2011年07月28日

第1回塔短歌会賞

第1回塔短歌会賞は、梶原さい子さんの「舟虫」30首が受賞した。
潮鳴りのやまざる町に育ちたり梵字の墓の建ち並びゐて
漁撈長と機関長と禿げ上がる頭をみせて海に礼(ゐや)せり
皆誰か波に獲られてそれでもなほ離れられない 光れる海石(いくり)
腑を裂けば卵のあふるるあふれきてもうとどまらぬいのちの潮(うしほ)
対岸もほのぼの明けて家々の暮らしのかたち見えて来たりぬ
海沿いの土地の労働や暮らしの様子が、生き生きと力強く詠まれた一連である。作品の舞台は梶原さんのふるさと気仙沼市唐桑町。作品の募集は2月末締切なので、東日本大震災の前の歌である。

同じ7月号には、次のような梶原さんの月例作品も載っている。
高台よりの海美しき あの海をこの海と為し避難所はあり
ありがたいことだと言へりふるさとの浜に遺体のあがりしことを
これが「舟虫」に詠まれたのと同じ海であることを思うとき、あらためて津波の奪い去ったものの大きさに胸が痛くなる。

賞の選考は無記名で行われたので、震災のことは全く考慮に入っていないのだが、結果的に東北の海を詠んだ作品が受賞することになったことにも、何か運命的なものを感じる。

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2011年07月27日

第1回塔新人賞

「塔」7月号で発表になった第1回塔新人賞の作品から、いくつかご紹介を。
  清水良郎「農学校」【受賞作】
トラクターのフロントガラスを下敷きに出席表に○を書きゆく
水荒き演習林の夏川に四五本わたす赤杉の橋
教へ子がお辞儀をすればその背のギターネックも会釈するなり
交配の掛け算の式書き込みて、白き袋をかぶす稲の穂
養鱒の池をまはりて学生の列が大きな円となりたり
細かな観察力と描写力が光る一連。のびやかで牧歌的な農学校の雰囲気にも好感を持った。
  北辻千展「朝(あした)降る雪」【次席】
二週齢のマウスは人なら三歳か親のまわりでぴょんぴょん跳ねる
二週間に一度だけ会う夫婦かな冷たきシルクのパジャマを羽織る
われからの手紙のごとし妹がわれに似た字で近況語る
ポスドクの研究者の日常を詠んだ歌の中に、遠距離夫婦の妻や妹を詠んだ歌が入っているのが良い。
  相原かろ「枝豆拾遺」【次席】
新しい年になったが手のほうが去年の年を書いてしまった
そのむかし赤ペン先生なる人へ将来の夢告げしことあり
栞紐がふたりのすきまに降りてきて閉じようとする手までは見えた
言葉のセンスが良く、読んでいて抜群に面白い作品。軽めの詠いぶりのようでいて、ほのかな哀愁を感じさせる。

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2011年07月14日

「歌壇」2011年8月号

沢口芙美さんが「歌人の横顔」というコーナーに、清原日出夫について書いている文章が良かった。「その歌と変わらぬ誠実な人」という題の2ページの文章。若き日の清原の写真も載っている(初めて見る写真だ)。沢口さんが清原と会ったのは昭和35年と平成14年の二回だけであったが、「その温かさが今も忘れられない人である」と記している。

清原日出夫については以前から関心があって、あれこれ調べたりしたことがあるのだが、こうして新たなエピソードを知ることで、その人物像が自分の中でまた少し膨らんでいくような感じがする。

今年の「塔」の全国大会は、清原の住んでいた長野市で開かれる。初日のシンポジウムでは、池本さんへの公開インタビュー「池本一郎に聞く〜高安国世・信州・清原日出夫〜」(聞き手・松村正直)を行うことになっている。そこでも、何か清原についての新しい話が聞き出せればいいと思う。

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2011年06月29日

「波」2011年7月号

永田さんの連載「河野裕子と私 歌と闘病の十年」の第二回。
先月号が入手に苦労したので、7月号から定期購読にしている。

2000年10月11日の河野さんの乳癌の手術前後の話。

手術前後とは言っても、永田さんも河野さんもスケジュールがいっぱいに詰まっている。病院の待合室で選歌をする河野さん、そして手術当日の夕方には横浜へ出張に行く永田さん。そんな二人の忙しい生活が描かれている。

これまで、あまり公には語られてこなかった話もあって、永田さんがかなり本気でこの連載に取り組んでいることがわかる。今後が楽しみなような、辛いような、何とも言えない複雑な気分だ。

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2011年06月25日

角川「短歌」7月号

特集は「詩性を得るヒント―文学としての短歌」。
編集後記に若き石川編集長が書いている文章が印象に残った。
  さて、今号、第一特集で取り上げた短歌における詩性というのは、自分の中で最も大きなテーマの一つでした。読者ニーズではない、という意見もありましたが、詩性は、文学としての短歌をアピールするという小誌の新機軸の中核を成すものであると考えていたし、何より自分個人にとって切実なテーマでした。
  雑誌に限らずあらゆる商品の創造に必要とされるマーケティングというものを、個人的にはあまり信用していません。私は雑誌編集者であると同時に一介の読書人です。その立場から見て、マーケティングされたこぎれいなものはつまらないと感じます。一人の著者なり編集者のこだわり、信念が見えないものはやはり面白くない。小誌の読者もそう思う読書人ではないでしょうか。

青臭いと言ってもいい文章だと思うが、こういうのは読んでいて気持ちがいい。どんな分野においても、「質の良いもの」と「売れるもの」を両立させるのは難しいことだと思うが、そこに挑戦しようとする姿勢を応援したいと思う。

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2011年05月26日

「塔」1971年7月号

「他のジャンルから見た短歌」という特集に、河野さんの親友であったかわのさとこ(河野里子)さんが「反戦/愛についてのひとくさり」という詩を寄せている。
 あのね私、羊の頭数をかぞえていたの。もう幾ねんも幾ばんも。
 眠れないからじゃあなく私じしんを眠らせないために長い夜の列車に乗ったのだわ。
いつかの朝めざめると私の大切にしていたすべてが盗まれ、がらんどの日常に置き去りにされて泣いているの私。ひとりそんな夢をみてしまったから、つづきをみるのが怖くて。或いは先行する記憶を夢みてしまったから、夢から夢へはてしない旅をしていたの
そしたらね、ガラス戸に靠れてやっぱり同じよおに羊を数えている兵士に会ったわ。
それがおまえ だった

全部で2ページ半にわたる長い詩の、これが冒頭部分。この頃の河野里子さんについて、河野裕子さんはインタビューで次のように述べている。
 キューバにサトウキビ刈りにも行ってたんですよ。私が卒業して学校の先生をしていたときだ。急にサトウキビ刈りに行っちゃうんです。サフラボランティアとか言ったらしく、世界中の若い人が集まってサトウキビ刈りに。
 それでお金がないから、大阪の地下で自分のガリ版で刷った詩集を売ってお金集めをしたらしくて、そんなことを突拍子もなくやる人でしたね。
                    『牧水賞の歌人たちVol.7 河野裕子』

この当時、革命後のキューバを支援するための運動が、若者の間で広がっていたらしい。現在、中南米に関する著作を多く書いているジャーナリストの伊藤千尋も、学生時代にキューバでサトウキビ刈りのボランティアをしているので、時期的にちょうど同じ頃だろう。

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2011年05月23日

「塔」1972年2月号

 たとえば、こんな私。朝。目がさめぎわ、私はまだきのうの延長線上に立っている。一日じゅう、精一杯生きたと思う。なのになぜだか、たまらない。私という存在を、精一杯生きたとか、そういう感情で許してしまってよいとはどうしても考えられないのだ。

これも「現代短歌に何を求めるか」という特集に寄せられた文章。筆者は永井陽子。当時20歳。「短歌人」の歌人であった永井は、ゲストとしてこの特集に参加している。
文章と一緒に〈触れられて哀しむように鳴る音叉 風が明るいこの秋の野に〉以下20首の作品が載っている。第一句歌集『葦牙(あしかび)』時代である。
 私たちの言語で、私たちの心を歌うことだ。新しい抒情を築くことだ。こころ、屈折し、憎まれて、それでもなお美しくあろうとして、ぽたぽたしたたり落ちてくるしずく。私が現代短歌に求めるものは、そんな、醜くてしかも美しい抒情である。いつの日か、その抒情で私の足元についている紐をぷつんと切ることができたなら、私はその時、部屋のドアをいっぱいにあけて、住人たちを空に解き放ってやろうと思うのだ。

永井陽子が亡くなってから、もう11年が過ぎた。はたして彼女は、足元についている紐をぷつんと切ることはできたのだろうか。

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2011年05月19日

「塔」1971年4月号

古い「塔」を眺めていたら、高安さんの「雀と芥子」という文章を見つけた。「雀と芥子」と言っても、別に両者に関係はなく、雀の話と芥子の話とに分れている。

このうち芥子の話は、富永堅一という方の歌文集『木草の息』のなかに「芥子」という一文があることに触発されて書かれたもの。
(…)富永さんのお住まいの近く、昔の三島郡のあたりは、以前には阿片採収のための芥子畠が点在していたそうであるが、そう言えば昭和九、十年ごろ、私が芦屋から京大の文学部へ通っていたとき、梅雨どきの広い麦畑のあいだに、ところどころ白じろと日が当たっているような錯覚に、注意してみるとそれは白い芥子の花畑だった。
   雨ふれる野の幾ところしろじろと照ると思ふは芥子を植ゑたり
という歌を作ったのを思い出した。西洋ひなげしとちがって花弁が大きく、むせるような香りを発散する。何かの偶然で庭に生え出たのを私は知っているだけだが、富永さんの文章ではじめて阿片採収の方法などを知った。

長々と引用したのは、別に阿片に興味があるからではなくて、「塔」2009年4月号に真中さんの書いた評論「芥子を植ゑたり」を思い出したからである。まさに、高安のこの歌を皮切りに、ケシ栽培のあれこれを短歌と絡めて論じた文章であった。

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2011年05月17日

「塔」1972年4月号

  いったい、短歌がつまらないのは、短歌がものわかりのいい爺さんになってしまったせいでもある。新聞短歌、同人短歌、総合雑誌短歌、結社短歌、歌会短歌、みんなにたりよったりだ。ほんとにつまらない。全部読むにはよほどの忍耐がいる。自称、歌よみのはしくれの私でさえこうである。いわゆるシロウトさんにおいてや何をかいわんや、である。

何とも威勢の良い文章だが、これは河野裕子の書いたもの。「現代短歌に何を求めるか」という特集に寄せた「相聞歌について」の冒頭部分である。河野は当時「コスモス」の会員であったので、「塔」にとってはゲストということになる。
文章は、以下のように続く。
  短歌から挽歌と相聞を取ってしまったらなんにも残るはずがない。それだのに昨今の歌よみはそのなんにもない所に頭をつっこんで目の前のできごとをメモするしか能がないから日常べったら漬けになってしまうのである。短歌がつまらないのは、すぐれた挽歌と相聞を失ってしまったからだ。

「日常べったら漬け」なんて、おもしろい言い方をしている。「日常べったり」と「べったら漬け」がミックスしたのだろう。文体がとても若々しい。それもそのはず、当時、河野は25歳。

この後の相聞歌に関する主張は、同時期に書かれたと思われる「無瑕の相聞歌」(「短歌」1972年4月号)や『森のやうに獣のやうに』(1972年5月)のあとがきと内容的に重なっている。
  私たちは誰のために短歌を作るのか。何のために短歌を作るのか。自分のために作るのである。自分だけのために作るのである。誰のためでもあってはならない。相聞は恋人に与えるべくして作るものであってはならない。かって私も、恋人のためにただ一首の相聞を作ろうと思ったことがあるが、とうとうそれはできなかった。

若き日の河野さんの文章を読んでいると、不思議な気分になる。そこには、自分より年下の河野さんがいて、元気よく喋っている。

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2011年05月16日

「Revo律」創刊号

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「Revo律」創刊号(1970年5月)が日本の古本屋に出ていたので、購入した。1000円。
古い雑誌を読むのは面白い。今の雑誌を読むより面白いかもしれない。

内容は、三枝浩樹「杳きロゴス」15首、河野裕子「黒き麦」15首、評論「ラーゲルの平和な一日」(福島泰樹)、永田和宏「おれは燃えているか」5首、伊藤一彦「聖なる沖へ」5首、総括「革命的創造にむけて」(三枝昂之)、エッセイ「ニャロメとハチ」(深作光貞)など。いずれも1970年という時代を濃厚に感じさせる作品であり、文章である。

表紙には、こんな言葉が書いてある。
Revo律のRevoはRevolutionのRevo ― lutionがなくてはわからない。“いる”という者! “いる”として、いる(il)をつけたら il-lution になる “幻影”なんていらんや いやいるということになり、面倒くさいから“Revo律”を正式名にした!

なんとも回りくどい書き方だなあと呆れつつも、何だか楽しい。

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2011年05月13日

「井泉」39号

井泉」(編集発行人 竹村紀年子)は隔月刊の結社誌。春日井建が亡くなったあと、2005年に「中部短歌」から分れて創刊された。

この結社誌の特徴は散文に力を入れていることで、今号にも連載や評伝を含めて5編の文章が掲載されている。中でも「リレー評論」は「井泉」の目玉企画とも言えるもので、数号にわたって一つのテーマを設定し、結社外の歌人も招いて評論を書かせている。

これまでに「ほんとうっぽい歌とうそっぽい歌について」「短歌の私性について」「今日の家族の歌」といったテーマがあり、いずれも面白く読んできた。今回は前々号、前号に続いて〈短歌の「修辞レベルでの武装解除」を考える〉というテーマのもと、棚木恒寿「武装解除のゆくえ」、佐藤晶「「私」の範囲」の2本の評論が掲載されている。

それぞれの評論の中身にまでは立ち入らないが、一点だけ気になったことがある。それは二人がそれぞれ永井祐の同じ歌を引いているのだが、その表記が異なっていることだ。
あの青い電車にもしもぶつかればはねとばされたりするんだろうな
あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな

「はねとばされ」と「はね飛ばされ」、一体どちらが正しいのだろう。残念なことに、ともに出典が書かれていない。この歌はあちこちで引かれている有名な歌なので、そうした文章をいくつか見てみたが、不思議なことに誰も出典を明記していない。しかも、この二通りの表記が混在して、まかり通っている。

例えば山田富士郎「ユルタンカを超えて」(「短歌現代」2009年9月号)には、穂村弘の「棒立ちの歌」(「みぎわ」2004年8月号、『短歌の友人』にも収録)からの孫引きとして、この永井の歌が引かれている。しかし、その「棒立ちの歌」を見ても出典は書かれていない。

ああでもない、こうでもないと調べた末に、ようやくこの歌の初出が2002年の「短歌WAVE」創刊号であることがわかった。この号に第1回北溟短歌賞次席作品として、永井の「総力戦」100首が載っており、「あの青い・・・」の歌はその中に含まれている。結局、正しい表記は後者の「あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな」の方であった。

別に引用ミスについてとやかく言っているわけではない。どちらの表記が正しいのかさえ不明瞭なままに議論が続いていることに驚いたのだ。もう10年近くにもわたって、多くの人が孫引きに孫引きを重ね、直接原典に当たることをせずに、この歌についての議論を繰り返してきたということだろう。そう思うと、何ともむなしい気持ちになるのである。

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2011年04月18日

「短歌往来」2011年5月号

巻頭の渡辺松男「鶴」21首に注目した。

私は渡辺松男の歌、特に『泡宇宙の蛙』『歩く仏像』が大好きだが、ここ数年の歌は飛躍が大き過ぎて、どうにもついて行けないという思いだった。それが、今回の作品には再び強く惹きつけられた。
足のうら沙ばくにみえて茫たればそこあゆみつつすすまぬ軍馬
寒鯉のぢつとゐるその頭(づ)のなかに炎をあげてゐる本能寺

足の裏に広大な砂漠があって、その砂に脚を取られて進めなくなる軍馬。冬の冷たい池に動かずにいる鯉、その頭の中に激しく燃え上がる本能寺。どちらもシュールで鮮やかなイメージが読み手の脳裏に浮かび上がる。
ぎやくくわうにくもの糸ほそくかかやけどそれら払ひてゆくわれあらぬ
霧のあさ霧をめくればみえてくるものつまらなしスカイツリーも

一首目、目の前にあらわれる蜘蛛の巣だけがあって、それを手で払って先へ進む私がいない。ひらがな書きが効果的な歌で、これが「逆光に蜘蛛の糸細く輝けど」ではダメだろう。二首目は窓から見える景色を詠んだ歌。「霧をめくれば」という表現が、実体感のない二次元の絵のような不思議な感じを醸し出している。

これらの歌は、そのまま読んでも十分に良い歌である。その一方で、筋委縮性側索硬化症(「かりん」2010年11月号)という作者の病状を踏まえて読むこともできるだろう。
はか石は群れつつもきよりたもちゐてしんしんと雪にうもれてゆくも
などにひと年齢を問ふ彩雲のごとたはむれに生まれ消ゆるを

「群れつつもきよりたもちゐて」が、墓地に建つ墓石の姿をうまく捉えている。それは、単なる情景の描写にとどまらず、自ずから人間の死のあり方というものも感じさせる。二首目は絶唱と言っていいだろう。束の間の偶然によって生まれ、そして消えていく命。その運命の前では、年齢など何の意味も持たないのだ。

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2011年04月09日

「京大短歌」17号

学生10名+OB・OG16名の計26名の15首+エッセイを掲載。他に、評論2編、往復書簡、一首評など。全104ページというボリュームで、私が持っている「京大短歌」の中では一番厚い。

作品は全体的に少し凝り過ぎな気もするのだが、それも学生短歌の持ち味である。良いと思った歌が比較的シンプルなものになるのは、私の好みのせいだろう。
壮大な嘘をついたね おるがんにもたれている子の両手まっくろ /延 紀代子
西暦はあまねく人の没年と花瓶の細き影を見ており /大森静佳
護るため鉄条網は張らるるをその棘先に光る雨滴は /藪内亮輔
日記では二人称にて呼ぶひとを思えばどんな陸地も水辺 /笠木 拓
感情と言葉が一致しない日に百葉箱の白さを思う /矢頭由衣
洗濯機にたくさん入れる洗剤のさみしい人になりますように /吉田竜宇
退職を決めし同僚と向き合へりかもなんばんに鼻を温めて /澤村斉美
萩だろうようやく暮れ来し水に乗りすこし明るみながらゆくのは /中津昌子
遠空ゆふりくる雪は肉(ししむら)を持たねば夜の屋根に吸われつ /島田幸典
これからの春にて出会ふ木もふくめ桜のことはすべて思ひ出 /林 和清

大森静佳「大口玲子の〈起伏〉」、藪内亮輔「短歌の二重螺旋構造」は、ともに内容的にも分量の上でも本格的な評論。どちらも論理展開には異論を差し挟む余地があって、十分に論じ切れているとは言えないが、文章から書き手の「本気」が感じられて好ましく思った。これを手始めに、どんどん文章も書いていったらいいと思う。

往復書簡は、男女二人のメンバーが架空の物語という前提のもとで、手紙+短歌のやり取りをするというもの。ちょっと気恥ずかしい感じもする企画なのだが、これがけっこう良かった。「架空」とは言いながらも、どこかに「本当」の部分が透けて見えてくるように感じられた。
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2011年03月27日

「短歌研究」2011年4月号

川野里子さんの「疎開という文学空間の誕生」に注目した。

これは昨年11月に東京で行われた「今、読み直す戦後短歌」の三回目のシンポジウム(サブタイトルは「戦中からの視野」)の基調講演である。この中で川野さんは
文学者の年譜にいつどこへ疎開した、と出てくるんですけれども、疎開というものが、ことばに与えた影響は語られてこなかったんじゃないかという気がします。しかし、「戦中からの視野」で考えてみると、これは見逃すことのできないかなり大きな要素だろうということに気がついてきました。

と述べ、葛原妙子・斎藤史・斎藤茂吉という三人の歌人の疎開時の作品を取り上げている。そして、
三者三様の疎開体験ですけれども、疎開という空間、戦中の場が戦時中の文学にもたらしたものは少なくない。そしてたぶん、戦後文学の礎となっていった部分があったのではなかったろうかと思いました。

という結論を導き出すのである。とても重要な指摘だと思う。この三人以外でも、例えば群馬県の川戸に疎開した土屋文明の場合、『山下水』『自流泉』といった歌集を読めば、疎開生活が作品に与えた影響の大きさは明らかだろう。

さらに言えば、これは短歌に限った話ではない。先日読んだ有栖川有栖『作家の犯行現場』の中で、著者は横溝正史をめぐる旅に出るにあたって、次のように記している。
ミステリーファンなら、正史が疎開先だった岡山を舞台にした作品をたくさん遺していることをご存じだろう。彼はそこで昭和二十年春から終戦を挟んで二十三年夏まで過ごし、『本陣殺人事件』『蝶々殺人事件』『獄門島』という日本推理小説史に輝く傑作を書いた。

疎開という出来事がなければ、あるいはこうした横溝正史の傑作は生まれていなかったかもしれないのである。
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2011年03月14日

「塔」3月号

「塔」3月号を読み始めて、最初のページの栗木京子さんの歌に目が止まった。
亡き人との親交誇る歌並べど殉死しますといふ歌は無し
大らかな彼女であれば笑みてゐむ副葬品の歌なぞいらぬと

河野さんのことを詠んだ歌だろう。かなりキツイ内容の歌ではあるが、共感するものがある。河野さんへの挽歌が大量に載る「塔」の誌面に、これらの歌を発表するには大きな覚悟が必要だっただろう。その姿勢を潔いものだと思う。
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2011年02月24日

「短歌」2011年3月号

角川「短歌」3月号が届く。
巻頭は永田さんの作品「二人の時間」30首。その中に、こんな一首がある。
わたくしと竹箒とが壁に凭れ手持無沙汰に冬の陽を浴む

先日の旧月歌会にも、この歌が出ていた。その時に私が発言したのは〈「手持無沙汰」がいらない。私と竹箒が壁に凭れて冬の陽を浴びているというだけで、十分に手持無沙汰な感じは出ているので、「手持無沙汰」があるとダメ押しになってしまう〉ということであった。

その後、〈手持無沙汰なんて言ってないで、竹箒があるんだから自分で掃けばいい〉とか〈「手持無沙汰」はやっぱりこの歌には必要だ〉とか、いろいろな意見が出たのだが、その同じ一首を、妻を亡くしたかなしみを詠んだ一連の中で読むと、全く印象が違ってくる。手持無沙汰でしかあり得ない時間というもののさびしさが、ひしひしと伝わってくるのだ。

短歌というのは本当に不思議だと思う。

竹箒二本買ひ来て落葉らと戦ふやうに掃くうちに冬
                河野裕子『歩く』

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2011年02月04日

「未来」2月号

「未来」2月号を読む。
昨年夏の全国大会で行われた岡井隆さん、大島史洋さん、大辻隆弘さんの鼎談〈「アララギ」から「未来」へ〉が載っている。これが抜群に面白い。

戦中から戦後にかけての「アララギ」と昭和26年に創刊された「未来」をめぐる話である。話に出てくるのは土屋文明、五味保義、吉田正俊、柴生田稔、小暮政次、近藤芳美、高安国世、杉浦民平といった面々。彼らの作品や素顔、交流などが実に生き生きと語られていく。この時期のアララギは本当に面白い。テレビドラマ化しても群像劇として見応えがあるものになりそうだ。

高安国世についての言及も多く、参考になることがいろいろとあった。「塔」にいると高安さんを一人の歌人としてだけ考えてしまうことが多いけれど、やはり土屋文明や近藤芳美など他の歌人との関係のなかで考えることも大切だと思う。大島さんの「僕は高安さんが好きで、昔、進路に迷った時に、高安さんに相談をしましたらね、緑色の万年筆の字で長い返事をくださったことがあった」という発言が印象に残った。

昭和3年生まれの岡井さん、19年生まれの大島さん、35年生まれの大辻さんという30歳以上離れている三人が、それぞれの知識や体験を出し合いながら、このように同じテーマで深い話ができるというのは素晴らしいことだ。これが結社の力というものであろう。「未来」の中で、大辻さんよりさらに下の昭和50年生まれくらいの世代で、この話に入っていける人が出てくると、また面白いだろうと思う。

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2011年01月22日

「短歌往来」2月号

「短歌往来」2月号を読む。
喜多昭夫さんの評論「河野裕子の死生観―「死児」をめぐって」に感銘を受けた。

第一歌集『森のやうに獣のやうに』や第二歌集『ひるがほ』などに登場する死児の歌を中心に、河野さんの死生観について論じたものである。これまであまり正面から論じられてこなかった部分であるが、河野さんの歌を考える際に避けては通れないテーマだと思う。

私も「短歌往来」1月号に書いた「亡きひとのこゑ」という文章の中で、河野さんの亡くなった子の歌を引き、〈この「呼ばむ名」もなく死んだ子は、この後の歌集にも繰り返し登場するのであるが、今回は触れない〉と書いた。いつか論じなければならないと思いつつ、まだそれだけの覚悟ができていなかったのである。

こうしたテーマについて書こうとすると、どうしても単なる歌の話を超えて、作者のプライベートな部分にまで踏み込まざるを得ない場合が出てくる。そのあたりに関しては、当然ためらいもある。踏み込んでいいのかどうか迷うことも多い。

今回の喜多さんの文章は、そうしたデリケートな点にも配慮しつつ、けれども曖昧にするのではなく、必要な部分に関しては何歩も踏み込んで論じており、真剣さの伝わってくるものであった。今後もこうした真摯な評論によって、河野さんの新しい一面がどんどん見えてくると嬉しい。



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2010年12月25日

「短歌人」2011年1月号

「短歌人」の1月号が届く。

この号から編集人が小池光さんから藤原龍一郎さんに交代したことを知って、かなり驚いた。編集室雁信に小池さんは「体調を崩してしまった」と記している。

  わが妻のどこにもあらぬこれの世をただよふごとく自転車を漕ぐ / 小池光
  わがこころちりぢりになりてありしかばわがからだぼろぼろになりて寄り添ふ

作品5首も胸に沁みるものであった。

もう一つ驚いたこと。
2011年度の評論・エッセイ賞募集の案内が誌面に載っているのだが、その課題が「河野裕子の残したもの」なのである。こうして河野裕子という歌人が、結社を超えて広く語られていくのは嬉しいことだ。


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2010年12月15日

「アークレポート」3号

同人誌「アークレポート」3号を読んでいる。北海道の若手歌人が作る超結社「アークの会」の会報だ。メンバーは阿部久美、北辻千展、佐野書恵、樋口智子、真狩浪子、柳澤美晴、山田航。(「やなぎ」の正しい字が環境依存文字なので「柳」で代用してます)

見出しの付け方や字体などに工夫があり、読む気をそそる誌面になっている。全60ページにわたって目配りが行き届いていて、同人誌としてはかなりハイレベルであろう。ところどころ誤字に訂正の紙が貼ってあるのも、その手作業の労力などが思われて好ましく感じる。

メンバーの30首、15首の連作、歌会記、書評などのほかに「ゼロ年代を問い直す」という特集が組まれていて、これが非常に充実している。「ゼロ年代の自然の歌二十五首」や「ゼロ年代の第一歌集」などの選があり、また柳澤さんが「ゼロ年代短歌私史」という文章を書いている。これは2000年から2009年までの短歌界で起こった出来事を一年ごとにまとめたもので、この十年の短歌史が柳沢さんの目を通してよく見えてくる。

ちょうど先月京都でも「ゼロ年代を振り返る」というシンポジウムがあったところ。これからの短歌のあり方を考えるためにも、この十年の流れを整理しておくことは大切なことだろう。
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2010年06月25日

「短歌現代」7月号

歌壇時評に佐藤通雅さんが書いている「信仰と文学について」という文章が良かった。岩井謙一さんの川野里子『幻想の重量―葛原妙子の戦後短歌』批判をめぐって、ここしばらくいくつかの議論があったが、それらを踏まえてのものである。

議論の中身を偏りなく公平に捉え、しかもそれを自分の問題として深く考えた上で、実りのある議論へと導こうとする内容で、非常にすぐれた文章だと思った。

沖縄を痛めつけたる軍人の名を冠されてキャンプ・シュワブ在り
英雄といへどシュワブは二十四にて戦死したりき基地に名を残し
              栗木京子「英雄の名」

普天間基地の移設先として名前が挙がっている沖縄のキャンプ・シュワブ。この名前は沖縄戦で24歳で戦死したアルバート・E・シュワブ一等兵にちなんで付けられたもの。彼はこの戦いの功績により名誉勲章を受賞している。
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2010年06月11日

「Esそらみみ」第19号

同人誌「Es」が届く。「Es」は年に2回発行される同人誌で、メンバーは天草季紅・江田浩司・大津仁昭・加藤英彦・崔龍源・桜井健司・谷村はるか・松野志保・山田消児の十名。いずれも作品だけでなく評論も書く個性派揃いが集まっている。

「Es」は不思議な同人誌である。毎号「間氷期」とか「ナシマ」とか変った副題が付いている。もちろんそれだけではなく、誌面から書き手たちのエネルギーが強く感じられる。

今号はまず表紙裏の「そらみみ」についての谷村さんのエッセイが良かった。そして山田消児の評論「作者と作品をめぐる二つの考察―映画『妻の貌』を観て」が印象に残った。

この評論の中に「慟哭」という詩についての考察があるのだが、これは吉川宏志『風景と実感』、山田消児『短歌が人を騙すとき』と続く話の流れを受けてのものである。

ネットでいろいろ調べてみたところ、伝言ヒロシマ2002という新聞記事があった。作品と作者、そして読み手の関係というのは実に不思議なものだと思う。
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2010年06月05日

「現代詩手帖」6月号

「短詩型新時代」という特集が組まれている。座談会に岡井隆・穂村弘が出ているほか、野口あや子・松木秀・望月裕二郎・雪舟えまといった方々が文章を書いている。

「ゼロ年代の短歌100選」(黒瀬珂瀾編)「ゼロ年代の俳句100選」(高柳克弘編)というアンソロジーも載っている。この黒瀬・高柳の二名+詩人の城戸朱理が行った鼎談「いま短詩型であること」が面白かった。
つまりつくる技術、いかに俳句を仕立てるのかというレトリックを教える場というよりも、作品を読む技術を伝えていく場所として結社という場がなくてはならないだろうと私は思います

という高柳さんの発言は短歌にも当てはまることだろう。結社の問題以外にも、私性や口語やインターネットをめぐる様々なやり取りがあり、興味深い。

「ゼロ年代の短歌100選」はこの十年の間に話題になった作品がバランスよく取り上げられている。「新旧の価値観が渾然一体となっている場から選び、それぞれの価値観を並列させていった」と述べる黒瀬さんのスタンスがよく表れた選びだと思う。

「俳句100選」の方から印象に残ったものを少し。
亡き人の香水使ふたびに減る  岩田由美
水遊びする子に先生から手紙  田中裕明
帰りたし子猫のやうに咥へられ 照井 翠
実(じつ)のあるカツサンドなり冬の雲 小川軽舟
ガラス戸の遠き夜火事に触れにけり 村上鞆彦

2010年6月1日、思潮社、1400円

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2010年05月22日

「短歌研究」6月号

特集「雨の歌をよむ」に文章+新作3首掲載。
そう言えば、「歌壇」6月号の特集も「短歌にみる雨の表情」だった。梅雨の時期ということか。

座談会「批評の言葉について」がおもしろい。参加者は坂井修一、大辻隆弘、斉藤斎藤、花山周子。四人それぞれの短歌観や時代への向き合い方などが、かなり率直に述べられている。内容的には賛成のところも反対のところもあるが、そういうふうに読者が意見を言いたくなるというのは、良い座談会であった証だろう。

僕は自分が50年前の歌を読んだり調べたりするのが好きなので、それと同じように50年後の人も今の歌を読んだり調べたりしてくれると思っている。歌というのは自然と「残る」ものではなくて、誰かが「残す」ものだし、あるいは「発掘」するものだろう。

 時刻表をひらけば春がレレレレレレレとわたしを通過してゆく 荻原裕幸
 あ・ま・や・ど・り 軒に水滴ならびゐて「あ」が落ち「ま」が落ち「や・ど・り」が残る 川野里子

荻原さんの歌の「レ」は時刻表の通過のマーク。横書きにすると時刻表らしくなくなってしまうな。
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