2026年06月08日

司馬遼太郎『街道をゆく21 神戸・横浜散歩、芸備の道』


初出は「週刊朝日」1979年7月20日号から10月12日号(芸備の道)、1982年10月15日号から12月24・31日号(神戸・横浜散歩)。

日常がバタバタしているときに『街道をゆく』を読むと落ち着く。新たな知識を得るというよりも、司馬の語り口を味わっている感じ。

時々脱線しながら緩やかに、時に鋭い指摘も交えて話が進んでいく。それが心地よい。

広島県というのは瀬戸内海文化圏だとおもっていたのだが(事実そうではあるが)、それについての自然地理の面積はじつにせまい。広島市街を出て太田川とその上流(根之谷川)をわずか二〇キロばかり北上しただけで、もう川が日本海にむかって流れているというのは、ただごとではない。
一万石についてその動員兵力は二百人から二百五十人とされた。二百五十人として、毛利元就の初期勢力は、兵隊さんが六百人ほどだったという見当がつく。六百人というのは、たかが知れている。旧日本陸軍の歩兵でいえば三個中隊ほどで、その長である元就は陸軍少佐ほどであったろう。
居留地といえば、日本ではハイカラにきこえる。中国では租界という。「租界」には中国側にとって陰惨な語感がある。どちらも、おなじ意味・内容なのだが、陰翳の相違は両国の近代史のちがいといっていい。
幕府はあらたにこの橋をかけたときに、橋畔に関所を設けた。このため、吉田橋から浜の運上所までのあいだが「関内」とよばれて、一種特別の語感をもつ地域呼称になった。大阪でいえば船場といったような由緒ある商業区域といった語感と実質がこんにちもつづいている。

今月後半にちょうど横浜に行く機会があり、宿泊するホテルが関内のあたりだ。そういう偶然も楽しい。

2009年1月30日第1刷、2025年7月10日第6刷。
朝日文庫、680円。

posted by 松村正直 at 23:11| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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