沖縄の歴史や文化、そして米軍基地の問題などを探ったノンフィクション。2023年から24年にかけて「web集英社文庫」に13回にわたって連載された文章に書き下ろしを加えて一冊にまとめている。
故郷の熊本県八代市に戦時中沖縄から多くの子どもが疎開していたことを知った著者は、沖縄への関心を深めていく。
生活スタイルの違いと言えば、球磨川に水を汲みに行くとき、沖縄の子供たちは頭に桶を乗せて水を運んでゆく。その姿を見た地元の子供たちは、奇妙な格好に驚き、からかう。
対馬丸は学童疎開船のイメージが強く、報道などでもそう伝えられるが、事実は違う。家族で疎開する人も多く乗った一般疎開船である。そのため子供の両親や老人、赤ちゃんなど多くの命が海の底に沈んだままになっている。
昭和四十七年の祖国復帰以前は集団就職者のパスポートを経営者が取り上げて、逃げられないようにする会社もあった。
かつての沖縄出身者に対する差別の実態。現在も外国人の技能実習生に対して同様のことが行われて問題化することがあり、何十年経っても変らない構造が浮かび上がる。
千原の拝所は、嘉手納飛行場内にあるが、幸いなことに今も壊されずに残っている。基地内に入ることは、このときだけは黙認されており、米軍から許可を取らなくても良い。
屋良健一郎の歌集『KOZA』の〈春空の煙となりてなびく祖父 フェンスの向こうの故郷へ帰れ〉を思い出した。ふるさとの家や拝所が今では米軍基地になってしまった人が数多くいるのだ。
2024年8月30日、集英社文庫、700円。



出帆時に子供たちは「ヤマトに行ける」と喜んでいたとか、漂流する筏の上でおばあさんが絶命してゆっくり倒れて行って水葬にしたとか、流れ着いた竹筒の中に入っていたすえたご飯を食べたとか、海に向かってポトンポトンと排便していたところに(女の子がです)トビウオが跳んできて、あとで食べようとよそのおばさんに預けていたら食べられてしまったとか、そんな話が載っていました。
そのおばさんは戦後缶詰をいっぱい持って訪ねて来て「あの時はごめんなさい!」と謝り、二人は抱き合って泣いたそうです。
昭和40年代の後半、終戦からまだ30年経っておらず、戦争も記憶も色褪せていなかった頃、学校にはそんな本が何冊もありました。
お書きになっている内容を読むと、何だか私も読んだことがあるような気がしてきました。はっきりとは覚えていないのですけれど…。
直接関係はないですが、昔トビウオ漁(?)をしたことがあります。と言っても観光用のもので、船端から網を差し出してそこに飛び込んでくるトビウオを捕まえるというもので、なかなか面白かったです。獲ったトビウオは宿で焼いてもらって食べました。