2026年04月16日

『辰野金吾』の続き

辰野金吾は1880年に官費留学生としてロンドンへ行く。2年間の学業を終えてからは、フランスやイタリアの各都市をめぐった。著者はこれを「日本人建築家初のグランド・ツアーである」と指摘する。

グランド・ツアーとは何か。

旅をすることによって教養を積むという考えは、イギリスにおいてはグランド・ツアーの伝統に由来する。グランド・ツアーは十七世紀末に始まり、十八世紀にイギリスの良家の子弟の教育を目的としておこなわれた、数ヶ月から数年間にも及ぶヨーロッパ大陸への大旅行のことである。

なるほど。

辰野金吾に限らず、森鷗外や与謝野鉄幹・晶子や斎藤茂吉たちがヨーロッパ各地を回ったのも、そういう意味だったのか。

辰野は『滞欧野帳』に各地の建物のスケッチを残しているのだが、著者はその実物を探しに現地を訪れている。

数年間かけて、地図を片手に辰野が描いた実物を探索した。時間と労力とお金もかかるが、描かれたものを同定できた時の喜びはひとしおであった。(…)厳寒のブロワで《軽業師の家》の正面の柱を飾る木彫装飾を見つけ、辰野がスケッチしたと思われる位置に立って見たときの感動は今も思い出される。

この話を読んで、以前、山種美術館の展覧会で、速水御舟のヨーロッパ旅行中の絵(商店)と、現在のその建物の写真が並べて展示されていたことを思い出した。これも、建物を突き止めるのは大変だっただろうし、だからこそ喜びもひとしおだったにちがいない。

2014年3月20日、佐賀県立佐賀城本丸歴史館、952円。

posted by 松村正直 at 22:55| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
旧塔ブログで杉浦明平のことを書かれていたので少しコメントします。
釈迦に説法ですが、杉浦は詩人の立原道造の親友でした。立原は在学中に三度「辰野金吾賞」を受けています。早世したため、建築物として残っているものがないのは残念ですが、その立原が一高短歌会のとき詠んだ
ゆくてのみち ばらばらとなり つきしののめに あおいばかり
を巡って、友人らが解釈に困惑したり、自由律短歌は詩の断片であるといって、激しい口論になったとか…
Posted by 中川 at 2026年04月17日 16:28
コメントありがとうございます。
立原道造は建築家としても優秀だったようですね。6・7・7・6の自由律短歌もおもしろい試みだと思います。

Posted by 松村正直 at 2026年04月17日 19:07
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