2023年12月05日

阿木津英『女のかたち・歌のかたち』


「西日本新聞」に1995年1月から7月にかけて連載した「女のかたち・歌のかたち」を中心に、20世紀の女性歌人の歌について記した文章をまとめた本。

みどり子の甘き肉借りて笑(え)む者は夜の淵にわれの来歴を問ふ/米川千嘉子『一夏』
子も夫も遠ざけひとり吐きてをりくちなはのごとく身を捩(よぢ)りつつ/秋山佐和子『空に響る樹々』
売り箱の中に仔を産む奴智鮫(どちざめ)に人ら競いて値をつけにけり/川合雅世『貝の浜』
すこしづつ書をよみては窓により外をながめてたのしかりけり/三ヶ島葭子『定本 三ヶ島葭子全歌集』
水桶にすべり落ちたる寒の烏賊いのちなきものはただに下降す/稲葉京子『槐の傘』

引用されている歌や鑑賞が良く、100年にわたる女性歌人の苦闘や輝きが浮かび上がってくる。新書版のコンパクトな内容だが、著者の視野の広さと考察の深さが印象に残った。

2023年8月4日、短歌研究社、1500円。

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2023年11月30日

久々湊盈子歌集『非在の星』


第11歌集。

百目柿日にけに熟れゆく今年から無人となりし町会長の家
仮定法過去に遊びてうつらうつら正月三日風花が散る
ここまでは積りますから、雪染みの壁を指差す新潟のひと
先頭集団を脱落してゆくランナーのほっと力を抜くが見えたり
読むべき本は読みたき本にあらずして秋の夜長はつくづく長い
通り雨に追われて入りし古書店に買いたる『らいてう自伝』百円
不定愁訴と腰痛を嘆く友のメール返信はせず歩きに出でつ
くじら雲しだいにほどけ子くじらをいくつも産みぬ午後のいっとき
奈良岡朋子死してサリバン先生もワーニャもニーナも共に死にたり
川の面に触るるばかりに枝垂れてさくらはおのれの艶(えん)を見ており

1首目、施設に入ったのか亡くなったのか。柿が収穫されずに残る。
2首目、いろいろな空想を楽しみながらのんびりと家で過ごす正月。
3首目、冬の大変さを嘆きつつもどこか自慢しているようでもある。
4首目、気持ちの切れた瞬間が画面越しにはっきりとわかったのだ。
5首目、義務で読まなくてはならない本。なかなか読み終わらない。
6首目、雨宿りだけでは悪いので購入。100円がかわいそうな安さ。
7首目、頻繁にメールが来るのだろう。時には放っておくのも必要。
8首目、雲のほどける様子をくじらの出産に喩えたのがおもしろい。
9首目、役者の死はその人が舞台で演じた数多くの役の死でもある。
10首目、水面に映る自分の姿を見ようとしているとの発想がいい。

2023年10月15日、典々堂、3000円。

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2023年11月24日

『渾沌と革新の明治文化』のつづき

文学・美術のさまざまなジャンルの論考が載っている本書の中で、歌人に最も関わりの深いのは、松澤俊二「「折衷」考 ― 落合直文のつなぐ思考と実践」だ。

従来、和歌革新運動を論じる際に「折衷派」としてあまり評価の高くなかった落合直文を取り上げ、彼の果たした役割や立ち位置の重要性を指摘している。

つまり、「折衷」は当時の社会におけるあらゆる領域で試みられた普遍的な方法だった。人々は既存の価値や習慣、文物等を新たに出来したそれらとの間で突き合わせ、切磋してより良いものに加工し、身辺に取り込もうとした。明治開化期に人となった落合がその方法に親和性を示すのは当然だった。
総じて言えば、彼の「折衷」の基底には、つなぐ発想が見いだされるように思う。意見の異なる歌人や流派をつなぐ、和歌に他の文学や芸術ジャンルのエッセンスをつなぐ、地方と中央をアソシエーションや雑誌メディアでつなぐ、若者を良師に出会わせ、和歌につなぐ、伝統と現在をつなぐ、古い題詠を、〈創意〉やオリジナリティといった新しい文学上の規範とつなぐ…。こうした発想を土台として落合の「折衷」は様々に思考・実践されていたのではないか。

私たちはどうしても目に付きやすい派手な言挙げや行動に目を向けがちだ。しかし、こうした地道な実践こそが和歌革新の流れを生んだ点を見逃してはならないのだろう。

「新」か「旧」かの二項対立ではなく、双方の良い点を生かしてつなぐという考え方は、さまざまな分断の広がる現代において、ますます大事になってくるものだと思う。

梶原さい子は今年刊行された『落合直文の百首』の解説に、

直文の本当の手柄は、このように、いろいろなものを結びつけることにあったのではなだろうか。新派と旧派。ベテランと若手。都会と地方。江戸から明治の、激しい過渡期に本当に必要だったのは、このような存在だったのではないか。

と書いている。松澤の論考は多くの資料をもとにこの意見を実証したものと言っていいだろう。

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2023年11月23日

濱田美枝子『女人短歌』


副題は「小さなるものの芽生えを、奪うことなかれ」。

男性中心の社会や歌壇にあって、女性歌人が結集して1949年に創刊した「女人短歌」。その創刊に至る経緯や女性歌人たちの活躍、そして1997年の終刊までの歴史を豊富な資料に当たって描き出した力作である。

登場するのは、五島美代子、長沢美津、阿部静枝、北見志保子、山田あき、生方たつゑ、葛原妙子、森岡貞香、真鍋美恵子など。中でも、五島と長沢が「女人短歌」において果たした役割を、著者は高く評価している。

これまで特に着目して論じられることはなかったが、筆者自身が長年研究してきた歌人五島美代子の存在が大きく関わっていることが確認できた。また、歌人長沢美津は、創立から終刊に至るまで、欠くことのできない大きな存在であることも意義深いものであった。

この二人がともに子を自死で亡くしていることも印象深い。

五島美代子は長女ひとみを一九五〇(昭和二五)年に亡くした。長沢の三男弘夫の死は、その四年後の出来事である。『女人短歌』の思想。実務の両輪となって活躍してきた五島と長沢に、図らずも同じ不幸が襲ったのである。

「女人短歌」が192号の雑誌を発行しただけでなく、「女人短歌叢書」として624冊もの歌集を刊行していたことを初めて知った。そこには葛原妙子『橙黄』、森岡貞香『白蛾』、真鍋美恵子『玻璃』、雨宮雅子『鶴の夜明けぬ』などの名歌集も多く含まれている。

「女人短歌」の終刊は1997年12月。「アララギ」の終刊と同じ時であった。「アララギ」が近代から戦後にかけて一貫して男性中心の歌壇の象徴的存在であったことを思えば、それは偶然の一致ではないのかもしれない。

「女人短歌」は国会図書館の個人向け送信サービスで全号読むことができる。今後、さらに研究が進んでいくのではないだろうか。

2023年6月26日、書肆侃侃房、2200円。

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2023年11月20日

井上泰至編『渾沌(カオス)と革新の明治文化』


副題は「文学・美術における新旧対立と連続性」。

日本近代の「文学」の特性を考える場合、旧来の漢詩・和歌・俳句・演劇・美術の近代化への対応を見逃すことはできない。一見独立しているかに見えるこれら諸ジャンルの近代化への対応は、「旧派」と「新派」の相克・通底という点で、相互に関連している。

という問題意識をもとに行われた領域横断的な研究の成果を、15名の執筆者が「絵画」「和歌・俳句」「小説」「戦争とメディア」の4部門で記している。和歌から短歌への流れを考える上でも興味のある話ばかりだ。

日本絵画史において日本画というものは、はじめから存在したのではなく、洋画が生まれたことによって日本画という概念が誕生したという整理になる。
/古田亮「明治絵画における新旧の問題」
後の近代短歌の流れから逆算して短歌史を語る危険性を忘れてはならない。『明星』一派の動きは、歌壇全体からすれば局所的なものに過ぎず、むしろ佐佐木や金子薫園ら落合直文門下の、国語教育における和歌鑑賞と創作指導が、新たな波を下支えしていく面を忘れてはならない。
/井上泰至「子規旧派攻撃前後」
俳諧の場合は、明治中頃に正岡子規が登場して以降にいわゆる「新派」が形成されても、少なくとも昭和戦中期までは江戸時代的な「旧派」俳諧が「日本」の各地域で嗜まれていた。
/伴野文亮「「旧派」俳諧と教化」

歴史的な流れを捉えるには、現在の目で見るのではなく過去の時点に立ち返って考えなければならないこと、他のジャンルの動向にも視野を広げる必要があることなど、大事な指摘がいくつも出てくる。

2023年7月18日、勉誠出版、2800円。

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2023年11月19日

働く三十六歌仙『うたわない女はいない』


「働くこと」をテーマにした36名の歌人の作品8首+エッセイを集めたアンソロジー。巻末に「おしごと小町短歌大賞」の選考対談(俵万智×吉澤嘉代子)と大賞を受賞した遠藤翠さんの記念寄稿8首+エッセイも載っている。

事務職をやっていますと言うときの事務は広場のようなあかるさ
/佐伯紺
切れ味の鈍いはさみを入れられて紙はつかの間身悶えをする
/道券はな
今朝も今宵もみな揺れながら運ばれる秘宝のようにかばんを抱いて
/井上法子
保育園からの電話を取り次ぐと同僚がお母さんの顔に
/谷じゃこ
残業は罪かそれとも快楽か母でも妻でもないわが時間
/奥村知世
育ったままの形が自分の姿になる。樹木ってそういう存在なんだと改めて感じた。上手く言えないが、自然に手足を伸ばせずとも、身体や心を歪めてしまっても、そうして生きた時間そのものが自分の形になるのは人間も一緒なんだろう。
/竹中優子「樹木のように」

私は常に誰かを傷つけているということを忘れない。病名告知で泣かせてしまった相手を、再発を告げた部屋の静けさを、お見送りのために外の扉をあけ吹き込んでくる真冬の夜の冷気を。
/塚田千束「あなたのことを考えている」

短歌のために両手を空けて生きてきた。ちゃんと「働く」をやったことがない。
/平岡直子「両手」

シンガー・ソングライターの吉澤嘉代子さんの選歌や歌の読みがとても良かった。短歌は読むだけで作ってはいないとのことだけれど。

2023年7月10日、中央公論新社、1800円。

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2023年11月15日

郡司和斗歌集『遠い感』

著者 : 郡司和斗
短歌研究社
発売日 : 2023-09-30

2019年に第62回短歌研究新人賞を受賞した作者の第1歌集。
2017年〜2023年の作品333首を収めている。

表紙にKOURYOUさんのアート作品が使われていて、カバーのそでに作品解説が載っている。こういうのは初めて見た気がする。

春日さす父の机の引き出しをあければ歴代の携帯電話
引っ越しの準備の手伝いを終えて床にひろげるオリジン弁当
寝室と居間と仏間と台所にテレビが置いてあるばあちゃんち
ベーコンの厚みのようなよろこびがベーコンを齧るとやってくる
まあ親子で死んで良かったねと煎餅齧りながらニュースに母は
からあげの下に敷かれた味のないパスタのように眠っています
座布団が頭に乗っているようなねむみ 新宿行きにゆられる
芸人が笑顔で食べる赤ちゃんと同じ重さのカレーライスを
オフサイドをなんど説明すりゃわかる夜のこころは蜜柑のこころ
定食屋のテレビに映る定食屋 こっちでは生姜焼きを食べてるよ

1首目、処分されないで残る古い機種。「歴代の」に存在感がある。
2首目、テーブルや食器は荷造りされて部屋が空っぽになっている。
3首目、どこにいてもテレビが見られるように。「仏間」が印象的。
4首目、ベーコンの厚切りには幸福感がある。何とも美味しそうだ。
5首目、不謹慎だけれどよくわかる話。どちらが生き残っても大変。
6首目、弁当でよく見かける謎のパスタ。無力感と脱力感が伝わる。
7首目、比喩が面白い。電車の中で次第に頭が重くなっていく感じ。
8首目、重さの話なのだがまるで赤ちゃんを食べているようで怖い。
9首目、毎回のように聞かれるのだろう。下句に諦めの気分が滲む。
10首目、まるでパラレルワールドみたいな不思議な感覚を覚える。

本歌取りのような歌が随所に出てくるのも楽しい。

1円玉二枚をずっとポケットのなかでいじっている 朧月
冬の日の光の痛い道にきて精巣を吊るしながら歩いた
じゃんけんにあいこで人に生まれたわ 握れば水になる牡丹雪
大みそかの渋谷のデニーズの席でずっとさわっている1万円
/永井祐『日本の中でたのしく暮らす』
卵巣を吊りて歩めるおんならよ風に竹群の竹は声あぐ
/阿木津英『紫木蓮まで・風舌』
じゃんけんで負けて螢に生まれたの
/池田澄子『空の庭』

2023年9月30日、短歌研究社、2000円。

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2023年11月01日

睦月都歌集『Dance with the invisibles』


2016年から2023年の作品332首を収めた第1歌集。
修辞の味わいを存分に堪能できる一冊。

灯油売りの車のこゑは薄れゆく花の芽しづむ夕暮れ時を
冬のひかり路地にまばゆし 人らみな郵便局に吸はれゆくなり
木のスプーン銀のスプーンぬぐひをへ四月の午後は裸足でねむる
天文台の昼しづかなるをめぐりをりひとり幽体離脱のやうに
円周率がピザをきれいに切り分けて初夏ふかぶかと暮るる樫の木
サンペレグリノの緑の瓶をつたひゆく汗・ねむくなる・ひとりでゐると
猫といふさすらふ湖(うみ)がけさはわが枕辺に来て沿ひてひろがる
歩むこと知らずひた立つ橋脚が彼岸に渡すわれの自転車
まだ青いどんぐりの実が落ちてゐる ふざけてゐて落下した子供
寝込んでゐて見逃した皆既月食のひと口食べて残す麦粥
散るといふよりも壊れてゆきながら体力で立つ桜みてゐる
御影石みがきてをればわが生(いき)の手もそちらへと映りこむなり

1首目、聴覚も視覚も薄れて遠ざかってゆくような静謐さを感じる。
2首目、サイレント映画のシーンのようだ。「吸はれゆく」がいい。
3首目、スプーンの柄の長さや匙の丸さが「裸足」とよく響き合う。
4首目、日常生活を離れた空間。でも夜ではないので星は見えない。
5首目、上句が鮮やか。ピザの円周を直径によって切り分けていく。
6首目、下句のひらがなや「・」の生み出すリズムが呪文のようだ。
7首目、気まぐれな猫の様子。ロプノールのように変幻自在である。
8首目、上句に発見がある。「脚」という名前だが歩くことはない。
9首目、下句は人間に喩えたらということか。もう枝には戻れない。
10首目、丸い器に入った麦粥のイメージが皆既月食と重なり合う。
11首目、最後の力を振り絞るような姿。「壊れて」に迫力がある。
12首目、つややかな墓石の表面が、生と死を隔てる境界線なのだ。

2023年10月2日、角川文化振興財団、2500円。

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2023年10月27日

榊原紘歌集『koro』

著者 : 榊原紘
書肆侃侃房
発売日 : 2023-08-29

330首を収めた第2歌集。
タイトルは「心臓」を意味するエスペラントとのこと。

黙りこくることも返事で茉莉花が廃都の塔に咲き上るさま
ゆるせないって口に出せたらすこしだけ瞳の奥の天窓が開く
枯れた花折って袋に入れていく袋のうちがわずかに曇る
落ちてからさらに重たくなる椿 ぼくを潰せるのはきみだけで
一生、と僕はあなたに言うけれどまだ見たことのない月の皺
人ならざるものの首のせ湖(うみ)近き卓に白磁の皿を置きたり
音を立て白木蓮が散ってゆく郵便受けを何度も覗く
ボトルシップの底に小さな海がある 語彙がないから恋になるだけ
きみの家にきみを帰してレンタカーをレンタカー屋に返して 夏は
寝た人の息がこの世を深くするそこまで落ちるため眼を閉じる

1首目、初二句に発見がある。その後のイメージも映像的で鮮やか。
2首目、思いを言葉にすることで、心や視界にも風穴が空く感じだ。
3首目、まだ完全には死んでおらず、呼吸などで蒸気を出している。
4首目、地面に落ちた椿のボテッとした感じ。取り合わせも印象的。
5首目、誓いの言葉として使うが、誰も実際に体験したことはない。
6首目、初二句にドキッとさせられる。フローティングフラワーか。
7首目、待ち遠しい郵便。白木蓮の厚い花びらが葉書や封筒みたい。
8首目、人間の関係は多様なのに「恋」として括られてしまいがち。
9首目、「かえして」の繰り返しがいい。楽しかった時間の終わり。
10首目、深い所へ落ちてしまった人と同じ場所へ自分も行きたい。

2023年8月31日、書肆侃侃房、2100円。

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2023年10月26日

山崎方代『増補改訂版 青じその花』


「かまくら春秋」に連載された文章など35篇を収めたエッセイ集。モノクロ写真15点も掲載されている。

短歌と同じくユーモラスで温かみがある一方で、しんとした孤独感も強く滲む。

去年の暮、五年ぶりに二月余り当もない放浪の旅をつづけてきた。道すがら信州の鳥居峠の新しい根雪の上に凍てついている野兎の糞を、手の平にすくって食べた。それは索莫とした放浪の味に似ていた。
歌を作るのにはいろいろな条件がいるが、精神のコンディションを調整することが私にとってまず先決である。歌の秘密というとおこがましいが、結局それに尽きるのではあるまいか。不仕合わせを、少しずつ生活の意識の中に混ぜておくのが精神のバランスである。
江之島から七里ヶ浜は若布と天草の穴場である。由比ヶ浜は昆布とバカ貝、材木座は浅蜊とつぼだ。小坪の岩場は海胆と海鼠である。海鼠は砕いて塩水で洗って目を細めて食べるとよい。海胆は岩に叩きつけてがぶりと噛みつくと実においしい。
新聞の隅にのっていた親子心中の記事を切り集めておいたのが随分溜まった。二日がかりで日記の日付に合わせてはる。このへんてこりんな仕事はこれからも続くだろう。

「親子心中」の新聞記事を切り抜いて集めている方代。こんなところに、この人の抱える闇の深さが垣間見える。

1991年9月7日、かまくら春秋社、1263円。

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2023年10月24日

後藤由紀恵歌集『遠く呼ぶ声』


2013年から2021年までの作品481首を収めた第3歌集。

木の下にラジオ体操するひとを橋の上から今朝は見かけず
うすがみに結びし縁をうすがみに解く冬までを妻なりしわれも
ほろほろとパン屑こぼす窓際に老女のわたし微笑みながら
砂を這う風の強さは写らねど髪なびかせて俯くあなた
あれが穂高、とあなたが指せばどの山も穂高となりてわたしに迫る
窓に雪あかるみているこの部屋にひとりのための湯を沸かしおり
あん肝もポテトフライも頼みたる四十代の胃袋よけれ
途中まで身綺麗でありし祖母なれど惚けしことのみ語られゆくか
家中のいちばん寒き部屋にある二列にならぶ四角い餅が
火ぶくれのひとさし指のゆびさきが心臓となり早鐘を打つ

1首目、木と人と橋の構図が面白い。いつもの人がいなかったのだ。
2首目、結婚届と離婚届。大事な届けなのになぜか紙は薄っぺらい。
3首目、他人ではなく「わたし」。齢を取った自分の姿を想像する。
4首目、写真に残された髪の様子から風の強さがありありと伝わる。
5首目、相手に寄せる信頼感。知らない人にはどれも同じに見える。
6首目、自分ひとり分のお湯。外の明るさが喪失感と孤独を深める。
7首目、年配の人の好みも若者の好みもわかる。健康的で健啖家だ。
8首目、認知症になった晩年の姿で一生を覆われてしまうかなしさ。
9首目、傷まないよう冷暗所で保存する。隊列を組んでいるみたい。
10首目、心臓が指先にあるかのようにズキンズキンと痛みが襲う。

2023年10月9日、典々堂、2700円。

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2023年10月18日

牛隆佑歌集『鳥の跡、洞の音』

364首を収めた第1歌集。
読み方は「とりのあと、ほらのおと」。
先月行われた文学フリマ大阪で購入。

雨は降る たとえば傘をひらかせてたとえばあなたに本を読ませて
ややすこしたいせつそうに花束を抱いているならお別れのあと
ファミチキのチキンもましてやファミリーも想わぬ僕を焦がす夕暮れ
ぱりぱりの水菜よ僕はパワハラのパワーではない力が欲しい
同じように、は同じではなく同じように春は訪れ仕事場を去る
あらがわないこともあるいはたくましさだとおもうんだ青椒肉絲
ありがとう水が流れてきてくれて多目的用小さな海に
それが暗い海の底でもピザ屋なら僕を見つけてくれるだろうね
ソーダバー当たりの分がまた当たり今年の夏は終わらないまま
浴室の扉を閉めた瞬間の顔 どうしようもなく一人の

1首目、雨が降ることで街の景色やあなたの過ごし方が変っていく。
2首目、花束を持つ人の雰囲気から送別会などを想像したのだろう。
3首目、鳥や家族を思い浮かべることなくホットスナックを食べる。
4首目、他者を威圧し屈服させるのとは違う力のあり方はあるはず。
5首目、初二句に発見がある。何も変らないようでいて変っていく。
6首目、青椒肉絲の具材はまさにこんな感じでそれぞれ生きている。
7首目、多目的用トイレ。水の流し方がわからずに困ったのだろう。
8首目、友人でも恋人でもなく「ピザ屋」なのが皮肉が効いている。
9首目、永遠に続く青春みたいな時間。現実の夏は終ってしまうが。
10首目、浴室は一人になる空間。岡井隆の私性の定義を思い出す。

他に、連作「戦争で死んだ祖父は広島カープを知らない」が印象に残った。枕詞や広島の野球選手の名をたくさん盛り込みながら、戦争や広島について考えさせる内容になっている。

2023年9月10日、私家版、900円。

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2023年10月16日

三井ゆき歌集『天蓋天涯』


第7歌集。タイトルの読みは「てんがいてんがい」。
夫を亡くした痛手から少しずつ心を立て直していく時期の歌。

男びな女びな流されてゆくあはれさの藁の粗目が水かぶりゐつ
多摩川の水釣るごとくゆつくりと糸引き寄する春の釣りびと
まひまひは負ふ家さへも涼しげに海鳴りきこゆる石塀をゆく
蟬を追ふ尾長も追はるる蟬も鳴き鋭かりけり八月の空
木造の輪島高校なくなりてプールの位置のみ変はらずにあり
新しき靴をはきたるよろこびは有楽町へと吾(あ)を向かはしむ
草花の虫喰ひさへも描き加ふ加賀友禅の意匠の写実
七人の団欒ありし食卓は川を流れていづこにゆきし
いづくより吸ひあげきたる水ならむ赤き西瓜はただに悲しき
かなかなのかなかなかなのかなしさよ絶ゆることなき詠嘆の助詞

1首目、流し雛は徐々に水に濡れたりしながら川を遠ざかっていく。
2首目、魚ではなく「水釣るごとく」がいい。のどかな春の光景だ。
3首目、何も持たず自分の力だけで堂々と生きている姿の清々しさ。
4首目、夏空に繰り広げられる空中戦。両者とも生きるために必死。
5首目、作者の出身校なのだろう。プールの場所だけが昔のままだ。
6首目、心が明るくなってショッピングや映画を楽しんだのだろう。
7首目、虫喰いを汚いものと捉えずにデザインとして活用している。
8首目、賑やかな食事風景はいつの間にか消えて一人になっている。
9首目、西瓜の果肉の鮮やかな赤さはどこから生まれたものなのか。
10首目、言葉遊びが印象的。ヒグラシの鳴き声がいつまでも続く。

2007年10月29日、角川書店、2667円。

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2023年10月04日

大塚寅彦歌集『ハビタブルゾーン』


現代歌人シリーズ36。240首を収めた第6歌集。

〈長年「相棒」と内心呼んでいた女性〉の病気と死を詠んだ歌が大半を占めている。

伏見稲荷〈不死身(ふしみ)〉の音に通へれば不安もつ身の人と連れ立つ
看板の〈ゆ〉の赤き字がゆらゆらと手招きしをり古き町の湯
君のゐる病棟の窓をいまいちど仰ぎて帰るゆふづつのとき
片側に見えぬ死を載せ保ちゐる静けさありぬ昼のホスピス
ひとの乗る車椅子押す嬉しさよいまここに在る重み感じて
胸水と腹水を採る管もまた冷えゆくならむ魂(たま)失せし身は
君と来て癒(ゆ)を願ひたる御仏の慈顔や孤りいまはなに祈(ね)ぐ
ビル失せし更地の土に芽吹く草つかのまの生が陽を浴みてをり
迷へるは蟻はた吾(われ)か汝(な)が墓碑の〈南無阿弥陀仏〉の〈無〉の彫りのなか
あづさゆみ春の土筆(つくし)の尽くし得ぬ思ひにぞ生くいのちの苦さ

1首目、語呂合わせにも縋る思いで病気の見つかった人と参拝する。
2首目、懐かしい光景。薄暗くなった町に銭湯の赤い文字が浮かぶ。
3首目、見舞いを終えた帰りに名残を惜しみ祈るような思いで見る。
4首目、生と死のぎりぎりのバランスの上に成り立っている静謐さ。
5首目、車椅子を押す時に感じる肉体の重さは生きている証である。
6首目、身体につながれている管も死の後に同じように冷えていく。
7首目、御仏の姿は以前と変わらないが、もう何も祈ることがない。
8首目、人の一生も長い時間の中ではこの草のようなものなのかも。
9首目、まるで迷路のような「無」の文字から出ることができない。
10首目、初二句は序詞。埋めようのない喪失感を抱えつつ生きる。

2023年4月8日、書肆侃侃房、2000円。

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2023年09月29日

松平盟子『与謝野晶子の百首』


「歌人入門」シリーズの8冊目。
副題は「光と影を含む多様な歌世界」。

与謝野晶子の短歌100首を取り上げて鑑賞・解説をした本。大きな特徴はテーマ別に12の章に分けられていること。「恋」「十一人の子の母として」「社会を見る眼差し、都市生活者の思い」「西洋との遭遇、旅と思索」など。

初めて知る歌もあって、晶子に対する興味がまた増してきた。

秋来ぬと白き障子のたてられぬ太鼓うつ子の部屋も書斎も/『青海波』
腹立ちて炭まきちらす三つの子をなすにまかせてうぐひすを聞く/『青海波』
花瓶の白きダリヤは哀れなりいく人の子を産みて来にけん/『さくら草』
女より智慧(ちゑ)ありといふ男達この戦ひを歇(や)めぬ賢こさ/『火の鳥』
ついと去りついと近づく赤とんぼ憎き男の赤とんぼかな/『朱葉集』

このシリーズは右ページに短歌1首、左ページに250字程度の鑑賞となっていて、とても読みやすい。まさに入門編として最適だと思う。

2023年7月7日、ふらんす堂、1700円。

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2023年09月26日

安田茜歌集『結晶質』

著者 : 安田茜
書肆侃侃房
発売日 : 2023-03-15

2014年から2022年の作品を収めた第1歌集。

かなしいね人体模型とおそろいの場所に臓器をかかえて秋は
撃鉄を起こすシーンのゆっくりと喉をつばめが墜ちてくかんじ
わたしは塩、きみを砂糖にたとえつつ小瓶と壺を両手ではこぶ
ベランダにタオルは風のなすがまま会えないときもきみとの日々だ
橋をゆくときには橋を意識せずあとからそれをおもいだすのみ
ごめんねのかたちに口をうごかせば声もつづいて秋の食卓
裏庭をもたないだろう一生に自分のためのボルヘスを読む
あやうさはひとをきれいにみせるから木洩れ日で穴だらけの腕だ
白いシャツはためきながら歩くとき腕はこの世をはかるものさし
胸あたりまでブランケットをかぶっても怒りがからだを操っている

1首目、人間と人体模型の関係が転倒していてアンドロイドみたい。
2首目、下句の比喩が個性的。緊迫した場面で息を飲む様子だろう。
3首目、容器の形は違うけれどどちらも白い粒同士のペア感が強い。
4首目、下句の断言が力強い相聞歌。タオルに心情を投影している。
5首目、時が経ち全体を俯瞰できるようになって気づくこともある。
6首目、口の動きと声との微妙なずれに、心と言葉の乖離を感じる。
7首目、上句が面白い。ある程度の広さの一軒家にしか裏庭はない。
8首目、まだらな光の様子を穴に喩えた。美しさと危うさは紙一重。
9首目、下句の箴言調がいい。剝き出しの腕が風を受けている感触。
10首目、コントロールできない怒りに感情を掻き乱されてしまう。

2023年3月22日、書肆侃侃房、2000円。

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2023年09月23日

佐藤華保理歌集『ハイヌウェレの手』


「まひる野」所属の作者の第1歌集。
2000年前後から2019年までという長い期間の歌が収められている。

南北を海側山側という街のわたしは常に海を指す針
アイラインを引こうとのぞく鏡面の裏側があるなら常にくらやみ
冷たくも暖かくもない終い湯に長く浸かれば消えゆくごとし
こまごまと叱る言葉のおおかたは鳥語であれば子にはとどかず
おもそうに落ちゆくをみる髪の毛がゆうぐれが美容室のすみに
七年後だれかがはずすクリップを機密書類と箱にしまえり
いくまいも花びらをのせ深い沼のようにしずもる黒いボンネット
おおいなる四股とおもえりプレス機が日がな社屋をゆらしておりぬ
メモが貼れる落ち着くなどと近頃はオフィスの一部になる仕切り板
格別なフルーツサンドがあるという長き行列が果てるところに

1首目、神戸ではこういう言い方をする。方位磁針になったみたい。
2首目、自分の内側にある得体のしれない暗闇を覗き込んでしまう。
3首目、重力も温度も何も感じなくなって身体の輪郭が溶けてゆく。
4首目、効果がないとわかっていても小言を言わずにはいられない。
5首目、「髪の毛」と「ゆうぐれ」の並列がいい。世界が遠い感じ。
6首目、保存期間は7年。その時に自分がまだいるかはわからない。
7首目、ボンネットに周囲の景が映って沼のような奥行きを感じる。
8首目、毎日揺れることに慣れてくると安心感や頼もしさを覚える。
9首目、コロナ対策で導入された仕切り板が意外と好評だったのだ。
10首目、明るい色のフルーツサンド。永遠に届かない希望みたい。

2023年3月15日、本阿弥書店、2600円。

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2023年09月21日

川口慈子歌集『Heel』

著者 : 川口慈子
短歌研究社
発売日 : 2023-05-10

2017年から2022年の作品367首を収めた第2歌集。

タイトルの「Heel」は踵やハイヒールの意味かと思ったらそうではなく、プロレスの「悪役」の意味で使われていた。

独りきり蕎麦すする春ここよりは硝子徳利で作る結界
四貫の寿司折を買い四口で昼飯終わる新幹線に
練習をサボると痙攣する指に今日はショパンのポロネーズ弾かす
バランスを微妙に崩し着地する蝶のごと美しき音色を探る
水飴を入れない母の栗きんとん愛想のない子供だったね
〈私〉がずっと連なっているようなきし麺啜る駅のホームで
生きている母には作らなかった粥供えれば湯気のつやめいており
まず非正規から疑われる窃盗犯 砂時計には季節がないね
一人では飲まないジャスミンティーの茶葉戸棚に残る父のキッチン
使い切れない石けんと歯ブラシとポケットティッシュ溢れる空き家

1首目、カウンターに置いた徳利によって、自分だけの世界を作る。
2首目、あっけなく食べ終ってしまう。「四」の繰り返しが効果的。
3首目、練習をすると痙攣するのではなく、しないと痙攣するのだ。
4首目、ピアノの鍵盤に触れる感覚を独自の比喩によって描き出す。
5首目、上下句の取り合わせが絶妙。母との微妙な関係が窺われる。
6首目、平たくまとわりつくきしめんを自意識に喩えたのが面白い。
7首目、上句がせつない。母の死によって感情も変化したのだろう。
8首目、正規か非正規かは別に関係ないずだがそう見られてしまう。
9首目、夫婦一緒に飲んでいたのだろう。一人暮らしの父の寂しさ。
10首目、大量に買い溜めしてあった品々が喪失感を深く思わせる。

両親が亡くなった悲しみに浸る一方で、たぶん作者は少し自由になったのかもしれないと思った。

2023年5月10日、短歌研究社、2200円。

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2023年09月17日

秋山佐和子歌集『西方の樹』

砂子屋書房
発売日 : 2023-05-16

2014年から2023年までの作品498首を収めた第9歌集。
亡き夫や息子の死を詠んだ歌が印象に残る。師の岡野弘彦を詠んだ歌も多い。

腰までを覆へる夫のカーディガン濃紺にして身にあたたかし
霊園の芽吹きの木の間をマラソンの青年つぎつぎ駆け抜けゆけり
歓びの声たつる子へしぶきあげ海豚三頭身を反らし飛ぶ
しのび泣く若きを宥むるこゑ聞こゆ真夜のカーテンのいずれかのうち
花道を小走りに来る勝ち力士懸賞金の熨斗袋手に
床に差す朝の光は真(ま)清水の小さき泉 素足ひたさむ
秋の陽に透き通りて佇つスカイツリー百済観音の水瓶(すいびやう)のごと
新盆に求めし廻り燈籠の組み立てはかどる回を重ねて
灯り消し寝よと諫めし夫の声半ば待ちつつ夜を徹し読む
昨日までパン生地こねゐし媼ならむ手をひかれ国境の仮橋わたる

1首目、亡き夫の大きめの服。守られているような安らぎを覚える。
2首目、死者のいる霊園と健康的なランナーたちの対比が鮮やかだ。
3首目、水族館のイルカショー。飛沫が掛かる前から大興奮である。
4首目、入院中に聴いた同部屋の患者の様子。「若き」がせつない。
5首目、喜びに身体ごと弾んでいるような感じがよく伝わってくる。
6首目、明るく清浄な光を泉に喩えたのが美しい。結句も印象的だ。
7首目、個性的な比喩。水瓶だけでなく百済観音の細身の姿も思う。
8首目、新盆の時は組み立てに手間取ったのだろう。慣れる寂しさ。
9首目、どこかから夫の声が聞こえてこないかと待ち望んでしまう。
10首目、ウクライナから避難する人。一瞬にして日常が失われた。

2023年5月9日、砂子屋書房、3000円。

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2023年09月14日

染野太朗歌集『初恋』


現代歌人シリーズ37。
2016年から2018年の作品を収めた第3歌集。

ことば奪はず声を奪ひて吹く風の冷たし卒業式の朝(あした)を
赤羽とおんなじ味のハンバーグをデニーズ熱海店に食ふさへ愉し
西部ガスのさいぶがすといふ読み方のいよいよ住むといふ感じする
米研げば五指にまつはる米粒の、怒りよもうことばを喚(よ)ぶな
排泄にちからふるつてゐる猫のいつさいを見つ春待つごとく
水切りに興ずる人を見下ろして真夏の橋でぼくはとどまる
海原に落暉は道をとほしたりその最果ての民宿〈浦島〉
にごり湯の湯舟三畳ほどなるが十畳ほどの浴場にあり
尿 濃い で検索をする日々にしてこころちひさくなりにけるかも
ひととゐて自分ばかりを知る夜の凧をあやつるやうにくるしい

1首目、学校が生徒にとってどういう場であるかを考えるのだろう。
2首目、旅先に来ていると思うだけで、いつもとは気分が違うのだ。
3首目、埼玉から福岡への転居。「せいぶ」ではない読み方が新鮮。
4首目、上句から下句への展開がいい。胸の怒りを鎮めようとする。
5首目、いきむ猫の姿に存在感がある。結句の付け方がおもしろい。
6首目、橋と川の構図が鮮やかに見え、夏の空気感が伝わってくる。
7首目、船で甑島へ行く場面。海にのびる光の帯に導かれるように。
8首目、昔ながらの共同浴場の感じ。「三畳」「十畳」が効果的だ。
9首目、病気かもしれないと不安に思いつつ、とりあえず検索する。
10首目、比喩がうまい。自分の感情や思いを制御するのが難しい。

2023年7月11日、書肆侃侃房、2200円。

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2023年09月12日

佐クマサトシ歌集『標準時』


第1歌集。235首を収めている。

陽に焼けた地図のどこかが国境で息がきれいになるガムを噛む
この部屋にあなたのいない朝夕の二回に分けてお飲みください
現代のこの街が舞台のアニメには行ったことのある駅も出てくる
右に君、左に知らない人がいて、知らないの人の読んでいる本
席を立つときそのままでいいですと言われた 春の花瓶の横で
ドライヤーをかけている間は何ひとつ聞こえないので髪を乾かす
ぷよぷよが上手な人の中にある抽象的なぷよぷよのこと
PKでもらった点を守りきる サッポロポテトに途中で飽きる
すれ違う人のコートの印象の次第に薄れていくキャメル色
人にみな脳があること 双子用ベビーカーが越える小さな段差

1首目、音の響きがいい。地図の中に入り込んでしまうような感じ。
2首目、三句「朝夕の」が蝶番のように上句と下句をつないでいる。
3首目、アニメの世界と現実の世界が反転したような味わいがある。
4首目、横並びの席に座っているところ。本のことが気になるのだ。
5首目、カフェで返却口に運ぶのを止められて、何となく気まずい。
6首目、論理が逆転しているのが面白い。髪を乾かすしかできない。
7首目、画面上のぷよぷよより先に脳の中のぷよぷよが動いている。
8首目、P音や「きる」「飽きる」の脚韻など音の響きが印象的だ。
9首目、すれ違う前、すれ違う瞬間、すれ違った後という時間経過。
10首目、双子の赤子の二つの脳が段差に揺れるのが透けて見える。

2023年6月30日、左右社、1800円。

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2023年09月06日

菊竹胡乃美歌集『心は胸のふくらみの中』


203首を収めた第1歌集。

女性が現代の日本に生きることの大変さが繰り返し詠まれている。「Ms. たらこくちびる」と題する連作が良かった。

おんなというもの野放しにして生きるには多すぎる爆撃機
見たことのないヘルシンキの水平線そこはそこでの生きづらさ
贅沢はずっと言わないまま生きて移民のように日本で過ごす
妊娠のふたもじは女偏でありひとつを男偏で書いてみる
月よりもそばにいたいよ鼻息で産毛を揺らすぐらい近くに
トースターで焼いたたらこみたいになる二月のたらこくちびるは
もう何も言わないことにしたサンドイッチのハムとして挟まってる
ナンを焼く異国の人のオレンジのTシャツを茶色にする汗
我慢をする十分咲きの桜のような我慢をする肛門締めて
賃金のすくなさ自転車を漕ぐちから肉まんふたつ分のおっぱい

1首目、女性が自由に振舞おうとすると数多くの圧力や反発に遭う。
2首目、遠い国へ行けば生きづらさがなくなるというわけでもない。
3首目、安心感や満足感を得られず居場所のないような心地なのだ。
4首目、妊娠出産に関するすべてが女性の役割や責任にされている。
5首目、初二句と三句以下の距離感のアンバランスな感じが面白い。
6首目、乾燥したくちびる。やや自虐的にユーモラスに描いている。
7首目、何を言っても無駄との思いだろう。強い意志の表明である。
8首目「オレンジ」と「茶色」では色の持つイメージが大きく違う。
9首目「十分咲き」がいい。花びらをこぼさないように耐えている。
10首目、開けっ広げな詠みぶりに力がある。自己肯定感が伝わる。

2023年4月6日、書肆侃侃房、1500円。

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2023年08月24日

中井スピカ歌集『ネクタリン』

本阿弥書店
発売日 : 2023-07-31

2022年に「空であって窓辺」30首で第33回歌壇賞を受賞した作者の第1歌集。399首を収めている。

カタカナが多いのが特徴で、カタカナの使われている歌が235首と歌集の6割近くにのぼる。さらにタイトルもカタカナだし、作者名にもカタカナがある。

はつなつのベーカリーから溢れ出すシナモンロールはみんな右巻き
季節ごと花の名前を変えているパスワードあり今はyuugao
誰の子も可愛くなくて丘をゆく私は欠けた器だろうか
胃に肺に土足で踏み込む母がいてそこにマティスの絵などを飾る
イチゴジャムブルーベリージャム毎日は二色しかなくなんてカラフル
冬の苺がケーキの上に散らばって大人のほうがずっと寂しい
寒気団去りゆく予報 ポトフから昇る蒸気にオレガノを振る
機関車の車輪のごとく腕回しコーヒー豆を君は砕きつ
川はもうよそよそしい顔 越してゆく私に橋を渡らせながら
展開図少し違えて二人して牛乳パックを真白く開く

1首目、結句「みんな右巻き」がいい。全体に明るい気分が満ちる。
2首目、夏はユウガオなのだ。他の季節は何だろうと想像が膨らむ。
3首目、子を持たない自分の人生に迷ったり悩んだりする日もある。
4首目、押しの強い母なのだろう。マティスの強烈な色彩が浮かぶ。
5首目、赤か紫のジャムをパンに塗って、毎日仕事に出かけていく。
6首目、そう言えば子どもの頃は大人も寂しいのだと知らなかった。
7首目「寒気団」と「蒸気」が重なり合って、食卓の風景が膨らむ。
8首目、動輪とロッドの動きが鮮やかに浮かび君の力強さが伝わる。
9首目、見慣れた風景が別のものに見えてくる。「渡らせ」がいい。
10首目、誰かと一緒に住むとはこうした差に気づくことでもある。

2023年7月31日、本阿弥書店、2400円。

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2023年08月18日

長谷川麟歌集『延長戦』

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第10回現代短歌社賞を受賞した作者の第1歌集。

好きだった?と聞き返される 自転車を押して登ってゆく跨線橋
助手席にゆきのねむたさ こんなにもとおくの町で白菜を買う
ハンドルが右へ右へと行きたがる君の自転車 TSUTAYAがとおい
まぁそれはそういうことではないけれどよそってもらったサラダを食べる
生きづらいという謎のマウントを取り合っているように梅雨、紫陽花は咲く
読点に宿る悲しみ 自転車は漕げば漕ぐほど遠くに行ける
ああ僕が敗者だからか、勝ち負けが全てじゃないと言われてしまう
兄ちゃんは泣いてないからあの頃のままなんだよ。と妹は言う
山で吸う煙草はうまい バゲットを弱い炎でゆったりと焼く
駅前の再開発は進まずにそこで何度かサーカスを見る
いい映画だったね、とだけ言うことに決めてからエンドロールが長い
唇を重ねて笑うこともある 段々畑が広がっている

1首目、相手との会話の雰囲気や自転車を押す体感が息づいている。
2首目、だんだん意識が遠のくような感じ。雪の白さと白菜の白さ。
3首目、借りた自転車に癖があって、なかなか思うように進まない。
4首目、相手の発言に同意してはいないが、とりあえず流しておく。
5首目、どちらがより生きづらさを感じているかを競うような時代。
6首目、自転車を漕ぎ続けることで悲しみを紛らせているのだろう。
7首目、正論かもしれないが、慰めとして言われているのがわかる。
8首目、泣ける人と泣けない人。妹は泣いて心をリセットするのだ。
9首目、山登りの食事の感じがよく出ている。「ゆったり」がいい。
10首目、建物が壊されてずっと空地のまま放置されている場所だ。
11首目、観終えて最初にどんな感想を言うかはけっこう悩むもの。
12首目、幸せそうなキス。心の様子を段々畑に喩えたのが印象的。

2023年7月23日、現代短歌社、2000円。

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2023年08月14日

坂井修一歌集『塗中騒騒』

著者 : 坂井修一
本阿弥書店
発売日 : 2023-07-10

2017年から2021年までの作品521首を収めた第12歌集。
老いた母(と父)を詠んだ巻頭の「たらちね」24首に力を感じる。

ひよひよと鶉となりてさまよへりつくし野病院あけぼのの母
ちあきなおみ「夜間飛行」をうたふ母 父でもわれでもなき人恋ひて
虫を食ふおほきなおほきなヤゴだつたいまむくどりに追はるるとんぼ
「茂吉さん」「白秋さん」そつと呼んでみるこの本棚はあの世の扉
怒りもて黙せばわれの胃の壁やぽつんぽつんと血の小花咲く
川あればふたつ岸あり大淀の彼岸ふくらむ花街あかり
蠅を食ひ蛾を食ひ虻食ひ蝶を食ひしあはせならむ蜘蛛のからだは
われひとりしづくも絶えてなほゐるはものおもふゆゑあした御不浄
忘られて三四郎池あゆみきぬまつぱだかなりこの藤蔓も
盤上の縛りのと金ほのぼのと見ゆれば王はもう死んでゐる

1首目「よ」「の」の音の響きが徘徊する母の弱々しい姿を伝える。
2首目、下句が何ともせつないが、母には幸せな時間かもしれない。
3首目、幼虫の時は強かった蜻蛉が、今は逆の立場に置かれている。
4首目、この世にいない人と本の世界では親しく会うことができる。
5首目、ストレスによる出血や潰瘍を「小花」に喩えたのが印象的。
6首目、初二句の言い切りががいい。川向うには別の世界が広がる。
7首目、下句への展開に意外性がある。これがまさに命のありよう。
8首目、結句で初めてトイレの歌とわかる。束の間のひとりの世界。
9首目、人間もまた本来「まつぱだか」な存在だという思いだろう。
10首目、渡辺対藤井の棋聖戦。結句がケンシロウの台詞みたいだ。

「わたしも蝶だ」「ハシブトガラスの姿でわたし」「スカラベとなりて」「亀に転生するわれか」「わたしけふから歌うたふ虻」「われはいま憂愁の鴨」「われはいま山椒魚か」など、しきりに人間以外のものになりたがっているのが印象に残った。

2023年7月10日、本阿弥書店、2700円。

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2023年08月07日

濱松哲朗歌集『翅ある人の音楽』


「塔」所属の作者の第1歌集。
2014年から2021年の作品420首を収めている。

年相応の年収といふ幻想を休憩室のテレビにて見つ
元服のやうに名前を変へながら川にひかりの起伏ほころぶ
Tシャツは首まはりから世馴れして部屋着つぽさを刻々と得る
白鳥を焼くをとこゐて私にもすすめてくれるやはらかい部分
雪原よ われはわれより逃れ来て消されるまでを碑文に刻む
またひとりここからゐなくなる春の通用口にならぶ置き傘
絵葉書に切り取られたるみづうみの青、ほんたうのことは言はない
水草の眠りのやうに息をするあなたの土踏まずがあたらしい
箔押しの表紙のごとくわが視野にわづかに開く白梅の花
ここにきてやうやく合つてきたやうな身体、わたしの終の住処よ
しんどいと言はなくなつた頃からが正念場だと、根菜を煮る
この部屋にときをり出逢ふ蜘蛛のゐて積みたる本の谷あひに消ゆ

1首目、働き方が多様になった今も正社員中心の古い価値観が残る。
2首目、流れの途中で名前が変るのを元服に喩えたのがおもしろい。
3首目、世馴れすることの是非がTシャツを通じて問い掛けられる。
4首目、こうした薄暗い誘いが踏絵のように働く。抗うのが難しい。
5首目、歌を詠むことは、自身の存在を証明することかもしれない。
6首目、職場を辞めていった人の残した置き傘が徐々に増えていく。
7首目、写真の湖と本物の湖は違う。枠を設けて自分の内面を守る。
8首目、親密な関係にある相手。「土踏まず」への着目が印象的だ。
9首目、咲き始めた白梅の輪郭の鮮明さを箔押しに喩えたのだろう。
10首目、身体からは出られないので、折り合いをつけるしかない。
11首目、結句の取り合わせがいい。根気よくといった気分だろう。
12首目、同じ部屋に生きている者同士の連帯感。同居人みたいだ。

2023年6月24日、典々堂、2500円。

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2023年08月02日

塚田千束歌集『アスパラと潮騒』


2021年に短歌研究新人賞を受賞した作者の第1歌集。
医療現場を詠んだ歌に印象的なものが多い。

建前がなくては違法行為だとヒポクラテスの後の二千年
のけぞった首筋に触れる恋人でも親でもないのに触れてしまえる
弱者にも強者にもなるベビーカー押して歩めば秋桜震え
ホーローの容器に蒸し鶏ねむらせて死とはだれかをよこたえること
ステートとPHS(ピッチ)が首にからまって身動きできないわが影揺れる
ソリリスをユルトミリスへ変えるときギリシャ神話のひかりかすかに
ひとりの生、ひとりの死までの道のりをカルテに記せばはるけき雪原
切るたびに野生はひとつ遠ざかり爪にやすりをおとす夕暮れ
大きすぎる皿を一枚買い求めいいのわたしのすべてになって
ママが泣いちゃうからねと添い寝され川底ねむる小石みたいだ

1首目、医療倫理に関する問い掛け。何が違法性阻却事由になるか。
2首目、患者の無防備な身体に触れてしまえることに対するおそれ。
3首目、上句が印象的。まわりの人々の反応によっても違ってくる。
4首目、料理をしている時にも、人間の死についての感慨がよぎる。
5首目、ステートは聴診器。常に気の休まることのない時間が続く。
6首目、薬の名前から神話に出てくる神の名前を連想したのだろう。
7首目、発病から死に至る経過や歳月が白いカルテに綴られていく。
8首目、語順がいい。下句まで読んで初めて爪切りの話だとわかる。
9首目、お守りみたいに自分の心を守ってくれるように感じたのだ。
10首目、添い寝するのではなく、されている。子どものやさしさ。

2023年7月7日、短歌研究社、2000円。

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2023年07月25日

梶原さい子『落合直文の百首』


歌人入門シリーズの7冊目。
このシリーズは読みやすくて入門編にちょうどいい。

夕暮れを何とはなしに野にいでて何とはなしに家にかへりぬ
霜やけのちひさき手して蜜柑むくわが子しのばゆ風のさむきに
つながれてねぶらんとする牛の顔にをりをりさはる青柳の糸
さくら見に明日はつれてとちぎりおきて子はいねたるを雨ふりいでぬ
ぬぎすてて貝ひろひをる少女子が駒下駄ちかく汐みちてきぬ

今読んでも新鮮さが伝わってくる歌が多い。「短歌の最初の一滴はここからにじみ出た」と解説にある通りだ。

直文は江戸時代の終わりに伊達藩の重臣の家に生まれた。当然、明治の四民平等の世になっても、ルーツである「武士」は強く意識されていただろう。
直文は、通りすがりの他者を描くのがとても上手い。心に触れたその情景を過不足ない言葉でさっと捉える。
直文は、守旧派と改進派のはざまにいて、双方に活を入れ、提案できる貴重な存在であった。実際、古今の古典・漢文をとことん学び、和歌をものし、そのよさを十分知り抜いている直文だからこそ、その言が聞き入れられたところはある。

気仙沼市生まれの著者にとって、地元出身の歌人落合直文は身近な存在なのだろう。直文の歌の魅力とともに、和歌改良・革新に果たした役割がよく理解できる一冊である。

2023年5月21日、ふらんす堂、1700円。

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2023年07月22日

柳原恵津子歌集『水張田の季節』


「未来」所属の作者の第1歌集。

生きているだけでふたたび夏は来て抜け殻に似た棚のサンダル
米のないカレーのようじゃないかしら欲をきれいに捨てた夫婦は
それぞれの臓腑に白く降る雪よわれには淡く父には深く
卓上の玻璃のうつわに注がれてミルクはこの朝の水準器
だし巻きを食べて育たざる我なれどくるくるとたまご巻くことが好き
娘らの乳房のことを母たちは畑の茄子のごとく言いあう
喉みせてサラダボウルの春雨を夫が食べきる今日のおわりに
その肺にだって淡雪ふるものを暗記カードに世界史綴じて
木蓮の枝には木蓮のみが咲くつぼみに過ちなどはなくて
夜更けがた戻った人の腕の気配うたたねのなか知ってまた眠る

1首目、上句の言い回しの面白さと下句の具体がうまく合っている。
2首目、特に不足はないのだけれどカレーライスの方が美味しいか。
3首目、父の死の一連にある歌。「淡く」と「深く」の対比がいい。
4首目、家族や家庭に歪みが生じていないかを測ってくれるみたい。
5首目、食生活は家によってそれぞれ違う。育った家と今いる家と。
6首目、比喩が強烈。思春期の娘の体のことを無造作に話す母たち。
7首目、「喉みせて」がいい。一日がともかくも無事に終った感じ。
8首目、勉強する子。明るさと暗さ、狭い世界と広い世界が混じる。
9首目、言われてみれば不思議な気がする。人間も同じことだろう。
10首目、別に声を掛けはしないが安心する。「腕の気配」がいい。

2023年5月31日、左右社、2000円。

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2023年07月05日

真中朋久歌集『cineres』


2014年から2018年の作品を収めた第6歌集。
タイトルはラテン語で「灰」の意味とのこと。

水の辺に立つたまま食ふにぎりめし手についためしつぶをつまんで
百葉箱のなかに住みたし。するすると縄梯子など上げ下ろしして
彼女いまもあなたのこと好きよ――妻が言ふいたくしづかなこゑで
川むかうのマンション暗しベランダに莨火ひとつともるしばらく
旧街道に離合しあぐむ自動車のつやつやとして互みをうつす
まどかなる秋のいちにち老いびとの円環に入る語りさぶしも
へいわのいしずゑといふ言説のひとばしらのごときひびきをあやしむわれは
松本市大手にありしジャズ喫茶は裏からの貰ひ火に焼けてしまひぬ
塔のうへのひとひらの雲の消えしのち見あげてゐたるひとがふりむく
もうわすれてくださいといふこゑなどもありありとみみのそこにのこれる

1首目、水と白米と手だけのシンプルな描写から身体感覚が伝わる。
2首目、かわいらしいファンタジー。三句以下の具体が印象に残る。
3首目、ダッシュ部分の空白に、何とも言えない気まずさを感じる。
4首目、川辺なのでまさにホタルみたい。遠くからでも見えるのだ。
5首目、下句の描写から、古い街道の細さがありありと感じられる。
6首目、同じ話を繰り返す様子を「円環に入る」と表したのがいい。
7首目、死者たちは誰も、平和の礎になどなりたくなかっただろう。
8首目、城下町とジャズ喫茶の取り合わせに時代や雰囲気を感じる。
9首目、しばらく自分だけの世界に入っていた相手と、再び出会う。
10首目、忘れることができずに、声だけがいつまでも残っている。

2023年6月8日、六花書林、2400円。

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2023年06月30日

土井礼一郎歌集『義弟全史』

著者 :
短歌研究社
発売日 : 2023-04-20

「かばん」に所属する作者の第1歌集。
独特な発想やイメージの飛躍がおもしろい。

鎮魂といって花火を打ちあげるそしたらそれは落ちてくるのか
別れればすぐに薄れていく顔の真ん中に飛び込み台はあり
脱がされていることさえも気づかないあの子はたまごどうふの子供
遺書にさえヴァリアントあり人のすることはたいがい花びらになる
どうかするたびこの部屋に朝がきて電子レンジで家族は回る
ベビーカーから逃れ出て指先は春をただよう柔らかい虫
幸せであることばかりを言う人の顔のまわりを衛星が飛ぶ
あとちょっとだけ見ていてと言いながら糠床どんどんきゅうり沈める
はだかんぼうの物干し竿に幾枚もストールを巻きつけるままごと
そんな小さなえんぴつばかりたずさえて夏の風景実習にゆく

1首目、花火を打ちげることがなぜ鎮魂になるのかという問い掛け。
2首目、目の前からいなくなると顔が思い出せなくなってしまう人。
3首目、つるつるした肌の感じ。無垢であるとともに危うさもある。
4首目、遺書を何度か書き直したのだろう。どこかちぐはぐな感じ。
5首目、忙しい朝に次々と回るターンテーブルが家族を統べている。
6首目、結句「柔らかい虫」が印象的。ちょっと薄気味悪いような。
7首目、無理に幸せであると思い込もうとしている様子が滲み出る。
8首目、少しだけのはずがとめどなく物事が進行していく不気味さ。
9首目、「はだかんぼう」の使い方が面白い。着せ替え人形みたい。
10首目、奇妙な実景とも読めるし、暗喩的な寓話とも読めそうだ。

全体を通して読むと、随所に死者や戦争、家族のイメージが出てくることに気がつく。暗喩や寓意に満ちていて、さまざまな読み解きへと読者を誘う一冊だ。

2023年4月20日、短歌研究社、1800円。
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2023年06月20日

中島裕介歌集『memorabilia/drift』


2013年から2017年までの作品を収めた第3歌集。

胸元に伏せられていたiPhoneの郷愁として光は消える
三つ栗のマウスを包む右手にてエゴサーチしても続く涼秋
うつせみの缶チューハイに含まれるウォッカほどの希死念慮 燃えよ
「批判するだけなら誰でも出来る」なんて批判を浴びて 爪が切りたい
強く握る鉄パイプから光沢が、遠くの沢の水が零れる
国道にちぇるるちぇるるとやって来てちぇるるちぇるりと去る冬である
したあとの小便いつもふたまたに分かれてしまう 愛してはいる
ガラス窓に風は激しく吹き付ける 老医師の耳鼻咽喉科には
シーリングファンは静かに回転を止めた ボトルシップの船長室で
手のひらに収まるほどの靴箆に踵を滑らせたから湿原

1首目、しばらく操作しないと画面が暗くなる。「郷愁」が面白い。
2首目、「三つ栗の」は枕詞ではなく3分割になったマウスの形状。
3首目、数パーセントではあるけれど死にたい思いを強く打ち消す。
4首目、結句に意外性がある。きちんと批判するのも難しいことだ。
5首目、「光沢」という言葉が光る沢のイメージを呼び寄せたのだ。
6首目、オノマトペの面白さ。最後だけ「ちぇるり」になっている。
7首目、岡崎裕美子の歌と同じ「したあと」の男性版という感じか。
8首目、昔ながらの町医者の佇まいや建物の雰囲気がよく出ている。
9首目、実際の部屋から模型の部屋へと場面が切り替わる鮮やかさ。
10首目、携帯用の靴箆の小ささから大きな湿原に足を踏み入れる。

詞書やレイアウトを工夫した連作が多く、1首単位の鑑賞をならべても歌集を読んだことにはならない感じが強い。

あとがきの「大文字のIではなく、小文字のiという虚数単位を追求している」という一文が、作者のスタンスをよく表している。

2022年11月20日、書肆侃侃房、2100円。

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2023年06月13日

水原紫苑歌集『天國泥棒』

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副題は「短歌日記2022」。

ふらんす堂のHPに2022年1月1日から12月31日まで毎日1首発表された計365首を収めている。「短歌日記シリーズ」は詞書や短いエッセイが付くことが多いのだが、この歌集はシンプルに日付と歌だけで構成されている。

愛しあふ椿たちたれも愛さざるひよどり共にうつくしきかな
わたくしは鳥かも知れず恐龍の重きからだを感ずるあした
雀たちわれを見捨てて砂浴びの快樂(けらく)に耽る~の庭かも
けむりぐさ吸ひたる昔不死と死にあくがれたりき今もあくがる
泣きながらわれに食まるるトマトなり泣くこと絶えてあらざるわれに
ポンペイはこことおもへばみひらけるまなこのままに木橋をわたる
肌も髪もさまざまなれどいきものの美しさにてはにんげんは勝てず
海あらぬ巴里の眞珠貝われと母 互みに互みをみごもりにけり
地下食堂にボードレールの詩句ありて移民勞働者ペドロ降り來(く)も
窓よりの眺めに男女天使なる一瞬ののちその子來たりぬ

1首目、鮮やかな赤い色に咲く椿の花と孤独で嫌われ者のヒヨドリ。
2首目、恐竜から鳥への進化の歴史を思う。鳥の軽さに対する憧れ。
3首目、人を警戒することなく無防備で無邪気に楽しむ雀たちの姿。
4首目、不死と死は正反対の概念だが、どちらも魅力を秘めている。
5首目、「われ」でなくトマトが泣いているところに意外性がある。
6首目、ポンペイの惨劇はいつどこの町で起きても不思議ではない。
7首目、生きものたちはフォルムや存在自体の美しさを備えている。
8首目、互いを育みつつ侵食し合うような母と娘の複雑な関係性か。
9首目、パリの街の様子がよく感じられる歌。生活の場に詩がある。
10首目、天使は人間と違って性別もなく子を産むこともない存在。

8月から11月にかけてのパリ滞在が、歌集の中で良いアクセントになっている。

2023年5月16日、ふらんす堂、2200円。

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2023年05月30日

吉川宏志歌集『雪の偶然』

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2015年〜2022年の作品555首を収めた第9歌集。

出張などの旅の歌を随所に挟みつつ、母の死や自らの退職といった大きなできごと、また安保法案やコロナ禍、ウクライナ戦争などの社会問題を詠んでいる。比較的長い期間を収めた一冊だが、途中にある「平成じぶん歌」がうまく流れをつないでいるように感じた。

ゆうぐれはどくだみの香の濃くなりて蛇腹のような石段のぼる
海見ゆる前から青が滲みゆく家のあわいに木々のすきまに
一日眠らば治らむ風邪とおもえどもその一日が手帳には無し
呑みこみし餌が口より漏れ出(い)でてまた吸いこめり黒き寒鯉
倒れたる墓は直角をむきだしに雨に濡れおり朝の山道
東京に殺されるなよ 東京を知らざる我は息子に言わず
布張りの白きが母に似合うらむ明後日(あさって)焼かるる棺を選ぶ
韓国を蔑(なみ)して盛り上がる男たち 黒き磁石にむらがるように
雲の裏に心臓ほどの陽がありて川のほとりの桜を歩く
葉にとまり眼状紋(がんじょうもん)をひらきしが飛び去りにけり夕暮れの葉を
夕山の落葉踏み分けナウシカのいまだ来たらず国は病みゆく
支線から冬に入りゆく駅ならむ七味の赤がかき揚げに散る
古着屋に人のからだを失いし服吊られおり釦つやめく
ひがんばなの先へ先へと歩きゆく最も赤い花に遭うまで
治りそうな負傷ばかりが映されて横たわる人にぼかしのかかる

1首目、「蛇腹のような」がいい。本物の蛇がいてもおかしくない。
2首目、ちらちらと海の気配が近づいていることを感じるのだろう。
3首目、休みをとれないばかりにぐずぐずと風邪が長引いてしまう。
4首目、口元にズームした映像のように鯉の動きがよく見えてくる。
5首目、横倒しになったことで直方体の石という感じが強くなった。
6首目、就職で東京へ行く子を案じつつも先入観を与えたくはない。
7首目、様々な素材や形状の中から選ぶ。下句に深い悲しみが滲む。
8首目、下句の比喩が絶妙だ。何が男たちを引き付けるのだろうか。
9首目、薄雲の奥にうっすら透けている太陽。「心臓ほど」がいい。
10首目、蛾と言わずに表している。模様だけが飛んでいるみたい。
11首目、猿丸太夫の歌とナウシカを踏まえ世相を詠んだ巧みな技。
12首目、上句の発見・把握の鮮やかさと下句の写生・描写の鋭さ。
13首目、新品と違ってかつて服の中には人間の身体が入っていた。
14首目、どこまでも続く彼岸花から永遠に出られなくなりそうだ。
15首目、自主規制により日本のテレビ報道は死体を映しはしない。

2023年3月25日、現代短歌社、2700円。

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2023年05月21日

藤原龍一郎『寺山修司の百首』


「歌人入門」シリーズの5冊目。

寺山修司の短歌100首の鑑賞に加えて、解説「歌人・寺山修司―超新星の輝き」を収めている。鑑賞文は1首あたり250字と短いが、寺山短歌の魅力や特徴がよく伝わってくる。

短歌表現を一人称のみならず、三人称に解放したところにも寺山修司の大きな功績がある。
悪霊はドストエフスキーを、外套はゴーゴリを連想させる。こういう用語を使って、一つのイメージを醸しだす技法は寺山の得意とするところ。
作中人物に現実の事件を投影してリアリティを獲得する方法も、寺山の多彩な技法の一つである。

印象に残った歌を引いておく。

わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして
/初期歌篇
小走りにガードを抜けてきし靴をビラもて拭う夜の女は
/『空には本』
きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えんとする
/『血と麦』
外套掛けに吊られし男しばらくは羽ばたきゐしが事務執りはじむ
/『テーブルの上の荒野』
父といて父はるかなり春の夜のテレビに映る無人飛行機
/『月蝕書簡』
わが息もて花粉どこまでとばすとも青森県を越ゆる由なし
/『田園に死す』

2022年6月23日、ふらんす堂、1700円。

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2023年05月18日

永田紅歌集『いま二センチ』


2012年から2015年までの作品488首を収めた第5歌集。
タイトルからもわかるように、妊娠・出産・子育てに関する歌が中心となっている。

重ねれば重ねるほどに白くなる光は春に体積をもつ
くしゃみしてそれまで食べていたことを忘れた猫のおばあさんなり
こないだのことよと言えばこないだは十年昔となりて離(か)れゆく
隣家の屋根わたりゆくわが猫の仕事の量をわたしは知らず
横向きに鏡に映す 身籠りし女たれもが見つめし形
ムーニーはパンパースより柔らかくメリーズより可愛くグーンより安し
一年にひとつずつしか大きくはなれぬ子どもと鴨を見ており
乳くさき子と乳くさき我は見る日射しのなかの鳩の食欲
半券を取り置く人と捨つる人記憶はいずれに濃きものならむ
早春の松山城のお堀の木おそろしきまでヤドリギ宿る

1首目、光の三原色は混ぜると白くなる。春は光が満ち溢れている。
2首目、だいぶ年老いて動きも鈍くなった猫。人間のようでもある。
3首目、年を重ねると「こないだ」の時間が次第に長くなっていく。
4首目、一歩家から外へ出れば、猫には猫の生活や社会があるのだ。
5首目、お腹の膨らみを確認する。子を産んだ無数の母たちを思う。
6首目、紙おむつを使うようになって、メーカーごとの違いを知る。
7首目、早送りで成長したりはしない。成人まででも18年かかる。
8首目、母乳でつながる母子。乳くささは動物的な命の実感である。
9首目、何も残さない人の方がかえって深く覚えている場合もある。
10首目、「おそろしきまで」がポイント。結句もユーモアがある。

2023年3月1日、砂子屋書房、3000円。

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2023年05月07日

尾崎左永子『自伝的短歌論』

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雑誌「星座―歌とことば」67号(2013年秋)から82号(2017年夏)まで連載された文章をまとめたもの。毎回添えられている本人の自筆イラストが、かわいくて良い味を出している。

タイトルの通り、著者の自伝であり、また歌論である。生い立ち、戦時中の暮らし、放送業界での仕事、青年歌人会議の活動、アメリカでの生活といった話と、短歌の型や声調、息遣いなどに関する論が含まれている。

なにしろ大人数、大家族の時代で、少し関わりのある縁戚、紹介されて来た人、そういう人たちを抱えて、家族同然に暮らすのが、当時の東京山手の邸の、当り前の生活だった。
(『さるびあ街』について)この命名はしかし、佐藤先生の激怒を買った。「何だ、この『モルグ街の殺人』みたいな題は」そうでなくても無口で、一語一語に重量感のある佐太郎の一喝。首を縮めたが、私はひるまなかった。
良い歌なら、つっかえないで読み下せるはずなのである。もし言いにくいところがあれば、それを眼で読む読者側の頭や心には、完全な形で映すことは不可能、ということになる。
現代では、「歌」は目で読む、つまり黙読するものと思い込んでいる人がかなり多いが、歌が生まれたら、小声でもよいから「音声」に出してみると、歌作の良否がはっきり判るもの、という事実を、一度はっきり認識するべきであろう。

佐藤佐太郎、中井英夫、木俣修、寺山修司、大西民子、北沢郁子、富小路禎子、馬場あき子たちとの交流も書かれていて、戦後短歌史の貴重な記録になっている。

2019年6月3日、砂子屋書房、2500円。

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2023年05月03日

菅原百合絵歌集『たましひの薄衣』


「心の花」の作者の第1歌集。333首。

文語旧かなの伝統的な言葉遣いと知的なモチーフの組み合わせが美しく、修辞的な完成度が高い。

山わたる風を恋ほしみevianのボトルは夜の卓を澄みゆく
午前から午後へとわたす幻の橋ありて日に一度踏み越す
〈先生〉と胸に呼ぶ時ただひとり思ふ人ゐて長く会はざる
スプーンの横にフォークを並べやり銀のしづかなつがひとなせり
一生は長き風葬 夕光(ゆふかげ)を曳きてあかるき樹下帰りきぬ
寡黙なるひとと歩めば川音はかすかなり日傘透かして届く
聖堂の扉重たくあへぐまで体軀を寄せて押しひらきたり
モネの描く池に小舟はすてられて水面に影を落としゐるのみ
ツリーなりし樅の木あまた捨てられてほそき枝葉を天へ尖らす
眠りから醒まさぬやうに爪立ちて稀覯書匿(かく)す森へ踏み入る

1首目、フランス産のミネラルウォーター。水源地を懐かしむのか。
2首目、何もない正午の区切りを「幻の橋」と捉えたのが印象的だ。
3首目、肩書きや敬称としての先生ではなく、師としての〈先生〉。
4首目、別に生き物でもないのに、並ぶと何だか番いみたいになる。
5首目、初二句が箴言のようだ。長い時間かけて自然に還っていく。
6首目、相手の寡黙さが強く感じられる。二人の間にある心の距離。
7首目、昔ながらの聖堂の重く頑丈な扉。「体軀を寄せて」がいい。
8首目、捨てられたまま朽ちることなく、いつまでも絵の中にある。
9首目、残骸となったクリスマスツリー。届かなかった願いみたい。
10首目、薄暗くひっそりした雰囲気の書庫。「森」の比喩がいい。

作者はフランス文学の研究者。歌集の冒頭や連作の初めに、シラー、モーリス・ブランショ、ミラン・クンデラ、ボードレール、シェイクスピアなど、多くの海外作品がエピグラフとして引かれている。

2023年2月20日、書肆侃侃房、2000円。

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2023年04月12日

島田修三『短歌遠近』


副題は「短歌でたどる戦後の昭和」。
2020年1月から2年間、「中日新聞」「東京新聞」に毎週連載された文章をまとめたもの。

「戦争孤児」「結核」「力道山」「東京タワー」「安保闘争」「あしたのジョー」「カップヌードル」「企業戦士」「ソ連解体」など、99のトピックに関する短歌を取り上げ、戦後の昭和の歴史や暮らしの様子を描き出している。

【練乳】
 昭和の子なれどもわれは練乳を苺にかけた記憶のあらず
            花山多佳子『鳥影』
苺は甘さの対極にあった。今の甘い苺からは想像できないほど酸っぱい果物だったのだ。

ああ、そう言えばそうだったと思い出す。わが家では練乳ではなく、苺に砂糖と牛乳をかけて、スプーンで潰して食べていた。今の苺なら、そんなことをしなくても十分に甘いのだけれど。

【バキューム・カー】
 去りし日の馬車をおもへばしづかなるひとみの馬は屎尿を
 はこぶ        小池光『草の庭』
いつのまにか家々の屎尿の汲み取りにバキューム・カーが導入されていたことも変化のひとつだった。これは子供心にも画期的な進歩のように思えた。

私の生家も水洗トイレではなく汲み取り式のトイレで定期的にバキュームカーが来ていた。子供の頃(昭和50年代)それが恥ずかしくて仕方がなかったのだけれど、なるほど、バキュームカーが最先端だった時代もあったのだ。

私は昭和45年生まれなので、本書に記されたトピックにも、知らないこと、話にだけ知っていること、リアルタイムで知っていることが混ざっている。

一方で昭和25年生まれの著者にとって、戦後の日本を振り返ることは、すなわち自らの人生を振り返ることでもあったのだろう。アメリカに対する愛憎半ばする思いなどが率直に記されている。

2022年10月10日、風媒社、1500円。

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2023年04月02日

松村由利子『ジャーナリスト与謝野晶子』


2019年9月から2021年4月まで「短歌研究」に連載された文章に加筆してまとめた一冊。大正時代を中心に多くの評論を書き、社会に向けて発言し続けた晶子の姿を鮮やかに描き出している。

晶子の評論活動は、明治末期から昭和初期にかけての二十年余りにわたった。最も活発に執筆したのは「大正デモクラシー」と呼ばれる時期と重なっている。有名歌人という肩書だけで長期間にわたってメディアで書き続けるのは困難だ。筆力はもちろん、本人の自覚や問題意識も不可欠である。

1912年のヨーロッパ旅行におけるインタビューで「新聞記者が男にも女にも最上の職業」と答えた晶子には、歌人としてだけでなくジャーナリストとしての資質もあったのだろう。イギリスの女性参政権運動に共感し、男女平等や民主主義を唱え、新しい教育のあり方を模索するなど幅広く活躍する。

この「ジャーナリスト」という観点は、新聞記者としてのキャリアを持つ著者ならではのものだろう。当時の社会状況や時代背景を一つ一つ明らかにしながら、晶子の活動の実態に深く迫っている。

中でも、晶子が政府の言論統制を強く批判した連作「灰色の日」30首(1909年)の読み解きは圧巻だ。これまで、あまり論じられてこなかった作品である。晶子が本格的な評論活動を始める前から既に社会に対して強い関心を持っていたことがよくわかる。

晶子の書いたことは今も少しも色褪せていない。当時はまだ言葉もなかった「男女共同参画」「ワークシェアリング」「生涯学習」「ライフ・ヒストリー」といった概念についても、いち早く言及している。

晶子は「あまりに子供に触れ過ぎて愛に溺れる母」と「あまりに子供に触れないで愛に欠ける父」とが対立している家庭は決して望ましい形ではないと言う。家庭における育児の担い手が一人しかいない「ワンオペ育児」が今も多くの女性を悩ませている現状を見るとき、晶子の主張の先見性を思わされる。

それだけ晶子の評論は本質的で鋭かったわけだ。一方でそれは、日本社会がこの100年の間ほとんど変わらずに来てしまったことを示しているとも言えるだろう。

2022年9月14日、短歌研究社、2500円。

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2023年03月26日

永田淳歌集『光の鱗』

 nagatajun.jpg

2015年から2021年までの作品445首を収めた第4歌集。
https://saku-pub.com/books/hikarinouroko.html

保育園は卒園式後も行くところ十八人が休まずに来る
わが髪に指かきいれてくちづけき 日本海溝葉桜の頃
水張田のおもてわずかにめくりつつ濃尾平野に黒南風は吹く
両脇にふたつ旋風(つむじ)をうみながら暁方(あけがた)の空を高くゆく鳥
夜ごと夜ごとシマフクロウの巡りいむ鼠径部の辺の喬木の梢
紅しとも蒼しとも見ゆ 高瀬川の桜は夜に侵されてゆく
噴水を万年と訳したる功の万年筆の黒き手触り
桟橋を離れてゆかぬ懐かしさターナーの水面に小舟の浮かぶ
雨脚のふときに支えられながら雲くろぐろと盆地を覆う
春の夜を震えて咲(ひら)くマグノリア 祈りは常に形をなさず

1首目、卒園式が済んでも親の仕事が休みになるわけではないから。
2首目、上句から下句への飛躍がいい。深い海の底の暗さと季節感。
3首目、「めくりつつ」という動詞の選びが印象的。風景が大きい。
4首目、羽ばたきが空気の渦を生むメカニズムを思いつつ見上げる。
5首目、性的なイメージだろう。夜行性で鼠を食べるシマフクロウ。
6首目、京都の繁華街。照明やネオンに照らされた妖しげな美しさ。
7首目、英語ではfountain pen。「万年」は永遠のような感じか。
8首目、絵の中の水辺の風景が、今にも動き出しそうに感じられる。
9首目、雲から雨と見るのでなく雨から雲と反転させて捉え直した。
10首目、強い祈りを感じる。両手を合わせた形のようなモクレン。

2023年2月4日、朔出版、3000円。

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2023年03月19日

松本典子歌集『せかいの影絵』

著者 : 松本典子
短歌研究社
発売日 : 2023-02-01

2017年から2022年までの作品387首を収めた第4歌集。

コロナ禍やウクライナ侵攻などの社会詠と、2020年に亡くなった俳優の三浦春馬や癌で亡くなった妹の挽歌など重いテーマの歌が多い。

秋はいつも直滑降でやつて来るゆびのさき朝の水がつめたい
  難民としてドイツへ
床に皿をならべ片膝を立てながらヤズディは食むドイツへ来ても
スケボーで跳べば影さへ地をはなれ逆光にきみの黒きシルエット
髪を洗ひ背なかを流してもらふため〈要支援2〉を母はよろこぶ
桜丸に来る日も来る日も詰め腹を切らせて千秋楽のにぎはひ
STAY HOMEの呼びかけに取り残されつ春雷に家を持たぬ人たち
だってほらshowとsnowは綴りまで似ててはかなく消えてしまふの
紙おむつの背なかに名前と電話番号書いて祈れりウクライナの母たち
あらがひがたく声は流れ去るものだつた蓄音機が世にあらはれるまで
いもうとの死を見つめそこにある眼鏡ついさつきまで掛けてゐたふうで

1首目、「直滑降」という比喩が印象的。唐突に訪れる秋の涼しさ。
2首目、故郷を追われても、身体に根差した生活習慣は変わらない。
3首目、光と影の対比が鮮やか。スケボーする人の躍動感が伝わる。
4首目、介護認定が下りると訪問入浴などのサービスが受けられる。
5首目、文楽「菅原伝授手習鑑」。実人生では一度しか死ねないが。
6首目、ネット難民やホームレスなど、家を持たない人も多くいる。
7首目、ショーの世界で生き雪のようにはかなく逝った人への思い。
8首目、万が一生き別れになった時のために書く。赤子は一番弱い。
9首目、声の本質は消えてしまうところにある。だからこそ美しい。
10首目、病室に残る眼鏡。妹の目や視線がまだあるように感じる。

2023年2月5日、短歌研究社、2200円。

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2023年03月07日

藤島秀憲『山崎方代の百首』


「歌人入門」シリーズの6冊目。

山崎方代の歌集から100首を取り上げて、鑑賞を付している。右ページに短歌、左ページに鑑賞という形になっていて読みやすい。

単なる一首評×100ではなく、全体として山崎方代の人生や歌の特徴が見えてくる内容となっている。さらに、巻末には解説「「自分」を求めて」がある。

方代は小道具の使い方が絶妙である。小道具によって心境をくっきりと浮かび上がらせることができる。
ユーモアと切なさ、ぬくもりと冷たさ、美しさと醜さ、聖と俗、生と死、愛と失望といったように、方代の歌は相反するものに片足ずつ突っ込んでいる。
方代の歌の素材はそう多くない。身の回りにあるもの(その最たるものは自分自身なのだが)が素材の中心。一つのものを何度も繰り返し歌う。
完全に消化しきった自分の言葉で表現することの大切さを方代は身をもって示したと思う。借りて来た言葉や着飾った言葉を方代は一切使わなかった。
方代というと口語のイメージが強いが、いやいや実は文語の人で、文語と口語の匙加減に四苦八苦した人。数限りない推敲が行われたことだろう。

他にも、「「石」は方代短歌の重要なキーワード」「字足らずはしばしば使われたテクニック」「リフレインを方代は多用した」といった大事な指摘が数多くある。

方代の歌の魅力がよく伝わってくる一冊だ。その背後には、「山崎方代は常に私の隣に居てくれた」と記す著者の愛情が詰まっている。

2023年2月19日、ふらんす堂、1700円。

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2023年02月09日

永井亘歌集『空間における殺人の再現』

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第9回現代短歌社賞を受賞した作者の第1歌集。
シンタックスのずらし方やイメージの連鎖に特徴がある。
1頁1首組で、装幀もかなり凝っている。

向日葵でだらしなく死ぬ 飛び起きて また向日葵でだらしなく死ぬ
生きるとは死体はないが探偵は文字をひらめく棺のように
惑星は遠く照らされながら死ぬ 気づくと君の顔を見ていた
言葉にはさせないつもり 秋風にさからって手をつないで歩く
晴れた日のスノードームは輝いてもう残酷な不機嫌ばかり
カナリアが微笑みながらどの声のあなたが老いていくのだろうか
どの人もリュックサックにかすりつつちゃんと他人になって降りていく
ベランダで凭れる君はひとときの暮れゆく空の影であること
ある晴れた午後にフランスパンを買う 川の向こうを覚えていたら
夕焼けが山の緑になじんだら心はコイントスで消えるね

1首目、「向日葵で」は比喩とも読めるし変身したのだとも読める。
2首目、生きている間はまだ死体は存在しないけど、ということか。
3首目、下句がいい。二つの星の関係性がふたりの顔と重なり合う。
4首目、初二句が印象的。この強引さに相手への思いの強さが滲む。
5首目、スノードームの景が楽しかった日々の記憶のように明るい。
6首目、声もまた老いてゆくのだ。歌を忘れたカナリアも思い出す。
7首目、「ちゃんと」がおもしろい。現代版袖振り合うも多生の縁。
8首目、シルエットになった君の姿を、部屋の中から見つめている。
9首目、下句の付き方が実に不思議。現在ではなく未来の話なのか。
10首目、コインが掌に隠れるように、心が夕焼けに吸い込まれる。

2022年12月25日、現代短歌社、2200円。

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2023年02月01日

石畑由紀子歌集『エゾシカ/ジビエ』

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「未来」所属の作者の第1歌集。
ご縁があって栞を書かせていただきました。

鹿肉を嚙みしめたとき口のなかいっぱいに吹く風はさみどり
故障中 貼り紙がはためいている あなたはどんなふうにされたの
先端をぎっと握って立っている からだのなかに上がる連凧
敗北に北のあること川べりに凍りたがりのみずを見ている
ひと冬を身ひとつで越すエゾリスの腰逞しくちからに満ちて

北海道の風土とそこに生きる作者の心が鋭く迫ってくる一冊です。

2023年2月10日、六花書林、2000円。

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2023年01月20日

廣野翔一歌集『weathercocks』

著者 :
短歌研究社
発売日 : 2022-11-20

「塔」所属の作者の第1歌集。三部構成で394首を収めている。
タイトルの weathercock は風見鶏。

図書館の窓は大きくふと見れば他人の余生なども映りぬ
両眼だけ奪うなという契約のドナーカードの緑やつれて
洋室に光は溢れ人生を巻き戻してもたぶん一緒だ
デンマーク船が突然現れてターナー展は春まで続く
ビルヂングの中に小さき池ありて外の雨には濡れず動かず
辞める未来、辞めない未来どちらにも寄らず離れず割る茹で卵
回想の映像を見ておれば急に祖父の顔付きが変わる時期あり
小牧・長久手の間はやや遠く営業地域(エリア)の外にあるぞ長久手
白飯をコーンスープにほぐしおり金も誇りもおかずも無くて
はしゃいでたつもりだけれど泣いていた積雪に足跡が深くて
移民の孫が移民を拒む寂しさの中でもうすぐ築かれる壁
dolphinの傍らに人泳ぎおりかすかに泡を浮かばせながら
電話口の声の暗さに気をとられそこから別れまで速かった
「残酷なことをしていた」そうなのか残酷だったのか今までは
抗菌化されし車両の中に居て本読むほどの力もあらず

1首目、図書館では来館者や書物に描かれた様々な人生が交差する。
2首目、悪魔との契約みたい。「眼球」の項目だけ×をつけている。
3首目、何度やり直してもまた同じ道をたどるのだろうという思い。
4首目、絵の中の話から展覧会の期間の話へつながるのが不思議だ。
5首目、ビル内にある池なので雨に打たれない。その奇妙な静けさ。
6首目、会社を辞めるか迷う。結句「茹で卵」の取り合わせが絶妙。
7首目、亡くなった祖父の生前の姿。死の近い顔になったのだろう。
8首目、日本史では「小牧・長久手の戦い」と一括されるけれども。
9首目、白飯とコーンスープの合わない感じが何とも悲しげである。
10首目、流れ出た涙によって、はじめて自分の心に気づいたのだ。
11首目、トランプ前大統領の祖父はドイツからアメリカへの移民。
12首目、水族館のショー。dolphinという表記と下句の描写が光る。
13首目、恋人との別れ話の場面。一首の中での言葉の展開も速い。
14首目、お互い楽しく過ごしていたと思っていた日々だったのだ。
15首目、抗菌化によって、まるで自分まで無力になったみたいだ。

2022年11月20日、短歌研究社、1700円。

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2023年01月03日

千葉優作歌集『あるはなく』


「塔」「トワ・フール」所属の作者の第1歌集。
2015年から2021年までの作品291首を収めている。

思ひ出の手紙の墓となるだらう鳩サブレーの黄なるカンカン
チャリを押すおれと押されてゆくチャリの春は社交(ソシアル)ダンスの距離に
営業をやめてしまつたコンビニがさらすコンビニ風の外観
印象派絵画のごとく頓別(とんべつ)の原野に楡の五、六本あり
こんなにも素直に花は反省のすがたに折れて水をもとめる
たぶんなにもわかつてゐない後輩の「なるほどですね」がとてもまぶしい
生きづらいつて息がしづらいことですかかもめは霧におぼれてしまふ
かつて蝶、だつた靴跡もつれあふひどく寡黙な秋の渚に
風のやうに記憶はひかる ふところにLARK(ひばり)を抱いてゐるひとだつた
こんなにも小骨を肉にひそませて苦しいだらうニシンの一生(ひとよ)
すんすんと伸びゆく竹のうちがはに竹の一生(ひとよ)が閉ぢこめる闇
睡蓮が水面をおほふ夏の午後こんなに明るい失明がある
アキアカネその二万個の複眼に映る二万の夕焼けがある
にはとりの卵に模様なきことを思へばしづかなる冬銀河
いちにちのはじめに休符置くやうに白湯を飲みをり雪の夜明けは

1首目、黄色い缶の明るさと「手紙の墓」の寂しさの落差が印象的。
2首目、比喩がおもしろい。確かに自転車を押す時はこういう感じ。
3首目、コンビニ特有の外観というものが、廃業後もそのまま残る。
4首目、頓別という北海道の地名が目を引く。風景の存在感が強い。
5首目、花首の垂れてしまった姿。人間はそんなに素直になれない。
6首目、話を理解してない様子を批判するのではなく羨ましく思う。
7首目、言葉遊びのような上句と、下句の景の取り合わせが巧みだ。
8首目、もつれ合うような靴跡から歩いて行った二人の姿が浮かぶ。
9首目、ラークが好きだった人。空のイメージと「ひ」の音の響き。
10首目、身離れが悪く肉に食い込んでいる骨。下句が実に個性的。
11首目、竹の内部の空洞には、伐られるまで光が射すことはない。
12首目、池を眼球に喩えている。反転する明るさと暗さが美しい。
13首目、数万個の目から成る複眼を持つ蜻蛉。圧倒的な夕焼けだ。
14首目、下句への展開に意外性がある。模様が銀河になったのか。
15首目、まずは一服。「白湯」の「白」が雪の白さも感じさせる。

2022年12月1日、青磁社、2200円。

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2022年12月27日

鈴木加成太歌集『うすがみの銀河』


2015年の「革靴とスニーカー」50首で角川短歌賞を受賞した「かりん」所属の作者の第1歌集。2011年から2022年までの作品347首が収められている。

ボールペンの解剖涼やかに終わり少年の発条(ばね)さらさらと鳴る
ゆめみるように立方体は回りおり夏のはずれのかき氷機に
白鳥の首のカーヴのあの感じ、細い手すりに手を添えている
「あ」の中に「め」の文字があり「め」の中に「の」の文字があり雨降りつづく
夜汽車なら湖国へさしかかる時刻 研究室の四つの灯を消す
はつなつの水族館はひたひたと海の断面に指紋増えゆく
尾ひれから黒いインクに変わりゆく金魚を夢で見たのだったか
もう足のつかない深さまで夜は来ておりふうせんかずらの庭に
かうもりのおほかたは残像にして埋み火いろのゆふぞらに増ゆ
カーテンのレースを引けば唐草の刺繍に透けて今朝の雪ふる

1首目、分解でなく「解剖」としたのがいい。少年自身の体みたい。
2首目、謎めいた上句からの展開が鮮やか。うっとりと削られる氷。
3首目、手すりの感触から白鳥の首をイメージする。その生々しさ。
4首目、文字遊びの歌だが、「雨」「つづく」と意味も当て嵌まる。
5首目、車両と研究室の像が重なる。夜行列車に乗っていれば今頃。
6首目、アクリル板を「海の断面」と表現した。実際にはないもの。
7首目、金魚のひれの透明感と夢の朦朧とした感じ。結句も印象的。
8首目、水に浸っているような夜の暗さにふうせんかずらが浮かぶ。
9首目、上句がいい。はためくような予測の付かない飛び方をする。
10首目、唐草模様と雪の重なりが美しく、K音とS音の響きが静謐。

2022年11月25日、角川書店、2200円。

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2022年12月18日

栗木京子歌集『新しき過去』

著者 : 栗木京子
短歌研究社
発売日 : 2022-09-26

2017年から2022年までの作品446首を収めた第11歌集。
94歳で亡くなった母を詠んだ歌が印象に残る。

こころといふものを手にのせ眺めたしみづからさへも信じ得ぬ日は
草野球終へし子供ら(立ち飲みはせねど)てんでに焼鳥を買ふ
けやき落葉散り敷く道を画布として白きコートのわれ歩みゆく
葉桜にみどりの風の吹くゆふべ餃子に小さくひだ寄せてゆく
嘔吐せぬ強き胃袋もつ母は最期に三匙のゼリー食べにき
真夜中の電話はもう無し母の死の代はりにわれに安眠来たり
風邪引けば母に叱られ霜月の暮れゆく窓の桟を見てゐき
岸辺にてトランペットを吹く人をり川はそこより西へと曲がる
散り落ちて互ひの距離の縮まりぬ紅むらさきの木蓮の花
一万個分のプールの水収め積乱雲は朝をかがやく

1首目、心は自分にとっても謎のもの。すべて把握できてはいない。
2首目、大人たちなら、一杯飲んでという場面。見せ消ちが巧みだ。
3首目、白い画布に色を塗るのではなく、色のある画布に白を塗る。
4首目、上句の葉桜の揺れる様子と下句「ひだ寄せて」が響き合う。
5首目、亡くなるまで経口摂取を続けられた母。「三匙」が悲しい。
6首目、施設からの突然の連絡に慌てる日々がもう戻らない寂しさ。
7首目、病気の時ほど母には優しくしてもらいたかったのにと思う。
8首目、景がよく見えてくる歌。カーブするところで練習している。
9首目、発見の歌。三次元の空中に咲いていた時の方が離れていた。
10首目、視覚化された大量の水が雲の中にあることに驚かされる。

2022年9月1日、短歌研究社、2000円。

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2022年12月07日

平出奔歌集『了解』

著者 : 平出奔
短歌研究社
発売日 : 2022-10-25

2020年に「Victim」30首で短歌研究新人賞を受賞した作者の第1歌集。「塔」「えいしょ」「半夏生の会」「のど笛」所属。

うん……までは言った記憶が残ってる喫茶店、チェーンじゃないどこか
着るだけで痩せるって書いてあったのを着ながら想う日本の未来
本名で仕事をやっていることがたまに不思議になる夜勤明け
おみやげは人数に足りないほうがみんなよろこぶような気がした
水・日でやってるポイント5倍デー そのどちらかで買うヨーグルト
差し出したポイントカードがここじゃないほうので ちょっと笑ってもらう
Amazonで2巻と3巻を買ってメールでおすすめされる1巻
洗濯が自動で終わる 乾燥も 生きてる意味がわからなくなる
夕立が  泣く、って涙が出てるってことじゃないじゃん  屋根を打ってる
いつかあなたの目の前でやって見せたいよ涎の出るような眠り方

1首目、別れ話だろうか。周辺の部分は消えてしまった記憶の感じ。
2首目、右肩上がりの時代とは異なる現代の空気感がよく出ている。
3首目、本名も数あるハンドルネームなどの名前の一つに過ぎない。
4首目、もらえる人ともらえない人に分かれると、もらいたくなる。
5首目、ヨーグルトを買う点に限れば水曜日と日曜日は等価である。
6首目、レジの人が笑ってくれたので、ミスを救われた気分になる。
7首目、当然1巻は持っているのにAIにはそれがわからないのか?
8首目、自分がいなくても洗濯物は仕上がるし、社会も回っていく。
9首目、挿入句の上下二字アケ。悲しくても涙が出ないことはある。
10首目、無防備な姿を相手の前にさらけ出すことのできる関係性。

2022年11月1日、短歌研究社、1700円。

posted by 松村正直 at 21:11| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする