青磁社評論シリーズ12。
2008年から2020年までに書かれた時評的な文章計83篇を収めた時評集。
第一章に「私性という黙契」「写生という遺産」「戦後短歌のアポリア」という総論的な3篇が載っていて、これを読めば大辻の基本的な考えがよくわかるようになっている。以下、第二章は総合誌や結社誌に載った文章、第三章は新聞に載った文章という構成だ。
読者の側から見た「私性」とは、歌の文面の中や文面の背後に一人の人物像を感じ取ってしまう、という現象である。その人物像は、一首目の歌のように「登場人物」であったり、二首目の歌のように「視線の主」であったり、三首目の歌のように「言語構築の主体」であったりする。
永井の歌は「テクニックのない歌」では決してない。むしろ彼の歌は、「てにをは」を中心として彼自身が編み出した言葉の使いざまを、きわめて戦略的・意識的に駆使した巧緻な歌なのだ。
近代短歌はそもそも個に密着した詩であった。が、ことに震災や原発事故を歌おうとするとき、その構造はある限界に遭遇してしまうのではないか。
分かり合えないかもしれない。でも、分かり合うことへの希望は失わない。そんな成熟した対話の場をつくり得るか否か。短歌の明日は、その一点に掛かっている。
大辻の文章は論旨が明快で教えられることが多くある。永井祐を「あたらしき「てにをは」派」と位置付けたり、斉藤斎藤の連作から「多声化の方法」を読み解いたりするなど、随所に鋭く深い分析を見せている。
「東京から来た転校生 ―穂村弘『水中翼船炎上中』―」はユニークな穂村弘論。初出が同人誌ということもあって、ちょっと他の文章とは雰囲気が違う。「レ・パピエ・シアン」に載ったときにブログに感想を書いたことがある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/461745026.html
大辻は長年にわたって精力的に短歌に取り組み続けている。何よりも感心させられるのは、歌集を出すだけでなく、講演をすれば講演集、評論を書けば評論集、時評を書けば時評集と、自らの書いた文章や講演の内容を必ず本にしていることだ。
書きっぱなし、喋りっぱなしではなく、自らの考えや理論をきちんと体系立てて本にまとめ、誰もが読めるものにしておく。これは簡単なことではない。そこには大辻の強い意志が働いているように思う。
2025年2月19日、青磁社、2700円。


