2013年から2025年の作品265首を収めた歌集。
祖母への取材を基にした「つぐ」89首や江戸時代の尾張藩主の紀行歌集の足取りをたどった「知多廻行録」など、コンセプチュアルな連作を多く含んでいる。
開演はふしぎな渚、際に立つ刹那すべての波音は消え
木の雨戸ごっとずらせばひとすじの月の光が右肩にある
このビルの向うに海があることをかもめの声に教えてもらう
電磁波に鮭あたためる、火に似せた暖光のなか鮭は回って
芋粥は霞みてゃぁに薄くって仙人だにゃぁのに私(あたし)らぁ
こんな不味(まず)て、ほんで美味しい芋粥も食べれせん、亡(の)うなったトヨちゃんは
神社には永遠みたいな池があり底に椿のいくつも沈む
幸せになってほしいと願うとき花火くらいのかげりはあった
海へ突堤が伸びてる この腕はつかみそこねた夏の何かを
波止場から子犬は歩く初秋の夢から帰ってきたような眼で
1首目、初二句のフレーズが印象的だ。演奏会が始まる一瞬の静寂。
2首目、オノマトペ「ごっと」と結句の動詞「ある」が効いている。
3首目、見えないけれど近くに海があるとわかったときの心の変化。
4首目、電子レンジの照明は温めには関係ないのだが安心感がある。
5首目、食糧不足のなか学徒動員で働いた祖母の証言を踏まえた歌。
6首目、方言まじりの話し言葉を実にうまく定型に取り入れている。
7首目、太古から存在するような池と毎年そこに咲いて落ちる椿と。
8首目、花火を「かげり」と捉えたのが印象的。微妙な心情が滲む。
9首目、「突堤が海へ伸びてる」とせず句またがりのリズムを使う。
10首目、三句以下の比喩がおもしろい。子犬の背後に海が広がる。
2025年4月7日、短歌研究社、2500円。


