だったと言っていい。

「多磨」は多くの歌人を育てたのち昭和27年に終刊するが、その流れは宮柊二の「コスモス」や木俣修の「形成」などに受け継がれ、現在まで続いている。

2025年3月1日、ながらみ書房、2700円。

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2025年08月28日

坊真由美歌集『へしゃげトマト』

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2022年からの作品422首を収めた第1歌集。

雨の日もノウゼンカズラは本能をスカートの中に太らせていく
動物園にひとりで行こう冬空を母と抱き合う子猿に会いに
蔦の葉がぐいりぐいりとめり込んで立ったまんまの樹木は腐る
鉄棒に雨粒の子はきらめいて同じ形のものなんてない
保育士の胸のキティはキャラメルの箱に隠れた録音機もつ
保育室よいせと座ればたちまちに手足背首に園児が実る
拾い上げる犬のうんちの温もりに生きていいよと言われた夜よ
連休の家族ごっこの親子らが牛の親子をじうじうと焼く
なぜかしらいつもこんな時にだけ降りだす雨が私にはある
ぬばたまの黒き母性を練り込んだ海苔弁ばかり作ってしまう

1首目、ノウゼンカズラの橙色や蔓の様子と性のイメージが鮮やか。
2首目、「母と抱き合う」ことに対する渇望のようなものを感じる。
3首目、「ぐいりぐいり」というオノマトペが何ともなまなましい。
4首目、「雨粒の子」としたことで人間の子にも通じる歌になった。
5首目、トラブルが起きたときのためのものか。保育現場の厳しさ。
6首目、「実る」がいい。大木になったように園児が群がってくる。
7首目、袋越しに伝わるうんちの温かさは犬が生きている証なのだ。
8首目、世間で良いものとされている「家族」に対する強い不信感。
9首目、現実の雨というより心の中に降り始める雨のように感じる。
10首目、母性には良い面とともに悪い面もあるのを自覚している。

2025年8月8日、デザインエッグ株式会社、1491円。

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2025年08月25日

山中律雄歌集『光圏』

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331首を収めた第6歌集。
あとがきに「私は三年前に手術を受け現在も加療中」とある。

自動車も人も時間に選ばれて交互に青き信号わたる
焼き菓子の砂糖のおもさ計りつつ連れ合ひはわが話を聞かず
みほとけの帰依篤きひと難病に神の洗礼受けたりしとぞ
薬師如来彫らるる岩間くだりくるみづを掬ひて病むわれが飲む
うづ高く積まるる黒き鉱石にあめ降りしづむ埠頭は寒く
絶え間なく桜はな散る村の道きのふとおなじ人がゐて掃く
朝顔の花を数えてゐる妻かわづかに下の顎うごかして
足元の草を引きゐて知らぬ間に妻とわれとの距離とほくなる
墓石に水をそそげる幼らはみづから濡れて水をよろこぶ
石仏の前掛けひとひ縫ひし妻日の暮れ顔が重たしと言ふ

1首目、「時間に選ばれて」がいい。決められた秒数に従って動く。
2首目、ユーモアのある歌。大事な慎重さを要する場面なのですよ。
3首目、僧侶である作者にとって何とも複雑な思いのする話である。
4首目、癌を病む作者。昔から多くの人が飲んできた水なのだろう。
5首目、船で運ばれる鉱石の山。人の姿のない光景を見つめる作者。
6首目、花の散る時期には毎日履いているのだ。日々の行いの尊さ。
7首目、下句の描写がいい。声は聞こえないけれど何か言っている。
8首目、病む自分と妻との心理的な距離を表しているようでもある。
9首目、墓参りが水遊びになる幼子たちの姿。死者も喜んでそうだ。
10首目、ずっと下を向いていたのだろう。「重たし」に実感がある。

2025年8月5日、現代短歌社、3000円。

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2025年08月13日

阿木津英歌集『草一葉』

著者 : 阿木津英
砂子屋書房
発売日 : 2025-07-18

2003年から2011年までの作品を収めた第7歌集。

  帰郷
幼くてこの線路添ひ聞きしより虫鳴くこゑは幾代を経たる
肩さきに顎(あぎと)をのせてあづけつつ目覚めを待てりわがよき猫は
くちばしの撥ね落したる花の数拾ひあつめて手窪(たなくぼ)にのす
  妹、癌終末期
生拒む力なりけり歯を嚙みて薬を口に入れしめざりき
雪げむりかすかにのぼる頂きを青天に見て伊那平(いなだひら)ゆく
幾つかの個の断片の混じりたる冷凍かぼちや食うべつつゐる
夏のかぜよろこぶらしも藤蔓は立ち泳ぎつつあるいは躍る
残(くづ)れたる夢のごとくに岸のべの水波のいろ暗くたゆたふ
齢(よはひ)びとおのれ祝(ほ)がむと洋梨の精(エッキス)の香をグラスに満たす
ストッキング搾りては干すといふことをこの世に在りて浴室に為す
ほの甘き香にくづれゆく寒天をのみどに落とす春のゆふぐれ
生膚(いきはだ)を焙られながらゆらゆらと自転車を漕ぐ暑熱のちまた

1首目、昔と変わらぬ虫の音であるが、何世代も代替わりしている。
2首目、人でなく猫。飼い主を起こすことなく目覚めを待っている。
3首目、鳥と言わずに「くちばし」で表している。桜の花だろうか。
4首目、残された全身の力を振り絞り薬を拒んだ姿が忘れられない。
5首目、のびやかな風景がいい。山に積もった雪が風に舞い上がる。
6首目、生の南瓜とは違って一袋の中に別々の個体が混ざっている。
7首目、風に揺れている藤の蔓を「立ち泳ぎ」と捉えたのが鮮やか。
8首目、「残」を「くづ」と読ませる力業。かなわなかった夢の痕。
9首目、誕生日に洋梨の酒を飲んでいる。自分で祝うところがいい。
10首目、洗濯機では傷むので風呂場で洗う。人間は変な生きもの。
11首目、寒天を食べているだけなのにエロチックな雰囲気が漂う。
12首目、初二句にまるで拷問を受けているような生々しさがある。

2025年7月12日、砂子屋書房、3000円。

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2025年08月08日

渡辺松男歌集『あぢさゐだつたらあぢさゐの中』


2017年までの未発表歌455首を収めた第12歌集。

傘立てに亡き君の傘ずつとある始発の電車待つごとくある
とくに秋 短針長針秒針のどれがと言へばどれもが怖い
かがみの奥のわたしから手ののびてきてどんなにのびてもわれへとどかぬ
うちがはに蝶々がまひそとがはに救急車の音ちかづきて覚む
しらさぎの冷却されたるごとき白そこにしらさぎもうゐない野に
つつみ紙とりたるにガム裸なり裸はかまれ嚙みつくされむ
発したる音に置いてきぼりにされ急に淋しい釣鐘の大
水芭蕉のかたはらをゆく水の音きみ亡きことのいつまでつづく
風はうすく一枚二枚とやつてきて位牌の君をつつみては去る
おほゆれのしだれやなぎはゆれながら風とじぶんの区別がつかず
ちよつとだけ雲のかげからはみだして一茶生家のちかくの蕎麦屋
さつきまでなかりし距離がみんみんの一頭鳴いて五メートルあり

1首目、捨てられずに残されている傘。下句の比喩に寂しさが滲む。
2首目、初句の入り方が印象的。三本の針が刻々と時を刻んでいく。
3首目、鏡の中にもう一人の自分がいるような感覚がなまなましい。
4首目、心地よい眠りを破る救急車の音。それは現実の音だろうか。
5首目、白鷺が飛び去ったあとも残像のように白だけが残っている。
6首目、ガムを「裸」と捉えたことによって肉体感が生じる面白さ。
7首目、鐘の音がどんなに遠くまで響いても鐘自身は全く動けない。
8首目、清らかな水の流れとともに亡きひとへの深い思いが伝わる。
9首目、「一枚二枚」と数えたのがいい。風の動きが見えるようだ。
10首目、自他の境が溶けてしまうのは気持ちよいのかもしれない。
11首目、のどかな光景。上句の描写が一茶の俳句世界を思わせる。
12首目、蟬が鳴き始めたことで目に見える空間に奥行きが生じた。

2025年7月18日、書肆侃侃房、2300円。

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2025年08月06日

正田篠枝の短歌

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『戦争の歌』(笠間書院、コレクション日本歌人選78)は日清・日露戦争からアジア・太平洋戦争までの計51首を取り上げて、鑑賞・解説した本です。

今日の広島の平和記念式典のあいさつで石破首相が引用した〈太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり〉(正田篠枝)も収めていますので、興味のある方はぜひお読みください。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784305709189

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2025年07月30日

時田則雄『十勝から』

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月刊誌『NOSAI』の2004年1月号から2024年12月号まで21年間にわたって連載されたエッセイ252篇が収められている。著者の年齢で言えば57歳から78歳までの記録。

日々畑を耕し作物を育て、歌を詠み文章を書き講演をする。その圧倒的な仕事量に驚かされるとともに、読んでいると元気をもらえる。だから私は時田さんのエッセイが好きだ。

『陽を翔けるトラクター』
https://matsutanka.seesaa.net/article/439787773.html
『樹のように石のように』
https://matsutanka.seesaa.net/article/476676221.html

いろいろな数字が出てくるのだが、どれもスケールが大きい。

肥料と農薬だけでも年間に500万円くらいかかる。
今年の作付け内容は小麦16.4ヘクタール、人参9.1ヘクタール、馬鈴薯6.5ヘクタール、小豆3ヘクタール、枝豆1.1ヘクタール、大豆1.4ヘクタール、長芋2.5ヘクタールだ。
数えたことはないけれど、私の蔵書は1万冊以上はあるだろう。
いま私の農場にはトラクターが5台ある。内訳は105馬力1台、100馬力1台、80馬力2台、45馬力1台。合計410馬力。

こうした数詞は歌の中にももちろん登場する。

ぶつ遠し二十五時間働きてあした湯槽に首浮かべをり
畝一本二百七十二メートル行つたり来たりして日が暮れた

連載中に農場の後継者であった長女の夫が急逝するという悲運に見舞われたものの、その後次女の夫が就農して跡を継ぎ、三人の孫も生まれた。十勝の地にこれからも長く時田農場は続いていくことだろう。

2025年7月30日、ながらみ書房、2300円。

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2025年07月27日

三潴忠典歌集『曲がらなければ伊勢まで行ける』

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2023年に現代短歌社賞次席になった作者の第1歌集。
名前の読み方は「みつま・ただのり」。
役所での仕事を詠んだ歌が印象に残る。

車椅子がやや回り道して進む歩道のそこはほんとに平ら
届出に不備がないかを確認して「おめでとうございます」と言ったりもする
スリッパにデスクの下で履き替えて苦情を聞いた足を休める
スマートフォンに当確通知がなだれこむ 投票箱はこれから運ぶ
傾げてる首の左右を入れ替えて到着を待つ鈍行の旅
カウンターに五つの椅子が並んでる二番目と四番目は寂しい
雨傘をきつく縛って細くする嵐ちかづく川のほとりで
検体採取は診療行為 綿棒の袋を切って医師に差し出す
立行司の「勝負あった」という声を無観客場所中継に聞く
座るときに膝がぶつかる窓口に斜めに座り要件を聞く

1首目、歩いている人にはわからないほどの高低差があるのだろう。
2首目、婚姻届を受理する場面。全く知らない人ではあるけれども。
3首目、他の人からは見えないところで疲れとストレスを和らげる。
4首目、開票率0%で当確が出ても開票作業は粛々と行われていく。
5首目、上句の言い回しが面白い。座席で眠りながら姿勢を変えた。
6首目、一人おきに座ることが多いので、あまり座ってもらえない。
7首目、傘の状態の話だけでなく気を引き締めているようでもある。
8首目、コロナ禍のPCR検査会場。手伝えるのは綿棒を出すまで。
9首目、ふだんから行司は言っているのだが歓声などで聞こえない。
10首目、私たちの知らない窓口の内側の世界を垣間見せてくれる。

2025年7月15日、現代短歌社、2500円。

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2025年07月24日

米倉歩歌集『日本語中級1クラス』

著者 : 米倉歩
角川文化振興財団
発売日 : 2025-03-25

「まひる野」所属の作者の第1歌集。20年以上にわたって続けた日本語教師の仕事に関する歌が中心となっている。

複雑な内面だけど簡単な日本語で書く初級作文
学生のケータイすべて召しあげて権力は午後二時の静けさ
使い捨てられるマーカー見つつ思う辞める時にはわたしから言う
助詞はつまり糊なんですと言ってみる 意外な顔がふかく頷く
新入生窓辺に置いて朝なさな水やるように言葉をかける
誰が言いしか「日本語芸者」という言葉この日のわれの心を去らず
「スピーチ」はもはや日本語しかすがにそは「演説」でなければならず
匙に掬うコーヒーゼリー沢すじを〈スジャータ〉白く流れてゆけり
反対を叫ぶ老女を曳いていく捕吏の顔つきカメラは捉えず
金を与え武器を与えて戦わすものを味方と言うもせつなし

1首目、初級の日本語で書かれた作文には複雑な内面は出てこない。
2首目、教室において教師は強い権力を持つ存在であるという自覚。
3首目、非常勤講師という不安定な身分で働く自分を投影している。
4首目、比喩を使って説明したところ予想以上に伝わったのだろう。
5首目、まだ学校に慣れない外国人学生を気遣って話しかけている。
6首目、日本語教師という仕事に対して世間一般の理解は高くない。
7首目、日常生活においては「演説」の方がむしろ使う頻度が低い。
8首目、光景がありありと目に浮かぶ。「沢すじ」が巧みな比喩だ。
9首目、ロシア国内の反戦デモ。権力を行使する側は顔のない存在。
10首目、ウクライナへの支援もまた代理戦争の様相を呈していく。

2025年3月25日、角川文化振興財団、2600円。

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2025年07月21日

永田和宏『人生後半にこそ読みたい秀歌』


朝日新聞出版のPR誌「一冊の本」に2年間連載された文章をもとにまとめた一冊。

「老いのユーモア」「定年と退職」「離婚・再婚」「介護の歌」「病の歌」「酒のたのしみ」「孫との日々を楽しむ」といったテーマに沿って歌を紹介するとともに、中年期以降の生き方について考察している。

(石川啄木『一握の砂』の「はたらけど……」について)
おそらくこの歌を知らない日本人は皆無でしょう。さほどいい歌とも思えないのですが、なぜこんなにも有名になったのか、歌の運命ということも思わせる一首でもあります。啄木と聞いただけで、多くの人は「ぢつと手を見る」を連想してしまう、ほとんどことわざ化した一首と言ってもいい。

この「ことわざ化」という点に啄木短歌が読まれ続けるヒントがあるのかもしれない。

行くところあるが如くに出でて来て行くところなき十余り五歩
              石田比呂志『忘八』

「おひとり様の老後」で紹介されているこの歌も、啄木の「家を出て五町ばかりは、/用のある人のごとくに/歩いてみたれど――」(『悲しき玩具』)を思い出させる。石田は啄木の歌集を読んで歌を詠み始めた歌人であった。

