副題は「日本語は感情オノマトペが面白い」。
『犬は「びよ」と鳴いていた』『ちんちん千鳥のなく声は』などオノマトペ研究で知られる著者の新刊。
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人間(男/女)の泣き声や笑い声がどのようなオノマトペで表されてきたか。数多くの文献を調査して、時代ごと(奈良時代/平安時代/鎌倉時代/室町時代/江戸時代/明治以降)の変遷を丁寧に解き明かしている。
『源氏物語』には、「よよ」「さくりもよよ」という泣き声を写す擬音語が使われていますが、それらは光源氏、薫、匂宮という主人公格の男性たちの泣き声なんです!
男が泣くのはみっともないという現代の認識は、鎌倉・室町時代の認識を継承したものであったことです。江戸時代は、男も女も一緒に大声をあげて泣いていましたし、平安時代など、男性が泣くことこそ価値があると考えていたのです!
この「男が泣くのはみっともない」問題については、私も「啄木ごっこ」の連載の中で「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」を取り上げて書いたことがある。
それにしても、江戸時代以降現代に至るまで、笑い声の代表格である「ハ行音」の笑い声が、なぜ、鎌倉・室町時代には、まったく見られないのか? 結論を先に言えば、「ハ行音」の発音が、現在と違っていたため、腹から出す笑い声をうまく写せなかったためです。
「ホホ」と記された笑い声は、現在と発音が違っているからこそ、平安時代の男性貴族の笑い声になり得たのです。(…)平安貴族たちは、口元に扇をあてて、さらに「フォフォ」と相手に息がかからないように笑う。いかにも貴族らしい笑いです。
和歌は、機知を重んじて詠む風潮がありました。文字数が三十一音と限定されているなかで、最大限の効果を上げるには、こうした掛詞式のオノマトペが打ってつけです。現代短歌でも、写実のみならず、機知をも尊ぶ風潮が生まれれば、掛詞式のオノマトペが再び脚光を浴びるかもしれません。
オノマトペの変遷を調べることで、日本語の発音の変化、さらには時代ごとの社会や文化の移り変わりまで見えてくる。豊富な実例が挙げられていて、研究の面白さの詰まった一冊だと思う。
2025年8月30日、光文社新書、1140円。



和歌における掛詞式のオノマトペってどんなのだろうとちょっと考えて思いついたのは、これも擬態語ですが、百人一首の
ありま山 ゐなの笹原 風ふけば いでそよ人を 忘れやはする
でした。同著で例示されていたのはどんな和歌だったのでしょうか。
現代短歌で掛詞式のオノマトペを駆使した歌があったら、ぜひ鑑賞してみたいです。
この本で引かれているのは
女郎花なまめきたてる姿をやうつくしよしと蝉の鳴くらん
/『散木奇歌集』
「うつくしよし」が「美し佳し」であると同時にツクツクボウシの鳴き声になっています。
ぬれぎぬをほすさを鹿の声聞けばいつか干よとぞ鳴きわたりける
/『古今和歌六帖』
「干よ」が「干よ(=乾け)」であると同時に雄鹿の鳴き声になっています。
現代短歌にも掛詞的なオノマトペはいろいろあります。
白鷺がいっぽん、いっぽん、脚をぬき歩む鴨川夏草高し
/中津昌子『記憶の椅子』
試験管のアルミの蓋をぶちまけて じゃん・ばるじゃんと洗う週末
/永田紅『ぼんやりしているうちに』
だったんだだったんだと行く鈍行で俺はあなたがすきだったんだ
/西村曜『コンビニに生まれかわってしまっても』
島そばにふる島胡椒さりしかりさりと小瓶を頷かせつつ
/光森裕樹『山椒魚が飛んだ日』
じゃん・ばるじゃん、だったんだ、面白いですね。全然関係ありませんが、昔NHKの人形劇『ネコジャラ市の11人』にガンバルニャンという猫のキャラクターが出てきたことを思い出しました。
あけがたは耳さむく聴く雨だれのポル・ポトといふ名を持つをとこ
/大辻隆弘『抱擁韻』
雨垂れの音と「ポル・ポト」という人名と。