森鷗外の末子(三男)の森類を主人公にした小説。
以前、森鷗外記念館を見学したとき、「森類 ペンを執った鷗外の末子」という展示会をやっていて、それ以来気になっていた人物だ。
類の目から見た父の姿や母と祖母との確執、二人の姉(茉莉、杏奴)の様子などが描かれていて興味深い。特に、鷗外没後の与謝野家や「冬柏」との関わりに注目した。
杏奴は踊りの稽古と仏蘭西語を続けながら、文化学院の『源氏物語』や漢学の講座にも通っている。源氏は父と交流のあった与謝野晶子先生が講師で、時々、親しく声をかけてもらっているようだ。
茉莉はまたモウパッサンの翻訳を手がけていて、『それが誰に分るのだ』をこの三月から「冬柏」に連載を始めている。「冬柏」は昨年創刊された新詩社の機関誌で、「明星」廃刊後の与謝野寛、晶子夫妻が最も力を注いでいる雑誌だ。
類と杏奴の巴里行きについて尽力してくれたのは、与謝野夫妻だった。その昔、寛先生が巴里滞在中に晶子先生も渡欧したいと願い、それに力を貸したのが父だったらしい。
杏奴は頰杖をついたまま右手のペンを走らせている。(…)今、巴里での暮らしを文章にしている。与謝野夫妻から「冬柏」に寄稿するように勧められたのは、日本を発つ前だった。
茉莉はロチやドーデなどの翻訳をまた「冬柏」で発表して、他にも原稿料を得られる仕事が入りつつあるらしい。
杏奴はパリのアパルトマンで、父についての追懐文も書いていたらしい。『晩年の父と私』という題がついたその小文は「冬柏」に掲載され、さらに『父上の事』などと題を変えて、今も連載されている。
森茉莉、小堀杏奴の文筆家としての出発には、森家と与謝野家の深い関わりがあったのだ。
2023年7月30日、集英社文庫、1150円。