2022年11月27日

瀬戸夏子『白手紙紀行』


「現代短歌」2018年5月号から2019年7月号まで連載された文章に加筆・修正をして文庫化したもの。

読書日記の体裁を取りつつ、幅広いジャンルの本を取り上げて、鋭い文芸批評を展開している。

印象に残った部分をいくつか。

最近、いい歌といい歌集というのはかなり別のものだ、ということをよく考える(もちろん、いい、の基準もまたそれぞれだ、ということは踏まえた上で、いったん、さておき)。
一首のなかに時間の経過を詠みこむと短歌は秀歌になりやすいが(短歌の場合、連作や歌集単位でも基本的にはおなじことが言えると思う)、花火、噴水、エレベーターなどは、単語単位でその効果が狙えるからではないだろうか。
短歌というのは案外長いものである。あってもなくても良いようにみえる言葉こそが歌の出来を決めることは多い。短歌の冗長さを利用している歌の場合は、それこそが心臓になる。意味内容などは肝にならない。
岡井隆の発明はたくさんあるが、そのひとつは加齢を許す文体の発明であったと思う。塚本か岡井か、この評価の時代による変遷、そして現状における岡井の優位はまずひとつここにある。

文章に勢いがあり、最後までぐいぐいと読ませる。内容的には同意する部分も疑問に感じる部分もあるのだが、著者の主張や短歌観をはっきりと打ち出しているところがいい。

2021年2月16日、泥書房、1200円。

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2022年11月21日

西勝洋一歌集『晩秋賦』

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今年80歳で亡くなった作者の遺歌集。
2002年以降の作品514首が収められている。

灯籠が浮き沈みして流れゆきふいに見えなくなりし夜の闇
滝桜は見るべくもなく霙降る三春(みはる)の町にうどんをすする
「宦官」というを初めて知りし日の光あふれる春の教室
うたた寝をしている間に滅びたる平家 日曜の夜も時代は移る
〈伝説の塩ラーメン〉を食べたいと友遠方より来たり楽しも
出勤して必ずくしゃみを一度する同僚の側にはコーヒーを置かず
「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」と分けてゆき終に残れり「分からないゴミ」
同級生十人揃い温泉に行く計画はにわかに進む
内科より歯科へと歩む半日の沈むならねど弾まぬこころ
映画館、本屋、床屋と別れゆく三人家族のそれぞれの午後

1首目、上句が面白い。歩きながら塀越しに灯籠を見ている場面か。
2首目、有名な桜を見るのは諦めるしかない。寒さが伝わってくる。
3首目、中学生の頃か。性の目覚めのイメージが鮮やかに描かれる。
4首目、うたた寝しながら見るテレビ。上句に栄華の儚さを感じる。
5首目、作者の住むのは北海道の旭川。論語を踏まえたユーモアだ。
6首目、同僚に対する皮肉の歌が何首かある。遠慮のないくしゃみ。
7首目、「分かる」の語源が「分ける」であるという話を思い出す。
8首目、「にわかに」がいい。誰かが言い出して見る見る話が進む。
9首目、下句の半ば打ち消すような言い方に、老いの悲しみが滲む。
10首目、町に出て各人の用事をしに行く。素敵な家族のあり方だ。

2022年9月28日、六花書林、2500円。

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2022年11月02日

今井恵子歌集『運ぶ眼、運ばれる眼』


「まひる野」編集委員の作者の第6歌集。

「眼の移動」をテーマにした歌集で、T章「土を踏む」は徒歩による移動、U章「運ばれる眼」は乗物での移動をもとに詠まれた歌、合計308首が収められている。T章は歌と歌の間に散文(詞書)も多くあり、作者と一緒に歩いているような気分になる。

その脇に椿一樹をそよがせて丸き塚あり天心の墓
はるかなる歴史を音に聞くごとく怒田畑(ぬたばた)・留原(ととはら)・人里(へんぼり)・笛吹(うずしき)
「この家で葭子はビールを飲みました」そんなことまで話題となって
背をのばし埴輪のおんなは歩きだす頭上に大き壺を運びて
風よけの黒きフードに顔しずめ平らな水に垂らす釣糸
カーブする路面電車にひらけゆく線路あかるし早稲田駅まで
大公孫樹の下に自転車停めながら水の透明をラッパ飲みする
膝の上にコートを載せて温めおり左の視野を川過ぎるとき
橋裏にはたらき足場を組む人に間近く舟は寄りて過ぎたり
わが乗れる気球の影よアメリカの野面を森をふわりと這つて

1首目、茨城県の五浦にある岡倉天心の墓。椿から始まるのがいい。
2首目、難読地名を見ると、地名の由来や土地の歴史が想像される。
3首目、三ヶ島葭子の足跡をたどる。歴史でもあり伝聞でもある話。
4首目、頭に壺を載せる埴輪。見ているうちに動き出しそうな感じ。
5首目、じっと動かず表情も見えない釣り人。「顔しずめ」がいい。
6首目、唯一残る都電の荒川線。「ひらけゆく」が路面電車らしい。
7首目、ミネラルウォーターを飲むところ。「水の透明」が巧みだ。
8首目、新幹線に乗って川を渡る場面。川から冷気が伝わるような。
9首目、神田川クルーズ。地上からでは見えない場所で働く人の姿。
10首目、大地の起伏を移りゆく気球の影。広々とした景が浮かぶ。

2022年7月22日、現代短歌社、2700円。

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2022年10月29日

小池光歌集『サーベルと燕』

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2018年から2021年の作品576首を収めた第11歌集。

すごい歌は一首もないけれど、すごい歌集。読んでいて思わず泣いてしまった。別に泣くような内容の歌集ではないので、なぜ泣いたのかを説明するのが難しい。

ゆふやみは土より湧きてたちまちに並木の杉をくろく濡らせり
「国境なき医師団」に月々わづかなる金おくりゐし妻をおもふも
足立たずになりたる猫がおそろしき目付きにかはりしこと忘れ得ず
ベートーヴェンのピアノソナタを聞きながら赤いきつねを食ふのも一生(ひとよ)
駅階段一段とばしに駆けあがり空に消えたり女子高生は
知盛の子の知章(ともあきら)父よりもさきに討たれしことのあはれさ
雪の夜に迫りせまりて養魚場より錦鯉をば盗む人あり
橋のなかばに自転車とめて川を見るひとりの人がわれなりしかも
戒名をつけてもらひて支払ひし二十万円は惜しくもあるかな
種付けの苦(く)はいかばかりディープインパクト千七百余頭の子を残したり

1首目、夕暮れが暗くなっていく様子を霧や水のように描いている。
2首目、「月々わずかなる」に、亡き妻の人となりや人生が浮かぶ。
3首目、動けなくなることは、本来動物にとって死に直結していた。
4首目、「ベートーヴェン」と「赤いきつね」の取り合わせが絶妙。
5首目、女子高生の圧倒的な元気のよさ。「消えたり」が鮮やかだ。
6首目、知名度の高くない知章に着目したのが印象的。数え16歳。
7首目、現場を目撃しているような臨場感がある。初二句がうまい。
8首目、結句で鮮やかに反転する歌。そんな自分の姿に自分で驚く。
9首目、よく考えれば戒名があったところでどうなるわけでもない。
10首目、血統が重要視される世界の姿。「苦」と捉えたのが発見。

「国境なき医師団」の歌(P49)には、だいぶ後に〈「国境なき医師団」にわづかなる送金しつつ年くれむとす〉(P240)という続きのような歌がある。この2首が並んで載っていたら何でもないのだけれど、完全に忘れた頃に出てくるので胸に迫る。

2022年8月26日、砂子屋書房、3000円。

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2022年10月18日

貫始郎歌集『海港以後 ごんぞうの歌』

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「綱手」1995年8月号の付録として刊行された冊子。刊行の経緯について田井安曇が「あとがきに代えて」に、次のように書いている。

『海港』一冊を残しただけで、第二回綱手大会(舞子海岸)の頃死んでしまった貫始郎さんのことが大変気になっていた。何とか誌上歌集の形ででも、彼の大柄で情の濃やかな「ごんぞう=沖仲士=の歌」を残したく思い、同じ海仲間の小林高雄さんに作品の蒐集をおねがいした。

収録されているのは1982年〜1989年の作品。

夕焼ははてなく赤し門司戸畑職安めぐりて職のなかりき
せり・わらび・木の芽を摘みて食いて来て失業保険半ば尽きたり
荷役船来ずなりし街に住み老いて霧笛鳴る夜の港恋い行く
去りゆきし友の行方のわからねど共に鋼積む夢に逢いたり
ごんぞうを知るかと問えば知らざりき港見下ろすこの若きらの
海よりの夜霧入り来る屋台のなかごんぞう歌を思いきり唄う
傾きて廃船置場に沈む艀十八鉄丸の文字のなつかし

船内荷役(沖仲士、ごんぞう)の仕事はなくなり、作者は新たな仕事を探す。それでも、荷役の仕事や船の風景を懐かしむ歌が何首も詠まれている。

列なして来て去る車の排気ガス通行券渡す痰吐きながら
機器ならぶ方四尺の箱のなか六十歳われの終いの職場か

作者は有料道路の料金所の仕事に就くが、その仕事についてはほとんど歌に詠んでいない。繰り返し詠まれるのは『海港』と同じく荷役の歌である。再び荷役の仕事に戻ったのかと思うほど、何度も現在形で仕事の様子が出てくる。

アケビほどに盛り上りたる淋巴節に放尿にゆく歩みぎこちなく
補助歩行器にすがりて歩む足もつれもしもし亀よと唄い出したる
音たてて溲瓶に落つる吾が尿を麻酔のさめしベッドに聞きおり
襁褓して尿管いれられ臥すわれの打ちつけられし蛙に似たる
三十キロやせて六十キロの吾の顔かがみに映る眼にひかりあり
吾の死はちかきかこの日ごろKくるYくるOが続けてくる

1986年以降、病気の歌が見られるようになる。亡くなるまでの2年あまりは病院での生活だったのではないか。そんな病気の歌の後にも、現役の荷役仕事の歌が詠まれている。それらは、おそらく病院のベッドの上で詠まれたものだ。現実にはリンパ節が腫れて痩せ衰えた身体になっても、貫始郎は「ごんぞうの歌」を詠み続けた。

それは、単なる懐かしさだけではないだろう。自らが生涯をかけて取り組んできた仕事を、歌の形で残したいという思いがあったからだと思う。時代の移り変わりとともに消えて忘れられていく荷役の仕事を最後まで詠み、1989年に貫始郎は60代で亡くなった。

1995年8月1日、綱手短歌会、1000円。
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2022年10月16日

貫始郎歌集『海港』(その3)

石炭はバケット荷役に変るとぞ飯場には四十人の仲仕ら居るも
二十八屯を摑むとうバケット吊られいて石炭荷役吾らには来ず
荷役減り花田飯場も閉ざすとう鍛冶屋も籠屋も去りてゆきたる

多くの労働者が従事していた荷役の仕事も時代とともに機械化が進み、やがて飯場が閉鎖されてゆく。

作者も25年働いた荷役会社を退職し、歌集刊行の4年前から有料道路の料金所で働くようになる。荷役の仕事は厳しくて大変であったが、作者はそれを嘆くだけでなく、誇りをもって取り組んでいた。

歌作を始めたばかりの昭和四十九年、第七未来合同歌集『汗と心と生活のうた』に参加した折、いろんな職業の歌は数多く詠まれていたが、船艙の歌、荷役の歌はすくない。現場にいる私は、船艙や荷役の歌はこの私にしか詠めないのだという自負を持っている。悲しい自負なのだと赤面しながら作って来たのである。

「この私にしか詠めない」という思いの強さが、歌集『海港』の大きな魅力になっている。

1983年12月20日、牙短歌会、2000円。

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2022年10月15日

貫始郎歌集『海港』(その2)

歌集の跋文は石田比呂志が書いている。

貫始郎は、「未来」の会員として近藤芳美の門弟であり、「牙」会員としてぼくの友人であるが、年一度の大会、あるいは月々の歌会にも顔を出すことが少ない。ぼくはそれをしばしば嘆いたけれども、彼は、一日たりとも労働を休むことが出来なかったのだ。そうして、彼は、単独で、こつこつと生活の歌を紡いで来たのだった。

なるほど、言われてみれば貫始郎の歌と石田比呂志の歌には共通する点があるように思う。

二次会に石田比呂志が来いと言い銭なき吾に銭握らする

船で荷役の仕事をしているのは男性ばかりではない。

荷役終え市場に入りゆく女らの仕事着の背に塩吹きいたる
乳はると乳しぼりいる女あり荷役音こもる船艙の隅に

こうした女性たちについては、林えいだい『関門港の女沖仲仕たち』に詳しい。
https://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-1086-1.html

1983年12月20日、牙短歌会、2000円。

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2022年10月14日

貫始郎歌集『海港』(その1)

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作者の貫始郎(松尾利則)は沖仲仕(港湾労働者)として北九州の港で働いていた人。港に大型クレーンが整備されコンテナ船が普及する1970年代頃までは、貨物船と艀や埠頭の間の荷揚げ・荷下ろしに従事する多くの労働者がいた。「沖仲士」はその中でも船内荷役を担当する人々のことである。

船底に積荷の鋼の来るを待つ体寄せ合い暖とりながら
鉱石に赤く浸みたる仕事着を踏み洗いおり水の澄むまで
メキシコの岩塩の塊り砕きおれば形くずれし靴の出で来つ
水かけて夜食食みおり船艙に満たす残りの肥料八千袋
炭塵のよどむ船艙に荷役する口中の粉炭吐きすてながら

甲板の下の貨物を積み込む船艙での作業である。荷物は鋼、鉱石、岩塩、肥料、石炭など様々だ。夜間の仕事も多く、暑い日も寒い日も関係なく一年中作業は続く。

殴ぐられし男と殴ぐりたるわれとパトカーに肩を並べて坐る
横たわりたちまち眠る沖仕らの偽名と思う名を知れるのみ
労災補償さえなき吾ら地下足袋に滑りを防ぐ荒藁を捲く
花嫁の兄われ立ちてみずからの職言わぬ自己紹介を終う

飯場に集う日雇い労働者は、悪い労働条件や待遇でも働かざるを得ない事情を抱えている人が多かった。社会的な差別も受けており、「沖仲仕」という言葉も現在は差別語とされている。

うす暗く深き船艙に舞う雪の積もりて白し世に隔りて
夜の霧の流るる海に吊る鋼が荷役灯の灯を受けつつ青し

船艙から見上げる雪の白さや、吊られた鋼の青さが、過酷な現実とは別の世界のように美しく感じられる。

1983年12月20日、牙短歌会、2000円。

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2022年10月06日

前田康子歌集『おかえり、いってらっしゃい』

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2017年から2022年の作品440首を収めた第6歌集。
https://gendaitanka.thebase.in/items/66850262

社会人となって家を離れた二人の子や病気の後遺症の残る母を詠んだ歌が多い。また、ハンセン病や水俣、沖縄に関する社会詠も積極的に詠んでいる。

馬乗りに押さえつけたることのあり圧縮袋の空気抜かむと
老眼鏡をシニアグラスと言い直し少し先へと老いを延ばせり
水の面(も)の引き攣れるごと氷はり緋色の鯉はその下を行く
我は娘(こ)を 娘は夫を叱りいて夫は老いたうさぎと話す
行間がゆったり組まれているように日暮れに雲がうまく散らばる
重すぎてとまれぬままに熊蜂がカリガネソウをまた吸いにゆく
  ビニールシートの下から手を差し出しお金を払う
まちがった方の手を出すキツネの子 混じりておらむ春の日のレジ
目玉焼きにも上下があると写真家は皿を回して位置を定める
  舌読に使われた点字版を初めて見た
舐められてやがて言葉となりてゆく速度思えり点字亜鉛版に
付箋外せば剥げてしまいし文字のあり 療養歌人の古き歌集に

1首目、相手が人だと思って読み進めると、下句で違う展開になる。
2首目、モノは同じなのだが、世間では「老い」を避けようとする。
3首目、薄氷の張った皺や歪みを「引き攣れる」と捉えたのが秀逸。
4首目、家族間の力関係がユーモラスに描かれていてほのぼのする。
5首目、上句の比喩が程よい雲の感じと、自身の心境を表している。
6首目、清楚な紫色の花と熊蜂の取り合わせ。花粉が蜂に付着する。
7首目、コロナ禍の手だけのやり取りを『手袋を買いに』に喩えた。
8首目、食べる際には関係が無いが、写真の見栄えには関係がある。
9首目、長島愛生園での歌。視覚も指先の感覚も失われた人のため。
10首目、歴史や記憶が忘れられていく寂しさのようなものが滲む。

2022年8月26日、現代短歌社、2000円。

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2022年09月28日

鯨井可菜子歌集『アップライト』


296首を収めた第2歌集。
結婚して新しい生活が始まる。家族の歌や仕事の歌が多い。

日々きみを思えば胸にこんがりと縁まで焼けてゆく目玉焼き
テーブルの麦茶のコップ遠ざけてそこにひろげる婚姻届
チーズケーキくずしては食み聞いている隣の客の骨折のはなし
食パンを山と麓(ふもと)に切り分けて夫婦二人のサンドイッチ成る
鋤跡のわずかに残る冬の田をパンタグラフの影わたりゆく
真空パックのなかに伸されてしゃべらないあじの開きを両手につつむ
「頭すすってあげてください」活海老の握りを出して板前が言う
消しゴムのかすを払ってゲラをよけデスクに食すかんぴょういなり
小舟のようにコイントレーは行き交えりアクリル板の下の隙間を
ゆるされて旅館に足を踏み入れる三十六・四度のわたし

1首目、相手への思いが日ごとに確かなものになっていくのだろう。
2首目、麦茶のコップの生活感と大切な婚姻届の取り合わせがいい。
3首目、カフェで耳に入ってきた話。「くずして」と「骨折」の妙。
4首目、上半分と下半分を「山と麓」と見たところに楽しさが滲む。
5首目、郊外の風景を映像的に描いた。田の脇を鉄道が通っている。
6首目、身を割かれ真空パックに閉じ込められていると思うと哀れ。
7首目、会話は文脈や状況に多くを依存していることがよくわかる。
8首目、職場でささっと食事しているところ。忙しさがよく伝わる。
9首目、コロナ禍で目にすることの増えた光景。「小舟」がうまい。
10首目、入口で検温が必要。「ゆるされて」から始まるのがいい。

2022年9月17日、六花書林、2000円。

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2022年09月24日

川本千栄『キマイラ文語』

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第2評論集。
副題は「もうやめませんか?「文語/口語」の線引き」。

T章「キマイラ文語」とU章「近代文語の賞味期限」は、短歌における文語・口語の問題を論じたもの。V章「ニューウェーブ世代の歌人たち」は、2001年に書かれた文章と座談会の再録となっている。

座談会には松村も出ています。今読み直すと失礼なことを平気で喋っていますが、20年前のものなのでご容赦ください。

現代短歌社のオンラインショップで購入できます。
皆さん、ぜひお読みください!

https://gendaitanka.thebase.in/items/66851037

2022年9月5日、現代短歌社、1500円。

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2022年09月20日

佐藤通雅歌集『岸辺』


2017年から2021年の作品484首を収めた第12歌集。

「ツクシタ」とは「クツシタ」のことクツはいて幼と散歩に出かけんとして
期間限定安売り墓地の広告を二日とりおき三日目に捨つ
ジンシンジコ ダイヤノミダレ カタカナで事を思ひてたれもが静か
人の在処さらに捜すをあきらめし角封筒が汚れて戻る
おもちや病院開設されて神妙なる面持ちしたる子どもら並ぶ
読経中の婦人のやうだがいやちがふ数独の枠を凝視してをり
駅ピアノに人は寄り来て一曲を早瀬のごとく弾いて去るなり
消(け)残れる雪は童子の象(かたち)にて手をあげそして逆立ちもする
師といふを持たざるわれはヒメツバキ一枝(いつし)折りきて卓上に置く
原稿用紙に書くこと絶えてたまたまに用紙開けばただに美し

1首目、幼子の言葉に一瞬ドキッとする。誰に「尽くした」のかと。
2首目、墓地もこんなふうに売られているのか。複雑な気分になる。
3首目、意味のない言葉として処理される。人が死んでいるのだが。
4首目、擬人法が効果的。さんざん探し回って疲れ切った姿である。
5首目、本当の病院のように、あるいはそれ以上に神妙な顔つきだ。
6首目、ぶつぶつ声を出しながら考えているところ。「枠」がいい。
7首目、「早瀬のごとく」がいい。駅ピアノはまさにこんな感じだ。
8首目、日が経つにつれて変わる形を子ども動きのように見ている。
9首目、50年以上、個人誌「路上」を拠点にしてきた矜持が滲む。
10首目、原稿用紙に手書きで文字を書いていた頃を懐かしむ思い。

他に、前立腺がんの治療に関する歌も印象的で、また「大川小学校津波裁判」に関する一連も重い問い掛けとして胸に残った。

2022年7月15日、角川文化振興財団、2600円。

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2022年08月19日

尾崎左永子『「鎌倉百人一首」を歩く』


2006年に鎌倉ペングラブが選定した「鎌倉百人一首」から約50首を取り上げて鑑賞などを記したエッセイ集。

文章が丁寧で柔らかく、長年鎌倉に住む著者ならではの解説などもあって、一首一首の歌や鎌倉という町の持つ魅力が存分に引き出されている。

放ちしは歌にくるへる若き子よ由井が浜辺の野火に声あり
              高村光太郎
(…)「明星」の創刊は明治三十三年(一九〇〇)春だが、翌年(一九〇一)の正月、「廿世紀を祝する迎火」を、鉄幹を中心に、同志の者たちが由比ヶ浜で焚いている。
薪(たきぎ)樵(こ)る鎌倉山の木垂(こだ)る木をまつと汝(な)がいはば恋ひつつやあらむ
              万葉集
(…)古くは「恋ふ」とは、目前にいない人を想う場合に用いられることばで、二人が一緒にいれば「見る」「逢ふ」の語を使う。
ひんがしの相模の海にながれ入る小さき川を渡りけるかも
              斎藤茂吉
(…)近代短歌史の中では巨岩のような存在の歌人であるが、小さな歌材をていねいに、真摯に捉えるその手法と、大景の中にそれを活かす表現力におどろかされる。

先日、米川稔のお墓参りに鎌倉を訪ねたのだが、米川の最後の歌〈ぬばたまの夜音(よと)の遠音(とほと)に鳴る潮の大海(おほうみ)の響動(とよみ)きはまらめやも〉も百人一首に選ばれている。これは嬉しい。

江戸時代には、さびれた漁村になり果てていた鎌倉は、明治時代になってから、避暑地、避寒地として復活する。海水浴をすすめた長與専斎(ながよせんさい)にはじまるという保養地としての鎌倉は、東京山の手の邸町の雰囲気と、洋行帰りのハイカラモードを持ち込んだ別荘族たちによって、新しい息吹を得たのであった。

鎌倉は私にとっては十代の頃に遠足や旅行でしばしば出掛けた場所。あらためて興味・関心が湧いてきた。

2008年5月21日、集英社新書ヴィジュアル版、1000円。

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2022年08月16日

渡辺松男歌集『牧野植物園』

著者 : 渡辺松男
書肆侃侃房
発売日 : 2022-06-20

2016年の作品400首を収めた第10歌集。
73首が「ねむらない樹 vol.8」掲載作で残り327首は未発表作!
相変わらず発想や言葉の使い方が独特で、面白い歌が多い。

俄雨あれがわたしでありしよとべつのわたしが晴れておもひぬ
ビー玉は処刑のあとの眼球かころがりゆけば山河が廻る
正座せる若き太ももに大気圧おしかへすごときみなぎりの充つ
まだわれであるかのごとくわがこゑがみづあめのばすごとく離るる
ペットボトル一本で誘惑できるとかひとのこころはたいがい火事で
炎暑にて無人の町のみづたまり蒸発をして足跡となる
石狩川河口へ曇天下にゆきて影なきわれは河口に見入る
摩周湖の澄める巨眼をのぞきこみぐつと冷えたる鶚(みさご)の翼
あのへんは遠く清流だつたのだスカイツリーを天魚(あまご)がおよぐ
そのめぐりにんじんいろにみつるときにんじんは悲しにんじん売場
落ちながら大きくなれる日輪の地平すれすれダンプカー過ぐ
網戸の目一ミリ四方の密集をすりぬけてきし飛行機の影
母の日のコップに挿せるアンジャベル母のなきゆゑよく水を吸ふ
山頂で握り飯たべてゐるわれにやつと出会ひぬ空腹のわれ
食パンの四角やあんパンの丸は口にて嚙みしのちにも消えず

1首目、天気と心境の変化が重なる。複数の「わたし」が存在する。
2首目、死体から落ちた眼球が、転がりながらまだ風景を見ている。
3首目、比喩のスケールが大きい。若い肉体の持つ生命力を感じる。
4首目、声は単なる音ではなく声を発した人の肉体性を帯びている。
5首目、心に寂しさや乾きがあると、簡単に何かに引かれてしまう。
6首目、足跡に水が溜まる場面でなく乾く過程を詠んだのが印象的。
7首目、曇天だから「影なき」なのだが存在感の薄さも滲むようだ。
8首目、摩周湖は周りを山に囲まれている。「巨眼」の比喩がいい。
9首目、イメージの重なりの美しい歌。水族館と読まなくてもいい。
10首目、一本だけなら別に何でもないが、大量にあると胸に迫る。
11首目「すれすれ」がいい。太陽にぶつかるはずはないのだけど。
12首目、網戸越しに見える飛行機。網目に引っ掛かることはない。
13首目、アンジャベルはカーネーション。理屈ではない「ゆゑ」。
14首目、時間の推移を二人の「われ」で表す。異時同図みたいだ。
15首目、パン自体は無くなってもイデアや概念は残る感じだろう。

「鏡」「バラギ湖」「あぢさゐ」「ひまはり」などの連作は、すべての歌にその言葉が含まれる題詠のような作りになっていて、作者の持ち味があまり発揮されていないように感じた。

2022年6月23日、書肆侃侃房、2300円。

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2022年07月24日

大辻隆弘歌集『樟の窓』


副題は「短歌日記2021」。

「ふらんす堂」のホームページに2021年1月1日から12月31日まで連載された365首をまとめたもの。3月末で長年勤めた高校を定年退職し、4月から別の高校で再任用で働くという節目の年であった。

  検診
降参のかたちに諸手(もろて)さしあげて冷(さむ)きひかりの輪に斬られをり
  「新冠病毒防控対策」といふ中国語
新冠と書けばなにやら栄耀を帯びたるごとしウイルスといへど
  天皇誕生日
半ズボンより覗きたる太股のましろき頃の浩宮様
  残務処理
シュレッダーに切りきざまれし紙切れが辛夷(こぶし)の花に見ゆるたまゆら
  饅
螢烏賊のまなこ零れてゐたりけり伊万里の皿の青きおもてに
  秡川清掃ボランティア
葦の根をわけて芥をひろふとき舟べりはわが重みに傾(かし)ぐ
  コメダ川井町店
ひつそりと椅子を拭はむ人あらむ私がここを立ち去つたなら
  イオンモール明和
クリスティンどこにゐるのといふ声がフードコートに響く夕どき
  贈物
紅色のストールを肩に纏はせて旋回したり秋のあなたは
  神社掃除
冷えまさる朝の正しき陽をあびて竹箒立つ小屋の右端

1首目、CT検査を受ける場面。「降参」と「斬られ」が対応する。
2首目、新型コロナの中国語表記。イメージが全く違うものになる。
3首目、今の天皇は作者と同じ1960年生まれ。親近感があるのだ。
4首目、退職に伴う処理を行いつつ、過去の歳月を思い出している。
5首目「饅」は「ぬた」。細部の描写が色や質感を生々しく伝える。
6首目、地元の「秡川」は十数首詠まれている。身体感覚のある歌。
7首目、コロナ対策のため使い終った椅子を毎回拭くようになった。
8首目、まるで洋画のワンシーンみたいな台詞と現実の場面の落差。
9首目「旋回」という語の選びがいい。ストールがひらひらなびく。
10首目、きちんと整った場面によく合う文体や言葉を用いている。

以前より時間的なゆとりができたからだろう、名作を次々と読破している。「ジャン・クリストフ」、ゾラ「大地」、マン「ブッデンブローク家の人々」、「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」、鷗外「伊澤蘭軒」、チェーホフ「ワーニャ伯父さん」などなど。

2022年6月23日、ふらんす堂、2420円。

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2022年07月12日

竹山妙子歌集『さくらを仰ぐ』

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「やまなみ」に所属し2017年に亡くなった作者の450首を収めた遺歌集。馬場昭徳さんが選歌・解説をされている。

縄跳びの子ら去りてより空地には痛みに似たる夕ひかりあり
台風に目覚めて思ふ死の前の子にさへわれは己れ守りき
五百羅漢のひとつが逝きし子に肖ると聞けど訪ねてわれのなにせむ
午後の日のあかるき峠しろじろと右も左も下り坂なる
うす紅の蕾がながき時かけてゆたかに冬の白ばらとなる
量ひくく畳に眠りゐる夫よ足の先より夕ぐれながら
草焼きし匂ひただよふ夜の路地慰められしこと腹立たし
ほとほとに他人と思ふ葛切にたつぷりと蜜からむる夫を
まこと塵になりたかりけむ掘られたる古墳の中の褐色の骨
届きたる慶良間のもづく明暗のいづれともなきものに酢を振る
石垣にうごかぬとかげ群青の背にたまものの秋の日を浴ぶ
かならず先に死ぬべき死なすべき夫と並びて見をり垂(しづ)る蛍を
足すりて夫が厠にゆく音に覚めてしみじみこの世と思ふ
つくつくしが鳴いてゐるよと難聴の夫が言ふなり鳴かせておかむ
お前が買つて来るのは何でも旨いと言ひて食べざりし死ぬ朝の豆腐

1首目「痛みに似たる」がいい。剝き出しの地面に西日が強く射す。
2首目、若くして自死した娘を思う歌。下句の悔恨が何とも痛切だ。
3首目、何をしても生き返るわけではないし、取り返しがつかない。
4首目、峠の両側が下り坂なのは当り前だが、そこに味わいがある。
5首目、蕾の時は薄紅だったのに咲くと真っ白になる。手品みたい。
6首目、下句がいい。影の加減なのだが、まるで消えていくようだ。
7首目、少し時間が経過して、帰り道に思い返して腹を立てている。
8首目、長年一緒にいても葛切の食べ方には譲れない違いがある。
9首目、発掘する側ではなく、埋葬された側の思いを想像している。
10首目、三四句がいい。光の加減で濃い緑にも淡い緑にも見える。
11首目、寒いと動きが鈍くなってしまう。まさに「たまもの」だ。
12首目、介護が必要な夫よりも先に自分が死ぬわけにはいかない。
13首目、この世とあの世の境界が薄れる中であらためて感じる生。
14首目、実際には蝉は鳴いてないのだがあえて訂正しないでおく。
15首目、夫の死を悼む歌。もう何も食べられない状態だったのだ。

亡くなった子のことは何度も繰り返し歌に詠まれている。何年経っても消えることのない悲しみと悔恨だったのだろう。

また、終りの方は介護する夫を詠んだ歌が大半を占める。大変なことも多かったに違いないが、しみじみと味わい深い内容になっている。

2022年4月30日、なんぷう堂、2000円。

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2022年07月04日

鈴木竹志歌集『聴雨』

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2013年〜2021年の作品460首を収めた第3歌集。

冬枯れの畑に来たりて餌を探すつぐみに声をかけたくなりぬ
矢面に立つこと苦し大方の矢は避けたれどたまに避けえず
エアコンの風にやうやく慣れるころ秋風といふ天然ものが
元気よく優先席を目指しゆく老いの一人にわれもなりたり
本屋さんの棚に並びて背を見せて本のいのちが灯りはじめる
幸せがここにあるよといふ顔でクリームパンを食べゐるをみな
次々に黄色い帽子が乗り込みて教室となる朝の地下鉄
可動式書庫なれど本が溜まりてこの先は可動不可能にならむ
神保町巡ればうれし佳き本が目ざとくわれを見つけてくれる
わが母が好みて舐めしコーヒー飴買ふこともなしスーパーヤオスズ

1首目、餌の少ない時期なので、応援したい気持ちになるのだろう。
2首目、批判を受ける立場に立たされてしまう。結句に実感が滲む。
3首目、自然の涼しい風を食材に喩えている。「天然もの」がいい。
4首目、批判や皮肉かと思って読むと結句でユーモアに転じている。
5首目、本は書店に並んでこそという思い。本を愛する心を感じる。
6首目、美味しそうに食べる様子。見ている方も幸せな気分になる。
7首目、幼稚園で遠足にでも行くところか。車内の風景が一変する。
8首目、深刻な事態だが「可動不可能」が言葉遊びのようで面白い。
9首目、古本との出会いは一期一会。本が私を見つけてくれるのだ。
10首目、母の亡くなる時の歌。よく買って持って行ったのだろう。

本を愛する作者で、本のタイトルを詠み込んだ歌も多い。

『トリサンナイタ』『あやはべる』『青眉抄』『みだれ髪』『遠き橋』『忘路集』『山西省』『北窓集』『婦負野』『宮柊二歌集』『墨汁一滴』『流木』『落葉樹林』『四月の鷲』『群黎』『白秋のうた』『松本奎堂』『赤光』『曇り硝子』など。

2022年6月26日、六花書林、2500円。

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2022年07月03日

田中綾『非国民文学論』


明治以降の近代国民国家において「国民」の枠組みから疎外された人々(ハンセン病療養者、徴兵忌避者)、あるいは天皇や「女こども」の作品を通じて、国家と国民の関係や国民意識のあり方を描いた評論集。

国民国家の中核ではなく周縁の人々に焦点を当てることで、むしろ近代日本の姿が浮き彫りになる。その視点が非常に鮮やかだ。

近代短歌、とりわけ投稿短歌は、作者の名前とともに発表されるものとして定着していた。〈詠み人しらず〉ではなく、短歌が署名入りの文学だったことは、ハンセン病療養者にとっては特別な意味をもつことであった。
当時二十代半ばだった前川佐美雄は、「革命の短歌」であるプロレタリア短歌に引かれ、一方で「短歌の革命」ともいうべきモダニズム短歌にも引かれていた。
国家と戦時体制に背を向けて〈徴兵忌避者〉として生きることは、逆に身体的・精神的な不自由を引き受けることにもなり、家族など多くのものを犠牲にせざるをえないという逆説が伴っていた。

引用されている明石海人や伊藤保の歌が強く心に残る。ハンセン病療養歌人について、さらに深く知りたくなった。

2020年2月21日、青弓社、2400円。

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2022年06月22日

片岡絢歌集『カノープス燃ゆ』


「コスモス」「COCOON」所属の作者の475首を収めた第2歌集。
近眼のしづかな少女だつたから雨が降る日は雨と話せた
友人の涙こらふる目を見たり星座のやうに誰もが孤り
マフラーを巻いたら足が見えなくて顔から上が歩く感じす
「えべれすと。仕事の量が、えべれすと」呟きながら歩く同僚
ぬるま湯のやうなあなたのてのひらがうなじにあれば私はうなじ
昼食の稲庭うどん橙や赤が見たくて七味を振りぬ
胎児よりあなたの体が心配と母は言ひたり母のみ言ひたり
絶叫が陣痛室にこだまする はじめて聞いたわれの絶叫
産院の授乳室の灯ひそやかに二十四時間消えることなし
幼児にも玩具は玩具でしかなくて触りたいのは財布とスマホ
スーパーで時々見かける泣き喚く子は、本日は私の子です
数人が死ねばただちに孤児となる子と歩きをり地球の上を

1首目、口数が少なく内向的で雨の日の方が居心地が良かったのだ。
2首目、星座は集団のように見えるけれど実は星の位置はばらばら。
3首目、下句がおもしろい。自分の足先が見えなくて不安定な感じ。
4首目、「えべれすと」のひらがな表記に少し壊れた雰囲気がある。
5首目、全神経がうなじに集中している。ひらがなの多用も効果的。
6首目、七味唐辛子を入れるのは味ではなく色の問題だという発見。
7首目、母以外はそうではないのだ。みんな胎児へと関心が向かう。
8首目、日常において絶叫する機会はない。自分の声に自分で驚く。
9首目、赤子への授乳は昼夜を問わない。それが家に帰っても続く。
10首目、触って欲しくないものに限って興味を示し触ろうとする。
11首目、よその子であれば可愛いなと思うが自分の子だと大変だ。
12首目、子どものためにも私は死ねないという思いが湧いてくる。

2022年5月14日、六花書林、2500円。

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2022年06月05日

大下一真歌集『漆桶』


2013年から2018年までの短歌449首(反歌2首を含む)と長歌2首を収めた第7歌集。あとがきに「五百余首の短歌」とあるが、何かの間違いのようだ。

各連作は、2首、5首、8首、11首と、小題を入れて3首組の倍数になっているものがほとんど。そのため、ページに空きがなく歌が組まれている。

追憶となればなべては美しというにもあらず酔芙蓉咲く
喪中葉書三十余通手に乗せてみればさしたる重さならねど
掃くわれを墓石に止まり見ていしがつまらなそうに鴉の去りぬ
人生に百五歳あり一歳あり新盆の経たんたんと誦す
卒塔婆にゆわえられたる鯉のぼり夕べゆらぐは童子の笑むや
どこへ行くのどこへ行くのと問われつつ車椅子押す夕ぐれありき
支え合うゆえに「人」とぞ教わりてあるいはぶつかる形とも見ゆ
おさな子が落として泣きし五円玉探しに来たるようなふるさと
歴代の住持の位牌拭き終えて二十九世住持は背伸びす
暁をふたたび雨の降り出でてかなかなの声消さぬ静かさ

1首目、追憶は美しいという一般的に流布しているな観念を覆す歌。
2首目、30余名の人たちの命の重さだと思えば、ずっしりと重い。
3首目、境内の掃除をしている自分を、鴉の目線で描き出している。
4首目、105歳で亡くなる人も1歳で死ぬ子もいる。それぞれの命。
5首目、幼いうちに亡くなった男の子の墓。鯉のぼりに哀切が深い。
6首目、認知症の母の思い出。車椅子に乗る人には後ろが見えない。
7首目、実際に支え合うこともあればぶつかり合うこともあるもの。
8首目、故郷の懐かしさと哀しさ。昔に帰ることは誰にもできない。
9首目、「二十九世住持」は自分のこと。長い歴史の重みを感じる。
10首目、かなかなの鳴き声と細い雨音が、静寂を引き立てている。

お寺の住職ということで、庭を掃いている歌と経を読んでいる歌がたくさん出てくる。ユーモラスな詠みぶりの歌も多いが内容は軽くなく、生や死について考えさせられる。そのあたりのバランスの良さが持ち味だ。

2021年7月2日、現代短歌社、3300円。
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2022年05月30日

『子規紀行文集』のつづき

最上川の舟下りの場面。

本合海を過ぎて八面山を廻る頃、女三人にてあやつりたる一艘の小舟、川を横ぎり来つて我舟に漕ぎつくと見れば、一人の少女餅を盛りたる皿いくつとなく持ち来りて客に薦む。客辞すれば、彼益々勉めてやまず。時にひなびたる歌などうたふは、人をもてなすの意なるべし。餅売り尽す頃、漸くに漕ぎ去る。

舟下りをする客相手に商売をする舟の様子である。江戸時代に淀川の枚方付近で多く見られたという「くらわんか舟」を思い起こさせる。現代でも、保津川の川下りをすると終点付近でこうした舟が来る。今は観光用といった感じだけれど、昔はもっと生活感があったのだろう。そう言えば、タイの水上マーケットに行った時も、舟で淹れたコーヒーを買って飲んだ。

続いて、秋田県を歩いている場面。

夕日は傾きて本山の上二、三間の処に落ちたりと見るに、一条の虹は西方に現はれたり。不思議と熟視するに、一条の円虹僅に両欠片を認るのみにて、其外は淡雲掩ひ重なりて何事も見えざりき。こは普通の虹にはあらで「ハロ」となん呼ぶ者ならんを、我は始めてこゝに見たるなり。

「ハロ」(halo、日暈、白虹)の目撃談である。こうした科学的な目も持っているところが、子規の紀行文の多面的な面白さにつながっている。

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2022年05月25日

復本一郎編『子規紀行文集』


子規の紀行文の中から「はて知らずの記」「水戸紀行」「かけはしの記」「旅の旅の旅」「鎌倉一見の記」「従軍紀事」「散策集」「亀戸まで」の八篇を収め、詳細な脚注を施したもの。

子規と言うとどうしても病床に寝ているイメージが強いのだが、この本に出てくる子規は明るくて元気。文章も生き生きしていて、実に楽しい。

例えば、松島を舟でめぐる場面の描写。

舟より見る島々縦に重なり横に続き、遠近弁(わきま)へ難く、其(その)数も亦(また)知り難し。我位置の移るを、覚えず海の景色の動くかと疑はる。一つと見し島の二つになり、三つに分れ、竪(たて)長しと思ひしも忽ちに幅狭く細く尖りたりと眺めむる山の、次第に円く平たく成り行くあり。

臨場感に溢れていて、子規のワクワク感がそのまま伝わってくる。
続いてもう一つ。三島から修善寺に乗合馬車で出掛けて徒歩で戻ってくる場面。

こゝより足をかへして、けさ馬車にて駆けり来りし道を辿るに、おぼろげにそれかと見し山々川々もつくづくと杖のさきにながめられて、素読(そどく)のあとに講義を聞くが如し。

一度馬車から眺めた風景を、今度は自分の足でたどっていく。その様子を「素読のあとに講義を聞くが如し」と書いた比喩が見事だ。

俳句も少し引いておこう。

涼しさや羽(はね)生えさうな腋の下
正宗の眼(まなこ)もあらん土用干
山の温泉(ゆ)や裸の上の天の河
唐きびのからでたく湯や山の宿
底見えて魚見えて秋の水深し

脚注にしばしば明治期の『日本名勝地誌』が引かれているのも良い。子規の旅した場所が、当時の人々にどのように認識されていたのかがわかって参考になる。今の記述ではダメなのだ。

2019年12月13日、岩波文庫、740円。

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2022年04月18日

米川千嘉子歌集『雪岱が描いた夜』

 yonekawa.jpg

2018年から21年までの作品462首を収めた第10歌集。
米川さんの歌集では初めてのソフトカバーだ。

結社の仲間の死や長年住んだ家からの引っ越し、老いた母や義父母の世話など、全体に疲労感の滲む歌が多い。

水やりのお母さんら来ることもなし福祉協議会の花壇の消えて
ママ友はつひに友ではなかりけり道の向かうの銀の自転車
家出むと思ひしことの一度あれど歌に詠まねば思はざるごと
三十年の手紙より残すものを抜く 死にしひと疎遠になりしひとばかり
インド風宮殿のやうなロマネスコも食べる義父されど夫と和解せず
母の家より帰ればかならずおなか空きをがたまの花食べる鵯(ひよ)見る
褒められたき日の息子なり山雀はオレンジの胸ふくふくと来る
植物だけを食べる友ゐて不眠をいふ植物はたくさん夢を見るから
雪うすくしろき海星のかたちなす富士山見えて宮崎へゆく
コロナ大題詠大会はいつ果てむあたらしき題はだれが与へむ

1首目、当り前のように眺めていた光景が、いつの間にかなくなる。
2首目、本来の友とは違って子が大きくなれば疎遠になってしまう。
3首目、歌に詠まなかった、詠めなかったという事実の重みを思う。
4首目、転居に際しての整理。手紙の中では生きていて親しい人々。
5首目、食べ物に関しては頑固ではないのだが、親子関係は難しい。
6首目、上句から下句への展開が印象的。自分が食べるのではなく。
7首目、胸を膨らませた得意そうな様子にかつての息子を思い出す。
8首目、下句が謎めいていておもしろい。植物に支配されるみたい。
9首目、富士山の山頂を見下ろす構図。「飛行機」の省略が巧みだ。
10首目、何かに操られるように誰もが一斉にコロナ禍を詠む時代。

2022年3月23日、本阿弥書店、2700円。

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2022年03月28日

逢坂みずき『まぶしい海』(その2)

八日前桃の節句に飾りしが雛人形の最期となりぬ
わが命守りてくれしふるさとの寺の鉄筋コンクリートおもふ
わたしの家の跡からリアス海岸をたどって君の家の跡まで
夢の中なんども津波押し寄せてなんども失くす今はなき家
新しきテレビも育てたる牡蠣も大きさを競う浜の人らは
家ごとに濃さの異なる赤飯をそなえて今日は故郷の祭り
壊れたる家を素手もてなほ壊すあの日の父の怖ろしかりき
犠牲者の二万人のうちわが見しは口元に泥付きし祖母のみ
浦の名のつく集落の看板が山に向かって矢印をさす
莫大な嵩上げの土地見渡せば町全体が古墳のごとし

1首目、東日本大震災の8日前の3月3日を最後に失われた雛人形。
2首目、被災して初めて感じる「鉄筋コンクリート」のありがたさ。
3首目、津波で失われた家や海岸線の光景が頭のなかに甦ってくる。
4首目、一度失われたものは、現実にはもう失うことさえできない。
5首目、漁業で生計をたてる人々の大らかで明るい気質を感じる歌。
6首目、上句に発見がある。自分の家で食べるだけでは気づかない。
7首目、持って行き場のない怒りや悔しさが、強烈に滲み出ている。
8首目、「口元に泥付きし」が生々しい。一つ一つの死が持つ重み。
9首目、海辺の集落が高台へと移転したのだ。失われた風景を思う。
10首目、地面の下に震災という過去の時間が封じ込められている。

「東日本大震災を直接的に詠んだ歌を目にした読者は、特別なつらい経験をした可哀そうな人の歌だ、と少なからず思うのではないでしょうか」(まえがき)、「故郷が震災のせいで有名になってしまったことが悔しくて仕方なかった」(エッセイ)など、作者はたびたび「震災詠」「被災者の作品」という点にだけ注目が集まることに拒絶感を示している。

その思いはよくわかるのだが、被災した人が誰でも作者のような歌が詠めるわけではないし、震災体験がそのまま短歌になるわけでもない。作品に対する評価は素材だけで決まるものではなく、当然ながら作者の力に対する評価でもある。

第1歌集『虹を見つける達人』に続いて、この歌集も仙台の出版社「本の森」から刊行された。そうしたところにも、作者の姿勢はよく表れていると思う。この1冊が多くの方々に読まれますように。

http://honnomori-sendai.cool.coocan.jp/order.html

2022年1月4日、本の森、1800円。

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2022年03月24日

逢坂みずき『まぶしい海』(その1)


副題は「故郷と、わたしと、東日本大震災」。

宮城県女川町に生れた作者が、16歳の時に起きた東日本大震災や愛する故郷について記した「詩」「日記」「短歌」「エッセイ」「評論」「写真」を載せた作品集。

生家が全壊し、避難所や親類宅での生活を送るなどした体験が生々しく描かれている。また、故郷の海や町や家族に寄せる思いの深さも印象的だ。高校生から社会人になるまでの成長の姿も見えてくる。

まずは、2011年の「日記」から。

正午前に大きな地震があった。わたしはアップルパイの生地を型に入れているところで、ばあちゃんも仕事が終わって台所にいた。どんどん揺れが激しくなって「外に出ろ!」とばあちゃんが叫んだので、生地だらけの手のまま玄関から出た。津波は少ししか来なかったし、物が落ちることもなかったので、そのあとは普通に家族でテレビを見た。(3月9日)
何度も強い余震が来た。ビスケットや飴をもらって食べた。ノブ子ばっぱが「被災地とかってテレビでよく見っけども、まぁさか、おい達がなぁ」と言った。誰かがラジオをかけている。千人以上の死者・行方不明者がいて、至る所で(特に気仙沼)火事が発生しているらしい。(3月11日)
中学校から戻ってきたカズからつらいことを聞いた。元紀君が犠牲になったらしい。家にいたおっぴさんを助けに行き、津波に飲まれてしまったという。わたしが目撃した最後の彼の姿を思った。(3月14日)
おばあさんは袋に入っていた。メガネおんちゃんが「ばあさん、みずき来たど」と言い、袋を開けた。おばあさんは青黒い顔をして目を閉じていた。口から少し泥が垂れているようだった。“変わり果てた姿”という言葉の意味が分かった気がした。(3月21日)

こうしたつらく悲しい出来事が記される一方で、いかにも高校生といった話題も載っている。

テレビでたくさんの芸能人が被災地への応援メッセージをくれた。嵐もCMに出て「がんばろう日本!」と言っていた。キャー‼がんばるよ〜嵐〜‼(3月24日)
せーちゃんは神田正輝とのツーショット写真を見せてくれた。じゅん君はベッキーに会った。しんちゃんは元気食堂でボランティアをしていた上戸彩にハグしてもらったと言うのでみんなが「ちょっと〜」「何してんの〜(笑)」と言った。みんなといるだけでこんなに笑える!(4月21日)
数学が分からなくて「円と方程式」なんて将来使わないのに!」と言っているミユキちゃんに、みふーちゃんが「明日使うべ!」と叱咤していた。そうだ。将来使わなくても明日のテストで使うのだ。(6月20日)

こんなふうに明るく楽しい話もけっこう多い。もっとも、日記も一つの表現なので、それが実際そのままの明るさとは限らない。自分を励まし元気づけるために書いている面もあるのだろう。

全篇から伝わってくる素直さや誠実さは作者の持ち味と言っていい。それとともに、表現手段を持っている人の強さやたくましさも感じる一冊である。

2022年1月4日、本の森、1800円。

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2022年03月23日

今西幹一編『文人短歌2』


副題は「うた心をいしずえに」。

取り上げられている文学者は、林芙美子、樋口一葉、堀口大学、三浦綾子、三島由紀夫、宮沢賢治、三好達治、室生犀星、森鷗外、保田與重郎の十名。(打ち込んでいて気が付いたが、50音順だ。)

いずれも「歌人」ではなく、「小説家」「詩人」「評論家」といった人々である。個々の作品に印象的なものがあるだけでなく、短歌という詩形に対する意見が興味深い。

私は、別の形で自分の思いを語ろうとしはじめていた。詠うのではなく、語ることを持ちはじめたのである。それはキリストの愛を隣人にわかちたいという素朴なねがいであった。むろんその思いは、洗礼を受けた当時から持ってはいたが、それは短歌では果たし得ないことに、私には思われたのだ。(三浦綾子「私の中の短歌」五)
抒情詩に於ては、和歌の形式が今の思想を容るるに足らざるを謂(おも)ひ、又詩がアルシヤイスムを脱し難く、国民文学として立つ所以にあらざるを謂つたので、款を新詩社とあららぎ派とに通じて国風振興を夢みた/前にアルシヤイスムとして排した詩、今の思想を容るゝに足らずとして排した歌を、何故に猶作り試みるか。他なし、未だ依るべき新なる形式を得ざる故である。(森鷗外「なかじきり」)

いずれも、短歌形式の限界や制約に言及していて考えさせられる。

1992年1月5日、朝文社、2500円。

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2022年03月16日

田村穂隆歌集『湖(うみ)とファルセット』(その2)

無傷って言うときひとつめの傷ができる気がする 僕は無傷です
はつふゆの日が差すシンク手もそして心も米に研がれるような
文芸部部室へと差す西陽ごと図書館棟は解体される
剥き出しの肉だ、朱肉は。ゆっくりと苗字を肉に沈めていった
毛づくろいにも息つぎが必要で猫のせなかに波打つひかり
朝靄に空と湖面が繋がったあの日からもうずうっと眠い
明太子、とても美味しい。産まれたい気持ちが口の中にあふれる
両脚にこころを溜めて人間はすこし身じろぎできるだけの樹
折り鶴は肉を持たない鶴だから風にしゃらしゃら鳴らすたましい
ぬらぬらと胃に赤い毛が生い繁り本当はずっとあなたが怖い

1首目、本当に傷ついていないのならば「無傷」と言う必要もない。
2首目「研ぐ」ではなく「研がれる」。削られていくような気分だ。
3首目「西陽ごと」がいい。思い出やそこで過ごした時間もすべて。
4首目、朱肉に印鑑を押し付ける感覚が生々しい。「苗」も効果的。
5首目、猫の動きがありありと見えてくる歌。上句に発見がある。
6首目、過去に起きた出来事が何か決定的な変化をもたらしたのだ。
7首目、明太子の一粒一粒がまるで孵化するような感触を味わう。
8首目、人間と樹は案外近い存在。何かにじっと耐えているような。
9首目、肉がないからこそ純粋に魂が輝く。人間はそうはいかない。
10首目、仲の良い相手に対してでも、どこかに怖れや怯えが残る。

ところどころに宍道湖や古墳など地元島根の風土を感じさせる歌がある。また、毛・ひげ・声・喉など、性徴に関する歌も多い。そうした意味でも『湖とファルセット』は良いタイトルだと思った。

2022年3月1日、現代短歌社、2000円。

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2022年03月15日

田村穂隆歌集『湖(うみ)とファルセット』(その1)

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第8回現代短歌社賞次席の作者の第1歌集。
2014年頃から2021年までの作品410首を収めている。

そうか、僕は怒りたかったのだ、ずっと。樹を切り倒すように話した
わたしにもキウイにも毛が生えていて刃を受けいれるしかない身体
水滴と水滴を繋げるような悲しみかたを窓に教わる
わたしから父が産まれるのが怖いわたしは怒鳴ることができない
言い淀む喉のあたりが膨らんできっとここから咲くのはダリア
履歴書に証明写真を貼るために少しだけ切り落とす両肩
みんながみんな死にたいわけじゃないんだと言われた今日の湯船の深さ
感情の調査をすれば出土する銅剣三百五十八本
きっともう枯れ葉になっているだろう前の仕事で交わした名刺
この人にも性欲がある ミツバチの重さにゆれる白い花びら

1首目、長い間自分の中に抱え続けていた感情の正体に突然気づく。
2首目、粗い毛と皮の内側に瑞々しい果肉があることの痛ましさ。
3首目、子どもの頃によくやる遊び。水滴の繋がる感じが生々しい。
4首目、自分の中にも男性性や暴力性が潜んでいることへの怖れ。
5首目、言えなかった言葉の種が鮮やかな花となって咲くイメージ。
6首目、写真の話なのだが、実際に両肩を切ったような痛みがある。
7首目、誰もが希死念慮を持っていると思っていたのに違ったのだ。
8首目、島根県の荒神谷遺跡。感情から銅剣への展開に驚かされる。
9首目、仕事を辞めてしまえば名刺は何の意味もない紙切れになる。
10首目、性欲が二人の関係に微妙な影を落とす。三句以下がいい。

身体に対する違和感や父との関係性が大きなテーマになっている。個性的な比喩やイメージと多彩な文体によって、内面にある感情や感覚を鮮やかに伝えている。読み応えのある一冊だ。

2022年3月1日、現代短歌社、2000円。

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2022年03月02日

山名聡美歌集『いちじくの木』

著者 : 山名聡美
砂子屋書房
発売日 : 2021-12-23

2016年から2020年の作品288首を収めた第1歌集。
仕事をして、料理をして、自分で自分を支えている。

話すこと尽きてしまった月のした骨の名前を順番によぶ
土を離れふたたび土に落つるまでの蟬の時間にそそぐ陽光
駅前の青空市でなんとなく買いたるカボチャ電車にゆれる
開かない日もあるけれど止まり木のような一冊かばんにいれて
コンクリの擬木のごとくかわきたる市役所わきのコナラの根本
うろこ雲吊り輪のなかをうごかずにうごいているのは街と電車だ
コンビニのおにぎりだけどみそ汁をつくれば人の感じがもどる
休職の人の机のひきだしをあけてときどき消しごむ借りる
階段の途中のような昼休みコーヒーカップの耳につかまる
階段を走って降りる若猫の背中の肉の動くを愛す
きしきしとひきだしだけを交換し課内異動は完了したり
「ヤマネさん」呼びまちがえられてそのままにしばらく暗いところで暮らす
泣きながらたべたカレーの熱さとかそういうものでできてるからだ
その店を教えてくれた友達がいなくなっても店には通う
唇を人にぬらせて死のことを少し思いぬ春のデパート

1首目、下句に意外性がある。身体の各部の骨の名前ということか。
2首目、蟬の成虫の短い命を「そそぐ陽光」で鮮やかに切り取った。
3首目、思い付きで買ってしまったけど持ち帰るのがなかなか大変。
4首目、おそらく心の支えになる本。お守り代わりにもなっている。
5首目、本物の木が擬木に似ているという倒錯がいかにも現代的だ。
6首目、電車での通勤。動かない雲を見ながら職場へ運ばれていく。
7首目、みそ汁だけでも自分で作ると立派な食事という感じになる。
8首目、消しごむを使う時にだけ、居ない人の存在が浮かび上がる。
9首目、結句の「つかまる」がいい。かろうじて自分を支えている。
10首目、背中の肩甲骨や肉の動きが、毛皮越しに生々しく見える。
11首目、引出しを空にするより早い。あっけなく終わってしまう。
12首目、名前を間違えられて、動物のヤマネのような気分になる。
13首目、その時の悔しさや悲しさが今は自分の一部になっている。
14首目、人と人との関係はこういうもの。ふと思い出したりする。
15首目、店員に口紅を塗られつつ自分の死化粧を想像してしまう。

「京都」「熱海」「小豆島」「大阪」「尾道」など、旅の歌が良いアクセントになっている。あと、時々出てくるお母さんもユニークだ。

2021年12月23日、砂子屋書房、2500円。

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2022年02月23日

馬場あき子『鑑賞 与謝野晶子の秀歌』


今は無き短歌新聞社の「現代短歌鑑賞シリーズ」の1冊。

『みだれ髪』から『白桜集』まで与謝野晶子の作品を鑑賞しながら、その生涯や特質を描き出している。ちょうど『定本与謝野晶子全集』全20巻(1979〜81、講談社)が刊行された時期の著作で、

晶子の異常なまでのエネルギーの一端にふれて、改めて総合評価の俟たれる作家であることを感じないわけにはいかない。

と第1章に記している。「あとがき」によれば、この全集の刊行は晶子の生誕100年を記念してのものだったようだ。

その後も、『与謝野晶子評論著作集』全22巻(2001〜03、龍溪書舎)や『鉄幹晶子全集』全40巻(2001〜21、勉誠出版)が刊行されているが、いまだに晶子と言えば『みだれ髪』=恋の歌のイメージばかりが強いのはなぜなのだろう。

北海の鱒積みきたる白き帆を鐘楼に上り見てある少女(をとめ)
                『舞姫』
磯の道網につながる一列のはだか男(を)たちに秋の風ふく
                『常夏』
空樽の中より出でし大やんま雲に入る時夕風ぞ吹く
                『朱葉集』
いさり火は身も世も無げに瞬きぬ陸は海より悲しきものを
                『草の夢』
筆とりて木枯しの夜も向ひ居き木枯しの夜も今一人書く
                『白桜集』

1984年1月10日初版、1992年5月1日4刷。
短歌新聞社、1900円。

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2022年02月16日

溝川清久歌集『艸径』

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「塔」の作者の第1歌集。515首。
草木に関する歌と絵画、音楽の歌が多い。

おほたかの営巣ありし樹を指してなほ棲めるがに声低くいふ
改訳といへど史実に変はりなく冬の書店に並ぶ『夜と霧』
戦歴のこぼれ読めざる六文字を○印とし墓碑写し終ふ
上の子の歯型ちひさく残りたる笏(しやく)見遣りつつ雛を並べぬ
採り来たる秋野の草の種子(たね)収め古封筒の角を折りたり
ベルリンの壁とて夏に子のくれしあをき欠片が歌集と並ぶ
桃と桜ふたつの組の幼らが開門式のテープを切れり
子の文字で「なにかのたね」と書かれありバウムクーヘンの箱のおもてに
ここからはもつと寂しい川である水鳥の名をいくつ挙げても
厚紙の建築模型をたどりつつ現存せずとあるをまた読む
君のこゑが雪と言ひたり覚めやらぬままになづきの仄か明るむ
棚に遺る絵具の瓶の大小に仄けく緑青(ろくしやう)、白群(びやくぐん)透ける
連翹にやまと・てうせん・しなありて大和のちさき花を思ふも
幾振りの刃文(はもん)を見たる帰るさの堤くらきにびはの咲きをり
びはの実のつかのま見えて緑濃き君が旧居のまへを過ぎたり

1首目、貴重なオオタカの繁殖地。小声で言うのが癖になっている。
2首目、ナチスの強制収容所体験を記した本。上句に発見がある。
3首目、戦死した伯父の墓。墓碑を写すという行為に思いがこもる。
4首目、赤子だった頃に嚙んだのだろう。毎年見るたびに思い出す。
5首目、保存用に古い封筒を再使用する。結句の具体が効いている。
6首目、ドイツ旅行の土産だろう。本棚に置かれているのが面白い。
7首目、桃組と桜組。セレモニーの晴れやかな感じがよく出ている。
8首目、子がまだ小さかった頃のもの。「バウムクーヘン」がいい。
9首目、上句は川の風景とも取れるし人生の比喩のようにも読める。
10首目、設計段階で作られた模型が、建物よりも長く残っている。
11首目、まだ寝床にいる時に聞こえる声。脳裏に雪景色が広がる。
12首目、亡くなった日本画家の遺品。残った絵具に存在感がある。
13首目、「大和」「朝鮮」「支那」という名付けに時代を感じる。
14首目、刀剣展を見た後の余韻に深く浸りつつ景色を眺めている。
15首目、君がいなくなった後も変らずに季節が来れば実を付ける。

こうして読んでみると、今はもう無いもの、失われてしまったもの、過ぎ去った出来事、についての歌が多いことに気がつく。そうしたものを思い出し、振り返り、愛おしみ、記憶にとどめるために、作者は歌を詠んでいるのかもしれない。

2021年11月23日、青磁社、2800円。

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2022年02月14日

中林祥江歌集『草に追はれて』

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塔短歌会所属の作者の第1歌集。
長年、和歌山で無花果栽培をされてきた方である。
縁あって、解説を書かせていただいた。

考へて思ひあぐねし時いつも無花果畑に聴いてもらひぬ
オリーブは気弱な木なり夫と伐る相談するうち枯れてしまへり
本を読む少女の靴のつま先が折々あがる朝の電車に
ふとおもふおもひを通すと通さぬはどちらがどれだけ強いのだらう
逝くものと生れくるもののあはひにてこの世はかくも花にあふるる

現代短歌社のオンラインショップで購入できます。
https://gendaitanka.thebase.in/items/58689001

2021年12月10日、現代短歌社、2750円(税込)。

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2022年02月12日

奥田亡羊歌集『花』

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第3歌集。短歌339首と詩1篇。

ボカロP tamaGOの歌詞との合作や「ソルト・マーチ」「東京オリンピック」の映像を元にした連作、詞書を多用した「平成じぶん歌」、祖父の俳人奥田雀草の足跡をたどる連作など、様々な試みを行っている。

黄昏に遅れてくらみゆく沼の
口をひらいて人の名をよぶ

花よりも葉の斑つやめく石蕗の
暗きいのちを抱かんとする

首のないにわとり転びつつ走る
愛はつめたいものではないのか

まっすぐに立ちたる水に
一輪の薔薇が挿されて秋の日となる

ダリの絵の時計のごとく滴りて
猫の眠れる石段のぼる

形なき猫を抱けば
あたたかい袋のなかに骨が動いた

ガスタンクを巻きてひとすじ
階段のほそき影あり月の光に

ゴンドラの影のにわかに迫りきて折れ曲がりつつ尾根を越えたり

警官も怖かったろう
にんげんを殴り続けて終わりなければ

小手鞠は夜目にも見えて山吹は見えずなりたり野につづく庭

1首目、暗くなってゆく水面へと飲み込まれてしまいそうになる。
2首目、石蕗の黄色くて明るい花ではなく、葉の方に着目している。
3首目、鶏を屠殺する場面。上句と下句の取り合わせに迫力がある。
4首目、花瓶と言わず「まっすぐに立ちたる水」と言ったのがいい。
5首目、上句の比喩が抜群。「滴りて」と液体のように詠んでいる。
6首目、猫を抱いた感触がありありと甦る。骨の手触りが生々しい。
7首目「巻きて」がいい。球体に緩やかな螺旋を描いて天辺に続く。
8首目、箱根のロープウェイ。地表に映る影の描写に臨場感がある。
9首目、ガンジーらのデモを鎮圧する警官側の心情を想像している。
10首目、小手鞠の白さは、夜でもほのかに浮かび上がって見える。

二行の分かち書きになっている歌が多いのだが、単に一首を二行に分けたのではなく、一行目と二行目が連句のような関係になっていると感じた。その関係は、ボカロP tamaGOの歌詞を取り込んだ合作にも生かされている。

2021年12月10日、砂子屋書房、3000円。

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2022年02月06日

鹿野政直・香内信子編『与謝野晶子評論集』


与謝野晶子の評論27篇を収めた本。
30歳代から40歳代、大正時代に書かれた論が中心となっている。

晶子の評論は抜群にいい。短歌よりも良いかもしれない。
実に精力的に論を書いていて、毎年のように評論集を出している。

婦人問題や男女平等の話だけでなく、政治や社会、国際情勢など、非常に幅広く論じている。大正デモクラシーの時代でもあり、民主主義についての話も多く出てくる。100年経った今でも十分に通じる内容ばかりだと思う。

(それだけ、100年経っても社会や世界が変っていないということでもあるのだけれど)

1985年8月16日第1刷、2018年8月17日第14刷。
岩波文庫、810円。

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2022年01月30日

嶋稟太郎歌集『羽と風鈴』

著者 : 嶋稟太郎
書肆侃侃房
発売日 : 2022-01-18

「未来」所属の作者の第1歌集。251首。

章の間(ま)に挟んだままのレシートの数日前の生活を読む
屋久島の森に置かれたマイクから配信される雨音を聞く
シンクへと注ぐ流れのみなもとの傾きながら重なるうつわ
転職と転居を終えたひと月にウンベラータの鉢を買い足す
くるぶしの近くに白い花が咲く靴紐を結い直す時間に
透きとおる小さな筒に挿されおりテーブル二つ分の伝票
この年の風鈴市は無いらしい整体師から聞く町のこと
柚子の実を底に放せばゆずの実のやがてあらわる膝の間に
太き根は路(みち)のおもてを持ち上げてわが足元に山脈となる
半地下のガレージがある歯科医院 夾竹桃が反り立っている

1首目、栞代わりに挟んだレシートを見てその日の行動を思い出す。
2首目、自宅に居ながらはるか遠くの屋久島の森にいる気分になる。
3首目、片付けられずに積み上がった食器類を伝って流れていく水。
4首目、生活の大きな変化に合わせて部屋の気分も少し変えてみる。
5首目、靴紐を結び直そうとしゃがんだので花に気づいたのだろう。
6首目、確かに「透きとおる小さな筒」だ。会計は一緒のグループ。
7首目、「風鈴市」が現実とは別の世界のような味わいをもたらす。
8首目、柚子湯だと言わないでわかるのがいい。つい遊んでしまう。
9首目、アスファルトに亀裂が入り盛り上がる。「山脈」が印象的。
10首目、どれも関係ないようでいて、地下や根の感じが響き合う。

全体に省略がよく効いていて、少ない言葉で場面を浮かび上がらせている。情報量が適度か、あるいはやや足りないくらいの感じで歌が出来上がっているところに特徴がある。

2022年1月18日、書肆侃侃房、2000円。

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2022年01月28日

岡井隆歌集『神の仕事場』


1990年末から1994年春までの作品を収めた歌集。全402ページ。

詞書、折句、口語、長歌、俳句など、様々な修辞や試みが行われている。ゆっくりと時間を掛けて読み解き、何度も繰り返し味わうことのできる歌集だ。

永遠に不平屋としておれはゐる 濡れし鼻面を寄せる巨犬(おほいぬ)
冬螢(ふゆぼたる)飼ふ沼までは(俺たちだ)ほそいあぶない橋をわたつて
生きゆくは冬の林の単調さ(モノタナス) とは思はないだから生きてる
うすうすは知りてぞくだる碓氷嶺(うすひね)のおめへつて奴がたまんねえんだ
朝毎に日経をよむささなみの数字の波もデザインとして
午後(ひるすぎ)はゼミの学生前列に安寝(やすい)するまでわが声甘し
つらつらにつゆいりまへのみなとまちあさのうをいち見ずてさりゆく
玄関にでて手を垂れてあやまりし亡き父よむづかる左翼の前に
轢断といふを思へば昨夜(きぞ)われは人のこころを轢いて来にけり
スキャンダラスにノートリアスに生きるとは矢が立つたまま飛ぶことである
目の下の脹(は)れたる顔が映りをり向うは清き朝の早苗田
人間は空しき艇庫わたつみゆいつ帰り来む愛をし待ちて
越の国小千谷(をぢや)へ行きぬ死が人を美しうするさびしい町だ
陽物(やうもつ)を摑みいだしてあけぼのの硬き尿意を解き放ちたり
みづうみと無数に情を通じたる大河(たいが)よ夜の水になりゆく

1首目、現状に満足できない自分。下句の巨犬は自画像であろうか。
2首目、挿入句(俺たちだ)の働きがおもしろい。秘密めいた冒険。
3首目、上句で定義したと見せかけて下句で鮮やかにひっくり返す。
4首目、ヤマトタケルの「吾妻はや」を踏まえた下句の言い回し。
5首目、株価欄にならぶ細かな数字を「デザイン」と捉えている。
6首目、自分の声を「甘し」と詠んだところに自嘲と自負がにじむ。
7首目、ひらがなを多用した表記。有名な朝市に寄らずに帰る旅だ。
8首目、学生運動が賑やかだった頃。「手を垂れて」の描写がいい。
9首目、轢断は体をひくことだが、心をひく方が無惨かもしれない。
10首目、印象に残る下句は1993年の矢ガモ騒動を踏まえている。
11首目、窓ガラスに映る二日酔いの顔と早苗田の対比が鮮やかだ。
12首目、永遠に戻って来ないかもしれないボートと空っぽの艇庫。
13首目、大雪や織物で知られる町。「美しう」のウ音便が美しい。
14首目、朝起きて小便をするところ。「硬き尿意」の張り詰め感。
15首目、慣用句「情を通ずる」を川の流れのイメージで蘇らせた。

1994年9月20日、砂子屋書房、3500円。

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2022年01月17日

今西幹一編著『文人短歌1』

副題は「うた心をいしずえに」。
小説家や詩人、評論家たちが詠んだ短歌について解説した本。
全2巻。

登場するのは、芥川龍之介、大塚楠緒子、岡本かの子、川端康成、立原道造、高村光太郎、谷崎潤一郎、中原中也、萩原朔太郎、秦恒平の10名。それぞれの専門家の学者が執筆している。

短歌への取り組み方や詠んだ歌の量は、人によってさまざまだ。

短歌(和歌)のなかだちによって文芸に開眼された文人は数多い。そのまま作歌を生涯の業とした歌人は別にして、その多くは詩や小説に移行し、その分野において自己の本領を発揮してからは、すっぱりと短歌を捨て去っている。おおむね自己の過去の作歌歴を一種の羞恥とヴェールに包み、なかには恥部のように秘め匿しているかと思える例もある。

短歌からした小説へと移行した文学者の作品を追うことで、短歌という形式の持つ特徴が見えてくる。「短歌はついに意識のはてを作品化しえない」「短歌的詠嘆は必ず感情の自己満足=判断停止を伴って対象物の中にとけ込もうとする」といった指摘もあり、その当否は別にして、あれこれ考えさせられた。

1992年1月5日、朝文社、2500円。

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2022年01月10日

平山城児『鷗外「奈良五十首」を読む』


1975年に笠間書院から刊行された『鷗外「奈良五十首」の意味』を改訂、増補して文庫化したもの。森鷗外「奈良五十首」(「明星」1922年1月)に関する詳細な注釈書だ。

鷗外は陸軍軍医総監を退任したのち帝室博物館総長となり、毎年正倉院の宝物の曝涼に立ち会うために奈良を訪れた。その際の歌をまとめたのが「奈良五十首」である。

難解な歌も含まれるその1首1首について、著者は資料に当たるだけでなく、実際に現地を訪れ、関係者の話を聞くなどして、実に細かく調べていく。かなりマニアックな内容と言ってもいい。

その熱意の奥にあるのは、

鷗外の文学活動はあらゆるジャンルにわたっているために、鷗外の短歌は、これまでひどく不遇な位置におかれてきたようである。

という思いであった。

まるでミステリーを読み解くような一冊で、実証的な文学研究の醍醐味を味わうことができる。鷗外の足跡を訪ねて奈良にも行ってみたくなった。

2015年10月25日、中公文庫、1000円。

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2022年01月03日

山下翔歌集『meal』(その2)

明けがたにいちど目覚めてゐたことは言はないでおく まぶしい部屋だ
並ひとつたのめば愉し今ここに食べる十個の寿司のつやめき
投げをへしいきほひのままに寝ころべば視線の先にピンが吹き跳ぶ
屋上へ干しにゆかむと掛け布団敷き布団あたまに載せてはこびき
きみはうな丼ぼくはうな重むきあつて食べる柳の窓を見ながら
ざれあひて二頭のらつこ絡まれるひとつ水槽をしばらく見ゐつ
暴力はすなはち人をかたくするたつた一度の暴力なれど
窃盗の父をむかへに行きしとき橋の往来に雪ながれをり
まづしさに母が買ひたる真つ赤なるリュックサックわがために、ちひさき
三人くらゐは食べるだらうといふ判断にライス小来る三人で食ふ

1首目、目が覚めたけれども何か理由があって寝たふりをしたのだ。
2首目、並でも十分に美味しい。「つやめき」まで言ったのがいい。
3首目、ボーリングをしているところ。動画を見ているような迫力。
4首目、子どもの頃の暮らしの思い出。「あたまに載せて」がいい。
5首目、同じものでも全く違うものでもない。君との微妙な距離感。
6首目、ラッコは交尾する時にオスがメスの鼻を嚙むのだと聞く。
7首目、暴力を振るわれたことのある人は身体がこわばってしまう。
8首目、忘れることのできない記憶。下句の風景が刻まれている。
9首目、それでも嬉しかったのだ。哀しみと深い愛情を感じる一首。
10首目、飲み会ではこういう注文の仕方をすることがよくあるな。

「もう何も言へなくなつてひたすらにご飯を詰める胸の奥から」という歌もある。作者はきっと何も言えなかったり、心が虚ろだったりすると、その代わりにたくさん食べるのだろう。食べることは作者にとって喜びであるとともに、慰めでもあるのかもしれない。

2021年12月25日、現代短歌社、2200円。

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2022年01月02日

山下翔歌集『meal』(その1)

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2018年、19年に詠まれたものを中心に550首を収めた第2歌集。

タイトルの通り食べものを詠んだ歌が多く、ユーモラスな内容も含まれているが、ずっしりとした読後感が残る。食べものの歌を通じて人との関わり方や距離感が描かれているところに大きな特徴がある。また、母をはじめとした家族や生い立ち、自らの指向に関する歌もあって、作者の歌の根っこにあるものが窺える。

さみしさはきみがとほくへ行くやうで妻と児と連れ立つてとほくへ
捩子といふにも雄、雌の別あることのその比喩のことにがく思ふも
真白なる馬のたてがみ嚙みごたへなきをふしぎと長く嚙みたり
島らつきよう嚙みつつビール飲んでゐるビールにも島らつきようにも飽きて
うみどりは声にごらせて鳴くものを嗚咽のごとく聞きて過ぎゆく
町は体 ゆび這はすごときみは来ていろいろのところ歩きたるかな
カット野菜ぶつこんで食べるカップ麺からだあたたかく感慨はくる
生魚のにほひ時折を感じつつ刺身パン食へり布団のうへに
ハッピーバースデーわたしが聞いた宵いくつたどればそこに生まれるわたし
シャワー室にスクワットするわが姿大き鏡のなかを上下す

1首目、同性の「きみ」の結婚や子の誕生を寂しむ思いが強く滲む。
2首目、男女という性別によって区分されることに対する違和感。
3首目、味わっているというよりも、心を鎮めるために嚙んでいる。
4首目、交互に飲み食いするうちに、自動的に口に運ぶ感じになる。
5首目「嗚咽のごとく」聞こえるのは作者の中に嗚咽があるからだ。
6首目、濃密なエロスを感じさせる歌。自分の暮らす町を歩かれる。
7首目「か」の音やア行の響きが小さな満足感をうまく伝えている。
8首目、自家製「刺身パン」の衝撃力。ひとり暮らしの感じが濃い。
9首目、祝う人がいて幸せだった誕生日の記憶を、遠くさかのぼる。
10首目「上下す」がいい。自分の身体が別物のように感じられる。

2021年12月25日、現代短歌社、2200円。

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2021年12月29日

永田和宏歌集『置行堀』


2013年から2017年までの作品492首を収めた第15歌集。

床紅葉(ゆかもみぢ)と誰かが名づけたるゆゑに紅葉より床を見る人多し
            京都岩倉実相院
雪つもらねば気づかなかつた水の幅電車の窓のゆふぐれに見き
長き手の長きがままに垂れゐたり湖北の寺の暗き灯(あか)りに
            渡岸寺十一面観音
琵琶湖産と念を押されて皿に載るまこと小さき諸子(もろこ)の一尾
いつもいつも大事なことは言ひ忘れ運河を流れゆく壜の尻
顔のあたりから老けてゆくのがよくわかる焚火の熾(おき)に屈みこむとき
網目キリンは網目のなかに生まれきて網目は立てり生後一日
天井のひとところ色の変はりたり夜ごとあなたに線香を焚く
凄いわねえとあなたが褒めて褒め上手褒められ上手のわたくしがゐた
石段の一段づつに積もりたる紅葉掃かねばと思ひつつをり

1首目、名前が与えられたことで、人々の注目を集めるようになる。
2首目、一面に雪に覆われた風景の中で、川だけが黒く流れている。
3首目「長きがままに」がいい。あらためて長さが印象付けられる。
4首目、琵琶湖八珍の一つ。漁獲量が減って高級食材になっている。
5首目、上句の「情」と下句の「景」の取り合わせに味わいがある。
6首目、熾火の熱や光を顔面に受けた時に自らの老いを感じたのだ。
7首目、本物の網をかぶって生まれてきたかのように詠まれている。
8首目、何か漏れているのかと思って読むと、下句でしんみりする。
9首目「褒め上手」はよく聞くが「褒められ上手」も大事なことだ。
10首目、歌に詠むよりも本当は箒で掃いてしまえば良いのだけど。

2021年11月12日、現代短歌社、3300円。

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2021年12月23日

渡辺泰明編『和歌のルール』

著者 :
笠間書院
発売日 : 2014-11-04

「枕詞」「序詞」「見立て」「掛詞」「縁語」「本歌取り」「物名」「折句・沓冠」「長歌」「題詠」の10のテーマについて、それぞれ和歌の専門家が解説した本。

どの章も有名な例歌を挙げてわかりやすく説明していて、和歌の入門書としてもってこいの一冊になっている。

和歌に使われる言葉は、限られています。(…)それまでの和歌の中で使用されてきた、洗練された語句しか使っていけないからです。選ばれた言葉によって三十一文字でまとめられていて、その中だけで考えればよいというのですから、複雑なものになるはずがありませんね。和歌というのは、とてもシンプルなものなのです。
序詞の持つ具象的なイメージを頭の中に残しつつ〈思いの文脈〉を読むと、何となく作者の心がわかったような気がするのです。(…)序詞は、表現しにくい伝わりにくい人の心に形を与え、心が表現できたかも知れない、心がわかったかも知れない、という感覚を抱かせてくれる表現技法なのです。
一般に歌は初句から順に読みはじめ、結句に至って全面的に趣旨が明らかになるものです。だから、初句を見た時にはまだ全貌が見えません。しかし、先をある程度予想して読みを修正しながら読み進めていきます。そうして最後までたどり着いた時、はじめて全体像が見えるわけです。

これまで、和歌は何となく敬して遠ざけてきたのだけれど、意外に現代の短歌とも共通する面がいろいろとあるのだと感じた。今後少しずつ読んでいこうと思う。

2014年11月1日第1刷、2020年1月10日第7刷。
笠間書院、1200円。

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2021年12月15日

遠藤由季歌集『北緯43度』


「かりん」所属の作者の第3歌集。2016年から2019年までの作品290首を収めている。タイトルは旅行で訪れた札幌の緯度。

前かがみに人々走らす広重の雨の角度をいま窓に見る
ひらいたら散りゆくばかりのカレンダー筒状のまま立てかけておく
人であるわれとかもめであるかもめ出会う沼へと夕暮れはくる
みずからの深きところにひろげたる蒼知らぬまま消える水溜まり
ちんまりと服に埋もれる黒柳徹子の昼を風邪にこもりぬ
瓶ビールの王冠ほどの海老を買う身ぐるみ剝がされ丸まりたるを
母の椅子からは欅がよく見えて今日はつぶらな雲を乗せおり
一生分詠いつくして出がらしの人称としてしまいき「きみ」を
トンネルを抜け出たように翻るつばめにもきっと利き羽あらむ
ひと粒のあまつぶ食べてあまがえる目をつむりたり緑濃くなる

1首目、東海道五十三次の「庄野」の光景が目の前に広がっている。
2首目、初二句までは花の話かと思う。まだ手つかずの一年である。
3首目「かもめであるかもめ」は当り前なのだが一期一会を感じる。
4首目、水溜まりに映る青空を、水溜まり自身は見ることはない。
5首目、約半世紀続く「徹子の部屋」。身体は小さくなったけれど。
6首目「王冠」の喩えから丸まった海老の大きさや形が目に浮かぶ。
7首目、母の椅子に座ると、ふだん母が見ている風景が理解できる。
8首目、かつて相聞歌に多く用いただけに、もう気軽には使えない。
9首目、人間に利き腕があるように鳥には利き羽があるという発想。
10首目、初句二句三句の音の響きが楽しい。満足している様子だ。

甥や姪を詠んだ一連(「クリオネのごとく」「姪に似たひとり」)があることも、この歌集の特徴に挙げられるだろう。

2021年11月18日、短歌研究社、2200円。

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2021年12月09日

三枝ミ之『跫音を聴く』


副題は「近代短歌の水脈」。

近代歌人に関する23篇の文章を集めた評論集。短歌誌や紀要に掲載された評論のほか、講演録や講義の筆記などもあり発表の場は様々だ。けれども、それらが時代順に並ぶと、自ずと近代短歌史の流れが浮かび上がってくる。

登場する歌人は、落合直文、佐佐木信綱、与謝野晶子、石川啄木、北原白秋、窪田空穂、宮沢賢治、半田良平、佐藤佐太郎など。

一見すると無関係に思えるが、実は文芸の動きに戦争が及ぼす作用は決して小さいものではない。とりわけ、明治以後の日本最初の対外戦争である日清戦争と日露戦争の影響は大きかった。信綱の回想からは、それが新しい短歌を促進する力としても作用したことが確認できて、大変興味深い。
旧派和歌の厚い題詠の壁を突き崩すためには体温40度の『みだれ髪』が必要だった。しかし次にはそれを暮らしの歌に着地させるために平熱の自我の詩が求められた。その役回りを典型的に担ったのが啄木の『一握の砂』だった。
日常生活のなかに起こるかすかな気分の波立ち、すぐに消えてしまいそうなささやかな場面、それらも歌にするといつまでも保存され、暮らしを小さく豊かにする。短歌はそうした領域がもっとも得意な詩型である。それが空穂の短歌観の核心である。

著者の幅広い知識と、短歌に対する愛情が十二分に感じられる内容となっている。近代短歌を学びたい人にとって、恰好の入門書になるだろう。

2021年9月22日、六花書林、2600円。

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2021年12月04日

石井大成歌集『キラーチューン』

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2018年から2021年までの作品213首を収めた第1歌集。
下記のサイトで販売されている。
https://dainabook.booth.pm/items/3399505

レジュメのことをレジメっていう人なのか遠くの水辺に開くロゼット
チョココロネの中にこころとあることを思う 待つとは膨らますこと
えび 玉ねぎ 枝豆 にんじん なんやかんやあってきれいな季節だったな
引っ越しの日取りを聞いてそれだけで終わる会話の あなたと歩く
バスを待つ少年の手の中でいま春のマリオが崖から落ちる
雪見だいふくだとあまりにふたりで感なのでピノにして君の家に行く 月
一斉に鳩を飛び立たせるように君をぱあってさせたいけれど
たまに胸で泣かれて人は泣くときにすこしその香りをつよくする
なんべんも触って淡くなってゆく牛乳石鹸のように季節は
関係に名前は無くてとおくからとおくへとゆく野焼きの煙

1首目、微妙な違いに隔たりを感じる。上下句の取り合わせがいい。
2首目、言葉遊びとパンの形状からの連想。期待に胸が膨らむ感じ。
3首目、半角空けで表されたかき揚げの彩りを見て、感慨にふける。
4首目、本当はもっと詳しい話を聞きたいのだろう。でも聞けない。
5首目、バス停という日常の現実世界とゲーム機の中の冒険の世界。
6首目、二個入りのアイスだと、恋人の感じが強く出過ぎてしまう。
7首目、元気のない相手を何とか喜ばせたいと思うけれど、無力だ。
8首目「香りをつよくする」がいい。距離の近さと濡れている感じ。
9首目、一日一日の変化はわずかだが、気づけば移り変わっている。
10首目、人間同士の関係のあり方は複雑で、刻々と変化していく。

2021年10月19日、私家版、600円。

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2021年11月25日

泥書房

京都の泥書房さんで『駅へ』新装版(野兎舎)を販売しています。
サイン+1首入りです。

https://www.doroshobo.com/


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2021年11月23日

竹中優子歌集『輪をつくる』


「未来」所属の作者の第1歌集。
第62回角川短歌賞受賞作を含む390首を収めている。

さっきまで一緒だった友バス停に何か食べつつ俯いている
ヘルパーが来てゴキブリのいなくなった部屋に父は暮らしぬ弁当食べて
母と離れることを帰ると言うようになって春夜の髪の手触り
新人が保険に加入するまでを四コママンガのように見かける
輪唱に加わることの静けさを春のレタスはやわらかく抱く
ほそながいかたちではじまる飲み会が正方形になるまでの夜
月曜日 職場に来られぬ上司のこと上司の上司が告げていくなり
上手く行かないことをわずかに望みつつ後任に告ぐ引継ぎ事項
駆け出せば必ず会える展開のテレビドラマをひとは眺める
ゆっくりと喋りたいから来た旅の途中にわかめうどんを食べる

1首目、一緒にいた時とは違うひとりの時の顔を垣間見てしまった。
2首目、ヘルパーが入るまではゴキブリのいる汚い部屋だったのだ。
3首目、実家に「帰る」のではなく自分の家に「帰る」ようになる。
4首目、職場に来る生命保険の勧誘。毎年繰り返される光景なのだ。
5首目、輪唱とレタスの取り合わせがいい。幾重にも重なる感じ。
6首目、夜が更けるにつれ人数が減っていき最後は一つの卓を囲む。
7首目「来られぬ」とあるので、おそらく精神的な不調なのだろう。
8首目、微妙な本音が表れた歌。自分より順調にこなされても困る。
9首目、予定調和のドラマ。実際にそうなることは稀なのだけれど。
10首目「わかめうどん」の柔らかさが上句の雰囲気と合っている。

2021年10月15日、角川文化振興財団、2200円。

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2021年11月18日

立花開歌集『ひかりを渡る舟』


第57回角川短歌賞を受賞した作者の第1歌集。369首。
「まひる野」所属。名前の読みは「たちばな・はるき」。

夕焼けを返して光る教室の机の水面にだまってふれる
まひるまの海を見に行く。聴きに行く。ひとりでも夏は産めるのだから
友人はノートに頰をかぎりなく寄せながらその影に詩を書く
あたためたオリーブ・オイルが遥かより垂らさるる窓際の午睡に
家族から遺族となりてわたしたち小舟で暮らしています、四人で
祈りとは日々の行為のなかにある 床を磨けりこれは祈りだ
疚しさから裂けて溢れるやさしさの、くらぐらと瞼も思考の裂け目
つばめ進入防止ネットをくぐり抜けあなたの声が教会(チャペル)に響く
通話画面に写真を登録しないから鈍色の人が君になりゆく
飲食(おんじき)を繰り返し、死に歩みよる。時に下着を湯に洗いつつ

1首目、誰もいない放課後の教室。水面のように光る机の美しさ。
2首目、句点を打った文体が力強い。自分に言い聞かせているのだ。
3首目、書くことに夢中になっている感じ。「頰」が効いている。
4首目、眠気の訪れと暖かな光の様子が伝わる。溶けていきそうだ。
5首目、家族の誰かが亡くなると、残りの家族は「遺族」になる。
6首目、神社や教会だけが祈りの場所ではない。四句の具体がいい。
7首目「疚しさ」が高じて「やさしさ」になったのか。音が似通う。
8首目、上句が面白い。教会などの広い空間では対策が必要になる。
9首目、人型の輪郭の表示が君であることの不思議。性格も伝わる。
10首目、人の一生は突き詰めればこういうことなのかもしれない。

2021年9月30日、角川文化振興財団、2000円。

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2021年11月15日

濱松哲朗『日々の鎖、時々の声』

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2012年から2019年に書いた短歌関連の文章を収めた評論集。全体が「T彷徨」「U邂逅」「V呼応」の三部構成となっていて、Tは評論、Uは書評や作品評、Vは時評といった区分になっている。

「塔」に載った評論や時評をはじめ7割くらいは読んだことのある文章であったが、こうして一冊にまとまると著者の問題意識や主張がくっきりと見えてくる。初読の時には理解が届かなかった点も含め、内容の深まりと読み応えを強く感じた。

作者は作品を書き記した途端、第一読者として、作品にとっての〈他者〉として存在するようになるものである。その言葉がどんな魂の奥深くからの叫びであったとしても、言葉になった途端、名指されたそれは既に〈私〉ではない。要するに、あらゆる言語表現は、〈私〉を言語によって〈他者〉化することによって成立しているのである。

作者と読者の問題や短歌の私性をめぐる考察は、本書の中に繰り返し登場する。また、社会や歌壇の抱える構造的な問題やマジョリティによるマイノリティへの抑圧、無意識の暴力性といった点に関しても、著者の追及は鋭い。

全般に固い評論が多い一方で、「坂田博義ノート」や「遅れてきた青春」のような、ややエッセイ風な文章も載っている。そうした文章の持つのびやかさも本書の大きな魅力と言っていい。著者の素顔が見える文章が含まれることで、評論集としての厚みが増しているのだ。

著者のBOOTHにて販売中です。皆さん、ぜひお読みください。
https://tetsurohamamatsu.booth.pm/items/2908334

2021年5月16日、私家版、2000円。

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2021年11月14日

坂井修一『森鷗外の百首』


小池光『石川啄木の百首』、大島史洋『斎藤茂吉の百首』、高野公彦『北原白秋の百首』に続くシリーズ4冊目。

次は晶子か牧水が来るのかと思っていたら鷗外だったので、ちょっと意外な感じを受けた。けれども、読んでみると鷗外の歌の魅力が存分に伝わってきて、確かにこれは外せないなと納得した。

わが足はかくこそ立てれ重力(ぢうりよく)のあらむかぎりを私(わたくし)しつつ
日の反射店の陶物(すゑもの)、看板の金字、車のめぐる輻(や)にあり
火の消えし灰の窪みにすべり落ちて一寸法師目を睜りをり

「重力」という漢語の持つ力強さ、人力車の車輪の「輻」(スポーク)に反射する光の描写、火鉢の灰に落ちた一寸法師という奇想、どれも不思議な味わいがある。

これまで「文人短歌」といった枠組みで余技のように扱われることも多かった鷗外の歌であるが、著者はそこに現代短歌が失ってしまったものを見出している。

大正以降、専門歌人の間では職人的な美意識が強くなりすぎたかもしれない。
鷗外の歌の構図や構想の大きさは、歌壇には継がれなかったようである。

こうした評に、著者の短歌観がよく表れている。

「森鷗外の百首」というタイトルであるが、取り上げられているのは短歌だけでなく、翻訳詩や創作詩も含まれている。「短歌だけ選んで解説したのでは、この巨人の抒情詩人としての魅力を伝えきれない」(解説)という意図によるものだ。

詩歌全般にわたる作品が選ばれたことで、鷗外の文学者・知識人としての広がりが感じられるようになったと思う。伝統と近代、西洋と日本、医学と文学など、さまざまな要素を抱えた鷗外の全貌が垣間見える一冊である。

2021年8月8日、ふらんす堂、1700円。

posted by 松村正直 at 10:02| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする