2026年04月13日

馬場あき子歌集『アスパラの芽立するころ』


2018年から2021年までの作品を収めた第28歌集。

けさ生れて土より上る一ミリのまひまひは一ミリの貝すでに負ふ
引いては駄目といはれつつまた引いて負くる力士見てをりいたく悲しも
骨の折れし相合傘の高校生スタバの前にて追越すわれは
クッションの絵として栗鼠は十年も胡桃を食べてゐる まあいいか
ふと醒めしあかときといふ空間あり時間流れてをらぬ涼しさ
理学療法士は独居のわが家訪れてしばしわが手足動かしゆけり
山茶花がけさはまつかに咲きあふれ寒さが痛いからだとなれり
力ある雪雲低くたれこめて重厚となる冬のこころは
引き算のようにご近所のひと消えて何事もなし無しといふことの
雨の日曜ご近所は孫子(まごこ)おとづれて大はしやぎして楽しむ声す

1首目、孵化したばかりのカタツムリ。飼っている人ならではの歌。
2首目、わかっていても止められないことが、きっと誰にでもある。
3首目、突然のハプニングも若い二人は多分楽しんでいるのだろう。
4首目、十年間も食べ続けてお腹を壊さないか心配になったのかな。
5首目、まるで時間が止まった世界に一人で取り残されたみたいだ。
6首目、訪問リハビリなどを受けている場面。淡々とした詠みぶり。
7首目、「寒さが痛い」が何とも痛切だ。赤さもひりひりと感じる。
8首目、雪雲の描写から始まって最後は自分の心の話へ移っていく。
9首目、亡くなったり施設へ移ったり。でも日常は何事もなく続く。
10首目、「は」という助詞があることで自分の暮らしが対比される。

2026年3月25日、角川文化振興財団、2700円。

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2026年04月10日

吉川宏志『一九七〇年代短歌史』(その3)

この本は「短歌研究」に連載した文章をまとめて一冊にしているのだが、随所に補注という形で歌集の紹介が追加されている。これについて、吉川は「あとがき」で次のように説明している。

記述の方法としては、一九七〇年代に起きたさまざまなトピックを取り上げ、それに関連する歌や評論を読解していくというスタイルを選んだ。ただこの方法には、トピックと合致しない作品が抜け落ちてしまうというデメリットがある。そこで、補注という形で、一九七〇年代に刊行された歌集の中の歌をいくつか紹介するようにした。

補注で取り上げられたのは、田井安曇『水のほとり』、大西民子『雲の地図』、北沢郁子『春のかぎり』、志垣澄幸『空壜のある風景』、田谷鋭『水晶の座』、佐藤通雅『薄明の谷』、稲葉京子『柊の門』、雨宮雅子『鶴の夜明けぬ』など、どちらかと言うと地味な歌集である。

でも、そこにきちんと触れていることが、この本に対する信頼感を高めている。歴史とは何か、どのように短歌史を記せば良いのか、といった深い問い掛けが、ここには含まれているように思うのだ。

最後にもう一つ。

本書の大きな特徴として、前衛短歌史観から自由になったということが挙げられるだろう。これまでの歌壇は良くも悪くも前衛短歌の磁場が強力で、短歌史についても前衛短歌とその流れで説明されることが多かった。

それは塚本邦雄や岡井隆といった論作ともに傑出した存在があっただけでなく、三枝ミ之や永田和宏といった後続世代も前衛短歌の強い影響下に短歌を始めたためである。

この本はそうした画一的な見方からは離れて、前衛の流れもそれ以外の流れも対等に扱っている。

寺山が名づけた〈前衛狩り〉とい言葉には非常にインパクトがあった。そのため、「狩り」を行った旧世代が悪だというイメージが生まれた。しかし、歴史では多面的な見方が必要であり、前衛派以外からは、ジャーナリズムの偏向ととらえられていたことも、十分注意しておくべきだろう。
だが、前衛短歌を中心に置く史観に対して、別の史観を提示する試みを「暴論」という言葉で否定すべきではないだろう。どの立場から見るかによって、歴史の姿は変化するわけで、一つの史観だけが正しいとは言えないからである。

歴史は見方によって、描き方によって、価値観によって、ルビンの壺のように「地」と「図」が反転するものだ。1970年代から50年という歳月が経過したことで、ようやくこうしたバランスの良い記述が可能になったのだと思う。

2026年1月15日、短歌研究社、3000円。

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2026年04月09日

吉川宏志『一九七〇年代短歌史』(その2)

『一九七〇年代短歌史』の特徴をもう少し挙げてみよう。

まずは、東京以外の地方の歌、新聞投稿の歌、短歌雑誌の編集者など、幅広い対象をすくい上げる目配りの良さである。

「30 北の会と南の会」では北海道の「現代短歌・北の会」と九州の「現代短歌・南の会」の活動を取り上げている。

短歌史を書くとき、東京中心の価値観になっているのではないか、という惧れはいつもつきまとう。当時刊行されていた短歌総合誌を参照することが多いが、それらはすべて東京の出版社から刊行されている。東京からの視点がスタンダードになっていることは否定できない。

こうした問題意識は短歌史を考える上で欠かせないものだろう。

そういう意味では、吉川も理事を務める現代歌人協会が今年6月に北海道で短歌フェスティバルを開催するのも意義深いことだと思う。
https://kajinkyokai.com/event_information04.html

「19 日中国交正常化と海外詠」では、朝日歌壇への投稿歌が多く紹介されている。「朝日歌壇では、日中国交回復は強い関心を集めている。けれども、短歌総合誌での反応は非常に少ない」という指摘があり、「専門歌人と新聞歌壇の間には、距離が生じていた」ことが述べられている。

また、「26 ベトナム戦争の終わり」では、朝日歌壇の選者であった宮柊二の文章を引いて、

一首だけを読んで理解できる歌を優先していることがわかる。逆に言えば、一首にうまくまとめることができなかった感情や思考は紙面で取り上げられないことになる。それが新聞歌壇の難しいところだ。

と記している。連作単位で歌を発表する短歌雑誌(や歌集)と一首単位で応募する新聞歌壇の違いがよくわかる話だと思う。

「29 一九七〇年代の編集者たち」では、「短歌の潮流を生み出していくのは歌人だけでなく、編集者も大きな役割を果たしている」と述べ、冨士田元彦の「雁」、田村雅之の「磁場」、及川隆彦の「現代短歌」という三つの雑誌を取り上げている。

冨士田元彦は一九七八年に雁書館、田村雅之は一九八一年に砂子屋書房、及川隆彦は一九八五年にながらみ書房を設立し、それぞれ独立を果たした。

これらの出版社から出た数々の歌集・歌書を思い浮かべれば、編集者の役割の大きさがよくわかる。

吉川は「塔」2023年7月号でも、「田村雅之さんに聞く」というインタビューを行っている。編集者はいわば裏方の存在なのだが、そこに対する目配りと敬意を忘れないというのは大事なことだと思う。

https://toutankakai.com/cms/wp-content/uploads/2024/01/6b615b314d7564d00ec01d5801d9be56.pdf

2026年1月15日、短歌研究社、3000円。

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2026年04月08日

吉川宏志『一九七〇年代短歌史』(その1)


「短歌研究」2021年6月号から2024年11月号まで3年半にわたって連載した文章をまとめた一冊。

多くの資料や作品に触れながら1970年代の社会や短歌の動向を丁寧にたどった力作。篠弘『現代短歌史』は1960年代までの記述で終っているので、1970年代を扱った本格的な短歌史はこれが初めてのものと言っていいだろう。

特筆すべき点がいくつもあるのだが、まずは文章の読みやすさを挙げておきたい。500ページ近い分量だが、つまずくことなく最後まで読み進めることができる。

これは当り前のようでいて、実はそうではない。短歌関連の評論などではしばしば主述がねじれていたり、修飾語と被修飾語が離れていたり、何度も読み直さないと文意がつかめない文章をしばしば見かける。本書にはそうした心配がまったくない。

次に、引用歌の一首一首に必ず触れていること。一九七〇年代に詠まれた多くの歌が引かれているのだが、ただ引くだけでなく読みや評価なども記している。これも簡単なようでいてそうではない。歌を責任もって大切に扱っていることがよくわかる。

そして、一番強く感じたのはフェアであること。できるだけ公正で客観的な記述をしようと心掛けている点である。もちろん、歴史というものは誰が書いても何らかの偏りが生じるものではあるのだが、だからこそフェアに書こうとする姿勢が欠かせない。

今だけでなく、10年経っても20年経っても読まれる価値のある本だと思う。おススメです。

2026年1月15日、短歌研究社、3000円。

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2026年04月07日

木村聡『不謹慎な旅 2』


副題は「負の記憶を巡る「ダークツーリズム」」。

「週刊金曜日」2021年11月〜2024年10月の連載を再構成したもので、『不謹慎な旅』(2022年)の続篇である。
https://matsutanka.seesaa.net/article/518638308.html

「天災・人災の記憶」「喪失する産業の記憶」「戦争の記憶」「差別・抑圧の記憶」「生命と悲しみの記憶」の五章構成で、「名古屋オリンピック構想」「化女沼レジャーランド」「陶器爆弾と焼き物の里」「イエスの方舟」「前期旧石器捏造事件」など35件が取り上げられている。

不謹慎な旅の現場では大声にかき消される小声に耳を澄ませ、そばだてねばならない。だから難しい。でもそれが旅の醍醐味。
遺跡指定を取り消された旧上高森遺跡はもう誰も訪れやしない。二〇一八年に太陽光発電所が完成し、空を見上げるのはソーラーパネルだけ。
産まれた障がい児の命を絶つのではなく、家の体面のため外に出さずにずっと閉じ込めるという選択。(…)「口減らし」の必要のないそもそも裕福な家にこそザシキワラシがいられたということだ。
およそ都内のどの国の大使館も、抗議デモで近寄れるのは五人以内という制限があるのだそうだ。一説に警察がこの「五人ルール」を最初に始めたのが在日本イスラエル大使館らしい。

過去の歴史を学ぶことから現在が見えてくることも多い。

長引く戦争はこの国の物資を逼迫させていた。こと九割以上を輸入に依存する石油。開戦に踏み切った一因には米国などによる対日石油禁輸があり、それゆえ油田を求め出兵した東南アジアであったが、戦況の悪化で原油の輸送が困難になる。

戦時中の「松根油」緊急増産の話。80年前も今も石油の輸入が止まれば生活が立ち行かなくなる状況は、何も変わっていない。

2025年1月30日、弦書房、2000円。

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2026年03月23日

なみの亜子歌集『ねじ花』

短歌研究社
発売日 : 2025-12-12

2021年から24年までの388首を収めた第6歌集。

粉雪の五つにひとつ飛び込みてくる軒下にうすく物干す
雷をこわがりし犬思い出のひとつとなりて積乱雲見ゆ
好きだった人を好きではなくなって痛むのだ波除けのように背中が
誤嚥性肺炎に年を越しし父 面会禁止にむしろやすらぐ
バスに乗る五分になにも思わずに揺れていたればこころの手ぶら
その妻を亡くしてのちはじっとして山椒魚になってしまった
犬が鳴き子ども泣くこえ家々の窓いっせいに網戸となれば
関節の具合にひとはお天気の予報を告げぬもうすぐ雨や
戸籍上の母を次男はアキちゃんと呼び長男は決して呼ばない
肉体はむしろ邪魔なりほんとうに寄り添うという力仕事に

1首目、飛んでくる雪を「五つにひとつ」と数字化したのが面白い。
2首目、犬の散歩をしていた頃の記憶が甦るけれどもう犬はいない。
3首目、好きだった頃の気持ちを思い出してしまうので痛みが強い。
4首目、愛情と本音が滲み出る。病院に任せっきりにできる気安さ。
5首目、何も考えなくていい時間。「こころの手ぶら」が印象的だ。
6首目、亡くなった父を偲ぶ歌。「山椒魚」の比喩が何とも悲しい。
7首目、夏になると近所の家からいろいろな生活の音が聞こえだす。
8首目、脊髄損傷の夫。気圧の関係で関節が痛んだりするのだろう。
9首目、子連れの再婚の場合、子どもが懐くかどうかは難しい問題。
10首目、初二句にハッとさせられた。心と心がぴったり寄り添う。

なみのさんとは「塔」に同じ頃に入って、一緒に同人誌をやったり飲み歩いたりしたこともある。歌集に詠まれている夫や両親にもお会いしたことがある。

それから20年近い歳月が経ったのだとしみじみした思いになった。

2025年12月12日、短歌研究社、2500円。

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2026年03月01日

澤村斉美歌集『竜の眠つてゐた跡』

2012年から2017年までの作品450首を収めた第3歌集。

濁流といへども影が映りをりヘリコプターの翼が回る
争ひののちのふて寝がほんたうの眠りに入りし夫を見にいく
やまさとはかすみわたれるけしきにて 視力表のかな一字づつ読む
死んだ人を偉いとだれもが言ふ日々を草抜きながらわれは過ごさむ
ひとたびも子と呼ばれずに去りゆける細胞組織に花を買ひなむ
かなしみはいつくるのかと掌を開いて閉ぢて鉛筆握る
誤字一字直したるのみ A勝訴、B敗訴、C和解の予定稿
一人出て一人迎へる部署の春ロッカーの名札入れ替へるのみ
ほたろうのからだは黒く貧弱で昼は草葉に縋(すが)りて休む
山見れば君は山にもなるだらう六か月のおなか山へと向ける
へその緒にひとすぢのこる血の色もやがて遺品とならむしづけさ
みどりごは日本語ふうに泣きはじむ甘夏の花白く咲くころ
子の目より紫陽花の蕚大きくて子の目にどつと青があふれる
子とわれは季節の後をとぼとぼと歩くときどき犬にしやがんで
amazonの空き箱に入りて幼子は船出の人のごとく手を振る

1首目、豪雨の被害を報道するテレビ映像に映るヘリコプターの影。
2首目、夫婦喧嘩の後の様子。夫の歌は距離の取り方がおもしろい。
3首目、上句は西行の歌を踏まえつつ目の霞む感じを伝えて面白い。
4首目、戦争が起きても他者に同調せず自分の生き方を貫く心構え。
5首目、流産したときの歌。せめて花を買って命を送りたいと願う。
6首目、職場で仕事しながらも呆然とした気持ちで過ごす日が続く。
7首目、新聞社の校閲の仕事。判決が出る前に三通りの原稿がある。
8首目、異動する人にとっては大ごとだが淡々と日々は続いていく。
9首目「ほたろう」は蛍。夜の美しい姿と昼の姿はあまりにも違う。
10首目、何とも健康的で伸びやかな歌だ。お腹も山のようだろう。
11首目、命の誕生を表す「へその緒」から「遺品」へと続く驚き。
12首目、ただの音声だったものが言葉っぽい響きに変わったのだ。
13首目、紫陽花に近づいてじっと見つめる子の瞳。青一色の世界。
14首目、自分だけ世の中の動きから遅れていくように感じるのか。
15首目、微笑ましいだけではなくどことなく寂しさも含んでいる。

2025年11月21日、砂子屋書房、3000円。

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2026年02月20日

穂崎円歌集『オメラスへ行く』


2017年から2024年の作品を収めた第1歌集。
三章構成の一章と三章は新かな、二章は旧かなになっている。

どの舌も長い根を持つ地上にはついに届かぬままでいる根を
数分で降りやんだ雨 忘れてた、ではなくこれは悲しかっただ
光へと指紋をひたしながら待ついつか遺跡に変わる空港
それぞれに悲鳴を上げる方法は異なっていて静かな水面
言わないと決めた言葉を思うとき膨らんでいく冬の鳩たち
うつくしい心のひとがうつくしいものをつくるといううつくしい嘘
たれもみな生きながら死ぬ背表紙の(保存開始日)〜(資料廃棄日)
追憶の・鎮魂の・死者の・人生の・定型はみな生者の仕草
議事堂はどちらですかと吾に問ふ性善説に胸を衝かれつ
轡(くつばみ)を食みつつ駅へゆく日々の真昼の月のような明るさ

1首目、舌根という語を思い出した。「舌」は言葉でもあるだろう。
2首目、少しあとになって自分の感情に気づいたのだ。意識の空白。
3首目、指紋認証をしているところ。空港は確かに遺跡っぽい感じ。
4首目、水面が静かでも心の中はどうなっているかは人それぞれだ。
5首目、自分の「腹ふくる」ではなく鳩が膨らんでいるのが面白い。
6首目、実際にはそうとは限らないところが人間の複雑なところだ。
7首目、保存期間の決められた資料を見ながら人間も同じだと思う。
8首目、死者を悼む言葉を発するのも生者の奢りなのかもしれない。
9首目、国会議事堂前のデモへと向かう人のあまりにも純粋な様子。
10首目、馬のように使役されている感覚を持ちつつ職場へ向かう。

2025年9月25日、典々堂、2000円。

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2026年02月18日

三枝ミ之『百年の短歌』


明治から令和までの短歌105首を取り上げて一首につき見開き2ページで鑑賞・解説した本。

単なる一首評ではなく、作者の紹介や歌風の分析、時代背景の解説など、重層的な話題が展開する。歌人として評論家として短歌史家として長く活動してきた著者ならではの自在な筆致だ。

芥川の短歌の魅力はこうした嘱目や挨拶の歌にあると私は見ている。そこでは短歌はメインの表現ではなく、コーヒーブレイクの器だろう。だからダメなのではない。茂吉の「自然自己一元の生」とか上田三四二の「短歌一生」といった命がけの領域が持つことのできない普段着の味わいがそこにはあり、それも短歌という奥深い詩型の大切な領域である。
修辞的な工夫を凝らさないことが心に適う歌もあり、そうした正述心緒の領域も歌には大切ではないか。歌垣や盆踊りの即興歌など歌には人界の実用があり、文学という尺度だけでは間に合わない、と説いた柳田国男を思い出したい。
短歌は塚本邦雄や与謝野晶子のよなスーパーエリートだけの詩型ではない。私の父のように日記代わりの暮らしの文芸でもあり、文人が余技のように楽しむ遊びの詩型でもあり、〈私〉を超えた晴の歌の詩型でもある。その奥行きと幅広さこそ、この詩型のかけがえのなさである。

本書のなかで三枝は、短歌という詩型の多様性や豊かさを繰り返し指摘する。それは、前衛短歌の影響下に短歌を始め、やがてそれだけではない歌の魅力を知るようになっていった三枝自身の経歴が導き出したものだろう。

歌の鑑賞法から近現代短歌史まで、多くのことを知ることのできる一冊。おススメです。

2025年10月20日、新潮選書、1650円。
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2026年02月14日

𠮷田恭大歌集『フェイルセーフ』

著者 : 吉田恭大
角川文化振興財団
発売日 : 2025-12-24

第2歌集。

十二時から二時までの荷物を待って、一時に届いてから部屋を出る
ジャパネット、ジャパネットたかたの贈る夢のクルーズ九泊十日
途中まで一緒に帰るこの人もこの人もたばこをやめた人
皿だったそれが買われてきた日のことを二人で思い出、してから捨てた
自販機はみな道の面を向いて立ちわたしの帰路を照らしてやまず
タクシーを待つ列とバスを待つ列と誰かが迎えに来る人々と
もう誰も引き継がれない企画書を食べさせてひねもす裁断機
街灯の根元に犬は繋がれておとなしく照らされている犬
二十八日毎やってくる認定日 行きは歩いて 帰りはバスで
ロッカーに着ていた服を入れるとき出すとき触れている冬の重さ

1首目、宅配便を受け取ってから出かける。1時間、得した感じか。
2首目、テレビなどに流れる通販のCM。船旅まで売っているのか。
3首目、周りが次々と禁煙していく寂しさ。元・喫煙者ばかりだ。
4首目、皿を割ってしまったのだろう。もう皿ではなく「それ」だ。
5首目、道に背を向けて立つ自販機はない。道を照らす街灯みたい。
6首目、電車を降りた人々が自然と3つに分かれていくのが面白い。
7首目、退職する際に自分の作成した企画書を自分で廃棄する辛さ。
8首目、街灯に繋がれたために、ずっと照らされ続けるしかない犬。
9首目、失業保険の認定日。無事に終って帰りは少し気が楽になる。
10首目、更衣室のロッカーの中の冷えている感じ。「重さ」がいい。

2025年12月24日、角川書店、2200円。

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2026年02月10日

齋藤芳生歌集『牡丹と刺繍』

http://gendaitanka.jp/book/kashu/129/

357首を収めた第4歌集。
塾講師の仕事やコロナ禍の歌、ガザを詠んだ歌が印象に残った。

点灯夫とう生業ひとつゆらゆらと消滅したるのちの世を生く
あっという間にZoomの授業に慣れてしまいZoomの授業でも私語をする
あんなことこんなことにもふたをして無花果を煮ておれば澄む秋
百均の扇子二ヵ月でこわれたり扇子こわれてふく秋の風
箱買いの赤ボールペンを使い切るあっという間を生業とする
「光風動春」あの子この子の太き文字はねる書き初め展を見にゆく
幼子は歩みくるなり春の日をこぼさぬように掌にのせ
テストはじめ、と告げて静まる教室にふり出だす雨の音を聞きたり
刺してゆく×××××××ひと針が薔薇のひとひら、ひと針が恋
小さき蛾の翅ははたたくにんげんの世界に打ち当たり打ち当たり

1首目、電灯が普及する前の話。世の中から消えていく仕事も多い。
2首目、コロナ禍のオンライン授業。教室でなくても私語が始まる。
3首目、三句の「ふたをして」が上句と下句をうまくつないでいる。
4首目、いかにも百均の商品という感じだが無事に夏は乗り切った。
5首目、採点などに使うので大量に必要になる。「箱買い」がいい。
6首目、日常生活では見かけない言葉。それだけに印象に強く残る。
7首目、よちよち歩きの感じがよく出ている。その時期だけの輝き。
8首目、ざわめいていた教室が一瞬で静まり返る変化がよく伝わる。
9首目、刺繍の縫い目を×で表したのが面白い。針に思いを込めて。
10首目、窓ガラスにぶつかってもがく蛾。自然にはない人工物だ。

2025年12月26日、現代短歌社、2700円。

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2026年02月03日

大口玲子歌集『スルスムコルダ』


第8歌集。「短歌日記」シリーズの15冊目。
2024年1月1日から12月31日までの366首が収められている。

タイトルは「心を高く上げよ」という意味のラテン語とのこと。

霜踏んでひとり行くらむ それぞれの冬野があれば子に付き添はず
相席ですするちゃんぽん 咲き揃ふ五島の椿のニュースがしみる
人生のところどころに灯りたるカステラの福砂屋の包装紙
よろこびを走つて伝へに行くといふことのよろこび花降る朝に
新しい人となるべく食べてゐる新じやが新玉ねぎ春ごばう
息子といふ遊び相手も居なくなり佐土原のくぢらのぼり見にゆく
オリーブの実とは異なるきらめきのオリーブオイルをくるりとかけて
東京のホテルにすくふ白粥の白に消えたり岩塩の白
満月は明日と思ひて仰ぎたり祈りは祈る者を変へゆく
権力と無縁に咲けるコスモスを見るため人はお金を払ふ
行き交へるシスター若きはポシェットのやうにスマホを斜め掛けして
幾たびも息子はわれを驚かせ驚かせいつか離れてゆかむ

1首目、高校受験のために遠くまで行く息子。心配ではあるけれど。
2首目、長崎の町で五島列島を思う。店のテレビが告げる満開の椿。
3首目、贈答品としてもらうカステラ。明るい包装紙に記憶が甦る。
4首目、伝える相手もきっと喜んでくれる。人生に何回もないこと。
5首目、春の野菜の生命力を身体に取り入れて生まれ変わった気分。
6首目、鯉のぼりの鯨版。子が家を出て一人の時間が増えた寂しさ。
7首目、サラダの皿などにかけている。金色の光のようなきらめき。
8首目「白」を3回繰り返したのがおもしろい。映像が目に浮かぶ。
9首目、下句に箴言のような重みがある。祈りの本質と言っていい。
10首目、風に揺れる無力なコスモス。でもそれゆえの魅力もある。
11首目、シスターにスマホは不似合いだが現代の若者には必需品。
12首目、驚かされたり悩まされたりしているうちが花なのだろう。

2025年12月25日、ふらんす堂、2500円。

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2026年01月31日

淀美佑子歌集『ツガイムスビ』


笠間書院の新しいレーベル「KAIKA」から刊行された中部短歌会所属の作者の第1歌集。タイトルの「ツガイムスビ」(番い結び)とは蝶結びなど左右が対となるような結び方のこと。

女子校の教室せまし頑(かたく)なにルーズソックス拒みしわれに
学校をサボって行ったキュビズム展もっと壊れた絵を観たかった
熱帯びたカップの持ち手なぞる指わたしの耳もおんなじにして
地上では呼吸できないひとばかり集うスタヂオ地下一階に
泡となることもできない海にいた 春から一番遠い季節の
バタイユの頁(ページ)をめくる指先が今はわたしをめくってひらく
前戯かもしれないふたり銀幕の薄闇のなか膝を並べて
豆苗(とうみょう)に生まれたかった水だけの小さな箱に青々として
若草とリトル・ウィメンが訳された国に生まれて紅葉となりぬ
富裕層をパフェのてっぺんだとすればコーンフレークあたりに暮らす

1首目、誰もかれもがルーズソックスを履くという同調圧力の強さ。
2首目、理論に基づくものではなく本能的なものを求める破壊衝動。
3首目、喫茶店で相手の仕種を眺めるうち触れてほしい思いが募る。
4首目、仲間と音楽を奏でる。地上の社会とは異なる地下の世界だ。
5首目、人魚姫の話を踏まえた歌。愛されることのない身を悲しむ。
6首目、哲学書を読むときの相手の姿と性愛を行うときの相手の姿。
7首目、二人で映画を観ながらも既にその後の行動を予感している。
8首目、水に浸かって満ち足りた様子の豆苗を見て自身を振り返る。
9首目『若草物語』という邦題には女性という観点が欠落している。
10首目、下句の言い回しがユニーク。パフェの中にも階層がある。

2025年11月20日、笠間書院、1800円。

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2026年01月25日

今井聡歌集『にんげんのかたち』


2023年夏から2年ほどの作品を収めた第2歌集。
奥村晃作の歌を論じた『ただごと歌百十首』の著者ならではの歌がならぶ。
https://matsutanka.seesaa.net/article/503048938.html

ぶらさがり可能とみればぶらさがる 子らは健康器具の売り場で
行け行けと歩道の鳩を追ひたてて児らあり鳩にまじりながらに
われの血をとらんとしたる針先のすいと身に入るまでを見てゐつ
ビル街に沈む夕陽をながめをり給湯室のちさき窓より
羽根付きの餃子の羽根のひらひらと余禄のやうな今宵なりけり
くねくねと川面の波を泳ぎゐる蛇と認むるまでのたまゆら
耳穴の毛まで剃られて店をいづ耳穴にあたらしき風が入る
今井さん結婚はいいもんですよ さうかと応へキムチをつまむ
円熟の小さんの話芸ききゐつつ寝てしまひ夢に小さんはをらず
手のひらは常いい仕事してゐると肉の厚みをたしかめ見入る

1首目、ホームセンターで遊ぶ子供たち。試さないと気が済まない。
2首目、結句がいい。幼児と鳩は遊ぶのにちょうど良い相手なのだ。
3首目、採血の針を刺すまでは見ていてその後は目をそらすのかも。
4首目、仕事中の一こま。「ちさき」がいい。仕事も終わりが近い。
5首目、上句が序詞のように「余禄」を導く。おまけのような時間。
6首目、正体がわかるまでのドキドキ感がよく出ている。蛇は泳ぐ。
7首目、散髪後の町。「あたらしき風」がいい。耳触りが違うのだ。
8首目、後輩などに言われたのだろう。でも相手がいないことには。
9首目、落語を聴く陶酔から眠りへと誘われていく。結句が面白い。
10首目、現代版「ぢつと手を見る」。手にその人の生き方が表れる。

2025年11月10日、六花書林、2300円。

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2026年01月16日

真野少歌集『山葵の花』

 DSC03058.JPG

2011年から2025年までの作品を収めた第2歌集。

嘴太がおにぎりくわえて飛ぶ朝の路を歩めり飯粒よけて
マンションに階層ありて買うときに階層意識を拒むあたわず
セザンヌをみとれるなかに庭師ありつばを握れる帽子がゆがむ
かなかなの声のごとくに正確にベッドの父が夕暮れに泣く
白鷺のおののく脚は水底の石揺すぶりて漁(いさ)りすらしも
丼に盛る「おたぐり」は馬の腹裂きてたぐれる腸(はらわた)を煮る
あるだろうと怖れつつ来し売店に「ひめゆりちんすこう」は並びぬ
身投げするにたぶん手頃な崖があり遊歩道その手前で断たる
〈すてい・ほおむ〉勅語のごとくわれら聞き、欲しがりませんああ勝つまでは
B29に同梱されて二センチのファットマンあり箱には書かず

1首目、生ごみが鴉に荒らされている道を歩いている場面。巻頭歌。
2首目、高層階の方が値段が高い。生活レベルが可視化されている。
3首目、帽子のつばをぎゅっと握りしめ悲しみを堪えているところ。
4首目、夕暮れ症候群。赤ちゃんの黄昏泣きのように本能的なもの。
5首目、岸からは見えない水中の白鷺の脚の動きを思い描いている。
6首目、長野県の名物。食べたことはあるが、語源は知らなかった。
7首目、沖縄の平和祈念公園。商品名に使われている「ひめゆり」。
8首目、遊歩道は続いているが安全のため封鎖されているのだろう。
9首目、耳慣れない言葉によって戦時中と同様に我慢を強いられる。
10首目、プラモデルのB29。「二センチ」が的確。本物は3.25m。

2025年12月25日、不識書院、3000円。

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2026年01月08日

小島なお歌集『卵降る』


2021年から2025年までの作品を収めた第4歌集。

言葉が殻を破ったような迫力のある歌が多い。結婚生活が詠まれる一方で、ひりひりするような痛みと重苦しさも感じる。

風の日は橋がひかるよ地上からすこし浮かんでひとを思えり
夏草は身体の外で鳴りながら楽器のように受け身でいたい
泣くひとを見てるしかないドトールで白い絵の具に塗り潰される
声は変わり、心も変わる。柑橘を嗅いでからだを変わってもいい
夢に字幕があればいいのに「来て」という文字のうしろに花びらは散り
火鍋用鍋の左右で茹でる蕎麦胃袋ふたつ光らせながら
身体じゅうの穴を眠気が掘りすすむ生前に花を手向けてもいい
眠りいる目鼻を指でたどりゆく夜更け、城跡、靴を燃やして
吊り革に手首を嵌めて目をつむる供花のようには眠くなくとも
斬首ののち残る視界に立っているみずからの脚 草のあわいに
移し替えるときにこぼれる骨の粉喪服に息を吹きかけて消す
まばたきに何度でも押し潰される自室に夜のベランダがある

1首目、橋の上には地上とは少し違った世界がある。明るい相聞歌。
2首目、自ら鳴ることはなくて人の手に鳴らされる存在である楽器。
3首目、声を掛けることさえできず壁の一部になったような気分か。
4首目、身体だけは一生変わらない。別の身体に乗り換えられたら。
5首目、初二句の発想に惹かれる。夢では聴き取れない言葉も多い。
6首目、茹で上がったら食べようという欲望が胃袋を光らせている。
7首目、麻酔が効いていくところか。生者にこそ花が必要なのかも。
8首目、夫の寝顔に触れながら城跡を旅するような寂しさを感じる。
9首目、乗り物に乗っているだけだがまるで吊るされているみたい。
10首目、斬り落とされた首が見ている自分の脚。鮮烈なイメージ。
11首目、祖母の収骨の場面。この世から消えてしまったとの思い。
12首目、逃げ場のないような息苦しさがある。下句も不吉な感じ。

2025年12月9日、左右社、2000円。

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2026年01月05日

良真実『みんなの近代短歌』


15名の近代歌人の30首(または50首)選+鑑賞に解説(「略歌歴」「歌人としての魅力」「ブックガイド」)を付したアンソロジー。

収録されているのは、石川啄木、島木赤彦、三ヶ島葭子、若山牧水、岡本かの子、与謝野晶子、北原白秋、今井邦子、前田夕暮、斎藤茂吉、釈迢空、片山広子、吉井勇、窪田空穂、土屋文明。

特徴の一つは女性歌人の割合が多いことだろう。5名/15名という比率は、例えば小高賢編『近代短歌の鑑賞77』の13名/77名に比べてかなり高くなっている。

もう一つは生年順ではなく没年順に歌人を並べている点である。石川啄木と吉井勇は同じ1886(明治19)年生まれだが、没年は1912(明治45)年と1960(昭和35年)で大きく違う。現代との時間的な隔たりを示すのに、この没年順というのは良いアイデアだと思う。

近代短歌は文語で書かれている。ただしこの文語は、当時の書き言葉の一種で、現代語と考えられていた。近代においては、官公庁の文書や新聞、翻訳などは文語で書かれることが多かった。(はじめに)
近代の歌集は、最近の歌集とは構造が異なる。歌数が多く、一首屹立をそこまで目指していない。だからといって近代短歌が劣っているわけではない。ただ、おもしろく読むためには少しだけ慣れが必要なだけだ。(おわりに)

こうした指摘も、近代短歌について考える上で大事な点だと思う。

深草(ふかくさ)の青きがなかに立つ馬の肥えたる脚に汗の湧く見ゆ/若山牧水『独り歌へる』
くれなゐはひとしけれども日光に比べて重き柿の葉の落つ
/与謝野晶子『流星の道』
山なかに 家二つありて、字(アザ)をなす。かく音もなく 人は住みけり/釈迢空『遠やまひこ』
菊の影大きく映る日の縁に猫がゆめみる人になりしゆめ
/片山広子『翡翠』
草食ひて山羊が乳出すことわりに春草(はるくさ)の中に吾太りゆく/土屋文明『山下水』

鑑賞文は一首あたり2〜3行と短くてもう少し分量が欲しい気もするが、「句跨がりは近代短歌においては忌避されていた」「この「なり」は終止形に接続しているが、伝聞の意味が解明される以前の用例であるので、詠嘆の意味で使われている」「動と静の切り替わる数秒に着目するとき、写生の短歌はおもしろくなる」など、的確で鋭い指摘が多い。

2025年11月6日、草思社、2200円。

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2026年01月03日

坪内稔典『正岡子規の百首』


「歌人入門」シリーズの15冊目。

子規が「歌よみに与ふる書」を書いて短歌の革新に着手したのは明治三一年から。同三二年、同三三年の三年間、彼は歌人だった。しかも、正岡子規ではなく、歌人としての彼は「竹の里人」であった。

こうした観点に立って初期の歌は省き、明治30年以降の歌が取り上げられている。子規の研究者であった著者の分析はさすがに鋭い。

子規の志向の芯には保守的なものがあった。それは新聞「日本」の保守主義とかなり一致していた。
この歌の詠まれた当時、公園も氷店も新しい素材だった。子規は明治の新しい日常を詠んだのである。
子規の写生とはこの歌のように想像であっても目に見える風景をくっきりと描くことであり、現実を実際に写すことだけではなかった。
このシンプルと具体性は短歌や俳句のような小詩形の大事な要素だろう。名歌とか名句はたいていがシンプルで具体的だ。

この本の大きな特徴として、子規の境涯や人生に基づいた従来の読みから離れようとしていることが挙げられる。「子規という作者を文脈に入れて読む茂吉流を私としてはやめたい」「病人の子規の深い心を読む読み方が広がっているが、その読みから離れてもいいのではないか」とある通りだ。

解説「三年間の歌人」の中で著者は、短歌と俳句の違いを述べ、短歌が「作者が中心の文芸」であるのに対して、俳句は「五七五の表現がいかにすてきかを競う文芸」だと書いている。

そういう意味で本書は、短歌的な鑑賞ではなく俳句的な鑑賞の本と言っていいだろう。それは子規没後の近代短歌が失ったものを考えるヒントにもなる。

とは言え、正直なところ、歌人の書いた「正岡子規の百首」が読みたかったとも思う。

2025年11月27日、ふらんす堂、1700円。

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2025年12月26日

『について』について

第6歌集『について』について雑誌やブログ等で書評や一首評などをいただいております。ありがとうございます!

【書評】
・恒成美代子「暦日夕焼け通信」(2025年5月30日)
 http://rekijitsu.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/index.html
・山名聡美「note」(2025年8月18日)
 https://note.com/satomiyamana/n/n291d26c094b5

・門脇篤史「選択肢のひとつ」(「現代短歌新聞」2025年8月号)
・山本まとも「土地の記憶へ」(「短歌研究」2025年9・10月号)
・門脇篤史「今月の歌」(「未来」2025年9月号)

・工藤吉生「存在しない何かへの憧れ」(2025年9月22日)
 http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52337883.html
・N学短歌plus「『について』を読む会」(2025年10月1日)
https://www.youtube.com/watch?v=YzHXpuKlueE

・大西淳子「みそひと書房」(「NHK短歌」2025年11月号)
・大西淳子「マイ・セレクト」(2025年11月1日)
 https://www7b.biglobe.ne.jp/~juntan/posts/blog46.html

・田村元「立ち止まらせる歌」(「短歌往来」2025年11月号)
・寺阪誠記「書評」(「角川短歌」2025年11月号)
・小原奈実「知的主体の孤独」(「うた新聞」2025年11月号)
・大松達知「いかたこ・きつねたぬき」(「現代短歌」112号)
・永井駿「見る、そのあとの」(「塔」2025年12月号)
・石畑由紀子「命と記憶をみつめて」(「歌壇」2026年1月号)

【一首評】
・俵万智「新々句歌歳時記」(「週刊新潮」2025年7月3日号)
  「お父さん」ではなく「お義父さん」だろう電車にすわる男女の
  会話
・長谷川櫂「四季」(「読売新聞」2025年8月25日)
  黒蟻に集(たか)られているクワガタのどんな結末もわれは諾う

・東直子「短歌の杜」(「婦人画報」2025年10月号)
  沿わせつつ刃を動かせば親指はすでにあじわう梨の甘みを
 https://www.fujingaho.jp/culture/column-essay/a68029254/higashinaoko-250928/

・小田桐夕「波と手紙」(2025年9月15日)
  雨の日に長く線路を見つめてはいけない 死後も濡れているから
 https://odagiri-yu.hatenablog.jp/entry/railway

・内山晶太「日々のクオリア」(2025年10月1日)
  生きている時間の方がみじかくて冬川跨ぐ橋をわたりぬ
 https://sunagoya.com/tanka/?p=35860

・小田桐夕「波と手紙」(2025年11月28日)
  去る人と残る人いるテーブルの次の頁でわれは去るひと
 https://odagiri-yu.hatenablog.jp/entry/page

歌集『について』は版元の現代短歌社で販売中です。
(メール・電話・オンラインショップから購入できます)
 http://gendaitanka.jp/book/kashu/123/

また、私のBOOTHでも「送料無料・サイン入り」で購入できます。
 https://masanao-m.booth.pm/

他にも葉ね文庫やAmazonなどで販売しておりますので、みなさんぜひお読みください!

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2025年12月22日

日高堯子歌集『日在浜』

著者 : 日高堯子
角川文化振興財団
発売日 : 2025-11-07

2021年から2024年の作品を収めた第11歌集。

隠された詩人の恋と詩の間(あひ)を皮膚はがすごと読みふけるなり
昼食に柿の実ひとつ食べる猿 新宿のどこに柿なりゐしか
黒日傘ひらいてあらくさ道をゆく この世を戦車と夏蝶がゆく
海ぞひのそら豆畑は花ざかり黒目あざやかに風ひるがへす
口あけて食べさせてもらふ切なさに身をよぢりつつ父は生きしよ
まつしろい夢みてをらむ地に落ちてまだよごれざるこの白椿
朝に夕に酢とヨーグルト食べ血液のきれいな新鮮な老女はいかが
近づくほど遠ざかりゆく大吉野うねうねと観光客をのぼらせながら
垂直に海もぐりゆく海女たちの肛門はキュッとしまりてをらむ
ねこやなぎの銀をつけたる二、三本沼辺の女にもらひきし夫

1首目、「皮膚はがすごと」が生々しい。秘密をのぞき見るような。
2首目、新宿に出没した野生の猿。柿に着目したところが印象的だ。
3首目、「戦車と夏蝶」の取り合わせがいい。戦争と平和は紙一重。
4首目、空豆の花びらには黒い斑紋がある。映像が鮮やかに見える。
5首目、介護するのは大変だが、される方がもっと大変なのだろう。
6首目、やがては朽ち果て汚れてしまう花。束の間の夢のひととき。
7首目、「老女」とは自分のこと。ユーモラスな言い回しが楽しい。
8首目、春の吉野を大きな構図で捉えている。圧倒的な山の存在感。
9首目、下句を読むときに海女の体と読者の身体が一瞬重なり合う。
10首目、物語的な面白さを感じる歌。「沼辺の女」は幽霊か何かか。

2025年11月7日、角川文化振興財団、2600円。

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2025年12月18日

『「つながり」がよむ』のつづき

『「つながり」がよむ』に引用されている旧派和歌に関する文章。

実際の世間では、この旧派は、猶非常の勢力を持つて居って、年齢四十位以上の人の理解しうる歌は、これに限つて居る。新派などといふものは何処の国で行はれるものか知らぬ位である。
/尾上柴舟「新派と旧派」(「創作」1910年6月号)
今日に於て歌(世人の云ふ旧派)をよむといふ人は、百中九十九人までは老人であると云ふことも、此の消息の一端を語るものである。何故に今の若き人々は神代ながらの歌をよまぬか、それは云ふまでもなく文化の影響で語格文法やテニヲハが面倒なためと、歌の言葉の理解に苦しむからである。
/大町壮『耳順集』(1930年)

こうした文章を読むと、新派と旧派は短歌観の違いというよりも世代によって分かれていたと言っていいのかもしれない。1910年の時点で40歳、つまり1870年以前(≒江戸時代)生まれの人と、明治以降の生まれの人の差である。

1930年の時点では、その境目は60歳になる。その上の世代は大町が言うように「老人」と言っていい。旧派和歌の組織的な活動は1940年くらいで終焉を迎えるが、それは彼らが70歳を過ぎて精力的な活動ができなくなったこととも関係しているのだろう。

旧派和歌→旧派と新派の並立(1900年〜1940年頃)→新派和歌という流れには、短歌観の変化だけでなく、おそらく世代の更新という側面もあったのではないか。

このあたり、近年の文語短歌と口語短歌の話にも当てはまるのかもしれない。(どうかな?)

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2025年12月17日

松澤俊二『「つながり」がよむ』


副題は「近代和歌・短歌の社会史」。

松澤俊二さんの本はどれも面白い。
・『「よむ」ことの近代』
https://matsutanka.seesaa.net/article/413190947.html
・『プロレタリア短歌』
https://matsutanka.seesaa.net/article/464578041.html

本書は11篇の論文で成り立っている。一つ一つの論文は完結した内容になっているが、全体を貫くテーマは「つながり」である。明治から昭和戦前にかけての和歌・短歌の動きを、「つながり」という観点を踏まえて様々な角度から再検討している。

著者が関心を寄せるのは、「旧派和歌」「戦争期のアンソロジー」「雑誌の投稿歌」「プロレタリア短歌」などである。現在の歌壇や短歌史においては、文学的な価値が低いとして取り上げられることの少ないものばかりだ。

それらの分析を通じて著者は、私たちが当り前だと考えている「自己表現」「個性」「文学」といった短歌観が相対化していく。個人ではなく共同体に軸を置いて見ることで、短歌には文学的価値だけでない広がりや豊かさがあることを教えてくれるのだ。

落合は「歌学」誌において、現代の言葉でいえばファシリテーター(facilitator)役を務めていたのだと思い至る。その役割は、人びとの意見を引き出し、整理して、議論の場を活性化させることである。自身が積極的に見解を述べ、場を主導することを目的とはしない。
とりわけ注目したいのは、アンソロジーが戦死者を悼む機能を持っていたこと、また近しい人びとを失った悲痛の情を遺族・知友が告白する場でもあったことである。そして、そうした悲嘆を他者と分かち合う場でもあったことだ。
プロレタリア短歌が類型的で拙劣なものと見なされてきたのは、短歌作品の魅力や価値を決定するのが「個性」であるという認識が、評者たちには自明だったからではないか。
これまで「新派」中心の「近代短歌史」はすでに多く著されている。しかし、「旧派」と名指しされた人びとの歌と活動実態の解明はまだまだこれからの課題である。そしていつか両者を総合させた「近代和歌・短歌史」が記される必要があるのだろう。

私たちの知っている和歌・短歌史は、いわば勝ち組の短歌史である。「新派和歌〜近代短歌〜現代短歌」という一直線の記述から、旧派和歌の歌人たちは完全に排除されている。でも、それは本当の歴史の姿ではない。

本書を読んで一番に感じたのは、「文学としての短歌」以外にも短歌には多くの側面があるということだ。ざっと思い付くだけでも、「コミュニケーションとしての短歌」「グリーフケアとしての短歌」「セルフカウンセリングとしての短歌」「言葉遊びとしての短歌」など。そこに、現代における短歌の新たな役割や意義を見出すこともできるだろう。

短歌をやっていると、歌の感想をもらったり、歌会に参加したり、結社に入ったり、同人誌を出したり、自然と「つながり」が生まれてくる。これは、短歌という(ある意味で)不完全な詩型がもたらす効用なのかもしれない。

2025年10月10日、明治書院、7500円。

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2025年12月06日

一ノ関忠人歌集『欅、その他』

2021年から2024年までの作品を収めた第6歌集。

納豆のねばねばはいのちのねばねばと糸引納豆いく度も練る
和菓子屋のショーケースにはさくら餅はやくも並ぶ春のさきぶれ
東西南北四方に桃の花咲く村まぼろしの如おもひみてをり
静岡鉄道(しづてつ)の沿線のさくらのかがやきを黄色い電車に運ばれてゆく
コンビニのおにぎり二つを喰ひ終へて横須賀軍港雲一つなし
行き過ぎて柊の白き花の匂ひ十一月半ば冬の香りす
わが時の流れに石川さゆりの歌がありその時どきのうたをつぶやく
六十色の色使ひ分け葉のいのち写したるとき絵がうごきだす
若水は南アルプスの天然水、塩は奥能登の真塩にて、米は山形のつや姫供ふ
珈琲に練乳(ミルク)を足して今朝は飲むミルク注いで心揺れたり

1首目、ねばねばは身体に良いと聞くので念入りに練っているのだ。
2首目、和菓子は季節を先取りする。花より早く販売が始まる桜餅。
3首目、小中英之の名歌「ぼあーんぼあーん」を踏まえた歌だろう。
4首目、車体の黄色と桜の色の取り合わせが春らしい気分を伝える。
5首目、上句下句に関係はないのだが食べて消えてしまったみたい。
6首目、通り過ぎてから香りに気づく。柊の字のなかにも冬がある。
7首目、50年以上も活躍するのでその時々の思い出と重なるのだ。
8首目、60色の色鉛筆を使って丁寧に描いていくと絵に命が宿る。
9首目、新年の神棚に供えるもの。ペットボトルの水なのが現代的。
10首目、ふだんは入れないのだろう。ミルクの揺れが心を揺らす。

2025年10月3日、現代短歌社、3000円。

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2025年12月01日

岩岡詩帆歌集『蔦の抒べ方』


「未来」所属の作者の第1歌集。
2012年以降の作品357首を収めている。

落ち角のやうなる枝をひとつ越ゆ不在は冬の森にあかるし
春の夜の闇やはらかくみづからの重みに従(つ)きて扉(と)は閉ぢゆけり
黒揚羽あふられゆける八月の、光にかげとルビを打ちたり
地球儀の冷えはじめたる秋の陸(くが) 子規に短き従軍ありき
洗ひゆく香魚はうすき血を持てり血はゆるやかにみづにほどけて
ひと夜さに試験範囲の中世を子は駆けゆけり砂塵をたてて
透けながらそびら合はせて文字はあり春のひかりに頁を繰れば
とほき世に蹴られし鞠も越えて来よ山吹咲きてあかるめる垣
銃眼の隠れてひとつあることも揺れさだまらぬ万緑のなか
すずかけの落葉つづけり気送管くぐる封書のごとくしづけく
日盛りの茄子を洗へばきうきうといるかの背(せな)もかくにかあらむ
返信を待つ間めぐりのひそけさにパンは音吸ふものと思ふも

1首目、生きものの気配があまりない冬の森のひっそりとした様子。
2首目、自重によってゆっくりと閉じる扉の感触と春の夜の空気感。
3首目、光と影が入れ替わり明滅するようにはばたいて飛ぶ黒揚羽。
4首目、子規の人生の転機となった従軍と帰りの船での喀血を思う。
5首目、香魚は鮎。結句「ほどけて」がいい。「流れて」ではなく。
6首目、一夜漬けで世界史の試験勉強をしている子。結句がうまい。
7首目、背中合わせに透けて見える文字。実に繊細な感覚だと思う。
8首目、平安貴族の遊んだ蹴鞠の鞠が時空を超えて垣の向こうから。
9首目、風に揺れる木々の緑の中にまぼろしの銃眼を思い浮かべる。
10首目、比喩が印象的。エアシューターを通って地面に落ちる葉。
11首目、色合いとつやつやした質感の類似。オノマトペが効果的。
12首目、食パンの白い部分に音が吸収されていくようなイメージ。

季節を感じさせる歌が多い。

2025年8月12日、本阿弥書店、2700円。

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2025年11月27日

川本千栄『土屋文明の百首』


「歌人入門」シリーズ14冊目。副題は「近現代短歌を生きた百年」。

読んでまず思ったのは選歌がいいこと。よく引かれる有名歌、代表歌だけでなく、あまり知られていないけれど印象的な歌を多く取り上げている。

夕ぐるるちまた行く人もの言はずもの言はぬ顔にまなこ光れり
/『ふゆくさ』
休暇となり帰らずに居る下宿部屋思はぬところに夕影のさす
/『往還集』
庭石のかわきて荒るる園みれば物のほろぶる人よりもはやし
/『六月風』
鳥籠に寄り立つ人の父を見る万(まん)の戦死者の親かくありや
/『山下水』
なほ一人の土屋が山に残り居て落葉の坂を行くかともまどふ
/『青南集』
牛の子の如くにからびしくそつけて臥(こ)やる一日は侘しかりけり
/『続青南集』
いつの間に時は行くのかなびき合ふすすきの原にこゑはのこりて
/『青南後集以後』

もう一つの特徴は、すべての歌に口語訳が付いていることである。これは、このシリーズでも初めてのことではないか。

25字×10行という短い鑑賞文のなかの2〜3行を使って口語訳を示すというのは、かなり思い切った決断だ。以前のように「短歌」=「文語」の時代であれば、おそらく不要だったものだろう。

でも、今はそうではない。口語で短歌を詠む人の増えた現在、口語訳の持つ意義は大きい。古語の意味や助詞・助動詞の意味がきちんと示され、句切れの位置も明らかになる。

また、川本の口語訳は単なる逐語訳ではない。歌の読みや解釈のために必要に応じて言葉を補っている。

出勤時(しゆつきんどき)の鋪道(いししきみち)に落ち散りて人はみざらむ百合の樹の花

例えば、この歌の口語訳の冒頭には「百合の樹の高い所に花が咲いている。」という一文を加えている。それによって、慌ただしく歩く人々が見ないのは舗装路に落ちた花だけでなく、頭上に咲いている花でもあるという解釈を提示しているのだ。

巻末の解説で文明の歌集を五期に区分してそれぞれの特徴を論じているところなども含め、読み応えのある一冊となっている。

2025年10月13日、ふらんす堂、1700円。

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2025年11月22日

本条恵歌集『星とアスパラ』

著者 : 本条恵
短歌研究社
発売日 : 2025-09-29

「未来」所属の作者の第1歌集。

塩水にリンゴウサギは浸される ワニを騙した報いのように
太陽じゃないとうすうす気づいてるような形に伸びる豆苗
水槽の反射が頭上にゆらめいて生物室はいつも眠たい
一筋の道の向こうは月曜が燃やせるゴミの日じゃない世界
死ばかりを見せてごめんね薄布で軽く拭って真珠を仕舞う
  奇石博物館にて
自らの名に「石」の字があることを学芸員は嬉しげに言う
隣家には隣家のためのお母さん二十三時の掃除機の音
窓側のベッドは差額 二千円の夜景をスマホのカメラに収める
蛇行しているのは川か我々か 空知川こえまた空知川
他をすべて「はずれ」にしてやろうなんて星形のピノは思っていない

1首目、変色防止のために浸した姿から因幡の白兎へと連想が飛ぶ。
2首目、台所の照明の下でひょろひょろと伸びて再利用される豆苗。
3首目、上句の描写がいい。高校時代の気怠い感じがよく出ている。
4首目、地域によって収集日が異なる。「世界」と言ったのがいい。
5首目、葬儀や法事の時にだけ身に着ける真珠のネックレスのこと。
6首目、きっと石のことが好きで好きでたまらない人なのだろうな。
7首目、一家に一人「お母さん」をする人物が配属されている感じ。
8首目、四人部屋の窓側は割増料金。それでも入院中の心がなごむ。
9首目、空知川に沿って走る根室本線。列車で旅する体感が伝わる。
10首目、星形を「あたり」と思うと通常の形は「はずれ」になる。

2025年9月29日、短歌研究社、2300円。

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2025年11月18日

田宮朋子歌集『光に濡れる』


2015年から2024年までの作品503首を収めた第5歌集。

あかつきの雪野のふかき靄のなかヘッドライトが道なりに来る
まみどりの薹菜たつぷり食べる春血のくれなゐが濃くなるといふ
大雪に半ば埋もるる墓群の墓のひとつに「南無」の文字見ゆ
八月に生まれて逝きし二人子の足はこの世の土踏まざりき
寺泊遊郭跡は畑となり蟬声のなかをみなへし咲く
光とも影ともみえて窓の外ほたりほたりと牡丹雪降る
子をもたぬわれに末期の母言ひきおまへのときは迎へてあげる
凸凹の圧雪の道ハンドルの遊びにゆだねゆるゆると行く
「おのれこそおのれのよるべ」十五の春聞きにし父のこゑをわすれず
糸魚川産の翡翠は海わたり新羅の王の冠をかざりき
遠花火見ながら夫と歩く道いづれか生きて思ひ出とせむ
あこがれは猫にもあらむ秋陽さす網戸に鼻をつけて風吸ふ

1首目、ぼんやりしたヘッドライトの光の動きで道が浮かび上がる。
2首目、色のイメージが鮮やか。人々の暮らしの中での言い伝えだ。
3首目、「南無阿弥陀仏」の上の部分がわずかに雪の上に出ている。
4首目、生後三日で亡くなった子。何十年経っても消えない悲しみ。
5首目、「をみなへし」は漢字で書くと女郎花。遊女の姿が浮かぶ。
6首目、モノクロの影絵のような世界。初二句がいかにも牡丹雪だ。
7首目、母の言葉に優しさと凄みを感じる。一人で死ぬのは寂しい。
8首目、ハンドルを握る手に力を入れ過ぎると、かえってよくない。
9首目、住職であった父。後に生きる上での支えとなったのだろう。
10首目、日本海側と朝鮮半島の古代からの行き来を感じさせる歌。
11首目、後に残された一人にとって良い思い出になるだろう場面。
12首目、外の世界を黙って眺めている猫の姿。描写が実に丁寧だ。

2025年9月27日、角川文化振興財団、2600円。

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2025年11月17日

『について』について

第6歌集『について』について雑誌やブログ等で多くの書評や一首評などをいただいております。ありがとうございます!

【書評】
・恒成美代子「暦日夕焼け通信」(2025年5月30日)
 http://rekijitsu.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/index.html

・山名聡美「note」(2025年8月18日)
 https://note.com/satomiyamana/n/n291d26c094b5

・門脇篤史「選択肢のひとつ」(「現代短歌新聞」2025年8月号)
・山本まとも「土地の記憶へ」(「短歌研究」2025年9・10月号)
・門脇篤史「今月の歌」(「未来」2025年9月号)

・工藤吉生「存在しない何かへの憧れ」(2025年9月22日)
 http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52337883.html

・大西淳子「みそひと書房」(「NHK短歌」2025年11月号)
・大西淳子「マイ・セレクト」(2025年11月1日)
 https://www7b.biglobe.ne.jp/~juntan/posts/blog46.html

・田村元「立ち止まらせる歌」(「短歌往来」2025年11月号)
・寺阪誠記「書評」(「角川短歌」2025年11月号)
・小原奈実「知的主体の孤独」(「うた新聞」2025年11月号)
・大松達知「いかたこ・きつねたぬき」(「現代短歌」112号)

【一首評】
・俵万智「新々句歌歳時記」(「週刊新潮」2025年7月3日号)
  「お父さん」ではなく「お義父さん」だろう電車にすわる男女の
  会話
・長谷川櫂「四季」(「読売新聞」2025年8月25日)
  黒蟻に集(たか)られているクワガタのどんな結末もわれは諾う

・東直子「短歌の杜」(「婦人画報」2025年10月号)
  沿わせつつ刃を動かせば親指はすでにあじわう梨の甘みを
 https://www.fujingaho.jp/culture/column-essay/a68029254/higashinaoko-250928/

・小田桐夕「波と手紙」(2025年9月15日)
  雨の日に長く線路を見つめてはいけない 死後も濡れているから
 https://odagiri-yu.hatenablog.jp/entry/railway

・内山晶太「日々のクオリア」(2025年10月1日)
  生きている時間の方がみじかくて冬川跨ぐ橋をわたりぬ
 https://sunagoya.com/tanka/?p=35860

歌集『について』は版元の現代短歌社で販売中です。
(メール・電話・オンラインショップから購入できます)
 http://gendaitanka.jp/book/kashu/123/

また、私のBOOTHでも「送料無料・サイン入り」で購入できます。
https://masanao-m.booth.pm/

他にも葉ね文庫やAmazonなどで販売しておりますので、どうぞよろしくお願いします!

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2025年11月15日

なべとびすこ歌集『デデバグ』


第1歌集。

飲む前の水は重たい手荷物で飲んだ途端に自分に変わる
ふるさとを離れた人がふるさとを語るテレビをふるさとで見る
ゴミ袋ちょっと濡れてる 枯れた日と捨てた日どっちが命日だろう
信号を無視するときこそ信号を最も強く意識しながら
中間を取れば三ノ宮になっていつも誰かと会うための街
僕よりも僕のために怒ってくれて花束だった 花束だったな、
「じゃあまた」の「また」のころには春だろう 風をリュックにしまって歩く
「音楽もぜんぜん聴けんくなった」って言われてほうじ茶ラテが揺れてる
灯籠は下流で回収されるらしいそれでも君が灯した光
19時まで店員だった店員が私服になって帰っていった

1首目、ペットボトルの水は飲んでしまえばもう重さがなくなる。
2首目、ふるさとに住み続ける作者は複雑な気分で聞くのだろう。
3首目、花瓶の花を捨てる場面。上句の細かな描写が効いている。
4首目、無視することでかえって強く意識する。信号だけでなく。
5首目、大阪と姫路付近の人が会う場合。それ以外では行かない。
6首目、その場面を何度も思い返しては嬉しさを噛み締めている。
7首目、上句が鮮やか。次に会うときにはもう季節が変っている。
8首目、仕事などで余裕がない相手。何と声を掛けたらいいのか。
9首目、海へ行くことはない灯籠だが祈りの気持ちは本物である。
10首目、制服のときとは違う印象の私服姿。もう店員ではない。

連作としては、結婚して東京に転居した先輩を詠んだ「クジラのなまえ」18首が特に良かった。

2025年10月13日、左右社、1800円。

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2025年11月11日

雲嶋聆歌集『紫陽花に祈ふ』

著者 : 雲嶋聆
短歌研究社
発売日 : 2025-09-30

「中部短歌会」所属の作者の第1歌集。
タイトルの「祈ふ」は「こふ」。

飛車の威を借る歩か我も年上の部下の仕事にダメ出しをして
かの日蜘蛛に喰はれし蝶の叫喚の嫋嫋たるをわがうちに聴く
どこまでも、どこまでも、空。 〈縊死〉ののち翅を持ち始むる蟻の群れ
泥濘になほ白かりきたんぽぽも紋白蝶の産卵管も
はよしりん、やぐい子だねえ。センセイの親指がおしつける名札(おなまえ)
         注 やぐい:三河弁で「どんくさい」。
昼休み 愛想笑ひの絆もて同僚と行く〈ラーメン二郎〉
彼岸へのモールスめきて蛍火は明滅しつつのぼりゆきけり
#呟いてみた 「生きたい」と「死にたい」がぶつかる交差点
特攻を生き延びし祖父七十年のちのベッドに横たはりをり
母の死の後をひつそり生きてゐる秋の日差しを眩しみながら

1首目、「虎の威を借る狐」のもじり。会社内での上下関係の様子。
2首目、細く長く聞こえる叫び。声にならない悲鳴が心の中にある。
3首目、岸上大作を詠んだ一連の歌。羽蟻の飛翔のイメージが鮮明。
4首目、泥に塗れたものたち。白さゆえに一層痛ましく感じられる。
5首目、滋賀から愛知へと転居していじめられた経験。先生もまた。
6首目、「愛想笑ひの絆」が秀逸。自分だけでなく相手も愛想笑い。
7首目、蛍の光を死後の世界への通信として見ているのが印象的だ。
8首目、ハッシュタグを用いた一連。生きたいと死にたいは紙一重。
9首目、1945年と2015年。祖父が生き延びたから今自分がいる。
10首目、親を亡くした後の茫漠とした喪失感が深く滲み出ている。

2025年9月25日、短歌研究社、1800円。

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2025年11月07日

馬場昭徳歌集『父さんの帽子』

 DSC02945.JPG

400首を収めた第6歌集。

新聞の訃報欄などなきときの八月の死者 犇き合ひて
樟の木の影過ぎりつつゆつくりと物言ふ人でありたしわれは
山頂にわが立ちをれば長き風短き風が吹き抜けてゆく
人間の喜怒哀楽のその中の哀しさだけが鮮度を保つ
鍋に煮つつ何か加へてにんまりとして見せたりし妻の横顔
投票率三十八パーセントの海に沈みてゆきしわれの一票
七十四歳の人がテレビに映りゐてああこれが七十四歳かと思ふ
冷蔵庫に砂糖容器を入れむとし人生のこと深く思へり
あらがねの土煙立ち戦争は人の命を国有化する
採血のしやすきことを褒められてわが前腕に静脈は浮く

1首目、作者は長崎市生まれ。原爆で亡くなった人々のことを思う。
2首目、樟の木のようにどっしり構えてとは思うがなかなか難しい。
3首目、「長き風」「短き風」が面白い。風の長さが見えるみたい。
4首目、他の感情と違って時間とともにあまり薄れゆくことがない。
5首目、ただの料理の場面だが、こんなふうに詠むとちょっと怖い。
6首目、投票した候補の落選よりも投票率の低さに気分が落ち込む。
7首目、自分の年齢や姿を客観視するのは難しいが他人だとわかる。
8首目、一体おれは何をしようとしているんだと思って愕然とする。
9首目、三句以下が箴言のように響く。「国有化」をこう使うとは。
10首目、別に何の手柄でもないけれど褒められるとやはり嬉しい。

2025年10月7日、なんぷう堂、1000円。

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2025年11月02日

笹川諒歌集『眠りの市場にて』

著者 : 笹川諒
書肆侃侃房
発売日 : 2025-08-27

「短歌人」所属の作者の第2歌集。

空はいま無言を搾っているところ あとにしよう音楽の話は
もう消えた記憶の成れの果てとしてセイタカアワダチソウ群れて咲く
触れられる形でいえば駅だろう矢印と風を持つひとだった
雨後の街は金魚のにおいばかりする こころの外へ僕を出さねば
音楽のように片手を上げているあなたが何かを修復している
やわらかな冬のひかりよ日時計に一人称があればうれしい
春はなおさらあなたの中に教会が二つ見えその小さめの方
あこがれが針のようだと思うときこころから飛ぶまっさらな蜂
ひとすじの光を曳いて去り際のあなたは青いオーボエだった
みずいろのカフェテラスでは風に訊く人形同士の恋の顚末

1首目、無言でいることも時に大切。言葉で何かを壊さないために。
2首目、思い出せない記憶の残骸として黄色に塗りつぶされた風景。
3首目、自由な心と強い意志を持つ人の佇まいが目に浮かんでくる。
4首目、居心地のよい自分の心の中に閉じ籠ってしまわないように。
5首目、演奏しているのか指揮しているのか世界を直しているのか。
6首目、完全に受身の存在である日時計にも自らの意志があるはず。
7首目「春」や「小さめの方」という限定がイメージを強めている。
8首目、自分の心から対象へと向かって真っ直ぐに進んでいく思い。
9首目「青い」が印象的。オーボエの形や音、金属部分の光沢など。
10首目、本人たちに訊くわけにはいかない。風が見守っていた恋。

2025年8月23日、書肆侃侃房、2000円。

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2025年10月25日

瀬戸夏子『をとめよ素晴らしき人生を得よ』


副題は「女人短歌のレジスタンス」。

戦後「女人短歌会」に集った女性歌人たちの人間模様や男性中心の歌壇における苦闘について描いた本。

「大西民子と北沢郁子」「北見志保子と川上小夜子」「中城ふみ子と中井英夫」など全10章+補章2篇、付録として12名の歌人の「一首評+10首選」のアンソロジーという内容になっている。

ふたりで旅行に行ったさい、大西は自分の嵌めていたガーネットの指輪を北沢にプレゼントした。次に銀座でふたりで食事をしたとき、大西の指に同じガーネットの指輪があった。北沢にプレゼントしたあと、同じものを大西はまた買ったのだ。
齋藤とイェイツの共通点は、それぞれが、二・二六事件とイースター蜂起で、複数の親しい友人知人が首謀格となり、処刑されていることだ。社会的な作品であると同時に、私的な悲歌(エレジー)でもある。
本当は女性のみの団体をつくることによってやっと存在を認めてもらえるようなことなどまったく不当であり、そもそも性別による差別などなく歌そのものを見てもらえる世界であるべきだ。しかしそんな理想だけじゃ物事が動かせなかったころ、その世界のいびつさをまともに受けとめてできたのが「女人短歌」だった。

WEB連載が元になっている本だが、文章に勢いがあってぐいぐいと引き込まれる。登場する女性歌人ひとりひとりが生き生きと輝いて感じられる。

これまでアララギ(茂吉・赤彦・文明)、前衛短歌(塚本・岡井・寺山)、ニューウェーブ(荻原・加藤・穂村)など男性中心に描かれることの多かった短歌史は、今後大きく書き換えられていくことになるだろう。

この本が短歌関連の出版社以外の版元から刊行されたのも意義深いことだと思う。短歌の世界にとどまらず、多くの方々に読んでほしい一冊だ。

2025年8月10日、柏書房、1900円。

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2025年10月23日

白川ユウコ歌集『ざざんざ』


2013年から2024年までの作品501首を収めた第3歌集。

引っ越しの荷づくりすれば生活は直方体にはこばれてゆく
針と糸あるところには刺繍あり文字を持たない民族にもある
〈鳥ぎん〉は時が止まった釜めし屋うすいしゃもじでおこげをはがす
頼朝と政子の〈腰掛石〉ふたつあればふたりで腰掛けており
陽がのぼる前のひかりの窓辺にてひとりひらけり新約聖書
水を飲みドライフルーツ少し食み小鳥のように午後を過ごせり
どくだみの香りを嗅ぐと思い出すいつでも雨の大角(おおすみ)医院
六枚組〈啄木絵はがき〉五枚出し蟹の絵柄の一枚のこす
駱駝より駱駝の影はおおきくて砂漠の西に沈む太陽
孫代わりと母に呼ばれる雄猫がわがふくらはぎひょろんと跨ぐ

1首目、生活という形のないものが目に見える直方体の集積になる。
2首目、単に縫うだけでなく刺繍を施すのが人間ならではの部分か。
3首目、下句の描写がいい。昔ながらの店の佇まいがよく出ている。
4首目、伝説でしかないのだがもっともらしく二つ並んでいるのだ。
5首目、「ひ」の音の繰り返しが静謐な朝の空気と心を感じさせる。
6首目、ひとりで過ごす時間。少しのものだけで十分に満たされて。
7首目、子どもの頃の記憶か。常に暗い雨の印象とともにある医院。
8首目、「東海の…」の歌の記された一枚。思い入れがあったのか。
9首目、映像が目に浮かぶ歌。傾いた陽により影が長く伸びている。
10首目、孫を持たない母への複雑な思い。「ひょろんと」がいい。

2025年8月11日、六花書林、2500円。

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2025年10月11日

阿木津英『アララギの釋迢空』


大正4年に島木赤彦と出会って「アララギ」に評論や作品を発表し始めた釈迢空が、大正10年に選者を辞して「アララギ」を去るまでの軌跡を描いた評論集。

民間伝承探訪の旅を重ねた迢空の歌の変化や「アララギ」の写生論による結束の強化など、大正期の短歌や歌壇の動向がよくわかる内容となっている。

そもそも、歌を空想で作るということは、明治という時代にあっては、ごくあたりまえのことだった。明星派はもちろん、子規にどれくらい空想の歌があることか。茂吉のごく初期の歌は、空想の歌ばかりといっていいほどである。
大正期に入ったアララギという磁場のなかにあって、「写生」の手法を獲得しつつ、そこにおさまりきれない歌の動機をもてあましていた迢空も、こうして苦しみつつ、ついに〈体験の束〉としての旅する主体を統合する方向を開いた。
「夜ごゑ」は、画期的にすぐれた一連であった。茂吉・赤彦らの主導するアララギの新しい「写生」歌は、現実世界から「自己」の姿を切り出し、歌を一元的な「自己」の世界で塗りつぶすのだが、そのようなものとはまったく異質の歌を、迢空はここに実現した。

迢空が「アララギ」の写生論におさまりきれないものを抱えてついに訣別に至るまでの流れは、先日読んだ水原秋櫻子と「ホトトギス」の関係にも似ている。

これは人間関係のゴシップではなく、結社の理念と個人の信条・志向の相克として捉えるべき話だと思う。

2021年5月25日、砂子屋書房、3000円。

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2025年10月09日

塚田千束歌集『星夜航路』

著者 : 塚田千束
短歌研究社
発売日 : 2025-08-22

『アスパラと潮騒』(2023年)に続く第2歌集。

光合成、こうごうせいとつぶやいて、枯れた指先ひらいてとじた
石膏のように生きたい踏まれてもなぞられてもただひんやりとして
だれとでも交換可能な丸石になるよう波に洗われていた
不器用なワルツのようにもつれあうただキッチンに行くだけなのに
金木犀 出さない手紙を書くときの永遠の手前みたいな愛しさ
会いたさが突風のようにふきぬけて部屋中の窓をひらいてまわる
すこしこわい いつも怒らずいるひとと豆花(トウファ)のふっくらまろやかな白
院内のローソン暗く廊下暗くひとつあかるきナースステーション
汗の匂いそれぞれちがう頭ありみんなおんなじ風呂に押し込む
うつむいて水面にくちばし触れさせてはつか境がゆらぐ翡翠

1首目、光合成で養分を生み出す植物のように元気を出そうとする。
2首目、初二句が印象的。周囲や社会からの圧力や侵犯を拒絶する。
3首目、一つ一つ違った形であった石が丸くなるように人間もまた。
4首目、家の中の通路で家族とぶつかりそうになったりする暮らし。
5首目、純粋な思い。初句と二句以下の取り合わせの距離感がいい。
6首目、下句を付けたのがいい。会いたさの表現として迫力がある。
7首目、どちらも穏やかな見た目だけれど、だからこそ怖いのかも。
8首目、病院の雰囲気がよく出ている歌。昼と思っていたが夜かな。
9首目、子育ての歌。きょうだいでも匂いに違いがあるという発見。
10首目、水の内の世界と外の世界が一瞬触れ合い波紋が生まれる。

2025年8月17日、短歌研究社、2200円。

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2025年10月02日

奥村晃作歌集『天啓』

著者 : 奥村晃作
短歌研究社
発売日 : 2025-09-12

鎌倉や阿弥陀仏なる御仏は露天に坐して日銭を稼ぐ
年一回花に誘われ見る幹の黒くて太いソメイヨシノは
数十年振りに銭湯の湯に浸かり熱く大量の湯に身を沈む
ジギタリス毒持つ花と恐れつつ開花を待てり妻のジギタリス
どこまでも伸び広がれるゴーヤにて緑の実をば垂直に垂る
魚屋は全滅したが八百屋二店辛うじて残る赤塚商店街
自転車が二台停(と)まれり自転車に妻もわたしももう乗れなくて
つらければ入院せよと説く妻は入院にメリット無きを解せず
保育士の半分ほどの背丈にて黄の帽かむる園児ら行けり
ヘモグロビン8.1で輸血する輸血で我は生かされている

1首目、上句は晶子の歌を踏まえてか。大仏の拝観料は一般300円。
2首目、花ではなく幹の色や太さに注目している。幹あっての花だ。
3首目、「熱く大量の」が納得の表現。個人宅とは桁違いの湯の量。
4首目、結句「妻の」を入れたことで妻が毒を持っているみたいに。
5首目、日除けのために育てているゴーヤの旺盛な生命力を感じる。
6首目、昔ながらの個人商店が減っていく。「全滅」の響きの強さ。
7首目、「自転車」の繰り返しが効果的だ。しんみりとさせられる。
8首目、理解してないのではなくその方が妻の負担が減るのだろう。
9首目、大きさに注目して「半分ほど」と即物的に言ったのがいい。
10首目、正常値は13〜17くらい。私の父も輸血が欠かせなかった。

2025年9月8日、短歌研究社、2500円。

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2025年09月28日

上川涼子歌集『水と自由』

 kamikawa.JPG

昨年、第12回現代短歌社賞を受賞した作者の第1歌集。
2016年から2025年までの作品342首を収めている。

たどりつくべき港などなきゆゑに鋏は紙をしづかにすすむ
景物はぬれて映れりみづうすく張りてひらける人の眼に
活版が紙を彫(ゑ)りたる稜を撫でいまゆつくりと詩行へと入る
夢に会ひし人とうつつの週末に会ふ約束をLINEに交はす
日が永くなつたことなど話したり小籠包をれんげに寄せて
火と紙と互ひを奪ひ合ひながらともに喪ふのちのしづもり
肌の上に青く重なる薄絹をとどろきののち雷(らい)と知りたり
花の名の書かれし札をひとつづつみな確かめて蜂のごとしも
繰りかへす日々をしづかに引き受けて烏賊の甲ほど薄き石鹸
上映のさなかに人は銀幕という布を見てゐることを忘れて
欲望のかげりなきまで眩しきに茄子、茗荷など並ぶコンビニ
横顔にマスクの紐を牽きながら御者のごとくに人の耳あり
いづれ去る身体にあればこの日々を苛む湿疹さへも野の花
あなたより一回多く振りかへる帰路のこの平凡なさみしさ
白き陶器をゆまりのながれみづのながれひとりのための泉をとぢる

1首目、水脈を引いて進む船に見立てたのが鮮やかでしかも美しい。
2首目、初二句に発見がある。実際の景物とは違う見え方なのかも。
3首目、活版印刷の凹凸の手触りも詩の味わいの一部になっている。
4首目、夢と現実が反転したみたい。LINEの世界はその中間かも。
5首目、下句の細かな描写がよく効いている。いかにも短歌な感じ。
6首目、一般的には火が紙を燃やすと捉える場面。見え方が変わる。
7首目、「薄絹」と表現したことで青白い稲光に手触りが生まれた。
8首目、花屋に並ぶ様々な花を蜂になって順々にめぐっている気分。
9首目、「烏賊の甲ほど」が抜群の比喩。半透明の色合いも浮かぶ。
10首目、映画が始まるまではあったスクリーンが意識から消える。
11首目、資本主義的な欲望とはちょっと雰囲気の異なる野菜たち。
12首目、何とも個性的な比喩。人間の顔が馬や馬車になった感じ。
13首目、生きている間だけの仮の宿と思うと少し気分も軽くなる。
14首目、最後は振り向いてくれなかった相手の背中を見送るだけ。
15首目、排泄の場面だが美しい。デュシャンの「泉」を想起する。

2025年8月27日、現代短歌社、2500円。

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2025年09月18日

永田和宏歌集『わすれ貝』


2016年から2019年までの作品506首を収めた第16歌集。

灯の消ゆるあたりが海か淀川の夜の流れを窓より眺む
橋の上に雪は凍りて残りをり行きて楽しき会にあらねど
たつた一度わが師を諫(いさ)めたりしこといまもときをりわれを嚙むなり
銅像が銅像のままパンを食ふマイヨール広場午後三時過ぎ
病むために仕事辞めるにあらざれど仕事を辞めて病む友多し
人づてに聞きし消息かなしけれ坂野信彦死にてゐたりき
冷凍室の大半を占むる保冷剤大(おほ)きあり小(ち)さきありいづれも凍る
冬枯れの林を行けり自転車のふたつ置かれてありし辺(へ)を過ぎ
耳に口よせてをさながくりかへす内緒話がほぼ聞こえない
わが肺の右上葉を持ち去りしダ・ヴィンチの細き腕を思ふも
鐘のなき火の見櫓がぽつねんと残されて春とほき近江路
年魚市潟(あゆちがた)から愛知ができたといふ話歩けばすなはち地名身に添ふ

1首目、川の両岸には街の明かりがある。でも海になると真っ暗だ。
2首目、坂田博義の「わたりて楽しき街あらざりし」を思い出した。
3首目、高安国世が「塔」を解散しようとしたのを止めた日のこと。
4首目、スタチューパフォーマンス。そのままの身なりで休憩中だ。
5首目、ようやくのんびりできると思ったら。人生の皮肉を感じる。
6首目、若き日に歌論などを戦わせた相手とその後は疎遠になって。
7首目、白秋のニコライ堂の歌を思い出す。結句が当り前だが発見。
8首目、雰囲気の良い歌。そこにはいない恋人同士の姿を想像する。
9首目、幼子によくある仕種。可愛らしいのだけれど聴き取れない。
10首目、麻酔で眠っている間に遠隔操作のアームで手術された体。
11首目、用済みになった火の見櫓がまだ残るのどかな田舎の風景。
12首目、地名はただのラベルではなく土地と深く結び付いている。

2025年7月24日、青磁社、2800円。

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2025年09月17日

本田一弘歌集『あらがね』

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2014年から18年までの作品421首と長歌1首を収めた第4歌集。
生まれ育った福島県や会津へ寄せる強い思いが印象に残る。

いはしろの会津高田の梅の実に月さすあをきみなづきのよる
いくさより百四十六年、夕光が十六橋のからだを蔵(つつ)む
ふくしまの空気を吸つて熟(みの)りたるあかつきといふ桃のゐさらひ
除染土を入れた三百十四の袋が雨に流されにけり
ウェールズ語喋る罰とぞ子の首に掛けられてゐしWelsh Not
いにしへの楢葉(ならは)標葉(しねは)の名も遠き双葉高校募集停止す
都よりみれば東北 東にも北にもあらぬわがうぶすなよ
しろたへの手があらはれて苗といふあをきいのちを植ゑにけるかも
教職員人事評価のなき猫は道の真中に背中をこする
くるまみな路肩に寄りて真んなかを救急車ゆく雪のゆふぐれ

1首目、岩代は福島県西部の旧国名。月光を受けた梅の実が美しい。
2首目、戊辰戦争の激戦地。会津の人には忘れられない戦いの記憶。
3首目、福島を代表する桃の品種。結句に形状と愛情が感じられる。
4首目、具体的な数詞が効いている。何ともやるせない思いが滲む。
5首目、日本にも方言札があった。中央と地方の格差や差別の歴史。
6首目、旧制中学以来の伝統ある高校が原発事故の影響により休校。
7首目、「東北」という言葉が中央からの見方を如実に表している。
8首目、美しい田植えの光景。白秋の「大きなる手が」を思わせる。
9首目、教員をしている作者。猫は気楽でいいなあと思うのだろう。
10首目、路肩の雪に乗り上げるようにして道路を空けているのだ。

2018年5月28日、ながらみ書房、2500円。

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2025年09月13日

渡英子『メロディアの笛U 白秋の昭和』

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『メロディアの笛 白秋とその時代』(2011年)の続篇。
「短歌往来」2016年1月号から3年間連載した文章に訂正、加筆したもの。

関東大震災、飛翔吟、前田夕暮・島木赤彦・斎藤茂吉との関係、「日光」創刊、鈴木三重吉や山田耕筰との関わり、戦争観、「多磨」創刊、薄明吟など、大正の終わりから昭和17年の死に至るまでの白秋の軌跡を描いている。

「本書は短歌を中心に同時期の詩や童謡、歌謡などの他のジャンルの作品も視野に入れて書くことを念頭に置いた」とあとがきにある通り、「歌人」という枠組みに収まらない国民詩人であった白秋の生涯が浮かび上がってくる。

白秋は、現実を描写して記録するという行き方を選ばず、大震災という大きな悲傷を背負わざるを得なかった時代感情を引き受けて童謡「からたちの花」を書いたのである。
赤彦による「アララギ」の編集経営が軌道にのり、歌壇の交流よりも根岸派の伝統路線を選んだ赤彦の標的となったのが白秋と夕暮であったのである。
郷土の言葉とは異なった標準日本語を用いて、西洋の楽曲の音階を習得させる唱歌教育に対する嫌悪感が、やがて童謡創作へと白秋をむかわせてゆくのである。
プロの文士として愛国歌謡や童謡の委嘱に応えねばならない立場にあった白秋にとって短歌は自由に心を遊ばせることのできる唯一無二の表現となっていたのである。

白秋は昭和10年に「多磨」を創刊し、「五十七年の生涯の最後の七年を歌人として生き、詩業の集大成に短歌を選んだ」。それは白秋にとって大きな意味を持っただけでなく、歌壇にとっても大きな出来事だったと言っていい。

「多磨」は多くの歌人を育てたのち昭和27年に終刊するが、その流れは宮柊二の「コスモス」や木俣修の「形成」などに受け継がれ、現在まで続いている。

2025年3月1日、ながらみ書房、2700円。

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2025年08月28日

坊真由美歌集『へしゃげトマト』

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2022年からの作品422首を収めた第1歌集。

雨の日もノウゼンカズラは本能をスカートの中に太らせていく
動物園にひとりで行こう冬空を母と抱き合う子猿に会いに
蔦の葉がぐいりぐいりとめり込んで立ったまんまの樹木は腐る
鉄棒に雨粒の子はきらめいて同じ形のものなんてない
保育士の胸のキティはキャラメルの箱に隠れた録音機もつ
保育室よいせと座ればたちまちに手足背首に園児が実る
拾い上げる犬のうんちの温もりに生きていいよと言われた夜よ
連休の家族ごっこの親子らが牛の親子をじうじうと焼く
なぜかしらいつもこんな時にだけ降りだす雨が私にはある
ぬばたまの黒き母性を練り込んだ海苔弁ばかり作ってしまう

1首目、ノウゼンカズラの橙色や蔓の様子と性のイメージが鮮やか。
2首目、「母と抱き合う」ことに対する渇望のようなものを感じる。
3首目、「ぐいりぐいり」というオノマトペが何ともなまなましい。
4首目、「雨粒の子」としたことで人間の子にも通じる歌になった。
5首目、トラブルが起きたときのためのものか。保育現場の厳しさ。
6首目、「実る」がいい。大木になったように園児が群がってくる。
7首目、袋越しに伝わるうんちの温かさは犬が生きている証なのだ。
8首目、世間で良いものとされている「家族」に対する強い不信感。
9首目、現実の雨というより心の中に降り始める雨のように感じる。
10首目、母性には良い面とともに悪い面もあるのを自覚している。

2025年8月8日、デザインエッグ株式会社、1491円。

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2025年08月25日

山中律雄歌集『光圏』

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331首を収めた第6歌集。
あとがきに「私は三年前に手術を受け現在も加療中」とある。

自動車も人も時間に選ばれて交互に青き信号わたる
焼き菓子の砂糖のおもさ計りつつ連れ合ひはわが話を聞かず
みほとけの帰依篤きひと難病に神の洗礼受けたりしとぞ
薬師如来彫らるる岩間くだりくるみづを掬ひて病むわれが飲む
うづ高く積まるる黒き鉱石にあめ降りしづむ埠頭は寒く
絶え間なく桜はな散る村の道きのふとおなじ人がゐて掃く
朝顔の花を数えてゐる妻かわづかに下の顎うごかして
足元の草を引きゐて知らぬ間に妻とわれとの距離とほくなる
墓石に水をそそげる幼らはみづから濡れて水をよろこぶ
石仏の前掛けひとひ縫ひし妻日の暮れ顔が重たしと言ふ

1首目、「時間に選ばれて」がいい。決められた秒数に従って動く。
2首目、ユーモアのある歌。大事な慎重さを要する場面なのですよ。
3首目、僧侶である作者にとって何とも複雑な思いのする話である。
4首目、癌を病む作者。昔から多くの人が飲んできた水なのだろう。
5首目、船で運ばれる鉱石の山。人の姿のない光景を見つめる作者。
6首目、花の散る時期には毎日履いているのだ。日々の行いの尊さ。
7首目、下句の描写がいい。声は聞こえないけれど何か言っている。
8首目、病む自分と妻との心理的な距離を表しているようでもある。
9首目、墓参りが水遊びになる幼子たちの姿。死者も喜んでそうだ。
10首目、ずっと下を向いていたのだろう。「重たし」に実感がある。

2025年8月5日、現代短歌社、3000円。

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2025年08月13日

阿木津英歌集『草一葉』

著者 : 阿木津英
砂子屋書房
発売日 : 2025-07-18

2003年から2011年までの作品を収めた第7歌集。

  帰郷
幼くてこの線路添ひ聞きしより虫鳴くこゑは幾代を経たる
肩さきに顎(あぎと)をのせてあづけつつ目覚めを待てりわがよき猫は
くちばしの撥ね落したる花の数拾ひあつめて手窪(たなくぼ)にのす
  妹、癌終末期
生拒む力なりけり歯を嚙みて薬を口に入れしめざりき
雪げむりかすかにのぼる頂きを青天に見て伊那平(いなだひら)ゆく
幾つかの個の断片の混じりたる冷凍かぼちや食うべつつゐる
夏のかぜよろこぶらしも藤蔓は立ち泳ぎつつあるいは躍る
残(くづ)れたる夢のごとくに岸のべの水波のいろ暗くたゆたふ
齢(よはひ)びとおのれ祝(ほ)がむと洋梨の精(エッキス)の香をグラスに満たす
ストッキング搾りては干すといふことをこの世に在りて浴室に為す
ほの甘き香にくづれゆく寒天をのみどに落とす春のゆふぐれ
生膚(いきはだ)を焙られながらゆらゆらと自転車を漕ぐ暑熱のちまた

1首目、昔と変わらぬ虫の音であるが、何世代も代替わりしている。
2首目、人でなく猫。飼い主を起こすことなく目覚めを待っている。
3首目、鳥と言わずに「くちばし」で表している。桜の花だろうか。
4首目、残された全身の力を振り絞り薬を拒んだ姿が忘れられない。
5首目、のびやかな風景がいい。山に積もった雪が風に舞い上がる。
6首目、生の南瓜とは違って一袋の中に別々の個体が混ざっている。
7首目、風に揺れている藤の蔓を「立ち泳ぎ」と捉えたのが鮮やか。
8首目、「残」を「くづ」と読ませる力業。かなわなかった夢の痕。
9首目、誕生日に洋梨の酒を飲んでいる。自分で祝うところがいい。
10首目、洗濯機では傷むので風呂場で洗う。人間は変な生きもの。
11首目、寒天を食べているだけなのにエロチックな雰囲気が漂う。
12首目、初二句にまるで拷問を受けているような生々しさがある。

2025年7月12日、砂子屋書房、3000円。

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2025年08月08日

渡辺松男歌集『あぢさゐだつたらあぢさゐの中』


2017年までの未発表歌455首を収めた第12歌集。

傘立てに亡き君の傘ずつとある始発の電車待つごとくある
とくに秋 短針長針秒針のどれがと言へばどれもが怖い
かがみの奥のわたしから手ののびてきてどんなにのびてもわれへとどかぬ
うちがはに蝶々がまひそとがはに救急車の音ちかづきて覚む
しらさぎの冷却されたるごとき白そこにしらさぎもうゐない野に
つつみ紙とりたるにガム裸なり裸はかまれ嚙みつくされむ
発したる音に置いてきぼりにされ急に淋しい釣鐘の大
水芭蕉のかたはらをゆく水の音きみ亡きことのいつまでつづく
風はうすく一枚二枚とやつてきて位牌の君をつつみては去る
おほゆれのしだれやなぎはゆれながら風とじぶんの区別がつかず
ちよつとだけ雲のかげからはみだして一茶生家のちかくの蕎麦屋
さつきまでなかりし距離がみんみんの一頭鳴いて五メートルあり

1首目、捨てられずに残されている傘。下句の比喩に寂しさが滲む。
2首目、初句の入り方が印象的。三本の針が刻々と時を刻んでいく。
3首目、鏡の中にもう一人の自分がいるような感覚がなまなましい。
4首目、心地よい眠りを破る救急車の音。それは現実の音だろうか。
5首目、白鷺が飛び去ったあとも残像のように白だけが残っている。
6首目、ガムを「裸」と捉えたことによって肉体感が生じる面白さ。
7首目、鐘の音がどんなに遠くまで響いても鐘自身は全く動けない。
8首目、清らかな水の流れとともに亡きひとへの深い思いが伝わる。
9首目、「一枚二枚」と数えたのがいい。風の動きが見えるようだ。
10首目、自他の境が溶けてしまうのは気持ちよいのかもしれない。
11首目、のどかな光景。上句の描写が一茶の俳句世界を思わせる。
12首目、蟬が鳴き始めたことで目に見える空間に奥行きが生じた。

2025年7月18日、書肆侃侃房、2300円。

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2025年08月06日

正田篠枝の短歌

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『戦争の歌』(笠間書院、コレクション日本歌人選78)は日清・日露戦争からアジア・太平洋戦争までの計51首を取り上げて、鑑賞・解説した本です。

今日の広島の平和記念式典のあいさつで石破首相が引用した〈太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり〉(正田篠枝)も収めていますので、興味のある方はぜひお読みください。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784305709189

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2025年07月30日

時田則雄『十勝から』

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月刊誌『NOSAI』の2004年1月号から2024年12月号まで21年間にわたって連載されたエッセイ252篇が収められている。著者の年齢で言えば57歳から78歳までの記録。

日々畑を耕し作物を育て、歌を詠み文章を書き講演をする。その圧倒的な仕事量に驚かされるとともに、読んでいると元気をもらえる。だから私は時田さんのエッセイが好きだ。

『陽を翔けるトラクター』
https://matsutanka.seesaa.net/article/439787773.html
『樹のように石のように』
https://matsutanka.seesaa.net/article/476676221.html

いろいろな数字が出てくるのだが、どれもスケールが大きい。

肥料と農薬だけでも年間に500万円くらいかかる。
今年の作付け内容は小麦16.4ヘクタール、人参9.1ヘクタール、馬鈴薯6.5ヘクタール、小豆3ヘクタール、枝豆1.1ヘクタール、大豆1.4ヘクタール、長芋2.5ヘクタールだ。
数えたことはないけれど、私の蔵書は1万冊以上はあるだろう。
いま私の農場にはトラクターが5台ある。内訳は105馬力1台、100馬力1台、80馬力2台、45馬力1台。合計410馬力。

こうした数詞は歌の中にももちろん登場する。

ぶつ遠し二十五時間働きてあした湯槽に首浮かべをり
畝一本二百七十二メートル行つたり来たりして日が暮れた

連載中に農場の後継者であった長女の夫が急逝するという悲運に見舞われたものの、その後次女の夫が就農して跡を継ぎ、三人の孫も生まれた。十勝の地にこれからも長く時田農場は続いていくことだろう。

2025年7月30日、ながらみ書房、2300円。

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2025年07月27日

三潴忠典歌集『曲がらなければ伊勢まで行ける』

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2023年に現代短歌社賞次席になった作者の第1歌集。
名前の読み方は「みつま・ただのり」。
役所での仕事を詠んだ歌が印象に残る。

車椅子がやや回り道して進む歩道のそこはほんとに平ら
届出に不備がないかを確認して「おめでとうございます」と言ったりもする
スリッパにデスクの下で履き替えて苦情を聞いた足を休める
スマートフォンに当確通知がなだれこむ 投票箱はこれから運ぶ
傾げてる首の左右を入れ替えて到着を待つ鈍行の旅
カウンターに五つの椅子が並んでる二番目と四番目は寂しい
雨傘をきつく縛って細くする嵐ちかづく川のほとりで
検体採取は診療行為 綿棒の袋を切って医師に差し出す
立行司の「勝負あった」という声を無観客場所中継に聞く
座るときに膝がぶつかる窓口に斜めに座り要件を聞く

1首目、歩いている人にはわからないほどの高低差があるのだろう。
2首目、婚姻届を受理する場面。全く知らない人ではあるけれども。
3首目、他の人からは見えないところで疲れとストレスを和らげる。
4首目、開票率0%で当確が出ても開票作業は粛々と行われていく。
5首目、上句の言い回しが面白い。座席で眠りながら姿勢を変えた。
6首目、一人おきに座ることが多いので、あまり座ってもらえない。
7首目、傘の状態の話だけでなく気を引き締めているようでもある。
8首目、コロナ禍のPCR検査会場。手伝えるのは綿棒を出すまで。
9首目、ふだんから行司は言っているのだが歓声などで聞こえない。
10首目、私たちの知らない窓口の内側の世界を垣間見せてくれる。

2025年7月15日、現代短歌社、2500円。

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2025年07月24日

米倉歩歌集『日本語中級1クラス』

著者 : 米倉歩
角川文化振興財団
発売日 : 2025-03-25

「まひる野」所属の作者の第1歌集。20年以上にわたって続けた日本語教師の仕事に関する歌が中心となっている。

複雑な内面だけど簡単な日本語で書く初級作文
学生のケータイすべて召しあげて権力は午後二時の静けさ
使い捨てられるマーカー見つつ思う辞める時にはわたしから言う
助詞はつまり糊なんですと言ってみる 意外な顔がふかく頷く
新入生窓辺に置いて朝なさな水やるように言葉をかける
誰が言いしか「日本語芸者」という言葉この日のわれの心を去らず
「スピーチ」はもはや日本語しかすがにそは「演説」でなければならず
匙に掬うコーヒーゼリー沢すじを〈スジャータ〉白く流れてゆけり
反対を叫ぶ老女を曳いていく捕吏の顔つきカメラは捉えず
金を与え武器を与えて戦わすものを味方と言うもせつなし

1首目、初級の日本語で書かれた作文には複雑な内面は出てこない。
2首目、教室において教師は強い権力を持つ存在であるという自覚。
3首目、非常勤講師という不安定な身分で働く自分を投影している。
4首目、比喩を使って説明したところ予想以上に伝わったのだろう。
5首目、まだ学校に慣れない外国人学生を気遣って話しかけている。
6首目、日本語教師という仕事に対して世間一般の理解は高くない。
7首目、日常生活においては「演説」の方がむしろ使う頻度が低い。
8首目、光景がありありと目に浮かぶ。「沢すじ」が巧みな比喩だ。
9首目、ロシア国内の反戦デモ。権力を行使する側は顔のない存在。
10首目、ウクライナへの支援もまた代理戦争の様相を呈していく。

2025年3月25日、角川文化振興財団、2600円。

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2025年07月21日

永田和宏『人生後半にこそ読みたい秀歌』


朝日新聞出版のPR誌「一冊の本」に2年間連載された文章をもとにまとめた一冊。

「老いのユーモア」「定年と退職」「離婚・再婚」「介護の歌」「病の歌」「酒のたのしみ」「孫との日々を楽しむ」といったテーマに沿って歌を紹介するとともに、中年期以降の生き方について考察している。

(石川啄木『一握の砂』の「はたらけど……」について)
おそらくこの歌を知らない日本人は皆無でしょう。さほどいい歌とも思えないのですが、なぜこんなにも有名になったのか、歌の運命ということも思わせる一首でもあります。啄木と聞いただけで、多くの人は「ぢつと手を見る」を連想してしまう、ほとんどことわざ化した一首と言ってもいい。

この「ことわざ化」という点に啄木短歌が読まれ続けるヒントがあるのかもしれない。

行くところあるが如くに出でて来て行くところなき十余り五歩
              石田比呂志『忘八』

「おひとり様の老後」で紹介されているこの歌も、啄木の「家を出て五町ばかりは、/用のある人のごとくに/歩いてみたれど――」(『悲しき玩具』)を思い出させる。石田は啄木の歌集を読んで歌を詠み始めた歌人であった。

一般に、そこに何かが〈ある〉ことに気づくことはあっても、何かが〈ない〉ことに気づくことは、はるかに困難なことであります。コンピューターの検索機能は便利で、文書のなかに紛れ込んでいる言葉を検索するのは至極簡単ですが、そこに〈ない〉言葉を検索することは基本的にできないわけです。
本来、漢字の「癌」は上皮細胞の腫瘍のみに用い、ひらがなの「がん」は、悪性腫瘍全体を指すときに用いるとされているのですが、一般社会ではこの区別はほとんど知られていないでしょうし、使い分けられてもいないようです。

これは全く知らない話だった。単に「癌」という漢字が難しいからひらがなを使うことがあるのだと思っていた。細胞生物学者である著者は、歌を読んでいても表記が気になってしまうことがあるのだろう。

全体に文章がのびやかで、楽しんで書いている様子が伝わってくる。また、私自身が「人生後半」を生きていることもあって、思い当たることや身につまされることが多くあった。

2025年4月30日、朝日新聞出版、1800円。

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