一般に、そこに何かが〈ある〉ことに気づくことはあっても、何かが〈ない〉ことに気づくことは、はるかに困難なことであります。コンピューターの検索機能は便利で、文書のなかに紛れ込んでいる言葉を検索するのは至極簡単ですが、そこに〈ない〉言葉を検索することは基本的にできないわけです。
本来、漢字の「癌」は上皮細胞の腫瘍のみに用い、ひらがなの「がん」は、悪性腫瘍全体を指すときに用いるとされているのですが、一般社会ではこの区別はほとんど知られていないでしょうし、使い分けられてもいないようです。

これは全く知らない話だった。単に「癌」という漢字が難しいからひらがなを使うことがあるのだと思っていた。細胞生物学者である著者は、歌を読んでいても表記が気になってしまうことがあるのだろう。

全体に文章がのびやかで、楽しんで書いている様子が伝わってくる。また、私自身が「人生後半」を生きていることもあって、思い当たることや身につまされることが多くあった。

2025年4月30日、朝日新聞出版、1800円。

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2025年07月18日

大辻隆弘『私性とリアル 短歌時評08-20』


青磁社評論シリーズ12。
2008年から2020年までに書かれた時評的な文章計83篇を収めた時評集。

第一章に「私性という黙契」「写生という遺産」「戦後短歌のアポリア」という総論的な3篇が載っていて、これを読めば大辻の基本的な考えがよくわかるようになっている。以下、第二章は総合誌や結社誌に載った文章、第三章は新聞に載った文章という構成だ。

読者の側から見た「私性」とは、歌の文面の中や文面の背後に一人の人物像を感じ取ってしまう、という現象である。その人物像は、一首目の歌のように「登場人物」であったり、二首目の歌のように「視線の主」であったり、三首目の歌のように「言語構築の主体」であったりする。
永井の歌は「テクニックのない歌」では決してない。むしろ彼の歌は、「てにをは」を中心として彼自身が編み出した言葉の使いざまを、きわめて戦略的・意識的に駆使した巧緻な歌なのだ。
近代短歌はそもそも個に密着した詩であった。が、ことに震災や原発事故を歌おうとするとき、その構造はある限界に遭遇してしまうのではないか。
分かり合えないかもしれない。でも、分かり合うことへの希望は失わない。そんな成熟した対話の場をつくり得るか否か。短歌の明日は、その一点に掛かっている。

大辻の文章は論旨が明快で教えられることが多くある。永井祐を「あたらしき「てにをは」派」と位置付けたり、斉藤斎藤の連作から「多声化の方法」を読み解いたりするなど、随所に鋭く深い分析を見せている。

「東京から来た転校生 ―穂村弘『水中翼船炎上中』―」はユニークな穂村弘論。初出が同人誌ということもあって、ちょっと他の文章とは雰囲気が違う。「レ・パピエ・シアン」に載ったときにブログに感想を書いたことがある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/461745026.html

大辻は長年にわたって精力的に短歌に取り組み続けている。何よりも感心させられるのは、歌集を出すだけでなく、講演をすれば講演集、評論を書けば評論集、時評を書けば時評集と、自らの書いた文章や講演の内容を必ず本にしていることだ。

書きっぱなし、喋りっぱなしではなく、自らの考えや理論をきちんと体系立てて本にまとめ、誰もが読めるものにしておく。これは簡単なことではない。そこには大辻の強い意志が働いているように思う。

2025年2月19日、青磁社、2700円。

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2025年07月15日

林和清『塚本邦雄の百首』


副題は「塚本の血のあと」。

「歌人入門」シリーズの 13冊目。
このシリーズはどれもおススメのものばかり。

海も葡萄も眞(まさを)に濡れて秋が來る老人のやうに坐つてゐるな/第一歌集以前
原爆忌昏れて空地に干されゐし洋傘(かうもり)が風にころがりまはる/『装飾樂句』
水を切る敦盛蜻蛉(あつもりとんぼ)水くぐる維盛蜻蛉(これもりとんぼ) 男ははかな/『天變の書』
日向灘いまだ知らねど柑橘の花の底なる一抹の金/『豹變』
枇杷の汁股閧ノしたたれるものをわれのみは老いざらむ老いざらむ/『詩歌變』
三次(みよし)の街に晝飯くらふさびしさは北さして流れゆく川ばかり/『黄金律』
その夏の葬りの死者が戰死者にあらざるを蔑されき忘れず/『詩魂玲瓏』

初期から最晩年まで100首の歌の鑑賞を通じて、塚本の60年以上にわたる歌の変遷や特質がよく伝わってくる。

初出は一九五一年九月「日本短歌」、その時は「鮭色の踵の」だった。なぜ桃色に変えたのだろう。鮭のほうがよくないか。
名歌「夢の沖に」のあとに数首「鶴」の歌が続くのはやや興ざめの感がある。塚本は類歌の処理に関しての自己基準が、やや緩やかだったのではないか。
ただこの時期、先行する詩句のもじりやパロディで成立している歌が多すぎるように思う。多作は塚本の信条であったが、言葉の量で圧す方法には疑問が残る。

塚本に師事したことを「私の人生において無上の幸福であった」と記す著者だが、疑問点や批判すべき点はきちんと指摘しているところも印象に残った。これこそ文学における師弟関係のあるべき姿と言っていいだろう。

2025年6月30日、ふらんす堂、1700円。

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2025年07月13日

高山邦男歌集『Mother』

 takayama.jpg

晩年の母との暮らしを詠んだ第2歌集。
第29回若山牧水賞受賞。

金魚さんゐなくなつたと不安げな母に指さす水槽の中
親族が集ふ場にゐて妻のないわれは薄墨めいて座りぬ
歯ブラシとヘアーブラシを迷ひつつ母はもごもご歯磨きをする
今朝採つたキュウリ二本を母に見せ喜んでゐる母をよろこぶ
普通人の生活ありたる更地には墓標のごとく立つ水道栓
昼風呂の湯気に煙りてシャンプーが人形のごと窓辺にならぶ
先送りできる余裕のあることが若さだつたか月明かりの日々
わが亡父(ちち)は逆さまになり朝を待つ母が片付けしテーブルの上
高山さんはわが母のこと介護職の方には息子さんと呼ばれる
生きるとは死ぬまで生きむとする力テーブルの海に母の手泳ぐ

1首目、「ここにいるよ」と教えて、その都度母を安心させている。
2首目、結婚式や葬式などの場では夫婦や家族が一つの単位になる。
3首目、認知症の母との生活。同じブラシでも大きさがだいぶ違う。
4首目、キュウリの収穫自体よりも母が喜んでくれたことが嬉しい。
5首目、解体された家の後に残る水道栓。比喩がうまく効いている。
6首目、窓の外が明るいので何本かある容器が人形のように見える。
7首目、年を取って気づくこと。時間がたっぷりあった頃との違い。
8首目、逆さまになった父の遺影。悲しいような微笑ましいような。
9首目、介護の場面ではこうなる。利用者である母が中心の関係性。
10首目、生きようとする力が人間の心にも身体にも備わっている。

2024年7月7日、ながらみ書房、2300円。

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2025年07月11日

志垣澄幸歌集『雁喰』

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414首を収めた第15歌集。
歌集名の読み方は「かりばみ」。

海辺にて初日拝みし人ら去り初日はいつもの陽となりのぼる
夕闇に溶けてしまひしうつそみのまなこのみにて夜の道帰る
いのちはつる日は遠からず来むものを屋根越えてゆく鳩群れが照る
山頂に測候所ならむ一センチにも満たざる白き建物が見ゆ
消し忘れてゐたるトイレの灯がみゆるまだわれが中に居るやも知れず
夜となれば沼の面にあまたなる遠き宇宙の星がきて浮く
吹きあげられし傘にすがれる青年が雨の中に見ゆ駅前広場
幕がおりれば舞台より死者が立ちあがるやうにはいかぬ人生といふは
妻はひとり居間にすわりてありつたけの声を出させてゐたりテレビに
くさはらに陽を照り反す物体が空缶のかたちみせはじめたり
雑木林拓かれて工場が建つといふそのこと木々らに告げずにおかむ
まだわれと関はりのなき少女期の母が樹に凭るモノクロ写真
たなごころにいのちの重さつたはりてしなやかに竿を曲げるハヤたち
引退せし白鵬も青き服を着て会場内の整理してをり
昭和期の蚊ならむ定価五十円の古書にはさまれ干涸(ひから)びてをり

1首目、初日が拝まれるのは日の出の直後だけ。その後は平常運転。
2首目、身体が闇に没して眼だけが夜道を動いていくような感覚か。
3首目、旋回する鳩の美しい輝きを眺めて、そこに命を感じている。
4首目、「一センチにも満たざる」が面白い。実際は大きいのだが。
5首目、トイレの中にいる自分とトイレの明かりを見ている自分と。
6首目、動詞の選びがいい。「映る」ではなく「きて浮く」とした。
7首目、台風などで天気が大荒れなのだ。「すがれる」が実に巧み。
8首目、芝居の死者は生き返ることができるが現実はそうではない。
9首目、妻に何があったのかと思って読んでいくとボリュームの話。
10首目、光の反射でよく見えなかったのが近づいて空缶とわかる。
11首目、下句にユーモアと寂しさが滲む。好きな林だったのかも。
12首目、上句の言い回しに味わいがある。自分を産む前の母の姿。
13首目、身体感覚から始まって下句で釣りの場面だとわかる語順。
14首目、親方として仕事をする白鵬の姿。「白」「青」が鮮やかだ。
15首目、「昭和期」はユーモアだけでなく自身の姿も重ねているか。

2025年4月24日、江南書房、2000円。

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2025年07月10日

千種創一歌集『あやとり』

著者 : 千種創一
短歌研究社
発売日 : 2025-04-15

2013年から2025年の作品265首を収めた歌集。

祖母への取材を基にした「つぐ」89首や江戸時代の尾張藩主の紀行歌集の足取りをたどった「知多廻行録」など、コンセプチュアルな連作を多く含んでいる。

開演はふしぎな渚、際に立つ刹那すべての波音は消え
木の雨戸ごっとずらせばひとすじの月の光が右肩にある
このビルの向うに海があることをかもめの声に教えてもらう
電磁波に鮭あたためる、火に似せた暖光のなか鮭は回って
芋粥は霞みてゃぁに薄くって仙人だにゃぁのに私(あたし)らぁ
こんな不味(まず)て、ほんで美味しい芋粥も食べれせん、亡(の)うなったトヨちゃんは
神社には永遠みたいな池があり底に椿のいくつも沈む
幸せになってほしいと願うとき花火くらいのかげりはあった
海へ突堤が伸びてる この腕はつかみそこねた夏の何かを
波止場から子犬は歩く初秋の夢から帰ってきたような眼で

1首目、初二句のフレーズが印象的だ。演奏会が始まる一瞬の静寂。
2首目、オノマトペ「ごっと」と結句の動詞「ある」が効いている。
3首目、見えないけれど近くに海があるとわかったときの心の変化。
4首目、電子レンジの照明は温めには関係ないのだが安心感がある。
5首目、食糧不足のなか学徒動員で働いた祖母の証言を踏まえた歌。
6首目、方言まじりの話し言葉を実にうまく定型に取り入れている。
7首目、太古から存在するような池と毎年そこに咲いて落ちる椿と。
8首目、花火を「かげり」と捉えたのが印象的。微妙な心情が滲む。
9首目、「突堤が海へ伸びてる」とせず句またがりのリズムを使う。
10首目、三句以下の比喩がおもしろい。子犬の背後に海が広がる。

2025年4月7日、短歌研究社、2500円。

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2025年06月29日

笹公人歌集『終楽章』

著者 : 笹公人
短歌研究社
発売日 : 2022-08-20

第5歌集。

従来のSF的、オカルト的な作品だけでなく、父の介護を中心とした生活詠や境涯詠が含まれているのが目を引く。

認知症の父を探してまわる町に子連れの吉田を見かけ見送る
もう喋ることさえできぬ父の目に愚鈍な介護士として映りいるわれか
浅き眠りの父を傍(かたえ)に読みふける介護の歌なき万葉集を
流木のような足首持ち上げて最初で最後の親孝行せん
「おしん」見て大根めしをねだりたる小学二年の冬の食卓
グーグルアースに映れる絹の道をゆく白き小粒は三蔵法師か
予定地に光の柱のぼらしめ宗教画めくマンションチラシ
新型が枕詞となる日々にカップラーメンまた一個減る
懐かしのCM集を見飽きぬ夜 想い出の中はあたたかいから
二(ふた)文字の字余りも文明らしきかな土屋文明記念文学館

1首目、かつての同級生だろうか。境遇の違いを思わざるを得ない。
2首目、プロの介護士のようにはいかないけれど精一杯に介護する。
3首目、下句に発見がある。万葉集の頃はあまり長生きしなかった。
4首目、おむつを換えている場面。「流木のような」に実感がある。
5首目、貧乏の象徴なのだが子供心に美味しそうに見えたのだろう。
6首目、SF的な感覚の冴えた一首。夏目雅子のイメージもあるか。
7首目、よくあるタイプのチラシだが、なるほど宗教画っぽいのだ。
8首目、上句が面白い。「コロナウイルス」の前に必ず付いていた。
9首目、下句のストレートな言い回しが印象的。現実生活との落差。
10首目、施設名を7・9音と捉えた。文明には字余りの歌が多い。

私も一昨年母を亡くし今は父が施設に入所している状況なので、いろいろと身につまされる点が多かった。

2022年8月21日、短歌研究社、2000円。

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2025年06月22日

馬場めぐみ歌集『無数を振り切っていけ』


2011年に短歌研究新人賞を受賞した作者の第1歌集。
2011年から2024年までの321首を収めている。

(心配をかけてごめんね大丈夫気にしないでね)息を止めて打つ
浴槽は海に繋がっていません だけどいちばん夜明けに近い
死ぬさかな生きるさかなの境目が途切れこの眼は海を失う
涙しか辿りつけない場所があり道筋を思い出すために泣く
大腿骨骨折前の祖母のいる世界に未だ肩をぶつける
寒いところで育ったひとの匂いだね 本当にそうだから嬉しい
いつまでも姉妹だけれど函館はもう家のなくなったふるさと
ベビーカーを覗きこまれるのがこわい さわれるかたちのわたしのこころ
つまさきを頰張った 地を知らぬ皮膚が果実のようにきらめいていて
空豆の皮剝くように置いていく母の娘であったわたしを

1首目、ラインの返信などの文。本当は大丈夫ではないのだけれど。
2首目、長く浴槽に浸かっている感じ。孤独だけれど安心感もある。
3首目、魚の命が終わる様子。「さかな」「境目」の音が響き合う。
4首目、泣くという行為によって甦ってくる感情や感覚があるのだ。
5首目、祖母が大腿骨骨折して衰えてしまわなかった世界線を思う。
6首目、自らの身体に備わる故郷の風土性を当てられることの喜び。
7首目、生家があるのとないので同じ故郷なのに違って感じられる。
8首目、私の心そのものの赤子。まだ無垢であり無力な存在である。
9首目、仰向けにつま先をしゃぶって身体を認識していく赤子の姿。
10首目、脱皮するように「母の娘」から子の母へと変わっていく。

