川野里子と15名のゲストとの対話を収めた一冊。
登場するゲストは、納富信留(哲学・西洋古典学者)、サンキュー・タツオ(日本語学者・芸人)、岩川ありさ(現代日本文学研究者)、伊藤比呂美(詩人)、井上弘美(俳人)、堀田季何(歌人・俳人)、村田喜代子(小説家)、三浦しをん(小説家)、宮下規久朗(美術史家)、新見隆(キュレーター)、三浦佑之(日本文学者)、品田悦一(万葉学者)、木村朗子(日本文学研究者)、赤坂憲雄(民俗学者)、高野ムツオ(俳人)。
「歌壇」5月号に書評を書いたので、ここでは印象に残った発言を備忘のために記しておくだけにする。
我々は普通、韻文は人工的で散文が自然だと思ってる。だけど歴史的には逆で、他の文化圏もだいたい同じですが、最初文学が生まれるのは韻文なんですね。(納富信留)
いいネタだけど、この人じゃなくても成り立つと思われたらそれはよくなくて、多少雑でもその人でなきゃいけないもののほうがずっと面白い。(サンキュータツオ)
身体や感情を消すことが戦争への言葉の参加だったんだと思います。だから戦争が終わったときにまず言葉がやったことが身体を取り戻すということ。(川野里子)
伝統派は比喩としては使わないんですよ。比喩的に用いた時には季語として働かないからです。(井上弘美)
私は、近代以降の俳句も短歌も純粋な伝統詩だとは考えていないのです。欧米の詩と融合したと思っています。(堀田季何)
西洋ではヌード彫刻は外にはない。あれは日本特有の現象で、駅前に裸像があるのを見て西洋人はびっくりするんです。ヌードを西洋文化そのものだと思って愚直に増殖させてしまったのが日本の近代で、これは大きな誤解です。(宮下規久朗)
山陰道は京都山城から丹後を通って西へ行く。山陰と北陸は直接はつながっていないんです。近代の鉄道ができても北陸本線と山陰本線を乗り換えようとしたら一旦、京都に出ないといけない。(三浦佑之)
言葉は人間が生んだものだけれども、その人間をも全て制してしまう力がある。特に文字に書かれた言葉の力ですね。スペインがかつての大帝国時代を築き上げることができたのもスペイン語という言葉の力です。(高野ムツオ)
どの対話も刺激的で面白い。おススメです。
2025年1月23日、本阿弥書店、2500円。