2024年04月03日

同人誌「北公園 砂場編」

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島根県塔短歌会員有志による同人誌の2冊目。
https://matsutanka.seesaa.net/article/500810803.html

9名の連作7首+コメントと、前号評(寺井淳)、題詠「砂」の歌評が載っている。前号よりさらにパワーアップした印象だ。

樹の下は深深と赤き沼になる咲いても落ちても椿のままで
あんなにも樹の下まつ赤に落ち椿ひとつくらいはなりすましがゐる
/今井早苗

「椿」7首はうす暗い心のありよう感じさせて迫力のある一連だ。1首目は「沼」に喩えたところが印象的。2首目の「なりすまし」にも不気味なものを感じる。

冬の画廊にふたりならんでみた絵画ふたつの岩が描かれていた
夕焼けは空の出血 橋の上できみがおおきく口あけている
/田村穂隆

1首目は「ふ」の頭韻が効いている。二つの岩が二人の関係性を暗示しているようだ。2首目はまるで「きみ」が血を吐いているかのよう。禍々しくも美しい。

月明かり南の窓からさしこんでしかくい部屋にしかくをつくる
/乙部真実

四角い窓から差し込んだ月明かりが床を四角く照らしている。「しかく」の繰り返しが巧み。

鼻かんで捨てたティッシュのことなんておぼえていないでしょう ふるさと
/上澄眠

最後の「ふるさと」が何とも痛烈。ふるさとを捨てた人(自分?)への強い問い掛けだ。

二億回再生されたラブソングなんかに涙が出てしまうおれ
/西村鴻一

そんなものに心を動かされたりしないと思っていたのに、という感じか。再生回数二億回は伊達じゃなかった。

木造船になったあなたの右肩にひと枝さきはじめている蠟梅
/日下踏子

幻想的な味わいの歌。人間だった頃の魂や心の名残のように、美しい蠟梅が光っている。

風葬の手順を君に語られて君を風葬させながら聞く
/丸山恵子

下句がおもしろい。頭の中で死んだ君を手順通りに風葬させていく。どことなく官能的でもある。

縦縞の建屋越しに見る海は今日は綺麗な穏やかな青
/平田あおい

島根原子力発電所と美しい日本海。「今日は」が穏やかでない天気の日や、さらには万一事故が起きた時のことなどを想像させる。

同人誌「北公園 砂場編」(600円)と前号の「北公園」(500円)は、「書架 青と緑」のネットショップで購入できます。
https://shoka-books.stores.jp/

2024年2月25日、北公園編集委員会、600円。

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2024年03月22日

「現代短歌」2024年5月号

「Anthology of 40 Tanka Poets selected & mixed by Haruka INUI」と題して40名の作品10首が載っている。それを受けて乾遥香(責任編集)と瀬戸夏子が対談しているのだが、これが面白い。

 まず、私はこれから先、名歌とか秀歌とかってあんまり増えない気がしてて。

 まわりのみんなが、自分の歌を後世に残すことを目指して短歌をやってるとは思わないし、そもそも何が秀でてるかを判断する力が分散しているので。協力しないと名歌は生まれないけど、みんな協力しないので、もう無理だと思う。
瀬戸 私がいちばん世代の違いを感じるのは歌集に対して売れる売れないっていうものさしが入ってきたところ。資本主義競争が入ってきたのが一番でかいと思う、変化として。だから新人賞の価値も目減りしたと感じるかな。
 アイドルの表情を、素でやってることじゃなくて、技術によるパフォーマンスとしてほめるときの言葉が「表情管理」で、この言葉自体が、提供されているものが技術でもいいよっていう最近の価値観の現れだと思います。
瀬戸 今の総合誌や結社誌にたくさん載ってる中途半端な自己満政治詠は日本人同士が慰めあって気持ちよくなってるようにしか思えない。

こんな発言がポンポン出てくる。短歌の現状に対する分析が鋭いし、それを言語化できる力もあって、読ませる対談になっている。

もちろん、内容的には賛同できる部分だけではない。特に乾さんの見ている短歌の世界は自分の知り合いの範囲にとどまっているような、内輪な視野の狭さを感じた。

作者を「○○くん」「○○ちゃん」と呼んだり、「先輩」「後輩」といった言い方をするところにも、学生短歌会出身の歌人の良くない点が出ていると思う。歌人として世に出たら、もう先輩も後輩もないでしょうと思うのだけど。

昔はよく「結社の弊害」が問題になったけれど、今は「学生短歌会の弊害」とでも言うべき状況があるように感じる。

そんなふうに、頷いたり反発したりしながら全38ページを一気に読み終えた。読み終えても何だか胸がざわざわする。それこそが二人の放つ言葉の力なのだろう。

http://gendaitanka.jp/magazine/2024/05/

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2024年03月07日

「心の花」2023年10月号

創刊1500号記念号。全262ページ。

1898(明治31)年の創刊から125年という長い歴史の重みをずっしりと感じる内容だ。

谷岡亜紀の評論「短歌と国語」は、短歌と言葉や国語の関わりを論じたもので、私も関心を持っているテーマなのでとても面白かった。全15ページという長さであるが、このテーマで一冊の本が書けるくらい、多くの論点を含んでいる。

特にその大胆な変革が、明治維新後と敗戦後の「新時代」の機運の中で断行されたことは特筆される。「国語」を大きく変更するという荒業は、変革期のどさくさ(というと言葉は悪いが)の中でしかできない。
現代短歌に用いられているのは、実はごく限られた「文語文法」であり、それはもはや(過去の遺物などではなく)「現代短歌用語」の範疇と考えるべきである。

文法の話になるとちょっと苦手という人は歌人にも多いが、「短歌に関わる人間は、いわば言葉(日本語)の実践における最前線にいると言える」という著者の言葉は心強い。土岐善麿や俵万智が国語審議会の委員であったことなども思い出す。

加古陽の評論「太平洋戦争と『鶯』の時代」は、1940年から44年まで佐佐木治綱が中心となって刊行された短歌誌『鶯』を取り上げて論じたもの。これまで『鶯』については全く知らなかったので、興味深く読んだ。

中でも宇野栄三(1916‐1942)という歌人が印象に残った。信綱の助手を務めていた人物で『鶯』創刊に参加、東部ニューギニアの戦いで戦死した。

ニューギニアに向かう戦中から信綱に寄せたはがきに戦地での詠草が「三百首に達し清書はしたが、紙数が多く兵卒ゆゑおくることが出来ぬ」(信綱『明治大正昭和の人々』)とあったが、ついに死後も届かなかった。

せっかく詠んだ歌が届かなかった無念を思う。同じくニューギニアで戦死した米川稔(1897‐1944)が戦地から「陣中詠定稿」210首を内地に届けることができたのとは対照的だ。そこには米川が「兵卒」ではなく士官だったことも関係しているのだろう。

もう一つ興味を引かれたのは、竹山広の戦中の歌が紹介されていることである。

現在『定本竹山広全歌集』は1981年刊行の第1歌集『とこしへの川』から始まっている。でも、竹山は『鶯』にも参加していて、戦時中も多くの歌を詠んでいた。

  サラトガ撃沈の写真を見て二首
母艦より海に飛び込む敵兵の蛙のごとき落ちざまあはれ
海面にいまだ届かぬ幾たりが燃ゆる母艦とともに撮られぬ
/『鶯』1942年9月号

アメリカの空母「サラトガ」は第二次ソロモン海戦の後に日本の潜水艦の攻撃を受けて航行不能に陥った。詞書には「撃沈」とあるが実際は沈んでいない。3か月に及ぶ修理を経て実戦復帰している。

加古は「こうした歌の提出は、戦後の竹山広なら許さなかっただろう」と記している。その通りではあるが、一方で「蛙のごとき」「海面にいまだ届かぬ」といった表現には、冷徹な竹山らしさが既に感じられるようにも思う。

原爆詠をはじめとした竹山の戦後の歌を真に理解するには、戦中の歌も含めて読んでいく必要があるのかもしれない。

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2024年02月13日

「うた新聞」2024年2月号

松澤俊二さんの連載「短歌(ほぼ)百年前」に、矢沢孝子『湯気のかく絵』という歌集が取り上げられている。宝塚歌劇を詠んだもので、「宝塚叢書」の第三篇として歌劇団の出版部から刊行されているとのこと。

美(くは)し少女(をとめ)くもゐしのはら化粧(けはひ)すとけはひおとすと入る温泉(いでゆ)かも
松子てふ名をおぼえたるその日よりわが好む子をきみとさだめぬ

団員の雲井浪子、篠原浅茅、高砂松子を詠んだ歌が引かれている。

このタイトルはどこかで見た覚えがあるなと思ったら、以前『宝塚少女歌劇、はじまりの夢』を読んだ時に目にしたのであった。
https://matsutanka.seesaa.net/article/499484425.html

これによると「歌劇」大正8年1月号に掲載された高安やす子の短歌のタイトルが「湯気のかく絵」なのだった。これは一体どういうことだろう?

矢沢孝子『湯気のかく絵』は国会図書館デジタルコレクションに入っているのでざっと読んでみたけれど、「湯気のかく絵」という言葉は歌には使われていない。タイトルだけ借りたということなのか??

