2025年12月23日

寒川光太郎『草人』(その1)

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先日、朝日新聞の夕刊にこんな記事が載っていた。
https://www.asahi.com/articles/ASTCN24THTCNIIPE016M.html

1935年に菅原繁蔵が樺太で採集した植物が新種だったことが判明し、「スガワラオウギ」と名付けられたというニュースだ。あっと思って、長らく積んだままになっていたこの本を読み始めた。

1941年刊行の短編小説集で、「嶺」「草人」「野鳥」「ど・たいほう伝」「猟小舎」の5篇の小説と、「樺太紀行」、さらに前年に第10回芥川賞を受賞した小説「密猟者」の英訳「Unlicensed Hunters」が収められている。

このうち、「嶺」「草人」の2篇は寒川が父の菅原繁蔵をモデルに書いたもの。樺太で植物研究に苦闘する姿が生き生きと描かれている。

もともと、この本を買ったのは私のブログの記事を読んだ方に勧められたからであった。「早速古本で購入しましたので、近いうちに読んでみたいと思います」と2016年5月1日にコメントを返している。
https://matsutanka.seesaa.net/article/436833614.html

それから9年。ずっと積まれたままになっていたわけだが、読書というのはタイミングなので、やはり積読は大事だと思う。

「草人」には菅原の標本作りにかける情熱が克明に描かれている。

この標本はこの眼で視、この手で手折り、ストーブの傍で焦熱地獄の汗を流し乍ら乾燥させてやつと造り上げたものだ。生えてゐた場所、いや風にそよぐ葉の動きさへありありと目蓋に浮んで来るのだ。

民間の研究者として自分の足で歩き回り、自分の手で多くの植物を採集した矜持である。ここには、採集は業者などに任せて大学の研究室で論文を書いたり学界の社交をしたりしている学者たちへの対抗心もにじむ。

自分の生んだ仕事は決して無駄でなくこの島に残るであらう。さすれば後世誰か心ある士が、此処を郷土として血を流した意志を見出してくれるに違ひない。(…)自分の業績も誰かゞ思ひ出してくれるに違ひないのだ。さすれば自分の信念は脈々と生きてゐると云ふものだ。

菅原を支えたのは「後世誰か心ある士」が自分の業績を見出してくれることであった。冒頭の新聞記事は今回まさにその願いが叶ったことを伝えてくれている。

1941年3月15日、中央公論社、2円。

posted by 松村正直 at 08:33| Comment(0) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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