副題は「帝国日本のアジア支配構想」。
「大東亜共栄圏」と言えば、戦時中に日本が掲げたスローガンとして知られ、悪名が高い。一方で、アジア解放のための戦争だったと主張する人たちの論拠にもなっている。
この本はそうした善悪の判断をするのではなく、当時の日本が何を目指し、どのような理由で「大東亜共栄圏」を掲げ、それがなぜ挫折したのかを丁寧に分析している。知らなかったことも多く、非常にためになる一冊であった。
大東亜共栄圏については、「八紘一宇」や「アジアの解放」といったスローガンとともに語られることが多く、近代日本のアジア主義の系譜から読み解くこともできよう。しかし、大東亜共栄圏はそうしたイデオロギーではなく、経済的な自給確保こそが本質だった。
アメリカとの経済関係は、日本が中国と戦争をするために必要だった。日中戦争は、英米に経済的に依存しながらの戦争だった。一方、アメリカも中国との貿易を閉ざさないために、中立法の適用には慎重だった。
松岡はソ連に働きかけて、日独伊ソ四国協商の力で英米に圧力をかけて独英講和を斡旋する、さらに日米交渉を経て日本・ドイツ・イタリア・ソ連・アメリカ・イギリスの間に「平和条約」を締結し、ソ連、アメリカ、イギリスとも共栄圏を相互に承認することを思い描いていた。
各企業は政府・軍に対して開発地を申し込み激しい獲得競争をしたが、企業は利益追求だけでなく戦中に実績をつくり、戦後もその事業を獲得したい意図があった。戦後に向けた利権の争奪戦だった。
大東亜新政策が、名目上であれ「自主独立」を掲げた以上、東南アジアの対日協力者たちは、その論理を逆手にとって自己主張し、日本が設定した秩序の枠組みからでも、抵抗の声を上げていた。
私たちは、1945年8月15日の敗戦から遡って戦争について考えてしまうけれど、戦前・戦中の人はそうではない。戦争に勝利したり、講話が結ばれたりといった未来を見据えて行動している。その違いを認識することが大事なのだと思う。
レアアースや石油の確保をめぐるニュースがしばしば話題になるのを見れば、80年前も今も事態はさほど変っていないのだろう。
一九四三年一月一四日、大本営政府連絡会議は「占領地帰属腹案」を決定する。これにより、ビルマとフィリピンの独立が決まった。この案では、独立の条件として両国には軍事的に共同防衛を約束させる、日本軍の駐屯と軍事基地使用を認めさせ、外交・経済では緊密な提携や協力をさせることが明記された。
ずいぶん虫のいい話だと誰もが思うだろう。ビルマやフィリピンを完全に子分扱いしている。
一方で、これが敗戦後の(反転した)日本の姿であることにも気が付く。1951年のサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約締結によるアメリカと日本の関係は、まさにこうした「親分−子分」で成り立っていたのであり、その状況は今でも続いているのだ。
2022年7月25日、中公新書、880円。