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2024年01月20日

「八雁」2024年1月号

特集「第10回八雁短歌会全国大会 in 神戸」の中に、大辻隆弘さんの講演「継承と独創」が質疑応答も含めて計23ページというボリュームで載っている。

短歌を始めたきっかけや大学時代の恩師の言葉、「未来」入会からニュー・ウェーブ流行に対する反応など、40年に及ぶ歌歴を振り返って話をしている。かなり率直な語り口で、とてもおもしろい。

でもこんなふうに文語で短歌を作っとったら、人気歌人にはなれへんやろうなとか、総合誌から注文が来(け)えへんやろうなとか、正直、そんなさもしい思いもしました。
大体僕の体の三〇%ぐらいは岡井さんでできていて、二九%ぐらいが玉城徹で、二九%ぐらいが佐藤佐太郎。そんなくらい影響は大きいです。
やっぱ、佐太郎はわかりやすいんですよ。茂吉の混沌をもうちょっと浄化して精製して、上澄みを取ったようなところがある。佐太郎から茂吉に入っていくと、逆に茂吉の混沌がよく見えるところがあって、そこからやっぱり茂吉の沼に入っていったって感じですね。

「八雁」主催の阿木津英さんもかつて「未来」に所属していたので、「あのころ阿木津さんは、本当に怖くて(笑)」といった話も出てくる。短歌のことだけでなく、結社の歴史や継承といったことも考えさせられた。

2024年1月1日、八雁短歌会、1100円。

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2023年12月27日

「六花」Vol.8

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六花書林が毎年刊行している冊子も今年で8冊目。

前号に続いて「詩歌のある暮らし」をテーマに20名がエッセイを書いているほか、連載記事も載っている。私の連載「歌ごよみ」は6回目、六月の日付の入った歌について書いた。全12回の予定なので、これでちょうど半分。

近年、雑誌でもSNSでも早口でせわしない言葉が多く飛び交っているけれど、「六花」の文章はみんな落ち着いていて何とも心地よい。

詩歌とは、自分ではないものを引き寄せる力かもしれない。
/富田睦子「そういう生きもの」
「読む」と「詠む」を同じくヨムという動詞で表現する日本語では、解読することとエンコードすることが同じ行いとして捉えられている。
/泉慶章「スタックしたタイヤ」
俳句という詩は「省略の文学」としばしばいわれる。作者の膨大な経験や思いを色鉛筆で塗りつぶし、塗りつぶし、五七五しか残らなくなるまで斜線を引きまくる作業が常に求められる。ただ面白いのは、塗りつぶされ、斜線の底に沈んだものが熱心な読み手には透けて見えてくる――そんな巧妙な仕掛けが俳句には備わっている気がする。
/柳生正名「塗りつぶす 透けて見える」
今年の夏、青森県三沢市の寺山修司記念館へ行ってみた。予想に反して、実に辺鄙なところにあった。観光のついでに寄ってみる、というような場所ではなかった。記念館の展示を見渡して、寺山の短歌の業績というのは、寺山の人生のほんの一部分にすぎない、ということがよく分かった。
/桑原憂太郎「西勝洋一、前川佐美雄、寺山修司の歌集のこと」

「六花」vol.8 は六花書林から直接購入できます。
http://rikkasyorin.com/rikka.html

2023年12月5日、六花書林、700円。

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2023年09月19日

同人誌「北公園」

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「島根県塔短歌会員有志」8名による同人誌。
連作5首とミニエッセイ、題詠「北」とその歌評が載っている。

たまごやきもっていこうね まだ冬とよばれる日々にもひなたはあって/日下踏子

どこかにピクニックに出掛けるような楽しい気分。ひらがなの多さが相手との穏やかな関係を感じさせる。

白線を見ながら歩く 正しいことばかりしているわけじゃないこと/上澄 眠

道路に引かれた真っ直ぐな白い線は正しさを感じさせる。でも、人生はなかなかそうはいかないもの。

小学校で一番地味な場所だった西側校舎の石炭置き場
/小山美保子

地味だったのに何十年経っても忘れられない記憶として残っている。きっと好きな場所だったのだろう。

声が聞きたい だからといって覗いてはだめだよ昼の製氷室を
/田村穂隆

ダメと言われるとかえって覗きたくなってしまう。製氷室の中には一体どんな声がうごめいているのか。

千一羽折ってしまった鶴一羽折り紙に解く 赦してあげる
/丸山恵子

人間の願いや祈りが込められているから、千羽鶴はたぶんしんどい。だから折り紙に戻すのは解放なのだ。

題詠「北」の歌評を見ると、お互いの作品をよく読み込んでいることがわかる。第4回BR賞でも、日下踏子さんが田村穂隆『湖とファルセット』を取り上げた書評が佳作に入っていた。

今のところ同人誌「北公園」は単発の発行のようだが、2号、3号とぜひ続けて欲しい。

2023年2月26日、北公園編集委員会。

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2023年07月28日

「歌壇」2023年8月号

坂井修一の対談シリーズ「うたを生きる、うたに生きる」の第7回。永田和宏との対談がおもしろかった。

印象に残った箇所を引く。

永田 最近、もう一つ、「手渡す時間」がすごい大事だと思っている。時間って直線的に流れて行くと思っているんだが、実は一つ一つ手渡されているという意識がないと流れていかないんじゃないか。これは物理的な時間とはちょっと違って、生物学的な時間でもある。
永田 それが、さらに日本人の中のアイデンティティの分裂と言うか、ギャップを生んでいて、つまり日本人は江戸から明治と続いてきた自分たちの歴史を一つのものとしてなかなか実感できないところがある。
坂井 日本の伝統の中でも良いものは、近代短歌がつなぎ損なったものも多い。それは、文化伝統を継ぐ立場としては、恥ずかしいことではないかと思うことがあります。
坂井 基本はすごくピュアで、多くが単純なものなんだけど、それゆえに深いものがあるんですよね。そこへカジュアルにつなげられるかどうか、すごく難しくて、私がいちばんうまくいってないことかもしれない。岡井さん、塚本さんなどもそうです。

それぞれの問題意識がはっきりと出ていて、印象に残った。

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2023年06月24日

「COCOON」28号

結社「コスモス」の若手メンバーによる季刊の同人誌。作品、評論、時評、エッセイ、書評、コラムなど多彩な内容となっている。

「親が先生なのになるの?」と人は言う「だから」はからから転がっていく
教員はサブスクリプション驚きの低価格にて働かせ放題
/山田恵里「チョークかたかた」

子が教員になったことを詠んだ連作。作者も教員だ。1首目は「なのに」に傍点がある。かつては親の姿を見て教員を志す人も多かったが、近年は逆になっているのだろう。残業や休日出勤が多く、過重な負担に苦しんでいる。

「やせたい」は口だけでしょう?メガ盛りに豚汁(とんじる)つけて玉子もつけて
ないでしょう、やせる気なんて。吉野家の帰りにフラペチーノも飲んで
/伊藤祐楓「あずき色の看板」

牛丼チェーン店での飲食の様子を詠んだ作品。「やせたい」と言いながら、ついつい食べ過ぎてしまう。引用歌は連作の5首目と12首目。こんなふうに離れた場所に置かれることで、連作の横のつながりをうまく生み出している。

つり革にからだあづけておもひをりわが部屋にゐるまりも、さぼてん
春の日のアンリ・マティスの丸めがねしらくものうへにうかびつつあり
/岩ア佑太「菜種梅雨」

ちょっとした気分や雰囲気を醸し出すのがうまい作者。1首目は「まりも」「さぼてん」のひらがな表記が、生きものを飼っているみたいで効果的。2首目はマティスの絵ではなく眼鏡が思い浮かんでいるところが面白い。

ほんたうに雨になつた、といふ声を窓の反射に聞いてをりたり
人体の手がかりとして歯の治療してきた人とみる海のいろ
/有川知津子「手がかり」

1首目は、窓の外を見て独り言のように呟く人の声を部屋の中で聞いている。二人の距離感のようなものが印象的だ。2首目は万一事故などで亡くなった場合に身元確認の「手がかり」になることをふと思ったりするのだ。

ささやかな高揚のあり〈らっきょう玉〉ふたつひねって判子(はんこう)出して
これはかつて地層の一部だったもの唇(くち)は触れおり備前の土に
/大松達知「らっきょう玉」

「らっきょう玉」という言葉は知らなかったけれど、「判子」が出てきたのでわかった。印鑑ケースやがま口財布の留め具のことか。なるほど、らっきょうの形に似ている。2首目は備前焼の器。言葉によって認識や世界が変わる。

フィナンシェに飾られてゐる塩漬けのさくらが出会ふ今年のさくら
桜より櫻の漢字が合ひさうなやまざくら咲く百円硬貨
/杉本なお「さくらの釣銭」

舞台は桜まつり。1首目、お菓子に載っている桜は塩漬けで保存された去年の桜なのだろう。2首目、「桜」と「櫻」の密度の違い。百円玉にデザインされている八重桜は、確かに花びらの密度が濃い。思わず確認してしまった。

一人一人の作品は別々で多様だけれど、全体としてのまとまりや方向性は感じる。このバランスが、同人誌の大切なところだろう。みんな同じになってしまってはダメだし、かと言ってみんなバラバラでは意味がない。その加減がちょうど良くて心地いい。

散文では、梅田陽介「酒造りの歌から滴る情の露」が出色。中村憲吉の歌集『しがらみ』を取り上げている。

近代的な酒造りに必要な革新技術が形になったのは昭和十年頃とされているため、近代化直前の酒造りの情景を立体的に描写している点でも歴史資料的な価値がある。
この製法は生酛造(きもとづく)りといい、人工の乳酸菌を添加する安定した清酒製造法が確立した現代では希少なものになってしまった。

酒造りに関してとても詳しいなと思ったら、巻末の質問コーナー「最近食べたおいしいもの。」に「酒造りが終わって、四ケ月ぶりに食べた納豆」と書いていた。なるほど、同業者だったのか。酒蔵に納豆菌を持ち込まないように、仕込み期間は納豆を食べられないのだ。

今から100年以上前に刊行された歌集を取り上げているところに好感を持つ。こうした文章が載る同人誌には信頼が置ける。大地にしっかり根を張っている感じ。きれいで美しい花を咲かせることも大事だけれど、それと同じくらいに、太い根を張っていることも大事だと思う。

2023年6月15日、500円。

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2023年04月21日

連載「秀歌を読もう」

NHK学園の機関誌「短歌春秋」に「秀歌を読もう」という短い鑑賞文を連載しています。

現在5回まで書いていて、あと3回書く予定です。

秀歌を読もう「永井陽子」(「短歌春秋」162号)
秀歌を読もう「石川啄木」(「短歌春秋」163号)
秀歌を読もう「山崎聡子」(「短歌春秋」164号)
秀歌を読もう「小池光」 (「短歌春秋」165号)
秀歌を読もう「河野裕子」(「短歌春秋」166号)

