そこで述べられているのは、歌や時代の変化に伴って、新しい批評の方法が生まれるべきだという主張である。
実際、松村が求める「批評」は、せいぜいが歌の丁寧な解説であり、世代は超えても歌壇の内を離れられない別の内向きを孕んでいる。
というのは、大事な指摘だろう(「せいぜい」で片付けられるほど、簡単ではないと思うが)。では、それに代わる新しい批評とは何か。
(…)意識的であれ無意識的であれ、若手の「内向き」な批評が、新しい批評の試みなのかもしれないと思いたくもなる。
(…)この世代の「ストイックさ」が新しさを触れ当てるのは時間の問題である。批評はそのとき、クレーの天使のような面持ちで到来する、そんな期待を抱きたくなる。
滝本が「新しい批評」や「新しさ」を待望する気持ちには私も共感する。これまでと全く違う新しい批評が生まれてもいいのだし、その可能性は常にある。けれども、それが言うほど簡単ではないことは、「思いたくもなる」「期待を抱きたくなる」という滝本自身の慎重な言い回しからも、よく感じられるのではないだろうか。