仲間の中に無線通信兵がいて、彼女は最近赤ちゃんを産んだばかりだった。赤ちゃんはおなかを空かせていて、おっぱいをほしがった。(…)赤ちゃんの声が聞こえれば全員が死ぬことになる。三十人全員が。おわかりでしょう?(…)母親は自分で思い当たった。布きれに包んだ赤ちゃんを水の中に沈めて、長いこと押さえていた。
連れて逃げる負傷者、置いて行く負傷者……。自動車が足りない。せかされる。「残したまま、逃げなさい」逃げようとするけれど、負傷者たちがじっと見送っている。その眼はすべてを語っているんです。あきらめ、恨み、悲しみ、「兄弟たち! 頼む! ドイツ軍が来るのに置き去りにしないでくれ。撃ち殺して行ってくれ」と。
(夫は)元捕虜という烙印を押されたの。(…)軍隊の弾丸はたちまち尽きてしまい、戦うのもやっと、自殺に残すどころじゃない。彼は足を負傷して、捕虜になった。(…)「ソ連の将校は降伏しない、わが国で捕虜になった者はいない、生き残った者は裏切り者だ」、同志スターリンはそう言って、捕虜になっていた自分の息子を拒絶したほど。
私たちの指揮官のところに五人のドイツ娘がやって来たの。みんな泣いていたわ……産婦人科が検査して、その子たちはあそこに引き裂いたようなけがをしていた。パンツが血だらけだった……その娘さんたちは一晩中暴行されたの。兵隊たちが行列していた……
こうした証言を読むと、沖縄戦や満州からの引き揚げや日本軍の占領した町で起きた出来事などを思い出す。それらはこれまで旧日本軍の特殊性のように語られることが多かったけれど、実はそうではない。
戦地では赤子は殺され、負傷兵は置き去りにされ、捕虜は存在を否定され、婦女は暴行を受ける。こうしたことは、どこの国でもいつの時代でも起き得ることなのだ。(だからと言って、もちろん旧日本軍の行為を免罪するものではない)
軍隊や戦争とは常にそういうものだと認識することによって初めて、私たちは現在起きている戦争やこれから起きる戦争について正しく考察することができる。
この本は第二次世界大戦下の独ソ戦の証言集であるけれど、戦争と個人についての普遍性もあわせ持つ内容になっていると思う。