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2023年04月20日

「歌壇」2021年5月号

「ことば見聞録」第12回、品田悦一(万葉学者)と川野里子(歌人)の対談がスリリングで面白い。

話題は万葉集や斎藤茂吉についてだが、両者とも過度に相手にすり寄ったり話を合わせたりせず、言いたいこと、言うべきことをはっきり言っていて心地よい。

これはけっこう貴重なことで、私自身、対談や座談会などに出るたびに感じるのだけれど、どうしても話を合わせる方向に行ってしまいがちなのだ。

特に印象に残った発言をいくつか引く。

品田 柿本人麻呂や山部赤人は、万葉を代表する宮廷歌人ですが、彼らの営みは自己表現などではなかった。
品田 人麻呂は徹底的に体制派ですよ。体制を讃美し、体制を言葉によって荘厳することに命をかけていた人で、つまりプロパガンダの芸術ということを本気で追求した人です。
川野 男性批評者が囲んでいる斎藤茂吉という像は、茂吉自身と茂吉を囲む男性論者によって作られてきたのではないかという気がしてならないのです。
品田 歌人が短歌について語っている本はいっぱいあって、私も必要上ときどき手に取りますが、歌人の短歌解読には大概不純物が紛れ込んでいて、テクストの取り扱いとしては不徹底に終わっている。
川野 なぜ短歌が滅ばないかというと、近代化したい日本語文学という、ある種劣等感を伴った意識がある限り、短歌はその補完的な役割を担わされつつ、決して滅びずにあり続けるという奇妙な存在感があったのだろうという気がします。

なるほど、なるほど。
全21ページというなかなかのボリュームだが、実に刺激的だった。

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2023年04月11日

「歌壇」2023年4月号

昨年12月に亡くなった篠弘さんの追悼特集が組まれている。

鼎談「篠弘氏の歌業」(三枝ミ之、島田修三、栗木京子)が良かった。故人と関わりの深かった3人が、篠の評論や作品を取り上げて、その功績や問題点について率直に語り合っている。

島田 明治の近代短歌から前衛短歌までのスパンで、短歌史を見通した人は篠さんだけでしょうね。あの人のやり方は資料至上主義、資料に語らせるのね。三枝さんはご存じだと思うけれど、あれは早稲田の柳田泉の流儀だと思う。
栗木 篠さんは「前衛短歌が取り落としたものの一つに、女性の歌を読み切れなかった、ということがあった」と思っていらした。例えば山中智恵子さん、葛原妙子さんなどの位置づけ。(…)その反省の上に立って、女性の歌の流れを大事にされましたね。
三枝 戦後民主主義を基準にして短歌史をどのように見るかが彼の使命だった。(…)篠さんは一つの篠史観を残してくれたわけだから、それをどういうふうに補うか、どういうふうに伸ばすか。違う観点を出すかというようなことが、残った人に課させられた課題だと思います。

篠さんについての思い出を一つ。

2021年に篠さんのライフワークであった『戦争と歌人たち』(本阿弥書店)の書評を書いた時に、十数か所の誤植を見つけて版元に連絡した。すると、その日のうちに篠さんから電話が掛かってきてお礼を言われたのである。

体調の問題があって十分な校正ができずに申し訳ない、再版する際には直したい、とまず謝って、それから、若い人に読んでもらえるのはありがたい、これをもとにさらに若い人が調べて書いてほしい、とおっしゃった。

十数分話をしただろうか。それが篠さんと話した最後である。

『戦争と歌人たち』のテーマをどのように受け継いでいくのか。昨年のオンラインイベント「軍医の見た戦争 ― 歌人米川稔の生涯」は、その問いに対する私なりの回答でもあった。

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2023年04月05日

「現代短歌」2023年3月号

発行からだいぶ時間が経ってしまったけれど、座談会「『つきかげ』はなぜおもしろいのか」(小池光・花山周子・山下翔)を読む。三人とも深く読み込んでいて、とてもおもしろかった。

 暁の薄明に死をおもふことあり除外例なき死といへるもの
小池(…)「除外例なき」っていうのがすごい造語だな。普通は「例外のなき死」と言うでしょう。「地下道(ちかだう)電車」や「売犬(ばいけん)」と同じよ。こういう半造語というか、茂吉の作った新しい熟語みたいのがすばらしくて。ほんとにさ、みんな死ぬんだな、と思うよな。
小池(…)やっぱり言葉で歌を作っている。写生なんて建前で看板には書いてあるんだけどさ、実際やってることは言葉を操作して、新しい言葉と言葉の組み合わせを試してみたりね。簡単に言えば、詩だよね。ポエジー。新しい言葉の発見みたいな意味での詩が、斎藤茂吉にはきわだってあるんだよ。

小池の発言からは、茂吉の歌を通じて小池自身が歌作りにおいて大事にしているものが伝わってくる。

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2023年03月05日

「八雁」2023年1月号

八雁創刊十周年記念大会のディスカッション「近代短歌から継承したいもの」が読み応えがある。発言者は内山晶太、今井恵子、花山多佳子、島田幸典(司会)の4名。

「短歌革新によって生まれ、その後も多くの力量ある歌人の実作の蓄積を通じて築かれてきた、そしてそれらを手本にしながら歌を作り発展してきた短歌の在り方そのものが大きな変化を迎えているんじゃないだろうか」(島田)という問題意識に立って企画されたディスカッションである。

内山の写生に関する指摘や分析が非常に鋭い。

言葉というのは細かい単位での調節ができないので、物事を写すには不適な道具なんではないかなと思います。言葉は物事を写生するにはサイズがでかすぎるというのが一応私の今考えている所です。
写生ってやっぱり前面特化型の表現様式だと私は思っていて、基本的に背後がないんですよ。後ろ側がない。あるとすれば気配とか、その触覚ですか。そういうものでは捉えられますけれども、基本的に、写生というのは前のものをどう写し取るか。
(吉川宏志『石蓮花』の〈自販機のなかに汁粉のむらさきの缶あり僧侶が混じれるごとく〉について)
前面特化型でありながら、こういう比喩を使うことによってそこに立体感っていうものを生み出している。これ、写生の進化のひとつではないかなと思います。

この「前面特化型」というのは、たぶん視覚重視、視覚偏重ということなんだろうと思う。五感のうち嗅覚や聴覚も背後のものを捉えることができるけれど、視覚は前のものしか見ることができない。

他の3人の印象的な発言を引く。

(花山)日露戦争後の若い歌人は、短歌というものに対して、他の文学ジャンルの中でとても限定的なかすかな詩型にすぎないと思っていて、そこに容れるものもささやかというか。啄木は短歌を「一瞬の切れ切れの感想」と言ってるし、白秋は「一箇の小さい緑の宝玉」と言う。対極に見えて、限定論というんですか、その認識と内容が釣り合った完成度がある時期といいますか。
(島田)短歌が文語による優れた歌、時には調べを伴って美しく、また時には散文的な伝達も可能な文語を作った、ということが文語が生き延びた理由だと思います。短歌があったために、文語が世の中の一部ですけど、残り、もっと言うと近代文語がこれによって生まれたと思っています。
(今井)比喩的にいうと、写生・写実っていうのは近代短歌の中の標準語みたいな感じでとらえています。けれど、その標準語の外側には、無数の方言とか、それぞれの日常語とかがあるわけ。それが短歌の現場ではやっぱり時々、ふっ、ふっと、吹き出す。それがわたしには面白い。ペロンと平板な短歌史ではなく厚みが感じられます。

「近代短歌の特質がよく表れている作品」5首を各自が挙げているのだが、4名ともに選ばれているのは啄木ただ一人。

内山選 佐藤佐太郎、木俣修、斎藤茂吉、北原白秋、石川啄木
今井選 正岡子規、窪田空穂、石川啄木、前田夕暮、岡本かの子
花山選 若山牧水、石川啄木、北原白秋、斎藤茂吉、前田夕暮
島田選 与謝野寛、石川啄木、三ヶ島葭子、古泉千樫、佐藤佐太郎

啄木ファンとしてはもちろん嬉しい。それにしても、この啄木の強さっていったい何なんだろう。

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2023年02月24日

「コスモス」2023年3月号

創刊70周年記念号。「コスモス」の創刊は1953年。
「未来」は1951年、「塔」は1954年。

「これからのコスモス、これからの結社」と題する座談会が載っている。出席者は、高野公彦、小島ゆかり、大松達知、水上芙季の4名。

僕は結社を辞めてしまったけれど、結社というものは今でも好きで、結社の功績はとても大きいと思っている。

座談会で驚いたのは高野さんの入会当時の話。宮柊二に「コスモス」の編集分室の住み込みのアルバイトに誘われて入会し、就職も宮柊二の口利きで、結婚相手も宮柊二の紹介とのこと。かつての結社の濃厚な師弟関係が伝わってくる。

4名がそれぞれ自分の体験や結社のあり方について率直に語っていておもしろい。結社の今後についても、「良い答えはないんですけど」(大松)、「名案はないなあ」(高野)など、正直に述べている。確かに、難しいかじ取りを迫られるのは間違いない。

印象に残った高野さんの発言を2つ引く。

落ちた歌を直してまた出すのは、その人の進歩にはマイナスだと思います。きっぱり諦めて新たな歌を作るほうがいい。
年が離れていて、自分の歌が理解してもらえないとか、見当はずれな批評をされるとか、嫌な気持ちになることってあるじゃない。でも世の中はそういうもので、自分を理解してくれない人が一杯いる。その人たちと接触することで、人間的に鍛えられるわけですよ。理解してくれる人ばかりの中で歌を作っていると〈ひ弱な歌〉になると思う。

