2025年09月28日

上川涼子歌集『水と自由』

 kamikawa.JPG

昨年、第12回現代短歌社賞を受賞した作者の第1歌集。
2016年から2025年までの作品342首を収めている。

たどりつくべき港などなきゆゑに鋏は紙をしづかにすすむ
景物はぬれて映れりみづうすく張りてひらける人の眼に
活版が紙を彫(ゑ)りたる稜を撫でいまゆつくりと詩行へと入る
夢に会ひし人とうつつの週末に会ふ約束をLINEに交はす
日が永くなつたことなど話したり小籠包をれんげに寄せて
火と紙と互ひを奪ひ合ひながらともに喪ふのちのしづもり
肌の上に青く重なる薄絹をとどろきののち雷(らい)と知りたり
花の名の書かれし札をひとつづつみな確かめて蜂のごとしも
繰りかへす日々をしづかに引き受けて烏賊の甲ほど薄き石鹸
上映のさなかに人は銀幕という布を見てゐることを忘れて
欲望のかげりなきまで眩しきに茄子、茗荷など並ぶコンビニ
横顔にマスクの紐を牽きながら御者のごとくに人の耳あり
いづれ去る身体にあればこの日々を苛む湿疹さへも野の花
あなたより一回多く振りかへる帰路のこの平凡なさみしさ
白き陶器をゆまりのながれみづのながれひとりのための泉をとぢる

1首目、水脈を引いて進む船に見立てたのが鮮やかでしかも美しい。
2首目、初二句に発見がある。実際の景物とは違う見え方なのかも。
3首目、活版印刷の凹凸の手触りも詩の味わいの一部になっている。
4首目、夢と現実が反転したみたい。LINEの世界はその中間かも。
5首目、下句の細かな描写がよく効いている。いかにも短歌な感じ。
6首目、一般的には火が紙を燃やすと捉える場面。見え方が変わる。
7首目、「薄絹」と表現したことで青白い稲光に手触りが生まれた。
8首目、花屋に並ぶ様々な花を蜂になって順々にめぐっている気分。
9首目、「烏賊の甲ほど」が抜群の比喩。半透明の色合いも浮かぶ。
10首目、映画が始まるまではあったスクリーンが意識から消える。
11首目、資本主義的な欲望とはちょっと雰囲気の異なる野菜たち。
12首目、何とも個性的な比喩。人間の顔が馬や馬車になった感じ。
13首目、生きている間だけの仮の宿と思うと少し気分も軽くなる。
14首目、最後は振り向いてくれなかった相手の背中を見送るだけ。
15首目、排泄の場面だが美しい。デュシャンの「泉」を想起する。

2025年8月27日、現代短歌社、2500円。

posted by 松村正直 at 06:43| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。