こちらへ来てから仁丹の広告というものには感服していた。どの街へ行っても仁丹の広告が眼に附かぬ事はない。城壁に大きく「仁丹」は無論の事だ。碑門の「道貫古今」などという字を見事な字と思って見ていると、直ぐ傍に抜からず「仁丹」とある。
昭和13年発表の「蘇州」より。中国大陸における「仁丹」の宣伝力に感心している。仁丹の広告に関しては、以前私も『短歌は記憶する』の「仁丹のある風景」に書いたことがある。
松陰が伝馬町の獄で刑を待っている時、「留魂録(りゅうこんろく)」という遺書を書いた事は皆さんも御承知でしょうが、そのなかに辞世の歌が六つありますが、その一つ、
呼だしの声まつ外に今の世に待つべき事の無かりけるかな
「呼だしの」とは無論首斬りの呼だしであります。
吉田松陰のこの歌は初めて知った。「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」「七たびも生きかへりつつ夷をぞ攘(はら)はんこころ吾れ忘れめや」などの勇ましい歌よりも、深い味わいがあると思う。
僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。大事変が終った時には、必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。(…)僕は無智だから反省なぞしない。利口な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。
これは敗戦後の昭和21年の座談会における発言。これに対して、小林ほどの評論家が「無智な一国民」のはずがない、とか、戦中の言動を反省しろといった批判も可能だろう。でも、私の考えるのはそういうことではない。
軍閥といふことさへも知らざりしわれを思へば涙しながる
斎藤茂吉『白き山』
これは敗戦後の茂吉の、とかく評判のわるい一首であるけれど、まずは当時の茂吉の本音として素直に読む必要があるのではないかということだ。小林秀雄の「無智な一国民」と茂吉の「軍閥といふことさへも知らざりし」には共通点があるように思う。