2025年03月17日

新宮&別邸歌会(その1)

14日(金)

京都から近鉄で松阪へ出て、そこからJR紀勢本線に乗る。
熊野市駅で降りて海岸沿いを歩く。


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熊野灘。

このあたりは「七里御浜」と呼ばれている。三重県熊野市から紀宝町に至る約22キロの砂礫海岸だ。


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獅子岩。

高さ約25メートル。岩を何かの形に見立てるというのは全国各地にあるけれど、これはかなり獅子っぽい。


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花窟(はなのいわや)神社へ。


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社殿はなくて、高さ約45メートルの巨岩がご神体になっている。
圧倒的な存在感だ。


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再び七里御浜。

ひたすら海。波音のほか何もない。人もいない。

その後、有井駅まで歩いて列車に乗り新宮へ。新宮まではJR東海のテリトリーであった。

posted by 松村正直 at 22:30| Comment(4) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
熊野には小学生の頃、家族で自宅のある四日市から伊勢鉄道経由で行ったのと、就職してから紀勢本線で紀伊半島をぐるっと廻って、熊野大花火大会の日に同地に赴任していた友人を訪ねたことがあります。
亡父が持っていた『三重のうた』というLPレコードに収録されていた「木本節」の歌詞が子供心に好きでした。何節か抜粋しますと、

主は鬼ヶ城 雄々しき姿/私しゃこがれて 散る女浪
七里御浜はかすみに暮れりゃ/沖に漁火 主恋し
徐福偲んで 書きたる文字の/岩に不老の 苔が蒸す
花の窟に 松吹く風は/神代ながらの 声がする

YouTubeで聴けますので、お聴きになってみてください。
Posted by 小竹 哲 at 2025年03月19日 07:20
小竹さん、コメントありがとうございます。
「木本節」の歌詞は公募して作られたとのことで、名所が次々と出てきますね。今回訪ねた場所も多く、聴き入ってしまいました。

今回、新宮を訪れて知ったのは、三重県がけっこう南の方までのびていること。かつての「紀伊」の一部は三重県になっているのですね。漠然と尾鷲のあたりまで和歌山県のように思ってました…。
Posted by 松村正直 at 2025年03月19日 21:08
三重県はカタカナの「メ」のような形をしていて(ゆうれいのようにも見える)、ざっくり旧国名で言うと、タテ軸の上半分が伊勢国、ヨコ軸の左半分が伊賀国、同・右半分が志摩国、そしてタテ軸の下半分が紀伊国です。
文化もそれぞれ微妙に違って、言葉も三重県は基本的には関西アクセントですが、尾鷲・熊野のあたりはどうも東のアクセントのようです。
ついでながら私が子供の頃、志摩のご老人同士の会話は、同じ三重県人でも聴き取れませんでした。
Posted by 小竹 哲 at 2025年03月20日 21:08
なるほど、よくわかりました。
三重県の地図を見ると確かに「メ」や幽霊のような形をしていますね。伊勢、伊賀、志摩、紀伊の4つの国を含んでいるとは。伊勢と志摩が三重県なのはすぐわかるのですが、伊賀は「三重県かな?滋賀県かな?」となってしまうし、紀伊は100%和歌山県だと思ってました。
Posted by 松村正直 at 2025年03月21日 09:00
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