2025年04月03日

今井恵子『短歌渉猟 和文脈を追いかけて』


「短歌研究」2017年1月号から2019年6月号まで計28回連載された文章と評論「短歌における日本語としての「われ」の問題」を収めた評論集。

短歌の話だけでなく、音楽や美術、時事的な話題なども取り込みながら、幅広く短歌や日本語について論じている。短歌を通して考える日本語論、日本文化論といった内容だ。

鳥の目の司会者と蟻の目の司会者がいる。鳥の目の司会者は時間配分が上手く、公平で軽快、バランスがいい。蟻の目の司会者は、重要な問題に立ち止まって深めることに長けている。(…)優れた進行は、適宜往き来して両方を使い分けている。
近代文学史を考えるとき、わたしたちは新しく加わったもの、前代になかったものに注目し、その輝きを時代のものとして称賛するのが一般的である。(…)明治三十年前後の短歌潮流の変動の中で、一葉の歌が「旧派」のそれとして、ほとんど顧みられなかったのも頷ける。
読者は、並べられた言葉の順番から逃れられない。短歌一首でいえば、初句を読むときに結句に目を走らせるということは出来なくなる。否が応でも、作者が指定した順番通りに言葉を辿る。
洋服と着物の大きな違いは何か。端的に言えば、洋服はクローゼットにぶら下げておき、着物は畳んで箪笥にしまうことだろう。(…)洋服は、着る人の体形に合わせて服地を立体的に縫い合わせてあるから、平面に還元するのが難しく、着物はもともと平面でできているものを人体に纏って使うからである。
アンコールワットの回廊を、外側から内側へと数えることは、国内の神社を参拝するときに潜る鳥居を、神殿に遠いところから、つまり参拝者からみて手前から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と数える私たち日本人にとって、自然なことである。しかし、西洋では、数える順番が逆転するらしい。

読んでいて楽しい評論集である。示唆に富む話が次々と出てくる。話題はあれこれ移ったり、ぐるぐる廻ったりするのだが、読者も著者の思考に寄り添って一緒に迷路を歩んでいるような気がしてくる。

タイトルに使われている「和文脈」について、著者は「日本語が内包する生理と、短歌形式が生み出す時空を指し示す用語」と定義したうえで、

作歌するとき、モノやコト、また対立や違和や異物、訳の分からない不気味というような夾雑物を排し収斂してゆくと、どこかの時点で、ドアがぱたりと閉まるように、外界・他者・社会・抵抗・疑問などの摩擦のない自己閉塞世界へ入ってしまう。

と記している。そうした閉塞した世界に入らないためにも、考えながら書き、書きながら考える、行きつ戻りつするようなスタイルがこの本には必要だったのだろう。

2024年10月10日、短歌研究社、3000円。

posted by 松村正直 at 09:05| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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