森崎和江は富来町で明治41年生まれの浜谷シノさんに話を聞いている。当時75歳。「岩のりとりや栗ひろいが好きでじっとしておれん」という方である。
「巌門のとこでとるの、ふだんは。のりとりは怖ろしいとこよ。手で持つとこない岩を上って行くの。波があるわね。あたしは身軽やし。おもしろいわね。藁沓はいて」
ETV特集「間垣の里のしさのばあちゃん」にも、輪島市に住み震災で避難を余儀なくされた「しさのばあちゃん」が岩のり採りをする場面があった。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2025151130SA000/
昔から変わることなく続いてきた海辺の集落の暮らしの姿である。
また、森崎は珠洲市では円覚寺の住職塚本真如と会う。
珠洲の高屋海岸で塚本真如さんが笑う。
「風が強いですよ、ここは。鐘堂に張っているあの厚い幕も破れてしまうのだから」
ETV特集「奥能登に生きる〜2つの過疎の町と震災〜」に、この塚本さんが出ていた。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2024139543SA000/
能登半島地震からの復興のこと、そして、かつて集落を二分した原発建設計画のことが語られていたのが印象に残っている。
能登の外浦に原子力発電所の建設案が出ていると聞いた。土つくりとは関係なさそうにみえる。けれども自然の浄化作用にゆだねることが不可能な廃棄物が出る。
私が30年前に珠洲市を訪れたときも、原発反対の立札を見かけた。その後、塚本さんたちを中心とした粘り強い反対運動の結果、原発計画は2003年に凍結された。
もし、珠洲市に原発が建設されていたら、今回の能登半島地震で多大な被害が出たことだろう。
その一方で、過疎化の進む地域の振興のためにと原発建設に賛成した人々のことも忘れられない。原発の立地騒動が収まった代りに、国の振興策も施されることなく、奥能登の過疎化はさらに進んでいったのであった。

