2025年06月09日

紺屋四郎歌集『空行くような』

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「塔」所属の作者の第1歌集。

薄氷のごとき勤めと居直りて本日ハヤシライスの旨し
いま消した職場のあかりもう一度つけても同じわが職場なり
結局は愛媛みかんを食べているふるさとに棲むふるさとの猿
人事課に異動となりてまずもって「新居浜コンガ踊り」覚える
円陣を組んで一同励ましてそののちひとり酒呑みにゆく
橋はいつも切り替えの場所なかほどに自転車止めて川をながめる
ときおりは納骨堂のとびら開け父と母とのいさかい覗く
感触はいまでも残る たらればを言わぬと決めし日のげんこつの
手術後の見習い医師はどん兵衛の蓋を押さえて目を閉じている
花かげに尻尾を捨てて去るトカゲ捨てたるものをただ一度見つ
詠草をポストに投じ帰る道往きに気付かぬ石蕗に逢う
病む人と医師は並んで待っているエレベーターが下りてくるまで

1首目、職場で強いられるストレスを振り払うようなハヤシライス。
2首目、残業をした帰りだろうか。職場が消えてしまうはずもない。
3首目、「四国の猿の子猿」と詠んだ正岡子規にあやかっての「猿」。
4首目、下句が抜群に面白い。これが踊れないと話にならないのだ。
5首目、中間管理職の悲哀が滲む。円陣とひとりの対比が印象的だ。
6首目、自宅と職場の間にある橋。家庭から仕事、仕事から家庭へ。
7首目、結句が何とも面白い。生前しばしば喧嘩していたのだろう。
8首目、悔しさと決意で握りしめた拳が今も心の支えになっている。
9首目、お湯を注いで5分待つ間に手術の光景が甦る。疲労が深い。
10首目、永遠の訣別シーンに自分の何かを重ね合わせているのか。
11首目、ポストからの帰り道は目的がないだけにのんびりできる。
12首目、同じように立っているけれど病院内での立場は全く違う。

2025年5月11日、青磁社、2500円。

posted by 松村正直 at 23:29| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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