鎌倉や阿弥陀仏なる御仏は露天に坐して日銭を稼ぐ
年一回花に誘われ見る幹の黒くて太いソメイヨシノは
数十年振りに銭湯の湯に浸かり熱く大量の湯に身を沈む
ジギタリス毒持つ花と恐れつつ開花を待てり妻のジギタリス
どこまでも伸び広がれるゴーヤにて緑の実をば垂直に垂る
魚屋は全滅したが八百屋二店辛うじて残る赤塚商店街
自転車が二台停(と)まれり自転車に妻もわたしももう乗れなくて
つらければ入院せよと説く妻は入院にメリット無きを解せず
保育士の半分ほどの背丈にて黄の帽かむる園児ら行けり
ヘモグロビン8.1で輸血する輸血で我は生かされている
1首目、上句は晶子の歌を踏まえてか。大仏の拝観料は一般300円。
2首目、花ではなく幹の色や太さに注目している。幹あっての花だ。
3首目、「熱く大量の」が納得の表現。個人宅とは桁違いの湯の量。
4首目、結句「妻の」を入れたことで妻が毒を持っているみたいに。
5首目、日除けのために育てているゴーヤの旺盛な生命力を感じる。
6首目、昔ながらの個人商店が減っていく。「全滅」の響きの強さ。
7首目、「自転車」の繰り返しが効果的だ。しんみりとさせられる。
8首目、理解してないのではなくその方が妻の負担が減るのだろう。
9首目、大きさに注目して「半分ほど」と即物的に言ったのがいい。
10首目、正常値は13〜17くらい。私の父も輸血が欠かせなかった。
2025年9月8日、短歌研究社、2500円。