こんなふうにはっきり言う人は今では減ってしまったので、貴重だと思う。全面的に賛成するわけではないけれど、胸にしまっておきたい考えだ。

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2022年07月20日

「短歌往来」2022年8月号

林田恒浩の作品「いまは異国の」33首を読む。

国境にちかき恵須取は燃ゆ戦車隊は襲ひかかれりかの夏の日に
             (恵須取・ウグレゴルスク)
三千人のロシアの兵が上陸したるふるさと眞岡 忘るるなかれ
             (眞岡・ホルムスク)
豊原まで追ひつめられて投降したり父は小さき白旗をかかげて
             (豊原・ユジノサハリンシク)

林田さんは昭和19年樺太の生まれ。ロシア軍のウクライナ侵攻を見て、昭和20年の樺太の様子を思い出しているのだ。もちろん、赤子だったので覚えているわけではないが、両親などから聞かされた話なのだろう。

「虜囚」とはとらはれ人のことなりて白夜を詠ふ 父のおもひは
日の丸を焼きし日あれば抑留のさま父はかたるなし口をふさぎて

終戦後、王子製紙に勤務していた父は3年間に及ぶ抑留生活を送る。
生き延びて家族と再会できたのは、昭和23年のことであった。

作者の父、林田恒利は「多磨」(のちに「形成」)に所属する歌人でもあった。

喚(わめ)きつつ伐採のノルマにいどみゐし童顔の兵も還るなかりし
         『火山島群』(昭和39年)
国の旗焼きてソ聯軍をむかへたる日の傷み歳月のなかに重たし
         『木香』(昭和50年)
白旗をかつてもちたる掌(てのひら)をつらぬくこゑぞ野の鵯は
老いづきてけふ病むことも抑留の日にかかはると思ひ悔しむ

3年間に及ぶ過酷な抑留と強制労働は、恒利の心と体に生涯消えることのない傷を残したのであった。

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2022年03月18日

「現代短歌」2022年5月号

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https://gendaitanka.thebase.in/items/60009566

「現代短歌」は隔月刊なので、3月発行分が5月号になる。ちょっとややこしい。

特集「アイヌと短歌」は論考9篇+作品1篇+誌上復刻版『若き同族(ウタリ)に』の計76ページ。質・量ともに本格的なアイヌの特集となっている。

バチェラー八重子、違星北斗、森竹竹市、江口カナメらアイヌの歌人についての論考と、佐佐木信綱、斎藤史、小田観蛍ら和人がアイヌを詠んだ歌に関する論考の両方が載っている。それぞれが有機的につながり、特集全体として話が深まっているように感じた。

オイナカムイ 救主(すくひぬし)なれば ウタリをば 救(すく)はせ給(たま)へ 奇(く)しき能(ちから)に
              バチェラー八重子
熊の肉、俺の血になれ肉になれ赤いフイベに塩つけて食ぶ
              違星北斗
視察者に珍奇の瞳みはらせて「土人学校」に子等は本読む
              森竹竹市
近き日に公園になるアイヌ墓地/朝つゆふめば/心ぬれにし
              江口カナメ

佐佐木信綱と松浦武四郎が知り合いだったことや、斎藤史が川村カ子トについての歌を詠んでいることなど、今回の特集で初めて知ったことも多かった。

この特集には、私も「異民族への「興味・関心」と「蔑視・差別」 近代短歌にとってアイヌとは何だったか」という論考を書いた。

特集名の「アイヌと短歌」は「アイヌ」and「短歌」ということではない。「短歌」を通じて「アイヌ」の歴史や差別の問題について考え、「アイヌ」を通じて「短歌」という日本語表現の性質や制約について考えることだと思う。その両面を意識して書いた。

ぜひとも多くの方に読んでほしい。

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2022年03月12日

特集「アイヌと短歌」

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3月16日発売の「現代短歌」5月号に、「アイヌと短歌」という特集が組まれます。短歌の商業誌に本格的なアイヌの特集が載るのはおそらく初めてで、画期的なことです。

私も原稿用紙50枚を超える評論を書きました。「異民族への「興味・関心」と「蔑視・差別」 近代短歌にとってアイヌとは何だったか」という内容です。多くの方にお読みいただければ嬉しいです。

「現代短歌」は一般の書店にはほとんど並びませんので、下記の取り扱い書店でお買い求めになるか、
http://gendaitanka.jp/bookstore/list.html

または、現代短歌社のオンラインショップをご利用ください。
https://gendaitanka.thebase.in/items/60009566

現在、予約受付中です!

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2022年02月18日

特集「アイヌと短歌」

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隔月刊の短歌雑誌「現代短歌」の次号予告を見ると、5月号(3月16日発売)の特集は「アイヌと短歌」。短歌の商業誌で本格的なアイヌの特集が組まれるのは、私の知る限り初めてのことです。

バチェラー八重子、違星北斗、森竹竹市、江口カナメといったアイヌの歌人が取り上げられているほか、私も「近代短歌にとってアイヌとは何だったか」というテーマで長い評論を書きました。

「現代短歌」は一般の書店にはほとんど並びませんので、下記の取り扱い書店
http://gendaitanka.jp/bookstore/list.html

または、現代短歌社のオンラインショップにてお買い求めください。
http://gendaitanka.jp/magazine/

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2021年08月27日

「みかづきもノート vol.1」

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小田桐夕さんが中心になって行っている「みかづきも読書会」で、私の歌集『紫のひと』を取り上げていただきました。

読書会の記録は「みかづきもノート vol.1」という冊子にまとめられています。第1回(江戸雪『空白』)と第2回(松村正直『紫のひと』)の分が収められていて、本文56ページ。

現在、メンバーの一人である濱松哲朗さんのBOOTHにて販売中です。ご興味のある方は、ぜひお買い求めください。

https://tetsurohamamatsu.booth.pm/items/3196226

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2021年06月19日

「つくば集」創刊号

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筑波大学の学生を中心に活動している「つくば現代短歌会」の機関誌の創刊号。

内容は、ゲストの郡司和斗(かりん)と平出奔(塔)の作品とロングインタビュー、会員の作品(短歌・俳句)、そして会の沿革、会員紹介。全174ページ。

ロングインタビューは全65ページというかなりの分量。連作の作り方についての話が特に興味深かった。

郡司 僕は連作というものが本当に存在するのか疑っている派なので、構成とかテーマとかを最初から決めてそれを浮かび上がらせるように作るというよりかは、できるだけ素でできたものを輝かせたいですね。ただ、どうしてもそれだけでは連作にならなかったりするので、(…)素でぽろっと出てきた良い歌を輝かせるために、歌を探しに行くというようなことはやりますね。
平出 たまに出てくるなんかよくわかんないけどいいねみたいな歌も大切にしたいですね。そういうときに役立つのが、百首会みたいな無茶で(笑)。なぜ百首会のときにつくった5首を軸にしたかというと、百首会のときに生まれる歌って何がいいのかよくわかんない歌が多いと思って。でもすごくいい歌だとも思っていました。

以下、会員の短歌作品から。

あなたはあなたの窓辺に鶸を棲まはせるわたしはそればかり
を見てゐた             橋本牧人
だれしもがいちりんに佇つ曼珠沙華この世に肋骨(あばらぼ
ね)を咲かせて           橋本牧人
優しい声を切り捨てた日に文学はうつ伏せでしかスキャンで
きない               荒木田雪乃
炊飯器の縁に貼りつくものたちは痛い剥がして食べてください
                  小川龍駆
なんとなく出掛けて気づく欲があり欲から遠ざかるための風
                  豊冨瑞歩
ふりかけをかけるのが下手な僕のこと否定しないでおこう春
めく                林さとみ
水道水水道管から絞り出す 「海だった」なんて泣かないで、
朝                 神乃

2018年から活動を続けて、今回が初めての機関誌の発行とのこと。
来年以降も順調に刊行が続きますように!

2021年5月16日、600円。

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2021年05月18日

「短歌研究」5月号の増刷

「短歌研究」5月号が創刊以来90年で初めて増刷になったということで話題を呼んでいる。

https://www.asahi.com/articles/ASP5K541YP5HUCLV002.html?twico

「三〇〇歌人新作作品集」には私の歌も載っているので、基本的にはめでたく、嬉しいことだと思う。でも、ちょっと立ち止まって考えたいことがある。

一つは「初めての増刷」=最大の売上、ではないということだ。記事には「初刷り4千部に500部を増刷した」とあって、そんなに少ない部数なのかと逆に驚いた次第である。年々雑誌の販売数が減っているのは知っていたが、ここまでの落ち込みようだとは思わなかった。

例えば結社誌「塔」でも1300部くらいは刷っているので、その3倍しかないと考えれば総合誌の部数の少なさがわかるだろう。

もう一つは、今回の特集が300名の作品を羅列した(だけの)ものである点である。正直なところ、これで売れるのだったら編集のアイデアなど何も必要ないではないか、との思いが拭えない。

もちろん、喜ぶべきことだとはわかっている。わかってはいるのだけど、このモヤモヤ感はどうしたものだろう。

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2020年12月09日

「現代短歌」2021年1月号

現在発売中の「現代短歌」2020年1月号は、第7回現代短歌社賞の発表号。現代短歌社賞は歌集を出してない方が対象で、未発表・既発表を問わない300首を募集。受賞作は歌集として刊行される。

http://gendaitanka.jp/award/

今回は受賞作の西藤定「蓮池譜」30首抄、次席の田村穂隆「感情の獣たち」30首抄のほか、阿木津英・黒瀬珂瀾・瀬戸夏子・松村正直により選考座談会が37ページにわたって掲載されている。

これだけ選考過程を全部オープンにしている賞も珍しいと思う。応募作の良い点・悪い点だけでなく、現代短歌の様々な問題について4名の選考委員が語り合っているので、ぜひお読みください。

