この本に収められている能登半島の旅は1983年、渡島半島の旅は1984年のものだ。今から約40年前ということになる。
今年になってこれが文庫として刊行された背景には、フェミニズムの観点から近年、森崎和江が再評価されているのに加えて、2024年の能登半島地震によって大きな被害を受けた能登に対する関心の高まりがある。
私がこの本を手に取ったのは、能登半島(輪島・珠洲)も渡島半島(松前・江差・函館)も旅したことがあるからだ。前者は金沢に住んでいた1994・95年、後者は函館に住んでいた1996・97年のこと。どちらも約30年前である。
この本には、能登半島、渡島半島の地図が載っているが、どちらも2024年現在のもの。これは不親切だと思う。森崎が旅した当時の地図を載せることはできなかったのだろうか。40年の間に変わったものが多くある。
その一つは鉄道だ。
内浦の、入江や小さな駅は、薄陽の中に霧にまかれたようにやわらかに続いていた。列車は短いトンネルに幾度も入り、草群に車体をふれさせつつホームに止まる。車窓から眺める海は民家の屋根越しに、子どもの画のようにかわいい。能登小木、小浦、羽根と駅名も抒情的で、残雪も薄陽も夢の中のようにうっすらとしているのである。
美しい描写だと思う。でも、今はもうここに列車は走っていない。
ここに描かれている「のと鉄道」の穴水〜蛸島(61キロ)は2005年に廃線になった。それ以前に穴水〜輪島(20.4キロ)も2001年に廃線になっている。
私が輪島や珠洲を旅したときは、まだ鉄道があった。蛸島から半島の先端の禄剛埼灯台にも行ったし、輪島から船で舳倉島にも渡った。そんな懐かしい路線も今はもうない。
私も津軽半島を知らずにいたなら、連絡船に乗ることも、江差・松前行のディーゼルカーにゆられることもなかったろう。ディーゼルカーは途中の木古内で、江差行と松前行に別れた。私は松前へむかう。二輛つながってことことと海辺を行く。
木古内〜松前(50.8キロ)を結んでいた松前線は1988年に廃線になったので、私は乗っていない。一方の木古内〜江差(42.1キロ)の江差線が廃線になったのは2014年なので、私は列車に乗って江差に行った。江差は見どころの多い素敵な町だった。
『能登早春紀行』の中に珠洲市の人口は32000人、輪島は33000人とある。2025年現在ではそれが9800人と18700人まで減っている。
震災が起きるはるか以前から過疎化は進み、鉄道は廃止され、人々の暮らしは損なわれ続けてきた。そのことを、この本はあらためて教えてくれる。

