「西伯利亜出征紀念」の額に中隊の兵の名ならぶいろはの順に
1918(大正7)年にシベリア出兵に行った部隊が奉納した額が、百体観音堂に掲げられているのを詠んだもの。当日、写真を取り損ねたので、再び600円を払って三井寺に行ってきた。
目当ての奉納額。
「尽忠報国」「西伯利亜出征紀念」「歩兵第九聯隊第七中隊」と書かれ、兵の名前が並んでいる。戦死者も1名いたことがわかる。
せっかく大津まで来たので、ついでにいくつか見ておきたい碑を探すことにする。
まずは観音堂の左手にある石段を登った先にある「なべ塚の碑」へ。「大津そろばんの碑」など7つくらいの碑が立っている展望台から、さらに少し登ったところ。
なべ塚の碑。
1883(明治16)年に私の「推し」である探検家 松浦武四郎が愛用の鍋を埋めて建立したもの。
碑文の1行目を見ると「松浦多気四郎」と記されている。
ここから、さらに山の上へと登っていく。時期も時期なので、あたりには誰もいない。途中、倒木が道をふさいでいる箇所があり、引き返そうかと思ったけれど、せっかくなので乗り越えて進む。
西南戦争出征記念碑。
歩兵第9聯隊が西南戦争で戦ったことを記念して、1878(明治11)年に建てられたもの。高さ6.6メートルあり、かなり大きい。碑の前は広場になっていて、そこから石段を登った上に立っている。
続いて、三井寺から徒歩10分の大津市民文化会館へ。先日の吟行で歌会をやったところへ再び行く。
歩兵第九聯隊之跡碑。
市民文化会館の北側にある細い階段を昇ったところにあるのだが、見つけにくい。植込みの木の枝が伸びて碑が隠れてしまっている。1967(昭和42)年建立。
このあたり一帯(大津歴史博物館、市民文化会館、大津商業高校、大津市役所、大津市消防局、滋賀県警察学校)に、かつて歩兵第9聯隊があった。
聯隊の歴史を刻んだ碑文。
残念ながらだいぶ摩滅して読みにくくなってしまっている。
若鷲の碑(大津陸軍少年飛行兵学校跡)。
戦況の悪化した1943(昭和18)年開校。「至誠・純真・元気・周到」の校訓のもと15、16歳の少年たちが飛行機の操縦・通信・整備などの基礎を学んだ。1975(昭和50)年建立。
眼下にある大津商業高校からは部活に励む高校生たちの声が聞こえていた。のどかな平日の午後。

