「未来」2013年8月号から2016年4月号に連載された文章をまとめた本。
訳詩と創作詩と短歌「我百首」を収めた鷗外の『沙羅の木』(1915年)を読み解きつつ、現在の短歌や詩の話、そして自らの思いをつらつらと記している。
・『『赤光』の生誕』(2005年)
・『鷗外・茂吉・杢太郎』(2008年)
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138273.html
・『森鷗外の『うた日記』』(2012年)
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138707.html
・『木下杢太郎を読む日』(2014年)
https://matsutanka.seesaa.net/article/389907439.html
これら四冊に続く内容で、五部作の最後の本と言っていいだろう。なぜか、この本だけ本棚に置いたまま読んでいなかった。
鷗外が、意外に、流行に弱いというか、新しもの好きといったところは、『沙羅の木』の中の創作詩に、市電の姿が実写されていることからもわかる。あれは、ただの日常詠でもなければ身辺詠でもない。
今読むと、この象徴詩(薄田泣菫『白羊宮』の「わがゆく海」)は、あまり魅力がない。近代詩がたどらなければならなかった、ある場面だとは判っていても、どうも面白くない。事実、現代詩の世界で、いま泣菫や有明を読むことはほとんどない。
『沙羅の木』が出ておよそ百年になるというのに、詩壇の反応は、ほとんどなかったようにみえるのはなぜだろう。(…)これは、詩壇だけでない。「我百首」に代表される鷗外の短歌についても、歌壇は冷ややかだったのだ。
これについては、その後、今野寿美『森鷗外』(笠間書院)や坂井修一『森鷗外の百首』(ふらんす堂)が出て、少し状況が変ったと言っていいだろう。
坂井は上記の本の参考文献に岡井の3冊の本を挙げながら、「岡井隆の著作は、森鷗外の研究書として読むのではなく、一人の現代歌人が森鷗外の詩歌をどのように感受したかというエッセイとして読むのが良いだろ」とわざわざ注記している。
そこには岡井への対抗意識が表れていて面白いのだが、もともと岡井は研究書として書いてはいない。自ら楽しみながら、学びながら、思索しながら書いている。そこが岡井の持ち味と言っていい。
詩人のデエメルの自伝(鷗外訳)を紹介しながら岡井は、
「初めの妻」とあるからには、次の妻も出てくるのだろうと思って読む。鷗外も、ドイツ留学中のエリーゼや、いわゆる「かくし妻」を入れれば、志げは四人目の女性である。こうしたデエメルの率直な記載に当って、いろいろ考えたに違いない。
と書いている。鷗外がデエメルの自伝の家族関係を翻訳しながらいろいろ考えただろうと想像しているのだが、私(読者)はこれを読んで岡井も「いろいろ考えたに違いない」と想像する。
文章を書く、文章を読む、という行為には、そんな入れ子構造のようなところがある。
最後にもう一つ。
鷗外が晩年に奈良で作った漢詩が引かれている。
南都有鳴鹿 南都に鳴く鹿がいる
(略)
男酔将杖打 酔っぱらった男は鹿を杖で打ち
(以下略)
以前、「外国人が奈良の鹿を蹴る」といった話題が広まったけれど、何のことはない、百年前の日本人も鹿にずいぶんひどいことをしているのだ。
2016年7月10日、幻戯書房、3500円。