現代短歌社のオンラインショップで購入できるほか、メールや電話で直接取り寄せることもできます。

http://gendaitanka.jp/magazine/2021/01/

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2020年02月10日

「短歌研究」2020年1月号

昨年9月に仙台文学館で行われた小池光と花山多佳子の対談「茂吉短歌・二十首をたっぷり読む」が面白かった。斎藤茂吉の歌を十首ずつ持ち寄って読み解いていくのだが、二人の息がよく合っていて中身の濃い対談になっている。

小池 卵を産むために育てられているめん鶏なんだけどね。めん鶏の雌というイメージと、剃刀研人は男だよね、男女のエロスみたいなのが一瞬ここに溢れてる。ここではっとする。なにかとてもエロチックなイメージでね。「めん」がすごく大事で、下手な人が作ると「鶏」になっちゃう。「めん鶏」だと言うからそこに男女の――そこまで言っちゃうと言いすぎなんだけども――性的な感覚がちらっと背景に存在が見える。そこがこの歌の見どころだと思う。
花山 それは小池説(笑)。
小池 小池説さんだけどさ(笑)。
花山 最近の歌会って、これ、要らないという指摘をしたがる傾向がありますよね。ダブってるとか、無意味に入ってるとか。全然そういうことではないと思うんだけどね。

読んでいて楽しく、もっともっと読みたくなる。

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2020年01月17日

「歌壇」2020年2月号

坂井修一の連載「甦る短歌」は小池光の作品を取り上げている。

坂井は小池の第1歌集『バルサの翼』を読んで、小池が「新しい極を現代短歌にもたらす人として、私には意識されたのだった」と書く。その上で、最新歌集『梨の花』から歌を引きつつ、

私のような読者は、小池光にはこうした歌とは別のものを期待し続けたいという願いがある。それは、同時代を生きる者としての、新鮮な世界観だ。

と記している。

ちょうど先日の名古屋のシンポジウムでも、小池さんの歌についての話が出たところだった。私の意見は坂井さんと近い。『梨の花』の歌の良さを十分に認めつつも、一人の小池ファンとして、もの足りなさも感じるのである。

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2020年01月14日

「穀物」第6号

飲食(おんじき)のため御する火のとりどりに並びて市に湯(タン)を煮る鍋
                    小原奈実

市場でスープを煮ている場面。「湯(タン)」という表記だけで海外だとわかるところがいい。活気溢れる市場の様子が見えてくる。

春雷は鏡の谷にひらめくをわが引く藍いろのアイライン
                    川野芽生

「鏡の谷」は三面鏡のことだろう。「藍いろ」と「アイライン」の響き合いと句跨りの味わい。「ひらめくを」の「を」が効いている。

こころは声にこゑは夜霧にながれつつなぐさめてくれなくていいから
                    濱松哲朗

三句以下「ながれつつ/なぐさめてくれ/なくていいから」と「な」の音でつながっていく。相手からの慰めを欲しつつも拒絶する感じ。

水草の眠りのやうに息をするあなたの土踏まずがあたらしい
                    濱松哲朗

「土踏まず」は普段はあまり他人に見せることのない部位。安らかな寝息を立てて眠る相手の土踏まずを、新鮮な思いで見つめている。

「残酷なことをしていた」そうなのか残酷だったのか今までは
                    廣野翔一

恋人から別れを切り出された場面。一緒に楽しく過ごした時間を「残酷」だったと言われたことが胸に痛い。呆然とした思いが伝わる。

皿を置くときみは煙草をやめていた秋にしばらくそのままの皿
                    山階 基

灰皿と言わずに「皿」と言ったのがいい。「きみ」がもう煙草は吸わなくなっていたことを知らなかったのだ。そのちょっとした寂しさ。

山階基歌集『風にあたる』の特集が組まれていて、川野芽生「あともどりできない歌―『風にあたる』の中に流れる時間」が良かった。

山階基の歌は、読みやすいようでいて、時制や文体にどこか不思議な屈折を感じるものが多い。
山階の歌には、だらだらと経過していきながら決してあともどりできない時間が内包されている。

どちらも的確な分析だと思う。

2019年11月24日、400円。

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2020年01月04日

「かりん」2020年1月号

時評に遠藤由季さんが、歌集・歌書の書評について書いている。

毎月の総合誌に掲載されている書評を読むとき、気になることがある。ほぼ女性の著書は女性、男性の著書は男性が書いており、かつ世代の近い人が選ばれている。
一冊の歌集・歌書の書評が総合誌に載るのは同時期になりやすい。そのとき、同性・同時代の読み手による書評ばかりが偏って掲載されてしまうのはどうか。もっと多岐な視点から一つの書物を評することはできないか。

この意見に、全面的に賛成する。

これは歌壇の無意味な慣習でしかなく、一刻も早くあらためるべきだと思う。

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2019年12月19日

「ひとまる2」

平成10年生まれのメンバーによる短歌同人誌。

電話でも風が強いね なれるなら君にとっての船とか樹とか
                    石井大成

電話の向こうから風の音がして相手の心細さが伝わってくる。一字空けの後の「なれるなら」がいい。君の力になりたいという強い思い。

さみしいは寒さのそくど立ち漕ぎで坂を下れば月は遠のく
                    今村亜衣莉

「さみしいは寒さのそくど」に強引な説得力がある。さみしさを振り切るように、寒い夜道を自転車でスピードを出して走っていく。

裏向きに売らるる柿に折り紙のような折り目の幾筋かあり
                    狩峰隆希

蔕を下にして並んでいる柿の実。四角っぽい実に対角線のように入った筋を「折り紙のような折り目」と喩えたのが秀逸。美味しそうだ。

OSの更新未了の三歳が「さんしゃい」と言う二本の指で
保育士の「おやすみなさい」に潜みたる命令形の影濃かりけり
五時〇一分これはサービス残業のたかいたかいでさよならをする                   久永草太

保育園を舞台にした連作。1首目、口では三歳と言っているのに、指はまだ二歳の時のまま。2首目、言われてみれば確かに命令形だ。園児におとなしく昼寝してもらわないと保育士は困る。3首目、就業時間は五時までだが、子ども相手なのできっかりには終われない。

2019年11月24日。

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2019年12月15日

「プチ★モンド」第107号

全80ページのうち評論や連載などの散文が約30ページと充実している。

松平盟子「前髪を上げなかった陽子へ」(4ページ)は、没後20年を迎える永井陽子の思い出を記したもの。

四十八歳のその死は、もちろん大きな驚きではあったが、永井の場合、残念さはともかく、自死は不自然でも不思議でもないと身近な人たちの多くは感じたのではないか。私もたぶんその一人だった。
私たちは性格も歌風も異なり、相互に刺激し合いながら、どこか微妙に噛み合わないものを感じ取っていたと思う。
永井陽子は生涯まぶたを覆うほど前髪を伸ばしていた。前髪のすぐ下の両目は細く、人を直視しないで話をした。笑うときは口をあまり開けず「ククッ」と声を押し出した。

島崎藤村の「初恋」に「まだあげ初めし前髪の」というフレーズがあるように、かつては「前髪を上げる」=「大人の女性になる」という意味を持っていた。「前髪を上げなかった陽子」という言い方には、少女性を失わなかった永井に対する松平の複雑な思いが滲んでいるのだろう。

2019年12月1日、1500円。

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2019年11月23日

「六花」VOL.4

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テーマは「詩歌と出会う」。A5判88ページ。

歌人や俳人など28名が文章を寄せている。皆さん自由に、気楽に、好き好きに書いているのがいい。

上村典子「無垢の白の箱と青鉛筆」には、石橋秀野の有名な句「蟬時雨子は担送車に追ひつけず」についての娘の言葉が引かれている。

著者安見子によれば(『石橋秀野の一〇〇句を読む〜俳句と生涯』飯塚書店)、「担送車の上で手にした句帖に、青鉛筆で走り書き」されたという。

実際に担送車の上で書いたとの証言に慄然とする。鬼気迫る光景だ。

小田部雅子「少年農民大関松三郎」は、かつて小学校の国語の教科書に載っていた「山芋」「虫けら」の少年詩人の話。懐かしい。

松三郎は、貧しい農家の三男ゆえ農は継げず、高等科卒業後は鉄道学校に進み、昭和十九年、海軍通信隊として乗っていた輸送船が攻撃を受け、南シナ海で戦死した。十八歳だった。

ああ、そうだったのかと思う。何となく少年のままのイメージがあるのは十八歳で亡くなっていたからだったのか。

戦後、松三郎の詩をまとめて出版したのは、担任だった寒川道夫。Wikipediaの寒川の項目には「詩集『山芋』の〈作者〉の大関松三郎を指導した」とある。〈作者〉と〈 〉付きになっているところに、微妙な問題が潜んでいる。

佐川俊彦「藤原さんの「黄昏詞華館」」には、ワセダミステリクラブ時代の藤原龍一郎の思い出が記されている。

もう一人、ワセミスには謎の先輩、氷神さんもいて、ドラキュラのマントと牙の入れ歯のコスプレ姿で、モンシェリにやって来たりしていました。氷神さんと藤原さんと僕だと、マンガの話をしていたように記憶しています。

「氷神さん」(氷神琴支郎)=仙波龍英の学生時代の姿である。

2019年12月5日、700円。

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2019年10月30日

田中道孝「季の風」50首

第65回角川短歌賞受賞作品。

花水木に顔を撫でられ組み上げる丸太足場に白い陽が差す
仮囲いも足場もこえて飛んでくる野球のボール投げかえす夏
昼寝するわれのためにと風をつれ紋白蝶は地下足袋のさき
目覚むればこの世の駅についていて初老の顔が窓にうつりぬ
型枠を奥歯の力で引き上げる冷たい風に大声だして

