2025年05月22日

坂井修一歌集『鷗外の甍』


2021年春から2025年新春までの作品507首を収めた第13歌集。

『シャー・ナーメ』初訳は土屋文明と知つておどろく図書館便り
釈迦に降りし雨はキリストよりおほしぽつんぽつんと頭(かしら)をぬらす
給金の安きを言ひて教へ子の「日本を捨てる」はや二十人
大学を横に出でたる津島修治 出られぬわたし六十四歳
二十五時妻の入りくる寝室をわが出でゆけり会議はじまる
実験をしない学者が遠望す「くすりばこ持たぬ薬師」のきみを
あびこ、あびこ 水のにほひのする街へ声はこだます駅からあふれ
血液内科入院棟へ妻が来て四角い笑顔見せし二時間
われは病を若者は生を苦といひきぎいぎいと鳴る貸部屋の椅子
奇跡の書『澁江抽齋』手に思ふわれにはいまだ来ない時間を

1首目、ペルシャの長篇叙事詩。文明『波斯神話』は1916年刊行。
2首目、釈迦が誕生した時は雨が降った。気候の違いと宗教の違い。
3首目、頭脳流出の現状。研究者が日本を出て海外へ行ってしまう。
4首目、大学を中退した太宰治と教員として大学に勤め続ける自分。
5首目、初句に驚く。海外の会議にオンラインで参加している場面。
6首目、現場仕事を離れた管理職の森鷗外の姿に自分を重ねている。
7首目、抒情性豊かな歌。我孫子はかつて白樺派の文人が住んだ町。
8首目、「四角い笑顔」から緊迫感が伝わる。二つの数詞も効果的。
9首目、「ぎいぎい」が苦しげ。年齢や立場により苦の中身は違う。
10首目、史伝小説に晩年の情熱を傾けた鷗外を羨む気持ちだろう。

結婚のブレーキかけし父と母いまはてしなく吾妻に甘ゆ
わが婚を壊さむとせし母ありきそのひとよつひに幼児(をさなご)のごと
わが婚をやめよと告げしそのわけのつひにわからず母呆けたり

両親がかつて結婚に反対したことが繰り返し詠まれている。何十年経っても消えないしこりとなって、胸のうちに残っているのだろう。

2025年4月20日、短歌研究社、3000円。

posted by 松村正直 at 13:22| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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