2003年から2011年までの作品を収めた第7歌集。
帰郷
幼くてこの線路添ひ聞きしより虫鳴くこゑは幾代を経たる
肩さきに顎(あぎと)をのせてあづけつつ目覚めを待てりわがよき猫は
くちばしの撥ね落したる花の数拾ひあつめて手窪(たなくぼ)にのす
妹、癌終末期
生拒む力なりけり歯を嚙みて薬を口に入れしめざりき
雪げむりかすかにのぼる頂きを青天に見て伊那平(いなだひら)ゆく
幾つかの個の断片の混じりたる冷凍かぼちや食うべつつゐる
夏のかぜよろこぶらしも藤蔓は立ち泳ぎつつあるいは躍る
残(くづ)れたる夢のごとくに岸のべの水波のいろ暗くたゆたふ
齢(よはひ)びとおのれ祝(ほ)がむと洋梨の精(エッキス)の香をグラスに満たす
ストッキング搾りては干すといふことをこの世に在りて浴室に為す
ほの甘き香にくづれゆく寒天をのみどに落とす春のゆふぐれ
生膚(いきはだ)を焙られながらゆらゆらと自転車を漕ぐ暑熱のちまた
1首目、昔と変わらぬ虫の音であるが、何世代も代替わりしている。
2首目、人でなく猫。飼い主を起こすことなく目覚めを待っている。
3首目、鳥と言わずに「くちばし」で表している。桜の花だろうか。
4首目、残された全身の力を振り絞り薬を拒んだ姿が忘れられない。
5首目、のびやかな風景がいい。山に積もった雪が風に舞い上がる。
6首目、生の南瓜とは違って一袋の中に別々の個体が混ざっている。
7首目、風に揺れている藤の蔓を「立ち泳ぎ」と捉えたのが鮮やか。
8首目、「残」を「くづ」と読ませる力業。かなわなかった夢の痕。
9首目、誕生日に洋梨の酒を飲んでいる。自分で祝うところがいい。
10首目、洗濯機では傷むので風呂場で洗う。人間は変な生きもの。
11首目、寒天を食べているだけなのにエロチックな雰囲気が漂う。
12首目、初二句にまるで拷問を受けているような生々しさがある。
2025年7月12日、砂子屋書房、3000円。


