2026年07月23日

『絵で見る明治の東京』と啄木

穂積和夫『絵で見る明治の東京』
https://matsutanka.seesaa.net/article/521150355.html

この本は明治時代の東京について書かれているので、明治41年〜45年に東京に住んだ啄木の歌を理解する上でも役に立つ。

彼ら(官員)は庶民を威圧するような立派な髭を生やしていたので、通称「なまず」とかげ口をたたかれていた。下っぱの役人は「どじょう」といわれた。髭も西洋人をまねた新しい風俗で、江戸時代には一部をのぞいて禁止されていたのである。

わが髭の
下向く癖がいきどほろし
このごろ憎き男に似たれば/『一握の砂』

新聞社も一流になると銀座通りなどに堂々とした洋風の社屋をかまえた。記事を書く新聞記者も、新しい職業として時代の花形だった。

春の雪
銀座の裏の三階の煉瓦造に
やはらかに降る/『一握の砂』

明治二十三年(一八九〇)十一月、浅草奥山に十二階建ての高塔が出現して市民のど肝を抜いた。これが凌雲閣、俗に十二階と呼ばれた建物である。

浅草の凌雲閣のいただきに
腕組みし日の
長き日記かな/『一握の砂』

明治十七年には上野〜高崎間が開通し、翌年、上野駅が完成して東京の北の玄関口になった。現在の東北本線はさらに明治二十一年には仙台まで、二十四年には青森まで開通した。上野駅は東北や北陸地方から東京めざしてやってくる人でにぎわい、(…)

ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく/『一握の砂』

このころから慢性の伝染病として肺結核がクローズアップされてくる。昔から労咳といって恐れられていた病気である。まだストマイやペニシリンなどない時代で、当時は不治の病とされていたのである。この病気のために若くして命を失ったものが多く、樋口一葉、正岡子規、国木田独歩、石川啄木なども結核で亡くなっている。

呼吸(いき)すれば、
胸の中(うち)にて鳴る音あり。
 凩よりもさびしきその音!/『悲しき玩具』

啄木の歌はわかりやすくて予備知識なしでも読めるけれど、時代背景や社会状況を知って読むとさらに味わいが増すと思う。

posted by 松村正直 at 10:14| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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