建設現場で働く様子などを詠んだ50首。
季節が春、夏、秋、冬と移っていく。「花水木」「野球のボール」「紋白蝶」などが現場の作業の歌の中に入ってくるのがいい。

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2019年09月14日

「岡大短歌」7号

八首連作×10名、一首評×5篇、二十首連作×3名、三十首連作×1名、往復書簡(15首×2名)×2篇という内容。全62ページ。ゲストは魚谷真梨子、魚村晋太郎。

 山笑う、とさいしょに喩えた人がいてその生涯で出遭うほほえみ
                        加瀬はる

「山笑う」は芽吹き始めた山の様子を表す春の季語。「笑う」という言葉で大胆に捉えることで、同じ山の姿がそれまでとは違ったものに見えてくる。

 あなたは海を例えない 言葉ではなくきらめきで理解する人
                        大壺こみち

海の魅力を言葉で説明したり何かに喩えたりするのではなく、そのまま感受するということだろう。言葉にすることで失われてしまうものがある。

 助手席にゆきのねむたさ こんなにもとおくの町で白菜を買う
                        長谷川麟

助手席に乗っていると雪が融けるように眠くなるという感じか。「ゆき」と「白菜」の白さの重なり。ひらがなの多用が間延びしたような気分を伝える。

 地図に載らない小さな並木のようだった愛した時間はひどくみじ
 かい                    加瀬はる

恋人と付き合っていた時期を振り返っての感慨だろう。「小さな並木」という比喩がよく、季節の移り変わりや二人の気持ちの変化が感じられる。

 隣人の水音がしてなんとなく今はシャワーはやめにしておく
                        水瀬惠子

アパートの隣りの部屋から水を使う音が聞こえる。何の問題もないのだが、人の気配が感じられる気がして、シャワーを使うのをためらってしまう。

2019年7月15日、400円。

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2019年05月22日

「短歌研究」2019年6月号

現代代表男性歌人130人作品集に、奥田亡羊さんが「樺太」と題する7首を寄せている。

 北の果てにさらに北して船出する石榑千亦五十九歳
 心の花昭和三年十一月号にうねりて光る樺太の河
 風景の記憶となりて歌にあり露人の庭に咲く秋の花

エッセイには拙著『樺太を訪れた歌人たち』を読んだことが書かれていて、有難かった。石榑は奥田さんにとって「心の花」の遠い先輩に当たる。

「心の花」昭和3年11月号掲載の石榑千亦「樺太にて」114首は、とても意欲的な一連だ。

   露人の家
 丸木つみ重ねたてたる家にのこりゐる露人のさだめ思へば悲し
 帰るべき国もなけれか草花をうゑはやしたり家のまはりに
 ひとの国と今はなりつれのこりゐて花などうゝるかなしき心
 花をうゑて涙つちかふ親の心しるには未だ幼き子なり

1905年のポーツマス条約によって南樺太が日本領になった後も、北樺太やロシア本土に引き揚げずに残ったロシア人=「残留ロシア人」を詠んだ歌である。

今から90年以上前の歌であるが、こうした悲哀は世界中のあちこちにあったし、今現在もある。あるいは、例えば北方領土問題を考える際にも関わってくる話である。島がもし日本に返還された場合、そこに住むロシアの人たちをどうするのか。そうした点も意識しておく必要があるだろう。

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2019年05月04日

「梁」96号

九州在住の歌人を中心とした同人誌。全136ページ。
29名の作品15首のほか、評論やエッセイなどの散文が充実している。

・島内景二「小野葉桜を読む―現代人へのメッセージ―」
・中村佳文「牧水の耳―渓の響き「日の光きこゆ」「鳥よなほ啼け」」
・生田亜々子「変身の刻〜石牟礼道子の短歌研究五十首〜」
・山田利博「三種の歌・夕顔の和歌―源氏物語と和歌第二十三回」
・渡邊 円「聖書とともに読む大口玲子(下)」
・吉川良登「写真短歌の魅力と作法に関する一考察」

評論は6篇。これだけ評論が載っている短歌誌はあまり見ない。

生田亜々子の評論は、作家石牟礼道子の文学的な出発となった短歌研究五十首の入選作「変身の刻」(昭和31年9月号)を取り上げて論じたもの。

よく「短歌研究五十首詠」「短歌研究新人詠」などと言われるが、当時の誌面ではどこにも「詠」がついていないので、今回は「短歌研究五十首」とする。

細かな話ではあるけれど大事なところだろう。これだけでも、信頼できる書き手であることがわかる。

雪の夜なれば乾きゆく皮膚をもつ、傷(やぶ)れつゞけしにんげんの裔
扉にてもつれしわれを抜けしとき風がもちゆきしごとき分身

生田は誌面に掲載された全14首を読み解いた上で、『苦海浄土』などの作品に見られる「石牟礼独自の最大の特徴とも言える筆致と同じものがこの短歌研究五十首入選作からもすでに読み取れる」と記す。

ちょうど「塔」4月号の65周年記念評論賞でも、「石牟礼道子『錬成所日記』の第二次世界大戦終戦前後の短歌を考察する」(河原篤子)という応募作を読んだところだったので、石牟礼と短歌の関わりに興味を覚えた。

2019年5月1日、現代短歌・南の会、1500円。

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2019年02月25日

「角川短歌」2019年3月号


座談会「歌壇・結社のこれからを考える」が面白かった。

参加者は梅内美華子・生沼義朗・澤村斉美・小島なお・寺井龍哉の5名。
皆さんかなり率直に突っ込んだ意見を述べ合っていて、中身が濃い。

寺井 結社に入った場合の負担と恩恵を天秤にかける意識はすごくあると思う。結社に入っていろんな人間関係ができて、いろんな歌が読めるようになるということと、でもお金もかかるし、時間も取られるし、作業もしなければいけないということ。その天秤で揺れて、結社に入らない選択をする人はすごく多いんじゃないかと思います。
寺井 (・・・)定期的に選を受けて、どれが落ちてどれが載ったかという判断を基に勉強するということは求めていないんじゃないかという気はします。でもそもそも、選を受けて腕を磨くという、段階的・歌学的なコースみたいなものが今後の短歌の世界も有効かどうかは大いに疑問だと思います。

こうしたテーマの座談会は「やっぱり結社はいいよね!」といった結論になりがちなのだが、今回は結社に入っていない寺井さんが参加したこともあって、かなり開かれた議論になっているように感じた。

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2019年02月10日

「too late」1号

「未来」の大辻隆弘選歌欄「夏韻集」所属の3名(門脇篤史・道券はな・森本直樹)による同人誌。他に、御殿山みなみ・染野太朗・谷とも子がゲストとして参加している。

 甘鯛のアラのパックを選びをり雨に濡れたる髪を冷やして
 故郷から届く馬鈴薯いくつかは鍬の刺さりし跡を残して
                         門脇篤史

1首目、スーパーで買物をしている場面。「甘鯛」「アラ」「雨」の「あ」音がリズムを作っている。生鮮食品売場の冷気に髪が冷えてゆく。
2首目、下句がいい。土から掘り起こす時に鍬が刺さってしまったのだ。おそらくこうした馬鈴薯は市場には出ずに自家消費されるのだろう。

 また傘がないと気がつく 鱗のように剝がれる雪のさなかに立って
 踏みしめた木の実にひびが入るとき膝にさびしいひかりがよぎる
                         道券はな

1首目、もともと持って来なかったのか、どこかに置き忘れたのか、ともかく傘がない。「鱗のように剝がれる」という比喩が秀逸。
2首目、感触や音ではなく「ひかり」と表現したところがいい。木の実に罅が入るのと同時に自分の膝にも光の罅が入るような感覚だろう。

 どうしても食べたい物のイメージがわかずに歩く惣菜売り場
 半分に折ったパスタを茹ででいる小鍋の隅に欠片が浮かぶ
                         森本直樹

1首目、目当ての物を買おうとしてではなく、何か食べたい物を探し回っている時のあてどない感じ。武田百合子の枇杷の話を思い出す。
2首目、大きな鍋が家になくて小鍋に入る大きさにパスタを折っている。うまく割れなかった欠片が浮かんでいるところに侘しさを感じる。

 娘さんいくつになつたと訊いてみる冬のはじめのあたたかい日に
                         谷とも子

何の説明もない歌だが、相手との関係性がほのかに浮かび上がってくる気がする。かつて付き合っていた男性と久しぶりに会った場面か。

2019年1月20日、400円。

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2019年02月02日

「遠泳」 創刊号


笠木拓、北村早紀、佐伯紺、坂井ユリ、榊原紘、中澤詩風、松尾唯花の7名による短歌同人誌。

 ストロベリー・フェアのメニューを卓に伏せ鈍くあかるい雲を仰いだ
                         笠木 拓

早春のファミレスを思い浮かべて読んだ。苺がたくさん載ったメニューの明るさと窓の外に広がる曇り空。微妙な感情の起伏が感じられる一首。

 中庭に降り来ることしはじめての雪を巣箱のように見ていた
                         笠木 拓

「巣箱のように」という比喩がおもしろい。巣箱の暗い穴から外を覗いている感じだろうか。「中庭」という限定された空間も「巣箱」と響き合う。

 裸でいる方がきゅうくつ湯船では三角座りで首まで浸かる
                         北村早紀

服を着ている時の方が気が楽で、裸になると心細いような不安を覚えるのだろう。湯船の中で自分の膝を抱えるようにして、その不安を鎮めている。

 どの光とどの雷鳴が対だろう手をつなぐってすごいことでは
                         佐伯 紺

雷との距離にもよるが、稲妻(光)と雷鳴(音)は数秒〜十数秒ずれる。上句の雷の話から下句の相聞的な「手をつなぐ」話への展開がいい。

 煮魚のめだま吐き出すその舌が濡れおり夜の定食屋にて
                         坂井ユリ

目玉の周りのゼラチン質の部分を舐めて、目玉本体は吐き出したのだ。脂で濡れた舌や唇がぬめって光る様子が見えてくるようで生々しい。

 生活に初めて長い坂があり靴底はそれらしく削れる
                         榊原 紘

転居して新しい町に住み始めたのだろう。暮らしの中に「長い坂」があって、毎日それを上ったり下ったりすることが新鮮に感じられるのだ。

 硝子戸の桟に古びた歯ブラシを滑らせ春の船跡のよう
                         榊原 紘

古い歯ブラシを使って硝子戸の桟の汚れを擦り取るのだが、それを「船跡」に見立てたのがおもしろい。「春の」とあって、気分まで明るくなる。

 人ひとり無きというその明るさを灯していたり夜の食堂
                         坂井ユリ

学校や寮などの「食堂」を思い浮かべた。誰もいない広々とした空間に電気だけが灯っている。無人であるゆえに一層その明るさが目に付く。

 ティンパニにひらたき蓋をかぶせつつ盆地を籠める靄をおもえり
                         笠木 拓

皮の部分が傷まないように保護する蓋があるのだろう。楽器の形状と蓋をする動作から盆地に立ち込める靄をイメージしたところが美しい。

2019年1月20日、500円。

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2018年12月24日

「角川短歌年鑑」2019年版


島田修三・川野里子・大松達知・川野芽生・阿波野巧也の5名による座談会「生きづらさと短歌」を読む。率直な意見が交わされていて面白い。

印象に残った部分を引く。

阿波野 正直、近年の生きづらさについて話すことに僕はあまり気が乗らない、というか、ここに集まっている人たちって、いわゆるインテリ層なわけですよね。
大松 人間は選択肢があるのはじつはすごいストレスなんですよね。だから、スティーブ・ジョブズはそのストレスを感じなくて済むように毎日同じ服を着ていたと聞きます。
島田 社会への悪意だよね。
川野芽 というより、社会の悪意ですね。人間を社会にとって「有用」か「無用」かという尺度で選別しようという、社会に蔓延する圧力が噴出して、実際に人間に刃を向けた事件だと思いました。
川野里 「生きづらさ」はテーマとして大事だけど、注意深く取り組まないと個別の生がそこに埋もれてしまう、それも怖い。

そもそものテーマ設定に対しては疑問があるのだが、話の中身は深い。

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2018年12月19日

「短歌ホリック」第3号

 あのあたりを歩ける気がする冬の雲の上から冬の雲を見てゐる
                       荻原裕幸

「「飛ぶ」などの動詞や飛ぶものの名詞(蝶や鳥など)が使われていない〈飛んでいる感じ〉のある歌」という難しい題を実に鮮やかにクリアしている。飛行機の窓から見える雲の絨毯。

 打ち合わせ果てたるのちの雑談を映す壁紙 森、フィンランド
                       辻 聡之

打ち合わせが終って気分がほぐれている感じ。それまで意識していなかった壁紙の柄が目に入る。「森、フィンランド」が遠い世界へ誘うようだ。

 口付けの場面はカメラ越しに見るしかも他人のiPhone越しに
                       廣野翔一

友人の結婚式の大事なワンシーンをレンズ越しに見ている不思議。写真係という役回りをしている自分に対するやや自嘲的な視線も感じられる。

 海老の背を切り開いてる キッチンを出ていくための扉はひとつ
                       岩田あを

「切り開いてる」と「扉」のイメージがかすかに重なり合う。閉じ込められているような閉塞感や自分の背中を切られているような痛みを感じた。

 沈黙がこわくて牛のべろを焼く未来がこわくてレモンを絞る
                       谷川電話

焼肉屋で誰かと牛タンを食べているところ。「沈黙がこわくて」「未来がこわくて」と畳み掛けるように2回繰り返される理由付けが印象的だ。

 やみくもに色を重ねているような五月の川のひかりっぱなし
                       土岐友浩

結句「ひかりっぱなし」がおもしろい。「五月の川のひかり」までは「ひかり」を名詞だと思って読むのだが、実は動詞「ひかる」の連用形なのだ。

 ほんの数分おにぎりが入っていただけのコンビニの袋平気で捨てる
                       戸田響子

コンビニで買って食べるまでの数分間しか使われなかったレジ袋。「平気で」と書くことによって、かすかなためらいがあることを滲ませている。

 「台風で閉園です」の看板と並んで写真を撮る しょうがない
                       山川 藍

まだ台風は来てないのに一日閉園に決まったのだ。残念な気分を抑えてツイッターなどに載せるための写真を撮る。結句「しょうがない」が山川流。

2018年11月25日、500円。

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2018年12月17日

「短歌往来」2019年1月号

島津忠夫編「永井陽子未発表稿・他」としてエッセイ3篇が掲載されている。

それぞれ、愛知県立女子短期大学文芸同好会機関誌「轍」の2号と6号、愛知学生文学サークル協議会機関誌「ひろば」5号に掲載されたものとのこと。掲載の経緯については編集後記に「数年前に島津忠夫氏から届けられた手紙にあったもので、及川が机の片隅に置きっぱなしになっていたものを掲載しました」と記されている。

「轍」や「ひろば」は一般には入手が難しいので「未発表稿」という扱いになったのだろう。けれども、実はこのうちの1篇「現代短歌に何を求めるか」は、「塔」1972年2月号に載った文章である。

以前、このブログでも紹介したことがある。
http://matsutanka.seesaa.net/article/387138482.html

「現代短歌に何を求めるか」という題は、「塔」1972年2月号から数か月にわたって続いた企画のタイトルなので、もともと「塔」に書いた原稿を「ひろば」にも載せたという事情なのだろう。

いずれにせよ「未発表稿」でないことだけは確かである。


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2018年12月04日

「穀物」第5号

 包みハンバーグの銀河を切り開く婚約中の女ともだち
                      狩野悠佳子

アルミホイルを切り開くとハンバーグの湯気が立ち上がる。銀色から「銀河」をイメージしたのと、「包み」と「婚約中」がどことなく響き合うところがいい。

 植物になるなら何に? ばらが好きだけど咲くのは苦しさうだな
                      川野芽生

薔薇の花の幾重にも重なり合う花びらは、確かに「苦しさう」という感じがする。単に見ている分には美しいのだけれど。

 人のをらぬ街へ帰れば街ぢゆうの涸れざるままの湧き水に逢ふ
 をとこみなをとこのこゑになりゆくをかつて屠(し)めたる鶏の爪痕
 大合併の前年に編まるる町史にて大火の夜は頁を跨ぐ
                      濱松哲朗

「翅ある人の音楽」40首。力のある連作で、今回最も注目した。
自らの過去の記憶をたどる旅のなかに、ところどころ他者からの批判や侮蔑の言葉がカタカナ書きで挟み込まれる。

一首目、廃墟となった故郷の風景。ただし、現実の故郷ではなくイメージとしての故郷を造形しているのであろう。
二首目、「男ノクセニ、女ミタイナ声ヲ出シヤガツテ。」という言葉もある。思春期に声変わりする男たちとは異なる存在としての自分。声は身体の一部であるから、他人が軽々しく何か言うべきことではない。
三首目、大火に関する記述が長く続く。面白いのは、写実的な文体でありながら内容はおそらくイメージであるところ。こうした方向性の歌にはとても可能性を感じる。

 「なごり雪」を知らない人と歩いてる雪にさわれる連絡通路
                      廣野翔一

1974年発表のイルカの大ヒット曲「なごり雪」。雪を見て「なごり雪」を思い浮かべる作者とその曲を知らない相手。世代や育った環境の違いがこんなところに表れる。

 銀紙のちぎれた端を口にしてからすにも立ち尽くすことあり
                      山階 基

道端で食べ物を漁っているところか。黒い嘴からのぞく銀紙が鮮やかだ。しばらくじっと動かずに、呆然としているようなカラスの姿。

2018年11月25日、400円。

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2018年11月14日

「現代短歌」2018年12月号

第6回現代短歌社賞が発表になっている。
門脇篤史「風に舞ふ付箋紙」300首。

 ハムからハムをめくり取るときひんやりと肉の離るる音ぞ聞ゆる
 牛乳に浸すレバーのくれなゐが広がるゆふべ 目を閉ぢてゐる
 子を成すを恐るる我と恐るるに倦みたる妻と窓辺にゐたり

堅実な詠みぶりの力ある作者で、今後が楽しみだ。

選考委員4名(阿木津英・黒瀬珂瀾・瀬戸夏子・松村正直)による座談会も29ページにわたって掲載されている。ふつうは座談会を行っても誌面に載るのは半分か3分の1くらいの分量になるのだが、これは当日の話のほぼすべてが載っている。

ところどころ緊迫した(?)やり取りもあるので、皆さんぜひお読みください。

なお、第7回現代短歌社賞の募集も始まっています。
歌集未収録作品300首(未・既発表不問)。
締切は来年7月31日。

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2018年10月26日

「角川短歌」2018年11月号


「角川短歌」11月号から、「啄木ごっこ」という連載を始めました。
石川啄木の生涯をたどりながら、その作品の魅力に迫っていきたいと
思っています。毎号4ページ(初回のみ5ページ)×3年間の連載と
なる予定。どんな内容になっていくのか、自分でも楽しみです。

http://www.kadokawa-zaidan.or.jp/tanka/

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2018年09月19日

「レ・パピエ・シアン2」2018年9月号


特集は「穂村弘を読む」。
大辻隆弘の「東京から来た転校生」がおもしろい。傑作。

穂村弘の印象を昭和45年の三重県の小学校に東京からやって来た転校生に喩えて、新歌集『水中翼船炎上中』を論じている。穂村や東京に対する大辻の思いが、驚くほど率直に記されていて胸を打たれる。

これは「レ・パピエ・シアン2」という大辻のホームグラウンドのような同人誌だからこそ書けた文章かもしれない。のびのび書いていて、読み物としても批評としてもすこぶる面白い。

穂村や東京に対する「劣等感」や「コンプレックス」を隠さないのは、反対にそれだけの確かな自信を今の大辻が持っているということでもあるのだろう。

文中に出てくる2000年の熊本のシンポジウムは私も聞きに行った。当時は大分に住んでいて、高速バスで熊本まで往復したのだった。あれから18年も経ったのか。

穂村さんの新歌集『水中翼船炎上中』は、彼がデビュー以来、一貫して否定してきた近代短歌のルールを、部分的に取り入れた歌集である。

こうした大辻の分析に私も共感しつつ、本当にそう言ってしまって良いのかという迷いもある。「未来」9月号の時評で高島裕は、この歌集がこれまでの穂村の歌集とは大きく異なっている点を述べた上で

しかしそこに穂村の「転向」を見ようとするのは早計である。

と書いている。このあたり、まだまだ議論になる部分だろうと思う。

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2018年08月30日

「角川短歌」2018年9月号

荻原裕幸の歌壇時評を読んで、強い引っ掛かりを覚えた。

この歌壇時評では、歌集を直に扱うのはやめておこうと考えていた。と言うのは、私のように、歌壇配慮的な発想を嫌いながらも避け切れない者は、扱う歌集の取捨や選択のバランスを考えるだけで、かなり疲弊してしまうし、書けば書くほど総花的になり、ゆとりがあるはずの紙幅をほぼ費やしてしまうからである。人目など気にせずに本音で書くしかない、とは思うのだけれど、自分自身が意のままにならないもどかしさがある。ただ、そうは言うものの、先月、加藤治郎の新歌集を読んで、反射的につい書いてしまった。しかも、これから書こうとしているのは、加藤のそれと同時期に刊行された、穂村弘の新歌集『水中翼船炎上中』(講談社)についてなのである。お察しいただけるかとは思うけれど、この二人は、私にとって、たぶん特別な存在なのである。

何なんだろう、この言い訳がましい文章は。
ちょっと驚いてしまう。

加藤治郎の歌集も穂村弘の歌集もそれぞれ評判になった本で、時評で取り上げること自体には何の異論もない。ただ、この書き方はどうなんだ。

「お察しいただけるかとは思うけれど」って、一体読者に何を察しろと言うんだろう。歌集は取り上げないと決めていたけれど、この二人は私の特別なお友達だから取り上げるよっていうこと?

何だか非常に嫌なものを読まされてしまった。
この14行分は全部カットした方が良かったと思う。
(それ以外の部分は面白かったのだが)

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2018年08月09日

「岡大短歌6」

岡山大学短歌会の短歌誌。

8首連作×12名、一首評×6名、書評×2名、20首連作×5名、16首連作×3名+評、特別寄稿8首×3名(荻原裕幸、中津昌子、松村正直)という充実した内容。全72ページ。

境界を越えようとして石化した生きものだろうテトラポッドは
                     青木千夏
泣けばいいのに泣かないからよ 妹はパン生地をこねながら笑った
                     川上まなみ
論理学受けつつ二つ隣には、眠れる森の(おそらくは)美女
                     平尾周汰
遊び方のわからぬ遊具のようにあるあなたの鎖骨のカーブにふれる
                     加瀬はる
ベランダで風化しそうな空き缶の来世のために入れる吸殻
                     水嶋晴菜
この長いシャッター街を一度だけ君の恋人みたいにゆくよ
                     長谷川麟
揺れながら咲く菊花茶のそのようにすこし困ってあなたが笑う
                     加瀬はる
これまでの旅の話をするようにヴィオラの調弦低く始まる
                     川上まなみ
義務みたいにいつも待たせたラクダ科の睫毛をもったしずかなひとを
                     白水裕子
今日はごめんと言われるなにがごめんだかわからないまま頷いてい
る                    白水裕子

1首目、海から陸に上がろうとして固まってしまったという見立て。「テトラポッド」は四本の足という意味なので、「越えようとして」とうまくつながる。
2首目、姉妹の性格の違いがよく出ている。泣くのを我慢してうまく行かなくなってしまうこともある。
3首目、大学の講義を受けている場面。机に伏せっていて顔がはっきりとは見えないが「おそらくは美女」、ということだろう。
4首目、上句の比喩が独特でおもしろい。そう言えば、鎖骨は目立つけれど何のためにあるのかよくわからない。
5首目、缶としての役割を終えた「空き缶」が、吸殻を入れることで吸殻入れに生まれ変わる。
6首目、「みたいに」なので、本当の恋人ではない。でも、たまたま二人で並んで歩く機会があったのだ。その喜び。
7首目、上句の比喩がいい。菊の花がお湯の中でほどけて開いていく様子で、相手の微妙な笑顔を喩えている。
8首目、ぽつりぽつりと話を始めるような感じで調弦しているのだろう。ヴィオラが長い旅をしてきたようにも読める。
9首目、「ラクダ科」とあるので、おとなしく優しい性格の相手。これまでデートのたびに毎回遅れことを後悔している。
10首目、おそらく今日の何か一つの出来事についてではないのだ。二人の関係のすれ違いが背後に滲んでいる。

「岡大短歌6」はネット通販もしているようです。
http://oakatan2012.blog.fc2.com/blog-entry-93.html

2018年6月28日、400円。


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2018年07月09日

「Sister On a Water」第1号

喜多昭夫さん編集発行の雑誌の創刊号。
特集は「服部真里子」。

新作20首「花野まで」、エッセイ「道をそれて」、『行け広野へと』30首選、『行け広野へと』以降30首選、歌人論、1首鑑賞、フォトギャラリー、インタビュー、年譜といった充実した内容となっている。

 でも冬は勇気のように来る季節迎えに行くよまぶしい駅へ
 夜の底には精製糖が溜まるから見ていよう 目を閉じても見える
                   「花野まで」
 音もなく道に降る雪眼窩とは神の親指の痕だというね
                   『行け広野へと』
 死者の口座に今宵きらめきつつ落ちる半年分の預金利息よ
                   『行け広野へと』 以降

エッセイは3年前に亡くなった父の話。

 父はどうだったのだろう。道をそれた先に、「乳と蜜の流れる土地」はあったのだろうか。家族という組織は、その構成員だった私は、「乳と蜜のある土地」へ、父を導くことはできたのだろうか。

このあたり、自分の育った家族のことが頭をよぎってグッと来る。
これは、永遠に答の出ない問いのような気がする。

大森静佳さんの歌人論「信じようとすること―『行け広野へと』の不安と意志」の中の初句切れについての分析も良かった。

初句切れというのはある意味で何かを信じる気持ちの強さと関係がありそうだ。迷いや逡巡は初句切れの歌を生まない。あるいは心の奥に迷いがあっても、それを勢いよく捨て去ろうとする意志の力。

なるほど、確かにそうかもしれない。

2018年6月1日、500円。

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2018年06月20日

山下翔「meal」


書き下ろしの「焼肉」55首と「カレーライス」15首、さらに「自選二〇首」を載せた個人誌。

カーテンは裾のはうから膨らんですぐまたかへす吸はるるごとく
シャワー室にスクワットするわが姿大き鏡のなかを上下す
球場のはたをとほればかけ声は端然としてわれを歩ます
目覚めたら音で雨だとわかるのにカーテンを開けて窓まで開ける
ルーだけを先に食べ切りうつすらとカレーの香まとふ白米ぞよき
鹿は秋、つてみなは言ふけどあなたとは――長く連絡を取つてゐない

1首目、結句「吸はるるごとく」がいい。窓枠に吸い付く感じ。
2首目、こうした場面を詠んだ歌はあまり見たことがない。ただごと歌っぽさもある一方で、妙になまなましい。
3首目、自分とは関係のない掛け声に励まされるような気分だろう。
4首目、音だけでなくやはり目で確認したいという思い。雨の降る外の風景も見えてくる。
5首目、カレーライスを食べる際は配分に要注意。でも残ったご飯はご飯でうまい。
6首目、「鹿」は秋の季語。牡鹿が牝鹿を呼ぶ鳴き声に由来するので、三句以下とつながる。

2018年6月9日、200円。

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2018年06月16日

「夏暦」四十八号


王紅花さん発行の「夏暦(かれき)」48号には、夫・松平修文さんへの挽歌が載っている。

 仏壇の何処のものとも知れぬ鍵置かれたり永久(とは)に知られぬならむ
 健康な身体で動くはこんなにも簡単で駐車場へと向かふ
 夫死にて時間があれば公園の老人グループの辺(へ)に缶ジュース飲む
 末期(まつご)の苦しみにゐるあなたに愛すると言つてほしかつたなんてわたくし

1首目、どこの鍵だかわからない鍵が残されている寂しさ。
2首目、かつて病気の人を伴って歩いた時は大変だったのだろう。
3首目、ぽっかりと空いてしまった時間をぼんやりと過ごしている。
4首目、病気に苦しむ夫とともにいる作者にも長い苦しみがあったのだ。

夫との最後の日々を振り返って、王さんは次のように書く。

今の私には分からない。夫との最後の別れ方がどうだったのか。あれで良かったのか悪かったのか。その問いが今も私を苦しめる。泣きすがったら二人共思いが晴らせたのではないか。しかし今となっては、こうだった、という事実が厳然とあるばかりだ。そして私は、「言葉で言わなくても分かっているでしょう」と夫が思っていたと、信じる。

どこにも正解はない話だ。
でも、最後の「信じる」という一語にこめられた思いの強さに、深く共感する。

2018年5月25日、500円。

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2018年03月05日

「角川短歌」 2018年3月号


佐藤通雅さんの歌壇時評に『風のおとうと』のことを取り上げていただいた。タイトルは「肉と人の問題」。歌集に収めた「肉と人」9首、「肉と人、ふたたび」5首について論じたものである。

作品の出来はともかくとして、このテーマに私が強いこだわりを持っているのは確かだ。私は選歌で落とされた歌は基本的に歌集には入れないのだけれど、「肉と人」(「塔」2014年4月号初出)は例外で、落ちた歌も入れている。思い入れの強さゆえである。

実はこのテーマについてはその後も歌に詠んでいて、

 ・肉と人(「現代短歌」2015年1月号)13首
 ・肉について(「現代短歌」2015年10月号)20首

と続いていく。興味のある方は、あわせてお読みください。

posted by 松村正直 at 07:41| Comment(0) | 短歌誌・同人誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする