実際の世間では、この旧派は、猶非常の勢力を持つて居って、年齢四十位以上の人の理解しうる歌は、これに限つて居る。新派などといふものは何処の国で行はれるものか知らぬ位である。
/尾上柴舟「新派と旧派」(「創作」1910年6月号)
今日に於て歌(世人の云ふ旧派)をよむといふ人は、百中九十九人までは老人であると云ふことも、此の消息の一端を語るものである。何故に今の若き人々は神代ながらの歌をよまぬか、それは云ふまでもなく文化の影響で語格文法やテニヲハが面倒なためと、歌の言葉の理解に苦しむからである。
/大町壮『耳順集』(1930年)
こうした文章を読むと、新派と旧派は短歌観の違いというよりも世代によって分かれていたと言っていいのかもしれない。1910年の時点で40歳、つまり1870年以前(≒江戸時代)生まれの人と、明治以降の生まれの人の差である。
1930年の時点では、その境目は60歳になる。その上の世代は大町が言うように「老人」と言っていい。旧派和歌の組織的な活動は1940年くらいで終焉を迎えるが、それは彼らが70歳を過ぎて精力的な活動ができなくなったこととも関係しているのだろう。
旧派和歌→旧派と新派の並立(1900年〜1940年頃)→新派和歌という流れには、短歌観の変化だけでなく、おそらく世代の更新という側面もあったのではないか。
このあたり、近年の文語短歌と口語短歌の話にも当てはまるのかもしれない。(どうかな?)


世代の更新ということにつきまして、ちょっと話が逸れるかも分からないのですが、SNS短歌をやっているZ世代の方たちが、令和と地続きである平成短歌はともかく、戦争の歌とか、勝ち組の歴史である前衛短歌をどんな風に読むのだろうかとふと思いました。
追記:オノマトペの「ポル・ポト」の歌ありがとうございました。
塚本邦雄や葛原妙子の短歌は、若手の歌人にもけっこう人気があると思います。もちろん、読む人と読まない人がいますけれど。
あと、最近、良真実『みんなの近現代短歌』、三枝ミ之『百年の短歌』、穂村弘『近現代短歌』などが立て続けに刊行されて、近代短歌への関心(?)も高まっている感じです。