歴史総合パートナーズ18。
副題は「世論メディア史」。
このシリーズを読むのはこれで7冊目だが、どれも良書ばかり。
近代の国民国家が政治参加などの民主主義を通じて大衆を国民化し、輿論(public opinion)が世論(popular sentiments)へと変貌していく過程を経て、やがてファシズムを生み出すまでの流れを解き明かしている。
今日ではほとんどの歴史教科書でナチズムは「国民社会主義」と訳されていますが、第二次世界大戦後は長らく「国家社会主義」と誤訳されてきました。その理由は、戦後日本ではナショナリズムを「悪しき国家主義」と「善なる国民主義」に訳し分ける習慣が成立していたためです。
敵性語の駆逐は第一次世界大戦時の英語圏でまず始まりました。アメリカではドイツ語由来のフランクフルトが「ホット・ドッグ」、ハンバーガーが「リバティ・サンドイッチ」と言い換えられました。
1913年の憲政擁護運動や1918年の米騒動で街頭を埋めた「進歩的」民衆と、1923年の大震災後に朝鮮人を虐殺した「反動的」民衆はまったく異なる人々ではありません。一方を国家権力に抵抗する階級的前衛として、他方を国家権力に騙された被害者として描く民衆史観には大きな問題があります。
女性や労働者階級まで含めて国民を総動員あるいは総参加させるために、交戦各国は社会保障などを通じて個人の家庭生活にまで直接介入し始めます。皮肉にも戦争国家warfare stateから福祉国家welfare stateは生まれました。日本でも総力戦となる日中戦争(1937〜1945年)が始まった翌年、1938年に厚生省が設置されます。
アメリカにおけるマスコミュニケーションは、ナチ・プロパガンダに対抗する自らのプロパガンダを指す言葉でした。つまり、それはプロパガンダの代替語です。
メディアを通じた情報・宣伝によって大衆の国民化が進められ、世論のうねりが形成されていく様子は、もちろん第二次世界大戦時の話だけでなく現代にも通ずるものだ。
先の選挙で「参政党」という政治参加を掲げる政党がSNSなどを巧みに使って大きく躍進したのも、何ら不思議なことではなく、遠くこうした文脈で理解できることなのだろう。
民衆は善、為政者は悪といふあつけなき前提にすがり寄り来ぬ
/小池光『静物』
2025年3月22日、清水書院、1000円。


