
2015年〜2022年の作品555首を収めた第9歌集。
出張などの旅の歌を随所に挟みつつ、母の死や自らの退職といった大きなできごと、また安保法案やコロナ禍、ウクライナ戦争などの社会問題を詠んでいる。比較的長い期間を収めた一冊だが、途中にある「平成じぶん歌」がうまく流れをつないでいるように感じた。
ゆうぐれはどくだみの香の濃くなりて蛇腹のような石段のぼる
海見ゆる前から青が滲みゆく家のあわいに木々のすきまに
一日眠らば治らむ風邪とおもえどもその一日が手帳には無し
呑みこみし餌が口より漏れ出(い)でてまた吸いこめり黒き寒鯉
倒れたる墓は直角をむきだしに雨に濡れおり朝の山道
東京に殺されるなよ 東京を知らざる我は息子に言わず
布張りの白きが母に似合うらむ明後日(あさって)焼かるる棺を選ぶ
韓国を蔑(なみ)して盛り上がる男たち 黒き磁石にむらがるように
雲の裏に心臓ほどの陽がありて川のほとりの桜を歩く
葉にとまり眼状紋(がんじょうもん)をひらきしが飛び去りにけり夕暮れの葉を
夕山の落葉踏み分けナウシカのいまだ来たらず国は病みゆく
支線から冬に入りゆく駅ならむ七味の赤がかき揚げに散る
古着屋に人のからだを失いし服吊られおり釦つやめく
ひがんばなの先へ先へと歩きゆく最も赤い花に遭うまで
治りそうな負傷ばかりが映されて横たわる人にぼかしのかかる
1首目、「蛇腹のような」がいい。本物の蛇がいてもおかしくない。
2首目、ちらちらと海の気配が近づいていることを感じるのだろう。
3首目、休みをとれないばかりにぐずぐずと風邪が長引いてしまう。
4首目、口元にズームした映像のように鯉の動きがよく見えてくる。
5首目、横倒しになったことで直方体の石という感じが強くなった。
6首目、就職で東京へ行く子を案じつつも先入観を与えたくはない。
7首目、様々な素材や形状の中から選ぶ。下句に深い悲しみが滲む。
8首目、下句の比喩が絶妙だ。何が男たちを引き付けるのだろうか。
9首目、薄雲の奥にうっすら透けている太陽。「心臓ほど」がいい。
10首目、蛾と言わずに表している。模様だけが飛んでいるみたい。
11首目、猿丸太夫の歌とナウシカを踏まえ世相を詠んだ巧みな技。
12首目、上句の発見・把握の鮮やかさと下句の写生・描写の鋭さ。
13首目、新品と違ってかつて服の中には人間の身体が入っていた。
14首目、どこまでも続く彼岸花から永遠に出られなくなりそうだ。
15首目、自主規制により日本のテレビ報道は死体を映しはしない。
2023年3月25日、現代短歌社、2700円。