大正4年に島木赤彦と出会って「アララギ」に評論や作品を発表し始めた釈迢空が、大正10年に選者を辞して「アララギ」を去るまでの軌跡を描いた評論集。
民間伝承探訪の旅を重ねた迢空の歌の変化や「アララギ」の写生論による結束の強化など、大正期の短歌や歌壇の動向がよくわかる内容となっている。
そもそも、歌を空想で作るということは、明治という時代にあっては、ごくあたりまえのことだった。明星派はもちろん、子規にどれくらい空想の歌があることか。茂吉のごく初期の歌は、空想の歌ばかりといっていいほどである。
大正期に入ったアララギという磁場のなかにあって、「写生」の手法を獲得しつつ、そこにおさまりきれない歌の動機をもてあましていた迢空も、こうして苦しみつつ、ついに〈体験の束〉としての旅する主体を統合する方向を開いた。
「夜ごゑ」は、画期的にすぐれた一連であった。茂吉・赤彦らの主導するアララギの新しい「写生」歌は、現実世界から「自己」の姿を切り出し、歌を一元的な「自己」の世界で塗りつぶすのだが、そのようなものとはまったく異質の歌を、迢空はここに実現した。
迢空が「アララギ」の写生論におさまりきれないものを抱えてついに訣別に至るまでの流れは、先日読んだ水原秋櫻子と「ホトトギス」の関係にも似ている。
これは人間関係のゴシップではなく、結社の理念と個人の信条・志向の相克として捉えるべき話だと思う。
2021年5月25日、砂子屋書房、3000円。