V章の最初の連作「夏に向かって」が良かった。

2025年6月26日、短歌研究社、2200円。

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2025年06月09日

紺屋四郎歌集『空行くような』

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「塔」所属の作者の第1歌集。

薄氷のごとき勤めと居直りて本日ハヤシライスの旨し
いま消した職場のあかりもう一度つけても同じわが職場なり
結局は愛媛みかんを食べているふるさとに棲むふるさとの猿
人事課に異動となりてまずもって「新居浜コンガ踊り」覚える
円陣を組んで一同励ましてそののちひとり酒呑みにゆく
橋はいつも切り替えの場所なかほどに自転車止めて川をながめる
ときおりは納骨堂のとびら開け父と母とのいさかい覗く
感触はいまでも残る たらればを言わぬと決めし日のげんこつの
手術後の見習い医師はどん兵衛の蓋を押さえて目を閉じている
花かげに尻尾を捨てて去るトカゲ捨てたるものをただ一度見つ
詠草をポストに投じ帰る道往きに気付かぬ石蕗に逢う
病む人と医師は並んで待っているエレベーターが下りてくるまで

1首目、職場で強いられるストレスを振り払うようなハヤシライス。
2首目、残業をした帰りだろうか。職場が消えてしまうはずもない。
3首目、「四国の猿の子猿」と詠んだ正岡子規にあやかっての「猿」。
4首目、下句が抜群に面白い。これが踊れないと話にならないのだ。
5首目、中間管理職の悲哀が滲む。円陣とひとりの対比が印象的だ。
6首目、自宅と職場の間にある橋。家庭から仕事、仕事から家庭へ。
7首目、結句が何とも面白い。生前しばしば喧嘩していたのだろう。
8首目、悔しさと決意で握りしめた拳が今も心の支えになっている。
9首目、お湯を注いで5分待つ間に手術の光景が甦る。疲労が深い。
10首目、永遠の訣別シーンに自分の何かを重ね合わせているのか。
11首目、ポストからの帰り道は目的がないだけにのんびりできる。
12首目、同じように立っているけれど病院内での立場は全く違う。

2025年5月11日、青磁社、2500円。

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2025年06月03日

道浦母都子歌集『あふれよ』

角川文化振興財団
発売日 : 2024-06-25

第10歌集。

その傍を通るのみにて訪ねざる姉のマンション木犀のいろ
生姜漬け辣韭を漬け固定資産税納めてやっと六月終わる
校庭の見える梅林人気なし二月の空は晴れながら冷ゆ
末枯れたる水仙束ね土に盛る冬の終わりのしるべのひとつ
「引き揚げ」の言葉もすでに死語となり引き揚げ者の父母ニッポンに死す
尻無川木津川安治(あじ)川合流の河口は静かな馬の肌のいろ
一冊の日記のような歌集にて振り回されたるわれの一生
母の最期に間に合えなかったわたくしに小さな蝶がつねにまつわる
捨てるべき白きマスクが重なりてヒトツバタゴに見える雨の夜
心までマスクしていた三年間 全速力で来たのは老いだ

1首目、疎遠になってしまった姉との関係が繰り返し詠まれている。
2首目、生姜と辣韭のつぎに固定資産税の話が来るのがおもしろい。
3首目、季節感がよく出ている歌。作者の心象風景のようでもある。
4首目、花の終った水仙の葉を束ねてまとめておく。毎年の仕事だ。
5首目、引揚者であった両親には、きっと苦労も多かったのだろう。
6首目、大阪湾に注ぐあたり。「馬の肌のいろ」が実に味わい深い。
7首目、『無援の抒情』のイメージがその後何十年もまとわりつく。
8首目、何年経っても消えることのない心残り。母の魂のような蝶。
9首目、一回では捨てられず、机などに膨らんだ形で溜まっていく。
10首目、コロナ禍が心身の衰えを加速させた。率直で痛切な叫び。

2024年6月25日、角川文化振興財団、2600円。

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2025年05月30日

第6歌集『について』刊行!

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第6歌集『について』(現代短歌社)が刊行されました。

四六判変形ハードカバー
184ページ
2,200円(税込)
478首収録(T:278首、U:200首)

現在、現代短歌社のオンラインショップで販売中です。
https://gendaitanka.thebase.in/items/109145161

また、Amazonでも販売中です。歌会などにも持参しますので、お会いすることのある方は声をかけてください。

よろしくお願いします。

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2025年05月25日

外塚喬歌集『不変』

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2020年の一年間の作品を収めた第14歌集。

臼歯にはまだ力あり噛むことが命ながらへるためならば噛む
鳥を見に行かうかと言へば鳥よりもうれしさうな声それを待つてゐた
迷ふこと少したのしゑ街中の漢方薬店にて蛇に遇ふ
三月は帽子の欲しくなる季節こころと身体(からだ)のずれを正さむ
食卓にナイフもフォークもなくなりぬ老いの二人に必要のなく
わたしの代はりに死んだ金魚がゐるといふ連れ合ひのこゑを聞く夏の朝
三歳の萌々夏(ももか)は歌ふ〈パプリカ〉をときに全身をうごかしながら
退職記念の時計も遅れがちになり沈みがちなる梟のこゑ
充電の完了ランプ灯りゐてシェーバーは夜の孤独ふかめつ
あしたより雨は降りつぎ亡き母の写真にひらく紺のあさがほ

1首目、噛むこと、食べることは人間が生きるうえで一番の基本だ。
2首目、結句に深い喜びが滲む。意欲があるのがまずは大事である。
3首目、道に迷ったため思い掛けないものと巡り合うことができた。
4首目、心は春を感じているのに気候や身体は冬のままなのだろう。
5首目、昔ながらの和食中心の食生活なら箸だけで十分に間に合う。
6首目、妻の言葉をどう捉えたらいいか。声が宙吊りになったよう。
7首目、楽しそうに歌う様子が目に浮かぶ。幼子ならではの明るさ。
8首目、遅れがちな時計や梟の鳴き声に自らの老いの深まりを思う。
9首目、電気が充ちた一方でシェーバー内部は完全に停止している。
10首目、「ひらく」がいい。今開いたかのような動きを感じさせる。

2024年5月5日、いりの舎、3000円。

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2025年05月22日

坂井修一歌集『鷗外の甍』


2021年春から2025年新春までの作品507首を収めた第13歌集。

『シャー・ナーメ』初訳は土屋文明と知つておどろく図書館便り
釈迦に降りし雨はキリストよりおほしぽつんぽつんと頭(かしら)をぬらす
給金の安きを言ひて教へ子の「日本を捨てる」はや二十人
大学を横に出でたる津島修治 出られぬわたし六十四歳
二十五時妻の入りくる寝室をわが出でゆけり会議はじまる
実験をしない学者が遠望す「くすりばこ持たぬ薬師」のきみを
あびこ、あびこ 水のにほひのする街へ声はこだます駅からあふれ
血液内科入院棟へ妻が来て四角い笑顔見せし二時間
われは病を若者は生を苦といひきぎいぎいと鳴る貸部屋の椅子
奇跡の書『澁江抽齋』手に思ふわれにはいまだ来ない時間を

1首目、ペルシャの長篇叙事詩。文明『波斯神話』は1916年刊行。
2首目、釈迦が誕生した時は雨が降った。気候の違いと宗教の違い。
3首目、頭脳流出の現状。研究者が日本を出て海外へ行ってしまう。
4首目、大学を中退した太宰治と教員として大学に勤め続ける自分。
5首目、初句に驚く。海外の会議にオンラインで参加している場面。
6首目、現場仕事を離れた管理職の森鷗外の姿に自分を重ねている。
7首目、抒情性豊かな歌。我孫子はかつて白樺派の文人が住んだ町。
8首目、「四角い笑顔」から緊迫感が伝わる。二つの数詞も効果的。
9首目、「ぎいぎい」が苦しげ。年齢や立場により苦の中身は違う。
10首目、史伝小説に晩年の情熱を傾けた鷗外を羨む気持ちだろう。

結婚のブレーキかけし父と母いまはてしなく吾妻に甘ゆ
わが婚を壊さむとせし母ありきそのひとよつひに幼児(をさなご)のごと
わが婚をやめよと告げしそのわけのつひにわからず母呆けたり

両親がかつて結婚に反対したことが繰り返し詠まれている。何十年経っても消えないしこりとなって、胸のうちに残っているのだろう。

2025年4月20日、短歌研究社、3000円。

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2025年04月28日

佐々木朔歌集『往信』

著者 : 佐々木朔
書肆侃侃房
発売日 : 2025-03-05

早稲田短歌会を経て同人誌「羽根と根」に参加する作者の第1歌集。

ホチキスの針をどっちに打つかって話したせっかくの風のなか
花の名を教えるひとと聞くひとのそれぞれにそれぞれの花園
ほんとうに山下町は山の下 ゆっくり過ぎてゆくでかい犬
行きつけのようでそうでもないようなファミレスで夏の雨をみている
行き先は同じだけれど行く道がことなるバスが三台つづく
感情はむしろ孤島に咲いていて、そうだとしても言葉をつなぐ
ずっと一緒にいたいと思う/思わない 商店街のアーチをくぐる
陸橋と思い渡っているうちに眼下に見えてくる細い川
朗読をかさねやがては天国の話し言葉に到るのだろう
目を伏せていたって冥王星でだってあなたがめげていたらわかるよ

1首目、三つの促音と句またがりの生み出すリズム。右上か左上か。
2首目、頭の中の花園が違う。「それぞれの」「花園」が響き合う。
3首目、わが家の近くにある山下町も確かに山の下に位置している。
4首目、「行きつけ」の顔なじみ感には個人の店のイメージが強い。
5首目、終点まで行くならどれも一緒だが、そうでなければ要注意。
6首目、感情を相手と共有するのは難しい。下句に強い思いが滲む。
7首目、「思う」「思わない」が同時に存在することもあるのが心。
8首目、川の出現により「陸橋」だった構造物が「橋」へと変わる。
9首目、朗読に慣れてくると良くも悪くも言葉が透明になっていく。
10首目、冥王星の遠さと暗さ感が初句と重なる。「め」の音の響き。

2025年2月28日、書肆侃侃房、2000円。

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2025年04月19日

大辻隆弘『短歌の「てにをは」を読む』

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「うた新聞」2020年4月号から2024年5月号まで計50回にわたって連載された文章をまとめた本。短歌の助詞・助動詞を愛する著者が、具体的な例歌を引きながら「てにをは」の精妙な働きについて記している。

高校の国語教師として古文の文法なども教える著者であるが、そうした学校での公式的な説明を超えて、自らの経験をもとにさらに突っ込んだ話を展開している。

柊二にとって「たたかひ」は自分に関わりのない他人事ではない。同時に、その帰趨を主体的に決められる現象でもない。彼の身体は「たたかひの終りたる身」でもなく「たたかひを終へたるわが身」でもない。宙ぶらりんで、置き所のない「たたかひを終りたる身」だったのである。
「信頼」のような、「信じる」(他動詞)と「頼る」(自動詞)が混合した漢語の場合、「信」に重きを置いて助詞「を」を入れるか、「頼」に重きを置いて助詞「に」とするか、悩ましい。
現在、目の前で進行してゆく事態をどう捉えるべきなのか。現在進行形という西欧語伝来の時制表現を、従来の文語体系のなかでどう表現したらいいのか。圧倒的な西欧語の流入に際会して、近代の歌人たちは、そのような悩みのなかにいたのだろう。

50項目それぞれの題もおもしろい。

・やる気のない「て」
・憧れの「らむ」
・いまいましさの「など」
・不安の滲む「む」
・勢いの「も」
・一回性の「と」
・自己志向的な「の」

など、無味乾燥な文法の説明とは違って、実感に即した記述がなされている。長年にわたって短歌を読み、詠み続けてきた著者ならではの一冊と言っていいだろう。おススメです。

2025年3月15日、いりの舎、1800円。

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2025年04月14日

川野里子対話集『短歌って何?と訊いてみた』


川野里子と15名のゲストとの対話を収めた一冊。

登場するゲストは、納富信留(哲学・西洋古典学者)、サンキュー・タツオ(日本語学者・芸人)、岩川ありさ(現代日本文学研究者)、伊藤比呂美(詩人)、井上弘美(俳人)、堀田季何(歌人・俳人)、村田喜代子(小説家)、三浦しをん(小説家)、宮下規久朗(美術史家)、新見隆(キュレーター)、三浦佑之(日本文学者)、品田悦一(万葉学者)、木村朗子(日本文学研究者)、赤坂憲雄(民俗学者)、高野ムツオ(俳人)。

「歌壇」5月号に書評を書いたので、ここでは印象に残った発言を備忘のために記しておくだけにする。

我々は普通、韻文は人工的で散文が自然だと思ってる。だけど歴史的には逆で、他の文化圏もだいたい同じですが、最初文学が生まれるのは韻文なんですね。(納富信留)
いいネタだけど、この人じゃなくても成り立つと思われたらそれはよくなくて、多少雑でもその人でなきゃいけないもののほうがずっと面白い。(サンキュータツオ)
身体や感情を消すことが戦争への言葉の参加だったんだと思います。だから戦争が終わったときにまず言葉がやったことが身体を取り戻すということ。(川野里子)
伝統派は比喩としては使わないんですよ。比喩的に用いた時には季語として働かないからです。(井上弘美)
私は、近代以降の俳句も短歌も純粋な伝統詩だとは考えていないのです。欧米の詩と融合したと思っています。(堀田季何)
西洋ではヌード彫刻は外にはない。あれは日本特有の現象で、駅前に裸像があるのを見て西洋人はびっくりするんです。ヌードを西洋文化そのものだと思って愚直に増殖させてしまったのが日本の近代で、これは大きな誤解です。(宮下規久朗)
山陰道は京都山城から丹後を通って西へ行く。山陰と北陸は直接はつながっていないんです。近代の鉄道ができても北陸本線と山陰本線を乗り換えようとしたら一旦、京都に出ないといけない。(三浦佑之)
言葉は人間が生んだものだけれども、その人間をも全て制してしまう力がある。特に文字に書かれた言葉の力ですね。スペインがかつての大帝国時代を築き上げることができたのもスペイン語という言葉の力です。(高野ムツオ)

どの対話も刺激的で面白い。おススメです。

2025年1月23日、本阿弥書店、2500円。

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2025年04月03日

今井恵子『短歌渉猟 和文脈を追いかけて』


「短歌研究」2017年1月号から2019年6月号まで計28回連載された文章と評論「短歌における日本語としての「われ」の問題」を収めた評論集。

短歌の話だけでなく、音楽や美術、時事的な話題なども取り込みながら、幅広く短歌や日本語について論じている。短歌を通して考える日本語論、日本文化論といった内容だ。

鳥の目の司会者と蟻の目の司会者がいる。鳥の目の司会者は時間配分が上手く、公平で軽快、バランスがいい。蟻の目の司会者は、重要な問題に立ち止まって深めることに長けている。(…)優れた進行は、適宜往き来して両方を使い分けている。
近代文学史を考えるとき、わたしたちは新しく加わったもの、前代になかったものに注目し、その輝きを時代のものとして称賛するのが一般的である。(…)明治三十年前後の短歌潮流の変動の中で、一葉の歌が「旧派」のそれとして、ほとんど顧みられなかったのも頷ける。
読者は、並べられた言葉の順番から逃れられない。短歌一首でいえば、初句を読むときに結句に目を走らせるということは出来なくなる。否が応でも、作者が指定した順番通りに言葉を辿る。
洋服と着物の大きな違いは何か。端的に言えば、洋服はクローゼットにぶら下げておき、着物は畳んで箪笥にしまうことだろう。(…)洋服は、着る人の体形に合わせて服地を立体的に縫い合わせてあるから、平面に還元するのが難しく、着物はもともと平面でできているものを人体に纏って使うからである。
アンコールワットの回廊を、外側から内側へと数えることは、国内の神社を参拝するときに潜る鳥居を、神殿に遠いところから、つまり参拝者からみて手前から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と数える私たち日本人にとって、自然なことである。しかし、西洋では、数える順番が逆転するらしい。

読んでいて楽しい評論集である。示唆に富む話が次々と出てくる。話題はあれこれ移ったり、ぐるぐる廻ったりするのだが、読者も著者の思考に寄り添って一緒に迷路を歩んでいるような気がしてくる。

タイトルに使われている「和文脈」について、著者は「日本語が内包する生理と、短歌形式が生み出す時空を指し示す用語」と定義したうえで、

作歌するとき、モノやコト、また対立や違和や異物、訳の分からない不気味というような夾雑物を排し収斂してゆくと、どこかの時点で、ドアがぱたりと閉まるように、外界・他者・社会・抵抗・疑問などの摩擦のない自己閉塞世界へ入ってしまう。

と記している。そうした閉塞した世界に入らないためにも、考えながら書き、書きながら考える、行きつ戻りつするようなスタイルがこの本には必要だったのだろう。

2024年10月10日、短歌研究社、3000円。

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2025年04月01日

小原奈実歌集『声影記』

著者 : 小原奈実
港の人
発売日 : 2025-01-30

「本郷短歌」「穀物」などに参加していた作者の第1歌集。

剝かれたる梨のあかるさ身のうちに蜜をとどむるちから満ちつつ
読み終へし手紙ふたたび畳む夜ひとの折りたる折り目のままに
犬飼ふを勧められたる夕べよりしづけさはしなやかに尾を振る
鳥去りて花粉散りたる花の芯ながく呼吸をととのへてゐる
触るるなく見てゐしもののひとつにて海は合掌のごとく暮れゆく
魚跳ねてうをちひさきを また跳ねてみづのふかきを港におもふ
鉄橋とすすきまじはる川辺より四肢冷えきつて立ち上がりたり
風みえて欅散りをり木版のごとくかするる西陽のうちを
窓鎖して朴の花より位置高く眠れり都市に月わたる夜を
くちなしの香るあたりが少し重く押しわけて夜のうちを歩めり
日暮れにはまだ時ありて蜂は音、蝶は影とぶあざみのめぐり
胸骨を手放す時刻 頭(づ)を垂れて生への門を閉ざせる時刻
揚雲雀喉ひらくとき体内にひとすぢ初夏の陽は至りゐむ
はるかに曳かれゆきたるごとく雪の上(へ)に累々と人の跡つらなりぬ
みづからの顔をおほかた裂きながら青鷺は大き魚のみくだす

1首目、果汁をたっぷり含む梨のみずみずしさ。後半タ行音が響く。
2首目、相手の人が紙を折ったときの手の動きが見えてくるようだ。
3首目、まぼろしの犬の尾の動きだけが部屋に存在しているみたい。
4首目、乱暴者(?)の鳥が去った後に花が平常心を取り戻すまで。
5首目、「合掌のごとく」が印象的。海の存在感の大きさと祈りと。
6首目、最初は魚にだけ目が行ったが次は海の深さが思われたのだ。
7首目、「四肢冷えきつて」に長い時間しゃがんでいた実感がある。
8首目、葉が散ることで風の筋が見える。ざらっとした西陽の感じ。
9首目、マンションの部屋だろう。人工物と自然との対比的な構図。
10首目、三句を字余りにしたことでリズムも「少し重く」なった。
11首目、「蜂は音」「蝶は影」の対句が鮮やか。本体でないもの。
12首目、医療現場を詠んだ一連から。心臓マッサージを終える時。
13首目、雲雀の体に差す一筋の光。レントゲン写真を見るみたい。
14首目、ただの足跡なのにまるで囚人の列が過ぎて行ったようだ。
15首目、語順がいい。餌を捕る動きが迫力をもって伝わってくる。

2025年2月3日、港の人、2200円。

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2025年03月20日

矢部雅之歌集『Another Good Day!』

著者 : 矢部雅之
書肆侃侃房
発売日 : 2025-01-11

現代歌人シリーズ39。

第1歌集『友達ニ出会フノハ良イ事』(2003年)以来21年ぶりの第2歌集。2008年から2014年までカメラマンとしてニューヨークに住んだ日々が詠まれている。

転ぶのもしだいにうまくなるものか上手に転び子が立ち上がる
おのが心おのが歩みにおくれつつ聖堂のさむきくらがりをゆく
ひともわれも黄葉か流れの上に落ちしばしを絡みやがて隔たる
ツグミまで腹の出てゐる国にありむしろ痩せ気味の日本人われ
裏切りを未だ知らねば三歳は「どしてなの?」と幾たびも訊く
孤独にも金また銀の孤独あり 錆びたる鉄の孤独を吾に
カウチにて雌猫の背を撫でをれば鏡の中の妻と目が合ふ
一目見んと思(も)ふは思(も)へども座すほかなし半日白昼のつづく機中に
なにごとも差別のせゐにする人とせぬ人ありてけふも晴れの日
風船は風の船なり風吹けば小(ち)さき手を発ち風中を行く

1首目、小さな子の様子を見ての発見。転び方も上達するのである。
2首目、上句がいい。異国の教会の雰囲気に少し気圧される感じか。
3首目、別れた前妻を詠んだ歌。川面を流れる二枚の黄葉のように。
4首目、同じ鳥でも日米で姿が違うように痩せや肥満の基準も違う。
5首目、イソップ物語の裏切りの意味がわからずに尋ねてくる幼子。
6首目、格言みたいな響きがかっこいい。孤独にも種類があるのだ。
7首目、何となく気まずい感じ。妻が嫉妬するわけでもないのだが。
8首目、母危篤の報せを受けて帰国する。矢部版「死にたまふ母」。
9首目、差別が問題なのは前提としてその後の人の態度は分かれる。
10首目、風船が飛んで行っただけなのだが、言葉がとても美しい。

2024年12月28日、書肆侃侃房、2200円。

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2025年03月12日

滝本賢太郎歌集『月の裏側』


「まひる野」所属の作者の第1歌集。

近代と呼ばれて冷ゆる美術史の空より鮭が吊るされている
帰らなくていいのかと問えばいいと言う死にたるひとの娘の声が
両岸にはしゃぐ男女をちりばめてネッカー川はひと房の夏
鯉の吐く泥より重く眠ってた旅の終わりの特急のなか
秋深き動く歩道で動かずに駅の終わりに着くまで話す
黒瑪瑙(オニキス)のカフスを通し冬立てば清しきまでに冷たしシャツは
フラミンゴの首をゆっくり締め上げる心でほうれん草絞るべし
殉国の碑をたちまちに黒く染め首都のはずれを驟雨は駆ける
触れたれば感電死してしまうだろう白梅は花あんなにつけて
川魚ひっそりと売る商店を見つけたり、きっと買うことはないが

1首目、高橋由一の「鮭」だろう。近代の洋画の出発となった作品。
2首目、留学中に祖母が亡くなった場面。母である以上に娘なのだ。
3首目、葡萄の房を思い浮かべた。短い夏を楽しむドイツの人たち。
4首目、もう家に帰るだけとなってどっと疲労感が押し寄せてくる。
5首目、少しでも長く相手と話をしていたいという心境なのだろう。
6首目、初句の表記が秀逸。季節感と身の引き締まる感じが伝わる。
7首目、茹でたほうれん草の絞り加減。上句の嗜虐性が印象に残る。
8首目、三句の「黒く染め」が戦争や殉国者のイメージとつながる。
9首目、語順に工夫がある。梅の枝ぶりや花の付き方のバチバチ感。
10首目、四句の途中で句割れして文語から口語に転ずるのがいい。

2025年2月26日、六花書林、2500円。

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2025年03月03日

山中千瀬歌集『死なない猫を継ぐ』


第1歌集。

暴力から生まれた暴力太郎から生まれた暴力太郎太郎、あたしは
花のくき手折れば爪に花のにおい 花のたましいがどこにあろうと
先生が森さんを海(モーリェ)さんと呼ぶ 教室はさざなみに洗われる
サーカスは黙って行ってしまった。置いていかれた町で暮らした
すれ違いを続けるあたしの人生と郵便局の営業時間
枝分かれした運命のいくつかのピーマンだけが具のナポリタン
花を火の比喩として手に集まって交わす世界を燃やす約束
水筒のみずぬるくなり放課後の教室、ともだちごっこはだるい
たわいないこころのささえ なし狩りの梨がとってもぬるかったこと
いい桃を分けてもらって持ち帰る 友だちの心臓を運ぶみたいに

1首目、虐待の連鎖をイメージした。名前が増殖するようでこわい。
2首目、花びらや蕊だけでなく茎からも花の匂いがするという発見。
3首目、「モーリェ」はロシア語で海のこと。下句への展開がいい。
4首目、空き地などで興行していたサーカスが去った後のさびしさ。
5首目、「すれ違い」と捉えたのが面白い。平日の昼には行けない。
6首目、あみだくじのような事情を経て玉ねぎもウインナーもない。
7首目、手に手に花火を持って話している。上句の表現が印象的だ。
8首目、表面上の付き合いを続ける気怠さが水のぬるさと響き合う。
9首目、結句に意外性がある。木からもぎ取ったままの自然な温度。
10首目、上句の「も」の連鎖から下句の個性的で鮮やかな比喩へ。

2025年1月20日、典々堂、1800円。

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2025年02月20日

小俵鱚太歌集『レテ/移動祝祭日』


「短歌人」「たんたん拍子」所属の作者の第1歌集。
2018年から2024年までの作品374首を収めている。

しなくても良い前泊に夜の窓あけてビジネスホテルの季節
猫老いて店主も老いてどちらかが死ぬまでつづく瀬戸物屋さん
ベランダの夜にやもりと佇んでたがいに気付かぬ振りをしていた
満月を半月にする夜行バス 6Pチーズをつぎつぎ食べて
商談をコメダですれば豆菓子は食べず互いにかばんへ入れて
ひとりでいるときのわたしを私だとおもう師走に独りで居れば
気がつけば小説だったというような雨がそのうち本降りになる
でたらめに路地を歩いて川に出れば川に沿いたい初夏のこころは
だとしても。ごく軽度だとぽつぽつと毀れた家族がはま寿司にいる
地下なのにスロープがある 何もかも思い通りになんてならない

1首目、当日の朝に出ても間に合うのに前泊する。自分だけの時間。
2首目、時が止まったような店であるが、それも永遠には続かない。
3首目、まるで同志のように何も言わなくても心が通じ合っている。
4首目、上句から下句への展開が楽しい。3個食べ終わったところ。
5首目、商談の席ではコーヒーに付く豆菓子はちょっと食べにくい。
6首目、独りの時が一番自分らしいと感じる。寂しさと自負が滲む。
7首目、上句の比喩がおもしろい。小説と現実が入り混じるような。
8首目、でたらめに歩く楽しさ。歩くことで自分の心に気付くのだ。
9首目、離れて暮らす幼い娘の障害の話。「はま寿司」がせつない。
10首目、情と景の取り合わせ。両側から掘り進めて生じた高低差。

2024年7月15日、書肆侃侃房、2200円。

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2025年02月06日

良真実『はじめての近現代短歌史』


明治時代から現在にいたる短歌の歴史をまとめた本。

まえがきに「短歌史とは秀歌の歴史のことです」とある通り、まず第一部「作品でさかのぼる短歌史」では秀歌69首を読み解きながら現在から明治時代へと時代をさかのぼっていく。その後、第二部「トピックで読み解く短歌史」では、時代順に歌壇に起きた出来事や登場した歌人たちを紹介している。

かなり専門的な話も出てくるのだが、著者の文章は明晰で論旨もすっきりしていて読みやすい。また、すべての人名にふりがなを付けたり、文語助動詞の解説を付け加えたりという点も親切だ。「です・ます」調の文体も含めて、多くの人に読んでもらいたいという気持ちの表れだろう。

本書の大きな特徴として、男性に偏っていた短歌史の記述をできるだけ男女平等にしようと試みている点が挙げられる。従来の男性歌人中心の語りの問題について繰り返し言及するとともに、女性歌人の作品や動向について丁寧に記している。

また、「キリスト教」「沖縄」への目配りも、これまでの短歌史に薄かった部分だ。わからない歌として話題になった服部真里子の作品について「キリスト教の文脈を導入すれば容易に読むことができます」と解説している部分や、新城貞夫や沖縄戦を詠んだ歌を取り上げているところに持ち味が出ている。

以下、備忘のため印象に残った部分を引いておく。

モノの機能を捉え直す技法は「リフレーミング」と呼ばれ、投稿歌壇の入選作に多く見られますが(…)
子規庵歌会はそれまでの歌会と異なり、句会の形式を採用していました。(…)匿名互選によって歌会からヒエラルキーを取り払った点は革新的であり、この構造は少しだけ形を変えて、現在の歌会でも維持されています。
文語短歌は当時の言葉で「普通文」と呼ばれる書き言葉で書かれます。「普通文」とは明治期に確立した統一的な書き言葉の一種で、(…)平安時代の書き言葉に由来する助動詞を使います。しかし、動詞や名詞はある程度口語文と共通しています。
新興短歌は思いのほか少数派です。当時の大手出版社である改造社刊の『短歌研究』について、創刊年の一九三二年から新興短歌が終息を迎える一九四一年までの寄稿者を集計すると、新興短歌側の人名は全体の一〇%ほどにしかなりませんでした。
既存の短歌史は、多くの場合話題になった評論や論争ベースで書かれています。本書もそれを踏襲しました。こうした手法では男性歌人中心の短歌史記述となることを免れません。

過去百数十年の短歌の流れをたどり、これからの短歌について考えるのに絶好の一冊となっている。おススメです!

2024年11月6日、草思社、2300円。

posted by 松村正直 at 09:07| Comment(4) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする