2013年01月17日

角川「短歌」2013年1月号

角川「短歌」1月号の座談会は「新しい歌とは何か」。
佐佐木幸綱・花山多佳子・川野里子・穂村弘・光森裕樹の5名が、それぞれ5首ずつの歌を引いて、歌の新しさについて論じている。

人選のバランスも良いし、話も面白くて示唆に富む。みなさん読み巧者で、歌の持つ魅力を最大限に引き出している。こういう座談会は読んでいて楽しい。

ただ、実のところ「新しい歌とは何か」というテーマ設定そのものには、あまり魅力を感じない。それは〈「新しさ」というのが特に求められる評価基準ではないという言われ方は、ここ数年されるようになってきてますね〉という花山さんの最初の発言に象徴されている。

もっとも、僕も以前から全く「新しさ」に興味がなかったのかと言えばそんなことはなくて、2003年4月に立ち上げた短歌評論同人誌「ダーツ」の創刊号の特集は「短歌の新しさとは何だ!」であった。

あれから10年。
時代も変ったし、僕の考え方も変ったということなのかもしれない。

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2013年01月12日

「短歌研究」2013年1月号

「歌は時代を生きる」という特集に、14名の歌人が作品10首+エッセイを寄せている。

その中で来嶋靖生氏の「歌う歌 歌えぬ歌」と題する文章が気になった。
さて歌は時代とともに生きる、というのはその通りだが、日本人にとっての歌は、短歌だけではなく、もっとひろく詩、俳句、川柳なども含めて考えるべきであろう。さらにまた文芸だけでなく音楽の歌も併せて考えるべきであろう。むしろメロディーのつく歌のほうが理解の範囲は広い。私は幼児の頃から両方の歌を友として育ってきた。しかも時代が時代だから童謡唱歌はもちろん、軍歌や戦時歌謡、流行歌などが愛唱歌の中心を占めてきた。

「時代が時代だから」というのは1931(昭和6)年生まれの氏が育った時代のことを言っている。これに続けて来嶋氏は次のように書く。
近頃歌人と軍歌について言及する文章を散見するが、私の読むかぎりいずれもピント外れで話にならない。やはり戦時の空気を吸っていない人には通じないようだ。已むを得ぬことではあるが。

この論理には、どうも賛成できない。

その時代を生きた人にしかわからないことがあるというのは、確かであろう。しかし反対に、その時代を生きたがゆえに、かえって見えなくなっている部分というのもあるのではないだろうか。本当に私たちは、自分の生きた時代のことならわかると言い切れるのかどうか疑問である。

それに、もし来嶋氏の論理を認めるなら、誰も古典和歌のことなど語れなくなってしまう。その時代に生きていた人など今はいないのだから。それどころか、正岡子規のことすら論じられなくなってしまうだろう。

「ピント外れで話にならない」とまで言うのなら、具体的に誰のどの論のどこがおかしくて、自分はどのように考えるのか、まずは例を挙げて述べてみてはどうだろう。そこから、ようやく世代を超えた議論がスタートするのだと思う。

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2013年01月05日

「未来」2013年1月号

巻末の後記に岡井さんが
◇から松林をかすめて飛ぶ鳥たちの中にたしかな詩があるのは本当だ。

と書いているのに目が止まった。

これは、何か元になる言葉があるのだろうか。
それとも、たまたまどこかで見かけた光景か。

これを読んで思い浮べたのは高安国世の歌。
重くゆるく林の中をくだる影鳥はいかなる時に叫ぶや   『新樹』
からまつの雪の上の影の五線譜を弾(ひ)きのぼる影はヒガラの一羽
から松の直立つ幹を縫いながら群鳥森を横切る斜線   『湖に架かる橋』

高安は落葉松と鳥の組み合わせで何首も歌を詠んでいる。

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2012年12月28日

「詩客」12月28日号

「詩歌梁山泊〜三詩型交流企画」の公式サイト「詩客SHIKAKU」に、
新作「水玉」10首を発表しました。お読みいただければ幸いです。

http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2012-12-28-12628.html

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2012年12月25日

角川「短歌」2013年1月号

角川「短歌」の1月号を読んで一番驚いたのは「歌壇時評」の
レイアウトが大幅に変更されていること。

12月号までは14字×19行×3段×2頁=1596字だったのが
1月号は25字×(16行×1頁+21行×3頁)×2段=3950字に
なっているのだ。

文字数が約2.5倍に増えて、活字も小さくなっている。
12月号までのレイアウトは子ども向けの本のようだったので、
変更されて断然良くなった。

これだけの分量を時評として書くのはけっこう大変だと思うけれど、
今後注目していきたいと思う。

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2012年12月13日

「ES 囀る」第24号

毎号、誌名(?)が変るユニークな同人誌「ES」。
メンバーは、天草季紅、江田浩司、大津仁昭、加藤英彦、崔龍源、桜井健司、谷村はるか、松野志保、山田消児。

「ES」は毎号、特集や評論に力を入れていて、読み応えがある。
今号は、中でも谷村はるかの評論「故郷のクジラ餅―期待に応えないための方言」が秀逸だった。

東日本大震災以降、東北の方言を取り入れた短歌が数多く作られていることに対して、異議申し立てをする内容。方言らしさを強調することによって、「みんなの期待する、しかしどこにも実在しない、架空の東北がつくられてゆきかねない……」という懸念が述べられている。

これは非常に鋭い指摘であり、また大事な問題提起だと思う。
書きにくい問題をきちんと論じた著者の姿勢にも共感を覚えた。

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2012年11月27日

「短歌人」2012年12月号

巻末に綴じ込まれた用紙に「カンパ名簿」と「会計報告」が載っているのに注目した。
会計報告を誌面に載せている結社は珍しいのではないだろうか。
「塔」でも何度か議論をしたことはあるが、残念ながら実現していない。

会計報告の収入と支出を見比べてみると、一口3000円のカンパによって、かろうじて不足分をカバーしている状況であることがわかる。

これは「短歌人」に限らず、どこの結社も似たようなものだろう。
「塔」も2010年まで3年連続の赤字で、昨年は値上げによって何とか黒字となったのだが、それも「発行基金寄付」という名目のカンパのお蔭である。

事務や校正や編集などをすべて会員のボランティア(無償)によってまかない、さらにカンパも得て、それで何とか収支がトントンになるのだ。それほどに、毎月雑誌を発行するというのは経済的に大変なわけである。

今年の「塔」の収支はどうなっているだろうか。
年末の会議を前にして、また心配になってきた。

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2012年11月25日

角川「短歌」昭和48年5月号(その4)

小池光は、短歌を作り始めた時期が遅かったことを、しばしば口にしている。例えば角川「短歌」2009年8月号の特集「小池光の三冊」のインタビューでは
もう四十年近く昔のことで、僕自身が大体忘れてるから何とも言えないなあ。ただ、一つには、僕は遅れて歌を作り始めた、二十代の後半のこと。だけどこの歌集にある歌って、十代の感じでしょ。(…)

と述べている。

この「遅れて歌を作り始めた」という意識は、小池にとってかなり決定的な意味を持っているように感じる。小池(昭和22年生まれ)の同世代や少し上の世代の歌人の多くが十代〜二十歳にかけて短歌を作り始めているのに対して、小池は始める年齢が遅かった。

それは年齢だけのことではない。永田和宏(昭和22年)や三枝昂之(昭和19年)らが学生時代に前衛短歌の最後の影響を強く受けたのに対して、小池は時代的にも「遅れて」しまったのであった。

昭和52年頃の思い出を、小池はエッセイ「昔話」の中で、こう書いている。
短歌のシンポジウムのような会合にはじめて出てみたのもこのころだったと思う。場所も時期ももはや覚えていない。客席のいちばんうしろから壇上の永田和宏や河野裕子を仰ぎ見る思いで遠望した。壇上までの距離は、船岡から東京までくらいにも遠かった。

同世代の歌人たちの活躍を眩しい思いで見ていた小池光の姿である。その距離感を、ふるさとと東京の距離に喩えているところにも、小池らしさがよく表れている。(おわり)

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2012年11月22日

角川「短歌」昭和48年5月号(その3)


小池光は自伝的エッセイ「昔話」の中で、自作の
一夏過ぐその変遷の風かみにするどくジャック・チボーたらむと
                『バルサの翼』

に触れて、次のように書いている。
この一首は角川『短歌』の読者歌壇で塚本邦雄選で特選になった。マルタン・デュガールの『チボー家の人々』は、当時文学っぽい学生なら必ず読んだ青春の通過儀礼のような大河小説である。(…)この翌月だったか斎藤史選でも特選になり、塚本邦雄と斎藤史の特選になったのでそれきり投稿の時代は終わってしまった。

おそらく、この「斎藤史選でも特選になり」というのが
折れやすい首だから群を擢(ぬきん)でて硝子細工の馬のかなしみ

の一首なのだろう。

小池の第1歌集『バルサの翼』(1978年)は「一九七七年」「一九七六年」「一九七五・一九七四年」という逆年順の三部構成となっている。そして〈一夏過ぐ…〉は歌集の掉尾を飾る一首となっているのだが、〈折れやすい…〉の方は歌集には収められていない。(つづく)

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2012年11月20日

角川「短歌」昭和48年5月号(その2)


この号で他に目に付くのは、長編小説が2編連載されていることだ。渡辺淳一「冬の花火」と三浦綾子「石ころのうた」がともに連載の第14回。

中城ふみ子について書かれた「冬の花火」が角川「短歌」に連載された小説であったことを、今回初めて知った。今は短歌雑誌に小説が連載されることなどないので、ちょっと意外であった。

しかし、この号で一番注目したのは、茂吉の特集でも「冬の花火」でもない。
読者短歌である。

佐藤佐太郎と斎藤史がそれぞれ特選・秀逸・佳作を選んでいるのだが、斎藤史選の特選7首のなかに、小池光の1首があったのだ。
折れやすい首だから群を擢(ぬきん)でて硝子細工の馬のかなしみ
住所は「仙台市大手町」となっている。東北大学の大学院に在籍していた頃だろう。
斎藤史は選評で
とらえ方の角度がややちがうだけで、たしかにとらえている。結句の「かなしみ」を表面に言うか、言わないかが、考えどころ。出したために歌全体が薄手になる場合もあることを。この作品では、透明になることはかまわないが、薄くはしたくない―と迷うところであろう。
と記している。(つづく)

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2012年11月19日

角川「短歌」昭和48年5月号(その1)


古い短歌雑誌を読んでいると、いろいろな発見があって面白い。

「短歌」昭和48年5月号では「没後二十年、斎藤茂吉特集」が組まれている。土屋文明の2ページを筆頭に、上田三四二(8ページ)、菱川善夫(10ページ)、中村稔(4ページ)、中西進(7ページ)、武川忠一(7ページ)、柴生田稔(2ページ)と文章が続く。

これだけで相当な分量である。

何しろ、今の雑誌よりはるかに活字は小さいし、文字組もぎゅうぎゅうだ。試しに1ページ当りの文字数を現在と比べてみると次のようになる。

昭和48年 30字×25行×2段=1500字
現在    24字×20行×2段=960字

つまり、同じ「1ページ」と言っても、文字数で言えば現在の1.5倍以上あるのだ。

特集はその後も岡井隆と篠弘の対談(8ページ)、岡井隆の文章(8ページ)、一首評(2ページ×13名)、会員アンケート(42名)と続いていくのだが、その最後に昭和22年生まれの永田和宏が最も若い歌人としてアンケートに回答を寄せている。(つづく)

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2012年11月13日

「塔」2012年10月号


今さらという感じになってしまったが、「塔」10月号の十代・二十代歌人特集から、印象に残った歌を引いておきたい。
ぼかしたら油彩のようになる畦を君と歩いたではないですか
                  /千種創一
道連れのをみなの忌ともなるらむか桜桃忌過ぎていよよ雨ふる
                  /篠野 京
クレマチス何か可笑しいクレマチスおまえの顔が私は好きよ
                  /鈴木寛子
でてこない涙のために内側で膨らみすぎた風船を割る
                  /中山靖子
「楽園のハンモック」っていう店に入る焼かれた鶏肉のため
                  /廣野翔一
わたくしの、手紙が届くたびに鳴る、マリオが死んだときの音楽
                  /吉田恭大
不意に過ぎる背後の足音あれは父あるいは父に似る何者か
                  /常川真央
ふくらはぎ削ぐように塗るクリームの、嘘ならばもっと美しく言え
                  /大森静佳
わたしにも漏れなくあるのか母性とは堤をゆけばウミウシがいる
                  /丸本ふみ
被災者の数がメダルの個数へと変わってしまう新聞の隅
                  /川上まなみ
最近また十代・二十代の会員が増えてきているようで嬉しい。
切磋琢磨して、どんどん良い歌を作っていってほしいと思う。

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2012年10月27日

「炸」2012年11月号


松坂弘さんが編集発行人を務める「炸短歌会」の隔月刊誌。

鈴木豊次さんという方が「茂吉の『寒雲』について」という1ページの連載を書いている。今月が33回目。

その中に茂吉が昭和5年に満州を旅行した時の話がある。鞍山市の千山を訪れた帰りに地元の小学校の授業を見た場面を、茂吉の『満洲遊記』から引用している。
「支那の教育も侮りがたいものがあり、特に『憎日』が中学生以上大学生あたりに侵潤せんとしつつある。」
80年以上前に茂吉が書いた文章なのだが、何だか最近の話のようでもある。尖閣諸島をめぐって中国で反日デモが盛んに行われた時、その理由の一つとして中国における反日教育、愛国教育が挙げられていた。

昭和5年当時は「憎日」という言葉があったのだろう。『満洲遊記』には、他にも「排日宣伝」「反日救国」「打倒日本」といった言葉が出てきて、読んでいると複雑な気分にさせられる。

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2012年10月19日

「棧橋」112号


季刊同人誌「棧橋」の112号が届く。
出詠80名。時評やエッセイ、歌集評、評論などもあり、全124ページ。

毎号「アンケート」という欄があって楽しみにしている。
今回は「原稿の締切が迫ると、してしまうこと」という内容。

回答は大きく分けて3つくらいのタイプに分かれる。
まずは「優等生」タイプ。
原稿はおおむね早目に仕上っているので、最後の推敲を繰り返す。(奥村晃作)
私は昔から不安症なので、締切の十日前に一応の草稿はできています。従って締切前は見直し確認作業です。(木畑紀子)
羨ましいというか、見習いたいというか、編集サイドからすれば有難い方々である。

次に「努力」タイプ。
夜更しに備えてひとまず仮眠を取ります。昼寝か夕寝をして家人の寝静まるのを待ちます。(池下寿子)
好きな歌集を片っ端から読む。(丹波真人)
これは、何とか原稿が書けるようにと、あれこれ努力している方々だ。

最後に「逃避」タイプ。
いつもは全くやる気にならない洋裁をやり始めてしまい、結果苦しんでいます。(海老原光子)
突然掃除がしたくなったり、日持ちする惣菜が作りたくなる。今回はトマトピュレをたっぷり作って冷凍した。(竹内みどり)
わかる、わかる、という感じ。僕も基本的にこのタイプ。
なぜか、今やらなくていいことを始めてしまう。

最後に、一番意外だった回答は、
ギックリ腰。(藤野早苗)
締切に迫られてギックリ腰とは。いやはや、大変です。

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2012年10月09日

「現代歌人協会会報」132号


池本一郎さんが「最近知った古語・新語」というエッセイ欄に、「テンプレ」と題する文章を寄せている。
 たしかテンプレと聞こえた。「テンプレですよ、これは」と。エッ、何?
 40人の歌会で小声で批評する若者。昨秋、京都の「塔」歌会に出席した。上洛中だったので久々に出たら、初対面の若い人が多く、次々に発言して賑わう。
 テンプレは初耳の〈新語〉。だが歌を見ると察しはついた。感心しない、もっと別の表現がいい、という感じ。
 廣野翔一か藪内亮輔か、「京大短歌」の人の評言だった。仲間内では定着した批評語の様子で淀みなく。傍の松村正直に質すと「きまった、型どおりの」といった意味でしょうという。はあ。
 辞書には、template=型取り工具・型板。[コンピュータ]テンプレート(用途に応じたひな型・定型書式)とある。(以下、略)
ここには、老若男女が集う歌会のおもしろさがよく出ていると思う。池本さんは70歳代、僕は40歳代、廣野さんや藪内さんは20歳代。世代の違うメンバーが集って、同じ歌についての議論をする。

自分では当り前だと思っている話が通じない場合がある。また自分の知らない風俗や習慣について初めて聞くこともある。それは、確かに少し面倒なことであるのだけれど、一方でそれが刺激にもなり楽しみにもなる。

同世代だけが集まる歌会とは違ったおもしろさが、そこにはあるのだと思う。

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2012年10月05日

「開放区」第95号


「開放区」は年3回(2・6・10月)の発行。

野一色容子さんのエッセイ「ナンジャモンジャの木―清原日出夫評伝拾遺(その一)―」を読む。以前この「開放区」に連載されて、昨年『ナンジャモンジャの白い花―歌人清原日出夫の生涯』として出版された文章への追加である。
出版後にも、重要な新資料が、とくに北海道資料から出てきたので、このエッセーでそれを補ったり訂正したりしたい。
とのことで、その姿勢がまず素晴らしいと思う。重要な新資料については次号で扱うとのことなので楽しみに待ちたい。

今回、印象に残ったのは、次の部分。
もちろん、敢えて詳しく本に書かなかった部分も多い。清原日出夫の遺族が健在であり、遺族のプライバシーに関することはここでもやはり書かないつもりだ。
評伝のようなものを書く場合、こうした問題はどうしても出てくるだろう。微妙で難しい問題である。私も以前「高安国世の手紙」を連載していて、同じようなことを経験した。連載一回分の原稿をまるまるボツにしたことがある。

ご遺族の立場からすると、書いてほしくない部分、書かれたくない部分というのが当然ある。取材や資料の提供などでお世話になっている以上、それを無視してまで書くというのは、なかなかできることではない。

そのあたりが、プロのノンフィクションライターではなく、歌人が歌人を書く際の難しさのような気がする。

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2012年10月03日

「未来」2012年10月号


「未来」10月号をぱらぱら読んでいたら、或る訃報が目にとまった。
■訃報
  宮本まさよし 平成二十四年三月ご逝去
この名前には、高安国世との関わりで見覚えがあった。

高安は昭和29年の秋に広島を訪れて「広島にて」と題する16首の歌を詠んでいる。この時のことは『カスタニエンの木陰』所収の「広島にて」という文章にも記されているのだが、その中に
昨夜はみやもとまさよし君と藤原俊彦君とが宿を訪ねてくれて、いろいろ話した。
という一文があるのだ。
宮本はこの年4月に創刊されたばかりの「塔」の会員であった。こんな歌を詠んでいる。
原爆ドーム除去して傷痕を忘れよと怒り知らざる彼らの言葉
ミス・ヒロシマ撰ぶ催しに抗議せし原爆少女のひとりありしと
        みやもとまさよし 「塔」昭和29年9月号
宮本が「塔」の会員であったのは3年ほどのことだったようで、それ以降は歌も文章も「塔」には載っていない。

今回、「未来」を読んで初めて知ったことがある。「歌会だより」の広島歌会のところに、次のように書かれているのだ。
広島歌会のリーダー的存在であられた宮本まさよし氏(近藤先生の従兄)のご逝去の報が届いた。東京に転居されて六年位か。
宮本まさよしは近藤芳美の従兄だったのだ。なるほど、そういう関係であったのか。広島は近藤の母方のふるさとであり、近藤は中学から旧制高校にかけての時期を広島にある外祖母の家で暮らしている。

高安国世、宮本まさよし、近藤芳美、そして広島。私の中でそれらがようやく一つに結び付いた瞬間であった。

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2012年09月27日

「大阪歌人クラブ会報」第112号


「大阪歌人クラブ会報」第112号を読んだ。2月20日発行なので、半年以上前に出たもの。棚に置きっ放しで、読んでいなかったのだ。

真中朋久さんの講演「河野裕子の道、耳、声」が載っている。これがとてもいい。

真中さんは「道なり」という言葉の受け取られ方が関東と関西では違うというところから始めて、「道」の出てくる歌、さらに「耳」や「声」の歌を引いて話を進めている。

特に印象に残ったのは、次のような箇所。
河野さんは「母として云々」とよく言われるんですけれど、包みこむようなものを母性というなら、それはむしろ河野さん自身ではなく、「大仏殿」である永田さんに求めていたのではないかと思います。
これは、池田はるみさんの名言「河野裕子は大仏。永田和宏は大仏殿。」を受けての話。
もう一歩踏み込んで言えば、河野さんは母であり娘であるわけですが、本質的には、娘として、庇護されているという安心感のなかで、自由に、大胆にあれだけの仕事をなさったのではないかとも思うわけです。
「母としての河野裕子」ではなく「娘としての河野裕子」。これまで意外に言われてこなかったことだろう。この観点に立つと、随分と新しい風景が見えてくるように感じる。『母系』における母の死の歌なども、この観点から読むのが一番わかりやすい。
河野さんの作品の「声」とか「肉声」ということは、よく指摘されることですが、音声のリアリズムというのは、視覚中心に構成されたリアリズムとはちがったもの。
ここでは「音声のリアリズム」を視覚的なリアリズムと対比して捉えているところが新しい。河野作品の根幹を読み解く鍵になるかもしれない指摘だと思う。

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2012年09月12日

「短歌」(中部短歌会)2012年9月号


堀田季何さんが、時評「短歌のくらくもさむくもないかもしれない未来(その3)」の中で近代短歌と現代短歌の区分に触れているのに注目した。最近ではあまり取り上げられない話題だろう。

堀田はまず、私の書いた下記の文章(『今さら聞けない短歌のツボ100』の「現代短歌」の項目)を引いている。
現代短歌という区分そのものが本当に成り立つのか、もう一度考え直す必要さえあるように思われる。現代短歌に「現代の短歌」という以上の意味があるとすれば、そこには近代短歌とは異なる、何らかのパラダイム転換に当るものがなければならない。しかし、それを明確に示すことができるだろうか。和歌→近代短歌→現代短歌といった、これまで漠然と信じられてきた進化論的な見方についても問い直す必要がある。
堀田はこの文章に対して、ひとまず「尤もな論理である」と肯定する。その上で王朝和歌が「集団の詩型」であったのに対して、近代短歌は「われの詩型」であり、それが現代短歌では「われわれの詩型」になったという見取り図を描く。その上で、新たな現代短歌の区分として、次のような説を提唱するのである。
「われの詩型」と併存しながらも「集団の詩型」を取り込んだこの新たな詩型の萌芽、急増こそが現代短歌へのパラダイム転換であり、二十一世紀ゼロ年代こそが現代短歌への移行時期である。
つまり、二十一世紀ゼロ年代に現代短歌が始まったと考えるわけだ。

私はこの説に十分納得したわけではない。短歌史を考える場合、誰もが現在起きていることを過大に評価しがちな傾向があるので、その点は十分に見極めなくてはならない。ただ、こうした新しい説が出され、そこからまた議論が起きるのは大切なことだと思う。

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2012年08月24日

角川「短歌」9月号


角川「短歌」9月号の歌壇時評に「短歌への嫌悪感」という文章を書いた。

これは金井美恵子さんの論考「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する」について書いたもの。

金井さんの文章は5月に出たムック『KAWADE道の手帖 深沢七郎』に載っているものなので、時評としては既にタイミングを逃してしまった感じ。ただ、短歌雑誌や短歌関係のネットなどでこの文章が話題になっているのを見たことがないので(話題になっていたら教えて下さい)、それならば自分がと思って書いた次第。

歌人がこの文章を読んだ上で無視しているのなら良いのだが、はたしてどうなのだろう。もし、歌人や短歌関係者に読まれていないのだとすると、金井さんの努力も全くの無駄になってしまう。

『KAWADE道の手帖 深沢七郎』は、大きな書店に行けば今でも並んでいるので、私の時評だけでなく、金井さんの論考もぜひご一読下さい。

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2012年05月24日

「京大短歌」18号(その2)


一方で、同じ大辻さんの発言で
(…)テーマ主義で行く人は、三十五首くらい自分の思いを歌ったら、すっきりして、歌う動機がなくなってしまう。結局、この「の」を「は」に直したらどうなるか、とか、語順を入れ替えたら自分でも思ってもみない新しい世界が立ち上がってきたとか、そういう細かいところに楽しみを見出せない限り、短歌作りは続かへんと思うけどなあ。

という部分などは、話半分に聞いた方がいい。これはテーマ性重視の歌壇の現状に対する違和感から言っていることであって、やや勇み足な感じがする。

「何を詠うか」か「どう詠うか」か、というのは古くからある議論で、「塔」で言えば1960年〜61年にかけて、坂田博義と清原日出夫の間でも議論が交わされている。

けれども、本当にそんなふうに二つに分けられるものなのか、というのが私の考えだ。どちらを重視するかという立場の違いはあっても、やはり短歌は「何を、どう詠うか」の両方ともが大切なのではないか。

どちらか一方を重視するあまり、もう一方を否定する必要はないだろう。同じ理由で、「テーマか修辞か」とか「人生派か言葉派か」といった分け方についても、いつも疑問を感じている。

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2012年05月23日

「京大短歌」18号(その1)


「京大短歌」18号を読む。座談会「2011年に感じたこと」(大辻隆弘・藪内亮輔・大森静佳)が面白い。大辻さんはかなり率直に言いにくいことも述べているし、藪内さんや大森さんも、大辻さん相手に健闘(?)していると思う。

一番共感したのは、大辻さんの次の発言。
なんか「レトリック」という概念にちょっと問題があって、「レトリック」っていうとなんか暗喩とか比喩とか、そういう西洋詩学的な概念やん。和歌的な「てにをは」なんか、レトリックじゃない、というみたいな。加藤治郎さんの影響だと思うけど「レトリック」にしろ、「修辞」にしろ、すごく前衛短歌的な作歌テクニックっていうような感じがする。でも本当は、暗喩やオノマトペ以外にも、短歌の技法はいっぱい存在するわけやん。「てにをは」とか「調べ」とかさ。ものすごく広い意味での短歌的な技術という、「技(わざ)」っていうのがあってさ。そういう広い視野に立たなければダメなような気がする。

まさにその通り、という感じだ。この前提なくして短歌の「レトリック」や「修辞」について語ってみても、仕方がないと思う。

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2012年05月02日

「波」2012年5月号

永田さんの連載「河野裕子と私 歌と闘病の十年」の最終回。

前回から続いて、いよいよ8月12日に亡くなるまでの約2か月のことが記されている。抗癌剤治療も打ち切られ、食事も喉を通らなくなって、それでも最後まで歌を詠み続けた河野さん。

計12回に及んだこの連載は、途中読むのが辛い部分も多かったが、それでもこうして書き残しておくのは大切なことだと、最後にあらためて感じた。

早いもので、河野さんが亡くなってからもう2年近くになる。

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2012年04月25日

「かりや」第33号


刈谷市郷土文化研究会の発行する雑誌を、「コスモス」の鈴木竹志さんから送っていただいた。巻頭に鈴木さんが「わが歌の恩人達(一) 鈴木定雄」という10ページにわたる文章(講演を元にしたもの)を書いている。

昨年5月に亡くなった鈴木定雄さんは、戦後のアララギ若手歌人の同人誌「ぎしぎし」の中心メンバーの一人で、「アララギ」「未来」などでも活躍した。しかし、その後短歌から離れたことや歌集がないこともあって、今ではほとんど忘れられてしまった歌人である。

鈴木竹志さんは高校教師をしている時に、生徒の父親である鈴木定雄さんと偶然出会ったらしい。その後の交流や、鈴木定雄の短歌作品の特徴や足跡を、愛情のこもった筆致で描き出している。初めて知ることも多く、戦後という時代の雰囲気がよく感じられる。

実は、昨年、鈴木竹志さんのご仲介によって、鈴木定雄さんの蔵書の一部(高安国世の著書や「塔」のバックナンバー)を塔短歌会事務所にご寄贈いただいた。鈴木定雄さんはかつて短歌をしていたことを周りの人にはあまり言っていなかったようだが、こういった本が残っていることに、鈴木さんの短歌に対する思いを感じ取ることができるように思う。

鈴木さんは「ぎしぎし会々報」に計186首の短歌を残している。他にも「アララギ」「西三河通信」「未来」「塔」などに載った歌を集めれば、おそらく歌集1冊分にはなるだろう。戦後短歌の貴重な記録として、これを何とか歌集にまとめる術はないものだろうか。

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2012年04月23日

「文机」第三十二号(終刊号)

IMG_3011.JPG

高島裕の個人誌「文机」の終刊号が届いた。
終刊号もこれまでと変らず、A5判8ページの冊子に短歌と散文、編集後記が載っている。
屋根雪にさらに梯子を突き立てぬ。下より照らす母のともしび
夜もすがら屋根雪溶ける音のしてわが夢をゆく春の日輪
文机、しづけき夜に物書けばこころの底にみづうみの見ゆ

「年に四度、季節の風が変はるごとに、号を重ねたい」(創刊号)の言葉通り、「文机」は平成16年春から平成24年春まで、8年間にわたって着実に号数を重ねてきた。その成果は、第四歌集『薄明薄暮集』や散文集『廃墟からの祈り』にまとめられている。

この8年の間に高島は、自らの進むべき方向を見つけ、確かな自信を手に入れたように感じる。個人誌「文机」が、その大きな支えとなったのだろう。『薄明薄暮集』の歌の配列が春夏秋冬といった部立となっているのも、「文机」が季刊であったことと深く関わっているように思う。

「これまでとは違つた新しい発信の形を作ることへの意欲が湧いてきた」(終刊号)と記す高島の新たな出発と、今後のさらなる活躍に期待したい。

平成24年3月1日発行、300円。

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2012年04月01日

「波」2012年4月号

永田さんの連載「河野裕子と私 歌と闘病の十年」の第11回。

いよいよ話は河野さんの亡くなる2010年に入った。
1月の歌会始、5月の斎藤茂吉短歌文学賞の講演、6月の小野市詩歌文学賞の授賞式、そして紅さんの結婚式の話である。

私はこの年、斎藤茂吉短歌文学賞にも小野市詩歌文学賞にも行けなかった。既に短歌関係の予定が入っていたのである。河野さんの病状を考えれば、ぜひとも行っておきたかったのだが、その一方で、自分の仕事をすることが自分にできることだという思いもあった。

結局、その後は一度も会う機会のないままに、8月12日の訃報を聞くことになったのである。

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2012年03月30日

「短歌人」2012年4月号

「いま読む石川啄木」という特集が組まれている。
没後100年に合わせたものだろう。タイムリーな特集に、思わず読みふけってしまった。

4頁の評論が2人、2頁が11人、合計31頁という大特集である。
これだけの書き手を揃えられるというのは羨ましいことだ。

「冷笑的な観察者」「実在の影」「享楽派」「職業、石川啄木」「虚と実という二重性」「プロットに長けた作家」「ディレクターの資質」「鉄道愛好家」「大いに行動的な作家」「現代短歌の先がけ」「作中主体の女々しさ」「大掴みで感傷的なフレーズ」・・・実に様々な角度から啄木が論じられている。

内容は玉石混淆であるが、それぞれに書き手の個性が表れていて面白い。
啄木を論じると、なぜか書き手の短歌観や性格がよく見えてくる。

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2012年03月15日

「歌壇」2012年4月号

今年から始まった「自歌自戒」は第4回。

今月は花山多佳子さんが「学校へいじめられに行くおみな子の髪きっちりと編みやる今朝も」という自作を取り上げている。

この歌については、以前このブログでも触れたことがあり、今回の花山さんの文章の中にもそのことが書かれている。

2010年9月に書いた古い記事なので、参考までに挙げておこう。

「いじめられに行く(その1)」
「いじめられに行く(その2)」
「いじめられに行く(その3)」

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2012年03月08日

「波」2012年3月号

永田さんの連載「河野裕子と私 歌と闘病の十年」の第十回。

今回は乳癌の再発が見つかった後、家族4人で京都御所に写真撮影に行った話や、京都新聞に連載した「京都歌枕」の話が中心である。

何の気なしに読んでいたところ、〈松村正直歌集『やさしい鮫』を読んだとき、なかに「明智藪」という一連があって、不思議に記憶に残っていた。〉という記述に出くわして、びっくりする。

明智藪は京都市伏見区小栗栖(おぐりす)にある、明智光秀が最期を遂げたと伝えられる場所。山崎の合戦で敗れた光秀は、近江坂本の居城を目指して逃げる途中、伏見の大亀谷を通り、この小栗栖で殺されたのである。

大亀谷には私の自宅があり、小栗栖の近くには息子の通う保育園があった。
というわけで、私にとっては非常に身近な地域。

もっとも、明智藪自体は永田さんも書いている通り、「なんだこんなところか」というようなところだ。でも、あんなところにも河野さんは足を運んだんだなと思うと、懐かしい気持ちになる。

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2012年03月06日

「塔」2012年2月号(その2)

真中さんの選歌後記に、「死者は歳をとらないから(本当か?)、そんなふうに思えることもある」という一文がある。自分で自分の文章に「本当か?」とツッコミを入れているのだが、この自問自答を読んで思い出すのは、次の一首。
死者が歳をとることがあるか成人した妹が夢にわれを打ちたり
               真中朋久『重力』

おそらく、妹さんは成人することなく亡くなったのだろう。その妹が、成人した姿で夢に現れて作者をひっぱたいたのだ。何とも痛烈な歌である。

真中さんはあまり自分のことについて語らない人なので、話を聞いたことはないのだが、歌を読んでいれば、真中さんには弟と妹がいて、弟は幼い時に、妹も成人前に亡くなっていることがわかる。
いもうとに恋あらざりし 白き衣をひろげて風になびかせてみる   『雨裂』
いくたびか死を拒みたるいもうとのその冬の日の窓の日ざしを
七年は父母の寝室に置かれありしまこと小さき弟の骨
妹の残したるものか仕舞はれて四半世紀経し衣を濯ぐ
弟妹の眠れる墓にその父母は入るのだらう丘をのぼつて   『エウラキロン』
三人のなかのひとりとしてわれは生き残りたり生きて長じたり   『重力』

これらの歌は、どれも歌集では別々のところにあって、ひっそりと置かれている。それをテーマにした連作が詠まれているわけではない。それでも、亡くなった者たちが常に作者の心の中にいることが、十分に伝わってくる。

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2012年03月05日

「塔」2012年2月号(その1)

たまには自分の所属する結社の雑誌についても書こう。
2月号を読んで一番強烈だったのは次の歌である。
着物の中は鶏がらだ会場にたれか言いたり母の立てるを
               永田 淳

河野裕子さんが、亡くなった年の5月に斎藤茂吉記念全国大会で講演した時か、6月に小野市詩歌文学賞を授賞した時のことだろう。大事な場面では河野さんはいつも着物姿だった。

乳癌再発時の歌に、既に〈四十キロに及ばずなりしこの身体素足すべらせ体重計よりおりる〉(『母系』)とあり、亡くなる前の月に書いた文章には「体重も三十三キロになってしまった」(「塔」2010年8月号)とある。

この歌は、1年半くらい前の出来事を詠んだものだ。それだけの時間を経て、ようやく歌にすることができたということだろう。強い憤りと悲しみが一首の歌となるまでにかかった時間のことを思って、私は粛然とした気持ちになる。

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2012年03月02日

「未来」2012年3月号

「未来」2012年3月号を読む。
全208ページというかなりの厚さで、内容も充実していて誌面に活力がある。
いくつかの結社誌に毎月目を通しているが、「未来」が一番刺激を受けるように思う。

大島史洋さんが「関芳雄のこと」という文章を書いている。
これが、とても面白い。

歌壇的には全く無名の歌人だが、かつて(昭和37年〜46年)「未来」に十年間にわたって在籍して、歌を発表していたらしい。この方の歌をもとに、その人生を掘り下げていくという内容。その中から、河野愛子さんや画家の関主悦(ちから)との関わりなども見えてくる。

こんなこと調べて何になるんだと思う人も、きっと多いだろう。
でも、私はそうは思わない。
どういう価値があるとはっきりは言えないけれど、大事なことだと感じる。

亡くなった人は、もう自分のことを語ることはできない。
遺された歌によって、誰かがその人のことを語らなければ消えてしまうのだ。

結社の良さは、こんなふうに亡くなった人のことを忘れないで、ずっと語り継いでいくことにあるのではないだろうか。そんなことを考えさせられる文章だった。

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2012年02月23日

「短歌研究」2012年3月号

カラーグラビア「現代の歌枕」は佐藤通雅さん。
「みちのく 東北」を取り上げて、その中で次のように書いている。
 ところで、みちのくが中央の〈植民地〉的存在であることは、過去のことではなかった。3・11によって図らずも〈植民地〉状態はさらけ出された。首都圏の電力は福島から送られていた。その福島が多大な被害をこうむり、なお継続中だ。「福島の復興なくして日本の復興なし」の掛け声があがるものの、首都圏もどこも、わが身を不利にしてまで救おうとはしない。みちのくは、こういう理不尽を何度でも体験してきた。

こうした根強い不信感が、佐藤さんの根底にはあるのだろう。

その気持ちはよくわかるのだが、一方でこうした図式の持つわかりやすさ、単純さといったものに対して、私は慎重でありたいと思う。

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2012年02月22日

「歌壇」2012年3月号(その4)

佐藤さんの文章を読んで、一つ気が付いたことがある。
些細なことだが、たぶん大事なことだ。
あそこで良かったってことはあると思うんですよ。
あそこでよかったってことはあると思うんですよ。

上が「短歌往来」の松村の発言の一部。下が今回の佐藤さんの引用。
「良かった」が「よかった」になっている。

これを偶然だとは思わない。

佐藤さんは「良かった」とは書きたくなくて「よかった」にしたのだと思う。たとえ、引用であっても、「良かった」と漢字では書きたくなかったのだろう。意味が強く出過ぎるからだ。

佐藤さんには、それだけ微妙な配慮があった。
そのことに対して、私は神妙な気持ちになる。

今回のできごとを通じて、私に突きつけられたのは、〈「あそこで良かった」という気持ちは、お前自身のものではないのか〉という問いに他ならない。

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2012年02月19日

「歌壇」2012年3月号(その3)

佐藤通雅さんとは何度かお会いしたこともあるし、悪意で他人の文章を引用する人でないことも知っている。評論集も何冊も出しているベテランで、引用のあり方など言われるまでもなくご存知のはずである。

それでは、なぜ今回のようなことが起きたのか。

佐藤さんの今回の評論「震災詠から見えてくるもの」に繰り返し出てくるのは、「当事者」という言葉であり、「被災圏」「圏内」「圏外」という言葉である。佐藤さん自身は仙台に住み、長年にわたって東北を拠点に活動を続けてこられた方だ。

そんな佐藤さんからすれば、私は当然「圏外」の人間であり、「当事者」意識の薄い人間にしか見えないのだろう。福島の原発に関して、「あそこを最初に選んだ人の意識に立って言うと」と私が言ってみたところで、「お前もそちら側の人間だろう」ということなのかもしれない。

それに対して、私は反論する言葉を持たない。

そうした分断状況を、3月11日の震災以降、私はずっと感じ続けてきたように思う。
(この項、つづく)

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2012年02月15日

「歌壇」2012年3月号(その2)

「短歌往来」1月号の該当部分は下記の通りである。
松村 そうですね。やっぱり難しいですね。特に原発の問題は、原発が福島の浜通りと呼ばれる地域に位置してること自体偶然ではなくて、選ばれてあそこにあるわけですね。東京じゃなくて福島にあるってことは非常に構造的な問題としてあって、今回二十キロメートルとか三十キロメートル圏内の人たちが避難しても、あそこを最初に選んだ人の意識に立って言うと、言葉は悪くて申し訳ないんだけどあそこで良かったってことはあると思うんですよ。東京にあったらそんな規模の避難じゃ済まないわけですし。都市と地方の過密過疎という、日本が抱えている構造的な問題が原子力発電所には特徴的に表われていると思うんですね。福島の問題であると同時に東京の問題でもあるし、日本の問題でもある。(以下略)

佐藤さんの文章と比べていただければすぐにわかるが、佐藤さんの引用では「あそこを最初に選んだ人の意識に立って言うと」という部分がすっぽりと省かれているのだ。それは、ちょっとフェアではないように思う。

特に、佐藤さんの評論を読んで、引用されている元の対談まで読み直す人はほとんどいないだろうから、「あそこで良かった」というのが私自身の気持ちということになってしまう。もちろん、全文引用できるはずもなく引用が部分的になるのは仕方がないのだが、これではどうもやり切れない。

そんなふうに、最初は思ったのだ。
(この項、つづく)

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2012年02月14日

「歌壇」2012年3月号(その1)

佐藤通雅さんの評論「震災詠からみえてくるもの」を読んだ。
その中に、次のような部分がある。少し長いが引用する。
 このような目線のおきかたによるずれは避けがたい。短歌総合誌には、震災詠をめぐる対談や座談が組まれたが、ほとんどが圏外のメンバーだった。だから私は、とんでもないずれた発言がもれるのではないかとヒヤヒヤしたが、やはり出た。
 (略)
 対談「大震災と詩歌を語る」(「短歌往来」平24・1)の参加者は松本健一・松村正直。松村は原発が福島の浜通りに設置されたことをとりあげて、「言葉は悪くて申し訳ないんだけれど」と低姿勢ながら、「あそこでよかったってことはあると思うんですよ。東京にあったらそんな規模の避難じゃ済まないわけですし。」と発言する。これも大臣なら、即刻辞任である。原爆の落ちたのは、東京でなくて広島や長崎でよかったと公言するに等しい。発言がまちがっているわけでなく、むしろ本当のことだ。しかし、圏内のものがいうか、圏外のものがいうかによって、受けとめ方がまるで異なる状況というものがある。もし、対談や座談に一人でも被災圏のメンバーがいれば、チェックできたはずだが、そうはならなかった。

初めにこの部分を読んだ時に、私はエッと驚いた。「あそこでよかった」なんて、自分が発言していることに、びっくりしたのである。これは、批判を受けても当然の言葉ではないか。

慌てて、当の「短歌往来」1月号を読み直してみた。

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2012年02月08日

「虹」 2012年冬号

上野春子さんが代表を務める同人誌「虹」の第2号が出た。

石田比呂志さんが亡くなった時の様子を記した連載「その日の石田さん」の2回目が載っている。電話がつながらないことを心配して、上野さんは石田宅を訪れ、意識不明の石田さんを発見する。以下、119番の電話でのやり取り。
「お幾つですか」やっと向こうが声を発した。「八十歳です」「御家族の方ですか」「いいえ家族はいません。一人暮らしです」「独居老人ですね」「はい」。はいと答えながら動揺した。(…)石田さんは特別な人だ、ただの年寄じゃない、そう言いたかった。でも独居老人ですかと聞かれると「はい」としか言いようがない。

この気持ち、よくわかる気がする。

ドッキョロージンというのは、確かに冷たい語感の言葉だ。普段はそれほど感じなかったであろう違和感を、119番の電話という緊迫した場面で感じたというところに、何とも言えないリアリティがある。

2012年1月25日、300円。

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2012年02月04日

「未来」2012年2月号

大島史洋さんの「選歌のあとに」に目が止まった。
「未来」十二月号の「続・物故歌人アンソロジー(4)」(さいとうなおこ・抄出)の樋口治子さんの名前を見て思い出したことがある。この人は土屋文明に「初々しく立ち居するハル子さんに会ひましたよ佐保の山べの未亡人寄宿舎」(『山下水』)とうたわれたその人である。「未来聴聞記」に登場してもらおうと思って打診したところ入院中とのことであり、しばらくして亡くなられたのであった。

この樋口治子さんについては、昨年、「「樋口作太郎に報ず」考(二)―ハル子さん」(「塔」2011年5月号)という文章の中で取り上げたことがある。樋口治子さんは、文明選歌欄の歌人樋口作太郎の息子勇作の妻にあたる人。亡くなる少し前に出た歌集『行雲』(1998年)には、文明のことを詠んだ次のような歌がある。
得難きを得難きと思わぬ貧しさか佐保の寄宿舎に訪い賜いにき
はる子さんとよみ給いし日のありてそこのみに照る吾の陽溜り

「未来」12月号には、さいとうなおこさんの抄出で8首の歌が引かれている。そのうちの3首をあげる。
樋口治子(札幌)  一九八七年入会 一九九八年十一月二〇日没
さらさらとダクトを流るる春の雪やさしき音の一つに数う
幼児の吾を遠くに遊ばせてふるさと今し雪降りしきる
茂吉眠る小さき墓の黒みかげに象眼のごとくあきつ動かぬ

亡くなった方のことを忘れないというのも、結社の大切な役割だろう。

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2012年02月02日

「波」2012年2月号

永田さんの連載「河野裕子と私」は第9回。

今月は、1998年の永田家の引越しと2008年の建て替えの話。私が京都に住み始めた2001年から、「塔」の再校・割付は永田家で行われるようになったので、建て替え前の家も今の家もよく知っている。

古い「塔」をパラパラ調べてみると、2001年5月号の編集後記に永田さんが次のように書いているのが見つかった。
□連休最後の日曜日、吉川、真中、松村三君が岩倉のわが家に集り、これからの編集実務体制について、相談をした。毎月、第一日曜日にわが家で割り付けと再校とを同時に行うことにする。

なんとも、懐かしい。

今回の連載で目を引いたのは次の部分。河野さんと母親の君江さんとの強い結びつきを述べた中に出てくるくだりである。
父親の河野如矢(ゆきや)との相性が悪く(本当は性格が似すぎているところがあったのだが)、幼児期より父親を徹底的に避けていた。

先週このブログで引いた
醜悪な老猿のごとく背を曲げて飯喰う父を今は憎まず
         産経新聞(大阪本社版)昭和40年3月3日

という歌も、そうした文脈においてみるとよくわかる気がする

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2012年01月28日

「青磁社通信」23号

巻頭エッセイに斎藤茂一さんが「茂吉の初孫として・・・」という文章を寄せている。
茂一さんは、斎藤茂吉の長男斎藤茂太の長男である。

茂吉の初孫溺愛ぶりにつては文章に紹介されているが、他にも忘れられないのが、
ぷらぷらになることありてわが孫の斎藤茂一路上をあるく
                『つきかげ』

という一首。昭和23年の歌なので、当時茂一さんは2歳くらい。
小さな子がとてとて歩いて行く感じがよく出ている。「路上を」という言い方が、さり気なくうまい。

2008年に永田さんが斎藤茂吉短歌文学賞を受賞した時のこと。授賞式で初めて茂一さんを見て、白髪まじりの姿にびっくりした。頭の中では、まだ小さな子のままだったのである。

茂一さんの波乱万丈な人生については、斎藤茂一著『S家の長男』(2007年、新講社)に詳しい。とても面白い本なので、興味のある方はぜひお読みください。

斎藤 茂一
新講社
発売日:2007-10


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2012年01月03日

「八雁」「石流」「虹」

「八雁」(選者阿木津英・島田幸典)、「石流」(発行人浜名理香)の創刊号(2012年1月号)が届いた。これに昨秋の「虹」(代表上野春子)の創刊号(2011年秋号)を含めると、「牙」の後継誌が出揃ったという感じだろう。

雑誌の創刊号というものは、たいてい「創刊の辞」などが載っていて、新鮮な気分に溢れている。読んでいて気持ちがいい。

それぞれの誌名の由来を引いておこう。
 「八雁」という語は、『古代歌謡集』(日本古典文学大系)の鳥名子舞歌、

 天(あめ)なるや 八雁(やかり)が中(なか)なるや 我(われ)人(ひと)の子(こ)
  さあれどもや 八雁(やかり)が中(なか)なるや 我(われ)人(ひと)の子(こ)

からとった。もと伊勢の風俗舞で、童男童女が歌いながら舞う神事歌謡だという。
「石流」の名は、「漱石枕流」に由来すると考えている。(…)
 この故事から、「漱石枕流」は「こじつけて言い逃れること」という意味で用いられるのだが、われらが「石流」は、「流れに枕して耳清らかに歌の調べを聞き、石で口を漱ぐように厳しく言葉を練磨する」と解釈したいのだ。
  とんねるを抜けてからっと冬の空こんなところに片足の虹
              石田 比呂志
(…)虹は希望であり夢である。日々の暮らしに追われ、疲れきった人がふと空を見上げた時虹がかかっていたら生きていることがそんなに悪いことばかりではないことに気付かされる。(…)虹は短歌でもあり文学でもある。
新しい出発をお祝いしたいと思う。

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2011年12月21日

「短歌研究」2011年12月号

「2011年歌壇展望座談会」の中で、河野裕子の「われ」やその後の世代の女性歌人(小島ゆかり、米川千嘉子など)についての話を受けて、穂村弘が次のように発言している。
穂村 その一人称がもうちょっと、永井陽子さんとか、紀野恵さんとか、水原紫苑さんとか、そういうバリエーションがあって価値が多様ならいいと思うんだけれども、どうも違いますね。やはりその人生に即した一人称で歌っている人のほうが主流という印象があって、永井陽子さんは死後評価されたと思いますけど、生前、十分評価されたという感じはしないし。
穂村さんの描く図式は下記のようなものであろう。

○人生に即した「われ」  河野裕子、小島ゆかり、米川千嘉子(主流)
○人生に即さない「われ」 永井陽子、紀野恵、水原紫苑(非主流)

発言の意味するところはよくわかるし、大筋では同意できるのだが、どうも違和感が残る。この二項対立の図式は、少し単純すぎるのではないだろうか?

例えば、河野さんの
お嬢さんの金魚よねと水槽のうへから言へりええと言つて泳ぐ  『歩く』
豆ごはんの中の豆たち三年生、こつちこつちと言ひて隠れる    『季の栞』
といった歌は、こうした図式からは抜け落ちてしまうだろう。
また、永井さんの
つくねんと日暮れの部屋に座りをり過去世のひとのごとき母親   『てまり唄』
マンションへ来てしまひたる鍋釜を網タワシにてみぢやみぢや磨く
                             『小さなヴァイオリンが欲しくて』
などの歌も、なかったことになってしまう。
そうすると、河野さんの歌も永井さんの歌も、魅力が半減してしまうような気がする。

現代短歌に対する穂村さんの分析はいつも鋭くて、座談会でもパネルディスカッションでも、穂村さんの提示した枠組みに沿って話が進んでいくことが多い。けれども、その枠組み自体を、本当にそうなのか疑ってみる必要があるだろう。

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2011年12月06日

角川「短歌年鑑」平成24年版

短歌に関する文章を書く場合、自分の思っていること、考えていることを、最後まではっきりと、遠慮せずに書くことが大切だと思っている。はっきりと書くことには、もちろんリスクが伴う。けれども、リスクを伴わないような発言や文章が力を持つはずもない。

そういう意味で、加藤治郎「想像力の回復を」、吉川宏志「当事者と少数者」の2編は、ともに印象に残る文章であった。それぞれ小池光の『ミドリツキノワ』評や岡井隆の「大震災後に一歌人の思ったこと」に対する異論を含んでいるのだが、きちんと自らの考えを表明して最後まで書き切っている。

立場や賛否は別にして、こうした文章は読んでいて気持ちが良い。そして、ここからさらに新たな議論へと発展していく可能性が開かれている。十分な覚悟をもって書いた文章だからこそ、次の議論へのステップになり得るのだ。

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2011年11月29日

「波」2011年12月号

永田さんの連載「河野裕子と私 歌と闘病の十年」の第7回。
今回もなかなか凄絶な内容。これでもか、これでもかという感じで話が続く。

2004年の永田さんの迢空賞授賞式の時には、僕も東京へ行った。その日の舞台裏が生々しく描かれている。知りたかったような、知りたくなかったような複雑な気持ちにさせられる。

明日は淳さん・紅さんと3人で、河野さんについての公開講座を行う予定。少し気持ちを立て直してから臨みたいと思う。

もう一つ。

巻末に新潮社の「12月の新刊」案内があるのだが、そこに岡井隆さんの『わが告白』が載っている。12月21日発売。これまた、読みたいような、読みたくないような・・・。

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2011年11月09日

「あまだむ」2011年11月号

ディスカッション「二十一世紀型の結社をもとめて」という座談会が面白い。
参加者は阿木津英(兼司会)、島田幸典、真野少、村山寿朗の4名。最初に阿木津さんが
「牙」が終刊しましたが、その有志とともに「あまだむ」も改組して、新結社として合流・再出発しようということになりました。これを機会に改めて根本的に結社というものを、日本の伝統詩形の特殊性を考え合わせながら、議論してみたいと思います。
と、座談会の主旨を述べている。その後、全25ページにわたって、結社の意味や歴史、選歌、添削の問題、師弟関係、批評のあり方など、結社の抱える様々な面について、ざっくばらんな意見交換が続く。もとより結論の出るような話ではないが、こうした議論の積み重ねは大事なことだと思う。

印象に残った発言をいくつか、引いておこう。
阿木津 「牙」なんかも復刊当時は、石田比呂志編集ノートを見ても初々しく主張してる。宗匠主義を廃するとか、権威主義を廃するとか。わたしは入った当時すごく共感した。やっぱり戦後生まれだから。でも、終るころには立派な「宗匠」になっていた(笑)
島田 だから俺が最初の方で言ったけど、雑誌というものにとらわれすぎたんじゃないかという、二十世紀結社に対するひとつの疑問はそこにある。雑誌編集、雑誌出版ってそれ自体、独自のメカニズムだし、かついちばんお金がかかるじゃない。そっちの方に気持がいきすぎちゃって、もともと何で集団作ったんだろう、ここに入ったんだろうって忘れちゃうんじゃないですかね。(…)
真野 (…)俺ね、石田さんを訪ねて行ったとき、石田比呂志が石田比呂志であるように俺は俺であり得てない、みたいなことが唐突に自分の口をついて出て、泣いちゃったんですよ。そういう、人のこころのいちばん弱いところを、一瞬につかんでそこに寄り添う能力、あれは卓抜したものだった。(…)

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2011年11月02日

「短歌」2011年11月号(その2)

角川短歌賞の次席作品は、藪内亮輔「海蛇と珊瑚」と相澤由紀子「地上の鮃」の2編。どちらも受賞作に匹敵するだけの力を感じる作品であった。
月の下に馬頭琴弾くひとの絵をめくりぬ空の部分にふれて
眼底に雪はさかさに降るといふ噂をひとつ抱きて眠りぬ
冬の浜に鯨の座礁せるといふニュースに部屋が照らされてゐる
「海蛇と珊瑚」は言葉の扱いがとてもうまい。「夜」や「冬」や「雪」や「死」といった、やや暗めのイメージで50首が統一されている。全体に静かではあるのだが、その中に感情や力が漲っている印象を受ける。
水汲みの帰りに見たる金柑のような朝日がただただ遠し
ガムテープを口に貼られて傾けるポストがほそき雨に濡れつつ
大津波きたりし後に浮かびたるトンカツ〈喜八〉の看板二文字
「地上の鮃」の作者は宮城県在住。東日本大震災を詠んだ一連である。途中で緩むことなく緊張感を保ったまま最後まで詠み切っているのがすごい。具体の効いている歌が多く、現場の様子や作者の思いがじわじわと伝わってくる。

選考座談会で気になったのは、藪内作品に対して島田修三氏が「男性ですか、女性ですか?」「小島さんは、この作者を女性だと思いますか」「こだわるけれども、これは男性ですか、女性ですか」と何度も発言していること。そんなこと選考に関係あるのだろうか。作者当てゲームをしているわけでもないのに、何とも無意味なことだと思う。

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2011年11月01日

「波」2011年11月号

永田さんの連載「河野裕子と私」は第6回。

今回もかなり読むのが辛い内容であった。手術後の河野さんの精神状態の悪化と攻撃性、そして一度だけあったという永田さんの激昂。その様子が詳細に記されている。

初めて知る話がいくつも出てくる。知って良かったような、知らない方が良かったような、でも知っておかなくてはいけないような、何とも複雑な気分にさせられる。

でも、もちろん読む人より書く人の方がはるかにしんどいに違いない。だから、この連載は最後まで目を背けずに読もうと思う。

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2011年10月30日

「りとむ」2011年11月号

「りとむ」の巻頭に「てんきりん」という欄がある。三枝昂之さんと今野寿美さんが毎号交替で一首評を書いているもの。今月は河野裕子さんの〈手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が〉を今野さんが取り上げている。その中に
(…)上の句は夫と子らに向けたのか、「あなた」と口にしながら夫を想ったのか、読者はそれぞれ自分なりの解釈で感じ入っている。それでいいと思う。でも、こうも思う。並列の言い方をしながらも一首としては〈あなた〉ひとりを想定していた。〈あなた〉ひとりに触れようとした。(…)
と書かれていて、ハッとした。「あなたとあなたに」をどのように解釈するかについて、作品発表後からいくつもの読みが出ているが、「あなた」をかぎ括弧に入れる読みは初めて目にしたのだ。

〈手を伸ばして「あなた」と声をかけながらあなたに触れたいと思うのに〉という感じだろう。この読みはかなり魅力的である。上句に声を想定すると、下句の「息が足りない」が一層切実に響いてくる。

この読みは、7月31日の山川登美子記念短歌大会の鼎談の中で披露されたものらしい。同じ号に載っている報告記(栗田明代)には次のように書かれている。
歌集の最後、この辞世の歌の呼びかけの相手は単数か複数かで大いに盛り上がった。当初、あなたにも、あなたにも、みんなに声を掛けたいのよ、と複数説が優勢だったらしいが、今野氏は単数にこだわる。
単数か複数かということで言えば、私も最初からこの歌は単数のイメージで読んでいた。目の前の「あなた」と存在としての「あなた」というような感じで理解していたのである。ただ、どうにもうまく説明ができずに困っていた。

今回の読みは、その点でかなり有力な読みになるような気がする。かぎ括弧の有無については、この歌が口述筆記されたことを考慮に入れてもいいだろう。実際に歌集『蝉声』の第2部(口述筆記など未発表作)には、かぎ括弧を用いた歌が一首もない。

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2011年10月29日

「短歌」2011年11月号(その1)

第57回角川短歌賞が発表されている。
受賞作は立花開「一人、教室」。
うすみどりの気配を髪にまといつつ風に押されて歩く。君まで
「特別」と言われた日から特別というものになりライラック咲く
子供らが描くような夜と月の空見上げる私はいま美しい
木のへらをがりりと噛んで染み出したミルクの味を吸う夏以前
やわらかく監禁されて降る雨に窓辺にもたれた一人、教室
作者は高校3年生。若々しい恋の歌であり、言葉をのびのびと使っている。2首目は恋の意識の始まりをあざやかに捉えた歌。大松達知さんの〈a pen が the pen になる瞬間に愛が生まれる さういふことさ〉を思い出した。5首目は「やわらかく監禁されて」に、教室という空間の持つ雰囲気や恋愛中の心理状況がうまく表現されている。

一連の終わり近くになって、恋の相手が先生であることが明らかにされる。そのあたりの歌をどう評価するか(通俗か、切実か)で選考委員の意見が分かれていたが、展開の仕方に限って言えばうまいと思う。

50首のうち約半数を体言止めが占めていることや、〈「夏行き」のチケット買って飛び乗った快速特急 座席は「青春」〉など明らかに水準以下の歌があることなど、難点を挙げればキリがない。でも全体として、新人賞にふさわしい作品だと思った。

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